はてなキーワード: 物質とは
コロナで死んだ20代以下は2年で10人ちょい
(先進国の富裕層ほど医療アクセスしやすく発症が補足されやすいじゃん、
乳幼児期を過度な清潔環境で育てるのがどうもよろしくないってのがわかってきた
潔癖環境が癌以外にもアトピー、アレルギー、アルツハイマーを誘発していることがわかってきた
推測されるメカニズムは
乳幼児期に適度に病原体に曝露し免疫学習することで正常な免疫力が育つが、
T細胞B細胞が適切に学習できていないため、その後癌化細胞が発生しても攻撃できない
母親の母乳から免疫、IgAを受け継ぎ一年程度病原体から守られる
その後適宜体内に侵入する異物、病原体と接触し自力での免疫学習を始める。
異物の中には攻撃してはいけないものもある、常在菌の多くは有益で共生している
免疫細胞は一歩ずつ学習する、発熱下痢嘔吐があるときに体内にたくさんいる異物を「ヤバイ奴」と
判定できる仕組みがある。
免疫細胞は鎖で縛られており38.5度の体温で解けて活性する。
せっかく巡り会えた学びのチャンス。
熱でうなされている子供が医者の薬でみるみる快方すれば、そりゃね。
ともかく、そうやって成人するまで数百の異物と出会い敵味方を振り分ける
この二年間多くの親は子供を清潔に保った、公園での砂場遊びを禁じた。
発熱があれば、医者の「39度くらいまでは我慢させてね」を無視して
グリッととケツ穴に座薬をぶっこむ
子供を愛してのことだろう。
子供同士の遊びを避けコミュニケーション能力を奪い
幼い子供に、世界は見えない汚物にまみれていると刷り込み怯えさせた
精神的影響は10年20年、一生続くぜ、覚悟してる?してないよね。
皆が同じ行動を取ったおかげで消費低迷し経済がシュリンクしせっかくの貯蓄はインフレで消えた
なんのこっちゃ
自分さえ良ければの大失敗
悪いものを一つづつつまんで捨てる
そうすればいずれパラダイスが訪れるだろう。
経済や社会、人体は複雑でそんな単純ではないよね、人類が何度も繰り返してきた失敗
その後のことは今後考えりゃいい
免疫学習?
二年遅れで再開すりゃいいじゃない。
ま、ね。
でもそうはならんのだわ。
先進国で小児がん謎の急増、なんて新聞記事が出るのが2,3年後だろう。
原因は清潔にし過ぎだけではないのが厄介で、解明は不可能。
正確な答え合わせは数十年後
でもでも、なにもしないよりもなにかをして後悔したほうがいい
俺は5人を見殺しにするね、
世界的ベストセラーのスポック博士の育児書が出版以来どれほどちゃぶ台ひっくり返されてきたか
先日俺はPMBOK第7版を読んで腰を抜かした。
我々が信じていたものはなんだったのか。
だが、脆弱な我々庶民はそれでもなにかを信じ基準を設けて生きていかなきゃならない。
それを批判するつもりは無い。
タバコが健康に影響があるなら女性より男性の寿命伸び率が高くないと計算が合わない。
だけどここ半世紀の男女の寿命差はまったく変化がない。まったくだ、ゼロ
あれ?
答えあわせできてるのに、ヒステリックなタバコ排除が改まる気配は無い。
むしろ加速
タバコは肺気腫の原因になる、そりゃなるだろう、こんなもの体に良いはずがない。
そうやって悪いものをつまんで捨てて、良い結果が出るか?
アメリカは自由の国つぅけどね、ありゃ自由がないから自由を標榜するんやで
実際のアメリカ社会は自由がないねん。がんじがらめや。ストレス社会
ニューヨーク、ロサンゼルスは歯科医よりも精神科医の方が多い。
だが、俺はオマエが無害で他人に迷惑をかけていないと信じているオマエの趣味を
俺にとっては不要なものだから難癖つけて取り上げてやるぜ、が連鎖する。
誰がそんな社会を作った?
おめぇだぜ
【関与成分および作用機序】
【成分の特性】
乳酸菌NY1301株は人工消化液中で酸及び胆汁酸に対し耐性を示し、ヒトに経口摂取された場合、生きて腸管に達することが示唆された。
乳酸菌NY1301株は生きたまま腸管内に到達することで有害菌の増殖を抑制し、かつ有用菌の増殖を促進して腸内環境を整え、排便を促進させる等の整腸作用を発揮することが示唆された。
https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail4547.html
【関与成分および作用機序】
【成分の特性】
乳酸菌 シロタ株は、胃液や胆汁に負けないよう強化培養されており、生きて腸まで届く。
乳酸菌 シロタ株の主な働きは次のとおりである。[1]良い菌を増やし悪い菌を減らす、[2]腸内の環境を改善する、[3]おなかの調子を整える
乳酸菌 シロタ株は、人工消化液に対する耐性が高く、実際にヒトが摂取した場合、生きたまま糞便から回収されることから、本菌株は生きたまま消化管下部に到達すると考えられる。このように本菌株は、生きたまま消化管下部に到達した後、乳酸の産生や菌株表面への物質吸着などに起因する作用によって、腸内菌叢の改善 (有用菌の増加と有害菌の減少) 、腸内有害産物の抑制、便性改善 (便秘、下痢の改善や糞便pHの低下) が発揮されるものと考えられている。
https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail1639.html
まぁ、大体書いてあることは一緒やね
ヨーロッパ圏などの移民を積極的に受け入れている国では、自国で異性からモテない非モテの人でも海外から来た移民と現地の国の人で結婚したりしているみたいなので、日本でも同じように海外から若くて可愛い移民や難民を日本で結婚相手のいない非モテ男性と結婚する前提で受け入れるって言うのは良いと思います。勿論強制はしません、日本に来る前にあらかじめ非モテ男性と結婚する前提を説明しておいてそれでも同意が有れば来てもらうだけなので、実際海外ではうまくいってる国とかもあるみたいですし、難民生活や発展途上国で生活するよりは日本国籍を取得して日本国内で生活した方が経済的にも物質的にも裕福だと思いますし。それで長年一緒に生活していればお互い愛情も芽生えてくると思いますし。そうなればお互い本当の意味で夫婦になる事が出来るはずですし
ごめん、書き方が悪かった。おれも自由には思考が必要だ!って言いたいわけじゃないんだ。元増田の立場に立って、その上で一切の思考をしない人間というのを考えてみたい。
自分も言っといてなんだけど、「一切の思考・欲求・感覚のない人間」は天井をボーッと見ることもできないと思うんだよな。
ボーッと見る、という行為の中にもそういった要素がわずかながらにあると思う…人間が生きているうちにそれを全部取り除くなんてできない。
そういった要素を本当に全部取り除くなら、まさしく元増田の言うとおり死だ。おれは「死に限りなく近い状態」じゃなくて「死」にしかそういう状態はないと思う。
でも死んだ人間ってもはや人間でもなんでもなくてただの物質じゃん。石ころと同じ。石ころやコンクリを「自由だ!」とは元増田も言わないと思う。
何が言いたいかっていうと、一切の命令から逃れようとした先にも結局自由はないと思うよってこと。別に命令されることに自由があるとも思わないけど。
すげぇ死にたいんだけど
数年前まではオナニーするとスッキリしてむしろやる気が出てたんだけど
疲れてるだけかな
脱力感がえげつなくなることもある、全身の力が抜けまくるというか
眠気ある時の体みたいな、眠くはないんだけど
それとも貯め過ぎなのかな
ぐぐったらPCDって出てきた
https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/20/feel-sad-after-sex_a_23505985/
何をしているときに自由を感じるかと聞かれたら、大抵の人は「したいことを好きなだけしたとき」と答えるだろう。
お腹が減ったら美味しいものを好きなだけ食べる、眠くなったら好きなだけ寝れる、みたいな。
しかしそういった欲求は私たちが望んで手に入れたわけではなく、勝手に湧いて出てくるもの。
私たちが生まれる前に「腹が減ったらうまいものを食いたくなるようにしてください」と神に願ったからそうなったわけではない。
脳みそが空腹を感知したら「うまいものを食え」と私たちに命令を下す。
空腹を満たすことができれば脳みそから快楽物質が与えられ、私たちは自由を感じることができる。
つまり、私たちが自発的にやりたいと思ってやっていることは、実は命令されてやらされているだけにすぎない。
このようなアメとムチの奴隷調教によって私たちは「自由」を感じるわけだが、そんなものが本当の自由なのだろうか?否である。
では本当の自由を得るにはどうしたら良いか。単純に考えれば、命令されなければ自由なはずだ。
命令されないように、脳みそから「欲求」や「感情」、「感覚」といった要素を奪ってみる。(感覚から感情が発生し、欲求が生まれる)
するとどうなるか。おそらくだが、ただ横になってボーッと天井を見つめる以外の行動を取らなくなるはずだ。
何も命令されないから何もする必要がない。腹が減っても何も感じないから飯を食いたいとも思わない。
全米が泣いた感動作を観ても一切感情が動かない。思考すらしなくなるだろう。
それは死と限りなく近い状態ではないだろうか。
競馬は倫理的か─鞭打たれるとき、馬は人間と同じ痛みを感じていた | 「皮膚の厚さ」は関係なかった
https://courrier.jp/news/archives/219664/
そのため、自分の愛好するものを倫理的観点からチェックすることは誰に対しても求められるし、
倫理に抵触するものに関しては改善が求められ、結果的に活動を縮小・廃止すべきということにもなるだろう。
を考えることが重要となってくる。
下記より、趣味・活動に関する要素の、倫理リスクの高低を二分法で列挙する。前者のほうがリスクが高い。
これを実際の趣味・活動に当てはめ、その倫理リスクを判定していく。
飲食は、
1、2、4
に当てはまる。
例えば三大宗教のどれもが食に関するタブーを設けており、そのことからも倫理リスクの高い活動であることは伺える。
数学は、
1〜4までどれにも当てはまらない。
生物学は、
最低でも1と2に当てはまる。
場合によっては3にも当てはまる。
動物を飼うのは、
1と2に当てはまる。
鉱物標本を集めるのは
1にのみ当てはまる。
将棋は強いて言うなら3だろうか。
音楽は、強いて言うなら3。
将棋と同様。
セックスは、
多数派には2、3が当てはまる。
長すぎん?これ全部読む人おるんか
超ご注意下さい。
ワクワクは取っておいて下さい。
。
。。
。。。
『ソ連の諜報員(KGB⁇)とのカーチェイス』や、『米国に爆弾が仕掛けられました。』とか、『米国への侵入ルート』みたいな話しになった時、
『え???? んな話し聞いたこと無いけど⁇⁇』自分達が知らないだけで、そんな『アルカポネ時代のマフィアとの抗争』みたいな、秘密裏の激戦が繰り広げられていたんだろうか…⁇
脚色⁇⁇
とか思ってたら、、、
騙された笑笑
この野郎…ww
自分の中では『ザ・ロックの大佐』『トゥルーマン・ショーのディレクター』とかのイメージがあるけど、
この人って頭良さそうで、凄い綺麗な目をしてるから、なんか『悪人』に見えないんだよね。
なんか訳があって『悪人』してる人。
みたいな。
個人的にメリッシュ出てるの良かったです。プライベートライアンの。
この人好き。
しかし初めて『ラッセル・クロウってスゲーんだな…』って思った。
中々出来ないよこの役と、この演技。
『誰々に子守を頼んだ、誰々に子守を頼んだ』みたいな事言ってんのとか、
奥さんに世話して貰って、足引きずりながら、あの中年がせっせと大学行く姿の物悲しさ…泣
しかもそれを後ろのバカな『自分よりずっと若い大学生』にバカにされてる…とか、、
あれは悲しいし、あの哀愁を漂わせたラッセル・クロウは本当に凄いと思った。
またあのシーンに、あの人の今までの人生の全てが要約されてると思う。
統合失調症で、幻覚や幻聴が聞こえてるのは、多分『24人のビリーミリガン』の『多重人格症状』と、かなり似ているケースだと思う。
『自分がこうなりたい自分』て願望が強く反映される…って聞いたことある。
そのクソ親父が『縄で吊るし上げの拘束をする』異常暴力者(多分極度のサディスト)だったから、
人格の1つに『縄抜けの達人』てのがいる。
他にも『ナンパが上手いやつ』とか、
場面、場面に分けて、色々な人格が用意されている。
ラッセル・クロウ演じる『ジョン・ナッシュ』の『ルームメイト』も、
彼にとって『必要だった』んじゃなかろうか??
『イマジナリーフレンド(完全に妄想の場合もある。)』ってヤツで、結構『一人っ子』の『女の子』に多い。
『本や授業に出る暇はボクには無い』ってのも、あの集団の場では、極端な疎外感に苛まれるんじゃなかろうか。
実際以前海外で、『自閉症のピアニスト』の子供がテレビに出ていたんだけど、
『幼稚園や学校に行くのは、宇宙人の集団にほっぽり出されてる気分だった』って話してた。
本人は『どうしてもピアノが弾きたい』のに、
つって怒られてたのに対して、
『プリーーーズッッ‼︎泣』とかって泣き叫んでた。
が、教授の世間話しや、特に興味の無い討論とかで潰れるのが我慢ならないんだと思う。
『分かんない』だよ。仕方ない。
『分かろうとしない』んじゃないんだもん。
『それしか無い』んだよ。本当に。
だから多分、尚更『めちゃくちゃコンプレックス』が強いんだと思う。
『自分には無いものを沢山持ってる"生徒"』に対して『嫌悪感』みたいのが強く出て、『バカにしたような態度』を取ってたんだと思う。
『お前らにはどうせこの問題は分かんないだろ??笑』みたいな。
だけど結局『人前で話すこと』も、
『自信』も無いし、尚更『劣等感』が強くなっていって、
あの自室に籠るようになってったんじゃ無いかね…、、
だから多分『数学しか無い』この人が、自分を正当化させるには、
まあただ、実際あの『妄想の世界』の方が面白そうだし笑笑 自宅近くの納屋の中の秘密基地みたいな奴とか笑笑
ちなみに昔自分は精神障害を患った人の福祉施設で働いてたことがあるんだけど、
『負けず劣らず』凄い人がいる笑笑
例えば、弁護士会や医師会の『名簿リスト』の『チェック作業』てのがあって、
どちらも、専門・所属・所在地・勤務地・電話番号・年齢・名前・出身校、、、みたいな感じで、A4くらいの紙に、超細かく、嫌んなるくらいビッシリ情報が羅列されてんだけど、
それを逐一チェックしなきゃなんないんだけど、
ある利用者さんは、
5×5ぐらいに床とかに綺麗に並べて、
手元に『正しい見本の用紙』を手にすると、
だいたい10秒くらいで、
「あ、ここ間違ってます…」
とか言って『一文字だけ数字が違うヤツ』とか、名前がズレてるヤツとかを、かなり高速で、超正確にやる人が居た。
これが逆にコンピューターが無理で、
最終的に『人』しか居ないんだけど、それやれる人がその人しか居なくて、
バックが『弁護士会』と『医師会』とかだし、超正確無比なもんだから、
月に20万以上貰ってた。
オレは側から見てるだけで発狂するくらい興味も無いし、やりたくもない作業だったから、マジでその人は『神』
だと思った。
この『ビューティフル マインド』観た時は『モロにそれ思い出した』笑笑
まあ一種のサヴァン症候群のようなもの…てかサヴァン症候群だろ笑
瞬間記憶で超正確な絵が描ける人とか、、、
ちなみにこの症状、
『人と接する』事で、能力が弱くなったりするそうです。
『満足』しちゃうんだろうね。
人間は『承認欲求』はどうしてもあるんだよ。『役に立ちたい』とか。
この映画でも結局『数学』が主人公を救ったんだけど、実際は『生徒(てか同級生)』が彼をまた『教鞭の世界』に連れ戻したんだと思う。
ちなみに実際には奥さんとはこの頃既に離婚してるらしいので、私は彼を救ったのは、『同じ学び舎に居る生徒(学生)』だと思っています。
(日本の大学だったら例え『東大』でも、生徒の質がクソ過ぎてこうなって無かったかも笑笑)
また、この手の『病気』は、『脳の神経回路』や『脳内物質』の影響がほとんどなので、
『とにかく薬を飲まないと』良くなりません。
躁鬱の人がこの映画と同じく『自己判断で急に薬を辞めたり』して、
結果更に悪化したり、特に『躁状態』の時に『薬を辞めたり』するので、
最悪マジで『飛び降りちゃったり』します。若しくは『飛び込ん』じゃったり。
また日本の文豪の『芥川龍之介』も、晩年は『見ると死ぬ』と言われている『ドッペルゲンガー』に悩まされて居たらしいんだけど…、、
『自分とそっくりなドッペルゲンガーを見た者は死ぬ』。ってめちゃくちゃ有名な昔からの伝説なんだけど、
自分はただ単に、
『多分脳(若しくは精神)が完全に限界を超えてオーバーヒートしちゃってる人』がただ単に『幻覚』として見るんだと思う。
昔は『脳の知識』や『精神の知識』なんて、特に無いしね。医学も薬も発達して無いし。
脳の角度は、僅か数%違うだけで、偉い支障が出る。
要は恐らく、『実は我々にもこの能力は備わっているんだけど、普段は脳がそれを"敢えて制御してる"状態』なんだと思う。
こんな風にやたらめったら脳にとめどなく情報が入って来たら『キツい』でしょ?? パンクすんだよ。
数字に色が着いてたり、とある文字だけ浮かびあって来たり、とある音だけ必ず拾っちゃったりね。
『人を人と捉えられていない』のかも知れない。
それにしても素晴らしい映画でした。
エド・ハリスに会えるんだったら、
困った事あったら助言してくれそうだし…、、笑笑
まあ、この人達は、『仕事出来なくなる』からキツいんだろうな。
生活出来ないもんね。
『目付き』から『歯並び』、
犬猫なんか、お父さんお母さんの毛並みそっくりで産まれてくるからね。
あれ不思議なんだけど、豹柄やブチがそのまんま子に反映されたりね。
『たまに患者さんで、』
『あっ!あなた〇〇さんの娘さんでしょ⁉︎』ってすぐ分かる程、
『耳ん中が』似てたり、
『鼻ん中』の『曲がり具合』とかが、
『ほぼ全く同じ(遺伝)』だったりする例が多い!
つって笑ってよ笑
そりゃ『名前』とか『顔』じゃなく、
『臓器(内臓とか肺とか胃、脳)』
も押し並べて、良く似るんだよ。
だからこの映画の天才数学者のジョン・ナッシュの、この『強烈な』思考性や、特徴は、かなり色濃く『子供』に遺伝しやすいと思うよ。
ラッセル・クロウが凄い。
エド・ハリスは素晴らしい笑
奥さん役の人も良いよね。
あと大学時代のライバルみたいな人が結構好き。主人公より全然『大人』なんだよな。(主人公はこの人に対して『強烈な劣等感』があったんだと思う。)
あの図書室みたいなところで、学生さん皆んなで丸テーブル囲んで話し合ってるのとか、めちゃくちゃほんのりする。
『ハンハラララ〜♫ハンハラララ〜♬』みたいな、謎の森の歌みたいなヤツ笑笑
スゲえ耳に入って来て好きだったわあ笑笑
素晴らしい映画でした。
次の日普通に仕事なのに、止めらんなくて夜中までぶっ通しで見ちゃいました。
勿論仕事はソ連とナチスの日本進行を食い止める大事な諜報活動です。
あー、忙し忙し…。。
『ジョン・ナッシュ』と、
『ジョン・フォン・ノイマン』を知っておくと、より映画が面白くなるかも知れない。
だろうけどね。
端的に言うと、
『今我々が使っているコンピューターや、AIの基礎を作った人』で、
我々は未だにそれを使ってる。
て感じの人。
ちなみに両者共映画になってる笑
年代も割と被ってるよ。
『社会科学』ってやつさ。
端的にいうと見栄えがいいよね。
量=気持ちというわけでもないけど、鶴1羽よりたくさんのほうが圧はあるよね。
協力したっていう形に表しやすいよね。クラス全体で何房かつくると、みんなで作ったっていう成果がわかりやすいよね。
あとは、持ち運びしやすいよね。1クラスで3房程度作ったとして、移動に支障はないよね。
何かしてあげたいよね。願いに力があるかはわからないけど、支えたいとは思うよね。
というわけで、作る行為自体は肯定している。問題はそれを、送る場合だ。
極論にいうと、相手がOKなら、外野が何を言おうと送っていい。
ただ、今まさに被災している人にそれを聞くことや、一方的に送り付けることを避けるっていうのは想像力を働かしたら容易にわかるよね。
また、善意は断りづらいから、了承したというのも念頭に置いておいたほうがいいよね。
どうしても連絡したい場合は、過去からどういった事例があったかを確認して、外郭団体の支部なんかにメールなどで話を聞いてもらうんがいいんじゃないかね。
これが、面倒くさいと思うならそもそもするべきしゃないよね。
個人的には支援をしている団体が、支援物資・支援金を募っているのであれば、1羽一緒にわたすだけで十分じゃないんかね。
全部「相手は本当は嫌なのに断りづらかっただけだ」と思い込んで叩くなら、
相手がOKならいいけど、それを聞くべきじゃないし、どうしても送りたいなら、相手の業務に支障がないようにメールで団体に交渉して、支援品とごく少量をおくればいいんじゃね?って書いてるよね。
極論いうなら相手が相手がOKなら、外野が何を言おうと送っていい。って書いているよね。根回しして、いいっていってんならいいんだよ。