はてなキーワード: 小学校とは
俺の一番の長所は運の良さで、幼少期から35歳の今までずっとツイてきた。
なぜだか分からないが、本当にずーっと人生に追い風が吹いており、思い返すと不思議なほどにツイている。
俺ほどに強運が継続している人間は日本にほとんどいないと思うし、運の良さで生きてこれたので自慢したい。
長い文章だが、とにかくずーっとツイているので長くなるのは仕方がない。
夏目漱石の「坑夫」という小説に、主人公たちの腹が減ったらたまたま近くに飲食店があり「大袈裟に云えば天佑である」とコミカルに述べた部分があって妙に印象に残っているのだが、俺の人生はまさに天佑の連続なのだ。
この日記のタイトルは、少し前にTwitterで話題になった「はてな匿名ダイアリー」から頂いたものである。
https://anond.hatelabo.jp/20241021131553
なぜこの日記が話題になったかというと、内容が「嘘くさい」、「弱者男性を装った女が書いたに違いない」と多くの人が感じたからで、いわゆる炎上に近い形でTwitter上で議論が白熱した。
私も当該日記をよく読んでみたのだが、確かに「女性が書いた」ということもさもありなんといった印象だった。というのも、自分自身も過去は「弱者男性」であったが、色々と経験を積み、今は結婚もできているというステータスで、まさにタイトルの当事者であったからだ。
そこで、(元の日記の真偽はさておき)タイトルの当事者を自覚している筆者が、「弱者男性としての恋愛観」を綴ってみるとどんな感じの文章になるのかやってみた、というのがこの日記の目的である。この日記をたまたま見つけてくださった皆さんも、ちょっとした実験に付き合うつもりで読んでいただけると幸いである。
そもそも「弱者男性」は最近出てきたネットスラングで、色々と定義があるだろうが、ここではめんどくさい話に踏み込まず、弱者男性を単純に「モテない男性」、いわゆる「恋愛市場における弱者」と定義することとする。
自分はその意味で、過去はバリバリの弱者男性であり、ともかくモテなかった。詳しいことは後述するのだが、高校卒業まで女子と話したことはほとんどなく、当然彼女が出来たり、バレンタインチョコをもらったりなんてことは経験したことがなかった。
自分なりにモテなかった理由を分析してみると、至極単純な2つのことに集約される。
①顔が悪い
①に関して、やはり顔が悪いのは大きかったと思う。恋愛において「顔」の良し悪しは世間で言われているよりもずっとずっと重要な要因だと感じる。イケメンに生まれていたら、恋愛における立ち回りも大きく違っていただろう。ただ、このことをうだうだ言っても仕方がないので、次に行くとしよう。
②に関しては自分の家庭内環境が大きかったと思う。自分の家族構成は、父母、自分と弟の4人家族で、家庭内に母親を除くと男しかいない。なので、昔は女子が普段どんなことを考えて生活しているか、どんなことが好きなのか、全くわからなかった(実は今でもよくわかっていない)。これは女子と恋愛していくうえで、大きなハンデだったと感じる。
前述のように、男兄弟で育ち女子が何を考えているか全く分からない自分は、モテるモテない以前に「女友達」というものすら全く作れずに育った。
小学生の頃に自分が好きだったものと言えば、ドラクエ、ガンプラ、カードゲームなどであり(あまり特定すると年がバレそう)、友達になるきっかけとして、「あのゲーム好き?」「君もガンダム好きなの?」みたいなアプローチ法は知っていたが、逆に言うとそれ以外の術を全く知らなかった。よって、必然的に女子とどんな話をすればいいか分からず、全く女子と話さない学校生活をつづけた。
小学校のころまではそれでも特にストレスを感じずに来られていたが、中学に上がるとそうもいかなかった。自分も思春期真っ只中になって女子への関心と性欲が出てきたし、何よりもクラスの中の会話がほぼ恋バナになり、「誰と誰がやった/やらない」という噂が飛び交うようになっていた。
そんな中で自分は相変わらず女子と話す方法が分からずにいたので、どんどん自信がなくなり卑屈になっていった。そのオドオドした態度が女子にも伝わっていたのか、徐々に女子から嫌われているのを感じるようになり、覚えているのは、罰ゲームで女子が「自分と握手する」というのをやっていたことだ(まあこれくらいは弱者男性あるあるだよね)。
さらに、この頃から女子に対するヘイトも強まっていった。上記のようなひどい扱いをされたこともあるのだが、それ以上に、自分が行っていた中学はいわゆる「スクールカースト」が強くあり、「ヤンキーしか女子と話せない空気感」が強くあった。このころ女子と話したことがないので噂の情報しかないのだが、どうやら「クラスの可愛い子がヤンキーと付き合ってひどい目にあったらしい」みたいな情報だけはたくさん入ってきた。そのことから、「女子はヤンキーしか好きにならない」=「女子はバカだ」という考えが自分の中で熟成されていった。
しかし、なんせ思春期真っ只中なので(というか男の生理として)、女子にはめちゃくちゃ関心があったし、性欲も人一倍強かった。よって、「女子は嫌いだけど、女体には(死ぬほど)触れたい」という思春期のベタな感情を抱いて悶々とした日々を送っていた。
そんなこんなで中学生活を過ごしていたが、高校進学のタイミングで希望の共学の高校に落ちて、不本意ながら男子校に通うことになった。
高校では当然学校内に男子しかいないので、中学時代のような自己矛盾からくるストレスは減っていったが、女子と話す経験、恋愛する経験は一向に積まれないまま、18歳を迎えた。
高校生活は特に楽しいこともつらいこともなく、学校に行って帰るだけの生活で、よく言えば非常に穏やかな日々だった。ただ、3年次の受験勉強だけはそこそこ頑張って、何とか第一志望群の大学に合格できた。
自分が行っていた大学はいわゆる私立文系のマンモス大学で、当然可愛い女子もたくさんいた。中学時代の女子ヘイトを経て、高校三年間男子校という監獄に閉じ込められた自分には刺激が強すぎる環境だった。しかし女子と話す経験値が致命的に足りていないので、入学後の3か月くらいは、昔と同じで女子を遠ざけるような生活を送っていた。
転機となったのは、英語のクラスで好きな人ができたことである(思えば初恋だったかもしれない)。その時、男友達はそこそこ出来ていたので、親切にも色んな人が恋愛テクを教えてくれた。どうやらメール(その時にLINEはなかった、また年がバレそう)をこまめにやって、頃合いを見て二人でご飯に誘うのがいい、という今考えれば当たり前の恋愛プロセスもその時はじめて知った。
またその友達が他の女子と自分を繋いでくれて、恋愛相談をするという形で、女友達を何人か作ることができた。この頃には、「女子とどんな話をすればいいか」がなんとなくわかるようになっていた。
ただ、肝心な好きになった子とは全くうまくいかず、それもそのはずで、その子には既に彼氏がいて分かれる気配もなかった。しかし恋愛というものを全く分かっていなかった自分は「彼氏がいても好きなら諦めないのが純愛だろ!」などと痛いことを考えていて、ちょこちょことアプローチを続けていた。
(AKBの歌詞みたいだね。好きって気持ちが大事なんだーって。さすが秋元康は童貞の気持ちをよくわかっている)
ただまあ当然うまくいくわけもなく、早まって告白をし、あえなく振られた。そんな感じで傷心状態が1~2か月続いたが、そのタイミングで同じサークルのある女の子と仲良くなった。
その子は正直言ってあまりタイプではなかったが、傷心を癒してくれたし、何よりなんだか付き合えそうな雰囲気があった。そこでやりたい気持ち半分、癒してほしい気持ち半分でなし崩し的に告白をして付き合うことになった。
後から振り返って思うのは、やはりn=1でも女子と付き合ったことがあるかないかはとても重要で、一人の女性からでもその生態を深く知ることができた。
そこからの話はあまり面白くないので詳細は省くが、人並みに大学生らしい恋愛をした後、別れたりくっついたりして、やがてそれも終わり、その後新しい彼女が出来たりして…といった感じで、徐々に「弱者男性」だった自分は薄まっていった。
ここで、弱者男性だった頃の、下手で、精神的に未熟で、痛くて、という恋愛観を経て、今思うことを綴ってみる。
まず、弱者男性になるきっかけは、ほとんどの場合、先天的なものと家庭環境だとおもう。冒頭にも述べたが、イケメンに生まれて弱者男性になる人は少ないだろう。あとこれも経験則でしかないが、家庭内に女兄弟がいたら弱者男性になる確率はぐっと低くなるだろう。
次に、弱者男性から抜け出す方法は、月並みだが女子と接する「経験」をともかくつむしかない。なので、今自分が弱者男性であると自覚していて、かつそこから抜け出したいと思っている人は、勇気をもって踏み出してみるしかない。当然傷つくことも多いし、自信を無くすかもしれないが、多くの男性がそれを乗り越えて幸せをつかんでいるのだ。こんなことを書くと精神論になって胡散臭いセミナーみたいなので、最後に具体的な方法を2つ示して、弱者男性から抜け出せる確率を少しでも上げられるように考えてみる。だれが読んでいるか分からないが、少しでも参考になれば幸いである。
恋愛において顔が重要なことは何度も述べたが、顔は整形でもしない限り変えることができない。しかし、髪型やファッションは変えることができる。今となっては、自分も他人の恋愛相談に乗ることも多いのだが、モテない人はだいたいダサい髪型とダサいファッションをしている。そういう人はたいてい我が強い。自分のこだわりが強すぎて世間の流行からかけ離れているか、もしくはすごくケチで美容院やファッションに金をかけたくないと思っている(趣味に金をかけすぎで、髪型やファッションに金を回したくない人も含む)。
そして、女子は男が思っているより何倍も外見で様々なことを判断する。男の何倍も髪型やファッションに関する関心が高く、自分が思っているよりかなり細かく髪型やファッションを見られていると思ったほうがいい。こんなことを書くと、「外見で判断する女は嫌だ」なんて反論が聞こえてきそうだが、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。流行りの髪型やファッションを雑誌やSNSで学び、カネをかけるべきである。
自分はと言うと、なぜか中学くらいからファッションにだけは関心があり、ファッション誌を読み漁り、誰に見せるわけでもないのに(高校生にしては)そこそこ高い服を買っていた。それもあってか、大学入学後は髪型やファッションに関してダサいと言われることは無かった。このことは弱者男性を抜け出すための大きな要因だったと思う。
これは、弱者男性が恋愛をすると初めに陥りがちなパターンである。つまり、好きになった女子の要望をなんでもかなえてあげたいという思考だ。
「どこ行きたいの?」「何が食べたい?」「次どうする?」。こういったことを逐一聞いていると女子は貴方のことを優しいとは思わず、むしろ「頼りない」=「魅力を感じない」となってしまうらしい。(自分もこういうことを言っていたので気持ちは痛いほどわかる…)
対策としては、デートまでの日時とデートプランはこちらである程度固めて、リードしなければならない。いちいち女子の要望を聞いていてはいけない。迷ったら、お互いの休日を合わせて、映画に行ってちょっとおしゃれなお店(頑張って調べよう)で食事をする、とかで良いと思う。面白味は無いが、女子が貴方を査定するには必要十分なセッティングだ。
いかがだっただろうか?この日記は特に推敲もせずに思いつくままに書きなぐったので、読みにくい部分もあるかもしれない。
自分もまだやっていないのだが、自分の日記と元の日記(https://anond.hatelabo.jp/20241021131553)を読み比べてみて、どのような違いがあるのか考えてみよう。
もしこの辺境の地の日記をたまたま読んでくれた人は、元日記との違いやざっくばらんな感想を教えてもらえれば幸いである。
では。
とある友人に対して悩める私の書き散らしだ。
「そんな友人切っちゃえばいいじゃん」というタイプの人にとって、これは読む対象の文章ではないのでブラウザを閉じて欲しい。
ほとんど自分の考えを整理するために書いているので、文章が変でも許して欲しい。
気が向いて最後まで読んでくれた人は、よければ、この友人について第三者からどう思うか、自分ならどう対処しているのか、コメントで残してくれると大変嬉しい。
1.登場人物
●私:これを書いている人。
・予定は誘う・企画・予約する側
●友人U
・同い年
・予定など含めて全て受け身側
2.なにに悩んでいるのか
友人U自身についてと、私自身の友情感情のムラについて悩み続けている。
2-1.感情の春期冬期
他の人にもあるかわからないが、簡単に言えば友人に対する感情のムラだ。基本的に友人はみんな好きだ。良いところ悪いところ含めて友人関係をしている。ずっと関わっていたいと思える人たちばかりだ。みんな幸せでいてくれ。
しかし、昔から私にはこの「ムラ」がある。特定の友人に対して、「一緒に遊ぶの楽しい!たくさん誘おう!」な春期が、ちょっとしたことをきっかけに「お前の全てが不愉快。遊べば楽しいけど、粗しか見えない」な冬期になってしまう。
今回のメイン人物のU以外に対しても、この春期冬期が訪れることはある。しかし、自覚も早いので少し距離を置く(1対1では会わない)ようにして、自分の中でムラが落ち着いてからまた積極的に関わるようにしている。では、友人Uではなぜそう出来ないのか?いやしているけど、仕切れていなくて目につくのか。次で話していく。
2-2.友人U
前述の通り、Uとは十数年来の友人だ。趣味も同じものが多く好みも合うものもある。長年の付き合いということで、意思の疎通も図りやすい場面も多い。
基本的には好きな友人の一人だ。
では今何が引っかかっているのか。箇条書きであげてみる。
この三点が主なところだと思う。長くなるが、一つずつ話させてほしい。
人物紹介の時点で察していた人もいると思う。そう、Uは誘われ待ち人間なのだ。別にそれは構わない。人間には常に誘う側と誘われ待ち側の二種類がいるのはもう納得している。そして私は前者だ。せっかちだし人の進行を信頼し切れないのでそれは構わない。
だがUの場合引っかかるのは、「◯◯行きたいんだよね」「気になってる〜」の誘われ待ちが露骨であり、かつ誘わずに私が行ったことを知ると不機嫌になるところだ。
私は映画オタクで映画館が大好きだ。そしてUとは共通のジャンルがあり、その映画は誘ってよく一緒に行くことが多い。だが、当然お互い社会人なので予定が合わなさそうなときあるいは、早く観たい気持ちが強い時(本当は全て公開初日初回に行きたい)は自分優先で一人で行くことも儘あるのだが、それがUも観たい映画だと観たことを話すと明らかに口数が減り早く話題を切り上げようとする。かと言ってUから「この間話してた映画観に行こう」などと言われることはない。
そして誘う側の人にはわかってもらえるだろうが、誘い続けているとたまに疲れてくる。かといって誘うのをやめると、私はそれで以前一番仲が良かった友人との関係が終わったので、それはしたくない。
社会人なので、対人への普通の敬語丁寧語なども使えることを知っているし、「お洋服」など比較的丁寧な言葉を使うときも知っている。だが、基本的な言葉選びや話し方がマツ◯デラックスなことに気がついてしまった。
出会ったときからそうなのでそれが素なのだと思う。それは別に構わないのだが、それなりの店や場所にいる時などもわりと大きい声で「おめーはよ〜」「便所」などと言われるので困る。
親でもないのに友人が注意していいのだろうか…あと恥ずかしいのでどうしたらいいのか戸惑う。
●見下した物言いをしてくる
思えば学生時代からそうだったのだが、Uは私に対して見下した物言いをしてくることが多々ある。学生時代に揉めた時(発端は私で100%私が悪かったのもあるが)も「これ、忠告ね」と言った発言や、普段話をしていても少しでも自分の方が詳しい・知っていると思う内容の話だと必ず一度は「お前が知らないだけでこうなんだよ」と言ったニュアンスの発言を被せてくる。
例1:最近こんな変なことがあったという話をしたとして、「◯◯はよくあることだから〜」「××は仕方ないことなんだよね」など、必ず否定してくる。それが正しいこともあるのだが、毎回の否定はきつい。
また、Uは特に旅先や出先で疲れると私に当たってくるところがある。
例2:
旅先の電車乗換にて
予定より少し遅れて到着。大きい駅だったのでどうにかホームを発見して電車を待つことに。他の友人Hが列を離れて路線図の近くへ。それについて行くU。特になにも言われなかったのと、経路確認はHと私で行っていたので次駅の確認かと思った。
私「ここのホームで合ってるんじゃないの?」
U「……」
※例は特定を防ぐためにかなりぼやかしているので、ニュアンスが伝わらないかもしれない
実際Uは私より頭がいいと思う。大学もよりレベルところへ行き、優秀な成績だったと聞く。それに比べれば学生時代私は成績は中程度で大学同様だった。私の中で答えは出ていて、恐らくUは私を見下している。
嫌ならその場で伝えればいいのだが、正直そんな言い方をされた時点でショックで反論などほぼ出来ない。だが犬の躾と同じで、その場で言わなければ意味がないようにも感じる。
3.結局どうしたいのか
それがわかれば苦労しないんだよなーーーーとずっと思っている。散々Uについて論ったが、ほとんど愚痴だ。読んでくれてありがとうそしてなんだか申し訳ない。Uとも一緒にいれば楽しいし、長い付き合いなので気楽な面もあるので、関係を断つことは考えていない。
ただ、今回あげた中で特に今後も困るな…と思うのは、「見下す・当たる発言」だ。旅先でやられることが特に困る。今後特に海外旅行を一緒に行く機会もあると思うのだが、それがあるかと思うと気が重い。(グループで行くので誘わないのは望んでいない)
私は以前、一度喧嘩をきっかけに半年ほどUと仲違いをしていたことがあるのもあって、なにか嫌だというのを伝えるのが怖いと思うところがある。
よく「いい歳してそんなことで」と言われるが、いい歳してるからこそ悩むのだし、そもそも友人関係に年齢など関係あるのか?と思っている。いつだって対人関係がスムーズにいくことの方が少ない。
特別政治に強い関心、知識はないがとりあえず毎回投票に行ってる程度の人間の各政党に対する適当なイメージをつらつらと書いてみた。
自民…いつもは入れている、今回はやめた
◎基本印象
最低限仕事ができる(与党としての立場に慣れている)ためほかに与党ができそうな党が現状なさそうなので、今のところ与党ではいてほしい。ただ慢心も感じるので、あまり余裕のないギリギリ与党でいられる議席くらいで危機感を持ってほしい。
◎今回の話
総裁が高市さんなら自民党応援してた。石破さんは、与党内野党を勝手にやって人気取りしてるわりに、自分が総裁になったら他の人と変わらん感じが信用ならない。そもそも急に解散したのがほんと無理。選挙やるための国民の負担を理解して無さすぎる。石破さんが日本の首相なの嫌すぎる。高市さんが総裁するか岸田さん戻ってきてほしい。安倍さんはもういないもんね…。スガさんはもう無理そうだから引退してほしい。
立民…悪夢
与党批判しかしていなくて、自分の意思がなさそう。いざ与党になったらなにもできなさそう。
維新…がんばれ!
大阪をよくしてくれたらしいので、国政でも頑張ってほしい。ただ、ちょっと気が強そうなので与党は嫌かもしれない。
共産…無理
◎共産党について
与党批判と全方向の弱者に口だけ寄り添うことしかできない、信用に値しないという印象。あとあらゆる弱者に耳障りのいいこと言い過ぎて、こっちをたてればあっちがたたない的な自己矛盾起きてそう。あとそもそもその弱者たち、ノイジーマイノリティ率が高くて、多数の一般の人にとっては迷惑な政策になってる。
◎共産主義について
今の若者、お金は裏切らない、お金への信頼度高め系が多いので共産党というか、共産主義は無理だと思う。中国とか旧ソ連とかの惨状を見ていると、共産主義に期待を持てない。現代版富国強兵は経済政策と信じているので、共産党はもう無理だと思う。
国民…比例入れた。期待度大!
与党批判でなく、自分たちの主張を持っているところが良い。与党目指して頑張ってほしい。
「公立小学校にいた、消息不明の挙動がおかしな同級生」的な、一般社会ではお目にかかることがなさそうなレベルの底辺な方々の支持を集めていそう。理想を語るけど、現実的で具体的な実現方法は持ち合わせてなさそう。
ただ、ここの党が躍進するということは、日本という国の没落や文壇を示していると思うので、与党に危機感を持ってもらうために、ある程度議席があるのは逆にいいと思う。
参政…怪しさを感じる
はじめはいいかな?と思っていたが、新参者のわりに候補者立てすぎているところとかに、後ろ盾(宗教?)がチラつきいまいち信用しきれない。
無…おなじく
ちなみに、私が政治に求めていることは
ここは日本なので、日本人が暮らしやすい国であってほしい。参政権なんてもってのほか。あと日本の土地買わせるな。
・LGBTQの権利を拡大しないこと
・経済政策
お金があればとりあえず大抵のことはなんとかなる。法人税はあまり上げないでほしい。特に日本企業には優しくしてほしい。業種や日本企業かどうかで法人税率変えてほしい。製造業は安く、虚業(金融、不動産、商社など)は高く、日本企業は安く、外国企業は高く。
・103万の上限アップ
単身者は1人で暮らせる最低限の金額(250万円くらい?)までは非課税でよい。配偶者がいるものも今よりもう少し上限をあげてもよいとおもう。
全員医療費とか平等にしてほしい。延命系とか一部保険適用から外してほしい。あと、所得税とか現役世代の税を下げて、消費税とかどの世代からも取れる税を増やしてほしい。
・安楽死の導入
元気なうちに遊んで、適当なタイミングで苦しまずに自分の意思で死にたい。それが当たり前になれば、こんな先の見えない重暗い超高齢化社会を打破できるはず。
(余談だが、期日前投票しか行ったことがない、なぜ期日前の好きな日に投票させてくれるのに、投票日にわざわざ予定をあけて投票する人が多いのかとても不思議に思う。期日前投票がもっと主流になれば若者の投票率上がると思う。自分も正直期日前投票なかったら、極力頑張るだろうけど毎回行けるかはわからん)
来月の茨城県守谷市の市長選に、新たに挑戦を表明した梶岡香織氏。市民に寄り添い、市政に新しい風を吹き込むことを目指す彼女のビジョンや公約をご紹介します。
■挑戦者・梶岡香織氏とは?
梶岡香織氏は、守谷市で生まれ育ち、地元に対する深い愛情を持つ人物です。特に「市民の声を尊重する姿勢」が支持者からの評価を得ています。また、先の市議会選挙で小学校新設を掲げ、当選した実績もあり、市民からの期待も高まっています。
梶岡氏が掲げるリーダーシップは、市民とともに考え、市民の声を政策に反映させることです。特に「市民参加型の市政運営」を提唱し、守谷市を住みやすくするための改革を訴えています。彼女のリーダーシップは、単に指導するだけでなく、一緒に歩んでいく姿勢が特徴です。
1. 子育て支援の充実:保育施設の拡充や学童支援の改善に加え、小学校新設を進め、子どもたちにより良い学びの環境を提供することを目指しています。
2. 高齢者福祉の強化:介護支援体制や福祉施設の充実を図り、地域全体で高齢者を支える街づくりを推進します。
3. 地域経済の活性化:地元企業や中小企業への支援を強化し、守谷市の経済基盤をしっかり支えることを目標としています。
さらに、梶岡氏は駅前開発や自動運転バスの導入にも積極的で、特に自動運転バスは高齢者や交通弱者にとっての移動手段としての利便性向上に寄与するとしています。
梶岡香織氏の挑戦を応援するSNSアカウントが増えており、特に熱心に応援する「支持者的アカウント」も多数存在します。これらのアカウントは彼女の政策や活動を詳細に解説し、日々市民への呼びかけや情報発信を行っています。時には過剰に熱心な姿勢が話題となることもありますが、それだけ多くの人が彼女に期待している証といえるでしょう。
守谷市内では近年、政治活動に関連する違法看板が問題視されています。市民の一部からは、景観への配慮を求める声や、法律を遵守した政治活動を求める声が上がっています。この違法看板の件については、市内の政治的議論をさらに過熱させる要因ともなっており、街のクリーンなイメージを保つための新たな対策が求められています。
梶岡香織氏の夫である梶岡博樹氏もまた、地域の政治活動に積極的に関わっています。博樹氏は先日の衆議院選挙にも出馬し、市民の支持を得るための活動を行いましたが、惜しくも当選は叶いませんでした。それでも彼の地元への熱意は変わらず、今回の市長選でも香織氏を力強くサポートしています。家庭内のサポートのみならず、対話の場での活動支援を通じて、香織氏が市民に一層寄り添った政策を打ち出せるよう貢献しています。
梶岡香織氏は「すべての世代が自分らしく生きられる守谷市」を目指しています。次世代を担う子どもたちのために充実した教育環境を提供し、高齢者の生活の質を向上させる福祉政策、さらに地域経済の活性化に尽力することで、持続可能で活力ある未来像を描いています。
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守谷第二位の無職として、日々楽しく交流させていただいております。
さて、先日フォロワーに「現市長(守谷市松丸市長)はやる気がなく見える」と言われました。
こんな中年無職に聞かれても案件ではあるのですが、私が見た松丸修久像について、書いてみたいと思います。
■松丸市長の本質:自分で先導するのではなく、周囲に決めさせて環境を整えるマネージャータイプ
松丸サンは、簡単に言うと、自分で「守谷をこういった街にするんだ!」といって決めていくタイプではなく、「市民に決めさせて、市民に運営させる。その場を作るのが市役所」という形を徹底して作ってきた人です。
間違っても自分で駅直結ビルの図面を手書きしてみたり、小学校を始めとした負の遺産をガンガン建設するよう進めるといった、旧来型の土建屋タイプの市長ではありません。
いくつか実例を見ていきましょう
※細かいことを言うと時系列的に市長時代ではなかったものも含みますが、議長・議員も長く務めていたので一旦目を瞑ってください
これが松丸市政を最もよく表現した施策であると言えるでしょう。
やや複雑なのであえて超絶簡単にまとめると、町内会をかなりのサイズにまとめて、そこに一定の自治権や予算を与えたという取組みです。
例えば交通の足に困っている一部地区のまち協に、自治会運営のワゴンを与えて、地域の足として活用することを許可して、交通弱者対策に取り組んだ、というのは非常にわかりやすい例です。
これを市役所がやると、「全ての地域にあまねく同レベルのサービスを提供しなくてはならない」「責任も市役所がとらなくてはならないので、そもそも市役所もやる気にならない」「一度始めると、少しでもニーズがあると撤退ができない」ため、施策としてはなかなか前に進みづらいです。
その中で、あえて地域に権限を与えてしまって、地域の責任で運営・撤退を判断。
市役所はその手伝いをするという形を作ったのは、地方自治においては割と画期的です。
そしてこれに関しては、むしろ「ちゃんと市民の声を聞く姿勢があるからできた施策」であり、自分でなんでも決めたがるタイプの方にはできない施策でもあることに留意が必要です。
これも、市長や議会が勝手に決めて勝手にダイワと推進したものではありません。
むしろ市民を巻き込んでコンペをやり、その中の案の1つを実現化したものになります。
ブランチ守谷を失敗している等と言う場合、どちらかというと、その案を出したチームへの批判となります。
もちろん、最終責任者は松丸市長ですが、あくまで市民同士の批判に転換させるやり口は見事です。
とはいつつ、なんだかんだ公園も盛り上がって来てるし、ひがしの町内会がイベントやったり、割と盛り上がってきたよね。
2:私立小誘致
これもまさに「自分で手を動かさずに人にやらせる」の典型でしょう。
まして守谷市は給食センターの新設も控えており、学校施設の規模調整はかなりの難題。
そんな中で、住所はつくばみらいとは言え、私立小を持ってくるよう仕向けたのは、非常に合理的でした。
守谷では地元の子が一部受け入れられているのと、市外からも小学校入学のために税金たくさん払ってくれそうな金持ちが転入しています。
公立小学校を作っても、金持ちは集まらないことを考えると、非常に良いね。
(しかも税金がかかる乳幼児期を終えた子どもを集める・小学校くらいだと転居してくる可能性もあるというのも素晴らしい)
SALSEFORCE・DMM等、多くの企業との協定を結びました。
これも、自費で何かを推し進めるのではなく、自治体と協力したいという実績を作りたい企業を上手く活用して、市の活性化に取り組んだ功績と言えるでしょう。
実際、ここまで多くの企業と協定を結んだ自治体は、政令市クラスの自治体を除いたらほぼないのでは?
公立の小中学生の英語教育、ICT教育等、市民としても割と利益を受けています。
これにより、図書館の休館日を大幅に減らし、市民の利便性向上に大きく貢献しました。
このように、松丸市長は「自分が手を動かした」ワケではなく、周囲を上手に取り込みながら、市を運営してきたと言えるでしょう。
多分、安倍さんとか好きだと思います。もしくはサッカーの森保監督とか。
基本的に何か強く推進している感じが外からは見えないけど、気づいたら強くなってる、そこを目指しているように見えます。
さて、ここまでで、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について語ってきたつもりですがいかがでしょうか。
もう少し、個人的に思っていることを書いていきたいので、徐々に論点を変えていきたいと思います。
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では、市長が独断で進めたと宣伝されているアジュール問題をどう評価するかは極めて重要ですね。
これも、ここまで語った松丸論だと、およそ協議会とか作ってから進めないとオカシイと思われるでしょう。
ただし、
・議会は通しており、高い賛成を得ている
・明らかに財政上問題がなく、むしろ将来的には貢献する可能性が高い
・取得までは市の仕事と割り切っている?
ため、独断・暴走かと言われると「いつもの松丸さんじゃない」かもしれませんが、
「独断・暴走と評するほどのものでもないのでは」というのが感想です。
・政治的正しさ → ここを否定する場合は、議会も否定していることになります
・お金の使い方 → ここを論点にするのは筋が悪いし、経済経営センスがないことを明かしているに等しいのでやめた方がいいです
これらの論点をごちゃまぜにして、疑惑・利権にすり替えて攻撃されてるな~というのが感想です。
アジュール問題の本質的部分については、今日の「市長のやる気の見えなさ」論とは一旦異なるので、これくらいにしておきます。
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さて、「周囲を取り込む系マネジメント」をしていくとどのようなことが起こるか。
実際、Xを見ていても、森友学園を彷彿とさせるような「疑惑」を一方的にふっかけて楽しんでいる人たちをよく目にします。
では実際に汚職は起きているのか。
調べてみましたが、わかりませんでした。
とこれでは「いかがでしたでしょうか」ブログになってしまうので、真面目に考察してみます。
■汚職が起きているかはわからないけど、建設業協会は暴走していない
松丸さんは、令和建設(現松丸建設)の元社長だかCEOだかです。
市内でも大きな建設会社なので、実際に少なからぬ工事に関わっています。
ということは、松丸さんが最も関係している団体の1つとしては建設業協会・令和建設が考えられるでしょう。
しかし、松丸さんは、小学校建設や駅前再開発には手を出しません。
ふつうに考えれば、小学校建設や駅前再開発なんて、守谷市の建設業協会にとって最高においしい仕事です。
仮に元請になれなかったとしても、様々な仕事ふってくる、何よりもメンテナンスの仕事も無限に増えます。
これを、あえて推進していないという点は、松丸さんを見ていく上で非常に大きなポイントでしょう。
後述しますが、松丸さんは明らかに嫌われる要素を複数持っています。
その1つである対令和建設・対建設業協会に対し、割とそこまで直接的に利益供与をしているようには見えません。
やろうと思えばもっとやれるハズのところで一定の自制を利かせている点は評価して良いと思います。
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地方自治の独自性だなんだと言われていますが、実際みなさん、地方を見ていてどうですか?
一部の恵まれた自治体を除くと、行われていることって基本的にはほぼないです。
なぜなら、地方自治体に与えられた権限は非常に少なく、基本的に求められる機能が国から下りて来た事業の執行であり、金儲けや楽しいイベントを仕掛けることではないからです。
なので、市長ができる施策で独自性を出せと言われると大きく2つしかありません。
確かに他候補の支援者が裏アカを作りまくっているのに比べると、大きく後れをとっています。
手練れの広報が身近にいないのでしょう。
ただし「有意に上昇を続ける地価」「宅地が不足するレベルで増加している人口」「ふるさと納税寄付額関東2位」という実績が出てしまっているため、
現時点では広報はうまくいっている、もしくはそこにカロリーを割く必要がないというところは大きいかもしれません。
それでも、他市市長みたいに前面に押し出て威勢のいいことを言うことに幸せを感じる方にはキツイ街かもしれません。
→こちらは、まちづくり協議会に役割を大きく移譲しようとしていると思います。
市がやります!というより、近所の人がやってます!と推進しようとしている形ですね。
実際に、枠を作るのは大変ですが、何よりも大変なのは参加者の増加や運営の維持。
そこを、市民に主体的に移譲しようとしているので、ここでも松丸さんが前面に出て来ることはないでしょう。
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ではここからは、なぜ松丸さんは嫌われるのか、もとい、松丸さんが嫌いな人はどういった層かについて、まとめていきたいと思います。ここまでの記事を読んでいただくと、ある程度スッキリするとは思います。
※ここから先はかなり具体的なペルソナを設定しているので、不快に思ったら途中で読むのをやめてください
1.自民党・市役所・市長・市議会・建設関係者が悪であると信じることで、心の調和を保つタイプ
コンクリートから人へ、という言葉こそが正義であると信じているタイプです。
思想信条は自由ですが、この関係者に、多くの真面目な市民がいることが見えておらず、また、いうほどその人たちが豊かな暮らしをしているワケではないことにも気づいていません。
このタイプの方は正義感が強く、自身の発言も「社会正義」をベースにしているため、恐らく何があっても思想信条を変えることはないでしょう。
このタイプの方は、決して「なぜ松丸市長は小学校建設をしないのか、自分がトクするじゃん」という問題には手をつけません。
このタイプの方は、まちづくり協議会とか存在から知らないし、図書館も誰が運営してようが知ったこっちゃない。
他自治体の全てが守谷よりよく見えて、守谷は無能が運営していると思い込んでしまう。
なので、守谷の仕組を上手にハックできない、その知恵や人脈がない方です。
よくも悪くも、松丸さんが作った今の仕組は初心者にとっつきづらいため、こういう層は自分がないがしろにされていると思ってしまう、もしくは本当になんにもない自治体だと思ってしまうということで、なぜかアンチになっていることが多いです。
守谷はベッドタウンなので、ご近所づきあいはがんばろ。その方が選択肢増えるよ。そういう街です。
これは1と大きく関わります。
本人と話すとめちゃいいおじいちゃんなんですけど、ここに引っ張られてる人は多いと思う。笑
似たポジションとして、「市長の発信力がない」ことに不満を持っている方も少なからずいます。
発信力があろうがなかろうが、自分がうけられる権益は1mgも変わらないのですが、なんとなくブランドが足りてないように感じて、おじいちゃん政治家が嫌いになっちゃうんでしょうね。
一番イタかったのは、コロナ給付金が、既に守谷では配布始まっていたのに、他市市長が「来週から配布します!職員頑張ってます!」みたいなツイートした時に
「◎市はすごい、それに比べて守谷は」と盛んにアンチ活動していた人です。
まぁその方はちょっと活動家すぎるので置いておくとして、市長が40歳イケメンだったら、この理由で松丸さんを嫌いになることはなくなるんだろうなと思います。笑
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■たぶんやる気がないワケではない
ということで、本題の「松丸市長のやる気」問題ですが、およそ本人が、やる気を前面に押し出して進めていくタイプでないことは伝わったかと思います。
あくまで私は、事実をベースにいくつかの解釈を混ぜた文章としているので、皆さんがどう受け取るかは自由です。
現在の守谷市があまりに住みづらい市であり、市政も大きく間違えている、というのであれば、方法は2つ
私は聖人でも議員関係者でもないので、全員が選挙に参加しろなんて思ってないし、よくわからないなら思考停止させて選挙になんて参加しないのもアリだと思っています。
ただ、少しでも興味がある、疑問がある方にこの文章が届けばいいなとは思っています。
この内容についての感想等は、Xでいただけるとありがたいです。
わたなべ問題というものがあるらしいが、わたべ問題についても知ってほしい。
わたべさんは知らない人からはまず間違いなくわたなべさんと呼ばれることになる。自分はわたべとして生まれて久しいが、それこそ小学校の入学式、病院の受付から会社まで、必ず最初はわたなべと間違えられた。授業を数年受けた現代文の先生にも間違えられたこともある。ふりがなが振ってあっても関係なしだ。
さらにこの問題はグローバルだ。一度、アメリカで会った中国人にわたなべさんと呼ばれたことがある。ドイツに行ったときのホテルでもわたなべさんと呼ばれた。世界的に見れば渡邊雄太、渡辺謙など、わたなべという苗字は圧倒的に有名だ。Watabeと書いてあったとしても、それこそ単なるスペルミスだと思われているのだろう。
このようにわたべ問題の闇は深い。渡部建、渡部篤郎につぐスーパースターが現れて、わたなべ姓を圧倒してくれないものかと日々願っている。
引用欄が怖すぎる。
「ママ友」って、そこまで特別に気を遣って誠心誠意尽くさなきゃならないような相手だったの?
@tamago_tabibito
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昔、ママ友(金持ち)のお宅にこのホワイトロリータ様をお連れしたら嘲笑されて誰も食べてくれなかったことがあってから、私はホワイトロリータ様を傷付ける奴らとは仲良くしないって決めてる。
https://x.com/tamago_tabibito/status/1850084099060338699/quotes
引用欄では婚活の初デートにサイゼとか、推しへのプレゼントにコンビニ菓子とかにたとえている人がいるけれど、
全然違わない?
元ポストの人は別にママ友に惚れ込んで愛してるとか、生涯を共にしたいとかいう訳ではないよね?
「ママ友」に、そこまで畏まった付き合いをするイメージがなかった…。
ママ友って単に子供の関係で知り合いになって親しく付き合うようになった、気の置けない間柄だと思ってたんだけど…
それこそ幼稚園や小学校の友達と同じような存在なのかと思ってた。
こういうのを見ているとママ友付き合いこえーってなるし、
2024年に政党を「右か左か」だけで判断することに無理がある
維新は「人権問題に関してある程度理論武装しているネオコン政党」。ポンイチや保守党、参政党みたいな露骨な極右とはそこが違う。
ただ、維新の政党関係者の多くは半グレと大差ないレベルのDQN。彼らの知性教養は小学校1年生レベル。「差別はよくない、というか自分に返ってくる」という小学校1、2年でやるような道徳すら理解していない。
「受験戦争を突破し大学にさえ入学できれば人生成功の扉が開く」。大学に入れば人生が楽になるだなんて、そんなのは大きな誤解でしかない。だからこそ、多くの若者が大学に入ると、恋愛やゲーム、旅行など刺激を求めることに夢中になり、自分が大学に通う目的も忘れてしまう。大学に受かった時点で、まるで自分の役目が終わったかのように。
本当のところ、大学で何かを得ようとするのは決して楽ではない。学業に社交、どれも時間と労力を費やさないとならないのだ。それでも子どもたちにこんな誤解を与えてしまうのは、多くの親たちが学歴によって得られた恩恵を経験し、「大学に受かることが人生を変える」と思い込んでいるからだろう。
表面的にはもっともらしい考えだが、深く見てみると何か違う。実際には、大学受験がその人の人生を変えたのではなく、時代の流れがその人を支えたのだ。大学に受からなくても、堅実に努力すれば現在でも十分に成功している人がいるし、中には学歴がなくても何億もの資産を築いた人もいる。名門大学に行ったからといって、適切な業界を選んだ人や、挑戦心のある人よりも必ずしも良い生活をしているわけではないのだ。
「学歴こそが全て」という時代はもう終わった。ましてや、今の大学教育の内容や成果は、かつてのそれとは遠く及ばない。しかし、多くの家庭は、依然として「小さな町の受験戦士」の感覚で子どもを育てている。「大学にさえ入れば楽になる」といった類の嘘を子どもたちに言い聞かせて、子どもたちはその言葉を信じ、自分の好きなことを諦めて、得意でもない勉強に苦しんでいる。今や「北京大学が空っぽの人材を育てる」どころか、中学や小学校でも空っぽな人材が作られ始めている。「うちは子どもに何の要求もしてないのに、どうして何事にも関心がないのか?」と疑問を抱く親もいるが、答えは明白だ。
「教えられない生徒はいない、教えられない教師がいるだけだ」――この言葉は、かつて著名な教育家の陳鶴琴が自己の戒めとして使ったものだが、今では多くの教師への批判のものさしとして使われる。自分に課す目標ならともかく、他人に目標を押し付けるのはただの要求だ。まして時代背景が変わった。かつては義務教育ではなかったし、大学も一部の限られた人しか進学できなかった。だからこそ、生徒一人ひとりに内発的な意欲が備わっていたが、今では小学生でさえ「もういいや」となってしまう。子どもたちは、幼い頃からあらゆる「教育熱」にさらされ、すっかり疲れ果ててしまっているのだ。
教育の現場では、子どもたちの学びへの意欲を引き出す術を失い、入学時のプレゼントだの、勉強を楽しませるためのゲームだの、工夫を凝らしているが、中身は空っぽだ。大人を騙すようなゲームを子どもに対しても繰り返しているが、何度も繰り返せば子どもだって飽きる。
社会も、学校も、家庭もすべての責任を一介の教師に押し付けているのはただのいじめだ。中国では教師に対する要求が非常に大きく子供への教育の一切を担わらされている。放課後もグループチャット経由で保護者からの質問や学校からのお知らせの通知などにも対応しなければならず、最近では精神的に限界まで追い詰められた女性教師がグループチャット上で切れ散らかしてしまったチャット履歴がSNSで拡散され、同情と批判の入り乱れる賛否両論を巻き起こしたばかりだ。
「教師は太陽の下で最も崇高な職業である」――この言葉は「近代教育の父」と称されたチェコの教育家、コメニウスが語ったものだが、彼はなぜそう言ったのか?その背景を見ればわかる。彼が生きたのは、封建制度が崩壊し、資本主義が台頭し始めた時代で、彼はその時代に適応するために様々な教育理論を唱えた。資本を発展させるには優れた人材の育成が不可欠であり、資本のための高い質の教育が求められたのだ。