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はてなキーワード: 裁判官とは

2018-08-21

anond:20180821173348

さすがにそれは自分で書いててもわかるが、実際のところ何を公知とするかの事実認定は最終的には法廷に委ねるしかないよね

増田には在宅民間裁判官気取りが多くて感覚おかしなるけど、普通はそのへん判例を参照するか実験的にでも訴訟を起こすはずだし

在宅心理学者気取りがなんか言ってら

普通は論を言い出したほうがソースを出すと思うんだがね。

anond:20180821172936

さすがにそれは自分で書いててもわかるが、実際のところ何を公知とするかの事実認定は最終的には法廷に委ねるしかないよね

増田には在宅民間裁判官気取りが多くて感覚おかしなるけど、普通はそのへん判例を参照するか実験的にでも訴訟を起こすはずだし

2018-08-20

anond:20180820145708

何もアクションとらなかったらとらなかったで「リスクを受容したか犯罪に巻き込まれても仕方ないだろw」とか言われるんだよね、下の方に言及あるように。

犯罪被害に遭うことですら罪なら何のために法律存在するや


だれでも鍵かけずにチャリ放置したり家を出たりしない。

というか、「リスクを受容したか犯罪に巻き込まれても仕方ないだろw」と言われるだけのことに何の問題が?

裁判官やらが言ったのなら別だし問題化するべきだが、SNSやらで有象無象に言われても何の問題もない。

君、メンタル弱すぎと違う?

2018-08-16

anond:20180816092824

個人人生なんてほとんどのことはケースバイケースで判断するしかない

ネット裁判官政治家経営者などの偉い人になったつもりで発言してるバカが多いか

そういうのを見ると自爆してるように見えてイラつくというのはわかるけどはっきしいって読むだけ時間無駄

2018-08-13

判決を言い渡す

  主                文

        お前は死刑

  理                由

 昭和時代に、ブサイク男だったか国家採用されたものの、

上の者と違い、とりたてて大きな野望もなく、成績も不良で、

仕方なく国家仕事をしていたが、大きな野望を持つ上の者が

人生絶望し、次第に国家から離れ、現在では、かつて下にいた

者が形式的幹部職員になっているだけで、組織全体としては、

何の意味もなく、むしろかつて下っ端だったブサイク男が、若い

日本人嫉妬し、様々な嫌がらせをしているだけと認められ、

組織自体社会にとって癌細胞であって害悪であるからお前は

処刑することとし、主文のとおり判決する。

   平成30年8月13日

      増田地方裁判所刑事11部

                    裁判官   善良な俺

2018-07-31

村中璃子さんはそろそろ「文系ワクチンを打っていいんです」とか言い出しそう。裁判官までバカにし始めちゃって・・・

2018-07-21

何が幼女だよ

 幼女なんか刺激臭がすることしか考えてないし、価値がないんだよ

この素晴らしい日本の基礎を作ったのも、一番深く怒った人、

女をしいたげたのは、怒ったけど性格が悪かった軍部警察人間

明治天皇裁判官は一つも悪くない

昭和時代の涙が出るような素晴らしい日本を作ったのも、エロ深く怒った先生

みんながついていった、それに比べて2ちゃんで暴れてる幼女がやってるのは

誹謗中傷自慢、幼女みたいなクソ最悪な物に何ができる

2018-07-20

お前は男じゃなくて、悪いタイプの鬼だよ

 明治天皇やその周辺の官僚裁判官などは、鬼だったけど、善良な鬼で、

日本全土を整備してあからさまに勝者だったから、誰も逆らえなかった。

明治の40年は大体そんな感じで成功したが、明治晩年大正昭和に、主に

軍部にいた悪い鬼が段々台頭してきて、昭和時代には、天皇が幼少なのをいいことに

警察軍部などの悪い鬼が暴走し、戦争に走り、悦に入って大陸支配に乗り出したら

所詮日本人なのでアメリカの知能に負けて大失敗して処刑

戦後江戸末期の状態に復したと広辞苑にも書いているし、戦後復興エロ

失敗した悪い鬼は怯んで最下級の刑務官になるなどして、最近まで幽閉されていたが、

最近になって遂に化けの皮をはがした暴走した。

anond:20180720125228

私は貝になりたい』はドラマ現実を元にしているとは言えフィクションだけど。加害者になる恐怖とか犯罪者として裁かれる恐怖みたいなもの視聴者はある程度共有してたんだけど。うじきから見ると自分連合国軍法廷裁判官みたいな意識なんだろうね。平和主義気取りの方がよっぽど怖い。

2018-07-17

飲酒による情状酌量って実際のところあるの??

被告に弁護できる余地がないけど、立場上弁護しないといけない弁護士がとりあえず言ってるだけじゃないの。まぁ情状酌量にはならないだろうなと思いつつ。

検索して弁護士知恵袋的なの見たら、飲酒で軽量されることはないらしい。あまり詳しい話は見つけられなかった。

さすがに飲酒情状酌量なんてしたら裁判官大炎上でしょ。

詳しい人いたら教えて。

2018-07-15

死刑廃止派は「死刑」と「現場射殺」は違うって言うけど、

死刑廃止派がデマデマだって騒いでた「死刑廃止国では現場で射殺している」が本当だったって検証されたわけだ。

そしたら今度は、「死刑現場射殺はぜんぜん違う」だってさ。

正直、「ハア?」としか思えないよね。

一度主張したデマ検証されて論破されたら「実はそこが論点じゃなかった」だって

しかも、死刑賛成派を頭が悪い奴と見下す余計なディスり付きで。

トランプ大統領を生んだリベラルの余計な態度がまだ理解できてないんだね。

曰く、「死刑は『国家による殺人』だけど、現場射殺は『緊急避難』で周囲の被害を防ぐためにしかたなくやるもの」なんだって

なんで「緊急避難」が本当に正しかったのか無条件で信じられるの?

司法証拠を基に判断して死刑を下すのと、現場の一人か二人の判断で殺すのとどっちに信用をおくんですか?って話だよ。

正直、自分警察官検察官裁判官もそこまで信用してるわけじゃないけど、法律判断の信用性で順序を付けるとしたら、裁判官判断を信じるよ。

そして、「周囲の二次被害を防ぐための『緊急避難』で射殺」が認められるなら、

社会の秩序を守るために裁判に基づいて死刑」も認めるべきだよね?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yaserucola.com/entry/shot_dead

2018-07-10

anond:20180710162735

影響させないべき、だな。

裁判官も人だから情にほだされることはあるだろう。

2018-07-07

裁判官から聞いた死刑制度反対の理由

裁判官に言わせると、刑罰には因果応報的な犯した犯罪の代償ではなくて改心させ更生させるため、という意味があるそうな。であれば、死刑はそれを、人間は改心してやり直せるという考えを否定することになる。だから死刑には反対、と。

じゃあ終身刑無期懲役もなくすのか?と突っ込みたくなるけれど法律はさっぱりの私にはわかりません。何か上手い切り返しがあるのかもしれません。それでも冤罪可能性を完全に否定できないか死刑はいかん、という理屈よりはずっと納得できました。

といっても現実では刑務所にいる人には2回目、3回目も少なくないそうで、刑務所に入ったら誰もが真人間に生まれ変わりやり直せるなんて綺麗事だと、夢想家であっても気が付きます

再犯率は高く理想論では成り立たないか死刑継続すべきだ、というわけではなくて、死刑廃止議論では刑務や出所後の社会復帰なども合わせて刑罰全体を考える必要があるのでしょう。知らんけど。

anond:20180707095410

死刑判決を受けるのが凶悪犯だけ?」とは事実誤認もはなはだしい。死刑判決を受けるのは、マスコミ特定意図をもって騒ぎ立てるようにお膳立てされた捏造事件犯人であったり、冤罪であることが明らかであるのになぜか再審請求が退けられたりする、不可思議な扱いを受けるものたちだ。その一方で、マスコミ人間や、裁判官検察は、世界規模でこうした社会を作り出した側につくことで、地位財産を確保している。

2018-07-06

anond:20180706221416

物理的や認識において現実でいうと証拠というのは直接それと結びつく認識個人にあるだけのもの

何であっても「証拠」と説いたいであろう「直接因子の物理的結びつき」は見つからない

ビデオにとっていようがそれが全員に知られていようが文章でのこっていようが物理的な反応として存在していようが

「それをそのように認識してしまっている」という現象個人が苛まれ可能性はゼロではない

集団で全員がそれに陥る可能性もゼロではない

それを踏まえて「本人に私がしましたといわせる」ことが最重要でそれを代弁させるために

「本人はそれをすることができないので代理人しましたとみとめます」と判断をさせる

それを社会的にみとめどう扱うかとするのが裁判

まり裁判判決が下ると冤罪だろうと犯人だろうと「犯人」になる

証拠がこれだけあるんだから認めろといって認めるか

これだけありますからみなさん犯人だと思いませんか

判断させるための材料証拠なわけで

吹聴してみんなが納得するものであればそれが「証拠」でもあるし

証拠」をつきつけて観念するそれが証拠でもあるし

証拠をつきつけられても無罪を平然と答える真犯人もいる

冤罪であろうとなかろうと何度でも追及すれば追及の仕方で逆転が見込めることもあるだろうし

誰がどう見ても納得せざるをえない状況もある

完璧な状況での冤罪もないとはいいきれない

なので回数制限を設けることにもなっているし証拠証拠としてみとめるかどうかも

厳密に規定があり判断する者も「社会的にみて常識的である」という認可のある人間にさせる

精神的な疾患があるからといって裁判官ができないのは不平等ではないか、と言われるのであれば

その「証拠は?」と質問されている

絶対無二の確実な判断を下すべきそれ」を「証拠」と言えるだろうけれども

現時点で人間証拠と言えるのは「有罪判決にいたった要素」までが証拠しかない

実際に犯罪者として扱われている人間について証拠はなにかと問うてもそれは存在していて

検討され判断材料につかわれ結果「証拠」だった結果ものがあった故なので

今でている結果は冤罪であろうとなかろうとそれがだれかにしくまれものであろうとなかろうと

当人純真無垢犯罪意思がなかったとしても 行動をさせられていまもそんな事実認知できなかったとしても

その行動の責任があると証拠によって結果がでているので

証拠があり犯人だった」という結果しかない

もっと調べれば、真犯人がでてくれば、と無限陰謀論を展開すればいくらでも証拠はでてくるだろうし

それをどれほどの人間判断材料使用して無罪有罪かを再度判断したいと申し出るかはわからない

人が有罪である無罪であるか 永遠に問い続ける必要があるみたいな哲学的もの社会機能として

有用ではないためそんなことは行われないということは想像に容易いだろう


宗教なんかでもそうだが救われるのは非常に容易い また罪に溺れるのも非常にたやす

ジャッジ絶対的だということだけが厳密でさえあれば現実に罪かそうでないかは大した問題ではない

証拠というちりばめられた事象は傾向こそあれ関連するなにもかもが証拠となりえる

厳密にそれを起因として結果がでるという要素を確定させる定義もつこと自体重要なのだ

証拠があるから犯人だ という犯人犯罪者なのかということや証拠真実なのかということは

納得する人間が多ければそれはそうであるとなる

毎日祈りさえすれば救われる 信じさえすれば許される そういう定義が結果につながると定義されることで

証拠を得ることになる

それが実際他者に影響を及ぼすことができる存在というものまり証拠」たりえるかというと

当人には証拠だけれども他者にはそうなりえないこともある

これは人間限界で 絶対の真理というものにたどり着いた人がもしいるとしたら

罪とただしさと証拠についてそれぞれが自己なかにあるそのそれそのものを取り出して人に見せることができるだろう

たとえとして心臓だったりする表現などが文学的にあるけれども現実的にはそれは無理な話

冤罪死刑OKの人は拉致事件も北が被害者逮捕状を用意したらOKなの?

裁判官書類を作ったら合法なんだよね?

死刑廃止派の一法曹としての意見

松本智津夫オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行された。

 私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行タイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。

有罪であるという確証が持てない時に、多くの裁判官はどういう行動を取るのだろうか

 司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思いますしか現実裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者植松正は「無期懲役誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官人間ですから世論はまちがいなく気にしています世間を騒がせた大きな犯罪である場合裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしま可能性は0ではないということです。死刑という刑罰存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑選択してしまう例が存在するということです。

死刑制度問題は究極的には被疑者被告人人権問題に帰する

 死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者被告人人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しか100人死刑囚の中には、1人の無辜人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実犯罪者”の被害者の応報感情社会要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。

 では自分痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなた痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的裁判官検察官親和性の高い人たちですし、基本的検察提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなた有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。

 裁判人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪証明できた場合名誉回復され、損害賠償請求できる場合もある。しか死刑場合においては、それは究極の人権制約なのです。

団藤重光は以下のように論じています

例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しか人格的、その意味主体的利益であろうとも、人間自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益帰属する主体存在のものです。もちろんこのことと、前述の人間尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益帰属主体のもの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります

 痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人人権を守りましょう、被疑者実名報道はやめましょう、無意味身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますいかがでしょうか。

 本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人に対する、究極の人権侵害である死刑廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しか死刑廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。

被害者(周辺を含む)の応報感情を軽く考えるべきではない

 痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構ます。ですから冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。

 しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分冤罪当事者になることな想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情自然ものであると思いますしかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。

自分は無実なのだと内心で叫びながら絞首台に向かう人の存在を許容できるか

 私は貝になりたい、の主人公床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います

 私はその価値判断において、死刑廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断尊重したいと考えていますしかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたあなたの大切な人が、冤罪死刑になってしまうことを許容できますか、と。

みんなSONYNHKが映らないテレビ」どう思ってんの?

きっかけは「最高裁受信料合憲と認めた」ってことで。

 

なお、この判決をしたのは「裁判長寺田逸郎長官」です。

過去にも罷免される恐れがある判決には定年前の裁判官が割り当てられます

司法は無敵で何もできない国民は糞雑魚です。

 

この判決が出るまでは「なあなあにして騙される馬鹿受信料を支払ってきた」で通して

民法メーカーもカモが支払ってるのは自分意志で支払ってるから認識していた。

それは「契約自由」が憲法保障されていることを知っている限り

契約を断る権利がある…はずだったからだ。

 

ところが最高裁受信料を「合憲扱い」した。

もうこの時点で日本司法ってオワったって感じなんだけど、

それについては話す気力もない。

 

で、「受信料合憲」扱いになったせいで、

今まで「騙されるやつが悪い」からTVを持っていたら全員支払う義務がある」に転じてしまった。

まり地上波に繋がるTV持ってるだけで今まで支払ってなかったやつも支払い義務が発生してしまったわけ。

※正確にいうと地上波を受信できるアンテナがある時点でアウツ

そうなると特にTV見てなかった人や興味の薄い人の行動って何だと思う?

 

「よし、TV捨てるか」

今まで見てなかったし今後も見る予定がないのでTVを捨てるという選択

新しければメルカリ二束三文で売ってもいいしな。

ただし、これはTVさえ用意すれば相変わらずNHKが見れる環境なので厳密には契約を結ぶ必要がある。

 

「というかテレビアンテナいらなくね?」

これは一軒家で増えてきた。

そもそも受信しないってやつ。

子どもがいる家庭でも今の子どもはネットiPadYoutube見せてた方がはるかに食い付きがいい。

子ども番組なら専用チャンネルがあるネトフリとかAbemaとか見せればいい。

正直子どものためのNHKはもう必要ない。

これは物理的にその家ではNHKを見ることができないのでこの場合は支払う義務は発生しない。

余計なストレスを減らすため工事費を減らすためにもこの判断は今後一軒家に増えると思われる。

場合によってはマンションでも適応される可能性があるし、

個別TV回線を引くかどうかを選べるようになるかもしれない。

 

さて、こういった一連の動きでどうなるかというと

 

まずTVメーカーダメージが入る。

単純にTVを買ってくれなくなる。

TVを買う」=「NHK受信料を支払わなければならない」

こうなったからだ。

新居のためについでに買っておくかという選択から外す理由ができてしまった。

NHK受信料払うくらいならネトフリに加入した方が安いしいつでも番組が見れるからな。

 

次に民放ダメージが入る。

民法視聴者広告を見てもらうために収益を得ているのに、

絶対数のものが減ると広告主はTVから別のメディアに変えていく理由ができてしまう。

ただでさえTVは昔のメディアなのにさら受信料合法化ときたもんだからユーザーの受けは悪くなる一方。

いくら視聴率が高くても絶対数が少なければ広告効果なんて得られない。

NHK受信料税金運営費を獲得できるが、

民法スポンサーがなくなれば消える未来しかない。

 

先に動いたのはメーカーだった。

 

SONY業務ディスプレイとしてBRAVIAを発表した。

これは地上波が映らないのでTVという扱いではなく業務ディスプレイという扱いだ。

しかネットにつなぐことができてオンライン動画を映し出す操作可能

これでホテルNHK受信料を免れることができる、という意味を示したいのがろう。

しか現実はそうはいかない。

NHK電波を受信できた時点で支払い義務が発生する」のだ。

まり映らないディスプレイだけだったとしても、もっと言えば何もモニター存在していなくとも、

アンテナさえあればNHK受信料徴収できるということだ。

それについての反例は既にいくつか出ている。

 

NHKだけ映らない機器設置の男性受信料1310円支払い命令 東京地裁機器取り外せる」 男性反論「今度は溶接して司法判断仰ぐ」

https://www.sankei.com/affairs/news/160720/afr1607200032-n1.html

 

NHKだけ見えないテレビが開発 それでも「受信料払う義務あり」らしい

https://www.j-cast.com/2015/04/13232888.html?p=all

 

まり受信料逃れのために業務的にこのディスプレイを買ったところで、司法では負け確なのだ

なぜなら最高裁が「合憲」として認めたから。

まりTVメーカー合憲判断で受けたダメージをこの商品で解消することはできない。

問題本質合憲判断アンテナの有無にあるからだ。

 

 

今のところ民法が「合憲判断」について何かリアクションしたという話は聞かない。

俺がTV業界ドンなら一刻も早く受信料合憲判断撤回させなければならないと行動を起こすが、

実際はメタボ気味で金も力もない中年なのでこうして外野根性で経過を見ているに過ぎない。

とにかく、今後家TVを置く理由がどんどんなくなってくるわけだが

民法はどうやって生き残っていくつもりなのだろうか?

今まで「カモが徴収されている」という情強とは違い、「支払わなければ違法」扱いされる状況になってしまった。

TVを捨てるのは対策とは言えないが、ユーザーレベルでこの完全ではない対応策は水面下でどんどん広がると予想される。

未来、1,2千人規模にまで下がったメディアスポンサーはまだ魅力を感じてくれるのだろうか?

 

民放この先生きのこることができるのだろうか?

 

【追記 なぜNHKは自ら受信料法廷に持ち込んだ?】

そもそもの話をすると、なぜNHK最高裁合憲と認めさせるところまで行ってしまったのか?

そんなことをしてしまえば、TV廃棄やアンテナの除去を社会引き起こししまう、という予測はできなかったのだろうか?

元々NHK放送局を維持するための予算を毎年十分すぎるほどもらっている、全部税金だ。

その上でなぜ受信料徴収する必要があるのか?というと謎でしかないが、単にボーナスのためで、謎でもなんでもなく、

最初から契約自由侵害していたがNHKのために可決されてしまった。

それが現代まで伝統として生き残ってきたわけだが本来なら表に出してはいけない問題であった。

細々と、よくわかってない弱者からボーナス徴収していけばよかったはずである

なぜ法廷にこの問題を持ち込んでしまったのか?それが大きな疑問である

受信料徴収のために躍起になって合憲化してしまたことが、

逆にTV破棄やアンテナ破棄に繋がり受信料徴収絶対数が減ってしまうとは考えなかったのだろうか?

2018-07-05

検察っちと裁判官っちは何よりも“メンツ”が大事から

たとえ証拠があろうと一度下した判決は覆しませーん

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