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はてなキーワード: 私立とは

2019-01-16

たぶん受験に落ちる。センター三日前にこんなん書いてる時点でお察しだが、まあ第一志望の国立には落ちるし、滑り止めの私立だって今の私じゃあつるつる滑って止まらない気がする。受験に、落ちる。

思えば受験に落ちまくっている。中学受験高校受験も見事に落ち、さらには大学受験にも落ちるとなるとさすがの親も腹に据えかねるものがあるのか「第一志望に受からなかったら学費以外の援助はしない。ことによったら学費自分で払ってもらう」との申し出があった。さもありなん。これだけの失敗をしておきながら1ミリ努力しない子供に出す金はないと思う。

なんというか、今まで徹頭徹尾努力できたことがない。やった方がいいのは当たり前だし、努力して何かを成し遂げた人たちは凄い輝いてみえる。そうなりたいと思う。でも努力できない。できないじゃなくて努力しないだ。すぐ楽な方に逃げてしまう。山積みになったやるべきタスクを目の前にしながら他の楽しいこと、具体的には文章を書くとか、そういうものに手を出してしまう。タスクがない時は文章を書くのもめんどくさくなってもっと受動的な楽しさに逃げる。YouTubeニコニコ動画で日が暮れる。

家畜に産まれてくるべきだったと思う。家畜価値は肉にあるので生きているだけでいい。どうして屠殺してくれる人もいないのに今私は人間なんだろう

受験に落ちる。受験に落ちる。受験に落ちる。ああいやだ

そうだ嫌いな奴がいる。以下Kとする。Kはすごく勉強ができて何でも分かったふうな口を聞いてそして見た目がいい。たぶん人間として1番見た目がいい季節にいる。なにもかもすらっとしている。ぶるっぶるの肉の塊の私とは大違いだ。Kは頭のいい大学を受ける。多分受かると思う。傍目から見ても努力しているし、何より頭がいい。私とは何もかも違う。Kは私にないもの全部を持っている。何でも分かったふうな口を聞くのは何でも分かっているからだ。私と目が会った瞬間に私の外面の醜さも内側の醜さも分かるんだろう。だから私はKを神様のように恐れているのにKは私をゴミクズほどにも思っていない。だから嫌いだ。大嫌い。ぶん殴りたい。いつかぶん殴る。

生きなきゃいけない。大学に落ちてもクズでも家畜でも地獄でもブスでも頭が悪くても屠殺してくれる人なんかいいから生きなきゃいけない。まずはセンター試験だ。あーあやだな

歯医者マジで学歴見たほうがいいぞ

たくさんある歯学部の中あえて偏差値48とかの私立学部に入るやつがどんなのか分かるだろ……

医者は裏口じゃない限り私立でも偏差値60はあるから、極端なアホは排除されてるからまだいい。

とにかく歯医者学歴だ。国公立偏差値60以上私立なら安心していいと思う

2019-01-15

anond:20190115232653

私は幼稚園から私立なのでよくわかんないな。ごめん。

小学校に思うこと

自分小学校のころも思っていたけれど、子供小学生になって改めて思った小学校のお粗末さ。

特に憂鬱なのが同調圧力の酷さと宿題意味のなさ。

計算問題50問とか、漢字50問とか、自主学習と言いつつお題が決まっている宿題とか

そんなことばっかりやっててなんになるんだろう。

私は中学から私立だったのでよくわからないのだけれど、

中高も公立だと高校卒業までずっとこんな環境なんだろうか?

保護者のみなさんは何にも思わないのだろうか?

これで頭がよくなるとは誰も思っていないだろうし、みんな不満じゃないのか本当に不思議

こんな環境大人になっていく人たちは(皮肉でもなんでもなく)大変気の毒に思うのだけれど、

そう言う人の一部が教員になって同じことが繰り返されるんだろうか?

子供学校が嫌いなのだけれど、私が文句を言うと子供への風当たりが強くなりそうで言えない。

学校子供人質に取られている気分っていったら言い過ぎなんだろうけど、どうしたものか。

2019-01-14

anond:20190114184303

学部によって事情がかなり異なると思います法学部系であれば、地元公務員では最大派閥です。早慶なんか目じゃありません。教育学部も同じ。文学部系は学者になるのはちょっときびしいので高校先生をめざしましょう。理学部工学部学部勉強では旧帝大と遜色ないカリキュラムが受けられます。しっかり勉強して東大京大の院に行く人も沢山います駅弁大卒からノーベル賞を取った人が3人もいます私立大卒からは一人もいません。ただ、少し前に富山大企業社長県内出身者は採用しないと発言して物議を醸したことがあります地元が好きで地元に貢献したいというのは素晴らしいことですが、地元しか知らないというのでは比較対象がないので、成長に限界があります若いうちにいろんなところに言ってみましょう。その際、東京よりも世界を見てきた方がはるか勉強になります東京若者でも海外に行きたがらない人が増えているので、マウンティング仕返すことも簡単です。海外経験して視野が広がれば学歴マウンティングなんてどうでもよくなりますけどね。

anond:20190114184303

地方出身関東の有名私大卒で、地方出身地ではない)国立大教員工学部経験者です。

地方国立大には、地元出身者と、とにかく国立大学を目指して、偏差値ランクで入ってくる学生がいて、私がいた大学では前者の方が全体的に伸びしろが大きいイメージでした。

学力的な意味もあるし、都会の私立大学を中心に何を教えているのか分からない横文字学部が増える中で、地方大学は基礎的なカリキュラムを丁寧に教えているので、まじめに授業を受けている学生はその意味でも基礎力が付いている印象でした。個人的には、学生に対する評価は高いです。地元出身学生には、旧帝大や有名私立匹敵する学生も少なくなかったです。

では何が違ったか

それは、ここで出てきた「情報を調べてマウンティングする能力」に近いものかも知れません。

東京は、何かのレベルが高いというだけでなく「その価値観を、メディアを通してあたか普遍的もののように発信する」ことに長けたところです。東京にあるものや、東京の人が見たり食べたりするものを、あたかも全国で流行っているかのように発信します。そして東京の有名大学に行くと、マスメディアに勤めているなど、情報を発信する側に立った先輩と会う機会も出来ます。(卒業生東京で働いているので、距離が近いのです)

で、地方出身学生は、最初そういう状況にびっくりして、次に過剰適応しようとするわけです。山手線ゲームのために一生懸命駅名を覚えたり、メディアで紹介された店に行ってみたり(近いからすぐ行ける)、久しぶりに地元で集まったときに、同級生同士で東京あるある話をしてみたり。その中で、自分出身地は自分にとっての黒歴史のような気分になってくるわけです。

地方出身者が一度は通るはしかのようなものです。あまり気を落とさず、そういうものだと見てあげてください。

今は、インターネットもあるし、情報発信において東京の優位性は昔よりは下がっています東京で生まれ育った人には見えていない現実が沢山あって、地方からそういう実情を発信していく必要があることも私自身痛感しています。ただ一方で、大きな意志決定はたいがい東京で行われていることも事実です。なので私は学生には「一度は東京に出て、人やお金情報がどう動いているか見なさい、その後、地元で働くか東京で働くか考えなさい」と伝えていました。

地方が、自分価値情報発信の必要性に気付かずに、勝手コンプレックスを抱えて自滅していくのを、私なりにも残念な思いで見ていました。いろいろな経験を積んで、東京地方か、旧帝大駅弁か、みたいな価値観に縛られずに、広くフラット世界を見れるようになることを願っています

ぼくの公立中学校の荒れた実態

インターネットで「子供公立中学校に通わせて多様な階層の生徒らの中で人生経験を積ませたい」という意見を見ることがあるので、

公立 / 私立選択の参考として、ぼくが通っていた(2006年度~2008年度)地方公立中学校の荒れた実態を書いておきます

当時は普通と思っていたが、犯罪レベル出来事もたくさん起きていました

必要人生経験も多いんじゃないかなあ、と思います

3割不良、1割不登校

残りの6割の中にも軽い不良や不登校には至らないものいじめられている子がいるので、、

皆さんのお子さんが公立中学校へ入ったとして、普通暮らしていければラッキーという感じですね。

(じゃあ私立中学校のほうが教育に適した文化なのか、は知らない)

2019-01-13

anond:20190113220714

男子校も共学になってるで

私立は男女分けたり好きにすればいいけど

公立性別分ける必然性は感じないわな

2019-01-12

地方国公立大学学歴コンプレックス

旺文社偏差値52の地方公立(理系)卒だが、最近学歴コンプレックスがひどい。

まわりに東京関西の有名私大卒の人が多くて、それにくらべて圧倒的に知名度が無い。

家にもっとお金があれば、あのときもっと奨学金学費もっと調べておけば(それでも無理だった可能性はあるが)、無理してでも都会に出ておけば、安定をとらずにギリギリのところに受験してみればよかったのかと後悔がすごい。

中学まで優秀なよくある真面目系クズから、人から見下されるの嫌いなんだよなー。

理由があって文系就職たから余計に、理系にこだわって受験勉強で苦手な分野だったのに頑張ったのが馬鹿みたいで悔しい。

私立にしぼって3科目で受けてたらもっと偏差値上のところに行けたのかもしれないという気持ちが消えない。悔しい。

ロンダでもしようかな。

2019-01-08

通勤電車私立小学校のガキ共が戻ってきてクソうぜえ。

ずっと冬休みならいいのに。

2019-01-07

東京都教育委員会学歴観について

かなり昔に都立高校生だった私が、現在の母校の位置づけを知るためにネット検索してみたらこんなのが出てきた。

概ね私が当時持っていた(学校の)レベル感とそう大きくは変わっていないんだけど、学区制がなくなって自由学校を選べるようになった結果として、ガリ勉してでも有名大学に行きたい子と、そんなに成績が悪いわけじゃないけど、受験勉強にばかり青春を捧げるのもちょっとね…という子がどの学校を選ぶかという差が出てきてるように思う。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2017/release20170824_02.html

それにしても東京都教育委員会はずいぶん変わったなぁ…と思う。昔はあまり高校間のレベル差を強調しないよう、内申の比重を高くして、生徒たちを成績に応じて入れそうな高校に振り分けるのが中学校側の腕の見せ所で、いわゆる名門と言われる高校でもさほど倍率は高くなかった。が、そのことによってかつては東大等への合格者数が多かった元進学校凋落することとなった。(特に東京23区内では進学に強い私立校が増えたというのもあると思うけど。)

で、そのことに業を煮やしたと思われる都教委が出したのが「進学指導重点校」なるもの指定して学校間の競争あおり、かつての名門復活を目指す作戦だ(あくまでも私の推測だけど)。いかにもお役所っぽい書き方でごにょごにょ書いてあるけど、要するに偏差値で行くとトップが(1)進学指導重点校で、次が(2)の進学指導特別推進校で、それに続くのが(3)進学指導推進校だよね。

別に私はこのやり方が間違っているとは思わない。頭の出来が一緒でも塾に行く金や名門私立進学校に行く金のある子だけがエリート大学に行けるのではなく、安い学費でも進学に力を入れる都立高校勉強すれば名門大学に入れる…という選択肢を作ったんだからね。

そして、ここには「難関国立大学等」として「東京大学一橋大学東京工業大学京都大学国公立大学医学部医学科」というのが明記されている。関東圏の人であればだいたい納得するしかないラインナップではあるが、塾とか予備校でもここまで特定大学名を出さないのではないかと思うようなターゲットの絞りっぷりである

お金持ちの家に生まれなくても、努力すれば名門校に進学でき、将来有望職業に就くことができる」という意味では素晴らしい制度だと思う。が、比較的緩い制度時代都立高校生として青春を送った身からするとちょっとえげつないなぁ…という気もするのである

社会地獄になっているのは平成天皇が悪い

 ただそこにマンコがいただけなのに、無理矢理公立学校に入れて

教育でクソチンポにしてからマンコに戻したり、マンコは臭いまま放置していたり

仮に鬼マンコを作っても学校は神を作らなかったし、死神ばかり量産した

平成で優秀に育てられたマンコは、金持ち予備校や有名私立を通じて、一流大学

で金かけてきちんと育てたから知性のあるお嬢様高知能のエリートサラリーマン

仕事で結果出してるのが実態だし、公立で育てた、クサマン、クソチンポ、死神

その中間の様々なキチガイゴミ害悪クズは、うそつきしかいない

21の大学生です。

21の大学生です。

前置きとして、ただ自分気持ち吐露したいのと、増田で誰かに共感してほしく、乱文を綴っています

よくある話かもしれませんが、私は地方田舎の生まれで、都会のような中学受験や、どの中学校入学しようか、私立公立に通うなどの選択肢はありせんでした。故に近隣の1番近い学校入学するしかなく、また当時はそれが当然だとおもっていました。また選択肢として先生や親が、ここの学校がいいなどの提案はありませんでした。その延長で高校選択肢として、商業高校Fラン)か普通科偏差値数字上は50ぐらい(おそらく50もない)の2択しかなく、私は何となく将来の事を考えると後者の方が良いのではないかのかと、当時も今もそうですが、田舎特有マイルドヤンキーが嫌いで、入学しました。

高校では高3になり1日、10時間以上勉強しましたが、私は国語の成績が上がらず、東京文系の中堅大学入学しました。私は自分高校の中での、進学者の中では偏差値の高い大学入学できました。ですが、当時は第一志望には入学できなかったものの、使用がないと思っていました。(父には浪人はなしと言われていました)

私は大学入学し、勉強東京での生活田舎にはない新しい情報を得る機会が多くありました。一言で言うなら文化資本でしょうか。今更言っても、どうしようもない悩みかもしれませんが、その新しい文化資本を取り入れる中で、大学文系ではなく理系選択しておけばと思うことが多くなりました。いま大学勉強していることは楽しいですが、理系的な研究や開発をすることに対して魅力を強く感じています。私の浅はかな考えですが、実際に理系の方は多忙で大変だと思いますが、探究心によるトライアンドエラーは茨の道かもしれませんか、それほどに興味があります

私は今現在大学3年生であり、来年には本格的な就職活動が控えていますが、以下のような事を思います

私の家は田舎では比較的に収入は多いほうですが、けして裕福ではありません。(調べたら平均所得は250万でした)父親母親高卒です。私の高校では進学に伴い、利子付きの奨学金を学年の半分が借りる学校です。これが相対的普通なのか分かりません。何が言いたいかと言うと、学歴収入相関係数にあり、親は収入が多いと子供投資でき、良い教育を受けることができるため、収入も多くなるのは、知識として知っていました。ですが、1年前か、半年前にみた文献で、母親の最終学歴子供の最終学歴に大きく影響することを知りました。また経済資本が親から子へ受け継がれることは当たり前ですが、文化資本も同様に受け継がれることを知りました。また文化資本子供に与える場合にも経済的な状況が関係してきます。例えば家に児童向けの本の数が多いほど、学力は高いという統計がありますしかし、家庭の経済状況が裕福な程本の数が多いという統計もあります

長文で疲れたので終わりにしますが、

まり大卒収入が多い親は文化資本も有しており、それが子供にも受け継がれると言うことです。私が幼少期に文化資本享受し、親が大卒だったら、もっと違う選択肢を選んでいたのではないかとおもってしまます

文脈おかしな所もあるかも知れませんが、お許し下さい。

2019-01-06

anond:20190106003428

というか、私立行って大学行ってとか考えなければ、多分東京でもそのぐらいで行けんじゃね?

職種的に安月給な俺の会社上司とか「子供野球選手サッカー選手にするので大学行かせない」とか言ってるぞ(勿論冗談だが)

2019-01-05

anond:20190105170424

私立とか、家がある程度裕福じゃないと住めない町とかなら

風呂入ってなくて臭いみたいな子はいないのかね

生活問題って子供にどうにかできることじゃないか可哀想だよな

周りの子我慢しなきゃならなくなるし可哀想だわ

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

anond:20190104105011

本来はそうやって専門的に学びたいことを学びに行くとこなんだけどね

なぜか日本では内申書偏差値センター試験等で学びたいことを学ぶハードルが異様に高い

大学減らした上で全体的レベルの平均化と特化は必要でしょ。特に文系は特化すべきだし、日東駒専私立大学レベル差なんて20年くらい前から差がない状態だし

理系地方も含めて特化がだいぶ進んでいるけど、そもそも理系行く男女が少ない。PC時代に数Ⅲさせる高校が糞

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

2019-01-03

anond:20190103235437

阪大国立では一番人数が多く、質より量で勝負、の戦略をとってるね

しか私立ともやり合うならもっと増やさないとダメだろうね

anond:20190103233851

阪大以上の偏差値序列はいい目安になる。

偏差値に従って、超えられない壁が厳然と立ちはだかっている。

逆に阪大以下で比べると偏差値は全く役に立たなくて、他の国立私立に完全に追い抜かされている阪大出身者なんてのはいくらでもいる。

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

京大受験までの思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

自分のことを思い出した。

もう20年前の話。

親の仕事の都合で引っ越しの多い幼少時代だった。そのせいか内向的で、休み時間には教室に置いてある児童文庫学習漫画をよくよんでいた。地球太陽の周りを回っていると書いてあったから、影が1日の間で移動する理由テストで問われて「地球太陽の周りを回っているから」と書いたら、正解は「太陽が動いているから」だと言われた。テストでは僕の答えも丸になっていたが、動いているのは地球の方で太陽は動かないはずだと僕はずっと首をかしげ続けていたと、母親保護者面談先生から言われたそうだ。なぜか母親にとってそれは自慢話のネタらしい。

中学受験に向けて猛勉強する同年代の子どもたちの映像テレビで見たことをよく覚えている。そのときは僕は「ずるい」と感じていた。みんなが学校で同じように平等勉強の機会を得るべきで、塾で勉強するのは抜け駆けをするずるだと感じたのだ。そのせいか僕は塾に行くことな大学受験まで過ごすことになる。

親は放任主義というかのんびりしているというか、子どものすきにさせるというスタンスで一貫していた。ファミコンをどんだけやっても怒られないし、勉強しろと言われたことは一度もなかった。そのせいか、どの高校大学を受けるかにあたって僕が出した唯一の基準は「自由なところ」だった。

高校県内でも自由で名高い公立を選んだ。私立優位な地域だったので、東大京大に受かるのは3年に1人くらいの高校だった。そんな高校で僕はずっと学年で「2番」の成績をとり続ける。どんなに頑張ろうと常に2番。1番の子は一体どんなやつなんだろうと思わないでもなかったが、実は顔も知らない。1学年10クラスもあって、どのクラスにいるのかを探すのも大変だったのだ。

高3に模試を受けてみると、京大合格圏に入らないでもないくらいだった。調べてみると京大は、自由のもの校風ではないか。それなら受けるしかない。塾には行ってなかったが、通信教育は受けていた。コース京大向けに変更して、家で課題を解き続ける日々。子どもの頃に中学受験をずるいと感じたくせに、大学受験ではそのど真ん中に身を投じているのだから勝手なもんだ。つまり自分認識すらできない時点で人生に差をつけられてしまうようで、抵抗を感じていたのだ。

受験の当日、母親ホテルについてきた。「私は観光してくるからあんたは受験頑張りね」と。どこに観光してきたかは知らないが、そのとき写真お土産ひとつもなかった。どこにいたんだろね。

試験はよく集中できた。何問解けたのかはよく覚えてない。目の前にある京大らしい問題に、自分知識と知恵で格闘した。いつも通りの自分でいられた気がする。

合格発表は新幹線に乗って見に行った。

自分の番号を見つけた瞬間の感想は、あーそっかあという安堵のようなものだった。ここに受かるということは、親元を離れて暮らすということだ。その新しさへの不安と期待が少しずつだった。

噂によると、学年でずっと1番だった彼も京大に受かったらしい。が、いまだに会ったことも話したこともない。全く自由というか無頓着なのだろう、2人とも。

あれから20年経ち、僕も親になった。

僕も親のように、人生の岐路になりうる場に子どもを平常心で立たせてあげることができるだろうか。まあきっとできるだろうと、ポケモンをやり続ける子どもを見ながら思うのだ。

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

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