はてなキーワード: 双極性障害とは
あれさ、散々科学的根拠ないとか迷信だとか言われてるのに、未だに話題に出すやつが多くて謎だったんだよ。
正直、頭悪いなーってバカにしてた。
けどわかっちまったわ。
→定型発達
いわゆるO型:おおらか、ルーズ、時間を守れない、片付けられない
→ADHD(多動、注意欠陥)
友達に血液型きかれて答えた時、「あ~O型なんだ~やっぱりね~」っていわれる奴は周りからADHDだと思われてる。
自己紹介で「A型なんですけど、よくAB型っぽいっていわれます」といってるやつは自分がASDであることをさりげなく告白してる。
血液型当てゲームは定型の中から発達を見つけ出すゲームなんだ。
本当の血液型がなにであるかはどうでもよくて、初対面でインスタントに発達を見分けるための簡易チェッカーだったんだ。
「コイツ、まだそんな迷信信じてんのかよw」って内心バカにしながら、馬鹿正直に「O型ってよく言わます」とか答えてた俺がバカだったわ。
数ヶ月前から仕事のストレスでメンタルをやられて、先月耐えきれずメンタルクリニックに行って双極性障害と診断された。
薬を飲み始めて、動悸や目眩や過度なイライラは収まり仕事はスムーズにこなせるようになってきたが、いかんせんプライベートの性生活が死んでいる。
私のパートナーは性欲が強く、私もかなり強かったのでそれをきっかけに付き合い始めた。
お互いにそれなりに忙しい社会人だったが、家が近いこともあり隙あらばセックスばかりしていた。
しかし、ここにきて私は全く性欲がなくなってしまった。性欲がないというと語弊はあるが、彼とのセックスが苦痛なのである。
客観的に見て、彼の行為は自己中だ。しかしそれも極めれば一種のプレイで、自分自身も心に余裕のあるうちはかなり楽しんでいたし彼以上に体の相性が合う人はいないと思っていた。
最近は、痛いし思いやりの欠けらも無い行為が苦痛で仕方ない。ストレスのせいでホルモンバランスが乱れて濡れなくなってしまった。薬でアドレナリンを抑えているので興奮もしづらい。
何より心の余裕がないので、行為以外でもわがままで子供っぽい彼に対して優しくできない。
一方的に彼を責められないのは、性欲が強かった頃の自分が「もっと」と彼の自己中行為を助長させてしまったせいもある。
もちろん理由は話したが、ストレスというものを感じないらしい彼には理解し難いことが多い。
行為を断ることに対しても苦言を呈されるが、事実だし彼の性欲の強さは理解しているので申し訳なしかない。
彼なりに最大限気を遣って行為を減らしているのも、最中多少優しくなったのも感じる。
悩みはここだけで、他は一緒に過ごしていて楽しいのでいまいち別れるという選択もとれない。
大体クリニックに行ったきっかけも、性欲がないことが唯一自分以外に迷惑をかけていたということだった。
先程、これから私の家に行って抱いてもいいかという誘いを断って「誰が悪いの」と言われてしまった。
私だ。私が全ての原因だとしか言えない。
高校生の頃にADHDの存在を知って「あっ、これ自分じゃん」と思った。
それからはなんとなく周りの人間を「ADHDかそれ以外か」で見るようになり、ADHDの人には仲間意識を持つようになった。
大人になるにつれ、ADHDの症状は社会生活に強く支障を来たすようになり、通院を始めた。
それでも、学生時代の友人やネット上に居るADHDの人たちを見て「でもあの人たちは頑張れてるし」「ちゃんと仕事もできてるし」「結婚してる人だって居るし」と考え「だから自分も大丈夫!ADHDはただの特性!」と思いながらストラテラを飲み続けた。
自身の根本的な問題が"ADHDでは無い"と気が付いたのは初通院から約8年経過したあとで、引っ越しの都合により転院した先で「双極性障害」と診断された。
ADHDの二次障害としてよくある障害らしく、思い当たる症状はいくらでもあった。
そう診断されてから「ADHD仲間だと思っていた人たち」と自分とでは、状態が全く違うことに気が付き、心の支えが崩れていった。
今まで縋ってきた"同じ属性の成功者"という希望は手の届かない幻想で、その人たちは自分とは全然違う属性だった。
結局、社会復帰は出来ず、今は無職の引きこもりで、障害年金と生活保護を受給し、一人暮らしをしている。
ADHDの人を見ると「でもこの人はADHDだけなんだよな」と思うようになり、双極性障害の人たちに仲間意識を持つことは無かった。
もう海外のNPOみたいに、重篤な発達障害と軽度知能障害はTPOが理解出来ないし、
だからこそ、子どもを性的な見ることを許さない社会的合意なんだよな
TPOとフィクションと現実の区別が付く人しか世界にいないのならレーティングもゾーニングも一切不要なのですわ
だけどTPOが理解出来ずフィクションと現実の区別が付かないポリコレで保護を必要としている人ほどその自覚は薄く、
ポリコレがどうたらと騒いだり、実在の人物や企業に実際に攻撃を仕掛ける、
一応日本にもいるけどな、実名で言い切ってる当事者(発達障害の性犯罪者)と性依存症の対応してるクリニック
<当事者 (発達障害の性犯罪者)>
「小児性愛障害以外にも、発達障害や双極性障害、アルコール依存症もある。身体的な疲れ、人間関係のストレス、いじめといったものをうまく解決できずに感じていた“生きづらさ”から解放されたい時の手段の一つだった。そして、やってしまった。こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、どうしていいか分からずに、警察に助けを求めたのだと思う。自分の中に残っていた“良心のカケラ”というか、依存症治療で求められる正直さが必要だ、と思えたのだと思う。」。
「僕自身も心理的虐待を受けていたので、子ども心に“大人になったら子どもをいじめるような大人にだけはならない”と誓っていた。それでも、なってしまった。僕が立ち直るきっかけとなったのが、サバイバーの方たちの手記だった。それを読んで、自分がどれだけ深く子どもたちを傷つけてきたかと思った。例えば思春期前に、そういうことについて学んでいたら違ったと思う。また、ゲイ雑誌の中にある男児小児性愛のポルノの広告を見て、自分の居場所というか、“自分は少年愛者だ”という考えが強化されてしまった。一般化することはできないが、やはり自分はすごく刺激を受けたし、妄想を強化して自己正当化してきたことは間違いない。今の法律、規制は、不十分だと思う。たとえフィクションであっても、子どもに性被害を与える表現への規制は必要だと思う」と語っていた。
小児性犯罪の元加害者&専門家と語る【小児性愛障害のリアルと課題】
<性依存症の対応してるクリニックのご意見>
「現実とファンタジーの区別はついている。児童ポルノを見ても、実際の子どもに手をかけるなんてことはない」というのは、典型的な認知の歪みの1つです。自身が子どもに加害行為をしていなくても、それに加担している事実にふたをしています。
また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります。
小児性愛障害と診断された者たちは、生まれながらにして子どもへの性嗜好を持っていたわけではなく、社会の中でそれを学習し、身に付け、強化していきます。児童ポルノはその「パンドラの箱」を開けるきっかけとなっている可能性がとても高いといえます。
もしこの社会に児童ポルノがなかったら――そんな“たられば”を言ってもしょうがないですが、子どもへの性嗜好に気づいたきっかけが児童ポルノとの出合いだったというのは、小児性犯罪の治療グループで聞かれる定番中の定番のエピソードです。
そして児童ポルノを通して彼らは「子どもは性的な存在である」というメッセージを受け取り、認知を歪めていきます。見れば見るほど、それを利用してマスターベーションを繰り返せば繰り返すほど、問題行動は強化されていきます。
「児童ポルノがあるから現実の子どもにいかなくて済んでいる。なければ、子どもへの性犯罪はもっと増えると思うよ」というのは、まったく逆です。児童ポルノに触発されて実際の子どもに加害行為をする者もいる、と考えるほうが現実的ですし、そのように語る加害者に私は何人も会ってきました。
加害行為をする前には、トリガー(引き金)があります。クリニックに通院する者たちに「加害行為の前に何をしていたか、どんな状態かだったか」を振り返ってもらうと、子どもとのセックスを想起し過剰なまでにマスターベーションをしたというエピソードがよく出てきます。1日に8回もしていたという者もいました。言うまでもなく、そのときには児童ポルノがセットになっています。児童ポルノは確実にトリガーとなりうるものなのです。
児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません。
児童ポルノと表現の自由について議論するときは、常にその背景に被害を受けている子どもがいることを忘れてはなりません。これを加害者臨床では「ダブルクライエント構造」と呼んでいます。
児童ポルノを愛好するほとんどの人が現実とファンタジーの区別がついていても、その中から1人でも現実に加害をする者が出てくれば、それは対策が必要だということです。小児性犯罪は特にその傾向が強いということが、世界でも明らかにされつつあります。
「長年の加害者臨床の経験から、性犯罪は学習された行動という要素が非常に大きい。普段、暮らしている日本社会の中で学習してきたという結論です。痴漢に関しても同じことが言えます。生まれながらの痴漢はいないし、将来痴漢になりたいという人もいません。社会の中で痴漢になっていくわけです。したがって、小児性愛障害者特有の認知の歪みというものも、日本社会の中にある前提となっている価値観(子どもを性の対象として消費する社会)との相互作用の中で強化されていったものだと考えています」(斉藤章佳さん)
https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A
<海外のNPO>
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つめました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
昨年の9月から、原因不明の微熱、疲労感、睡眠障害、気分の落ち込みがあり、仕事に行くのが辛くなってしまい休職しています。
職場の上司から、会話中(会議中じゃなくて会話中です)に居眠りしてしまうことや体調不良による欠勤が増えたことから休職を勧められたのですが、「申し訳ありませんでした、まだ頑張れます、働かせてください」と言いながら自分の髪の毛を両手で掴んで思いっきり抜いてしまいました。
「うつ病っぽいけどなんか普通のうつ病と違う?」と感じたそうで、まずは統合失調症の薬が出されました。
しかし、妄想や幻聴などは全く無く、「本当に統合失調症かなあ…?」と疑問を持ちながら服薬していました。
また、その頃ものすごく涙もろくなっていました。
誇張なく毎日、特に16時くらいを過ぎると涙が溢れるようになります。理由は特にありません。
休職し始めだからナイーブになっているのかな、やっぱりうつ病なのかな、と思っていました。
涙が出ることを主治医に伝えると、統合失調症の薬に加えて双極性障害の薬を出してもらえることになりました。
その1か月後、私の身体にパニック発作が起きるようになります。
息が出来ず、全身が勝手に痙攣する発作でした。
頻度は2週間おきに1回、場所は自宅のベッド、時間は寝る直前、発作は毎回3時間ほど続きました。
パニック障害になってしまったかあ…と思い、病気のことを調べましたが、なんだか自分の症状とは違うな…と思う点も多くありました。
睡眠障害も気になっていたので睡眠外来で検査を受けましたが、異常はなしとのことでした。
入眠障害があるので、精神科の方で睡眠導入剤を処方してもらっています。
月経前症候群(PMS)の可能性もあったので、婦人科でピルの処方もしてもらっています。
また、血液検査でかなりの貧血だということも分かったので鉄剤も処方されました。
その後パニック発作が起きるのではないかと常に恐怖を感じるようになったので、うつ病とパニック障害に効くSSRIという薬を精神科で出してもらいました。
この時点で統合失調症の薬、双極性障害の薬、ピル、鉄剤、睡眠導入剤を飲んでいたので結構な量ですね。
しかし、この薬は2週間飲まないと効果が出ないのでなんとか頑張って飲んでいました。
それから2週間経っても吐き気が治らず、外出も困難になっていたため薬を変更してもらいました。
別の種類のSSRIが処方されましたが、
こちらも吐き気が起きてしまい、家から一歩も出られない日が続きました。
そうなると筋力が弱るので、家から徒歩5分もかからないコンビニに行くのすら重労働でした。
SSRIをやめることになりました。
ストレスで吐くくせがついてしまったので、吐き気止めを持ち歩くようになりました。
涙が夕方からじゃなく、朝からも出るようになったので精神科に相談に行きました。
「感情のコントロールのため、統合失調症の薬の量を増やしますか?」と聞かれたので、
「私の病気は統合失調症で間違いありませんか?」と尋ねたところ、
「まだ分からないですね。うつ症状は出ているとは思いますが、確かに今のところ統合失調症らしい症状は出ていませんよね」と言われたので
「じゃあこの薬中止させてもらえませんか?」と提案したところ、中止させてもらえました。
統合失調症の薬をやめたと同時に、人生で経験したことのないような睡魔に襲われました。
とにかく24時間眠い。人とまともに話せないし、食事をしようにも噛む気力が無くて大変でした。
しかし不思議なことに、気を失いそうな程眠いのに、いざベッドに入ると眠気はあるのに全く眠れません。
睡眠導入剤を飲まないと眠れませんでした。
主治医によると薬をやめたことでそんな眠気が起きることはありえないそうです。
眠すぎて全然日常生活が送れないことにイライラし始めました。全然食事ができないので気づいたら体重が激減していました。
筋トレがいいとか、散歩して日光を浴びるのがいいとか、バランスの良い食事がいいとか、そういうアドバイスはもらっても全部実行できませんでした。
しかし、良い変化もありました。
統合失調症の薬をやめてからなぜかパニック発作が起きなくなったのです。
その後の診察で、「双極性障害の薬も効いてる気がしません」と伝えたところ、双極性障害の薬もやめさせてもらえました。
これでかなり薬が減りました。
尋常じゃない眠気に困っていたある時、
ネット上で「ヤクルト1000」が流行っているのを見たので、2週間続けて飲んでみたところ、
眠気がかなり改善されました。
病院で2時間くらい待たされているときに死ぬほどイライラしていたのですが、それもなくなりました。
涙も止まるようになりました。
それでも体調は万全ではありません。
到底職場復帰できる体調ではありません。
障害者手帳の申請には精神科からの診断書が必要なのですが、診断書には「うつ病」と書かれていました。
昨年の9月から休んでいますが、病状が良くなっているとは全く思えません。
私は本当にうつ病なのでしょうか。
吉野家の件。そりゃそうだよな。牛肉煮込んでメシにぶっかけた食い物なんて、江戸時代まで遡れば穢多非人の領分なわけだよ。100年変わらず卑しい貧乏人向けの土方メシなんだからさ、そんなもん売ってる会社がしっかりとしたコンプライアンス意識とか持ってる訳ないよな。そもそもまっとうな親に育てられてちゃんとした大学出た人間は就職先に選ばないもん。
中の人間の質がたかが知れてる下賤な企業の、その中でも左遷先でしょ?クレーム処理係なんて。そりゃ双極性障害の怒り中風が室長として何年ものさばっててもおかしくないわ。客のことだって社員全員バカにしてるんだろうしな。
根本が卑しい会社なんだから、こんなことで何か改善したりなんてことは絶対にありえないわけで。まだどんぶりに名前何入れるみたいなことだったら良いけど、賞味期限切れの肉食わされたり農薬とか混入してた時でも、同じように謝罪も対応もしてくんない可能性があるから死にたくなければ吉野家で飯は食わない方が良いってことだわな。
ADHDとアスペルガーと双極性障害があり追い詰められたり腹が立つことがあると暴力を振るってしまう。
既に二回作業所で利用者や職員に暴力を振るってしまい作業所からは最後通告を食らっている。
今の作業所は仕事がかなりキツくて通うのがやっとで本当にしんどくて毎日毎日帰ってきたら疲れてそのまま寝てるくらい疲労している。
ここでしか働けない人間の足下を見て搾取する障害者差別ビジネスだ。
しかも無理解な父親が送迎車を使わず自分で電車やバスで通え、週5回作業所に通え、一般就労はいつするんだと五月蠅くて本当に腹が立つ。
こんなに苦労して仕事も大変でしんどくて疲れてるのに何でそんな事言われなきゃいけないのか理解できない。
そんなに障害者は困窮しているのに岸田総理は再分配、再分配と言っている癖に障害者には一ミリも再分配しない。
もっと障害年金を生活できる水準まで増額したり作業所の工賃を上げて無理して一般就労しなくても生活できるようにしてくれなくては本当に生活できない。
世の中に障害年金は高額との誤解があるが少なくとも自分は2年で70万円という生活できない金額しか貰えなかった。
作業所がやっとの人間がどれだけいるか理解していないのだろう。
業務量増加によりキャパオーバーし、私は、2022年2月から双極性障害にて休職中。
在職中にADHDの診断をうけ、障害者手帳を取得(職場にはクローズ)、今回の双極性障害は2次障害という認識です。
コーディングが好きだ。実力が伴っていないこと、知識が足りないこと不足しているものは沢山あるがHTMLやCSS、JSを書いてる瞬間が好きだ。
先日、復職診断書をいただけたので、順調であれば3月中には復職予定。
ただ、復職は辛い。周りからの冷たい目に耐えられるか。不安しかない。できるのであればこのまま働きたくない。
大方予想は出来ていたが、食事の最後に、will you marry me というケーキとプロポーズリングをいただいた。
彼氏は好きだ。できればこのまま結婚したいが、今年1月に彼の浮気が判明し、本当に信じて良いか分からない状態だ。
プロポーズを保留にし、1度復職して結婚に向けての準備期間を設けるか。
どうすれば良いかで非常に悩んでいる。
双極性障害。それが俺に付けられた病名だ。
もともとプログラムが好きで、子供のころからBASICなんぞでゲームを作って遊んでいた。好きが高じて大学もコンピュータ系の学部に進み、大学院まで出た。当然のように就職先もSIerだった。
30を過ぎた頃、炎上プロジェクトに投入された。2000年代初頭だ。この頃、残業規制など今ほど厳しくなく、残業時間は年間1000時間弱。月平均で80時間。立派に過労死ラインだ。月80時間残業しようとすると、大体土日も出勤するようになる。それでいて、平日は普通に出勤だ。
最初の症状は不眠だった。もともと仕事が増えると寝つきが悪くなる傾向にあったのだが、それが常態化し始めた。それで、不眠に効くというメラトニンの錠剤を個人輸入して服用し始めた。これのおかげで、何とか眠れるようにはなった。
それがかえって良くなかったのかもしれない。炎上プロジェクトは炎上し続け、俺のチームは朝から終電まで働き続けた。そして、俺の症状は徐々に悪化し始めた。たまの休日は寝て過ごすようになった。何かをするのが億劫になり始めた。
そして、勤怠が悪くなり始めた。遅刻が増えた。仕事中に居眠りをするようになった。居眠りと言っても、よくあるような眠気を感じて寝てしまうのではなく、いきなり何の前触れもなく電源が落ちるような感じだ。我慢が足りないとかそういう問題ではなかった。
そんな俺を周囲はただの怠け者のように見るようになった。上司は俺に対して「居眠りをしたら、残業しても時間を認めない」などと言い出した。今なら多分労基行きだろう。
症状はどんどん悪化していった。仕事に集中できなくなり始めた。集中できないから残業が増える。悪循環だ。ある時タイムカードの計算に午前中いっぱいかかってしまったことがあった。ただ時間を集計するだけの単純作業に3時間もかかるほど、能率は落ちていった。
そんな俺を、周囲は白い目で見ていた。「なんだこの怠け者め」という感じだろうか。ある時、面と向かって「給料泥棒」とまで言われた。言い返す気力もなかった。俺は自分を責めた。「なんで俺はこんな怠け者になったんだ?」と。客観的に自分を観る余裕などなくなっていた。
さらに症状は悪化した。廊下でどうにも気分が悪くなり、へたりこんだ。会議中ずっと机に臥せったまま過ごしたこともあった。だが、周囲は俺を心配することも、注意することすらなかった。
そして、決定的におかしくなった。夜眠れない。朝起きられない。起きても頭が睡眠不足のように鈍重に感じるようになった。遅刻が連続して上司に「真面目に働く気があるのか?」と詰められた。
さすがに自分でもおかしいと思い、自分の症状をネットで調べてみた。うつ病だった。すぐに精神科に予約を取り、やっと「うつ病でしょう」と言われた。
この時、やっと安心できたのを覚えている。安心のあまり、滂沱のごとく涙があふれ出た。「自分は怠け者でも無能でもなく、病気だったのだ」と。
3年間の激務の結果は想像以上に深刻だった。1年間の休職期間はあっという間に過ぎ、退職になった。それでもうつ病が寛解することはなく、その後10年以上に渡って俺を苦しめ続けた。ついに病名が「双極性障害」に変わった。以前は躁うつ病と呼ばれていた病名だ。うつ病が中途半端に続くと、こうなることもあるらしい。
そして50歳になった。今さらこの歳で正社員で雇ってくれる会社などなく、派遣で食いつなぐのが精一杯だ。結婚などとうに諦めた。自分ひとりを養うのもままならない男と結婚したい女などいないだろう。
お前らに声を大にして言っておきたい。
私にとっては考えられない門出のときを迎えてる。
両親とも仲良く、寂しいと言いながらも祝服してくれている。
私は幸せ者だ。
今朝、夢を見た。
両親と出かける夢。
夢の中では母に支えられながら歩いていた。
それだけでも驚きなんだけれど
ある時母が手と目を離した隙に父はどこかへ行ってしまった。
うまく立っていられず歩き続けてしまったようだ。
今生の別れがこんななのは嫌だ。
母と必死になりながら探した。
父はかなり歩いた先にある信号の手前で、
ポールに掴まっていた。
そして私たちの声に反応し戻ってきてくれた。
転びながらも。
私と母と父と3人で泣きながら抱きあって再会した。
ここで目覚ましが鳴った。
私は34年間お世話になった両親と離れて暮らす。
新しい生活への楽しみはあるが、それ以上に寂しいのかもしれない。
こんな迷惑ばかりかけた私を見離さずにいてくれた両親には感謝しかない。
幸せな姿や孫を見せて、
今度は両親を幸せ者にしたい。
何が繊細さんだ
Highly Sensitive Personは心理学用語であって医学用語じゃない、診断名でつくはずもない、単に自己啓発書で有名になっただけの言葉だ
病院に行くならまず社会不安障害(社会不安症)や発達障害由来の感覚過敏・こだわりを疑って行け
医学の専門家に心理学由来の自己啓発書の言葉をぶつけて戸惑わせるな
HSP診ますなんて病院は信用するな、病気名じゃないんだから現状は薬も治療法もねえ
認知行動療法はうつや双極性障害や強迫性障害(強迫症)向けのもんだ
『この子は繊細さんだから』『私はハイリーセンシティブパーソンだから』『この子はハイリーセンシティブチャイルドだから』で終わるな
日常生活に困ってるならHSP以外に何らかのはっきりした病名がつくか障害と診断されるから病院に行け、精神科か精神保健指定医持ってる心療内科に行くんだぞ
わたしは大学を卒業してから総合病院の医事課で働いた。職場の人はみんな優しいし仕事を覚えるのは苦労したが今思うととても充実していた気がする。だが、激務が続いたり少し特殊な病院だった事もあり、ストレスで双極性障害Ⅱ型と偏頭痛であると診断された。それでもなんとか働いていたが後に休職、そして退職をした。上司がわたしの事をとても努力して頑張っていたと言われたことがとても嬉しかった。
退職をしてすぐに家から近いクリニックで働き始めた。ほぼワンオペ状態の医療事務だった為大変だったが患者さんとの距離が近いクリニックだった事もあり、すぐに患者さんがわたしの顔を覚えてくれて世間話をしたりケーキの差し入れを貰ったりした事もあり患者さんのために仕事を頑張っていた。そして間もなく異常な偏頭痛に襲われ仕事を1日休んだ。この事がきっかけで職場に精神科に通院中という事がバレて正社員からパートになり、なんだかんだで退職して欲しいという内容の事を言われ腹が立ってすぐに辞めた。
その後、通院先の精神病院でWAIS-IIIを受ける事になった。そしてIQ63の軽度知的障害と診断された。わたしは少し嬉しかった。今まで仕事を覚えるのに苦労したり学校の先生や塾の先生に人一倍頑張ってやっと一人前になれると言われた事がありわたしは必死で頑張ってきたつもりだったが上手くいかない事の方が多くもしかして自分の障害のせいだったんだと思うことで今まで辛かったことが嫌な思い出にならなくなった。
そして、わたしは初めて障害者雇用で働く事になった。事務補助の仕事だった。働き初めてすぐに壁にぶつかった。すぐに就労支援センターという障害者の就労支援をしている施設に電話し相談をした。するとすぐに支援センターの担当と上司と3者面談になり、苦手な仕事はしなくても良いという事になった。わたしは最初はこれで仕事に行く時の憂鬱さから逃れられると思ったがそうはいかなかった。自分がわがままを言って上司や職場に迷惑をかけてしまった無能社員だという悩みに変わってしまたったのだ。そして、会社に迷惑をかけたくない死のうという思考に陥り退職した。
そして、どこかで働かなければならないという思いでいっぱいになりA型作業所で働いた。半年くらい経った頃突然作業所の責任者であるクソ女からうちの社会福祉法人でB型作業所を設立する事になったからそこに移って欲しいと言われた。わたしは驚いてしまい頷くことしか出来なかった。数日経って冷静になったわたしは会社都合退職という形で退職届を書いて提出した。しかし、クソA型作業所は自己都合でないと受け付けないと言い雇用保険の手続きもしてくれなかった。すぐに縁を切りたかったから仕方なく自己都合退職をした。労基やハロワに相談したが労基はあまり取り合ってくれずハロワでは今そのA型に行きたいと言う人には注意喚起をしてくれている、らしい。後で分かったことだがその設立すると言っていたB型作業所は役所によるとB型作業所が出来るという事実は無かったし未だに設立されていない。
なんだかんだで行く場所が無くなったわたしはB型作業所の体験に行った。工賃が700円近いという理由だけで。体験をしてる間は楽しかった、パートのおばさんが優しいし楽しい。喫茶店の厨房で仕込みをしたり一緒に働いている障害者もコミュニケーションに難があったが困った時はいつも助けてくれた。入所について案内をされた時、雨の日とかちょっとしんどいな〜って思ったら電話してくれれば休んでいいからねと言われた。わたしはその時はへぇ、そうなんですね…と言ったがそんな甘い考えで良いのか…と少し過ぎった。B型は雇用契約を結ばないしそんなもんかと考え自分を納得させた。それから正式入所になり何日か通所したが、時々一緒に作業をしている障害者にお前はやる気あんのかと言ってしまいそうになる事があった。厳しい環境で働いてきたからか仕事に責任を持ってやっていない人を見るとイライラしてしまう。障害者だからって怠けて良い訳では無い、もちろん鬱とか体調が悪いなら休息は必要だが。わたしはだんだん今の状況に腹が立ってきた。双極性障害がほぼ寛解状態になり、薬を一切飲んでない状態で次の障害年金が切られる可能性が大きい事もあり焦っているのかこんなところでぬくぬくしてていいのか不安になった。なにより自分より無能な障害者を見ていると自分の無能な社員時代を見ているようで嫌になった。だからわたしは今日作業所にしばらく休むと連絡を入れた。この先どうするか考えていない、働きたいが仕事が見つかるか不安だ。
障害者はしねばいい。無能人間、社会の荷物。本当に生きてる価値ないよ、努力しないで国から金もらって生活して幸せなの?障害者しね!
そしてわたしもしにたい。
ただ、大きな違いとして、次のように分かれています。
・心療内科は、こころの病が原因で症状が「身体」に現れる病気を治療する。
・精神科は、こころの病が原因で症状も「こころ」に現れる病気を治療する。
もう少し、詳しく説明していきましょう。
〇心療内科
心療内科では、心理的な要因から身体に症状が現れる「心身症」が主な対象となります。
心身症とは、心理ストレスの影響により、身体に機能的障害を患う症状を指します。
例えば、職場や学校など、特定の場所・状況になると頭痛や吐き気、下痢に襲われるなどは、心身症に当てはまる可能性があります。
内科などを受診し、特に異常は見当たらないにもかかわらず、身体の不調が治らない場合は、一度、心療内科を受診してみた方がいいかもしれません。
主な症状
・倦怠感、疲労感・動悸や胸の圧迫感・手足のしびれや震え・めまいや耳鳴り・喘息・腹痛や下痢など
主な病名
・心身症・消化器心身症・うつ病・睡眠障害・過換気症候群・拒食症など
〇精神科
不安や落ち込みなどの症状から幻覚や妄想といった症状まで、こころで起こってしまう病気を治療します。
「周りがみんな自分の悪口を言っている」「近所の人から監視されている」などの思い込みも、よくある症状のひとつです。
また、アルコールや薬物などの依存症も精神科の担当分野となります。
主な症状
主な病名
・依存症・うつ病・解離性障害・強迫性障害・睡眠障害・摂食障害・双極性障害(躁うつ病)・適応障害・統合失調症・認知症・パーソナリティー障害・発達障害・パニック障害・PTSDなど
そういえば、睡眠サイクル障害症候群の時に、紹介されて通院していたのは精神神経科(=精神科)だった。
二年以上通ったけど治ることは無くて、通院と薬止めたらいつの間にか治った。
暫くは、眠れなくても周囲と同じ生活時間に合わせるように無理して起きてたり、
夜はただ横になってるだけで辛かったな。
31歳の女。発達障害のため、人から嫌われ、見下されてしまう。
何をしても人より劣っているし、空気が読めず、相手が期待している言動が取れないからだ。
実家暮らしで、父と同居している。元々は父と母と一人っ子の私の3人家族だったが、8年ほど前に母は自殺した。
父は立派な会社を定年退職した後、よくYouTubeを見ている。ネトウヨで、反ワクチンで、一日中韓国人や中国人やユダヤ人の悪口を言っている。ユダヤ人は原爆を作ったから許せないんだそうだ。あとは、犬や猫を虐待したいそうだ。父の話に笑顔で頷かないと、父は不機嫌になるので、毎日とても疲れる。
母は、私が発達障害の出来損ないであるため、統合失調症を発症し、自殺してしまった。「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなる!」だそうだ。私は物心が付いてから母が死ぬまで、殴られずに済んだ日は1日もなかったと思う。「どうしてあんたはふつうになりたいと思わないの!」と言いながら、馬乗りで殴られていた。中学生の頃、私が殴り返してみたら、父が飛んできて私をボコボコにした。私が大学生になった頃、母は幻聴が聞こえるようになった。私は何度も精神科に付き添った。私は馬鹿なので大学を卒業しても就職できず、専門学校に進学したが、母の異常な言動に振り回されて、専門学校に通うことさえできなくなった。例えば、母の大量の唾液がなみなみに入った紙コップを持ってショッピングモールを歩き回らさせられるなど。
私が専門学校に通えなくなった時、母は「私の人生と子育ては失敗した」と言って、マンションのベランダから飛び下りてしまった。父はずっと単身赴任でいなかったので、遺体の確認や警察への対応は全部私が行った。
家族で車に乗っていた。父は運転席、母は助手席、私は後部座席。
「こいつって、一匹狼を気取っていて、本当にうざいよね」と父が。
「そうそう、狼になんかなれない、弱っちいリスのくせに」と母が。
「一匹リス、そりゃいいや。弱いんだから生意気言わずに、大人しくいじめられてろっての」と父が言って、両親はニヤニヤしながら私の顔を覗き込んだ。私が無表情でいると、
「ほらー、ここで泣かないから、あんたはうざいのよ」と母が笑った。
週に3回、通称B型作業所と呼ばれている、障害者の作業所に通っている。工賃は1時間あたり200円くらいだ。職員や他の障害者とは出勤時と退勤時の挨拶以外にはほとんど会話しない。昼休みもみんな静かだし、他の障害者との連絡先の交換などは禁止されている。
「おはようございます」「お疲れ様でした」「そうだね、お父さんの言う通りだよ」以外の発言は許されない環境で、ずっと生活している。
そろそろ気が狂いそうだ。
なんで自立しないのかと言えば、障害者なので一人暮らしはできず、グループホームに入るしかないのだが、
以前グループホームに入ろうとした時に、グループホーム入居希望の障害者に首を絞められて失神しかけた挙げ句、仲良しごっこをしようとしたお前が悪い、と職員に叱責されるなどのトラブルがあったからだ。
父に笑顔で頷き続けるか、他の障害者に暴力を振るわれるかの2択しかない。
どの道、誰かと人間関係を築くことはできず孤独に苛まれるだけなので、暴力を振るわれない方を選んだつもりだった。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
私は男性からもグループホームの人からも愛される能力がないから、ひどいことをされるんだと思っていた。
B型でしか働けないのは、引っ越しとそれに伴う転院による、大幅な減薬で体調が悪化したため。私は発達障害の二次障害で双極性障害になっているのだが、
今までの抗うつ薬を全部なくして、少しの気分安定薬だけにしたためだ。
作業所の職員は、今年の秋までには週5で働けるようになると思っているようだ。
父は、私の大学や専門学校の学費を出してくれた。父は、一応私を愛しているらしいので、困る。父は私に一生側にいて欲しいと再三言っているので、自立したいと言えばそれを裏切ることになる。
ずっと父を可哀想だと思っている。妻は自殺するし、娘は出来損ないだし。可哀想だから、私の人生を犠牲にしなければならないと思うが、今後の何十年を思うとぞっとする。何かがおかしいと思う。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。