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はてなキーワード: 景色とは

2023-05-29

ガルパン列車引退ニュースでクソブコメ複数見かけて辛いし腹立つ

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230528/k10014080761000.html

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230528/k10014080761000.html

事情をよく知らんのに、いっちょかみ有識者ぶり俺・私分かってるアピールをするはてなユーザー諸氏に腹が立つわー

大半はなんてことなコメントから、某ヘビーユーザーよろしく、そういう傾向を「ブクマカ一般」みたいに過度な一般化するほど愚かではないが

そういうとこやぞはてなユーザー(の一部)!くらいはいいたくなる

以下、癇に障るコメントへの言い返し


最終章引っ張りすぎ。最終章じゃ火力が持たないetc

わかる。わかるよ。引っ張りすぎだよね。2年に1本ペースだもんね。自分も早くしてとは思う

今年の最終章4話公開が待ち遠しい

でもアクタス水島努監督でやってんだぞ。遅筆と忙しすぎの相乗効果で進まねえんだわ

その分劇場OVAなのに毎回並の劇場版以上のクオリティで出してくるのよ

それが商売として正しいかは別だし、その結果コンテンツの勢いが落ちてると言われれば強く否定はできないが、作風だと思ってあきらめてる

ただアニメの一方でコミックとか関連コンテンツはずっと動いてるのよ

これまでに出たスピンオフ漫画どんだけあるか知ってるか?

ギャグスピンオフもっとらぶらぶ作戦が今何巻まで出てるか知ってるか?

満を持して始まった新たなギャグスピンオフガルパンデモニウム読んでるか?人は相当選ぶが個人的には最&高

https://seiga.nicovideo.jp/comic/60336

既にメディアミックス作品となってるから楽しみは別にアニメだけじゃねえのよ


大洗ホテル騒動がどうのこうの大洗ガルパンファン関係終焉に向かってるだの現実は甘くないだの

あんなイキリとの衝突が思わぬ騒動になったやつと、今回の列車引退安易に絡めて結論付けないでくれます

あの騒動、周りは意外と冷静だと思いますけどね

当たり前だけど、大小有名無名に限らずどんな作品であれ、厄介なファン暴走しがちな担当者責任者も少なからず出てくるのよ

○○のファンはいい人たちばかりって言われてるのは、ダメな奴が目立たないくらいいい人が多いってだけ

吹っ掛けられたことや浴びせられた暴言はクソもクソなので心底同情するし怒りも理解できるが、少し冷静になって欲しいとも思う

大洗ホテル自分も泊ったことあり、夕食バイキング景色や過ごしやすさも素晴らしかったので、なおさらに思う次第

また今回のガルパン列車引退についても、運用車体が今後も見苦しくないラッピングに耐えられるかどうかの問題もあるわけで

ガルパンオワコンから列車終わるとか簡単に結び付けられる話じゃない

雑に絡める皆々様は絶対に知らないと思うけど、ガルパンラッピングについては茨城交通バスもありまして、こっちは2号車・4号車・5号車が現役で運行されているんすよ

1号車、3号車は引退済で、ガルパン列車のように引退に際してのお別れ展示もあった

http://www.ibako.co.jp/contents/newsrelease/2018/08/18390.html

http://www.ibako.co.jp/contents/newsrelease/2020/10/22553.html


そもそもの話だけどね

大洗ガルパン関係が現状厳しく見えるかもしれんが、これは新型コロナのせいでアニメツーリズムの弱点が露呈したところがデカいの

2019年に行われた新型コロナ大前最後あんこう祭り(※地元最大のイベントガルパンステージイベントやら物販やらで毎年参加していた)に、どんだけ人来てたか知ってます

10万人越えてんだぞ

当然ガルパンファン以外の人も含む数字だが、大洗町の人口よりはるかに多い

ガルパン前と比べて人数が馬鹿みたいに増えたんだよ

それが新型コロナのせいで、現地に人を呼ぶガルパン関連のイベントは軒並み中止

キャラパネルを置いてる店の人や有志で行われていたキャラ誕生日イベントも大々的には行えない

(調べればわかるが、知らん人が見たらえ?そんなに?ってくらいいろんなキャラでやってるからな。誕生日に合わせてグッズ作ったりもしてるからな)

それどころかガルパン以前に観光が死んで店が立ち行かない

そんな状況で町の人も苦慮して、大洗おかえりミッションのようなクラファンで約4700万集めたりもしたの

https://camp-fire.jp/projects/view/267599

だけど簡単におかえりできるほど新型コロナがすぐ収まらんかったのよね

ガルパン公式オンライン物販イベントとかやったけど、現地でやるほどファンの財布のひもは緩くならなかった

というかぶっちゃけかなり苦戦していた

(リアルの物販イベントでは、新商品どころか数年前の商品すら売れるとメーカー内で言われてた)

今年は以前のような規制からは脱して初めてのあんこう祭り11月に行われるが、ガルパン関連のイベント現在調整中

商工会ガルパン公式も大々的にやりたいところだけど

新型コロナ前のようにすし詰めの会場にするわけにはいかないだろうから

どういう落としどころになるか推移を見守りたい


ガルパン公式Twitterが今日中に反応してないの見て嗚呼もう本当にやる気ねえんだなと

????????????

↓のツイートは幻?しっかり伝えているように見えるけど?当日反応しなきゃやる気なしになるの?

https://twitter.com/garupan/status/1652888227467116546

https://twitter.com/garupan/status/1662033228361007104


こちらからは以上です

2023-05-28

anond:20230528221924

よかったなー

今日は天気も良かったし

からよく景色見えた?

2023-05-23

信じられないかも知れないが日本景色は白い

白い建築物なんて世界中に有名なものが一杯あるだろうという意見には肯定するものの、写真動画をやってると本当に日本って真っ白だなと気付く

屋内も屋外も白・白・白の見渡す限り真っ白、皆さんの住む街並みを頭に思い浮かべて欲しい、白くないか

海外の街並みの写真動画を見ると非常にカラフルなんだけど、比較して日本は色が無くコントラストが非常に低いんだよ

モノトーンなんじゃないか?と言いたくなる人も居るだろうけど黒く目立つものって道路くらいだろ?そのアスファルトも真っ黒か?と言われると幾分かは黒さが薄いよねと

いか日本ダサいとは言いたくないんだけど、海外から来たYoutuber日本観光の様子を映すと、Youtuber地元ではあんなにカラフルだった動画日本へ来ると真っ白になっちゃてて「うぉ〜!このYoutuberでも日本を映すと白くなるんか!」って驚いちゃったよね

からこそ日本で色を発見すると何だか嬉しくなってしまってカラフル日本写真に残すようになってしまった

ワールドトラックロード 俺の助手席に乗らないか

日曜に酒飲みながら何となくNHKBS点けたらめっちゃ良かった

番組ではあまり見れそうにない景色が素晴らしい

おっさんの自語りもよかったが営業からトラックドライバー転職したら

家族との時間が増えたとかドイツ人運送業日本労働環境全然違いそうだ


番組名が思い出せず何回か「NHK BS トラック」とかでググったので忘備録としてメモ

2023-05-22

二次創作BL小説が好きな字書きの独り言

最近人様の文章を読んで思ったこ

私ってあってもなくてもいい状況とかの描写を異様に欲しがっているのかも…


元々私はミステリ小説が好きです。

この情報は誰と誰が知ってる?

AがこれをしていたときにBはなにをしていた?

それはいつ? どこで? どうして? 誰が?

あの時Cがあれをした意図とは…?

この描写は“信じていい描写“か…?

そこまでの作品だったらまあアレなんだけど、大好き作家の本を読む時はない行間も読みますよね。だいたい最後まで読むとなんかあるのかと思った行間なんて何もねえんですけどね。探偵助手は付き合ってないし。でも、けむに巻かれるのって楽しい。まあそれだけです。いわば自縄自縛ですよね。

から意味ありそうななさそうな、状況のディテール描写がとても好きです。

何だろう。マンガで言うところの、コマのはじに引いてある不安掻き立てるうねうねした効果線とか、ハッピーラブラブなほわハートトーンがあったらアガるってことなんでしょうね。

私が映像想像するタイプからかもしれない。



そんなことに気づきました。



人が書いた文章読んでると、そんなにしっかりは書いてないんですよね。

別になくても全然話は進むし。いや、二人が歩いてる道ってどんな道なんよ!? って私は気になりながら読んでるんですけど、あれ、もしかしてそういうスケッチっていらないのか? みたいな。大発見でした。




二次創作を読んでて読者としてのお願いなのですが、

場面が切り替わるたびに、いつどこでどんな雰囲気で、とかは書いてもらえると嬉しいかもしれん。もの動作に対して何らかの印象がつくような描写をチョイ足しすると、とんでもねえ深みと奥行きが生まれるんじゃないかなって私は思います情報も整理されるし。

例えば「頭を撫でる」動作だとしてもおっかなびっくり撫でたのか、大雑把な手つきで撫でたのか、その辺で感情の籠り具合が変わってくるし、何となく意図を匂わせる感じになっていい感じじゃない?

なんかからなんかに場面が切り替わって、キャラが道を歩いていたとして。同じ住宅街の道でも、「陽炎がちらつく無機質なアスファルト道路」か、「人の気配に満ちた真昼の住宅街」を歩いているか何となくウキウキ度とか変わってくるしさ。

さっきのシーンからどれだけ時間が経過したかとかも書いて欲しいな。読む方の心構えが変わってくるじゃん。5秒しか経ってないのか5週間経ってるのかさ。ドキドキ感変わるくない?

高校生の時に習った気がします。小説は人の感情を追って楽しむものだと。

から私はシロートながら動作しろ情景描写しろキャラ感情が乗るように書けたらなあと思います




まあ、私はストーリーを考えるのが得意でないので、そのあたりで及第点を取ろうと頑張っているだけなのかもしれません。





悲し〜〜





あと、最後これだけ。キャラ同士が絡むシーン。

ほんとこれだけはお願いしたい。

どういう体位? マジで。 はっきり書いて。 お願い。

寝てる?立ってる?座ってる?膝に乗せてる?ベッド?イス?ソファ?床?飲食してる?タバコ吸ってる?なにもしてない?向かい合ってる?並んでる?同じ方向を向いてる?どこ見てる?相手?それとも部屋にあるパンダの置物?それとも床に転がった死体でも見てる?左手はどこに置いてる?右手は?足は行儀いい?絡み合ってる?靴は脱いでる?ねえ。

ここまでじゃなくていいからもうちょっと景色クリアにしてくれ。二人が何をしているのかわからないと(´・ω・`)こんな顔になってしまう。

あなたが見た推しカプの幻覚をもうちょっとでいいからはっきり見せてくれ〜〜〜

何がきても美味しくいただきますので!!!!!


お願いします。

岡山駅の街は僕はすごく好き。ちょうど良い規模感。ただ今後イオン

岡山駅の街は僕はすごく好き。ちょうど良い規模感。ただ今後イオンだけになってしまったら悲しい。

2022/5月GW岡山駅に、東京駅から深夜バスに乗り、倉敷観光した後、岡山駅周辺で1泊滞在した(ちなみに岡山高松徳島神戸東京って旅行した)。その際に行ってきた各都市の特徴をまとめてみたい。

ちなみに、瀬戸内海沿いの街、端的に言って最高です。どの街もコンパクトにまとまってるから、正直東京より使いやすいし、住みやすいと思う。(徳島ちょっとなにも無さすぎるので微妙かなぁ)

さて、まずは岡山について書いてく。

岡山第一印象としては、まず東京から乗った深夜バス最初の降ろされるのが裏口(西口側)で、かなーり閑散としてるなってのが第一印象。あるのはNHKビルとかで、他は古い建物があって商店街も何もないし

ちょっとしたお店がポロポロとあるだけって感じ。まあ、でもこれって地方都市あるあるで、繁華街の逆側はなにも無いパターン。というか名古屋駅ですら、そんな感じ。名古屋駅の裏口何もなくてビビるよね。

でも、表口(東口側)にいくと印象が全然変わって、背の高いビルがたくさんあって大都会

ちなみに、栄えてるって言っても、昔に栄えてた街(天満屋っていう百貨店があるエリア)と岡山駅エリアで、街の色が違う。駅前はここ20年以下でできてるだろうガラスファサードビルが建ち並んで青白い世界だけど、天満屋エリアコンクリートちょっとクリーム色な世界。新旧の対比が凄い。

天満屋エリアは、昔からある天満屋が牛耳ってる感じの町。あと、商店街。めちゃデカ商店街がある。

だけど、正直その商店街の入ってるお店はじじいとばばあ向けのお店だらけで、若者が行って楽しみ店じゃ全くない。そりゃ新しいピカピカのイオンとかがある駅前エリア若者流れるよね。(イオンについては後で詳しく書くよ)

商店街アーケードになってるんだけど、暗いんだよねぇ。経年劣化が知らんけどちょっとくすんでて茶色くなってて暗い気分が全然上がらない。じじいとばばあしかいないエリア価値は下がっちゃうよね。(次の記事で書く、高松商店街は明るくて、新しいから、全然違った印象だった)

後楽園岡山城の周辺はめちゃくちゃ綺麗でめちゃくちゃ景色が良くて、お堀もあって水辺もあるしボートも乗れるし、最高のロケーション観光で行くんだったら絶対さない(まぁ僕は後楽園の中には入らなかったけどw)

レンタル自転車を借りると非常に便利で、ポートが各所にあるから自転車乗って色々回るのが一番楽しいし、便利。自転車あったら1日で岡山を制覇できると言っても過言じゃない。

路面電車とかバスとか色々あるけど、街を知るって意味合いだとやっぱり自転車自転車だと10から15分ぐらいで、岡山駅から後楽園まで行ける。しか岡山駅から後楽園行く間に百貨店とか商店街とかがあるからあんまり退屈せずに行けるのgood。

で、岡山の夜なんだけど、一番賑わってるなって思ったのは岡山駅イオンの目の前の飲み屋街(本町ってとこ?)が一番賑わってた。結構夜遅くまで(1011時ぐらいまで)お店が開いてて若者が溢れてた。だけど逆に、それ以外の場所全然人気なかったなぁー。西川緑道公園より向こう側は真っ暗な感じ。

ちなみに、西川緑道公園は昼間に行くと結構気持ちいい空間で、お弁当とかを食べてる人とかい雰囲気良い。ただ、個人的にはちょっと木が鬱蒼としすぎ、かつビルの谷間になってて、ちょっと暗い。もう少し周囲のビルと一体的に繋げる(ビル敷地内に公開空地取って代わりに容積率緩和とかする)と良い雰囲気なるんではないかと思う。都市計画はもう少し工夫の余地があると思う。

で、いろいろと言ったけど、まあ何が一番岡山流行ってるかって言うと、イオンモールです!!!

岡山若者イオンモールに行きます!!!!てかイオンモール以外は行かないです!!!!!

それくらいイオンモールがエグいくらい賑わってた。実際、結構いいイオンモールですげぇおしゃれだし、空間的にも良い空間で、開放的だし、屋上スペースも開かれてて、立体的になってるし良い雰囲気。そこでみんなテイクアウトしたご飯とか食べたり、喋りながら、それぞれの時間を過ごしててめちゃくちゃいい空間だった。

しか岡山駅から地下街で直結してるから、たぶんもう駅から街には出ないんじゃないかなと思っちゃう

まぁ、1日岡山をぶらっとした感覚としては、こんな感じ。

色々と書いたけど、岡山は僕はめちゃくちゃ住みたい。かなりいい街だと思う。

2023-05-21

MV(ミュージックビデオ)と音楽は別物の創作物じゃなイカ?

つい最近TwitterボカロP的な人が「曲を聴いてもらいたいだけなのにイラストやら動画やらでお金がかかって大変だよ😭」というようなツイートをしていた.

それを見て次の2つのことを思った

1. 良い曲を投稿していればイラスト動画お金をかけなくても(ある程度は)聴いてもらえるのでは?

2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは?

以下で,上記1, 2についてもうちょっと詳しく書く.

そして最後に『3. MV音楽は別物の創作物である』という個人的な主張について書く.

1. 良い曲を投稿していればイラスト動画に金をかけなくても(ある程度)聴いてもらえるのでは? について

まず前提として,各種の動画投稿サイト上で"曲自体に魅力はないがMVが良いから高い評価を得ている音楽"ってあるだろうか?

全く存在しないことはないだろうが,少なくとも私は知らない.

一方で,"MV自体が高い評価を得ていなくても曲は高い評価を得ている音楽"なら比較的たくさんあると思う.

なんならMVと言いながらもイラスト画像を載せているだけだったり,曲に合わせて音の波形のようなものがうねうね動くだけの動画でも良い曲というのはごまんとある.

こういった事情考慮すると,自分が作った曲をたくさんの人に聴いてもらおうと思った時にMVが優れている必要はなく,ただ良い曲を作ることだけに注力した方がよくない?と言いたくなる.

もちろん,優れた曲を作った上で優れたMVが用意できれば,話題性が出てより多くの人に聴いてもらえるといったことはあるだろうが,それはMVが特段優れたものではなくても(もしくは,そもそもMVなんかなくても),ある程度の人に聴いてもらえるようなクオリティの曲を作れるようになってからでも遅くはないように思う.

しろ,明らかに素人感丸出しの曲なのに,お金の力を借りてMVだけクオリティの高いものを用意しても,動画視聴者はなんか違うな...となってしまうだけではないだろうか.

MVが曲の評価を高めるという側面はあれど,それはあくまでも曲そのものが魅力的である場合に限られると思う.

2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは? について

最近ボカロ音楽は,音楽動画のセットで話題になるという傾向が顕著である,というよりむしろMVがないけど話題になるような曲の方が少数派なのではないだろうか.

それゆえ,特に最近ボカロリスナーであればあるほど曲にはMVが付随しているのが当たり前であるという認識一般的になっているように思われる.

そしてそれに伴って,ボカロ曲の作り手たるボカロP創作欲求の源泉として,"作った曲を聴いてもらいたい"よりも"作った曲のMVを観てほしい"というものの占める割合が増えてきているのではないだろうか.

もちろん,純粋ボカロで曲を作ってそれを聴いてもらえることが第一であり,別にMVなんか必要ないという作り手も大勢いるだろうことは承知している.

しかし,仮にツイ主がそういった考えであれば,そもそもお金を払ってまでMV制作を依頼することにそこまで固執することはなかったのではないだろうか?

3. MV音楽は別物の創作物である について

まず,前提として私は音楽をよく聴くが,MVを観ることはあまりない.

その理由を端的に言うと,私は音楽を聴きたいのであり,動画を観たいわけではないからというのに尽きる.

個人的な話だが,つい先日私の好きなバンドが数年ぶりのアルバムを発売するにあたり,YouTubeでそのアルバム内の1曲についてMVを公開した.

公開時にはアルバムはまだ発売されておらず,私は早くその曲を聴いてみたかったのでMV動画再生した.だが,あくまMVを観てはいない.

その時はPCブラウザYouTubeを開いていたのだが,動画再生ボタンを押した瞬間にブラウザから別のウィンドウに切り替えることで,あくまMVは観ずに音楽を聴いただけであった.

こんなことをしていると,なぜそこまでしてMVを毛嫌いしているのかと言われそうだが,私はMVが嫌いなわけではない.

優れたMVを観て良いなぁと思うことも感動することもある.ただ,それは純粋音楽を聴いて良いなぁと思ったり感動したりするのとは,情動の発生要因に違いがある.

具体的に言うと,MVを観ながら聴いた音楽には,その音楽についての印象に視覚情報が関わってくる.一方で,MVがなければ,音楽を聴いた時に及ぼすのは純粋にその音楽聴くことで得られる聴覚情報のみである.(厳密に言えば音楽を聴いている時に目を開けていれば視覚情報シャットアウトできないがそれは無視する)

それゆえ,私はMVを観ることによって,音楽を聴いたときイメージ視覚情報が含まれしまうことが嫌でMVを観なかったのだ.一般的人間にとって視覚情報聴覚情報よりも強い影響を及ぼすため,MVを観ながら音楽を聴けば,次に同じ音楽を聴いたとき,その音楽イメージには少なからMV視覚情報から得られた印象が含まれているはずだ.私にとってはこれが好ましくないのだ.

音楽を聴いた時に音楽の全体的な印象として,または特定音色に関してそこに色彩感覚を知覚する"共感覚"というものがあるらしい.例えば「この音は薄い紫色」だとか「この音楽は白っぽい感じがする」だとか.

私はこの共感覚を持っているとは言えないが,でも曲の中にはなんとなく,本当になんとなくだが色彩感覚であったり,風景(薄い緑色草原の中を風が吹き抜けている様子だったり,石畳歩道教会のある中世の街並みをセピア色のフィルターを通して見た景色だったり)を連想したりするものがある.

これは本当にボンヤリとしたものであって真に共感覚を持っている人の感じ方とは全く異なるものだと考えている.しかし,ボンヤリとした形であれ,音楽という聴覚情報から視覚情報が想起されるという人は自分以外にも少なから存在するものだと思っている.(具体的な根拠はないですが...)

このような,音楽を聴いた時に何らかの視覚情報が想起されるというのが私が音楽聴くことが好きな要因の一つであり,また私の好きな音楽というのは,聴いた時に頭の中にイメージ風景が浮かぶものが多い.こういった感性を持っている人がいたら多分共感してもらえると思うが,MVを観て音楽を聴いてしまえば,その音楽の色やイメージのようなものは間違いなくMVで使われていた色やイメージにひきづられてしまう.

まりMVを観ることによって,MVを観ることによって得られる視覚情報からの楽しさが得られる代わりと言っては何だが,今後そのMVの曲を聴いたときイメージ視覚情報から得られたイメージに大きく影響を受けるという代償を負っているとも言える.少し大袈裟な言い方な気もするが,事実である

よって,私にとってMVというのは視覚聴覚の両方を同時に刺激する存在であり,音楽というよりはアニメ映画といったものに近い創作物であるという印象がある.

例えば,映画音楽という創作物について考えてみると,音楽映画構成する一部分ではあるが,これら2つの創作物を同じ土俵評価議論したりするのは違和感があるだろう.

それと同様に,MV音楽という創作物そもそも別種のものと捉え,区別するのがより自然見方ではないかと考える.

にも関わらず,現状では多くの人がMV音楽というものをあまり区別することなく,「音楽の良し悪しや評価 = そのMVの良し悪しや評価」と考える人が多いように思えて違和感を感じている.

唐突に海を見たくなった

夕食を食べに自転車で走っていると唐突に海を見たくなった。

理由は夕日が綺麗だったから。

その景色を海が見えるところから見たいと思った。

この辺りの地形的に海は行こうと思えば行ける距離だったので、方向転換し海がある方向に走った。

海がある方向は山がないので、視界が広がってくるように感じる。

海に到着。

夕日はすでに沈んでいたが、空がグラーデションのように変わり、そこに海が広がっている景色は綺麗だった。

さざ波の音と車が通るかすかな音が聞こえる中、しばらくそ景色を眺めていた。

飛行機雲を見つけた。

まだ新しく雲は作られ続けている。

飛行機は海の向こう側を目指して彼方へ消えていった。

どこに行くのだろう。

しばらく眺めた後、そこを後にした。

胸の内がすっと軽くなるような爽快感気持ちよさが生まれていた。

その後、ラーメン屋に入ってラーメンを食べた。

食べたところがない店だったが、おいしかった。

2023-05-20

昭和に道に迷ったら終わり

スマートフォンが変えた、我々の生活情報は手元にあり、地図デバイスに詰まっている。しかし、かつての時代を思い浮かべてみてほしい。スマホが無かった時代だ。そんな時代に道に迷った人々はどうなってしまったのか。

昭和時代を思い出そう。道に迷ってもスマホはない。地図は重くて厚い。日常的には携帯不可能だ。人々は直感と目印に頼り、道を探した。迷い込むこともしばしばだった。

迷子になった人々は周囲を頼りにした。景色、人々の声、それが彼らの手がかりだった。だが、現代のような情報手段は無い。友人や家族とも連絡は限られる。迷子の解消には時間がかかった。

道路標識問題もあった。昭和の案内システムは未発達だ。正確な案内は得られにくい。迷い込むと戻るのは難しい。結果として彷徨い続ける人々が生まれた。

彼らが二度と姿を現さな理由。それは状況の深刻さだ。助けを求める手段は限られていた。人がいない、見知らぬ土地で迷う。その時、救援を待つしかない。時間が経つと救援も減り、彼らは迷宮で取り残された。

スマホが無かった時代迷子。彼らは二度と現れず、彷徨い続ける可能性がある。先の見えない旅に出て、知らない土地で消えた。我々が享受する便利さを思えば、彼らの苦境が浮かぶ

彼らは忘れてはならない、今でも彷徨い続ける人々なのだ

anond:20230519151711

専用ブラウザは「自分レスに返信があったら通知」という機能があることが多い

1年以上誰も書き込みがないからといって履歴から外したりはしないので、そのスレ書き込みがあればスマホ持ってる限り10分以内にはわかるよ

Webブラウザから散発的に書き込んでるだけの人からは見えない景色だね

見えてもうれしくはないけども

2023-05-19

anond:20230519180403

2Fから見た景色なんだろう

そっとしておいてあげよう

2023-05-18

稼いだ金の使い道思いついた

趣味もないエンタメも興味ない

から仕事で得たお金ファッションとか家に使うことで仕事への意識を高める意味で買おうかなと

仕事に対しての意欲が低いのはそうやって目に見える成果に対する実体化が出来てないか

タワマンだって結局タワマン景色なんてすぐ飽きちゃうしさ

NTRとその効用

 NTR的視座を持って生きることは人生を豊かにする。

 それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。

 NTRの宿る瞳は風景革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。

 ある休日幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。

 世界がすうっと冷えて遠のいていく。

 そのデパート毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。

 そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたカードも、存在しないものとされるだろう。

 もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地ベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚あなたは襲われる。

 開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。

 だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。

 営業再開初日朝一番あなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなた礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。

 店の外のベンチで、あなたあんパンにかじりつく。

 あなたが知っているかはわからないが、あんパンパンのなかでもっと官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋象徴であるパン出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたあんこパン咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山モーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。

 能動受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつ言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態自然にすることで、わたしたちは今ある景色転覆できる。


 NTRという言葉の両義性に想いを馳せるときわたし菅井の顔を思い出す。

 九十年代の善き日々に、わたしフリーランスでいわゆるNTRビデオレターディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジション助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。

 あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。

 だが、わたしのいた現場みな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るもの矜持があり、寝取られるほうには寝取られもの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。

 独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手発注できないような貧乏若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。

 菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークル飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろものがある」とVHSテープを取り出した。

 それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中寝取られ女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。

 そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。

 だが、菅井はそうでなかった。

 それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。

 押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井サークルで、なんとなくアンタッチャブル存在になった。

 サークルの他の人間たちとは逆に、わたし菅井に興味を抱いた。

 当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。

 菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちからしかけると意外に愛想良く応じてくれた。

 彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンルゲームチェンジャーとなった名作の存在業界構造まで、事細かにしかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。

 あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたときわたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」

 菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。

 部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。

 男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。

 ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想夫婦といった趣に見えた。夫婦菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。

 その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。

 しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバム場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真消失しているのに気づいた。

 菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。

 菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。

 微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。

 そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。

 伯父の訃報を聞いたのは、菅井大学下宿引っ越した直後だった。自殺だった。

 わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。

 その横顔に、初めて世界を知らない角度から見た気がした。

2023-05-14

[]

この前家族琵琶湖サイクリングしてたら、なんと!!アソコの歓楽街のまえ通った。YouTubeで見たのとまんまの景色がひろがっていた。今度は一人でいきたい。絶対ひとりでいく。JR雄琴温泉駅より比叡山坂本のほうが近いのか。それとも坂本新快速停車だから送迎はそっちなのか

2023-05-11

異なる街の似ている景色

今朝池袋東口五差路の信号待ちで、グリーン大通りをある角度から見ると仙台青葉通りに似てると思った。そんなこと思ってると、自分がいま仙台にいるような感覚になって楽しかった (でも次の瞬間西武が見えて我に返った)

こういうの他にある?この街のこの景色が他の街のどこかの景色と似てるって例。

アンチAIイラストが押し返してきた

やはり…………。

はてブユーザーとして俺は結構長く人々の動向を見てきた。

様々な議論で押し引きの波があった。

一方の意見一色に染まったと思っても、反対派に逆転される景色を見てきた。

すべての争いに一貫したパターンがある。

冷笑してる方が、負ける。

モチベーションの高い方が、長い目で見ると勝利するんだ。

今回もそうだった。

はじめはテクノロジー推進派が Pixiv抗議活動してるイラストレーターらを冷笑していたが、

最新のブコメでは、論調は逆転してる。

エンジニア達にとってはAIの利用が制限されようと死活問題ではないが、

イラストレーターにとっては生活がかかっている。根気強さでは比べ物にならない。

オタク v.s. フェミニストフェミニスト女性尊厳を重大問題だと考えてるならば自体は反転しうる。

公共広告ポリシーにとどまらず、普通マンガの中でさえ巨乳などの性的強調が控えられる未来もありうる。

2023-05-09

土地恩恵教えて

去年から仕事関係北海道とある漁師町に住んでおり、海の恵みを日々感じている。

特にニシン東京にいた時はニシン刺身で食べれるとは思っていなかったので、こちらに来て食べたニシン刺身は衝撃的な美味しさだった。

他にも甘えびやシャコ等、東京とは比べ物にならない新鮮さと安さに今でも驚いている。

東京にいた時はわからなかったけど、土地恩恵というのはこんなにも大きいんだなと感じており、食べ物以外でも温泉があったり景色が綺麗で心が安らぐとか、きっと皆色々恩恵を感じて生きているのだろうなと思う。

住んだ事がないので憶測だけど、山も海も近い所はきっとそういった恩恵が他の土地よりも大きいのでは?

増田ブクマカ達が住んでいる土地には何か恩恵ある?

席を譲りたくない側の気持ち

子供を盾にするな

何回か席を譲ってくれってお願いされて、そのたびに譲ってるけど、お願いする側は毎回子供を盾にしてくるのが嫌い。

子供景色を見たがってるので……」「私たち親子なので隣の席にしてもらえませんか?」

いいけど子供盾にして断りづらくさせるのやめろ。断ったら何だアイツみたいな空気になるお願いの仕方をするな。

最初から譲ってもらうこと前提の席の取り方だった?

なんでわざわざ間に人を挟むような席の取り方をしてるのかって考えたとき最初から譲ってもらえることを前提に予約してたんじゃないか邪推してしまう。これは性格悪い考えだというのは自覚してるけど、譲るたびにもやっとする。

2023-05-08

新幹線認知症のおばあちゃんが隣だった

GW前の土日、所用で新幹線に乗って大阪へ行った。

自分は1ヶ月前から予約して、窓際の席を取っていた。隣に座ったのは80代くらいのおばあちゃん

通路を挟んだ隣に、家族と思われる50代くらいの女性が2人座った。おばあちゃん荷物を棚に載せていたので、家族ではないにしろ同行者。2人は談笑していて、おばあちゃんにはあまり目をくれていなかった。

気にせずお弁当お茶を広げ、新幹線景色を楽しんでいたら、にゅっと手が伸びてきて、私のお茶をつかんだ。

えっ?!と思って手の伸びる先を見ると、隣のおばあちゃんお茶をつかんでいる。びっくりして何も言えずにいたら、手を引っ込めた。おばあちゃんニコニコ笑っていた。

ここで、このおばあちゃんもしかして認知症なのか?と思った。でも、認知症ならさすがに家族が気にするだろうと思い、特に行動には起こさなかった。

その10分後、今度は私の腕を掴んだ。びっくりして、思わず払いのけた。

通路を挟んだ隣の家族は、相変わらず談笑していてこちらに目もくれない。

おばあちゃん、私の腕を掴んできたので席を変えてくれませんか?あなたたちが見ていてくれませんか?なんて言うにも言えず、どうしたらいいかからないし怖いしで、ぎゅっと窓際に身を寄せるしかできなかった。

その後も何度か腕を掴まれ苦笑いで払い除けるしかできなかった。半袖なので肌に直接触れられるし、指を舐めている様子もあって不快感でいっぱいだった。

自分祖母認知症なので、出かける時は気にかけていたけど、まったく気にかけない人もいるんだなと衝撃だった。

他人に、あなたのおばあちゃん認知症ですよ、こんなことをしてきましたよって文句をいうハードル個人的にとても高かったのだけど、こういう時ってどうしたらよかったんだろう。

2023-05-07

離陸時に飛行機の窓にかじりつく という演技

飛行機が飛び立つ瞬間、窓にかじりつくようにして外を見ている人は、少年ハートを忘れていなくて(情趣を介している感じがして)好感がもてる」っていう信念(?)があって、俺も少年ハート男になりたいという思いから、正直ぜんぜん外なんか見たくなくても、飛行機が飛び立つときには窓の外をガン見してる

飛行機全然乗らないほうではないので、離陸の景色なんてもう結構見慣れていて、別にそんなに見たくねえなあ、という気分のときのほうが多いくらいだ

一人で乗ることが多いから、恥はかき捨て状態だし、だれの好感度をどう稼ごうとどうだっていい

ただ、自分なかに一本芯を通したい、そういう思いで窓を見ている

離陸シークエンスが終わり、陸を見たところで山間部の緑と都市部の白の2色あるということしか見分けられなくなったところで、やっとOKという気分になって窓を見るのをやめる

たぶん自分以外に客がいなくても同じことをする

俺が少年ハートを持ったナイスガイだということを観測している・観測していて欲しい相手というのは結局俺なので、他人が見てねえからといって窓なんて無視できるぜ、という話にはならない

しろ、観客を気にして風流人を装うというのはいちばんダサい行為だと思っているから、他人が見てないところでは離陸ガン無視他人がいたら目をキラキラさせて窓を見る!というのは俺的にもっとも許せない態度だ

ただ、実際には少年の心とかもう失ってるし、そもそもどういう機序飛行機の窓見てたら情趣を介するってことになるのかも微妙なところがある

まりは空に進出した人類文明の執念をアプリシエイトするとか、純粋に空に飛び立つことに感動するとか、そういうことではあるんですけどね よくわからん

なんというか、本当は情熱なんてないのに、情熱があるフリをしてるんですよね

そういうことって結構あって、たとえば雨上がりに虹が出ているとき、おお綺麗だ、見るぞ!と、これは本心から思うんだけど、7秒くらいみたら満足するんだよ もういいやってなる

でも、7秒で虹から目を離すのは、俺の中の基準に引っかかるんで、本当はそんなに見たくないんだけど、結構3分とか見てる

これも街中でほかに人がいるからそういう演技をするとかじゃなくて、ガチで人も車も通らない山道とかでも同じ

なんなんですか?これは

そういうことってあるものですか?

あってほしいと思っている

虹をボーッと見ている人の3割くらいが、実はもう虹への興味を失っていて、ただ虹への興味をすぐ失っている自分を許せず、無理矢理視聴継続している、ということであってほしい

マジで意味のない謎の演技をしている人間世界が溢れかえっていてほしい

これは実際、本心ですね

12年前や11年前のペット動画おすすめに出てきて

何本か見た。

そのチャンネルの最新動画を見たら、景色とかお祭りとか夜空の動画ばかりでペット動画はない。

猫ちゃん死んじゃったのかなと思って遡って見たら、一年くらい前に「◯◯ちゃんが13歳になりました」ってペット動画が上がってたわ。

まだ生きてた。

青春

ふとした切っ掛けから意識しはじめた女の子

少しずつ距離が縮まって

初めてのデートでは緊張してお互いの目も見れなかったのに

気が付けば、いつの間にか呼び方が変わっていて

親しくするうちに

コイツってこんな表情するんだ… って驚きがあったりして

誰にも打ち明けたことのない話をして

人を大切にする・大切にしてくれることの意味を知り、温もりを感じる

転びそうになるたび寄り添って、支え合いながら、まっすぐに成長する

そんな経験

そんな景色をみれた、可能性を

はじまる前から無下にされて潰されない権利

anond:20230506214749

いつもと違う景色になっておもろいよね

2023-05-06

長崎の港と京都駅展望

 出張三月の終わりに長崎へ行った。二日間の出張初日仕事を終わらせ、二日目は自由時間だった。二日目のその日は朝八時頃にホテルのチェックアウトを済ませ外に出た。

 コンビニでチュロッキーコーヒーを買った。コンビニで売っているものは、食べるとうんざりさせられるようなものばかりだけれど、チュロッキーだけは例外だ。港の公園まで十分くらい歩いただけだったけど、もう何日も食べていないみたいにお腹が空いきて、少し気分が悪くなっていた。折角の日を体調悪いままで過ごすことになるんじゃないか心配したくらいだった。

 海辺のベンチに腰をおろし、波だとか、船着き場の船を眺めながらチュロッキーコーヒーを味わっているうちに、体が温まってきて、だんだん良い気分になってきた。その瞬間、今日完璧な一日になるってことが、たちまちにわかったんだ。たまにそういうことってあるじゃない。今日がそういう日だったんだな。

 港近くの長崎県立美術館に立ち寄った。ちょうど猫の写真展がやっていたからね。でも、「子猫写真展」ていうタイトルには少し不安になったな。猫のことはとても好きなんだけど、子猫写真だけは嫌いなんだ。全体的に明るい画面で、ぼやけた背景につぶらな瞳の子猫が不安げな表情を浮かべている写真なんていうのは見ているとイライラちゃうんだ。でも、そんな不安は展示を見たらあっというまに吹き飛んだよ。そんなイライラするような写真は一切なくて、すごく楽しめたな。特に気に入ったのは、コーヒー農家で暮らす人と猫の写真だな。カゴの中で白い猫が寝ていて、その上にどっさりと赤いコーヒーの実が乗っているんだ。猫は埋められて顔だけ覗いているんだが、その寝顔の穏やかさといったらなかったな。でも、実際僕の心を捉えたのは、猫ではなく人だった。そのカゴにさらコーヒーの実を盛ろうとしている人の手だ。手だけが写っているんだが、指は太く、表面は木のように真っ黒であちこちひび割れている。その硬そうな手がコーヒーの実を盛った後、猫の白く柔らかい毛を撫でるところを想像したんだ。撫でている写真ではなかったのだけど、そういう光景が浮かんだんだ。すると、なんだか泣きそうになったんだ。これには本当、驚いちゃったな。

 美術館には屋上庭園があった。平日の昼前だし、人は僕だけだった。空港に向かうにはまだ時間があったし、美術館の展示にはもう満足していたから、ベンチに座って持ってきた本を読むことにしたんだ。短編集で、適当に読んだ話が大当たりだった。男が一人でキャンプに出かけるだけの話だったのだけど、すごい感じがよかったな。それを読んで、家に帰ったらアウトドア用の軽くて小さな持ち運びのできる椅子を買って、近くの公園にでも行こうと決めた。

 小説を読み終わった時、ふと、僕はこの屋上庭園が素晴らしい場所だと気がついた。よく晴れていて、そこらには暖められた芝生の香りが漂っていた。目の前には港があり、あたりは山に囲まれている。山沿いに街が拓かれている。

 僕はそこから見える長崎の町並みを写真に撮った。そういった景色をアキに見せたら喜ぶと思ったからだ。アキっていうのは僕の妻で、東海道新幹線に乗って関東実家帰省するたびに、熱海建物坂道に沿って連なっている様子がすごい好きだって言うんだ。だからきっと、長崎のこの景色も気に入ると思ってね。

 しかし、長崎の港の景色っていうのは僕、すっかり気に入っちゃったな。遠くに冗談みたいな大きさのクレーンが見えるんだ。僕が見たときは、何も吊るしては居なかったけれど、あれが動いて、船のタービンやらなにやら、バカかいものを吊るして動いているところを想像したら、すごい興奮したな。

 ベンチから立ち上がり、両手を天に突き出し思い切り伸びをした。体中をピリピリとした心地よさが駆け巡る。その時、どこから教会鐘の音が聞こえた。びっくりしたよ。すべてが僕の気分を良くするために動いているような感じがした。僕は教会鐘の音を生まれて初めて聞いたんだけど、あんなに気分が良くなるものだとは知らなかった。僕は長崎という街が本当に気に入っちゃったな。

 美術館を後にして長崎空港に向かった。そこで同期入社女の子に会ったんだ。僕は彼女のことが好きで、度々連絡をしていたんだ。とてもかわいい子なんだ。今回出張が決まったときにそういえば彼女地元長崎であることを思い出して、出張で行くと連絡したら、彼女もちょうど休職中で長崎にいるということだったので、会うことになっていたんだ。

 休職していたのは「本当に、先輩がサイアクで」というのが理由らしい。どうも、彼女は嫌がっているのにその先輩がしつこく言い寄ってくるらしい。

 「復職するには元いた部署一定期間ちゃんと働けることを示さないとだめなんだって。でもそれって、人間関係が原因で休職している人に対しておかしいと思わない? 別の部署に移してくれるなら、今にでも復職するのに」と話した。僕はそれはおかしいし、何かが間違っているよといった。

 カウンセラーの人に心身に良いから、散歩を心がけるように言われているらしい。一日八千歩歩けるようになることが復職の目安だが、どうしても家でゴロゴロしてしまうので難しい。よしんば歩けるようになったとしても、例の先輩が居る今の部署で働くのは嫌なので、転職をしようか悩んでいると話していた。

 飛行機に乗り、伊丹空港から時間バスに揺られて京都駅についた頃には、耳の少し上のあたりが痛み、お腹ふわふわするような不快感に苛まれていた。京都駅ミスタードーナツオールドファッションホットコーヒーを頼んで、京都駅展望台に向かった。そこからプラットフォーム全体が一望できる。僕お気に入り場所だ。電車が行き来して、人が電車から吐き出されたり吸い込まれたりしている様子がよく見える。別々のホームアナウンスが混じって日本語のようで日本語でないような音声になったのが聞こえる。そうした場所にいると落ち着くんだ。すっかり日が沈んでいて、駅の周りだけがスポットライトをあてられたように明るかった。東の山科方面には暗黒が佇んでいて、新幹線がそちらに吸い込まれて見えなくなった。

 僕は彼女と交わした会話について帰りの飛行機からずっと考えていた。オールドファッションを食べているうちにようやく考えがまとまった。僕は自信を失ったんだと思った。僕は彼女の話を聞いている間、つらいね、だとか、おかしいね、とかしか言えなかったのだけど、なんとか元気づけさせるような言葉を言ってやりたかったんだ。でも、変に何を言っても、彼女バカにすることにしかならないんじゃないかって気分になったんだ。僕の言ってること、伝わるかな。

 この世には、会社死ぬほど嫌な先輩が居ても、そこで働いて’ちゃんと’できることを証明しなくてはならず、そのための訓練として一日八千歩歩くことを指示されている人間がいることを思った。

 家に帰ったら、アキが迎えてくれた。「どうしたの、ひどく疲れちゃった顔をしているわね。かわいそうに」と言ってたが、全くそのとおりだったな。あれだけやりたいと思っていたキャンプだとかは、もう馬鹿たことのようにしか思えなくなっていた。部屋に戻って長崎写真を見返すと、どれもこれも大したことのない写真しか見えなくて、すごい驚いたな。

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