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はてなキーワード: らくだとは

2018-02-22

anond:20180222152045

誠意は見えるかもしれませんが、おそらくだめでしょう。

少なくとも彼の能力でこの先眞子さまを養っていける弁護士になれるとは考え難いです。

というか皇族旦那弁護士って大丈夫なのかな。

2018-02-16

笑われたい

誰かと付き合うよりも前に、ただ仲良くなりたい

恋愛感情かいらないからくだらない話で笑い合いたい

自分自身、「可愛い」より、「面白いね!」とか「変わってんなぁ」って言われる方がよっぽど嬉しい

女としてというより、まず人間として認めてほしい欲があるのかなww

2018-02-15

鼻血でてない?

😺昨日はチョコ凄かったね、みんな鼻血大丈夫

🐶もう🍫みるのもきついよ~モテて辛いワン!

🐰え?私🍓イチゴしか食べてないよ?何それっ。

🐙いらないならください!

🐸今日ワゴン大安売りしてるって

🐠シュリンプおいしーです!

🐵バナナ🍌うめー

2018-02-03

同じ国の同じ人種同士ですらくだらない排除合戦してるジャップ外人差別しないわけがない

2018-01-30

「新しさはいつも否定と拒絶を生む」2.5次元作品について思うこと

2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。

そのことについて思うところがある。

誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。

私は、ペンライトうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイル作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである

作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。

ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。

ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台ミュージカルではないとも思わない。

うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。

客席に降りてきたキャストファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトカラーはすぐに揺らいで、軽率ブロマイドを買ってしまう。

界隈にはよくいるオタクだ。

ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。

あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解共感ができてしまうのである

例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。

なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。


先ほど、この応援スタイル作品は苦手だが、舞台ミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイル出会っていたのが根源にあるのではと思う。

舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感あるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。

例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。

1部と2部で分けられた構成で、似たようなもの存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。

それから四季マンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。

カーテンコール熱狂ぶりは、一度体感して欲しい。

2.5次元作品名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。

劇作家であるピーター・キルター作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。

これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。

ペンライトを持ってくることについて公式からアナウンスがあった)

少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。

歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。

例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。

こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。

ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルコンサートと一体化しているようなものが乱立している。

からとても目立つのだ。

2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。

おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台コンサートイベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るものなのだ

ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。

から舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出ひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。

少々暴力的言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。

要は、酢豚パイナップルなのである

あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。

けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっと要求までされているのものから困惑するのだろう。

どうして、と思う。

そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。

パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店パイナップル入りばかりを提供しているのだ。

こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである

私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。

2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。

パイナップル酢豚しか見つからないなら仕方ない。

回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。

けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画アニメ作品が、うちわを持って応援するスタイル舞台になってしまったら。

楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。

きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。


とにもかくにも、最近このドルステタイプ作品が多いのは紛れもない事実だ。

少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルストレートかといった分類だったように思う。

それを証拠に、ある作品舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。

最近では、うちわは有りなの?なんて言葉をよく見る。

新たなジャンルが生まれているのだなあ、と感じる一端だ。

この新たなジャンルは、確かに舞台作品範疇ではあるが、独特な応援スタイル存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。

2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。

テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?

はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。

そんな始まりだったが、千秋楽の頃には満員御礼

けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。

決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることな3rdシーズン

その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。

今この時代チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。


先日放送されていた情熱大陸松田さんが仰っていた。

映画などとは違い、舞台初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。

当たり前だが、その通りだ。

先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。

実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。

私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。

公演前の宣伝番組で、内容が示唆されていたのかもしれない。

だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。

出演者ではなく作品ファンというなら尚更だ。

少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。

そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。

苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラキャスト応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。

知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元アイドル応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作プロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイル舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま

舞台を観たことがない人を、いか劇場に来させるか。そんなことを、制作から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。

きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである

からそろそろ、この新しいスタイル演劇名前つけませんか。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。

これを当たり前にするために。

オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式市民権を得たミュージカルのように、いつかこスタイル演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。

2.5次元も嗜むしがない舞台ファンからの、ただひとつの願いである。

2018-01-25

Google Trends比較するアズールレーン艦これ

https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=today%205-y&q=%2Fm%2F0x11hn5,%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%AB%20%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3,%E6%88%A6%E8%89%A6%E5%B0%91%E5%A5%B3R

ふと気になりGoogle Trendsを使って人気度の動向を調べてみると、艦これの人気度が未だに根強く、アズールレーンを上回っていることに気づいた(2018年1月25日現在

また、人気度の瞬間最大風速が艦これを100とすると、アズールレーンは最大30(因みに戦艦少女の瞬間最大風速は2でした)とイニシャルユーザー獲得数がそもそも少ないということも推測できる。

勿論、艦これサービスリリース当初から徐々に人気度が下がっているのだが、半年以内に周期的に人気度が上昇し、少しだけ持ち直す、という現象も起きている。

らくだが、コミケ等のイベント雑誌アニメーション等のメディアとの連携がある毎に認知度の拡大、及び再認知が発生しているのではないかと思われる。

対して、アズールレーンリリース当初に最大の人気度(先に挙げた数値30)を獲得したのだが、その後は一転して下がり続けている(ドイツイベの時に少し上がったのだが)

このデータだけみると、半年以内にはゲーム以外の別のメディア展開も含めたプロモーションを打たないとサービスの拡大は正直厳しいのではないだろうか。

2018-01-01

おせち食べるとお腹壊すの俺だけ?

正月帰省しておせちを食べるとお腹を壊してしまう。

ここ5年連続お腹壊している。

子供の頃は平気だったが、大人になってから胃腸が弱くなって普段食事にも気を使うようになった。

正月お腹壊すのは、おせちが怪しいと考えている。

おそらくだが、おせちには食材を数日持たせるための添加物や、見た目の鮮やかさのための着色料が入っているだろう。そもそも昨年12月のいつ頃作られているのか。

添加物や着色料はスーパー惣菜コンビニ弁当にも含まれているが、それらよりも含有量が多いんじゃないかな。数倍単位で。

なんて書いてるうちにまたお腹痛くなってきた。暖かくしてポカリ飲んで寝よう。

毎年年始がこんな様子じゃ先が思いやられる。今年こそ健康に生きたいものだ。

2017-12-30

昔は社交的だったが、最近はめっきり

小学生中学生の頃は友人もいたし明るく社交的で皆といることがとても楽しかった。

しかし今では全く正反対

とにかく人と付き合うことを避けている。

なぜそうなってしまたか

思い出せば高校の頃から変わった気がする。

通学していた高校DQN校

そこまで深刻ではないにしろ、不良がちらほらいる高校だった。

自分はその不良からは目を付けられていなかったけど、でも時たま絡んでくる奴がいて、そういう時、そいつはボディーランゲージとばかりに小突いてきた。

体育の最中なんかいきなり人のハーフパンツをずり下ろしてきたりした。

自分はその頃もやしな体型だったこともあり、ハーフパンツをずりおろされて棒のようななまっちろい足を見られるのが嫌だったし、ましてやそれが女子が見ている前でされた時は最高に屈辱だった。

多感な時期でもあったし、ひどく傷つけられた。

中学までは自分クラスの中でも中心的な明るい人間だったこともあって、高校でそういう扱いをされたことは非常なる屈辱だった。

それから内向的になった気がする。

人と関わりたくない気持ちになっていったし、避けるようになった。

本来ならば自分は明るい人間で人前で何かをやりたがり、注目されたい人間だったはず。

でもおそらくだが、そいつのせいで性格が変わってしまった。

そいつことなんてもう何十年も前のことだから諦めているが、でも昔の明るい社交的な性格は取り戻したいと思っている。

そこでクリニックに行ってみようかと思っている。

少ない人生時間

昔の明るい自分に戻りたい。

2017-12-28

体調を引っ張られるので、なるたけ接続は控え、寝たり食ったり散歩したりしてた。【+2kg

頭の中へ醸し出る関係妄想?)で私液が薄まり、半ば途絶した状態で動いてたここ2、3ヶ月だった。

脱ぎ上戸という、あの人だったかも知れない。

おかげで女優としての幅は広がった気がする。【±0kg

そこから何日か経て、この想像上の力関係の中へ自分を私として書き込もうとすると、

その際の想定もあれ何か変動する?ことに気づき私生活の些事が強固に映りがちになっている。

師走年の瀬だし、誘いとか大掃除とか燻製の準備とか。

問題は、それすらあまり手につかないこと これぞ休養 割り切って寝たり食ったり散歩したりする。【+2kg(予定)】

ただ、こうした鈍感か敏感になり果てた状態はやはり情けなく、少しでかなり効く。

スタイリッシュに毒づきたい気もするけど、対象を絞れないので無差別通り魔しかならないと思う。

現になってるかもだけど。それは知らん。【-1kg

先々週あたりから、深夜ジョイフルで次ののプロット組んでる。

おばちゃんに しばらくだね 話しかけられ、少し話した。

昨夜も行って、6割くらいできた感じ。200枚くらい? 正月明けから取りかかれたら。

本はなぜか『白鯨』を読んでる(初読)。-1kg

仕事納めの方も多いと思う。おつかれさま。心安く過ごしましょう。よいお年を

若者」という生き物は存在しない

最近の若者は~」で始まる若者批判は、いつの時代もなくならないものである。50代くらいのサラリーマンが、居酒屋ビールを飲みながらくだをまく様子がありありと思い浮かぶ。きっと彼らも30年位前に同じようなことを言われていたのだろう。

しかし、批判対象となっている「若者」の中には、こう思っている人も多いだろう。「この『若者』とは果たして誰のことを言っているのだろうか?」と。

例えば、「最近の若者根性がない」などという話を、仕事勉強に頑張っている若者の前で言っても、白い目で見られるだけだろう。または、「最近の若者向上心がない」と、若い起業家が集まるセミナーで言えるだろうか?

そもそもそういった「若者批判」をする人たちは、どれほど若者と接しているのだろうか。おそらくは自分身の回りにいる数名だけではないだろうか。その数名がたまたま出来が悪かったり素行が悪かったりした時に「最近の若者は…」という思いが湧くのだろう。非常にくだらない話である

そういった批判をする人たちが、「最近のおじさんは電車痴漢ばかりしている。おじさんは皆性犯罪者だ」と言われたり、「最近のおばさんは気に入らないことがあるとすぐクレームを入れる。おばさんはクレーマーから気をつけた方が良い」と言われたら、どう思うだろうか。「ふざけるな!自分はそんなことしない!一緒にするな!」と憤るのではないだろうか。

当然である。一部の事例を挙げて全体を評価することほど愚かなことはない。少数の非常識な「おじさん」「おばさん」がいるからと言って、全ての中年が悪いはずがないのである。そして、それは若者も同じなのである

もちろん、批判に当てはまる人もいるだろう。根性のない若者や、向上心のない若者もいる。痴漢をしているおじさんや理不尽クレームをつけるおばさんもいる。だが、それは必ずしも多数派ではない。多数派であったとしても、全員ではない。

誰かが「最近の若者は~」と批判した時、批判対象となる人は、「若者」という漠然とした集団ではない。それは批判した人と同じように、個別名前を持ち、血の通った一人の人間なのである

そんな基本的なことも忘れて、「最近の若者は~」「これだからおじさんは~」と安易批判する人は、「想像力が欠如している人」ではないだろうか。

そして、想像力の欠如は容易に差別を生み出す。「最近の若者は~」という批判は、人種差別性差別と、本質的な違いはないのではなかろうか。

集団批判することに意味はない。個別の事例については、その当人を論じるべきだ。イスラム教徒テロを起こしたからと言って、全てのイスラム教徒が悪い訳ではないし、痴漢を犯した男性いるからと言って、全ての男性痴漢を犯す訳でもない。同様に、あなた身の回りにいる若者が出来が悪いからと言って、全ての若者が出来損ないという訳もないのである

ちなみに、冒頭に例として挙げた「50代くらいのサラリーマンが、居酒屋ビールを飲みながらくだをまく」というのも同じだ。「若者批判をするのはそういう下らないおっさんたちだ!」というただの偏見であり、合理的意見ではない。もちろん冗談ではあるが、正直そういうイメージが湧かなかったかと言えばウソになる。自分偏見が捨てきれていないことを反省しなければならないと感じた今日この頃であった。

2017-12-17

anond:20171215211839

この指摘については合理的説明可能だと思う。

本多勝一の「中学生からの作文技術」に載っていたけど、手垢の付いた表現や、書いている側が笑っているような文体は、読み手面白くなくなる原因になるという。

手垢の付いた表現っていうのは、はてな記事では「ラノベアニメ寒い描写を入れろという暗黙の制約でもあるのかと思うほどテンプレ展開が多い。」の指摘が当てはまっていると思う。

書いている側が笑っているような文体は、恐らくだが「女子ツッコミの過剰な暴力寒いギャグやノリ」が当てはまっているのでは無いだろうか?つまり脚本を書いている側が「これ面白いでしょ」というメッセージがあるように感じられるのでは無いだろうか。

もう少し分かりやすい例を挙げると、アンサイクロペディア気持ち悪いとか面白くないと指摘されているのに通じる気がする。また、「w」を多用している文章面白くないと感じるのに近いかもしれない。

本多勝一面白い文章の条件として、「自然さ」とか、ギャグとのギャップとしての「真面目な文体」とか、「手垢の付いていない表現」を挙げていた。元記事で、不自然さを嫌っているのにも共通する気がする。

本多勝一理論が正しいならという前提付きだが、そうであるなら、寒い展開への指摘は理解できる。

本多勝一を嫌いな人も多いと思うけど、思想を抜きにして、この作文の本は読んで欲しい。

2017-12-12

上司に褒められて嬉しい彼

今、何度かお出かけしたりして、

おつき合いするか?しないか?どうなんだ???お??

状態男性がいる。

 

その人と昨日、居酒屋でご飯を食べていて、

「今年いちばんしかたこと」という話題を振ったのね。

そしたら彼が「上司に褒められたこと」と話していて、とてもハッとなった。

 

私にとって、上司に褒められたり認められるっていうのは、

社会人になってもおう8年ぐらい経つけど、すごく当たり前化していた。

有り難いことに、私はアルバイトからスタートして、

身の丈に合った状態で働いて、それが段々と評価されてスキルアップして……

という階段をかなり順調に上ってきたので、

社会人になってから私はずっと上司に褒められたり評価され続けてきていた。

 

私にとって、上司クライアント感謝されるのは、

(それをテーマ必死で働いていたこともあるけど)とても日常的なこと。

から、「今年いちばん」に上げられてすごくビックリして、

同時に、彼の好感度がすごく上がった。

  

「そうか!褒められるってすごいことなんだ!」

と、感謝されるということの素晴らしさを改めて考えるきっかけになったし、

単純に、この年上の彼のことを「かわいい!」と思った。

 

聞けば、彼は今はスーツで働いているけど、

以前は田舎にいて、現場系の仕事地元工場期間限定社員で働くことが主流だったらしい。

 

らくだけど、流れ作業単純作業が多かったんじゃないかな。

こなす仕事が多かったのかもしれないし、上司と話す機会も少なかったのかもしれないし、

個々の能力評価されることも少なかったのかもしれない。

そこは憶測の域を出ないし、そういう場がダメだとも思わないけど、

彼にとって、今の職場はとても“自分にとって最高の喜びを与えてくれる”場所なんだろうなと思った。

そういう場を自分の力で見つけられたのは、とても素敵なことだと思う。

 

仕事で扱う案件規模や予算が大きい分、

私の方が、収入自己承認欲求が満たされる度合いは高いかもしれない。

 

見方によっては、彼は「私より年収が少なくてキャリアも低い彼」になってしまうんだろう。

それは、ネットなどでは男性の減点対象として語られたりもしているけど、

私は彼の話を聞いてそんな風には思わなかったし、

しろ、彼がお金を稼ぐより、「嬉しい」と感じることの方が

人生を豊かにする上でよほど大事だと思う。

あくま一般的収入があるからこそ言えるのかもしれないけど。

 

彼のたった一言で、すごく大事なことを学ばせてもらったなぁ、

と思ったし、価値観ひとつポンと増えた感じ。

この彼から、これからどんな「ハッ!」が得られるのだろうとワクワクした。

 

なんていうか、上手く言えないけど、年収仕事内容だけじゃないよね。

どうやって、告白しようかな。

2017-11-15

https://anond.hatelabo.jp/20171115092232

家で勉強できるなら、通信制高校目指すのがよさそう。中学時代学習って、量より習慣なので、自宅で1時間やってるなら問題いかと思います

たぶん、今焦って塾とか習い事とかさせると、同じ学校クラスメイトに会って気まずいはずなので、割り切って、自宅学習から通信制高校って決めたほうが楽ではないかと。

通信制高校最近不登校も増えてるからいろいろな学校があるけど、自律的勉強できて将来進学も考えてるなら、公立通信制予備校の現役クラスの組み合わせがいいです。ちなみに、公立通信制定時制と同様にもともとは中卒で高校に行けなかった人のための福祉施策なので学費はタダ同然です。4年制のようなイメージありますが、実は、きちんと勉強に専念して課題テストをこなしてたら3年で卒業できます

おそらくだけど、姪御さん、勉強は嫌いじゃないけど、学校行事とかクラスのチームワーク強制させる仲良しごっこがダメなのではないかと思うんですよ。で、私立通信制って、制服が可愛かったり、豪華な修学旅行だったり、そういういたれりつくせり青春イベントがいろいろあって、たぶんしんどいです。お金もかかるし。あれは、本当は仲良しごっこ大好きだけど、いじめられてて中学行けなかった子向けだと思う。フリースクールとかも良し悪しで、発達障害持ちも含めて学校よりもっと面倒くさい人間が集まるコミュニティなので、人間関係わずらわしさがダメな人にはダメかと思います

まあ、勉強して社会に出れば、仲良しごっこなんてやらなくても働いてお金もらえる職場あるし、というか、昨今の企業ではほとんど仲良しごっこなんてないので、早めに将来の仕事意識できれば良いですね。

もし、そこまで偏差値的に強くないタイプなら、同じく公立通信制日中アルバイトするのもおすすめです。決まった時間に出勤して地道に仕事をすることができるかできないか早めに見極める試金石になるので。きちんとアルバイトができるなら就職を早めに考えて将来設計できるし、もしできないなら、もう少し軌道修正必要ということになるかと。

まあ、誰にしても、人間、できることとできないことがあるので、中学生という早い時期にできないことが明らかになった以上、できることを早めに見つけて、そこにステ振りして生きるよう腹をくくったほうがいいかと思います勉強できて良い大学を出ても組織で働くことがダメドロップアウトする社会人も多いわけだし、自分特性を早めに知れてむしろラッキーかもね。

2017-11-05

なんとなく流れで付き合った同じ職場おっさん

やたらブランド品をプレゼントしてくる人だった。

世間知らずのガキンチョだったし、こんなお高いもの貰っていいのかって恐縮もしたし

何よりガサツな自分がこんなデリケートもの使いきれない、絶対汚すか壊すかするらって言っても

「使ってなんぼ」といって、聞かないので

そういうもんなのかと思って使わせていただいてた。

おっさんプレゼントは安くてン万、高いものはン十万するようなもの

並行輸入とかでもないらしい。

ショップにも連れていかれた。

ゼロ多すぎてちびりそうだった。

いろいろあって別れたんだけど、途端にあんなにブランド品やったのに!とか言い出されて、本当に困った。

だってショルダーバッグは中でペンケースが開いちゃって飛び出したペンインクで汚れまくりだったし

財布は中身ごと盗まれたし

リュックベルトの付け根が千切れかけてたし

傘は骨曲がっちゃったし

から使いきれない、身分不相応って何度も言ったんですけど!って言い返したら

直接言ってこなくなったけど、自分部署でずっとぐちぐち言ってるよ、大丈夫?って聞かれるようになった。

職場でも付き合ってるのばれてたから本当に困った。

おっさんは次の異動でどっかいった。

上司が気を利かせてくれたのかなと思ってる。

実のところ、財布以外にもいくつかなくなったものがある。

おそらくだけど、母か盗んだと思う。

日干ししようと思って出したら足りないとかだったから。

残っていたものは汚れたり壊れたりして売れなさそうなものだけ。

おっさんが異動した後、全部捨てた。

ブランドが悪いわけじゃないのはわかってるけど

ブランド品に絡んで嫌な思いをしたので

今でもそのブランドロゴ見ると身構えてしまう。

その後、仕事も変わり、実家とも絶縁し、金銭感覚の近い夫と結婚した。

贅沢は出来ないけど、平和暮らしてる。

2017-10-29

もう僕の人生に一ミリたりとも関わらないで欲しい

少し前に彼女と別れた。

まれて初めて付き合った彼女ではないけれど、うまれて初めて好きになった人だった。

僕は彼女のことがすごく好きだったし、彼女も僕のことを好いていてくれたと思う。結局半年くらいで価値観人生観の相違や、恐らくだけど、加えて僕への物足りなさもあり、別れることに。

別れは死ぬほど辛かったけれど、納得はしてるいるし、今は上手く消化もできている。

もちろん、こんなことな出会わなければよかった、付き合わなければよかった、なんてことも思っていない。

しろ出会えてよかったし付き合えてよかったと思っている。

というのも、ある種恋愛童貞だった僕に、彼女は色々なことを教えてくれた。彼氏彼女という関係性において、彼氏とはこうあるべきという女性目線男性から他人への思いやりの気持ち想像力などの内面的な部分の指摘はグサグサと僕の心を踏みにじり、強くしてくれた。

当時はそれが辛くて、そんなことを言わなくても、想像力想像力言うなら僕の気持ちもわかるよね?と思っていた。けれども、今は全て分かった上で伝えていてくれたと思うし、その教えは恋愛だけではなくて仕事もに活きていると実感している。

その甲斐あってか、その彼女と別れた後にまた別の彼女ができた。でも、その彼女へ当時の彼女に向けていた同じ感情が向けられない。好きという感情はおろか、性欲すらも湧いてこない。

今まで付き合った彼女に対して、好きという気待ちはなくても、性欲が湧いてこなかったことは、ただの一度もない。だからこそすごく戸惑い、色々と考えを巡らせた。

しばらく考えても全く答えが出てこず、苦悩したが、ある日答えに気がついた。気がついた、というよりも「気付かないようにしていたこと」に「気がついてしまった」のだ。

もうお分かりかと思うが、僕はまだ別れた彼女のことが好きで好きで仕方がないのだ。

消化しているのは別れたという事実を受け入れられた、というだけのことであって、僕が別れた彼女を好きという事実はまったく変わっていなかったのだ。

(別れの原因は長くなってしまうし、さして重要な要素ではないで割愛するが、もう絶対復縁することはない。)

長くなってしまったが、

もう、絶対に元には戻れないのだから

僕の人生に一ミリたりとも関わらないで欲しい。

TwitterInstagramフェイスブックLINE、あらゆるSNSで僕からコンタクトを取ることは一切ない。それどころかミュー機能のないInstagram以外は全てポストフィードに流れてこないように設定している。

諸般の事情ブロックすることができないため)

別れた後にInstagramフィードで別れた彼女ポストを見ると、ドロッとした感情が胸を締め付ける。

幸せになって欲しい

もう一度戻りたい

僕以外の誰かといないで欲しい

不幸になって欲しい

から幸せを願っている一方で、僕と別れて幸せになることが受け入れられず、善の感情と悪の感情がぐちゃぐちゃに入り乱れている。

でも、それはまだいい。

時折僕のポストや、なんでもないことで、別れた彼女の方からコンタクトを取ってくることがある。

そらに対して僕はちっぽけなプライド自尊心を守るために「なんとも思ってないですよ」言わんばかりの、嘘にまみれた言葉を突き返している。

きっと相手からすれば、僕にコンタクトをとるのは、なんでもない日常のワンシーンなのだろう。

でも僕にとっては違う。

僕はまだ別れた彼女のことが好きで好きでたまらないのだ。

付き合っていたという事実は消えていても、好きだという事実は消えていないのだ。

あなたの中では終わったことでも、僕の中ではまだ終わっていないのだ。

から、頼むから、お願いだから

もう僕の人生に一ミリたりとも関わらないで欲しい。

2017-10-16

anond:20171016122158

らくだけど、はじめに否定された人物が何度も他人に成り済まして否定してる。

はてな否定されるとやたら過剰反応する奴がいるからな。

2017-10-15

https://anond.hatelabo.jp/20171015120213

客ではなく営業コンサルタント立場(敢えて言うなら)からものを言ってるんですが。

私は期日前投票はしないので期日前アピールはできません。

第三者物言いしかできません。

馬鹿ですか。

あなたも下手な期日前アピール投票率を下げてる一人なんですか?だったらくだらない反感で吹き上がってないで正しいアピールに今すぐ訂正してください。

2017-10-13

貧乏、見た目、趣味あらゆるもんを差別してる奴

そういう奴が、アメリカ空軍かなんかの人種差別問題には感動してた

正直脳みそ構造が全く理解出来ない

おそらくだ人種宗教に対する差別差別なんであって、それ以外の差別差別じゃない

海外にあるような差別には反対だから自分差別主義者ではないと強く納得できるのかもしれない

だってこれだけ人種差別共感して怒ってるんだからみたいな感じだろうか

本当こういうやつが居なければ日本平和なんだけどな

2017-10-08

ユーザビリティで「結果の一意性」を考える

ユーザビリティの分野で「結果の一意性」(「結果の予測やすさ」と言い換えてもいい)を考えれていない人が意外と多いようだ。

一例として、「メニューボタンを押してメニューを開く」「下キーメニューの2番目の項目に移動」「決定キー」という一連の操作を考えてみよう。ツール使用に慣れたユーザメニューボタンを押した後に、選びたい項目が2番目にあることをいちいち視認したりはしない。画面が切り替わるより早く下キーと決定キーを押す。画面のレスポンス待ち時間視覚から情報を取り出す処理時間がロスとなるからだ。さて、ここでツールに「前回メニューを開いた時のカーソル位置記憶する」という一見して便利そうな機能を加えるとどうなるか。そう、前回のカーソル位置ユーザ記憶していない場合、前述の時間ロスが発生するのである。これが「結果の一意性」が損なわれる例だ。注目すべきは、このカーソル位置記憶機能が高い確率操作回数を減らしてくれているにも関わらずユーザは使いにくく感じる、という点である。おそらくだが、UI作りに携わる人間の多くが、UIの品質操作回数だけで評価しており、操作を伴わない処理がユーザ脳内で行われていることを考慮していないのだろう。

ライブ変換機能邪魔に感じる人が多いことは「結果の一意性」に関して別の見地を与えてくれる。従来の変換形式場合ユーザ平仮名を打つ場合には結果の一意性が保障され、文字変換が必要な時にだけレスポンスを処理していた。つまり、「変換キーを押さずにEnter」or「変換キーを押して変換結果を選択」で一意な結果か否かを分離できていたのである。これに対してライブ変換機能は常に変換候補提示しており、レスポンスの正誤判断を要するタイミングが分離できていない状態になった。ユーザとしては、操作は減ってもレスポンス判断する機会が増えているため、使いにくいと評されるに至ったのである。すなわち、「結果の一意性」を保障できないならできないで、そのタイミングを明確にすることでUIは使いやすくなる、というわけだ。

2017-09-22

anond:20170922131212

そういう言葉が生まれたのが最近かもしれないだけで

女性向け界隈は外野からしたらくだんないことで延々小競り合い繰り返してたろ

勝手最近だけの話にするんじゃない

2017-09-15

とっくの昔に終わった作品粘着してるアンチ

ジャンプで連載されてた某ラブコメにずーーーと張り付いて未だに叩いてる人が居る。

らくだが彼の脳内ではその作品は終わってなくて、解消されない怒りだけが残っているんだろう。

無視すりゃいいのにそいつに構う信者も居るからどっちかが死なない限り戦いは続く。もしかしたら信者側が全員死んでもアンチは叩き続けるかな。

俺なんて最終回を迎えたら一気に熱が冷めて他に移るから、その情熱1%でも分けてもらいたいわ。

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-08-30

https://anond.hatelabo.jp/20170830170148

現生人類ホモ・サピエンス20万年から10万年前にかけてもっぱらアフリカ現生人類進化した後、6万年前にアフリカを離れて長い年月をかけて世界各地に広がり、先住のネアンデルタール人ホモ・エレクトスなどの初期人類集団との交代劇を繰り広げた

交配できない人類が同じ時代に生まれ可能性はあるし、交配できない可能性もあるってことじゃん

おそらくだけど、完全に交配できない種が突然生まれるわけじゃなくて、徐々に交配できな人が出始めてほとんど交配できなくなるのが10万年単位ってことでしょ

10万年単位くらいで起きる可能性があるなら、もうアフリカを離れて6万年くらい経ってる

だったら、もうそろそろどこかの地域地域では交配できない程度の差ができてるヒトがポツポツいてもおかしくないんじゃないと改めて思うんだが

2017-08-17

もが

でんぱ組最上もがが脱退した件

ずいぶんと脱退があっさりしていて腑に落ちない部分を感じているファンも多いと思うし自分もそう。

不仲説とかよく言われているけど自分はそこではないと思っている。

おそらくだけど単体の仕事のほうが単価が高いのではないかと。

最上もがグループ内でもドラマバラエティーなどテレビ出演多く一般認知度が高い。

でんぱ組ブレイクして武道館コンサート成功率させるなどアイドルとしてはトップクラスではあるが正直なところ昨今では第一線にいるとは言えなくなっているだろうと思う。

でんぱ組としての仕事の単価と最上もが単体としての仕事の単価にかなり開きが出てきたのでは。

そうだとしたらでんぱ組仕事スケジュールを割くより単体の仕事を受けた方が儲かる。

でんぱ組ライブをやらなくなったのもその辺が絡んでいるのかなと思ってはいる。最上もがライブに向けての準備に時間が取れない状況がずっと続いていたんだろう。

この辺は最上もが意向というより事務所等の大人の事情が強いのでは。

一人だけ群を抜いて知名度が高く単体仕事も多い。だからでんぱ組としての活動順位が低くなる。

でも他のメンバーはこの状況が面白いはずない。不満があって不思議じゃない。最上もがが嫌いというよりそういった状況に耐えられなくなってきたのかもしれない。

不仲というよりも格差袂を分かつ方がお互いに幸せかもしれない。

おそらくライブ停止発表の時点である程度今回の最上もが脱退の筋書きはできていたのではないか

からずいぶんあっさりとした脱退発表なんだろうしメンバー予定調和的な反応なんだろう。

たぶん彼女たちがお互いに活動を続けていける答えとして最適解が最上もがの脱退なのかもしれない。

本当のところを知りたい気持ちはあるけどまあ知れることは無いよな。

アイドルファンはいつもおいてけぼりにされるもんだ…。

2017-08-02

そりゃモンハンが難しかったら遊べるの任天堂ゲームくらいだろという帰結しかなくて

ゲーム議論って別に人の思想信条とか関係いからくだらないんだよな

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