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2017-12-14

うちは母子家庭で、母親は父の死後、半官半民で退職した公務員天下りしまくってきているような小さな会社正社員として働いていた。

そんな会社からいろいろと理不尽な目に遭ってきたのだが、中でも理不尽だったのは祖父が亡くなったときだ。「相続お金が入るだろうから」という理由で近々に予定されていた昇給がなぜか数ヶ月見送られ、ボーナスまで減らされた。数年前のことだが、今考えても何だったのかと思う。

急にこんなことを増田に書く気になったのは、https://togetter.com/li/1180855 とか、ほかにもいくつか、発展途上国の人たちをこの国の一部の人たちが、低賃金奴隷のように働かせている事実を書いた記事を読んだからだ。

そういう現代奴隷制を敷いている人たちの理屈はきっと「相続お金が入るだろうから」に近いんだろうなと。「君たちの国とは物価が違って、こちらでは差額でも本国に遅れば大金になるのだから」というような考えなのだろうと。同じ労働内容であれば、この国で普通に働いている日本人たちと同じ対価を、外国人にも払うべきなのに。

奇妙な理屈自分を騙し、他人を苦しめて恥じない人々はみんなくたばってしまえよ、と思う。

2017-12-13

anond:20171213121417

横だけど。田舎と都会で見えてる景色が違うんでないか

田舎複数世帯が多いので、そうなる。

ただ県別の母親就業率でみると、意外と地方女性は働いてる。その分析として祖父母の育児参加が指摘されてはいる。

田舎田舎専業主婦のあり方はあると思うけど)都市部高度成長期人材獲得のために地方から若い人が集まって核家族専業主婦構成した、という景色もあるみたいですよ。

今は都市部でも専業主婦なんてファンタジーなんで保育園が足りない、みたいになってるが。

https://anond.hatelabo.jp/20171213121119

自分記憶とは微妙に違うな

当時は3世帯同居が当たり前で

祖母祖父の世話と、子供の世話と、家事旦那の世話を

専業主婦にならなければ担えないという話だった気がする

anond:20171213114524

それで今孫育児ノイローゼとかで問題になってるけどな。

どうせ祖父は何もやらず、祖母に全てが任されるわけで

祖母にしてみたらようやく子育てから解放された所でまた孫育てなんて真っ平だ、と考えるし

晩婚化で昔の祖父母より年食ってて体力もないのにワンオペ育児なんか出来るわけない。

田舎3世代同居&孫を祖母丸投げ、が出来るのはそれだけ女性地位が低いからだよ。

田舎で嫁として長年奴隷扱いに耐えて来た祖母は、年食って孫の奴隷させられても我慢するけど

保育園が足りないような都会は、祖母世代も割と自由に生きて来てる訳だからそんなの我慢しないし

若い女もそんな奴隷乙な結婚なんかしたがらない。

anond:20171213113729

からこそ福井県のような3世代同居世帯

子育て教育が上手く行ってるってモデルにされるんだろうね

 

しかしたら、今後オンライン在宅勤務や

企業工場一極集中が解消されることで3世帯同居が見直されて

子育てを親だけでなく昔みたく祖父母も手助けしてくれるようになるかもね

2017-12-12

家族のせいで食事しながらの会話が苦手

家族のせいというか祖父のせいだけど、

家族揃って夕食を食べるとき、決まって祖父

誰も聞いていないのに、独り言の様に、永延と話をする

会話のキャッチボールらしきものが無いからか、自己完結した話だから

他の家族はほぼ話さな

たまに妹とか母、祖母が話すぐらい。

あ、その話4,5回は聞いたよっていうのもある

  

他の家族交えて話続いたなって思ったら

父の発言祖父が突っかかって喧嘩になったことが多々あるので

余計な事言うまいと、さらに話さな

 

じゃあ祖父以外の家族は無口なのかと言われたら、そうではなくて

祖父がいない時はめっちゃ喋る、いや本当にめっちゃ喋る。俺は喋らないけど

今思えば、「みんなが話さないから俺が話してやる」

と思って祖父は話していたのか

あるいは認知症に通ずる何かの病だと思うのだけれど。

 

こんな環境で育ったからか食事の場では黙るという習慣がついてしまった

 

今はまだ学生から何とかなっているが(なっていないのかもしれない)

食事の場での話し方」みたいなスキルが明らかに乏しい気がする

「話し方」のスキルというかコミュ力自体そもそも無いけど

 

こんな感じの環境で育ったので食事しながらの会話が苦手、給食とか特にそう

同じような環境で育って、食事しながら話すの苦手じゃない人いたら教えて下さい

 

ちなみに、祖父が亡くなってから初めての夕食で父が

「静かやなあ」

って言ったのが印象的でした

anond:20171212091316

娘さんとお祖父さんの接点が薄かったのかな。

あるいは結構気難しい人で娘さんがお祖父さんを嫌ってるとしか思えない……

ガンになっても帰ってこない娘

父親ステージIIIのスキルス性胃がんだと診断されて

医者によると「もってあと1年」というというところらしい

それで今毎日のようにお見舞いにいってるんだけど

それを18年前に上京した娘にLINEで伝えても、一顧だにせず実家に帰ろうとしない

曰く「私が帰ることで祖父のガンが治るなら帰るけど、そうじゃないので帰らない」とのことだった

いや、そういう問題じゃないでしょ・・・ 育て方間違えたかなぁ

2017-12-11

anond:20171210190440

自分以外にもこんな感じの人いるんだな。つられて、つい自分語りをしたくなったよ。

自分はこの元増田より2−3年下だが、うちも両親中卒だ。おかげで高校入るくらいまで大学というものがどういうものかさえよくわかっていなかった。それどころか勉強を親に教わった記憶がない。

なにしろ小学校の高学年の頃には、勉強に関してははっきりと自分知識能力母親より上だと認識していた。親から勉強を教えてもらった記憶など、小学校以降ない。父親父親勉強のじゃまばかりしてくる。なにしろ家で勉強をしていると酔っ払った父親に家で勉強なんかするな目障りだと怒られる。

おかげで高校まではテスト前にちょっと復習するくらい(親が帰ってきたら止める)で、のびのびと過ごさせてもらった。

たまたま中学の成績が良かったので、ろくに勉強もせずともぎりぎり大学進学できる程度の高校に入れたのが僥倖だった。その高校公立で家から自転車で通える範囲だったのも幸運だった。貧乏な家だったので電車通学が必要だったり私立だったりしたら止められていただろう。

その高校に入って2年目くらいでようやく気がついた。このままじゃ面白そうな職、面白そうな仕事にはつけないぞと。世の中にある面白そうな仕事弁護士大企業エンジニア作家官僚パイロット建築家ーそういった物の多くは大学を出ていないとスタートラインにもたてないらしい。はずかしながら高校生の半ばまでそんなことさえ知らなかった。

そこから必死になって勉強した。勉強してないのは飯食ってる時間、眠っている時間部活時間くらい。それ以外は全部勉強にあてた。3年になって部活が終わってからは飯、勉強、飯、勉強、飯、勉強、寝る、の毎日。おかげで高3のころには県でも上位の成績を取れるようになっていた。

だが、それが父親には余計気に食わなかったらしい。親戚の話によると中学の頃まで父親の成績はけっこう良かったのだが、その父親(私の祖父)がアル中でろくに働かないせいで進学を諦め、中学をでるとすぐ働き出して弟妹達を高校まで行かせたそうだ。泣ける話だ。だがそのルサンチマンであたりちらされる子供にとってはとんでもない災難だ。

家で勉強しているのを見つかると怒鳴られる、酒をかけられる。夜中に泣いて家を飛び出したことも何度もある。毎日家に帰りたくないと思っていた。何ヶ月も父親と口を聞かないこともあった。そのうち不憫に思ったのか叔父や叔母が仲介に入ってくれて、物理的な嫌がらせは止まったが、それでも家で顔を合わせると「誰の金で食わせてもらっていると思っていやがる」などの嫌がらせ言葉が飛んでくる。3年の夏休み頃、一時的に成績が落ちたのを挽回しようと家で勉強していたら家業の手伝いをさせられた。たのむから勉強させてくれというと「お前が勉強するための金はどこから出ていると思っているんだ?」という答え。その後なるべく家では顔を合わせずにすむようにしつつ勉強を続け、成績ももどり、どうにか東大に入った。(嘘だろうって?そう思うんなら勝手にそう思ってろ。しょせん増田だ。)

高校最後一年くらいはこの家から早く出たいという気持ちが、将来ひとかどの人間になりたいと思いと同じくらい強くなっていた。家を出ることができて心の底からほっとした。東大に入ったことよりもそちらのほうが嬉しいくらいだった。その後大学院まで進学し、外資系就職し、今は海外からこの増田を読んでいる。

益田と同じように両親をうらんいるかときかれれば、恨んではいるが仕方がなかったことも理解していると応えるしかない。それは当時から同じだ。自分学歴コンプレックスから優秀な子供邪魔をし芽を摘む一歩手前まで行ったことは今でもゆるせないが、同時に、自分より劣る弟妹を高校に進学させるために中学を出て働き出したというエピソードには一人の人間として畏敬の念を抱かざるを得ない。

高校の時以降、親を頼ろうと思ったことなど一切ない。その点ではまったく恨んでなどいない。ただ、恵まれ同級生たちをみて、自分の親が彼らの親のようだったら、自分ももっと素直に育っていたのだろうか、同じように青春人生幸せを感じ取れたのだろうかとつい詮なきことを思い浮かべ悲しくなるくらいだ。高校をでてからはろくに実家にも帰らなかったが、初孫にあたる息子を連れて行った時は、本当に喜んでいた。その姿をみて毒気が抜かれた。自分が生まれた時もこんなふうに喜んでいたのだろうかなどとさえ思った。

その父親はその後病気になり後遺症で口さえ聞けなくなった。たまに一時帰国時に入院先に見舞いにいっても、言葉にならない声を出すばかり。ただ目には喜びがうかんでいる。子供の時には仲の良い親子だった。その頃の気分になっているのだろうか。それとも俺のことな無視して孫達に会えたことが嬉しいのか。話が聞けないので、それはわからない。

anond:20171210232636

そうです。納得がいかないです。親じゃなくても祖父母でもです。

たとえば、寝たきりであっても、意識がはっきりしている方にはきついと思いますし。

80歳を生きる上でのマイルストーンとして、寝たきりや認知症になった時の本人の意思確認する、程度ならまだわかりますが。

2017-12-09

親戚の青年20代自殺した

思い出す。

の子が幼い頃、私が付き添って近所の公園遊んだ

ターザンロープ遊具で、私が背中を押した。

強く押しすぎて、

向こうの終端に勢い良くぶつかり、

弾みでその子が地面に叩きつけられた。

「やべえっ」と急いで駆け寄ったが、

の子は泣かなかった。

ぐっと涙をこらえていた。

強い子だなあと思った。

の子高校ラグビー部に入ったと聞き、

上の事を思い出して「やっぱり強い子だったんだな」と思った。

の子大学中退し、

数年修行した後で個人飲食店を始めた。

それが上手くいか自殺した。

若い頃の失敗は自分にもある。

配送仕事で、職場のおばちゃんから少しキツイことを言われ、

そのショックで配送車ごとバックレた。

自分も死のうと思ったが、

勇気がなくて2日後に戻り、解雇された。

祖母の事も思い出した。

私が小さい頃の祖母は、どっしり構えて貫禄があった。

実家も嫁ぎ先も農家から、戸惑うこともなかっただろう。

そう考えてた。

ほんの数年前に祖母本人から話を聞いたが、

祖母女学校に通っていて、結婚するまで農作業経験しなかったそうだ。

慣れない仕事だし、ヒルが脚に張り付いて血を吸うのが嫌だった。

何度か実家に逃げ戻ったが、その度に義父(私の曽祖父)が優しく迎えに来た。

この曽祖父は、昔聞いた話では競輪にのめり込んで借金を作ったらしい。

それを祖父夫婦が苦労して返済したというから

ろくでもない人だったんだろうなと思っていた。

が、今回の話で印象が変わった。

父は曽祖父に懐いていたというし。

そして、押しも押されぬ(訂正: 「押しも押されもせぬ」)オフクロといった風格の祖母が、

嫁いだばかりの頃は何度も逃げ出していたということに驚いた。

親戚の青年に話を戻す。

借金もあるだろうから

「周りに相談していれば」「いったん逃げていれば」

などと簡単には言えない。

だが…。

地面に叩きつけられても涙をこらえていたあの強さが、

いさぎよすぎる早まった行動に結びついたのでは、と感じる。

悩みを打ち明けることなんて、自分もできない。

引きこもり中年が板についた自分でも、

恥ずかしくて情けない体験談は、やはり人前では話せない。

だが、ここなら書ける。

自分自殺するかもしれないが、

その前に、ここに失敗談を書き残したい。

技術進歩すれば、

死にたい…」と口にしただけで

ウェブから失敗談を集めて読みやすく整理して、

「開き直ってもいいかもよ」と

助言してくれるようになるかもしれない。

そんな未来のために

の子と私と祖母の話をここに書き残しておきたい。


(追記: 2017年12月12日)

たくさんのコメントありがとうございます

感情に任せて投稿した後、後悔したり疲れ果てたりで、しばらくこのページを開くことができませんでした。

気持ちが落ち着いたので、返信と補足をします。

ブコメ: 「辛くて実家に逃げ帰る度に義父が迎えにくるとか最悪」

祖母が私に話した時点では、曽祖父はもちろん祖父も亡くなっていました。

この話は、私が職の定着に失敗し続けていた時期に、祖母と私の2人だけの場で話してくれたことです。

そのような状況で嫁ぎ先に遠慮して、本当は強引に連れ戻されたのに「優しく迎えに来てくれた」と嘘をつく必要はないと思います

また、私がその場で「ひいじいさんは競輪借金を作ったって、昔、聞いたことがあったから、ろくでもない人なんだと思ってた」と言うと、祖母が「そんなことないよー。優しい人でね。あんたの父さんもよく懐いてて、じいさんが死んだ時はワンワン泣いてたもの」と話してくれたので、やはり、強引な感じで連れ戻したのではないと私は思います

ただ、曽祖父が迎えに来た反面、祖父は夫として家の長男としての立場のため迎えには来なかったそうで、「ああ、昔の社会はそういうものだったのか」とは感じました。

ブコメ: 「死のうと思ったけど死ねなかった人が自殺した人をとやかく言っても説得力がない。彼は強いか死ねたんだよ。」

その青年は私よりも背が高く、体つきも良く、身びいき抜きでイケメンでした。

肉体的にも精神的にも、間違いなく私より強かったと思います

しかしどうしても、彼の死について、とやかく言いたくなります

自分能力過大評価したり、目標を高く設定したり、「こうしなければ」と自ら重荷を背負うことは、誰にでもあると思います

特に若い頃は。

私は今でもそうですが、長い引きこもり期間と心療内科への通院を経て、ようやく自分のペースを掴んできたと思います

そして自分若い頃を振り返ってみると、能力のないくせに自信過剰で、何でも真に受けて深刻に捉えてしま人間だったと感じます

暴走して職場迷惑をかけて、辞めて、死のうとして、それを何度も繰り返して、ようやく「根本価値観に無理があった」と気づきました。

嫁いだばかりの頃は何度も逃げていた祖母は、結婚2年目に子供が生まれからは落ち着いたそうです。

それは、祖母が農作業に慣れて体を鍛えて強くなったおかげもあるでしょう。

ただ、私の想像ですが、1番の理由祖母なりのペースを掴んだおかげではないかと思います

私が小さかった頃、盆暮れ正月帰省するほかに春に田植えを手伝うこともありました。

その時の祖母は、よく休憩を呼びかけていました。

もちろん歳のせいもあるのでしょう。

しかし、急がず焦らず、しかしたゆまずに働き続けるあの姿勢が、祖母がたどりついたマイペースだったのではないかと、今、そう考えています

私の父についても話します。

父は自営業で、今も四六時中働き続けています

私はそのおかげでこの歳でも自室に引きこもっていられるのですが、昔はその働きぶりを真に受けて真似しようとして、調子を崩すことがありました。

ただ、ずっと働き通しに見える父も、時折休憩したり、ふらっと散歩に出かけたり、洗車したり、夜には酒を飲んだり、夜中まで仕事した時は遅く起きたりして、極端に疲れないように気をつけているそうです。

私と違って立派に働いている兄も、つらい時は酒を飲むと言っていました。

私の周りの人々の「無理のないマイペース生き方」を思い出すと、あの子マイペースを掴む前に亡くなってしまったのではないかと、そう考えてしまます

借金を抱えた段階ではどうしようもなかったとしても、経営状況が悪くなり始めた時、出店する前、大学中退する前などに、彼が悩みを打ち明けやす環境を整えられなかったのかと考えてしまます

心を病んだ私のような人間が親戚にいるのに、なぜ私はその方面での支援ができなかったのかと悔やまれます

…ただ私は、調子がいい時は無職のくせにお節介を焼きたがって、のめり込みすぎて疲れ果てることがよくあるので、どこまで役に立てたのかは分かりませんが。

上のような事情があり、「親戚の連絡を密にして再発防止を!」などの分不相応な行動を起こすのは控えて、ウェブの力を信じて、この話が誰かの役に立つことを願って投稿しました。

批判的なコメントいただきましたが、「確かに自分思い込みが強すぎる」とうなずくことも多く、自分手綱を引くことができました。

また、「押しも押されぬ」が誤用だとは知らず、びっくりしました。 ( ×「押しも押されぬ」→○「押しも押されもせぬ[=しない]」 | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所 )

そして、暖かいコメントをいただいたことにも、もちろん感謝しています

本当にありがとうございました

2017-12-08

昨日の話

昨日、つまり2017年12月7日の事だけど、1週間前に録画したドラマを見ながら、もし放送日にこれを見ていれば、その2日後にちょうど3年ぶりに偶然再開した昔の恋人との会話は、ドラマの話で盛り上がったに違いなく、再縁ののち、1年後には結婚でもしてたかも知れないな、なんて15年前の思春期自分が良くしていたような都合の良い妄想をしてるうちに、10日後に控えた祖父の4回忌の法事に着ていくスーツクリーニングが一昨日仕上がってることを思い出して、閉店に間に合うように自転車で急いで向かったら、運悪く道路の段差転んで全治2週間のけがを負ってしまった。

問題:俺がストロングゼロを飲んだのはいつか?

2017-12-06

anond:20171206163250

何年か前に死んだ爺さんは、軍人だった。

なので、年金軍人恩給を貰っていて30万ぐらいだった。

数年前は90代で亡くなった。施設に入っていたけれど、死にそうになる直前に自宅に戻されるのだよな。

生きていたら今頃は100才か。

考えてみたら、後期高齢者医療費無料なの?それか1割負担程度か。

  

年賀欠礼挨拶とかで、知人の祖父母100才代とか見ると、ビビるよね。。

2017-12-05

農家の朝食がパンだった。

私の祖父農家であり米を作っていました。米を作っていたのに、朝食はご飯では無くてパンでした。

コーヒーパンを浸し食べていました。

そのことに疑問を持ったある日、祖父に聞いてみました。おじいちゃんはお米を作っているのに朝食がパンなのは何故なのかと。

それは、糖尿病だったときの習慣だそうです。

祖父糖尿病になり、糖分の摂取を減らそうと、朝食をご飯からパンに変更したそうです。

糖尿病が治っても、朝食にパンを食べるというのは習慣として残り、ずっと朝食はパンなのだそうです。



追記

糖尿病は治らないのでしょうか。そうなら、治ったと祖父が言ったというのは私の記憶違いですね。

ともかく、ご飯に変えても良いのに習慣でパンを食べているそうです。

ところで、糖尿病って、ご飯をパンに変えなければならないほどなのでしょうか。当時はそちらに驚きました。

パンでも大して変わらないのなら、祖父のご飯からパンに変えたというのは本当に意味の無い習慣だったことになりますね。

そういえば、ご飯からパンに変えたというのは医者の指示だったのでしょうか。それとも本人の考えだったのでしょうか。

祖母のお見舞いに行ったら仏様を見た

祖母がお見舞いに行く前に死んだという話ではない。

祖母はまだ生きてる。

生きてるけど、もう会話もできないくらいに弱ってる。

夏に帰省した時はまだ自分トイレに行ったりできるくらいには元気だったけど、先日倒れてもう長くはないそうだ。

祖母も九十を超えているので大往生だろう。

祖母がなくなること自体覚悟できているつもりだ。

から、倒れたとの報を受けた時も来るべき時が来たって感じで冷静だったと思う。

からできるだけ早くお見舞いに来るようにと言われ、都合をつけてお見舞いに行った。

このとき祖母の状況を詳しく聞いていなかったから、病室で自分で体を起こすこともできず、会話もできない祖母を見たとき大きな衝撃を受けた。

思えば祖父ふたりとも亡くなってるし、伯母も亡くなってるけどどれも子供のころだったり、ぽっくりだったり、事故だったりで、身内が衰弱していく様を見るのは初めてだった。

ともかく大きな衝撃を受けて、衝撃から立ち直るときに仏様を幻視したのだ。

仏様はそっと微笑んで、OKマークを示しておられた。(あのOKマークってどういう意味なんだろう?)

私は一応仏教徒だが世間様と同様ただの葬式仏教だ。

特に信心深くもないし、寺巡りが趣味というわけでもない。

TVを除けば、最後にまともに仏様を見たのは高校日本史資料集かもしれない。

そうした自分がこの状況で仏様を幻視する理由は何だろうか?

一番わかりやすいのは理不尽で無力な状況における八つ当たり対象だ。

仏様はすべてを受け止めてくださる、などと普段から考えているわけではないが、そう考えると一応説明はつく。

でも、なんで仏様だったんだろうか?

イエス様でもなく、ほかの宗教的アイコンのいずれでもなく、仏様だった理由は?

やっぱりなんだかんだいっても身近だからだろうか。

けど、私にとって仏様と言えば立川に住むパチモンが一番身近なのだが。

そもそも私が幻視した仏様のオリジナルはどこにあるのだろうか。

とっさにあの微笑みを思い浮かべられるほど仏様を凝視たことなどないと思うのだけれども。

私の脳が作り出したにしてはあまりにも堂のいった微笑みっぷりだったし。

わからん

私の脳はどのようなシナプスを経てあのイメージを作り出したのか。

機能に詳しい方教えてください、

あと、こういった体験普遍的ものなのか詳しい方教えてください。

まさかこれは特別体験で私には悟りの才能が!?

 

とにもかくにもこのお見舞いを通じてSF体験をして、S信心深くなったのでした。

ちゃんちゃん

今ならわかる

小さい頃祖父からチョコチョされるのが嫌いだった。ずっとコチョコチョされて、泣くまでやめてくれなかったから。

でも、子供まれて、最近5か月すぎてようやく子供がコチョコチョで笑うようになってから、なんとなく祖父気持ちがわかる。

笑ってほしかったんだろうなぁ。

笑ってる子供ってめちゃくちゃかわいい笑顔とかずっと見てたいし、笑い声もずっと聞いていたい。

祖父は口下手だったし、子供と遊ぶのも慣れてない人だったから、もうコチョコチョで笑かすしかできなかったんだろうな。

やりすぎはよくない、と思いつつ、今日今日とてくすぐってしまう。

こうやって、なんか親からされてちょっとうざったかたこととかも、ちょっとずつ愛情由来のものだったんだなってわかっていくんだろうな。

2017-12-04

中国在住10年、日本在住10年の雑感

中国について書けばバズると聞いて。

中国人だけど日本受験した大学生です。

実家北京から新幹線で2時間弱)に毎年帰っているのでそこらの雑感でも。南の方のことはは知りません。

1. 金盾について。

日本から出張旅行で行く場合は少しの事前準備で回避できることは今まで書いてきた方のおっしゃる通り。

ただ、中国内でのVNPなしのLINE使用場所によってできる場合もある。

実家近くの個人宅で多く使われているケーブルテレビ系のWifiでは使えない模様?

飲食店Wifiでは案外使えたり、祖父母の家のWifiでは使えなかったりと、運に左右されるのでVNPは安心

また、Google等のについては、中国国内中国人最適化されたWebサービスが構築されているため、

現地人は全く不便を感じることはない。なんなら、電子マネー含めて日本より便利だと感じることが多々。

たとえば、学術書を含むほとんどすべての紙書籍QRコードがついており、

出版社公式アカウントをすぐフォローできるようになっている。

追加情報を得る場合アドレスタイプする手間が省けるので、これが案外便利なのだ

なお、Gmailが使えないのが不便、からGoogle遮断文化的影響まで、

批判非難中国からもさまざま出ている。

が、なにせ人数が多く、海外に住む中国人も多いため、遮断されている情報もすぐ入ってくる。

なぜかtumblrは未だに中国国内から使える。

2. 電子マネーについて。

知り合いで弁護士のお世話になった方がいるのだが、弁護士費用電子マネーでやりとり。

そして、契約書も、画像送信スマホ上の画像サインで済んだ。合理的である

実家地方都市は、深センのようなIT都市ではないため、屋台にまでは普及していなかった。

老人が多いので現金で払っても驚かれはしない。

ただ、日本移住したのが早すぎたせいで二世身分証も口座も持っていない私には正直めんどうくさい。

外国人にとってはより面倒くさいと思うが、中国は今のところ観光産業に力を入れる理由がないため、

改善される日は遠そうだ。

現在中国観光産業は非常に盛んだが、これは国内での移動が大半)

3. 交通手段について

今までのエントリでは地下鉄がある程度評価されているのだが、

個人的には、混雑がひどいし、かゆいところに手が届かないと感じている。

中国語が読めれば、どの都市でも本数の多いバスがかなり便利に使えると思う。

たとえば、北京市では地下鉄は3〜6元だが、バスには1~2元で乗ることができる。

中国人としては、地下鉄は高い!というイメージになってしまう。

駅間の移動も、地下鉄駅→汽車新幹線駅に移動したい場合

荷物を持って歩かなければならない期間が長く、不便。

また、北京だと渋滞がひどすぎて地下鉄が優位になっているが、

実家のような地方都市ではまだまだタクシーが便利。

電子マネーシステムを利用した乗り合いタクシーも広く使われている。

4. 治安社会雰囲気

中国治安日本より悪いとは私は思わない。

ではどこが異なるのかといえば、日本をはじめとして先進国では、行政が頼りになる。

これが中国との最大の違いだと思う。

中国では、行政は頼りにならない、と誰もが思っているし、実際頼りにならない。

行政相手手続きをしようとすれば、めちゃくちゃたらい回しされることが日常茶飯事。

習近平汚職改革で、賄賂物事スムーズに進めることもできなくなってしまった。

これは中級階層にとってかなり不便になった……という感覚

よって、ますます合理的にならざるを得ないのだ。


5. 最後

中国は北と南でも随分雰囲気が違うし、上海北京では都市雰囲気がまったく異なる。

最後は、北への旅行おすすめ食べ物をいくつか書いておく。

煎餅菓子…揚げ玉のような味のパリパリにみそ(醤)を塗り、卵とともにクレープで包んだもの。おいしい。

・油条…いわゆる揚げパン。揚げたてを豆乳豆腐脳(とろとろの豆腐)といっしょにいただくのが最高においしい。

・炸醬麵…日本ジャージャー麺とは違い醤も具(もやしキュウリ大豆など)もたっぷりで食べるのがおいしい。

牛肉麺最近日本でも流行っているが、本場は麺が違うと思う。パクチーをかけすぎないのがおいしい。

北京ダック…北京にはたくさんおいしいお店があるが、気軽に入れるチェーン店(全聚德とか)でも安くておいしい。

・稲香村…空港でも買える中国の老舗お菓子メーカー植物油を使ったクッキー・桃酥がおすすめだが全種類おいしい。

イスラム料理中国では「清真」と言われる。小麦粉を使った料理と、羊を使った料理は何でもおいしい。

汚い屋台ほどおいしい法則中国ではあるので、日本人の皆さんにとっては抵抗が大きいと思いますが(特に煎餅菓子と油条)、

ぜひホテルフロントの人に「朝ご飯はどこで食べますか?」と聞いて、美味しいお店を探してみてください。

中国人は、「ごはんもう食べた?」「なに食べた?」「どこで食べた?」の話をするのが大好きなのです。

2017-12-03

笑い事じゃなかった「FXで有り金全部溶かす人」

タイトル飛ばし気味かつFXではないのだが、ショックだったので。

祖父が亡くなり、親が実家に帰ったのだがそこで発覚した事実

祖母はだいぶ昔に亡くなっている。

独身で単身、祖父介護をしていた伯父。

その伯父が、祖父年金やら退職金やらを、10年近くかけて株などで溶かしてしまった。

本来なら1000万円近くあるはずの祖父の預貯金がほぼ0になっていた。

欲に目がくらんでというより、少しでも伯父自身の将来のため、

祖父介護用の資金のために「資産運用」をしようとしていたらしい。

「買ったら下がり、負け分を取り戻すために追加資金を使って別のを買ったらそれが下がり・・・

を繰り返した結果だそうだ。

典型的過ぎて笑えなかった。

フィクションでよく見る話が実際に自分の周りで起こって、衝撃を受けた。

2017-12-02

家の中が寒いっておかしくない?

冬になると家の中が寒くなるんだけど

この事実20数年おかしいと思わなかった

なぜならそれが当たり前だったか

でもちょっと前に断熱窓に興味を持って

色々調べてみたらこブログに行き当たった

日本住宅が、あまりにもアレすぎる件

http://www.ikuru.net/blog/archives/2009/01/post_893.html

自分の住んできた家があまりにもお粗末なものだと知った

調べていて薄々そうなんじゃないかと思ってたけどこれを読んで納得した

このブログ以外にもいろいろ調べてみて

思った以上に日本家屋法律が駄目な事を思い知った

そして自分が断熱住宅に色んな誤解や偏見を抱いていたことも知った

一応2020年から断熱も義務付けられるみたいだけど正直言って遅すぎるし

俺が生まれる前に義務付けとけ今まで寒かったんだぞクソバカどもが死ねと思った

あと北海道は既に断熱住宅が晋及してて家の中が寒くないことを知った

そんな事すらつい最近まで知らなかった

といっても北海道の全てがそうではないのかもしれないし

他の寒冷地豪雪地帯にも断熱住宅は晋及してるのかもしれない

実熊はよくわからないけど完全普及してるのなら本当にうらやましいし

自分五十嵐裕美が好きで虎が好きなのもうなずけた

ずっと福岡に住んでるけど冬が来るたびに家の中でも寒さに耐えてきた

控えめに言って寒かったし今年も当然寒い

暖房は晋通に使ってたけどやっぱり家自体寒いダメだなと今は思う

あと「福岡出身です」って言ってるのに

間髪いれずに「九州の人なの?」「九州出身かぁ」って言うやつらなんなの?

福岡だよ」って言っても「福岡九州でしょ?」って言うあの女はなんなの?

九州福岡)なのにマジ晋通に寒いんだけど」っていうやつは下鯛べしてから来い

いろんな負の条件が積もり積もって日本の家は寒すぎるわけだけど

中でも一番ひどいのが窓だと思う

そもそもなんで窓とシャッターを完全に締め切っても窓際が寒いんだよ

なんかちょっとずつ冷気が流れ込んでくんのはどう考えてもおかしいだろ

あれは絶対アルミサッシのせいだけじゃないだろ

根本的に窓がアレなせいで暖房を使っても熱が逃げるし

そのせいで部屋の中もそんなに暖かくならないし

廊下に出たらすごく寒いし寒暖差が激しいし

暖房を消したら消したですぐに熱が逃げて寒くなるし

から朝起きて布団から出るとき寒いし寒暖差が激しいし

家全体としてみるとすごく寒いし寒暖差が激しい

そういう理由で厚着する必要がある

でも家の中なのに厚着するとかおかしいだろ

家の中ではシャツと短パンでいるのが晋通なのに

厚着して布団に寝転がっても全然快適じゃないのわかってるか?

もつ最近までそんなのも当たり前だししょうがないと思ってた

でもそんなのが当たり前というのはやっぱりおかし

日本国土の半分以上が豪雪地帯指定されるぐらい寒い国なのに

寒さに対する対策をこんなにも欠いてるのはハッキリ言っておかし

アルミサッシは今すぐ違法しろ結露窓は今すぐ飛び降り

そもそもなんでちゃんとした断熱住宅が晋及しなかったのか?

なんで法律で断熱をちゃんと義務付けなかったのか?

なんかの利権がらみのよくわからないやつだったのか?

だったらそういうのホントにやめろクソバ力どもが死ね難しげな話するな死ね

そう思ったけど

それだけってわけでもないのかもしれない

結局のところ「冬でも家の中は寒いのが当たり前」って

日本人の大部分が当然のように思ってるから変わらなかったんだと思う

今までの俺がそうだったように

皆がそう思ってるから問題問題とも思わないし思えない

ほぼ誰も話題にしないという点では働きすぎ文化より根深い間題かもしれない

大部分の日本人にとって断熱住宅は身近なものじゃなかったという不幸

法律を見直そうっていう政治家だってそら出てきにくかったろうな

でもだからこそこれだけは言っときたい

一時期ヒートショックで死者多発とか話題になってたけど

これの根本原因も日本の家が寒すぎるからだと思う

風呂場との極喘な寒暖差が生じてしまうのも

日本家屋法律がアレすぎて断熱が徹底されてこなかったからで

もし徹底してれば風呂場が外気温とほぼ同じになるなんてありえないわけで

俺がもうちょっとくそのことに気付いとけば

祖父ヒートショックなんかで死なずにすんだろうなって思うわけで

こんな問題俺が生まれる前に解決剤みであってほしかったわ

Этот бурый медведь ест людей.

とにかく根本原因に言及されてるのはほとんど見たことなくて

当時のニュースでも全くといっていいほどそこは取り上げてなかった

風呂場との寒暖差には言及してもそこから先には全然進まなかった

そうなるのってやっぱりメディアの人たちも

家の中は寒いのが当たり前って思ってるからだろうなって思うわけよ

から改めて言うけど家の中が寒いのはおかしいんだって

ヒートショックの原因はそもそも日本の家が寒いからなんだって

日本の家は地震には強いかもしれないけど

寒さには本当にどうしようもないくらい弱いよ

そういう面では日本の家は全然すごくないのよ

日本の家は今まで見たなかで最高にクールだったよ!」(20代男性 / 日本

「本当にクール体験だったわ!故郷じゃ味わえないもの!」(20代男性 / 日本

「僕は夏に滞在したんだけど最高にホットな家だったよ!」(20代男性 / 日本

そもそも地震に強い家が作れたなら寒さに強い家も晋通に作れたろ?

もし作ってたけど晋及させなかったなら尚更どうしようもねえな

こないだウラジオストクの友人に会いに行ったら家の中が本当に暖かかった

日本と違ってロシアの家は暖くてビックリしたよ」って言ったら

「嘘だろう!?日本先進国じゃなかったのかい!?」ってビックリ射精された

こっちも恥ずかしさと悔しさで思わず射精してしまった

街には綺麗な女性が多くて思わず射精した

美人は年をとっても美人なんだなと思うことしきりだった

渡辺篤史射精すること間違いないよ

追記

返信:anond:20171203032427

みんな外断熱+熱交換器+low-e複層ガラスの優秀さが分かってない。

優秀さを分かるかどうか以前に

これら三種の神器存在すら知らない人間ほとんどだと思う

なんといっても日本人の大部分が断熱住宅とは無縁なんだから

かくいう俺だってまだちゃんと実物を見に行けてない

それとlow-e複層ガラスってやつに関しては

普通ガラスとどういう違いがあるのかっていうのを

最初簡単言葉説明しとかないと分からないと思う

名前からしてなんか難しそうな代物なんだから

というか外断熱というのは具体的にどういうものなのかとか

そういうところから啓蒙していくべき段階なんだと思う

ゼロ・エミッション住宅についても同様だと思う

そもそも政府がちゃんと広報してないことが悪いんだけど

結露や夏場の暑さ、湿気にも強いのに。

以前の俺は断熱に対してあらぬ偏見を抱いていた

具体的には断熱すると夏場は蒸し風呂になるんだと思っていた

からこういう情報に初めてぶち当たった時ビックリして射精した

あと窓は結露するのが当たり前だと思っていたので

結露する窓は駄目ゼッタイ」という文言にも?状態だった

それと湿気に強いってところは理由を詳しく教えてほしい

そこは一番の売りになる部分だと思うから

内地建築士特に意識が低い。

ここはもっと具体的に箇条書きで欲しい

北海道技術屋の人たちに有って彼らに無いものとは何なのか

そもそもいつどういう機会にそのことに気付いたのか

そして技術屋というのが具体的にはどういう人達なのかも知りたい

実際に家を建てる人たちなのか設計する人たちなのか

それともの断熱の専門チームみたいのが存在するのか

北海道技術屋は「吉田兼好呪い」といってる。

あいつは歴史から抹消した方がいいクズだと思う

才色兼備たる清少納言と並列で語られるのは不愉快まりない

ただ紫式部かい勘違いクソ女よりは若干マシな部類だろう

札幌市では、小学校体育館をまるまる外断熱施工して、人の体温だけで暖が取れるようになってるとこもある。大災害時の避難所になるから

このケースはもっと全国的に知られるべきだと思うけど

俺の住んでる福岡ではこの情報はたぶん全く知られてない

この国が無駄に縦長なせいで情報的断絶が大きい事を改めて実感する

でも北欧を見習おう的なのよりよっぽど身近でいい例だと思う

なにより日本語情報が得られるしね

この際だから札幌市にはこの分野の牽引役になって欲しい

断熱厚さ300㍉のゼロエミ住宅見学たことあるが、外は氷点下10度なのに

一体日本のどこなんだ

それも札幌市内なのか?

もし屋外射精したら即凍るのか?

効果EU証明されてるし、FITより楽チン。

効果証明されても日本に導入されるまですごく時間かかりそう

こなすべき”手続き”が多すぎて待ってる間に先に中国に普及しそう

あとFITというのも俺は初耳でどう楽チンなのか全くわからなかった

俺は素人で俄仕込みの知識しかいか可能ならそこも教えてほしい

2017-12-01

11月の寒さと暖かさ。

祖父母、両親と季節の話になった。

4人とも11月の気温差が応えたようだ。

でも、共通しているのが11月の「寒さ」は普通ってコト。

首都圏出身なので紅葉の移り変わりを地方と比べようがないけど

紅葉の色づきはもっと早く。11月の中旬ともなれば北風も強かったらしい。

でも、11月の暖かさは経験がないという。

地球温暖化って進んでいるのだな・・・・・・

2017-11-29

うちの父は家族より親が好きらしい

どうも、そうらしい

多分、母と結婚したのも

俺が生まれて、そこそこの進学校行かせて

都内大学に進学させたのも

家を建てたのも

独立して、起業したのも

俺を上場企業に入れさせたのも

すべて、祖母に自慢するためだ

とあるごとに、祖母を呼びつけ

写真を撮らせて、俺がこうしたからこうなったんだ

と、得意気に言う

俺たち家族は、所詮父親の自慢の所有物でしかないんだと、強く感じる

俺は、祖母があまり好きではない

祖父が亡くなったとき、母に対して、ろくに世話をしないで、毛嫌いしたから、死期が早まったんだと、根拠のない話を父親に吹き込んで、それを聞いた父は、激昂して、母親に辛く当たり続けた

その間に、母の親族が亡くなったんだけと、その時も、ろくに顔を出さず、うわべだけの態度で

うちに帰れば、母に対して、お前の運気が悪いから、不幸が起きるんだと、けなした

信じられないが、どうも、そういうことを祖母が話していて、それを父は鵜呑みにしていたらしい

どんだけ、てめえの親が好きなんだよ

そんだったら、一生親の家族暮らしてろよ

と、父に対して思ったが、

なんと、最近になって、その祖母をうちに住まわすことになった

父は、祖母と暮らすためにこの家を建てたようなもんだと、主張し続けて、嫌がる母を丸め込んで、同居させた

二世帯同居は、わかるが、なぜか、父の姉妹もうちに同居することになり、もはや、母の居場所はなくなった

度々の嫌みを聞かされ、ストレスがたまった母の愚痴を聞くのが帰省したときのお決まり

よく、母は耐えていると思う

こんな、理不尽父親祖母仕打ち

2017-11-26

小学一年の頃何故嫌われたのか。

幼児の時、祖父母の隣の家に仲の良い友達がいました。歳は同じ。

私たち小学校に上がって暫くしたらその子に嫌われました。

前は好きだったけど、今は嫌いになったのでもう遊べないって。

当時は残念だとしか思っていなかったけど、大人になった今、何故嫌われたのかなんとなく想像付いた。

実際に何があったのかは覚えていないので、想像ですけどね。

原因がなんであれもう遅い。

私のことだから、遅かれ早かれ嫌われることになっていただろうし。

今日学校休みになった・・・という電話

小学校低学年くらいの事である

なんらかの用があり、父と私で祖父母の家に行くことになった。

私が学校から帰ってきたら、父と一緒に出る予定だった。母は主婦だったので、先に出発していた。

ところが、出発の日の朝、私が学校へ行く前に電話が掛かってきた。

どうも学校休みになったらしい。なんだろうと思いつつも、予定を変更し朝から祖父母宅へ出発した。

それと私の記憶では、通信簿で1日変な欠席がついていて、母がこれなんだっけと言っていた学年があった気がする。

やはり、その学年が、この電話のあった年なのだろうか?つまり学校休みになったと、朝から祖父母宅へ向かったから欠席になった。しかし、小学校低学年が連絡もなしに欠席したら、電話が来そうなんだが。その日、電話が通じなくとも、後日聞かれそうなものだ。


本当にあの日学校休みだったのか。まさかそうは思えない。

はいえ、同級生からいたずら電話が掛かってきたとしても、父がそれに引っかかるとも思えない。

父が、私に学校を休ませて、出発することにしたとも思えない。

結局あれは一体何だったのだろうか。

2017-11-24

anond:20171124170543

>>「あ、そういう施設ってランドセル足りてないんだ」って思った

!!!

そうか、「ランドセルを贈ること」の意味って昭和の人にしか通じないんだってすごくびっくりした

昔はランドセル祖父から贈られるものだったから、プレゼントしてくれるおじいちゃん・おばあちゃんのいない施設の子はかわいそうだねという文脈があり

その文脈で読むと買えばいいじゃんじゃないんだよね、誰かが入学おめでとうとプレゼントしてくれるから意味のある物品だったのです

バレンタインデーチョコレートみたいなもんで

あのニュースとき、今時ランドセルって・・・保守おっさんノスタルジー入ってんなあ・・・って思ってたけど、そのとき若い人は素直な心で足りないのかーと思ってたんだな・・・

なんとも言えない気持ちになるや

2017-11-21

十年ぶりに同居し始めた妹がキツい

私が家族と別居し始めたのは、県外の高校に行き始めてからだった。

そのまま、両親は離婚してしまい、家族全員で住むことはなくなってしまった。

まり良い家庭環境ではなかったせいか、私も妹も弟もいわゆるメンヘラになってしまった。

しかし私は、何も無い田舎祖父母の家に引越し自分と向き合うことでなんとかメンヘラを克服できた。

まだ精神が弱いところもあって、辛いことがあったり少し無理をすると体調を崩すこともあるが、以前に比べれば自分のことを客観視できるようになったし、感情コントロールも上手になったと思う。

そして心に余裕が出来たせいか、次第に妹の悩み相談に乗るようになった。

妹は東京就職して、どうやら辛いようだったので、田舎平和で心が落ち着くよと引っ越すことを進めてみた。

妹は引越しを決意し、田舎にやってきたのである

それが間違いだった。

妹はあまりにも自分のことばかりを考える人だった。

話は大抵自分がどう思うか、自分の意にそぐわないことがあると、ふーんの一言で流した。

部屋がなかったので、一緒の部屋に寝ざるを得なかった。深夜まで彼氏電話をされた。なんだか惨めになってきて、布団の中でひっそり泣いた。

23時に寝ようとしたら彼氏電話してるから来ないでと言われた。

まりにも一緒の部屋に耐えられそうになかったので、押し入れになった部屋を掃除して、自分の部屋にした。

たくさんのガラクタの置き場がなかったので、妹が荷物を置いていた前に置かせてもらったら

「お前気を使えよ!」

と怒鳴られた。

腹が立ったので言い返したら、よくわからない言葉でキレられた。

もう涙が止まらない。

本当にしんどい。

メンヘラメンヘラは一緒に住んではいけないことにやっと気がついた。

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