「にゆ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: にゆとは

2019-03-16

anond:20190316152608

デザインって、日本語にすると設計でしょ?設計実装担当同じ場合もあるけど、たとえ設計だけを担当していたとしてもデザイナーと名乗ってもいいんじゃないかな。IT系は言葉にゆらぎがあるので、あんまりこだわらない方がいいよ。バズワードと思ったほうがいい。

2019-03-15

役に立たない郵便局員

先日、外国人数人の口座開設のためにゆうちょ銀行に行った。

増 「外国人の方の口座を作りたいのですが。」

郵 「外国人ですか」

チラッと外国人を見て、

郵 「 あははっ 

(なんで笑うんだよ?わけわかめ。)

(こいつ、アジア人外国人と言ったら笑いやがったぜ。)

外国人って白人だけだと思ってんのか?)

腹は立ったけどここで揉めててもしょうがないので、怒鳴りそうになったのはぐっと堪えた。

3人まとめて処理を進めてくれと言ったら、1人ずつしかできないと。

ナノこのアナログのしかもシリアルの処理って???

郵 「一人2~30分掛かりますから、3人ですと2時間かそれ以上掛かります。」

増 「はぁ?

(どういう計算してんだよ?ほんとの馬鹿かよ。ったく。)

増 「この人達漢字で住所なんて書けないから、私が代筆でも可能ですか?」

増 「それともローマ字で書かせるなら、私が見本を書きますから紙とペンを貸してください。」

郵 「んー.... ローマ字で書いてもらいますね。」

と、自分でこ汚い字でローマ字サンプルを書き始めた。

(もう少し丁寧に書けねーのかよ。)

...

この後も郵便局員の指示と俺のフォローの中、外国人による書類への記入が続く。

郵 「こことことにサインをお願いします。」

増 「あっ、No、No、No、Write your name here。」

増 「この人達サインって言うと、読めないぐじゃぐじゃのサインを書かれるので、サインとは言わないでください。」

郵 「あっ、そういうことですか。」

(ったく、外国人接触したことねーのかよ。)

文句つけたいことは山ほど有ったが、ぐっと堪えて1時間ちょっとで3人分を終了。

ところがだ、会社に戻って1時間ほどしたら電話が掛かってきた。

郵 「1人分間違えたので、本人を連れてもう一度来てください。」

ばかー、この役立たずがぁー

あんなに何度も何度も確認してた作業は何だった?

マーカーまで使って確認してたよね?

しょうがいからまた役立たずの元へ。

結局、1人分は何を修正したのか分からなかったが、違う通帳を渡された。

増 「えっ、口座番号変わったの?」

郵 「はい........」

違う通帳=違う口座番号を再交付されたわけで、もしすでに口座番号を何かに登録してたらどうなってたんだ?

いつからこんなに郵便局の質が落ちたんだろう。

2019-03-14

anond:20190314214854

うそ!!!

前に「偏向アプリつかっといて」ってかいたの俺なんやけど、

実際はそんな偏向してないやろとおもうとるんや(LGBTに該当しないので使って確認はしてない)

ユーザー層とかめだつユーザー傾向があるだけだろと。

おまえもそんな200万人と出会いたいわけじゃなくて1人か2人と出会えればいいのに

にゆうとるんやこいつ、と。

 

たとえばピクシブで絵を発表して「だれもブクマしてくれない、

ランキングトップの絵は自分絵とちがう画風ばっかり」って嘆く若い絵描き中学生とかやで)

50人くらいは見たし実際100万人くらいいるんやろうけど

おまえらはなんでいきなりトップばっかりみてるんやと。

同じ画風が好きな人どうしでなかよくしろよと。

どうせセンスが合って深い付き合い(ギブアンドテイク)になれるのは1人か2人やろが・・

それ以上は「あっちから勝手にちやほやされたい」「売名欲」「あわよくば」だけやろが

 

ニコでも見たい動画トップ動画が違うなんてよくあるやろし

からって見たい動画トップにおしあげたいなんてのぞみたまたま数万人おまえとおなじセンス人間がいないと無理やろ。

ほんまにデジタルネイティブなんかこいつら?

人は人、自分は自分をかなえるためにデジタル技術があるのに

なんで迎合しようと無理してるんや?

いや迎合さえせんと「手の届かないぶどうはすっぱい差別者」よばわりしてんの?

2019-03-05

年下の男の子香りを密かに嗅ぎまくっていた話。

私には、ずっと忘れられない香りがある。

それは10年以上前アルバイトをしていた先の、後輩の男の子から漂う香水香りである

洗濯物を取り込んだときのようであり、シャワーを浴びたすぐ後のようでもある、清潔感押し売りのような香りに、10最後の私の心は銭形のとっつぁんも驚きの速さでまんまと盗まれたのだった。

一つ年下の彼は、常にニヤニヤと上がった口角に八重歯かわいいあんちくしょうで、不思議な緩さと気怠さのある大学生だった。

明るい栗色にゆるくパーマのかかったような量産された髪型は、童顔で可愛らしい印象を与える彼には一際似合っていた。

そんな彼はとにかく私の好きな香りだった。ずっとにおっていたいと仕事をしながら考えていた。

彼と普通に軽口を話せる程度に仲が良かった私は、一体何を意識してなのか「何の香水使ってるの?」の一言が言えなかった。

そもそもアルバイト先の飲食店で、香水なんてご法度なのだ

先輩である私が注意どころか「何の香水使ってるの?」とかなんとかデレデレした事できるわけがない。

いくらいい香りからと言って、あまりにも香水について誰も注意しなすぎる。

もしやこれは香水ではなく体臭なのでは…。

そんな事を考えていたときに、40代後半・ポケモンで言う所のカビゴンみたいな体型の女性店長がやって来て、彼に「いつもいい香りだよね、なに使ってるの?」と言った。

「いや注意しろ!!!!」という思いと「やっぱり体臭じゃなくて香水やったんや!!!!」という思いと「店長グッジョブ!!!!」という思いがミックスされているなんて分からいであろう無表情で、私は耳をダンボにしながら皿洗いをしていた。

独特の伸ばし棒を語尾に付ける癖のある彼は、「あ〜、友達からもらったんですよ〜、なんてやつか忘れました〜。」などと言い、へらりと笑った。

香水バレしてるのに謝りもしない!!!!」という思い20%、「覚えとけよ!!!!」という思い70%といった所だろうか。

私は震える手で水道を捻り、皿の泡を洗い流した。

残りの10%は、こんなに私が好きだと思って日々悶々としている香りが、大学生の間で簡単にやり取りされるような香りである事を知り、

どこか悔しいと感じる思いだと考えていた。

そんな思い出があるからか、私は香水探しに本気を出す時期というものが年に何度か来る。

私が感じ取ったあの香りの特徴をネット検索する。

洗濯物のような香り」「風呂上がりのような香り」…当たり前だが、膨大な数の香水がヒットする。

ひとつひとつ見ていき、ピンと来るものをとにかく探しまくる。

ピンと来たものは買ってみる。使ってみる。香りの変化を確かめてみる。

10年以上探してきた。

おかげさまでメンズ香水しか目が行かない癖が付き、「清潔感」「リネン」「サボン」などのそれらしいワードに敏感になった。

私が求める香りは今でも見つかっていない。

大学生になったばかりの男の子が、使わなくなった香水を友人からもらうような代物だ。

恐らく雑貨屋にある、簡単に手に入るような有名な香水なのだろう。

私がこんなに探しているのに。

何となく認めたくない気持ちがある私は検索ワードに引っかかった中からマイナー香水ばかりを買っていた。

もちろんどれも違っていた。ばかじゃないの。

ここまで書いておいてなんだが、彼には一切恋愛感情は無く、良い芸術作品のような目線で見ていた。

それでも、今もまだあの子香りを求めている。

から香るあの香りは、彼に会わない限り絶対見つからないと薄々感じていながらも、私の香水探しは続く。

減量と増量

体重が減るときは100g単位、なのに増えるときは500g単位というのは、なにゆえなのか。

2019-02-26

「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」は何が面白いのか?と悩んだ話

 さて、私事ではあるが、私はひょんな事から知人の紹介を以て物書きとして仕事をすることになってしまった。

同人小説の一つも書いたことはなく、詩を紡いだこともないズブの素人が物書きとなってしまったのだから、これは一大事である

世の中に生々しい悪臭を漂わせるクソのような文章を生み出すに違いない。同業の諸先輩方には申し訳のしようもないが、生きていくためには書いてみるしかないようだから、一つ堪忍していただきたい。

具体的に何を書いているのかという話だが、主にソシャゲシナリオフレーバーテキスト仕事をしている。

シナリオ新規追加キャラクターに付帯する「ガチャを回したくなるようなストーリー」であり、フレーバーテキストとはアイテムキャラ説明文といった類のものである

自他ともに認めるズブの素人であるから面白いストーリーも売れるキャラクターも分からずに右往左往している私の論は大変滑稽であると思うが、思考を整理しながら意見を頂きつつ、私のような後進があった時の手がかりになればという考えでタイピングしているのでご容赦願いたい。

物申したい訳ではなくて、自らの認識と世の中の齟齬を確かめつつ、様々な意見に触れられれば良いと考えた訳である

■私が考えた「物語」の面白さとはなにか?

 物書きとしてスーリーを生み出す以上、面白いと思われる作品を作らねばならない。

しかし、困ったことに今までの人生面白いものを作ろうとして作ったことはない。作りたいから作った絵や模型は少々あれど、人にウケる事を目的とした作品を作ったことは全く無い。これでは何を良しとすれば宜しいのかが分からない。

初っ端から大きな壁にぶち当たり、困り果ててしまった私は「ここはひとつ自分が好む『面白さ』を分析し、自分と同じ感性人間ウケる物を作ることから始めよう」と考えた訳である

そのために、まずは自分が好きな作品リストアップしてみようと思い立った。

そうして思いつくままに好きな作品リストアップしてみた訳だが、どうやら具体的なことは何も分かりそうにない。 困った困った。

(例として『攻殻機動隊』『エヴァンゲリオン』『松本零士戦場まんがシリーズ』『姉なるもの』『装甲悪鬼村正』『DARKER THAN BLACK』『Fate/stay night』『イヴの時間』『カウボーイビバップ』『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『殻ノ少女』『ARIA』などが浮かんだ)

パッと見で抱く第一感は、大抵の作品には何処か仄暗さがある事、ハーレム物ではない事(Fateハーレムに近いが)が共通であるという事ぐらいだろうか。

一見明るく見えるARIAだって地球の海はすでに人の泳げない環境になっており、テラフォーミングされた火星の海で人が営む話だし、その他の作品主人公格のキャラが暗い過去を背負っていたり、あるいは直面している状況が暗かったりする。)

あとは私が「根暗で面倒くさいタイプオタク」のような何かであることぐらいは分かるのかも知れない。

本筋に戻るが、素人なりにこれらの作品を嗜好する人間が好む『面白さ』とは「その世界キャラクターを通して知ること」ではないかと私は考えた。

例えば草薙素子メスゴリラではなくか弱い少女であっても、碇シンジが熱血爽やか少年であっても、私は攻殻機動隊エヴァが好きだっただろう。

なぜなら彼らがどのような性格や外見であっても、あるいは登場せずとも、世界設定が同じならだいたい同じように世界は動くだろう。

極論を言えば草薙素子がか弱い乙女であり公安9課に勤めていなくとも人は義体化し続けてゆくし、あるいは碇シンジが初号機に乗れと言われた時点で超ノリノリであっても、最初に戦う第三使徒サキエルにはコテンパンにされ、進化し続ける使徒を食い止めきれずにサードインパクトを迎えるだろう。

キャラ性格や外見がウケなくとも物語は進行し、あるいは登場せずともその役目は別の人物担当して物語は収まるべきところに収まる。なぜならその世界はそういうニーズを抱えて生まれからだ。

しかしそれではつまらいから、面白く見える視点を借り受けることで、物語は娯楽作品として成り立たせることが可能になる。

結論として、私は「キャラクターとは世界観に内包される1つの要素であって、世界の覗き穴でしかない」という考えに至った。

しかしこれを知人に語ったところ、「世界キャラクター内包されている」という返答を得て混乱することになり、こじらせ続けた結果としてこの日記を書くに至ったのである

■「キャラクター内包される世界」に触れて

 まず私は混乱を与えた知人に「なぜ世界キャラクター内包されるのか?」と問いかけてみた。

すると彼は「大塚英志を読みなさい」と言うので、彼が勧める「物語消費論改」に目を通し、今の私にうってつけの本のように思えた「キャラクター小説の書き方」も読んでみた。

大塚英志の書く文章客観的エビデンスを示す事よりも、一つの前提を提示した上で理論を展開する事に重きを置いているように思え、彼の取る左翼的立場(いわゆる大多数の革新派とは別物との自覚があるのか、自身は『サヨク』と表記するが)が突如乱入して辟易する事もあり、中々体力の必要な内容であったが、ひとまず読み切った。

彼の書き込んだ政治的ノイズと、理論展開をしたかっただけの文章フィルターに掛けながら読んでいくと、どうやら物語というのはキャラクターがいないと生まれないものらしい。

キャラクターが初めに存在し、ストーリーを作る中で世界が見えてくるのだという。

なるほど、確かに何かしらのネタがなければ物語は書けないし、世界描写することができないように思える。

しかし、どうも私には納得がいかなかった。

例えば年齢や性別を設定されたA子さんというキャラクターけがそこにいて、世界観がなかった場合はどうだろうか。

この場合、A子さんに生まれるのは虚無の中に放り出されたと言う事実だけである

もし、その「『何もない世界』を受けてA子さんが得た情動こそが物語である」というのならば、それは虚無と言う世界観がないと成り立たないのではないか

逆に、例えば「中世風の世界」があったとしよう。登場するキャラクターの設定は何もない。

中世風の世界といえば、人の頭の中には剣戟や鎧がたてる金属音や、あるいはそこで生活する人々が桶を片手に井戸に水を汲みに行く姿などを思い浮かべるだろう。

そして、多くの人は中世と言われただけで頭の中にヨーロッパ景色か、日本中世を思い浮かべたのではないか

あたり前のことだが世界観には内包する事物があり、事物には経緯がつきまとうものである

世界観を定めたことで、これらの自然な在り方の幅が定まり人物も含めて存在する範囲が決定される。

たとえ時間が静止していても、大木には新芽から育った歴史があり、水すらも水素2つと酸素が結合したという経緯が発生する。

私はこれらの変化こそが物語なのではないかと考えているのである

即ち、その世界で起こった変化を拾い上げた時に、初めて事物キャラクター化すると考えているが故に、私はキャラクター世界内包されるという考えが捨てきれない。

そして、物語の本筋というのは、それらの小さな変化全ての集合体であり、世界観そのものストーリーであると考えてしまっているのだ。

うーん…困った…。なんでキャラクター世界内包されるのだろうか。

A子さんの主観から書いた物こそが物語であり、A子さんの認知した物こそが世界である定義するのだろうか?わからん

うーんこまった。うんこまった。

なぜ困っているのかは次項で触れよう。

ガチャを回させるために、物語を捻り出すソーシャルゲーム性質に触れて

 さて、ようやく本記事タイトルに近づく事が叶う。

上記の様に「世界キャラ内包されている」と考えている私が、物書きとして初めて書くことになった物語ソーシャルゲームに追加される新キャライベントストーリーだった。

この仕事キモは、有料のクジ引きでプレイヤーが獲得できる新キャラプレイヤーに対して強烈に売り込むことである

具体的には運営会社が考えるキャラクターの「良さ」を引き立てるためのお話を一本仕上げるのだ。

ここで私は早くも躓いた。

何故ならソーシャルゲームにはベースとなる世界観があり、主要キャラはすでに出揃っており、本筋の進行に何ら問題のない所に、いきなり「強烈な売り込み」を必要とするキャラが登場してしまうからである

本筋の話に必要のないキャラクターを、いかにも重大で必要な魅力を持っているかのように持て囃し、そのために何かしらの話を世界観という大地から発掘して、プレイヤーの周りに再配置する作業となる。

そして、運営としては本筋に明確な終わりを与えてしまうとプレイヤーが離れてしまうから、本筋だけを避けて大地を穴ぼこだらけにしながら不要物ばかりが増え続けていき、やがてはプレイヤーの周りに綺麗にそびえ立つ「本当はどうでもいいキャラ」の山が本筋を隠してしまう。

これは、私の「世界内包されたキャラクター」の考え方だと避けて通ることは叶わない結果のように思える。

しかし、「キャラクター内包された世界」という考え方であれば、大地の形は定まっていないので、きっとプレイヤーの周りに何処からともなく取り出した土を積んでゆく作業となるだろうから、なるほど確かにそちらの方がソーシャルゲームに向いている。

ただし「どこからその土(物語)を持ってきたんだよ」という疑問とともに、「別にその土がなくてもこの世界存在しているし、その山は不要じゃない?」という感想を得る私のような面倒な者も少々発生するだろう。

「要・不要しか語れない虚しい奴め」と言われればそれまでだが、こちらとしてはいきなりステーキか、或いはさわやかハンバーグでも良いが、兎も角ステーキハウスで3000円のステーキを注文したら、鉄板の上にステーキを覆い隠さんほどのミックスベジタブルを乗せられた心持ちなのである

いきなりステーキ店員としても、ステーキが主役なのに上役の指示でステーキを切り捨ててでもミックスベジタブルを山程ぶち撒けろと言われて途方に暮れててしまうだろう。ステーキの前でアホ面を晒しミックスベジタブルを握りしめている店員こそが私なのである

私は本筋を覆い隠さんほどのサブキャラを並べるという在り方は、本筋へたどり着かせない為だけの行為しか思えず、ベースとなる世界観にガチャの新キャラを紐づけていく意義を上手く見いだせなかったのだ。

前項で困っていたのはこの点であって、物語キャラクター内包されているのであれば私の考えが間違っているだけなのだが、どうやら一応理屈は通っているように思えてしまっている。

この矛盾放置するべきではないだろうが、結論は見えない。

え?意義はお金を稼ぐ事だし、キャラ理由なく存在していてもいいじゃないかって?

まあその通りなんだけどさ…青臭くってウブな駆け出しとしては、ちゃん物語を進めたいわけよ…

え?面白ければ本筋がどーこーはどうでもいい?

それも最もな話よ…だけど、面白いって何さ?

■「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」は何が面白いのか?

 ようやっとこの4項目にして表題に触れられた。

展望も何もなく書いてきたので、まずはここに着地できた事で一安心である

「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」に塗れた作品であっても、成功しているコンテンツというのは存在する。

何を隠そう大部分のソシャゲは「本筋が遅々として進まず(或いはほとんど存在せず)、本筋に絡まない=世界の動きに絡まないサブキャラクターに塗れている」にも関わらず、利潤を得やすガチャ商法確立し、商業的に成功していると言えるだろう。

何故、このソシャゲガチャ商法成功しているのか。

単純に言えば「面白いからである

しかし、これは「プレイヤーが楽をして手に入れられる娯楽としては」という但書が付属するのではなかろうか。

例えば、人が10時間自由と完全に健康な体を手に入れたとして、目の前に据え置きのゲーム機スマホが置いてあり、何れかの"ゲーム機"で好きなゲームをして10時間消費できるとしたらどちらを選ぶだろうか?

多くの人は据え置きゲーム機を選ぶと思う。

ソーシャルゲーム10時間プレイするということは、多くの場合右手の親指で、画面の右下を5秒毎にタップする10時間を過ごすことになるだろう。

ソシャゲファンタジーゲームよりもドラクエXIスマホ荒野行動よりもPS4のPUBGのほうが良いユーザー体験を得られることは当然である

バトロワゲーにおける「物語」とはプレイヤープレイのものであると私は考えている。つまり、より派手に快適に臨場感を得られるPUBGのほうが物語を鮮明に作り出すことができると思っている。まあ、異論どころか非難轟々かも知れないが、本題とは離れてしまうので一旦放置してほしい。)

しか現実には日本ゲーム市場ソシャゲが大きな地位を不動のものとしている。

これは、プレイヤー自身体験考察・のめり込む事なく「楽に手に入れられる娯楽」を欲しているからだろうと思う。

まり「さっと注文して、さっと食べ終えられるファストフード」のニーズが高まっているのだと考える。

ここで本題に戻るが、端的に言ってファストフード的娯楽に、「大きな物語の展開を推察し、その行く末を記憶して楽しみにする」という『面白さ』は重すぎる。

世界観や、大きな物語の動きを受け取ることができるプレイヤーに対して、ファストフード的娯楽を求めているプレイヤーが圧倒的に多い。

故に本筋を覆い隠してでもサブキャラを増やしまくり、ゲームの本筋とは関係のないキャラ推しの話を通勤電車の中で10分で摂取させ、その体験を通してガチャを回させて達成感を与える訳である

本筋というハイカロリーでの御馳走を消化するには、健康な消化管と食後にゆるりと過ごすことができる時間が不可欠だが、これは時間タスク処理に追われる現代人にはちょっと厳しい要求だ。

故に、消化が楽で手早く終わるローカロリー立ち食い蕎麦である、本筋に干渉しないキャラシナリオをちょいと摘むぐらいがちょうど良いという世情があり、まぁ立ち食い蕎麦も許せないほどマズイ訳ではないから多くの人が食べるのだ。

そしてこの2つを比べた時、多くの人は無意識のうちに御馳走と立ち食い蕎麦を「比べるべきではない両者」と判断して、或いは意識的に御馳走を我慢して立ち食い蕎麦を選んでいると言う構図なのだろう。

どちらを食べてもひとまず空腹は収まり、なんとなくか明確かの違いはあれど「美味しかった」という感想が残るから、死に物狂いで御馳走を求める酔狂グルメ以外は、立ち食い蕎麦でも満足感は得られるのである

まりベストである必要が無いと言うのが、物語の器たる創作物に求められているのではないか

立ち食い蕎麦ステーキも美味しいっちゅーことよ。

●疲れてきた。

 結局のところ私はここまで考えた所で面倒くさくなってしまった。

本当は物語の捉え方を考えていたはずなのに、到着したのは「求められる面白さ」になり、挙句の果てにはステーキ立ち食い蕎麦だ。救いようがない。

さて、脱線し続けた挙げ句、私はこの記事命題である「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」という問いには、一旦以下の答えを与えることにしようと思う。

Q.「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」

A.「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは一番面白い訳ではないが、なんとなく面白い位にはなる」

まり結論として、「本筋の展開する面白さ」は今の創作物には重すぎる。

キャラを立たせてキャラを売った方が、消費者に優しいし、会社としても嬉しいのだ。

ベストではなくベターいから、世界干渉できないキャラクターでも十分であり、安心できる経営につながるということだけは確かなようだ。

私は物書きの入り口に立った以上、そこをうまいことやっていく必要があるらしい。

さて、私の眼前にそびえ立った、ステーキの上にぶち撒けるべきミックスベジタブルはどうしてやろうか。

ミックスベジタブルを手早く、それなりに美味しく仕上げる方法をご存知の方、或いはこのステーキミックスベジタブルが載っている鉄板料理の良い拵え方をご存知の方がいれば、教えていただければ幸いです。

或いは「お前の料理してるそれ、ステーキじゃねえから!」という声も。

2019-02-25

anond:20190225102955

富士宮にゆかりのある創価学会にお願いしてみてはどう?お金あるぞ。

anond:20190225033419

相手は基本好き勝手選民手綱を握らなければ(色んなものが)爆発するような国民性なのに、「隣人」より近い仲になる必要性が出てきたとしても、正直どうやってもうまくやれる気がしない。

だいたい、今の日本のようにゆるい統治でもダメなのに、中国のようにギリギリ監視に近い統治を(ついでに略奪に搾取も)やられて、尻尾を振れるものかね。

あ、振れないのは淘汰されるから世代交代したら何とかなるって話?土下座外交よりひどいな。

2019-02-24

イライラ

ぐぐる危険っていうペーパーバック、よくコンビニにあるやつ

あれにゆゆりエンディングがついてた

あれでちなっちゃんの絵柄のエンディングになったときのことがのってて、

「なぜかこの回だけホラータッチになってたことに原作ファンは怒り心頭だったとか」

とか書かれててイライラ

いやこんなクソネタ本にマジになってもしょうがないとはわかっちゃいるけど

ちなっちゃんの絵柄をわざわざ再現したってことなんて原作ファンが一番よくわかってるはずなのにまじで適当コクなボケ

2019-02-22

anond:20190222223817

若くないおばさんもよくぶつかってこない?

見てると横にゆさゆっさ揺れながら歩く人が多いんだよね

出産骨盤に歪みが生じてちゃんと歩けなくなるんだろうか

クソブスは直ちに俺の目の前から消えて下さい

俺もクソブスだから気持ちはわかる

俺も昔はゆとりが無かった

ブスであるが故にゆとりが無いのだ

でも自分客観視してみた時、

ブスだからゆとりが無いというのは哀れだ

どっしり構えていればいい

それを理解せず、いまだにゆとりの無いブス

頼むから気付いて

2019-02-21

またエンジニア給与の高い同業他社転職していった

うちの会社エンジニア職以外の人間にとっては人間関係がよくて適度にゆるくて時間の融通が利いて

給与の低さに目をつむることができる人間にはかなりいい職場だと思う

事実前職で激務高給の専門職を辞めて自分はここに転職してきたクチだ

前職の年収を言うととびのいて驚かれるほど現職では年収が下がった

しかし引く手あまたのエンジニア勢にとってはもっと面白そうで刺激的でしか給与が高い会社が山ほどある

もう何人も見送ってきたがよく言われるているとおり優秀な人からいなくなる

創業からいるメンバーなど愛着を持っていて残ってくれている優秀な人もいるが時間問題のような気がする

社長よ頼むから業績がめちゃくちゃいいのに大手新卒と同じような給与エンジニアを雇うのは辞めてくれ

もう全員いなくなるのも時間問題ですよ

2019-02-19

夢で逢えたらを観てる

最近youube夢で逢えたらを観ている

ヴィヴィアンウエストウッドの長袖ポロシャツに首元にゆるく巻いたスカーフ、隣の清水ミチコは強いパーマが全体にかかったショートヘアでツバの大きい帽子かぶっている。

ファッションにしても時勢にしても、あぁバブルとはこういうものであった...と思い起こさせるものがある(当時子供だったので具体的にはわかっていないが)

改めて見て驚くのは松ちゃんこと松本人志の素直さだ。

相方浜田は何も変わっていないようにすら思える。しか松本人志全然違うのだ。

ウンナンウッチャンナンチャンと呼び、誰かがボケたことにすら大真面目に「せやんなぁ」と呟いて流している。

決してキャラが変わったわけではなく、当時からちょっとマニアックな人という認識ではあったはずなんだけど、今見返すと「まっさら」という言葉が似合うイノセントぶりだ。

ついでに関連で出てきた、番組終了から1年半後、当時ニューヨークにいた野沢直子に会いに行くという段になって初めて、パスポートが失効しているからと言いつつ、あんな十何時間もかけて、どうして言葉の通じないところにいかなくてはいけないんだ、と言ったところでやっと、今の松本人志形成している頑固さの芯のようなものが見えて、そこで見るのをやめた。

ララニョロロ好きだったな

2019-02-13

40度までのお湯しか出ない暮らし

湯沸かし器の設定を変えれば最高60度まで出る。

でも面倒なので40度にしている。

こういう暮らしをしていると、お湯で火傷することが無い。

お湯の蛇口を目いっぱい開いても、温かいお湯しか出ないからね。

田舎にゆくと、お湯の蛇口から80度近いお湯がでてきてびっくりすると同時に軽く火傷する。

かいお湯が欲しかったら、お湯の蛇口冷水蛇口の両方を操作して、

適温に調節するのだそうだ。

さらに言うと、火傷しないように最初冷水蛇口を大きく開いて、

そこから徐々にお湯の蛇口を開いて適温になるまで温度を上げてゆくという。

かいお湯が欲しくなるたびに同じ作業をしなくてはならないと思うとめまいがしてくるが、

慣れてしまえば、蛇口の角度は体が覚えてしまうとのこと。

ゆとりある日本企業絶滅ゆとり世代の悲劇

日本は大多数が零細企業

零細企業にはまったく「ゆとり」がない

ゆとり教育」をうけた世代長所を生かす場は

ゆとりある企業しかない。

しかし、日本経済にもはやそのような企業は皆無

ここにゆとり世代悲劇がある?

anond:20190213110914

(1)ひどく疲労するさま、張りつめていた気が一時にゆるんで、元気がぬけるさまを表わす語。がっくり。

(2)落胆したさま、失望したさまを表わす語。がっくり。

日本国語大辞典より。2の用例は江戸時代から見つかる。

2019-02-10

コードギアス 復活のルルーシュ

※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。

10年前のR2放送物語が終盤に差し掛かり最終回というもの意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、

生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか

という期待感もあった。

早くこの物語の結末を知りたい、観たいという気持ちと、

この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。

  

最終回放送された西暦2008年9月28日

ルルーシュスザクと行った本当のゼロレクイエムナナリーフレイヤでやろうとしていたこ

この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュスザクナナリー物語を終わらせるにふさわしい、

素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品最終回よりも美しいと思った。

  

それまでの話数は放送後何度も見返したが、

R2最終回は、その後しばらく見返すことができなかった。

私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。

      

最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。

    

思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックス情報は、

アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。

    

情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに

完全新作エピソード劇場で公開すると発表がある。

    

総集編はテレビシリーズとの小さな、だが物語に大きく影響を

与える変更点を加えつつ次々と公開していく。

  

そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日平成最後の冬に

コードギアス 復活のルルーシュ」が公開された。

  

タイトルからして復活である

ルルーシュは死んだのに。

美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公

もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。

  

復活

  

実は復活と銘打ってはいるが、概念的なことだけで

肉体が蘇るわけではないよ。

ルルーシュがいない世界必死に、彼が求めた願いを実現するために

戦う残された者たちが一生懸命戦う。そんな物語だよ。

それでもよかったのではないかと考えた。

  

だがし復活したのだ、

嘘つきのルルーシュは大切な約束を守るために。

  

復活してルルーシュは、まぎれもなくルルーシュだった。

味方が、特にナナリーピンチの時には全身全霊をもって、

策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。

  

私が10年前に美しいと感じたルルーシュがそこにはいた。

あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。

それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。

  

そして、物語はこれもまたまぎれもなくコードギアスであった。

国の陰謀、計略する首謀者、そこかしこに仕掛けられた罠、

激しく火花を散らし戦闘するナイトメアフレーム

世界の理を変えてしまうほどの強大な力、ギアス

  

コードギアスという作品に込められているものすべてが

詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。

  

この作品コードギアスであることに間違いはないが、

賛否両論あるということも間違いないのである

  

  

論点は一つ、ルルーシュの復活である

  

  

コードギアスという作品ルルーシュの死をもって

完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか

実際私もそうであったからこそこの「復活」にずっと懐疑的

感情を抱いていた。

  

だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。

どんなに抗おうとしていたとしても、

観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、

劇場で金を払ってみたという事実があるのならば、

コンテンツとして、興行としては大成功だ。

それは全くもって否定できない。

10年前に完結した物語の続きなんてみたいに決まっている。

観ないわけにはいかない。

  

観終わった後、自分感想賛否両論のどちらかなのか

すぐに決めることはできなかった。

この「復活」はあまりにも消化に時間がかかると感じた。

少しでもこの胸のつかえがとれないか

「復活」に関する評価感想ネットであさっていたところ、

監督インタビュータイトルに「批判覚悟制作に踏み切った」とあった。

  

この文言に納得しかかった自分もいたが、

冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。

物語を美しく終わらせるのではなく、

死なないコンテンツとして継続し続け、興行として成功する。

素晴らしいことだが、コードギアスというコンテンツを死んだと

解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。

  

10年の歳月コンテンツ評価に対する指標も変えた。

もはや視聴率はその指標としての能力を失い、

配信ツールの普及はいわゆる円盤の売り上げを

抑制するものになった。

  

からネット感想が正しいというつもりはないが、

例えばツイッター等のより個人、とりわけ趣味嗜好を

把握しやすSNSにはおおむね好意的にこの「復活」を

とらえている人が多いように感じる。

  

また、劇場でも終幕後に涙を流し、

良かったと感想を漏らす人も多くいた。

  

これだけでもこの興行成功であったと言えるであろうし、

どんなに賛否両論意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り

今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。

  

否定というものさらなる否定を己に

向けられる覚悟がないといけない。

ルルーシュ言葉を借りるのであれば

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。

より情報を発信した個人特定されやすいこの環境では、

批判否定という行為は行いにくいだろう。

  

しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフ否定するかのような言動を行う。

  

C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない

L.L.にはその覚悟がない。

いや、人ならざる力を持ち、さらには死すらも乗り換えたもの

人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。

  

思えば10年前は視聴率を上げるために放映時に見る、

円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。

  

大量のコンテンツであふれかえる世界から

自分の「好き」を少しでも延命させるために。

  

それはコンテンツというものが、傲慢かもしれないが

我々の支援なしには生き続けることができないと、

その支援が乏しく、延命繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツ

観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか

  

私が「復活」を劇場で鑑賞した際に

最も涙腺を刺激されたのは、お調子者だが愛されキャラ

本作でも重要役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。

  

ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、

田中一成」さんは、西暦2016年に亡くなった。

  

もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は

素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。

  

私は「田中一成」さんの訃報を聞いたときしかった。

その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない

ことを理解していたかである

  

10年の歳月があれば、悲しい別れを経験する人も多いだろう。

実際私もそうだった。こんなことを書くと現実フィクション理解していないと

否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には

壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。

ルルーシュが何度もシャーリーギアスをかけようとしても、

にゆ人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。

  

からこそ私たち最終話ゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき

そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実フィクション

コードギアスの中に見出し、涙したのではなかったのだろうか。

  

もしこれらを強引に、好意的解釈するとすれば、

私は10年前の最終話ルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語

味わうことができたこと。

そして感情胃もたれしそうなほど甘い、

デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。

  

それならば、一度飲み込んでしまったものは、咀嚼して

何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。

  

私がどれほど批判否定インターネットの海に

吐き出したところで、何にもならないのだから

  

批判覚悟で」

  

私の批判という弾丸は、放ったところで制作側には届かない。

コードギアス」というコンテンツは「復活」したルルーシュ

同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。

  

私の撃つ弾丸は、もうルルーシュを殺せない。

  

2019-02-09

私は進化論を学び、いかにして神を信じるようになったか

学校進化論をはじめて学んだとき死ぬのが怖くなりませんでしたか?私は考え始めると止まらなくなました。そして今もその恐怖から逃げられずにいます

進化論によれば、我々の感覚進化メカニズムによって調整されてきたといいます。我々に痛覚があるのは痛覚がないよりも生存に有利だったからだし、セックス気持ちいいのはそうでない場合より生殖に有利だったからです。他のあらゆる感覚も、神の見えざる手によって、利己的な遺伝子に都合がよい塩梅に調整されています

ですが命が消えていくその瞬間の感覚どうでしょう?死にゆ個体がなにを感じていようと遺伝子戦略には興味のない話。関係式は成り立たず、解は不定です。つまり、死は人間にとってとんでもない苦痛を伴うものである可能性がある。

私たち安心させる話として、死の淵から帰還した人たちが語る臨死体験があります。死に際に脳はありったけの脳内麻薬放出するから、人はみな幸福に包まれて死んでいく、恐れる必要はないのだと。

けれど、私の友人であった薬物常習者が語ったところによると、強烈なドラッグほどその切れ際にくる反動はキツいものなのだそうです。涅槃に登るほどの多幸感からジェットコースターの苦しみ。それはいかほどのものだったでしょう。

脳内麻薬効果が切れ、人の魂が肉体から離れようとするその瞬間、肉を少しずつ剥がれるような肉体の苦痛と、家族をいちどに失うような精神苦痛を、永遠のものとして感じ続けるとしたら。有史以来、この世に生まれ落ちた生命がみな、煉獄の火に焼かれ続けて死んでいったのだとしたら。その全ての苦しみを背負える魔法少女など存在しないのです。

きっと運動野菜瞑想けが私を救うのでしょう。でもそれはただの気分で

誰か私を安心させてくれませんか。

結局、学歴がいい奴は仕事ができる

まず言っとくと、自分高卒

自分場合、学が無くても何とかやってこれたので、採用する側に立っても「学歴なんて関係ない」と思っていたが、過去採用を振り返ると、学歴が良い奴は仕事もできる傾向にあった。

中には学歴があっても仕事ができない奴も居るが、逆はずっと少ない。つまり学校が悪くても仕事ができる奴っていうのは、本当に少ない。皆無と言ってもいい。

仕事の出来不出来や成長度合いを決める最も大きい要素は、「努力する才能」だと思う。後は、精神と肉体のタフさ。

学歴っていうのは、そいつが少なくとも一時は努力したことを示しているし、勉強のし過ぎで精神や体を壊さなかったことを示している。

もちろん、ブラック労働なんてのはもってのほかで、精神にも肉体にもゆとりをもって仕事をするべきだと思っているが、良い学校に行っていた連中は「精神と肉体にゆとりを持ちながらフルマラソン完走する」みたいなタフさを持っていたりする。

逆に、そうじゃない連中は、ちょっとした負荷に耐えられずメンがヘラる。これは、各々が持って生まれ特性なので、弱いからって責められる言われは一つもないが、社会に出て大きな仕事を成し遂げることは難しい。

その辺のところを仕分けるのに学歴っていうのは良くできていて、粒を揃えるフィルターとしてうまく機能している。

うまく機能しているからこそ、ほとんどの企業がその機能に乗っかって採用を行っているんだと強く感じる。

受験制度改革して学校の在り方を変革させるのは構わないが、学歴社会学歴社会でうまくいっている部分もあるので、これを否定するのではなく、この便利な仕組みの上にもっと有意義機能を乗せていって欲しい。

具体的には、学生学部やその先で学んだことを企業が活かしていけるような仕組みになったら良いと思う。

これは、ぶっちゃけ企業が悪い。

専門分野を持った学生入社してきて大きな顔をされたくないというコス根性から学生に「無色」であることを求めた結果だ。

学校側もそれに忖度して、無色な学生を出荷しようと教育カリキュラムを練り直す。これを戦後70年間も繰り返してしまった。

今となっては、お互いがお互いを縛りあう呪いに化けてしまった。

今更これを変えるのは中々に骨の折れる仕事だとは思うが、何とか頑張って欲しい。

記録

昼で仕事を終わらせて、新幹線で出かけた。

前日に乗ったという電車のシートについて話をした。自分には当たり前のことだったけど、初めて見たらしい。

走り出した新幹線はやたら静かで、これが最初最後だと思うと涙が止まらなくなった。

寝たふりをしてごまかした。

昼食は適当にググって、地元で有名らしい回転寿司屋に行った。

のどぐろの炙りを半分食べた。

太刀魚の炙りも食べた。

ホタテと、甘エビ、うに、貝汁。緊張してたのか、好物の茶碗蒸しを食べ損ねた。

やっぱりエンガワだよね。シマアジは野生の味がすると言っていた。

強風に煽られつつ、観光名所に向かった。

石造りの橋を、あっちの橋の方がかっこいいと。

工事していて、大事なところが見れなかったけど、突発旅っぽくて、それも良かった。

海外からツアー客に紛れ込んでみようとしたけど、言葉がわからないし早々に追い抜いた。

意外と立派な神社に辿り着いた。意外だった。

外観を見て、かっこいいなと写真を撮った。

カメラを出そうとしたら鳩が寄ってきた。怖い。

駅まで歩いて、今度は在来線で次の観光名所へ向かった。

電車を待つ間、コーヒー屋に入った。

コーヒーは辞めたと告げた。

次の目的地は案外近かった。

ここもまた、工事をしていた。そういう時期かな。

一通り歩いて、くだらない話をした。いつぶりだったかな。

しょうもない掛け合いが心地よくて、懐かしかった。

展望台に登った。まだ明るくて、なんとなく景色を眺めて、一度出た。

街をふらふら歩いた。寂れていて、どこか違う世界に吸い込まれそうな空気が漂っていた。

それでも嫌な気持ちは全くしなくて、居心地が良かった。誰の視線も気にしなくていいから。

通りをずっと歩いて、もともとの目的地に向かった。

予想の斜め上だった。素通りするレベルで、思っていたものと違った。

馬鹿みたいに笑って、ネタにしようと決めた。

日没が近づいてきたから、再び展望台に登った。

意外と日が長くて、じっと沈む夕日を眺めていた。沈まなくていいよと思って見ていた。

大事な話は何もしないで、ただただ見える景色をなぞっていた。

完全に日が暮れて、夕食を食べに行った。

移動の車中、反対側の車窓を眺めていた。終わりが近づいていた。

3軒くらい断られたが、最終的に人気らしい焼肉屋に入れた。

そういえば最後食事焼肉だった気がする。

好物のウニを乗せた肉寿司、たんステーキユッケサラダが思っていた以上に大きくて、笑った。

肉寿司写真を撮ろうとしたら指を差し出してきた。大きさを比較たかったようだ。

薬味が乗ったロースをうまく網に乗せられなくて、笑った。

色んな話をした。こんなにゆっくり外で食事をしたのは何年振りか思い出せなかった。

食事を終えて新幹線に乗った。旅が終わる。

自動改札を通らず、窓口に寄った。切符が欲しかった。

帰り着いてもう少しだけ時間が欲しいと頼んだ。

止めていた車で話をした。本音を全て伝えた。

好きだった、好きだった。どうしても叶わないけど好きだった。

好きになってすぐの頃、お願いした事を最後に頼もうと思っていた。

頼む前にやられた。

あの頃と同じ関係にも同じ気持ちももう戻る事はできないけれど、それでもずっと好きだ。

何度ありがとうと伝えても伝えきれないくらい、沢山の違う世界を見せてくれた。お互いに支えて、救って、励まして。それでもきっとそれぞれ一部の顔しか知らないまま。

あの日助けてくれたのと同じもの最後に渡した。君に届け

今日という日を少しでも忘れたくなくて、でもすぐに見えるところに置いてはいけないから、ここに残します。忘れたくない。

生きている間にもう一度だけ会えますように。

2019-02-08

anond:20190207231533

ひとえに「紙の方が読みやすい」からではないかと…。特に旅行ガイドブックなど、現地で紙でぱらぱらめくった方が目的のページにたどり着きやすくないかな?

あと、複数ページを一緒に見たいときや、たくさんの資料を同時に斜め読みしたいときなども紙の方が有利だと思う。ページ順にゆっくり読めるとき電子書籍で良いんだけど、そういう読み方がてきるものって限られてると思う。

オフィスいくらペーパーレス化を進めようとしても、結局紙に打ち出した方が読みやすいといってプリントアウトされてしまうのと同じ理由ではないだろうか?

2019-02-06

なぜVtuberオリキャラなりきり動画投稿者流行ったのか昨日まで分からなかった

まず断っておくと、自分はめちゃくちゃVtuberという存在が嫌いだ。

中身おじさんなのを知りながら男が(同性愛としてではなく)ガチ恋だとかエロいだとかと言っているのを見ると身の毛もよだつ思いだったし、いわゆる普通の生身のYoutuber小馬鹿にしてたくらいの層の人間が、Vtuberのことは嬉々として喋るようになったのを嫌と言うほど見てもやっとした気分になっていた。

いくつか有名どころの動画を見たことあるけど、結局普通Youtuberと内容に大きく差があるわけでなし、むしろ内輪感みたいなのがより強いように感じて、中身がないだの信者気持ち悪いだの生身のYoutuberに浴びせられていた批判は、こっちにも浴びせられてしかるべきなんじゃないかとずっと感じていた。言葉を選ばなければ、結局こいつら絵が付いてないとブヒれなくて、自分ブヒれないのに世間話題になるコンテンツは無条件で叩くってだけだったんだな―と思ってた。

けど、今はすっかり下火とはいえVtuberアンチ自分から見ても相当流行りに流行った。評判がよろしくないらしいけどアニメが今やって(もうやってない?まだやってる?)たり、NHKニュースにまで出るようになっているらしい。テレビで取り上げられたのは近未来感があって面白い試みだから…とかいろいろ理由があるにせよ、オタク趣味持ってる人間Vtuberのこと全く知らないというのは、深夜アニメを一切見ない人種と同じくらい少数派になっているように感じた。

自分萌え系のコンテンツ積極的にハマりに行くタイプではなかったが、オタク趣味全般はある程度知識の「守備範囲」に入っているというつもりで、自分気持ちと一致するかは別としてmその辺のジャンルの何が受けているのか、ファンはどういう気持ちでそれを見ているのかをある程度理解できるつもりだった。

からこそ、ここまで自分にとって受け入れられない、楽しんでるヤツの神経がわからないコンテンツ自分守備範囲から世の中に肯定的に取り上げられていくというのは個人的に初めての経験で、ハンドル含め名前の出るところでは「詳しくないけど面白そうと思っている」くらいのスタンスを演じつつ、匿名掲示板死ぬほどくさしたりしていた。(増田には書いてなかった)

ただけっこう過激派アンチだと思う自分でも、Vtuberのみんながみんなを毛嫌いしているわけではなく、どうやら自分の中に「これはまあ許せる」という基準があるようだった。一言でいえば、「自分知識技能を発信するときに、生身とか解説動画でやるより多くの人に見てもらえそうだから」という感じでVtuber活動をしている人たちには、あまり嫌悪感がないのだ。○○〇〇学という素人にはちょっと気乗りしたい分野の知識シリーズ動画で話しているVtuberを知っているが、この人は中身はおそらくおじさん(たぶん学者さん?)で、お嬢様風の萌え萌え女の子アバターを使って活動しているのだけれど、これは自分勝手基準の中で「許せる」。

逆に中身とアバター性別属性が一致している(若い女の子が中身の人とか、アバター別にイケメンでもない男だったりとか)としても、自分は大半に対してさぶいぼが出るほどの嫌悪感を抱く。女体化だのおじさんがかわいい女の子の振りをすることだのに抵抗があるわけではないということだ。じゃあ自分Vtuberの何が嫌いなのかというのをこっから吐き出すとともに、「でも、お前らだってそうだったはずじゃん!」と駄々をこねたいというのがこの投稿の主な目的だ。

一言でいうと、つまり自分は、「キャラなりきり」というものものすごく気持ち悪く感じるのだ。

基本的Vtuber自作キャラになりきって、そのキャラを演じて動画を作るから、ここが嫌いではそりゃ大半はどうしようもない。そもそも自分には絶望的に合わないコンテンツだったのだ、と自己分析としてはすんなり納得がいっているのだが、その中でも「許せる/許せない」が出るのはどういうわけか。

これは、「許せる」側の投稿者は、キャラなりきりをあくま情報発信のための都合がいい手段としてとらえている(ように自分には見える)ということが要因なのだと思う。町おこしのためにゆキャラが考えられ、中の人着ぐるみになりきって活動していたとしても全く嫌悪感はないわけで、Vtuberの中でもそちら側のタイプっぽい人は全然許せる、という心情をどうも自分は持っているらしい。

反対に許せないタイプVtuberは、どこからどう見てもキャラになりきることが目的の人たちだ。別に誰にも迷惑をかけていないのだから自分が許さな道理はないのだが、どんなに友人におすすめされても、こういう人たちは全く好きになれる気がしなかった。なまじ設定が凝っていたりすると余計ダメで、その設定を持ち出して動画の中で一笑い起こそうとしているのを見たりすると、もう半日くらいおなかを壊すくらいにどうしても受け入れられなかった。

この「なりきり」への嫌悪自分の中で醸成された過程は正直定かではない。ぶっちゃけ自分が人並外れてこのジャンルへの嫌悪感が強いとは全く考えていなかった。嫌悪感に今まで気づかなかったという意味ではなくて、みんなこれぐらい嫌っている(忌避している)ものだとばかり思っていたのだ。

SNSだのが登場する以前、ネット上のコミュニケーションBBSやらチャットだった頃、普通自分ハンドル雑談するコミュニティのすぐそばに、「なりきりチャット」やら「夢BBS」やらがあるのは目にした覚えがある。なんなら覗いてみたこともあるかもしれない。でも、そこでやっていることが楽しそうだとはどうにも思えなかった。多分、初めてその存在認識した時から、なんとなくそういう趣味普通雑談よりもキモチワルイものだと感じていたのだと思う。

SNSが、とりわけミニブログ系のやつが登場して以降、「キャラクターなりきり垢」みたいなものもたまに目にした覚えがある。テニスの上手い〇部とか不〇とかになりきって会話してるやつ。ああいうのも存在は知っていたが、やっぱり気持ち悪いやつらがやっていることだと認識していた。ジャニーズの夢メール画像だとかと同じジャンルのものとして。テーマに沿った、あるいは沿っていない雑談をする中でも、かなりヤバい奴が集まっているテーマというか、あまり直視したくない「ネットの闇」の方のコンテンツだと思っていた。

ましてや、オリキャラのそれなんて、もっと見たくないものというか、あけっぴろげに言えば思いっきり見下していたジャンルだった。

そもそも素人オリキャラ作ってそれをみんなに見せて…という行動自体メアリースーだの、オリジナルSSだので割と見下されることの多い趣味だったように思う。その上、それ自体も怖いコンテンツであるキャラなりきり。このような趣味は、もうネット恥部恥部の重なりの部分、見下す云々以前にどんな奴がやってるんだかむしろ怖いもの見たさで知りたいくらいの闇ではなかったか

そして正直なところ、自分のここまでの認識がそこまで一般ライトオタクとずれていたというつもりはない。Vtuber流行以前なら、キャラなりきりに対するスタンスを聞いてみれば、結構な人が(程度の差はあれ)同じような答えだったのではないかと思う。

ぶっちゃけオリキャラ作って他人に見せて…のほうは、「その中でも認められて素人でなくなった人はいる」という所を指摘されるとどうにも反論できない。が、そういう風に羽ばたいていった人たちに備わっていた力量みたいなものが今流行っているVtuberにあるとは思えない。そもそもそういう人たちの創作内輪ネタみたいなものと無縁な気がする。反論しきれていないというのは重々承知だが、「なりきりではあるがオリキャラからVtuber流行れた」ということにはならないのではないかと思う。

というかぶっちゃけ、「オリキャラなりきり動画投稿者」と呼んだ時、ほとんどの人は何かおぞましい、自分が上で言っているようなネットの闇っぽいもの連想しないだろうか?以前似たようなアンケート匿名の場でとったことがあるが、大体のオタクはこれをVtuberのことだとは思わずゆっくり茶番劇をやるようなのだとか、一人で必死に声色を使い分けてヴォイスドラマを録ってるようなヤバいの(そんなのがあるらしい)だとかを連想していた。

でもVtuberって要するに「オリキャラなりきり動画投稿者」だよね?これ以上の要素も特に含まず、過剰に誇張している部分も特にないと思う。意味を端的に表そうとすれば相違なくこうなるのではないだろうか。

からこそ、自分にはなぜこのおぞましいジャンル流行し、多くのオタクに受け入れられたのかが分からない。たとえ最盛期のVtuberファンの半分が「みんなが見てるから」でファンになったのだとしても、もう半分はこのネットの闇を好意的に捉えたということになる。一体それはどうしてなのだろうか。

Vtuber好きが集まるところでこんなことを言えば荒らし扱いで無視されるだろうし、同じアンチ同士で話しても「最初工作でそれに流された奴がファンになった」だの「あいつらはシコれればなんでもいいだけだから」だのいまいちピリッとした答えをもらえないでいる。

多分自分認識のどこかにずれがあるからこうなったのだと思う。それがどこなのか、誰かに教えてほしいのだ。

追伸

反応を見て、だいたい「Vtuberオリキャラなりきり的なコンテンツではなくて、単に中身本人の人格のままアバターを被せただけのものである」や、「TRPGやPBWのように、素人オリキャラなりきり自体言うほど忌避されるものではない」というあたりが自分勘違いだったのかなと感じている。

前者の方はかなり納得していて、要するに自分の「許せる」基準に合わせて言えば、Youtuberとして自分自身を発信していきたい人間が、生身の自分よりも多くの人に親しみを持ってもらいやすいと考えてアバターを使ったということなのだろうと思った。アンチの中にはこういう捉え方をした上で「○○とか○○は単なるYoutuberワナビーが売れるためにアバター被ってるだけじゃん」みたいな嫌い方をする人もいるかもしれないが、自分自身としてはそうであってもいいんじゃないかと感じるし、ファンになれるかは別として、こういう方針活動をしている人なら別にサブイボが出るほど嫌いにはならないと感じている。

後者の方は確かにオリキャラなりきり系コンテンツの中でもまあまあ高尚(というか多少カッコが付くくらいの意味)な趣味もあったなあ、と感じたのだけれど、TRPGやらPBWはあくまで本人が楽しいコンテンツであって、誰かが作ったオリキャラ情報発信ファンが楽しむ、みたいな構図はあまりなかったように思う。人生で数回やったことがある程度の知識しかないので、この辺の認識違いがあればまた指摘してもらいたい。

VNIに関しては、正直自分の頭からVtuberと同ジャンルのものだというイメージ全然抜けていて、指摘されて自分でびっくりした。構図的にはかなりそっくりものなのに、なんで抜けていたのだろう。(これ自体広く受け入れられたかというか、ネットの闇扱いされていなかったかはこの際考えないでおく。)

多分、VNIあくま受け手側の気持ちとして見ていたので、「オリキャラなりきり」と自分は捉えていなかったのではないかと思う。Vtuberは、ネット上の知り合いが何人もなっていったりして、中身の人間、つまり発信する側が自分視野の中に入っていたせいで、そういうものとして見ることになったのかもしれない。

流行った理由考察としては、もともとゲーム実況が好きになる素養のあった人が、可愛い女の子アバターに惹かれて見に行ってファンになったというのがとても自分でしっくりきた。というか以前から何となくそういう推測は自分の中にもぼんやりあった気がするのだけれど、「それでもあのオリキャラなりきりっていうコンテンツへの拒否感が普通は勝たないか!?」と考えてそれを流行った理由として捉えられていなかったのだと思う。その拒否感の方が自分勘違いだったと分かってしまえば、すんなりと腑に落ちる。

自分としては、今挙げたような内容が自分勘違いのせいで認識のずれが生じ、世間で受け入れられたもの自分は許せない、という状況が生まれたということである程度納得している。だからと言ってたぶん好きにはなれない(これは完全に個人的な好みとして嫌いなタイプ文化が界隈にあるから)のだけれど、多くの人に受け入れられて流行った理由も、ファン心理もとりあえずは理解できたように感じている。

もしこれらの他にも自分認識の違いがあったり、あるいはまったく的外れなことを言っていたりするようならば、また指摘してもらいたいと思う。よろしくねがいします。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん