はてなキーワード: 阿南とは
もうとっくになくなってる元陸軍人の俺の祖父は海軍と沖縄人が大嫌いだった。祖父は太平洋戦争中は憲兵将校として市ヶ谷にいたらしい。しかし各地で前線指揮官になっていた帝大生士官たちがあまりにひどい有様でバタバタ死んでいくので、本来前線に出ない佐官も再び前線に立つようになった。尉官の時に満州で前線指揮の経験があった祖父も沖縄に行ったのだが酷かったそうだ。
本来軍が基地として使う予定の壕が沖縄の現地民でごった返している。ここに入れろと喚いて強引に入ってきたらしい。帝大生指揮官たちは気弱なところがあって入れてしまったそう。沖縄の人間たちが戦前準備を怠け過ぎてロクな壕ができてなかったのが原因。もう沖縄には逃げる場所なんてほとんどなかったそうだが、ここに置いておくわけにはいかない。それでなんとか祖父たちが兵士に命じて無理やり追い出したらしい。その時祖父たちは沖縄の人たちがおにぎりや揚げ菓子みたいな大量の食糧を持っていたことが気になった。後から現地を調査してわかったのが沖縄は本来納めるはずの食糧を全く国に収めず隠していて、町ぐるみで徴兵逃れをしていたこともわかった。つまり本土の人間に比べて戦争に協力する気が全くなかった。極め付けは後から来た将校たちから「阿南閣下たちが何やらずっと会議している。もしかしたら降伏かもしれん」という話が漏れた時。あろうことか沖縄の人たちの何人かは「Welcome」「Help」『Hello』と英語で書かれた米軍へのアピール用の垂れ幕とかを秘密裏に作ってた。発見した祖父たちは激怒して民宿か何かをやってたその現地民たちを顔が変形するくらい殴って半殺しにしたらしい。
そんで戦争が終わってみると、結局責任のほとんどを陸軍がかぶることになった。なぜかといえば陸軍が必死に戦っているうちに海軍部はアメリカとコンタクトをとりながら、太平洋戦争への海軍の関与を示す書類を次々と処分していたから。
祖父は佐官と言っても重要な会議なんかに関わる立場になかったし、占領地での勤務もなかったため短期間の公職追放のみで処罰や逮捕はなかった。その後いろんな仕事をして最後は知り合いの作った貿易会社に落ち着いた。それから孫の俺が産まれたんだが、祖父は陸士の同期や軍での部下には物凄く気にかけていたが、決して沖縄の人間と海軍人を許さないまま亡くなった。
あれ読んで朝鮮人め!という気持ちになる人おるんだろな、多分。まじかよ、とは思うが。
一郎さんの阿南陸相の自決への怒りのツイートを今の政治に結びつけて一緒に怒ってる人は見たし。
自分は一連の東へ向かうツイートは、敗戦の混乱を感じることができてよかったと思う。なんもかんもカツカツでみんな余裕がないから、不寛容。優しい人は優しいけども、みんながそうはできない。でも起きた出来事はショッキングで記憶に残りやすい。
全く存在しない出来事を新たに作り出す事は無いと思うので、多分日記以外の根拠があるか、インタビューとか取材した結果のツイートだろう。
いや、軍関係の奉仕に行った先で日本は負けるって煽ってきた朝鮮人と口喧嘩して負けた事ゼロから作らないでしょ、普通。創作ならすごいよ。私だったら、ひよって苛烈な環境で働いていた人達への連帯感とか哀れみのエピソードにしちゃいそうだもん。
自分が広島市の義務教育課程を卒業して20年近く経ってるから参考にはならないかもだけど、急に教育が右翼化したとかじゃない限り、ダム建設に徴用された朝鮮人など差別の話、日本が植民地へしてきた事への反省教育はされてるはず。
さすがに君が代の代わりにアリランの歌を教えられるとかはもう無いとは思いたいけど。
だから安易にヘイト創作しないと思うんだよなあ。悪い印象与える位なら存在無視しろ、って事なら分かるけど、一郎さんややすこさんの日記に朝鮮の人が出てこないので、透明な存在のままだったろう。戦争孤児の浮浪者集団も強烈に印象づけられたけど、その集団に弁当強奪された旨のツイートへ、彼らは可哀想な存在だからと諭す反応があったな。
シュンちゃんも一郎さんもやすこさんも、聖人ではないし、ただの一個人の感想だと思って見ている。日記に他人が色々肉付けしてるから、そこが嫌な人はいるんだろう。わたしは映像作品を見るより受容しやすかった。
個人的には三者三様の視点で終戦期のやり取りを見ることが出来るのはありがたいと思う。終戦後にやすこさんが小磯元首相の血縁者と分かるツイート、ビックリしたのと同時に米軍がやってくる事への強い不安感や玉音放送聞いた後の悔しがりに納得がいった。
自分が読んだ事のある戦中の日記、その子が原爆にあって5日で終わってたのでこのまま年末まで読めるなら読みたい。(やすこさんは9月中旬、シュンちゃんと一郎さんは年末まで日記が続く予定)
先の大戦に於いても戦争指導者であった軍人や官僚は敗戦時に腹を切るどころか、
敵国に命乞いをし、東京裁判などという茶番の成立を手助けをした
亜細亜諸国は人々は、真に亜細亜の将来を憂う日本国の志を再認識し、
命を懸けて戦った国民も納得し、敵国も精神的に平伏したであろうし、
重要な証人が軒並み世を去れば、東京裁判も開かれなかったであろう
それが揃いも揃って命乞いとは何事か 腹を切ったのは阿南陸軍大臣くらいではないか
国民が爆弾を抱えて敵陣に飛び込んで戦ったにも関わらず、戦争指導者は敵国に命乞いとは
現在の政治家や官僚も有事の際に命を懸ける志の高い者は一人もいないであろう
自分達の地位を利益を守る為に汲々とし、有事になれば愛国心を叫んで国民を戦地に送るが
そのような彼奴等に何故、憲法改正を任せられるのか
勝っても負けても腹を切る覚悟の無い者に何故、憲法改正を任せられるのか
憲法改正を叫ぶ前に、勝っても負けても腹を切る覚悟で我等が国を変えるしかないであろう