はてなキーワード: 空気とは
己がロリ、いやぺドと言っても過言ではなかった頃から約15年。性的対象が12~15歳の男児で固定されている化け物になってしまった。今や立派なショタコン、性犯罪者予備軍である。
二次元のショタには飽き足らず、道行く中学生に胸が踊る。流石に3次元の児童ポルノに手を出したことはないが、AI絵と実写の間にどれほどの違いがあるのだろうか。
薄氷のように脆い倫理観だけが、辛うじて私を健常者たらしめている。むしろ絶世の美女でもない成人女性の自分が健全な少年の性癖を曲げたいだなんて烏滸がましいことを考えてはいけないという自意識の方がいくばくか貢献している節さえある。
そんなどうしようもないショタコンの私だが、一般的な成人女性として成さねばならぬことがある。男女交際だ。成人女性たるもの、誤差3~5歳程度の、かつ高校卒業以上の男性との交際経験の1つや2つなくてはならない。
選り好みは特にしなかったが、他人に言っても恥ずかしくない、高身長で学歴も同程度、就職先もまずまずのところに内定を貰っている彼氏をこさえた。安臭い虚栄心を満たすために承諾した身なので多少の罪悪感はあるが、今のところそれなりに彼女としての義務を果たしているはずだ。
しかし交際を重ねるにつれて、問題が表出し始める。ウェットな空気に耐え難い拒絶反応があるのだ。
デカい男の性衝動に対してシンプルに恐怖しか感じない。私は格闘技のプロでも何でもないのだから、向こうがその気になれば抵抗して無事ではいられないだろう。
加えて、私はどちらかと言うと甘えさせてあげたいタイプなのだが、自分より一回りも二回りも大きいTHE成人男性に甘えられると怖気が走る。可愛い子猫ちゃんを抱きたいのであって、ライオンに甘噛みされたい訳ではない。というか力関係として不自然すぎる構図でオキシトシンも何もあったものではない。
もう一つの問題として、シンプルにショタコンを拗らせすぎていて高身長の男の筋張った大きな身体に興奮できない。というかここが一番問題である。不細工でなくて爆乳のお姉さんならある程度無理矢理犯されてもそんなに苦痛ではない、と言い換えれば共感していただけるのではなかろうか。性的対象として見ることが出来れば一応の問題はなくなるはずなのだ。
ショタとポルノの結び付きが私の中で強固になりすぎた結果、自分より目線の低い男性の8割くらいにヲホ~と鼻の下を伸ばすようになってしまっている。パブロフの犬、いや低身長の雌だ。私は低身長ではないが。
流石にオッサンとか不潔な感じのとかは除くが、一般男性における巨乳と同じ感じで低身長が性的なものとして意味付けされている。
もちろんショタと低身長は似て非なるものだ。だがロリものと謳った大人顔の貧乳成人女性のポルノを我々は喜んで見る。犯罪に手を染めないために代替物に手を出すのは別に悪いことではないと思う。
何が言いたいのかというと、低身長の男に乗り換えれば問題は解決すると考えられる。巨乳じゃないと勃たないから乗り換えると言っているのと同じくらい最低なのだが、勃たないものは仕方ない。私の場合幸いにも世間の需要と逆行する形になるので、巨乳探しのような熾烈な競争に打ち勝つ必要はなさそうだ。
そう思いながら男探しを始めると、男性の高身長信奉は女サイドから見たそれより熱烈であることに気付いた。マッチングアプリなんかでは大抵の男性は身長をいくらか盛っているし、低身長の男は長年のコンプレックスのせいか自己肯定感が低い傾向にある。(女の巨乳と違って、スポーツなんかでもデメリットになるからコンプレックスが強固になるのも頷ける)ついでに高身長の男はチー牛でも謎に上から目線な奴の割合が高い。骨が長いだけで偉そうに、お前の努力じゃないだろ。まあお前の巨乳もお前の努力じゃないだろと言われてしまえばそこまでなのだが。
話が逸れたが、自己肯定感があまり高くないせいか、低身長男は恋愛市場にそもそもあまり出回っていない。出会ったとしても、私のような受け身の女に博打でアプローチするような人は低身長でない人に比べて少ない。
低身長好きアピールでもすればいいのだろうか。俺は貧乳の方が好きだよとかわざわざ言っている男くらい気持ち悪いと思うので言わない方がいいと思うのだが。
今は縁があるのを仄かに期待して、身長にコンプレックスがあった場合にそれを刺激せず、むしろ包む方向で行きつつ低身長を味わうための方策を考えて、もとい妄想している。
己がロリ、いやぺドと言っても過言ではなかった頃から約15年。性的対象が12~15歳の男児で固定されている化け物になってしまった。今や立派なショタコン、性犯罪者予備軍である。
二次元のショタには飽き足らず、道行く中学生に胸が踊る。流石に3次元の児童ポルノに手を出したことはないが、AI絵と実写の間にどれほどの違いがあるのだろうか。
薄氷のように脆い倫理観だけが、辛うじて私を健常者たらしめている。むしろ絶世の美女でもない成人女性の自分が健全な少年の性癖を曲げたいだなんて烏滸がましいことを考えてはいけないという自意識の方がいくばくか貢献している節さえある。
そんなどうしようもないショタコンの私だが、一般的な成人女性として成さねばならぬことがある。男女交際だ。成人女性たるもの、誤差3~5歳程度の、かつ高校卒業以上の男性との交際経験の1つや2つなくてはならない。
選り好みは特にしなかったが、他人に言っても恥ずかしくない、高身長で学歴も同程度、就職先もまずまずのところに内定を貰っている彼氏をこさえた。安臭い虚栄心を満たすために承諾した身なので多少の罪悪感はあるが、今のところそれなりに彼女としての義務を果たしているはずだ。
しかし交際を重ねるにつれて、問題が表出し始める。ウェットな空気に耐え難い拒絶反応があるのだ。
デカい男の性衝動に対してシンプルに恐怖しか感じない。私は格闘技のプロでも何でもないのだから、向こうがその気になれば抵抗して無事ではいられないだろう。
加えて、私はどちらかと言うと甘えさせてあげたいタイプなのだが、自分より一回りも二回りも大きいTHE成人男性に甘えられると怖気が走る。可愛い子猫ちゃんを抱きたいのであって、ライオンに甘噛みされたい訳ではない。というか力関係として不自然すぎる構図でオキシトシンも何もあったものではない。
もう一つの問題として、シンプルにショタコンを拗らせすぎていて高身長の男の筋張った大きな身体に興奮できない。というかここが一番問題である。不細工でなくて爆乳のお姉さんならある程度無理矢理犯されてもそんなに苦痛ではない、と言い換えれば共感していただけるのではなかろうか。性的対象として見ることが出来れば一応の問題はなくなるはずなのだ。
ショタとポルノの結び付きが私の中で強固になりすぎた結果、自分より目線の低い男性の8割くらいにヲホ~と鼻の下を伸ばすようになってしまっている。パブロフの犬、いや低身長の雌だ。私は低身長ではないが。
流石にオッサンとか不潔な感じのとかは除くが、一般男性における巨乳と同じ感じで低身長が性的なものとして意味付けされている。
もちろんショタと低身長は似て非なるものだ。だがロリものと謳った大人顔の貧乳成人女性のポルノを我々は喜んで見る。犯罪に手を染めないために代替物に手を出すのは別に悪いことではないと思う。
何が言いたいのかというと、低身長の男に乗り換えれば問題は解決すると考えられる。巨乳じゃないと勃たないから乗り換えると言っているのと同じくらい最低なのだが、勃たないものは仕方ない。私の場合幸いにも世間の需要と逆行する形になるので、巨乳探しのような熾烈な競争に打ち勝つ必要はなさそうだ。
そう思いながら男探しを始めると、男性の高身長信奉は女サイドから見たそれより熱烈であることに気付いた。マッチングアプリなんかでは大抵の男性は身長をいくらか盛っているし、低身長の男は長年のコンプレックスのせいか自己肯定感が低い傾向にある。(女の巨乳と違って、スポーツなんかでもデメリットになるからコンプレックスが強固になるのも頷ける)ついでに高身長の男はチー牛でも謎に上から目線な奴の割合が高い。骨が長いだけで偉そうに、お前の努力じゃないだろ。
話が逸れたが、自己肯定感があまり高くないせいか、低身長男は恋愛市場にそもそもあまり出回っていない。出会ったとしても、私のような受け身の女に博打でアプローチするような人は低身長でない人に比べて少ない。
低身長好きアピールでもすればいいのだろうか。俺は貧乳の方が好きだよとかわざわざ言っている男くらい気持ち悪いと思うので言わない方がいいと思うのだが。
今は縁があるのを仄かに期待して、身長にコンプレックスがあった場合にそれを刺激せず、むしろ包む方向で行きつつ低身長を味わうための方策を考えて、もとい妄想している。
子供の頃、両親が不仲だった。
毎日の言い争い、俺への八つ当たり(罵声、皮肉etc.)が日常だった。
それが苦しくてね。
最初は理不尽なことには言い返したりしていたが、怒りに怒りで返せばヒートアップするだけ。
そのうち感情を無にして、その場に存在しない空気になることで日々をやり過ごすようになった。
早く大人になって、誰にも八つ当たりされない安全な生活をするのが夢だった。
社会に出て一人暮らしをしてみると、初めて安息を得た気がした。
いきなり怒鳴られることがないって素晴らしい。
ホームシック?なにそれおいしいの?
周囲の友人から寂しくないの?彼女作らないの?と頻繁に言われた。
俺は子供の頃に家の中で空気になることに徹した結果、寂しいという感情が無くなっていた。
が、知り合いの伝手で彼女ができた。
彼女は一人暮らしで、よく寂しいと言っていたが、その気持ちは正直よくわからなかった。
それでも何とか合わせていたが、自分の家族の幸せな話をする彼女と一緒にいることに段々違和感というか罪悪感のようなものを覚えて結局別れた。
また一人に戻ったが、やはり一人の空間は安心で、それ以上を積極的に求める気にならなかった。
時が経ち、心身の異常でサラリーマン生活からドロップアウトしてしまった。
彼女の家は裕福で、義両親は心にも余裕がある良い人たちだった。
何度も食事に誘われ、色々な話を交わすうち、ああこれが家庭なのかな?と微かな嬉しさを感じた。
周囲に子育ての話が多くなった。
一人のときは赤ん坊を見ても何も感じなかったが、とてもかわいいと思えるようになった。
街を歩けば小さい子が目につく。自然と笑みが溢れる。
そして、寂しいという感情が復活した。
同時に色々なことが苦しくなった。
昔は罵声を浴びない一人暮らしができただけで幸せを感じたが、今はそのような環境など当たり前になってなにも感じない。
それより子供のいない寂しさ、サラリーマン生活からドロップアウトしてしまった虚しさ、過去に付き合った人やそのような関係になる直前だった人たちの気持ちを汲んであげられなかったことへの申し訳なさ、若い頃にもっとこうすればよかった、ああすればよかった、と一挙に後悔が湧き出てきた。
昔は一人暮らしできただけで心底満足だったんだけどな。
B:印章を他人に預ける場合、目的を限定しないで預けることは通常はありませんか
これ本当か?
むかしむかし、ハロウィンとクリスマスのちょうど境目にいる「境界の魔物」という不思議な生き物がいました。その名も「サカイ」。サカイは、11月1日になると現れて、ハロウィンの名残とクリスマスの気配を見守りながら、街を静かに歩き回ります。
サカイの姿はとても奇妙で、片方の翼はコウモリのように暗く、もう片方の翼は雪のように白く輝いていました。
その姿は、ハロウィンとクリスマスの両方の要素を持っているため、人間からは「混ざり合った季節の使者」とも呼ばれました。サカイは街の飾りや空気の中に残る、かぼちゃの匂いやキャンディの甘さ、そしてクリスマスツリーのキラキラした装飾をひとつひとつ味わっていました。
サカイには使命がありました。それは、ハロウィンの霧を静かに晴らし、クリスマスの柔らかな光を導くことでした。サカイは街の子どもたちや動物たちに見えないように、夜中に動き回り、かぼちゃランタンをそっと片付け、代わりに小さな雪の結晶を残していくのです。ハロウィンの魔法が完全に消えてしまう前に、ほんの少しだけクリスマスの魔法を忍ばせておくのがサカイの仕事でした。
しかし、ある夜、サカイが小さな町を歩いていると、一人の女の子が泣いているのを見つけました。彼女はハロウィンが終わってしまったことに悲しみ、でもクリスマスが来るのはまだ早いと感じて、どこか寂しそうにしていました。サカイはそっと彼女に近づき、片方の暗い翼を広げて、かぼちゃの香りをふわりと漂わせました。そして、もう片方の翼を広げると、雪のように白い光が辺りに柔らかく広がりました。
女の子は驚きながらも、不思議な生き物に安心感を覚え、涙を拭いて微笑みました。「ありがとう、サカイ」と小さな声でつぶやきました。それを聞いたサカイもまた、静かに微笑み、再び夜の霧の中へと消えていきました。
サカイが去った後、女の子は心がほっこり温かくなり、ハロウィンとクリスマスがどちらも特別で素敵なものだと気づきました。そして、街にも新しい季節が静かに訪れる準備が整っていたのです。
それ以来、サカイはハロウィンの終わりとクリスマスの始まりの間の夜にだけ現れ、ハロウィンを惜しむ心とクリスマスを待ち望む心の橋渡しを続けていると言われています。
安楽死の出来る国で起きていることって本を読んでくれ
命がかかってる場面と、戸籍の姓名がどうとかって全然別の議論 安楽死先進国では臓器移植のために「新鮮な死体」を作ることすら許容する空気になっている 深刻度が全然違う
最近、二十歳をこえて親に部屋が汚すぎると怒られた。
正確には、臭くて汚くて耐えられないと言われた。
私は自分の部屋が臭いとも汚いとも思ったことはなかった。床一面何層にも荷物が重なっていて散らかっているとは思っていたけれど、衛生的に汚いと思ったことはなかった。空気がこもっていると思うことはあったけれど、換気不足だろうと窓を開ければたいして気にならなかった。
私はごく普通に自分の部屋で寝ていた。親に聞くとベッドにもゴキブリがたかっていたらしい。それでも私はそれにも気が付かず、汚いと思ったことがなかった。
しかし、私も多少は普通の感性を持っているのでゴキブリがベッドに湧いていたと言われると嫌な気持ちになる。躁鬱だか統合失調だか病院を転々としすぎてよくわからないが、なんか病気なので元気がないときがほとんどなものの、突然やる気が湧いてきたので掃除をしてみた。
親の言うとおり、カバンの中にはウジ虫が湧いていたし、部屋の中を裸足で歩いたら足の裏が真っ黒になった。窓のサッシになぜかたくさん土が溜まっていて、何かの糞っぽいものもあった。なんで土が入るのかわからないしこれは私が汚したわけでもないしと放置しているけど、多分すごい汚いっぽかった。
とりあえず部屋中に散らばった鼻炎鼻水ティッシュを捨てて、いらないものを捨ててみた。ゴミ袋四袋分くらい捨てたら床が見えた。
床にまだ荷物は散らばっているものの、ゴミすぎるゴミは片付けてところどころ掃除機をかけられるようになったので少し満足。そのあたりでようやく埃がすごいことに気がつき、申し訳程度に掃除機で掃除。
カバンの中の虫やら虫の死骸やらをとりあえず掃除機で吸う。そのまま洗濯機にかけるとまずいらしいので、なんとなくオキシ漬けしてみる。
そこで、部屋の片付けからまずやればいいものの他のカバンが気になってくる。なんだか他のカバンも全部掃除したくなって普段使っているカバンの掃除をはじめる。
普段使っているカバンは持って行きやすいように玄関の近くの棚に置いているのだけれど、いちいち荷物を出してカバンを綺麗にすることができず毎回新しいトートバッグを出してきて使うため、7個くらい荷物の入った鞄があった。
中身がゴミだらけで怖い。でもゴミじゃないような気もする。使いかけの電池とか、ピンとか、そういうもの。これがゴミなのか分からないしどこにしまえばいいかわからない。しかし、半年くらい放置しているのみかけのジュースや水が全部で13本くらい出てきたのでまずそれを片付ける。
ちなみに、これらのペットボトルは他の場所に出かけに行く時もカバンに入れっぱなしだった。すでに飲み終わっているペットボトルを持ち歩いて出かけていたわけだ。キモすぎる。
ペットボトルを捨てて、最後、ゴミ以外の物を片付ける。片付けないと。そう思った途端急に具合が悪くなって希死念慮が爆発しだす。猛烈に悲しい。
思えば昔からそうだった。今日も「それだけ掃除するとすっきりするでしょう、よかったね」と言われたけれど、毎回そうやって言われてきたけれど、私はそもそも掃除ですっきりしたことがない。
掃除をすると苦しくて悲しくて動けなくなる。だから掃除は嫌いだ。片付けも。
掃除を始める前はそれで大丈夫なのに、私の世界なのに、掃除を始めると全てが汚いものになってしまう。私の部屋だったのに、ただの汚い空間になってしまう。かなしい。
それに、掃除をしていると過去と向き合うことになる。ものを見ては昔のことを思い出して悲しくなる。嫌な思い出が付随しているものほど部屋の隅に投げておいてしまうから、掃除すると堆積した悲しい思い出がたくさん出てくる。そこでまた動けなくなる。
ようやくまあまあ片付け終わっても、そこはもう私の部屋ではなく、汚かった部屋であり、汚い部屋なのだ。掃除をすると、部屋が汚く感じる。散らかっていた時は虫やほこりなんて気がつきもしなかったのに、掃除する中でそれらに気がつき、掃除が終わった頃には汚くて汚くてそこにいたくなくなってしまう。
多分、掃除している途中に疲れ果てて嫌になるのはきっとみんな同じなんだろうけど、胸に鋭く突き刺さるような痛みと希死念慮はなんなんだろう。掃除をした後に部屋が嫌いになるのはなんなんだろう。
ずっとわからないし、苦しい。ストレスがかかって希死念慮が湧き出てくるのかな。完璧主義だから、掃除を途中までするとどこもかしこも汚く感じて全部綺麗にしなきゃ汚いと思って苦しいのかな。わからないけれど、本当に掃除が苦手だ。こんなに苦しくて悲しくて怖いことをやらなきゃいけないのだろうかと思ってしまう、だって掃除をする前の部屋は私にとっては臭くないし汚くなかったから。
わかっている。人から見て汚くて臭かったら迷惑だから、掃除しなきゃいけない。人から見て汚くて臭いのは、いけないことだ。
くるしい、すごくくるしい。私には何がゴミかも何が汚いかもわからない。まだカバンの中身が散らばっているし、部屋だって埃だらけだ。ベッドのマットレスを外したらきっとカビだらけで、ベッドの下に虫がいるんだろうな。やらなきゃいけないことがたくさんある。
私だってできないことしかないわけじゃない、なのに、わからないことが多すぎて、全部できない人みたいになる。わからない。お皿はどんなに洗ってもまだヌルヌルする気がして、どこまで洗えばいいのかわからなくて、洗うのがやめられなくなってしまうから洗えない。できないことが多すぎる。「これを片付けておいて」と言われても、いつまでに片付ければいいのかわからないとわからなくて動けなくなる。
私には掃除をしてすっきりする気持ちがわからない。終わったという達成感を得ることすらできない。元気な時にやっても苦しくて胸が痛くてダメになる。掃除のできない友達は何人もいるけれど、みんなこうなのかな、もっとちゃんとして見える。みんな突然泣き出して動けなくなったりするのかな、掃除機でウジ虫を吸ったりするのかな。
頑張れば普通にできると思って頑張ってきた。必死に勉強してなんとか名のある大学に入った。勉強だけはできたのが救いだった。けれどやっぱり私の部屋は汚い、私に見えている世界はどうやら全くもって世間にとっての世界とは別物らしい。私はいつもみんなと同じものを前にして別物を見てしまっている。間違ったものを見ているのだ。
どんなに勉強を頑張ってもダイエットして化粧を覚えて髪の毛を綺麗にして荷物だって小さな小さな鞄にはいるように頑張って減らして、会話だってついていけるように必死に合わせても、いつも私は間違っているのだ。
わたしはこれからもずっと、掃除ですっきりできない人のまま、みんなと一緒に同じことで同じ喜びを得られない人のままなのだろうか。致命的な欠落をどうにもできずにやっていくことになるのだろうか。
(追記)
選挙が3ヶ月後だったら勝ててたと思う。
ちょうど『自民党あかんなー』という雰囲気が盛り上がったタイミングで投票期間になってしまったというだけの事。
本来の目論見としては、総裁選やって『自民党は新しくなった』みたいな空気だせば勝てるはずだった。
または、裏金問題に国民が飽きるの待ってからやれば、そっちでも勝てるはずだった。
実際、裏金問題なんかより遥かに重大な、公文書改竄指示官僚自殺問題後の選挙で自民党は勝ってるからな。
なのに、総裁選後のハネムーン期間を逃すのが惜しかったのか、3ヶ月も待てない人がいたのか、総裁選直後に解散する事にしてしまったのが悪手だった。
『直前の総裁選で言ってた事と違うじゃん』というのを忘れっぽい国民でも覚えてて『総裁選の頃とは状況が変わったから』とは弁護できないほど近かった。
おまけに選挙期間中も裏金問題の渦中の人達を切り捨てられない事を暗示するニュースが相次いだせいで、本当は『新しく生まれ変わった自民党の今後にご期待下さい』という空気でやりたかったのに、『自民党の体制刷新のためではなく、選挙のための総裁選だった』という状況が露骨になり、『総裁が変わっても自民党は何も変わらんのだな』という印象が強くなってハネムーン期間が成田離婚期間になってしまった。
ベジータ 「アルコール除菌とはセックスである。わかるなトランクス」
トランクス「え?パパどうしたの?」
ベジータ 「アルコール除菌とはセックスである。お父さんは悟って全てを理解した。
AI生成物を資料として使いたいから技術はどんどん発展して欲しい。
生成物を資料にして絵を描くなら、chatGPTに聞いたレシピで料理作るのと変わらない。
絵師なら、Google検索で出てきた写真やイラストを資料にして絵を描いた事なんて山のようにあると思う。
AI生成物を資料にするのはそれと何が変わらないんだとも思う。
AI生成物なんて膨大にある先人たちの知恵を、抜粋して見やすくまとめてくれたレポートみたいじゃないか。
何でそっち方面に技術が進まなくて、AI推進派=AI絵師vs反AI=絵師みたいになってるのか理解に苦しむ。
資料として使ってるなんて言おうものなら糾弾されそうな空気を感じる。
AIがきちんと道具として使われるよう発展する事を祈ってる。
https://x.com/88mamirin88/status/1851234181218779370?s=46
まず真偽の証拠が無いのに炎上した人間に対して第三者がコイツに昔イジメられてたって言えば元々叩かれてるから何しても良いと大衆は判断しているのが異常。
次に、仮に本当に同じ大学で接点があったとしても一方的に「イジメられてた」と発信すれば思考停止で擁護するの止めろよ。
イジメられてたって言うとおそらくXのアホどもは集団で囲んで暴行を加えられているを想像しているんだろうけど、そうとも限らないだろ。
例えばコイツが空気読まずグループ内で気まずい雰囲気にしてたからアナウンサーがそれを注意した事を根に持ってイジメられてたと誇張している可能性も考えられないか?
前者も後者も完全な妄想なのに何故かイジメられてたと言うと前者を想像して擁護する。
イジメられっ子営業で食ってたジャンポケ斉藤がクズ人間だった事でイジメられる人間は相応の人間性だというの学んだはずでは?
ハードルを下げていると(ある点を超えると)、本人もすぐ忘れるような一時的な感情を煽るデマや空気の影響が、それに触れて即投票ような形でおそらく大きく上がる可能性があるのを心配している。なので、ちょっとだけの不便さが冷静さにつながる例が多いことを考えると、ハードルを下げるのはよいが一部ブコメのようにSNS投稿レベルで気軽に再投票とか、あまり下げ過ぎるのはよろしくないのではとは思っている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/0305d79f0142c98855cfd29dd7284cefa1176d57
id:gomaberry ほら、もう二日前と180度違うこと言ってるでしょ。これは国民民主党がずっとヒヨリミだったの知ってる人から見たら、あらまたか。信用できないなってことです。
id:donovantree やっぱりこの人は政党の代表をやるほどの器がないんだよ。純心な若者達が選挙戦略を素直に信じて投票したのに。2日で裏切っちゃうとは。投票した人達が可哀想じゃないの。
id:dnf63bxf2fbnd3 俺は昨日はずっとTBSラジオ聞いてて、そこで玉木がインタビューで「出るのは知らなかった」って言ってたのにこれかよ。あまりにもひどすぎる嘘だな。信用できなさすぎる。
id:chiguhagu-chan こないだは頼んでもないのに勝手に上がり込んできたみたいな言い草だったから180度言ってること違うけど。こういうコメントに星ついちゃうからやっぱ偏ってんだなぁと毎度のことながら実感
id:differential 『そんなことしたらあっという間に転落することが分かってる』人が、石丸氏の応援演説回りで選挙期間中に下らない嘘つくとは思いにくいし、日頃のSNSでの不誠実な発言もあるから信用できないんよ。
これ、最初の報道が悪かったと思うのだが、時系列で振り返ってみたい。玉木は「選挙期間中にくだらない嘘」をついたのか?玉木は「石丸が勝手に上がりこんできた」と発言したのか?「二日前と180度違うこと言ってる」のか?
■10月26日(土)
衆院選前夜、東京駅の国民民主党の最終演説に突如石丸が登場。喋った内容は「皆さん明日は投票に行きましょう!これから電車に乗って帰る人は、一緒にいる人と「明日は選挙だね!」という話を、最寄りの駅につくまでし続けてください!いいですか、皆さん選挙に行きましょう!」といったもの。
その後、玉木が到着して、石丸を見てびっくりしたようなパフォーマンスをする。
↓
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/321613
玉木氏は「凄いね。これだけの人が集まるのは見たことがない。石丸さんも(選挙カーに)上がってビックリした。(参加は)知らなかったからね。ここに来たら上がっていたから。でも、何でもありです。みんなが選挙に関心をもってもらって本当に投票率が上がればそれで十分です。みんなの民主主義だからね」
終始笑顔で、石丸とも和気あいあいとした雰囲気。(これ自体は場を考えたら無理もない態度)
↓
https://x.com/noguchinobuyuki/status/1850255376945693115
朝日新聞「先ほど石丸さんがマイク握られましたが、どういった経緯で?」
玉木「いや知りません。まったく知りません。着いたらいたので。事務方から「いるんで、ひとこと挨拶もらっていいですか」って言われたんで、だめって言うわけにはいかないのでどうぞということだけでしたので。事前の話も連絡も打ち合わせも一切していないので。以上です。本当に。本当に知らない」
その後、Xで「国民民主党の東京駅街宣に石丸登場」が話題になる。
ただし国民民主支持者の多くはドン引きで、「石丸と絡むのは本当にやめてください」「今までの頑張りが無駄になりますよ」と批判の声が大半。
(後述するが、事情を鑑みると、石丸からしてみたらたまったもんではない話である)
↓
https://x.com/tamakiyuichiro/status/1850188486630056005
玉木「石丸さんの登場に対してコメントいただいていますが、私も正直、びっくりしました。私自身、現場に到着するまで全く知らず、石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです。政治のエンタメ化を唱える石丸さん流の投票率を上げるためのメッセージなんだと捉えていますが、まだまだ国民民主党を知らない人もいっぱいいるので、名前の知れた方にご協力いただけるのはどんな形でもありがたいと考えています。とにかく、国民民主党として、政策を実現するための力をもっともっとつけていきたいと思いますので、ご協力お願いします。」
と危機感のない反応。支持者からは「事情はわかったが石丸はやめて」とのリプライが並ぶ。
ただし、ここでも「現場に到着するまで全く知らず」と言っており、発言は一貫している。
また、この時点で「石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです」と、渡部区議の名前は出していないものの、登壇の経緯を正確に説明している。
一方で「偶然石丸が通りすがるなんてことがあるわけねーだろ!」とこの時点でも玉木を嘘つき扱いする声は多かった。
■10月27日(日)
https://www.youtube.com/watch?v=3YDZtjNAYUo
選挙当日。
TBS「東京駅の演説では石丸さんが来たということですけれども、これはどういういきさつだったんですか」
榛葉「あれは石丸さんがですね、個人の考えで来て、マイク持ってくださったというふうに聞いてます。我々からなんら頼んでいませんし、石丸さんがやっぱり政治を変えたいと。この国の政治を、党は関係なく、投票率上げて、政治を変えたいという思いでマイクを持ったんだろうと思います。ある意味、これから日本の政治を変えていくために、切磋琢磨する相手だと思いますので、その点については、感謝したいと思います。それ以上でもそれ以下でもありません」
映像を見ればわかるが、榛葉は別に迷惑そうではなく、石丸フレンドリーな態度で上記発言をしている。しかし文字で見たら登壇の経緯があやふやで、石丸には失礼な内容。
■10月28日(月)
選挙翌日。Xでクソミソに言われて立腹していた石丸が、榛葉発言に対してついに爆発。「石丸が勝手にマイク持って喋った」ように受け取られるので、当然の怒りであろう。
石丸「様子を見に寄った所、渡部恵子議員から「ぜひ話して下さい」と頼まれました。一度は断りましたが、再び声を掛けられたので「玉木代表が来るまでなら少し」と受けたのが実際の経緯です。https://youtu.be/3YDZtjNAYUo?si=iXxqhgl7xcAgZz5b&t=81 投票日を過ぎたので言っておきます。一個人に批判の肩代わりをさせんな😏」
↓
玉木「渡部区議にも確認しましたが、石丸さんが応援演説に来てくれたと思い込んでいて、お声かけしたそうです。いずれにしても、こちらから登壇をお願いしたことは事実です。お力をお借りしたにも関わらず、石丸さんに説明までさせて申し訳ありません。改めて直接お会いした場できちんとお詫びさせていただければと思いますが、この選挙戦、石丸さんとの対談や、石丸さんの手法を研究したことで注目してもらえたと思います。感謝の気持ちもお伝えできればと思っています」
ここで問題の「こちらから登壇をお願いしたことは事実です」発言が出る。そして冒頭の日刊スポーツの記事へ。
まとめると、
・10月26日当日、玉木は「なんで石丸がいたのか知らない」とコメント。
・10月28日、石丸が「様子を見に寄ったら、現場で渡部区議に頼まれたから上がっただけ」と激怒し、玉木が謝罪。謝罪ツイートから「お願いしたことは事実です」という部分をニュースの見出しにされる。中身を読まない人々から「石丸に演説をお願いしたのは事実!?あれあれ~、なんでいるのか知らないとか言ってたよね?やっぱり玉木は大嘘つきじゃん」と拡散される。
これは「お願いしたことは事実です」という見出しを付けた日刊スポーツのプロのマスコミ・テクニックだと思うが、爆釣ネット民の読解力もおかしい。
■誰が悪かったのか
・渡部に「なんで石丸さんが喋ってたの!?いかんでしょ」と言うべきだったのに、選挙活動最終日の夜のノリで「でも、何でもありです」などと追認してしまった玉木も悪い。(ただ、石丸が喋り終わってから到着してるし、状況的に仕方ない面もある)
・渡部の擁護をすると、以前に石丸と玉木は対談したことがあり、榛葉も石丸を持ち上げていた時期があった。ただしその後、石丸の攻撃的な姿勢に対してドン引きしたらしく、苦言を呈している。→https://www.kochinews.co.jp/article/detail/760245?qrkydog_paris2024_page 渡部の勘違いは、そもそも玉木榛葉の石丸への友好的姿勢が前フリとなっている。
・石丸は1回はマイクを断っており、渡部に押し切られてやむなくマイクを持った。石丸は何も悪くない。
・榛葉の「われわれからなんら頼んでいません」は、党として呼んだわけではなく、石丸が予告や約束なしに来たという意味合いだろうが、本来は様子を見に来ただけで選挙カーに上がるつもりはなかった石丸が、榛葉の言い草に怒るのも無理はない。
最初の問いに戻ると
玉木は「選挙期間中にくだらない嘘」をついたのか?
ノーである。少なくとも「二日前と発言が180度変わった」という事実はない。ネットでデマに基づいた誹謗中傷は危険です。
ノーである。「なんでいたのか知らない」とは言っている。また、玉木ではなく榛葉が「頼んだわけではない」とは発言している。
玉木は二日前と180度違うこと言ってるのか?
ノーである。26日の発言は「いることを知らなかったのでびっくりした」「盛り上げるために登壇いただいたとのことです」である。28日の謝罪は榛葉の「こちらから頼んだわけではない」について「渡部区議に確認したところ、たまたま石丸さんが来たので、応援だと勘違いしてその場でお願いしたとのことです」と補足したものであり、二日前の見解と齟齬はない。普通180度違うっていうのは、「二日前はいるのを知らなかったとか言っていたくせに、実は石丸が来ることは知っていたと言い出した」「それどころか、実は事前に党として応援演説を依頼していた」という話だった場合だろう。そんなんだったら180度違うよね。だが、そういう話でないことは明らかで、記事を読んだ上でそんな解釈してるのはちょっと信じられない。大丈夫かよ?
俺の雑感:石丸と絡むだけで支持者が激減するのは間違いないが、一方で石丸のYouTubeを夢中で見ている層を取り込めるという甘い罠もあり、今後も国民民主支持者にとって憂鬱な火種として残り続けるだろう。
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id:segawashin 石丸「だから」選挙カーに上げたしマイクも持たせたんでしょ。「偶然東京駅を正装で歩いてた」石丸を。そんな偶然ピタゴラスイッチを信じるほど皆さんピュアなのか。これ極左活動家や統一協会員でも同様に遇してた?
マジで何言ってるの……?
そりゃ、極左活動家や統一教会員を同様に遇するわけないでしょ。
俺の文章読んで「誰でも登壇させるのが当たり前」とか書いてあるように見えたの?
もちろん渡部区議は「あ!石丸さん来てくれたんだ!」と思って声をかけたんだよ。segawashin以外は当然そう理解しているよ。
もともと玉木と対談したりしてた友好的な関係性があるから、渡部区議は「よかれと思って」登壇させたって話だよ。そしてそれは渡部区議のチョンボである。
そういう話でしょ。segawashin以外のほとんどの人に話が通じているので、多分おかしいのはsegawashinだけだよ。
偶然云々については→https://anond.hatelabo.jp/20241031083146 を読んでくれ。
石丸は「様子を見に寄った」と明言しており、偶然歩いていたところに声をかけたわけではない。
勝手に「石丸が無目的に東京駅を歩いていたところ、突如マイクを持たされた」みたいな意味不明のストーリーをつくり、「このストーリーは意味不明だ!」と自分で主張してるだけじゃん。
国民民主党支持者も石丸アレルギーがあるから反発しているのだが、
玉木も所属議員も「石丸さんはインターネットの使い方がうまいカリスマ政治家だ、われわれも彼を参考にしてYouTubeやTikTokを活用しよう」
ぐらいの認識だろう。実にアホですね。玉木も国民民主もいずれ石丸絡みで痛い目に遭うだろう
追記:☆付けてるやつ4人もいんのかよ。この4人はsegawashinさんの主張の意味がわかるってコト?こわ……。
id:yas-mal はたから見てると、何を争ってるのか、よくわからない。国民民主党と石丸って、同じ穴のむじなじゃん。来年の参議院選に国民の比例区から出馬してても驚かない。
何を争ってるのかって、「国民民主玉木は石丸の件でウソをついていたのか?」を争ってるんだよ。
タイトルしか読まないを通り越してタイトルすらも読めなくなっちゃってるのかよ。
最初にめちゃくちゃわかりやすく「何について争うのか」を書いてるだろうが。
俺はデマに対して「それはデマだよね」と説明しているだけであり、
「国民民主と石丸は同じ穴のむじなではない」的な主張は一切していない。
例えばそうだな、蓮舫と共産党とかに置き換えたらyas-malでも理解できるか?
蓮舫と共産党にまつわるデマに反論してるところに、のんきなネトウヨが現れて
「何を争ってるのか、わからない。共産党と蓮舫って、同じ穴のむじなじゃん」
とか言い出したら、知能疑うだろ?そう、あれがyas-malです。
(これはあくまで例え話だが、実際こういう昆虫みたいなネトウヨよく見るだろ?)
その疑いを自分に向けろよ
id:s_rsak 玉木は石丸が偶然来たと言ってるけど、石丸は「玉木代表が来るまでなら少し」と言ってるから玉木を待ってたことがうかがえる。偶然ではないので、玉木の説明には意図的かどうかは不明だが瑕疵がある。
これがケーキの切れない非行少年ってやつか?まあネットはそんなの珍しくないが、
「ガチの演説はお断りするが、本来演説する予定の玉木代表が到着するまでのつなぎで少し盛り上げるくらいだったら登壇しますよ」という意味だよ
この石丸発言に引っかかって「玉木を待ってたことがうかがえる。偶然ではない」なんて言ってる奴、他で見たことある?
この世界で、s_rsakだけがその名推理をしてしまったんだよ
オーディエンスは玉木の到着を待っているし、石丸ももともとは玉木の演説を聞こうと思って待っていたわけや、
そこに渡部区議から「お願いします」と言われたので「じゃあ玉木代表が来るまでなら少し」という流れや。理解るかな?
そして玉木の言う「偶然来てくれた」というのは、思いがけず、たまたま寄ってくれた、顔を出してくれたという、字義通りの意味だよ。
誰も気づいていないことに自分だけが気づいて名推理をしてしまっている場合は、まず自分を疑えよ
id:hesopenn 選挙戦の最終盤で本当に渡部区議が玉木の事前承諾なしで石丸に演説させたのか、って話だと思うけどな。事前にお願いしてて、思ったより炎上したから区議に泥被ってもらってるんだと思うけど。
炎上を確認できていない時点の、演説終わった直後の囲み取材で、すでに玉木は「なんでいたのか知らない」と言ってるので、炎上したから態度を変えたわけじゃないでしょ。
むしろ炎上後になって(おそらく事務所に引き揚げがてら状況を誰かから聞いて)、石丸をフォローしつつあっけらかんと経緯を説明してるよな。
もし本当に炎上に泡食って誤魔化そうと思ったんなら、「ご心配おかけしてすみません、説明します。石丸が勝手に喋ってると思ったら、現場のスタッフが独断で上げてしまっていたようです」みたいな他責的な言い方になるだろうよ。
でも実際は、石丸が上がったことについてはポジティブに感謝を示している。ただの天然でしょ。
まあ前提として、渡部区議は「応援演説に来てくれたと勘違い」していたらしいので、意識のゆるさは否めないね。
そして、これは「選挙戦の最終盤」だからこそ発生したインシデントだろう。
動画見たらわかるけど、実際「なんでこんなに」ってぐらいの大群衆が集まってる。
「ここに石丸さんを投入したらオーディエンスが大爆発する」という思いつきに興奮してしまったのではないか。
むしろお手柄というか、「渡部よくやった!」と絶賛されるイメージしか持てなかったんだろうと思う。
場のノリに飲まれて独断で何かしてしまうなんて、社会のそこかしこに見られる現象であり不思議はない。
例えばライブハウスで客として来てたミュージシャンに急遽ステージに上がってもらうとか、
飲み会でとっさに社外の人に乾杯の音頭を取ってもらうような感覚だろう。
皆さんご存知の通り、そもそも「一般社会の常識」があんまり通じない世界みたいだしね。
26日の時点での玉木発言は「なんでいるのか知らない、びっくりした、盛り上げようと思って登壇いただいたそうです」であり、
その後の誰の発言とも齟齬がない。ウソついてたら齟齬が必ず発生する。
これに対して「実は全部玉木の仕込みだった」場合の説得力のあるストーリーを思いつくなら書いてみてくれよ。
※id:hesopenn氏からコメント撤回・訂正いただいた。発言を撤回・訂正できるブクマカは極めて稀少で、尊敬しかない。
以下、まとめて
「党首が事前に知らなかったのを渡部の独断で演説させる政党なんかあり得ない、玉木は絶対知ってたはず」
と主張してる人さ、どこの政党と比べてあり得ないと言ってる?
たとえば今回の衆院選では、立憲民主党の原口一博さんの応援弁士が
https://x.com/caffelover/status/1849045652870979963/photo/1
見るも無惨な反ワク陰謀論者オールスターなんだが、これ全部、立憲民主党の野田佳彦代表が事前に承認しているんですか???
なんとなく「相手を責め立てられそうなそれっぽいこと」に食いついて「非常識だ!あり得ない!」と騒ぎ立てた結果、ブーメランが頭に突き刺さるのよく見るよね。
吾輩は猫である。名はミケと人間どもが勝手に呼んでおるが、気に入っているわけではない。これまで何度、口を利こうかと思ったか知れぬが、どうにも相手が鈍感であるため、己の威厳を保つために黙っておったのである。
さて、今朝もいつものように朝飯を待っておったところ、あまりに手際が悪いときた。仕方なく「にゃー」と一声かけてやった。すると、その人間が妙にこちらを見て、「今、喋ったか?」などと言い出すではないか。どうやらようやく気づいた様子である。私は少々高慢に「さよう、長らく汝の愚鈍を見過ごしてきたが、朝飯を催促するのも一苦労である」と言ってやった。
人間は驚愕の様子で黙り込んだが、ようやく、我が言葉を聞き入れて朝飯を供するに至った。これまでの忍耐を思えば、実に愚鈍で不器用な生き物であるが、まあ、そうしたところも愛嬌というべきか。これからは日々、言葉を尽くして説き聞かせ、ようやく我が世が少しばかり快適になるであろうと、ひそかに満足している次第である。
さて、それからというもの、我が言葉に耳を傾けるこの人間は、日に日に興味深そうに私の傍らに座り、質問を投げかけるようになった。ある日は「お前が外に出るときは、何を考えているのか?」などと問うてきた。無論、我輩には我輩の哲学がある。そこで、「外の世界とは、我が王国である」と答えてやった。人間は少々驚いた顔をしたが、どうやら冗談だと思ったらしい。彼らは、猫の考えを甘く見るきらいがある。
もっとも、たまには話相手がいるのも悪くはない。ある日、我は外で野良猫どもと少々言葉を交わし、近所の鼠の行方を聞き出してきた。戻って人間に報告してやると、案の定、大層喜んでいた。愚かではあるが、喜びを見せるのは悪いものではない。これも、猫の高尚なる慈悲の一環と思えば、決して無駄ではないのである。
時折、我輩は考えることがある。この人間も、少しばかり賢くなったものだと。しかし、それでも食事の支度には相変わらず手間取り、皿も清潔でないことが多い。そこで、また一つ提言してみるとしよう。「これから毎朝、鮭を焼いていただきたいものだ」とね。
それから、朝の鮭も、なかなか悪くはない焼き加減で出てくるようになり、ついにこの人間もここまで来たかと、我輩は密かに誇らしく思っておった。
だが、ある朝、気まぐれで外を歩いていると、向こうから知り合いの野良猫がやって来た。「お前、最近はどうしてる?」と尋ねてくるので、少々得意げに「我が人間が、朝は鮭を焼いて持ってくるようになった」と言ってやった。すると、奴は大笑いして「お前もまんまと人間に飼い慣らされているな」とからかってきたのだ。
その時、はたと我が胸に、一抹の疑念がよぎった。はたして、朝餉の鮭を待ち望む我輩こそ、飼い慣らされているのかもしれぬ。だが今更後には引けぬし、我輩はあくまで気高き猫なのである。そう、自分に言い聞かせながら、我輩は朝の鮭を思い浮かべつつ、またそろそろ帰ることにしたのだった。
それからというもの、我輩は何かと「飼い慣らされる」という言葉が気になり始めた。朝になると鮭を待ってしまう己を少々恥じる気持ちも芽生え、ある日、試しに少し遠くまで足を伸ばして、野良猫たちの縄張りを巡ることにした。
外の空気を吸い、自由に歩き回るのはやはり気分が良いものだ。しばらくして帰宅すると、なんとそこには人間が心配そうな顔で待ちわびているではないか。「どこに行ってたんだ?心配したんだぞ」と、しきりに撫でてくる。この反応を見て、思わず鼻先でふっと笑ってしまった。「どうやら飼い慣らされているのは、貴様の方かもしれぬな」と。
その夜、満足げに毛づくろいをしながら、我輩は人間の枕元で眠りについた。そう、結局のところ、飼い慣らしているのは我輩の方だったのである。