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はてなキーワード: 事象とは

2018-10-18

オリンピックボランティアの件を勝ち負けで言うのはおかし

最初からボランティアが集まるのは分かりきってたこ

日本人の1200人に1人応募したら10万人だ、オリンピックのことを知らない日本人は少ないだろうし宣伝効果を考えればそりゃそうなる

 

もしこれが普通の一個のサービスとか、店とかだったら「外野がごちゃごちゃ言うな」で済むしほとんどの炎上外野がうるさいだけなんだけど

国が関わるような公共性の高いもの外野になりきれないからゴチャゴチャ言うしかない

これは仕方ないこと

 

散々語られたけど、今回のボランティア騒動個人的に3点問題だと思ってた。

専門性が高いことや、大変な活動無償やらせること

→1.どうせやりたい人はいっぱいいるから、とやりがい搾取していること

   →ブラック企業問題になってる現代でこれは、国の姿勢として問題だと思う。最低賃金が何であるのかって話。労働には対価がないと労働力のダンピングになる。そういうやり方を是とするのは反対。

   →でもこれは記念品配布っていう建前を付けたから俺は良いと思う。今大事なのは建前。

→2.予算が足りていないこと

   →これは国というよりオリンピックのもの問題とわかった

→3.医者などの専門家ボランティアにしているところ

   →機能として不足したらどうするの?という疑問と不安

 

今回勉強になったのは、発端が国というよりオリンピックのものだったこ

オリンピックに対する見方大分変わった

金かかりすぎ

以前は賛成だったけど、今はどうかな・・・

 

似たようなボランティア話題では、例えば雪かきボランティアとかが近いと思う

でもあれは「やりたい人がやってるんだからちゃごちゃ言うな」と言われると何も言えない

お上がやると話が変わるって事象はいっぱいあるかもね、難しいけど

anond:20181018143613

JRから新宿のあの場所からの立ち退きを求められていてそれと戦っている件と、今回のエゴサ暴言の件は、同じ人の同じ性質から出て来る別の事象しかないという気はする。

アクの強いオッサンなんだろうなぁ…と。

五輪ボランティアに見る「はてなー」の主語デカ問題考察

はてな界隈ではあれだけクソミソにケチョンケチョンに貶されてたにもかかわらず目標の倍集まった五輪ボランティア

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/425215097243026529

けちょんけちょんに貶してたはてなーは完全敗北であり、

潔く敗北宣言を出したbbbtttbbb氏はまっことに漢であり抱いてほしいくらなのだが、

まあそれは置いといて。

今のところトップブコメドヤ顔決めてるpoko_penってのははてなウヨクidなので言及しない。

目を引いたのは、

「今までどこにいたの?」と感じずにはいられない、

五輪ボランティアに対して肯定的idである

orino-for-no

スポーツボランティア結構やってる立場から言うと、やりたくてやってるんだよバーカ!って批判する人達に言いたい。

wapa

まあそうだろうな、と。マラソン大会とかでもボランティアしてる知り合いは色々いるし。スタッフ服とかもらえるだけでも記念になるし。運営が嫌だからといって、応募してる人を罵倒するようなことはしないでほしい。

skypenguins

はてなTwitterインターネットコミュニティしか見えてない有識者たちには理解できない人数だな

citron_908

こういう人達意識高い系などと呼んでバカにしがちなのがネット界隈という事なのだろうか

dalk

そりゃあ一生に一度あるかないかレベルだし、東京にいくのにボランティアにいくといって嫌な顔をする奴は少ないしついでに遊びに行っても良いし利用しない手はないと

plagmaticjam

ちゃごちゃしたことはいいから実地的に楽しもうぜって人達はいっぱいいてそういう人達のほうが人生楽しいと思う



今までのはてな界隈の流れからすると、

突如として五輪ボランティアに対して好意的コメントばかりが軒並み人気ブコメランクインしているというようにしか見えない。

この事象を以て、今までは

はてなー手のひら返し

などと主語デカで語られてきたのだが、

ここはぐっと踏みとどまって、

まずこれらのidが今まで五輪ボランティアに対して好意的コメントをし続けてきたのかという点を確認してみた。

とりあえず最低でも過去半年

ブクマ数の少ないidは1年くらいブコメをさかのぼり、

ボランティア」「五輪」「オリンピック」で検索してみたのだが。

結論から言うと、過去ブコメから五輪ボランティアに対して肯定的ブコメをしていたのは下記のコメントのみであった。

plagmaticjam

オリンピック組織運営に疑問はあれどオリンピック自体は楽しみ。ボランティア適正化してくれればやってみたい

http://b.hatena.ne.jp/entry/372822344/comment/plagmaticjam

ただ、「適正化してくれれば」と留保を付けているように、手放しの称賛ではない。

有識者とは...

東京五輪・パラのボランティアやりがいPRを」組織委 | NHKニュース記事に対して)

http://b.hatena.ne.jp/entry/364547076/comment/plagmaticjam



下記のブコメは、ボランティアではないが、五輪に対して肯定的と取れるコメント

torino-for-no

五輪マイナー競技観るの大好き人間なので、気にせず頑張ってねと。俺の税金返せって思ってる奴には振込手数料負担してくれれば俺が代わりにお前の分負担して口座に振り込んでもいい位に思ってる。お互い赤字だけど

http://b.hatena.ne.jp/entry/298137351/comment/torino-for-no

ただ、後ほど言及するが、普段からボランティアに対して肯定的発言があったわけではない。

あとはほぼ、五輪ボランティアに対して不言及

一部については、過去五輪に対して非常に手厳しい批判を加えているidもある。

ただまあ五輪運営とか政治案件とか利権かに対しての批判で、ボランティア参加自体disってるわけではない、

という好意的見方はできなくはないが、

積極的五輪ボランティア肯定コメントはお世辞にも過去でてはいなかった。

wapa

いから金払って人を雇えよ。施設既存の使い回しで。レガシー残そうとか開発で金ばら撒こうとするからこういうところに歪み出てるんだし。誘致時から予算爆増してるのに人件費ケチってるのがなんとも情けない。

http://b.hatena.ne.jp/entry/370568268/comment/wapa

wapa

海外の他の大会は?と思って読んでたら書いてあって、ロンドンは本当にこれでボランティアがやったらしい。五輪は元々奉仕前提で成り立ってるのか。あんだけスポンサー料集めてるのに、そっちは施設に行ってるのか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/365812662/comment/wapa

ボランティアしたい人を否定するわけではないが、カネを出さないのが気に食わないという趣旨だろうか。

だがそうすると「ボランティア」という単語意味理解しているかどうかが問題になるが…。

citron_908

大戦末期とクリソツだな…原爆投下に相当するイベントは開催期間中の超東海地震

http://b.hatena.ne.jp/entry/368154540/comment/citron_908

東京五輪・パラ:「授業避けて」国通知、ボランティア促すという記事に対して)


結論いたことを言うと、

plagmaticjam氏をダシに使わせてもらって申し訳ないが、

スポーツボランティアを何度かやっていた」割には、

今まではてな界隈で散々スポーツボランティア否定されてたにもかかわらず、

現実風向きが変わるまでは過去ブクマをみる限り一切出てこなかった。

これはやはり、

「その世界支配的な空気に逆らうのはとてつもなく勇気も要ればコストもかかること」

という結論になるのかな、と。

で。

その支配が緩んだ途端に、

今までの不満が一気に噴出する、と。

日本の悪しき文化って、

ボランティア云々以前に、

こういう空気の気まぐれで人の意見が180度変わっちゃうところなんじゃないかな。

まあ、はてなー手のひら返しって批判に対して「主語がでかい」という再批判があり、

じゃあ一貫性について調べてみようと思ったけど、

やってて当然感じたよ、すげえ粘着ストーキングだなって。

勝手対象にしちゃったidには申し訳ないなとは思うが、

でもさ、

はてなのこの「急に空気が変わる感じ」って本当にきな臭くて嫌だなって思ったので、

少なくともただ単に感じだけで終わらせたくなくてやってみたわけよ。

まあ中途半端だし、中途半端なのに粘着さ加減が半端ないし、

無駄に超時間かかるし。


まあはてなーって主語を大きなくくりで語るのは雑に過ぎるが、

しかし、

「あれだけ五輪ボランティアに対して凄まじいバリゾーゴンをブチかましてた奴らがそろってダンマリ」ってのは間違いない事実で、

しかもそれを検証しようとしたら想像を絶するほどの時間と労力がかかるわけだわ。

都合の悪い事実が出た、

今までと流れが大きく変わった、

ってなったときに急にダンマリする奴らが多数発生する場合には、

はてなー」の主語は大きくしても差し支えないんじゃないかと俺は思ったね。

以上。

疲れたからもう寝る。

推敲もほぼしない。


追記

aflat_1000dai4 敗北とかよくわからないし、自分意見東京五輪否定的ということで変わらなかったな。ボランティア問題についても、そのものではなくて国体問題と捉えているので。

なんなんだコイツ・・・

敗北がどうこうとか話のマクラしかないというのに、

その言葉にだけ反応してコメントしてる時点で、この案件勝敗というもの見方で囚われてることを白状しているようなもんだ。

その場の空気で少数者の意見が圧殺されているということが本旨だというのに、勝敗というくだらない発想に囚われた人間には理解できないものなのだな。

2018-10-17

anond:20181017161242

日本クルマ(の失敗例)

と言うならば

みんな嬉々として買う。

という事象はあり得ないのではないか

2018-10-16

国沢光宏氏のあおり運転記事を論評する

はじめに

国沢光宏氏というモータジャーナリストあおり運転について書いた下記の二つの記事について論評をする。

あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…

https://clicccar.com/2018/09/25/632769/

あおり運転はあおられる方にも原因がある」に対する反発意見への回答

https://clicccar.com/2018/09/27/633397/

国沢氏がどれほど影響があるモータジャーナリストであるのかは知らないが、少なからメディアに出てくる以上こういった社会問題に関連する記事を書くにあたり正確な情報を書くべきではないだろうかと考えた。

記事の要点は「あおり運転はあおられる側にも原因があり、その原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。だから後続車が来たら道を譲るべきである自分勝手ドライバーがいるのは教習所で遅く走る時は後続車に道を譲るよう教えないかである。だから教習所は教えるべきである。」である

全てが正確ではない、間違っているというわけではない。正しいこともあり同意できる部分もある。

しかし、記事の内容が全てであるかのような書き方は、間違った部分は間違った認識を広め、場合によっては間違った行動を引き起こす恐れがある(注意してもらいたいのは間違った行動はあおり運転のことだけを指しているわけではない)。

そういったことを防ぐためにジャーナリストであるのであれば正しい情報を書くべきである社会問題に関連する記事は一個人の感想(=主観)が入る車の試乗記事とは違うのである

ちなみに私は何度も上記の国沢氏の記事を読み直した。それは記事前後矛盾があり腑に落ちない点が自分の誤解なのではないかと思ったのも原因である

しかし、それでも腑に落ちない点は解消されなかった。二つ目の反対意見への回答の記事は国沢氏曰くもう少し解りやす説明したにも関わらずだ。

問題は何か?

問題は二つある、。

一つめの問題点は、国沢氏が「あおられる側にも原因をある。」とあおり運転は両方に原因があるとしている。

国沢氏の主張として、あおられる方の原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からであるしかし、全てを一つの原因と結論づけていいのだろうか?

あおり運転が発生した状況を分析すればケースバイケースでいくつかに分けることができる。

まりケースバイケースで原因が異なってくることを意味している。それは場合によってはあおられる方に原因が無いと考えられることもできる。

例えば私はこういったことを経験したことがある。

田舎区間のせいかガラガラ高速道路走行車線制限速度の100km/hで走行中、同じく走行車線を走る大型トラックが3台おり、速度差があるためトラックに追い付いた。

ちなみに私はクルーズコントロール使用して走行していた。その設定速度の誤差ははGPS速度計と比較して1km/h程度であることは事前に確認してあった。

前のトラックとは安全距離をこれ以上、確保できない距離まであと少しという距離まで近づいたところでルームミラーとサイドミラー確認した。

追い越し車線上には後方を商用車ライトバンが走っていがいたが、ルームミラーでは意識する必要が無いくらいの離れていた。そのライトバンが10km/hぐらいの速度オーバーで近づいてきてもそう簡単に追いつかれない距離である

ウインカーを出して、追い越し車線側に車線変更完了した。

徐々に大型トラックを追い越しいく念のためルームミラー確認したところライトバン距離が急激に近づいていることが確認できた。大幅な速度超過をしていることが予想できた。

大型トラック同士の車間距離は大型トラックへの安全考慮すると走行車線側に避けるには十分とは言えない。

そのため引き続き走行車線を走り続けた。もちろん大型トラックの追い越しが完了でき次第、走行車線車線変更するつもりで走っている。

しかし、大型トラックを2台目を追い越すころにライトバンが追い付き、ナンバーが見えない距離まで車間距離を詰められた。ライトバンあおり運転をし始めた。

そのあおり運転は3台目の大型トラックを追い越し、終わり走行車線に戻るまで続けられた。もちろん私は追い越しが完了次第、走行車線に戻っている。

ルームミラーに3台目の大型トラックの前の部分が映ったのを確認したらウインカーをだして車線変更をしている。そのまま追い越し車線を走行をし続けてはいない。

ちなみにあおってきたライトバン走行車線が空いているにも関わらず、私を追い越した後も引き続き追い越し車線を走り続けいた。

しかも、私が大型トラックを追い越す前から走っていた。私の後ろには走っている車は無く走行車線に戻るには十分なスペースがあるにも関わらず追い越し車線を走っていた。

このような経験したことがある人は少なくないのではないだろうか?

ここで原因を分析したい。

結論から言ってしまえばライトバンの大幅な速度超過があおり運転が発生した原因である

道交法に従い走行車線を走り、追い越し車線を追い越しのためだけに使用している。また、クルーズコントロールを使い制限速度で走っている。絶対そんなことはない、1km/hでもオーバーしているまたは遅いこともあるはずだって人もいるだろ。

かにその指摘はごもっともだろう。しかし、1km/h程度の差は今回のあおり運転が発生した原因に寄与していると言えるだろうか?私にはその理由が思いつかない。そのため考慮すべきことから除外する。

最後に追い越しが完了次第、走行車線に戻り後続車に道を譲っている。これも道交法に従った行為であるしかもこの追い越しは走行車線を走っている大型トラックへの安全配慮している。

ここまで私に何か落ち度があっただろうか?ただ道交法に従って走っているだけである

国沢氏の記事によればマナーが良いドライバーであるのであろう。しかし、私はこの譲るという行為により自分マナーが良いドライバーとは私は思っていない、単に道交法に従っているだけである

先にも書いたが追いつかれた車の義務として後続車に道を譲っている。状況的にマナーとしてではない。

一方、ライトバンはどうであろうか?大幅な速度超過をしている。先にも書いたが10km/hぐらいの速度超過ぐらいでは簡単に追いつかれない、また意識する必要性も無い距離であることを確認してから私は追い越し車線へ車線変更をしている。

また、もし覆面パトカーがいたら確実に捕まる速度である私自身、何度か覆面パトカーで捕まるのを目撃している経験からそう判断した。

ここで10km/hとしたのはメーターの誤差を考慮してであるライトバン制限速度で走るため誤差を考慮してメーター読みで110km/hで走っているかもしれない、しかし実際はメーターがほぼ実測に近い場合もあると考慮している。メーターには誤差があるからこれは仕方が無いことである

もしライトバンによる大幅な速度超過が無ければ私が大型トラックを追い越し終わるまでには追い付かない、すなわちあおり運転が発生する状況は生じなかったのである

から原因はあおり運転をしていた後続車にあり、あおられた側にはないと結論できるのである。そしてその原因は大幅な速度超過である

後続車の速度を見誤って追い越したのが悪いという人もいるかれいない。しかし、結局はその原因も後続車の大幅な速度超過が悪いという結論に達するだけである

後続車をジャマするからあおられる。だからあおられる側も原因があると国沢氏の主張は一部であっているかもしれないが、そうでない場合もあるのである

ここに書いたのは私が書いた経験の一例である。他にも分析をすればあおられる側に落ち度が無いケースはあると考えられる。


二つ目問題は、平然と矛盾している。誰か校正してないのであろうか?

補足記事に下記のように書かれている。

"・あおるヤツがすべて悪い"

"その通りだと私も文末に書いている。"

元の記事タイトルを見てみよう

"あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…"

またその文末にはこう書いてある。

"そもそも3車線ある区間で大型トラックが一番右の車線を走ることは道交法禁止されている違法行為警察もキチンと取り締まれば良いと考える。とにかく後続車にケンカを売るような走り方を一掃することから始めるべきだろう。その後に残るあおり運転は明らかに犯罪者だと思う。遠慮や躊躇すること無く検挙し、一発免停などの厳罰処分をしていけばよい。"

何度もタイトルと文末を読み直した。

私にはタイトルと元の記事の内容からあおられ側にも原因があると国沢氏主張しているとしか読めなかった。そもそもそれを主張するための記事ではなかったのであろうか?

文末にあおるヤツだけが原因だと書かれている個所を発見することは出来なかった。

どこにあおるヤツがすべて悪いと書かれているのであろうか?あおられる側にも原因があると主張しているのが元の記事である。すなわちあおるヤツが全て悪いという主張は記事意図とは明らかに違う。。

国沢氏が補足記事に下記のように書いているが、読解能力問題なのだろうか?国沢氏の論理の展開力の問題校正問題ではないだろうか?

”よく読んで頂ければ記事に盛り込んであるのだけれど、昨今の人は読解能力問題なのか理解出来ないようだ。”

また下記の文も不可解である

"後続車のジャマをしなければいいだけのシンプル事象と全く違う。"

あおられる方だけに責任があると読める文章である。なぜならひとこともあおる方を指摘する文が入っていためである

主張が補足記事のなかで変わるためなにが本当の国沢氏の主張なのか理解し難い。この一文が国沢氏の本音の主張であり、他は建前ととらえることもできる。

また、この文を読んだときに国沢氏のあおり運転問題に対して自分主観だけに基づいて記事を書いたのではないかと疑った。

もし本当に国沢氏が先ほど引用した文にあるようにあおる方が悪いとと思っているのであれば「道交法を守ればいいだけのシンプル事象」の方が本質を表しているので適切ではないか

前を走る車も後続車も皆が道交法を守ればあおり運転は発生しない。それが出来ていないか問題なのではないだろうか?

にも関わらず国沢氏があおられる方だけ限定するのは不可解であるモータジャーナリストであるのであれば客観的考察をしてもらいたいものである


同意もできることも

早い後続車が来たら道をゆずることとそれを教習所で教えるべきという点は同意できる。道路の状況次第で適切に行うことは良いことである。また一部の犯罪者気質から防衛運転すべきという点も同意できる。

また、大型トラックが追い越し車線を走行しているのは道交法違反であり、円滑な交通を阻害しているという主張も同意できる。


まとめ

社会問題となっているあおり運転に関する国沢氏の記事は正確さにかけていることを指摘した。

まず、国沢氏の主張であるあおられる方にも原因があるというのは間違っていることを指摘した。

ケースバイケースで分析をしないとあおられる方にも原因があるとは断定できない。すなわちあおられる方に落ち度が無いこともある。

一部、そうったあおられる方にも原因があることもあるとうのであれば理解はできるが、国沢氏の文章にはそう書かれてはいない。

また、国沢氏の主張には明白な矛盾があることを指摘もした。あおられる方にも原因があると主張する記事でありながら、あおるやつが全て悪いと補足されている矛盾があった。

ただし、国沢氏の主張が全てが間違っているわけではなく、正しく同意できる部分もある。

あおられる方だけに責任があると読める文が含まれていた。コンプライアンスが厳しく問われる昨今、モータジャーナリストとしてこの文がいかがなものであろうか。

モータジャーナーリスト記事を書いてお金を貰い(このお金も元を辿れば一部は自動車メーカーもしくは関連会社スポンサーからであろう)、自動車メーカーや輸入代理店が用意した試乗車を公道もしくは自動車メーカーが高い金を払って借りたサーキットで試乗している。

もちろんメーカー宣伝してもらうために行っている。

いかえれば直接的、間接的に自動車メーカー関連会社と一緒に仕事をしているのがモータジャーナリストである。請け負っていると言う方が適切かもしれない。

そのモータジャーナリストである国沢氏のこのあおられる方だけに責任があるよめる文を記事に書くことに関して自動車メーカー関連会社人達はどう思うのであろうか?

私が自動車メーカー人間なら一緒に仕事をするのを止めたいと思う。一緒に仕事をすることでブランドイメージが損なわれる恐れがあると考える。

2018-10-15

自殺個人権利じゃなかったの?

松本人志、愛媛ご当地アイドル自殺に持論 「死んだらかばう風潮が嫌」 - ライブドアニュース

この記事に対して、群がって叩いているブックマーカー理解できないし不愉快でたまらない。松本の言う「死んだら負け」「自殺したら庇う風潮が嫌」も、どちらも間違っていないどころか、完全に他正しい。

WHOガイドラインを引き合いに出すまでもなく、自殺する事で世間自分境遇に同情してくれて、自殺の一因になったであろう事象を見つけて原因となった誰かを叩いて、社会的に殺そうとしてくれるんだから、これはもう自殺ほう助みたいなもんだろう。死ぬまで見向きもしなかった社会が一斉に自分に反応してくれる未来が予想できるのは、死を選ぶ理由になる。

しかし、死んだ本人も遺族も、それで救われる事はない。もっとも、恨みを晴らせたことで、人によっては遺族はすっきりするかもしれんが、俺ならばすっきりなんてするはずがない。「なんで死ぬ前に、言ってくれなかった。助けてくれと一言言ってくれたら、なんでもしたんだ。」と、SOSを聞けなかった事を後悔するだけだろう、だから「死んだら負け」と伝え続けるのは正しい。死ぬ前に、家族でも友達でも恋人でも、親しい誰かに頼って欲しいと思う。死んだって誰も庇ってはくれないと言う方が、死へ向かう人の背中を押さずに済む。

だいたいからして、「死ぬほどつらいから、そこから逃げるのは個人権利だ」ってのが、メンヘラブックマーカーの持論だったでしょ?自殺者は自分の命を自分で捨てる自由行使したにすぎないんでしょ?

「立派に死んだね」

「頑張ったね、勇気を振り絞って楽になっておめでとう。」

これがお前らに許された言葉なんじゃないの?

分かってないのは松本人志。死にたくて自殺しているんじゃないんだぞ。苦しくて苦しくて苦しさが幾重にかさなって目の前が真っ暗になった時、光が指した向こうに自死という結果があるんだぞ。

自分の命を自分で捨てる選択肢を認めるどころか推奨すらしてる奴らが、「死にたくて自殺したんじゃない」と正論しか言ってない松本人志に群がって叩いているのは奇怪だ。自殺する前に誰かに頼る事が出来ない程弱っている事を認めて、生きて戦う様な辛さを味わう位なら死んだっていいじゃないかと言ってた連中が、自分も殺す側に加担してきた自覚もない事が不思議しょうがない。「死んだら負け」だと声を上げ続けてる松本人志は、その点、誰かを救えるなら救いたいと考えてる側だ。

松本人志が言うように、死ぬ理由が一つではない事も概ねそうだろう。仕事学校での辛い境遇は主因ではあるけど、そこから逃げて来いよ、という声を届ける事しか我々には出来ない。社会に声を届けられる著名人が、ブックマーカーお気持ちに寄り添って、事務所が、会社が、学校が殺したと言うだけでは、自殺を後押しするばかりで意味がない。我々社会は、「何があっても死んだら負け」「生きてるだけで丸儲け」と伝え続けるべきで、何かあれば、周りの人間を頼って欲しいとか、家族や友人が当てにならない人の為に信頼できる公的機関団体を紹介するとか、生きてく選択肢提示すべきだ。死に逃げてしまった人を助ける事はもうできない。生きている間に助けられなかった社会と、生きようとしなかった自殺者に警鐘を鳴らしている松本人志は正しい。自殺選択肢なんて言って自殺応援する連中はクソだし、そこから逃げろ死んだら負け、って言葉マッチョ言葉だとか言いつつ、事務所を叩きたいだけの自分気持ちに寄り添わない松本人志を叩いて喜んでいる連中は更にクソだ。

2018-10-13

anond:20181013125559

この文章現在起きている事象を、合理的理由だと話をすり替えている気がする。

業界でのそれまでの実績の差が性差である保証はない。

単に社会的理由女性研究者職員が少なかったとは話が別。

男女に広く門を開き、実力主義で何年も競争させないとデータには表れてこないと思う。

これは男性の話にも言える。

これまで母親が子守をしてきたと言っても、それが、父親は子守に向いていないとか女性が子守に向いていると説明しているわけではない。

世の中に性差があるのは認める。でも、なんでも性差性差という論には胡散臭さを感じる。

2018-10-12

anond:20181011174934

本当、議論が出来ないな

何よりも尊き人間様の自由を阻害している、それゆえ人間様の別の自由制限しようか、てえのにまともな根拠が一つも出てこねえ

一事が万事、思い付きと感想ばっかし

具体的にどんな権利を阻害されたケースが何件あるんだ?

被害件数は母数の何%なんだ?

原因となる事象前後被害は何%増えたんだ?

フィクションの読後感を語り合ってるわけじゃないんだから

計測しろよ、統計しろよ、立証しろ

サボってんじゃねえわ

2018-10-11

anond:20181011224223

現状でも、オタクカルチャー出生率低下にいくらか貢献してるだろうね

これだけはほぼないな

フェミニストが散々指摘してるようにオタクカルチャーの傾倒者はそもそも恋愛結婚市場エントリーしても選ばれない存在

強引に市場に投入すれば不幸なマッチングが生じて出生まで行き着くケースもゼロではないだろうが

それは女性が虐げられ人生ごと潰された結果であるからそれをもって出生率の維持増加のための必要犠牲などとはとても言えないな

オタクカルチャー傾倒者の市場退去はむしろ歓迎すべき事象である

不幸な事例が減ることで合わせて減る分の出生率低下までをあげつらう気にはなれないね

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

技術革新って停滞している気がする 

技術革新というのが停滞している気がする。

勿論、個人の感想である

なんとなく最近の「技術進歩」というのが画面の中でのことばかりな気がしてならない。

ただただ、中の文字や絵や数字というのがどう動かせるかというものを無理やり技術革新と言っているようにしか見えない。

それをイノベーションと言われても醒めた目で見てしまう。

最近は、自分は出来る限り画面を見ない生活というのを行っている。

そうなると、動画で見る限り10年以上前と変わらないような生活をやっていることに気づく。

自分が小さいころと変わらない生活なのだ

自分は画面の中のものも良いが、早く現実が変わらないといけないと感じている。

画面の中の青春を見るよりも、自分が味わえない青春を味わえるようにしなければならない。

しかし、それは難しいのだろうか。

何となく、このような事象を見ても現行の資本主義というのも無理がきているのではないかと感じる。

これは頭の悪い人間の勘だ。

2018-10-10

anond:20181010152800

お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベル査読が行われていなければ再検証対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文価値を実質決定する。

引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメ研究引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用多寡は直接的には論文価値リンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的リンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。

そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文価値があるとみなされる構造問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文クオリティ担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。

偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?

お気持ち明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算時間も考えられない程かかる。

先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークデータ依拠する以上原理的に完全な再現不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論から再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学天文学と生物学理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系スタンダード研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。

逆を言えば、文系場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。

ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアル新規性もあるし、独創的な理論解釈提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから引用数を重視する文化存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。

萌え絵は何故女なのか? 追記

 解説ページのキズナアイの絵は正直そこまで気にならなかったんですけど(駅乃みちか露骨エロ文脈満載な絵に比べたら普通)、イメージキャラとか聞き役キャラとして出されるのがだいたい女の子一人(場合によっては二人以上)なことはもやっとします。

 刀剣乱舞とかの元々あるキャラとのコラボ以外であります? 男の子のみのイメキャラ。それも特に女性向け商品ではなく老若男女向けで。

 これは多分女の子キャラの方がより『華やかで可愛くて優しい感じがして好かれそう』というなんとなくの選択なんでしょうけど、そのなんとなくが気になるんですよ。

 男キャラだって当然『華やかで可愛くて優しい感じがして好かれそう』に描くことはできるわけです。

 にも拘わらず女キャラのみがその要素を背負わされているのは『女はそういうもの』という偏見の結果なのではないでしょうか。

 誉めてんだからいいやんという話ではありません。これは『華やかで可愛くて優しい感じがして好かれそう』になりたくない、あるいはなれない女を抑圧する思想なのです。

 『ゲイ芸術性が高い』『発達障害は並外れた才能がある』っていうのと同じですね。

 受付は基本的女性女子アナウンサーは半アイドル扱い、みたいなリアルの延長線上にある事象なのではないでしょうか。

 私たちリアルに生きている限りリアル思想偏見害悪から完全に逃れることはできないのです。萌え絵を欲するのはリアル人間萌え絵生産するのはリアル人間萌え絵を見て何かを感じるのもリアル人間

 キズナアイ萌え絵それ自体に罪はありませんが、利用し消費する『現実世界自分』の影響には自覚的であって欲しいですね。



追記

>>「老若男女に世代を超えて愛される=女性」となっているのか、まで般化してしまうと「女性は見守ってあげたい、守ってあげたい、女性というだけで恐怖心を抱かない対象である」ということになってしま

 そう、軽んじられるのと紙一重っていうか表裏一体っていうか……女性が何かを批判したり怒ったりすることを受け入れる土壌もなくなりますし。

 端的に言うと男性が「お前」って言うとき女性が「お前」って言うときの差ですね。後者の方が乱暴な印象を受けません? 私は受けます。そういう偏見意識してもなかなかなくならないんです。いわんや無意識をや。

 ジャニーズはどうなんだというご意見

 う~ん、彼らは基本的には女性向けのエンタメなのでは? AKB基本的には男性向けのエンタメであるように。双方とも老若男女向けのコンテンツでイメキャラをすることはありますが、『ジャニーズ(男)ばかりが滅茶苦茶起用される』『AKB(女)ばかりが滅茶苦茶起用される』という偏りは見受けられないので、そういう意味では『萌えキャラとして女キャラばかりが滅茶苦茶起用される』オタク向け界隈よりは進んでるのかもですね。

 男キャラもイメキャラいるよのご意見

 私の知る限りでは警察のイメキャラにはなってましたね。しか警察の得たいイメージは『頼りがいがあり誠実』だと思うのでなんとも……。

anond:20181010143004

先行研究再検証する場合に高いレベル査読を通過している方から選ぶのは当たり前で

お前こそ何寝ぼけたこと言ってんの? 自分の狭いテーマに関連する先行研究は読める範囲で全部読むでしょ? まあ、「微妙に関連はあるけど、外国紀要論文ネット公開もしてない」レベルなら諦めるし、「そこそこ関連性はあるけど、スペイン語読めないしなあ……」みたいなやつなら別に読まなくてもいいけど、自分研究テーマクリーンヒットしているタイトルのものだったら手を尽くして入手を試みるし(留学してる知り合いにコピー頼んだり)イタリア語だろうがドイツ語だろうが読めるものは全部読むんだよ。当たり前だろ。

(単発の論文じゃなくて「よく知らない外国語で書かれた大量の重要な先行研究存在する」場合は、その場しのぎじゃなくて本格的にその言語を読めるようにならないといけない。このテーマを扱うなら○○語は読めないとねえ、みたいな言語が分野ごとにある)

読む前に必要性の重み付けはもちろんするけど(他の先行研究でどれだけ扱われているかとか、研究動向を読むとか)、歴史古典文学と違って現在進行系の事象を扱っている場合判断材料が少ないから片っ端から読みますわな。習ったことない外国語を四苦八苦しながら読んでたらむっちゃ重要な内容だったとか、そういう経験したことないです? 気楽でいいですねえ。

自身研究が広く認められるにはインパクトファクターの高い雑誌の高いレベル査読を受けるのは当たり前でしょ

和文雑誌では基本的インパクトファクターとか気にしてないですわ。質が高い論文継続して掲載している雑誌の格が高いのは当然だけど、それをはかる指標はIFじゃない。少なくとも今のところは。雑誌の格付けがないわけないだろと。そりゃ、有名な雑誌は逐一チェックしてるけどそのへんの大学紀要なんざいちいちチェックしないっすわ。

2018-10-09

高校生社会学について調べてみた

キズナアイ騒動社会学話題になっている。その騒動の中で、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」とか、「客観的視点が無いならそれ学問じゃなくね?」とか、「社会学って必要なの?」とか、様々な言葉が飛び交っている。

ところで、僕は大学に進学することを考えている、文系選択高校生である。そこでふと気づいたのだが、これから受験に臨むというのに、僕は社会学について何も知らない。知らないというのは、騒動で飛び交っている言葉に対して、「それってまぁこういうことじゃね?」という程度の考えができるだけの知識すら持っていない、ということである。将来ひょっとしたら選択肢に入ってくるかもしれない学問なのに!

そんなわけで、ネットで軽く社会学について調べてみることにした。

社会学」と検索すると、真っ先に、ウィキペディアの一文目が表示された。

社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム因果関係)を統計データなどを用いて分析することで解明する学問である

分かったような、分からないような。とりあえず、“統計データなどを用いて分析する”ということは分かった。とするならば、騒動で言われていた、「客観的視点が無いならそれ学問じゃなくね?」ということに対しては、「統計データなどを用いて分析しているらしいよ」と答えることができそうだ。でも、まだ何となく腑に落ちない。

そこで思い出したのが、「そういや社会学って、社会科学の中にある分野だったよな」ということである。それなら「社会科学」も調べてみようか。

社会科学は、客観的社会真実を探求する事とともに、人類にとっての有益を追求する。また、文科系学問において基礎となる間主体的洞察力の活用自然科学に由来する客観的視点を両立することで成立する。

うん……? ざっくりまとめると、

社会法則みたいなものを見つける→それを利用することで、みんなが幸せになることを目指す

・「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせることと、客観的視点を使うことの、両方をする

ってことでいいのかな。

いまいち理解できないのが、“自然科学に由来する客観的視点”の部分だ。これ何?

自然科学」で検索すると、高校生何となく信頼を寄せるウィキペディアには、残念ながら調べたい情報は出てこなかった。社会科学との対比の「自然」の部分に関する説明が多かったのだ。……ん? ということは、僕の調べたいことは、両者に共通する「科学」の部分にあるのではないか? その考えを以て思い返してみると、“自然科学に由来する客観的視点”、そう、“由来する”って書いてあったじゃんか。つまり客観的視点の由来が自然科学なだけであって、社会科学客観的視点を用いていない訳では無いってことだ。ああ、こんなことだから最近の子供は読解力が無い」なんて言われてしまうんだろうな。ともかく、客観的視点は「科学のものであり、それを知りたいならば、「科学」について調べればよさそうだ。そんなことを思いながら、「科学」のウィキペディアのページを開く。

こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学方法である。言いかえれば、究極的な目的であるなぜ (Why) を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような (How) 現象が起きているのかを記述することと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係分析しようとするのが科学である

……分からん。「科学」で調べた時に、「科学とは 簡単に」という検索候補が出てきた気がするので、そっちで調べてみる。

検索最初に出てきたのがこちら。

https://www.geek.sc/archives/623

科学とは、仮説を立てて、その仮説が本当に正しいのかどうかを様々なデータ論理を使って検証する行為です。

小学校中学校理科の授業を挙げて)先生実験前に皆さんに何かプリントを配って、「実験をしたらこういう結果になる」ということを説明したり、「実験によってどういう結果になると思うか、自分の考えを書きなさい」などのような指示を出したりしたと思います。そして、本当にその結果が得られるかどうかを検証するために、実験が行われたと思います。それが科学です。

なるほど、何となく分かった。科学とは、仮説→実験検証という、小中学校理科でやった流れのことなのか。ああ、じゃあ社会科学的な科学とは、「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせる(仮説)→客観的視点を使う(実験検証)で、その実験検証に使う客観的視点が、社会学においては“統計データなどを用いて分析する”ことなんだな。じゃあ、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」って言葉は、半分合っていて、半分間違っていることになる。自分の好きなことだけ言って根拠が無いのであれば、それは「好きなことを言っている」ということになるけど、根拠があるならば、それは科学証明された立派な法則だ。もっとも、優れた科学者なら、仮説の時点で言っていることはかなり正しくて、後は証明するだけ、ということもあるかもしれない。千田さんが何かオラついているのは、もしかしたらそういうことを言いたいのかもしれないなあ、なんて。

まあそれは置いといて、社会学を含む社会科学は、科学的な手続きを踏んで成り立ってきた法則を利用することで、みんなが幸せになることを目指す学問なのだから、どう考えたって人類にとって有益だ。だから、「社会学って必要なの?」というのはおかしいような気がする。

これでふわっと社会学について知ることができたし、「それってまぁこういうことじゃね?」と言うことができた気がする。ネットで軽く検索して得ただけの弱っちい知識ではあるけど、それだけでとりあえずは、例に挙げたような飛び交っている言葉解決できそうな気がする。もちろん、議論はその上に成り立っているものであるはずだし、そうでないと時間無駄だ。だから、これを「はっ、当たり前のことばっか書き連ねやがって」とか「いやここおかしくね? 幼稚な理解だな」とか言って、一笑に付してもらわないと困る――Twitterで何か言っている人たちとか。なので、この文章違和感のあるところがありましたら、ご意見の程よろしくお願いいたします。

[]

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1274544

Ayrtonism まあ社会学自体若いからなあ。

yasugoro_2012 査読論文無しで業績評価される領域、他にもあるやろに。

segawashin 査読金科玉条みたいに言うツイ&ブコメ微苦笑漏れる。査読論文通した経験が実際あれば査読限界だって分かるはずだし、学問分野が本当にムラ村社会化しているなら機能しないであろうことも想像つきますよね

good2nd 「だから文系は」に短絡する人の論理性って…

miz999 なんかそういう業界(ムラ)もあるんだろ的な話なのに、はてな民が憧れる「学術的なもの」や「学術的な自分」や「理系的な自分」で鼻血が出そうなほど興奮してる感じは伝わってくる

peach_333 クリエイターとかが母校とか関係ある大学の(客員じゃなくて)教授になって研究室つのって文系だといくらでもあるじゃん文系教授必要要件なんてなくない?今は藝大だけど元SFC教授佐藤雅彦論文書いてない。

zyzy あぁうん、言った通りオタが南京大虐殺否定論者と同じ道を辿ってる。歴史学で勝てないか文系イチャモンつけた奴。「ていぎがていぎが」言い出し「ごーるぽすとがうごいたー」しだし「ぶんけいがまちがい」に至る

hiroyuki1983 自然科学無視し続ける「歴史上一回しか起こらない全く再現性のない事象」に対する知的眼差し必要なわけで、そういう学問においては自然現象のようなよって立つものがないので、ある程度はやむを得ない

datsuhaken 人文学系ならわりと普通のことでは?? 査読は無くても論文批判とか当然にあるし。 数学手法けが学問ではないでしょう。 そのほうが偉そうで違和感憶測情報批判するほうが'社会学'チックなのに

yas-mal そういう世界もあるのかもね…ぐらいの感想。てか、「社会学論文査読」って何やるんだろう? 論理ミスとか指摘するの?(さすがに一定レベルになったらそんなにあると思えないのだけど)

Cunliffe 素人適当なことを、以上の感想がない。アンチフェミってアホしかおらんのな。

font-da 査読制度就職はどこもいろいろあるさw/一般論を言うと査読付き英語論文博士号必須ではないし、掲載誌論文の質とは別問題かな(私の論文の質は本で確認して→https://www.amazon.co.jp/dp/4792352223/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mPYUBbW5EKWCM


taron 流石に、この理系原理主義気持ち悪い。社会系の学問は、それぞれローカル歴史特性がある。つーか、理系でも英語査読論文常識化って、割と最近だろう。

今に始まったことじゃないけど、ツイッターヤバイやつってリツイートの盾使うよな

自分では多くを語らない

そしてあたかも多数が自分と同じ意見を持っているという印象操作を行うために

ひたすらリツイートしまくる

この事象名前を付けるべき

anond:20181008235033

そういった発言をするあなたはさぞ優秀なのでしょう。

であれば、この事象に対しての優秀なあなたならどうするかをご教示下さい。

2018-10-08

anond:20181008150242

気に入らない事象をすべてオタクのせいにするのはいかがなものかと・・・

anond:20181008104238

いや、お前がネット内でのごく一部の事象しか見えてないだけ

大体「キズナアイ叩くならAKBも叩け」てのは

裏返すと「キズナアイ叩きに反発するならAKB叩きにも反発しろ」ってなるんだけど

そもそも存在すら知らない時点で破綻してない? お前

中国NHK国際放送が真っ黒に “ICPO総裁不明最中

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20181007/k10011662461000.html

日本のことになると、(これより遥か下の事象でも)これの行き着く先は言論統制だとか黒塗り教科書ですか?とか未来を外挿してまでわさわさでてくる正義の人々がこういうときはさっぱり出てこないのが気になる。

変に贔屓してると思われるのでこういうときでも分け隔てなく正義棍棒ふるって欲しいんだけど。

これこそまさに彼らの信条の敵だろうに。

2018-10-07

元親の"子ども連れ去り"合法国は日本だけ?

ハーグ条約不履行国に日本

元親の"子ども連れ去り"合法国は日本だけ

https://news.nifty.com/topics/po/181007277003/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%80%A3%E3%82%8C%E5%8E%BB%E3%82%8A

日本における国際的な子の連れ去り(にほんにおけるこくさいてきなこのつれさり)とは、日本と諸外国の間に生じている民事領域における国際問題である

本項では特に事象のものと、それに関連する国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約、児童の権利に関する条約等について概説する。

狂信的なファン自分を頭数に含めちゃう事象名前はあるのか?

昔、ゲーム情報が欲しくて2chゲハ板ROMっていたことがあるんだけど、

「先にこういうことを言い出したのはそっちの陣営だろw」

みたいな書き込みを見て、びっくりしたことがある。

何かの話題について、各ゲームメーカーファンが言い合いしている中での書き込みだったと思う。

これが「そっちのセカンドパーティー開発者が先に、こっちのゲーム機を批判する発言したんだろ」という意味ならわかるけど、

「そっちのゲーム機のファンが先に、このゲハ板に同じようなことを書いただろ」という趣旨のようだった。

陣営」って。

メーカーあなたを身内としてはカウントしてないと思いますよ?

単純に「陣営」という言葉意味がよくわかってないのかもと思っていたけど、その後、ゲームと全く関係ない別の話題でも、

狂信的なファン自分は味方の頭数に入っていると思い込んでいる例をいくつか見て、普遍的現象なのではと思い始めた。

もう少し間接的な例で言うと、中小ブラック企業で、酒の席なんかで会社方針に対して良くない点を指摘したら、

他の社員が「社長はこの会社をよくしようとしてる。みんなのことを考えてくれてる」などと擁護に回ることが、たぶんよくある。

なんなら「それはお前が仕事できてないからそう思うのだ。俺はこの会社のおかげで、いい仕事をさせてもらってる」とか。

いや、たぶんその社長は、あなたのこともできるだけたくさん働かせてたっぷり搾取することだけ考えていますよ。

こういう、「自分は味方に含まれている」「お前は違うかもしれないが自分は守ってもらえる側だ」みたいな思い込みは、

なんて呼ぶんだろうか。なんかもう名前ついてると思うんだけど。

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