はてなキーワード: 心理的とは
女性の生きづらさみたいなものを細やかに描きつつ、大枠は異性同士の恋愛ものと思われる作品だ。
その漫画自体の面白さは置いておくとして、こういう話題って最近どこいっても見るな、と思った。
時流もあってか、漫画や映画において女性の生きづらさはよく取り上げられる。それは多岐に渡るが、ひとつとして無遠慮で無配慮な性的な男性の視線がよく挙げられる。
それは現実の問題がこうして表出する以前から少女漫画では描かれてきた、と思う。昨今の現実の問題とは全く別の文脈で、困ったヒロインを助ける相手役の活躍シーンまでを1セットに物語的な障害のひとつとして。
しかし、男性がそういう被害を被る漫画を私は見た記憶がない。「無遠慮で無配慮な性的な視線」はなにも男性だけのものではないはずだ。女性がその視線で男性を見て加害者(精神的なものも含めて)になるケースもあると思う。それなのに、なぜ男性(少年)向け漫画では、この要素が描かれないのか。敵対する人物から守るのではなく自分が守られる対象では“男性的”に盛り上がらないから?
女性の生きづらさの反対(?)は、マッチョイズムだというのがよく見る主張で、社会が規定する男らしさを押し付けられた男性の生きづらさを描いた作品も見かけるが、その場合、男は自分自身や父、友人など男性、あるいは男性的価値観に苦しめられる。
そうではなく、上に書いたような異性からの攻撃(物理的にだけでなく心理的なものも含める)に苦しむ男性を描いた作品ってないのだろうか。
ここまで書いて、悪い意味で異性の攻撃を描いたパターンは男性も女性も見たことがある、とは思った。漫画の中でキモオタと揶揄される本好きの男子高校生も、キモオタと陰口を叩かれる眼鏡の女子も漫画で見たことはある。
幼少期に心理的虐待を受け、親に見捨てられる恐怖に過敏になったら、職場で注意されて凹んで仕事が続かなかったり。
現代の「発達障害」に対置されるであろう「定型発達」に見られがちな行動の特徴はビジネス書などで学んだが、より踏み込んだ研究がなされてほしい。
「定型発達」が発言の心理的・社会的文脈に注目するのを止められるかどうか、興味がないと自認していることをどのように実行しているのか、といった実験もなされてほしい。
自分はアニメ、ゲーム、3次元アイドル、界隈関係なく同担拒否(同ジャンル拒否?)の傾向があって
ロムでもそうだけど、自分で二次創作するようになると特に、他人の推し語りとか作品への解釈とか見るのが辛くなってしまう。
この人の方がよっぼど作品や推しについてよく理解してるしみんなから認められてるじゃないか、私の解釈なんて要らないじゃないかみたいな気持ち?
こういう自分が嫌で治したくて我慢して見るようにしてるけど、そうしてるとそのうちそのジャンル自体に触れるのが億劫になる。
だからって完全に遮断すると視野が狭まりそうで怖い。アイドルに関しては特に、自分よりマメで詳しい人が必要な情報を発信してくれたりするし。
同担歓迎になりたすぎて、同担歓迎と同担拒否の心理的な違いってなんだろう…って最近考えてて
「あなたはそれが好きなんだね」と認めてくれる人が近くにいるかどうか。みたいな気がしてきた。
そんな人いた事ないから分かんないけど。
ただ自己嫌悪も拗らせてるから、好きなものを他人に知られた時点で恥ずかしくなって心から楽しめなくなる、とかいう現象も起きる
哀しい人間だ…。
寄り添うのと愛するのは違うのでは
彼等は惻隠の情で動ける立派な心の持ち主なんすよ
そういうのって普通はノブレス・オブリージュ的なアレなもんだけど
偶に己の生活すら顧みずに人に尽くす人居るよな
(でもきっと、なにか心理的に得るものがあるからこそやってるんだろうね。そう思いたい
弱者あるところに扶助者あり―扶助者は弱者を扶けることを生きがいとしている―とまでは言わないけどさ)
本来なら我々全員が困っている人を扶けなくてはいけないところを
彼等が身を削ってやってくれているのだよ
その御蔭で、我々は僅かな金(社会福祉費)を徴収されるだけで済んでいる。有り難い話だよ
もしも我々が扶けられる立場になった時、その有り難さが身に染みるだろう
ホームシックと五月病と空腹と寒さとほかもろもろでさっき号泣した。
一人暮らし自由だし好きなものを好きなだけ食べられるし風呂も好きなタイミングに入れるしうるさいテレビの音もないし自由で本当に快適と最初は思っていたのに
実家だって80キロしか離れていないし片道1300円と2時間半で帰れるから心理的に全然遠くないのに
めちゃめちゃ近いとこに住んだから通勤20分だし、バス停まで徒歩5分とない好立地なのに
いい会社だから新人は仕事残ってても絶対定時に帰らしてくれるからめちゃ楽なのに
論理的でなく、思ったことをそのまま散文のようにまき散らし、推敲せず上げるね
コミュニケーション能力がない
GWが明けてから一週間典型的な5月病になり死んでいた。辛うじて出勤し、死んだような目で言われた作業をこなし、家に帰ったら布団にこもり、辛うじて冷凍食品を食し、風呂には入ったり入らなかったりで、朝家を出る10分前に起床し、また這うような心境で家を出る。
LINEに一切既読が付けられず、通知が50近く溜まっている。同期からののみの誘いとかにいまさら既読付けて返事するのどうなの?
仕事で必要なコミュニケーション、いわゆる報連相の能力も弱いし、学生ノリで必要なコミュニケーション能力、つまり会話を楽しく盛り上げる能力もない。朝のバス停で同期と会うのが嫌すぎてそれがモチベーションで一本前のバスに乗っている。
あたし頭悪いからぁ
これが趣旨だと思う。
正直主観なところあると思うのよ
放課後(間違えた、定時後)を有意義に使いたいのに全然使えないのがしんどい。
研究室時代は楽だった。だって実験されしていれば文句言われずに自己肯定感が満たされた。
あたし有機化学ぜんぜんわかんないし
大学院で何やっていたんだろう
巻き矢印ぜんぜんかけない
理学部は高分子化学の授業はありませんでした!!3年の選択であったような気がするけれど取りませんでした!
分からな過ぎて焦ってとりあえず『コンパクト高分子化学』を買ってGWに流し読みしてみた。薄くてさらっと読めたが、だいぶいろいろなことを省略しているのか難しくて全然わからなかった。
高分子の絶縁性って機能性高分子として有用なのか、知らなかった、と言うのが一番の感想。
よく分からない物理量が色々出てきた。ガラス転移温度と高分子の特徴の関係、応力、粘弾性、逐次重合と付加重合による分子量増加の関係、etc,etc
もっと初学者向けに丁寧に丁寧に書いているのがいいかなと思って『ベーシックマスター高分子化学』を買った。目次だけ見てまだ読んでいない。面白そうではある。
物性もそうだが合成について結構ページを割いてくれていそうでうれしい。有機化学の人間としては合成は分かっておかなくてはいけないのでは…?みたいな思いを持っている。
高分子の知識なんて大学受験で止まっている。熱可塑性樹脂と熱硬化性樹脂っていうのがあったなぁ(構造のちがいは知らん)、66-ナイロンとε-カプロラクタムの名前だけ覚えたなぁとかしか思い出せない。
ぶっちゃけこの分野受験分野の中でも唐突で受験時代あんまり好きじゃなかったから学部時代に低分子有機化学をやりたいと思っていたし、そういう研究室に入った。
でもまあ就活の際に、産業界を考えると大半が高分子を扱うメーカーであり、どうやら低分子でも有機化学をやっていた人間は高分子系を扱う化学メーカーから需要があると聞いたから、まあ行けるっしょ!の思いで高分子を扱う企業に就職した。
粘弾性ってどういう概念なの?全然わからない。応力?ひずみ?つまりどういう物理量?イメージすらつかん。
数式はもう5年くらいいじくっていないから感覚を忘れてしまった。量子化学は大学である程度やったからあの手の式変形は見たことがある(覚えているとは言っていない)が、この手の材料力学は大学では聞いた記憶がない。聞いたことすらない概念が多くてパニック。
なんか重合反応って色々種類があるらしいということは知っているけれど一個も知らない。体系的に知りたい。全然ピンとこない。
うえええん高分子わかんないよぉ
こんなんで社会人やっていけるのかよぉ
あと私の大学時代の専攻(身バレしそうなので分野Aとする。)が高分子やってそうな専攻なのも嫌だよなぁ。同じ分野には高分子畑の人間がたくさんいることは知っているし、分野Aをやっておきながら高分子全くわかりませんは正直私の不勉強と怠慢なのだが、研究室自体は有機化学の研究室で、教授も有機化学の人間で、ゼミで全合成論文の反応機構書かせるような研究室で、高分子化学を勉強する気にはならなかった。
私は会社が期待するような優秀な人間じゃありませんごめんなさい
今同期のY氏と2人で組んで各部署ローテーションでOJTしているのだが、彼は本当に優秀。まあ博士卒だしそりゃ優秀なのだが、本当に優秀。学生時代の専攻は比較的似通っているのになぁ…。ポンコツな私と比べて本当に色々知っているなぁ
・一番に思うのは理解力が高い。説明を聞いて「つまりこういうことでしょうか?」とさらっと言語化することがすぐにできる。
・それによりするどい質問も非常によくできる。私は初耳のよく分からない概念を聞いても、言っていることをそのまままず理解することすら結構難しい。まあでも今書いて思ったがこの能力こそ博士の能力だよなぁ
・人柄がいい。自分をよく見せようという欲があまりないように思える(私は結構高いので余計に)。自分を変人だと思われたがっており愉快な言動をすることにためらいが無い。小さなことに動じずおおらかに受けることを意識している気がする。私が実験中ポカしてショックを受けても「だいじょうぶ、」とよく落ち着かせてくれる。ありがとう
・「自分は博士卒でほかの同期より月何万も高い給料をもらっているのだからそりゃあ頑張らないといけない」とよく口にしている。責任感があるなぁ
正直本当にY氏と一緒にOJTするおかげで私は結構楽させていただいている。あんまり役に立たない同期でごめんね。見捨てないでくれてありがとう。
・寒い
・炊飯器も欲しい気がするけど買うの面倒くさい
・マットレスが固くて寝心地が悪い。たまに床で寝る。
・最近部屋でよくくしゃみが出るのは掃除機をかけていないせいな気がするが面倒くさい
・金の出入金が把握できない。money fowoeredにクレカを提携させたいけど面倒くさい
・スマホの容量が96%ですとか出て動作がモサモサで不満なのだがもうアプリはできるだけ削ったしどうすればいいのか分からん
・アパートについてきたwifiがよわよわで夜はニコ動がしょっちゅう止まってまともに再生できない。不満。
・上記のような生活をよくするための欲望をかなえる作業が面倒くさい
・出世のビジョンが分からない。何を目標に頑張ればいいのかわからない。
・私はどういう仕事をしたいのかわからない。どういう人生を歩みたいのかわからない。新入社員なのでこういうことを聞かれる機会が多いのだが、全然わからない。
もう2時間近く書いている。
今思っていることを大体垂れ流せた気がする。
最近こうやって長文書いていなかったから病んでいたんだようん。
でも会社のことって書いたら守秘義務に違反しないか心配だね。多分このくらいじゃ大丈夫だと信じるよ。知財にかかわることは書いていないし。
あれだわ、思い出したけど一年目の目標は低く「ちゃんと通う」が目標なので、精神を病んで引きこもったりせずに毎日出社することが一番の目標です。
俺がそうなんだけど。以下に失敗のパターンや要因を考察して、少しでも失敗しないようにしたい。
袋が何個あるのか。
袋の中身をどのタイミングで入れるべきなのか。
フタの上で温めるのか。
パターンがありすぎる。また、例外が多すぎる。乾燥かやくの野菜はお湯を入れる前に入れるべきものが多いことは言えるのだが、後入れのかやくもある。
また、油系の袋はフタの上で温めるものが多いけれども、時たまフタの上で温めないタイプがある。
また粉系の袋も同断で、お湯を入れる前に入れるのか、お湯を入れた後に入れるのかわからないものがある。
これがわからない。暗くてラインがわからない。プラスチックの凹凸面が不確かな上(暗い)、ときに乾燥麺の付近にあり見分けがつかない。
わからない。世の中にカップ麺があまりに多すぎて、何分待てば良いのかわからない。
私の食べたことのあるカップ麺の中には、最短2分、最長5分の待ち時間が書かれている。
これを間違ってしまう。
また、分数を確認できたとしても、所定の時間を守ることができない。
例えば別の家事をしてしまい、そちらに夢中になって7分経過してしまう。
あるいはyoutubeやnetflixを見て、時間が経過してしまう。youtube等を見るのは理由があって、シークバーのところに時間が表示されるためだ。
動画を見ながらタイマーがわりに使っているのだが、動画に夢中になり時間を経過してしまう。
またあるいは、動画を見ながら時間を見るので、何分経過したかわからなくなる。
以上のように、カップ麺を作る工程には、適当なタイミングで袋の中身を麺に投入し、適当な分量のお湯を入れ、適当の時間待って食べ始める必要性があある。
ここまでお読みいただいた諸賢は、ちゃんと説明文を読め、と思うだろう。おっしゃる通りである。
ただ、そもそもカップ麺というものは、気軽に食べられるから良いのだ。
おいしいものを食べるのであれば外食もするしwoltを頼んだりする。
工程やお金を気にしないで食べられるのがカップ麺のいいところだ。
気軽に食べたいのだから、説明文を読むような堅苦しい思いをしたくない。
そんな気軽な気持ちのままでカップ麺を作ろうとしているところに私の悪いところがある。
何も考えずにチャチャっと作ってチャチャっと食べたい。
ところが、カップ麺の多様さはそれを阻むのである。すなわち、説明文をしっかりと読み込むことを前提として作られているのである。
これは本末転倒では無いか。またややこしいことに、ただお湯を入れるだけでいいカップ麺もある。
世の中の全てのカップ麺が何らかの能動的な袋の中身をいれるアクションを強いるのであれば、私ももう少しこれに心を配っていたと思う。
ところが、である。
お湯を入れるだけでいいやつもある。これがいけない。
いつも同じやつを食べればいいという指摘もあるだろう。本当にその通りで、焼きそば弁当ばかりたべている。
ところが、仕事の付き合いでよく私は売り出し中のカップ麺をもらう。だから難しいのだ。
多くの人が食べられるように設計されているのに、食べようとしたら油の小袋が容器の中に入ったままだったりするのだ。
多くの人が食べられるよう設計されているのに、お湯を入れすぎて味が薄くなってしまうのだ(お湯は粉に混じってしまうと捨てることができない)。
何故落ち込むのかというと、説明文と違う行程をとってしまうところがいけないと思う。
説明文は絶対的なものだ。そのようにできるか、説明と違うことをしてしまうかの2択になる。
説明文があると、何が正解か、何が不正解か明確になってしまい、不正確なことをしがちな私は落ち込むのだ。
こうしたことから、私はカップ麺を食べることをやめて普段は自炊をするようにしている。
例えば、私が野菜炒めやおいしい無水カレーを作るわけだが、ここには説明文がない。またもちろん説明文を作る予定もない。
説明文がないから、私の料理には不正解はない。もちろん生のまま食べてしまうのはダメだが、そういうことではない。
作る工程をあえて明確化しないから、料理の作り方の間違いが生まれないということだ。
鬱だと風呂洗うのすら無理じゃないの?
びしょ濡れになるからかなあ?
肉体的負担は言うに及ばずだ。お風呂上がりはヘロっヘロだ。しかも髪の毛乾かすのが重労働
仕事で疲れ切って帰って、直ぐに入浴とか無理だわ
でも入ると気持ち良いことは確かなんだよな
ダラダラと湯船に浸かりながらタブレットで本読んだり音楽聴いたり動画見たりして、好きな入浴剤の香りに包まれるのは癒やしではある
だな。
銭湯とかより金額安く済むし。ちょっとだけ運動すると気分もスッキリするし。何より「帰ったらご飯食べて寝るだけ」って考えると幸せ
つーか「外でお風呂入ってくる」のって本当に気楽だし楽しい。サウナや大きいお風呂を目指して行ったりするし
自宅風呂とは一線を画すよな
とはどういうものか、人によって違うものなのかもしれないが、自分にとっては人生そのものが生き地獄と言えるかもしれない。
信頼関係が結べない世の中に居続けるしかなくて、食べるために労働を続けなければならないこと自体、地獄だと思う。
いいことがあったとしても長く続かない。一寸先は闇だ。心配事は尽きない。
目標に向かって努力をしている最中、自分のやったこととは関係ないことが原因であっという間に闇に突き落とされることが何度かあった。そういうことがあるともう、世の中は信じられない。どうせまた裏切られると思うようになる。
目の前の楽しみを我慢して明日のために頑張るなんて無駄だ。今を楽しむしかない。明日なんてどうなるかわかったもんじゃないからな。
こういう、未来への不安、世の中との信頼関係の欠如、何もかもが予測不可能で毎日ジェットコースターに乗せられてるような気分の状態が生き地獄じゃなくてなんなんだ。心理的安全性もくそもない。
毎日真っ暗、光が見えた気がしてもそれはすぐに幻とわかる。その繰り返し。
仕事辞めて、今ある金を全部使い果たしたら死のうかな。最後はどこか知らないところ、ずっと行きたかった美しいところに行って一人で死にたい。
フェイクあり
まとめ
〇〇(←公式の中の人に実在する人物名)、56すぞ? #カプ というツイートを見つけて大ピンチ!
〇〇さん、そんなに恨みを買う真似はしてないんだけどなぁ?
というのが今回の概要
Q.なんで110番したん?
A.カプのタグと併せて実在する人物名に殺害予告、通報しない道理あるん?
さて、私とていきなり110番した訳ではありませんでした。
まずやったのは魚拓を取る事。
ここにツイートのURL入れるだけで魚拓取れるからみんな気楽に取ろうな。
これがないと、Twitterで見たんです!と言っても単なるやべー人、こっちの立場が危うくなります。
https://www.internethotline.jp/
魚拓のURL投げれば後はお巡りさんが何とかしてくれっかな〜って思ってたら、
マジか。
ネットの海の片隅の石の裏に生きる者として、WebページにURLを投げるのは心理的なハードルがめっちゃ低い。
ただ、それでも個人名出しての殺害予告はダメでしょ。意を決して110番。
小学校で習った覚えのある事件ですか事故ですか?という声、ちょっとした感動を覚える間もなく、
まずはTwitterで殺害予告を見た旨を伝え、状況(前提条件とか)を説明。
警察官と接触出来ますか?必要に応じて連絡しますということで、住所を伝えた。
ただ割と深夜だったので電話がまず来るんだろうなぁ、と思っていた。
電話自体は5分ほどで終わって、はー終わったー、原稿すっか!と思って机に向かって10分ほど、
旦那が血相変えて部屋に飛び込んできた。
...心当たりしかねぇな?
開けてびっくり4名もお越しに。すまんお隣さん。
大体上に書いてある流れを説明して、
ツイート(ツイ消しされてたので魚拓)の画面と、ツイ主のプロフをカメラで撮影され、追加で2,3聞かれ(この人に面識はあるか、ジャンルは何か←羞恥プレイ)、
御協力ありがとうございましたとお帰りに。
こちらこそすまない...突然訳の分からない話に巻き込んでしまってすまない...
まして界隈の話からカプの話まで...すまねぇ多分訳は分かってない...わからないでくれ...
で、お帰りになられたあと、さぁ寝るか!と思ってたら電話が
...さっき説明したんだが?という内容も挟みつつ概要を説明、お越しいただいた方がカメラで撮影していかれた旨お伝えして対応終わり!
今のところその人がどうなるか、警察がどう対応するか、は全く分かりません。
ただ、殺害予告した/されたことに変わりはないので、した側は界隈の為に消えてくれと思ってます。
された側は頼む健やかに何も知らず供給していてくれ ......
で、お前はなんで増田書いたん?って話
誰に?56すぞって言う側だよ。
お前のやってることは警察呼ばれる事なんだ、
そのツイもプロフも普段の言動もメディア欄も警察が私の家に来て写真撮って保存していくレベルのことをしたんだぞ。っていうのは肝に銘じて欲しい。
後は殺害予告を見たら通報、それも110番ってのはこの増田を見た人は覚えておいて欲しい。
最後に、わざわざ訳の分からないであろう通報でもちゃんと来てくれて、寒い中外で対応してくれて、理解しようとして頂いた警察の皆様、本当にありがとうございます。
昨日自治体の子育てカウンセリング使って、怒鳴っちゃうので助けて欲しい話してきた。いっぱいいっぱいになるのは当たり前でとにかく生存することさせることだし、いっぱいいっぱいなのが問題だから負担軽減しようと言われて帰ってきた。
寝て起きたらめちゃ腹立ってきた。ちゃんとしたごはんも片付いた家も規則正しい生活も諦めてこの上心理的安全性ある家庭まで諦めろってのか。それって結局私の再生産では?大失敗では??せめてグッドイナフでありたいと思うことも私には贅沢ってこと?生きて生かしてるだけで100点とかそんなわけなくない?うちの子たちはうちにきたばっかりにそれっぽっちしか与えられないってこと?こんにゃろうふざけんなやってやるからな。
という怒りが湧いてきて、これは少し元気が出たってことなのかなー…。
これ読んだら藤井フミヤも「バカだね女って~OH~」って歌っちゃうよ
(チェッカーズ「I love you,sayonara」)
涌井佳奈さんは高校生の時、2年半にわたり、教師から繰り返し性的暴行を受けたといいます。
涌井さん:
「性的暴行は血も何も出ないから、抵抗するとかじゃないんですよね。洗脳に近いよね。洗脳されたお前が悪いみたいになってきちゃうんですけど。やりやすい立場の人がいるんですよ。
教師とか治療者とか親とか。性犯罪というよりも虐待に近いよね」
涌井さんは、性犯罪被害者の苦しい立場を司法がもっと汲み取るべきだと訴えます。
涌井さん:
「地位関係とか支配関係での構造の中での抵抗っていうのは争うところではないんじゃないかなって。背景をちゃんと汲み取ってほしいですね。
年齢とか経験値とか。心理的に騙されるとか混乱させられるとか、抵抗までいかない心理状態の中で犯されてしまうことがほとんどだと思うので、
例えば信頼している人との関係性の中だったり」
この増田や、それについたトラバ・ブクマ含めて、自分のことにお金を使う発想しか持ってない人が多すぎる。
金を自分の事にしか使えないから、金の使い道がわからないのだ。
芸術文化振興基金みたいな規模の大きいところで感覚が掴めないなら、住んでる地域の何らかの寄付金でもいい。
あるいは保育園等教育への寄付もある。盲導犬の育成への寄付もある。
昔みたいに学校や橋梁への寄付は機会が少なくなったかもしれないが、ふるさと納税でそうした項目がある。
きっと小市民はてなーはふるさと納税は自分の限度額までしかしないだろう。
そういう発想では金は使えない。限度額とか気にせず、寄付したいだけ、寄付の成果を把握しながら継続して寄付する。
パトロンになっても良いし、公演などに定期的に足を運ぶのでも良いだろう。
何も大金持ちみたいに振る舞わなくても良い。自分のできる範囲で、金にならないところに金を落とす。
地域の画家の油絵を買ったらどうだろうか。書家の軸を買うのはどうだろうか。陶芸家の作った茶碗はどうだろうか。
そうした人は、逆説的になるが「金を使える状態」にまだ至っていないとも言える。
もちろんそれは悪いことではない。自分で自分の身を立てているわけだから。
でも「金を使う」というのは、他者のすぐに成果の出ないものや、誰かが支えないと沈下してしまいそうな文化に臆面もなく金をぶっ込める状態をいうのではないか。
テレビのソースはないけど新聞の例やテレビゲーム悪影響論の波は下記の論文にわりといい感じにまとまってたよ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasag/13/1/13_56/_article/-char/ja/
「テレビゲームと暴力」問題の過去,現在,未来―社会心理学における研究の動向―
坂元 章
フリーでPDFを見れるから見るとよいよ。この著者の坂元章さんはいまお茶の水大学の教授になってるんだ。
あとは下記の東北大学の(たぶん卒業論文かなにかだと思う)PDFもデータ量が多くてちょっと面白かったよ。
http://www.law.tohoku.ac.jp/~inuzuka/lec/kumada.pdf
新聞や雑誌などのメディアの中では、テレビゲームが社会的適応性に対して悪影響を及ぼすことが定説であるかのように扱われてきている。木村が挙げた例によると、1993 年 2月 14 日号の週刊読売では、「テレビゲームはこんなに怖い!! あなたの子供は大丈夫か」との特集が組まれ、人づきあいが苦手になる、といった主張を軸に、様々な身体的・心理的悪影響を受けるとの記事が掲載された。同年 1 月 30 日号の週刊現代でも「子どもの心と体を蝕む『テレビゲーム症候群』」と題した記事の中で、テレビゲームの使用が他人とコミュニケーションをとるときに悪影響を及ぼす、といった旨の医師によるコメントが掲載された。また、新聞では、いじめから不登校になった中学生の自殺事件を報じる記事に、「テレビゲームでの遊びによって、対人関係能力が低下している。自分を保護してくれる人以外の人間とはつきあえなくなるなど、傷つきやすい人間になってしまう。」というコメントが寄せられることもあった(木村, 2003)。