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2017-10-12

急に3.11記憶が蘇った

記憶を蘇らせるきっかけは、RADWIMPSの「狭心症」という曲だ。

この眼が二つだけでよかったなぁ

世界の悲しみがすべて見えてしまったら

僕は到底生きていけはしいないか

当時、僕は静岡に住んでいた。その時間部活練習中で、人生でほぼ経験たことのない長い揺れを感じ、部員みんなで身を守る体制になっていた。震度こそ震度4だったが、異常なことがよく分かった。

練習の合間にガラケーを開く度、「M7.9」「大津波警報」「既に津波は到達している」「原発電源損失」という文面が流れてくる。

その後の余震静岡も頻繁に揺れていたこともあり、部活は中止になり、家で様子を見ることになった。

テレビを傍らに、まだ登録して一年足らずのTwitterに張り付いていた。まだ会ったことのない東京友達の安否を確認していた。

人生で全く経験たことのない非常事態に終始緊張をしていた。いまこの瞬間に多くの人が死んでいっているという事実が信じられなかった。

そのような状況で、急に聴きたくなったのがRADWIMPSの「狭心症」だった。震災のおよそ一ヶ月前に公開され、なんて暗い曲なんだと思って聴いていた。

世界から見れば今のあなた

どれだけ かくかくしかじかと言われましても

下には下がいるって喜びゃいいの?

僕は僕の悲しみも憂いちゃいかんとさ

3月11日の、深すぎる絶望のなかで、糸を垂らしてきたのがこの曲だった。

余震こそ来るけど普通に暮らせる場所にいた僕に届いた。捉えきれない絶望を、この曲がフィルターとなって受け止める役割、やるべきこと(やってはいけないこと)を示してくれた。

とは言っても、様子を見守ること、変なチェンメは流さない、ツイッターデマには気を付ける、このぐらいしか出来ることはなかった。

原子力緊急事態宣言」「名取で数百名の遺体発見

良い知らせなんてもう二度と入ってこないような世界になったと思った。

深い悲しみで数日間は動けなくなったが、月の後半には普通に近い生活を送っていた。

雨風は凌げ、計画停電もなく、食料も普通に手に入った。全然過酷な思いをしていたわけではないが、「狭心症」を聴く度に、あの日のことを鮮明に思い出す。

2017-10-04

大学生活が楽しい

私は公立の某大学に通っている。

私は受かればどこでもいいや精神で進学したクズだ。自己推薦でまぁワンチャン受かればいっか〜でなんと運がいいことに推薦枠が去年よりも拡大したお陰で受かったクソだ。大学進学を決めた理由はなんとなく、の馬鹿だ。

そんなんだから特別大学に期待はしてなくって、なんなら県外の進学で友人は誰一人いなくて入学当初は若干憂鬱だった。入学して1週間は友達が出来なくて私の人生灰色決定だなぁ……と諦めかけていた。しかし、案外大学がおもしろくて驚いている。

このおもしろさは、自分から進んで何かすればするほど決まる。入学当初のオリエンテーションで隣になった人に話しかけるとか、サークル部員獲得のためになんだってしてくれる(なんでもとは言ってない)先輩を利用してタダ飯食べて、どの講義おもしろいか聞いたり。これらをした時私はめっちゃ大学っぽい……!と感動した。

もちろん、イメージと違うこともある。講義自分自由に選べるかと思ってたら結構大学側で決められていたり。時間がたくさんあるのかと思っていたのに半日大学で過ごしているとか。単位を落とすかもしれない恐怖が想像以上だった。

でも、講義自分知識を磨けること、新たな考え方を身につけられること、実は日本でこの講師しか〇〇の研究をしていない〜みたいな人がいた時少しテンション上がるし、講師外国大学に通っていたことがあったら謎の信頼感があったり、おもしろい事はごろごろと転がっている。

なんでこんなに楽しめてるのか突き詰めてみると、おそらく、自己決定の場面が多かったからだ。親はどこでもいいよと言ってくれたし、教師の「進学するならこの県内大学の方がいいんじゃない?」という意見を押し退けた。いや、まぁ、自分価値観が古くて「大学進学せねば」と思って無理矢理目星をつけたし、一人暮らしがしたかたから県外にした。でも、そんな自己決定から始まって、一人暮らしをすればもっと自己決定の場面が増えて、大学生活でも自己決定して……

私にとって今の大学生活は、自己決定をする練習の場だ。つまり自由とは何かを確認する時だ。

練習の場があるという今の状況に感謝

まぁこれは建前だけど。

学生楽しい!これが本音

2017-09-23

あさひなぐ』のモデルとなったのは私の母校の薙刀

■この記事テーマ:私の母校の薙刀部が漫画モデルになった事実を基に、運動部漫画現実運動部の違い、運動部光と影についてを書いた。

(文化部にも言えることとは思う)

その1:部員飲酒

その2:部活活動時間・日数(あくまでも一般論として親のサポート部活熱心な顧問実態についても書いた)

■書いた目的:小中高校生とその保護者に「部活選びは将来の進路のことも見据えて慎重に考えて欲しい」と伝えるため

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今年2017年舞台化、映画化された漫画あさひなぐ』の薙刀部のモデルとなったのは私の出身高校薙刀部だ。

私は『あさひなぐ』を読んでない(観てない)けど、ネットであらすじを読む限りは爽やかで熱い運動部漫画という印象を受けた。

野球にせよサッカーにせよ何にせよ運動部漫画は、運動部きれいな部分しか見せない。

飲酒について

時々ニュースになる先輩から後輩への暴力指導者から生徒への暴力(いわゆる体罰)、生徒の飲酒喫煙などはまず扱われない。

母校の薙刀部も例外ではない。

私は薙刀部ではなかったけど薙刀部員の知り合いはいた。

ちなみに私が通っていたのは2000年代である

先輩後輩間の暴力顧問OG体罰というのは聞いたことはないが、薙刀所属の生徒複数人高校生(未成年)のうちに飲酒していた(喫煙は聞いたことがないし見たこともないが)。

私が知っているのは学校行事打ち上げ(夕食会)のことであり部活関係飲酒があったかは知らない。

しかし時・所が部活とは関係なくても未成年飲酒犯罪だ(軽犯罪だが)。

私も含めて先生にちくる人が誰もいなかったか彼女達は退学や停学にもならないどころか部活引退まで続けていられた。

彼女達が飲酒していた証拠はない。少なくとも私は持っていない。

私は母校の薙刀部もしくは母校全般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。

部活を頑張っている高校生(未成年)が裏で飲酒喫煙いじめや後輩への暴行をしているというのは、特定学校特定部活に限った話ではない」ということを言いたかたから書いたのだ。

部活活動時間活動日数について

部活活動時間の長さ、活動日数の多さについても、部活漫画で触れられることはほとんどないと思われる。

(ちゃんと調べたことはないが)

多くの教師Twitterなどで発言したり、マスコミ報道するようになって段々有名にはなってきたけど、今の部活活動時間はとにかく長いし、活動日数も多い。

私の在学中の薙刀部も例外ではなかった。

薙刀部はとにかくたくさん練習しているみたいだった。

平日4日~5日は普通に活動していたと思う。

土日も練習試合があったと思う。

土日のどちらか1日は休みだったのか、土日両日が部活だったのかまでは知らない。

夏休み冬休み春休み普通に部活があったと思う。

さすがにお盆正月休みはあったと思うけど。

先生にも親戚付き合いはあるだろうし。

正直なところ、大学進学を目指すならこういう部活勉強を両立させるのはすごく大変だ。

両立して、学年トップクラスの成績を維持するような生徒もいたが稀な存在だった。

薙刀部の部員ではなかったけど、同じぐらい忙しい部活に入っていて、勉強試験1週間前から慌てて始める生徒達も高校にいた。

そういう生徒はさほど珍しい存在ではなかった。

あさひなぐ』に限らず部活を扱った漫画等の影響でその部活をやりたがる小中高校生は多いだろう。

それ自体は悪いことではないけど、自分卒業後(または将来)どうしたいのか(具体的に言うとどんな職業に就きたいか高校受験大学受験場合はどんな学校に行きたいか)きちんと考えて、親ともよく相談して入部するか否かを決めて欲しい。

部活って、一度入ると辞めたくなっても辞めづらいので。

そうして悩んでいる間に勉強が疎かになって行きたい高校大学に受かりにくくなってしまったら、時間無駄なんじゃないかなと思う。

AO入試またはスポーツ推薦入学という手段もあるので、卒業さえすれば勉強できなくてもいいかもしれない(極論だが)。

私は今の入試のことは何も知らないので、入試のことも含めて親と相談してから入部を決めて欲しい。

■親のサポートについて

話は逸れるが親(ほとんどの場合母親)も子ども運動部に入ると、朝練や土日の練習に間に合うようにお弁当作ったり、ユニフォーム洗濯したり、部費を支払ったり、大会の送迎・応援に行ったりと、子ども部活関係仕事が増える。

(文化部でも吹奏楽部合唱部みたいな忙しい部活だと同上)

そういう意味でも生徒の皆さんは忙しい部活に入る場合は必ず親(ほとんどの場合母親)に相談して理解を得てから入部して欲しい。

母親が外で働いていようが専業主婦だろうが、母親にも母親人生がある。

大抵の親は子どものやりたい事をサポートしてくれるものだが、だからといって甘えないように(既に理解していたらお小言すみません)。

親にとって部活関係仕事が大きな負担で、やりたくてもできないケースもあるのだから

部活顧問について

どこの部活顧問かは書かないけど、部活教師という職業やりがいになっているかのような顧問は何人かいた。

そういう先生方は生徒・学生時代からその部活をしていて、部活顧問になりたくて教師になった様子だった。

うち2人は体育教師

母校に限らず、体育教師には部活顧問になりたくて教師になった(体育大学に入った)人が全国的に多いんじゃないかと思う。

近年ネットでもそういう体育教師がいるって話を読んだことがある。

いや、体育以外の教師にも特定部活顧問になりたくて教師になった方もいるようだが。

しかし、国語数学英語なら入試に関わるから生徒や保護者から分かりやすい授業や学力向上や進学実績を求められるけど、体育は違う。

体育大学の志望者以外には、受験指導も進学実績も関係ない。

母校で体育大学の志望者は珍しかった。

小学校ならまだしも、高校ともなれば生徒本人も運動ができない事を改善しようとしなくなるし(少なくとも私の目にはそう見えた)、保護者もそういう要望体育教師にはしない。

部活以外の生徒及び保護者からあれこれ言われないから、部活顧問に力を入れるなら教科は体育(もしくは音感技術家庭など実技全般)が適任なんだろう。

薙刀部以外にも薙刀部並に活動日数が多い部活は何個かあった。

母校以外の高校中学でもそういう部活は何個かあるだろう。

そういう部活顧問は、部活生き甲斐にするタイプであることが多いだろう。

(部活にあまり興味ないけど保護者や生徒の要望活動日数を増やしているケースもあるだろうが)

先生にとって部活生き甲斐なら土日や夏休み練習でも平気、それどころか嬉しいのだろうけど

活動日数や長時間練習負担になり苦悩する生徒もいるし、子ども部活サポートするのを負担に思う親もいる。

そういう生徒や保護者は珍しくはない。

私は『あさひなぐ』のモデルとなった薙刀部を(部員ではなかったが、同じ学校に在学して)知っている。

からこそ漫画で描かれる運動部と、現実運動部の違いを(運動部光と影と言ってもいいが)、小中高校生に知って欲しい。

母校の薙刀部に限らず、運動部文化部を問わず部活に入る前は活動日数や時間の長さ、先輩達が飲酒喫煙暴力に手を染めていないか先生パワハラ(体罰含む)を可能な限り調べて欲しい(生徒だけでなく保護者も)。

入部する前に親子でよく話し合って欲しい。

個人的には部活をする学校生活は良い物だと思うし、本人にやる気があって部活に打ち込む中高生を悪くは思わない。

しか卒業後の人生の方が長い。

部活勉強が疎かになり受験就職試験に落ちたら、その人にとって部活弊害だったと言わざるを得ない。

すぐには答えが出ないことだが、中高生のうちに「自分は将来何になりたいのか、どんな人生を送りたいのか」をよく考えて欲しい。

将来の目標卒業後の進路に、特定部活必要なのかよく考えて、親ともよく相談して欲しい。

部活でやった事を将来の仕事(スポーツ選手演奏家など)にできる人は少ない。

それでも部活をやる意味はあると個人的には思う。

しかし、部活をやることで勉強が疎かになったり、健康を損ねること(多すぎる練習飲酒喫煙などで)になるんだったら、その部活には入らない(続けない)方がいいと個人的には思う。

繰り返しになるが、私は母校の薙刀部もしくは母校全\般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。

多くの漫画では描かれることがない「部活実態」を伝えることで、小中高校生とその保護者に後悔のない選択をして欲しいと思い書いた。

(『忙しい部活に入るな』って意味ではありません。プロ野球選手になりたい少年には野球部必要であるように、部活子どもの将来に必要なら是非入部して欲しいと個人的には思っています)

なお、母校の名前は書かないでおく。

今の薙刀部のことは全く知らないし、現役の生徒達がかわいそうなので。

都立校、とだけは明かしておく。

学校公式サイト薙刀部のページにも『あさひなぐ』の薙刀部のモデルはウチだという主旨のことが書かれているし、検索すればすぐに分かりますよ。

2017-09-13

1

私は、幼少期から絵を描くことが大好きで、将来は専門を出、イラストレーターになると中学の頃から決めていた。

ほんとは、高校から美術系の学校に進むはずだった。けれど、「専門行くんだから高校美術系に進めさせてあげられない」

と断られ、(この時点で不思議に思うべきだった)バカなのでそのときは「そっかぁ」と納得し、高校普通科学校に進学した。

高校に入ってからも、もちろん中学と同じく、美術部に入ろう!と意気込んでいた。見学した際、部員の子が変わった子が多く、馴染めるかなあ…と不安もあったが、校内でなにか活動がしたくて、入ろう!って思っていた。しかし、ここでもまた止められる。母からは「バイトをしないといけないのだから部活ダメ」姉からは「あたしはバイトをしていて部活に入ってないのに、お前は入るの?それってとってもズルイと自分で思わないの?」姉の要望理不尽だろ…とおもったが、2人から責められ、気弱な私は、入部を諦めざるを得なかった。しかし、部活には入らずとも、陰ながら少し活動をした。どんなに地味でも良かった。わたしの絵が飾られたり、褒められたり必要とされることが嬉しかった。だから文化祭ポスター制作広告制作には人一倍気合を入れた。美術高校に行けなくても、部活に入れなくても、専門学校には必ず行けると、約束をしてくれている」

ずっとそう信じていた。でも違った。高校3年直前、「専門やっぱり行かせない

お金もないし、何より行く意味がない」いやいや、は?あたしが今まで我慢してきた活動は?なんのために美術科を諦めて普通科に?なんのために部活を諦めた?なんのためにバイトした?てか、行く意味がないって?私の姉は「特に理由はないけど、でも勉強したいから家を出て県外の大学に4年間行く。」という理由大学に行っている。意味がない、とはどういうこと?

なんの理由もなしに、大学に行っている姉は良いのに?ガックリきた。私の人生の道をメタメタにしておいて結局これ。もうなんだか、薄々感づいていたけどやっぱりこうなるのか、と。残念すぎて、悲しすぎて悔しすぎて悔しすぎて悔しすぎて、もう、言い返す気も起きなかった。だって今まで散々言われた通りに人生崩されてきたのだ。もう今更だ。そうおもった。そして、3年。就職先を探している最中も私はずっと専門が諦めきれずにいた。が、就活が始まり、私は早く終わらせたくて適当休みが多くて給料が平均くらいの職場面接を受けることにした。私の目の前で「願書書くだけだけど、専門めんどくなってきたぁ〜」などとほざく友人が憎たらしくてしょうがなかった。推薦書類履歴書も出し終わり、面接の日程も決まった。

いよいよあとは面接だけ。だが、私の弱い心がぼそりと言ってしまう「就職したくない。やっぱり諦めきれない、専門に行きたい」思わず涙を流してしまった。「言ってしまった」という気持ちが強かった。「いけないことをした」という気持ちでいっぱいだった。 すると、親から衝撃の言葉をかけられる。「いいよ、行けば?」はーーー???「何泣いてんの?ウザ。

から先生にやっぱ就活やめまーすって言って辞めればいいじゃん」この親、なんて無責任なんだろう。今更じゃん ばっかじゃないんですか?脳みそ空っぽですか?当然そんなことできるはずはない。担任にも申し訳なかったがダメ元で、「進路変更…無理ですよね」と確認をとったが「できません。」ですよね、当然だわ。わかってました、すみませんでした。親にそのことを

悔しさと腹立たしさのあまり、校内のトイレで声を殺しボロッボロに泣きながら

報告すると「ま、過去悔やんだってしょうがないよ、あんたが決めたんだし、どうしようもないよ」「なにウジウジしてんの?ウジウジしてもどうにもなんないでしょ?」原因はすべて私。母はそう思っているし、引け目すらない。

もうなんかほんと……むり………

・追・

おっさん説めちゃくちゃ笑いました。文体きちんとしようとしたらこうなりました。ちゃんとJKなのでそこは信じてください…

https://anond.hatelabo.jp/20170913031231

自ら好んでやってないわ

社会通念から強要されとるんじゃ

なんで化粧品会社美容部員は女しかいないんだ

テレビすっぴんの女が映るか?→農家とかでは映るわw

2017-09-09

クイズが得意なサイバーめがね斉藤さん(難しいほうの字のサイトウ)のブログを見て、思い出した。

高校生クイズに当時参加していた。私も。

受験を控えているにもかかわらずクイズ同好会を結成。20人近くいた。めちゃくちゃ水津さんの本や西村さんの本で練習した。早押し機を購入した部員もいた。このおかげで模試の成績が急上昇して先生たちをびっくりさせていたのも事実だ。田舎学校で全国で2桁が続出とかありえない順位だったらしい。すべてクイズ同好会員の仕業だった。クイズ効果はすごかったが、クイズに出そうな教科に限っての話だ。

超早朝というか深夜に足の踏み場もないほどの乗車率臨時クイズ列車に揺られて隣県まで行った。

から河原まで歩いて行ってクイズ大会に参加。1問目は正解。2問目は1問目ときに仲間が落としものをしてそれを探しに行って不正解。3問目以降はカメラの後ろから見ていた。そのあとの予選は35問くらい続いたけど全問正解だった。人生そんなものだ。

なんで、35問も続いたかというと、一番遠方から来ていたにもかかわらず、その県の参加チームが多かったからだろう。隣の県とそのさらに隣の県と開催県は、8問で決着がついていた。その県ども3倍の規模の県は35問やっても代表校が決まっていなかった。というか、8問で、1チームに絞れた県と8問で半分も残った県で何が違うのかよくわからないがそういうことだった。

さすがに最後は、福沢さんに指示を出していた彼よりえらい人が、もういい加減に〇と×に別れなさいとキレて決着をつけざるをえなくなり終幕。高校最後クイズ大会は終わった。

テレビ画面の中では仕切っていた福沢さんは、カメラが回っているときしかしゃべらず、腰が低かった。それ以外のときは、雑な服装をした人がたちが仕切っていた。テレビの中の虚像に気づいたときだった。

帰りは臨時クイズ列車もなく鈍行帰ることになった。前夜は午前3時に出発の列車に乗ったせいでほぼ寝ていなかった。オリンピックのころに作られたボロ電車の中で寝てしまった。隣の席のおねいさん、おっぱいにもたれかかって寝てしまいごめんなさいでした。終点まで支えてくれたのは何でですか。

2017-09-04

いじめられていた時私はどうすべきだったのか、未だにわからない



中学生の頃、教師も、友達も、家庭も、周りが敵だらけだった時期があった。

というか、3年間ずっとそうだった。

それは自分がなんらかの行動を起こさなかったからそうなった部分もあるのだが、

今になっても、自分があの時どうすべきだったのかわからない。

私は小さい頃から内気で大人しいタイプだった(今はそんなことはない)。

近くに声の大きい、いわゆるスクールカースト上位の人がいると、怖くて萎縮してしまう感じの子だった。

親が厳しく、親の言うことは絶対な家庭で育ったこともあってか、自分意見意思を持つことはほぼなく、流されやすい子でもあった。

でも何人かいつも一緒に過ごす友達がいた。中学生に上がる時に、その子に誘われて吹奏楽部に入った。

本当に誘われて入っただけだから何も知らなくて、最初水槽で何か育てるのかと思ってた。

まらなそうだなーと思いながら、流されて入部した。

パートトランペットになった。内気な私らしくない、目立ってかっこいい楽器だった。

本当はドラムをやりたかたか打楽器希望したのだけど、希望なんて一切考慮されていなかったし、毎年希望なんて通ってないよと先輩に言われていたので覚悟はしていた。それでもがっかりした。

トランペットパートの新入生はもう一人いた。Aちゃんという、気が強くて背の高い女の子だった。小学校の頃から苦手だと思っていた子だった。小学生の頃、面識もないのに私のことを「影が薄い子だ」とか言っていたのを知っていたからだ。

しかしろくに話したこともないのに避けるのは良くないし、部活をやめることも怖かったのでとりあえず頑張って続けることにした。

最初はビクビクしていたが、Aちゃんとはそれなりに仲良くできていたと思う(少なくとも、険悪な感じではなかった)。一緒にプリクラも撮りにいったし、お互いを名前呼び捨てにして、部活時間はずっと一緒に行動していた。

でも、入部して3ヶ月も経たない頃から、よくAが「気に入らない」という理由から無視してきたり、周りの部員に私の悪口を言うようになった。「気に入らない」というのははっきり言われたわけではないが、「○○なのがムカついた」とか言ってたので要するにそういうことなんだろう。

ある日突然急に話しかけても無視される。何か悪いことをした覚えはないのでAに「ねえ怒ってる?私、何かした?」と聞いて事情を聞いた。そしてAが私に対しての不満を言い、私が「ごめんね、私が悪かった。これから気をつけるね」と言う。これが2ヶ月に1回くらいのペースで繰り返される。

しかけることがとても怖かった私は、ある時はメールで怒っているAに話を聞いたこともあった。21時以降のメール禁止されていたので、「もう寝なきゃいけないから、また明日話そう」と送ると、Aは「なんで話の途中なのに寝るの?私と仲直りしたくないの?」とか送ってきて半泣きになったのをよく覚えている。

もちろん私は小心者なので、相手を怒らせるようなことは何もしていない自信がある。というのも、当時何をされたか記憶がほぼなくなっていて、何がきっかけでAの機嫌を損ねていたのかを覚えていないので、実際は私が本当に失礼なことをしてしまったのかもしれない。でも少なくともA以外の周りから性格言動に関して指摘を受けたことはなかったし、過保護で厳しい親から他人を傷つけることをするような教育は受けていない。

そんな心臓に悪いことが何度も続き、次第に私もストレスが溜まっていった。ストレスと言うとイライラするイメージだが、実際には怖くていつも泣いていた。最初部活には行き、隠れてこっそり泣くだけだったが、次第に部活時間に逃げるようになった。友達美術部にいたので、美術部に逃げたりしていた。しかしAと他の仲がいいいじめっ子女子を連れて私を探しに校内を歩き回っていた。美術室で物陰に隠れて、友達も「ここにはいないよ」とかばってくれていたのに、探されて見つかって連れ戻され尋問された時の恐怖はずっと忘れられない。怖すぎて何を言われたのかは覚えていないが。

他にも、悪口や仲間はずれは常のこと、「お前だけうまくなるから練習するな」というようなことを言われたり、時には「話し合い」という名のもと、教室の隅にAと他3人くらいの女子に呼び出されて、私に対する不満やら悪口やらを聞かされた。旅行に行ってお土産を買ってきたので渡したら、「そんなものいらない」と言われた。

他にもいろいろ言われたしされたけど今は思い出せない。ふとした時にフラッシュバックするんだけど。

言い返すことはできなかった。何されるかわからなくて怖くてできなかったし、一度退部も考えたけど退部後にずっと私の悪口を言いふらされるかもと思うと退部しても状況がよくなると思えなかった。されるがままになっていた。私が一度でもAに声をあげて言い返していれば、何かが変わっただろうか。

2年生になる頃には、毎日部活の帰りは泣きながら帰っていた。朝練時間部活後に人通りのない階段に座って静かに泣くのが日課だった。うずくまって泣いている時はたまたまある男性教員に見つかり、虫みたいだと笑われた。でもいつも一緒に登下校していた親友のBは、そんな私を見捨てることなく慰めてくれた(彼女も同じ吹奏楽部だった)。

勉強はきちんとしたかったので小学校の頃から塾に通っていたが、勉強が手につかなくなってきた。授業中に突然意識が飛ぶように眠ってしまうことが増えた。常に泣き疲れてたため自室で宿題をやりながら寝てしまうことも多々あり、そこを母親に見つかり怒鳴られ、平手で頬をぶたれ、あるいは蹴られていた。一人の時間が怖くなっていった。

どんなにつらくても、必ず学校には行っていた。というか、母親が怖くて行かざるを得なかった。母親は「つらくても一度行かなくなるとずっと行けなくなる」という意見の人だったので、休んだりすることは許されなかった。これが正しいのかどうかはわからないが、私には合っていなかったと思う。私には、とにかく一度休んで冷静になり、自分の置かれた状況やどうすべきかを考える必要があった。

とうとう部活顧問相談した。当時30代前半の、猫なで声を出す音楽教師顧問が親身になって話を聞いてくれた。といっても、そうなんだ、と相槌を打つだけだったし、「Aにも話しておくね」と言ったきり何もしなかったが。むしろ自分がAに嫌われて反抗されると厄介だったのか、Aに気に入られるようなことばかりしていた。

同じく30代前半くらいの女性の副顧問にも相談した。副顧問は優しかったが、彼女には私を救うような行動を起こせる権力?がなかったようで、でも顧問よりは私を心配してくれていた。副顧問自身もどうやら先輩教員からパワハラに悩まされていたようで、どちらかというとこっちが心配だった。

他のパートの同期にも相談した。その頃にはAの暴れっぷりは部活内だけでなく学年中に知れ渡っており、彼女たちは首をつっこむと自分が面倒を被ることがわかっていたので、「あーそうなんだ」と言うだけで終わってしまった(し、3年生になって役職に就くと、部活に来たがらない私に朝練にちゃんと来いとか言っていた)。

精神的にもきつくなってきた2年生のある日、また「話し合い」に召集され、塾の時間ギリギリまで帰してもらえないことがあった。急いで帰ると、母親にきつく怒鳴られたし、もちろん顔を平手打ちされた。そこでとうとう耐えきれず、母親の前で号泣してしまった。泣きながら、ことの顛末を話し、私だってこんなのもういやだ!と叫んだ記憶がある。それでも時間は守れ!と怒られ、塾に連れて行かれたが、塾でも泣いていたので、かなり人目を引いただろう。

帰ってくると、母親に、何か悩みでもあるのか、みたいなことを聞かれた。母親は本を読んでいたか携帯をいじっていて、真面目に聞いてきてはいなかったが、ようやく楽になれるかもしれないと期待した。

Aにされたことを(一部だが)話すと、じゃあ関わらなければいいと言われた。パートは一緒に活動するのでそうもいかない、という話をすると、じゃああんたが悪いんでしょ(何か悪いことをしてるんでしょ)、と言われてしまった。一瞬頭が真っ白になった。立っているのもつらくなり、自室のベッドに倒れこんだ。どんな状況でも、親は子供の味方になってくれるものだと思っていた、私が甘かったのかもしれない。

もう頼れる人は誰もいない、私はこのままずっと一人で戦わなければいけないんだ、と絶望したし、自分を追い詰めすぎて軽くパニックになっていた。その時、初めて部屋にあったはさみを手首に当てて傷つけた。痛みで冷静になれている自分がいた。(これは結局高校2年生のころまで続いた。)

(ここまで書いていると、なんだか本当は自分が悪かったのではないかという気がして来た・・・

その日から、私はこの状況から脱却することを諦めた。諦めようと決めて諦めたわけではなく、Aやその周り、顧問(、あと母親)の機嫌をとる方が簡単で、自分精神的に苦しむことが少ないと思ったからだ。

それからは笑っていられる日が増えた。部活楽しいとすら思った。でも夜に布団に入ると、考えることをやめて毎日惰性で学校に通い、イエスマンになってAのいいなりになっている自分がいることに気がつき、結局毎晩泣いていた。泣いてカッターで手首切って疲れて寝るのがルーティンだった。

3年生になり、パートリーダー顧問が決めた。顧問がAをパートリーダー指名してくれたおかげで、Aの権力正式に認められてしまうかたちになり、何をするにもAの許可必要になった。

その頃にはAの機嫌を損ねるのも3ヶ月に1回あるかないかになっていたし、もはや「Aのいいなりになるいじめられっ子であること」がアイデンティティになっていた。それがなくなると、私は本当に空っぽ人間だった。

局部活はそのまま3年間続けて、卒業することとなった。思春期大事な時期がこんなだったので、高校生になってから大変だったのだけど、それは今回とは関係がないので割愛します。

さて、私はこの3年間で、心を守るために自分を殺して逃げる以外に、どうすべきだったのでしょうか。

今のようにインターネット自由に使えない、電話もできないのでなんとかホットラインにも相談できない、家庭では悪者勉強をしない不真面目な娘扱い…

私が声を上げることができなかったので、3年間、ずっと苦しむことになったのだろう。それは原因の一部ではあるはず。

この出来事客観的に見れるようになった今でも、10年前の私はどうすべきだったのか、未だにわからないのです。


※補足ですが、私が3年間つらくてもなんとかやってこれた背景には、親友のBと、Bのお母さんの存在があります

Bのお母さんは、たまに会う程度でしたが私とAの事情を知っていて、会う度に私の心配をしてくれましたし、私は悪くない、Aが悪いと言って励ましてくれました。私にとって、一番信頼できる大人だったと思います。この方のおかげで、本当は自分は悪いことはしていないんだと、心を強く持っていられました。

また、Bも常に私の味方でいてくれました。毎日泣いていても付き添っていてくれたり、愚痴を聞いてくれたりもしました。彼女とは今でも深い交友がありますし、これから人生でBが大変な時は必ず力になりたいと思っています

BとBのお母さんには感謝してもしきれません。これを書いて改めてそう思いました。

以上、自己満足自分語り駄文でした。最後までお読みいただきありがとうございました。

2017-08-23

三重否定

東京新聞が「圧縮効果を知らないのか」と馬鹿にされているが、おれは全く別なことを指摘したい。

https://twitter.com/tokyoseijibu/status/900202551534129153にこうある。

この写真を見て、危ないと思わない人はいないのではないでしょうか。

高校生向けの小論文の書き方講座では二重否定を使うとガタガタ言われるが、このツイートでは豪快にも三重否定である

初見理解できる人はいるのだろうか。おれは三回読んでようやく理解した。米軍ヘリは危険存在、という暗黙の前提があってはじめて意味がつかめるのではないか

ちなみにこのアカウント

東京新聞中日新聞政治部公式アカウント部員がその日の政治に関する注目記事話題つぶやきます

だそうである。このレベル日本語能力新聞記者がやれるということには正直驚愕せざるを得ない。

いや、むしろ世の中ちょろいもんだという意味希望を持つべきかもしれん。

2017-08-14

いやいや

ちょっとまって。

このあいだに「体罰バッシングされたがよくよく聞いたら考えさせられた」案件があったばかりなのに、

未だに高校野球絡みで無責任批判できる人たちが多すぎないか

こういうのは当事者でもないかぎり、極力ROMっておかないと、

余計な被害者がでるかもしれないってなんで想像できんのか。

せめて本人か保護者部員から告発があってからでしょ、

部外者が叩けるのは。

ちょっとは頭を冷やしたほうがいいのでは。

中高と弱小剣道部の中の弱小部員だったんだけど

剣道動画を見て当時の劣等感がよみがえってきた。

剣道界では周りのほとんどの人が自分よりも強くて敵わない人ばかりだった。

基礎的な筋力がないことは明白だったけど、トップとの差が歴然としすぎて鍛えることすら諦めていた。

結局剣道から逃げるという形で高校剣道は終わった。

でも人生はそうはいかない。

キモ金おじさんは人生においてこれほどの劣等感を抱えてるのかと思うと可哀想

僕が剣道でそうであったように、きっと這い上がる気力すら起きないまで挫折を繰り返して、人生のものに諦めているんだろう。

2017-08-13

はてなー自分たちの異常さに気づいたほうがいい

甲子園下関国際の件で、監督指導方針が気に食わないからって、負けてよかったとか、部員野球しかできない馬鹿とか、生徒は社会に出て根性論再生産するとか、18歳以下の子供にそんな言葉を浴びせる君たちも充分に異常。

自分の子供が世間大人からそんな言葉を浴びせられたらどう思うかな。それも、自分は何も言ってないにも関わらず。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないけど、監督発言から本人の人間性疑問符をつけるのはいいとして、何も発言していない部員の負けを願ったり、人格否定をするのは間違ってると思わない?

マンガ的展開を実際にやったら叩かれた話

とある底辺高校野球部は荒れていた(よくある導入だ)

真面目に野球に打ち込む部員などおらず

みんな遊びのように適当にやるか部室で実際に遊んでるかのどちらかだった(想像

そんなある日、新しい監督就任した

監督であった(あるわー)

朝5時から練習しろといい、放課後は21時まで練習しろという

買い食いは禁止コーラ缶コーヒーは飲むなという

なんとスマホも持つなという

とにかくアホみたいに厳しい練習規律を課す鬼監督であった(まるでフィクションレベルだ)

当然、部員は辞めていく

最初から真面目にやるつもりもなかったのだから次々と辞めていく

しかし、どういうわけか一人だけ残った(これ主人公だよな)

その部員は一人で黙々と厳しい練習を続けていった

辞めていった元部員たちは不思議そうにその一人を見ていたが

一人また一人と野球部に戻り、部員は4人になった

4人は鬼監督の課した鬼のよう練習毎日続けていった

その姿は校内でも話題になっていった

笑う者もいれば応援する者もいて、部員も少しづつ増えていった

いつしか部員は9人を超えていた

試合ができるようになったので他校と練習試合をするぞと鬼監督は言った

近くの学校と何度も試合をこなしていった

最初は負けっぱなしだったが徐々に競るようになり次第に勝てるようになっていった

遠くの学校とも試合をすることになった

遠征費などが必要だというので漁港バイトすることになった

最初漁師たちもあのド底辺馬鹿どもがどうしたんだと不思議がっていたが(想像

最後には試合応援に来てくれるようになった(想像

とうとう地区大会を迎え、ド底辺野球部はなんとか勝ち進んでいった

学校でも応援の輪が広がり、応援団チアガールが出来て毎試合応援していった

もう笑う者などいなかったのだ

そして地区大会で優勝し、県大会進出し、県大会で優勝することができた

甲子園進出したのである

あのどうしようもないド底辺学校のド底辺野球部による甲子園出場という奇跡に町は沸いた(想像

あっという間に甲子園当日である(端折った)

1回戦の相手は初出場の無名校だった

序盤から失点を重ねるも、少しづつ取り返していったが

負けた

1回戦敗退である

大きなミスもなくファインプレーホームランも飛び出すなど立派に戦ったが負けたのである

部員はみんな泣いていた

悔しさで泣いていた

そう、あの野球部員たちにとって野球はすでに

「遊び」ではなくなっていたのだった──(第一部完)

2017-08-12

客先常駐歴X年、しかも飽きやす現場をころころ変えてきた俺が思うに、ITの開発現場で、プログラミング実装工程のことを「製造」と呼ぶ現場は、経験100%クズレベル現場だった。一つも例外がない。

逆にいくつかある「製造」なんて言葉を使わない、そもそも開発部員全員がプログラミングを「製造」だなんて考えたこともないような現場は、技術力も高く仕事に(常駐の俺でも)裁量が高く、居心地よかった。

ま、常駐続けててもアタリ現場を引くかは運でしかないので、さっさと人売りメインのゴミ企業を辞めて転職すべきだと思ってたけど、この度めでたく転職が決まった。無論、「製造」はない。

2017-08-06

誰とでもガストに行く女

だった。

別にガストに限った話ではない。私は異性と出かけることに抵抗がなく、むしろ同性と遊ぶよりも気楽で良いとすら思っていた。たとえ自分彼氏がいたとしても、だ。

高校2年生のとき初めて彼氏ができた。部活の先輩だった。先輩は生徒会活動が忙しく、校内にいてもあまり会えなかった。

からというわけではないが、私は部活の同期である男子と一緒に下校したり出かけたり、ということを平然と行っていた。

先輩に贈るためのクリスマスプレゼントを、彼女持ちの男子部員と二人で買いに行ったこともあった。その人は自分彼女ルームシューズを買っていた。

これバレたらやばいよね、と笑い合った。今思い返すとろくでもない。

いつからか、その人とは別のとある男子部員とたいへん親密な関係になった。その仲は、付き合っているのではないかと噂になるほどであった。

先輩は私に「訝しく思うこともある」と言った。それに対して私は「そいつことな別に好きでもなんでもない。貴方しか眼中にない」というような言葉を返した。

先輩は「じゃあ問題ない」とだけ言った。

これは余談だが、先輩は受験生だったのにセンター試験直前までガンスリンガーストラトスをしていて幻滅した。

その後あっさり別れた、というか私が彼のTwitterスパブロしたことにより関係消滅した。そして私は3年生になった。

高3の間はずっと、前述の親しい男子友達以上恋人未満みたいな関係をだらだら続けた。卒業式の数日後に付き合った。

友人から彼氏となった彼が大学の後期試験を受けているときに、私はクラス男子3人とカラオケに行っていた。人の心がなさすぎる。

私は大学生になり、彼は浪人したのち専門学校へ行った。

長期休暇で帰省するときだけ会っていた。その機会に私は他の男とも会っていた。帰省の際に他の男と二人で会うときは一応申告した。「全く知らない人だったら嫌だけど、その人(共通の友人)なら別にいいよ」とのことだった。

まあ大学では彼の全く知らない男と二人で遊んでいたんだけれども。

サークル同期の男子ガストに行ったり酒を飲んだりした。朝まで飲んで、それから酔った私の提案する意味不明散歩に付き合わせたこともあった。

サークルの後輩ともガストに行った。ウェイ大学生カップルで行くような季節のイベントに、二人で何回も足を運んだ。

彼はたぶんそれを知らない。何も明かさないまま彼とは別れた。

一緒に出かけた男たちは全く私に手を出さなかったが、「俺じゃなかったら襲われてたよ」と言われたことはあった。あと、「君はビッチだよ」とも言われた。

結局ガストに行きまくった後輩となんやかんやで付き合うことになった。

今の彼氏は私に「誰であっても他の男と出かけるのは嫌だ」と言う。そういうところが好きだ。

から、私はもう他の誰ともガストに行かない。ガスト以外にも。

しみじみとそう思うのである

2017-07-27

頑張った弟の話

弟の夏はもう終わった。

例年より早い終わりだった。


弟は普通だった。

頭はそこそこだけど、ちょっと長距離走は得意だけど、

背は低いし積極性はないし人望がある訳でもないし、

かといって問題がある訳でもなく、毎日を滞りなくこなす、ごく普通少年だった。


そんな弟が二年前、部活動をあるスポーツにすると言った。

弟のこと、どうせ個人競技だろうと思っていたのだが、

彼が選んだのは団体競技しかもこの学校が強豪と名高いスポーツだった。

家族総出で驚いたのを、よく覚えている。


そのスポーツは、競技人口は少ないのに、この地域ではなぜか盛んだった。

しかもその学校は、公立なのに全国常連という、歴史ある名門だった。

実際、先代は地方大会を難なく勝ち進み、全国大会でも活躍したし、

弟もベンチメンバーとして、夢の舞台に連れて行ってもらった。


けれど、弟の学年は、とても弱かった。


部員5人、経験ゼロ

平均身長は、同世代の平均にも満たないのであろう。

少なくて、小さくて、下手くそで。

それが弟のチームだった。


強豪なのに、今年は弱い。

貼られたレッテルも、違わない現実も、相当に重たかっただろう。

父は弟を「谷間の世代」だと言った。

経験者ばかりの後輩たちは、自分たちのほうが強いのに、と思っていたに違いない。


代替わりしてから、弟のチームは公式戦で一度も勝つことがなかった。

夏の選手権を全敗で終えて、弟は初めて泣いた。


多分、たとえ頑張らなくても、試合に負ければ悔しいし、泣きたくなるんだろうと思う。

姉にはスポーツ経験がないから、想像しかないけれど。

結局、頑張ったかどうかなんて、結果以上のことは、本人にしかからないのだ。


でも。


炎天下で真っ黒になって。息苦しい室内で全身汗だくにして。

靴下体操服を泥だらけにして。練習着もシューズも擦り切れて。

彼の頑張りは、目に見える形で、そこにあったはずだ。


何より、最後大会での活躍は、目を見張るものがあった。

誰よりも頭を回し、誰よりも相手から圧力を受け、誰よりも点の取りにくいポジション

そこで彼は、速攻を決め、リバウンドを取り、先制点を3も奪ってみせた。

大差がついても最後まで諦めずに、走って走って、一点でも多く取ろうとしていた。


二年間の集大成が、たしかにそこにあった。


弟は積極的でないから、何かを自発的にするような子ではない。

けれど、先生の熱心な指導に、当たり前のように着いて行こうとする子だったのだろう。

疲れた」としょっちゅう愚痴をこぼしても、「嫌だ」とは一度も言わなかった。

彼なりに、このスポーツが好きだったのだろう。


団体戦というのは、当たり前だろうけれど、一人だけの力ではどうにもならない。

偶然に集った仲間にもよるし、巡り合わせた相手にもよる。運だって人にはどうしようもない。

他のチームが強くて、弟のチームが弱かった。

この結果は、ただそれだけなのだろうけれど。


あの、淡白でこだわらない弟が、「悔しい」と涙をこぼしたから。

一度、たった一度でいいから、誰もが分かる形で報われてほしかったと。

今でも願ってやまない。


進学しても、このスポーツを続けるかどうか分からないと、弟は言う。

それは彼が決めることで、私たち家族が言うことは何もない。


ただ、きみはたしかに頑張っていたよと。

戦績からは見えない、記録にも残らない、きみの懸命な二年間がそこにあったよと。

誰かに知ってほしかったという、ただのブラコンな姉のわがままがあるだけだ。

2017-07-24

「気が付かなかった…」突然の肌荒れ地獄を救ったおばあちゃん医師

化粧品なんてなんでもいい。正直そう思っていた。



肌が強かったのか、これまで肌の悩みはなかったし、口コミサイトで人気の化粧品を使っておけばいいや。そう思っていた。



そもそも化粧品なんて男性みたいなもので、本当の意味自分に合っているかどうかなんて絶対にわからないし、一生懸命探せば確実に見つかるものでもない。



評判が良くても使ってみなければわからないし、それもある程度の期間を経なければ真価なんてわからない。



からあんまり気にする必要はない。そう思っていた。



でも全然そうじゃなかった。

化粧品の正しい知識選択女性にとって人生の質に関わってくる。



肌の悩みは女性にとって人生の質にかなり関わってくる。



肌に問題があると心に余裕がなくなり、外部との接触も減って自分世界が小さくなってしまう。



職場人間関係もぎくしゃく、友人が減り、彼との関係も悪くなっていく。



私はそれに気が付かず大変な苦労をしてしまった。



大げさに聞こえるかもしれないが、私は化粧品選択違いで、肌荒れ、ニキビ、最終的にはシミ。肌の悩みで長い期間苦しんだ。



死に物狂いで解決しようとも、方法を見いだせず、ノイローゼ寸前、そして金銭的にも危機的状況にまで追い込まれた。



肌に関して悩みに、悩みに、悩んだ結果、幸運出会いもあって、今は奇跡的に肌の悩みが全くない状態人生を前向きに楽しむことができている。



もっと早く気がついていれば、知っていれば」



今の肌にはもちろん満足しているが、ちょっとばかり吹き出物のあとが残ってしまった部分をみると、この後悔が湧いてくる。



基礎化粧品についての体験談なんて、あまり多く出るものではないと思うけど、私と同じく「根本的な間違い」によって多くの人が肌トラブルを抱えて苦しんでいるんじゃないかと思って、私の経験を伝えてみたいと思った。



今の基礎化粧品が合ってないと思う人、長年肌トラブルで悩んでいる人、最近になって肌質が変わったなと思う人は参考になると思う。



興味があったら読んでみてください。

普通の私の唯一の「自慢」



私は特に美人というわけではない。
学生時代も注目をあびることなく平凡に過ごしてきた。



30歳になればそのくらいはもう痛いほど自覚している。
美人生き方は到底できない。



からまり目立つことはせず、「普通女性」として生きて来た。普通大学を出て、普通に就職をした。



そんな私だが顔もスタイルも平凡な割には昔から男性受けは良い方だった。性格特別に良いわけではない。



ただ、肌だけには自信があった。



色の白いは七難隠すとは良く言ったもので、男性は本当の私の見た目以上に私を評価してくれているようだった。



「美香ちゃん肌キレイだね。」



というのが男性からもらえる唯一の褒め言葉だった。



肌こそが私の女としての価値



他になんの取り柄がない。



そう思っていた私は、いつしかこんな考えに取り憑かれていたのかもしれない。。。

突然訪れた絶望の序章



そんな私に突然変化が訪れたのは30歳時、冬に差し掛かる頃だった。



朝起きて顔を洗うとフェイスラインの部分に違和感があった。



「ん??なんだろう・・・」



そう思ってもう一度触ると、フェイスラインにそって大きな吹き出物が一つ出来ていた。



肌が強いといっても生理前などには吹き出物ができることはあった。



少し大きいから嫌だなと思いながらも、メイクで隠せばいいやと気にせずに放置していた。



いつもはこれでOK。忘れたころには治っていた。



しかし、この時は違った。ここから悲劇の始まりだったのだ。。



翌朝、気になってフェイスラインを見てみると、



「もう一つできている。。。」



フェイスライン上にもう一つ大きな吹き出物ができていた。これだけではない。



よく見ると鼻の頭にもニキビができていた。赤く腫れ上がった鼻は触ると痛みもあった。



初めての経験。



そして、見た目にかなり影響のあるその赤さに軽いパニックに陥った。



化粧水を塗る手が汚れていた?」


「昨日食べた揚げ物が悪かった?」


「枕カバーを洗ってなかったから?」


寝不足が原因?」


「なんで?なんで?」



化粧品食べ物生活スタイル、何かを変えたわけではない。



年齢によるホルモンバランスの変化なのだろうか。



考えうる原因が多すぎて対策が全くわからない。



肌になんて一度も悩んだことになかった私の頭の中は肌の悩みで一瞬にして埋め尽くされた。



ネットで肌の悩みを検索するが何が原因かなんてわからない。私はたまたま目にしたキュレーションメディアの「化粧品が合ってないのでは」といったトピック記事を読んで、それを鵜呑みにした。

化粧品甘い罠



まずは化粧品を変えてみよう。



肌は1日2日で改善するものではないが、一度荒れ始めると特効薬がどこかにあるのではとそれを探すようになる。



私は「高い化粧品こそは特効薬」と浅はかな意見に取り憑かれ百貨店に急いだ。



冷静な判断力を失っていた私はとにかくネット情報鵜呑みにした。



口コミサイト上位の化粧水美容液ニキビ対策化粧品、これらを探して店を回った。



美容部員アドバイスも受けず、ほしいものだけを提示し、購入した。



化粧水8000円


美容液:12000円


ニキビ対策美容液10000円



正直とんでもなく高い。


以前の私なら絶対に手を出さな金額であったが、悩みがあると不思議と安く感じてしまう。



高い=良い=効くはず



という思い込みも強くなる。



「これで開放されるんだ・・・」



この全く根拠のない安心感に包まれたのを覚えている。



早速家に帰り、使用量よりも多めに使って、翌朝には治っているかのような期待感で眠りに就く。



当然1日で肌が改善するわけはないのだが、現状維持をしているだけで、改善しているように感じる。

1週間くらいは荒れた状態ではあるが、その状態は維持できていた。



しかし8日目、また新たな吹き出物が発生した。



「どうして・・・」



高くて評判の化粧品、足りないものがないようセットで揃えたのになぜ?



信じたくないその事実にまたも混乱をした私は



もっといいもの必要なのか?」



とより良い化粧品を探しに走った。

いわゆる最高級化粧品だ。



今まで目にも入らなかったので気が付かなかったが、化粧品というのは実に多様で、高いもの美容液10万円なんてものである



何とかしたい。その一心で私はフランス最上級ブランド美容液にすがることになった。



一本40,000円の美容液、吹き出物対策のジェルで25,000円、UVも吹き出物に影響するとのことでUVクリーム22,000円



結局10万円に近づいてしまった。それでも私は



「今度こそ救われる・・・」



と素晴らしい安心感に包まれていた。

今思えばこれは完全に化粧品依存症だった。


当然ながらこれも根本的な対策とはならず、数日間肌が改善したようには思われたが、またフェイスラインと鼻に新たなニキビができてきた。



「ここまでやってもだめなのか・・・

噂の人たちはどうだ??



肌問題解決人生の全てになっていた私は新たにインターネット情報を探し、最終手段としてテレビなどでも度々話題になる有名美容皮膚科に足を運んだ。



予約の電話を入れると、1週間先なら空いているとのこと。その人気振りに「ここなら何とかしてくれるかも」という期待感が芽生えた。



そして診察当日、中世ヨーロッパのような豪華な内装に驚きつつ、診察室に入ると、テレビで見たことがある先生看護師を背後に2人も携えて登場した。



私は、



突然肌が荒れるようになったこと



化粧品を色々と試し、


食事野菜中心にした


カバー毎日洗っている



これらの対策をしても改善せず定期的に吹き出物ができてしまうこと

を伝えた。

それを受けて先生は何やら色々と説明をしてくれた。対症療法としては吹き出物はレーザーで焼く、食事面は糖質を減らしていく。そして食事で補えない栄養素はサプリメント補給するとのことだった。



正直ウルトラCを期待してしまっていた私はあまり新鮮味のない回答に拍子抜けしてしまった。



ただ、先生権威もあったので、勧められるまま、試してみることに。



しかレーザーで焼いた部分はかさぶたになってメイクでも隠しきれない状態になった。また糖質制限をするにしてもどの程度までやっていいかからず、かえってストレスが溜まった。



当然吹き出物もまた出来た。



翌週の診察であまり改善しない旨を先生に伝えると今度はサプリメントによる栄養補助を進められた。ビタミン剤が30日分9,000円程度と非常に高くびっくりしたが、藁にもすがる気持ちで私はそれに飛びついてしまった。

安らぎの「代償」



それでも一向に状況が改善はしなかった私はとうとう何をしていいかからなくなってしまった。そんな私に追い打ちをかけるようにクレジットカード請求書が届いた。



請求金額:368,781円・・・



殆ど化粧品美容皮膚科自由診療費、そしてサプリメント費用だ。



私は肌荒れの苦痛から逃れることに必死になりすぎて後先考えずに行動を取ってしまっていた。



幸い何とか支払いをすることが出来たが、一般OLの私のなけなしの貯金の大半を取り崩すことになってしまった。



ほんの些細なトラブルから私は精神的にも肉体的にも、そして金銭的には追い込まれしまったのだ。



もはやお金もかけられない。でも肌トラブルは治まらない。解決策も見いだせないけど、症状を受け入れて生活することもできない。



徐々に私は精神的にも不安定になり、外に出るのが怖くなった。会社休みがちになっていた。

カミングアウトそして意外な展開


そんな私の様子を感じ取ったのであろうか。実家の母が突然私に電話をしてきた。近くにくる用があるので、家に立ち寄るという。



あってすぐ私の様子が違うことがひと目でわかったのだろう。母は大事のようには言わないが落ち着いたトーンで



「どうしたの?」



と一言だけ聞いてくれた。



傍からみればたかが肌荒れ、でも私に取っては存在に関わる大きな問題。友人にすら言いにくい悩みをやっと打ち明けることができると思った途端、安堵感から涙がこぼれた。



母には率直に



「急に肌が荒れはじめて、原因も対策もわからない。自分に自信がなくなって、人に合うのも怖くなって精神的に辛くなっている」



と伝えた。



母は、「全然気にすることないのにねー」というが、私は



「みんなそう言うんだよ・・・」



と心の中で思う。



すると母が、「じゃあ、肌がキレイに戻ったら元気がでるの?それならカンタンよ。」



「え??」



私は思いもよらない母の言葉に耳を疑った。



「私が昔から行ってる皮膚科先生相談すれば一発よ」



「何!?魔法の薬でもあるの??」



そう思いながら翌日すぐに母の紹介で実家付近皮膚科に行った。

おばあちゃん医師の知恵?



クリニックは現在風の要素は皆無。マッチ箱のような規模感の古びた建物にひっそりと存在していた。以前にいった美容皮膚科の豪華絢爛さとは全く違う。その外観に私は失望を隠せなかった。



「でもここまで来たのだから診察は受けておこう。」



受付を済ませるとすぐに診察室に呼ばれた。



中に入ると小太りのおばあちゃんが座っている。



「こりゃだめだ」



私は心の中でつぶやいた。するとおばあちゃん先生は



あんた飯村さんちの娘さんね。肌が荒れてるんだって?」



「はい・・・



私は既に期待もなにもないので適当に返答をした。



すると先生は、



「私の肌見て、はいキレイでしょ。私80歳ね。」



「早く診察してくれよ」

と思ったけど、確かに80歳には見えない。肌だけみたら60台前半には見える。何より肌のキメが細かくシミ・シワが異常に少ない。



「私は化粧品使ってないの。保湿剤だけ。今の若い子はほとんど保湿が出来てないから、肌が荒れるのよ。はい。保湿剤あげるからこれを朝晩ちゃんと塗ってね。」



診察はわずか1分。薬などは一切なし。プロペトという保湿剤を処方されただけ。
あまりのあっけなさに怒りすら感じ、母に連絡をした。すると



「なんでもいいか先生の言うとおり保湿に注意してみなって。」

と突き放す。

意外な効果、あの肌を再び



まあお金もかからないし、やってみることに。夜寝る前と朝に塗れとのことなので、貰ったプロペトという保湿剤を風呂上がりに塗って試してみることにした。。



顔がすごくベタベタになるのが本当に嫌だったが確かに顔を守られているような感覚はあった。



ベタつく感覚違和感を覚えながらも、そのまま眠りついた。翌朝、意外にも早速効果が現れてきた。吹き出物が少し小さくなったような気がするのに加え、乾燥する感じは全くなく、もちもち肌になっていた。



「これはいいかもしれないぞ・・・

そう思う気持ちもあったが、シンプルすぎる対策に疑問を隠せないこともあり、もう少し様子を見ることに。



様子を見ること1週間。



新たな吹き出物は一切できない。



その間付き合いで少し脂っこいものを食べようが、夜更かしをしようが寝る前に保湿剤をきっちり塗るだけで一切肌が荒れなかった。



「え??もしかして私が悩んでたのってすごく単純なことだったの??」



きちんと肌を保湿をする。



そんな単純なことが出来ていなかったために私はこんなに苦しんだのだ。



肌に塗るもの第一優先は保湿なのだ。肌の水分を減らさないために保湿をする。それが一番大事あくまでその他の効果は2の次なのだ。



保湿をすることで肌本来機能を発揮してもらうことの方が、新たな成分を肌に付加し、浸透させようすることよりもよほど重要だと今では思う。



この経験を元に、保湿を中心とした化粧品選びを行った結果、今では昔と同等もしくはそれ以上の肌を取り戻すことが出来た。



始めて合う人からも「肌が綺麗ですね」と言われることが増えてきた。



吹き出物が多く出来た時期に跡が少し残ってしまったのだけが後悔だが、今は自分の肌に満足できて、自信も取り戻すことができた。

あなたに伝えたいこと



今まで化粧品に費やしてきた多くの金額無駄なのではないかと今は思っている。



もちろん身だしなみとしてのメイクファッションと同じで好みに応じてお金をかけてもいいと思うけれど、



基礎化粧品に関しては月に数万~数十万は掛ける必要はないと思う。



保湿力の高い基剤を使った基礎化粧品を一個使っていればいい。



私は最初病院で処方されたプロペトという保湿剤を使っていたけど、これだとベタつきすぎてメイクができないので今は月に4000-5000円のオールインワンジェルを使っている。



もし、あなたが肌の問題で悩んでいるのであれば、使うもの別に何でもいい。ただ、他の成分は無視して、まずは保湿力の高い化粧品だけを使ってみて欲しい。



高級化粧品なんて決していらない。



もちろん高級化粧品は素晴らしい製品だとは思うし、私達女性にとっては見ているだけで楽しい一種エンターテイメントだ。



だがそれによって本来の悩みを解決できず、むしろ更にあおり金銭面でも追いつめられてしまうこともある。



重ね重ねになるが。肌に悩みがあるならまず保湿。これをやってみて欲しい。



その効果にきっと驚くはずだから

。

私のような経験者の話が少しでも役に立てば嬉しいです。




2017-07-05

部活動

私は1年の途中より合唱部に入部しており、夏にあるコンクールに向け体調を崩さない限り休まず毎日練習に参加していた。

入部当時の印象と今の部活動の状況

入部当時は文化部という事もあり三年生の時にゆっくりと出来るのではと考え入部したのに、入ってみれば夏の大会前は一日休みで過ごせる日などまずなく、土日は半日以上練習がある。休みテストの影響による休みの日と学校のある日に月一あるぐらいしか休めない。

(私の学校では吹奏楽部もほぼ同様の練習状況であるが、上記2つの文化部に比べ美術部は写生大会がない限り基本土日は休み、平日でも早く終わることが多い。)

大会があるとはいえ冬は休みがあるが、夏はとんでもなくきつい。

おまけに三年生は受験私立オープンスクールもあるというのに何だかんだで11月までほぼ毎週の土日どちらかにある地域イベントに出る必要があるため、大会後も週2で部活動に行かなくてはならない。

しかも、部内の問題も多い。

実際、いつも来る部員はほぼ固定されてしまっている状態であり、幽霊部員が多い。

(連絡なく勝手に休む人がいたり、部内で密かに差別されている人(反応から見るに恐らく私なのだろう)がいたり言われてもいない悪口を言われたとして他の部員冤罪を吹っ掛けて休もうとする人がいる等…これに関しては別件で言った方がいいのだろうか)

もう、こんな環境の悪すぎる部活動はこりごりだ、続けたくないと思いながらどうにか8月の二回目のコンクールまではせめて残れる様にと無理に辛い日々を送っている。けれど忙しく、精神的にもきつく、まず復習やら予習やら満足に出来ない。しか先生達はそう簡単部活動をやめさせてくれやしない(いつも来る部員の人数が、大会の最低参加人数ぎりぎりのボーダーラインであるためということもあるのだろう)。

こんな状況で私は、やはり部活動を続けたくないと思う。最近あった、とある中学生家出の様なことをしてでも本当なら部活動を退部をしたいと思う。国だけでなく、各地都道府県市町村教育委員でも部活動の扱いに関係する明確なルールを決め、この様な状態改善されてほしいと、私は密かに望んでいる。

2017-06-04

このまま終わりたくない

中学生の頃、半ば強制的駅伝部に招集された。

3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。

中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。

辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。

中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。

1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。

その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。

また冬が来た。

去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。

「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。

真冬太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。

一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。

巡って中学生最後の夏が来た。

冬場の合同練習の成果が出たのか市大会簡単突破できた。

大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。

僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。

東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。

勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。

僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。

ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。

2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。

そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。

設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会運動部が出場するのは初の快挙だった。

僕らは涙を流しながら抱き合った。

顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。

数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会舞台に立った。

1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。

実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。

全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。

詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイク大会に臨んだ。

だがこの判断が間違いだった。

ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。

下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。

集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。

僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。

僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。

仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。

自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。

同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生勧誘やらを前に迷っていた。

「これから先でも戦えるのだろうか」

全国大会天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元友達皆が行く近場の学校入学しようと考えていた。

そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。

僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。

県内同級生に噂は聞いていたが僕より速いやつがいた。

正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。

そいつが僕と同じ学校入学するらしい。

僕は期待と不安を抱きながら、その高校入学した。

高校生活は人生の中で最もつらい時期だった。

教師は怖く、理不尽が人の形をしたような奴だった。

結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心ボロボロだ。

それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。

ただ教師陣には恵まれなかったが仲間には恵まれた。

前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。

色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。

僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。

この事実教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑から走れ」と練習強制された。

当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。

僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。

そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。

今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。

歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。

この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。

1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。

ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。

それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎ区間だったが。

少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。

怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。

それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。

僕は迷った。

でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。

高校での陸上生活が終わり、大学へと進学した。

だけど僕の身体はもう限界だった。

1ヶ月以上練習継続できないのだ。

少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしま練習ができなくなる。

救いなのは大学はある程度自由トレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。

ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝メンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。

僕は多分中学生の頃の栄光をまだ引きずってるんだと思う。

大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。

大学4年生になり、実業団に進むか就職をするか悩んでいる。

正直箱根駅伝メンバーにもなれない人間実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。

でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。

現実は厳しくて、身体が急に良くなって20km以上の距離を走っても壊れなくなるわけがないのに。

中学生の頃の栄光が、高揚感が、僕をこのまま終わりたくないと感じさせている。

2017-06-01

午前中に愚痴って、ちょっと落ち着いた

仕事がない仕事がない仕事がない。社内ニート増田twittertogetterもにちゃんもできるけど。にちゃんはエロ広告が多すぎるから会社で開きづらい。

転職エージェントさんと話して、お昼休みにも諸先輩方とお話しして、ちょっと落ち着いた。しかし、転職しようという気持ちは余計に強くなった。

諸先輩方の話によると、上の人らは忙しいので、下々のことまで見ていられないらしい。マネジメントしてねぇ(白目)。マネージャーじゃなくて、うーん、ディレクターとか、そういうような役職名に変えたほうがいいと思う。というか、その諸先輩方も、上の人らがいない今週は、割と暇らしい。

なんで採用したんだ。いらんやん。いらんやん。馬鹿にしとるやろ。その忙しい仕事を割り振るために、部員がいて、みんなで協力してやっていくのではないのか。

変な会社に入ってしまった。失敗だ。転職って難しい。働いている人たちはみんないい人だし、環境としてはすごくいいんだけど、一番大事な【仕事】が【ない】んじゃ、仕方ないと思う。あんまりだ。

今度こそ、という気持ちが強いけど、あんま気負いすぎるとそれはそれで失敗するしなぁ~。

2017-05-21

部活モノのアニメ漫画テンプレ

主人公が部を作る(または潰れかけの部を復活させようとする)→部の条件を満たしていないと忠告を受ける→相棒と共に部員を探す→生徒会長だとかの妨害に合う→なんだかんだで妨害は失敗に終わる→無事に部を作ることに成功大会だとかに出る

何らかの部活テーマになってると、このパターンアニメ漫画って、結構ある気がする。分かりやすいところでは、ラブライブ!とか。ヴァンガードリングジョーカー編もこのパターンだし、見たことないけど友人が言うにはFree!もこのパターンだとか。

パワプロクンポケット1もこんなノリだったよな。

このパターン元ネタって何なのか結構気になる。

何か古い映画だったりするのかな。

2017-05-03

創作保護

以前pixiv特定の嗜好を扱う二次創作排除しようとする動きがあったらしい。執拗攻撃された書き手が筆を折り、それまでに作ったものを取り下げるなど、非常に痛ましい事件であったと聞く。当時の関係者現在も「そのような行為はあってはならない」と主張していて非常に共感した。

私は大学文芸部で似たような事案を目の当たりにしたことがある。

文芸部活動と言えば、文章を用いた創作活動をし、それを集めて部誌と呼ばれるアンソロジー形式の本を作るというもの一般的だろう。私が所属していた部は即売会に部誌を持参しても全く売れないような無名団体だった。それでも部員が思い思いに書いたものを持ち寄って形にしていた。

ある新入生が部誌に投稿する小説を書き上げた。彼は大学生になるまで一切の創作経験がなかったという。彼が手探りしながら書いた作品を一部の上級生が酷評した。そして「出来の悪いもの掲載したら部誌の質が下がる」という旨の発言をした。それ以降その新入生は新作を作ることはなく部室にも姿を見せなくなった。

自分の気に入らないもの排除すること、発表の場を私物化すること、この2点が冒頭の事件と私の経験共通点である

ここ数年で、他人創作物に対して 「私が気に入らないから書き直せ/削除しろ」と要求する閲覧者の話を目にする機会が増えたが、いったい何が彼らを駆り立てるのだろう。思えば「部誌の質」とは尤もらしい理由だったが、良し悪しを評するのではなく創作を通して交流する場であるpixivで似たようなことが起こるのは場違いではないか。嗜好叩きは空気が読めていないとすら思う。

先輩は、部にふさわしい作品を求めるならそれを書けるようになるまで指導するか、最初からその能力がある学生だけに入部を許可すれば良かった。

pixivではどうだろうか。簡単である自分趣味に合わないものは見なかったことにすればいいのだ。「作品で殴り返せ」という主張もたまに目にするが、そこはリングではなく展示室として解放された場のはずだ。

これ以上、他人に脅かされて創作をやめてしまう人が出てきてほしくない。喩えその人が私の趣向に合うわないものを作る人だとしても。

2017-04-29

子供部活動でのチート行為

子供公立に通わせていたのだが、部活顧問に「薄謝」という名目部員保護者から一口千円のお金を集めて渡していた

渡すタイミング休日遠征試合など、頻度としては月に1度あるかないか金額はばらつきはあるが少ないときでも2万円前後、多いときは4万円くらいだったと思う

指導者のやる気というものは年頃の生徒達にも簡単に伝播するようで、前任の顧問の頃から初戦敗退が7、8年くらい続いていたのが、「薄謝」を渡し始めて最初大会でいきなり県大会出場、1回戦突破という快挙を達成した

自分の子供が出場した最後大会では県大会準優勝(相手チームとは1点差)だった

その直後に顧問が「これ以上後ろ暗い事は続けられない」と言い出して「薄謝」を辞退するようになったが、たぶん本音保護者からの無言の圧力を「薄謝」の額から感じ取ったか、発覚した時のリスクが頭にあったのだろう

子供卒業してから数年間は母校は「強豪校」として名をはせていたようだが、顧問の転任に伴いあっという間に弱小校に戻ったらしい

ご飯「あ……」

ジャガイモ「あ……どうも」

ご飯「……う、うっす」

ジャガイモ「あの……いつもこれ位の時間帯に帰るんですか」

ご飯「え?……あ、いや、今日部活もなくて助っ人も頼まれなかったからさ」

ジャガイモ「ああ……そうなんですか、道理で……」

ご飯「……」

ジャガイモ「い、いつもはスゴイですもんね。ご飯さん。他の部活からも引っ張りだこで」

ご飯「え、いや、それほどでもないよ。あくまでメインは部員の人たちで、俺は人数合わせだよ」

ジャガイモ「いやいや、そんなことないですよ。来てくれて助かるって、周りの皆が口を揃えて言ってましたもん」

ご飯「はは、マジで?」

ジャガイモ「本当です本当です、牛肉ちゃんとかが言ってました」

ご飯「あー、はいはい

ジャガイモ「あ、牛肉ちゃんで思い出したんですけど、肉じゃがの時はお世話になりました」

ご飯「ああ、いいよ、いいよ。大したことはしていないから」

ジャガイモ「いえいえ、本当助かりました」

カレー「あれー? ご飯君と、ジャガイモ君じゃん。珍しい組み合わせだね」

ご飯「げっ……」

ジャガイモ「……や、やあカレー

カレー「どうしたどうした、二人ともバツの悪そうな顔して」

ご飯「……」

カレー「でも安心したあ」

ジャガイモ「え? 何が?」

カレー「二人の友達としては心配だったんだよ。ご飯君とジャガイモ君は仲が悪いって周りが噂してたから」

ご飯「いや、別に仲が悪いわけじゃねえよ。ただ……友達の友達から、ほぼ他人だったってだけで」

ジャガイモ「う、うん……さっきも肉じゃがの件で話していたところだし」

カレー「そうだったんだあ。じゃあさ、これから友達の友達じゃなくて、ちゃんと友達になるために親睦会開こう!」

ご飯「それはちょっとやめないか?」

カレー大丈夫大丈夫。私に任せて」

ジャガイモ「やめてよ、僕たちなりの距離感があるんだよ」

カレー心配しなくていいから。二人とも肉じゃがの件で盛り上がってたようだし、他にもニンジンちゃんとか玉ねぎ君を呼んでさ。今から連絡して集めるよ」

ご飯「そいつらも呼ぶのかあ……」

ジャガイモ何だか、すいません……」

ご飯「いや、ジャガイモ君が悪いわけじゃないけどさあ……」

カレー牛肉ちゃん忙しいみたい。代わりに豚の奴が空いてたから、そっちでいい?」

今日カレーライス肉じゃが作っている途中で牛肉がないことに気づいたので軌道修正した奴だろ、って思いながら食べた。

いつもはジャガイモ入れない派のくせによお。

2017-04-03

コミュ障多様性

コミュニケーション能力問題がある人って、多種多様なんですね。

私は、某大学学祭サークルに入っています

このサークルは驚くほどにコミュニケーション能力のない人が多いです。

ただ会話が成り立たない、にも色々とあるのだなあ、と感じたので、匿名で共有します。

普通にしかけても反応できない人

そのまま。一番思い浮かべやすコミュ障でしょう。

今日、さむくない?」「はあ。。。」とか、「今何してる感じなの?」「え、………」とか。

こういうやつに限ってツイート10万とかいってたりする。

しかけなければいいので、一番まし(そんなことはない)。

自分の話しかしない人

コミュニケートが一方的打ちっぱなしになっているパターン自覚のない人が多い。

「そういえば昨日、ディズニー行ってき「昨日お花見したんだ!!○○さんと飲んで、すごい酔ってよく覚えてないんだけど、家には帰れてたw最近日本酒ハマっててすぐ飲んじゃうんだよね~もちろん加減は知ってるんだけど!その前には××とご飯行ったんだけど、めっちゃ煽られてwあいつ、なめてるよね~自撮しすぎとかいうし、でも超ファボってくるんだよn」

ものすごい勢いで自分の得意分野に話を持っていく能力には長けている。話の一貫性脈絡はない。

自覚がないどころか、自分ではコミュ力ある方だと思っていたりして、とてもしんどい

自分語り大好きなんだろうけど、他人は君に興味はないし、君の話をためになると思っていないよ。

他者を傷つける言葉だと気付かない人

自分がやられて嫌なことはしない、ができない人。被害者意識が強い。

「なんかこういうところちょっと嫌だよね~」「なんでそんなことばかりいうんだ!もっと今後に活かせる発言しろ愚痴や嫌味を言うな!心が貧しいからそういうこというんだ!文句は言うな!!」

矛盾をはらみすぎではないでしょうか。怖いわ。

人の荒さがしが得意で、炎上させたがるイメージです。でも炎上についてはくだらない!やめろ!等と言う。自分のことは絶対的に正しいと信じてやまないのでしょう。

怒りを買わなければ気付かないですが、必死仕事してるときにこれをやられると本当に殺意が湧きます。一番身近にいてほしくない人です。


大まかに分けると、この三種類でしょう。

私のサークルには150人も部員がいるのですが、このうちの120人はこの3種類のどれかに当てはまります。(程度は違いますが)

そりゃあ、他団体と揉めるわな、と。裏で嫌われるわけですよ。

ただ、この人たちと接していると、彼らはみな「自己顕示欲」が強いのだなあと思います

今まで、正直勉強以外で頑張ったこともなく、自分と似たような境遇人間だけを周りにおいて、自己表現の仕方がわからないまま大学生になってしまったのでしょうね。

人間として最低限できるべきこと、を教わることのなかった人と仕事をするのは怖いですね。

こういった人間恋人もできず、淘汰される。と思うかもしれませんが、彼らは彼らで付き合い、結婚するのです。

コミュ障コミュ障の子供は、残念ですが、コミュ障です。しかも、彼らは勉強はできるから質が悪い。

わたしが一番びっくりして、最悪だな、と思っているのは、「挨拶を返さない」「ありがとうが言えない」です。

自分から挨拶しなくても、人からおはよう」と言われたら返しましょうよ……

人が手伝ってくれたら、ありがとうくらいは言うべきだと思って生きてきたのですが、どうやらそんなことはないようです。

1億総コミュ障時代も遠くはないのかも。

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