はてなキーワード: 福祉とは
赤塚福祉事務所が地下1階にあり、新設されていて出来たばかり(2009年に工事)に対して、志村福祉は、昭和42年からあり、平成5年に都市UR計画によって
続いているものであるらしく、所内に入るなり汚らしい印象を受けた。今回は夢の話に始まりそれに終わるといった感じで話は全く進展しないし不毛だった。3年ぐらい前に自立更生免除の
ことでもめていた時代に、健康管理の城戸がいた時代に中谷とごちゃごちゃしたことを話していた面談室での会話となったが、
なんで夢をみるのか・・・といった会話に移り、時折、かれらは・・・、様々な弱みを握っている・・・といった説明が聞かれたが、さらに、信号自体は送っているが何を再生するかを運営は選べない
夢で何を見るかは見る人が決定している・・・ などと要領の得ない会話となり、どのように攻めても、実体がどうなっているのかを言わない感じだった。
当初は病院での打ち合わせで予定していた22日、火曜日の面談は、運営が流したため実現しない。どうしても、7月26日という数字に拘泥している様子。
歯がボロボロ抜ける夢をみることがありますか、などの会話から推測して、おそらく、平成の天皇が、現実に、歯がぐらぐらしてこの世の地獄を味わった人の三次元の様子などを集約して映像データに
まとめておいて何らかの方法でその地獄のような思いをしたことを再生させているのではないか、やっているのは、警察か消防ではないかと考えた。
田舎で、車がないと生活がものすごく不便な場所で育った。電車は走っていたけど運賃がとても高かった。
14歳から自傷行為を始めた。母独裁の機能不全の家と学校での孤立がトリガー。
19歳から精神科に通った。週1回の通院が必要な状態。度重なる自傷行為で鉄剤を処方されるような貧血。母との関係は最悪。貧血と精神科の薬の影響で、バイトは半年も続けられない。
20歳で初めての自殺◯遂。トリガーはお金がなく、国民基礎年金が払えないことだった。世間では社保庁の使い込みが話題だった頃。
24歳で発達障害が分かった。作業所に通うようになっていたけど、通院頻度は相変わらず週1回から減らない。自傷も不眠も続く。母との関係も変わらない。親が負担してくれるのは通院費と住民税やら市民税やらの公的なところ。
国民基礎年金は猶予制度を使った。ハロワは家から遠く、片道800円の電車賃が出せなくて通えず。職業訓練とその給付金は親の収入がそれなりだったため利用できなかった。車の免許はお金が出せず、また親の反対もあって取れなかった。
28歳で障害基礎年金を受給し始めた。手続きは全部自分でやった。診断書料だけは母を拝み倒して受け取った。この頃は自分の口座残高が312円だった。
服もカバンも穴が空いて、下着はサイズが合わないものを使っていた。親は海外旅行に行っていた。兄弟はブランド品を買っていた。
29歳でグループホームに入所した。元手は一年貯めた障害年金。通院頻度はまだまだ週1回。これでやっと生活を立て直せるはずが、ホームの運営がどうも杜撰。
突然利用料が値上げされたり、面談の日にちや時間を間違われたり、無理やり引っ越しさせられたりした。いつ住む場所が変わるか分からないし、お金がないので1日1食、着るものも満足には揃えられない。衣食住すべてが不安定。
身長163センチに対して体重は46キロ。しょっちゅう熱を出して風邪を引いて寝込んだ。住民税やら何やらの公的な分は払えるわけもなく、住む場所は離れても親の世帯からは出られなかったため生活保護も申請できなかった。
もとより親の職業が社会的地位としてそれなりのため、申請しても通らなかった可能性のほうが大きい。
33歳でグループホームを出た。通院頻度はまだまだ週1回。軽量鉄骨のアパートに部屋を借りた。とはいえ名義は親だった。帰ってこいとは言われなかった。世帯を出ろとも言われなかった。この頃後の夫となる人と出会う。
最低賃金を保証してくれる作業所に入れたが、法をかいくぐって弱者ビジネスをやっているような場所だった。生産性のない作業で補助金を吸っているような場所。何度もいじめのようなことをされて状態が悪化。貯金も体重も増えない。
35歳で障害者雇用枠のパートについた。通院頻度は週1回から抜け出せない。客からのつきまといに悩んだ。体重は少し増えたが貯金は全くできない。
37歳で「もういい、もう頑張ったよ。これからはボーナスステージってことで、もういいじゃん」と言われて結婚した。その翌年、通院頻度は2週間に1回になった。体重も50キロを超えることができた。
42歳。現在。洗濯をして、掃除をして、買い物に行って料理をするだけの毎日。子供はいない。通院頻度は月に1回になった。
時々、この20年で縁が切れてしまった友人や、私と同じような状況で未婚の人のことを考える。余計なお世話かもしれないけど。
できるだけ簡潔にまとめようとしたけど、やっぱり難しい。20代の、文字通り血みどろの毎日と、30代の福祉制度に振り回された毎日はそう簡単にまとめられない。
書いてないけど結婚するまでの間は暴力や給料未払い、20歳の時以外の自◯未遂も多々あった。必死に生きてきたというより、死なない(死ねない)だけの毎日だった。
今日、厚生遺族年金のあれこれを見て久しぶりに落ち込んでしまった。私のケースだと、週1回精神科へ通院が必要な発達障害持ちの人間が、どうやって厚生年金に入れただろうかと思ってしまう。今だって睡眠薬がないと眠れない。
遺族年金が有期給付になって、夫がいなくなったら私はまた死なないだけの毎日に戻ってしまうのだろうか。せめてその時までに安楽死制度が整っていれば良いんだけど。
今は毎日穏やかだけど、時々、特に今日みたいな日は生きててごめんなさいという気持ちになる。
ごめんなさい、生きてしまって。
こういうのもおかしいよな。知識ないと納税額減らせないのとかもだが、払うのは義務なのに受けることが可能な福祉は自分で申請しないともらえないのとかも。
納税遅れたら向こうから勝手にやってきて追徴課税あるのに、行政側は提供すべき福祉サービスとかを提供しなくても申請がないというだけで何のペナルティもないんだから。
立花の動画はみるものではなくてトラメガで撃つ道具であると解しているのであれがNHKの受信料の問題に関して論難しているものと考えている所論は浅見で失当である。
所論は、NHKの受信料は、1100円から1900円であると言い、NHKがこれを強制徴収しているから戦っていると主張するが、
また、生活保護受給者の家賃は、住宅扶助として全額福祉課から支払われており、その話になると訳の分からないことを言って逃げる。そうすると、NHK党というのは、ひっきょう、
くだらないことで遊んでいるだけであって、何らまっとうな政治活動をしていないと解するのが相当である。これと認定を異にする原判断は事実認定を誤ったものであって、事実認定を
誤っている以上、それに対する規範を当てはめた結果としての結論主文も破棄を免れない。よって原判決を破棄することとし、更に審理を尽くさせるため、本件を東京地方裁判所に
黒羽から出てからすぐに診断が出たわけじゃなくてな、4月24日に出て、 9月30日からひかり学園に通院し出した。 野田省治による正式な診断は、 平成27年2月28日
5月頃になって、 要点をまとめると次のように書いている。
満期出所してから症状は余計に悪化し、知り合いの専門家に聞いたら、アスペルガー症候群で統合失調症と指摘された。
健康管理支援員が、 令和4年7月1日ごろの話で、 東大法の成績表を受領した。 良の成績が並び、客観的に優秀な成績なのは認識できるが人間性までは分からない。
令和5年の記録 3,5月 主、河川敷での拡声器の使用があるということ。昼夜逆転しており、生活相談の■氏(内線 )
武蔵野病院でカンファレンスをする際には同席願いたいということ。
黒羽刑務所の話、 裁判の話、 最初は主に有利に運んでいたが、裁判官に暴言を吐いたせいで形勢不利になり有罪になってしまった
ということ。
令和6年1月17日 主が、 板橋区役所情報公開の鵺山氏から着電。 主が、 12点ほどの福祉課の記録の開示請求をしたということ。
だから小島良二氏がね、 令和6年3月22日までには転勤が結了して千葉県の病院に異動した、須佐の方も、自閉スペクトラム症と不眠症を認めて稼働能力はないというふうに
みているようだと。 令和5年8月22日に、晴生が、ケースワーカーかに、警察から何かないかと着信したが特にない。 精神障害者ではなくて、病院の方は、 自閉スペクトラム症だと
みているということで、精神障害者ではない、と書いている。手帳は、 8年前は2級で、6年前は1級で、最近、3級になった。 福祉の方ではとにかく治療が必要であると書いている。
板橋には2か所、福祉課があるが、終業の5時過ぎにいっても、朝の8時30分に開始するまで絶対誰もいないので、その時間帯にそこに行っても誰がみせるともしないし
何も考えられていないので、 宮脇の仕事場に、5時から朝の8時に行っても何も発生しない。 その上、 小島良二のいる赤塚福祉課の方でも同じである。
夜行っても昼行っても特段何も発生しないし、何も考えられていない、誰も狙っていないような事務所であるという感想を持つ。しいて言えば、地区担当員に、デリヘル嬢のような人が
5年前から多いような感じで、これは、飯沼ホスピタルもそうですが、受付に、デリヘルの人が多いというようにみえる。 誰もそこを狙っていないし何も起きないからそういうふうにしか
いいようがない。
我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。
私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います。
そのような気持ちを具体化するため、貴国の関係者と話し合った結果、貴国においては、貴国に設立された事業実施委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、先の大戦において困難を経験された方々に医療・福祉分野の財・サービスを提供する事業に対し、「女性のためのアジア平和国民基金」が支援を行っていくこととなりました。
日本国民の真摯な気持ちを表れである「女性のためのアジア平和国民基金」のこのような事業に対し、貴政府の御理解と御協力を頂ければ幸甚です。
我が国政府は、1995年の内閣総理大臣談話によって、我が国が過去の一時期に、貴国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたしました。現内閣においてもこの立場に変更はなく、私自身、昨年6月に貴国を訪問した際に、このような気持ちを込めて旧蘭領東インド記念碑に献花を行いました。
そして貴国との相互理解を一層増進することにより、ともに未来に向けた関係を構築していくことを目的とした「平和友好交流計画」の下で、歴史研究支援事業と交流事業を二本柱とした取り組みを進めてきております。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います。
涙拭かなくても海外在住なので普通に勝ち組…日本国力落ちぶれ安すぎて草…高笑い…こっち税金安いし福祉しっかりしてるし年金高いし…
真面目に日本のコイツらの頭ってどうなってるんだろうね?公金チューチュー大好きな奴隷メンタルって足し算とか引き算とかできないのかな
例えば駅員の補助などに対して、障害を持った人が御礼を言わないことについて、憤るポストを見た。
「自分なら礼を言うのに」「助けて貰って何も思わないのか」「傲慢」「健常者を奴隷と思っている」などなど。
まず大前提として、障害を持っている人にも持っていない人にも、傲慢な人もいれば謙虚な人もいる。
全員が傲慢でも全員が謙虚でもない。その人は傲慢だったのかもしれない。
次に、一般的に、店員さんなどにしてもらったことについて、全てのことについてお礼を言うわけではない。
でなければ、誰もがお店などであらゆる行動についてお礼を言い続けることになるだろう。
普通、お礼を言うタイミングは限られる。特別に感謝を表明したいと思う、もしくは表明するべきとされる場面だ。
さて、問題は、この「タイミング」についての認知が、障害を持つ人と持たない人で異なりうることだ。
障害を持たない人は、「障害への対応=特別な配慮=お礼を言うべき」という図式で考える。
それは例えば、自分がたまたま病気や怪我で入院したとして、短い期間のみ車椅子に乗ったとしたら、
おそらくそれはその人にとって「特別な状態」であり、お礼をいうタイミングになるだろう。
さて、一方で、障害を持っている人にとっては、それは「特別な状態」ではない。
この時受ける対応は、「特別な配慮」であるのか、それとも「通常の配慮」であるのか。
社会が多様性や障害を受け入れる、というとき、それは後者を指す。
「特別な配慮なのだから、お礼を言うべき」という時、その人は社会の「通常の状態」から障害者を排除していることになる。
言い換えれば、「障害者に特別に配慮する」は福祉社会の第一段階で、「障害者への配慮は特別なことではない」が第二段階だ。
おそらく今、日本社会は、第二段階へ移行しようとしている。だから、軋轢が起きる。
第一段階の考え方で「自分は障害者に優しい」と思っている人は、お礼を言わない障害者を見るとムッとする。
一方障害を持った人は、第一段階で生きていくのは、配慮されたとして、なお苦しいだろう。
それは、常に社会に対して負債を負いながら生きていることになるからだ。
「お前は迷惑をかけている」と思われながら生きることになるからだ。
自分は、全ての人が第二段階の考え方を持てるわけではないと思うし、強制できるものでもないと思う。