はてなキーワード: ぶっちゃけとは
井戸さん時代に退職しているから今の斎藤さん時代は分からんけど、
ぶっちゃけ斎藤さんの前から、職務の階級関係なくパワハラする人は多かったなと思う。
県職員に対するアンケートにも、このような趣旨の意見を寄せている人いたけど、私も同意見だ。
〇〇課の××さんはパワハラ気質だ、そのせいで部下が休職してるって噂も聞いてたし、〇〇課の役職ついてる人がパワハラが原因で停職処分を受けたってメールも見たことあるし。(しかも複数名)
もし仮に斎藤さんがパワハラ気質の人間でも、周りがしっかりしてて、パワハラに対して絶対に許さない環境が整っていればこんな大事にはならなかったと思う。
私は今民間企業に勤めているけど、この手の噂は全然聞かない。パワハラが日常茶飯事になっているのが異常だって気づいて欲しい。
また、一連のニュースで「兵庫県民はなぜ知事へのリコール運動をしないのか」と疑問に思っている人もいるだろう。あくまでも私の考えに過ぎないけど、兵庫県民は地元地域への愛着性はあっても兵庫『県』への帰属意識が低い、てのはあると思う。
兵庫県は廃藩置県の際、元々5つの国を無理矢理1つの県にまとめて出来た県だ。場所によって方言や生活圏、気候がまるで違う。
阪神淡路大震災も、兵庫県北部の人は揺れを経験していないし、兵庫県北部は毎年数十センチの雪が降る場所もあるが、南に住む人間にとっては知る由もない。
兵庫県内には、芦屋のような高級住宅街が立ち並んで税収の高い自治体もあれば、高齢者の割合が高く過疎化している地域もある。
地元は好きでも、だからといって兵庫県全般が好きって人はそんなに多くないのではないかな。
だから、皆は『県』のことになると一気に無関心になるのだと思う。
井戸さんが長いこと知事をやっていたのも、他に有力な候補者がいなかったからに過ぎないのは指摘どおりだ。
県民からのリコールも難しい以上、今の兵庫県を良くするには、知事や側近をはじめとしたパワハラした人を全員処分して、前時代的な慣習や年功序列、理不尽な人事異動や処分を見直すくらいのことしないと無理じゃないかな。
新規採用試験を辞退した人が4割いるってニュースにもなったけど、県職員の離職率も公務員の中では多い方だったはず。そりゃそうだよな。職員守ってくれない職場なんている意味ないもんな。
2週間前に但馬⇄淡路間の異動内示出したり、家買ったばかりの人に対して2年間単身赴任命じた職場がまともな訳ないもん。こんなことが普通になってるから、公益通報制度が機能してるからどうか、外野から言われる羽目になってるんじゃないの。
あるある。
水晶やエメラルドはオイル処理がデフォルトだし、ルビーとかサファイアは加熱処理済が一般的というやつだね。
逆にそういうのをやってなくてしかも美しい石というのもあるにはあるが、我が月給の3倍注ぎ込んでも手が届かないようなお値段がついているw
それに比べればお値段的には多少の加工は折り込み済みと思って買ってるよ。何なら普通に合成石も買ったしw
人類の叡智はすごいね。あんなにきれいな石を合成で生み出せるとは。ぶっちゃけ、宝石に個性を求めないなら合成石が一番良い選択な気がする。(比較的)安価だし、安定して美しいし。
鑑定書つきのやつは買ってないんだけど(鑑定料上乗せになる分高いから)本物ではあると思う。インクルージョンあるやつばっかりだから。
ただ、本物であるかと値段に見合ってるかは別。
買ったやつひとつひとつチェックしたら「クラック(欠け、ヒビ)かと思うようなクソデカインクルージョンあるやんけ…買った時は気が付かんかった…😂」っていうやつもあった。そこは自分の目利きの甘さで、残念でした、というだけの話。
やっぱ合成は違うね。なんか光り方がクリアだし、輝きっぷりが違う。並べて光当てると一番光る。
美的感覚がカラスに近いタイプの素人なので、ぶっちゃけ合成ルビーが一番完成された美しさに見える。なんかこう、遠慮なくというか、なんならデジタルな感じに光るんだよね。
天然ルビーたちは主張が強いようでいて、なんだかんだで合成ルビーの歯に衣着せないどストレートな光り方に比べると、ちゃんとみんな違ってみんないい感じの個性が出ている。とても興味深くて面白いです。
その上司とても男受けするタイプじゃなかったし、ぶっちゃけちょっと性格歪んでたから個人的にはその線だと思ってる。根拠の無い罵倒って基本的にコンプレックスの裏返しだし……。
差別について議論するなら、以下のような内容は「文系」的には常識なので、わざわざ「賢い僕が発見したよ!」みたいに主張されると萎える。
・そもそも人間の思考(言語の構造)自体が、何かと何かを分けてグルーピングすることによってしか成立しないので、あらゆる区別を差別と呼ぶなら、極論すれば(たとえばニワトリをニワトリ、女性を女性と呼ぶことまで含めて)全ては「差別」であり、それが不当であるか否かは「程度問題」である。
・従って、通常は「世間的に見て『不当』と判断するもの」を「差別」と呼ぶことになっており、そのため一般的な用語としての「差別」という語には、「不当なものである」という含意がある。(従って自民党の付け加えは無意味であり、逆に余計な含意をもってしまうので有害ですらある。)
・図示するとこんな感じ。( /数字/ は その語の使い分けにおける境界線を指す。たとえば⑴は「A混沌(と呼ばれるもの)」と「B区別(と呼ばれるもの)」の間の境界線を意味している。)
ただし、何者も区別しない「A混沌」については、何も思考することができない、言語以前の領域なので、思考し論じる対象にならない。
通常ここに明確な境界線があると考えている人が多いがそれは誤解である。確かに、「時代や文化が変わっても、明白(に見える根拠)があり、人為が働かない(ように見える)弁別がある」違いというものはあるため、たとえば液体と固体、水と氷を分けることは明白に「B区別」であり人為が関与しないかに見えるのも事実だが、たとえば水と湯を分ける境界線が日本語と英語で異なり、色の弁別が言語によって曖昧であるように、「認識」が関与する限りそこに見いだされた「差」は人為的なものであっり、人の「価値観(すなわち偏見)」から自由になることはない。その意味で「B区別」と「Cグレー」の差も所詮「程度問題」である。スポーツにおける男女分け、のように、かつては「B区別」と考えられていたものが、ジェンダー論の発展や女性の地位向上など諸々の状況から、「本当に合理的な区別であるか」が問い直されている、などの例は、「B区別」から「Cグレー」ではないかという議論が起きている例であり、逆に、近代以前は大人と一緒くたにされていた「子ども」を取り出して教育の機会を与え、社会で保護しようという風に変化したのは、「Cグレー」から「B区別」へと変化した例である。
ここを明確に区分できるというのは、いわゆる「ためにする」差別議論を行う人の大きな誤解である。この境界線は決して「明確に区分・定義」はできず日々揺らいでおり、またその状態がもっとも健全な状態である。あくまで、どこで線引きをすることが社会の安定と発展のために寄与するのか、を主眼として、「D差別(明らかに行ってはならない区分け)」なのか「Cグレー(判断がつきにくい、不当に見えるが法的な規制も行き届かない)」の判断は、常に慎重に検討される必要がある。その際、社会が全体主義的(全体の幸福のために少数の犠牲は許容される)なのか民主主義的(少数の意見も他の意見と同等に重視される)なのか、によっても当然判断は異なることになる。また、Cと判断されたからオッケーではない、というのも重要な点であって、その判断が妥当かどうか、いま必要で重要な問題かどうか、判断時点からの状況変化、対象が曖昧でないかどうか、など、不断の議論が欠かせない。
さて、それを踏まえて話を牛角に戻そう。
サービス業における女性優遇キャンペーンの是非、いわゆる「レディスデー」問題は、男女という一見明確な「B区別」に依拠しているように見えても、その区分の合理性自体が「程度問題」に過ぎないこと、また、「女性の受けるサービス料金は男性が負担させられているのでは」という疑念が拭えないことなどから、「Cグレー」であると判断されるが、ではそれを「D差別(明確に是正すべき不当な行為)」と判断すべきか否かについては、行き過ぎと感じる人も多いのが現状かと思う。そのことは、牛角に限らず、多くの「レディスデー」キャンペーンを実施する店舗で、逆に男性から忌避されるなどの大きな営業上の不利益が出ていないことからも了解される。そもそも、映画にせよ焼き肉にせよ、提供者も多いことから、忌避するにしても他の選択肢があるわけで、ぶっちゃけ「大多数の人にとってはどうでもいい」問題に属する。では、なぜ「差別だ」と騒ぐ人がいるのか。
話が変わるように感じるかもしれないが、類似の例として、一部の広告を取り上げて「女性差別だ」と騒ぐ事例を考えたい。企業が営利目的でやっていることで、それ自体が積極的な被害を引き起こし法的に規制する必要があるとまでは多くの人が認識しない(つまりDではないがC)ものだが、これについても「差別だ」と騒ぐ人がいる。これは、何も学問的に見て明確にCとDを峻別してDだと判断できる、という話をしているわけではなく(もしそう信じている人がいるとしたら、それは相当に×××)、騒ぐことそれ自体によって人々の気分を醸成し、結果として社会状況自体を変化させようという社会運動(一種のデモ、まさにデモンストレーションという意味で。)の一種なのだ。誤解されているが、今日フェミニズムと呼ばれているものの多くはこの「デモ」であって「学問」ではない。(※)だから、騒ぐ人たちはおおむね一般常識とは異なることを主張する(常識的なことをデモで声高に述べる意味はない)が、その人たちが声高に述べることが「正しい」と証明されているわけではないし、その人たちも積極的にそれが「正しい」ことを証明したりはしない(証明できるならデモより論文で書く)。つまり、これに顔を真っ赤にして反論しようとするのは無意味というよりむしろデモ側の応援をしているのと同じである。従って、意見に賛成できない場合も、デモ自体はスルーして別のところで意見表明なり社会行動をするなりした方がよいと思う。
これを踏まえて、もう少し具体的に書く。「たわわ」や「宇崎ちゃん」を批判したフェミニストの狙いは激しい批判を巻き起こすことであり、それは社会運動として一定成功した。では「牛角」批判をする人は、男権主義者として失われた権利を獲得するため戦略的な意図でデモを行っているのだろうか、それとも、論理的に「レデイスデーはDであると証明できる」と考えて証明しようとしている人なのか、あるいは単に「この件で女性相手に憂さ晴らししたい」というルサンチマンに過ぎないのか。私は、そのいずれであってもこれは無意味な行動だと言いたい。
「たわわ」も「宇崎ちゃん」も、それらが女性差別「的」かと言えばそう論じることはもちろん可能だろうが、それを「D差別だ」などと言い切れば社会的には表現規制を強め過ぎる無意味・有害な主張であると思うし、それ以前に指摘し是正すべき有害で明確に「D差別」な女性差別が世の中にあふれているのだから(風俗業、芸能界などにおける性的搾取などはその典型だ)運動論としても拙劣だと思っているが、それらが激しい反応を引き起こしたという一点では運動論として評価することも可能かと思うし、その結果が女性の地位向上にわずかでもつながったのなら全く無意味とまでは言えないと思うが、「牛角・レディスデー」問題については、まず男権主義をこれ以上社会で伸張させることにはおそらく社会的合意は得られないだろうし、論理的証明は上で述べたようにほぼ不可能であり無意味でもあるし、ルサンチマンならそのエネルギーはもう少し建設的なことに使用した方がよいと思っているので、運動論としても学問的な意味でも、また俗論としても、とるべきところのない議論だなあと思っている。
仮に、真剣にいわゆる「弱者男性」問題を憂えているのなら、男権主義の伸張という方向でそれが解決されることはもう無い(過去一時的にあった「男というだけで威張ってるオッサン」があふれる社会に戻したい、などという主張は、当の男性からのものも含めて今後社会的合意を得ることはできないだろう。可能になるとすれば、そういう一派を集めてたとえばイスラム教勢力と結託し革命を起こして政権を奪取するくらいしかないだろう。)ので、機会平等社会の下で結果平等をいかに実現するかを考えるしかなく、つまり一種のアファーマティブアクションでしか対処方法がない。なので、そのためにはまずいわゆる「弱者男性」とそのルサンチマンを可視化し、それを救う方策を具体的に検討するのが近道だと思う。将来的には、たとえばVR空間へのアクセス権やアンドロイドの配布などが現実的な解かもしれない。いずれにせよ、牛角が女性サービスするかどうかなんて、それらに比べればおおよそ「どうでもいい」話で、議論したところで現実の弱者男性は一つも救われず、差別に関する社会的認識や理解など1ミリも深まらないし、一瞬の憂さ晴らしにしてはただの焼肉屋に迷惑がすぎるので、さっさと辞めた方がいいと思う。
※…もう少し丁寧に言うなら、主に「社会運動」を企図した活動であって、多くの人に認められうるような論理に基づき常識を解体・構築する「学問」的活動とはまた異なるところに主眼がある、ということ。後者は観測対象を描写・分析・記述するものだが、前者は積極的に観測対象を変化させることを目的としている。なお、社会学者の中には、学問の存在価値は現実を変革し社会運動となることにこそあると主張する人もいるが、その場合も、分析・記述に十分な力があるなら、それは自然と社会の常識を解体・再構築するであろう、という意味であり、観測対象の描写・分析・記述が"いい加減"であっても社会を変革できればいーや、という意味ではないと思う。
・段位があるので「偉くなった」気がしてしまう
それ以外のスポーツでも上に近い部分はある。
野球だろうがサッカーだろうがスポーツをして筋肉をつけると他人が怯えて勝手に忖度してくれるようになる。
それに慣れてくるといつの間にか「自分は忖度されるのが当たり前」となり頭がおかしくなっていく。
そもそも論としてスポーツをやるとアドレナリンが過剰に出て脳みそがおかしくなる。
戦闘状態のメンタルに晒されることで戦争帰りのような凶暴さが身についてしまう。
また、アドレナリンの影響で自分の勝ち負けへの拘りが強くなり協調性が失われ、敵味方の感覚で世界を見るようになる。
とりわけ対人型のe-スポーツは
・界隈では強さによって発言力が決まる
・ランクの高さで他人や発言を評価するようになり判断力が失われる
といった問題を抱えており、この問題は「◯◯道」が抱えている問題と似通っている。
「◯◯道」と対人ゲームはほぼ相似形と言えるし、現代の「◯◯道」こそが対人ゲームとも言える。
たとえば
「◯段ない程度の奴が偉そうなことを言うな」⇔「ランクが◯未満の奴に発言権はない」
「これ以上は埒が明かないから試合でケリをつけよう」⇔「レスバになったらルームマッチ」
といった形で同じ文化圏にいるとしか言えないレベルで似通った発言が両者の界隈には存在している。
まず、事務職に中途で入るのが無理。
事務職という世界はこの世界において最も過酷なレッドオーシャンで総合力が求められるから、半端なトガリを評価するようなIT業界の人間が食い込むスキはない。
営業とかで入ってもマクロで時間短縮できるのは全体の1割り程度。
そして営業職の仕事の大部分は飛び込み的な部分と新規開拓だけど、IT業界の営業は既に完成されたあとの下請けツリーだったり、ランサーズを利用したばら撒きだったりなので、他の業界における営業と技術が違いすぎて役に立たない。
最もヤバイのが飛び込み系の営業で、IT業界にいたような変に頭でっかちな人間はここが全く駄目なので営業職採用におけるブラックリストみたいになってる会社もある。
筋トレブームだなんだでイキった所で、基準が学年最下位もやしっ子の中ではマシな方かどうかという状態では一般社会の肉体労働では下の下。
学生時代の運動経験の少なさからマッスルメモリーが足りておらず、鍛えても鍛えても全然強くなれず、同期で入った「学生時代は運動バリバリだったけどサボっててめっちゃ筋肉落ちた」って人がメモリーでムキムキ育っていくのと比較されて「コイツ成長率も低いのかよ~~~」という扱いに。
最も適正がないのが公務員。
ルールが厳密だし、そもそも組織がITオンチすぎるのでイライラすること請け合い。
そしてITを全く活用しない仕事の仕方についていけずに「コイツこの年までなにやってたの?」みたいな状態に。
片目の国では両目開きは王になれるかもだが、盲目の国では耳も肌も軟弱すぎてコミュニケーション不能の障害者扱いになる感じ。
ぶっちゃけいける場所は、タクシー・運送・塾講師・ライターのような経歴もクソも関係ない残業耐性理不尽耐性だけが重要な業界のみ。
理不尽耐性が低いからIT業界から零れ落ちた人達の行き先はありません。
人生、詰みです。
子どもを産んでもらえただけでもありがたく思うべきだろ
ガキを作る以外にセックスしたくないって思われる男、ぶっちゃけ遺伝子を残すべき男じゃないよ
やっぱり政府が優れた男の精子だけ集めて、女たちに配るべきだね
チー牛の遺伝子は残しちゃ駄目
電車の女子高生B「わかる~!河野とか石破みたいなきもいジジイの顔がTVで流れるより若くて清潔感のある進次郎がいい!」
さっき聞いた会話
なんだそれは?知らん。聞いたこと無いと思うかもしれないが、「過酷」でおなじみのブルアカのクリエイターが独立して立ち上げたスタジオで作ったということで注目を集めている。
https://www.4gamer.net/games/829/G082980/20240902007/
なんだ、あのスチール絵以外はストーリーも対して面白くない癖に、やたらとTwitterの限界オタク界隈で賑わってるゲームのクリエイターがまたなんか作るのかと対して気にもしていなかったのだが
どういう訳かコメント欄には、経緯を説明しろと躍起になっている連中がいる。
経緯もなにも、ネクソン退社して普通にスタジオ立ち上げた後にゲーム作っただけだろう。
向こうからしたら何でそんな事の説明が必要なのかと思う事だろう。
一つの会社に入ったら、その会社に貢献し、最後まで勤め上げるという風潮は今でも日本に根付いている。
ぶっちゃけコレに不義理だとか言ってたらクリエイターが他社に席移して作った作品全部不義理だよ。
いつもはクリエイター至上主義者で話してんのに、ブルアカの話題になると急にネクソンの擁護し始めるのは何なの?
そんなに怖いのか?projectKVが?
まだどんなゲームなのかすら分かってないうちからこの反応は異常だよ?
ブルアカで積み上げた人気を全部もってかれるかもしれないと戦々恐々としてるのか?
ていうか一体なんで運営でもない連中が騒いでんだろうね。projectKVが開発中止したら満足なのか?
正直、複線の回収すらする気のない状態でつまんないストーリー展開してるブルアカなんかほっとけばいいのにって気がするんだけど
学生の頃にバイトで後輩にはパワハラ、女にはセクハラ、仕事はサボるで最悪な奴がいたんだが
それが効き出したのか、やっと辞めてくれるって時に
お前らいじめられたからしょうがなく辞めるんだ、お前らは最悪だ死ね
って捨てゼリフ吐いて辞めて行ったからな
自分の思い通りにならないと、周りが悪いってなるガチの認知歪みニキが世の中にはいるんだよ
いじめられるやつってそういう所あるんだよな
もちろん、理由なくいじめられる奴もいるだろうけど、そんなのレアケースで基本的に自分が周りを傷つけたカウンターが来てるだけなんだよな
昨年は募金の着服を筆頭に数々のスキャンダル的情報があふれ、当の障碍者が出演するNHK「バリバラ」からは毎年のように直球で揶揄され、パラリンピックの開催時期にばっちりぶつけられた2024年の24時間テレビ。
「愛は地球を救うのか?」と、自分たちの考え方や番組作りを考え直し、真に価値あるチャリティー番組・イベントであることを証明するかのようなテーマに変えて臨んだわけだけど。
ぶっちゃけどうでもいいけどな
ただでさえ客が少ないであろう夏休み明け直後の平日に席埋めたいだけなのも分かるし
ここ最近の産後の恨み云々のエントリを見て「そもそもできないだろうけど、万が一出来たとしても俺は結婚はしないほうがいいなあ」という思いが強まった
仕事はもちろんのこと、その上で家事育児もこなせるというのは最早俺のような日々を生きるだけで精一杯の低スペック弱者男性からしたら超人のそれだと思う
なんだかんだで社会人になった時にSwitchを買って、どうぶつの森やスマブラ、ポケモン、モンハン、スプラをしてる(してた)
小学生の時にはなかったはずやが
Switchで鬱になるのは上記のタイトル、オンラインで人と協力プレイ・対戦する機能があるが、何にせよランカーになったり、どうぶつの森でやりたい島作るためにボイスチャットやテキストチャット入ってTLでやり取りするのに、相手の気持ちを推し量る能力がないと詰む。相手に噛まれてもいなす力量か本当に独りで廃人になるほどのめり込む精神がないと詰む。一部のタイトルについてはゲームコミュニティに入っているが、Switchはある程度のお金とネット環境と電気と時間さえあれば買えて遊べるため、付き合う?交渉する?ゲーマーの人生というかぶっちゃけ家庭持ちとか就労状況(大企業からニートまで)とか年収とか異性経験まで、ピンキリな人々がTLでレスバしててそこにエネルギー持ってかれる。コミュ力ある奴に情報が集まって1種の派閥というかカーストが生まれる。レスバにエネルギー使うの無駄すぎるし、あるいはコミュニティ内で交際とかそんなモノを見てしまうとぶっちゃけ萎えてまう。当人達はそれが幸せやから邪魔をする気にはならんが。今のゲーマー年代のコアが20-50歳やからしゃーないのはしゃーないが。
かといってソロでしてるとSNSにある攻略情報がみたくて仕方なくなるよな。wiki単体で見ても分からんもの分からんし。
せめて一部の炎上してるプレイヤーくらい頭さえ賢ければ、自家発電のように一人でモクモクしょーもないエントリー吐き続けて楽しめるものやが。
若いときはそれでも一人で籠もってコツコツしてたが年取ってから妙にネットに再度踏み込んだのが悪い
いやリアルと同じで夢見すぎなのかもしれん