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はてなキーワード: 利便性とは

2018-08-15

夏時刻法

夏時刻法は、1948年昭和23年4月28日公布施行された日本法律夏時間実施するために制定されたが、1952年昭和27年4月11日廃止された。

概要

夏時刻法は、日本において夏時間実施するための法律であったが、ここでいう夏時間は、夏(正確には晩春から初秋)の間だけ、中央標準時に1時間を加えたタイムゾーン採用する制度である実施期間を正確に記すと、条文の通り、5月第1土曜日24時(=日曜日1時)から9月第2土曜日25時(=日曜日0時)までであった。

太平洋戦争後の連合国軍占領期当時、日本夏時間公的導入されたのは、各種占領行政を行うに当たって連合国関係者自国と同じ制度を導入することの利便性からGHQ指導によるという説が定説となっており、夏時刻法の施行により、夏時間1948年5月から毎年実施され、漫画サザエさん』にも、主人公たちが夏時間に合わせて時計の針を進めるエピソードがある(作中では「サンマータイム」と表記)。

1950年昭和25年3月31日、「夏時刻法の一部を改正する法律」(昭和25年3月31日法律第39号)により、第1条と第2条第1項中の「四月」が「五月」に改められたが、1951年昭和26年)度の実施サンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日9月7日で打ち切られ、翌1952年昭和27年4月27日占領終了と同月28日の条約発効による日本主権回復に先立ち、夏時刻法は同年4月11日に「夏時刻法を廃止する法律」(昭和27年4月11日法律第84号)により廃止された。

以後、日本では法律に基づく全国一斉の本格的なサマータイム実施されていない。

廃止理由

夏時刻法が廃止された主因には連合国軍による占領の終了が挙げられるが、他の理由として、以下のものが挙げられる。

労働時間が長引きすぎる=残業が多くなりすぎる。

制度廃止理由の一つには、時計の針が7時なのを見て「針を1時間進めているから本当は6時なんだ」というように考える人が多かったので効果が上がらなかったという説がある。これは、夏時間説明の多くにある「夏季時計の針を1時間進めること」という表現が誤解を招いているという意味である。つまり、「時計の針をみんな1時間進めるが、時刻の呼び方はいつもどおり」と勘違いする人が出てくる。これでは、夏時間が導入されても、今までどおりの時刻で生活することになる。正しくは現行の時刻に1時間を加えたタイムゾーン採用することであり、時刻の切り替え時以外は1日の長さも時刻の呼び方も変わらないのである

サラリーマン学生など時計リズムに合わせて生活している人にとっては、実は夏時間になっても1日のリズムは変わらないが、時計ではなく太陽リズムに合わせて生活する農家にとっては1日のリズムは常に変わってしまう。

当時の慣習として、民間会社従業員公務員の出勤時間が大体1時間ほどずれており、公務員民間会社従業員より1時間遅く出勤していた。このとおりであるならばいわゆる「時差通勤」であり、混雑を増加させない。しかし、サマータイムの導入に際し、実施中に公務員の出勤時間が1時間早められ、民間会社従業員と出勤時間が一致した。そのため、殺人的な混雑を招いた。なお、サマータイム廃止後も通勤ラッシュは解消されなかった。人口増がラッシュを慢性化させたのである

2018-08-12

anond:20180811205506

大洲だね。

小さいエリアに小売・外食チェーン店が密集する、THE郊外みたいなとこなんだけど、田舎郊外な故に品揃えもよく落ち着いてて、利便性高いお気に入りエリアだったからこっちも辛いよ。

企業はなんとか見限らないで欲しいなあと思うけどどうなのかな…。

2018-08-09

anond:20180809115207

しかし他に土地あるのか

交通利便性考えれば東京近郊でなければならないし

2018-08-07

なにか言わずにいられないが、もう黙ろうと思う

医大の点数差別の件である。ここに書きなぐってもうこの件については発言しない。批判者の正義のエサになるのはもうやめだ。

  

色んな場所で、外科医師の窮状とそれを解消するための患者側の金銭面・時間面・利便性ひいては生命犠牲必要であることを発言してきた。

人的・金銭資源の不足も言ってきた。

犠牲という言葉を使ったのは病院の集約を行い、足りない医師をなんとかしようとすれば病院へ着くまでの時間は長くなる。

それは脳梗塞治療など一時間早く病院についていれば助かっていた人が死ぬからだ。時間がかかる=死ぬ確率が高くなるからだ。

  

だがそれでもそれを「医療崩壊という脅し」「工夫が足りない」「現状維持への言い訳」「差別容認」と捉える正義漢が後を絶たない。

女性減点の記事の一週間前に出てた「日赤医師に200時間残業容認」という記事はここまで燃えていなかった。

要は医療界をなんとかしたいのではなく、差別というわかりやす絶対悪糾弾したいのだろう。

残業三昧の医師は嫌だ、医療崩壊は許さん、金は払っているだろ、工夫しろ

もう体を張らない正義たわごとうんざりだ。

  

最後

医療業界は急性期病院の集約という形で動いている。来年辺りから病院倒産診療科閉鎖が相次ぐだろう。だが、最悪よりだいぶマシな選択だ。

正義批判者様へ。これは正義のための犠牲だ。不便だろうが人が死のうがこれは金も人も不足している中で仕方がないことだと覚悟していただきたい。

この構造はもう10年以上前から続いており、負担を伴う改善策を出すたびに批判殺到した。君らが喜んで金を出すことに期待はしていない。

優秀な医者とそうでない医者の違い

残念ながら、この世の中には優秀な医者とそうでない医者がいる。

では、その違いは何なのだろう?

まず始めに断っておくが、性別関係ない。

男女問わず優秀な医師は優秀だ。

ちなみに出身大学ともあまり関係はないと思っている。東大京大を出ようとアホな医師はアホであり、カネを積めば入れると言われている私立を出ても優秀な医師は優秀だ。


実は、医師が遭遇する多くの場面において両者にそう大きな違いはない。

診断・治療に対する各種ガイドライン等が(内容の是非はともかくとして)かなり整備されてきており、医療機器進歩も相まって、大抵の場面においてどんな医者が診察・検査治療を行っても結果に大きな違いが生じない状況がかなりできあがってきている。

ただ、残念ながらあくまで多くの場面においてであり、すべての場面で違いが出ないわけではない。


しろ、多くの場面で違いが出ない分、違いが出る場面では如実に優秀さの違いが結果に表れる。

重症患者管理や急変時の対応、難しい症例における診断能力年末年始など繁忙期の救急外来の待ち時間などなど、決して頻繁に遭遇するわけではないが避けては通れない状況においては優秀さがその結果にコミットする

当たり前と言えば当たり前の話だが、うまくいっている時は誰がやってもうまくいくが、うまくいっていないときは優秀なやつがやらないと最終的にうまくいかない。もちろん優秀なやつががんばってもうまくいかないことも多々あるが。


一見したところ合理的制度に見える複数主治医制がイマイチまらないのもここに理由がある。

あなた主治医女性が交代でやりますがいいですか?~東京医大女子減点問題が迫る「患者改革」”

という記事はてブで大いに叩かれているが、内容の是非は置いておいて、ブクマコメントを読むと多くのはてなユーザー複数主治医制に賛成らしい。

だが、実際に自分患者もしくはその家族になったときに、諸手を挙げて賛成してもらえるかは甚だ疑問だ。


もちろん、診断や治療がうまくいっている時はいい。別に誰が担当しようとほぼ変わりない。

問題はうまくいっていない時だ。

ひどくざっくりした例えで申し訳ないが、ほぼ同じ経験年数の優秀な医師A、普通医師B、アホな医師Cという3人で患者主治医をしていて、担当医は研修医基本的に指示したことしかできない、指導医外来で忙しくて基本的入院患者は任せっきりという状況を考えてみる。

担当患者の一人が急変して集中治療室に入室して厳密な管理必要になったため、当直帯や休日も3人の主治医のうち誰かが交代で病院に常駐して対応することになったとしよう。


優秀なA医師が綿密な治療計画を立てて、B医師・C医師とも積極的ミーティングをして治療方針を共有し、当初は治療がうまく進んでいるように思えたが、やはりこうした状況で急変はつきものであり、当直帯で急激な状態悪化があった。

そのとき病院にいたのはA医師で、適切な検査対応によって何とか状態は持ち直し、患者家族は「やっぱりA先生は優秀で頼りになるわ」と胸をなでおろした。

ただ、その後は状態不安定になり、一進一退を繰り返す状況になった。

今度はC医師病院に残っている時に急変が起きた。A医師は優秀なので、考えられる限りの状況とその対応法を電子カルテに申し送りとして記載して家に帰ったが、急変の状況はA医師も予想していなかったものだった。

C医師も考えられるだけの検査を行って原因と対応法を探るが一向にわからない。

そうこうしている間に患者状態はどんどん悪化していき、患者家族にも「大丈夫か?」と不安が募っていく。

C医師自分だけでは対応できないと考えて指導医電話するが、指導医も「電話ではよくわからいからとりあえず病院に行くけど、私も集中治療は得意じゃないかちょっと対応できるかわからないけど・・・A先生相談してみたら?」と言うのみ。

担当医の研修医不安そうに「C先生、どうしましょう?A先生呼びますか?」と言ってくる。

患者家族も「この前状態が悪くなったときA先生がうまくやってくれた。このまま死んじゃったらどうするの!早くA先生を呼んで!」と怖い顔をして言い出す始末。

アホながらも責任感の強いC医師はなおもA医師電話しようか迷っているが、その間に「このままでは患者さんが死んでしまます。C先生が呼ばないなら私が呼びます!」といって夜勤担当看護師がA医師に外線で電話をかけて状況を説明し、A医師ダッシュで来院。

レントゲンと各種データ確認して人工呼吸器の設定を変更し、何とか状態改善したものの依然予断を許さない状況。

かい投薬の調整や人工呼吸器の設定の調整が必要なため、A医師は結局その後1週間は泊まり込みで患者対応に当たることになり、B医師とC医師シフト表に従って病院に泊まってはいものの、看護師は「A先生が泊まってるならA先生相談しよう」と言うことで、シフト表を無視して何かあれば時間関係なくまずはA医師電話をかけるように。

患者家族も「A先生対応してくれるなら安心」と言うことで急変時の怖い顔はどこへやら。

その後患者さんはA医師献身的治療によって何とか状態を持ち直し、集中治療室を退室して一般病棟へと戻っていきましたとさ、めでたしめでたし


だいぶデフォルメして書いたが、これと多かれ少なかれ似たようなことは日本全国津々浦々で起こっている。

同じ医療職で看護師ではチームによる交代勤務ができるのに、医師ではなぜできないんだと言われているが、看護師業務については教育指導によって個人技量をある程度均一化できるが、残念ながら、ここで書いたような医師の「優秀さ」は教育指導で何とかなるものではない。いかに優れた教育をしようと、到達できるレベルには限界がある。

一定基準保証されているものの個々人のレベルが大きく異なり、しかも置かれた状況によっては求められるレベルが限りなく高くなるということが、医師業務看護師業務根本的な違いであり、多くの人が思っているように医師の交代業務が浸透しない理由だと思う。

一定基準保証されているのであれば、それで満足すべきだと言うのが理屈ではあるが、人間はそんな単純なものではない。

選択肢がないのであれば納得するしかないが、眼前に別の優れた選択肢があるのであれば、理に適っていなかろうが、それを選びたくなるのが人情というものだろう。

上に書いたような状況で、理屈に従って「A医師を呼んで!」と言わない自信がある方は大手を振って複数主治医制に賛成と言ってもらっていい。

自信がない方は少し考えて欲しい。


A医師が身を粉にして奮闘した結果として得られるのは、自分の優秀さで患者さんを良くしたという大きな達成感と幾ばくかの時間外労働に対する報酬、そして周囲からの高評価のみである

治療を受けた患者さんや家族負担は変わらない。今の日本では誰に治療を受けようがかかる医療費は同じである患者さんが呼び出し手当を払うわけでもない。

A医師のことだから他の担当患者外来などにも迷惑をかけないようにしっかりやっていただろう。

果たしてこれはフェアな関係と言えるだろうか。


色々なところで言われているが、現在医療において「利便性」と「成果」と「医療者の労働環境を含めたコスト」の3者は残念ながらトレードオフ関係にある。

現状ではこのうち「コスト」、しかも「医療者の労働環境というコスト」に負担のしかかっている状態で何とかバランスが取れている。まぁ、そよ風程度でもう崩れそうであるが。

極論すれば、この「医療者の労働環境というコスト」を最も多く払えるのが若い活きのいい男性医師と言うのが、東京医大女子減点問題に端を発する一連の問題の原因の大部分を占めている。

この問題を受けて、この「医療者の労働環境というコスト」を減らせば良いという意見が声高に聞こえてくる。全く以てその通りである。このアンフェア関係を早く何とかして欲しい。

ただ、そのコストの総量が減った場合にどこがそれを補填してくれるのだろう。

AIを含めたテクノロジー進歩で状況は劇的に変わるかもしれないが、すべての医師を「優秀」というレベルまで持って行くには到底至っておらず、現状は実用面ではまだまだ未来の話としか言いようがない。


とにかく、リソースが限られている以上、夢のような解決法がないことだけは確かである

医療関係者だけでなく、多くの人が当事者として今後の医療のあるべき形を考えて行って欲しいと思う。


「優秀な医者とそうでない医者の違い」とかいタイトルのくせに結局この話か、と思われた方におかれてはタイトル詐欺で誠に申し訳ない。

そろそろ食傷気味なのはよくわかる。

だが、現在システム崩壊によって結果的患者さん側に「利便性」や「成果」のコストを押しつけるようなことはできればしたくないと多くの医療者が思っていると思う。

その医療者の端くれとして、微力な自分にできるのはこうして増田として自分の考えを書くことくらいなんだよ。

ここまで読んでくれてありがとう

2018-08-06

人生幸せや充実度もアミノ酸の桶(アミノ酸スコア)のように…

一番少ない要素に充実度合や幸せ感が合わさる、と提唱している学者専門家さんはいませんかね?

必須アミノ酸9種類のうち、8つを120単位くらい十分摂っても、のこり1つを60単位しか摂っていないと、結果全部を60単位摂ったときと同じようにしか利用されない。アミノ酸の桶とは、木桶の円周上の板が一箇所でも壊れていると、水位がそこより上にあがらない例えです。

人生も、健康(肉体と精神と)・自由時間経済力資源社会利便性治安相互信頼・天地などの環境自分教養技能幸せな考え方と、どれか欠けていると、その最低なもの以上の享受は無理なのではないかと。お金はあるけど自由時間がないとか、お金は山ほどあるがマトモなものが売られていない、天才技術もすごいが病気、とか

かに幸せで充実した人生になるためには、どんな要素が必須かな…

2018-08-04

anond:20180804101517

規制増えたのは、「もっと安くて質の良い医療や保育を提供しろ」と言うそれの利用者意見を汲んだからでしょ。

保育なんてもろ分かりやすいじゃん。

利用者側のもっと保育園増やせ、(昔なら許されてた躾なんかでも)それは虐待もっと丁寧にやれ、利用時間も伸ばせもっと利便性良くしろetc

という要望に応える為にどんどん仕事増えたけど保育料は規制で決められてるから上げる事が出来ず、

人件費足りないので人も増やせず薄給激務で保育士が逃げ出してるのが現状。

医療だって似たようなもん。昔なら許されてた事がやれ患者権利侵害だの言われたり

医療ミス扱いで裁判にされたりで仕事は増えてるが収入は増えてないので。

医学部医学科は高等教育機関ではない

 その本質は徒弟制度職業訓練である卒業生ほとんどが臨床医となり、いくらかの変わり者が研究者となり、その他民間企業行政方面に進むものはごくわずしかいない。卒業後の進路にこれほど偏りのある学部学科はあるだろうか。その上、彼らの存在のもの日本医療という非常に重要インフラを支えるための貴重な資源であり、したがって大学の使命はおおむね優秀な医師社会に送り出すこととなる。卒業生の8割が医療コンサルに進む医学科があったとして、社会はその大学存在を認めてくれるだろうか?優秀な頭脳を持っていても重大な持病を抱えていたり、虚弱であったりするものばかりの大学存在を認めてくれるだろうか?40歳医学部に入る再受験生だらけの大学を認めてくれるだろうか?誰も循環器科や消化器外科に進まない大学を認めてくれるだろうか?結果、大学受験は就職活動就職試験役割を担う必要が出てくる。つまり優秀なだけでなく、臨床医として有能であろう人間を選別するシステム大学には必要であり、それが入試時の面接であったり各種のハードな実習や研修であったりするのだ。その結果、社会を維持するために若い男性優遇される結果となるのは自明であるように思われる。大体、多浪や再受験生がその年齢に応じて減点されていることはすでに明らかな事実だ。国立公立大学にあっても露骨にそうなのである。年齢差別男女差別、疾病差別地域差別・・・あらゆる差別がそこにはあるのだろう。

 無論、日本でのペーパーテスト公平性への信頼感は貴重なものであり、それをないがしろにし揺るがした今回の事件は大きな問題である。だが純粋公平性を保つためには前述の問題、つまり実質的現場を支えることのできる医師が減ることをも許容しなくてはならなくなるだろう。面接をなくせば、性別や年齢の記入欄をなくせば、公平になる。それは正しい。だがその結果、現状で年に数千人しかまれない医師実質的に減ってしまうことになるのだ。定員を増やせ?それもいい。それは必要なことだろう。だが無論莫大なコストがかかり、それは医療費の高騰にも繋がりうる。医師給料を下げろ?そうすればすぐに医師は減るだろう。多くの現場を支える医師金銭のためというよりも、技術に対する向上心や人々から向けられる尊敬眼差しのためにその過重労働に耐えているのだ。

 今までの医療界は、おそらく他のインフラ業界もそうであろうが、数多の犠牲の上に成り立ってきた。個人健康幸福犠牲にしても医師として過重労働に耐えつつ名誉金銭、達成感などを追い求める人々と、そんな医師過程を支える家族と、健康でヘビーな労働に耐えるという能力が欠けていたため医師になれなかった人々の犠牲の上に。だが我々は進歩し、そのような個人社会のために犠牲となる時代を脱しようとしている。少なくともそう試みようとしている。それはなんの疑いもなく素晴らしいことである。だが、そのためには手放さなければならないものも多くあるに違いない。その一つが現代日本における医療の高度さや利便性であっても、驚いてはならないのだ。

2018-08-01

anond:20180801130559

結局自分利便性のためなら他人労働環境なんかどうでもいいっていうふつーの小市民なんだから

普段からイシキタカイこと言わなきゃいいのにね

2018-07-17

平成が終わろうとしているのにバス利便性時代遅れすぎる

今まで外出する時は、原付二種のスクーターでニケツしていたが、妻の妊娠を期に二人でバスを利用するようになった。

しかし、今までほとんどバスを使ってこなかったからか、不便に感じることが多かった。

まずバス路線が非常に多く、乗りたい路線の最寄りのバス停がどこにあるのか探すのに一苦労。

アプリもいくつか試したが、乗りたい路線バスホームページを見ないと分からなかったり、

地図上でバスがどのルートで走るのか分からなかったり、

挙句には、バス停に来たバス運転手に「このバスは〇〇に止まりますか?」

って確認しないといけない。

さらに、気を抜いていると、降車時に両替するはめになり、背中に冷たい視線を浴びることになる。

もうバスに乗るのがめんどすぎる。

みんなバスをどうやって乗りこなしてるの?

2018-07-16

eスポーツと呼ぶのはスポーツへのコンプレックス」とかいうアホ

https://anond.hatelabo.jp/20180715132226

全然スポーツじゃねぇのに

>客を集めたい一心スポーツ騙ろうとしてるのが惨め。

スポーツ定義すら把握してないお前が惨めだ。

この間抜けの中では、eスポーツ呼称しただけで集客力が上がることになるのか。

チェス百人一首も、マインドスポーツと呼べば大人気間違いなし。

「コンペティティゲーム」では呼びにくいし利便性が低い。

意味を伝えやすい「eスポーツ」を推していくべき。

2018-07-12

シュークリームに物申す

ケーキ屋だのパン屋だのコンビニだので当たり前のようにおいてあるがアレ美味くないよな?

箱に入れないとダメケーキに比べて袋に突っ込んだだけで持ち運べるという利便性だけで並べられてる欠陥スイーツだろ。

中にドロッとしたクリームが入ってるだけという下品さ。三十年前のクリームが舐めれれば満足という時代ならともかく今時これはないわ。

周りの皮もフワフワとかザクザクとか色々あるけどスポンジやクレープ生地のようなクリームとのマリアージュというのはほとんど感じられない。

スイーツと言ってシュークリームを出されたときのガッカリ感。味は二の次で取り回ししやすいのにしましたって感じで、食に対してそういう感じなんだこの人って思われちゃうよ。

だいたい好きな甘味シュークリーム上げるやついるか知名度に比べてびっくりするほどいないから。みんな無意識には気づいてるんだよ。この食い物のいい加減さに。

平成の終わりとともにシュークリームという老害を陳列棚から追いやるべきなのだ

陰毛を処理した

初めに言っておく。私は男だ。

不毛な期待は持たずに読んでくれ。陰毛だけに。



初めて陰毛を処理した。

かねてから私は陰毛に対して疑問を持っていた。

これは役に立っているのか?存在意義は何だ?

太古の昔、人間祖先が全身を毛で覆っていた時代から時は流れ、

進化過程で体毛を捨てていった。それなのになんでお前はそこに居座っている。

ホルモンバランスの乱れ、積み重なる不摂生に日々のストレス、照り付ける太陽

遠い地から飛来する何やらの物質に曝され日々前線を後退させている頭髪をしり目に、

相変わらずの栄華を盤石のものとしている。

やることと言ったら、知らぬ間に抜け落ち、自由を得んと言わんばかりにボクサーパンツから

抜け出し、そしておよそ不可能と思われる場所で、その場所になじもうとせず隠そうともしない

存在感を放っているくらいだ。

以前は大切な局部細菌などから守る役割とか、なんだかそんなものを持っていたのかもしれ

ないけれど、この潔癖現代社会において、そんなものはもはや無いに等しいのである

メリットデメリット釣り合っていない。

チンコの皮に潜り込んだりもするしね。

にもかかわらず、私はこれまで陰毛の処理というものしたことがなかった。

もう20年の付き合いにもなるというのにだ。

ふと人類のもう半分に目をやると、どうやら世の中では、女性陰毛を処理するのが

常識のようである

長さを整えたり、はたまたツルツルにしてみたり。

髪を整え、顔に化粧をし、爪を磨くのと同じだ。

かに、いざことに及ぶとなって彼女の下着を脱がし、そこに密林があっては興が冷める。

タイガぐらいがをかしである

私はパイパンより少しあるほうが好みだ。ツルツルだと、なんだか元から何もなかった

ような感じがしてしまって趣がない。短めに刈り揃え、手入れを、今日この日この瞬間の

ための準備があったという事実を感じられるのが趣である

話がズレた。

私はこれまで陰毛を処理をしたことがなかった。

何故か。

意味も無く恥ずかしかったのである

陰毛処理に対するこの気恥ずかしさはどこから来るのか。

なんとなく女々しい感じがしていたのかもしれない。わからないが、なぜかしたいとは

思いつつ実行できていなかった。

が、今日はなぜだか、処理してみようかなという気分になった。

気まぐれだ。意味はなかった。

加えて、今日たまたま妻が家を留守にしており風呂に入るのも独りだ。

風呂に入るため全裸になる。

洗面台には、普段髪の毛を刈っているバリカンがある。

手に取り風呂場に入る。

なんとなくいきなりいくのはやっぱり抵抗があって、まずはすね毛を刈ってみることにした。

バリカンには髪の毛の長さを3・6・9・12ミリメートルに調整するためのアタッチメント

付属している。

初心者の私は12刻印されたものを取り付けた。

適当バリバリっと刈ると、ツルツルでもぼさぼさでもないちょうど清潔感のあるくらいに

なった。これは良さそうだ。

続いて、太もも、足の付け根と移っていく。

最後局部だ。

この流れは知ってる。マッサージ師が女性マッサージしているかと思っていたらいつの間にか

みだらな行為に発展している資料を見たことがある。

自然な流れで私の陰毛バリバリと音をたてながら短くなっていく。

髪の毛やすね毛と違い、刈った毛がふわふわ毛玉のように一かたまりになる。

チンコの根元などは若干のやりづらさがあったが、これまでさんざんいじってきた

チンコだ。少し窮屈な思いをしてもらうなどしてうまくやることができた。

ところで、私は玉にも毛があるタイプだ。

これが曲者だった。

普通にバリカンで刈ろうとすると、玉の皮が引っ張られて上手く皮膚の上を滑らない。

加えて、もし皮が巻き込まれたらという恐怖心が付きまとう。

仕方ないので、ここは長さを揃えるのは諦めて、毛を引っ張って少しずつ切るようにした。

次に、私は玉からおそらくは肛門までも毛が生えている。

本当はこの部分も、というかこの部分が一番処理したかったのだが、なにぶん初心者である

深入りはしないこととした。

ちなみに女性肛門周りまでクリニックで脱毛するらしく、そのフロンティア精神には脱帽である

床に落ちた毛をティッシュに取り、風呂場を出る。

体に付着した陰毛が床に落ちないか心配になり意味も無く爪先立ちになりながら

リビングへ移動しごみ箱に放り込み、また風呂場に戻る。

改めて自身の股間を見ると、初めて見る姿のチンコがそこにあった。

なんだか子供っぽいな、というのが最初感想だった。

なんというか、子供チンコではないのだけど子供らしさのようなもの

感じさせるのである日本昔話のOPで龍に乗った小僧みたいな。

説明するのが難しいのだけれど、こう、ちょっと情けないというか、アホっぽいというか。

とにかく男性的自信を削ぐ見た目だ。

でもまあ、今になって見た目にこだわる必要もなく、利便性重視なのでこれでいい。

パンツを履くと、毛が短くなって立ち上がったのか何なのか、これまで以上に

パンツとの間に弾力のようなものを感じる。

違和感があるがそのうち慣れるだろう。

海外では男性でもツルツルにするのがエチケットなんて話も聞いたことがあるし、

中途半端に短くするより剃ってしまったほうが良い気もするが、それは今後の課題として

徐々にステップアップしていきたい。



初めての処理で、特に興奮なんかもなかったのだけれどなんとなく記録として

増田に書いてみようと思った。

Amazonなんかによくある、

 思った通りのものが届いて満足です。見た目もよくて最高です。

 まだこれから使うので性能についてはわかりませんが、

 この値段ならいいと思います

みたいな、それ何の役にも立たねーよって言いたくなるレビューのような文章

なってしまったけど、ここまで読んだ方には何かしらの益があればと思います

とりあえず、これで自分陰毛が床やテーブルやその他いろいろな所に落ちてるのを

見かける頻度が減ればなとおもう。


以上

2018-07-09

anond:20180709133743

家が山手線ならいらない。(維持費と利便性バランスが悪すぎる)

金持ちが車持ってるのはお金の使いみちがなくて経費扱いにできるからでしょ?あるいは面が割れてて電車に乗れない、あるいは趣味とか見栄。

一般人なら、山手線内の駅から3駅ぐらいまでが車いらない限度かな。それくらいまでなら必要に応じてタクシー乗っても車より安上がり。

そこより郊外なら車はあるほうが便利だと思うよ。

田舎の人は「都内」っていっしょくたにするけど、けっこう山奥まで東京都だよね。

anond:20180709115641

回線解約しても食費出ないし、スマホ売却と利便性を天秤にかけても、全然お得じゃないです、先生

2018-07-06

データ放送利便性って

文字による情報がすぐ閲覧出来るっていうのが利点だと思うんだけど、

ここ最近特に酷くなってきたのが、必要のないくらい全画面使っての広告

早く見たいのに、ホント邪魔

2018-07-03

時刻表かいうクソUI

これだけ色々技術進歩したのに、恐らく19世紀末くらいか利便性が全く向上していない物がある。

時刻表のことだ。

とにかく、乗り換えが絡んだ時に読みにくいことこの上ない。

なんで到着時刻の前後を隈なく探さないといけないんだよ?

必ず到着時刻の後に乗り継ぎの出発時刻があれば分かりやすいのに、前後にあると見落としのリスクが一気に上がるので困る。

Webにある駅ごとの時刻表も論外。

乗りたい列車の出発時刻をクリックして乗換駅の到着時間覚えてそれを元にその駅の時刻表別に見て…って、本になっている時刻表と大して変わらない。


ちなみに列車の乗り換えごときで、スマホアプリを入れてまでは使いたくない人。

プリインストールされているgoogleのやつは地図という余計なものは出すくせに、普通列車だけで行くという細かいカスタマイズができないのでダメ

しかし、まさか21世紀になっても列車の乗り換えの面倒が解消しないとは思わなかった。嫌になる。

2018-06-28

anond:20180628040254

最近は、大人数の宴会食べログの予約で済ませてしまう。

とにかくオンライン予約は利便性が高いので、利用しない理由がほぼない。

どうしても電話というなら、フリーダイヤル24時間電話受付をしてくれて、必ず電話に出てくれて、大人数でも断らないなら電話してもいい。

2018-06-26

何食べるか考えるのが面倒くさい

もうAIが決めてほしい

いつどこの店の行ったかは全部Googleに売り渡してるのでそっから学習して指示されたい

人間尊厳など利便性の前には無力なのだ

2018-06-22

anond:20180622132314

わかるよ~ん

自分はもう電子優先してるんだけど

電子使ってる=紙より電子が好きって思われるのが地味につらい

紙は好きだけど利便性自分性格に合わせてるだけなのだ

2018-06-20

anond:20180620174530

胸は女の象徴でもあるし

筋肉は男の象徴でもあるだろ。

それを欲しいと思うのは正常だ。

利便性機能面で自分の好みが制限されるわけじゃねーだろ。

2018-06-19

Go言語PHPに似ている

2018-06-17

六本木TSUTAYA暴言吐いてる人に書店員暴言を吐いてみる

現役の書店員だけど先日バズった六本木TSUTAYA暴言吐いてる人やその取り巻きがあまりにもアレなので暴言を吐きます



あのさ、本って一年で何冊出版されるか知ってる?「読書好き」を自称するんなら当然知ってるよなあ。

七万冊だよ。七万冊。

それを365日で割ると1日200冊弱の本が出版されるんだよ。なあ、これ、タイトル出版社著者内容その全てを把握できると思うか?それに加え既刊本もあるんだぜ?社割でいくら本を買おうが一人の人間に把握できる量じゃないんだよ。口頭でタイトルだけ伝えられても、表記もなにもわかんないの。今までお前が口頭でタイトルを伝えただけで書店員対応してくれてたんだとしたらそれは単に運が良かっただけだ。広い広い出版業界の観察範囲がその担当した書店員と偶然合致しただけ。

頼むから口頭でブワーッとタイトルだけ伝えてこっちが即座に対応できなかったらキレる前に、もう少しタイトルISBNを紙に書くとか考えてくれないかなあ。

あと残念だけど六本木TSUTAYAのように純粋書店としての機能以外を持つ書店って今後増えてくと思うぜ。

Amazonの登場で書店は半ば息の根を止められたような物なんだわ。「単に新刊買うだけだったらわざわざ書店に足を運ぶ必要ないなー」って書店員やってる俺も思うもん。「ほしい商品をすぐさま見つけて購入する」という利便性はどう足掻こうがリアル書店Amazonに勝てそうにない。

利便性では勝てそうにないならどうするか。その他の価値を自ら創出して生き残るしかないじゃないか

お前やお前の取り巻きが散々「オサレ()」と馬鹿しまくってるTSUTAYAの店作りも、その生き残り戦略の一つなんだよ。

ひとつ聞くけど、TSUTAYAに足を運んだ客がお洒落空間を味わいその雰囲気と気分の高揚の中で本を選んでお前らに何か迷惑かけたか?なぜ「意識高い系()」と自分とは異なる消費スタイルの客をそこまで嘲笑しまくる?なぜ自分とは解釈の異なる棚作りをしただけでそこまで発狂する?

お前らが嘲笑している六本木TSUTAYAに足を運んでいるその人達は、競合他社である俺達もほしくてほしくて堪らない、出版業界お金を落としてくれるご新規様なんだよ。なにをきっかけにしても良い。とにかく「書店に足を運んでくれる人」をどんどん増やしていかないと書店全体の未来はないの。

そんな貴重な新規客を嘲笑するオメーらみたいなスノビズム拗らせた排他的人間市場の縮小に拍車かけてんだよ。「書店とはかくあるべし」「読書とはかくあるべし」と勝手定義して業界私物化してんじゃねーよ。書店はお前らのための空間でもあるけどお前らのためだけの空間ではないんだわ。「全てのジャンルマニアが潰す」だとかなんだとか言ってた人いるよな。お前らまさに「業界を潰すマニア」そのものだぞ。

不毛な「暴言」なんて吐いてる暇があるんだったら他の書店に行ってどうかその店を買い支えてやってくれ。お前やその取り巻きTSUTAYAターゲット層ではないんだ。なにか本を買うんだったらダーウィンの「進化論」とかお勧めだよ。

2018-06-16

電子マネー普及に必要な事

現金を圧倒的に上回る利便性

少し上回る程度じゃダメ

圧倒的に上回らないとダメ

でなきゃわざわざ現金手放す意味が無い

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