はてなキーワード: 空気とは
思想の自由だろ?
そうだよ?堂々とそういえば確実に批判されるから、もっともらしい理由をつけて自分の言葉に正当性っぽいものをまとわせてるだけだよ?
根底は「男死ね、弱者男性死ね、全員死ね、もしくは苦しめ、ゴミムシ共」だよ?でもそう言うと怒るよね?
だから正当性のようなもので包んで工夫して言ってる、そうすれば少なくとも空気はこっち側が正しいように見える
頭を使いなよ、弱者男性のみんなも、腹立ってクソマンコとかこれだから女はとか言うけど、皮肉や正論風に言えば君等の味方も増えるかもね?
幼稚園の頃に引っ越しがあって、全く知らない土地にきた。知り合いもいないし、親の教育方針で家の近所の保育園ではなくかなり家から離れた幼稚園にいきなり放り込まれた。元々いた幼稚園の記憶がないから前はどうだったのかわからないけど、新しい場所に全く馴染めず常に疎外感を感じていた。
小学校に上がると、遠くの幼稚園に通っていたのもあって知り合いが一人か二人しかいない状況になった。登校初日、あまりの不安から泣きながら親に行きたくないと駄々をこねたのを覚えている。
多少の疎外感と友達の殆どいない生活にもなれたころ、遊具の上から友達に突き飛ばされて骨折し、授業に参加できなくなった。
そこからというものさらに周りから避けられクラスから浮いた存在になった。それが原因だったのかいじめが始まった。
そうでなくても私は親の方針で髪型は坊主で、理屈っぽく嫌味たらしいCSで深夜アニメの再放送ばかり見ているような今考えるとどうしようもなく気持ち悪い子供だったので、いじめは必然だったかもしれない。
悪口やものを隠されるだけではなく、ありもしない噂を立てられたり、殴られたり蹴られたり投げ飛ばされたりもした。
いじめの主犯格の友達が通る階段を避けて、上級生の使う階段を早足で駆け上がる日々が続いた。
そんな日々が5年ほど続き、限界に達した先生にいじめのことを報告した。幸いなことにとても良い先生だったので一応形的にはクラスのほぼ全員から謝罪を受けた。
しかし、暴力や直接的な悪口がなくなっただけでよりクラスから浮いた存在になってしまい、あからさまに避けられるようになった。
特に女子生徒からは存在自体が悪かのように嫌がられたのを覚えている。
中学生に上がると、幸運なことに別の小学校からの生徒もいたため、いじめの過去を知らない子達とはそれなりに仲良く出来た。
しかも当時の私は携帯を持っておらず、クラスの内のカーストや政治にも殆ど関与しない立場だったため、常に空気のような扱いであった。
高校では小学校からの知り合いがいない学校に行きたいと思い、受験勉強に励んだ。
これは完全に自業自得だが、今まで宿題も碌に出さないような人間だったので勉強をし続けることや受験のプレッシャーに耐えられずあからさまにノイローゼになり情緒がおかしくなっていた。
そのせいで勉強に対するトラウマのようなものが生まれてしまった。
とにかく志望した高校には合格でき、話し相手も数名見つかったが、今までの人生で友達がいたことが殆どないため友達の作り方が分からず、連絡先もろくに交換できなかった。
そもそも話が合う人間が全くいなかったのもあるが、高校でもそんな調子で虚勢を張ってはいたものの例によってクラス内政治には全く関与せずまたもや浮いた3年間を送った。
そして今しょうもない地元の私文に進学して勉強への苦手意識を拗らせて単位をギリギリ取れるぐらいのフワフワした感じで過ごしている。
高校の時のように集団生活でもなくなったため、今は本当に友達が一人もいない。
どうすれば友達を作れるんだろうか。そして私はどこで人生を間違ったのだろうか。
とにかく暇で暇で仕方がない大学生活を楽しむためのコツを先輩方に教えてほしい。
お昼ご飯でカルボナーラとボロネーゼのどっちを食べるかレベルのどっちがが折れなきゃいけないしょ〜もない決め事の時に、「やっぱ私カルボナーラでもいいよ〜!」とか「私めっちゃボロネーゼ食べたいんだけど😠」とか「じゃんけんで決めよっか✋✌👊」みたいな流れにならずに、「いや!やっぱカルボナーラでいいよ!いいから!うん!(早口)」ってこっちに譲ったムーブを見せつつ不機嫌そうにして空気を悪くする人ってたまにいるよね。そんなにボロネーゼ食べたかったのか〜って思って、別にボロネーゼでもいいよ?って聞いても「いや、そっちがカルボナーラ食べたいって言ってたじゃん!別にこっちはいいから!」って相変わらず不貞腐れた感じ?被害者ズラ?の一点張り。私と対話するのがそんなに嫌なのか、人に貸しを作るのが本当に嫌なのか、それとも逆に譲ることで少しでも私の上に立ちたいのか、意識してこういう発言してるのかそれとも無意識にやってしまっているのか気になる。
こういう強い人はぜひその強さを磨いていってほしい。そしてその強さで、「こんな時代でも、こんな私でも、子どもを育てたい」と頑張ってる人たちを守ってほしい。個人の「産まなくてよかった」を「産まない方がいい」に変換しないで。この人はしてないと思うけど、誤解する人は絶対いる。その誤解も仕方ないこと。その人の価値観だから。でもそれで「誰が悪いわけでもないはずなのに何だか殺伐とした空気」が醸成されてしまうのは悲しい。子どもは身近な大人だけが育てるんじゃなくて、社会全体で育てるものだ。
ガレソが拡散してたから読んだけど、全て他人のせいにして自己正当化してるだけのクソみたいな文章。黙って1人で生きてりゃいいのに、よっぽど生きることに引け目を感じてるんだろうなぁ。
誰だって産まなかった人生と産んだ人生とを比べようもないのにな。死ぬ瞬間に社会のせいにしないで後悔しないならとしか。空気読んで少子化になってるのはそうかもしれないが、実際子供作ってみるとこんなに楽しい事は無いんだけどな
「単体でも存在できる価値」があって初めて「付与価値」は意味を成す。
まず権利を主張できる土地が存在し、そこで米が育ち、それを炊く釜が作られ、それらを売る人間がいる。
そうした権力構造がいつからか反転し、最終的に売る人間こそが市場原理を牛耳り始めた。
いつからかモノの値段は付与価値こそが本体となり、付与価値を稼げないものは畑でそのまま潰してしまった方が良いぐらいに価値が落ちていった。
たとえばシャインマスカット畑で生まれたけれどシャインマスカットを名乗れなかったブドウの価値は著しく落ちる。
これはシャインマスカットという称号そのものが強力な付与価値を持っていることの証左だ。
信用、ブランド、イメージ、雰囲気、様々な要素が実態としての味以上にブドウの商品価値を左右している。
そもそも食べ物は食べてみなければその味は分からず、それでいて値段は先払いでの取引時に決定される。
先払い中心の社会であることが商品の価値を実態よりも「予想される価値」によって決定される状況を作り出した。
そして「予想される価値」を決定する要素の多くが実態のない「付与価値」であるが故に、商品価値の主戦場は「付与価値」となっていったのである。
もちろんリピーターを見込むためには商品そのものの品質はやはり大事だ。
だがそこで重要なのも「実際に良かったのか」ではなく、顧客が「また買ってみたいと感じたか」なのだ。
たとえばギャンブルなんかは結果的にハズレの方を多く引いているはずなのに「次こそはあてて見せる」という感情を呼び起こす。
ギャンブルはこうして実態と乖離した付与価値を生み出し続けることで、そこに金を払わせることで商売を存続させることを可能としている。
こういった付与価値と実際の価値の不一致は今や当たり前のものとなり、如何にして幻想の価値を生み出すかが重要となってしまった。
この状況において、付与価値こそが市場の支配者となり、そこに謙虚な意識なんて最早ない。
売れるものこそがいい商品であり、いい製品であることは二の次となっていく。
付与価値による市場支配は一次産業や二次産業を蔑ろにするどころか、一次産業や二次産業が率先して幻想の付与価値を生み出そうとする市場を組み上げていった。
たとえば産地偽装といった行為は付与価値の創造という意味においては手法の違法性を除けば極めて効果的な一手だ。
付与価値というものが実態ではなく幻想を扱うからこそ成立するこれらの手法は、多くの業界において「真面目にやるだけ無駄」という空気を作り出していった。
付与価値こそが至高であるといった価値観、生産性の本質は付与価値であるという発想を一度考え直した方がいい。
価値を生み出すということと、価値があるかのように見せかけるということの区別をほとんど全ての人が失っている。
価値に対して対価を払うのではなく、つけられた値札に対して対価を払うということを当たり前にしすぎてはいないだろうか?
それが当たり前のことではないという感覚をいまや人々が失っていることが恐ろしい。
こちらとしては別に空気を凍らせたかったわけじゃなく、聞いてきたからには何かしらコメントを返して欲しかっただけだったんだよ。でも黙る以外の反応をしてくれる人いないんだよね。
欲しくないと言う時点で何かしらの事情があってのことだと察せられるのに、そこからさらに理由を聞くなんて想像力が欠けてるんだし、空気凍らせてやって良かったと思うやで
20代の頃子持ちの女友達と話してて、子供欲しくないのかと聞かれて「やりたいことがあるから」と答えたら、速攻で「そんなの子供生まれたらどうでもよくなるよ!」と返されたのを覚えている。
あれからかなり時間が経って色々な経験をして、あのときのあの反応に対して違和感を覚え、空気に流されずつらいことがあってもやりたいことをやり続けてきてよかったと思う。
ガス消費機器の設置や変更の工事の欠陥による災害の発生を防止するため、「特定ガス消費機器の設置工事の監督に関する法律」(以下「特監法」という。)が定められています。 ガス消費機器の内、構造や使用状況等からみて設置や変更の工事の欠陥に係るガスによる災害の発生のおそれが多い機器は、「特定ガス消費機器」と定められています。
https://www.jia-page.or.jp/seminars/tokkan/
https://www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic091.html
「どれだけ努力しても がんばっても、性暴力被害者である自分はこの社会に受け入れてもらえないのではないかと感じています。性被害に遭った方々は、どうやって生きているんでしょうか?」
感じているだけでお前が逃げているだけ。
自分で考えろよ。
後ろに人が立つことが怖くて、病院までの移動中も駅のエスカレーターに乗れず常に階段を使用。電車ではほかの客から距離をとり、立ったままじっと身を固めて耐えていました。被害を思い出してしまうため、半年以上、教科書を開いて勉強することもできなかったそうです。
そう思った葵さんは、高校で教員から性被害に遭ったということを話しました。
その瞬間、面接の場は沈黙。盛り上がっていた空気が、凍りつくように一気に変わったことを感じたと言います。
葵さんは深く落ち込みました。面接官の反応によって「自分は社会に受け入れられていないんだ」と突きつけられたようで、心が重く沈みました。
何気なく体に触れることが、職場を円滑にまわす“コミュニケーション”とされる。異議を唱えれば、不利益を被る。性被害に遭ったと話せば、聞いた人に悪い印象を抱かせる。こんな社会で、どうやって生きていけばよいのか。葵さんは問いかけます。
うるさいわ。だったら会社に来るな。さっさと訴えろよ。でなきゃ嘘つきだ。
こういうばかなことをいうから引くんでしょ。
私もアルバイト先の上司から2人で食事に誘われて、全然行きたくなかったんですが仕事がなくなるよりは…と思って行きました。でも、なぜあきらめて我慢しなければならないのかとも思います。
断れよ。あと奢ってもらってセクハラかよ。
これまで取材班は、葵さんと同じような苦悩を抱えながら一日一日を生き延びているという方々に出会ってきました。それを取材者の私たちが一方的に伝えるだけではなく、皆さんがやってきたことや悩みとの向き合い方などを共有することで、苦しむ誰かが“この社会を生きていこう”と思える力になるのではないかと考えました。
単なるクレーマーだから行きづらい。当然でしょう。共有するバカはおらんわ。
稼げないならクビ。しょせんバイトでしょ。何様のつもりだ。
マジレス回答→便利だからそういうふうに分けてるだけだよ細かいこと考えてないよ
譲歩かつ俺の科学の理解の上で水属性と氷属性が別れているのを擁護した回答→
無から水を発生させる系・空気中の水分を凝縮して水に出来る系・どこからか水を召喚する系の全てにおいて水分子の運動を止めるまで行かないという可能性
外部からの操作によって水分子が運動してしまい氷を操作しようとしても水になってしまう可能性
よって水と氷とで属性が異なる
最適解→そのファンタジーでは「そうなる」
雨後の筍の如き勢いで発達障害の人が自身の周りに湧いたので。独断と偏見に満ちてるから冗談半分で見れない人は読むのやめてね。
自分にその気があるなと思うならメンクリ行けばいいし、発達障害の人が好きならコレ見て探せばいいと思う。物好きかよ。
・財布に小銭溜めがち
彼らの一部はお札しか使えなかったりするらしい。だから支払いで財布の小銭が捌けない。
話聞く限り女の発達障害にはそう多くなくて、男によく発現してるように思う。
溜めた小銭どうしてるんだろうね?謎。
個人的に溜まった小銭の捌きかたは駅の券売機でSuicaにチャージが丸い。
・会話のキャッチボールができない
この傾向は発達障害よりアスペかも。まあ両方持ってる人も割といるしまとめちゃうけど。
定型発達が話題を1投げたら1返すキャッチボールをするなか、彼らの一部はこっちが1投げたら100ぐらい返してくる。要は話が長すぎ。
時々発達障害側がこっちに会話の主導権を渡してくるけど、気付いたら発達障害のターンに戻ってる。ずっと俺のターン。
・男友達が多い
これは女の発達障害のケース。女社会はコミュニケーションの難易度が男社会より高いため、発達障害の女はそこに入りにくいor異物扱いされやすい。
男友達が多いのも女友達の少なさと相対的にという話だったり、少々コミュニケーションの取り方が下手でも女だからということで許されやすいって話。
皮肉が通じないとかもここに入るかも。
例えばだけど、仕事で一日の引き継ぎ事項とか発達障害にメールで送ったとする。こっちが確認のために「メール見てくれた?」とか聞くじゃない?だけど「引き継ぎ事項見てくれた?」って言わないと会話にならないわけ。「メールってなんすか?」とか言われるの。
発達障害の方が立場高かったりするシーンだと逆ギレとかしてきて最悪。
こだわりが強いとかそういう話。信号が赤の交差点は車が来てなくても絶対に渡らないとか。
「子供に見られても恥ずかしくない大人でありたい」とか、そういう信念があって渡らないなら分かるんだけど、発達障害の人のそういうのってどっか違う星から理由が来てる。いや理由なんて来てないかも。
テーブルのリモコンの置き方にうるさいとか、いろんなのがあると思う。綺麗に置く割になぜか失くすんだけど。
・不可解な行動が多い
突然だけど「推しの子」見ました?作中で星野アイが発達障害の傾向アリなんて言われてたけど、彼ら空気を読まない突飛な行動が結構ある。
普通に考えたら「アクアマリン」なんて名前つけないでしょ?そういうことです。
私が見聞きした例だと、修羅場に差し入れ持って行った発達障害がいたりしたかな。空気は読めなくてもヘリウムガスなら読めるのかも。
・友達が作りにくい
上で語ったことは大体コミュニケーションに関係する話なんだけど、友達ってそこが円滑じゃないと作れないし維持できない。仲直りも無理。
アスペの特徴に近いけど、ナチュラルに失礼な発言をしたりする。人の身に付けてるカバンとかに対して「それ百均?」とか言う。そんなんで心象悪くするの当然なんだけど、彼らは悪意もなければ失礼だとも思わない。
そんな「なんやコイツ」的な人間と真に友達として関係を築けるか?という話。
類友。彼らには彼らにしか分からない苦悩があるから仕方ないけど、定型発達の世界と常識が違う所にわざわざ行かない方がいい。
…
いろいろ書いたけど彼らにもいい所ってあると思うしそう思いたい。親切にしてくれる発達障害の人もいたし。
けどあんまり発達障害の人の世界に深入りすると、定型発達の自分が頭おかしいんじゃないかとか思い始めてメンタル壊しちゃうし絶対危ない。
1980年代生まれくらいまでは、世界は何だろうとやりたいことやったほうがいいよね、という感覚があった
忍たまのアニメが始まったころに子供だった世代は、「やりたいことやったもん勝ち」という歌詞も素直に理解できた
そこから10年ほど後ろの1990年代生まれ以降は本当に景気のいい頃の空気を幼少期にも感じていない世代
バブル崩壊後の混乱期に生まれた世代なので、逸脱や失点を恐れる世代になった
会ってない時もつながるのが当たり前で、人の裏表を嫌でも見る世代
今まで以上に失敗が命取りになった
今の若い人たちは、子供のファクターが人生の成功失敗に関わると考えている
だから、若い人以外が全く理解できない「子供がいないことによる成功」「子供がいることによる成功」をことさらアピールする
本当に勝ち負けにしか興味ないんだと思う
世間での評判が高くても、実際やってみると面白くないシナリオばっかり
自分のシナリオのことや、出てくるNPCについてSNSでやたらと発信しているタイプの人が書いたシナリオが特に合わないと分かった
そんなに俺の考えた最強のストーリー上でNPCを活躍させたいなら、小説かノベルゲーにすりゃいいのに
CoC以外のシステムもやるけど、CoC界隈の秘匿性癖エモエモ系の空気に他システムも引っ張られてる気がする
あと、素人が考えたシナリオで、素人同士が演技してるのを見るのが辛くなってきた
TLで「自陣最高!!」「(シナリオ名)って良くって」みたいなの見ると、こちら側との温度差で風邪ひきそう
時々は心に残るセッションもあるけど、ハズレの方が圧倒的に多い
プロが作ったコンシューマーゲームで遊ぶ方が安定して楽しい
自分のペースでできるし、嫌になったらやめられるし
TRPGって、生きている人間と話したり交流したりするのが好きな人向けの遊戯なんだよなあ
みんな、ゲームの面白さや出来自体は二の次で、結局人と盛り上がりたいだけのような気がする
オタク同士で遊んでると、自分が人間との交流で心のスタミナを消費するタイプの、ガチのコミュ障なの忘れがちになってしまうの良くないな