はてなキーワード: 区間とは
メリット無い デメリットありそう JR東海に協力する理由がない
私は静岡市在住です。大井川まで車で30分くらいの場所に住んでる。
リニアが通ったところで、静岡市民が便利になる要素は1つもない。儲かる要素も1つも無い。
「JR東海と交渉してメリットを引き出せばいい」という意見も目にするが、それは無理だろうなと思ってる(後述)
新東名高速道建設中の1999年、掛川市の粟ケ岳トンネル工事中に出水が発生して、農業用水が枯れる事象が発生している。止水工事もしたけど効果は限定的で、代替の水路もうまく機能しなかったとか。
当たり前だけど上記の工事もちゃんと調査したうえで予想外にこうなった。大井川もこうなる可能性はあるし、そして実際になってしまったら、もう元の水路には戻らないんだろうな、とも思う(簡単に戻るんだったら補償問題であんなに揉めない)。
JR東海の静岡県に対する態度を一言でいえば「ビジネスライク」だと思う。
JR東海は自社の利益を最大化するために、「最も儲かる路線である東京-大阪間ののぞみの本数を最大化する」「儲からない路線をギリギリまで少なくする」という方針で運営しているように見える。
結果として、静岡県にのぞみの駅はなく、ひかりも1時間に1本だ。静岡県の在来線はギリギリまで本数が絞られていて、静岡市周辺だと、朝夕は山手線並みの混雑になっている区間もある。
そんな感じなので、静岡市民からすれば「自分たちの利益を度外視してJR東海に協力しよう」なんていう気は全く起こらない。
そしてJR東海も「静岡県民に譲歩してリニアへの支持を増やそう」みたいな気はない。
例えば、「リニアを通した暁には、ひかりの本数増やのぞみの停車を確約する」とJR東海が表明すれば支持も集まるだろうが、「増便を前向きに検討する」レベルの返答しかない。
水の補償問題についても「通常の公共工事の補償年数(30年)に縛られずに補償を検討する」と言うものの、よくよく聞くと「補償の受付期間を30年より伸ばすことは検討するが、補償の対象期間を受付期間と同様に伸ばすとは限らない」みたいな返答なのだ。
とにかく「できる限りJR東海が損する言質を与えたくない」という態度が透けて見える。そしてJR東海のビジネスライクな対応から鑑みると「前向きに検討したけど増便できない」みたいな回答になる確率は高い。
じゃあ「夢のリニアを実現しよう!」みたいな夢や情熱に訴えるアピールをしているかと言うとそれもまったくない。静岡駅にはリニアの掲示があるが、ホワイトボード2個分くらいのパネルがあるだけで、内容も5年くらい変わっていない。品川駅にはでっかいリニアの写真(記念撮影用)があるのに。
静岡市民から見ると「得はなく、損はありそうで、自分たちを説得しようという熱意も覚悟もないプロジェクト」がリニアだ。なので、これに反対する川勝(元)知事は選挙に勝つのも当たり前に思える。
★新大阪フル規格建設案は建設費嵩み、環境破壊問題があり、詰んでる
★米原経由案は、東海道新幹線へダイヤ的に割り込めない上、JR東海に利益が逃げてしまうので西日本がウンと言わないので、詰んでる
★湖西線のミニ新幹線化案は、改軌工事の長期運休に湖西線南部(京都通勤圏)が耐えられなく、詰んでる
ここで「敦賀〜近江今津をフル規格新幹線を建設して、近江今津でホームtoホーム乗換で湖西線に乗り継ぐ」(武雄温泉駅方式)案を提案したい。近江今津駅でサンダーバードじゃなく「関空特急はるか」と接続させる。また近江今津〜近江塩津間は貨物専用線とする。(新函館北斗〜長万部と同じ)
この案のメリット
★まず、ホームtoホーム乗換なので、敦賀駅みたいな乗換ストレスが無い
★建設費が多分5000億円程度。推定時短15分。コスパ良い(新大阪ルートだと2兆円)
★それなりに滋賀県にもメリットあるので、建設費負担に滋賀県も応じやすい
★貨物列車を維持できる
★工期もそんなにかからない。2035年には完成できるのでは?
★一部旅客輸送の廃止区間が出るが、人口過疎地帯なので、そんなにダメージ少ない(バス転換で対処可能)
★小浜市が猛反発する
そうなんだよな。今回の建設って
って整理で、前例がないのは、上に大都市がある大深度地下トンネルなんだよな。従来よりもかなり深くて距離も長い。
JRの昔の説明も、大深度地下トンネルが最も工期がかかるからと言う事で真っ先に着工してる。
で、他の道路用の大深度地下トンネルで地上に被害が出るケースが出ちゃって、それも少なからず影響している気はする。まぁ断面小さいし、こっちの方が地下は深いので影響ないのだとは思うけど、無関係じゃいられないよね。
北海道の根室線(滝川〜富良野〜新得〜根室駅)の一部区間(富良野〜新得駅)が廃止になるってニュースを見て。
そしたら根室線の真ん中区間が無くなるってことだから滝川から根室まではどうやって行くんスカって話になるじゃないですか。いつもは深く考えずそのままyoutubeでゲーム実況とか見に行くけど、今日は珍しくメシ喰う箸止めてまでググったのに。全然分かんねえんだこれ。キレそう。なんか多分珍しいニュースじゃないから知ってる人に聞けば一発なんだろうけど、全然検索で出てこない。廃止のニュースと廃止を悲しむ声しかない。その後どうなるんすか。マジ。一般的な廃止後の対応とか調べるために「廃止線」とかでググっても!日本のこれまでの廃止された路線一覧のWikipediaとか出てくる。馬鹿じゃねぇの全国過去まで遡って途中区間が廃止になったケース引くまで一線一線調べてけってか。
そういうんじゃないんすょ。鉄道好きもメディアもなんもかんも皆、勘どころというか知りてぇ所一切抑えずに昔の高校生クイズのいや知るわけねーだろみたいな問題の肥やしにするための知識ばっか集めて一番目に付く所に貼り出してるわけでバカみたいにキレそうになる。
調べた限り 現在 東鹿越〜新得はバスが通ってるみたいなんすけど!!!!ねぇ富良野から東鹿越まではどうするんですかねぇ!!!キレそう。なんか俺が欲しい情報にすぐアクセスできないとまじでキレそうになる。
それはそれとして、廃止区間最終便が駅から見送られる映像がNHKでながれてて。見送りのために通常よりおそらくかなりゆっくり発車してて、汽笛みたいな音も「ぺっぺー」って感じでかなり貧弱でなんかうるっときてしまった。
昨日今日のスプラ甲子園が思った以上に面白くてちょっと感情の起伏が馬鹿になってる。
ねぇ?路線の一部区間が廃止になったらその後どうなるんすか。廃止区間だけ止まらなくなるとか?
2023/04/01追記)いや誰もわかんねーのかよ!!!!!!!なんだそれ!!!!!!!!
2023/04/01追追記)はい、バスで代替ということで。あざす。そしたら同じ根室線って名前でも滝川~富良野間しか走行しない車両と、新得~根室間だけ走行する車両に分かれるんですかね?てかなにが「調べたらでてくるけど?」だ。「調べる」なら俺もしたんだけど???調べた奴に調べることを解決策に提案すんな。今は情報のお道具箱の手前に欲しい情報が置いてないですよねって話をしてるんだけど。書いとけバーーーーーーーーーーーーカ
おかげでバカなブクマカが何人もスケジュール調整とか言ってる。
リンク貼られたプレスリリース読んだ?読んでないよな?読んだらスケジュール調整などという舐めた感想は出ない。
品川も愛知も工事停止の理由は技術的なものだとはっきりと記載されているからだ。 リリースの内容が真実なら以下の通り。
品川の工事停止の理由は2つ。添加剤装置の故障と曲線区間のアールのキツさ。
1つ目、掘った土を柔らかくするために注入する添加剤装置が故障し掘削の効率が上がらない。おまけにシールドマシンの刃に土がこびりつく。
故障は修理・改善し、土を除去するため後方から刃の隙間を通して細い配管を出し、配管を首振りながら刃を回転させながら水責めする。
シールドマシンの前面に出て確認することが不可能なのか(後退できない?)地上から新たな穴をシールドマシン前面に掘ってカメラ確認することすら検討された。 頑張って後方から差し込んだカメラのピントボケボケ写真が泣かせる。
スタートが2021年10月、点検・発覚が2022年3月、対策完了が2023年3月。
https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/urban_shield-tunnel/progress/_pdf/000042598.pdf
https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/urban_shield-tunnel/progress/_pdf/000042599.pdf
2つ目、直線区間でのシールドマシンは自身より一回り大きい刃で穴を掘って前進し、後方で掘った壁にコンクリのプレート部品(セグメント)をはめ込み円形の壁を形成する。
壁とセグメントの間には部材(裏込め)を注入し円形を保つ。
曲線区間では本体の胴やケツが壁に当たって曲がれないためさらに大きく穴を掘り、その空間は裏込めの量を調整して円形を保つ。
ところが大きく掘った穴の壁と本体との隙間に土が押し込められ本体が変形した。円形の本体に沿ってセグメントはめ込むのだがその本体が変形してしまい作業効率が落ちた。
変形は修正し、土が溜まらないようもっと大きく掘るよう対策、形状確認しながら作業します!と。
掘る量増えて裏込め量も増えて確認の手間も増えるって効率激落ちか?まだ再スタートもしていない。
点検が2023年7月、解明が2023年9月、対策完了し準備中というのが2024年3月時点。ここまでが進捗124m。予定では2021年10月~3月で300mなのに。
なにも静岡待ちの時間合わせで調整しているのではなく、普通に問題発生と対策をやって遅れており、再スタート後に順調にいくかどうかもやってみないとわからない。
https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/urban_shield-tunnel/progress/_pdf/000042792.pdf
愛知の工事停止の理由はシールドマシンの刃。試しに40cm掘っただけで118個中の8個、412個中の4個が損傷。これはヤバイとなって止まった。
刃の修繕・増設・配置・強化を考えますと2022年8月発表し続報がない。うまくいってないのか?
シールドマシンは通常1日10m程度進む予定である。40cmでこれなら1日何十個、10km掘るのに何万個の交換という単純計算になり、そもそもこの刃のもろさと地盤の固さでは掘り進められるのかもわからない。
山岳でも何でもない名古屋駅から20km程度の場所でこの地盤の固さは完全に想定外では?
https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/urban_shield-tunnel/progress/_pdf/000042522.pdf
偉そうに書いたけど別に専門家でも何でもない。もともとわかりやすく書かれているJR東海のプレスリリースを勝手に噛み砕いただけ。
国の資料を出して他のトンネルは進んでいると言ってるブクマカもいるが、山梨実験線除いて「リニア工事として初めて」貫通したのが2023年10月って、それやっぱり工事全然進んでいない印象しかないな。
しかもシールドマシンでない重機で掘れるトンネルで長さ800mだし。この800m掘るのにも1年7か月を要している。
これから10km 20km級の大深度地下トンネルやアルプスを貫き、レールと設備作って調整して試運転してって10年のレベルでは不可能だろと素人は思うね。
よく読まないやつが悪いんだけど、この書き方ズルくない?
↓
>次に2023年12月25日発表(以降の発表はない)の東百合丘工区 4.2kmの進捗。
>
>
> 以上だ。
>
> これら4工区で計540m、第一首都圏トンネル37kmの進捗1.46%である。
これ要するに、「少なくとも東百合丘工区については、ちゃんと完了してる」って事やろ。
「調査掘進」の距離(本格的な掘進を始めるにあたって、シールドマシンの施設を収めるのに必要な距離だけ掘る作業)と、
「本格的な掘進」を行う距離である「37km」を故意に同列に並べて、「まだ1.46%」って、
ここまで調べてる増田が間違えるような内容じゃない。わざとだろ。
まさかとは思うが全区間の調査掘削が終わる前に他のトンネル全部掘っちゃう気か?
名城工区は1/12~18の説明会に配布した資料が公開されているが、概ね他工区と同じ程度に遅延するとして、2024年度中に調査掘進の完了は希望的観測。2025年度前半に完了、25年度末に勝川方向へ本掘進、27年度完了、名古屋方面はそこからもうすこし時間がかかりそう。ぶっちゃけ名古屋方面の方がリスクが高い。26年度に調査完了、無理矢理26年度中に始めても27年度には間に合わないだろう。30年度を目標にした方がいい。礫層の上に出た後、更に上昇する最後の250mで二年掛ける覚悟がいると思う。付帯工事を考えると開業は34年度も余裕ないね。
実のところ、後半工程が高リスクなのは小野路工区もそうで、片平までの間の礫層を斜めに通るところが怖い。といっても(名古屋駅の浅深度以外は)地上への影響はリスクとして大きくないけど、掘進中に何度も段取り替えが必要になるかもしれない予感があって、スケジュール的には遅延がありそう。
率直に言って、他のNATM工法区間も含めて27年度は最初から無理で、30年度がギリギリってところだったと思う。
なんだか27年度とか吹かしてたけどこの数字は政治的なものだったといっていい。
現状だと静岡以外で考えて33~34年度が目標年度じゃないかな。
と思ったけど全区間での試験走行は新幹線以上に必要になるから、34年度も難しいかな。一年は全区間で最高速での試験走行が必要と思う。特に季節要因を洗い出す必要があるから。これはトンネル部分でもカバーのある地上部分でも必要。遅れるのは静岡の所為っていうのは責任転嫁だね。
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
北陸新幹線が敦賀まで開業したので、西へ行こうと思いえきねっとできっぷを取ってみるの巻。
近所の新幹線駅からもみどりの窓口が消え、えきねっとが頼みの綱。
検索条件に最寄り駅と大阪を入力、さらに経由駅に富山を指定した。
7時台に出る特急しらゆきを皮切りに大阪までのきっぷを所望した。検索すると「ご指定の経路ではお申込みできません(07)」との表示。3/16のダイヤ改正で乗り継ぎ割引もなくなったので、乗車券と特急券を別に買えないかと思い、画面をくまなく探すと90年代の個人サイトのように追加の検索条件ボタンが隠されていたので、「乗車券のみ」にチェックを入れ、検索。結局エラーで買えなかった。ゆるキャラが画面の右下でふわふわしていたので、長めのエラーコードを入れてみたところ、毒にも薬にもならないFAQが表示された。エラーコードもチャットボットは認識するのかと変なところに力が入っているなと関心。AIの代わりに必死にExcelのワークシートに質問集を入力した人がいたんだなと一瞬裏側が見えた気がした。一番近いFAQを選択すると「問題は解決されましたか」と人口無能にも劣るチャットボットがのたまうので、解決されないを選んだところ有人チャットへのご招待ボタンが表示された。勇んでクリックしてみると混んでいてつながらないとか表示された。10回くらいエラーコードを入力してAIチャットボットの学習に貢献したみたが、埒が明かない。チャットボットに「みどりの窓口で国鉄のおじちゃんが手書きで発券できたきっぷをえきねっとは何で発券できないの?」と打ち込んでみたら、「禁止ワード!」とか表示されて、急にチャットが人間に切り替わり、「ご用件を伺います」と表示された。人間に切り替わったことよりもえきねっとのチャットボットの機嫌を損ねた禁止ワードが何なのか気になってしかたない。そのことは水に流して、「在来線特急と北陸新幹線を使った新潟-大阪の富山経由の乗車券が買えないのですが」と質問してみた。「少々お待ちください」と言ったきり5分が経過、「お待たせして申し訳ございません。」と返事があったので、「よろしく頼みます」と書き込んでさらに待ってみた。チャットの入力欄がもぞもぞしているので、回答を考えてくれているのかと思ってさらに10分待ってみた。「乗り換え駅をすべて教えてください」と言われたので、「新潟-上越妙高-富山-敦賀-大阪」と即座に返した。加えて「この時間のはくたかは敦賀までいかないので、富山でつるぎに乗り換えたいです!」と打ち込んだ。上越妙高からの西行きは新幹線の効果を台無しにする30分待ちとか1時間待ちが多発するクソダイヤなので、富山ではますのすしを買って観光を楽しむつもりなのだ。敦賀ではヨーロッパ軒でかつ丼か定食でも食べたいなどと目論んでいる。このような途中下車の旅を目論むと新幹線特急券が分割されてとても高額になってしまう罠が潜んでいる。さらに10分経過したところで、「お客様大変申し訳ございません。乗り換え数が4を越えているのと3セク区間を経由するので、そのきっぷはえきねっとでは発券できません。」とドラマ「ホテル」の赤川一平なみの謝罪を受けた。「最後にほかにお聞きしたいことはありませんか。」とチャット氏は定型の終わりの挨拶をいれてきた。「JRおでかけネットで申し込むと糸魚川駅まで取りに行かないといけないけど、都内のみどりの窓口がない駅のように取りに行くときの運賃のサービスはありませんか」とダメもとでゴネてみた。「おでかけネットは西日本のサービスなのでこちらではご質問いただけません」とやんわりオコトワリされたのだった。最後に「失礼いたしました。JR西日本をJR東日本が買収して、西日本のきっぷも東日本の駅で受け取れる未来を応援しています!」と返してチャット氏との40分にわたる戦いに終止符が打たれた。
ということで、結局のところ成城石井が初上陸して駐車場が激込みになった県都の駅のみどりの窓口を目指さないと大阪行きのきっぷは買えないのであった。
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
全部地元の話やけど、まぁ聞いてくれ。
もう数十年前の話、ワイが生まれる前の話だが、高速道路が通る事になって、まず高速道路の建設に大反対運動が起きていた。しかし、地理的に迂回できるような条件はない場所であったため建設反対は通らず。
しかし、建設が押し切られそうになると、馬鹿共は、今度はインターチェンジ&パーキングエリアの設置に反対した。
今から考えれば、インターチェンジが無けりゃ高速道路なんて迷惑施設でしかないのに、道を通してインターチェンジ反対って馬鹿じゃ無いの?と思うのだが、当時の馬鹿共にはわからなかった模様。
結果、道は通っているがICが無い状況になった。その高速道路の全線の中でも、山岳部などを除いて最もICとICの間が開いている区間ができあがった。また、パーキングエリアもない状態となった。
反対運動で追い出されたICは東側の隣町に、PAは西側の隣町に建設されることになった。
東側の隣町にICができたが、さらにその東側のICと距離がかなり近い状態になった。また、そして元々幹線道路への接続が無い場所であったため、接続のために県道がつくられた。
そして、その県道を利用し、東側の距離の近い近いインターチェンジとの間に4車線の立派な国道のバイパスが建設されることに。そしてその道の周辺に商業エリア、工業エリアが設定され、条件の良さから大手企業の工場や、物流基地などが立地。
また、元々ICが作られた周辺は果樹の農地が広がっていたが、ICの立地を生かして観光農園を大々的に展開し、観光地化に成功。高速道路を通る観光バスが中継地的に楽しめる場所に。農地を供出した農家も上手くいっている。
一方で我が町。企業立地競争はそちらが強力なライバルになり悉く失敗。立地した大手企業の下請け工場みたいなのは多少おこぼれに来る程度。
現在、かつてインターチェンジを作る予定があった所にスマートICを設置してくれ、という請願をやっているが、具体化していない状況。ちなみに西側の町に追い出したPAにはかなり前にスマートICが開設されている。
なんでその時反対したんですか?と聞いたら「そんな風になると思っていなかったから」と答えたジジイ、ばかじゃねーの。お前が死んでもお前らの愚行は語り継いでやるわ。
これは隣の町の話。住宅街から川を挟んで対岸の農地を買い取って、ワーク○ン・カイ○ズホームのベイ○アグループと不動産ディペが一緒になって大規模ショッピングモールを作ろうと言う話が持ち上がった。が、例によって地元商工会が反対の大キャンペーン実施。ちょうど首長選挙の季節だったこともあって首長も反対を表明。もう少し粘るかなと思ったらあっさり撤退を表明して白紙化した。
で、あとからわかった話。
眺めの良い場所に、かつて美術館を建設するという計画があった。とある化学メーカーの社長が個人的に集めたコレクションを元に美術館を建設すると言う計画であった。
民間の企画であったため大きく公表されないまま、順調に話が進んで基礎的な設計図はできあがるところまで行き、そこへのアクセス道路を完成した後に公道として移管したいと言う話が議会に上程されるに至って発覚。当時バブルまっただ中。別荘ブームなどがあって、別荘として開発したい連中が暗躍し何故か反対ムードが起きたため、社長側があっさり撤退。
その後、全く別の土地に美術館は完成。社長は引退するときに自分の持株分を美術館を運営する財団法人に移管しており、その収益でコレクションを買い増しながらその筋では世界屈指の美術館になっている模様。
一方で建設される場所だった予定地はゴミみたいな粗悪な別荘が建ち並んでゴーストタウンとなっている。
なんか知らんけど誰かが何かを始めると、真っ先に反対から入る奴が多すぎるんだよな。土地柄なのかなんなのかわからんけど。で、外の資本による開発計画なんかは、別にこの土地に拘る必要ないわけで。反対されたらあっさり撤退するのは当たり前。
ちなみに、ロード乗り(の大半)は、歩道より車道のほうが快適に走れることはわかってる。
歩道は人はいるし犬はいるしママチャリはいるしで危なくてスピード出せないし、舗装は悪いし脇道のたびに段差があるので乗り心地が悪くて疲れる。
高い金出してロードに乗るくらいには自転車の運転が好きなので、交通法規に対する意識も高い。ロードで走ってて逆走自転車と出くわすことは多いが、100%ママチャリだ(クロスバイクの大学生もこれに含む)。
ママチャリみたいに「従う信号がわからなくて無視になってしまった」みたいなのではなく、違反とわかってて無視しているだけにたちが悪い。
停止再加速がめんどくさい、ビンディングやトークリップをはずすのがめんどくさい、区間新記録を狙えるペースなのでスピードを落としたくないなど、利己的な理由で信号を無視するパターンがほとんどだと思う。
ショップジャージやチームジャージを着て、正しく信号待ちしているロードの横を通過して信号無視を決めていく厚顔無恥な選手もいるぞ。なるしまフレンドとかなるしまフレンドとか。
京都市バスの混雑っぷりがヤバい。なので、京都市は極力電車を合わせて使う観光を推しているが……。
バスが混雑する京都駅周辺や四条周辺ではバスを使わないようにして観光地へ行く方法について考えてみる。
京都駅からはJR奈良線を使えば2駅で付く上に駅の目の前に伏見稲荷がある。電車を活用しない手はない。
ただ、奈良線は京阪との乗り換えがある東福寺駅、そして稲荷駅はめちゃくちゃ乗降者数が多いから、京都駅の時点ではヤバいくらい混んでいるんだよね・・・。
ちなみに歩いて行けば30~40分ほどで着く。
京都駅からJRの嵯峨野・山陰線を使えば着く。ただし、JRの駅から嵐山の中心部からは少し距離がある。
地下鉄で丸太町まで行ってそこからバスか、地下鉄で太秦天神川まで行って嵐電かバスに乗るか。
嵯峨嵐山駅から嵐山中心部まで少し歩くとはいえ、普通にJRを使った方がトータルでは早いか。
でも奈良線と同じく、嵯峨野・山陰線も京都駅ではめちゃくちゃ混むぞ。何が嫌かって、京都駅始発の電車だからメチャクチャ混んでいる状態で発車するまでしばらく待つ必要があることなんだよな。
京都駅から地下鉄で終点の国際会館まで行って、そこからバスか、叡電の岩倉駅まで歩いて叡電に乗る。
それか今出川駅で降りて、出町柳駅まで歩き、そこから叡電の始発に乗るか。
京都タワーの広告(今はない)では、東福寺で京阪に取り換えて行くことを進められるけど、乗り換えも手間だし、清水五条から清水寺は遠いし全く推奨できない。
京阪の七条駅まで歩いて祇園四条で降りるルートか。でも祇園四条から祇園までまあまあ歩くし、清水寺と同じくバスを使った方が無難そう。
ちなみにJRと京阪の乗換駅の東福寺は普通か準急しか止まらないので、特急が止まる七条まで歩いた方がいいと思うぞ。
一応、京都駅から17系統に乗れば直通で行けるけども、四条も通るからあんまり勧められんな。
二条城前というズバリそのものの駅がある通り、数少ない地下鉄だけで行ける観光地。
一応、京都駅から直通バスもあるけど、まあ地下鉄の方がいいだろう。
地下鉄で鞍馬口駅まで行って歩くか(徒歩20分)、北大路駅まで行ってバスに乗るか。
京都駅から直通バスも多いけど、四条を通るからあんまり勧められんな。
ちなみに北大路駅からバスに乗る場合は、上賀茂神社の目の前で止まるバスはないので数分歩く必要はある。
一応、京都駅から直通バスもあるけど、四条を通るからあんまり勧められんな。
京都駅からJRの嵯峨野・山陰線で円町まで行って、そこからバスか。
京都駅から地下鉄か近鉄で竹田駅まで行き、そこからバスか歩くか(15分ほど)。
こうして調べてみると、むしろ京都駅からバスで行けない観光地の方が珍しいな。
ここまでバス路線が網羅されてたとは。そりゃ、みんなバスを使いますわ。混むとはいえ、バスが便利すぎる……。
だからそこを避けて使うと、比較的混雑なく使える。だから市内北部の場合はまず地下鉄で丸太町駅より北に出た方がいい。
205系統のように京都駅発着でないバスの場合は、京都駅の1つ前の下京区総合庁舎前で乗れば100%座れるので混雑していたとしても車内で苦しむことがない。
バスの1駅分くらい歩いても大した距離じゃないし、何より京都駅から目と鼻の先だからな。
京都駅から3駅先の九条車庫は市バスのデカい車庫なので、ここから発着するバスが多い。
それに混雑する京都駅を通らない系統も多いので、ここから乗るのもアリ。地下鉄で1駅分であるけど、京都駅~九条車庫前は超閑散区なのに、この区間を走る205系統は西大路周りも河原町回りも両方とも走るのでただでさえ本数の多い205系統が2倍になり、本数がめちゃくちゃ多いからバスで行ってもいいかも。
みどりの窓口だと、最寄り駅から目的駅までの切符+新幹線料金で旅券を購入。
往復割引や途中下車とか色々全部相談できる代わりに、予定変更するときは旅券持って窓口に並ばないといけない。
頻繁に乗ることないなら相談して買えば終いなので簡単。宿もとるなら旅行会社の窓口でも可。
EX予約は、新幹線区間だけの切符+新幹線料金だけを予約する。最寄りから新幹線駅、新幹線駅から目的地は別途支払い。
割引とか自分で確認したり、初期設定でSuicaとかの交通ICと連携させたり大変だけれど、普段電車に乗るのと同じようにタッチで乗れて、発車時刻か、新幹線乗り場の改札で発券するまでスマホで変更できる。
個人的には遅延や乗り換え間違えて間に合わなさそうとか、けっこう早くに着きそうとかあっても、すぐに変更できるのは慣れると便利。
特急乗る前にトイレ行かなきゃと思って引き返したら、エスカレーターの上から女の声がして大きいキャリーケースが落ちてきた
2人乗りエスカレーターの3/4くらいの幅だった
あんなもん避けられるのか、エスカレーター逆走して降りるくらいしか回避策ねーなとか
もしあのままエスカレーター乗ってたら一緒にいた家族に激突してたかもとかずっと考えてる、それくらい怖かった
この件ググると実際にぶつけられて怪我した人の投稿とか弁護士のコラムとか棘まとめがヒットして、りんかい線大井町駅のめっちゃ長いエスカレーターでキャリーケースが落ちて行くの数回見たってコメントがあって更にガクブルした
あそこから新快速のホームに最短で行くの階段しか無いから、たまにユニバ帰りの学生がキャリーケース持って階段上ってんのよな、怖いから後ろを歩かないようにしてる
最近インバウンドも戻ってきてるし、まぁインバウンドだけの問題じゃないけど
その点うめきた新駅はホームが地下にあってエスカレーター区間短いよな
あそこにはるかが発着するって事はJR西もこういう事故を認知して対策してるって事なのか
回避策ありましたら教えてください
点検に出した車の代車はN-BOXだった。後で確認したら現行モデル(3代目)でターボ付きだった。以前に同じく代車で乗ったN-VANと比較すると流石に乗用車と商用車の違いでかなり静かだった。エンジンもターボと自然吸気の違いがあったが。自分の車よりルームミラーがかなり高い位置にあるのが印象的だった。かなり視線を上げないと目に入らない。燃費は確か16.5km/Lと表示されていた。エンジンを始動してから停止するまでの区間燃費はわからなかったので、今回の運転での燃費は不明。瞬間燃費計を見る限りでは平地ではそこそこ良さそう。電動ウェイストゲートの効果があるのだろうか。動力性能は一般道での走行では特に不満はない。VTEC付きの自然吸気エンジンモデルにも乗ってみたいところ。ブレーキの効きがあまり良くないように感じた。正確にはアクセルを離しても減速感がないためのように思う。自分のハイブリッド車だとアクセルを離すと多少なりとも減速感があるのでその違いかも。本格的なハイブリッドと言わずともISGでも付いていれば適度なエンジンブレーキをかけられるだろう。
なお、点検に出した自分の車は5年半で初めてのバッテリー交換をした。ハイブリッド車では補機用バッテリーの劣化は体感することはないが、診断の結果、交換となった。