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2020-06-03

親愛なるはてなユーザーの知恵を拝借したい【追記

親愛なるはてなユーザーの知恵を拝借したい。

これらはすべて自分思い込みであるかもしれない。それを前提に、各々判断された上で、できれば助言を賜りたい。

多少長くなるが、最後まで読んでもらえれば伝わるはずだ。これは決してはてなユーザーにとって無関係出来事ではないと自分は考える。

ある迷惑YouTuberがいる。(そもそも迷惑YouTuber」なるジャンル存在している時点でげんなりするが)仮にAとしよう。

自分がAを認識したのはおそらく半年ほど前。自分がたまに動画を見るYouTuberにAが絡んできて、ごちゃごちゃしていたのがきっかけだ。

「ああ、炎上芸ね」と思って、自分の中でAの存在ミュートした。

それからも、ちょこちょこAの存在がちらつくこともあった。相変わらず、有名YouTuberに凸をして知名度を稼いでいるらしいということは知っていたが、特段気にしていなかった。

先日ほぼ初めてAの動画をまともに視聴する機会があった。詳細は省くが、その動画では、とあるYouTuber(Bとしよう)の自宅に凸し、B本人ではない関係者(つまり一般人)に対するプライバシー侵害が堂々と行われていた。

考えるより先に当該動画YouTube通報していた。当然、チャンネルごとBANされた。

(余談だが、当該動画がBANされる以前にこの動画を取り上げていたYouTuber情報サイトがあり、PVほしさにプライバシー侵害に加担しており、あまりevilと言う他ない)

そもそもそのチャンネルも2週間ほど前に新設されたチャンネルで、迷惑行為、時には犯罪行為動画にして、その度にチャンネルがBANされている。

まず当該動画を観た時点で、強い嫌悪感と同時に、違和感を覚えた。

BANされた当日、チャンネルをまた立ち上げ、1本目の動画では、「もう迷惑行為はしない、Bの自宅にもいかないと思います」と宣言(?)していた。その数時間後には、そのチャンネルに、BANされるきっかけとなった当該動画を再び投稿。新チャンネルも即座にBANされた。

この一連の行動を見て、違和感確信に変わった。

本題はここからだ。

Aは、明らかに常軌を逸しているように見える。

Aの行動はもう、炎上知名度を稼ぎ、再生数を伸ばして金を稼ぎたい、という初発の動機から逸脱しているからだ。

別のYouTuberが「何がやりたいのかもうよくわからない。当初、戦略的迷惑行為をしていると考えていた。けど、本当に何にも考えてない奴なんだ」と言っていた。その通りだ。

承認欲求」が現代ではまるで悪かのように語られることが多いが、それ自体自分を愛するためには必要ものだ。ただ、Aの承認欲求はどんどん肥大化して、暴走が始まっているようにしか見えない。

このまま彼を放っておけば、取り返しのつかないことが起こるかもしれないと思っている。

自分の考えすぎであればそれが一番いいが、過去の痛ましい事件を教訓にするなら、何かアクションを起こすべきだと考え、悩んだ末に増田に書いている。

言うまでもないが、Hagex氏の殺害事件念頭に置いている。

あらかじめ言っておきたいことがある。ここまで書けば、Aについて思い当たるユーザーいるかもしれない。しかし、ブコメで当該人物名前リンクを貼るのは止してほしい。このエントリが本人に届くことは本意ではない(だからタイトル抽象的にした。正直伸びるか不安だ)。

実は、Twitterで本人に注意することも考えた。しかし、それは逆効果ではないかと考え、対応に窮したため今この増田をしたためている。

はてなとは文化圏が違いすぎるため、このエントリーが自然と本人に届くことはない。

自分は、AからYouTubeを取り上げるべきだと考えた。当該動画サムネイルがすでにプライバシー侵害にあたり、そのサムネイル投稿されているため、Twitter通報しようかと考えた(まだしていない)。

しかし、それでは何も解決しないどころか、逆効果かもしれないと思った。

自分には専門的な知見はないが、Hagex氏の殺害事件については、多くのはてなユーザーと同じく、衝撃を受け、その後の裁判の推移を見守り、どうすれば防げたのかについて考えた。

ちなみに自分は以前、こういうエントリーを書いている。

https://anond.hatelabo.jp/20191114021558

Hagex氏の殺害事件について、犯人について、「何度も通報されてBANされ続けた犯人は、はてなという居場所を奪われ、運営ユーザーを敵と認識し、殺意が芽生えたのではないか?」という指摘がある。

もともと犯人言動おかしかった。通報妥当だった。しかし、それが彼の行動をエスカレートさせた側面がなかったとは言えない。

YouTubeでも同じことが起きている。Aは今後も、何度もBANされるだろう。その度に、行動がエスカレートするかもしれない。

当該動画再生数は、自分確認した段階で数十万再生ほどあった。味をしめて、ますます過激化するかもしれない。

コメント欄は、YouTuberキッズで溢れている。読まずともわかるだろう。そこには、Aを煽り犯罪行為助長させるコメントが並んでいる(もちろんまともなコメントも沢山ある)。

そして、YouTuberは、他のYouTuber言動をたびたびネタにする。的を射た批判もあれば、炎上に乗っかって再生数を稼ぎたい中身のないものもある。

例に漏れず、Aについて、他のYouTuberがこぞって動画ネタにしている。これも、Aを助長する要因になってしまいかねない。

凶行に対して自衛することはできる。しかし、このまま放っておけば、AあるいはAの周囲で、痛ましい事件が起こるのを防ぐことはできないのではないか

先のエントリでも書いた通り、自分は、日々起こる事件の一部は、経済的支援(例えばBIの導入など)によって防ぐことができると考えている。しかし、この国でそれは期待できない。

例えばAが、犯罪行為以外の動画配信に切り替える。あるいはYouTube以外の食い扶持を確保する。

例えば身近な人間がよくAの話を聞く。その上で、必要に応じて、しかるべき機関病院警察)に協力を仰ぐ。

自分が考えられるのはそのような方法だが、調べた限り、Aの身近な人間で、そのような提案を受け入れ協力してくれる人は見つかっていない。Aの仲間やスタッフマネージャー?)と思しき人間存在するが、その人間に期待することはできない。

正直に言ってとても面倒くさいが、自分自身警察通報することも辞さないつもりだ。ただ、Aが犯しているのは軽犯罪の類で、反省しているふりさえしていれば執行猶予がつくだろう。またすぐにでもYouTubeを再開するのは目に見えている。

ではどうすればいいか? それがわからない。

Hagex氏の殺害事件は痛ましいものだった。自分はてな民として、せめてあの事件を教訓としたいと思っている。

繰り返すが、親愛なるはてなユーザーの知恵を拝借したい。

今日1日とても忙しくしているためほとんど反応を追えないし追記などもできないので悪しからず)

追記

反応見ました。コメントも全部読みました。読んで、ましてやコメントをくれてありがとうございます

そしてこの期に及んで、ブコメ名前を出したり、Hagex氏の刺殺犯を蔑称で呼ぶユーザーコメントを残していることに、多少なり失望しています

まず、その後について報告します。

Aは、逮捕された可能性がありますスタッフSNSでそう投稿し、本人も沈黙を守っています

報道されたわけではなく事実の裏どりができているわけではありません。

ただ、彼に迷惑行為、あるいは犯罪行為をされたYouTuberは多く、そういう意味はい逮捕されてもおかしくないため、事実である一定可能性があると考えます

自分は当初、逮捕されても意味がないのではないか、といった懐疑的なことを書きました。

悶々と眠れない夜を過ごしそのままの勢いで書いた今朝から時間を置いて、冷静になった今、皆さんのコメントを読んだ上で、多くのユーザーが指摘されている通り、やはり司法の手に委ねるのが一番いいと思い直しました。

コメントに答える形で、もう少し、自分立場と考えを説明させてください。

親愛なるとかいっといて自分増田身分隠して書くのかおめでてーな 増田を汚すなよカス

指摘はその通りです。しかし、自分匿名をかさに、普段、対面で言えないような言葉遣いはしないように最低限気をつけています

自分が顔と実名晒してその迷惑ユーチューバーとやらを攻撃してターゲット自分に移せばいい話

そのくらいの覚悟なしに他人集団イジメて何か解決すると思ってんのかクズ

これもその通りです。覚悟がないわけではありませんが、現時点ではその覚悟を固められていません。しかし、大きな誤解があります。Aを批判する意図はなく、単に無駄な人死にをできれば防ぎたいというだけです。理由は後述します。

たとえどういう文脈であろうと、低能先生の内心を慮ったり心情を推察したりHagexに殺された理由を求めてみたりしたくはないし、するべきではないと思う。意味不明幼稚な動機で人を殺した奴を絶対に赦してはならない

自分は、そうは考えません。人生を踏み外す瞬間は実にあっけなく訪れます。必ずその時、本人は思います。「まさか自分が」と。

今日と同じ明日が来ることを何も疑わないでいられればそれは幸せですが、その幸せはある日、何の理由脈絡もなく奪われることがあります

これは単なるつまらない事実です。その事実を踏まえて、自分は、明日自分被害者ではない確信も、明日自分加害者でない確信も、持つことはできません。

主張と意思には同意するけど「犯罪やりそうな奴がいるので、実際にやる前に『矯正』してあげよう」という事でもあるしなあ。

しかしたら、そうかもしれません。昔でいう『マイノリティ・リポート』、今でいう『PSYCHO-PASS』みたいな世界観でしょうか。

しかし、ことが起きてしまった後に「こうしていればよかった」と自分自身が悔やまないために、痛ましい事件を未然に防ぐために、今この時自分に何ができるか、それを考えるのがそんなにおこがましいことでしょうか?

自分は、「人を救いたい」とは思っていません。人が人を救うなど、おごりが過ぎると考えます。単に、必ずしも起きなくてもよかった悲劇をできれば避けたい。そう思っているだけです。

Bもsamyuの実家にいる両親に凸して晒しあげて稼いでだから嫌いだわ。

自分同意見です。自分は、そもそもYouTuberというジャンルが苦手です。中でもBは比較的嫌いな部類に入りますYouTubeを見る時間は、はてなを見る時間のおよそ20分の1程度です。

しかしAの件に関しては「Bも嫌い」という話ではありません。好き嫌いの話ではなく、このままでは抜き差しならない事態になるのではないという危惧を表明しています

来られた方もロクなもんじゃない事には触れないのな。hagexの時と同じで卑怯者だよ。お前は生前hagexや◯◯◯◯には苦言を呈そうとしたのか?どういう行動原理で動いてんだよ。(勝手に伏せ字にしました)

大きな誤解があります自分は、たとえ被害者であろうが、Hagex氏の言動看過できないものと考えています。Bも同じです。できればBにも、他人煽り、「〜〜〜を救いたい」みたいなクソにクソを塗るような妄言を垂れ流す動画投稿するのは金輪際やめてほしいと、そう思っています

しかし、B自身は“戦略的”で“打算的”な人間です。再生数ほしさに犯罪行為に走るほど血迷っていない、という意味で。その点、抜き差しならない状況にあるのは、Bではなく明らかにAです。

増田は何を守りたいの?A自身?Aに迷惑をかけられているYoutuber事件を未然に防げたかもしれないのにと悔やむ未来自分自分絶対守りたいものひとつだけ選ぶと自ずと行動が決まるのでは。全部は守れないよ

目の前で、命のやりとりが行われそうになっているとしましょう。自宅の隣で、今にも、誰かが誰かの命を奪いそうな状況を察知しているとしましょう。

できれば止めたいと自分は考えます。それは、誰かのためではないのです。強いて言えば自分のためでしょう。

隣で殺人が起きても、自分平和に暮らせるでしょう。でもある日きっと、わからなくなる。あの日、殺されていたのはどうして自分ではないのか。あるいは、あの日、殺したのはどうして自分ではないのか。

あの日自分を止めたい。ただ、それだけです。この感覚を伝えることは非常に難しい。ただ、自分はAのためでもBのためでもなく、“AにもBにもなっていたかもしれない自分”のためにだけ、胸を痛めています

単なる一視聴者に過ぎないのに責任を感じすぎ。もうYouTubeを見るのをやめたら?精神が持たないぞ。いやむしろ既に精神的にヤバくなってるからこそ首を突っ込んでる可能性もあるか…

ヤバくないです。むしろ、ヤバくならないために、どうすれば防げるかということを考え、質問しています

すごいこと発見した!「愛なるは」を反対から読むと「はるな愛」だ。

ほんとだ!

人は、放っておいても死にます。何なら、すぐにでも死にます。だから無駄に命を縮める必要はない。自分はただ、そう思っています

もう疲れたので以上です。何かあればまた追記するか新しいエントリをあげます

2020-05-26

痴漢OK娘の影響で認知が歪んで痴漢してた

最初俺は、普通エロ好きなツイッターの「裏垢男子」だった。繋がった裏垢女子にはどういうわけか痴漢されたいと言ってる女が多く、最初ネカマかと思ったがどうやら本物らしい。「スカート短くして最強線に乗りまーす!誰か触って!」などと書き込み、それにおっさん達が群がっていた。

俺は「痴漢されたい女子(OK娘)は多いのだ、そこらじゅうにいるのだ」と思い、いつしか通勤電車OK娘を探しはじめた。ツイッターで得た「OK娘の特徴」と一致してるような娘は何人も見つかった。

短いスカート物欲しげにキョロキョロしてる=きっとOK娘、お尻を突き出してくる=OK娘、スマホ官能小説だの下着のページだの見てる=OK娘。

俺は痴漢を心待ちにしている彼女達を気持ち良くしてあげるために触りに及んだ。

偶然を装ってちょっと当てても逃げない=OK娘、股間押し付けても逃げない=OK娘、触っても揉んでも抵抗しない=OK娘。

この調子でどんどん痴漢していった。電車OK娘との遊び場と化し、気持ち良く楽しくなった。逆に電車に乗れない日は苦痛で、普段乗らない路線遠征することもあった。第三者に止められた時は、正義君うぜえ、俺たち楽しんでるのに、と思っていた。

OK娘判定もどんどん緩くなり、ついには目が合った=痴漢を誘っているのだ、と思うようになった。

それをツイッターで呟いても、炎上はしなかった。むしろOK娘」のフォロワーが羨ましがり、もてはやしてくるのだ。

ある日、「常連OK娘」のはずの女に痴漢ですと叫ばれた。俺はハメられた、と思った。ずっと一緒に気持ち良く楽しんできたのに、慰謝料目当てでハメられたんだ。冤罪だ、と本気で言った。目撃者がいたか無駄だった。

女は示談ではなく裁判を望んだ。金目当てじゃなかった。男が怖くなった、許せない、と涙ぐんで言った。

警察OK娘だと思った旨を言うと、何言ってんだこいつみたいなことを言われた。弁護士に言うと治療を勧められた。

判決執行猶予

事件後、俺はツイッター何気なく痴漢検索した。何千何万もの沢山の女が痴漢に怯え、痴漢を憎んでいた。現実を見せられた。その中には風俗関係者とかもいた。裏垢は消した。

今、俺は冤罪で捕まったことにして何ごともなく働いてる。治療にも通っており、認知の歪みは治せてきたと思う。被害者女性にも本当に申し訳ない。

しかし、あの痴漢OK娘達は同性の女がこんなに怯えている犯罪を推奨して、俺が言えることじゃないが何を考えているんだろう。痴漢に怯える友達もいただろうに、自分達さえよければいいのか?

そういや、昔DMやり取りした痴漢OK娘の一人は父から性的虐待を受けたか痴漢が好きになった、と言っていたな。彼女達も可哀想なのかもしれない。

追記

ネカマだとか言われてるけど本当に女だったと思うよ。その女子と「待ち合わせ痴漢」したおっさんの話によると。それすら業者だと言われたらアレだが。集まって多数に見えていたんだろうな。

痴漢されたい女は今でもいると思ってる。スカトロ好きがいるのと同じで。

追記2

何げに執行猶予が驚かれてるが、初犯は大概執行猶予付きだそう。(常習だったが捕まるのは初めて)

そもそも裁判まで行くことがレアケースらしい。

2020-05-20

検事麻雀を打つと、ここが嫌だ!

・8は手錠の形に似ているため、数牌の8は全てドラ扱い

・白=無罪なので、白で振り込んだ場合は点数が2倍

役満は「死刑」、倍満以上は「無期懲役」とか言われる

・ノーテン罰符は「執行猶予

・追っかけリーチは「控訴」、さらに追っかけが入ると「上告」

(以上、全て想像です)

適当に追加しといて!)

2020-05-08

精神障害者が200人以上の不審死した事件で、懲役4年だけって怖い

1983年宇都宮病院事件、97年に大和田病院事件2015年には石郷岡病院事件

どれも執行猶予ほとんど

国連人権理事会から批判されもして、病床数が852床で3年間で200人以上の不審死してる宇都宮病院事件でさえ、

実刑ついたのは看護師1人が懲役4年・院長が8ヶ月だけ

病院廃業もせずに今も残っている

発達障害当事者自分としては、このような軽い処分で良しとした司法世論が恐ろしくてしょうがない

相模原植松被告自分は罰されないと思ったのもうなずける

車で一人くらい轢いても問題無い

1人くらいじゃ自賠責範囲内で収まるから逃げなくて良いよ

罪も執行猶予付くからその後も普通に生きていける

2人以上だとわからないけど、任意保険入っていれば罰のみ。

大体執行猶予つくんじゃないかな。

遺族としては、もっと重い罪にしてほしいけどね。

2020-05-05

社会人になって1ヶ月の新卒だけどコロナパニック収束しないでほしい

社会人に一応なって1ヶ月が経ったいま考えていること。

 この記録を残すのはまず、歴史教科書に載るような大変化がいま起っているのが確実であり、その変化の渦中にいた自分の考え、当時の生活を、あとから振り返ることができる手がかりを残したいと思ったから。この背景には、東日本大震災の時に、自分日記などをつけていなかったせいで当時の自分自分を取り巻く状況についての主観的情報確認する手段が、曖昧記憶を辿る以外になく、勿体無かったと感じたことがある。東日本に関しては、震災を機に自分の中の価値観が大きく変わったという人をこれまでに少なく無い数見てきたが、自分にはそうした変化は見られなかった。直接の被害を受けていない地域に住んでいたこと、当時まだ高校生と若かったこともあるが、社会の状況が自分の核になる部分に影響を与えるということのイメージ自体がうまくわかなかった。そしてそれは今も変わっていない。

コロナウイルスの起こした混乱で、2020/5/5の現在は多くの人が不安を抱えている状況で、

緊急事態宣言の期間が延長されたこともあって、不安絶望に変わった人も少なく無いと思う。

自分就職した会社ももちろんダメージがあるが、ここ数ヶ月のうちに会社がつぶれたり解雇される社員が出たりという状況にはならない。

接触を8割減らせ命令に従っていることもあり、自分部署はだいたい週一出社くらいになっている。

当初予定されていた集合研修は中止になったし、歓迎会も一度も開かれていない。というか同じ部署の人ですらまだ全員に全然会えていない。

業務内容の説明なども大して受けないまま、部署に配属されたり、研修やその後の飲み会で同期や先輩たちと仲を深めることができていない状況をさして、社内で会う人会う人に「大変だったね」「かわいそうだ」などと言われるけど、自分にとってはこの状況は幸運以外のなにものでもない。

就職すること、会社で働くことが本当に嫌だったからだ。

嫌なんてものじゃなく、恐怖だった。

社交不安障害を抱えている自分にとって、人が多く集まるようないわゆる普通オフィスでの仕事苦痛のものから

うつ状態が加速すること、体調が悪化することがほぼ確だと思っていたし、そうした思いの中、入社までのカウントダウンの日々を過ごしていた自分には

絶望しかなかった。自分に明らかに合っていない会社で働くこと、そして現状の日本会社ほとんどが自分に合ってないことそうした確実な未来から目を背けてモラトリアムの終わりをかみしめていた。

街を歩くと三密業態の店は軒並みシャッターを下ろしているし、身の回りでも明らかにダメージを受けてる人が多くてみんな本当にきついと思うんだけど、自分にとっては今回のコロナ禍は本当ありえないレベル僥倖だ。人生最大の絶望が、歴史感染症流行によって救われている。執行猶予を与えられている。

この状況が続けば、というかもうすでに大不況確定だろうし自分給料も前予想していたみたいには上がらないんだろうけど、そうでなくても自分はどうせ社会人として長く持たないだろうという諦めを持っていたか社会パニックに陥ってもそれと連動して自分不安や恐怖を感じたりしない。ある意味社会から切り離された無敵の人に近い状態だ。

自分無敵の人状態にあること。

自分就職が本当に嫌だった。大学生という時間に余裕のある身分でなくなることもかなりきついが、なにより自分個人が抱えている問題によるところが大きい。

じぶんは恐らく社交不安障害だ。人が多く集まる場に長時間拘束されることや、たとえ一対一でも他人と長時間一緒にいることがきつい。

不自由さが精神的にきついということもあるが体に症状が出てしまう。具体的にはお腹が張ったり鳴ったり、下痢が止まらなくなったりだ。

他にも症状の出方はいろいろある。声が震えたりとか。体臭が気になるとか。

どれか一つだけでもQOLは大きく低下するけどそれらのダブルパンチどころかトリプル以上のパンチを食らっている。

こうした症状が出やすい場面を避けることでなんとか生活できているけど、逆に言えば苦しみを回避するために行動の幅が、人生の幅が大きく狭まっている。

大学の横並びの長机の真ん中の席なんかは座れない。教授から、そこ詰めるように、なんて言われた日には結局すぐに耐えられなくなって

トイレ屋上に逃げていた。

症状それぞれに一応対処法はあって、具体的には病院でもらった薬を飲んだり、生活上気をつけるように言われていることをきちんと実行して、その効果の様子を見て一喜一憂している。

でも確実なのは、人目を気にしてしまうことが症状の根本的な原因になっているということだ。

匂いを完全に吸収して外に出さなパンツを履いたり、最高に合う薬を見つけても根本解決にはならない。

こうした社交不安障害の症状にはさまざまなものがあるけど、すでにこの障害を抱えている者にとって不都合現実として存在するのが、一度こうした症状を抱えると、ほかの分野にもそれが飛び火してしま可能性が高いということだ。いまは大丈夫でも、自分もいつか他の人が苦しんでいるような症状で新たに苦しむようになる可能性はゼロではない。実際、自分思春期発症して以来、この手の厄介な症状はその発生分野が広くなっている。中にはほとんど気にならないようになたものもあるけど、逆に前は平気でできていたことができなくなったりもする。

自分のこの問題を考えれば、就活の段階で明らかにいわゆる三密の職場は避けるべきだった。

でも大企業ホワイトカラーの多くは結局一部を除いて三密のオフィスで働いている状況で、時差出勤とかリモートが定着している会社意識の高い人が多く、それはそれで自分に合わなかった。

就活の時期に精神的に萎えていた自分は結局普通に良さげな大きな会社をいくつかうけて、受かってしまうとそこが自分に向いてないと分かっていながら就活をやめてしまった。

2020-05-02

anond:20200502173002

弱者強者が石をぶつけても許すのが世間だろ

 

大学野球部がホームレス集団で追いかけて石をぶつけて殺しても

誰が犯人特定しようとする人が犯罪者

たぶん犯人は不起訴執行猶予か最大でも罰金刑なんだろうな

 

朝日大野部員差別 岐阜ホームレス死亡事件で余波

https://www.chunichi.co.jp/s/article/2020050290085701.html

 

世間でのこの事件の扱いを見ていると、犯人の方々が取調室で寿司を食ってビールを飲んでいてもおかしくないね

帰ってきたら市民全員で胴上げして表彰

たぶん名誉岐阜市民

ホームレスだったら殺していいと日本人の全員が思ってるからきっと微罪

罰金刑でも「とてつもなく重い判決」と報道される

 

事務次官無職の息子を40回以上さして殺して保釈無罪だったから今回も保釈無罪だろ

生産性がない属性のやつを殺す分は事務次官でなくても殺人権を持っていて

ホームレスの前では大学生はもれなくライセンストゥーキルを持ってるんだ

2020-04-29

anond:20200429153558

それ法廷でやると情状酌量仮釈放カットされて量刑にバフかかるサイコしぐさじゃん

ナントカ青葉? とか京アニ放火とか低能先生とかあの辺がやらかす執行猶予のはずがなんといきなり無期懲役! みたいな

2020-04-28

anond:20200428171403

能力低すぎやろ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200427-00000137-dal-ent

樋山社長は、同住所にある電気通信機器修理業「樋山ユースポット」の社長兼任。2018年には3000万円あまり脱税容疑で、懲役1年6月、執行猶予3年の判決を受けている。

2020-03-30

PEZYが成し遂げた技術開発を守る冴えたやり方

スパコン開発会社PEZY Computingの前社長齊藤元章氏の助成金詐欺脱税に対する地裁判決3月25日に言い渡された。これに関して、PEZYはこれまで誰もやらなかった方法技術開発の未来を守ることに成功した。

助成金詐欺

社員 そもそもの話最悪でもメモリという名目でもらった金でプロセッサーも作ってた、にしかならんのに、そもそもそれが不正受給かどうかはNEDOが判断することじゃないか。NEDOの要請なしに特捜が出る幕じゃないよ。ホンマいきなり出張ってくるならそれなりの説得力のある説明をしてみろよという。だからNEDOがはっきりと、よくみたらこの使い道はおかしいわとか言ってくれたらもうそれで結構なんだけど。

社員 立憲民主党にいつのまにか偽物のチップでだまして予算獲得してたことにされていて、僕は本当に悲しいよ(´・_・`)まともな政治家はおらんのか?

  • 実際

東京地裁判決 被告助成金の一部を本人個人株式運用資金負債クレジットカード代金に充てたり、相当部分を流用している

NEDO(PEZY社は)実績報告書において、前述の虚偽の取引実績を記載するとともに、チップの開発が完了して試作品製造した旨の虚偽の記載をして、NEDOに提出した。

脱税

被告詐欺罪を認める一方、)法人税法違反罪などの大部分で無罪を主張した。

弁護士研究多忙だった被告には脱税計画性や認識はなく、財務担当者らを信用しすぎていた」と述べ、脱税の一部は無罪だと主張し、執行猶予の付いた判決を求めました。

  • 実際

判決 被告が「架空の経費計上と認識しながら、確定申告手続きをした」と退けた。

裁判での認められない主張は本質ではない

裁判ではPEZY社の主張が完全に退けられましたが、それは問題ではありません。この件に対する興味をほとんどの人が失うまで、認められる可能性の低い主張で裁判時間をかけ、判決までPEZY社が徹底的に批判否定したこと重要です。

かつて(政権批判の一環として)正しいかどうかわからない内容で激しくPEZY社を批判していた人は、時間とともに飽きて消えていきました。彼らが消える前にその政権批判あおりを受けて、技術開発の重要性まで一緒に批判されては、技術が停滞した暗い未来しかありません。

後に消えてしまう人のまっとうでない批判に対抗するのに、正直な返答は有害であることをPEZY社は教えてくれました。正直に返答すれば、相手批判正当性を与えてしまますしかし、当事者性と専門性を盾にして批判を虚偽であっても否定すれば、多くの人が未来を守るためにその否定を支持してくれるのです。例えば「偽の半導体」に関する初期の報道を、PEZY社関係者否定し、多くの人がその否定賛同しました(はてブTogetter(削除)のアーカイブ)。例えば、第三者id:KoshianX さんは、「これ悪質なデマでは。」と強い表現でPEZY社の反論賛同してくれました。

その結果、批判する人は(事実である)偽の半導体について言及をためらい、やがて触れなくなりました。

後にNEDO報告書で偽の半導体をPEZY社が本当に提出していたことがわかっても、そのことを批判する人は(興味を失っているので)もういません。そのおかげでPEZY社は現在も存続し、技術開発を続けています

正直であることを止めれ技術開発は進められる

小学生のように正直は素晴らしいと、勘違いしている大人いるかもしれませんが、そのせいで技術開発が停滞した未来になっては取り返しがつきません。科学技術理解していない人が技術開発を批判し、未来をつぶされてはたまりません。新型コロナウイルス対策でスパコンが必要とされているように、スパコン未来のために今必要技術開発なのです。

政権批判の道具として、技術開発を攻撃する人に対しては、彼らが黙るまでとにかく、虚偽であることをためらわず否定し続けるという冴えた方法で、技術開発が守られることをPEZY社は示してくれました。

2020-03-13

和歌山の一市民から江川紹子さんへ

みなさんは「もか吉」という犬をご存知でしょうか?5年ほど前のことですが、江川紹子さんの『家族の愛犬から地域へ―― もか吉、ボランティア犬になる。』という書籍で取り上げられた一匹の犬です。

https://www.shueisha-int.co.jp/publish/%E3%82%82%E3%81%8B%E5%90%89%EF%BD%A4%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%8A%AC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%80%82

元々野犬だったという触れ込みで全国ネットTV番組などにも何度も登場したようです。

窃盗事件怪文書

昨春のこと。飼い主と和歌山市議に関する怪文書が市内に出回りました。和ネットというミニコミニュースサイト記事掲載されているpdfがそれです。

http://news.wa-net.net/?p=9514

この怪文書は内容からして和歌山市議選絡んで撒かれたのは明らかで、読んだ当初は後援会の中でトラブルでも起きたのかと思いました。知る人ぞ知る怪文書王国和歌山では選挙前後してこのような文書が撒かれることは異例ではありません。トイレットペーパーより沢山あります

しかし、この文書が出たのちに飼い主は実際に逮捕されました。執行猶予付きの判決も既に出ています

https://web.archive.org/web/20190528144250/https://www3.nhk.or.jp/lnews/wakayama/20190528/2040002811.html

経歴詐称

被害に遭った動物病院示唆するところによると、飼い主は窃盗のみならず資格と経歴を詐称していたようです。

https://www.facebook.com/aruah2696/photos/a.191889608131825/356999144954203/

これは江川さんの書籍の前提が全て覆ってしまます最初から自己顕示欲ですべてが噓でしたとなっても驚きません。事実はなんなのでしょうか?

選挙妨害

さて、和ネットではもう一人の登場人物を「有力市議」としていますが、誰でも調べればすぐにわかます松井市議です。なんで犬と一緒の写真選挙ポスターにしようと思ったのかセンスがよくわかりません。

https://www.facebook.com/matsuinorihiro/posts/2263464443925285/

松井市議は和ネットに対してこのように回答したそうです

http://news.wa-net.net/?p=9486

今回の事件については、基本的には、容疑者の飼い主と動物病院との間のトラブルで、その「有力市議会議員」は双方から相談を受ける立場にあった第三者であったという。

法曹でもない松井市議支援者窃盗事件示談仲介する意味がみなさんには理解できるでしょうか?

私にはわかりません。これで金でも受け取ってたら非弁行為事件屋か何かでしょう。もちろん金を受け取ってるなんてことはないと思いますが。ないですよね?

一方で、和ネットによると松井市議被害者の動物病院に対して「情がない」という趣旨発言したそうですが、犯罪被害者事実警察に訴えるのは当然としか思えないのですが、なんだかよくわからない感覚ですね。


しかし、このコメントに謎を解き明かすカギのような話があります。というか市中でこの話は既に出回っています

http://news.wa-net.net/?p=9494

匿名

2019年6月7日 at 7:36 AM

市議会議員は選挙公示まえに動物病院選挙妨害するなとか言いに行った見たいですよ。加害者と組んで善良な1市民告訴したのですか?

とうてい事実とは思えませんが、これなら松井市議の態度の理由がよく分かります。双方から相談を受ける立場とはモノは言いようですね。要は市議という権威を笠に着て犯罪をもみ消そうとしたということになるのではありませんか?

これが事実なら示談がこじれて飼い主の逮捕に至った理由もよくわかります。私は事実じゃないと思いますケドネ。

江川紹子さんへ

松井市議によると、江川さんは飼い主と電話で話し合ったそうですから、この件の真相をご存知のはずです。いったいなぜこんなことになってしまったのでしょうか?

飼い主の自己顕示欲から家族関係を壊して、メディアおもちゃにされて、政治家小道具にされて、犯罪怪文書の原因となり、そして「もか吉」はどこへ消えていったのでしょうか。施設に送られて既に処分されているかもしれないという噂も流れています事実でしょうか?

江川さんは何も話していないようですが事態の全容を把握していらっしゃるはずです。この本まで4年の月日があったそうですが、この本からの4年について、本当に書くべきことがあるのではないでしょうか?

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-19

【速報】籠池泰典被告懲役5年・諄子被告懲役3年執行猶予5年の判決

MBSニュース

2553

学校法人森友学園をめぐる補助金詐欺事件で、詐欺罪などに問われた前理事長籠池泰典被告に対して大阪地裁懲役5年の実刑判決、妻の諄子被告に対して懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡しました。

なんやこれ。

安倍ちゃんも、地に堕ちたな。

2020-02-16

anond:20200215135903

遠藤みき(ももねいろ)

ttps://twitter.com/mikien10

ももねいろの人の離婚再婚が最高にゾクゾクして自分でも意外だったから吐き出す

ttp://www.ikemenmusuko.net/entry/zokuzoku

主婦ブロガー。そこそこ人気があったが、家庭を顧みずオフ会で知り合った若い男と不倫して炎上言い訳に終始した記事をアップするもの炎上は収まらず、ブログ収益力が格段に下がってしまった。

増田で元夫(?)が暴露話を書いたりしていたので、覚えている人もいるかもしれない。夫と子供を捨てて、前記のオフ会がらみで知り合った年下の男遠藤(ttps://twitter.com/eroura800 鍵垢)と再婚した。まだこいつとは離婚していない。

旦那のカギなし垢(ttps://twitter.com/uszero800)


■忠犬はーちゃん

ttps://twitter.com/inucai_24

エヴァ制作会社SNS脅迫 35歳の無職男を逮捕

ttps://www.sankei.com/affairs/news/191016/afr1910160044-n1.html

エヴァ版権自身にあると主張してカラー脅迫して逮捕された男。主張内容をまとめていたアメブロのページはさすがに削除されている。(ちなみに主張内容は完全な電波だった)

おそらくは執行猶予あたりですぐに出てきたと思われる。ツイッター確認するに、現在エヴァ版権自分が持っていると思っている様子。


■いらじ(twitter凍結)

リベンジポルノを行った最低絵師いらじ 、被害者彼氏と話し合いを行う

ttps://togetter.com/li/1187537

ネットで知り合った女性を好きになってしまい、その人に彼氏がいるとわかると女性個人情報をばらまいた人。その後もほうぼうで問題を起こしている為か、一部ネットから異様と言っていいレベルヘイトを向けられている。

ちょくちょくホッテントリに入ってくる「笛木ひろふみ」関連の記事は全部そう。

現在新潟実家で引きこもっている。

2020-02-13

anond:20200213150148

パラサイト 半地下の家族』 と 『天気の子』 の相似点

主人公たちは基本社会的に分断された底辺層人間

・どちらも、主人公たちは半地下を棲家としている

主人公らは初手から自分たち身分を偽る。

純粋さのある富裕層を、主人公らはあの手この手で騙して銭金をむしり取ろうとする

基本的主人公たちは「演技」で社会と向き合う

しかし、後半戦になると特に脈絡なく天気が悪化する

豪雨により、彼らの棲家とする半地下は水没する

・棲家が水没後、主人公は諦めたように「お利口さんでいようとするのはアホらしい」と悟る

主人公男性クライマックス付近凶器を持って暴れる

最後は結局警察につかまったりなんだりして、執行猶予になる

探せばまだまだたくさんあるぞ…パクりの証拠は揃えたい放題だな!

2020-02-09

病識のない精神病のふりをして死刑回避をもくろむ植松被告

安倍政権差別あおりたいようだし死刑回避されて不思議はないな

事務次官価値のない息子を殺して執行猶予まり無罪になったように

植松価値がないと日本人がみなす人間を殺した功績で日本国英雄称号みたいなのが内々に出ていて

植松安倍への手紙の通り釈放は無理でも無期に減刑はされるんじゃなかろうか

2020-02-06

日本裁判所暴力団員が人を殺しても死刑には決してしない

事務次官が息子を殺せば執行猶予だし

頃れたのが障碍者だったら植松被告漫画新聞に載せて宣伝する

彼の漫画犯罪前には世に出ていなかったのだから

ようは

日本のために殺人をしたと考えるライターから彼の漫画殺傷事件ネタ宣伝して世に広めるのだろ

自衛隊大分子供4人を放火した時も4年の禁固刑まり執行猶予無罪だったし

警察官が嫁と子供を殺した事件高裁でどうせしっこゆうよにするんでしょう

一審では注目を浴びてるから死刑だとか言ってもどうせ二審で撤回するのだろ

公務員仲間だったら人を殺しても無罪執行猶予まり無罪

2020-01-29

anond:20200129210352

地下鉄で隣に立っていた奴と身体が触れてもみ合いになって、持っていた傘を振り回したら相手の目に刺さって、そのまま失明してしまったので、執行猶予つかず

2020-01-26

珍珍出して逮捕されたとカミングアウトしてくれた増田に詳しくきいてみたい

anond:20200126065753

どこでどうやってチンコ出したの?

見た人はどんな表情だった?

興奮した?

いけねって思った?

まさか逮捕されないだろと思って珍珍なんてさらしたの?

誰かが通報したの?

警官来るまでちょっと待ったと思うけどどうやって待ってたの?

それともすぐ近くに警官いたの?

取り押さえられたりした?

手錠かけられるの?

逃げようとしなかった?

とりあえず手を洗った?

厳重注意ですまなかったの?

珍珍見せた人にちゃんと謝った?

逮捕された時、人だかりとかすごくなかった?

警察署に連れていかれたの?

パトカーに乗ったの?

やっぱり指紋取られるの?

留置場に入れられたの?

何日間位留置場に入れられた?

留置場で一晩過ごすとどんな食事が出るの?

家族の方警察署に迎えに来たの?

警察官家族の方に「この人は珍珍さらした」って逮捕容疑を事細かく説明しちゃったの?

新聞ネットニュースにのらなかった?

起訴されたの?

珍珍ぐらいでも実刑判決になるの?執行猶予

保釈金とか払ったの?

弁護士は呼んだ?

国選弁護人

刑務所に行ったの?

刑務所の他の受刑者に珍珍さらしてここ来たって言ったの?そう言ったら何て言われた?

今は仮釈放?本当の釈放状態

今は普通に生活できている?大丈夫

もし実刑判決受けてたら履歴書に「珍珍さらして実刑判決」って書かなくちゃならないの?

教えてください!

2020-01-21

anond:20200121142624

実際は社会的リスクなんかないから、で終わり。

痴漢で捕まってもまず執行猶予つくし失業もしないし退学処分にもならんのが大半だからね。

この前も逮捕三回目でやっと報道された東大生いたじゃん。あれも東大生から報道されたわけだし

過去二回もどうせ示談か不起訴だろうし、もっと無名大学ならまず報道もされないんだからリスクゼロでしょ。

2020-01-14

PEZY齊藤元章元社長脱税財務担当者のせい。私は無罪

anond:20191223183625

これも他人のせいですね。

スパコン助成金詐欺 弁護側“脱税の一部は無罪判決は3月

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200114/k10012244781000.html

弁護士は「研究多忙だった被告には脱税計画性や認識はなく、財務担当者らを信用しすぎていた」と述べ、脱税の一部は無罪だと主張し、執行猶予の付いた判決を求めました。

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