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2019-05-24

Facebookで40後半のババァに会いたいと言われた。

私は33才の男性

自分で言うのもなんだが、割とイケメンで、Facebookでの好感度も高い。

昨日、Messengerで40後半のババァから「○○君に会いたい、会いに行く」と言われた。

Amazon欲しいものリストを買ってくれたら私の方からお礼に行きますよ」というと、「○○君が何をしたいのかわからない」とかぬかしやがる。

はぁ?40後半のババァ33の男に会いに来て、何をしたいのかわからねぇのはこっちの方だよ。

「ごめんなさい、友達をやめますか?」というと「はい」と言うからブロックした。

anond:20190524005840

そりゃそうだ。

権利さえ保証されてれば好き放題できる。

自由じゃダメだ。

自由悪事をはたらくことまで認めてしまうから、行動の善悪判断しない。

犬の話

なあわんこよ、お前が数ヶ月前にぽっくり大往生してしまって、なんだか心がスースーするよ

もっと長生きして欲しいなんて口が裂けても言えないくらい、頑張って頑張って長生きしてくれたし、最後の一瞬まで私の腕の中にいてくれたよな

から多分、こんなこと思っちゃだめなのかもな

お前のおかげで犬がどんなに素晴らしいか身をもって知ることができたよ

ももう犬は飼えないな

お前が一番私のことを理解してくれてたから、多分犬を飼ったらお前と比べてしまうから、そんなの悲しいもんな

ほんとはすごくすごく寂しくて、なにかで埋めたくてたまらないんだ

モルモットかわいいなって昔から思ってた

でもなんかさ、だめなんだろうな

お前の形で空いちゃった穴が塞がるのも、実はちょっと怖いんだ

いわゆるペットロスみたいに食欲なくなったり体調崩したりしてないからそこは安心して欲しいな

でもほんとに、ありがとう

『鳴鳳荘殺人事件』が許せない話。

やあやあどうもお前らこんばんは。

FGO最近全然やってないけどTLに冬木クリア条件のイベントがあるって流れてきたかシナリオ読んで来てその勢いで書籍版も買ってきたマンだよ。

*この先、FGOイベント及び書籍『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』のネタバレ満載ですご注意ください。



さて。

俺はこの『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という小説が許せない。

ゲームシナリオの方はどうでもいい……って言ったら失礼か。とにかく。小説独自要素?小説の落とし?が許せん。


この小説は。消費者にとって、そして二次創作者にとっては福音かもしれないけど、一次創作者にとっては、間違いなく、呪いだ。

タチの悪い呪いだ。

物語る者の矜持を打ち砕いて、迷わせてしまうような、そんな呪いが込められている本だ。


どういうことだとお思いの方も多いだろうから説明をする。

この『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』は、「脚本家が倒れたミステリ映画の続きを登場人物達が考える」という、メタミステリものだ。

個人的には『愚者のエンドロール』あたりを連想するところだけど、まあそれは置いといて。

作中では5つの「あり得たかもしれない未来」(ルート)が提示された。

ゲーム版では、プレイヤー達の「投票」によって、一番得票の多かったジャンヌ・ダルクオルタルートエリスルート)が選ばれ、"撮影"されたのだが、小説版では提示された5ルートの全てが一旦は"撮影"されたことになっている。


大まかなストーリー説明はこれくらいにして、俺の気に障った箇所についての説明をしていこう。

『鳴鳳荘』の冒頭には、ラストにも繋がる、とあるシーンがある。

おじさんが幼女大事な本を壊してしまい、図書館司書作中作の「映画」では脚本を務める)に修復を依頼する、そんなシーンだ。

ゲームではこのシーンは「映画」にうまく組み込まれるだけだったが(伏線回収は見事であった)、書籍版では、なんと、このシーンに対応するシーンがエピローグとなっている。

紆余曲折の末、壊してしまった「ペパーミントグリーン色の本」(ゲーム版の方で亡くなってしまったキャラのことを暗示してるらしいですね)を復元したおじさんが、幼女に本を返却する。

速読み始めた幼女は、ややあって、突然本を閉じてしまう。

「これはわたしの読んでいたご本とは違うような気がするわ。出てくる子たちや舞台は同じなのに、なんだか違う話を読んでいるよう……」

そう。

「不幸な事故」によりバラバラに壊れてしまった物語を、おじさんたちがなんとか修復し、意味の通じるようにページを繋ぎ合わせたが、もともとの物語とは全く違うものになってしまったのである

更に幼女は続ける。

「このままページを捲れば、本当の結末とは違うものが待っているんでしょう? それは……とても怖いわ」

これに対して、おじさんはこう答え、

「もし君にとって不本意な結末なら、忘れてしまえばいい。いや……」

「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいいんだよ」

最後に、こう読者に語りかけて、『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という「物語」は幕を閉じる。

登場人物感情物語上のマクガフィンを受け)「何より結果をもって、その選択肯定しようなんて……おこがましいとは思わんかね?

ちなみにこのおじさん自身は、世界史実在した人物テーマにすることが多いFateには珍しく、創作バックボーンもつキャラクターである。余談ではあるが。


俺には、おじさんのこの言葉が、呪いしか受け取れなかった。

創作者の、「物語る者」の役目は、責務は、自分の頭の中にぼんやりとある、つかみ所のない"話の種"みたいなものを、しっかり捕まえ、「物語」という形にして消費者に届けることである

もちろん、その過程で、いくつもの"語られなかった"可能性は摘み取られる。

でも、そうして、物語というのは"物語"になるのである


あり得たかもしれない未来ひとつを捨て、もうひとつ未来を掴み取るための主人公決断

見えかけていた可能性のひとつを捨て、別の可能性を選び取るためのヒロイン葛藤


世界にとってか、主人公にとってか、主人公の愛する者にとってか、はたまた悪役にとってか。

誰にとってかは不定しろ、とにかく、より良い「結果」を目指す登場人物たちの苦悩、死闘葛藤、そして決断

それこそが「物語」の本質だろうと、俺は思う。


から――

よりにもよって、そんな一次創作登場人物達に、「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいい」だなんて言わせるなんて、許せない。


「『本当の結末』なんてない」と主張するのは、「全ての結末は等しく同じ価値がある」のと同じことで。

それは、「本当の結末」のルートに辿り着くために主人公たち登場人物が払った犠牲を、抱えた葛藤を、定めた決断を、無価値である貶めることにはならないだろうか。

物語る者は、物語を創り出すと同時に、物語中の人物の"感情"も創り出す。

全部が嘘でも、主人公が、ヒロインが、登場人物が抱えた"感情"だけは本物で、そんな"感情"に人は共感するから人類有史以来物語を求め続けてきた。

そう、俺は思っている。


この『鳴鳳荘』は、ひょっとすればそんな「登場人物感情」は交換可能であり、等しく価値がある(≒等しく無価値である)。そう主張していることになりはしないだろうか。

だとしたら、俺は、この作品のことを許せない。一生根に持ってやる。



翻って、二次創作をする人たち(同人誌漫画を書いたり、pixiv小説を書いたりする人を想定している)からすれば、この「呪い」は間違いなく「福音」であろう。

というか、彼らが日頃からやっていることだろう。

あり得たかもしれない未来、語られなかった可能性を追い求め、掬い取り、自分の力で結晶にする。

だって二次創作したこともあるからわかる。

「こうだったらいいな」「あれがああだったらどうなってたのかな」

"if"を追い求めるのは、ロマンがあるし、楽しい。それはわかる。


でも、その楽しさは、「原作絶対」という前提あってこそのものではなかったのか。

公式で語られたことは全て「正しい」。その前提の上で、ちょっとだけ世界を歪めてみて、結末がどう変わるのか。

それを楽しむための、ただの思考実験ではなかったのか。

"全ての結末は等しく同じ価値がある"だなんて、俺にはとても思えない。



現実的なことを言えば、Fateがもともとマルチエンディングな"ノベルゲーム"という媒体から派生したものであることと、俺が抱えているもやもやは繋がっているのだろう。

ゲームセーブロードシステムが使えるから何回だってやり直しができるし、消費者プレイヤーはいくつも用意された結末を全て体験することができる。

それは素敵な体験かもしれないが、ある種「逃げ」である、かもしれない。

「選ばなくても結末に辿り着ける」あるいは「複数選択から複数を選べる」ことなんて、人生ではあり得ないのだから

2019-05-23

anond:20190523202354

これだけだと既存の伝手のあった原材料メーカー技術なさすぎの無能なのか

ラボでやってたもんの難度が高すぎて前情報なしに量産できるわけねーだろカスなのかわからん

まぁ新卒2年目のペーペーなんぞに出る幕はないだろうから上司問題解決力見せてもらって

アカンと思ったら転職すれば?

お前にお鉢が回ってくるようなら自社の体質を推して知るべしってな

anond:20190523222643

なら放っておけばよいのでは。仕事中にネットに興じるやつにも給料を払ってるのは会社方針なのだうから

anond:20190523191146

あのさあ、

俺はそもそもヴィーガンに興味が無いので俺に聞かれても困る

ただ社会活動家っていうのは結局人の生活に介入して嫌がらせすることに快感を感じる変態集団にすぎないことが大半なので

ヴィーガンを早めにぶちのめしておこうっていう反発する人達動機もわかる

さすがに雑すぎない?

返信すんのやめようかなってなっちゃったけど一応やるわ

てめえがそれを実践することには殆ど人間干渉しないよ

でもヴィーガンは非ヴィーガンに注文をつけてるから言い返されてるわけじゃん?

「加担したくないと言ってるだけ」ってのは嘘だね

自分らの行動に責任を持とうよ

加害行動に加担したくないし、加害を減らそうぜ、って言ってんの

あんたは猫とか子供いじめる奴にやめろって言わないのか?

あのな、俺は上座部仏教徒なんだよ

てめえがそのひ弱なお気持ちをひねり出すずっと前から不殺生戒を守ってるんだ

俺はこのツリー不殺生という価値観について一度も否定してないからな

けどそれすら気づかずに不殺生について説教を垂れてくるわけだ

われわれ仏教徒はお前等の「なんとなく可哀想」なんてふわふわお気持ちとは隔絶したビシッとした理論不殺生です

肉なんて食ってねえよばーか

そりゃまあよかったわ、これからもがんばってよ

いや、「肉を食べることが善い人生だって奴と何一つ共有する気が無い」なんていうからさ、あんたが肉食うの大好きなんだと思ったわ

俺はお前等の倫理戒律中途半端な頭の悪さや無様さ、

そのくせして他人にまでお節介やこうとする増上慢

それでいて反発された途端被害者ぶるひ弱さ、

そういうものを笑ってるだけなの

お前の頭の何が弱いって

相手の話もきちんと読めないことだよ

よくヴィーガンとき新興宗教不殺生について俺達に説教垂れようとか思い上がれたなw

俺達にその件で説教できるのはジャイナ教徒ぐらいなんだわ






馬鹿相手から何度でも繰り返すけど

俺はお前等のだらしない議論姿勢や、倫理戒律の不洗練、どうしようもない頭の悪さを非難してるだけ

増上慢かいうのはさすが仏教徒感あるよね、ググっちゃったよ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E4%B8%8A%E6%85%A2

なるほどね

別にそこまで自分の頭がいいと思ってるわけじゃないか否定はしないけどさ

あんまり相手の方が馬鹿とか連呼しない方がいいんじゃないの?

あとヴィーガン宗教ってわけじゃないんだよね。宗教っぽくなっちゃってる人もいるけど、基本的には思想実践があるだけだからさ。

なんか別に対立してないっぽいし、もうちょっと普通に話してほしいよ。

首絞めセックスって大変らしい

あ、ぼくは(自分が主導権握ってると)ねっとりしたエッチしかしないからやって事ないですよ?

 

ただ、いかにもそういうのが好きそうな事を言う人がいたか冗談半分で

「首絞めセックスとか好きでしょ?」

って言ったら、

「好きには好きなんだけど…男が大変みたい」

って言われた。

 

大変だという理由は2つで

・興奮状態から加減がわかんなくなる

・手が塞がるから大変

とのことでした。

 

これの感想書く前にぼくがなんでこういうのをやってこなかったのかって話をしといたほうがいいか

 

ぼくがねっとりしたエッチしかしない理由

ぶっちゃけですね…自分の好みのエッチがどんなものなのかを探求するほどエッチしてないし、それに付き合ってくれるほど言いなりな相手も…まあいらっしゃらないわけです。

 

皆さん、性癖性癖って色々おっしゃるんですけど…ぼくに言わせれば、そもそも論として

「え?みんなそんなに色々試してるの?」

って思う次第です。

 

あ、自分の中でこういうのがカワイイとか、こうなってくれると面白いみたいなのはありますよ?

 

ただ、それって、別にAV男優顔負けのすげープレイをしなくても、前戯の段階とか、ホテル行く前の段階で

「あー面白いほど話が噛み合う」

とか、

相手の子めっちゃリアクションしてる!!カワイイ!!」

ってところで、割と満たされちゃうんです。

 

強いて言うなら、フェラはしてほしいです。

ぶっちゃけ挿れなくてもいいかフェラしてもらいたい。

目が合うとエモいし、イカずに気持ちいい状態が続くし、最高です。

あとは、体触るの好きですねぇ…。

女の子のてわざりって独特だからずっと触ってられます

おっぱいとかお×んこもそうなんだけど…髪の毛とか手からしてもう質感違うから…触ってるとホルモンバランスうから好きです。

あ、そういう意味でいうと、めっちゃおっぱい星人っぽくなるし、手マンすきですね。(手マンっていうかあのへんの肉触ってんの好きですね)

ずっと触ってられるじゃないですか!

…というわけで別にハードなことしなくてもけっこう満足しちゃうんです。

自分普段味わうことのない感触が満たされることが気持ちいいので…別にハードにする必要ないんです。

から、アクロバティックに腰を振りまくる系のAVとか見ると…私あんまりキュンと来ないんです。

AVをなんのために見てるかって言ったら、大半は笑いと、人体実験と、自分でやろうとすると大変そうなやつ(ほとんど虐待みたいなハード系とか、人数が多すぎる乱交系)とかああいうのなんで…まあね。

うーん…女の子リアクションが見たいって言うのって、行き過ぎると人体実験ですからね。

ぼくはいムードで甘え声出した後に、敏感なところを触った時に吐息を漏らすあの感覚で十分楽しいんですけど…もっともっとエクスタシーにイっちゃってる状態を見ようと思ったら、

・痛いのが大丈夫で、

ハードなことしても大丈夫

自分良心が傷まない

みたいなことが条件になってくるんですよね。

嫌な子はフェラや手マンも嫌な子いるし、そもそも恥ずかしい状態が嫌って子もいるけど…首絞めやスパンキングまで来ると愛情でやってる状態かどうかに矛盾が出てくるから…割り切れるぐらい大人な子であったり、求めてくるぐらいエッチ親和性がいい子じゃないと…まあ難しいわね。

そうなってくるとどうなるかって言うと…多少痛くても上手い下手の問題で済んで後々大きく揉めることのないねっとりしたエッチに行き着く。

妥協ってわけじゃなくて、よく好みがわかんない時にエッチしても「この辺ぐらいなら、その場で気まずくなるほど引くようなことはないだろうな」ってラインぐらいにしとかないと、いいリアクションをしてもらえないからね。

いや、痛かろうが、息止められようがむしろそのぐらいのほうが気持ちいいって人もいるにはいるんだろうけど、その辺ネットに毒されてるから

あんまり過激なことして気持ちよくなかった日には、あとでリベンジポルノ的に晒されたり、ネタにされたりしない?」

っておもっちゃうわけ。

から、お試しセットじゃないんだけど、まずは「普通の子がキチッと拾ってくれそうなエッチ」をするわけです。

それでも下手な時とか、信頼関係ができてないと何回目かでやりたくないって話になったりするんですが…自分が見たいものが見られて、相手負担が少なく(ある程度気持ちいい?)エッチを基本は模索するわけです。

…まあ、普通じゃない人も多いから、それが正解なのかはよーわからんのですが。

首絞めセックス問題感想

性について上達してくると

自分の好み通りのエッチしようとすると、男に負担や腕を求める」

ってことが女の人もわかってくるんだなぁ〜って思いました。

女の人ってある程度モテる人や異常性癖の人を相手にしない限りでは極論マグロリアクションしていれば成り立つんです。

からあんまり関心がない人や、けがらわしいと思っている人は、「男が悪い」以上にならないんですよね…。

自己肯定感低い女性自己肯定感高い男にいいように命令されちゃう傾向をよしとするのは…そういう方向もあるんですよね。

おっぱいやオ×ンコ触れて楽しいとかって言う次元の男じゃなくて、

「こうしてほしいからああしろ。おれを気持ちよくしろ

ってぐらいの人のほうがすごい人と錯覚するんでしょうね。(やってもらって当たり前系の男は…モテすぎてる人と、ただのわがままなガキと両方いますが…)

女で「ああしろこうしろ」系知らないからわからないんですが。

男の場合は、じぶんからある程度動かないとエッチが成立しないかマグロってわけにも行かない。…あ、お店とか相手が手慣れててすごく早くいろいろ動いてくれる場合は別よ?

男の方が痛いことは少ないし、手をつけないと成り立たないから…痛いとか辛いとはまた別の意味の大変さも結構あるんです。

元気じゃないといけないとか、要領を心得てないといけないとかね。

そこを汲み取れる女性は…すごいと思います

腰を振りながら両手をクビにかけて、締めすぎないように力加減するとなると…そうだよね。

けっこう体幹強い人じゃないとできないプレイもの

エッチブランクがあると…変なところ筋肉痛になることがあるだけに…アクロバティックなエッチできる人や要望に答えられる人はそれはそれですげーと思います

好みではないけど、そこは尊敬します。

話戻すけど…AMとか、Twitterで男の悪口書いているぐらいの人って、大したやつじゃないんだと思います

聞く耳持たないから)上手にならない人を選んじゃった人か、

経験少ない人に)キチッとどこをどうしたらいいのかやんわりと説明できなかったり、

ちょっと体制倫理観考えればわかるような)難しいプレイを求めてたり、

なんかしら自分でも失敗しているところってあると思うんです。

そういうのを自分の好みの問題相手技量相談して言える人ってすげーって思うんです。

そういう意味で、首絞めセックスって大変ですね。

ちょっとやってみたいと思う半面、技量とお互いの許容をうまーく相談できる相手との話になるから、けっこう難しいと思いました。

現場からは以上です。

店って未だに探しづらいよな

ネットに乗ってる情報がしょぼいんだよ

ショッピングモールですらしょぼい

まあメインとなる客は商圏の人らだけだろうからネットの優位性が無いのはわかるんだけどさ

anond:20190522224201

なるほどねー。

議論すべき内容か否かは兎も角として論点は整理されてたのでわかった。

とはいえ、ここは増田なので致し方ないとしても、元増田はこの記事自分スタンスを明らかにしてないよね。

この記事の書きようからするとヴィーガンではないのではないかと思ったんだけど、勘違いかな。

それは兎も角、まず一つ目の論点苦痛を感じるかどうかということだけど、本当にそれが論点であるなら、屠殺手法フォーカスが向くはずであって、現在運動の方向とは必ずしも同一ではないよね。

だって屠殺のもの否定した運動を展開しているわけで。

そもそも先進国屠殺場では屠殺される動物苦痛を与える屠殺方法は用いることができないことになってる。

大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られるのであれば、大脳苦痛を知覚しないブロックされた状態であれば、当該動物苦痛を感じていないと結論することができるわけで、既存屠殺手法攻撃することはできない筈だよね。

また、家畜におけるアニマルウェルフェアをどう評価するかについては議論がわかれるところだけど、飼育方法は兎も角として産ませ育てることすら否定するのだろうか。

生老病死の四苦を知る仏教観念なのだろうかね。そんなわけないだろうけど。

植物がどうのっていうのを「稚拙」と論じるのは勝手だけど、日本的宗教史観に基づいて考えた場合に、逆に植物苦痛を感じないのだろうかと考えることは自然なことだとは思うのだが。

振り返って、人は植物動物わず生命を食べずに生きることができない(無機物のみで生存することができない)ことに気付けば、命に対して線引きをすることの愚かさに気付けそうなものだが。

からこそ、感謝をもって食す、食物を大切にするという風に考えを昇華できないところに思考限界が見える気がするが、これは宗教的なバックボーン問題なのかもしれず一概に否定することもできない。

というか、そもそもヴィーガンでもないかもしれない元増田に言っても無意味かもしれん。

anond:20190523170512

目撃証言がなかったら?目撃されてたら止められてるだろうから普通ないぞ

ってか、目撃証言ってのは自分で用意できるもんじゃないよね

しか目撃証言証拠になるなら、被害証言証拠になるよ

あと目撃証言客観的物証にはならんね

勘違いですで終わりだよね

検査相手拒否したら出来ないね

安楽死結構本気で整備して欲しい…親がね、ボケたり介護は心の底から嫌がってるし冗談しろあと2年って言ってるの気持ちものすごくよくわかるし、

正直絶対介護できないし施設に入れる金もいから誰かがぼけたり事故介護になったら、本気で、絶望しながらしんでしまうからお願いしたい

anond:20190523161825

何回か通ったら、向こうから声掛けてくれるよ

熟女キャバもある

[]

久々にこっちで雑感。

ツイッターとかの明示されたアカウントで語るには取り扱いに困る、そんな話をしたかったのが理由。「お前は敵がつくりてぇの?」って聞かれたら、作りたくもないし、作る意義もないからね。とはいえ、やっぱり語りたくなる。今回の『青のフラッグ』の44話には、そういったパワーがある。

各々に考えがあり、理由がある。そこに普遍的な是非を求めることの危うさ。

いやあ、ほんと。本作は漫画という媒体で、どこまで多元的な考え、人格描写するつもりなんだっていう。面白いかっていわれると、愉快ではないんだけれども。安楽椅子状態での会話がメインって絵的には面白みが薄い。どうしてもセリフばっかりになるし、読者側にエネルギーを要する。しかも本作はスッキリしない。わかりやすく間違っている人間に対して、正しいことを言って溜飲を下げるだとか、そういった明瞭な快活さを与えてくれないのでストレスたまる。それでも評価せざるを得ない話ってこと。

本作は各々が自分なりの考えを持っていて、そこに明確な是非を要求すべきじゃないってのを逐一訴える。今回の女子高生二人の言い分も間違ってはないんだよね。むしろ現代社会の通念上は、正しい寄りの考えと言ってもいい。じゃああの丸刈り君は偏狭性差別者で、“普通じゃない、間違っている人間”なのかっていうと「ちょっと待った」ってなるわけ。私も同性に痴漢されたことはあるからからなくもない。そういった経験から来る嫌悪感普遍的な通念では拭い去れない。読者の中には今回の話を読んでなお、あの丸刈り君をただのクソ野朗で終わらせる人もいるだろうけれども、作中ではそれこそ狭量ではないかと指摘しているようだった。

安易善悪二元論の懐疑。ああいった問題で、正しいだとか間違っているだとかの線引きで考えたり、分かりやす悪者を作り出すことの危うさを作者は知っているんだと思う。作劇として見た場合言語化しすぎてて読み味も良くないんだけれども、本作はそういうのを妥協したくないんだろうなあ。『鈴木先生』を思い出す。大衆が受け入れがたい、スッと入ってこないであろう考え方を大げさに、だけど真っ向から長々と語る。

「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」は名言でも正論でもない。

「好きって感情はいいけど、嫌いって感情ダメ」みたいなセリフが劇中に出てきて、私は「うげえ、また“ツギハギ論”かよ」って思った。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」。『ツギハギ漂流作家』という漫画打ち切り間際に描いたあのセリフ。あの漫画顛末を踏まえた場合逆ギレじみた言い分に近い。けれども、なんだかセリフだけ一人歩きしてしまって名言になった。なってしまった。だから私は“ツギハギ論”って呼んでいる。実際このセリフ安易引用する人間の主張にはツギハギ感があるので、その点でも“ツギハギ論”って呼び方は適格だと個人的に思ってる。

で、ちょっとウンザリしたところで、「好きって感情は良い感情、嫌いって感情は悪い感情って考えは雑すぎる」といった指摘が入る。ああ、そこも言語化ちゃうだっていう。もう完全に私はこの作品に踊らされている。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」の歪さを分かってる。あのセリフが憚って10年以上も経っているのに、まだあれを正論だと思っている人がたくさんいる。あれが大した理屈じゃないことは、好き嫌いについて向き合っているのなら自ずと分かるはず。けれども、好きなもの他人に嫌いだって言って欲しくないという自己保身のために、あのセリフを都合よく使う人は後を絶たない。

好きという感情肯定する以上、嫌いという感情肯定しなきゃ辻褄が合わない。まあ、肯定否定個人感情によるところも大きいので、各々がどういうスタンスをとるかまでは是非を問えないけれども。そのせいで、意見の不一致による衝突は出てくるし、それを避けたいのも人間本能だしね。だからだって、こういう話は後腐れのないところで書く。とはいえ感想書きは、結局この“好き嫌い”を様々な言葉で紡ぐ表現手法の一つなわけで。好き嫌いのものを、片方だけ是としたり、有耶無耶にしたりすると評論としてはむしろ信頼できない。

とはいえ、これを完全に理解するには面倒くさすぎる。

そんなわけで評価はしているけれども、本作はかったるい。言語化しすぎというか、野暮ったいセリフ選びも多い。セリフの少ない場面とかはすごくエモいだけに尚更そう感じる。エンタメという枠組みで見たとき、あれは愉快な描き方ではないし、上手い描き方でもない。「悪役が何かエグいことをやっている」だとか、そういう“エンタメ的には良い不愉快さ”みたいな意味ですらなく。飲み物なしでビスケット食っているみたいな感覚

例えば、同サイトで読めるのだと、『さよならミニスカート』は分かりやすい。あれは良くも悪くも複雑じゃない。いや、人によってはあれでも余剰過ぎるくらい複雑かもしれないけれども、訴えていること自体はすごくシンプルなんだよ、あれは。基礎的なジェンダー規範を取り扱って、それをテーマにしている作品。様々なマンガで、以前から脈々と語られてきたジェンダー論をメインに、現代の人たちに刺さるようドラマティックにリブートしている。だから陳腐とまではいわないけれども、やや表層的ではあると思う。ああいったテーマを多側面的に考えたことのない、一般大衆向け。それ故に刺さりやすいし、読み味も良い。『青のフラッグ』もウケてはいるけれども、作者が想定しているであろう理解力の読者はそこまで多くないと思う。

その点で『さよならミニスカート』は多くの読者に色んな意味で優しい。まあ、テーマ的に何かすごいことをやってる~みたいに持てはやしだしたら危ないと思うけれども。『サウスパーク』とかで登場する、ソーシャルアジェンダに踊らされた大人たちみたいになってしまう。「私たちはそういうのに理解があるよ」といったスタンスゴリ押すことに一切疑問を持たない、実際のところ無理解人間。「社会正義から」、「一般の善良な考えだから」といった、誰かがあらかじめ作っておいた前提で理屈を紡ぎ出す。だから一見すると尤もらしいんだけれども、ちょっと小突かれただけで論理破綻してしまう。

とはいえ、そういった指摘をフィクション世界でわざわざ言語化しても、ほとんどの人はそこまで様々な視点から物事を考えないので伝わりにくい。一般社会の善良そうな考えで生きれば支障はまずないから、考える必要がない。むしろ考えすぎて自我袋小路に入ってしまうこともあるからちょっと無思慮なくらいが丁度良いまである。色々考えていたとしても、個々人の規範一般社会規範をすり合わせる他ないから。『青のフラッグ』のセリフからとるなら「お前は敵がつくりてぇの?」となる。私は御免こうむるし、多くの人も「そんなつもりはない」と言うはず。自覚しているか、実際の行動と矛盾しているってパターンは多いけれども。敵味方っていう構図の作り方が、そもそも履き違えているのを大体の人は分かっている。前提を共有をしていなければ主張の押し付け合いにしかならないし、かといって論理ゲーム本質から遠ざかっている。

そんな感じで、私の中でもまとまっていないので、ここで雑感は終了。ここまで語っておいてなんだけど、こういう特定作品を基に社会論をアレコレ語るのは、どこぞのサブカルくそ野朗みたいで我ながらアレだと思ってる。自分ツイッターじゃあ、絶対こんなこと呟けない。あれこれ考えてしまうから吐き出して解消したいだけで、漫画もっと気楽に楽しみたい派。ぶっちゃけ私は『むとうさとう』レベルの軽いノリでジェンダー取り扱ってる漫画の方が好きだ。

anond:20190523111907

動物がやってるから人間もやっていいとはならん」に対して

人権」は反論たりえないだろ

しろ人間動物の違いを強調すれば相手論陣を補強することになる

人間動物は違うから動物の「権利」なんかナンセンスってことやで?

動物がやってようがなかろうが人間はやってもいい。

anond:20190523110112

痴漢じゃない限り迷惑被ることもないんだろうからガチでやっていようと別にいんじゃね

anond:20190523103411

まあ「うるせー俺の所有物のペットをどう扱おうが俺の勝手だ」ってやつもいるだろうから・・・

肉食って何が悪いって抵抗する奴もいるたろうけどまあ法律とかで縛られて許されなくなるだろうな

この時期の修学旅行か校外学習で駅が埋まる

対して大きくない駅だけど乗り換えがあるからそこそこ通勤利用客がいる駅で改札前に30人ぐらい中学生が固まりでいることが1週間ぐらい続いててすげーイラつく

先生がいないのと班で行動してるっぽいし毎日制服が違うから時期的なもの???

全員Suica強制で買わせてチャージさせとけよなんでいちいち〇〇駅までの値段を確認して切符購入してんだアホかよ

ちんたら歩いてるせいでこっちは電車乗れなかったり電車たからとりあえず乗れー!で遅延するし最悪〜〜

フリーダム嫁さん「ブスは浮気されても仕方ない(大意)」について感想

Twitterなんかで虐待経験や怖さについて(旦那さんを通して)話してくれている、フリーダム嫁さんと呼ばれている方が「ブスは浮気されても仕方ない(大意/特に見た目に関して努力しないブスを指している?)」とブログ発言したことで、大きい反響があったようだ。

でも、本人や旦那さんに自覚があるかどうかわからないけど、これも虐待の爪痕の一部なんじゃないか?という感想を持った。

少しでも親の思い通りにならないと虐げられてしまうような状態子どもの頃継続して経験していると、「○○じゃないから愛されないんだ」→「○○じゃないと愛されなくても仕方ない」といった思考回路が身につく。過激虐待ゆえ、あまりにもそれが当たり前すぎて、他人に対してもそういう印象を持つようになったんじゃないかなあ。

実際のところ、少なくとも日本じゃ民法不倫は認められてないんだから、原因はどうあれ不倫はされないのが前提、されたら傷つく、順序がきちんとしていない限り不倫した側に非があるって考え方が一般的に認められてると思う。みんながみんな見た目綺麗なまま/かっこいいままじゃいられないしね。

それを「いや、傷つけられた方がちゃんとしてなければ、ちゃんとしてもらえなくても仕方ない」って、理屈を曲げてまで傷つけられた側の責任を問うようになってしまうことこそ、虐待の爪痕だなあと思った。

フリーダム嫁さんが受けた虐待の酷さとはかけ離れてるとはいえ、何をしてもこれだからお前はだめなんだ(要約)と言われて育った私も比較的近い考えになってしまいがちなのでよくわかる。最近私も結婚して、うっかり腹丸出しで寝ちゃったり、うっかりおならが出ちゃっても好きと言われて初めは「こんなに駄目なのになぜ!?!?」と思っていた。

でもこの頃は自分自身も、配偶者鼻毛が出ていても、とりあえず何でもいいから元気でいてほしいなあと感じるようになり、ありのままでも愛される権利は失われないのかもしれないと思うようになった。

からっぽい目線マウンティング?っぽくなってしまうけど、程度は違うといえ、同じ親から認めてもらえなかった経験を持つ人間として、頑張ってばかりでいなくても、時に可愛く/かっこよくなくても、愛される権利自分にも他人にもあるってフリーダム嫁さんが思えるようになったらいいなと思った。まあ、本人達幸せなら、そんな考え方だってただの押し付けなっちゃうけど。あー、虐待後遺症の一部だと思うから、あまり叩かれないといいなっていう話だったんだけどなんか論点がずれてしまった。

※筆者はアダルトチルドレンや、虐待を受けた経験のある大人心理に関して全く専門的な知識を持っておらず、自分経験のみに照らして書いているため、意識して「感想」「思った」「思う」を連発しています。また、不倫されたら傷つくのが一般的なのではないか、○○なら浮気されても(傷つけられても)仕方ないという思考回路虐待経験によるものかもしれないという考え方について、私の中で男女に差はありません。

ヴィーガン記事ブコメバカばっか

私は優しいかidは晒さないでやるけど、どいつもこいつも「私は肉食うけどアンチヴィーガンバカすぎてアンチアンチヴィーガンになりそう」とか「自分は肉食べるけどヴィーガンの主張に向き合うことは大切だと思う」とか、したり顔で書きやがって。

お前らはまず悪びれもなく肉食ってる時点で絶対ヴィーガンのアライではありえないんだよ。

ヴィーガンのアライってのは精進料理しか食べない僧侶とかベジタリアンがなるものであって、お前らはまず肉食をやめてからじゃないと理解者として振舞うことはできない。

お前らがやっていることは、例えて言うなら「レイプセクハラが大好きな魂の殺人者」とか「女性教育の機会を奪う試験下駄履かせ野郎」とかが「自分女性人権を認めないけどフェミニストの仲間です」って言ってるようなもの

あるいはコンゴアフリカ人の手の平に穴開けてロープ通して何人も繋げて奴隷労働させてた東インド会社白人が「私には黒人友達いるか人種差別主義者ではない」とか言ってるようなもの

あるいは東欧のシュテトルでアシュケナジムを何人も一列に跪かせて命乞いさせて、ヘラヘラ笑いながら一人ずつ銃殺していったナチス兵士戦後うまく過去を隠して「ヒトラー大罪人」とか言ってるようなもの

肉食をやめるまでお前らは家父長制の豚の側、奴隷制受益者の側、ナチス賛美者の側、あるいはもっとはてな的な言い方をするならネトウヨ側の人間なんだよ。

からといって肉食をやめて倫理的に生きろと強要することはできない。

リベラルの考え方の基本は「“私の選択”は正しい」』なので(たしかテリーイーグルトンの言葉)「押し付けられたヴィーガニズム」よりは「自らの選択による肉食」の方がある意味倫理的とも言える(もちろん皮肉で言ってる)。

もっとも、お前らの肉食は無思考批判に上に世代の肉食を受け継いだだけだろうから論外。

まり保守主義としての肉食なんだよ。

You are what you eat.というスローガンがあるが、つまりお前らの体は動物から搾取動物苦痛でできているということ。

人の姿をした種差別、それがお前の正体。

からヴィーガン理解を示す振りなんかしないでくれ。

しろお前が何も理解できてないことを大声で喧伝しているようにしか見えないから。

2019-05-22

帰る場所

うさぎドロップ漫画大人買いして読んだんだが、今とてもナーバスになっている。

りんが本当のお母さんに会いにいく前日に「お母さんと会ってもダイキチんちの子でいい?」って言うところとか

ウキ母親再婚に混乱してりんとダイキチの家に逃げてくるところとか

なんだかすごく気持ちが分かった。

私の両親は私が大学生3年生の時に離婚した。母は長年父のせいで苦労していたから、私は離婚は反対しなかった。

離婚して少し経った頃から、母が引っ越しアパート(私は実家としている)には知らない男の人の私物が増えていった。母に「付き合っている人がいる」と打ち明けられてから、その人と初めて会ったのはいつだかの大晦日だった。

その人はとてもいい人だったし、母は病気を持っているので、1人で暮らすよりも誰かがそばに居てくれるというのはとても安心できた。それと何より、その人と一緒にいると母がとても楽しそうだった。

からこの人といつか再婚すると言われても、反対する理由はない。

でも、寂しかった。

私が約20年間暮らした家ではない、新しいアパートで、私からしたら赤の他人である人の物まであって、見たこともない楽しそうな母がいる家は、自分の家じゃないみたいで、心の底から安らげなかった。だから就職してから仕事理由帰省する数が減っていった。

まだ再婚はしていない。多分、弟がまだ大学に行っているから、弟が大学を出て手がかからなくなってから、籍を入れるんだと思う。

母に幸せになって欲しいという想いと、帰る家がなくなっちゃうんじゃないかっていう想いで、時折ナーバスになってしまう。

最近はこんなことなくなってきたと思ったのに、うさぎドロップを読んだらナーバススイッチ入っちゃったよ……

もちろん、母は私のことも弟のことも、今でも1番に考えてくれてる。だから帰る家がなくなっちゃうなんて思ってるなんて知ったら、絶対悲しむだろうからこの気持ちは心にしまっておくしかない。

大人なったと思ってたけど、やっぱりまだ子供だな……まだ母に甘えたいのかもしれない。

いっそのこと、私も早々と結婚しちゃえばいいんだよね。子供も産んで家庭を築けば、そこが私の新しい「家」になるし。

と、なぜか結婚願望が芽生え始めました。

おわり。

anond:20190521195743

最初投稿勝手に再翻訳してみた

「躾と虐待は違うのに」

児童虐待ニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛む。だって、誰かに親を批判してほしくて書くけど、私は親にそうされて育ってきたから。

いわゆる躾の一環、というもの

躾を理由にした虐待肯定したくないし、なにが虐待なのかは分かってる、でも私1人ではそれを認められない。

私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて(言い分すら聞こうとせずに)へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。

それらは確かに私がいけない事をしてしまったのが原因だし、父の身勝手や気分、その他理不尽理由でそれをされた事は一度たりとも無かったけれど、私は暴力を受け続けて辛かった。

勉強お稽古習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付け約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼言葉遣いをした、作法マナーがなっていなかった、etc

私が悪かったのは理解しているけれど、だからって私はあんなにも殴られたり傷つけられなければならなかったのだろうか。誰か教えて欲しい。

私が父に酷く叱られるとき、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだったから、私が絶対悪で父は正しいという構図を否定することが出来なかった。

そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導し、指導という名のもと暴力がくり返された。常識では私が悪だから、やめてと言えなかった。

それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。分かるまで言葉をかけて欲しかったのに、獣扱いされ短絡的な暴力を与えられて苦しかった。

「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないか問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」

こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。私が悪いことをして叱られているという前提があるから私は反抗できなかった。苦しい。誰か私の代わりに反論して欲しい。それは違うと言って欲しい。

怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画ゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止普通にあったし、痛くてお風呂椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。異常でしょう?私の父、おかしいですよね?でも私はこれを虐待だと認めるのが怖いから、どうか第三者のみなさんで私の父を叩いてください。

こんなの本当は虐待だって分かっているのに、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から褒められてきたのも事実で、親の教育が良かったからだと父の評価も高まっていったから私は父に従うしかなかった。

何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養言葉遣いなどことあるごとに褒めてもらったけれどそれは、マナーや礼節、お稽古教養一般常識、これらを学ぶために私が何年も暴力に耐え、ずっと父に怯えながら申し訳ありませんと言い、殴られないように見捨てられないように必死で足掻いた末身に付けたもの。だからお願い、これ以上私の父の評価を上げないで。父の教育正当化する理由を作らないで。

社会人になった今、こうして色々な場面で評価される度に私は苦しいんだ。

「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由自分で気付ける」、本当はそんな事ない、今でも辛い、苦しいのに、逆らうのが怖くて理解したフリをしているだけなんだ。

から私は自分自分の子時代を不幸だったなんて認めるのは怖いから、私の代わりに

父の躾を虐待だと言って怒ってくれる人を求めている。

私の父のやり方を「虐待」だと批判できる方はきっと暴力のない、ごく普通のご家庭で幸せに愛されて育てて貰った方なのかな、と感じる。悲しい。うらやましい。

そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、親に手を挙げられる事を躾だと言うのは絶対に違うと思う。思うけど、自分被虐待者だと思いたくない。だってそれを認めたら私の人生はどうなるの?暴力を受けなくても真っ当な大人になれる事は気付いてるんだ、でも心が壊れてしまうから受け入れられないんだ。誰かが突き付けてくれないと認められないんだ。助けて。助けて。

私はきっと子供なんて持たない。虐待連鎖するからどうせ私は父と同じ道を辿る。

最近の風潮では父のような「子供の為と称した」「過剰で短絡的な」躾は虐待犯罪に当たるらしい。うらやましい。

言葉に筋が通っていても暴力に訴えて心身を傷付ける事が目的の躾なんて「虐待」でしかない。何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為なのに。感情のまま子供を虐げる最低な行為を許さな不特定多数の皆さん、どうか私の狂った父を叩いてください。嘘だけど子供がいるって書きましたよ。健全なご家庭を無礼言葉侮蔑しましたよ。許せないでしょう?見過ごせないでしょう?だから私を見て下さい、そして私と私をとりま境遇を異常だと指摘し、怒り、私に対し施された「躾」「教育」を「暴力」「虐待」だと否定してください。

父の行いを誰かに否定して貰わないと私は自分肯定できないし愛せない。

父とその教育を間違いだよと言われないと私は「つらかった」と声をあげられず壊れてしまう。

誰か助けて。気付いて。私を救ってください。お願いします。

本音はこんな感じなんだろうか…

2件とも読んでからもう一度1件目を読み返したら、そういう風に真逆解釈ができる。SOSサインの裏返し。辛い。

おい、今日工場見学行ったんだよ

コミュ障オタクでも働きやすいっていうから・・・

あれ嘘だぞ、土方で働いてるようなやつしかいない。どうなってんだ?

工場根暗職場じゃないのか?

anond:20190522191220

ごく普通バイト派遣で良いのでは。今は就職氷河期リーマンショック後とは違うから選び放題だ。理想的には、自分が本当にやりたいと思う仕事につながるような仕事を見つけるのがいい。ジョブカフェにも相談に行くといい。

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