はてなキーワード: りあるとは
反出生主義、なんやかんや言って、自分の人生がイケてない、正直死にたい、生まれてきたくなかった、というところからスタートすると思うんだよ
ベネターさんの思想的には、そもそも主観的に幸せかどうかなんて関係なく、全員生まれないのがイチバンってことではあるんだけど、まあ、個人が反出生主義に傾倒する理由としては、自分の人生が嫌いだからというのは多少なりあると思う
で、不幸の再生産をしないために絶対子供は作らないぞ、っていうのはいいと思うんだよな
でも、他人にそれを期待し、他人が子供を作ってるのを見て怒りを覚えるというのは、純粋に損なんだ
むしろ、ガンガン苦しんでくれた方が自分の将来にとっては良いというところまである
自分の子を勝手に生み出して苦労させて恨まれるなんてことはやりたくない
でも、他人の子供が他人に勝手に生まれていくら苦しもうとどうでもよくねえ?
俺んところでだけ不幸の連鎖を断ち切っといたらそれでいいじゃん
アホにはドンドン産んでもらってさあ、貴重な未来の労働力になってもらいましょうよ
自分のところだけしっかりやって、他人がバカやってんのはヘラヘラ笑いながら見てようぜ
と、最近は思うようになったよ
子育て辛い、子供いなくてもよかったっていう元増田みたいな人、自分の周りには数人いる。私の感じ方は全然違うので、子供いない人の参考になればと思って書いてみる。
我が家の夫は「子供ができて人生変わった」ってタイプ。子育ては大変だと言ってて、人生に不可逆的な変更が生じたと思っているようだ(その割に毎日残業飲み会は週1-2回、平日は送りのみ。週末も丸1日は仕事したり一人で出かけたりしてるので、時間的な拘束としてはそんなに変わってなくない?とひそかに思ってる。)。
私(妻)は「正直子供ができたくらいでは人生変わりませんでした」と思ってる。会社における転職とか昇進みたいな感じで、仕事内容や負担が少し変わったという感じ。もともと趣味や人付き合いの範囲が狭く、子供に時間を取られてもあまり苦痛を感じないのかもしれない。むしろ、酒飲む頻度が減って健康になりお金も貯まったな、と思ってる。キャリアの停滞も(いまのところ)あまり感じていない。小1の壁はやや怖いが、まあ何とかなるかなと楽観的ではある。
私のように「子供生まれたくらいじゃ人生変わらない」タイプの人、だいたい10人に1人くらいなので少数派っぽい。産まれる前は踏ん切りつかず悩んだりしたけど、完全に産むがやすしパターンだった。
その一方で、子供が私よりも先に死んだら完全に人生が変わってしまうだろうなと恐怖を感じる。周りの子供を亡くしてる人、子供の死というイベント前後ですごく変わってしまう。実は自分の弟も亡くなっていて、親は完全に心が壊れてしまっていた。自分の家族もそうなるんじゃないかという恐怖感はかなりある。こればかりはどうしようもないのはわかっているけど、とても不安。
醤油、レモン汁、酢はどれも酸性 ただし醤油は塩分がかなりある
あとはわかるな?
たいてい塩と砂糖とレモンかけて焼けばうまい。まざりやすいものなら塩は食卓で追加する方式でもいいぞ。
割合は塩が小さじ1/4、砂糖が大さじ1、レモン2-3ふりでいいぞ。
酒は塩とか砂糖とかをとけやすくしつつアミノ酸のうまみとわずかな酸味を足すもの。
焦げ付きやすいしみりんとの区別も面倒だからなきゃないでいいぞ。
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市販の濃縮つゆを永遠につくれる三種の神器が「みりん、しょうゆ、顆粒だし」。
300円で5個はつくれるぞ。
これに砂糖か黒糖とか蜂蜜とかの甘みを1つ足して四種の神器にすると
「やきとりのタレ、みりんぼし、牛丼のタレ、照り焼きのたれ、すき焼きのタレ」だ。
https://item.rakuten.co.jp/bookoffonline/0012407579/
これでええけどネットでもええし
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https://anond.hatelabo.jp/20230522173013にぶらさがってた注目ブコメから
slkby 絵単独、それも元が居ない創作なら他人が勝手にアウトなんて決められるものは基本無いと思うけど、一方で年齢などの設定がしっかりあるとちょっとねと思う気持ちもわからんでもない
gatenasan 同じ事がデレマスでもあったけど「ソシャゲの対象年齢」や「キャラの年齢設定」を加味で批判されてるなら正論。両方ともクリアした状態で絵柄自体が未成年搾取とかって炎上だったら批判側が過激すぎってなったけど。
amtmt こんな長々と説明しなくても「12歳の少女に際どい格好をさせた」で十分アウトだと思った。大人が未成年守らなくてどうする
グラブルの風リリィが叩かれてるのは絵が悪いんじゃなくて設定の問題でアウトという話
そこの認識を間違えてじゃあこのキャラの露出はどうなんだという擁護派は的外れすぎる
今の国際情勢で、G7を広島で行い、各国のトップが平和記念公園で献花し記念館を見学したこと自体の政治におけるメッセージ性は高いと思う。
さらにインドのモディ首相がこのタイミングで非暴力・不服従運動の象徴の人、ガンジーの胸像を広島で除幕したり、ゼレンスキー大統領を各国と迎えた意味も大きい。
そればかりでなく、韓国現職大統領の広島訪問が初、かつ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に日韓両首脳が揃って献花してることの意味も大きい。日米韓首脳会議の前にこの献花を出来ていることの順番も大切だと思う。
安倍晋三や麻生太郎や、安倍派から首相になった人だったなら、日本がこのタイミングに議長国やっていても、実りあるものは産んでいないだろうな、と思う。
シンギュラリティについてで思った事がある
まず性能の良いコンピューターを作る試みについては現在の機械学習のやり方が助けになる部分はかなりあると思う
その場合コンピューターの処理速度と記憶容量が今とは比べ物にならないペースで上がっていく可能性もあり(電力問題も解決して)
シンギュラリティが起きてる!と言い出す人が現れるのはかなり想像出来る
でもシンギュラリティの定義的にはコンピューターが人間と同じような思考を出来ないといけないらしい
じゃあ性能は幾らでも上がっていく時にいつコンピューターに実際に人間と同じ思考をさせられるようになるんだろうね
もしかして今でも十分な処理速度・記憶容量を仮定すれば(それこそ10の何乗の性能でも仮定していい)
「インターネットのくだらねーネタ」ってあるじゃん。なんJネタとか淫夢ネタとか。
ああいうのってまあ内容自体のくだらなさ不道徳さはあるけど脳機能としては結構高度なんだよね。
色んな文脈が絡み合ったものを理解して再構築できる人間と出来ない人間がいる。
林修自身も自分がそういうネタになってるのを認識してて言及してる。
発端として林修はメジャーリーグファンであることを公言してて、
松井を評価してるけどイチローは微妙っていうポジションも匂わせてたわけ。
これは当時なんJで開催されてた「松井とイチローどっちが凄いか」っていう党派性ゲームのポジションに似てた。
「いつも『ゴキロー』とか書き込んでる口汚いイチローアンチは林修」
みたいなネタに発展していった。
なんJの松井VSイチローのアホ丸出しなレスバに参戦してたら面白い
っていうそういう発想。
参考資料として、野球関連の林修ネタのまとめがあるから各自でチェックしてみて
https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E6%9E%97%E4%BF%AE
ここまでは誰も不幸になってなかった。
林修自身自分がなんJで捏造されて遊ばれてるのをテレビでネタにして笑わせてたぐらいで。
なんJで捏造された林修像は支離滅裂でイチローとイチローファンを煽りまくるお下劣クソ野郎だったけど
「林修の書き込みが見つかった!」みたいなネタスレが立てられてて。
「チンコビンビンですよ 神」とか後にミームになったような頭わるそーな書き込み繰り返してる人物のIDを林修だって言ってて。
勿論何の根拠もないしイメージ的に林修がそういう人だっていう訳でもない。
普段の本人とかけ離れたバカな書き込みの数々だからこそ「これが林修だったら面白い」って言うそういうネタなわけ。
誰もそんなの説明しないけど暗黙知でみんなが面白みを理解して乗っかるっていう場。
やってることはくだらないけどこれはやっぱりある種の高度な脳の機能なんだよね。
いわゆるハッタショとか言われる人たち。
(ここでなんでハッタショという差別用語っぽい俗語で書くのかというと
各発達障害の人に不用意な迷惑を掛けない配慮でハッタショと書いている。)
で、理解できる人は説明されなくても理解できる話の構造が説明されても全然理解できない人。
(はてなブックマークもそういう人の割合が多い傾向を感じるけど。)
林修が「年収〇〇以上でない人間は足手まとい」と発言したっていう画像の数々も
元々は「言うはずのない発言を言ったってことにしたら面白い」っていうネタなわけ。
巧妙な切り抜き画像を最初に作った人間は誰かを騙すつもりも林修への害意もなかった。
「林修が2chのエロ画像スレに『チンコビンビンですよ 神』と書き込んでいる」と同じで
「林修が低所得者を容赦なくdisって足手まとい扱いしている」が面白かっただけなのよ。
”林先生がそんなこと言うわけない”が前提にあり、”毎度バカな捏造されてる林先生”の面白みが下敷きにあったわけ。
でもそれが拡散していくうちにネタの分からないハッタショが入ってきちゃって
そいつらは「本当に林修がこういう発言をした」って信じ込んでしまったり、
あのネタ臭い画像を「低所得者を叩くためのシリアスな武器」って思い込んだりするわけ。
ジョークグッズをマジ使いし始めるわけ。
ザ・ハッタショ。
面白いネタや盛り上がってる場に最終的には後追いハッタショが現れて
学校でも居たでしょ。感覚的なネタが理解出来ないけどみんなの輪に入ろうとして
同じネタをただ大声で連呼する、みんながうわつまんなって冷めちゃう、みたいな子クラスに数人は居た。
高校ぐらいだとそのズレかたも受容されるようになるけど、中学ぐらいまではいじめられたりハブられたりしがち。
今回の件であれば後から寄って来たやつによって
→「林先生は実はこんな差別的な発言をする奴だった!許せん!」
みたいなことに最終的になった。
どっちのルートも事実ではないし、ネタの意図でもないし、ハッタショ丸出し。
これが流布されだしたら林修も黙ってられないよね。
全然ネタじゃなくなって実害が出るようになっちゃってるんだもん。
自分の名誉も傷付くし、自分が棍棒にされて低所得者を傷つけてるし。
つまり現在林修の名誉を傷つけるようなデマ散布者になってる人間も
大半はおそらく悪意とか嫌がらせの意図はない。だからキツいというか。
外には必ずハッタショがいてそいつが同じネタを(理解出来ないので)一番つまらない形で(低所得者ヘイト)使い出して
挙句、平和に閉じてたなんJみたいなところが「デマを撒き散らした!」みたいに叩かれる。
いやいやいや。
わりーのは輪の中の人達じゃなくて輪の外にいるハッタショやんけって言う。
あらゆるコミュニケーショントラブルにはこういうハッタショトリガーが多い。
ハッタショみが強い人間ほど「なるほど、後追いハッタショが悪いんだね」という納得にはならない。
それもある意味当たり前で、
最初にそういうネタやってた人間達が何故そんなことしてたのか理解できないから。
どうしても最初の奴等に悪意や落ち度があったということにしたがってしまう。
単なるネタを自分達やその同類が深刻にしてしまったということも受け入れられない。
で「お前等が悪ノリをしたのが悪いのに居直るな!」みたいに怒りだす。
あれは何言ってるかというと「マジとネタの見分けがつかない我々に責任持ってこられたら困る!」って言ってる。
「それは自分達が悪いんじゃなくてこんなネタを作った奴が悪い」って言いたくなってしまう。
大事故起こした人が「トヨタはもっとちゃんとした自動車作ってほしい」って言ってたけど
原因作ってるのは100ぱーハッタショ達なんだよね。
ハッタショが居なけりゃ誰も不幸になってなかったんだもん。
「うわーネタって言えば何やってもいいと思ってる奴がまだいる!!」「幼稚!」とかだと思う。
けど実際ネタだったわけだしネタがわかる人間しかいない間はみんなハッピーだった。
林修当人だってあくまでネタと了解されたうえでであれば、捏造怪人「お林」がネットに暴れ回るのを面白がって見てた。
もしここまで読んでる最中に既に
「ネタって言えば許されると思ってるのか!」と言いたくなってた人、
あなたはハッタショの疑いが濃いです。
自分の意思というよりは、流れに流されて、そうなった。できそうだからと期待されて、こっちの道ねと方向づけられて、方向づけられたからには一所懸命やってきた。元はポンコツでも血の滲む努力をして、振り返れば自分ほど努力した人は周りにいなかった。でも、当時はいつも劣等感に苛まれていて、足りないから人並にならなきゃと必死だった。
あまりにも仕事に必死で、恋愛も結婚もできなかった。精神的に余裕のない人間が、そんな複雑なことをうまくできるわけがない。
40代半ばになって、気づいたら周りより仕事ができている。あ、仕事できるようになったんだ、と思った。その代わり常に過労で私生活はボロボロ、体調が悪い。周りは平凡に結婚して子どもを作って暮らしていた。限りあるエネルギーをそっちに振り分けたんだろう。
そんなのは、ずっとぼんやりわかってたけど、こないだいきなり泣けてきた。自分の望みをちゃんと見ないで、人に方向づけられた努力をしてきた。やるべきは仕事じゃなかった。間違えた。