はてなキーワード: 困惑とは
図々しいなんて思う必要ないと思う。悪いタイミングでハッとさせられちゃったんだなあ。
この出来事を、「要求過剰な母親が、隣に居合わせたかわいそうなOLを理不尽に批難してる」話として捉えてる人が多いみたいだけど、全然そんな話じゃなくないか?と個人的には思う。
たとえるなら、連日のブラックな労働に心身をボロボロにされてるタイミングで、
って気付かされて、その瞬間、抱えてたしんどさがドッと押し寄せてきて、無性に涙が止まらなくなった。
そりゃ、このたとえ話だって聞きようによっては
それは要素のごく一部分であって、そこだけを拾うのが妥当だとは思われない。
隣の乗客(ポスターのモデルさん)を積極的に批難したいわけじゃなくて、
見たタイミングが自分にとって最悪すぎたせいで悲しくなってしまったんだよ。というふうに自分には読めた。
なので、不幸な鉢合わせ事故だね…とは思うけど、あなたが悪いとか図々しいとか思わない。
ここからは完全に私の勝手な推測だから、そういうの嫌だったら読み飛ばして欲しい。
>無、なんだ……と思って悲しくなったんだと思う。
っていう記述を見て、あなたはこのとき「お前はひとりぼっちだ」と社会に突き付けられたような気分になったんじゃないかな…と感じた。
分かったような口をきくのは申し訳ないんだけど、
「せめて、厚顔無恥で図々しい母親だとは思われたくなかった。我が子を迷惑な子どもだと思われるのも嫌だった。
けれど、それが門前払いされたことで、莫大なモヤモヤや焦りが手元で行き場をなくしてしまった」……のではないのかな、と。
愛想笑いが欲しかったっていうのも、事実でありつつもド真ん中ではないんじゃないかな。
愛想笑いで「子育てが色々大変だってことぐらいは分かってるつもりですよ」というアピールのひとつでもあれば、
お姉さんが内心でクッソうるせえなあと思っていようが、多分いたたまれなさに耐えられたんだろうけど、
その道が言い訳の余地もなく閉じられてしまったせいで、一応こっちは謝りましたよ、という形を取ることもできない。
そっちがつらかった、ってことじゃないのかなぁ。
この考え方でいくと、謝る時間さえ取らせてもらえたなら、
そのあと舌打ちをされても(門前払いよりは)耐えられた、ってことになるけど。
「お前はひとりぼっちだ」と社会に突き付けられたような気分になったのでは…、という話に戻る。
これもまた想像なんだけど。
まず、以下のような前提があったとする。
子どもを連れ歩くって、やっぱり色々迷惑かけるよね…とあなたは十分に理解し、戦々恐々としている。
けど、あんまり強くそこを意識しすぎてしまったら、マジで家から一歩も出られない。
程よく目を背けないと、現実的には暮らしていけなかったりする。
「いやいや世の中には『別に構いませんよ』って思ってくれる人もいるはずなんだ!」って自分に言い聞かせて外に出た。
(繰り返すけどこの前提は全部想像に過ぎない。)
で、そういう不安と強がりと葛藤を抱えて、自分を鼓舞しながら外に出たタイミングで、
ハイやっぱりそんなの所詮は思い込みでした~!って知らされたら、そりゃあ心だって折れると思うんだよ。
ハイハイそりゃ知ってましたよ。って感じかもしれないけど、その当然のことにさえ耐えられない瞬間もあると思う。
それから、
>無、なんだ……と思って悲しくなったんだと思う。
という部分に関して。
世の中の歌詞や物語に「あなたはひとりじゃない。きっと分かってくれる人がどこかにいる」みたいなメッセージってあるけど、
あの逆と言ったらいいのかな。
「あなたがどれだけ葛藤してようが、申し訳ないと思っていようが、
他人は他人の機微になど無関心であるし、あなたの肩身の狭さを了知する義理を持たない。」
という現実を突き付けられた(気分になった)。
それも最悪のタイミングで。
これは、そういう話なのでは…?憶測に次ぐ憶測で恐縮だけれども…。
要は耳栓を、
「本当は申し訳ないと思っている、とか、一言謝りたいだとか、そういうのは全部お前の問題だ。
お前の困惑や葛藤に世間は関知しない。お前の懊悩は全てお前の中で飲み下せ」
みたいな、社会からの逆メッセージとして解釈しちゃったんじゃないのかな…。
「当てつけられた!」なんていう具体的な怒り…という部分も、ないことはないかもだけど、
なんだか、怒り未満の無力感、やるせなさで止まっているような印象を、あなたの文章からは受けた。
で、これらの勝手な推測が、万が一どこかしら当たってるんだとしたら、
めちゃくちゃお疲れなんだと思う。
ぜひ自分を労ってあげてほしい。
元気なときだったら「そりゃそうだよな」ぐらいのテンションで受け止められるかも知れないが、何事にもタイミングというものがある。
20kgの荷物は元気なときなら頑張れば持てるけど、骨折しかかった腕で持っちゃいけない。
なので、色々書かれてるけど、「当然のことに傷ついてしまった自分は弱い人間だ」みたいなふうに思うのだけはやめてほしい。
図々しいなんて思う必要はない。
タイミングが悪かった。それだけのことだと思う。
数日前から、左金玉あたりの下腹部内側が「ジワッ……」とわずかに痛くなる時がある。痛みはすぐに無くなるが断続的に続いている。気になってネットで調べたけど、症状の内容的に睾丸捻転とかのクリティカルなやつではないっぽい。腫れやしこりも無い。陰嚢を揉んでも痛みは起きない。何もしてない時や射精が近くなった時に小さく疼く。痛みの種類としては金玉を強打した時の苦痛をかなり薄めたような感じ。一体何なんだろうこれは。近頃、男性不妊に関する増田を続けて見たので自分も気になってしまって、病院に行くべきだろうと思ったのだが症状を何と説明していいのか分からない。グーグル先生によれば実際、金玉系の痛みを訴える患者は要領を得ないことが多く、泌尿器科医も困惑するケースが多いようだ。そもそも金玉が関係ないケースもある。困った。自分なりに痛みが発生する要因を特定しようとオナニーの回数を増やしたりしてみたが、何となく、精巣が活動しているときに痛みが発生しているのではという気がする。でも完全に素人の推測に過ぎず、それをどう説明したらいいか分からない。泌尿器科自体行ったことがないし、いきなり飛び込みで行っていいのかどうかも分からない。そのうち何事もなかったかのように痛みが消えたりするのだろうか。様子見をするべきか。まだ独身だが、生殖機能は維持しておきたい。同様の状況になったことがある人がいたら教えて欲しい。
今朝、出社途中に新宿駅のホームで電車を待っているとき、大きなキャリーケースを引いた中年の黒人女性に声を掛けられた。
イヤホンをしていたが、なんとなく“IKEBUKURO”だけは聞こえた。
女性は電車の路線図を開いて池袋駅を指しており、どうやらどの電車に乗れば辿り着けるのかを尋ねたい様子。
わたしは英語を話せないが、カタコトでx番線の緑の電車に乗ればいいということを伝えると、女性もその方向へ姿を消していく。
インバウンドの旅行客だと思うが、道を尋ねた女性の表情は困惑か戸惑いがほとんどで、ウキウキワクワクしているような気持ちは感じられなかった。
一緒に来ていた集団とはぐれてしまったのだろうか、それとも日本の旅行が楽しめなかったのか、はたまたその他の理由か。
やましい内容でもないので、オープンにしてあるほうのはてなブログで書こうか迷った内容なのですが、
私のことをセクシャルマイノリティと知らない読者さんも多いことだと思いますので、念のため自衛のためにこちらに記させていただきます。
(メインの記事で当事者視点で語ってしまうと、自動的にカムアウトしてしまうことになるため、という意味です。)
LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」
https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A
昨今、こちらの記事が「いじめる側の理論」であると、かなりの勢いで燃え盛っていますが、
私の一読した感想としては、「どちらかといえば、「理解しよう」としてくださっている側」かな、と思いました。
たとえば、記事中の、
「同性パートナーだと保険金の受取人になれないんですよ! 3年前に知って驚きました。そんな不都合は、すぐ解消してあげたらいいと思うんです。」
こういったところに、このような感想がすぐ出てくるということは、ほんとうに忌み嫌っている側でもないし、共存したくないと思っている側ではないと思ったんです。
「そういう人はいてもいいと思うし、自分にはよさはわからないけれど、それが原因の不都合があるのは不平等だから解消されるべき」
急に風潮が変わってびっくりしている、とか、自分にとっての当たり前が急に当たり前ではなくなってしまって社会の変化の早さに戸惑っている、と言ったふうに、
この記事から感じられたのは、「戸惑い」の感情でした。不理解、ではなかったように思われます。
実のところ、何を美しいと感じたり、何を好ましいと感じたり、何を疎ましいと感じたり、何を吐き気がすると感じたり、するかは個人の思想の自由であって、見ず知らずの他人が正義感から(本音を語るような場ですら)「差別的だから発言してはいけない」、といって規制していいものではないと思うのです。
この方はじっさいゲイの活動家の方にあって話をし、その場で相手を怒らせたわけではなく和やかに話を終えて場を去ったことでしょう。
そして、別れた後から、「あれが、本当のLGBTか、良く解らない……。自分と同じ性別を愛するなんて理解不能だ」と自分の中で反芻する。
それで、とても、いいと思います。
自分は、LGBTのなかでも、(ここで具体例としてあげられた)ゲイではなく、T(トランスジェンダー)なので、
LGBTとひとくくりにされていますが、LGBとTは本質的に違うもので、おそらく、LGBの方の納得する「社会の理解」とTの納得する「社会の理解」は、
段階的にかなり異なっているものであるのではないかと思われます。
LGBは恋愛にまつわるマイノリティですから、恋愛(~結婚、家庭)に対する社会の捉え方が変化すればそれですべて問題が解決するのです。
そこで、現状のところ、上記で述べられたパートナーの保険金を受け取ることが不可能だといった制度上の不都合は、解消されるような流れになりかけているように見えます。
そして、制度上の不都合が解決された先に求めるのは、「同性愛をめぐる目線への不都合の解消」になることかと思われます。
一言で言えば、「同性愛は異性愛と同じぐらい自然なものだし、同性愛をからかったり、あるいは過度に神格化してほしくない」といった要望になることでしょう。
そういった段階の不都合に辟易しているLGBの方からすれば、先ほどの記事の人はそのようなからかうような視点をまだ拭えてはいないですし、おそらく、自分たちを攻撃してくる対象と映ることでしょう。
自分はTのほう、トランスジェンダーのほうであり、トランスジェンダーの中でも比較的少数派のTGなので、「身体の性別と性自認が異なり、かつ、身体的な改造を求めない」タイプになります。
社会的に性自認の方で生きられれば充分、といったタイプではあるので、自分が最も求めている「社会の理解」は、生まれつきの身体のまま、戸籍等を性自認のほうに変更することが可能になること、になります。
つまり、TGは「性別というものの捉え方」にまつわるマイノリティなので、性別そのものに対する社会の捉え方の変化を要求しているのです。
ちなみに、私の外見につきましては、初対面では99.999999パーセント身体の方の性別で認識されます。あくまで、中性的なファッションを好む人、と認識されています。
性自認のほうのファッションを購入し着用しておりますが、ジャストサイズの服で、かつ社会に紛れて違和感がないものをチョイスしていますので、変な話、異性装とすら認識されることはありません。
TGである私の求める「社会の理解」は、この状態で、どうみてもそういうふうに見えない「もう一つの性別」として扱え、と要求しているわけです。
……どうですか?受け入れられますか?
「うっ」と思いませんでしたか?
というのも、これは、今までの性別というものの概念をいったん壊して再構築するように社会に要求しているわけですから。ちょっとハードルが高いことだと思います。
目の前の男性/女性に見えるAさんについて、本人に聞くまで性別がわからないという状態です。
現代社会では、目の前のAさんはどうやら男性っぽいから男性だろう、と決め打ちしてかかることが当たり前のように許されていますが、
その行為自体が「失礼」になり、本人が「男性です」と答えるまで、どうみても男性でも「性別不明」として扱わなければいけない社会になりうるわけです。
とうてい達成されうる目標だとは思えませんし、それにこれがもし達成されてしまった場合、不利益を被る人が出てくるでしょう。
初対面でまだ性別を明かしていない相手からのスマートな男性/女性扱いやエスコートをしてもらえない社会になるわけですから。
多分、先述の記事の男性の困惑ってこういうタイプの「困惑」じゃないかと思うんです。
同性愛は違和感がないという人で、先述の男性の困惑や感想に否定的な感想を言っていた人は多いですが、確かに同性愛は理解しやすいんです。
でも、同性愛はすんなり理解できても、トランスジェンダーの中の狭義のTGを同じように理解することが出来ない人は結構いるんじゃないかと思います。
「初対面で性別不明扱いにするのは、中性的な外見の人に限定すればいいのでは?」というアイデアもありますが、それもまた、難しい問題を孕んでいます。
というのも、中性的だからといって必ずしもセクシャルマイノリティだというわけではないからです。確かに、中性的な男女に少なからずセクシャルマイノリティが紛れ込んでいるのも事実です。しかし、そうでない人も多いです。
学生のころ、中性的な雰囲気の同級生がたまにいましたが、その中で何人かは現在トランスジェンダーとしてカムアウトするようになりましたし、
そして、何人かは既婚者になりました。つまり、当たり前のようにいた中性的な学生たちの中には、多くの異性愛者と少数のトランスジェンダーがいたわけです。
彼らの性自認が「どっち側」なのかは、外見から見分けるのは困難だと思います。私も、彼らが大人になってカムアウトしたから「ああ、そうだったのか」と知っているにすぎないですし、当時はわかりませんでした。
きたねえ!!!!!!!激しく汚い行為!!!!!!!!!!即刻その悪癖やめるか店を出て行くかの2択を迫りたくなる。唾擦りつけたものを他人に渡す行為は正直高度なプレイとしか思えない
店側で舐めなくても済むようにスポンジに水含ませて置いとけよ、気が利かねえな。文具屋やホームセンターで売ってるし、なんならてめえの店で置いてるよな?そしてそれぐらい経費で落ちるだろ?あ、色んな客が触るから毎日スポンジは取り替えろよ。
2 レジは物置じゃないっていってんだろ
スーパー(レジがずらっと並んでいるタイプの店)は関わりがないことだけどレジカウンターがぽつんと1〜2台ある店には「ちょっと商品取ってくるから置いてていいよね?」と荷物や買い物カゴをどかーんと置いてく奴が居る。レジは予約場所取り制じゃないので迷惑なんだよなあ。取りに行ってる間別のお客様がレジに来て対応して後回しにすると後回しにするのか!と怒り出すキチガイも居る ネット通販使ったらいいと思う
予約場所取り制じゃないならその旨言え。あと当たり前だが苗字ぐらい聞け。やるべきことをやらずにウダウダ抜かすな。これやって文句言い出すやつに対してはクレーマー扱いでいいが、それすらしないで文句言われるのはお前の問題。つかお前無能じゃね?
3 清算中に無言で居なくなるのは勘弁してくれ
2と似ているがちょっと違う。大抵は取ってきてもいいですか?と聞いてくださるのでいいですよ〜〜なんて答えるが無言でどっかいって荷物と購入物ほったらかしでレジ店員も困惑するんで無言はやめろ せめて目を合わせるぐらいはしてくれ
目を合わせたら無言で居なくなるのは構わないのか?
釣り銭トレーはわかりやすい物からおしゃれな物まで多種多様に存在するが視認をしてくれ。まれに小銭どさーっ!これでウン千円のお会計頼むって釣り銭トレーの横に小銭広げる奴、頭がおかしいのでは?と思ってしまう。横にある皿はいったいなんなんだろうか
今時釣り銭トレーとか時代遅れだな。客がどこに金出そうが客の勝手だし、コンビニでカルトン置いてるところなんかないよな?なんで置かないんだろうな?
5 レジ清算中の店員に「あの商品どこですか?」と聞くために割り込むのはやめろ
レジでピッまるまる何点〜とかやってる時はお金を取り扱ってる為正直私は話しかけないでほしいと思っている。百歩譲ってお客様自身が清算中であれを買い忘れちゃった!って時は声かけても構いませんが他人が清算中で並んでるのに割り込んで聞いてくる奴、自分本位なんだなって思われてますよ
いちいちレジに並ぶのか?そのためだけに?クチついてんならどこの通路にあるかぐらいレジ打ちながら答えられんだろ。要するにお前の脳みその処理が追いつかない問題。
店内で作業中、近寄るわけでもなくおい!やちょっと!と叫ばれて顔をあげると手招き。近寄ると商品の名前だけを言う奴がこの世には存在する。多分そういうお客様はきっとおえらいひとなんだろうなあ。生きてるものが全部自分より下と思ってるんだろうなあ。そんなわけあるか せめて作業中でも構わないから近寄って自分のほしい商品と一緒に探してるという言葉を繋げて申してくださいませんかねえ。
生きてるものが全部ではないけどパートごときとスーパーの店員程度なら下に見えるヤツの方が多いよね。作業中でも構わないんならレジ打ってるときに割り込んでも問題ないよなあ?
7 人間らしい格好で来店をしてくれ
ごく稀に例えば今しがた田んぼに入ってきた!ほやほやの土が元気よく付いてます!!な長靴でご来店されたり手になんかすげえ汚れがこびりついたままご来店される人がいる。そういうのはやべーやつがきたぞオイ・・・と噂になりやすいです。まだその辺の野良猫や野良犬が店舗に入ってきたほうがマシレベルの体臭提げてくる人もいる。人とはなにかを考える瞬間がここです。
全部見張ってくくりつけてろ!!!とは言いたくないが店内を無邪気にカートを押しながら爆走、ポケットに未清算の商品をねじ込む、未清算の商品を壊す・汚す、勝手に商品の棚を弄くり回す、床に寝転ぶ・・・そういったじゆうでげんきなおこさまは連れてこない方がお客様の快適なお買い物ライフに影をさすことなく快適にお過ごしいただけるとお思います。大抵こういう子供を連れてるお客様はお子様を完全無視か完全放置かヒステリックにお子様をお叱りになり大泣きをされてマジギレみたいなパターンがありますよ 店内でお子様をお叱りになる時は抑えめの方がこちらも虐待なんでないかとはらはらしなくていいのでウィンウィンです多分。
それ次買い物に来たとき声に出してみ?正論だと思ってるならはっきり言えるよね。言ってみ?
商品の破損は弁償を求めますと書いてある店もあるしここの対応は店によって大きく方針が違うし弁償したくないって心理も私も人間なのでわからなくはないですが故意的ではない破損は本当に店員にいってほしい。あなたが破損させた商品をそっと商品の棚に戻すでしょう?それを発見するのは高確率で店員ではなく他のお客様です。マジでやめろ。戻すのはまじでやめろ。隠すのは本当にやめろ。それやってる人が周りにいたら即刻声をかけてください。故意的に破損させるより悪質だってことを。子供がやっても一緒です。店員に事情を説明してください。それぐらいの日本語は喋ってください。
いや、お前らは間違いなくワザと壊したと疑ってかかるから誰もお前らに申告しないんだよ。信頼されてねーのお前ら。信頼されてない人間が悪質もクソもあるか。
10 商品を戻す場所がわからなくなったら適当にその辺に置くな
万引きの手口で商品を全く別の所に置くという手法がある。なので店員としてはこれをやられると警戒をせざるを得ないのでわからなくなったら素直に店員に聞いてください。店から出してないしいいよね!なんてことはない。置く場所が法律で定められている商品もあります。せめて置くなら似たような商品がある場所に置いてくれ。私の勤めていた店では冷蔵庫に入っていた商品が紙商品の上に放置され温度差で水滴が紙商品に付着、紙商品全廃棄、要冷蔵商品だったため放置された商品も廃棄という大惨事があった。
お前らの対応が酷いからわざとやったんだろうな。お前の文章から接遇がろくになってないのがわかる。
11 割引やポイント付与などのカードや券は清算後に持ってこられると困る
お金が関わっていたりするのでお断りする場合もある。ご要望に沿える時もある。ご要望に沿ってる時はわりと店側は無理をしている状態なのでこの対応をサービスと勘違いしないでいただきたい。
それはよくわかる。
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
この類の話ってのは、まあよくある話ですし、帰納することでLGBT以外のマイノリティにも同じように演繹できるんですよね。
で、わたしもそのLGBT以外の属性のマイノリティなんですけども(メンタル系)、社会を殴りたいのはありますよ。毎日。しかしいちおう働けて経済自立できているし、恋人は作れないけど性欲のほうは自己完結できてるし、そこまで困窮してないから冷静に言えるのだろうけども。困窮してたら冷静になれないだろうなーとは思う。保護してくれ。
ちなみに自分がどのくらい社会を殴りたいかというとこのくらい:https://anond.hatelabo.jp/20170817024451
わたしは例の記事から「LGBTは自戒として、力いっぱい社会を殴り続けるようなことをしてはらない。そんなの相手が辛いだけだ」という教訓を得ることを狙っている、と受けとったのですが、その狙いとは真逆の反応が多くて困惑した。
https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A
だから、なおさらこの記事の狙いであろうことを今後も言い続けたほうがいいのでは、と思いました。何を言われているかちゃんと理解していますか?してないでしょ・・そんなだからこの記事を書かれてるんでしょう・・・。まさに。
しかし譲ってさらに突っ込んで考えると、「もはや冷静になって非LGBT者を対等な人間と考えてコミュニケーションを図る余裕すらないほどに深刻に困窮している」と捉えることができ、それはもはや自戒を課すことのできる状態ではなく、それ以前の問題であり、つまりは自立した人間でなく要保護・要介護のレベルと見なさざるを得ないことになるのですが・・、その判断をするにはちょっと躊躇している。
そんなことは無いですよね。
もちろん、自立できますよね。
もし本当に対等にコミュニケーションが取れないほどに困窮してるとなると、うーん生活保護とか、カウンセリングとかを申請することになるのでしょうか。よくわからないけども。
私は社会人、彼は学生、年齢は私が年下、そして遠距離恋愛である。
お互いに精神的に不安定な部分があるので、二人して落ち込むことがある。
その時に彼が、「○○(私の名前)である必要性をあまり感じない」という旨のことをぽろっとこぼした。
また別のときに、「○○(私の名前)が僕を嫌いにならないなんて信じがたい」などとも言った。
私は彼のことがどうしようもなく好きなので、
「じゃあ私がいいと思ってもらえるように頑張るね!」だとか
「信じなくてもいいよ」だとか言った。強がった。
正直、「私がいいと思ってもらえるように頑張る」のは付き合う前の片思い中だからこそ成立する話だと思うし、
それならなぜ付き合っている?キープか?と思う。
「信じなくていいよ」と心の底から思っているわけもなく、もちろん信じてほしいのだ。
私である必要性をあまり感じておらず、いつか嫌いになられると思っているのにも関わらず、
彼は私に好きだと、愛していると言うし、結婚したいねという話もする。
果たしてこれはどういうことなのかと、私は少し困惑していている。
私は付き合いたての頃、隠し事はされたくないししたくない、と言った。
彼はそれを忠実に守っていてくれているだけなのだと思う。
しかし好きな人に言われてとても傷つく言葉はあるし、なるべくならそんな言葉は聞きたくない。
伝えるにしてももう少しオブラートに包むとかしてほしかったなと、
心にずうっと引っかかっている言葉をふと思い出すたびに思う。
思い出すたびにショックを受けるし悲しいしつらいし傷つく。
宣言した通り、私がいいと思ってもらえるように頑張るべきなのか?
頑張るにしてもどうやってなにを?もうなにもわからなくなってしまった。
最近は毎日のように振られる夢を見るし、何を言われても「私でなくてもいいんだろうな」と思ってしまう。
彼が私のことを信じられないように、私もまた彼を信じられなくなってしまったのかもしれない。
傍からみれば、別れたほうがいいと思われるかもしれない。
すでに友人たちには遠まわしに言われている。たしかにそうかもしれないとは思っている。
でも私は彼のことがどうしようもなく好きなのだ。
遠距離で月に1度会えるか会えないかでも、思うように連絡がとれなくて電話もできなくても、どれだけ悲しい言葉を言われても、
それでも私は、彼の声が、匂いが、仕草が、言葉の選び方が、考えかたが、好きなのだ。
まさに惚れたもん負けである。
こんなに彼を想っていても、私である必要性をあまり感じてもらえないのだ。
本当に、恋は絶望だ。
セクハラに過敏な人ってのは、ここが戦場であることをわかってないんじゃないか?
性教育まわりで炎上してるんで持論を展開するぞ(何番煎じだろうけど)(知らんけど)
人間は成長して性徴すると性的な戦場に投入されるのが不可避なので、せめて正しい銃の撃ち方、避け方を学ばせてあげなければならない。それをしないで見過ごす親や教育者はとても酷いと思う。非人道的でしょ。だから例えばナンパのやり方と受け流し方を教えればいいんじゃないの?と言っている。あとオナテク。オナニーのやり方。
性教育せず思春期を迎えてひどいことになるのって、条約がないまま戦争やってるみたいな、第一次世界大戦で加減がわからないので大量破壊兵器つかいすぎて人が死にすぎてビビったみたいな構図と重なるんだよね。「死にすぎないように仲良くケンカしよう」っていう"程度"というものを人類は学んで、条約を作ったり大量破壊兵器の根絶を試みたりしてるわけでしょ。
日本の女性がやたらセクハラに過敏になってしまうのも、戦場であることを理解してないからなのでは?とも思う。「いや、ここは戦場だよ?流れ弾が飛んでくるのは当たり前じゃあないですか、何言ってるんですか..(困惑)」って感じなんですよね。いわゆるQBK、「急にボールが来たので」と同じ滑稽さなんですよ。ここが戦場であることを教えていないことが悪いと思うんですよ。
性的加害の正当化をしているのでは無いですよ。抑制してもなお加害はゼロにはならない、だからかわし方を身につけて、(精神的・肉体的)ダメージを低減しましょう、生存率を上げましょう。と言っているんですよ。性的自衛隊を各自が自分の中に訓練しておけ、と。
性的欲求の安全な処理の仕方を教えないのも罪だと思っている。三次元の生身の異性にいきなり触るとかダメ、ナンパして交渉せよ。性交OKの成功率を上げたければ魅力や交渉術を磨いて出直すんだな。それで間に合わないならシコって処理しろ。シコってスッキリすれば衝動も抑えられるぞ。床オナはペニスに良くないから気をつけろよ。ちんちん傷つけないようにローション使え。まんまん傷つけないよう爪切れよ。あとちゃんと風呂入って洗えよ。歯みがけよ。オナテクの宿題やったか?ちゃんと教えようよ。
そう言っているんですよ。
性教育に限らずだが、子供が生きていけるために子供を脅かすものを無くすとかいう方向性が意味不明すぎるんですよね。それ子供を弱くするだけじゃないですか。逆教育ですよ。戦場だよ? なぜ「子供を強くする」方向に行かないのか不思議でならない。どういう認知してるんだ。
なぜか「自然な食品や素材は無条件に良いもの」とされてるが、それだったらなんで人間には肝臓とかいう巨大な浄化装置が付いてるんでしょうね???? 自己で浄化しなきゃならん毒がいっぱいあるからですよ。自然界には。
世の中を見てて最近知ったんだけど、世の中には三次元とのセックスでしか性欲の処理ができない人間が居るらしくて、カルチャーショックだった。性欲をずっと二次元と向き合って自己完結してきた人生だったからね。
性欲を自己完結できない人間って、しんどいなぁ。自分が社会でやっていくための、外部への依存度が高い状態、つまり性的自立度が低い状態ですよね。それはそれで生きるのが大変そう。それって「彼氏/彼女を切らしたことがない」と豪語する人種のことなのかな。知らない世界すぎる。
それって見方によっては身体障害なのでは?とも思える。二次元で処理して自己完結する人間にしてみればそう見える。これは差別としての身体障害認定ではなくて、体がキツいなら適切な医療的措置を受けた方がいい、との提案です。風邪ひいたら耳鼻科行けとアドバイスするのと同じ。セックス依存症という精神障害もあるみたいですね。
だからセクハラ被害者の女性がmetooだので悲鳴をあげてるようなエピソードに出てくるセクハラオッサンの気持ちがずっとわからなくて、「非モテなら二次元でシコればいいじゃない」と性的マリーアントワネットになってしまっていたんだ自分は。
だけど、少しわかってきた。三次元じゃないと満足ができない人がいるのだ。
二次元で性欲を処理できない人間が、三次元という人里に出没して人を襲っているわけです。
だから、二次元の性的コンテンツを強化し、性教育によって二次元コンテンツでシコって性欲処理して自己完結するスキル、オナテクを教えることが、三次元女性への性被害を減らせるのでは?との推測ができる。
ただ、二次元で完結する悟った賢者ばかりになってしまうと、性被害者は減るだろうが、今度は三次元への性的関心が薄れていき、少子化に拍車がかかるような気もする。
大坂なおみは一応日本の国籍を持っているらしいが、日本語をまともに話せず、育ちのほとんどが日本ではない。
同様な違和感を、野球の外国人選手や猫ひろしのカンボジア移籍にも思う。
遺伝的に人種間で運動能力に差があるのが事実だ、そのため同じ競技で優劣をつけた際、明らかに人種文化で、偏りが生じるのも仕方がない。
だが、その差を埋めるため、または国内のスポーツで他チームに差をつけるために、他の国出身である選手を導入するのはどうなのだろうか
私はこれは外来種によって国内種が駆逐されていく状況と同じだと考えている。文化の侵害、人種によって文化を破壊する侵略に近しいものだと思う。
私は大坂なおみは、アメリカの代表としてテニスの選手になればいいと思う。我が国の同にもならない遺伝差でも努力している選手の邪魔をしないで欲しい。
人種、文化、コミュニティ内での競争に、その中で異様な力を持った人たちで駆逐しないでくれ
追記:3/29
予想以上に伸びてて困惑
ざっくりと返す
→そういう問題ではない
終わった議論だ
→それはお前の中だけ
日本も同じことやってたじゃん
→そういう問題ではない
→そういう問題ではない
→ハイハイそうですね
結論だけ述べておく
別に日本人純血主義を持ってるわけではないし、ナショナリズムがあるわけではないのだが
国代表と言われて出場してるのに、自分の国関係ないって言われたら誰だよってなる話
僕は自分と近い環境(生まれや育ち)の人間を応援したくなる人間なので、あまり近しくない他のルーツを持つ人間を持ち上げる気はない
あの人は完全にイギリス人だし、先祖が日本人だからと言ってあまり関係がない
ニュースの話題性のためなのか、ネタを増やすためなのか知らないけどあまり関係のない人間を日本代表にして日本スゲーってやるのも気持ち悪い
意味わかってくれるかな?
女性向けジャンルで同人活動しているのだが先日のイベントで困った事が起こった。
頒布をしていると一組の親子らしき二人が私のスペースにやってきた、妙齢の女性と高校生くらいの若い女の子だった。
女の子は母親に後ろからこそこそと支持をして私の頒布物を指さしていた、しばらくすると母親がこれとこれを下さいと言ってきた。
これは明らかにおかしいと思った、何故なら私の頒布物は全て18禁だからである。
恐らく読むのは娘のほうで母親は代理で買っていると瞬時に判断したので「こちらは18歳未満の方には頒布出来ません」と断ると母親は困惑し隣の娘は不機嫌な顔になってその場を去っていった。
(母親が娘に支配されている様子で親子関係が若干気になったし恐かった)
こんな買い方をする人に初めて遭遇したけれど次回からも同じ断り方で大丈夫だろうか、あの子が高校生ならあと数年で自分で買えるのだから18歳になったらまた来てね。
及川眠子先生がデレマスの「未完成の歴史」という楽曲の作詞を担当することが公開されました。
及川眠子先生といえば、残酷な天使のテーゼを作詞したにもかかわらず、エヴァンゲリオンを一度も見たことがないことで有名です。
ですが、この話落ち着いて考えると、残酷な天使のテーゼに関しては終わった仕事だからいいとしても「魂のルフランのときにはテレビ版見ろよ」というツッコミもいれれます。
そこで、原作にあまり興味がない可能性が高い彼女が突然アイドルマスターのパーティーに呼ばれたら、困惑してしまいます。
なので、及川眠子さんの知り合いから知り合いへと10人挟んで、彼女をパーティーに招待しましょう。
かみさまから、「マルコ福音書にある言葉だ。神はひとりであって、そのほかに神はない」
後期クイーン的問題の本質とは論理的な誤謬の可能性ではなく、犯罪者を断罪する倫理的な問題への問いかけだから。
「マルコ福音書にある言葉だ。神はひとりであって、そのほかに神はない」から、さくらももこ。
2人は、ブレイブストーリーという熱い絆で結ばれている。
2人は、模倣犯とう熱い絆で結ばれている。
ちょっと待って!
終了ー。
広場にいたのは以前、弟たちが色々と野暮なことをして困らせた魔法少女の人だった。
どうやら、何らかの催しと合わせてチョコを配っているらしい。
「うっわあ、あんだけ無作為に配るって、俺には絶対マネできないな」
「まあ、人気商売だからね。見返りってのは形のあるモノだけじゃないってことなんだろう」
配っているチョコはどうも魔法少女組合が販売しているチョコらしく、在庫処分なのか宣伝目的なのか分からないが、いずれにしろ利己的な思惑が絡んでいることは明らかであった。
慈善団体という名目だが、魔法少女をやっていくのは簡単ではないということなのだろう。
「タダで貰えるんだったら、俺も貰ってこようっと」
弟は列に並ぼうと魔法少女に近づくが、ミミセンが静止する。
「いや、僕たちはこれまでも魔法少女の人に図々しいことをしてきたし、今回はやめとこう」
それでもミミセンの判断が優れていることは分かっていたため、大人しくそれに従った。
「まあ、いいや、とにかくチョコを捌かないと」
「渡すアテはあるのかい?」
「とりあえず近所の知り合い、きっちりお返ししてくれる律儀な大人たちに優先して配ろうと思う」
予想外の人物からのまさかのバレンタインチョコにみんな最初の内は困惑するが、「こいつのことだからホワイトデーの見返り目的だな」とすぐに勘付く。
それでも受け取ってあげるあたり、良くも悪くも弟の人徳が成せる業である。
その道中、また知っている人物を見た。
『生活教』だとかいうのを広めている、時代遅れで薄味な新興宗教の教祖だ。
「皆様、バレンタインも宗教が関係していることをご存知でしょうか。しかし、贈答品がチョコというのは企業戦略の結果もたらされた風潮でしかありません。国によってはメッセージカード、花などを贈ることもあります」
バレンタインを話に絡めて、今日も飽きずに布教活動をしているようだった。
みんな教祖のことを胡散臭い人物だとは思っているのだが、それでも話に聞き入ってしまう者が何人か出てくる。
曲がりなりにも教祖なんてやっているわけだから、やっぱりそういった“素養”があるのかもしれない。
「恋人のための祭りという認識が一般的かもしれませんが、これも厳密に決まっているわけではありません。片思いの相手、友人、仕事仲間など様々です。つまりマクロ的な観点から見れば、チョコ以外のものを送ってもいいですし、誰に送っても問題ないのです」
いまの弟にとって、その教えは福音だった。
「こう、おっしゃる方もいるでしょう。『大事なのは真心』だと。ですが、それは目に見えませんよね。こう考えてみましょう。真心を可視化したものが贈答品なのだと。そう考えるなら、大事なのは“何を贈るか”ですよね? そこで『生活教』では、生活用品を贈答品として推奨しております……」
むしろ耳の痛いことも言っているのだが、こういうものは各々が都合よく解釈するように人間は出来ている。
流石に普段飲んでるものと、大衆店にあるものが一緒だとおもうのは世間知らずすぎでは。
追記 2018/03/14 16:27
お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「このレイコーまずいですわ」と酷評するシーン→お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「Hey、いつからここは泥水を出すようになったんだ?」と酷評するシーン
追記 2018/03/14 16:46
まずいものをまずいといって何が悪いのかと言われたので下記のように調整しました。
お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「Hey、いつからここは泥水を出すようになったんだ?」と酷評するシーン→お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「まずい!もう一杯!」と酷評するシーン
お嬢様言葉ではないことを指摘されそうなので一足先に変更しました。
お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「まずい!もう一杯!」と酷評するシーン→お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「こんなまずいもん飲ませんといてくれます?」と酷評するシーン
お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「こんなまずいもん飲ませんといてくれます?」と酷評するシーン→お嬢様が「このコーヒーまずいですわね」と言った時に「ほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね。」っていうお嬢様
なんかさっむいさっむいネタが通じず困惑したのでいっちゃん最初のやつに変更いたします。ご迷惑をおかけしましたわね。
お嬢様が「このコーヒーまずいですわね」と言った時に「ほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね。」っていうお嬢様→世間知らずのお嬢様がハンバーガーを「こんなうまいもん初めて喰いましたわ!」っていうシーン
よく考えたらハンバーガーは飲み物ではないのでわかりやすいものに変更しました。
世間知らずのお嬢様がハンバーガーを「こんなうまいもん初めて喰いましたわ!」っていうシーン →お嬢様がドリンクバーのコーヒーを飲んで「このレイコーまずいですわ」と酷評するシーン