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2018-11-13

「もう猫は飼えないのね」

昔昔私が小学校の帰り道捨て猫を拾ってきました。私が父に怒鳴られそうになると父の足の上にごろりと横たわって庇ってくれたこともある人間をよく気にする猫でした。しか20年ほど経ち体の衰えもひどく昨年体を崩しそのまま死んでしまったため、晩年ずっと一緒だった実家の父母の落ち込みようがひどかったのを覚えています。それが、一年ほど前です。

数カ月前母から「庭に子猫がいて餌付けして中に入れてしまった」とメッセージが来ました。「お父さんは疲れたと言って寝てしまった」と。それは父が機嫌の悪いときの口癖なのでタイミングがまずいなと不安を覚えたのですが、私はもう家を出てしまい何も言える立場ではないため「もしあなた旅行に行っても預かったり留守番はできない」「里親を探すなら小さいうちに早く動け」と連絡したのを覚えています

それから数週間後でしたか、父が「この猫は嫌いだ」と家族グループメッセージを送ってきたのは。その時はまだうまく懐いていないのかなと少し心配した程度でしたが、時間が経つほど父の言葉嫌悪がはっきりと出てきてこれはまずい、と母に様子を聞きました。

父は「ここに入っちゃいけない、あれにのっちゃいけない」などまだ子猫に伝わるわけがないルール押し付けしまいには叩いたり水をかけたりしたそうでした。「うちの猫じゃないから懐かれようなんて思わない、ぐり(前の猫)は良い猫だった」と言い、しか唐突に可愛がろうとして手を出すと完全に警戒された猫に唸られ、その度に子猫を叩いていたそうです。

私は止められなかった母を詰りました。もう3ヶ月は経っていました。その間にも母は何度も旅行に出かけて、実家には父と子猫だけという状況がありました。なぜ虐待を見つけた時点で父から引き剥がさなかったのか。

母は「だってその後機嫌が治ったらトイレ掃除ご飯の準備してくれたの。ねーこってだっこして可愛がってたの(注。以前その状況で猫がやんわり嫌がってる写真が送られてきていた。今思えばあれも心配すべきだった)。お父さん感情の振れ幅があるから、今度こそ優しい方に戻ってくれると思ったの」

ブチ切れました。

私も実家にいる間父の機嫌によって変わるルールに振り回され、罵る怒鳴る突き飛ばすモラハラDVに耐えきれずこんな家に帰りたくないと泣いたら母に叱られました。母は父の機嫌がよくなるとさっきまでの重苦しい空気なんてなかったかのように振る舞います。実際忘れているそうです。そんなの気にしなければいいじゃない、なんでいつまでも忘れようとしないの、と逆に叱られました。

私が家を出てからお父さんは変わった、優しくなった母は言っていたし、たまに会う程度なら父も穏やかそうでした。でも父のあれは治らないものだったんです。母は甘すぎる見通しで余計に子猫危険晒しました。

私が母のことをどれだけ傲慢なのかと言ったのと、父の機嫌が最高に悪かったため母は知人の家に子猫を預けに行きました。でも知人も1ヶ月が限度だそうです。母には拾った以上責任もってこちらで里親を探せと言ったのですが、約束があるからと数日でまた実家に戻ってしまいました。その数週間後にはまた旅行の予定だそうです。子猫がくるずっと前から計画してたから今さらキャンセルできないと。呆れた。

チェックしておいてと近所で信頼できそうな譲渡会のリンクを送った所、母から返事がなくなりました。

暫くして、「もう二度とうちでは猫は飼えないのかって、悲しくなった」と言われました。その時私は咄嗟に「もうこれ以上人も猫も巻き込むな」と言いましたが、多分猫が飼いたいんじゃなくて、ぐりがいなくなってしまったのが悲しかったんだろうなと今は思います

預かってくれた知人の家が近かったので、子猫に会わせてもらいました。人懐こくて、でも物音でぴゃっと物陰にかくれてしまう。遊び疲れると私の膝に座り微睡むのをみて、こんな可愛い子にまであんな怖い思いをさせてしまったのかと申し訳なかったです。子猫は未だに男性の低い声に怯えるそうです。父が機嫌悪いとわざと低く話すから。私もそうだから、余計に子猫自分を重ねてしまっているのだと思います

ちょろちょろと遊び回る子猫を、恐る恐るぐら、と呼び掛けるとよってきて私の顔を仰ぎ見ました。母がぐりと対になるような名をつけたんです。それで一瞬、ぐり、と呟きました。すっと出てきた言葉に余計に泣きたくなった。ぐりはもう返事をしてくれません。

子猫はぐりの代わりにはなりません。

それをちゃんとわかっておくべきだったのだと思います

ふと賃貸を探したら、部屋が空いてなくてあきらめた部屋が入居可になっていて昨日中を見せてもらいました。家賃は今とほぼ変わらなかったです。大家さんは祖父の知人で、不動産の方も丁寧に説明してくれる方でした。ペット相談可の物件、猫一匹なら連絡してくれたら大丈夫だそうです。

妹に話したら一人で突っ走りすぎだと言われました。そこまでする必要はまったくない。自分でも思います子猫にはまた知らない環境におかせてしまうことになる。父には、もう会わせたりしないつもりですが。

まだ、引っ越しも本契約した訳ではないしそんなことしないで譲渡会や他の手段で私達とは縁を切ってしまう方がいいのかもとも、迷ってます

大事なのは子猫安心して生きられる場所に連れていくことなのはわかってるんですが。

上を見すぎても疲れる

グレートコネクションという番組を見た

インドネシアテレビ局を4つ持ってる人とか

北海道競走馬飼育をしていてディープインパクトの種付けで1発4000万の人とか

祖父テトリス権利持っててそれだけで遊んで暮らせる人とか

どっかの国王秘書してる人とか

ロスチャイルド一族とか

その番組MCをしてるバナナマン金持ちだと思ってた自分には衝撃だった

俺が必死に一か月働いて稼ぐ金を一日、もしくは1時間で稼げる人間がこんなにいるんだなあ

途端に空しくなった

こういう番組、誰が何のために見てるんだろう

2018-11-09

あの日見たエッチDVDを俺は一生忘れない。

とても寒くて晴れた元旦だった。ぼくは正月ということもあり、叔母の家に遊びにきていた。

叔母がぼくに言った。

「僕くんおいで!今年もお年玉あげるね」

ぼくは中学生になって「敬語」なるものを教わったので大人ぶってこう言った。

ありがとうございます!大切に使わせていただきますね」

叔母はにっこりと微笑んだ。

一方、僕の心の中では、しめしめ今年も遊戯王カードゲームを買いまくってやろうと思っていたが。

すると、後ろで談笑していたウチの母が、

「いいのに!もう!こんなガキンチョにお金なんてあげなくて〜。どうせロクなもんな使わないんだから。」

社交辞令を返す。

毎年正月になるとやり取りをするのだ。この会話を見るたびに正月という感じがして、僕は好きだ。

このやり取りを繰り返して、祖父叔父、叔母からお年玉を回収していくのが毎年の流れになっていた。

(あとから知ったのだが、母親はしっかりこのお年玉の分のお返しをしていたらしい。)

ところで、この叔父叔母には、3人の娘息子がいて、1番年上の長女、2番目の長男末っ子次男という感じで構成されている。

僕とは3人とも、とても年が離れていて僕が中学生だった当時、末っ子次男氏は大学生だった。

とはいえ僕は1番年が近かった末っ子次男氏とよく一緒にゲームしてもらったり、野球キャッチボールなんかをしてもらっていた。

彼も弟のような存在か欲しかったのだろう。

その大学生真っ盛りであった次男氏が、僕に言った。

「僕、今年もパチンコ行くべ!」

そう、僕の親戚一家には変な風習があった。それは、毎年正月になると祖父叔父、僕の父親含む男連中全員で運試しといって、パチンコに行くのだ。

もちろん僕は、中学生だったのでパチンコを打てるわけなく外から眺めてるだけだった。

大抵の場合、全員が大負けして帰ってくるのだが、その年だけは違った。

僕と仲の良かった次男氏がなんと、大勝ちを決めたのだ。

次男氏はこう言った。

「僕!今年は良い年になりそうだから、僕にお年玉やるよ!」

僕は素直に嬉しかった。また、ゲームを買えると思ったからだ。

しかし、その期待は良い意味裏切られる

また、次男氏は言った。

次男氏「僕、ちょっとお金下ろしに行くから付き合って。」

僕「あ、いいっすよ。」

そうして、彼に着いていくこと、15分が過ぎた頃。ワクワクも過ぎ去り、正直寒くて早く帰りたくなっていた。

次男氏が口を開いた。

「着いた!」

最初僕はそれがなにか、よく認識できなかった。僕たちが来た場所は、銀行でもATMでもなく、アダルトショップだったのだ。

お年玉AVな!」

ニンマリとした笑顔次男氏が言った。

僕は、急にドキドキし始めて心臓が痛かった。

のれんをくぐり、中に入るととてもあったかくて、つけていたメガネが曇ってしまった。

しかもあの、ビデオ屋特有まったりしたような甘い匂いが鼻について離れない。

しかし、そんなことはどうでも良かった。

目の前には女性の裸の写真が大量に並べてあるのである新世界だった。ホールニューワールドである

僕の愚息はすでにパンパンだった。

〜続く〜

はじめて死体を見た時

ぼくがはじめて人の死体を見たのは成人してからであった。

就職してから、1年目の冬、会社電話が掛かってきた。電話に出ると父親からだった。

「御祖父さんが亡くなった」

ぼくはその時、ああ死んだのだなとただ漠然と思った。年齢も90歳を超えていていつ亡くなってもおかしくはなかったから。

電話を切って、その死がまだぼんやりとしたものだったので何とも言えない気持ちになった。

その日は早めに仕事を切り上げて、実家に戻ることにした。

和室の部屋に布団が敷かれていて、その中でおじいさんが目を閉じて寝ているようだった。

祖父さんに最後にあったのは3年くらい前だろうか。御祖父さんは認知症になり、ぼくは兄と間違われ、母のこともわからなくなっていた。

夜の町を徘徊するようになり、施設に入れられた。

最後の再会が死ぬときだなんて、あんまりだ。でもその死がまだリアルものには感じられなかった。

また後日葬式をするということで、自宅に帰ることにした。

帰りの新幹線の中で、御祖父さんの人生のことを想った。ぼくの母を育て、そしてその母がぼくを産み、命を繋いでいく。

はいつか必ず死ぬのだけれど、命を繋いでいくということはやめない。

急に死というものが怖くなって自然と涙が溢れた。

死というものは悲しいけど、御祖父さんは命を繋いでくれた。

ぼくもまた誰かの命を繋いでいきたいと思った。

2018-11-05

じいさんの経験した太平洋戦争

太平洋戦争最中、じいさんは広島県の呉にいた。海軍パイロット養成校(予科練と言っていた)に所属していたじいさんは、パイロットではなく整備工になるために入ったらしい。

呉は今では見る影もないが、当時は軍港としてかなり栄えていた。有名な大和武蔵もその目で見たらしい。建造していることは内緒だったが、あんなでかいんはバレバレじゃ、と笑っていた。武蔵山口の沖ですぐ沈んでのう、と目を細めながら言っていた。何人か、同期も武蔵と一緒に沈んだとも。

整備工になるために予科練に入ったじいさんだが、残念ながらじいさんが最高学年に上がる頃には戦況は悪化していて、訓練機すら飛ばせない状況だったらしい。

じいさんはその頃から毎日毎日軍事工場飛行機を作っていた。

元々、機械弄りは好きだったじいさんは飛行機を作るのは楽しかったらしく、メキメキと腕をあげたようだ。あまり戦争のことは話したがらない人だったが、海軍飛行機いかに苦心されて作られていたかは楽しそうに喋っていた。

戦争に負けるな、とは何となく感じていたが、上官が怖かったし、そんなことを口に出せる空気ではないころ、呉にアメリカ飛行機が不時着してきた。

勉強がてら、じいさんは同期と連れだってアメリカ飛行機(グラマンといっていた)を見学に行った。

そこでじいさんは「あぁ、この戦争は負ける。」と確信したそうだ。

「わしらはな、飛行機を手でネジを締めて作る。アメサンのはどうじゃ。リベットうちじゃ。ダダダダダ、と作るわけじゃ。作る数がそもそも違う。こんな戦争、勝てるわけがない。」

グラマンそもそも内地まで飛んで来とる。本土決戦で、みな死ぬ

それが、17歳のじいさんの太平洋戦争に対する結論だった。死にたくはないが、死ぬしかない。

昭和20年8月6日、じいさんは工場でいつも通り、朝の体操をしていた。突如として、工場ガラスが、ビリビリ、と音をたてて鳴った。なんだなんだ、と外に出ると、有名なキノコ雲が広島の街のほうにあがっていた。

原爆だ。

じいさんの生死を分けたのは、宇品工場に配属されなかったことだ。宇品に配属されていた同期は救出隊として投下直後の市内に入り、黒い雨を浴びてその後の10年でバタバタと死んだらしい。

運の悪い事にたまたま休暇で広島の市内に戻ってしまった同期は、大火傷を負って呉に帰ってきた。1ヶ月もしないうちに亡くなったそうだ。

そうして、知り合いや同期が死んでいく混乱のうちに、戦争は呆気なく終わった。

じいさん達の基地には進駐軍がやって来てキャンプをはったので、仕事もないじいさん達はキャンプに忍び込んでは物資をかっぱらい、闇市でさばいていたらしい。「あそこは元々わしらの基地じゃしのう。」とあまり悪びれずに言っていた。

実家に帰ってこないじいさんをひい祖父さんが連れ戻すまで、そうやって生計をたてていたらしい。

戦後予科練学校としては認められず、じいさんは小卒の学歴になってしまい、ずいぶんと苦労したらしい。職を転々としながら、職業訓練校に通って資格を手にし、最終的には水道工として定年まで勤めあげた。

飛行機を作っていた頃の経験が生きたのかは分からないが、子どもの頃のじいさんは自転車草刈り機の発動機やら、何でも直せる人だった。

じいさんは戦争によって勉強することも出来ず、学歴も手にすることが出来ず、戦争を恨んでいたのだろう。戦争の話はしたがらず、呉には生涯、足を運ばなかった。

本当は、京都大学物理学勉強たかったじいさんは、自分学歴の無さを生涯恥じながら、87歳でこの世を去った。

苦労しながら水道工として定年まで勤めあげ、身の回りのものは何でも修理できたじいさんは、恥ずべき事なく、立派な人生を歩んだと思う。

anond:20181105105939

かつてヒトラー一芸入試で弾いたという、彼の祖父が作った琴を探しているんだが

2018-10-31

続・2018年秋の連ドラの第1話をいろいろ見ていく

2話3話と放送されててもあくま1話感想の続き。

 

『神ノ牙-JINGA-』※第0話

<あらすじ>

怪物に憑かれた人間を倒す変身ヒーロー

感想

あ、これは1話じゃなく0話という扱いらしい。内容的に0話を称する理由がピンとこなかったが、1話から違う感じの話になるんだろうか。

敵が人間の姿で登場し悲しい境遇怪物に憑かれたことを描くなら、人間の姿のまま退治される方が悲壮感があっていい気がするけど、アクション問題? 『牙狼GARO>』シリーズの関連作品らしくてそちらはほとんど見たことがないけど、そのへんの事情もあるのだろうか?

 

主婦カツ!』

<あらすじ>

夫に勝手仕事を辞められた専業主婦が外に働きに出る。

感想

主婦になるための活動ではなく主婦就職活動で「主婦カツ」っぽいことに違和感を抱きつつ見てたら、就職活動よりもパート先の弱小スーパーvs.大手スーパーみたいな話になりだしたけど、なんだかんだで最終的には正社員になるのだろうか。

夫の独断専行を悪びれない明るさがなかなか怖い。いや仕事を辞めることは必ずしも非難できると思わないが、事前に伝えることは分業を営んできた相手に対するせめてもの礼儀だろう。

 

黄昏流星群

<あらすじ>

夫婦不倫するのかな?

感想

佐々木蔵之介が妻の中山美穂を裏切って職場本仮屋ユイカになびかずに旅先の黒木瞳に惚れる一方、中山美穂の方は娘の婚約者らしきジャニーズWESTに惹かれるっぽいって、性別と年齢に着目すると新鮮さがある。

仕事で躓いて不倫へ走る佐々木心理ありがちながら丁寧に描かれてるし、中山の方は思いの外ドロドロの予感だし、悪くないかも。

 

昭和元禄落語心中』○

<あらすじ>

前科者が落語家弟子入り。

感想

岡田将生落語家の若き日だけでなく高齢名人である現在もがっつり演じさせるという無茶振りで、もう少し老けメイクを濃くしてもと思いつつ、しかしこれがなかなかどうして堂に入った演技だった。こんなに滑舌良かったんだな。

前科者の竜星涼も達者だし、話の緊張感も保たれてて、アニメ版たからもういいかなと思っていたが見続けたくなった。

 

『僕とシッポと神楽坂

<あらすじ>

古い動物病院イッセー尾形から受け継いだ相葉雅紀

感想

イッセーと相葉微妙に似てるけどべつに祖父と孫ではないのか。あといきなり相手任せにする無責任な継がせ方は相応の理由があるのか。

正体不明神主が都合よく重要情報を教えてきたりとか、広末涼子親子に何か起きるようなタイミングの「一寸先は闇」張り紙とか、山場となる犬の拒食が簡単な話しかけで解決したりとか、女性陣が主人公性的に辱める笑いとか、なんかモヤモヤが多い初回だった。尼神インター渚の変身っぷりはい意味で驚いたが。

 

『こんな未来は聞いてない!!』

<あらすじ>

田辺桃子ともさかりえじゃなく野呂佳代になって未来からやってくるラブコメ

感想

SUNNY』見てないけどたしかともさかりえっぽい雰囲気があるかも? いや吹石一恵の方が似てる? あれ中谷美紀になった? やっぱり京野ことみ? なんか場面によっていろんな女優に似て見える不思議な顔だな田辺桃子野呂佳代にはべつに似てないが。

気楽に見れるコミカルさで、恋敵の女子もなかなか手強そうでいいんだが、タンクトップの上に羽織ってたシャツを躊躇なく女子に貸せるなんてモテる男ってのは凄いな。

 

サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官・楯岡絵麻』※第2話

<あらすじ>

栗山千明心理学で犯人を落とす。

感想

月曜から夜更かししてオールスター感謝してたら1話を見損ねたので2話で。

古畑任三郎』的な視聴者への語りかけが入って推理クイズ様相心理学が万能過ぎるが、それはそういう条件に基づくクイズなんだと飲み込んでしまえば悪くない。

栗山は下手とは言わないが、取調室内での犯人との長い攻防を演技合戦で楽しませるにはケレン味不足か。

 

『ドロ刑 -警視庁捜査三課―』

<あらすじ>

泥棒のおじさんがやる気のない若い刑事を手助け。

感想

泥棒自分の正体に気付いてくれた嬉しさから刑事に他の泥棒をチクるっていい話なんだろうか。BL的にはいい話かもしれないが。例えば強盗に対して許せないからチクるとかならまだ……いやそんな美学を振りかざされてもそれはそれでウザいし一課の管轄になって三課のドラマという希少性が無くなっちゃうか。

刑事の方はステレオタイプを誇張したような若者なのだが、これはこれで清々しく感じる部分もなくはないので、変に成長とかされるより徹底してくれた方がいい気もする。「今の若いのってみんなあんな感じなの?」「いや結構酷い部類ですね」と一般化に釘を刺す台詞には好感(余談だが『けもなれ』の同様のステレオタイプちょっと気になってる)。

 

江戸前の旬』

<あらすじ>

寿司屋の息子。

感想

職人世界だか何なのか知らないけど、普通に「教える」ことができないのって、客にも迷惑かけるよなっていう。

主役の須賀健太が見た目も言動漫画キャラっぽさがあると思ったらやっぱり漫画原作だったが、漫画の絵が須賀健太全然似てなかったのと巻数が95巻も出てたことに驚いてしまった。そりゃ全巻プレゼントも1名様になるよな。

 

今日から俺は!!

<あらすじ>

転校を機にヤンキーデビュー

感想

ギャグとはいえヤンキー文化苦手。ギャグで通し切るわけでもなさそうだし。そして福田監督ギャグも少々苦手。賀来賢人は頑張ってるとは思うが(願わくば演技に「どや面白いやろ」感が出ませんように)。

 

ハラスメントゲーム』◎

<あらすじ>

左遷されたスーパー店長本社コンプライアンス室長に。

感想

これは良かった。話自体の出来に加えて、唐沢寿明普段の食わせ物演技の面白さとここぞという時に人間味の見せて相手を説き伏せる演技の説得力が見事。単純なハラスメントの構図を避けても単純な逆張りにしないバランス感覚が作り手にあるかはまだわからないが。

 

プリティが多すぎる』

<あらすじ>

カワイイ顔を揶揄われてきた編集者の男がカワイイ至上主義女性誌へ移動。

感想

余所から入って侮蔑→受容というお仕事ものの一つのテンプレ感。ジェンダーから解放というテーマも入りそうだが、千葉雄大ならそりゃさっさとカワイイ和解した方が得だわな。……いや、男性が30以降もカワイイ武器にできるかとか考えだすと難しい話になってしまうか。

 

駐在刑事

<あらすじ>

警視庁刑事が取り調べ中の相手自殺されて奥多摩駐在さんに。

感想

連ドラの前に5回やってるらしい単発は未見。過去事件についていきなり「まだ終わっていなかったことにこの時俺は気付いていなかった」というナレーションで始まったり自殺者の姉が出てきたりするわりに事件についての説明が不足してて壁を感じた。一方で一話完結ものとしてのエピソードは2時間に拡大したわりに凡庸

 

部活、好きじゃなきゃダメですか?』

<あらすじ>

やる気のあるサッカー部員1人とやる気のないサッカー部員2人。

感想

ゆるい。そのゆるさが心地よかったり笑えたりするわけではべつに。

 

『ぬけまいる~女三人伊勢参り

<あらすじ>

しょっぱい現状の女たちが旅に出る時代劇

感想

B級臭さはいいとして、主人公自分を騙しておばさんと嘲る若い女たちを懲らしめても、主人公たちも年嵩の女の境遇を蔑んでたのでスカっとしない。主人公たちが未熟なところから成長していく話なのかもしれないが、若き日の輝きを取り戻すことを目標にしてるのがさらにつらく……そこも含めて変わっていくのかもしれないが。せめて三人の掛け合いがもっと笑えたりすればいいのだが。

田中麗奈ってべつに嫌いなわけでもないがなぜ主演の仕事が続くのかよくわからない。

 

まとめの私的1話ベスト5

1『獣になれない私たち

2『ハラスメントゲーム

3『昭和元禄落語心中

4『僕らは奇跡でできている』

5『PRINCE OF LEGEND

2018-10-30

anond:20181030191500

から子供ができたとき教えられたんだ

ちなみに親は祖父かららしい

いつから伝わっているか知らないけど古いのは確か

2018-10-23

anond:20181023024859

うりぼうと美陽が見えることで、たとえばそれを女将ピンフリにつたえ、死者と伝えられなかった思いなどを相互にやりとりするようなことができたかもしれない。そんなシーンはおそらく女将ピンフリの感情を強く揺れ動かすことができる、感動的なシーンになるだろう。感動的ではあるが、それこそ死後また会えるというような誤解を生む安易に感動に走ったストーリーだ。

そしそてそんなシーンは存在しない。

いやいや、峰子が「ウリ坊のこと好きだったんだけどね」って言ったときにウリ坊が外に出ていって「おれも峰子ちゃんのこと好きやったで」ってつぶやいた言葉をおっこちゃん伝えてて感動的なシーンになってたって。

もちろん、美陽はそこにいること伝えようとしたのを止められて未遂に終わったのは「そういうことしなくても感動的なシーンになるよ」ってメッセージではあるので大意では同意するけど。

原作の話すると、映画で出てきた人たちの他に峰子の夫、グローリーの父母、居候男子小学生祖父、秋好旅館常連のおじいさん、台湾和風温泉女将など結構な人が死んで話題にされてる(映画に出てこない人物については固有名詞を省いた)。ある意味死をうまいこと使っているのは原作ゆずりで、あそこで批評してた2人が元読者だった可能性すらある(微妙小ネタに詳しい疑惑もあるし)。

2018-10-21

穴を卒業しま

クソみたいな気持ち成仏させるために書いたらとんでもなく長くなってしまった。便所の落書きよりひどい。









大学卒業就職して今日に至るまでの7年間、上司不倫関係にあった。ドラマ映画、巷に溢れる不倫イメージとはだいぶ違う関係だった。いや、していたことは一緒なんだけれども。とにかく今、唯一の連絡手段LINEで彼をブロック削除した。

月1、2程度セックスする関係だった。連絡が来たら私の家でセックス、2時間弱でさようなら。一番初めに一度だけ食事をしたが物は何もあげていない、貰っていない。私から連絡したことはない。LINEでのやりとりは、今から会える?→大丈夫です/今家にいませんごめんなさい/今生理中ですごめんなさい。それ以外のやりとりは0。

初めて関係を持った日の明け方、頭に叩き込んだ。何も求めない。穴だけ差し出せ、余計なことはするな。私に求められている役は、使いたい時いつでも使える無料の穴だと承知済み。だから話す時は必ず敬語名前職場と同じように◯部長と呼ぶことを徹底した。

家に来る度いつもスマホを躊躇いなくスクロールして、写真を見せながらご家族の話をしてくれた。公園でお子様の自転車練習を手伝う美しい奥様、旅先ではしゃぐかわいいお子様。

このかわいさ、親バカかもしれないけどキッズモデルになれると思わない?性格が俺に似てるんだよ、余計いじらしくて。彼氏とか絶対許さんよ(笑)一人暮らしさせるのも不安、変な虫がつかないようにしなくちゃ。大学の頃、仕送りどのくらいだった?嫁も仕事復帰してくれて教育資金貯めてるけどなかなか大変で、もっと頑張らなくちゃいけない。

嫁とは社会人2年目で結婚したよ。美人?よく言われるけど実は外見は俺の好みのタイプとは違うんだよね。結婚の決め手?性格ものの考え方、特に家族に関する考え方が俺と同じでさ、この人と一緒に生きていきたいと思ったんだよね...

写真に写るお子様はとてもかわいくて、才色兼備の奥様を心から羨ましく思った。恨み辛み妬み嫉み僻みその他負の感情は一切抱かなかった。いや、抱けなかった。勝ち負けもなかった。土俵が違った。なにもかもがダメな私とあらゆることが違いすぎた。

ないものばかりの私にないものが全てあるのは勿論、一際輝くものを沢山持っていらっしゃった。生得的なものも、努力で手に入れたものも、何もかも眩しかった。

から自分は穴でしかないと毎回確認できた。私は人間ではないのだと理解できた。

余計な口は一切聞くな。生きている穴に徹しろ。醜く貧相な顔と身体のせいで彼が萎えしまわないよう一所懸命演技をした。ごくたまに私の私生活へと話題を振られた時は、昔付き合っていた男性との話を小分けにして話した。時には友達との思い出を男性との思い出のように話した。そもそも穴の話など誰も興味はない。自分から発話する時は極力主語が"私"にならないよう心掛けた。

穴はあなたに執着していませんよ。恋愛感情なんてないですよ。形に残るものも、何もあなたに求めませんよ。誰にも話していません。誰も私みたいな奴がこんなことしていると思っていないですし。SNSにも匿名の場にも私の痕は何一つ残しません。なので、使いたい時いつでも安心して使ってください。なるべく便利な穴でいられるよう頑張ります

そういう態度を7年間取り続けた。だから7年間も続いてしまった。

しかし、彼の気持ちが私に全くなく、彼にとって私が穴でしかなくとも、そしてそのことを私が承知していても、既婚者とセックスしているので私と上司とは民法上の不倫関係にある。そんなことより何より奥様やお子様がこのことを知った時どう思うか。気持ちがないからマシだという話ではない。どんな気持ちにさせてしまうか。どれだけ傷つけるか。

家族がまだ知らないからこの愚かな行いを続けるのか?一生かけても癒えないかもしれない深い傷をつけるのか?どの口で憧れだなんてほざくのか。家族の待つ家に家に帰るのを2時間弱遅らせ、その分"お父さん"の時間を奪っているのは紛うことなきこの関係、私が自らの意思で続けている関係だ。

幼い頃、平日は父におはようしか言えないのが寂しかった。深夜お手洗いに目を覚ましてもまだ父は帰って来ていない。翌朝早起きして仕事に出る父を見送った後、お父さん昨日は2時に帰ってきたんだよ、お仕事大変だったのと母は言う。そんな職種じゃないのに。

受験のため通い始めた塾には、帰りが早くなった父が毎回迎えに来てくれていた。父は毎回必ずコンビニに車を停めて、ちょっと待ってねと私に声をかけた後聞いたことのない優しい声でどこかに電話をかける。最後には必ず、また明日と名残惜しそうに言って電話を切る。その後、お菓子アイスを買ってくれて静かな車内でそれを食べながら帰宅していた。これから家に帰るんだから母ではない。部下にはいつも詰問口調だし祖父祖母とも違う。電話相手は一体誰なのか、毎回疑問に思っていた。ただ、決して誰なのか聞いてはいけないということだけなんとなく分かっていた。

最近久しぶりに思い出して、あれは不倫だったとようやく分かった。家族での外出中、鳴り止まない携帯の着信を無視する父に母が激昂していた姿も思い出した。あの頃寂しかった私がこれ以上こんなことを続けてはだめだ。

上司仕事が出来、優しく余裕があり、仕事の話もプライベートな話もとても面白い。初めて顔を合わせて挨拶した瞬間、ああこの人のことを好きになるなぁと何の根拠もない直感が走ったが案の定、一緒に働き始めてからすぐ上司を好きになった。周りから、×さんのこと◯部長が褒めていたよと話を聞くと浮かれた。あまりにもベタパターン。私の目はハートマークを隠せていなかっただろう。思い返すと苦笑しか出てこない。だからプライベートの連絡先を聞かれて嬉しかった。一緒に食事をとっている時、これは夢なのかと思った。

ネジが外れている大馬鹿女だから、ご家族の話を聞くとますます好きになった。こんなに素敵な人だからこんなに素敵なご家族がいるんだ、いや、素敵なご家族がこんなに素敵な人を作っているんだ。そんな人が、好きな人が、身も心も醜い私の穴を使ってくれる。せめて求められた穴役だけは完璧に、穴でいいから求められていたい。気持ち悪いことを考えていた。

しかし頭の悪い私に自分コントロール出来るはずもなく、毎晩泣いていた。何もかも違いすぎる、あまりにも遠すぎる。だからこそ好きで好きで仕方がない。自分にないものを持つ上司勝手に引力を感じてしまう。上司自分の欠けた部分を埋められるような錯覚に陥ってしまう。自分馬鹿さに呆れる。穴として求められることに必死にしがみついている、惨めで哀れな救いようのない馬鹿

私が断れば終われるのに断れない。会えるのが嬉しいから。たくさん自分自分言い訳をしたが、結局自分が会いたいかっただけだ。自分卑下すれば許される訳でもないのに。自分勝手気持ちに蓋ができなくなる度、深夜汚い声でわんわん泣きながら人気のない場所まで車を飛ばした。

仕事後、その後予定もなく真っ直ぐ家に帰ってもメイクは落とさなかった。連絡が来るかもしれないから、2時までは極力起きておく。友人と出かける時もずっと携帯が気になって仕方がなかった。アロマが好きだったが炊かなくなった。万が一匂いをつけてしまってはいけないと思ったから。私に興味を持ってくれた人からの誘いを断り続け1人の世界に閉じこもった。

私がそうしているうちに、遠方の友人から恋愛相談は結婚の報告とお式への招待へとだんだん変わっていき、気付けば友人の半分以上が結婚し家庭を築いている。残りの友人も、恋人同棲をしていたり、趣味にいきいきと取り組んでいる。何も変わらず空っぽのままの自分が惨めで恥ずかしい。

両親からのいい人はできた?という質問祖父祖母からの×ちゃん花嫁姿が見たいなという言葉、全部笑って誤魔化してきた。ごめんなさい。本当にごめんなさい。7年間ずっと彼のご家族をご家族の知らないところで傷つけ、誰にも顔向けできないことを自分意思で続けてきた。加害者自分からもう目をそらしてはいけない。そして正直、毎晩泣くことに疲れた

本当は最後にもう一度だけ連絡を待って、世界一好きだったと伝えて終わらせようと今朝まで考えていた。でも、そんなことをしたら気持ち悪がらせてしまう。引き止められる可能性もまあ0%ではない。何よりこの期に及んでも自分に酔っている気持ち悪さ。

慰謝料のための貯金目標金額に達した。奥様やご家族が求める裁きをきちんと受ける準備をする、自分の罪と向き合う。

それから私なんかと関わりをもってくれている人達幸福をしっかり大切にできる、人間にならねばいけない。人間になりたい。それには私が悪行を断たなかった7年間以上の時間必要だろうと思う。

家族と一緒にどうか世界幸せになってほしいと思う。私なんかが願わずともそうなるのだろうと、いやもうとっくにそうなのだろうと分かっている。というかそもそも上司もご家族も私なんかに願われたくないだろう。我ながら気持ち悪い。それでもどうか心の中で願うことだけ許してほしい。

業務の引き継ぎに必要で、私の資料に書いてくれた直筆のメモが嬉しくて、こっそり写真に撮って時々眺めていたが、これは連絡先と一緒に消した。残ったのは私の頭の中の記憶とこの文章だけだ。話してくれたことはどんな些細な内容だって全部覚えている。忘れたくなくて何度も繰り返し思い出してしまう。これもやめなくては。

たくさんごめんなさい。世界中の誰より何より好きでした。さようなら

先日家族写真を撮った。

家族写真と言ってもたいそれたものではなく、テーマパークなどで記念に撮る簡単ものだ。


私の実家九州田舎にあり、私は高校卒業九州を出て本州へ。

当時は都会へのあこがれと、将来やりたかたことがありその勉強がしたくて九州を出ることを決めた。

しかし当時の私は反抗期真っ只中。親から逃げたかった気持ちも正直あった。

進学後、そのまま就職して、いつか九州に戻れたらという思いのまま1,2年程経った夏のある日、母から連絡があった。

母方の祖父が亡くなったという連絡だった。

丁度帰省する1週間前の事。

このタイミングで帰ってしまうと長期休暇中帰ることができなくなり、

トンボ帰りにもなってしまうので父と母の判断葬式には出席せず、帰省後お線香を上げに行くことになった。

今でもその時のことを覚えている。

ショックで、悔しくて、悲しくて、どうして自分はすぐ駆け付けれるところに居ないのだろうと仕事中何度も泣きそうになった。

流石に泣くと仕事に支障が出るので頑張って耐えたが、帰省し、祖父遺影を前にすると耐えることが出来なかった。

本当に死んだんだ。と実感してしまって。

祖父は無口で、厳しい人だった。よく私とも喧嘩をしていたのだが、その分たくさん可愛がってもらった。

春先に会いに行ったときは元気で、まだ仕事も現役だったので本当に突然の訃報だった。

この夏もまた会いに行って皮肉を言い合うんだと思っていたのに。

人の死ってこうも突然なんだな、と始めて実感して、またこうやって駆け付けれなかったときはと考えると怖くなった。


元々転職を考えていて、この出来事が後押しして決心。

これから半年後くらいに会社を辞め、九州に戻った。

今もまた、実家を出ているがそれでも九州内なので実家に帰るのも容易で、また両親がこちらへ来るのも容易だった。

そして、先日両親が遊びに来てドライブに行き、冒頭に戻る。

本来私は写真に写る事が苦手で、記念撮影なども避けるのだがこの機会を逃したらまたいつ撮れるかわからない。

そう思うと「別にいか~」と言ってる父母を引き留めて写真を撮ってもらった次第。

後悔してからでは遅い。というのは祖父の事で思い知り、もっとたくさん撮っていたらよかったなんて思わないよう、これから写真は撮っていきたいと思っている。


お父さん、お母さんどうか長く元気でいてください。

次は私から家族旅行をプレゼントしたいな。

2018-10-18

anond:20181018155439

(アイタタタ・・・)ってなった俺

なんでだろ

いたたまれない気持ちになるのはわかる。

ピンふりは秀才家系に生まれ努力家で従業員同級生含む皆から一目置かれているけれど、やっぱりまだまだ小学6年生。アイデア受け売りのものが多い。

おっこからまれときに「蒸した牛肉より炙って脂を落とした牛肉のほうがカロリーが低い」「塩を水に溶いてハケスプレーで塗れば少しの塩でもまんべんなく味がつく」って得意気に説明するけれど、あの話も「360kcalのフルコース」という本から受け売り。ちなみに原作文庫本で出てきて、ピンふりがおっこに渡したこの本、実際にはないみたい(似た名前で同じことを書いてある本はあるらしい)で、映画で渡す本は「食と身体」という別の本になってる(こっちの本が実在するかは調べてない)。

客室ごとの露天風呂も、原作ときから自慢していたけれどあれは祖父アイデア

原作TVアニメでは今は亡き姉からクールに見えるけど(耳たぶさわったり指はじいたりするから)わかりやすい」と言われてるけれど、もし姉が生きてたらあんなに努力家になってなかったかもしれない。あの世界、おっこのお母さんが婿養子をむかえたり(アニメ版の設定)、その後おっこから男の子が生まれ場合その男の子が春の屋を秋好旅館傘下に吸収合併させてしまう(文庫原作版の設定)ことから類推できるように「おかみ(というか、温泉旅館代表)には直系女子しかなれない」という暗黙の了解があるみたいで、跡取り候補が死んだあとに生まれ女の子であるところの真月は本人含めて2人分の期待を受けたのは想像に難くないし、まあ一般的にはそこまでバレない程度には活躍してる。

そう、たしかに本人頑張っているのだけど、まだまだ半人前なのがバレてしまうのが、実はあの人名付きで名言を言ったときで、確かにいたたまれないとともに、そこを応援してもらいたくもある。

ちなみに原作全巻読んだわけじゃないけど、原作文庫ではそんなに偉人名言言ってないと思う。もっとオリジナル発言多い。

anond:20181018003731

住民票じゃなくて、本籍地情報とか、戸籍謄本って取り寄せたことある

くまなく探してみると、ぎりぎり曾祖父の代あたりでポリコレ弱者属性が見つかるケースがあるらしいよ。

どうにか滑り込みポリコレ救済の可能性もあるから、諦めないで欲しい(過払い請求可能性を司法書士アドバイスするようなノリで)。

2018-10-16

ちょうど秋も近づいてきたので、いもを掘りに行きました。

サツマイモです。私はサツマイモが好きです。

ツタが青々しいのが好きです。庭にもサツマイモを植えています

さて、サツマイモといえば薩摩の芋野郎西郷のことを思い出します。

祖父に聞いた話では、西郷は薄暗いところで一人ちびちび酒を飲むのが趣味だったそうです。

実は我々からの人望がなかったのですが、血筋がよかったので庶民には愛されています

無能人間庶民は愛するものです。

親や親族に対して一切情が湧かないんだけど

自分だけ?

不自由なく育ててもらったけど、ちょっと変わった親だったからそのせいで色々と嫌な目にもあったので、正直恩義は感じてない。

親の介護とか絶対にゴメンだから一人暮らししてからほとんど連絡とってない。

なんか祖父祖母が倒れたりしてバタバタしてるみたいだけど「あ~~めんどくせ~~関わりたくね~後腐れなく早めに○んでくれ~」としか思えない。

親だろうと葬式も面倒くさいから勘弁してほしい。でもさすがに葬式逃げられないのかな、あーかったるい。

とにかく長生きしてもらっても全然構わないから、私の知らないところで生きてそしてさくっと死んで欲しい。

私がおかしいのかな?

いつかバチがあたって生まれてきたことを後悔するほどの苦しんで死ぬのかな、私。

2018-10-12

虹の橋を渡っていった

本日昼の2時50分頃、我が愛猫「レン」が虹の橋を渡って往きました。17歳でした。

本日叔父の命日であり、祖母の月命日でもありました。

叔父は知らないが、祖母は猫嫌いで、祖母死ぬまで猫を飼うことはなかったのですが。

猫の体調が悪くなり始めた日も祖父誕生日9月27日、つい半月ほど前ですが。

ショックではありますが、酒のんでやり過ごしてます

anond:20181012130652

アラフォーおっさんだけど、祖父戦争時の話を聞いておけばよかったと後悔している

両方ともも20年前に亡くなった

父方の祖父明治43年、母方の祖父大正8年まれ

両方とも身体的な理由兵役検査不合格だったそうだ

母方の祖母兵役検査不合格不名誉と思っていたこと、祖父の従兄弟南方に出征して亡くなったことを悲しんでいたことを母から聞いたが、父方の話は全く知らない

最後孫の顔を見ても誰かわからいくらいにボケて数ヶ月昏睡してから亡くなった

今になって当時の日本のことを知りたくなっている

2018-10-08

祖父の青い貯金箱

 家にある猫の貯金箱は地が青く、耳と首輪緑色で鼻と口は橙色に塗られている。正面から見て左の耳は折れており、中には私が毎年一度は通っている銭洗い弁天で洗ったお金が入っている。

 これは父方の祖父作品で、祖母に頼んで譲ってもらったものだ。これを見た人は皆、認知症典型的な症状だという。痛々しいものを見ているような顔をする。

 しかし、私にとってそんなことはどうでもよかった。色覚異常だろうとなんだろうとその色使いは美しかったし、これが手元にある限り祖父を忘れずにいられるような気がした。

 祖父はまだ死んではいないが、管に繋がれて味のしない病院食を食べ、たまに訪れる私を誰だか知覚できないまま死を待ち続ける日々を送っている。多分。

 多分というのは、会ったところで話をしないので実際はどうだかわからいからだ。もしかしたら、もう会話もできないのかもしれない。

 義務感に突き動かされ、時々動けなくなった祖父のいる病院に行く。寝ているんだか、テレビを見ているのだかわからない祖父背中を眺め、無性に悲しくなって時々泣いてしまう。

 どれだけ悲しくても時間が経てば水分は足りなくなって涙は止まる。それをわかっているので、適当にその場をやり過ごす。

 そのうち祖父が死んで、祖父を知る人たちも少しずついなくなって、最後にはほとんどのものがなくなると思うと少しだけ気が楽になる。

2018-10-07

大塚国際美術館に行ってきた

といってももう一月くらい前の話だ

ツアーに丁度都合が良いのがあって、両親や妹と一緒に行ってきた

話には聞いていたが、確かに広い

なんでも山を一つくり抜いて作ったらしい

まるで要塞みたいだなと思った

入り口のすぐ近くにとりあえず見ておきたかった「システィーナ礼拝堂」の完全再現コーナー(システィーナホール)がある

なんとなくオードブルとして、でかいステーキが出てきた気分である

本物とは違うというのはあるのだろうが、それでも迫力は圧倒的だ

写真撮影可のコーナーなので、スマホ写真動画も取ってみた

から見た感想としては、ああいう大きな展示を撮影する際は動画の方がよさそうだと感じた

写真ではズームすると細切れになってしまうし、引いて全体を移すとあんまり撮影する意味がない画になってしま

一つ上の階に登ると現地では見れない、側面からの鑑賞もできる

見る位置が変わるとかなり印象が変わるので、行った際はぜひそこからの眺めも見て欲しい

フラッシュを焚かなければ、写真撮影はほぼ自由

名画の前にならんで記念撮影というのはなかなか無い機会なので、思い出作りに良いと思う



これは大塚国際美術館ならではの体験だと思うのだが、あそこでは名画に酔うという経験ができる

陶酔するといった意味ではなく、車酔いとかそういう感じになる

国立博物館企画展などでメインを張るクラスの名画が、ずらっと並んでいるせいだ

昔、ベルリン国立美術館展で「やった! ついに本物が見れたぜ!」となった、レンブラント工房)の「黄金の兜の男」という絵がある

辻邦生の風の琴という名画から連想して作られた短編集があるのだが、その中で気に入っている話の一つがこの「黄金の兜の男」を主題にした話だから

まあ研究の結果、レンブラント本人が描いた絵じゃないと判明したらしいが、そんな事は関係なしに気に入っている絵だ

その個人的思い入れの強い名画が、レンブラント工房)の作品が集められた部屋では、割と脇役的なポジションに置かれている

まあ仕方がない

有名な「夜警」を始め、レンブラントとその弟子たちによる代表作が、さして広くもない部屋にぎっちり詰まっているのだ

まるで完食したら賞金が貰えるタイプのドカ盛り料理を、3人前くらい目の前に並べられた気分である

もちろん、全てレプリカから本物から感じるほどの迫力は無い

が、それでも絵の凹凸まで再現されたレプリカには、本物の何割かの迫力は備えている様に思えた

そういうコーナーがあの広い敷地に一日で回りきれない位あるのだ

名画の見過ぎで目と心が疲れるという貴重な経験ができる機会は、なかなか無いのでないかと思う

正直、めっちゃ疲れる

見るものはたくさんある、いやあり過ぎる

上がったテンションそのままに、次から次へと見ていくと、あっという間にバテる(バテた)

途中で程よく休憩を取りつつ見ていくのが良いと思う

その為に椅子がいたるところに設置されているのもありがたい

個人的には1F(エントランスがB3Fなので実質4階)にある、ピカソの「ゲルニカ」を飾っているところが休憩場所としていい感じだった

ゲルニカを前に休憩というのもなんだか変な話だが、実際そうだったのだから仕方がない



広い館内を歩き回っていると、当然ながらだんだんお腹も空いてくる

うちの家族は今年に入ってオープンしたという「カフェ・フィンセント」(http://o-museum.or.jp/smarts/index/502/)で昼食を取った

ゴッホテーマにしたカフェなのだそうだ

「まあ美術館カフェだし、味はそこそこでお値段マシマシなんだろう」とたかをくくっていた

ローストビーフサンドイッチ」×2と「ひまわりサラダと季節の野菜スープ」を注文し、大して待つこともなく渡されたブザーが鳴った

一見した感想は「あれ? 量、多くない?」であった

ローストビーフサンドイッチ」は、そのまんまローストビーフを挟んだサンドイッチ

普通に美味い

さらポテトチップス徳島名産であるすだちもついてくる

このポテチすだちの組み合わせが想像以上に美味かった

ひまわりサラダと季節の野菜スープには小ぶりなパンも付いてくる

サラダ自体ローストチキンと、ポテトサラダひまわりの種などを組み合わせたボリュームのあるもので、それにスープパンも付く

一般サラダ系のメニュー女性など少食の人向けというイメージだったが、これは成人男性でも普通に満腹になる量だった

女性場合は一つのメニューを二人でシェアする、といった食べ方の方が良いかもしれない

足りなかったら追加で注文すればいいだけだしね

うちの家族は利用しなかったがB2Fにもカフェがある

そちらはカレーを注文する人が多いのか、カレー匂いが凄かった

カレー匂いが苦手な人や、腹が減っている時にはちょっといかもしれない

1Fにはレストランもある

こちらは和食系のメニューも扱ってるみたいだった

食事関係については美術館としては、かなり充実している方なのではないかと思う

周辺にお店などが無いというのもあるんだろうけどね



ミュージアムショップでの買い物を済ませ、入り口に戻ってきた辺りで親父とも話題になったのだが、陶板印刷という技術はやはり面白い

様々な理由から本物を鑑賞する事が難しい作品、焼失などで既に失われてしまった作品をあれほど精巧再現できるのだから大したもの

1Fではキトラ古墳壁画再現する作業の様子や、実際に再現された壁画の一部なども展示されていた

また入り口付近には大塚グループ総帥(ここだけ聞くと大塚悪の組織っぽい)であり、この美術館の初代館長でもあった大塚正士氏の写真も飾られている

要はこの美術館を作った気合の入った金持ち爺さんの写真なのだが、これを見ながら親父と「うちの爺や婆の遺影をこれにできたら良いなぁ」という話になった

この陶板に印刷された写真というのは非常に劣化に強いのだそうだ

俺の祖父は亡くなってそろそろ20年近く経つのだが、その間に2回ほど遺影を作り直した

普通写真ではどうしても日焼けして、だんだん色が薄くなってしまうのだ

数年前に亡くなった祖母遺影もそろそろ作り直す必要があるだろう

とはいえ「(制作費が)結構するんだろうなぁ」となり、その話は流れた

実際のところいくらくらいするものなんだろうか



総じて言えば、てんこ盛りの美術館だった

絵画だけでなく、壁画彫刻など展示品は多岐に渡る

レプリカではあるものの、その一つ一つが名画、名品ばかりだ

正直なところ、ここまでてんこ盛りだと成金趣味的なものを感じなくはない

だが、成金趣味だとしても相当気合の入った成金趣味だと思う

他の美術館では体験できない事が色々できる

母と妹はコスプレ撮影にもチャレンジしていた

両親や妹も疲れたが大満足という感想だった

貴重な体験ができて、非常に良い家族旅行になったと思う

2018-10-06

私は母が嫌いだ。

ってリアルで言うと、「まだまだ子供だな」とか、「あなたも親になればわかるよ」とかきっと言われるんだと思う。

進路の話に口出ししてきた母にキレたら、「お姉ちゃんは苦労したことがないから人を見下せるんだ」と言われた。

かに、未就学児の時に母(私の祖母)が統合失調症だとわかって、両親(私の祖父母)が離婚して父子家庭で育って、高校受験に失敗して滑り止めの私立に入って、父(私の祖父)が再婚して継母ができて、高校中退して、就職した後にうつ病統合失調症になって、弟(私の叔父)も統合失調症になって、苦労だらけだと思う。

でも私だって、そんな母を持って、両親から名前じゃなくて「お姉ちゃん」って呼ばれてる。父の転勤で海外学校転入して、現地の言葉ができない両親に頼られっぱなしだったこともある。

精神病から仕方ないんだ」って私に我慢を強いるなら、産まなければよかったのに。普通母親が欲しかった。普通母親として振る舞おうと努力して欲しかった。

でも50年以上生きた人の価値観はもう変えられないんだろうな。

2018-10-01

人を殺さな理由

やっぱりどんなに嫌いなやつでも、そいつを殺したら俺の母さんや父さんがそいつの遺族に謝らないといけない。

それは嫌だ。あんカスを生み出した罪深き親に俺の両親が頭を下げるなどあってはならない。

祖父ちゃん祖母ちゃんも外を歩けなくなるかもしれないし、兄貴や従妹の将来をぶち壊すかもしれないというのもある。

からさない。

みんな俺に好き勝手なこと言って、俺をサンドバックだと思っているんだ。

俺が俺たちが、社会の悲しみを一手に引き受けているんだ。

やつらは負の感情を俺たちに押し付け幸せに暮らそうとしているんだ。

それは人類幸せに暮らすために家畜たちに犠牲を強いているのと同じなんだ。

誰かが幸せに暮らすためには誰かが犠牲になっているんだ。

先進国発展途上国関係もそうだ。

自分たちの周りだけキレイにして自然界にゴミ押し付けている人類だってそうだ。

結局俺も何かに犠牲になってもらうことで生きている。

だが俺を犠牲にして生きようとするやつらは許せない。

許さんぞ。自分勝手意見のようだが、

食べないと生きていけないけど自分が食べられるのは嫌だというのは別におかしいことではない。

2018-09-30

anond:20180930205514

捨てられるという不安が、老人たちを老人自身のための保守政治に駆り立てているとは思う。

 

まぁそもそもゴマ擦ったり、ミコシを用意したりとか、そういうの自体ウンザリで捨てらてているんだけど、

もう思考様式も変えられないし、このまま突っ走るしかない。って感じ。

 

若者もこりゃ話の余地がない、と諦めて突っ走る。

 

雑だけど、祖父/祖母世代・父/母世代・子世代、いっこ世代を挟むと政治的利害が対立する感じは強い。

多分、すぐ解決しないから。自覚があるなら、自分の周りで、できる範囲で、世代間のコミュニケーションを図るしかない。

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