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はてなキーワード: 母親とは

2019-02-20

僕はあの子が嫌いだけど気になる

僕はあの子が嫌いだ。だって言ってることがいつもおかしい。

授業を聞いてないで落書きしてるのを先生に注意されただけなのに、自分差別された、とか言い出すし、みんなで楽しかったね、とか言い合っていることにも首を突っ込んできて、それは楽しいと言い合っているだけで本当に楽しいと思ってなんかないんだろう、とか言ってくるし。

誰に対したってこんな調子から、あの子は僕だけじゃなくてみんなの嫌われ者だ。

でも遠足の日の班割りで、僕はあの子と同じ班になってしまった。遠足の前のオリエンテーションの授業で、あの子はまたおかしなことを言い出した。今度はお前たちはみんなずるいという。

班の他のみんなも僕も、またかよ、って顔をした。でも僕は一応班長から、なにがずるいのかと訊いてしまった。そうしたら、お前たちのお弁当はみんなきれいでずるい、と言い出した。

曰く、うちのお母さんの弁当はのり弁だけだからお前たちはずるい、のだと。

そんな文句お前のかあさんに言えよ、と僕は思わず言ってしまった。そうしたら今度は泣き出した。だってうちのお母さん私のいうこと聞いてくれないもん!黄色い卵とか赤いプチトマトとか入れてって言っても返事もしてくれないもん!って言ってギャン泣き。僕はうんざりしてしまった。

先生もやってきて事情を聞いてきたけど、周りのみんなが説明してくれて僕は悪くないと言ってくれた。

の子職員室に連れて行かれて、副担任先生がやってきてその日の学校は終わった。

でも、学校が終わってからが一波乱だった。夜の9時くらいになって、家のチャイムが鳴った。僕はもう布団に入るところで、お母さんがこんな時間に、と玄関口に出てみると、あの子とその母親が立っていた。

の子母親は顔を真っ赤にしていて、一気にまくし立てた。「うちの子おたくの子供にいじめられたと言っているんです!どうしてくれるんですか!」って。

僕はまたあの子おかしなことを言ったんだ、と思ってあの子を睨んだ。でも、あの子はいつもと様子が違って、すごく悲しそうな顔をして自分母親の後ろに隠れてなにも言わなかった。

そして、うちのお母さんはきっぱりと言ってくれた。「それは絶対に何かの誤解です。今日はもう時間も遅いですし、お引き取りください。後日、学校先生も交えてお話をお伺いします」と。

の子母親は「逃げる気!?」などと言い出したけど、あの子母親を引っ張って、「もう帰ろう」と一言言ったら、あの子母親は黙ってなさい!と言ってあの子ビンタをした。僕もお母さんも思わずなにも言えなくなってしまった。でも、すごく痛そうだったのにあの子は泣くことすらしなかった。そこに、うちのお父さんが帰ってきた。

お父さんは、「少し前から拝見させていただいていましたが、やはりお引き取りください。逃げるわけではありません。後日お話しましょう、と申しているだけです」と静かに言った。

の子母親はうちのお父さんを睨みつけると、あの子の手を無言で引っ張って帰って行った。

それから僕は、お父さんとお母さんに今日学校であったことを話した。お父さんもお母さんも僕の話をしっかり聞いてくれて、僕はそれだけでも心強かった。

でもその時ふと思った。あの子はお母さんが自分の話を聞いてくれないと言っていた。それはものすごく心細いことなんじゃないだろうか?と。

その翌日、先生と僕の両親とあの子のお母さんとで話し合いがあった。話し合いは職員室横の応接間でやっていて、僕もあの子もその話し合いが終わるまで副担任先生と一緒に教室で待っていた。

の子は、顔を真っ青にしてなにも言わなかった。でも、ほっぺたが少し腫れていた。そのほおの赤さと顔色の青さが、あの子を余計に悪い顔色に見せていた。

僕は思わずの子に声をかけていた。ほお、大丈夫?と。あの子は、痛いけど大丈夫、と答えた。

の子はぽつりと言った。うちのお母さん、いつもああなの。私の話聞いてくれないの。と。だから僕は、それ、寂しい?と訊いてしまった。そうしたらあの子はまた泣き出した。いつものギャン泣きとは違う、静かな泣き方だった。僕はそれっきり、なにも言えなくなってしまった。その様子を見ていた副担任先生は、あの子保健室に行こうか?と声をかけ、僕には教室でご両親を待っててね、と声をかけて、あの子と一緒に教室を出て行った。

そして僕の両親が教室にやってきて、僕は両親と一緒に家に帰った。

そして、遠足の日がやってきた。その日の朝、お母さんは珍しく緊張した顔をしていた。

そして僕にお弁当を二つ持たせた。僕のいつもの弁当の他のもう一つの弁当は、ピンクの袋に包まれたお弁当だった。

お母さんはこう言った。「お母さんもすごく悩んだけど、このお弁当はあの子に渡してあげて。それであんたにも迷惑をかけちゃうかもしれないけど、お母さんはこうすることが正しいと思うの」と。

お母さんは、あの子のことを心配しているんだな、ってすごくよくわかった。その気持ちは、今の僕にもわかる。あの子のことが今も好きなわけじゃないけど、でも、僕もちょっと前よりもあの子のことが気になるようになっていた。だから僕は言った。「お母さん、ありがとう」って。

そうしたら、お母さんは僕のことを抱きしめてくれた。そして、行ってらっしゃい、といつものように声をかけてくれた。

遠足の午前中、僕らの班は静かだった。あの子はいつもよりも黙り込んでるし、他のみんなはあの子のことを遠巻きにしてそわついている。僕も僕で、お母さんから預かってきたお弁当のことで頭がいっぱいで、いつもよりずっと緊張していた。

そして、お弁当時間がやってきた。

みんな、あの時のことがあったからか、お弁当箱を開くのも気まずそうにしていたけど、でも実際にお弁当箱を開けて中に美味しそうなおかずがあるのを見ると、顔が明るくなっていった。

の子は、そもそも弁当箱を持ってきていなかった。それでみんなの方をじっと見ていたけど、特に騒ぎ出すことはなくプイッと何処かに行こうとした。

から僕は声をかけた。声をかけるのもとても勇気必要だったけど、お母さんの顔を思い出したら、そして今どこかに行こうとしてるあの子を見たら勝手に口が動いていた。

「ねぇ、僕のお母さん今日間違えて二つお弁当を作っちゃったんだ。だからあげるよ」

そういって、ピンクのお弁当袋を差し出した。

の子は驚いた顔をした。でも、こう言った。

「いらない。他の人にあげれば?」

「でも、お弁当持ってないじゃん」

「いらない!」

彼女のいつもの癇癪が始まりそうだった。今の声で周りのクラスのみんなも気付き始めた。僕はもう、正直にいうことにした。

「ねぇ、僕もお母さんも君が心配なんだ。だから、これは君のためのものなんだよ」

「私のため……?」

「そう」

弁当どきの賑やかさはすっかり静まり返って、クラスのみんなが僕たち二人に注目してた。囃し立てる奴は一人もいなかった。

の子ゆっくりと手を伸ばしてきた。そして、僕の手から弁当袋を受け取る。

そして、顔をうつ伏せながら、静かに、でも確かにこう言った。

「……ありがとう

そしたら、それを聞いた周りが一気に賑やかになった。

「いいじゃん、それ!」「何入ってるの!?見せて!」「こっちこっち!一緒に食べよう!」

みんな口々に言いながら笑顔であの子を囲んだ。

そしてあの子は、泣いていたけど笑ってた。

開いたあの子弁当には、黄色卵焼きや赤いプチトマト緑色レタスオレンジ唐揚げ、白いご飯にはピンク桜でんぶがかかってて、とてもカラフルだった。

僕も自分のお弁当を開いてみると、僕のお弁当はあの子のとは全然違ってちょっと茶色っぽかった。でも、それであのお弁当は本当にあの子のためのものだったんだってよくわかった。そしてお母さんの思いも。

これから、またあの子のお母さんが何か言ってくるかもしれない。またあの子が泣くようなことになるかもしれない。

でも、きっと今はこれでよかった。美味しそうに、そしてそれ以上に楽しそうにお弁当を食べるあの子を見て、僕は本当にそう思ったんだ。

老害正反対ワードを作ったよ「ぐう聖」なんてどう?

「4歳の娘が可愛くない」とSOSを出す母親に、鴻上尚史がまず最初に聞いたこと (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

めっちゃ響くアドバイスだと思った。

褒めたいけど褒める言葉が見つからない。

あと老害正反対ワードを作れば、そうなりたいと思う老人も増えるのでは!?と思い、

正反対ワードを考えてるんだが、いいのある?

2019-02-19

anond:20190219122434

正直婚約指輪って実用性ないしいらないよね うちの母親婚約指輪いらないか時計くれって言ったらしい

才能とか努力とかと、美人の目が怖かった話

才能とかいうのはよくわからない。

まず定量化できないものから簡単比較できないし、私はこの言葉が嫌い。

私は子供のころ、ピアノクラシックバレエ乗馬フルート書道を習っていた。

教育熱心な親だ。

ピアノは大嫌いだった。先生が異常に厳しいのだ。最初はみんなでおなじ曲を弾いていたけど、私が少し弾けるようになると、先生母親を呼び出して、個人レッスンを勧めた。

私が褒められたと感じた母は、嬉しそうにそれを快諾した。

最初は楽しかったピアノがどんどん苦痛になってきた。家での練習さぼり気味になり、そうするとレッスンにどんどん行けなくなる。

運指、とか、フットペダルをどう踏むかとか、スラーがどうとか、楽典がどうとか(まあ、楽典面白かったけど)、そういうのが私は本当に苦手だった。聴いた音楽をなんとなく弾くことは人より得意だったけど、それだけ。

「どうしてちゃんとやらないの?」と先生に何度も聞かれた。そのたびに答えられなかった。

「才能があるかもしれないのに!」と先生は言った。それを聞いた母も同じようなことを言った。

私には姉がいて、同じ習いごとをしていたが、確かに姉に比べると少しだけ私の方がなにごとも得意だった。

でも、それは才能があるということとは関係ないと、子供ながらに思っていた。

姉は、ひたむきに努力できる人だった。思い通りに弾けない時、怒った母が「もうやめなさい!こんなこと!」と言ってピアノ教本を窓から放り投げた時も、

から泥だらけになった教本を拾ってきて、泣きながら「ママ、私頑張るからやらせてください」と言っていた。

これが才能でなくてなんだというのだろうか。私は姉がうらやましかった。

捨てられても、泣いても、縋りつけるくらい執着の持てることが私にはなかったから。


クラシックバレエ。これは結構好きだった。ピアノ生演奏で、ジュニアクラス先生は優しくて、バレエの日は姉と一緒に髪をお団子にして手をつないでバスに乗った。

小学校高学年になり、そろそろ中学受験のためにバレエを辞めるという話をしたとき先生が母に意外なことを言った。

「この子バレエに向いています。辞めさせるのは勿体ないです」

そんなこと、先生からも一度も聞いたことがなかった。母は少し悩んでいるようだった。

中学受験バレエの両立は、できなくもなかった。ただ、バレエというのはなかなか厄介なもので、休むと取り戻すのがすごーく大変なのだ

あんたがやりたいなら、両方やってみなさい」と母は言った。

もう暗くなったバレエスタジオで、いつもニコニコ先生が真面目な目で私を見ていた。

やれない、と私は家に帰ってから母に伝えた。

「そうよね、あんたに才能があるとは思えないし。それに努力もできないでしょ」と母は言った。

その時すでにピアノ教室不登校気味になっていた私に、その言葉ストレートにぐさっときた。


乗馬は、私が最も才能がある習い事だったと思うし、私がいちばん好きな習い事でもあった。もともと動物が好きで、通うのが楽しみで仕方なかった。

早く上のクラスに行きたくて、先生の言うことを真面目に聞いて、雨の日も、寒い日も通っていた。

でもまあ、運悪くというか、姉が落馬して怪我をした。

大した怪我ではなかったけど、それを機に兄弟全員が乗馬クラブを辞めさせられた。

私は泣いて泣いて懇願した。こんなに何かをお願いしたことはないんじゃないかというくらい。

私は馬から落ちたりしないから、落ちても怪我しないから、怪我しても勉強はするから、と、土下座もしたけど、「危ないから」の一言で全部なしになってしまった。

まあ、仕方ない。決めるのは親だ。


さて、長々と書いたのには理由がある。

相変わらずやりたいことも見つからず、器用貧乏な私に、ちょっとしたチャンスが舞い込んできた。

「とってもやりたい!」というほどのことではない。

「へえ、できたら楽しそうだな」くらいの感覚だが、興味はあった。

その話を持ち掛けてくれたのは、綺麗な女の人で、もともとその業界にいた人だった。

淡々と話を聞く私を、その人はじっと見ていた。

「やりたいってことでいいの?」、と聞かれ、

「そうですね、やってみたいです」と私は答えた。

その女の人はため息をついた。怒っているんだなと思った。

「あのね、やってみたいとかじゃないの。本当にやりたいのかどうかを聞いてるの」

出た、と私は思った。久々だなこの感じ。

「私はね、あなたが本気でやりたいと思うなら応援するし、なれると思う。才能があると思うから」と、その人は言って、すごく綺麗な目で私をじっと見ていた。

「でもね、才能だけじゃダメなの。努力しないと。本人がやる気ないのにお膳立てはできないの。」

「それはわかります

全然わかってない。この仕事はね、やりたいっていう人がたくさんたくさんいるの。努力して努力して、ほんの一握りの人が成功するのよ。今みたいにノホホンとしたまんまじゃダメなの。頑張れるでしょ?本当にやりたいのなら」

そこではい!と即答できるほど私はできた人間ではない。好きな映画である花とアリス」をなんとなく思い浮かべながら、曖昧な笑みを浮かべて、ひたすらこの「努力と才能の嵐」が過ぎ去るのを待った。


結局、私がどうしたいのかは自分で決めなければいけない、と言われた。

私は迷っている。なんで才能があると思われたのかも正直わからないし、そんなにすぐやりたいと思えるようになる自信もない。

普通に大学卒業して、就職するんだろうなと思っていたが、就職したくないなら、そっちの道に行くのもいいだろう。

でもきっとその世界では、みんながああいう目をしているんだろうな。

やりたくて選んだ道なんだからって、すぐ言われるんだろうな。

努力家の姉は、夢を叶え、ものすごく狭き門をくぐりぬけ、やりたい仕事をしている。

ピアノはたまに弾く。お遊びのようなものだけど、好きな曲を弾いていると落ち着く。

バレエは、大学に入ってから再開した。もちろん本格的にではないけど、姿勢がいいと褒められることはある。

やってきたことはたぶん無駄ではなかったけど、でも結局、努力する才能は得られなかった。

私はきっとあの綺麗な女の人に、「できません」と言うだろう。

私は甘ったれ子供から、すぐに弱音を吐いてしまうし、それを許してほしいと思ってしまうのだ。

才能があるとかないとか、そういうのはたぶん他人が決めることではない。

本人がそう思えない限り、才能は「ない」のだ。

甘えと言われても、何と言われても、あんなこわい目に晒されて生きていくことは、私にはできない。

それもまた一つの勇気ある決断ということで、ここはひとつ、勘弁してもらいたい。

2019-02-18

普通の人になれなくて自殺未遂した朝


めっっっっっっっっっっちゃ気持ち悪い。

昨日、家にある色んな薬一気飲みしたけど酷い頭痛幻覚嘔吐だけで、はい、生きてます

恐ろしいほどの倦怠感と吐き気を抱えたままきちんと会社に来ています自殺未遂したあとの朝がひっどい二日酔いみたいなんて10年前は知らなかった。

10年前。中学生の頃、一度だけ同性を好きになった。

思えば思春期友情と恋心の錯覚も少しばかりあったと思うのだけど、全く知識の無い自分自分の心と身体性別が違うのではないか、と疑い、学校に行けなくなった。それが全てのきっかけだった。

感覚気持ち悪くて、1年前に最愛の父を病気で亡くしたこともあり、父親の元へ早く行きたくて自殺未遂自傷を何度も繰り返した。毎日人に迷惑をかけ続ける自分がいればいるほど希死念慮は増していくばかりだ。

精神病棟についてきてくれる母の死んだ顔を見つめたり、首を吊ろうとして泣きながら叔母に殴られるたびに「普通の人」になりたかった。

結局地元から逃げ出し、辺鄙田舎町にある高校に進学した。その高校所謂曰く付き”というやつで、社会に馴染めず地元に馴染めずいじめいじめられ死にかけ命からがら逃げてきた16歳にして社会不適合者の奴らの巣窟だった。

そういった不安定クラスメイト達を見て、あの暗黒の中学3年間をなかったことに出来るかもしれない、と思った。

ここは地元じゃない、自分のことは誰も知らない。だから新しい自分を作り上げればいいんだ。

普通じゃない人たちと一緒に生活をすれば(全寮制でした)普通に戻れるかもしれない、と思ったのだ。浅はかな上から目線である

そこから自分はいたって普通で、ちょっと田舎町で暮らしてみたかった皆に平等で弱さにも理解がある、そういうおせっかいで浅くて馬鹿人間を演じた。

朝、最低な気持ちになってすぐ身を投げたくなる気持ちは「朝が弱い」というと「だらしないな」と返ってきた。

無数の手首の傷跡は「猫をたくさん飼ってて」というと同じく猫を飼ってる人間から共感された。案外、どうにでもなった。

そんな人間10年近く演じてきた、その内演じてることを忘れてそれが根本性格だと錯覚してきた。取り繕うだけの10年間だった。きっと絶望的に悲しいことがあったとき自分はまた中学生の時のダメクズで最悪のゴミに戻ってしまう。それは絶対避けたい。だからあらゆる困難から逃げてきた。揉め事になりそうな時は中立立場にいたし、そもそも作ってる人格しか人と接してなかったので自分意見がなかった。八方美人と噂されても、その後に待ち受ける暗闇よりはマシな方に思えた。

ある日、母親の友人が鬱病自殺をした。

葬儀会場で大泣きしている母は「あんたは普通になってよかった」と抱きしめた。ずっと二人で生きてきた、母親が言うのだったら私は普通に戻れたのだろう!母を見事に騙せていた自分は、誇らしかった。

お母さん、だって私、あれから高校の友人の面倒をみて、大学に行って、就職して、友達もたくさんいて、異性の恋人もいる、普通の人だもんね!やったよ~!!!普通の人になれた!!!!!!

はずでしたが、こうやって上手くいってません。なれませんでした。

高校3年生の時、アイドルオタクになったことが 自分精神の均衡を保っていた。その時からアラサー現在までずっと見つめ

ていた俗に言う”推し”を、自分宗教神様の類のように扱っていた。この世のもので唯一本当の自分と対面しているものだった。その推し恋人との写真を撮られたことが、終わりの始まりというやつだった。嫉妬できて癇癪を起したらどれだけ楽だっただろう。そのことより、推しが1年間休むことな批判を浴び続けていたことが、スイッチを押してしまったのだと思う。言い返せば、倍の黒い塊が返ってきた。推し非難言葉を浴びれば浴びるほど、化けの皮はどんどん剥がれ、八方美人は一方にしか向けず、日常生活は送りづらくなってきた。

いくらの子にも本当の自分を見せなければよかった。

数年が経って、メンバー推しファンアンチ全員がそのことを忘れても自分は全く忘れられなかった。例えば誰か芸能人犯罪を犯して捕まって、その批判や援護を遠巻きから見てるだけで発狂しそうだった。こんなアイドル風情のことで勝手精神病んで病院に行くのなんて馬鹿らしくて、そもそも普通じゃないじゃん。となって病院には行かなかった。

それからずっと上手くいってた人間関係もどうやってこなせていたかからなくなり、どうやって電車に乗っていたのかわからなくなり、どうやって生きていたのかもこの歳になってわからなくなって、昨日。

知らぬ間に人のことを迫害していたようで、そんな「知らぬ間に」なんて経験化けの皮を被ってから一度もなくて、自分が黒い塊を送る側になるなんて考えられなくて、どうしよう、人のことを傷つけるなんて、普通じゃない。

ふと前を向くと、推しうちわの前に置いてある薬箱が目に入った。

朝、死ねてなかったことより、やはり私は普通にはなれないことに、どうしよもない絶望を覚えた。

日本酒飲んだ次の日の朝よりキツい。どうやら、親友電話をかけていたようで親友から最後LINEは「でも死ぬのは逃げだよ」だった。

平気に生きたいな~~~~。とりあえず、次の休み病院に行ってみます

普通、じゃなくなりに行きます

うちの家族自撮りへの抵抗

  1. 父親 写真に写るのが嫌い。カメラは持っていて電車写真などをたまに撮影しているよう。
  2. 母親 自撮り好き。カメラは持っていないがセルフィー棒は持っている自分写真が好きなタイプ
  3. 自分 写真に写るのも撮るのも好まない。自分カメラを買ったことがない。
  4. 妹  写真好き。どちらかというと撮る方が好きそうで一眼で子供写真撮影しまくってる。
  5. 弟  プリクラ好き。彼女と一緒に撮ったプリクラを何度も貰った。

みごとにバラバラ

2019-02-17

anond:20180830214834

そうじゃなくて、初体験相手であった母親のような女性結婚後もセックスし続けたいから、という意味では?

だって、多くの男は母親で脱童貞するわけだし。

anond:20190216034452

追記読んでほっとした

子供離婚するまでは母親にあることないこと吹き込まれてたんだろうが、離婚してからなんとなくおかしいと思い事実に気づいたんだろうな

子供はまともそうでよかったよ

母親父親無くして親1号・親2号ってアホかよ

ロンドンブーツじゃないんだからさ。

中国人って可哀そうだな

中国は1%の富裕層と99%の貧乏人で成り立っている。

中国貧困層は、非常に厳しい環境に置かれている。この地球で同時代に生きる同じ人間とは思えない劣悪な扱いだ。

 

中国共産主義のはずなのに全然平等になってない。一党独裁弊害自由がない分、自力生活改善することが阻止されている。

自由のない人間って可哀そうだ。自由を得て幸福になって欲しい。

 

中国政府の振る舞いは好きじゃないけど、だからと言って貧困で苦しむ中国人まで不幸になって欲しいとは思わない。

みんな同じ人間なんだから、せっかく生まれてきたのなら、幸福になって欲しいものだね。

 

中国少数民族少女が書いた「作文」が引き起こし悲劇的結末(北村 豊) | 講談社 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/59857

題名:涙

 

パパは4年前に死んだ。パパは生前私を最も可愛がってくれたし、ママ毎日私に美味しい料理を作ろうと頑張ってくれた。きっとママもパパの事を偲んでいたのだと思う。

 

ママ病気になり、“鎮(町)”へ行き、西昌市へも行ったけど、お金が無くて、病気は良くならなかった。

 

あの日ママが倒れた。ママが苦しそうなのを見て、私は泣いた。私はママに「ママ、きっと良くなるよ、私がママの世話をするから。私が作るご飯を食べて、眠れば良くなるよ」と言った。

 

二日目の朝、ママは起きることが出来ず、とっても苦しそうだった。私は大急ぎで出稼ぎから戻ったばかりの叔父さんを呼び、ママを町の医院まで連れて行ってもらった。

 

三日目の朝、私はママの様子を見るために医院へ行ったが、ママはまだ目覚めていなかった。

 

そこで、私はそっとママの手を洗ってあげたら、ママは目覚めた。ママは私の手を取ると、私の名を呼び、「ねえお前、ママは家へ帰りたい」と言った。

 

私が「どうして」と尋ねると、「ここは居心地が悪いけど、家は気分が良い」と言った。

 

私はママを家へ連れて帰ると、座って一息ついてからママご飯を作った。

 

ご飯が出来て、ママを呼びに行ったら、ママはすでに死んでいた。

 

『ある所に日月潭という淵があり、そこの水は娘が母親を恋しがって流した涙だ』と教科書に書かれていた。

 

                       柳彝 2015年6月20日

片思いの子ラブレターを渡し続けた

片思いの子に振られたので短歌を見せて感想もらった」的なブログタイトルを見たとき、めちゃくちゃ心臓が痛くなった。最悪だ。あのとき気持ちをめちゃくちゃ思い出した

俺もすごく似た経験があるからな。正直これも書きたくない、恥ずかしいし

同じといっても、彼と俺とでは年季が違う。なんと15年もだ

忘れもしない、17歳ときだ。相手小学校中学校クラスは違えどずっと同じ女の子だった

ずっと好きだった。付き合ってください」

「ムリ」

一瞬だった

彼女一見飄々としていて、人を簡単に切り捨てることもあれば妙に情熱いところもあった。彼女のそういう矛盾までもが大好きだった。なんせ小学生ときからずっと好きだったんだから

振られて次の日に俺は何を思ったのか、彼女へのラブレターを書き始めた

ひたすら彼女への思いと世間話を書き綴った。もし今の俺が見たら俺の顔は核爆発を起こすであろう

手紙用紙5枚分位を毎日書き、相手に渡した。むしろ嬉しそうだった(そうであったくれ)

放課後彼女は「お返し」としてびっしり書いたラブレターへの感想を俺に渡してくれた

「〜って表現が良かった。私なら〜って書くかも

あと〜くんがーーー」

みたいな感じだ(今でもその手紙は全部保存してるよ)

もう一度言うが、彼女のこういうところが大好きだった

ラブレターはお互い17歳から始めて32歳まで続いている

大学生になっても近くに住んでいたので毎朝家のポストに届けに行った

夜には彼女も俺の家のポストに返事を入れてくれた

彼女は全てに返事をくれた。呆れ顔だった、「そこまでやるの?」とよく言った

それに対して俺が「好きだからしかたない」と返すのがお決まりだった

社会人になってから彼女上京することになり、ついにこれも終わるのか?と危惧された

結論から言えば、俺も金魚の糞のように一緒にへばりついて上京した

彼女の家の近くに住んだ

彼女も呆れ顔だった。しかし拒絶はしなかった

そしてラブレターを渡した。もちろん毎日

彼女への愛を書きまくった。とにかく書きまくった。好きだったから仕方ない

時が経ち、彼女には交際相手ができそのまま結婚した

俺も愛せる人を見つけて結婚した(その人にはラブレターは書いてないよ!)

段々、この関係フェードアウトしていった

徐々にレター内でもぎこちなくなり始めた

よく見れば、飄々としていた彼女はもういなかった。子を持つ母親の顔だ

やがてどこかへ引っ越ししまい、連絡先も繋がらなくなり、縁は断絶した

32歳になった今でもラブレターを書いている。もはや日課だ。渡す相手はいない

もう返事は帰ってこないが、それでもいい。好きだから仕方ないよね

[]2月16日

○朝食:なし

○昼食:そばにんじんたまねぎキャベツを炒めたもの

○夕食:炭火焼き定食豆腐サラダ金柑パフェ大戸屋

調子

休みなので、むっきゅりむっきゅりしてた。

ただ、来週の途中からは「悪夢東京出張」なので、色々準備をしないといけない。

ちょっと自分だけじゃ力が出なかったので、母親に連絡して車を出してもらい、買い物に行った。

こうやって、辛い時に頼れるようになったの、よかった、よかった、よかった。

ほんとうによかった。

グラブル

サプチケ悩み中。SSRロミオがいいかSSRジュリエットいるから、サイドストリーに続編が入ったらシナリオ全部読めるから

けどまだもう少し悩み中。

古戦場は4箱開けた。三凸四天刃が累計3本目。風(エタラブ)と光(ゼノコロゥ剣)以外の四属性用に欲しいから、もう4箱開けたい。(ただこれ、エタラブは四天刃より明らかに強いけど、ゼノコロゥ剣と四天刃は似てるようであまりうから、光も欲しいっちゃ欲しいな)

コマスター対戦記録

連勝記録継続中で、12連勝中で自己記録タイ。(こういうの知っちゃうと、次で負けるよね)

セレビィ楽しいな、圧迫やめてセレビィに特化したデッキ作ろうかな。

ポケモンリスト眺めてたけど、リグレーデッキに入れるとヤバそう。

キルリアサーナイトメガ)、ネクロズマカプ・テテフセレビィアブソルメガ)、クレセリア

 エスパー

マーシャドーデオキシスS、コソクムシゲンガーメガ)、ルカリオメガ)、ゾロアーク

 圧迫。(ゲームアーキタイプかぶるミラー対決って、妙に緊張しない?)

ラティアスメガ)、ケルディオ(いつも、かくご)、ルカリオメガ)、ゲンシカイオーガカイオーガ)、オノンドオノノクス)、デンリュウメガデンリュウ

 ハドジャン圧迫+スタン。(このデッキ良いな。メガデンリュウで立て直し出来るのが楽しそう)

ケーシィユンゲラーフーディンメガ)、アブソルメガ)、ラルトスキルリア、サーナート、メガ)、セレビィオノンドオノノクス)、ゲンシカイオーガカイオーガ

 エスパーよりスタン

2019-02-16

正論だと思う anond:20190216222845

育児で頭がおかしくなるのは暇人育児で頭がおかしくなるようなヤツは子を持つなやろ

とはいえ、既に作ってしまったのである

そして、子にとって大切な母親世界にひとりだけである

じゃあもう母親サポートする他ないよね、母親のためにというよりも、

児童福祉的な意味で (子ども家族と離ればなれにならないために)

メンタル検査や体調検査をして、一定値を下回る母親

法令母親業と家事週休2日で完全休みにしたら?

税金で外部のサポートを頼むのも可、父親祖父母に頼むのも可

ただし、税金で外部サポートを頼む場合は、ネグレクトにあたるような虐待がないか厳しく定期検査する

父親祖父母に頼む場合は、監査は緩めで

そもそも父親なにやってんの?お前の子やぞだし

母親親権渡りやすいのは少子化を加速させている

少子化結婚たかどうかじゃなくて女が何人子供産むかどうかで決まる。

バツイチ子持ち女は再婚しづらいし、再婚したとしても子供を新たに産みづらい。

バツイチ男は再婚できなくても出生率は変わらない。

https://anond.hatelabo.jp/20190216120008

いや、常識的に考えて、母親とかどうでもいいだろ。

主人公マーサのことを知らんわけだし、愛着無いわ。

お前なら父の遺言を最優先に出来るんけ?

anond:20190216194737

人間構成する先天的要素(遺伝子)と後天的要素(個人経験)の違い

優次は手記に繰り返しこう書いていたという。

<兄は自分コピーだと言う。その原本母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる>

 

父と母から同じ遺伝子を引き継いでいる、という意味では「生物学的なコピー」と言えるだろう。

しかし、同じ遺伝子を持って生まれても、生まれた後の経過が違えば、当然違う人間になる。

遺伝子がソックリの双子兄弟でも全く同じコピーにはならない。

 

従って、自分意思では選べない先天的な要素だけをもってして、犯人とその家族は同じであると断定するのは、科学的に見れば誤謬である

後天的な要素である個人経験や育った環境によって同じ人間にはならないことを考慮するなら、やはり犯人とその家族は別物と判断するのが正解だ。

 

加藤智大の弟さんは自殺すべきではなかった。

兄と弟は別の人格を持った個人であることを主張すべきだったのではないか

残念だが、弟さんの選んだ自殺という道は間違いだったと言わざるを得ない。

加藤智大の弟を自殺に追い込んだマスコミ

加藤智大秋葉原通り魔事件犯人

犯人だけでなく、その家族避難対象になった。

家には抗議の電話殺到した。

父親退職余儀なくされ、母親精神病院入院した。弟は自殺した。

 

「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。

加害者家族というのは、幸せなっちゃいけないんです。

それが現実

僕は生きることを諦めようと決めました。

 

死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。

どう考えても浮かばない。

何かありますか。

あるなら教えてください」

 

マスコミ世間、遺族は、加害者家族自殺するまで追い込みをやめない。

でも、それだと他者攻撃を加えている犯罪者と変わらないのでは?

 

何かの犯罪者がいた場合、その犯罪者自身に対して「批判や罰を与えたい」という気持ちは分かる。

しかし、何も犯罪を犯していないその家族まで攻撃するのは、度を越しており、容認されるべきではない。

anond:20190216163412

離婚時に一個体の子供がゾウリムシみたいに父方要素と母方要素に分裂できたらいいのになあ

両方の親とその母親祖母)が、孫のことを半分敵方細胞の混じった異物として攻撃するから

「孫」の演歌のようには現実は綺麗に行かず、祖父母というのは自分の子を守るためなら孫をも斬れる

あれは本当に堪える

犯罪者は許さないという、昭和20年代には普通に世間にあった常識

 お前は世間から嫌われているという狂気が、日本全女に帯有されていた。

昭和平成もいつの時代も、あった。犯罪をした奴はそういう感じで周囲から

怒鳴られていた。その、世間から苛められるのが当たり前だった犯罪者が今東京にいるし

その辺の交番警官も全員犯罪者になっているだけ。

 お前、子供とき父親先生からぶっ飛ばされてたコンプレックスでもあるんじゃねえか?

まあお前が子供とき、お前は世間全女から嫌われていたからな。お前みたいな陰湿悪事をする奴は

父親からはぶっ飛ばされるし、母親からは叱責されるし、友人からは苛められるのが普通だった。

まりに悪質な奴は、国家が目をつけて暗殺するのもやっていた。その現実的空気が、昔は当然だったが

つのまにか消えた。

anond:20190216085128

産む性である女性が嫌がったら、もう阻止しようがない。

から女性団体障害者団体は、一時休戦もあったとは言え、この件についてだけは敵対してきた。

落とし所としては、中絶は全面解禁、ただし胎児障害の発覚後は母親意思関係なく全面禁止、といったところだ。

しかしこれを女性団体が飲むことはないだろう。

障害者団体より女性団体の方が政治力に勝るので、現実中絶について制限が緩和されている。

https://anond.hatelabo.jp/20190216034452

まぁ女は意見の正しさより感情共感だけで生きてるからしゃーない

子供は一緒にいる母親に影響されただけだからゆるく考えておくといい

あと手紙についてはちょっと遠出して他人だけど無下には扱って

きそうにない空いてるバー店員とかあたりに話を聞いてもらって

代わりに読んでもらって読むかどうかを判断してもらったらいい

よさそうなら読めばいいしダメそうならその場で処分してもらえ

若者よ、結婚相手を選ぶとき相手母親を抱けるか考えて選ぶのだぞ

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