はてなキーワード: 酒鬼薔薇聖斗とは
人間社会は色々な問題を抱えています。労働問題、貧困、差別、いじめ、格差、孤独…あげれば切りがありません。
そうした問題を解決するには何が必要か。それは問題を見つめることです。的から目を背けて弾や矢を放つ馬鹿がいないのと同じです。
でもね、偽善者はそもそも問題が無いと言い張るんですよ。的を見ないどころか的なんて無いと言い張ってそれを狙うのを邪魔してくるんです。
例えば、容姿差別。容姿差別ってかなり深刻な問題で、好きでブサイクに産まれたわけじゃないのに顔で差別される悲しい人はたくさん居ます。学校で虐められたり、就職・恋愛・結婚といろんな場面で差別を受けます。容姿差別を解決する方法は俺には分かりません。でも、問題が存在するのは事実だし、完全解決とまでは行かなくても改善はすべきです。
そんな状況で偽善者は何をするか。
「人間は顔じゃ無い!」
親ガチャもそうですね。当たり引いてるのに外れだ外れだと叫ぶ甘ったれたクズにも問題はありますが、偽善者は
安楽死もそうです。人間いずれは死ぬ。助からないのに苦しみながら死ぬ人が山ほど居る。だからこそ真剣に議論すべきなのです。でも、偽善者は
「生きてれば良いことある!生きてるだけで丸儲け!」
こんなことを叫んで患者が苦しみから逃げる権利を奪うんです。そのくせに自分たちは良いことをした気になっているから滑稽ですね。安楽死反対派はパーキンソン病末期のおれの爺ちゃんみたいに人工呼吸器と点滴に繋がれて、徹底的に苦しみ抜けば良いのにと毎日思っています。
彼らはきっと公正世界説を信じているんですよ。良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある。そう信じることで自分は安全だと思い込む馬鹿な心理です。ニュースを観ればそんなことはないって猿でも分かるのにね。
旭川虐め事件や池袋暴走事故の被害者は自業自得ですか?ウクライナ侵攻で殺された市民も自業自得ですか?白人に殺されたインディアンは悪人ですか?名古屋アベック、コンクリ殺人の犯人や酒鬼薔薇聖斗は今ものうのうと生きていますよ。スターリン、毛沢東、ポルポト、金正日だってそれなりに長生きしていますしね(長生き=幸せじゃ無いけど)
いい人が理不尽に酷い目に遭うことは沢山あるし、悪い奴が幸せになることも沢山ある。偽善者はこんな当たり前のことすら分からないんです。
その結果、偽善者は被害者を攻撃し出します。容姿差別なんかその最たる例ですね。
「お前が苦しいのは顔が悪いからじゃ無い、性格が悪いからなんだ!」
学校の虐めもそうですね。人の気持ちが分からない発達障害のクズはどの学校にも一人は居ますから、そんな奴は虐められて自殺でもすればいいと思いますよ。でも、虐められる人がみんなクズというわけ無いんです。大人しいから、体が小さいから、運動が出来ないから、他にも些細な理由で虐めのターゲットになり得ます。
しかし、偽善者は「人間社会は悪いことをしなければ、酷い目に遭うことの無い素晴らしい楽園なんだ」と信じたいから、「虐めは虐められる方が悪い」と主張します。
コンクリ事件だって、被害者は散々バッシング受けました。これについては加害者の両親が共産党員なので共産党が根回ししたのも大きいでしょうが…コンクリに限らず性犯罪の被害者はとにかくバッシングを受けやすいです。
前にウマ娘の悪質なファンが馬主に迷惑をかけているという増田に
「ゲームのせいで攻撃的になる」って散々騒がれてたことが、まさか「ソース出せ」とか言われて歴史修正されるとは思わなんだ。
こいつらにとっては何がそんなに都合が悪いんだ?
逆に、「暴力的なゲームは人間を攻撃的にしない」研究があることを考えれば、「ゲームは人間を攻撃的にする」と如何にバッシングされてきたか簡単にわかるだろ。
https://wired.jp/2016/02/10/children-violent-video-games/
https://jp.gamesindustry.biz/article/1902/19021501/
これらの記事でもバッシングや、報道で犯罪と関連付けられたことが書かれている。
外国で言われてるようなことが、PTAの力が強かった日本で言われてない訳がない。(あの頃は普通にPTAがテレビに出て「悪所追放!」とか言ってたし、ロックバンドの歌詞にPTA批判なんかが普通に出てくる)
攻撃性以外にも「人間を相手にしていないから機械のように冷たい子になる」「TVゲームは操作が複雑なようでいて簡単な足し算より頭を使っていない、馬鹿になる」と平気で言ってた。
俺は「多動症(当時もそう呼んでたかは知らない)の危機を煽るワイドショー」かなにかで、多動症の子供が癇癪起こして暴れてる姿をTVゲームと結びつけた映像を見た記憶がある。
TVゲームをやらせてるとこんな子供が増えますよ、怖いですねみたいな感じで。
親からも、多少残酷なゲームをしてただけで「そんなんだから宮崎勉や酒鬼薔薇聖斗みたいになるんだ」とキレられたよ。
ゲーム以外にも、おぼっちゃまくんだクレしんだセーラームーンだ、ダウンタウンだとんねるずだで子供がおかしくなる、って散々騒いでた時代。
ちなみに30年前はまだ未来に目を向ける余裕があった時代なので、討論番組でも「この子たちが大人になったときのことを想像してみてください」系の言説が今より圧倒的に多かった。
とりあえず、この人はすごく頭がいい、は天才ということでいいとしよう
天才的で、承認欲求が強すぎて犯罪まで走ってしまったのではないだろうか、と自分が思う人は色々いるような気もするが、
宮崎勤は宅八郎やマスメディアの扇動でロリコンだのアニメオタクだののイメージを視聴者に植え付けることに成功してしまっている気がするが、
宮崎勤はパズル雑誌を愛読しており、独自のパズルを考え掲載されもしている
もしかしたらgiftedと呼ぶに相応しい能力があったかもしれないが、幼女連続殺人を犯したというのは揺るがない事実であろう
酒鬼薔薇、少年Aに関しては宮崎勤のパズル雑誌のような話は自分は聞いたことがないが、
なんとなくではあるが、彼は弁護士資格ぐらいなら余裕で取得できるだろうと思う
少年Aが人間的にどうかは分からないが、知的水準が高いだろうなと思ったのは、あの赤い字で書かれた犯行声明文である
schoolのスペルを間違えたりはしているものの、知的な人間だというのは十分感じられる
本人は別人を装うための偽装工作だと供述しているが、自分には納得できない
「絶歌」を読んだわけではないが、報道されていた内容から考えるに、
少年が開設したHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」を納得させるようなものに思えた
死体に対する性的興奮、ナルシストなぐらいの筋トレ好き、ナメクジへの異常な執着などがあったようにうろ覚えだが記憶している
自分が思うに、少年Aの犯行動機は性的興奮のためでもあったと思われるが、
そのHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」というのはかなり的を射ている気がしたのを覚えている
しかし、それが普通の人の承認欲求のレベルではなく、自分の存在がいつも揺らいでいる、自分が存在するかどうかさえいつも不安であるとしたらどうだろうか
ラヴクラフトの「アウトサイダー」のように、他者に自分を認識されて初めて人は存在するのであり、そして自分が怪物であったことも明らかになるのである
少年Aは偽装工作と述べているが、いちいち鼻を突く挑戦的な文言は偽装工作にそぐわない
もちろん、天然でこれが偽装工作だと思っているのかもしれない
しかし、あの赤字の犯行声明は偽装工作の裏から犯人の少年Aの承認欲求が滲み出すぎてしまっている
宮崎勤は将棋も得意だったようだしパズルの能力も高かったと思われる
高校卒業後の1981年4月、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学する。このころはパズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった。
宅八郎やマスコミの作り上げたロリコンだのアニオタだのウルトラマンの切断技が影響しただのは疑わしい
部屋に収集したビデオは視聴目的というより収集目的であったようである
このころアニメの同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、ほかの会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。
無理なダビングを注文する、というのは極度の完璧主義者であったのだろう
天才かどうかはともかく、狭い領域に極端に執着するタイプであったのは事実だと思う
そして、宮崎勤の犯行声明も、これもまた挑戦的な文面だったように記憶している
凡人の自分からすると、挑戦的な犯行声明など逆効果なようにさえ思う
雄弁は銀、沈黙は金ではないが、なぜ少年Aも宮崎勤も犯行声明ではここまで挑戦的な文面になってしまうのか
コンプレックスの裏返しと述べるのは簡単だが、ここにも承認欲求の拗れみたいなのを感じるのは私だけだろうか
天才的な能力を持っていたかもしれないのでありながら、ここまで非人道的な犯罪にまで走ってしまうと、その能力を役立てることも不可能になってしまう
ただ、少年Aは少年院に入っても更生が難しく、出所後も出版物や週刊誌の内容から更生できているとは思い難いところがある
座間の事件もそうだったが、凡人の自分にはまったく理解できない話である
ではあるが、怪物のように思われるシリアルキラーも人間であることに変わりはないわけで、
根本的なルールが異常であったとしても、その異常なルールを根底に考えれば、なんとなくこんな気持ちだったのではないか、と思うところはある
少年Aにしても宮崎勤にしても、正解は自分だけが知っていて、当ててみ?という優越感はたまらなかっただろうと思う
面接する側、雇う側だけが正解を知っている、就活の面接はまったく情報が非対称なゲームである
パズルを解くというのは、その挑戦に抗い、打ち勝つことで逆転する喜びなのかもしれない