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2024-11-20

こどもにはテレビを見せたほうがいい

わたしには幼児期テレビチャンネル権がなかった

テレビは主にNHK祖父の好きな旅番組を映していた

父方の祖父母と同居している第一子にはありがちなことかと思うが母はまだ遠慮があり祖父には毎週見る習慣になっている番組毎日あった

仕方のないことだ

ただ大多数のこどもが見ている番組を家で見ることがわたしにはできなかっただけだ

東京に住んでいるひとつ下のいとこの家のピコが羨ましかった

だいぶ大きくなってからあのキャラはなんだったんだろうと調べたらセーラームーンアマゾントリオだった

中学生くらいのわたしは幼少期の自分おもちゃや布製品の絵柄などの所持品にセーラームーンが登場するにも関わらずセーラームーンアニメ記憶がないことについてギリ世代じゃないからだと考えていたのだが普通に直撃世代でただ見ていなかっただけだったのだ

ハッチポッチステーションを初めて見た日のことは覚えている

わたし田舎保育所に通っていた

同い年の子は8人、保育所全体でも30人に満たない人数だっただろう小さな保育所

母は保育所を利用しているのに仕事といえば農作業か内職かという専業主婦だった

から迎えが遅くなるということはなかった

お迎え時間に来ていたよそのお母さんの記憶もあるのでほとんどの家庭は似たような環境だったのではないかと思う

ある日母の迎えが遅くなった

理由はわからない

その日に所長先生給食室と職員室の間の畳の部屋でハッチポッチステーションを初めて見た

所長先生がオープニング映像エスカレーターであることとその頃エスカレーターでの事故があったので真似をしたら危ないことを話している様子を覚えている

テレビには人形が斜めの板の後ろを移動している様子が映っていた

記憶にある所長先生発言から推測するとわたしがこれはなんなのかのような質問をしたのだろう

ハッチポッチステーションのオープニングのエスカレーターを登る人形の様子を見たことがなかったわたし理解できなかったのだ

幼児は戦いごっこなるものをやる

わたしの通っていた保育所場合は個々人が各々自分が何であるかを宣言していた

戦隊のなにかセーラーなんとか悟空……

ごちゃ混ぜのドリームマッチである

そんな中わたし赤ずきんチャチャ宣言した

恥ずかしながら何かで聞いた名前だったのだろう

赤ずきんチャチャ?強くないよ」「強いもん」「全然強くない」

わたし保育所ブランコで泣いた

大変に不快になってそれ以降家庭外でテレビ番組の話をするのをやめた

小学校に上がってもそれ以降も話さなかった

何なら社会人になった今でも一瞬知らない振りをしてしま

ちなみに赤ずきんチャチャは未だ見ていないので今も戦って強いと思っている

わたし場合は30年近く前の話だが現代においてもこどもの会話といえば映像だろうと思う

テレビ番組にこだわるわけではない

YouTubeとかでもいい

こどもの間で流行っているものは見せた方がいい

そのほうが本人が歪まないんじゃないか

最低限未就学児にはNHK教育を見せといたほうがいいと思う

こどもにはテレビを見せたほうがいい

わたしには幼児期テレビチャンネル権がなかった

テレビは主にNHK祖父の好きな旅番組を映していた

父方の祖父母と同居している第一子にはありがちなことかと思うが母はまだ遠慮があり祖父には毎週見る習慣になっている番組毎日あった

仕方のないことだ

ただ大多数のこどもが見ている番組を家で見ることがわたしにはできなかっただけだ

東京に住んでいるひとつ下のいとこの家のピコが羨ましかった

だいぶ大きくなってからあのキャラはなんだったんだろうと調べたらセーラームーンアマゾントリオだった

中学生くらいのわたしは幼少期の自分おもちゃや布製品の絵柄などの所持品にセーラームーンが登場するにも関わらずセーラームーンアニメ記憶がないことについてギリ世代じゃないからだと考えていたのだが普通に直撃世代でただ見ていなかっただけだったのだ

ハッチポッチステーションを初めて見た日のことは覚えている

わたし田舎保育所に通っていた

同い年の子は8人、保育所全体でも30人に満たない人数だっただろう小さな保育所

母は保育所を利用しているのに仕事といえば農作業か内職かという専業主婦だった

から迎えが遅くなるということはなかった

お迎え時間に来ていたよそのお母さんの記憶もあるのでほとんどの家庭は似たような環境だったのではないかと思う

ある日母の迎えが遅くなった

理由はわからない

その日に所長先生給食室と職員室の間の畳の部屋でハッチポッチステーションを初めて見た

所長先生がオープニング映像エスカレーターであることとその頃エスカレーターでの事故があったので真似をしたら危ないことを話している様子を覚えている

テレビには人形が斜めの板の後ろを移動している様子が映っていた

記憶にある所長先生発言から推測するとわたしがこれはなんなのかのような質問をしたのだろう

ハッチポッチステーションのオープニングのエスカレーターを登る人形の様子を見たことがなかったわたし理解できなかったのだ

幼児は戦いごっこなるものをやる

わたしの通っていた保育所場合は個々人が各々自分が何であるかを宣言していた

戦隊のなにかセーラーなんとか悟空……

ごちゃ混ぜのドリームマッチである

そんな中わたし赤ずきんチャチャ宣言した

恥ずかしながら何かで聞いた名前だったのだろう

赤ずきんチャチャ?強くないよ」「強いもん」「全然強くない」

わたし保育所ブランコで泣いた

大変に不快になってそれ以降家庭外でテレビ番組の話をするのをやめた

小学校に上がってもそれ以降も話さなかった

何なら社会人になった今でも一瞬知らない振りをしてしま

ちなみに赤ずきんチャチャは未だ見ていないので今も戦って強いと思っている

わたし場合は30年近く前の話だが現代においてもこどもの会話といえば映像だろうと思う

テレビ番組にこだわるわけではない

YouTubeとかでもいい

こどもの間で流行っているものは見せた方がいい

そのほうが本人が歪まないんじゃないか

最低限未就学児にはNHK教育を見せといたほうがいいと思う

2024-11-19

犬が死んだ

犬が死んだ。

6歳だった。

急だった。


一昨日まで元気だった、らしい。

というのも犬は実家に預かってもらっていて、俺が実際に一昨日の犬の様子を見たわけではない。

母親からそう聞かされた。

俺が仕事の都合でペット不可の物件で一人暮らさなければならなくなり、1年半前に実家に置いてきた犬。

それが昨日死んだ。


急に体調を崩してごはんを食べなくなったので、母親病院に連れて行って、検査をしてもらった。

白血球が多くなっています肝臓の数値も悪いです、とにかく他にも色々なところが悪くて……と医者に言われた、らしい。


俺は仕事終わりに実家へ帰って、病院に行った。

その時はまだ生きていた。

しっぽを丸め込んで全く元気のない目でこちらを見つめる犬を撫でた。

たくさん撫でた。

つらそうなのはひと目でわかった。

結局俺は入院させることだけ決めて、翌日の仕事のためにとんぼ返りでまた一人の家に戻った。


翌朝、病院から犬が死んだと電話で連絡が来た。

それでも仕事に行った。

なぜか犬が死んだのは嘘だと思い込んでいたから、問題なく仕事ができた。


俺は仕事終わりに実家に帰って、病院に行った。

ダンボール箱に入って、質素な毛布をかけられて、2輪の花が添えられた、死んだ犬を引き取った。

眠ってるみたいに安らかな顔だけど、口や鼻から少し血が出たあとがある、死んだ犬を引き取った。

なんの病気かわからいから、直接触るのは避けてください、と言われた。

そして、本当に獣医にもどうしようもなかったに違いないのに、力及ばずすみません、と謝られた。


田舎だったから半分外飼いだった。

それで何か野生動物と触れ合って病気をもらったのかもしれない。

実は何かずっと病気を抱えていて、ここ数日の冷え込みで急激に悪化したのかもしれない。

理由は、明確には分からない。

でも死んだ。


可愛がられていたし、世話も十分されていた。

毎日2回ごはんをもらい、毎日水を替えてもらい、毎日散歩に連れて行ってもらい、家族にも親戚にも近所の人にも可愛がってもらっていた。

でも死んだ。


入院を決めたとき内臓の炎症を抑える薬を使いたいと思いますが、これがかなり高額で……と獣医に言われた。

構わなかった。

いくらかかってもいいから、やれることをやってもらいたかった。

何十万だって払う。

貯めたお金全部なくなってもいい。

そう決めて獣医に、全てを委ねた。

そしてそう決めただけで俺は勝手に、犬は病気を治してまた帰ってくるのだと思い込んでいた。

帰ってきたらしばらくは完全に室内で飼ってもらえるよう母親にお願いもしていた。

でも死んだ。


譲渡会でもらってきた犬だった。

保護された野良犬が孕んでいて、そうして産まれてきた犬だったらしい。

6年前、俺がまだ実家暮らしだったから、家を出ていく気もなかったから、そして家族も犬を飼った経験があったから、何かあっても大丈夫だ、と思って迎え入れた。

6年前、祖父が死んで、家が寂しくなって、犬嫌いの祖父がいたら怒っただろうに、でももうそ祖父もいなくなったし、と思って迎え入れた。


死んだ犬と家に帰って、犬の顔を見る。

安らかに眠っているようだけれど、口と鼻に血が滲んでいる。

それを見て、気付きたくなくても気付いてしまう。

この犬は多分、苦しんで死んだのだ。

血を吐きながら、悶えながら死んだのだ。

接触ってはいけないと言われたから、毛布の上からひたすら撫でた。

嘘みたいに涙が出た。


かなしい。

さみしい。

ごめんなさい。


体に力が入らなかった。

ただ撫でることしかできなかった。

もうぬくもりの無い体に、もう一度ぬくもりを移してやれるのではないかと思って、撫でた。

安らかな死に顔とは裏腹の、口と鼻に滲んだ血を、敷き詰められたペットシーツで拭ってやった。

犬の体に、ぼとぼとと涙をこぼしながら、最後に撫でて、撫でてやりたくて、撫でた。

撫でても撫でても、何も変わりはしなかった。

でもこの文章を書いている今、撫でておいてよかったと思っている。

生きている間にも、撫でておいてよかったと思っている。


今日は一日、何もしていないと、犬のことばかり頭をよぎった。

から仕事に打ち込んだ。

それでもすきまの時間に涙が勝手に出てくるので、目薬を差して誤魔化した。

犬は今日昼過ぎに、火葬されたらしい。


もっとしてあげられることがあったのではないか

もっと早く気づいてあげることができたのではないか

都会の犬のようにキラキラはしていなくとも、もっともっと幸せを描けたはずではないか

もっとのしっぽを振らせてあげることができたのではないか


一人暮らしになってからも、月に2〜3度は実家に帰っていた。

家業の手伝いがあったから、めんどくさくても帰っていた。

その度に犬は飛びつくようにして僕の元に駆け寄ってきた。

やっぱりあんたが一番すきなんやわ、一番よろこんでる、と母親は言っていた。


お前の苦しみを、お前が生きている間に預かってやりたかった。

苦しんで死ななければならなかったのなら、それは全て俺のせいだ。

その苦しみは、お前が引き受けなければならないものではない。

しませてしまって、すまなかった。


死んでしまったら安らかな顔になるものなのか。

それとも獣医の計らいなのか。

どっちでもいいけど、せめて死んだ後くらいは安らかであってほしい。

安らかに、安らかに、眠ってほしい。

そしてその眠りの中で、喜びに満ちた夢を見ていてほしい。

永遠の夢の中で、跳ね回っていてほしい。

俺と初めて出会った子犬の時のように元気いっぱいに、でも、うちに来て慣れて安心しきったようなあの顔でいて。

不安も苦しみも、全部こっちに置いていってくれていい。

全部預かるから

たのむ。

そうであってくれ。

2024-11-17

幼少期に形成される身内との信頼関係

あんまり覚えてないんだけど、俺は幼年期に同居してる父方の祖母によく外に連れてって貰い、都内のあちこちに連れて行って貰っていたらしい。

年子の弟もいたので、嫁の負担を減らしてあげる心算もあったのだろう。

俺が一つ覚えているのは、祖母電車に乗って出かけ改札を出かけた時の事だ。祖母が一人で先に改札を抜けてスタスタと先に行ってしまった事があった。「おばあちゃん!」と呼びかけても振り向きもせず、切符概念も把握も改札のシステムもわからない俺はどうすればいいかからなかったので、そのまま改札を突っ切り祖母に追いついた。

他にもあちこち連れて行って貰った記憶はあるが、楽しかった記憶というのは正直あまりない。辛かったのか、行きたくなかったのかもよく覚えてない。

俺は愛想だけは良かったので、あちこち祖母について行くお婆ちゃん好きなおばあちゃんっ子だと言われていたので「俺はおばあちゃん好きなおばあちゃん子なのか〜」と当時は刷り込まれていたが、気づいた時には祖母のことはどちらかと言えば好きではなかった。同居家族としての割切りと諦念があった。こういう事を言うのもあれだが、正直に言って尊敬できる所を探すほうが難しかった。俺が歳を重ね、比較対象となる大人が増えていく度に、祖母デリカシーの無さや常識の無さ、相手気持ちに立って考える事が出来ない思慮の無さや軽薄さ、衝動で動く計画性の無さ、被害妄想に由来する攻撃性の高さ、感情の起伏の激しさなどが浮き彫りになって行き、悪い所ばかり目につくようになった。

俺は母方の祖母が寡黙で勤勉で優しくて好きだったし、母方の祖父は村一番の頑固者で難しい人だったが尊敬できる所もちゃんとあった。父方の祖母が好きではなくなったのはいからなんだろう。小さい頃はよく出かけてたよな……とぼんやりと思うことはあったが、正直どうでも良かったのであんまり考えた事も無かった。

そんな祖母ボケだした。実の親なのにノータッチな父(休みの日は酒のんでヤニ食って寝てるだけなので祖母からの呼びかけもガン無視、家のことは何一つやらない)と、ボケは甘えだと思ってる弟(祖母の呼びかけに対しても「なにいってんのかわけわかんねえよ」と足蹴にし、家のことは何一つやらない)は我関せず。母はパートをしながらわけのわからんことを言い続ける祖母の世話をしていて顔色を一つ変えず明るく振る舞っていたが、俺はこのままでは母が潰れると思い、実家に戻って祖母の世話の手伝いをする事にした。祖母は要介護1になっていた。「実母の世話もしない旦那なんて見切りつけてさっさと離婚しても誰も文句言わんよ。カフカの変身みたいにお母さんが居なくなったら残された家族がしっかりしだすかもよ」なんて言いながら、母の溜まりに溜まった愚痴を聞いていた。

そんな中で、母から俺が子供の頃に祖母に外につれてかれていた話を聞かされた。

祖母は俺を人混みに連れて行って、俺を撒いて泣きながら祖母を探す俺を隠れて見る趣味があったらしい。泣きながら「おばあちゃんどこ」と探し回る俺が可愛くてしょうがなかったらしい。母がそれを知った経緯は、父と母と俺の三人で出かけた時に、父が母を連れて俺を撒いて泣いて親を探す光景を母に見せたことがあったそうだ。母は大激怒したらしい。後に祖母も全く同じ事をしていたと知って唖然としたそうだ。

俺はその話を聞いて、改札で俺を置いて先に行く祖母記憶が、今までの曖昧感覚が、全てが繋がった気がした。そうか、俺はどこかのタイミング祖母が嫌いになったんじゃなくて、もともと祖母が好きじゃなかったのか。おばあちゃん子という刷り込みが、小さい頃あちこち出かけていたおぼろげな記憶が、俺の判断を鈍らせていた。なんなら父への不信感や信頼が皆無な事までも繋がった。

心理学用語に「安全基地」という概念がなんか書いてて面倒くさくなってきた。

[] あるGW出来事

突風が吹いている日だった

母、叔母、妹、私が車に乗ると、叔母の様子がおかしかった

叔母は「ここは強者のみが勝ち残れる」「これ以上先に行ったらアウト」などと運転しながら発狂していた

墓地につくと、祖父の墓にお参りをしようとするのだが、恐怖を感じるほどの突風であった

祖母は「そうだ、あんた、線香に手をかざしなよ」といった

私はそのとおりにすると、突風が一瞬で収まった

私が振り返り、「手をかざしたら突風が収まったよ」というと、叔母は「それはあんたがdrftgyjだからだ!」と怒りの形相だった

また突風が吹き始めた

私は「わかったよ」といい、再び線香の火に手をかざした、突風は収まった

家に帰ると、妹と母が意味不明発狂していたので、私は警察電話した

すみません事件です。母と妹の様子がおかしいんです。外に行って帰ってくると、異常な発狂をしているんです」

警察は言った「実は今、壮絶な情報戦が繰り広げられているんです。あなた名前は?」

私は名前を言った。警察はその後「はい、とめまーす!」と意味のわからない号令をした

2024-11-16

人生に完全に失敗しました。

中学時代の成績はオール5、高校地域進学校大学早慶入社した会社東証一部上場大企業

人口5万人にも満たない田舎で、中卒の父からまれた身としては頑張ってきたつもりでした。

でも、入社2年目からうつ病発症し、抗うつ剤発達障害の薬を飲みながら仕事をし続ける日々を送るのが辛くて休職すればよかったのに、転職活動をして、転職エージェントに乗せられるがままにコンサル転職して更にメンタル悪化して短期離職となり無職になりました。

この間実家では、兄がずっとニートをしていて、母親振り込め詐欺で1000万騙しとられてからずっとメンタルを壊していたのに、自分は何もしてあげなかった。あげく自分転職に失敗したことによって、将来に絶望した父は自ら命を絶ちました。

そこからもうすぐ5年。小さな団体職員就職するも3か月も続かず、そこからずっと無職。布団に引きこもり続ける日々が悔しくてFXに手を出し、自死した父の遺産をすべて溶かして、更に700万の借金を作り、それを親戚と祖父に肩代わりさせたクズに私は成り果ててしまいました。

自分はもう今年で33。職歴も経歴もボロボロ、何のスキルも身についてない、おまけにうつ病持ち。

この人生に完全に失敗しました。

2024-11-15

転職が決まって心の整理をした


当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである

社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。

妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らし人間結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグ狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収正規サラリマンとして紹介することがあった。

よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜たかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。

もし、この世界エロ漫画世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である

かつては弱者だった。※弱者男性という言葉は嫌い

大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代アルバイトばかりやっており、部活サークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。

「Fの就職チャンネル」で就活生の動画ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。

さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったかである関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである年収+はなんと約200万円。

今まで、この田舎にある小さい製造会社毎日毎日機械仕様書図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。

正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間であるマジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張であるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!

今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイト登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)



そんなこんなで、この田舎最後に何をしようか思案していた。

したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。

・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食

・年に5~6回通っていた居酒屋で高級シャンパンを注文

・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード進研ゼミ中学版、ガラケー写真など)

地元中学校での文化フェスティバルへの参加。中学生以来

地元小学校のサマフェスへの参加。高校生以来

地元神社奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了

あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。

なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あん標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。

自宅の裏から繋がる山道入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵樹木が生えてる感じだった。

亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。

昭和前半の空中写真を見たら一目瞭然

今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題であるてっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。

樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。

景色の一例≫※いずれも里山。道なき道を進んでいく

https://tadaup.jp/15183559802496/

https://d.kuku.lu/83gjgt5fb



高校時代卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。

高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。

なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初最後なんだからさ。



卒業記念色紙の部員コメント

部員一同)

同人誌コレクター増田さんへ

あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……

大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね

自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

増田さんは、□△高校相川さんがロリロリで好みなんですよね!!

相川さんを是非モノにしてください

応援しています

増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです

閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです

自分もあれがほしいです。現像したの1枚余ってたらくだいね

とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!

本当にありがとうございました

増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました

冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!

自分もああい柔道、できるようになりたいです

大学でも柔道続けるんですよね。心から応援してます

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

早く警察に捕まってください!!笑

カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド藤本より

ロリータ戦士 増田さんへ

あなたロリータっぷりにはびっくりでした。

あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。

ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。

ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

増田先輩へ

よく型の練習付き合ってくれたの感謝してます

先輩がいたので、二段の試験合格できました

今でも感謝してます

大学でもがんばってくださいね

増田先輩

お疲れ様でした!!

自分一年なんで、あまり絡みなかったです!!

けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます

いままでありがとうございました♡

柔道部監督

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください

女子マネ

・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください

・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑

・これからも今までみたいに頑張ってください



これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。

でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。



そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である

それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱テープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出であるトラウマと言っていい。

いや、大学卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である

マクドアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗から卒業である。毎年3月にある。

卒店式だけど、マクドナルドって経営店舗運営外資ルールからエリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。

それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館無料で借りて、ジュースお菓子テーブルに並べて卒店式をやる。

大学時代アルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。

当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。

そんな時、自分ひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイト社員仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。

でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。

結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。

の子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。

ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。

一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。

あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルものだった。しかし私の答えは……。

「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。

AJCCマクドナルド技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった

その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。

それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々仕事を終わらせて――いや違う、確か女性学生客がトイレゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルド終焉を迎えた。

帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)

しんみりしてしまった。

学生時代の思い出を開封するのは心理的キツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。

そんなのはちょっと想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱開封した。

そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。

その日記最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたかである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。

……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体ハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。

例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。

指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である

組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。

でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。

こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティ感触認識してるってことにもならないだろうか。

剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!

もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。

実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会のもの自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。



それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。

あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。

あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。

始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータ給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶改ざんするものである

ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。

長くなったけど、これでひと段落ついた。終わりである

長文読んでくれてありがとうな。明日から、また一増田ユーザーである

みんなの面白い日記を楽しみにしています

anond:20241114141925

ゆびきさミルクティ

三角関係だった主人公が幼馴染少女の方を選び二人で旅行に行って初体験してラブラブハッピーからの衝撃の最終回

えっ?なんで?こいつ頭おかしいの??混乱が止まらないまま「おわり」の文字に迎えられ放心する

タカハシくん優柔不断

ラブコメ漫画風刺し毒づく作風は今読むと、その手の漫画への嫌悪憎悪がこもりすぎて痛々しいのだが

最悪の別れをした元恋人大人になってから再会し今の俺ならやり直せるかもと駆け寄るもとっくに他の男と結ばれていましたエンドを秒速5cmより先にやっていて、エモ系の範疇であるあっちよりも露悪的で最悪な気分にさせてくれた

なるたる

敵が地球のあちこち核兵器を打ち込んで人類ボロボロです

でも主人公はずっと抱えていた自己否定から解き放たれ、その元凶であった母とのわだかまりも解け、どこかよそよそしさのあった友人とも真の友達になり、密かに想いを寄せて続けていた好きな男の子告白することもできました

前話がこれで、これはギリハッピーエンドにいけるのではないか……そんな想像を全て打ち砕きみんなダメになる

とりかえ風花伝

商業連載が打ち切りになり、同人で続きを描いていたら評価されて単行本商業出版できたという異色の作品

織田信長祖父時代落ち目の国の姫君と、アルビノ故に親に捨てられ野山で育った野良侍が「君の名は。」する戦国ラブコメ

入れ替わりものの設定を生かした、ハッピーエンドかバッドエンドかわからないあの衝撃的なオチは入れ替わりもの好きにはもっと知られていい

日出処の天子

未来予知のできる主人公が、どうせ何をどう頑張っても俺の子供たちは途上で惨死して係累は途絶えると知りヤケクソになって地面を割り、

知的障害者幼女セックスして「そなたは私の子を産むかも知れぬな」とつぶやいて終わる

なんだよこれ

緋色椅子

夏目友人帳作者の前作にして、打ち切りで終わった作品で、そのトラウマから夏目はやたら連載が長引いているのだろう

辺境の村で共に育った少年少女少年が実は貴種漂流していた王の実子と判明し王都に招かれ即位

田舎の村にも若き王の善政は聞こえ、少女は誇りに思いながら王都へ行きパレードから新王を仰ぎ見るが、全くの別人が王をやっていて「誰だてめえ」と叫ぶところから始まる

かに急ぎ足ではあるが打ち切りとは言われなければわからないぐらいに上手くまとまっておりエモさの大爆発だった

2024-11-12

別冊マーガレット史上最も重要漫画10

漫画誌10選するのは下火になったが、少女漫画について語られてるの少ないな…→じゃあ書いたるわ、一時期定期購読してた別マについてなら書けるかもしれん、で筆を取った。

一人一作品縛りを採用しようと思ったんだけど後述の通り原作枠で分裂してる人がいる。河原和音先生は本当にすごい

先に表明すると20代視点なので昔の作品に対する知識が乏しい。おすすめの名作少女漫画教えてほしいという動機込みでこれを書いている。

フォロワー(後世への影響度)重視というより単に(世代毎比の)売上知名度重視のピックアップ寄り。少女漫画性質映像化されたかどうかも加点ポイントにしてて、純粋漫画評とは異なるかも。

前提終わり

1.『愛のアランフェス槇村さとる /1978-1980

別マ初期の定番人気作。

繊細で美麗な作画フィギュアスケートという題材の相乗効果で、とにかく画面を楽しめる作品という印象。

人知れず練習を積み重ねてきた少女・亜季実は天才で〜、年上大学生黒川に見初められて〜、あたりの要素だけ拾うと今でいうなろう的な、少女の夢詰めました!感満載ではあるのだが、スケートを父に強制される形で練習を重ねて生きてきたことで親との関係に悩んだり、その後黒川依存してスランプになったり、っていう展開の厳しさが物語説得力を与えている。

自分を見つめて頑張んなさい!っていうメッセージ性も感じられる名作。

2.『伊賀カバ丸』亜月祐 /1979-1982

別マラブコメの祖。

忍者末裔で野生児なカバ丸が、死んだ祖父の縁で学園に入学することになり人間化学反応が生まれラブコメディ。

往年の少女漫画=必ず女主役って解像度の人いるけど、全然主人公もあるよ!とこれを差し出したい。

カバ丸の行動理念が飯!焼きそば女子!なアホな子なので単純で可愛い。こう書くとデンジとかとも繋がるな

ヒロイン麻衣の可愛らしさはもちろん、蘭ばあちゃん保護者枠)や沈寝(イケメンライバル枠)たちも最早ヒロインだなと思える愛嬌に溢れた作品

アニメ実写化もされてる。

3.『ホットロード紡木たく /1986-1987

シンママの下で育つ14歳少女・和希と暴走族所属少年ハルヤマの幼い愛を描いた話。とにかく漫画雰囲気作りが唯一無二な作品

ローティーン不安定さと、80年代漠然と退廃した空気感表現されてる……のか?80年代を生きていないのでわからん

紡木たく先生の特徴として、とにかくモノローグが多い。少女漫画はここぞ!という時にポエムがちだが、ホットロードパラパラと無愛想な短文でのモノローグが多く、独特の雰囲気が出てる。ある種女子のための厨二病漫画とも言える。現代で描くとするならトー横立ちんぼガールとコンカフェバイターのカップルかになるんかな?嫌かも…てかそれって明日カノかも…

次作の『瞬きもせず』の方が好きって人も多そう。

4.『イタズラなKiss多田かおる /1990-1999

愛してナイト(1981-1984)』の時点で大ヒットだったが、更なる大ヒット作。

ポンコツドジ、ただひたすらに前向きな女子高生・琴子が、すげなく失恋した容姿端麗成績優秀男子入江直樹と一つ屋根の下で暮らすことになるところから始まる王道ラブコメディ。

デコボコ喧嘩カップル、大抵の女子が好きだよね。琴子の玉の輿物語であり、スーパーパーフェクトひねくれボーイ入江くんのメンケア物語でもある。

スタート時点で同居から始まるため、それぞれの進学・キャリア・そして結婚生活についてが描かれている。ここら辺の時代までが「女の幸せ結婚」の境目だろうか。

惜しむらくは連載中に多田かおる先生が38歳の若さで亡くなってしまたこと。漫画家、寝てくれ…… アニメによって完結はしている。

ドラマ化・アニメ化済み。ドラマ台湾版・韓国版タイ版まであるのがすごい。

5.『ラブ★コン中原アヤ /2001-2006

女子の割に身長の高いリサと、男子の割に身長の低い大谷ラブコメディ。

メイン二人が明るい性格なので、終始和気藹々としたテンションを楽しめる。関西弁可愛い

案外、気の合う二人(友達・名コンビからカップルへ…ってタイプの少女漫画って少ないかもしれん

身長という普遍的コンプレックスを取り扱いつつ、大谷を「小さくてもかっこいい!」と読者に思わせられる、等身大なキュンを入れ込む技術

ドラマ化・アニメ化済み。

6.『君に届け椎名軽穂 /2006-2017

言わずと知れた別冊マーガレット代表作。紙電子累計3600万部と、別マで一番売れた漫画

周囲から貞子と呼ばれ遠巻きにされていたヒロイン・爽子と誰からも好かれる好青年風早くんの交流を描く、いわゆる"格差恋愛"ものエポックメイキング少女漫画ヒロインがこういった形のマイナススタートさせられてる作品はこれが初出なんじゃないだろうか。

とはいえ爽子は、コミュニケーションが不得手な日本人形チックビジュアルがある種のマイナスとして描かれているものの、純情・真面目・勤勉・家庭的と愛され要素抜群の超オーソドックスヒロインでもある。

爽子↔︎風早間だけでなく、友人枠の矢野千鶴との関係ライバル枠(のちに親友に昇格)のくるみとの関係等、タイトルの通り相手自分気持ちを届けることの大切さ・もどかしさが丁寧丁寧丁寧に描かれている。メイン格が真っ当なので「娘に読ませたい少女漫画」的な思惑での人気が高いように感じた。公民館とか図書館漫画コーナーとかにも入ってる率高い。

ただあまりの人気ぶりに、カップル成立(10巻)以降は連載をできる限り伸ばす方向性(全30巻)に持っていかれてたよなとも思う。実際君に届け連載終了とともに別マの月発行数はガタ落ちしているので編集部の狙いは正しい。名実ともに大看板

アニメ化のち実写映画化。三浦春馬風早くんはきらめき擬人化最近になってネトフリで連続ドラマも作られた。

7.『ヒロイン失格』幸田もも子 /2010-2013

君に届け』によって起こった純情路線カウンター/アンチテーゼと言わんばかりの本作。

ゲスくて打算的(でも全く賢くない)・顔芸まみれのヒロイン、はとりの恋物語

はとりの言動が露悪的だったり、その想い人で幼馴染・利太の態度もフラフラしててそんなにかっこよくなかったりするため、当て馬界の星・弘光くんがどうにも不憫で話としての爽やかさは皆無なのだが、恋愛ってこういう不誠実な面もあるよね?と開き直る姿は一周回って清々しい。

恋愛観を問う目的感想会したら一番盛り上がる作品なんじゃないだろうか。

韓国で起こっている坂口健太郎ブームの源流は実写映画版弘光くんの好演によるものらしい。桐谷美玲結構ハマってた。

8.『アオハライド咲坂伊緒 /2011-2015

周囲を気にしてあえてガサツに振る舞っていたヒロイン双葉が、名字雰囲気が変わった初恋男の子・洸と再会したことで再び恋をする話。

咲坂先生作画は絵柄としての可愛さ力が高く、00後期〜10年代で「とりあえず手に取ってみる少女漫画」枠に入っていたように思う。思春期に抱えがちなモヤモヤ・ひたむきさ・それゆえの視野の狭さ、幼さなどが丁寧に描写されていて、現役中高生が読むと強く感情移入できる作品だと感じる。

その他『ストロボ・エッジ(2007-2010)』、『思い、思われ、ふり、ふられ(2015-2019)』の三つも実写映画化させてるヒットメーカーTwitterでやたらと大喜利に使われてる "現実的な恋をする 朱里""叶わない恋に囚われる 理央"の画像は『思い、思(略)』の予告スクショ

(元々その傾向はあったが、)2010年代以降は、ヒット作は実写映画に持ってって若手俳優の売り出し!っていうスキームが完全に出来上がったように思う。

9.俺物語!!作画アルコ 原作河原和音 /2012-2016

アルコ先生完全オリジナル作だと連ドラ化した『ヤスコとケンジ』等があるけど、俺物語別マに与えたインパクト特別に大きいのでこちらを。

巨漢で筋肉隆々、仁義正義感に溢れた男の中の漢・剛田猛男に大和という彼女ができてから日常を描く。

少女漫画といえば線の細いシュッとしたイケメン♡という固定概念を華麗に破り捨てる快作。とはいえ線の細いイケメン枠は猛男の親友砂川ちゃんと担っている。

砂川最後まで誰とも結ばれずにただただ猛男の親友としてメインにいるのが地味にすごい。途中でフラグは立つが折る。恋愛をしないイケメン別マにいることに感謝

テンポよく、読んでいて思わず笑みが溢れる、少女漫画に苦手意識がある人も楽しめる作品だと思う。

アニメ実写映画化済み。

10.『素敵な彼氏河原和音 /2016-2020

1991年別マデビューしてから、『先生!(1996-2003)』『高校デビュー(2003-2008)』『青空エール(2008-2015)』『俺物語!!』と人気作を世に出し続ける別マ生え抜き作家河原和音先生別マが今も月刊誌として続いているのは河原先生存在ものすごく大きいんじゃないだろうか。今回は完結済み最新作の素敵な彼氏をチョイス。

年末カウントダウンイルミネーション彼氏と見る」を目標に生きてきた女子高生・ののかが合コンで飄々として掴みどころのない男子・直也と出会ってからの話。

恋に恋する少女ののかがイケメン直也に振り回され続ける…と見せかけて、知らずに振り回しもしているバランス面白い

河原先生のすごいところはやはり、中高生流行り・時流を読む力だと思う。登場人物価値観だったりファッション芸能小ネタとか、その時々に合った"今"を掴んでて古臭さをあまり感じさせないところがすごい。色々とバランス感覚に優れてらっしゃるんだと思う。

現在連載中の最新作『太陽よりも眩しい星』は幼馴染のピュアラブストーリーこちらも名作。おすすめ

その他

・いつもポケットショパン(等くらもちふさこ作品

バラ色の明日(等いくえみ綾作品

恋愛カタログ

オオカミ少女と黒王子

・消えた初恋

・うちの弟どもがすみません

Twitterで頓珍漢な男女論振りかざす人間は全員別冊マーガレット真剣に読みなさい。以上。

anond:20241112020131

から民主共和党地盤の「色分け」がなぜ「分断」に変容したのか。

伝統的な対峙の構図をトランピズムが易々と乗っ取った。「祖父の代から共和党だがトランプはアレは我々の共和党とは違う」みたいな保守的良心存在感がないのはなぜか。

トランプみたいに「負け組」にも迎合しつつ遥かにまともな代表を選ぶこともできたのになぜトランプだったのか。

2024-11-11

ふるさと納税なんてなくなってしま

うちの町は山奥の限界集落人口も少なくて、地元の人たちはほぼ外に出て行ってしまう。

残るのはおじいさんおばあさん、たまに仕事の都合で帰ってくる中年のおじさんくらい。

税収なんて知れてるし、毎年予算がカツカツらしい。

ふるさと納税お金を集めるには必要不可欠だけど、観光客が来るわけでもないし、売れるような名産品も特にない。

「うちはもう終わりなんじゃないか」なんて話を、幼子だった私の耳に何度も貼り付けてきた。

そんなとき町長が思いついたのが、ふるさと納税の返礼品としての「温泉券」だった。

温泉といっても、うちの町には本物の温泉なんてない。

町長が考えたのは、ある意味での「入浴体験」だ。

まり、町の娘たちが返礼品として、納税者たちと一緒に風呂に入るというもの。俗に言う“人柱”ってやつだ。

これが決まったとき私たちの間でもざわざわとした噂が広がった。だって、誰もが自分人柱になるんじゃないか?ってそう思えたから。

特に、私のように20歳を迎える子たちはもう気が気じゃない。だって、この町の掟では、20歳になった娘が人柱の役を担わなきゃならないからだ。

役場に呼ばれる日が来て、私は恐る恐る町長と話すことになった。

町長は優しく微笑んで、まるで祖父のように話しかけてくれる。けれども、その目の奥にはどうしようもない町の現状への焦りと、「生き延びるためには仕方がないんだ」という決意が透けて見える。

「うちは温泉のようなものを出す必要がある。いや、温泉を出さなきゃならないんだ」

町長はそう言うが、もちろん私にはその本当の意味がわかっている。温泉というのはただの隠れ蓑で、実際には「お風呂時間」という名の人柱必要だということを、はっきりと知らされる。

その日の夜、私は自分の家の小さな鏡の前で自分の顔と身体をじっと見つめた。この身体が「温泉券」として、他人提供される。

それが町の存続のためだとわかっているけれども、やはり自分が「人柱」にならなければならないという現実に、心が震える。

自分犠牲にならなければ、この町はもう終わりだろう。他人ならいいかもしれないが、でもここにはお父さんもお母さんも、弟も居るのだ。

翌日、私は人柱として選ばれた他の子たちと集められ、町長の指示を受ける。

その顔は硬く、決して「喜んで」というようなものではなかったけれども、「町のためにやらなきゃならない」という一種覚悟が感じられた。そして町長は言った。

「これはただの『ふるさと納税』」の返礼品だからね」

けど私たちは知っている。本当は違う。

身体が震えはじめる。

その瞬間。咄嗟に、真剣に思った。

ふるさと納税なんてなくなってしま

anond:20241111020349

妻、小学生になる。

大好き。10年前に亡くなった妻がある日小学生の姿で現れた。タイトルどおり。生前の家庭での絆を確認しながら、自立した娘を暖かく見守りながら、今の妻の家族のことも。。。どこか不安気持ちがありながら見てるけど、サブタイトルが割と親切なのが助かる。これも2022年ドラマ化もしてる。声優さん演技力もすばら。OPEDも好きだなあ。気持ち悪い話だが、私は毎回泣きながら見てる気がする。娘と彼氏関係ってそこまで語られなかったのに、娘の彼氏に好感を持たせたのは脚本が上手いからなんだろうな。ちょっと驚いた。

村井の恋

好き。成績優秀だが様子がおかし男子高校生村井」と、はやく家に帰って乙女ゲームがしたい担任教師田中」のギャグラブコメディ。教え子の村井がグイグイくる。これも2022年ドラマ化もしてる。これ好き嫌いが大きく分かれるだろうなあ。嫌いな人は即切るだろう。私は結構好きな分類に入る。ちょっとぶっとんだ発想や雑とも見える絵やアニメーションも、間を詰めてスピードを作り感情さらって行くこのスタイルが、「さるやまはげのすけアワー」を感じる。私の大好物である平井桐山好きだわー

メカウデ

機械の腕と共に戦うバトルストーリー。例えるなら機械ミギー、いや武装錬金か?ある日「タスケテ」と、声の聞こえる方へ行ってみると・・・腕の形をした機械生命体との出会いだった。メカウデ使いとしては不適合者の主人公が偶然出会ったメカウデと様々な事件に巻き込まれ、戦いながら乗り越えていく。OPED音楽全般澤野弘之が関わっている。

MFゴースト』2nd Season

頭文字D近未来版。電気自動車燃料電池自動車ハイブリッドカーが当たり前の時代ガソリン車でのレースをする。頭文字Dと違い、夜ではなく日中に開催されるレース。そんなレース藤原拓海(前作主人公からテクニックを受け継いだ片桐夏向(今作主人公)が参戦する。レースも魅せてくれるし解説もすばらしい。集中して見てしまうから体感時間が短いアニメだ。いやホント。今期最も好きというわけではないんだけど、今期最も体感時間が短いアニメだと感じている。

百姓貴族 2nd Season

前期も見てた。農業トーク。短い時間おもしろおかし普通に勉強になる話をまとめられてすごい。OSO18ネタもあり。熊の話は多方面でいろいろな声がありますが、その辺りも抑えている。親父殿のエピソード好き

最凶の支援職【話術士】である俺は世界最強クランを従える

イキってる話術士の探索者(シーカー)が今作の主人公戦闘では基本的に仲間に指示だしたりバフかけたりして支援する。そんな感じで直接戦う感じではないので話術士は最弱の支援職と呼ばれている。この主人公、なかなか性格が悪い。話術を使って気分が悪いくらいに容赦なく相手を追い詰めたり、相手の汚い本性を引き出す。そういう所が面白い作品かな。1話を見てあわないなと思ったが、この作品をどう見るかは2話から。初回1時間とかの方が分かりやすかったかも。

来世は他人がいい

仁義なき極道高校生活。大阪極道の孫娘と東京極道との孫のラブコメディ。祖父同士が勝手婚約を決めるが二人は合わない感じ。ある日ヒロインがどぎつく啖呵を切ると・・「おもしれー女」求婚されるのであった。というように書くと軽い感じになるが実際には結構ダーク。男の方がかなり暴力的なんだけど、女の方もなかなか・・自分の臓器売買して金を作ったのはさすがにひいたな(その辺は後で分かるんだけど)

BLEACH 千年血戦篇-相剋譚-

TV放送開始から20年ですか。BLEACHキャラ視聴者世代交代の時期ですなあ。視聴者新人社会人さんだった人も今では管理職になっているのではないだろうか。さておき、ほんとオシャレっすよなぁ。バトル漫画なんだけど人間ドラマや相関図を作って楽しんでる。今まで語られなかったことを補完したり繋がったりと。正直バトルには飽きてる。優勢になっても劣勢になっても「からのー?ここから何度かシーソーゲームが始まるんでしょ?」みたいな感じで見てます

ドラゴンボールDAIMA

1話10分拡大放送ほとんどドラゴンボールZの総集編みたいな感じの内容。大魔界ゴマーの陰謀により、ドラゴンボールの力で魔人ブウと戦った戦士とその仲間たちが子供へ。もともと子供だったもの赤ん坊にされる。見た目は子供というより小さくデフォルメされた、いわばSD化された感じ。小さくなった声は悟空以外変わってるっぽい。野沢雅子さんやっぱすげーなーと思いながら見てる。如意棒を使ったアクションがいい!OPネバーエンディングストーリー空想科学世界ガリバーボーイを足したような感じ。

オーイ!とんぼ

めちゃくちゃ好き。大井とんぼゴルフ成長ドラマ第2期。とんぼの「やたー!」がまた聞けるのがうれしい。3番アイアンしか持っていなかった女の子が、人と触れ合い新しい経験をする度にクラブが増えていく。大人向け雑誌原作からなのか、30年前くらいに日本ガス協会ゴールデンタイムにやってたアニメと似た落ち着きある雰囲気を感じる。1期では主人公のように登場していたイガイガが出演しなくて寂しい。

ぷにるはかわいいスライム

コロコロコミック漫画原作。私も小学生ときに作ったなースイライム。かわいいは正義。女の子スライムとの日常ドタバタコメディ。一応ラブコメディらしいが。ジャンプでいう僕とロボコみたいに、こちらもコロコロパロディがちょいちょい見られる。しかも少し高めの年齢層が分かるんじゃないかくらいのレベルパロディだが。登場キャラ全員の性格がやべー。南波が一番すき。オ↑レ↓の言い方が子供っぽくてかわいい。ヤイヤイ森のコミーに登場するようちゃんを思い出す。

デリコズ・ナーサリー

じっくりやるなぁ。貴族の吸血種たちが我が子の育児に奮闘する裏で、 伝説の吸血種(トランプ)にまつわる怪しい陰謀連続吸血鬼殺人事件を追う。前回夏アニメでは1話〜6話を、今期は7話からスタート。今期では子供達が敵にさらわれてしまい、今度は敵陣がナーサリー保育所)となる。子供の順応力ってすごいものね。

大正偽りブラヰダル~身代わり花嫁軍服の猛愛

僧侶枠は好きじゃないんだけど大正浪漫が好きなので今回は見てる

戦国妖狐 千魔混沌

戦国時代舞台妖怪や霊力改造人間が旅したり戦ったりする戦国トルファンジー第一部 世直し姉弟編の続きである第二部 千魔混沌編が夏アニメからスタート。私は登場人物の中で真介が好きなんだけど、話が進むにつれて真介が頼もしくなり嬉しい。真介は力や剣術が強いわけではなく派手でもないのだが、敵味方関係なく対等な関係を作り出す。この人がいなかったら世直しはダメだろう。バトルファンジーなので力こそ全てとなりそうだが、決してそうではないことを証明する重要人物である面白いから見てるけど第一部未視聴の人が見ることは勧めない。OPは変更なし。EDは変更あり。

夏目友人帳

第7期。夏目ニャンコ先生は数々の妖怪や、妖怪絡みの人間たちと関わっていく。基本1話完結。私は今期から始めて視聴。地元では放送していないので衛星放送で。1話完結は途中参戦の視聴者でも見やすくて助かる。

百妖譜 第2期

妖怪専門の女医者が旅をしながら各地の不思議問題ごとをその能力解決していく話。中国小説原作アニメ。1期もそうだったけど、1つの話を2話、3話つかってやる。一通り話をやって、次の回で答え合わせなんかをやる。

視聴継続断念

齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定 season2

優しき草食ドラゴンなんだけど周りがいろいろ勘違いして色んな事に巻き込まれる話。行動を共にする女の子レーコもドラゴンを邪竜様と信じ込み、ドラゴン事件に巻き込むタイプ。レーコはSeason1で覚醒し桁外れの魔力を持つ。15分アニメ。話のパターン・・・飽きてきたのかもしれない。

ハイガクラ

鍵となる四凶(凶神)を連れ戻すため世界を駆け巡るアクションファンタジー原作ゼロサムオンライン漫画ということもあり女性向けかな。かつてはヤオロズの神がいて豊かだったが、神々が消えて以来は不毛土地となった。これ原作未読の人が楽しむのは無理があるのではないか理解が難しい。毎回何の話だっけ?ってなる。これアニメだけ見て内容理解できる?

シャングリラフロンティア 2nd Season

面白そうなんだけどタイミングがあわなくて前シーズンを見てなかったため。

ひとりぼっち異世界攻略

クラス全員が異世界転移転移の際に取得スキルが1つ選べるらしいがいい感じのスキルクラスの皆にもっていかれる。あーだこーだ言ってたら残り物のスキル全部くれた。残り物スキルでも工夫をこらしてこの異世界攻略してやるぜ。異世界攻略とか言いながらずっと狭い世界クラスの連中とあーだこーだやってるのがもういいやと。

君は冥土様。

突然家を訪ねてきたメイドに「私を雇って欲しい」と言われる。何やかんやあって雇うことになったが、このメイド暗殺業以外はポンコツだった。いや暗殺って・・・暗殺業とか主人公不思議な家庭環境とか、どうも設定が受け入れられない。その辺りが理解か納得ができるか、慣れるか6話まで見てたけど楽しめなかった。勝田ソースは食べて見たい。

パーティーから追放されたその治癒師、実は最強につき

追放系・旅しない系のファンタジー治癒師のくせにヒールしか使えない主人公ラウスト。このことから周りから無能扱いされ、前のパーティから追放されていた。しかし実は・・・。そんなラウストの前に武道家女の子ナルセーナが現れパーティを組まないかと誘ってくる。ナルセーナは過去にラウストに救われたことがあり、これまでストーキングというライフワークを過ごしていた。声優としてKis-My-Ft2宮田俊哉が参加している。主人公が優しすぎる。話術師を少しは見習ってほしい。

ケンガンアシュラ Season2 Part.1

総合格闘技仕合。Season1を見てた気がするが全然覚えてない。巨額な資金が動き、勝者は敗者を支配できたりするので様々な野望の渦が巻き起こる。4話は泣いた。濃い格闘と時折振り返る闘技者の人間ドラマ。当たり前だけどこればかりなのでお腹いっぱいかな。

ありふれた職業世界最強

異世界ファンタジークラス全員が転移した系。私の脳内ではありふれ太郎と呼んでいる。前回(Season2)の放送は約2年前。私は正直もういいかなと思ってる。

魔王様、リトライ!R

5年前にやってた1期は小説 魔王様、リトライ!(双葉社 Mのバルス)で、今回は漫画 魔王様、リトライ!R(双葉社 モンスターコミックス)を原作として作っている。話は1期の続きからスタート都市開発という意味でのデベロッパーアニメ(転スラみたいな)が個人的に好きなので楽しみにしてた。けど・・・あれれー、こんなんだっけ。これももういいかな。

ハミダシクリエイティブ

5分アニメアダルトゲーム原作だがアニメでは原作要素はあまりないし、スケベな要素もない。女の子たちの日常コメディ

妖怪学校先生はじめました

気弱な教師安倍晴明(あべはるあき)が赴任してきた先は妖怪だらけの学校だった。人間教師妖怪だらけの環境に振り回されつつ、生徒の心を掴んでいく学園コメディめっちゃボケてきてめっちゃツッコミも入るんだけど、私にはノリが合わない感じだった。

ねこに転生したおじさん

1分30秒のショートアニメ。とつぜん猫になったおじさん。かつての上司など周囲が向けるギャップにとまどう。ぽかぽか内のコーナーを見るのは難しかった。

アイドルマスター シャイニーカラーズ 2nd season

アイドルアニメって苦手なんです

神之塔 -Tower of God- 工房

タイミングがあわなくて前シーズンを見てなかったため。

精霊幻想記2
七つの大罪 黙示録の四騎士
ブルーロック VS. U-20 JAPAN

同上

anond:20241110172210

関係ないけど相変わらず法律ってとてつもない悪文だよな

相手方販売する当該商品を購入する事業者の当該商品販売価格

このあたりの表現でほんと理解が止まる。

たとえるなら「おじの妹の祖父はとこ兄弟の友人の妻から相続した」みたいな感じ

いや結局どういう立場の人なんだよっていうのが字面を追ってもここまで込み入ってるとなかなか掴めない。

別のたとえでいうなら、電圧のようなポテンシャルは二点間の距離定義されるのが本質だけど、こういうとき起点から終点に至る経路をやたら遠回りをして表現するような感じ?表現を一目みても終点がどこにあるのか辿りきれないというか。

2点間をまっすぐ結ぶごとくに法律ももちょっとすっきり書けませんかねえと

2024-11-09

まれた時から生活保護を受けているうつ病

まれた時から生活保護を受けている。

正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家生活保護だったと思う。

父親母親離婚しており、シングルマザー姉妹で育ててもらった。

母は精神的に不安定な部分があり、よく姉と衝突していた。

私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまりわず従っておりそのたびに母親に褒められていた。

母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。

母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。

保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。

そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。

この頃から不眠症の気があったのだと思う。

アパート暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。

姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。

私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。

地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由農業高校に入った。

から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。

高校入学の時点で、選択肢を間違えたんだと思う。

小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。

そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。

高校二年のとき大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。

最悪の出会いだった。

腹をよく下すのは睡眠不足からと言われ、眠剤を処方された。

医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。

この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存けが残った。

この頃からうつ病意識し始めていた気がする。

この医者には「自律神経失調症」と診断されていた。

母親お金のことは気にしなくていいか大学に通って良い、と言われた。

底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたか奨学金を借りなかった。

そのまま栄養士育成の短期大学入学した。

母親は言ったことを反故にした。

入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。

そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。

もう大学入学してしまたからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。

から入ってから奨学金を借りた。奨学金二種だった。

利子が60万ついた。

私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。

親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。

しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族生活保護を抜けて生活をしていた。

短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。

この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。

ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。

学校カウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。

栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。

管理栄養士と違ってただの栄養士調理系が9割なのだ

私は勝手実験系の仕事イメージしていた。

考えなしの馬鹿だった。

勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。

なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業就職した。

実家からどうしても離れたくて地元以外の場所店舗希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。

実家から店舗への距離10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパート引っ越した。

その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。

勿論私も実家を離れるときに散々恨み節を吐かれた。

母親からしたらそう言いたくなるかもなと思った。

ここまで話には出してこなかったが、母方の実家祖母は気狂いだ。

宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。

昔の人だからいたこともなく、祖父お金だけで暮らしてきた人だった。

私は祖母友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母たまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手友達の家に侵入してきたことがあった。

ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。

こういう人だから、いつ学校不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。

中学の時に祖父が亡くなり、母の精神さら不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。

母にとって唯一頼れる身内が、祖父だけだったからだ。

からより子どもに依存するようになったのだと思う。

母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。

そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。

から祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。

話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラセクハラが横行するブラックだった。

ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。

エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。

また、登録販売者資格入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。

月一で勉強会が開かれ、その度にテストをした。

その結果は上司に送られる。

そこで結果が悪いと、休憩時間休日店舗強制出勤させ、勉強をさせられた。

家に帰ってもずっと勉強をしていた。

私は馬鹿記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。

仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイト大学生と比べられることが多かった。

社員なのにバイトと比べられることがとにかく嫌だった。

店長は2つの店舗兼任しており、ほとんど私のいる店舗はいなかった。

店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。

二ヶ月ほど経って、精神限界に達し、出勤できなくなった。

出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑から休むなら休むで帰って」と言われるようになった。

後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。

期待するな。

まり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。

こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。

「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。

仕事を辞めた。新卒カードを捨てて3ヶ月だった。

すぐに転職をした。医療事務だった。

院内いじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。

辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。

ここから1年ぐらい実家ニートをしていた。

生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。

その後生保護を受けることにした。

実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒暮らしてるだけになってしまうから

生活保護は案外すんなり通った。

そこから生活保護を受けながらアルバイトをした。

その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。

しかメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。

ここで生活保護を抜けた。

2年ほどだった。

父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。

毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。

居候立場だったから断れなかった。断る権利がなかった。

叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病判断する検査をした。

うつ病だった。

そこから新しい病院で大量の薬を出され、過ごすことになった。

その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。

結果的に私は自殺未遂をした。

希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手ベランダから落ちようとするのだ。

海が近くにあったから、海に沈もうとしたこともあった。

流石にそのことを姉たちに打ち上けた。

ひどく失望された。

これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。

私は逃げるようにまた生活保護申請した。

通った。

生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。

色々あって、結果的新卒会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。

メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持状態が続いていた。

外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホyoutubeを流して横になっていた。

最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモート営業を二ヶ月だけやった。

何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。

全部メールチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。

時々寝坊もした。社会不適合者過ぎた。

下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保医療費を払っている。

ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。

ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。

猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病治療費がちょうど9万だった。

たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。

偶然に助けられた。

正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。

だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。

不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用人間に比べたら大したことなかった。

でも働いていなかったら?どうなっていたかからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。

話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。

現在28から。残り2年だ。

欲が出た。

ルームシェアをしたいと思った。

ただそのためには生活保護はいけないし、貯金100万以上ないと引っ越しは難しい。

私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。

100件ほどエントリーしたと思う。面接は30件強したかな。

どこも受からなかった。

クローズ就労ほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。

選ばなければ仕事はあるだろう。介護とか接客業とか色々。

でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。

色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。

このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。

今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。

だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。

派遣事務常勤だが、受かれば働きたいと思っている。

7年の空白期間はでかすぎた。

正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブ喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。

そもそも精神不安定自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。

田舎なのでまともなB型A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。

もう諦めるしかないのかな。

就労支援事業所バスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神不安定になる。

それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。

フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。

生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。

ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。

障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。

13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。

何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。

駄目人間だ。

本当に毎日飯だけは人一倍食い、糞して寝る。ウンコ製造機だ。

生きるだけなら生活保護生活できる。

だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。

親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。

というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか未来のことを考えると憂鬱になる。

隣の芝生は青いというが、

毒親田舎環境が悪い、無能デブス、

せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。

ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。

糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。

正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。

本当にどうしよう。

恐らくここから辿った未来が少し前ネット流行った「美緒48歳」なんだと思う。

美緒、あと20年でお前に追いつくぞ。

世の中のうつ病金無し人間はここからどう働くんだ

誰か教えてくれ

2024-11-07

トランプゴルフ外交

次期大統領トランプに決まってテレビが石破はゴルフ出来んのか?とか言いながら

安倍ちゃんトランプがニッコニコゴルフしてる映像流してたの見て思い出したけど

あれって共和党の偉大な大統領ドワイト・D・アイゼンハワーゴルフ狂だったので

安倍ちゃん祖父岸信介と一緒にゴルフやってた故事(?)になぞらえて

トランプ米国内のイメージアップに利用するためにやってる部分もあって上手くいってたんじゃないか

石破が付け焼刃ゴルフに付き合っても何にもならん気がする

2024-11-05

大人になる決意表明

※好き勝手につらつらと書いています

 

最近、父から連絡がきた。ラインへの着信が複数回携帯電話への着信が複数回

意図的にその連絡を無視していると翌日の朝にも同じような着信が、それも無視していると夕方にまた着信が。

これは鳴りやまないし連絡を返さないと後から面倒になるパターンのやつか…と渋々電話すると酒に酔ったやけに上機嫌な父の声が聞こえる。

元気にしているのか、仕事は順調か、今俺はこういうことをして過ごしているなど他愛のない会話をする、そんなんじゃ人生やっていけないぞバカ説教もされる。

暫くすると死にたいのに死ねない、どうしようもない、どうすればいい、と泣きながら話し出す。

私はそれに対してそう言われてもなあ…お父さんが元気な方がうれしいけど、と伝える。

 

覚えている限り、私が小学生くらいのときから父はこんな感じの人だった。

私が幼稚園生のときも父は定期的に酒に酔って癇癪を起していた記憶があるが、死にたいとかどうとかの話をしていたかまでは覚えていない。

私はその年の時分なんでか酔った父に襖を投げられ顔面クリーンヒットし、鼻血がとめどなく溢れて鼻の穴だけでは排出量が追いつかず口からも血が出てきたことにより、

人体では鼻と口が繋がっているという当時としては衝撃の事実を知ったので父がとりあえず酒気帯び暴力マンであったことだけはよく覚えている。

 

父は定期的に酒に酔い暴言暴力を奮い、死にたい死にたいと泣く人だった(酒さえ飲まなかったら昭和の頑固おやじとか関白亭主とかで表現できるような人ではある)。

そんな父と暮らす生活文字通りたまったものではなかった。

 

とはいえ父としてもこの状態を良いものとは全く考えておらず、父なりに改善のための努力をしていた。

断酒会に通って似たような境遇の人とコミュニケーションをとったり、

暴力を多少配慮のある暴力としていったり(投げる物が茶碗とか灰皿から箸に変わったり、暴力体勢に入ると羽交い絞めにして止めても止まってくれなかったが、それが多少話を聞いてくれるようになったりなど…)、

お酒を飲んでしまったら、暴力的になるより先に自分を潰すために酒をあおるように飲むようになったり、

まりうまくいっていないようだったがそもそもとしてお酒を飲まないように回数を減らそうとしたり。

傍目で見てまあ昔よりは多少マシになったのかなあと疑問に問いかけられるレベルには努力をしていた。

とはいえこんな家にいつまでも居ては人生潰されると思い大学から地元を出て、社会人になった今でも都会の方で私は暮らしている。

 

私が家を出た後、父は定年も数年後に控えた歳で仕事自主退職し、収入不安定になった。

そのときは今までの多少の努力を水泡に帰すような荒れっぷりになったが、祖父母遺産が懐に入ったことで家計が安定し、老後の不安が解消したのか次第とアルコールへの依存がかなり減っていった。

憑き物が落ちたかのように父の生活はより穏やかなものとなっていった。

母はこんな家庭をずっと精神的に支えてきてくれていたのだが(鬱っぽくなったときも多々あったが)、ようやくこのタイミングで父との夫婦らしい生活を取り戻すことができた。

定期的にくる母からラインでは今日はお父さんと一緒に散歩をしたなど、ほのぼのとした一日の出来事が綴られてあり、その連絡に安堵をして意気揚々と返信をしていた。

しかし、数年前に母が癌で他界した。

父と母の穏やかな生活が始まってちょっととき出来事だった。

それ以後父はまた定期的に酒を飲むようになり、冒頭の連絡をよこすようになった。

 

母が他界してから私は父に多少の恨みをもつようになった。というのも、私は父に父親に対してするような相談を全くできていないのである

父親に対して相談したい悩みならたくさんあったにもかかわらず。

父が私に対してそれなりの愛情と、うまく対応できるかどうかは別として何かあったときに尻ぬぐいしてやるくらいの器量を持ち合わせているのは知っている。

でも私がまず一番父に求めているのはどっしり構えた親の姿であって、ありがたいもの愛情や脆い器量がほしいのではなかったのだ。

からの連絡がくる度にそれがないことが毎回分かってしまって、泣いてしまう日が増えた。

 

今朝がた母の夢を見た。癌で治療中の母のもとに私がお見舞いに行っているのを第三者視点でみる夢だった。

○○ちゃん(私のこと)がね、今日どこに行ってたのか看護師さんとお話してたんだよ、

お母さんね○○ちゃんが何をしてたのか知ってるんだよ、

幼稚園生のようにたどたどしく話す母に対し、

ベッドの小脇にある丸椅子に座りながらどこか嬉しそうにそっか~そうだったんだね、すごいね、とひたすら相槌をうつ私の姿が病院の一室にあった。

音程歌詞も良くわからないような歌なんかも一緒に歌ったりもしてた。

とても緩やかに時間が流れているような夢だった。

 

実際は病院でこんなに緩やかな時間を過ごしたことはあまりなかったように感じる。

詳しくは伏せるが、母は放射線治療のために入院した後、一週間過ぎたくらいでコミュニケーションがほぼとれなくなり、その三週間後には他界した。

 

母が他界してから母の夢を見たのはこれで二回目だった。

一回目見た夢の中の母はもっと私の知っている母親しかった。

私は母の闘病中に籍を入れたのだが結婚式をしなかったことに対して本当はしているところを見たかったのよと言われたのを覚えている。

 

なんで今回はこんな夢を見たのだろうと思案してみたのだが、私は母が私に大人になりなさいと伝えているのだと解釈した。

夢なんてスピリチュアル領域を出ないものだし、確実にどうというものでもないのだが、逆に言えばどうとらえるもその人の好き勝手にすれば良いのだ。

 

はいつまでも親でいてくれるわけではない。

無いものを数えては何で私にはこれが無いんだろうと嘆いてもしょうがない。

自分がどんな状態でもその人のほしい言葉をかけてあげること。

幼児退行した母と親のようにふるまう娘の私との会話で、暗にそんなことを示し、教えてくれたのではないかと感じた。

 

そんな都合のいい解釈をした今、少し肩の荷が下りている。

冷たく聞こえるようだが、父に私の望む親としての役を担ってもらうことに期待をしないと決めた方が心持が幾分か楽になったのだ。

そして今度は私が、そんな大人である親側の役を担う番であると決意ができた。

 

色々父に対して恨みつらみを綴ったが、父も父で大変な環境で生きてきたのではと思う。

 

父のいとこのおじさんが、父は他のいとこがちょっとしたこと大人から褒められると、よく癇癪をおこしてその子喧嘩するような人だったと言っていた。

父方の祖母他人のことを小馬鹿にするきらいがある人だった、私の初任給の額が自分年金よりも低いと知ると嬉しそうにしている人だった。

父方の祖父仕事が忙しく、夜中まで帰ってこない日も多々あったらしかった。あまりから祖父の話を聞いたことがない。

父の職場では(そもそも昭和時代だとどこも似たようなものかもしれないが)年功序列が厳しく、飲み会もかなり激しいものだったと聞いた。

父は若い頃酒は一滴も飲めないほど弱かったにもかかわらず、無理してお酒を飲んで帰ってきてゲーゲー吐いていたと母から聞いた。

 

実際のところはどうかわからないが、もう少し色んなところで色んな大人相手のことを思いやって態度で示せれば、

私の父も何かに依存して心の安穏を保とうと必死にならなくても良かったのかもしれない。

でも無いものをねだってもやはりしょうがないのである

 

父がこれから穏やかに過ごせるかどうかは父の努力次第である、私は助けを求められればそれ相応に対応する心づもりもある。

だがその結果に関してどうこうと思いあぐねることはもうしない。それは父の人生の結果であって私が囚われるべき人生の一部ではない、もうそういう歳になれた。

今までと変わらない様子でいるのであれば、私はお父さんが元気でいてくれた方が嬉しいんだよと伝えるだけだし、

もし頼りになる父になってくれるのであれば、そのときどきの相談事をすればいい、

もっと歳をとって老人のようになったら、夢での母との会話のように穏やかに何度も相槌をうつ。それだけでいいんだと思う。

 

ただ私は相手のことを考えた相手のほしい言葉をかけてあげられる大人になることをひたすら目指そうと思う。

それは父にも、パートナーにも、友人、職場の人、親戚、将来できるかもしれない子供に対しても、誰に対しても平等姿勢で。

これまた勝手ではあるがこの目標最後の母との約束として忘れないよう、覚書として残す。

 

2024-11-03

anond:20241103090654

何で俺が共産党のことを血眼になって批判してるか教えてやろうか?

共産党に裏切られたからだよ。

選挙権を得て以来、比例と地方議会では(立民の結党時は比例も立民に入れたし、れいわに入れたこともあるけど、それ以外は)基本的共産党に入れて、参院東京選挙区でも吉良よし子に投票してきたのに、フェミに傾倒して萌え絵叩き・オタク叩きに狂奔しはじめ、社会的合意に基づいた表現規制を(よりにもよって俺が名前を書いた吉良が)表明して、水着撮影会を中止に追い込んでドヤ顔してるようなクソ規制派に成り下がったからだよ。

一度も入れてない自民維新参政党がクソなこと言っても裏切られた感はしないけど、入れ続けてきた政党がクソなこと言いだしたらクソ発言に裏切られた感がプラスされるんだわ。

死んだ祖父ちゃんは『赤旗』取ってたよ。好きな祖父ちゃんの支持してた政党拒否感なんてなかったし、世間共産アレルギーは過剰すぎるだろ……って思ってたよ。党を挙げてオタク叩きを始めるまではな!

俺の一票を裏切った共産党は許せない。今後もネチネチ叩き続けるし、国政で政党要件を失っても地方議会議席がある限り危険から(戸定梨香の事件地方議員が起こしてたよな)、友達には共産党には入れるなって呼びかけるよ。俺は自民党支持者の友達の前で共産党支持を公言したり、公明党への勧誘電話をかけてきた友達に対して共産党に入れる理由説明したりしてきたんだが、オタクからの支持は要らない、むしろ嫌われたいって向こうが言うんだから仕方ないよな。俺はあいつらが国会どころか地方にすら候補擁立できなくなる日まで共産党を嫌うし、叩き続けるからな。

深作清次郎氏が初当選した人の祖父だったと聞いて

久々に氏の政見放送見直してみたのだけど

日本社会党共産党公明党ソ連の手先であって云々

みたいなのが主張の中心で

奇しくもその3つって今回の選挙でだいぶ勢力の弱まった組み合わせだなあと感じた

まあそれを言うとソ連はとっくにないわけだが


現代に深作清次郎氏が蘇ったら、一体現代の政治にどう言う意見を持つのだろうか...

2024-11-01

anond:20241101083423

6000万円の土地相続したけど、稼ぐことができない人が世の中にいて…

察しのとおり、親族全員が発達障害で、母方の祖父は行動障害持ち、父親アル中って感じだと、財産は減る一方なのよ

母親父親ともに建築士資格は持っていて、そこそこ稼いでいたみたいだけど…

2024-10-31

私と毒親恋愛人生

毎日母親との嫌なことを思い出して辛いのでここに放流する。ネットに流せば少しは気持ちが薄れたらいいが。

ちなみに母親からまだ離れられていない。離れる計画の途中であるもっと早く離れればよかったと強く思っている。

母親違和感を感じたのは10歳の時。クラスプレゼントを渡したい男の子が数人いてその話をした。すると、○○君は遅刻するよ。○○君はテストの点数が悪い。など悪い点を挙げられた。余りにも驚いて混乱して何も言えないようになった。

それから人を好きになることは人に文句を言われる、評価されるものと思うようになった。

学校で異性と仲良くしてもし母親に何か言われたらと常に怯えていたし、恋愛話も興味ない振りをしていた。

勉強趣味に打ち込んでいたが心の片隅では寂しい気持ちを抱えたままそのまま高校生になった。

ある日、下の兄弟男の子を家に呼んで遊んでいた。

それを見て母親祖母はやった!うちで初めての快挙だ!これで玉の輿だ!と噂話していた。ものすごく恐怖を感じた。

今まで異性を家に呼ばなかった私はダメなのかとひどく落ち込んだ。

今思い出して書いてみるとすごく昔の考えに思えるが、筆者は平成初期生まれである

母と祖母から女性なんだから働かなくていいと言われたり、バイトが遅くなっただけでキレられたり、受験の合否をすぐしないだけでキレられたり(不合格なので悲しくて泣いていた)随分振り回されてきた。

しかし物は豊かだったため、学生の頃は周りからは親がおかしいとは気づいてもらえなかった。

社会人になり別に恋愛しなくてもいいかと思っていた。周りから恋愛してなくて変と言われるのは辛かった。だが、偶然にも同性を好きになることがあった。初めての出来事自分でもかなり思い悩んだ。

その悩んでる最中に、祖父母に久しぶりに話をしたら会って1番にこの歳で結婚しないなんておかしいねえ!と言われ、何かが崩れていき祖父母の家には行けなくなった。

その後、祖父がかなり弱って入退院を繰り返して最期死ぬまで私は見舞いに行かなかった。

毎日母親から祖父の見舞いに行って。○○ちゃん(私)が子ども産むまで死ねないよって言ってるよ。と聞かされていた。

祖父が死んで葬式が行われても私は行かなかった。

この時の私は一人暮らししようと転職した職場ブラック企業で鬱になり、家で休んでいるところだった。

苦しくなって情緒不安定になっている時、母親に部屋の隅まで追い詰められ、家が嫌なら出て行け!と怒鳴りつけられた。

もう何もやる気が出ない。希望も絶たれて家を出ようという気持ちも起きない。

鬱がどんどん悪化していき外に出れない食事も取れない日々が続いた。

貯金も減り親に相談した所、もしもの時や結婚した時のために貯金は使えない。と言われた。

今はもしもの時じゃないのだろうか?今生きることより結婚大事なのか?

もう死のうと思い、首を絞めた。

結局死ねなかったが、首を絞めたことを医師に話すと入院になった。

入院中は母親は私の同級生に早く結婚して出ていって欲しいと言っていたらしい。

もう何が正解かわからなくなっていた。

高齢出産の年齢になった。

友人の子どもを見てもかわいいと思えない。

親の言う通りになるので、この先結婚もしたくない。

もし子どもができても、親のようになってしまうかもと恐怖がある。

ただ自由に生きたいな。

今は退院し、支援してくれる人が複数人いて一人暮らしへのサポートを受けている。

退院後は過去に言われて嫌だったことを母親に伝えている。例えば、突然お前は料理が下手だから餓死する一人暮らしなんて出来ない。など。

それを伝えても文句しか取られない。どうして謝って欲しいと期待してしまうんだろう。これが共依存なのかな。

ある人からこれから自分人生なんだから自由に生きよう!と言われるのだが、なんだかモヤモヤしてしまうのだ。励ましてくれていることはわかる。

でも私の今までの人生自分人生じゃなかったのか?制限されていたなりに、仕事趣味は頑張ってきた。なんだかそれまで無かったかのような気持ちになってしまうのだ。

祖父社長だった

二十年も前に死んで伯父が社長やってる

俺は関係ないところで働いてる

なんでかたまたま決算を見る機会があってみてみたら

損益ピタリゼロだった

やってんねえ

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