はてなキーワード: インディーズとは
https://anond.hatelabo.jp/20240718120400
上記の文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラストで流行した縞パンを語りたくなったので書く。
ブラウン管が全盛期の時代(1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツにレースやフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースのパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースのパンツが好まれていたという訳でもない。CG(コンピューターグラフィックス)イラストを製作する側の都合が大きな理由だ。
当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性の服装にはやたらとレースやフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUI(ユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感が表現できたのである。
【参考】→ 『 「昔のドット絵はブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267 )
こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフトは機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドットを手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度はわずか640x400しかなかったのだから。
しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタも流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニックは通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである。
フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。
ちなみに、ラグビーのユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。
レースのパンツから縞パンへと、美少女イラストの流行が転換した時期は1997年だと私は考える。
美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeaf(アクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期である。エルフはドラゴンナイトシリーズ、同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツはレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart(1997年)、こみっくパーティー(1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツは縞パンが多かった印象にある。
1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1のゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95、Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲームの流行が「エルフ・PC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースのパンツ」から「Leaf・Windows・液晶モニタ・アニメ調・縞パン」へと転換したことの象徴と言っても過言ではないだろう。
実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里(アクアプラス所属)の作風が主流になったことから明らかなことだ。
インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん(2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツが縞パンであることが好まれるようになったのだろう。
とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列の情報誌がぽよよんろっく(渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことから、インターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。
そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク(2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクのパンツが縞パンとされた訳でもないのに、ファンが勝手に縞パンのイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。
ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンはブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおん』アニメ1期の6話である。文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒してしまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンであると隠喩的に表現するシーンがある。パンツそのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パンと認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。
【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929 )
方言がきついと炎上した「Still Wakes the Deep」
https://store.steampowered.com/app/1622910/Still_Wakes_the_Deep/
公式公認の翻訳なのに文句言ってるsteam民。もうこんなの文化弾圧でしょ。
先に結論を言っておくと、こいつらゴミが言いたいことはゴールデンカムイあたりで有名になったアイヌは同じ日本として認めるけど、
マイナーな九州弁なんか知りたくもねーから同じ日本語ではない、の言い換えでしかない。
これを理解しない人間によって今後も乱用され続けると、その内”多様性”という言葉そのものが傲慢な思想の押し付けと同義にされ、それ自体が排斥の対象になりかねない事を理解できないのだろうか。
本来多様性とは個々の性や感性を認めようという寛容を示すものであって、主張し認めない人間を悪と断じる踏み絵ではない。
最初に言っておきますがこのゲームはグラフィックや音楽そして演者共に高いクオリティであり
これによりゲームの雰囲気がぶち壊され没入感が大きく損なわれています。
翻訳者は方言の多様性を訴えてるがこっちはそんなもの求めていない
自分の独善性とエゴは許されると思ってるバカ。押し付けないでください。
日本語の翻訳家は方言での日本語化は多様性といっているが選択肢を与えないホラーゲームとしての雰囲気をぶち壊しにするこの一方的な字幕は多様性とは言わない。ただの押し付け。選択肢を用意してからそのように発言して欲しい。
方言のせいで内容が入ってこない。
自分の無知さを盾にしてるクズ。選択肢がない?オリジナルでプレイしてろ。節穴かよ。
前置きしておくと、私は本作を購入後プレイの前に方言翻訳の問題とその翻訳担当の不遜な態度を先に目にしました。その上で、結論ありきとはならないよう心がけたつもりですが、内容は予想以上に酷かった。主に人物表現とローカライズに関して酷評します。クソ長いです。最後の段落だけ読めば足ります。
...(省略)
独善的な正しさの押しつけ
Steamプラットフォームの対応言語「日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語でスムーズに理解できる言語のことです。そんなことはいちいち指摘するまでもない。この標準語を期待するユーザーに対し方言を強制すること、そしてその押し付けを受け入れないユーザーは正しさに背く者であるかのように翻訳担当自らがネットでチクチクと後追い示唆を続けるのは、端的に言って独善的で幼稚です。
ここまで示した通り、人物表現でのリアリティの追求、他の方言に翻訳する際の配慮、押し付けではなく丁寧な手段を講じること、検討すべき内容は他にいくつもある。にもかかわらず、それらをなおざりにしたまま方言翻訳で注目を浴び「多様性で御座い」と偉ぶるのはお笑いという他ないのです。最後にハッキリ言っておきますが、こんな目障りな実装なら方言による主張など無い方がマシだった。標準語でも文脈くらいは読み取れますよ。馬鹿にしないでほしい。
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この目で確かめるためとはいえ、正しさごっこに付き合わされた時間は苦痛でした。主張するのならもう少し見識と覚悟と気配りを持つべきというのが私からの評価です。まぁパブリッシャー自身も正しさに浸って気持ち良くなっておられるようなので、少なくとも今は何も耳に入らなさそう。逆にこんなチャチな仕掛けで「わぁ方言翻訳だって!すごぉい進歩的!」などと文化人ポイント稼ぎに乗っかってみせるのも私には難しいですね。恥ずかしくて。
ゲーム部分は歩きとインタラクトの繰り返しで進む、よく言えば雰囲気を味わう、悪く言えば抑揚を欠いた一本道のホラー小説。プレイした範囲では探索も謎解きも勝手に進むので迷うこともなかった。物語もありがちな展開で特にこの先を見たいとも思いませんし、一週間程度様子を見て返金申請します。
自分の弾圧行為を正当化したい糞長レビュー。”Steamプラットフォームの対応言語「日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語でスムーズに理解できる言語のことです。”>インチキ解釈乙。そもそもオリジナルが標準英語ではない上での翻訳なのを理解してないアホ(そもそも標準英語ってなんだ?って話でもあるが)。アプデで翻訳が追いつかない未翻訳を見つけただけで全否定してきそうなゴミ。多様性や文化を何も理解してない。
初めに書いておくと、まあまあ長い。
要約すると、「アリカ様が変なことで炎上しませんように。殿とアリカ様が生涯を終える時に少しでも"アリプロを組んで良かった"と思えますように」というどこの誰の何目線なんだという七夕の祈りだ。
去る7月7日、「ALI PROJECT TOUR 2024〜お見かけ通りの若輩者です。」東京公演に行ってきた。
セットリストや衣装や演出など、ライブの"内容"に関することについては来る7月15日の大阪公演が終わるまで箝口令が敷かれているためここでは言及しない。
あくまでも、ALI PROJECT(以下、アリプロ)についての話をする。アリプロについて、というよりはアリプロの作詞家兼ボーカルである宝野アリカ(以下、宝野女史)という人についての話なのかもしれない。
宝野女史は良くも悪くも「温室育ちのお嬢さんがそのまま大人になったようなひと」だと思う。自分の気持ちに素直で無邪気で、だからこそ他人の気持ちを慮らないように振る舞うところがある。…ように感じることがある。
時折、彼女の品性や人格を疑うことすらあるし、言動や思想については賛同することも許容することもできない部分がどうしてもある。何についてのことかはきっと察する人は察せられるだろう。
けれど、私は彼女が書く詞と彼女の歌声が好きで、彼女が「宝野アリカ」を演じ続けていることが好きだ。彼女が描くアリプロの世界観が好きだ。
宝野女史は「宝野アリカ」として生き続けて、「宝野アリカを慕うファン」に囲まれて、どんどん世界を閉じていってしまったのではないかと最近思うようになってしまった。
多分私は「宝野アリカ」個人ではなく、「アリプロの宝野アリカ」が好きなんだと思う。
私は普段は宝野女史のことを「アリカ様」と、下の名前に様付けで呼ぶ。彼女への敬意もあるが、いつからか最早このひとにこれ以上ふさわしい呼び方は無いと思うようになったので、こう呼んでいる。敬称というよりはからかい混じりの愛称として使っている。
6月にリリースされたオリジナルアルバム『若輩者』と先日のライブ、そしてファンクラブ会報等等のインタビューを呼んで、「ああ、アリプロはこのまま終わるんだろうな」と思ってしまったところがあった。
長年ファンを続けていた者として、新曲の「新しさ」や、これからもやっていこうという本人たちの気概は感じる。
けれど、「令和」の価値観にアップデートして「令和の最新になる」という姿勢には無いのではないか、と思った。アリプロは「アリプロの最新だけ」をきっと更新し続けて終わるんだろうなと思ってしまった。
「わかる人に伝われば良い」というのは、作り手のエゴだと思う。ニッチ市場だけを向いた商売の行先はきっと衰滅だ。
宝野女史はいつかのライブのMCで、「アリプロの歌は教室の片隅で一人本を読んでいるような子に届けたい」というようなことを言っていた。
その言葉に、私は本当に救われた。人気のアイドルの話ばかりをする同級生の中で(おそらく)ただ一人アリプロを聴いていた十代の頃の私と、いつの間にか大学も卒業して社会人という身分になっていた私を、一度に両方抱き締めてもらったように感じた。
ただ、今は、彼女のその姿勢があるいは「アリプロの終焉」の有り様を左右するのではないかと不安になっている。
片倉三起也(以下、片倉氏)の作る曲に宝野女史が書いた詞を歌って描き出されるその世界がとても好きだ。
ロマンティックでドラスティックで理想と冷笑と幻想の混沌のような、夢のような世界が好きだ。
ずっと終わらないでいて欲しい。私が死ぬまでずっとアリプロはアリプロとして世界に存在して、活動を続けていて欲しい。
終わるなら、せめて、みっともない最期ではなくて、華々しく見栄を張り続けたフィナーレであって欲しい。
片倉氏と宝野女史がアリプロとしてメジャーデビューして、2024年の7月7日で32周年となったという。
インディーズで「蟻プロジェクト」として活動を始めたのは1985年、片倉氏と宝野女史が最初に出会ったのは1984年のことらしい(Wikipediaによる)。
40年。ユニットとして活動するには随分と長い年月だと思う。アリプロがアリプロとして今日まで活動を続けていて、新たな楽曲を発表し続けているのは本当に奇跡のようなことだと思う。
「作る」だけなら誰にでもできる。
「作って売る」は少し難易度が上がるが、一度目のチャンスを掴める者は大勢いる。
「作って売ることを何度もやり続ける」になると大層難しくなる。個人ではなくユニットであれば尚更だろう。
片倉氏は以前に、「"国宝"というテーマでアルバムを作ってみたいとも思ったんですが、それをやるのは最後かな」と言っていた。
そう聞いた時は、「そんな終わりを予感させるようなことを言わないでほしい」と思っていた。
今は、「どうか、殿(片倉氏の愛称)とアリカ様が自信をもって出した"国宝"がアリプロのフィナーレとなりますように」と祈っている。
「増田が思うような炎上はしないと思う もしもまた一頃のようにアニメタイアップが増えたら有り得なくは無いが」という言及があった。
もしかしたら、これが私が抱えている不安の核にいるのかもしれないと思った。
以前よりもタイアップが減って、ファン以外はアリプロの名前を頻繁に出さなくなった現状に対しての悲しみがある。
ただ、再度脚光を浴びる機会があった時に起こるかもしれないことに対しての怯えがある。
ファン向けに内へ閉じて欲しくはない。けれど、令和の今に名が広まって何かが起きるのも恐ろしい。
たぶん増田の多くが知らないと思うが、ゲームマーケットのサイトが不正アクセスにより、画像をすべて消されてしまった。
ボードゲームが好きな人でも、同人やインディーズのゲームはやらないという人も多いし。
つまり、日本全体で見た時に、ものすごく規模の小さい市場で、影響力も皆無のサイトである。
現に、ニュースにもなっていないし、多くの人がそのことをまったく知らない。
そうなると、何故犯人は罪を犯してまでそんなことをしたのかだ。
データを人質にお金を要求するでもなく、画像を消したところで、人が死ぬわけでもない。
かなり同人ゲームが好きな自分でも、「残念だなぁ」という程度のダメージだ。
言ってしまえば、地味な攻撃だ。落とし穴を掘ったら野良犬が落ちました、みたいな。
どうせ同じ犯罪をするなら、もっと自分の利のある、もしくはもっと被害の大きいことをしそうなもの。
自分(30代後半男)もフルリモートで家族の都合で田舎に戻り、同じような悩みを最初もっていた、しかし、数年住んで慣れたというか田舎(県は地元だが馴染みない地方)も悪くないなと思った。その観点とまだ歯がゆい部分を自分の振り返りも兼ねてシェア。正直20代〜30前半のイケイケのときに田舎リモートは趣向があわないとキツイと思う。
住んでる場所は東京から新幹線とローカル線を乗り継いで3〜4時間くらいのところ。田舎レベルは同じかな?(車で1時間くらいで映画館がある、スタバも1時間)
道の駅が近いから旬の謎野菜をどう料理するかが楽しいよね。地域に根付いた食生活はひとつの文化だな〜と思う。
リモートワークの一部のブルシット・ジョブで荒んだ気持ちが、散歩して雄大な景色で逓減される。家から出たら自然がストレスを解放してくれる。これは全然気づかなかった。知り合いの畑の手伝いも以外と楽しい。生を感じる。(本腰で畑の人は大変だろうが)
これがデカい。東京水準給料で田舎に住む安心感。地方は地方の平均年収にあわせて生活できるようにな収束している。余剰があるというのは精神衛生上よい。まあ地方ネイティブだと選択肢が狭まりつらいから子供は大学は都市部に出てほしいが…。(そのためにお金を貯める)
個人的に良い。海外旅行では美しい地方にいって現地の文化を知りたくなることがある。しかし文化についてはどの地方にもそれがあるもので、居住者としてそれを再認識できるのは大きいかも。これは地方都会関係ないかもな。ただ地元でも知らなかったことが多くびっくりだよ。人間ミクロなこと知らずマクロのいいとこどり(ともすれば偏見)で生きているわと再認識。定年後郷土史を編纂する気持ちもちょっとわかるわ。まあ比較文化はやり辛い(後述)
・旅行に行きづらい
近隣は車でいけるが、遠方には東京経由で新幹線、飛行機に乗る必要がある。東京まで移動する時間を考えると二泊三日の休みをとらねばいけない…。(こちらはフルリモートだからどうとでもなるが家族の都合と合わせる必要あり)
海外旅行も東京にいたころは3日4泊で帰社→羽田空港→旅行羽田から家に帰らず出社ができたが今は無理だなあ 体感アジアがヨーロッパくらい遠くなった。比較文化がやり辛いのもここ。ただ本は通販で手に入るのでそこは甘えも。旅行の表面的になぞった知見で地方の文化なんてわからないし。
・イベントに気軽に参加できない
ライブハウスのインディーズバンドとか上野や代々木公園でよくやってる各国フェスとか(元増田の場合ミニシアターかな)、近場だったら行きたいけれどわざわざそのために新幹線のっていくかなあ〜と思うといかなくなる
まあ絶対行きたいやつは新幹線乗っていってるからそこまで不満でもないけれど(家賃の安さを交通費に転嫁して東京にいく)
やはり大都市圏にはかなわない!エスニックが好きだが、韓国中国ベトナムタイネパール以外はないかな!しかもオーソドックスなものしかないから各国地方の料理はなかなか難しい!いわんやアラブ料理、アフリカ料理(田舎でも北関東は豊富だけどね)
良くも悪くも同調化社会。平均であることがよい価値観。子供が平均から外れていたらツラい思いをさせてしまいそうで申し訳ないよな〜自分も浮いててつらかったし。その場合、田舎生活で浮く金を貯めておきなんとかしようとは思う。
行きたい展示をまとめてはしごしたり、出社のついでにいったり。(ただ東京付近に限る。千葉の国立歴史民俗博物館にいきたいがそうなると旅行になる)
・居酒屋が少ない
車社会だしね〜。飲み屋で知らん人と意気投合してぐだまける東京の下町は楽しいが、次の日の後悔もあるし、県庁所在地や観光地いけば移住者がやってる飲み屋もありそこで話せるだろうしまあいいかな〜 東京の下町のそういう居酒屋で地方から来ましたトークは話題のフックとして良い。
重要だが、これは人それぞれ…。自分は東京の友人関係をなんとか継続しつつ、家族の友人たちと仲良くしようとしている。余談だが、東京の友人たちからするといつ自分が来るか読めないため、逆に自分が東京の友人たちとの会合をセッティングするハメになった自分は本来誘われ待ちだったが、誘うことになれてしまった…(会合の機会も増えた)
結局日本の半数以上は地方に住んでいてその目線でニュースや政治を意識できるよかったが、結局東京の会社のリモートなので所詮他人事かもしれぬといった当事者意識がある。子供が大きくなったら違うかも。
ケチケチせずに土日に東京(ないし大都市圏)に遊びにいけばいくのがよい。東京の水準の給料で田舎の物価(≒家賃)なら月1,2はいけるはず。
ただ平日は諦める必要があるし、イエまわりの用事があって土日が潰れることもあるから、若ければ田舎フルリモートを恨むのも納得できる。
https://anond.hatelabo.jp/20240610211933
選挙自体は小池百合子が291万票を得てゼロ打ちで当確が出るほどの圧勝。当初4年前の小野泰輔よりも厳しいと予想していた石丸伸二が小池批判票と立共批判票を集めて善戦し165万票獲得で次点。蓮舫は8年前の鳥越俊太郎すら下回り128万票で3位の惨敗。2位にすらなれず無党派層を石丸にとられたどころか、本来の立憲民主党の支持層すら石丸に取られている。蓮舫個人の人望の無さに加え、手下による選挙終盤の小池への野次も自身へのデバフとして効果した。自滅以外の何物でもない。
はっきり言って立憲民主党の執行部を総入れ替えして、市民連合と共産党との協力体制を見直すレベルだが恐らくそうはならないだろう。直近の基礎自治体の選挙や補選での成功体験から抜けられず恐らく同じ失敗を繰り返すだろう。次の選挙でも大敗してまた党が消滅(3回目)するかもしれない。
エクストリーム競技は田母神俊雄が26万票の3.9%で優勝。10年前の半分以下になっておりやはり過去の人感が強い。むしろ公民権停止の喪明けな割には善戦したとも言える。
2位にははてブアノンに大人気の安野貴博が入った。15万票の2.3%なので泡沫候補としては久々の大物とも言える。今回のエクストリーム競技は田母神と安野の後ろに、反ワク医師の内海、おなじみ暇空茜が10万票台入っていてハイレベルな激戦だった。一方でかつての常連桜井高田が前回の半分以下の8万票、タレントの清水国明や最後の大物ドクター中松は1%も取れずに大敗。桜井高田は2年前の下半身スキャンダルが影響したか、あるいは暇空茜に票を吸われたか。エクストリーム競技もいよいよ世代交代が進むと思われる。アディーレ石丸は石丸伸二と間違えられて得票できた可能性大で、次の選挙では1%も取れないだろう。
エクストリーム競技準優勝の安野と3位の内海、4位の暇空茜はそれぞれ15万票と12万票と11万票。次点の石丸はSNSの力と言われがちだが、選対に百戦錬磨の自民党の組織が実質的に入っていて旧来的などぶ板選挙もしている。はてブアノンにやたら持て囃される安野も、はてブアノンから蛇蝎のごとく嫌われる暇空も世間から見たら同レベルの影響力である。
今回もN国が大暴れしたため公職選挙法の改正議論はますます活発化するだろう。おそらくいたちごっこになり、N国が消滅するか立花が選挙違反で公民権停止になるまで続くだろう。エクストリーム競技的にももはや競技を荒らすだけの邪魔な存在なので、次回以降は扱いを検討したい。
今回中松が1%も取れない大敗をした上に、清水国明、後藤輝樹、大和行男、小林弘、AIメイヤーなど「非N国系で伝統的泡沫候補」となりうる候補で得票率1%を超える候補がひとりも出なかった。今後のエクストリーム競技の主役は、安野内海暇空のような「支持者や組織はあるけどインディーズレベル」の下位候補と、今回の田母神や前回の小野のように「知名度や行政経験はあるけど供託金返還に届かない」の上位候補が中心となるだろう。
暇空界隈は「赤い羽根共同募金は寄付金を共産党に捧げてる」と主張し
大量の抗議と脅迫のせいで初音ミクと赤い羽根の共同ラッピング電車は中止になった
琴葉茜パクリの件で暇空を嫌うボカロ・ボイロ界隈がますます暇空アンチになった
そういう下地の上で岩下の新生姜が暇空支持を表明して毎日暇空に投票しろと訴え続けた結果、
新生姜ミュージアムのライブイベントで招いて仲良くなったアーティストらに袂を分かたれる結果に
@shinshoga
さっき何故泣いたかと言うと。
僕は音楽に救われ、音楽を愛して生きてきたけど、恐らく、この一週間の騒ぎで、僕が愛した音楽家の友人の大半を失ったと思っているんだ。
サブカル、インディーズはじめ音楽界もまたムラ社会で、そこはゆるやかではあるが左派思想が支配的なの。それはロックやジャズがカウンターカルチャーとして出発してるから左派的なのは仕方ないこと。先輩はそれが社会をよくすることに効いた時代を生きて、でも、今は全く効かないどころか、利権そのものを守る方になってしまっていても、軌道修正は難しいの。人生そのものだもの。若い人も、そのムラに居るんだから、その思想に染まっていきやすいの、濃淡はあるけど。もちろん全員じゃないよ。きっと、このツイートには沢山のリプや引用がつくだろう。それを見てくれればわかる程度のこと。でも、大切な友人を失うのは残念だよ。
一人一人の音楽家はすごく素敵なんだ。優しくて、音楽も素晴らしい。大好きだ。でも、僕はたぶんもうそこの住人ではないよ。みなさん、本当にありがとう…素晴らしい音楽に助けられた。皆さんが大好きでしたよ。本当に。
いま、ひまそらあかねの戦いを支持するのは、僕にも覚悟あってのことだ。実は、愛した音楽とのかかわりが一番重いよ。
それでも、僕は、ひまそらを支持する。彼は今回都知事になるべき人だ!
何でも無いインディーズのゲームとか任天堂が買い取ってなんでも
ゼルダファン飛びついて、これがゼルダたる所以だよね!ってバカなこと言い出しそうw
ゼルダの電鉄って作って出したとしても、
さすが!これぞゼルダだよね!って言いそうじゃん。
ウケる!
これは上映館35館
でも「そもそも何を描写したいのか分からない・伝わってこない」瞬間は無かったからノットフォアミーだっただけかも
・でも観てる途中に暇になって推しカプの事とかこの映画の感想何書こっかなとか思う時間が精神ながら見時間が半分位だったのはそれはそう
・そもそも何で見ようと思ったの?→
①戦争って良くないよねのエッセンスを「女の人を取っ替え引っ替えして復讐」できる位の色男視点から
見るって今までなくて新鮮そうと思ったから
③ここのところ見たいと思う映画無かったし小規模上映映画のインディーズ感空気を味わいたくなった
・主人公ヤリチン君、会社での知人にあまりに顔が似すぎてて知人の濡れ場見てる感が最後まで拭えずそういう意味で直視できなかった 「似てるけど動いてるとこ見たら違う人に見えるやろ」と思ったけど全然最後まで似すぎた
・ピエール?君は脳筋みてえな顔して視聴者の心を代弁してくれるな…
・ヒロインちゃんとくっついて何十年後「おじいちゃんとおばあちゃんは戦争中に出会って大恋愛をしたのよ〜」「本当に〜?」の過去追想ものとして見てたからくっつかなくて驚いた 最後のシステマチックな進路仕分けよ…戦争ってよくねえ…
と思う心と昨日ハンス・ウルリッヒ・ルーデルのwikiとか「戦争は楽しかった勢」話とか見たあとだったから「ザコ無力市民自分にとっては戦争はまっぴらごめんだが環境に適正を持ち偶然その時代に生まれその役割を与えられて開花する才能もあり… 人間は環境と適正によって良いも悪いも変わるのだなあ」と思った
・「ヤリチンが敵国女性を次々破滅させていくが運命の女性と出会い…」みたいな触れ込みだったから「メロらせまくって旦那の金貢がせまくって破産まで追い込むんやろなあ」と甘いマスクと破産させる畜生業のコントラストを期待してたらただのヤリ捨てかい!!!
・ちょいちょいジョーカーよぎった
苦痛に押しつぶされそうなのを身体の動きで表出してたら傍からみたらダンスみたいとか極限まで追い込まれて銃発砲とか
・俳優さんの演技は「なにを伝えたいのか」は伝わってくるし生でみたら目茶苦茶すごいんだろうが
正直画面越しで「この俳優さんからでしか摂取できない滋味・観客を掴む天性の力」みたいなものはなかった この映画がヤリチン君役の魅力で引っ張る部分が大きい話の作りの映画だったかれ尚更そう感じた
でもそこについては地で北島マヤ並みの演技力を持つ3次元の俳優たちのチート演技しか見たことがないから感覚基準がおかしくなってるのかも
・演技で「おっここは惹かれる」ってなったのは友達が絞首刑にされるシーンで「ひどすぎて逆にもう笑みがこぼれるしかねえ」みたいな表情のシーン ここもジョーカー思い出した
・空襲シーンが新鮮だった
空襲といえば東京大空襲のイメージで和風の家屋で夜空が爆弾?で赤く照らされ〜っていうのはよく見るけどヨーロッパの街並みでそれをみるのは初めてだったから新鮮だった
・ガチノンケ男性同士のホモソっぺえ友情でしか摂取できない栄養を的確に摂れる
・ヤリチン君が本命ヒロインちゃんに黄色いお花の花束を照れながら渡すシーンは萌え萌えだ…からのシャア?
電車いとる…人が突然ぶっ倒れまくってるのにそこそこまでダンスパーティー継続しとる…目茶苦茶偉い人が出入りするホテルにドイツ人労働者でなくちょいちょいガサ入れされる感じの方々を雇うのはなぜ…?とか なんか初対面でもう好感を持たれやすすぎ主人公君…その誘い方で女の人ついてくるんです…?とか彼女も友達も撃たれてから全く動かなくなるまで早すぎん?とか自分だったら最初の彼女が撃たれたところで一緒に ねなかって悔やみとかがかなりデカそうそっちに拗らせそうとかなんか色々ゴックンするところは無くもなかったけどヨシ!
・これ自伝ゆうけどこれは…
・木曜4人くらい
そこら辺で知ったんだけど、バッキーの社長がそろそろ出所するんだって?いや、もうしたのか?
まあいいや
詳細
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
懲役18年だったのか
バッキーなあ
グロい、汚い、エロくない、可愛くない、過激なことやったらウケると思ってる、演技っぽい
みたいな、所詮フェイクみたいなイメージだったから捕まってびっくりした
誰が好きなんこんなの?と思ってたけど、案外居そう、AVっていうかグロ動画だよね
Youtubeやブログなどで「極悪AV監督が」みたいな感じで紹介されてるのはすげー違和感あって気持ち悪い
一応あくまで何でもありの犯罪集団っていうより、過激AVの奴らがやり過ぎたっていう認識なんだけど
なんか、極悪人であってほしいみたいなのを感じるよね(いや極悪人だけどね?AV頑張った結果はみ出したみたいな感じ)
「バッキーの悪評が広まって出演者居なくなって素人を攫ってきた」ってのがあったらしいけど、そのせいで出演者全員そういうのだと思ってる人いそう
女優に内容を過小評価して伝えてたってのはまあ、今の法改正で厳しくなってよかったよね
捕まった主原因はぶっちゃけ事故っぽいしなあ(微罪は大量にやらかしてるんだけど)
てか当時ここまでいかないけど過激風なやつって結構あったよね?と思うんだけどあまり思い出せない
全然SMじゃないじゃん、ただのリョナ、暴力、嫌がらせの類で一方的、SMじゃなくてSのみ
出所したらまたやるのかね?
59歳くらい?
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https://bunshun.jp/articles/-/63565
まあ本人が反省してるかどうかは置いといて
やっぱ事故か事件か、事件だとしてどれだけ重いかのあたりって曖昧というか、微妙な感じなんだな
結局「警察が他の女優たちを説得してレイプ事件に持っていった」わけで
いや、捕まえて大正解だと思うけどね
クリエイターと自由と責任、というテーマについて色々考えたことをつらつらと書いてみる。長文。
俺は大学在学中から、もうずっと長いこと個人でゲームを作っている者だ。仕事をしつつ余暇でゲームを作り、すでに何作も公開している。大して売れてはいないので、あまり偉そうなことを言える立場ではない。
これまでしてきた仕事は、ゲームとはまったく関係がない。俺がゲーム業界に入らなかったのは、そこに入っても俺が作りたいものを作れないことを知っていたからだ。会社という組織は、自分の作りたいものを自由に作れる場所ではない。
俺には明確に作りたいものがあって、それは個人でも作れるものだったので、ゲーム業界に入る意味が俺にはなかったのだ。
本業の方では、いくつかの組織を渡り歩き、それなりに人を束ねる立場になってきて、組織の仕組みというものがある程度分かって来たところだ。
日本の企業は……いやもう少し主語を小さくしようか、俺が見てきた組織は、末端の従業員の裁量はとにかく小さく、何をするにも上司の承認を通さなければならない。個人が自由に創造性を発揮できる機会などはほとんどない。
そういう体制をディスりたいわけではなくて、それによるメリットもある。
上司の承認を取ることで、自分の行動で何か問題が起きても、その責任を上司に転嫁することができる。そして上司はさらに上司の承認を取ることで、その責任を転嫁する。
そのように組織の中で責任を広く薄めることで、特定の個人の責任を回避する。これは責任を曖昧にして、組織が社員を保護するための仕組みだ。
しかし普通の会社はそれでよくても、自由な創造性が必要な分野では、そういう体制はすこぶる相性が悪い。
クリエイターが創造性を最大限発揮するには、何よりも自由が必要だ。その点で、うまくやっていると思うのは漫画業界だ。
俺は、日本の漫画が成功している要因の一つは、漫画家が組織に属さず、組織から自由であるおかげだと思っている。もし漫画家がサラリーマンだったなら、漫画の内容をまず企画書にまとめて稟議にかけたり、1コマ修正するにも上司の承認を通したりといった世界になるだろう。
編集者がそれに近いことをしているのかもしれないが、漫画家本人はしていないはずだ。もし漫画家本人がそんなことをさせられたら、稟議を通りやすいテクニック、組織の中での立ち回りばかりが優先されることになり、自由な創造性からかけ離れてしまう。
出版社は漫画家にある程度自由な裁量を与え、漫画家が創造性を最大限発揮できる体制を整えている。しかしそのためには、漫画家を組織の外に置く必要があるのだろう。
漫画家のような存在は、組織にとっては異端者であり、組織の中に組み込むことができない。漫画家がいなければ事業が成り立たないにも関わらず、その主役を組織の中に置くことができない。この辺に、日本の組織運営の難しさがある気がする。
しかし自由の代償として、漫画が売れなかった場合、漫画家は収入の大幅減、連載打ち切りといった形で、その責任をダイレクトに負わされることになる。
サラリーマンであれば、たとえ大きな失敗をしても降格程度が済むことが多く、日本ではいきなりクビになることは少ない。サラリーマンは自由を制限される代わりに、ここでも保護されている。
サラリーマンであってもかなり上の役職であれば大きな裁量が与えられるが、その代わりに大きな責任も取らされる。結局、自由が欲しいなら責任を負う必要があるのだ。
ゲームの話から少し逸れたが、ゲーム業界においても80年代頃のゲーム会社は自由が気風が強かったのではないかと思う。いわばゲーム業界そのものが異端だった頃の方が、ゲーム業界は元気があった。新しいものを作るのは、いつだって異端者だったのだ。
俺はゲーム業界にいたことはないのでこれは想像なのだが、当時から残っている大手には、事業の規模が大きくなるにつれて社会の責任が大きくなり、多様なメンバーが集まり、大企業病に冒され、だんだん普通の会社になっていったところが多いのではないか。
任天堂なんかは今でも元気があるが、他に元気のある日本のゲーム企業は少ない。クリエイターが自由にものを作れない環境から創造性は生まれない。
ともあれ、いまゲームを作るなら昔から存在するゲーム企業ではなくインディーズで作るのが一番だと思う。それがもっとも自由な創造性を発揮できる環境だ。
俺なんかは、別の仕事をやりながら余暇でゲームを作るという、いわば美味しいとこ取りでやっている。しかしそういうやり方では、所詮大したものは作れないとも思っている。本業でゲームを作っている人には、やはり及ばない。
それは創作に掛けられる時間の長さという意味でもそうだが、それ以上に、本業でゲームを作っている人は覚悟が違う。
これが売れなければ倒産する、失業する、借金を背負う、そういうプレッシャーを負うからこそ作れるものがある。自由と責任は表裏一体だが、大きな責任はクリエイターを追い込み、本気にさせる。それで潰れる人も多いが、それを乗り越えて初めて達成できるものがある。
俺にそこまでのことはできないので、それができる人は素直に尊敬するし、感服する。俺は、彼らと同じ土俵には上がらず、慎ましく自分の作りたいものを作っていようと思う。
【前提】
・今はKobo Touch利用者、電子書籍リーダーの買い替えを考えている
・KindleとKoboでそれぞれ約10冊ずつ電子書籍を買っている
・それ以外にはPDF(論文やインディーズ漫画小説)を読んでる、というかそっちの方が多い
それで増田たちに聞きたいのは「Koboのカラー端末を買うのとKindleのカラー電子ペーパー端末の発売を待つのとカラー電子ペーパー画面のタブレットを買うのとどれがいいか」
どれかしか使ったことがない人の意見でもいいのでレスしてほしい
【Kindle端末でよさそうと思っている点】・
・単純に書籍の種類が多い
・サブスクが使える、サブスクで試し読みして本気で欲しければ買うということができそう
・Kindle端末なら文章系書籍の本文検索ができるらしい(スマホアプリではできないので未確認)
・PDFの扱いが面倒くさそう
Send to Kindle機能を使わず直接PDFを入れるとまともに読めなくなるらしい
しかしSend to~でスマホアプリにPDFを送ったことがあるけど面倒だし容量の大きいPDFには使えない
・まだカラー端末が出てない、発売までに物欲を抑えられるか、そもそもカラー端末は発売されるのか不明
・PCから直接楽にPDFを送れる、それでも普通にズームとかできる
・色々な電子書籍アプリが使える、無料の漫画アプリとかも入れられる
・多機能
・高額
・意外と扱いが面倒そう
(読書アプリのアニメーションをオフにできないアプリはページめくり後に残像が出ると聞いたことがある、あと色味とかもアプリごとに設定しないといけないらしい)
・ネットブラウジングもできるので読書に集中できなくなりそう、これが一番の懸念点
【Q&A】
・紙の本じゃいけないの?
→紙で読み続けることも選択肢には入れている。ただ本棚に入りきらなくなるのが嫌なのと、電書端末なら分厚い本を何冊でも頑丈な機械に入れられるのが便利すぎる
【19:41追記】
カラー画面の発色の悪さと解像度の低さについては購入者の写真とかを見て承知しているが
どこに何色があるかさえわかればいいと割り切っているのと、Kobo Touchの177dpiの画面でもいけたので大丈夫だとは思ってる