はてなキーワード: 合理的とは
まあなんやかんやいうて一番合理的な思考するんはギレンはんやろ。
仕事が片付いたら無駄な残業なんかせんと早帰れっていう組織になってるんと違うかな?
あとテレワークで出来るところは当然のように全部テレワークにしとるやろ。
それに何と言っても重要なことは「飲み会」がぜってえええ少ないと思う。
少ないというか、ないんと違うんかな?飲み会。
それ対して、飲み会だらけなんはドズル麾下やろうなあ。
もう部下とのノミニケーション大好きって感じやもんな。
シャアも「せっかく合コンのセッテイングしといたのにお前が帰ってこえへんから無駄になったやろ!」とか怒鳴られとったような気がする。
完全にクロやな、ドズル麾下は飲んで飲んで飲まれて飲んでの組織や。
人と人との対面が組織づくりには重要とかいってテレワークもないね、おそらく。
やっぱ、働くんやったらギレンはんところやな。
ダメだよ、僕たちには感情的になってつい言ってしまうとか拗ねるとか感情的になって短絡的な反応をするとか理解できないんだからさ
本当にしてほしいことや本当に思ってることを感情を取り除いて言わないと…
咄嗟にイライラしたりして会いたくないなんて言ったら、それがこの人物が熟考して2人にとって最善だと客観的合理的に判断した結果だとしか受け取れないので、もう二度と会いに来なくなるよ?
他の人が好きだからごめんと言われたら
そうなんだ2人にとっての合理的結論は導けたね!これからは友人として仲良くしよう
って納得されてしまうし、一度納得したら気持ちも合理的に切り替わるのでおしまいだよ?いくら好きでもお互いの意思の合致のない関係を続ける合理性がないからね
我々相手には素直にならないと全部本気にされるよ
機能性表示食品が生まれた背景イメージ
機能性表示食品は、アメリカの同様の制度にならい、2015年(平成27年)4月から導入されました。
元々、日本では健康食品の機能性や効果効能表現に強い規制がかけられていました。 医薬品ではないため、医薬品的な効能効果を標榜すると「無承認の医薬品の販売」として、薬機法違反とみなされていたのです。
一方で「朝からスッキリ」「新聞の細かい字が気にならない」といった抽象的で暗示的な表現では、正しい判断をするのは難しいですよね。
そこで消費者が、商品の特徴を誤認することなく自主的かつ合理的に商品を選択できるよう、一定の要件を満たせば、適正な表示による情報提供を認めたのがこの制度なのです。
機能性を表示するための必要事項
└ RCT(Randomized Controlled Trial ):最終製品を用いたヒトの臨床試験
└ SR(Systematic Review):最終製品または機能性関与成分に関する研究レビュー※
※研究レビューとは
機能性の「科学的根拠」を示す手法の一つとして認められているものに研究レビュー(システマティックレビュー)があります。肯定的な結果だけでなく、否定的な結果もすべてあわせて、「機能性がある」と認められるかどうかを総合的に判断するものです。 研究レビューを行う人は、研究論文が登録されているデータベースを用いて、論文を抽出します。 抽出に当たっては、検索に用いるキーワードなどあらかじめ条件を設定します。 抽出された論文を絞り込み、最終製品又は機能性関与成分に「機能性がある」と認められているのか、もしくは認められていないのかを分類します。 事業者の都合で機能性があることを示す論文だけを意図的に抽出することはできません。
草 無自覚なんだなぁ
人は他人の成功について、その人の特別な能力によるものだと考える傾向にあります。一方で不幸な出来事についてもその人の行動が悪いからだととらえてしまうことがあります。これは「公正世界仮説」という心理的な要因が影響しています。今回は、心の安定にもつながる「公正世界仮説」のメカニズムを解説します。
公正世界仮説とは
良いことをした人には良い結果が、悪いことをした人には悪い結果がもたらされると考えてしまう心理的バイアスを公正世界仮説といいます。バイアスとは物事を認識する際に、これまでの経験や固定観念から合理的でない考え方をしてしまうことです。
公正世界仮説は、1960年代に社会心理学研究を行っていたメルビン・ラーナーによって提唱されました。不透明な未来への恐怖心を克服するための仮説です。人間の行いに対する公正な結果を信じることで、人間は必要以上の警戒をせずに生きることができる、という考え方です。将来や未来についてのポジティブなイメージを抱き、未来に期待を寄せることができるようになるといった心理的効果があるとされています。
一例をあげます。
新型コロナウィルスの感染者を責める風潮が報道などでも取り上げられています。個人や企業で感染対策を徹底していても、感染してしまうことは往々にあります。
こうした背景には感染者を攻撃することで、不安から目を背けようとする心理が働いているのかもしれません。「感染者は感染するような行動をしたから」と思い込むことにより、自分の中で起きた不安を解消しているのです。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220518/1652878800
恵まれた人だって努力をしているし、時として命がけの努力に身を投じるという事なんだけど、そもそもの質が違っていてそこを問題視しているということを絶対に受け入れない人というのがいる。
たとえば受験勉強をするときに、恵まれずに自力でやるしかない子供は学習内容の一切の理解を自分と学校の先生(モチベーションがあるかは運しだい)でやる必要があるが、恵まれていて進学塾に通う子供たちは自分が理解するよう努力すると同時に塾講師が理解させるように努力してくれる。塾講師はそれが仕事なんだからモチベーションもある。
今の時代人々が命を懸けた努力をするというケースがどれほどあるかはわからないが、はっきり言うが恵まれた人は命を懸けた努力などしない。
その努力に命を懸けるケースはあったとしてもそのケースは徹底的に排除されていくから、実質命がけにならない。だから恵まれた人が「私だって命がけの努力をしている!」といってもどこか茶番臭くなる。
仮に勇者としよう。
勇者Aは貧乏な村の貧乏な家庭の出だが、勇者の素養があるために勇者になった。
勇者Aはおそらくひたすら泥臭く世界中を旅して命がけの戦いを繰り返し、敵から手に入れたお金で装備を整えてレベルを上げて魔王をやっつけに行く。
勇者Bには貴族の家庭なので優秀なトレーナーや設備があるのでそこで基本的なレベリングもするし、金があるからいきなり最強クラスの装備で旅に出ることができる。
勇者Aは命じられたらすぐに出かけないといけない。勇者Bは命じられた後準備期間を1年とか儲けてじっくりトレーニングを受けてから旅に出る。
という状態になる。
そこで勇者Aは勇者Bに言うだろう。「お前ずいぶん楽してここまで来たみたいだな、少しでも努力したのか?」と勇者Bは答える「もちろんさ、君と同じように命がけの挑戦も何度もしたよ」と。
勇者Aはいう「俺と同じに?ふざけんな!お前なんかいつもトレーニングしてて中ボスとしか戦ってねーだろ!」と。勇者Bは答える「なんでそんなこと言うんだい?最終的なレベルは同じなんだ、いがみ会うのはやめよう!何なら装備の分僕のほうが強いくらいなんだから合理的に行くことも重要だよ?」と。
https://anond.hatelabo.jp/20220518095025
これ、本当にその通りだと思うんだけど、はてぶユーザは全然信じられないんだろうな
誤振り込みをした役所とか銀行とかも含めて「まぁそういうのあるよな」という感想しかない
一歩間違えればこんなことが普通に起こる世の中だと思う
DX推進とか言ってる国もハンコをやめられない
現実としてそういう世の中なんだ、という前提がいると思う
その前提を踏まえた上で、悪意を持って完全犯罪的なことを被疑者がやるか、っていうのを考えてみてほしい
この被疑者が天才的な詐欺師っていう可能性は万が一ぐらいはあるだろうけど
確率的に順当に考えたらオンラインカジノが一番確率が高いだろうね
ここからは予想だけど、被疑者はオンラインカジノの経験者だったんだろうな
下手したら10万振り込まれたらオンラインカジノに全部突っ込むつもりだったかもしれん
後はカイジのパチンコ編とそっくりの構図で一度突っ込んでしまったら最後は沼に全部吸い取られる
「損切りすればいいのに」
https://togetter.com/li/1888386
この問題提起がそもそもだめだな、整ったインフラや家電は別に育児を助けていない。
いくつか理由を書いてみようかな
この辺のジャンルについては俺もあまり詳しくないが、いかにゲームをありうる最短時間でクリアするかというもので、ゲームプレイから一切の無駄が省かれるうえに場合によってはバグなんかも活用していく。
これの求めているところは0.1秒でも短縮しなさいだ。
それが子育てにも求められている。
親が子育てに割り振れた時間はかつてはどのくらいあっただろうか?
専業主婦のころなら仕事をしない分多かったことだろうし、保育園や幼稚園なんかも余裕をもってスケジュールすることができた。
今は共働きも一般的なので、生活の中の時間の制約を持つものが増えてしまう。
家のこと、仕事、保育園などそれぞれのタイムスケジュールは別に同調する義理はないから勝手に進んでいく。
そのうえ残業を頼まれる、子供が熱を出す、などのトラブルもあるため、時間管理がムリゲーと化していく。ここにどんなインフラや技術革新が役に立つのかといえば何も役に立たない。
これはよく言われていることだ。核家族化に伴って子育てに関われる人の数が減ったというものだ。
昭和の子育て世代は「私たちは一人で頑張った!今の親は甘えている!」とか威勢のいいことを言うが当時のアンケートでは彼女たちは専業主婦であり、彼女の姉妹や母親が頻繁に手伝いに来ていたというものがある。出典は探さないといけないのでここでは明記できないが、当時でも本当に一人でやらざるを得なかった母親たちは今と同様に地獄を見ている。
更に近所付き合いが昔ほど濃密ではないので、子育てのヘルプを依頼できるほどにお互いの信頼関係も出来上がっていないという問題もある。これについては人びとが相互不信を醸成するように社会が動いているという陰謀論をぶち上げてもいいと思うくらいにテレビやメディアでいかに隣近所に危ない奴が潜んでいるかを騒いでいる問題はあるだろう。
色々な企業が切磋琢磨して育児の合理化に鋭意努力しておりこれについては頭が上がらないが、其れとは全く別方面から子育てを非合理化してくる集団がいる。いわゆるナチュラル指向というやつだ。
彼らは育児を合理的にするあらゆるアイデアを以下の様に説明する。
などなどで、そして自分たちのよくわからないものやかつて日本が発展途上国だったころにやっていた子育て法を復活させてくる。
たとえば昭和の時代にはこういう子供はいなかったが、今は多い、その原因は紙おむつのポリマーです!という感じだ。
洗濯は手洗いが良い、母乳育児以外してはならない、紙おむつは使ってはならない、エアコンは止めるべき、洗濯石鹸じゃなくてこのせっけんを、柔軟剤じゃなくてこの粉を、牛乳はだめ、肉はだめ、電事レンジはだめ、、、
要はFUDだし、もしかしたら女性には本能的に子育て中に入る何らかのモードがあるのだろうか、すごく信じてしまう、もしくはすさまじい不安に突き落とされてしまう。
実際に合理的に育てられた子供が合理的に育てられたがゆえに問題を抱えたソースがあるのかといえば全く提示しないで、産婦人科学会みたいに母親が苦労するほど子育てはいいものになるみたいなことをなんかリフレーズしているに過ぎないのだが、こっちは信じるという矛盾すらきたしている。
これは実際に子供が学校に行き始めるとわかるが、親はやたらと学校に呼び出されるようになる。自分の親がこんなに学校に呼び出されたのかと思うが、おそらく今は過剰だろう。
子供が問題行動を起こすたびに呼び出され「親御さんがしっかり子供を見てください」とだけ言われる。つまり、学校などで発生する子供の問題が親に丸投げされる。
これはよく考えるとおかしな話だが、モンスターペアレンツという伝説上の存在によって起こるようになった。
あれによって学校は「子供の問題は(親の完全な制御外でおころうが関係なく)親に報告だけして対策はお任せします」とするようになってしまった。
私は学校が変わればいいんじゃないか、ルールでがちがちに固めて守り切れないようにしているほうに問題があるんじゃないか、成績が悪かろうが何だろうがそれは子供の責任だ、という方向に進むべきだと思っているがモンスターペアレンツのおかげで学校は全く変化しないで親に責任転嫁できるようになった。
そしてこのようにいろいろな問題が添加される原因の一つが子育て親の地位の低下だ。これは何か法制度によってできたというよりは社会に作られた雰囲気の中で自然に地位が低下している。
そのためマタニティマークを付けた女性への嫌がらせ、ベビーカート問題、などの様々な差別や攻撃となって出てくるようになった。
そういうわけでインフラや家電がいくら進化し様が以下のポイントによって子育ては昭和の時代よりもより困難になった。
更に付け加えるならば、こういった種々の問題がラディカル・フェミニズムによって男性に原因を求めるように捻じ曲げられるようになってしまったのも問題を深刻化させる一因だと思っている。
「手続きは問題ない」と書いただけで擁護とらえられるのでしょうか。
狂人は炎上が目的と思われるので「今の状態は目論見がほぼ成功している」と認識しているのですが
怒りで攻撃せざるを得ないのが大多数ということでしょうか?
炎上させればダメージを与えられると考えている?(相手の意図に沿ってでも攻撃したい?)
なんか増田って「合理的な自分カッコイイ」みたいなスタンスで、燃え上ってる人批判したり、柚葉を擁護したりしてる奴多いな。
今回の問題は「他人の感情を全く理解できないアホが、合理的な思考全開で、他人の感情無視して突っ走った結果炎上した」案件なんだが。
大事なのは法的に問題ないとか、ガイドラインがどうとかそういうことじゃないんだよな。
大抵の人間は感情でものを考えるからな。そういう人間を否定するのは簡単だが、そこを理解できなかったからこそ柚葉は失敗してるんだよ。
合理的に考えるのは良いと思うが、感情論を抜きにして考えるのは戦略として稚拙すぎる。
ダメな例を思いっきり見せつけられてるのに、柚葉に賛同してる人間がいるのが理解できないわ。
柚葉に賛同してる人間は割と合理思考の人間なんだろうけど、合理性って結局は「うまく行けばOK」「うまく行かないものはダメ」って話だろ。
VTuberに本気で入れあげている奴に弱者男性が多そうなのは大前提として、逆に執拗にVTuberやその信者を貶めるアンチにも弱者男性っぽさを感じることが多々ある。
例えば「VTuberのライブはモーションが本人じゃないからライブとして無価値」みたいな意見。
そんなわけがない。
VTuberのダンスってどう見ても素人なんだよ。絶対にプロじゃない。
それともプロのダンサー雇ってわざわざ素人っぽくやらせてるってことか?あるいは中の人とは別の素人がダンスだけやってるとか?それ意味ある?
本人にその場で踊らせるのが一番合理的で楽なのにそうでないやり方をするというのは、オタクを騙すという明確な悪意のもとで結構なリソースを割く必要があって、
可能/不可能で言えばそりゃ可能だけどやるわけなくない…?という感じが陰謀論者とかなり似ている。
例として挙げたがこれは結構見る意見で、増田でも見たしtwitterでも5chでもnoteでも見たから、
単独の狂人の意見ではなくある程度の人数で共通する考え方なのはおそらく言えると思う。
多分、ちゃんと考えた結果ダンサーが本人じゃないと思ったわけではなく、俺は絶対に騙されないぞという強固な意志が最初にあって、いろんな裏切られ方に対処できるよう常に身構えずにはいられないんだろうな。
なぜそういう思考になるかといえば思春期に裏切られる経験を多数してきただろうからで、そういう弱者男性性が透けて見えてくるとちょっと憐みの気持ちも湧いてくるけど、まあ変な風評を流される方はたまったもんじゃないだろうね。