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はてなキーワード: 祖父とは

2019-04-23

anond:20190421215458

何に誇りを持ってるかじゃないのか。

背が低いことを誇りに思ってれば、背が低い人間自称してもそれほど不思議じゃない。ゴブスレではデブって呼ばれたドワーフが、誉めてくれてありがとう皮肉を込めて返したシーンがあったね。

日本だと薄れたけど、老を中国だと尊称として使うこともあるし、韓国だと「ぼくはお前のお祖父ちゃんだぞ!」って悪口があるらしい。価値観の違いは意外に大きい。

だいたい異世界ものって、人種ごとの分業がうっすら進んでる。

ドワーフなら炭鉱や穴堀が多い。それに見合った体格と性質を誇らしげに自称してもおかしくないと思うんだ。他は負けてる訳だし余計になw

2019-04-22

anond:20190422121912

たまに顔合わす程度の関係では難しいな……。

友達がいないか学校行きたくない子供、たぶんそれ以上のなんか抱えてるしな。

勉強の仕方よりは、楽に生きる心構えとか教授してやりたいけど、そんなん会った時の一言や二言でどうこうできるわけもなし。

もっと頻繁に会う関係作るか、祖父祖母みたいなもっと頻度高くかつ信頼できる人に委託か、そういうのなんじゃあないだろうか。

知らんけど(と、言うほかない)。

2019-04-20

きっと甘いみかん / 一定甜的橘子

中国語勉強していたら、「一定甜的橘子」という文章に遭遇した。

内容は、一休さんのようにとんちを聞かせて上手いこと言い訳して難を逃れるというたわいもない話。

けれども、このテキストを読んでいると不意に他のことを考えてしまう。

ぼくの両親の実家愛媛で、母の実家瀬戸内海に面する小さな港町だった。

出身を言うと「みかんだよね」と、得意そうに、とき申し訳なさそうに言われる愛媛県民のどれくらいがそうしているのかわからないのだけれど、ぼくの家には子どもが生まれたらみかんの木を植えるという習わしがあった。種からではなく、苗から植えて、遅くとも小学校入学までには自分みかんを食べる。一つの通過儀礼だったのだ。

みかんを植えたのは母がたの祖母である祖母は、無口で芯を持っていて、彼女を知る人から言わせると、珍しい人、であった。ぼくが物心つくころには祖母祖父仕事退職しており、いつも家にいた。だから、ぼくと兄は、よく遊びに行って、いろんな場所に連れて行ってもらった。魚市場、港、砂浜、そしてみかんの木のある山へと。

みかんの木の植えてある山までは歩いて30分ほどかかる。それに道は急勾配だった。それでも還暦を超えた祖母は、ぼくたちを連れて山に登った。祖母の畑は頂上に展望台がある山の中腹にあり、海が綺麗に見える。天気の良い日には、猫のほうが人口より多いという島が見えるが、当然のごとく猫は見えない。

少しだけ耕された土地と、植えられた数本のみかん。鍬やはさみなどの農業道具を保存する小さな小屋土地自体は広いのだけれど、管理されている土地はそれくらいで、他は好き勝手雑草が伸びている。

祖母の話では、2週間に1度ほどこの山に登り、ぼくたち兄弟の木の周りに生えた雑草を抜いているらしい。体調を心配する母に「この子らはまだ弱いけん、守ってあげなね」と言い、行く頻度は実がなるまでの間、ずっと一緒だったそうだ。

山に行ったことは覚えているのだけれど、初めてみかんを食べた日のことは覚えていない。母曰く、「あまり甘くなくて美味しくなかった」とのこと。それから毎年、雪が降りはじめる少し前に「あまり甘くないみかん」を食べるようになった。クソガキだったぼくは、祖母の苦労など知らず、甘くないから、あまり食べなかった。

数年後、ぼくは高校に無事入学して、少し遠くの学校寮生活を始めた。家に帰るのは数ヶ月に一度になり、祖母の家に行くのも同じくらいの頻度になった。祖母の体調が優れないと聞いたのが夏のこと。秋にはステージ4のがんが見つかり、ホスピスに入り苦しんでいた。そして、春を迎えることなく、年末に、みんなに看取られて亡くなった。

「〇〇なら大丈夫だよ。かしこいけんね。」

最後に交わした言葉は今でも覚えている。というより、忘れられない。

祖母が亡くなり、祖父は持病の腰痛が再発して、買い物に行くことも、もちろん、山に行くこともできなくなった。山には誰もいかなくなり、土地権利を売るかどうかという話になったとき、「ああ、そういうのもあったね」と言われるほどには忘れられてしまった。

誰に言われたわけでもないが義務のように毎年草刈りに行く父は、年末年始にぼくたち兄弟に対して山の話をする。

「〇〇の木はまだ残っとったぞ」

心の中で「当然だ」と思う。

祖母が、強くなるまで大事に守ってくれた木なのだから

その木に実るみかんは甘いのだろうか。

そもそも、今でも実るのだろうか。

それは自分次第なのだろう。

祖母が育ててくれた木を豊作にするのも。みかんを甘くするのも。

ばあちゃんGWには帰るよ。

2019-04-19

3人子を産んで

年収は400なかったはず。両親と同居。夫正社員非正規収入大元祖父年金。長女は中卒、長男も中卒、次女が高校に入るころにはシングルマザーになっていたため支援金だかでゼロ入学。それがなければ次女も中卒だったはず。うちの両親の話だけど地獄実写化

anond:20190419151750

女尊男卑なんて都会の人だけじゃないの?

うち実家なんて母親も姉も台所給仕ついでに漬物ご飯の飯食ってたよ

居間めちゃくちゃ広くて祖父と親父と俺とで5皿ぐらいあるのにさ

ガキのときからほんとはずっと嫌だった

近所のうちも俺んちと大して変わんないみたいだしさ

大学でこっち来て友だちんち行って家族全員で居間テーブルで楽しそうに飯食って

飯も自分でついでるの見てこれが…これが都会人か…!ってなったもん

86歳で老人ホーム痴呆になってボケて死んだ未婚の叔母だけが善良だった

 実家の悪い祖父母に苛められ、ずっと汚い木造の家で暮らしていた昭和のおばさんだったが

20歳から工場に勤め、60歳まで勤め上げて、死ぬほど子供好きで性格が良かったので、

弟と一緒にいつもその叔母の家に遊びに行き、桃などを食べさせてもらうなどいい時代があった

その叔母は木造の家に行くたびに炊事場でタケノコなどを煮ており、NHKの喉自慢などをみて

のんびり暮らしていた。家は、工芸品で満載であり、その工芸品だけは肌身離さず、引っ越しから

死ぬまで、それに執着していた。その叔母が、自分が都会の予備校に出ている時分に脳出血で倒れ

老人ホームに入った。末期は、子供の頃あんだけ可愛がったのに、俺の名前も忘れ、あんた誰ね、などと

言われたが、中傷されることはなかった。その叔母だけが、俺が知る、生きていて最も善良な昭和の日本人だった

実家祖父は、95年から若者時代に癇癪を起こして、アムロナミエなどがテレビ流行っていたのに、

激怒していたし、臭い男だった、祖母も、性格の悪い女であった

 うちの父親も、母親も、昔から最悪で、浪費や虐待ばかりしていたし全く尊敬できない

弟は、小さい頃は可愛かったが、自分浪人中に不良になったし、今は激臭ニートすぎてもう興味がない

結局、昭和58年に生まれ死ぬまで善良だったのは、その叔母だけだった

それ以外の人間はみな最悪だ

2019-04-18

祖母のこと

年末祖母が亡くなったんだけどなぜか今頃もう会えないということを実感し始めた。

葬式では周りがワンワン泣く中で涙の一滴も出なくてさ、さすがいつも感情が無いってネタにされるだけあるわって半分自虐的に思ってたんだけど違うね。もう祖母に会うことも会話することも動いてる姿を見ることもないって実感できてなかっただけなんだよね。

祖母は遠くに住んでいたか小学校の頃は毎年遊びに行ったけど中学生になってから全然行けてなくてさ。ここ数年はまた何年かに一回顔出せてはいたけど学生の頃は5年くらい会えてない時もあった。

生きてるうちに会いに行くのが一番って分かっててもさ、交通費とかケチちゃうんだよね。ほんとしょうもない。会いに行けよって昔の自分を殴りたいわ。その時はその時でギリギリ生活してたんだと思うけど。今なら親に借りてでも行けって思うね。

ただ私は孫じゃん。母はもっと会いたかっただろうなぁって思うと本当に申し訳ない気持ちになる。

うちの母は私も兄弟も小さいからってずっと家にいてくれたんだよね。専業主婦だったからずっと甘えて親がいないと何もできない子でさ。きっと祖母に会いに行きたいって何回も思ってただろうなぁ。

亡くなる前もその月に行こうとしてたんだけどちょうど引越ししてバタバタしてるからってその次の月に予定を変更したんだよね。そしたら亡くなっちゃってさ。何の病気もなかったか予測できないし仕方ないとはいえ本当に私が行ってきなよって言ってあげればよかった。

結局何が言いたいんだろうな。わからない。ただ二度と会えない人がいるっていうのが悲しい。人間から仕方ないこととは分かっているし世の中には早くに親が亡くなってしまった人だっているけど。何ならうちの母も学生の頃に父(私の祖父)を亡くしてるけど。

あぁ、だからこそ母には祖母に沢山会いに行ってほしいって思うのかな。

母は強いから、嫁いだ時にもう死に目に会えない覚悟は決めてたって言ってたけどどうやったらそんな強くいれるんだろう。その強ささえ悲しくて申し訳なくなるよ。

終わりどころが見えなくなってきたからやめる。みんな、親は大切にしよう。例外の親もいるけど、好きだと思える親を持っている人は大切にしてあげてください。

2019-04-16

anond:20190416003148


被害者として捉えて欲しいのではなく他の疾患と同様にフラットに受け入れて欲しいんだ。

エビデンスとか探したら多分あるけど、うつ病遺伝やすい。でも器質的というよりから生い立ちだよね、親の愛着がうまくいかなくて自己肯定が養われなかった。そんな不安定自己のまま社会に出るから適応しきれず病になる。健全育児の推奨は必要だと思う。

自分小学校3年のときに両親が事故で亡くなり、自営業をしていた祖父祖母に引き取られたもの経営難で中3のとき首吊り自殺した。それからを境に祖母パワーストーンとか怪しいセミナーにのめり込んでしまった。私には安心できる時間ほとんどなかった。精神的に脆いという気質遺伝としてあったのかもしれないけど、誰かにこの話もできないし、死にたくなる夜はただ堪えるしかない。

2019-04-15

1999年だったか2000年だったか、「公僕」という言葉差別的から使ってすいませんでしたとかいニュースがあった

私の祖父警官で、公僕という言葉に誇りを持っていたように思う。私心でなく公に仕えなくてはならないのだといってたあの祖父のことは尊敬してる

頑張って勉強したのに公の僕がうんちゃらとかい言論は、小さい頃にはあった公僕への憧れを粉々にするには十分なインパクトだった

その後、氷河期公務員モテる公務員だって言ったら女の態度が変わる!なんて言論も出てきて、ああ、もう

上野千鶴子祝辞に対する反応はあのときのやるせなさを思い出す

世の中の若者尊敬できる大人になりたいけれど、どうしてか尊敬できるのはお年を召した方ばかりという話

普通じゃないので

困る。困惑する。

母子家庭から父子家庭になるっていうアクロバティックな人生の経緯もある。そこからまさか国公立大学に行って引きこもりっていう経緯もあるんだけど、そういう人生の経緯の悩みはありきたりで、似たような悩みは見つかる。問題はそこじゃない。

実のところ、うちは神道系の新興宗教帰依している。日神会、といえばわかる人がだろうか。

祖父がその系統だったので、毎回お祈りを受ける。

治らない病気もあるが、たいていの花粉症だのインフルエンザ腸炎なんかは直してもらえる


昔は何も思ってなかったんだけど、それが普通じゃないということに気づいていたし。

それよりも、宗教なんて助けてもらえない、ただの派閥既得権益みたいな考えが普通ってことになんだかもやもやしてしまう。

自分毎日のようになんか知らない目に見えない、神様らしきものに助けてもらってる。

それをけなされたり、いないものと言われるのが、ちょっとしんどい
あと、神に期待しすぎでちょっと

神は人間よりはるかにいろんなことができるけど、しょせん、人間に少し毛が生えた程度だ。

病気を治したり、気分を向上させたり、ちょっとだけ運が良かったり。そういうのって、目に見えない。

日神会は最終的に神になるのが目的から人間も神として尊重して扱う。

ただ、その尊重は、大事にするというよりは距離感大事にする、だ。

自分の行いは自己責任他人のせいにしない。でも、自己責任だと突き放すこともしない。

2019-04-14

anond:20180709195554

ウチは明治維新後に東京に出て来てから俺で五代目になるので、その話しっくりくるよ。曾祖父から東京まれ

2019-04-12

泣いてもらって幸せだね

小学生の頃の夏休み、母方の従兄弟の父方の祖父の家に遊びに行ったことがある

当然自分とは何の血の繋がりもないが、母方の叔母が自分の姉=私の母とその娘=姪である私も誘ってくれた

祖父(ではないけれど便宜上そう呼ぶ)は九十九里海岸沿いに別荘を持っていて、叔母家族と母と私でお邪魔した

祖父は優しい人だった

なんの縁もない私にも血の繋がった自分の孫と同じように接してくれた

ザリガニ釣りをしたりスイカ割りをしたりバーベキューをしたり、まさに「小学生の夏」のイメージそのままの1泊2日を過ごした

とても楽しかった

ちなみに「別荘」という言葉から当時の私は勝手に大豪邸を想像していたのだが、実際の別荘はそれより3回りは小さくて

内心「家ちっさ…」とか思っていたのは内緒だ 今考えると失礼な小学生

祖父に会ったのはその年とその次の年の夏の2回きりだった

それから10年ほど経って、祖父が亡くなったことを聞いた

叔母は母と私も葬儀に呼んでくれた

正直な話、この時既にもう祖父の顔も声もよく思い出せなかった だって2回しか会ってないんだから

それなのに涙が止まらなかった

忘れかけていたあの夏の思い出を一気に思い出した 浜辺に流れていた月の砂漠の物悲しいチャイムの音も急に思い出した

棺に手を合わせていたら後ろから知らないおばさん達が私の話をしているのが聞こえた

「○○さん女のお孫さんもいたっけ?」

「あの子は直接のお孫さんじゃないけど一緒に遊んだことがあるんだって(みたいなことを説明してた気がする)」

「あらそう、それなのにあんなに悲しんで泣いてもらってるの、○○さんも幸せねえ」

あんなに悲しくて泣いたのに、結局葬儀から数日もすれば私はまた祖父のことを忘れてしまった

なのに「泣いてもらって幸せだね」という言葉だけはなぜか強烈に頭の中に残っていて、

私はどうにもバツが悪くなってしまった

どうして泣いたんだろう、泣く資格とかあったのかなとか思った

ところで、それから数年経って私の血の繋がった祖父(父方)も亡くなった

葬儀では私は当然のように泣いたのだが、母もまた泣いていた

それを見た親戚のおばさんが、「お嫁さんにあんなに泣いてもらって、●●さんも幸せねえ」と言った

示し合わせたようにまるっきり同じようなことを言うからびっくりしてしまった

けれど血のつながらない祖父葬式で泣いたのは別にいいことだったのか、とも思った

2019-04-11

anond:20190411091103

ほう?

チート能力を与えなかった親が悪いと?

おまえの親もじっちゃんばっちゃん祖父ちゃん祖母ちゃんもそんな能力なかったはずだぞ?

しかし中だし子作りセックスしてんだぞ?

おまえはなぜできないのだ?

2019-04-10

窶れながら肥えていく

私の身体には確かにそれが起きている。

それを見ると死ぬ直前の祖父の姿が浮かぶ

痩せこけていく頬、それと反比例するようにたるんで広がっていく腹部。

自分の体を急速に襲い来る外見的変化が確かな老い兆候であることに安心すら覚える。

寝不足心理的負荷といった外部からストレスにより肉体が滅び始めているのではなく、誰にでも訪れるテロメア限界へと向かっているだけならば。

耐えられる。

まだ私はもう少しだけ耐えられる。

もう少しだけ耐えたら。

シゴトヲヤメタイ

anond:20190410212100

介護は男でも女でも「家族だけでみよう」とした時点で詰む

自分祖母祖父介護してきたけど最初の4,5年ほどはほんと地獄だった

増田が感じてる弟や家族に対するあれこれみたいなことも

それぞれがそれぞれの家族に対して思ってて介護のつらさのあまり不満が爆発してだんだん問題になってきたよ

増田がそう決めて家族の前からいなくなるのはいいと思う 理不尽さもすごくわかるし

でもまず先に他人の目や手を入れることを進言してから逃げるといいよ

それが増田の助けにもきっとなる 余計なお世話かもしれないけど

2019-04-04

Gigazine紛争について経緯を読み解く

前提として

まともな会社なら揉めてる建物ショベルカーでいきなりぶっ壊したりしません。それは置いておきます

結局地代払ってなかった

先日の論点整理増田anond:20190401153412から勝手引用

さて,山崎氏所有権取得原因が遺贈であるから借地権譲渡について,地主の承諾またはこれに代わる裁判所許可があったかどうかは問題となりうる。

もっとも,本件では遺贈の登記からも10年以上が経過しており,(仮に地上権取得時効が成立しないとしても)地代の支払い等の事実から黙示の承諾があったといえるであろう。

この件で地代を払っていたのかは非常に重要な点である

しかし、地代は払っておらず、遺贈について地主の承諾もこれに代わる裁判所許可ももらってない様子であるのが下記ブログから分かる。

Gigazine編集長母のブログ 2019.4.3 http://keisui.com/20190403-architect-29369-keisui/

父がなくなって以後、地主は一度も地代請求をしてこなかった。だから、あの倉庫は全て私達のものだと理解していた。


借地権賃借権地上権

借地権には賃借権地上権の2つがあるが、地上権ならば地主の承諾なく遺贈で権利を承継できる。

賃借権地上権については母ブログでも説明している。http://keisui.com/20190227-architect-28915-keisui/

ブログ 2019.2.25http://keisui.com/20190225-architect-28894-keisui/

売り主のおじいさんに再度確認に行ったら、記憶がどうもあやふやで心もとない。ただ地上権は成立していたことだけは断言してくれたが、証拠はない。

昭和50年代だと、今とはかなり事情が違っていたらしい。それでも、地主建物の所有者が違う場合いくら28年間も売り主が住んでいたとはいえ建物だけを黙って売ることは出来ないので地主の許諾を取りに行ったそうである建物だけの売買のこの場合建物には地上権が付いていたという事である契約書を作って売買に立ち会った司法書士保証してくれた。

売主も司法書士地上権があると証言しているが、借地権の間違いではないのだろうか。(証言者の勘違いなのかブログ主の勘違いなのかは不明

論点整理増田にある通り、建物登記があれば当然に借地権は認められる。

そして賃借権借地権からこそ建物売買について地主の承諾をもらいに行ったように思えるのだが。

私は未だに地上権概念がよくわかっていない。やっと息子から借地権地上権のよく分かるサイトを見せられて納得したのである

Gigazine編集長賃借権ではなく地上権を承継したと認識している様子である

それでやっと父があんな小さな建物にかなりの金額を払ったことがよくわかったのである地上権登記地主側にその義務があるが、買い主側は自分では出来ない。それで父は怒っていたのだということがわかった。

そこで父は、20年計画を立てて、20年後に登記してもらうことを地主約束したようである確信はないが、父の愚痴を聞かされていた限りではそうなるのかなあと思う。その後20年間、父は税金を払い火災保険をかけ続けたのである地代も払えと地主から言われ、地上権を確保するためにそれも実行していたのである。そして、がんに侵されていたた父は、やっと20年目に言われるまま再びお金を払ったらしい。

これでやっとこの土地地上権を確実に手に入れたと思ったが父ではあったが、やはり地主地上権登録無視したようである。ガンの末期にまで進んでいた父は、裁判をする気力もなく、その後まもなく他界してしまったのである

父は最後に、その問題不動産寿命の長い私の息子に託したのである。あちらこちらに「この家は壊すな。この家は地主に返すな。」と書いたものが出てきて、実際にも私や息子に「この土地永遠にのものだ。」と言いながらこの世を去っていったのである

借地権地上権なのか賃借権なのかで編集長祖父と先代地主は揉めていた?(地上権云々の記載は推測であり確信は無いと書いてあるが)

20年目に言われるまま支払ったお金というのは借地契約20年だったので更新料を支払ったのではないかとも思えるが。

20年後なら土地を売ってもよいと言われていた可能性もある。

ちなみに他の借地人が土地を買った時のエピソード

地主女性は、地元でも評判の悪い方で、1例をあげると、何十年も自分で建てた家に住んでいて土地も買いたいと言ってきた借地人に対し、地主自分の言い値で1円も負けずに現金で買わせた挙げ句領収書を書いてほしいと頼まれても「なんでそんなもん書かなあかんねん。」と言って絶対書かなかったという伝説の持ち主である

(母ブログ2019.4.3 より。あくまで伝聞であり本当のことか分からないけどね。http://keisui.com/20190403-architect-29358-keisui/


祖父勘違い

そもそも編集長祖父建物購入時に“借地権付”建物を購入したと認識していなかったのではないか

ブログ2019.2.22http://keisui.com/20190222-architect-28880-keisui/

父のこの建物に関しての取引は、私が結婚して家を出てからのことであるので立ち会ったことがない。しかし、実家に帰るたびに父は晩酌をしながら地主に関しての愚痴をくどくど話していたのをよく覚えている。

その内容は、「あの家は全部俺が金を払ったのに、地主は違うといって地代を払えと仕事場へやってきては客や従業員の前で言い続けた。それで根負けして地主お金を払い会社商品倉庫として使っていた。弁護士相談して話し合いをつけるつもりだ。」というものから、少し経つと「あの土地はやっと俺のものになる。正義は勝つ。」などと言って泣いていたのをよく覚えている。ガンで亡くなる直前には、「あの建物を使うときだけ地主の婆さんがうるさいから金を払ってやれ。使わないなら払う必要はない。」と言っていたのである。その時は何かよくわからないままに、いやいや愚痴に付き合っていたというのが事実であった。今にして思えば。もっと詳しく聴くべきだったと悔やまれる。後悔先に立たず。

借地人が地主地代を払うのは普通のことであるが、編集長祖父は当初土地ごと買ったと勘違いしていたのではなかろうか。

地代かいう筋の通らんものを長年支払わされた!という祖父愚痴を聞かされていた娘・孫と、借地人が地代を払おうとしない!という地主愚痴を聞かされていた娘が今になってこんなに揉めているものと思われる。

しかし新展開!

ブログ2019.4.3 http://keisui.com/20190403-architect-29358-keisui/

地代も払わなかったという地主の言い分に対する反論としては、あの土地を父が地主彼女から買っていたということである。その証拠も出てきた。

只この時点ではその証拠を明かすことはできない。警察にだけ話すつもりである

地上権ではなく土地所有権を取得していたという新展開。

証拠とは何か?買ったならなぜ登記されていないのか?

次の展開がとても楽しみでゲスね。

2019-04-03

右翼だけど祖父から続く右翼家庭ってヤバイ

ちな祖父天皇家関連の工事で儲けまくって山を30個も買った

2019-04-02

絶対結婚なんかしない

リビングで寝っ転がって寛いでいた父が「おーい」の一言キッチン作業している母を呼び、父の足元にあった新聞を「それとってくれ」と母に運ばせた話。

を伯母(父の姉)が二人が新婚のときの微笑ましいエピソード風に暴露していた。

当時私は未就学児だったけど、その話を普通にする伯母と笑って聞いてる母方の伯父が物凄く不気味に見えたのを今でも覚えてる。

昨年父が死ぬまで母は父のお世話をし続けた。家事はもちろん、「母さん、コーヒー」の一言コーヒーを淹れ、お風呂に入るときの着替えの準備、一人飯は不味いだろうという心遣いで夜遅い父親食事を見守り、飲み会終電を逃せば車で迎えに行った。私(娘)の世話も年老い祖父母(父の両親)の世話も全部母。父がやったのは家に金を入れることと気まぐれに子供と遊ぶこと私に説教祖父と言い争いくらい。しかも母はパート准看護師をやっていた。

母は何でもなさそうに毎日を過ごしていたが私から見ると苦行か地獄のどちらかにしか見えなかった。

その苦行の一つである私が言うのもなんだけど、自分に一番近い「お嫁さん」がこれだったから「将来の夢は花嫁さん」なんてひっくり返っても思えなかったしアラサーになった今でもそう思ってる。

2019-04-01

GIGAZINE側に対する疑義 (14:22追記)

anond:20190401153412

自力救済

自力救済不法行為構成すること、ヤカラ地上げ屋と動かない大阪府警クズであることに異論はありません。

刑法犯としても、建造物損壊建造物侵入窃盗構成要件を充足するでしょう。客観的情況証拠から経験則による故意認定も優に可能でしょう。逮捕に踏み切らないのは、警察に単にやる気が無いか上層部からの何らかの力が掛かっているかであると見ています。)

GIGAZINE側に対する疑義

ただGIGAZINE側に対する疑義は、適法性問題に留まる話ではなく、社会的相当性の問題と捉えるべきでしょう。

すなわち、建物使用必要性が乏しいと思われる土地賃借人が、地主に対する怨恨の情をもって、濫用"的"に旧借地権を主張していたためにこじれたのでないか、という点についての疑義です。

本件において、破壊された建物写真、その他の記事(地主建物10年間私物を置く等に使って時効取得したとの主張しようとしている)を見る限りでは、土地賃借人に全く建物使用実態があったようには思えません。また山﨑惠水氏のブログ(Posted on 3月 11th, 2019)には「息子はお金ではなく亡き祖父の思い(長年に渡る地主との確執)を晴らすことに執念を燃やしている。」との記載があります

もちろん、これらの疑義真実であったところで、現行法上は旧借地権を主張することが権利濫用(民法1条3項)であって法的に主張が封じられる、と言えるまでのものではありません。濫用"的"であって社会的相当性に欠けるのではないか、というだけです。

借地権自体への不信

ただ、これだけきっちりした書面を(フィー無しで)書いてる元増田が、旧借地法が昭和後期に制度疲労を起こして土地有効利用を妨げ、旧借地権自体無用ものとして扱われ、長らく立法不備であるとされたことを知らないはずはないでしょう。現に旧借地法廃止借地借家法制定からまり定借権へと、一方的賃借人保護からの揺り戻しという大きな流れがありました。

ただでさえ旧借地権は、土地所有者に課される租税公課・維持費を下回りかねない低廉な地代で、半永久的に返ってこないと言われています。これを濫用的に主張していたのではないか、という疑義は、旧借地権(及び無期限での経過措置を認める借地借家法附則)への不信と相まって、GIGAZINE側に一方的に肩入れすべきでないのではないか、というブレーキを掛ける心情を惹起することも、一定の理解は示せるところです。

私見

もちろん、いずれにせよ推測に基づく疑義に過ぎないのであって、GIGAZINE側もが叩かれるべきとは全く思いません。ただ例え社会的相当性の問題に過ぎないとしても、大衆はいわばクリーンハンズの原則に敏感です。私見では、その点に対する判断は保留とし、冒頭で述べた自力救済許すまじの問題に切り離してサポートしていくのが、妥当立場であると考えます


追記

id:casm そういった事情は立退料の減額事由になりうるので、ちゃんと法的手続きとりましょう。使い勝手は悪いけど、法がカバーしていないわけじゃないんすよ。感情論法律構成に落とし込むのも弁護士お仕事

<読み飛ばし可>本件ショベルカー前に建物収去土地明渡訴訟が係属していたとして、「そういった事情」を立証できたというお考えですか?GIGAZINE倉庫は目の前に旧本社があって、しばしば賃借人倉庫の様子を見に行っていた事情はあったようです。まあ壊れた倉庫見たら中身空っぽだったわけですけども、壊れる前は分からないわけです。そして元記事の指摘通り、損壊前は本件と地上に建物普通に建っていました。これで賃借人土地建物使用必要性否定的に解する(補完事情たる金銭給付を減額させられる)心証形成できるなら敏腕ですね。山﨑惠水氏のブログ記事プリントアウトして持って行くぐらいはできそうですが。</読み飛ばし可>

まあそんなことはどうでもいいんです。それより私が最も伝えたかったのは(自救行為というかただの犯罪なので犯罪と言いますが)『被害者にどんな事情があれ犯罪は決して許されない』という点です。元記事で「本件で「中立」的な立場に立つのであれば,全面的GIGAZINE側を擁護すべき」とありましたが、このように短絡させると、折角盛り上がってきた「地上げ屋の悪質な犯罪を許すな、大阪府警の怠慢を許すな」というムーブメントに、かえって水を差すことになるように思います

擁護すべきは、建造物損壊やそれに伴う窃盗等の犯罪被害及び警察対応に対する支援に絞るべきであって、GIGAZINEがあの土地を使い続けられるべきかどうか(土地占有正当性)という点にまで話を広げるのは避けた方が良いのではないでしょうか。

anond:20190401153412

http://keisui.com/20190222-architect-28880-keisui/

地主はこの建物地代を払わないから返してもらったと主張”

祖父が亡くなってから地代は払ってなかったっぽい?

まあ、払ってなくても、自力救済禁止から地主側はアウトだけど。

2019-03-31

田舎者貧乏人に罪悪感を持つ話

大阪で生まれた。

母は未婚だった。

母は、決して悪人ではなかったが、(おそらく)知的障害を持っていた。

主に私の世話をしてくれたのは近くに住む優しい叔母だった。年に一度ほど会う、父親から送られてくる相場より多額の養育費けが生活の頼りだった。

所謂貧困であったのだと、今ならわかるが、周りには似たような家庭ばかりだったので、これが普通だと当時は思っていた。

当時の私の世界は、いわゆる「低学歴の世界」だった。

隣に住んでいて、慕っていた年上のお兄ちゃんは、親につけられたという根性焼きの痕があった。

育児放棄されていて、給食が唯一の生命線だというクラスメイトがいた。

喧嘩沙汰で歯が折れ、治す金もいからとそのままにしている先輩がいた。

友達シンナー中毒おかしくなった。

叔母の娘は中学生妊娠した。

学級崩壊なんか当たり前だった。

酒にタバコシンナー暴行レイプ

どこを見ても貧しさと無教養で溢れていて、私はそれになんの違和感も抱かなかった。

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中学二年生の秋、母は交通事故で死んだ。

私は一ヶ月ほど叔母の家に厄介になった後、23区内に住む父親の家に引き取られた。

父親独身で、祖父代表社員だった監査法人に勤めていた。

そして、転入した地元公立中学に通い始め、カルチャーショックを受けた。

まず授業が普通に行われて、それをみんな普通に受けていた。

非行に走る生徒もいなかった。

虐待育児放棄なんてどこにも存在しない、理性的で正常な世界がそこにあった。

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父の勧めで、私は意味もわからないまま高校受験に備えた。

幸いにして、叔母が勉強を度々教えてくれていて、勉強自体は好きで、成績も良かった。

日々終電近くで帰ってくる父だが、休日なんかに勉強の面倒を見てもらうことがあった。

そして、父の母校である某有名私大付属校に合格し、私はさらなるカルチャーショックを受けた。

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その高校は、港区公立中学より、数段「高学歴の世界」の純度が高かった。

有名企業経営者役員政治家医師なんかの子供がずらり。

大多数のサラリーマンでも当然役職付きの大企業勤務。

小学校受験し、代々その学校に通っていたりする家柄の人もいた。

わたしの居た世界では、中学受験ですら初めて聞くようなことなのに、私立小学校受験する人がいる、ということを初めてここで知った。

文化的レベルも高く、趣味の絵がコンクールで大賞を取った人もいた。

海外旅行経験があるのは当たり前のこと。

人が人を何の躊躇もなく信頼できる世界

彼らは「低学歴の世界」を一生知らないまま生きていくんだと思う。

なんとなく違和感を感じながらも、私は必死に「高学歴の世界」に適応し、馴染んでいった。

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高校の成績は良く、医学部に内部進学できるほどだったが、公認会計士になりたかったので、商学部に進学した。

高学歴の世界」の純度は高いままだった。

彼らの大半は「田舎者貧乏人」を知らない。

知っていても自分がなったことなどないだろう。

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私は田舎者貧乏人に罪悪感を持つ。

私が本来居るべき場所はあの大阪の薄暗いアパートの一室、荒れた世界だと。

父に買い与えられたタワマンで、幸福暮らしを営むことは間違っていることだと。

私と「田舎者貧乏人」の何が違うのだろうか。少し運が良く、「高学歴の世界」に突っ込まれただけの私。

「当たり前」とはなんなのだろうか。世界の壁をダイナミックに移動させられてしまった私には分からない。

私はもっと不幸になるのが当然なのだ

私は、生まれ持った素晴らしい環境を当然のことだと享受できる気持ちがわからない。

私は田舎者貧乏人に、私が本来なるべきだった人たちに、罪悪感を持たなければならないのだ。

2019-03-30

Gigazineの件

https://matomame.jp/user/FrenchToast/d480ef372439472abc75

http://keisui.com/category/architect/

祖父の代から地上権の有無でもめていたみたい。

編集長の母のブログを見ると、祖父は前の持ち主から建物地上権付きで購入し、契約書に従い地代も払っていたと主張しているが、登記上は地上権付与されていないようだ。

建物の売買に立ち会った司法書士が、”建物には地上権が付いていたという事である"と証言しているそうだか、それであれば登記記載されてなければおかしい。

"前の建物の所有者(27年間)も父(24年間)も孫(13年間)"借り続けて来たとあるからそもそも"前の建物の所有者"の地上権取得の経緯に疑いがある。

恐らく"前の建物の持ち主"が、20年以上賃貸を続けたことを根拠に、取得時効20年による地上権を主張したのではないかしか取得時効が成立するためには、20年間実質的地上権所有者であるかのようにふるまってきたことが要件になる。地主は当然同意しないであうから地上権の有無は裁判で決着をつける必要がある。登記上地上権が付与されていないのは、その点が決着する前に、編集長の買い取ったからではないか

編集長祖父が賃借契約を結び直したあと"20年後に登記してもらうことを地主約束した"とも書いてあるが、これは20専有し続ければ地上権が発生すると祖父が考えていただけで、地主側はそもそも同意していなかった可能性がある。

地主からしてみれば、祖父が借り始めてから少なくとも37年以上、下手すると60年以上に渡って意思に反して土地を貸し続けいる可能性すらある。

以上、地主解体を強行しようとしている背景の想像

もちろん背景がどうであろうと、持ち主の同意なしの建物破壊違法なので、どんどん戦ってほしい。

法律知識適当にググっただけなので間違ってるかもしれん。

地上権編集長側になかった場合、現状は賃借契約違反不法占拠状態ということになる。

地主側は祖父とは契約を結んだが、孫への契約の引継ぎには同意していない。)

警察現場に立ち入らない方が良いと言っているのは、そのせいかも。

地主はこの建物地代を払わないから返してもらったと主張”とあるから祖父が亡くなってから地代も払ってなかったっぽい?

高齢者が苦手になってしまった話

高齢者が苦手だ

外出先でいわゆる高齢者と思われる外見の方に接近されてしまうとなるべく失礼にならない速度で離れてしま

電車内で遭遇した際は席を立ち(座席に座ってたら体裁を繕うために席を譲るという姿勢で)友人と一緒などの理由で離れられない場合はなるべくそちら側に意識をやらないようにして息を浅く少なくしてしま

どうしてこうなってしまったのか

おそらく幼少期から思春期まで続いた祖父祖母による虐待が原因だと思うのだが、それにしたって特定個人(故人)に対する心象がここまで全体の印象に影響を与えるものだろうかと自分でも不思議に思う

上記反応にあてはまらない唯一のイレギュラー存在として母方の祖母が健在しているのだから、もう少し世の高齢者全体に対して当たりが柔らかくなってもいいのではないかと考えた

こんな事言ってるが正直今までは苦手でも別にいか、くらいに考えていた

自分たちを愛し支えてくれる義両親なら老いていっても祖母のようにイレギュラー存在として受け入れられるだろうとのほほんと構えていた

が。

状況が一変した

私は子供を産んだ

幼い乳幼児を連れて外出するとまぁーいく先々でさまざまな高齢者に話しかけられる

わかっている、善意を込めての声かけだということは

幸い巷で聞く攻撃的な高齢者にはほとんど当たった事がない

我が子に向けてかわいいかわいいね元気にねお母さんもがんばってね とにこにこしながら話しかけてくれる

そしてその声かけに対し私は、深々とお辞儀をし(引きつった笑顔を見られないため)吐き気を堪えながら消え入りそうな声で「ありがとうございます…」

しんどい

正直ここまでひどいとは思ってなかった

しかけられる頻度も、自分の反応も両方込みで

しかけられるのが怖くてたまらない、会話したくない、でも無視して相手を傷つけたくない

どうしたらこの苦手意識改革できるのだろう

2019-03-26

anond:20190326225352

いやジジイが孫ぐらいの女と結婚したがってたらキッモってなるじゃん

俺らの同級生で考えてみ

俺らの祖父ぐらいのダンナとかさぁ

キッモキッショ

あっごめんもしかして増田って相当なお歳だった?

2019-03-24

大事おもちゃを捨てられた

anond:20181013021617

僕が小学生の頃、ばあちゃんの家にK'Nex(ケネックス)というレゴみたいなブロックおもちゃがあった。

僕はそれをとても気に入っていて、ばあちゃんの家にいるときは暇があればそのおもちゃで遊んでいた。

小学4年生になったあるとき、ばあちゃんの家へ行っていつものようにケネックスで遊ぼうと思っておもちゃ箱を開けたら、ケネックスがないことに気づいた。

あれ、どこにいったんだろう、と思ってばあちゃんに聞くけれど、ないわけがない、と言う。

横でそれを聞いていたじいちゃんが、あのおもちゃは捨てた、と言う。

理由があるわけでもなく、ただ、捨てた、らしい。

僕とじいちゃんはあまり仲良くなくて、明らかに僕への悪意があって捨てたのはわかっていた。

飲んだくれて面倒を起こしたりするじいちゃんのことを、僕はどこかで見下していたのだと思う。

数年後に祖父は、認知症で要介護認定をもらう状況になっていたので、この頃にはもう兆しがあったのだと、今は思う。

だけれど、10歳の僕に対して、同じレベル嫌がらせをしてくるじいちゃんのことをそのときは許せなかった。

ただ湧いてくる怒りと悲しさで僕は泣きじゃくった。

見かねてばあちゃんが、同じものを買ってあげるから、と言ってくれたけどそういうことじゃなかった。

悪いのはばあちゃんじゃないから、ばあちゃんに気を使わせてしまったと、さらに悲しくなった。

僕は、じいちゃんが当時買ったばかりのワープロをぶっ壊してやる、と怒鳴り散らしていたのを覚えている。

僕が高校生になって、ふと母とこのときの話を思い出して話していた。

そしたら、自分でも訳が分からなかったのだけれど、涙が止まらなくなった。

いやー、あのときしかったんだよね、と泣きながら母に話した。

初めてこのとき、僕の中でこのおもちゃを捨てられた事件が完結したのだと思う。

結局あのとき、ケネックスを買い直すことも、ワープロを壊すこともなかった。

あれから15年経った今は、じいちゃんはもうこの世にいなくて、あのときのことを思い出しても、少し胸が痛い気持ちになるだけだ。

小さい頃に誰かにされた嫌なことより、誰かにした嫌なことの方がよく覚えている。

あのとき仕返しをしないでよかったと、今は思っている。

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