はてなキーワード: 補助金とは
田舎で、車がないと生活がものすごく不便な場所で育った。電車は走っていたけど運賃がとても高かった。
14歳から自傷行為を始めた。母独裁の機能不全の家と学校での孤立がトリガー。
19歳から精神科に通った。週1回の通院が必要な状態。度重なる自傷行為で鉄剤を処方されるような貧血。母との関係は最悪。貧血と精神科の薬の影響で、バイトは半年も続けられない。
20歳で初めての自殺◯遂。トリガーはお金がなく、国民基礎年金が払えないことだった。世間では社保庁の使い込みが話題だった頃。
24歳で発達障害が分かった。作業所に通うようになっていたけど、通院頻度は相変わらず週1回から減らない。自傷も不眠も続く。母との関係も変わらない。親が負担してくれるのは通院費と住民税やら市民税やらの公的なところ。
国民基礎年金は猶予制度を使った。ハロワは家から遠く、片道800円の電車賃が出せなくて通えず。職業訓練とその給付金は親の収入がそれなりだったため利用できなかった。車の免許はお金が出せず、また親の反対もあって取れなかった。
28歳で障害基礎年金を受給し始めた。手続きは全部自分でやった。診断書料だけは母を拝み倒して受け取った。この頃は自分の口座残高が312円だった。
服もカバンも穴が空いて、下着はサイズが合わないものを使っていた。親は海外旅行に行っていた。兄弟はブランド品を買っていた。
29歳でグループホームに入所した。元手は一年貯めた障害年金。通院頻度はまだまだ週1回。これでやっと生活を立て直せるはずが、ホームの運営がどうも杜撰。
突然利用料が値上げされたり、面談の日にちや時間を間違われたり、無理やり引っ越しさせられたりした。いつ住む場所が変わるか分からないし、お金がないので1日1食、着るものも満足には揃えられない。衣食住すべてが不安定。
身長163センチに対して体重は46キロ。しょっちゅう熱を出して風邪を引いて寝込んだ。住民税やら何やらの公的な分は払えるわけもなく、住む場所は離れても親の世帯からは出られなかったため生活保護も申請できなかった。
もとより親の職業が社会的地位としてそれなりのため、申請しても通らなかった可能性のほうが大きい。
33歳でグループホームを出た。通院頻度はまだまだ週1回。軽量鉄骨のアパートに部屋を借りた。とはいえ名義は親だった。帰ってこいとは言われなかった。世帯を出ろとも言われなかった。この頃後の夫となる人と出会う。
最低賃金を保証してくれる作業所に入れたが、法をかいくぐって弱者ビジネスをやっているような場所だった。生産性のない作業で補助金を吸っているような場所。何度もいじめのようなことをされて状態が悪化。貯金も体重も増えない。
35歳で障害者雇用枠のパートについた。通院頻度は週1回から抜け出せない。客からのつきまといに悩んだ。体重は少し増えたが貯金は全くできない。
37歳で「もういい、もう頑張ったよ。これからはボーナスステージってことで、もういいじゃん」と言われて結婚した。その翌年、通院頻度は2週間に1回になった。体重も50キロを超えることができた。
42歳。現在。洗濯をして、掃除をして、買い物に行って料理をするだけの毎日。子供はいない。通院頻度は月に1回になった。
時々、この20年で縁が切れてしまった友人や、私と同じような状況で未婚の人のことを考える。余計なお世話かもしれないけど。
できるだけ簡潔にまとめようとしたけど、やっぱり難しい。20代の、文字通り血みどろの毎日と、30代の福祉制度に振り回された毎日はそう簡単にまとめられない。
書いてないけど結婚するまでの間は暴力や給料未払い、20歳の時以外の自◯未遂も多々あった。必死に生きてきたというより、死なない(死ねない)だけの毎日だった。
今日、厚生遺族年金のあれこれを見て久しぶりに落ち込んでしまった。私のケースだと、週1回精神科へ通院が必要な発達障害持ちの人間が、どうやって厚生年金に入れただろうかと思ってしまう。今だって睡眠薬がないと眠れない。
遺族年金が有期給付になって、夫がいなくなったら私はまた死なないだけの毎日に戻ってしまうのだろうか。せめてその時までに安楽死制度が整っていれば良いんだけど。
今は毎日穏やかだけど、時々、特に今日みたいな日は生きててごめんなさいという気持ちになる。
ごめんなさい、生きてしまって。
5月から始めた転職活動が終わりそうなので、いったんここで思ったこととかやったこととかをまとめておく。
それぞれ広告、ゲーム、メディア、Web、飲食(補助金のやつ)、営業などの割と異業種を渡り歩いてきた。
というのも大学の友人のツテだったり、過去の同僚のツテだったりと紹介やお誘いで入社退社転職を繰り返してきたからだ。
ここで立ち止まって自身のスキルセットを見返してみるとマジでなんもない。
強みといえば過去6社全て異業種であったことから得た経験と知識である。
活かせる職に行けばいいのだが、何処に行ってもどうせゼロベーススタートになると思っているので、面接で何を言っていいかわからん。
だがそれでもそれくらいしか武器がないので、良い感じに取り繕って面接に臨むしかない・・・と思っていた。
登録してヒアリングの面談で上記を伝えたら、凄い親身になって、
「そういった内容より〇〇って言ったほうがいい」
「△△は凄い武器になるのでプッシュしていきましょう」
と教えてくれた。
エージェントには包み隠さず自分の来歴を全て伝えるのが大事だと思った。
正直めちゃくちゃ助かった。
「ご自身で求人リストから応募されますか?それともこっちでガンガン応募しちゃっていいですか?」
と聞かれた。
正直自分で選ぶと選り好みしてしまいそうだったので、エージェントにガンガン応募してもらうことにした。
そりゃそうだ。
定着しない45歳のおっさんなんてどこが取りたがるのか。
俺でも落とす。
というわけで書類だけで50社落とされた。これは盛った数字でもなくガチで50社。今数えたらピッタリ50社だった。
3社ほど物好きな会社が一次面接をしてくれるというので、今流行のweb面接をしてくれた。(カジュアル面談1件)
そして全部落ちる。
絶望する。
これが最初の1か月。
・自己紹介
・志望動機
この辺はなんとなく良い感じで話せるのだが、
などが非常に厳しい。
キャリアビジョンとかいわれても、もうキャリアも終盤に差し掛かっててアンタんとこで7社目よ?ビジョンもクソもないよ・・・。
というの理由で3社とも同じ回答で落ちた。
絶望する。
もうゼンゼロで遊んで全てを忘れよう、と思ってエレンと餅武器の両方を完凸してしまった。
30万円くらいかかった。
あ^~つえ^~
これが45歳である。
草。
とはいえ、自分の弱点はキャリアビジョンとハッキリと明示されたのでそこを補強すればいけるのでは?
手元にノートとボールペンを用意して思いついたことをちょいちょい書いた。
それを文章としてまとめた。
それを言ったら2社ほど一次面接に通った。
余裕じゃん。
と思ったら2次の現場マネージャーや現場スタッフとの業務内容面談で化けの皮が剥がれ2社とも落とされた。
再び絶望する。
さすがに業務内容は取り繕えない。
ゼンゼロをしながら考えた。
言い方1つではあると思うのだが・・・。
と思ってダラダラ他のとこも受けていたら
話が盛り上がって1時間があっという間に経ってしまうほどだった。
何の話かというと、なんとゼンゼロの話である。(ゼンゼロの話から始まりその他ゲームのことも含め)
これマジ?
というわけでQAの現場のリーダー候補としてアサインできることが決まりそう。
正社員ではあるが会社所属ではなく、プロジェクト所属らしいのでちょっと怖いけど。
どういうことなの?識者がいれば教えて欲しい。
あとは条件面と入社時期を人事と擦り合わせる・・・と言った感じである。
何が言いたいかっていうと
・結局は巡り合わせ
ってことである。
北向きの窓っていうのもアリではあるが南向きの窓でも全然問題無い
北向きか南向きかよりも立地や外から見えるかどうかなどを基準に考える方が良い
当たり前だが暖房に比べると圧倒的に冷房の方が消費エネルギーが少ない
違うところと言えば冷房はエアコンしか選択肢がないが暖房はガスや灯油などの選択肢がある点
ただ、ガスはそもそも割高になるし灯油についても火災の危険性がある
基本的に外気温の熱量を取り込むエアコンが一番熱効率は良いので夏も冬もエアコンが最適になる
これに加えて戸建ての場合はほとんどの場合ソーラーを設置するため夏場の電気代はタダに等しい(それどころか売電で儲かる)
(ソーラーについては電気代を前払いして住宅ローンで返してることになるので補助金がないと微妙ではある)
基本的に光熱費関係を主軸に考えるなら夏場は無視して冬場だけ考えれば良いが
その地域がどのくらい冷え込むのか、その期間が長いか短いかなどの条件も加わるので単純ではない
高気密・高断熱をウリにしてるような高性能住宅だと窓を小さくしがちで
窓が小さいと気密性や断熱面で有利だしいわゆるUA値だとかQ値C値で分かりやすく評価できるけれど
実際の光熱費に換算するとそうでもない
これも立地によるが窓から得られる太陽光の熱量というのは非常に大きくて
窓が大きい家は冬の晴れた日に太陽光を取り込みやすく、小さいとその恩恵が少ない
冬場に曇り空が多いような地域だと外光は期待できないから窓を小さくしても良いが、晴れの日が多いなら大きくした方が有利になる
この場合、北向きの窓だと太陽光を取り込めないので南向きじゃないと意味が無い
と思われがちだがそもそも夏場の太陽は高いので窓から直接見えるようなことはほぼない
東向き・西向きだと見える場合もあるがそれでも窓から見える時間はかなり限られるし、山やビルがあればさらに短い
角度が高いとガラスを通過する距離が長くなるため、ガラスがLow-E加工されていればその恩恵を受けやすい
逆に角度が低いと距離が短くなるので通過する熱量も増えるので、夏場は通しにくいく冬場は通しやすいガラスになる
ただ、実際に使って見ると夏場でも十分に暑いので過信は禁物
上記のように窓を北向きにするか南向きにするかでもいろんな要素が絡んでくるし
立地の条件や自分が建てたい家に合わせて考えるので正解は家ごとに変わる
窓に限らず住宅関係の話で「〇〇が良い!」「××はダメ!」みたいな話がよくあるし実際にその通りなのもあるんだけれど
立地によって条件が全然違うので一概にコレはダメとかいう話はほとんどない
この辺りは設計士がその土地の特性だとか家主のこだわりなんかを理解して設計に落とし込んでくれるかどうかなので
良い設計士に巡り会えるかどうかが重要になるし間違えても胡散臭いYoutuberやX民の意見を真に受けないようにした方が良い
僕はもう付いていけません
えっと今まで出てきた情報まとめると、
「女性支援とか言ってる団体」と「アサクリ問題で炎上しとる教授と仲良い難民の団体」が繋がっていて、
女性支援とか言ってる団体の代表のおばさんが生成AIでも松尾氏と一緒に名前が出てきて、
というか去年はソフトバンクはじめとした生成AI事業してる企業が最大数百億円単位で補助金貰ってて、
なんで全く関係なさそうな業界や団体が繋がっていくんだ...?
ソースも貼ったけど、見れば見るほど謎過ぎる。
https://x.com/higan_wafu/status/1814633687629377561?t=-BeZRRkYonn66Sg3l2xwRg&s=19
世界中がカーボンニュートラルの実現に向けてEVにシフトしているのは事実。
結局のところ充電器のインフラを増やさないと利便性が悪いから普及することはない。
なので補助金使ってインフラ整備をガンガンやっていくことは良いと思うけどな。
その使い方の問題っていうところはある。
誰も使わないところに設置するとか無駄には使わないでほしい。
EVが登場して数年経つわけだが、実際にEVに乗っている人ってどれくらいいるのだろう。
近い将来、ガソリン車は無くなってEVに完全移行するという話もある中で、EVに乗り換えるべきなのか、とても悩む。
自分の周りの人でもEVに乗っている人は少しずつ増えてきているようにも感じる。
ただ、それでも世界に比べると日本って全然普及してなくない?とも思う。
日本でのEVが世界に比べて普及していない理由とかを調べてみて、メモとしてここにまとめてみた。
(有識者の方いましたら、認識が誤っている点や他の意見など、色々と指摘をいただけると嬉しいです。)
→安いEVも少しずつ出てきてはいて、さらに購入者への補助金などもある模様
管理組合の同意が必要で、他の住民に反対されて設置できないことが多いらしい。
→実は設置数は増えてきているが・・・(詳細は下記)
遠出する時に充電スポット探すのも面倒。
→以前に比べて少しずつ伸びてきてはいる模様
急速充電でも80%充電に40分かかる。
ガソリン車なら数分で給油できるのに、こんなに待てない。
電力供給が不安定な時期にはさらに高騰するし、経済的に負担が大きい。
→まあそれでもガソリン車に比べたら安いはず
日本のメーカーはガソリン車やハイブリッド車に力を入れてきたから、EVのラインナップが少ない。
→これも少しずつ増えている
普及しない理由は主にこんなところだと思う。
ちなみに色々と調べてみると、充電器は意外と結構増えているらしい。
街中でEV車はそれほど見かけないのに、なぜ「使われない充電器」がたくさんあるのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2407/03/news030.html
詳細は上記の記事を読んでもらった方が早いが、記事の内容を要約すると・・・
政府は2030年までに30万口の充電器を設置する目標を掲げている。
だから充電インフラビジネスが急速に進んで、多くの企業がこの分野に参入してる。
充電インフラがどんどん増えてる一方で、稼働率の低さが目立つのがテラチャージ。
稼働率が低いってことは、要するに全然使われていないということ。
X(Twitter)の「株夫(@kabuo2024)」という方の調査だと、テラチャージの稼働率は他社と比べてかなり低いらしい。
例えば、2024年6月15日の調査では、テラチャージの稼働率は0.5%とのこと。(2182基あって12基しか使われていない。)
千葉県山武市では、2014年から2024年までの10年間で急速充電器が415回しか使われず、約2200万円の赤字が出ている。
これは補助金が出るからって安易に設置した結果、使われない充電スポットになってしまった典型例。
定額プランなど柔軟な料金体系を導入している充電設備会社の充電器は、稼働率が高い傾向にある。
テラチャージは「完全無料」で充電器を設置・運用するプランを提供しているが、「完全無料」を実現できるのは、国の補助金が背景にあるから。
経済産業省はEVインフラ整備のために多くの補助金を出していて、2024年度の補助金は前年度の倍となる360億円に増額されている。
この公的支援のおかげで、テラチャージは積極的に充電器の設置を進めることができる。
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まあざっとこんなところ。
これを見てると、補助金使ってとりあえず充電器を増やしまくってるけど、結局使われてないんじゃ意味なくない?とも思う。
もっと使われるように設置を進めていかないと、そもそも充電インフラが整ってきたとは言えないなと。
そして経済産業省は補助金を活用して設置した充電器の稼働率を公表することを義務化した方がいい。
国民の税金が使われている以上、意味のある使い方をしてほしい。
少し脱線したが、結論として、日本でEVが普及するための解決策は、以下のような点になると思う。
政府やメーカーは、EVの価格をガソリン車やハイブリッド車と同程度に引き下げる。
EVの購入時に利用できる補助金などもあるが、根本的に量産効果や技術革新によってコストを下げることは必要かなと。
補助金に頼るだけでなく、実際の利用データに基づいて充電インフラを戦略的に配置することが必要。
特に需要が高いエリアに重点的に設置することで、稼働率を上げることができると思う。
技術開発を進めて、長距離移動の際の不安を解消できるように、EVの航続距離を大幅に延ばすことが必要。
急速充電技術の開発を進めて、充電時間を大幅に短縮することが必要。
バッテリーの寿命を延ばし、故障率を低下させる技術開発を進めること。
日本でEVが普及しない理由は多岐にわたるが、価格、インフラ、技術の問題が主な原因。
これを解決するには、政府と企業が連携して、価格を引き下げ、充電インフラの戦略的配置、技術開発を進めることが不可欠かなと。
https://x.com/jethachoudharyg/status/1813451273137758348
『都民の皆さんが私のことを批判してるんですよね?じゃあ補助金とか一切止めます!批判した都民全員の責任ですよ。当然ですよね?』
ってなるじゃん明らかに。
絶対嫌だよこんな人。
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。