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はてなキーワード: 小学校とは

2018-01-17

なんでもないこと。

幼少期の記憶ほとんどない。

最近まであったような気もするけど、30年も生きるとそろそろ容量が限界なのか、古いものから消していかないと新しいものが保存できないらしい。

インターネットに転がっている話と比べると、全然大したものではないが、自分の周囲と比べたら、自分の家庭環境は複雑だった。

自分子供の頃は個人宅の電話番号電話帳が普通に各家庭に配布されていた。

今もあるかは知らないけど個人版のタウンワークの様なもの

それにうちの番号が乗ることはなかった。

からわかったことだけど、父の実家商売をしていて倒産、その後ほぼ夜逃げの様なかたちで今住んでいるところに越してきたようだった。

それで番号をのせてしまうと、電話がかかってきてしまうから、と誰かから聞かされた。

誰だったかは、覚えていない。

小さい頃にずっと疑問だった。

父と姉はなぜ14歳しか離れていないのだろうか。

恐らく何度も母に聞いたと思う。

それは覚えている。

小学校高学年くらいにもなると、まあそうなんだろうなということがわかってくる。

自分と姉は異父きょうだいなのだ

わかってはいたけど、親や姉の口から直接それを聞かされることはなかった。

うちの両親は不仲だった。

しょっちゅう喧嘩をしていた。

父は短気で、自分の気に入らないことがあるとすぐ怒鳴った。

姉も自分も、殴られたこともある。

父と母の喧嘩が原因で、一度母といっしょに家出をしたことがある。

姉もいっしょに、と話したのだけど、姉はついてこなかった。

すごく不安で、寂しい気持ちになったのを覚えている。

自分小学生だったけど、学校に行くのがすきではなかったから、学校に行かず、だいすきな母親とずっと一緒に居れることは嬉しかった。

結局その生活は続くことなどなく、一週間で終わったけど。

姉が結婚することになった。

両家で顔合わせをすることになった前日、父と母はいものように怒鳴り合いの喧嘩をしていた。

当日、いくら母が説得をしても父は「自分はもう離婚するから関係ないので行かない」と頑として動かなかった。

姉がキレた。

「何でいかないの!?なんで関係ないの!?私が本当の子供じゃないか!?

おっと、自分は薄々感じてはいものの、ここで突然のカミングアウトである

どうしたらいいのかわからないまま、自分はひとり膝を抱えて「ドラマみたいだなあ」とだけ思っていた。

父もキレて姉を殴った。

普通にグーで。

これからめでたい席に出る主役なのに。

ありえない、最低だ。

この瞬間から自分は父のことを一切信用しなくなったし、家族に対する愛情というものも今も持ち合わせていない。

姉はきちんと結婚して、きちんと幸せになった。

よかった。

本当によかった。

その後すぐ、母が癌になった。

手術をして、抗癌剤治療放射線治療もしていた。

それと、母が自己破産するとも言われた。

一度にいろんなことが起こりすである

癌は、定期検診もきちんと行っていたけど、結局転移して、また入院した。

その時自分高校生で、うちはお金もなかったか奨学金をもらうことにした。

幸いにも、ほとんど学校に行かないくせに成績はよかったので、申請した時期より遡って給付してもらえることになった。

その奨学金は母の治療費や家の生活費などにあてられ、学費自分通信費交際費アルバイトをして稼いだ。

進学したい気持ちもあったけど、3年生のときには家計も病状も逼迫していてそれどころではなかった。

今考えると、無理してでも進学した方がよかったかなと思うけど、当時は本当にそれどころではなかった。

周りの子が親のお金で遊び、自動車学校に通い、車も買ってもらっていた。

なんで自分だけこうなのだろうかと、ずっと悲しかった。

考えが子供だとは思うけど、子供からこそ、当時の自分はかわいそうだなと今でも思ってしまう。

進路希望の用紙は、真っ白なまま提出していた。

今のアルバイトを続けていれば、時間自由になるし、看病する時間もあるだろうから担任に伝えると、今の成績ならすきな学校に行けるのに、と言いながらそれ以上は何も言われなかった。

高校卒業した頃には、母の病状はひどいものだった。

恐らくあの時にはもう末期だったのだろうか。

父は自分にもほとんど病状を説明しなかった。

母にも、告知はしていなかった。

自分毎日イライラしていた。

18とか19とかの時に、他の子は遊んでいるのにどうしてという気持ちいちばん強かった。

母に当たった。

忙しいのにどうして!と。

姉に後から言われた。

自分の子供にそんなことを言われて情けないと、母が泣いていたと。

病院の都合もあり入退院を繰り返していたので、また入院する日になった。

家を出る時に母が言った。

「ごめんね、もう居なくなるから

それがきちんと意識のある状態の母とした、最後の会話だった。

その後すぐ、余命2ヶ月と言われたと父から伝えられた。

いつどうなるかわからいから、交代で毎日誰かが通うことになった。

自分が行くときに、何かいものはないか母に電話をした。

その時にはもう痛み止めのモルヒネをたくさん打たれていて、ろれつが回っておらず、何を言っているのか聞き取るのが大変だった。

なんとか聞き取り、持って行くことになった。

結局その日は親戚中が母に会いに来た。

もう個室になってはいたけど、部屋はぎゅうぎゅうだった。

母方の祖母が、母の顔を覗き込んだ瞬間に、母が大きな声をあげた。

泣いていた。

ああ、意識はあるんだ、と思いながら自分も泣いた。

もう相当に意識朦朧としているようで、他の誰が話しかけてもほぼ無反応だったから。

結局その日に持って2週間でしょうと担当から告げられ、自分と姉は抱き合っておいおい泣いた。

その日から毎日まり込みになるからとしばらくアルバイトを休むと連絡をした。

自分入院たこともなかったし、夜の病院は怖いだろうなとも思っていたけど、母が隣にいるので特に怖くはなかった。

何か起こったら呼ぶから、と父に言われ、自分は仮眠室のような別室で横になった。

6畳くらいの部屋にふとんもなく、1人だったので、急に怖くなったのを覚えている。

ようやく眠りにつけたな、という頃、そろそろ脈が弱くなっているから、と父に起こされ病室に戻った。

結局2週間と言われた次の日の朝方、母は亡くなった。

ドラマのように、大きな声をあげて泣くこともなかった。

心拍数が0になって、ピーーーーと音がすることもなかった。

人の死は静かなんだなと思った。

手を握っても、まだあたたかかった。

姉は臨終の際にそばに入れず、間に合わなかったと泣いていた。

母を泣かせた自分そばにいて、献身的に看病をしていた姉が間に合わないとか、なぜだろう、不公平だなと思いながら見ていた。

夏のよく晴れた日で、空がとてもきれいだったことをよく覚えている。

もう10年以上も前のことなのにずっと後悔し続けて、思い出している。

ああでも、戻ってやり直しなんてできるわけもないから、だから忘れられないんだろうな。

2018-01-16

小学校うんこしてた奴

馬鹿にされる風潮があるらしいが、俺は構わず普通にしてた。

当時は冷たい便座の洋式か、昔ながらの和式しかなかった。ケツが冷たくなるのが嫌だったから俺は和式を好んでいた。そして踏ん張って出すのが気持ちよかった。

今では便座が冷たくても洋式しか無理だ。

anond:20180116174643

小学校じゃないけど工業高校先生やってる知人が一発殴れば子供なんて余裕っすよと言っているので

手出せた時代は楽なんだろうなと思うけどまあ今じゃ無理よね

anond:20180115220235

私立幼稚園だか小学校だかの受験必要書類として母子手帳(のコピー)が求められる件を思い出した。

学校側が何の為に母子手帳要求して来るのか明かさないので、受験希望者の保護者達の間で憶測が飛び交う。

出生時の記録を抹消・捏造or最初から記入しない事を産科医に求めたりとか。

原理主義自然育児を行って来た保護者が、私立校受験のために情報収集してみて初めて、母子手帳ワクチン接種欄が全くの白紙であることをリスクに感じて、慌てて予防接種をさせ始める(が、今度はワクチンロット番号が気になって仕方ない)とか。

私立校保護者達を操っているのかどうかは定かではないが、保護者達がほとんど自主的にけつに火が点いたようにテンテコダンスを躍り狂っていることは確か。

と、似たような感じで、内申書にも生徒やその保護者達が過度に踊らされている感があった。

私が中学生時代はもうずいぶん昔の話であるけれど、普通に学生生活を送っていれば内申点が悪くて進学に響くというような事はないという感じで、内申書問題になるのは元増田の話のようなケースとか、不良が起死回生をはかる時とか、そういう場合くらいな訳で、特に何の問題も起こさない生徒が内申点を上げる為にする努力というのは基本的無駄、という感じだったので、内申書=悪とまで言うのはどうかと思う。

しかブコメ見ると教師に嫌われたせいで内申点下げられたとかい経験談があったりなどし、本当にそこまで恣意的制度なんなら、ヤバいな。

誰かのために脇役にされること

小学生の頃、私は信じられないほど足が遅かった。体はぽっちゃりぎみ、本を読むのが好きで運動からきしだった。鬼ごっこで逃げきれた試しなどない。中休みに外に出るのが辛くて仕方なかった。

私の通っていた小学校児童数が少なくて、一クラス20人ほど。体育の時間は一人一人が全員の前でやることが多く(実際にその時間をとることが容易だったから)、私には酷く苦痛時間だった。

小学校5年生の体育の授業で、リレー選手を選ぶために、80メートル走を二人組でやることになった。私と走ることになったのは少し知的障害ぎみで援護学級にも通っている体の大きな男の子だった。その子もあまり運動が得意ではなかったと思う。

先生の合図で走り始めて、みんなが私に注目する。それだけで嫌で嫌で仕方ないのに、隣の男の子とほぼ同列で走りながら私はびっくりした。

「〇〇(男の子名前)〜!!がんばれ〜!!」

「すごい〇〇!!勝てるかも!!」

クラスの子達が、目を輝かせて、大きな声で相手男の子応援していた。その中にはなんと、担任先生の姿もあった。ただでさえ動きにくい足が、ずんっと重くなったような気がした。

そのままずるずると遅れていって、結局リレーは負けた。クラスメイトその男の子の周りに集まって、「頑張ったね」「すごいね」と褒めている。担任先生も嬉しそうな顔でその輪の中にいた。

その日のヒーローその男の子だった。私はヒーローをつくるために脇役になった。脇役にさせられた。

家に帰ってから初めて涙が出た。正しく美談であるはずなのに、その輪の中に入れない自分が悲しくて仕方なかった。

先生はきっと、クラスの子達に「弱い子を理解し、応援する素晴らしさ」を教えたかったんだと思う。それでも、その犠牲なる子存在を、もっと意識して欲しかったと思う。

周りの評価自己評価とのギャップ

私は小学校の頃から中学卒業するまでいじめられ、それをバネにして勉強して

今は誰もが聞いたことがある日本企業エンジニアとして働いている。28である


大学会社の同期からは、できる人、すごい人だと思われているんだけど、実際は全然そうじゃない。

発達障害双極性障害も、軽度の対人恐怖症ももち、昨日はついにうつ病認定されてしまった。

ついでに去年突発性難聴を患って、片耳も聞こえない。


外では一生懸命できる私を繕っているだけ。

中身はだらしない、集中力が極端に散らばってしまう女で、精神的疲労も、もうへとへとである


家族にも上司にも友達にも、精神障害を持っていることは打ち明けてないし、打ち明けられないと思う。

でも周りからはできる人を期待されているし、自分には重い仕事もどんどん降ってくる。

チームリーダ的役割も期待されている。


どうしたら、このギャップを埋められるんだろう。

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-15

anond:20180115171613

間違い探しみたいな検査ブロックとかパズル

小学校で全員受けたが、地域によって違うのかね。

結果は教えてもらえなくて教師けが知って指導の参考にすると聞いたけど。

小学校の頃流行ったサザエさん替え歌

危ない刃物を振り回して 陽気に戦うサザエさん

タラちゃ〜ん 万引きしておいで〜(はいでちゅー!)

母さ〜ん 強盗どうかしら〜(いいわねえ)

時には警察殺しちゃう 時にはヤクザも殺しちゃう

だけど wooo だけど

明るい私は 明るい私は サザエさん

2018-01-14

ブスだけど私も男性に産まれたかった

anond:20180113163358

私は元増田の言うところの性交不可能な女だ。

とうとう、ほとんど恋愛たことがないまま、29歳になってしまった。

ここで、私も思うこととしては、男性に生まれたかった、ということである男性であれば、私は勉強仕事やその他いろいろの努力によって、人並み程度には幸せになれたかもしれないからだ。

自分がブスだと気づいたのは小学校二年生の頃だ。子供だけで参加するキャンプで初対面の女の子たちから、どうしてブタみたいな鼻をしてるの?どうしていつも目が開いてないの?とからかわれた。

それでも一縷の望みを持って、ピチレモン記事を参考にまつ毛をカールさせたり、眉毛を抜いたりしてみた。しか小学校高学年の頃、親戚の集まりでの祖父一言希望は打ち砕かれた。

「(従姉妹の)◯◯ちゃんは美人だし、◯◯ちゃんは愛嬌があるのに、どうしてお前だけ不美人なんだろうなあ」

私の従姉もとりわけ美人ではないが、私と比べればマシ、というか全てのパーツが悪いわけではない。父と母のそれぞれ悪いところだけを受け継いだのが私の顔だ。

私のような容姿人間調子に乗ってはダメだと思った。元来目立ちたがりだったが授業でも手をあげず、誰もやりたがらない係につくようになった。

それでも中学に入ると、周りが私を放ってはくれなくなった。男子による、学年ブスランキングの始まりである。毎回一位の私は、近づくと菌がつくと男子いじめられ、女子からは見えないものたして扱われていた。それは容姿のせいだけでなかった。

毎回二位の田中さん(仮)はクラスの一軍に入っていたからだ。田中さんは頭の回転が早く、どんなブスいじりに対しても軽妙な切り返しで笑いに変えることができた。私はそれができず、ブスと言われても曖昧に笑うことしかできなかった。

(そういえば今思い出したが、女子で唯一積極的に私をいじめていたのは田中さんだった。同じブスとして括られたくなかったのかもしれない)

しかしそれでも中学時代勉強だけはそれなりにできた。自分を軽んじている相手に勝てる唯一の手段だったし、母親からは「親は先に死ぬから勉強して手に職をつけなさい」と言われてきた。(今思えば、私の結婚をはなから諦めていたのだろう)

おかげで高校は、偏差値の高い女子校入学できた。高校時代は楽しかった。クラスでも目立たないオタクコミュニティに入れてもらえた。それほど二次元への情熱があったわけではないが、当時流行っていたテニプリおお振りテーマに誰かと盛り上がれることが楽しかった。

調子に乗って東京大学に進んだのが間違いだった。サークルに入ろうと新歓コンパに申し込んだが、連絡は一件も来ない。クラスでも私以外は垢抜けた人しかおらず次第に孤立した。せめておしゃれを頑張ろうと思った。キャンキャンに載っていた一重でも可愛く見えるメイクを試した。えびちゃんと同じ服を着て同じ髪型にした。「勘違い」と嘲笑されただけだった。

一人暮らしだった私は毎日学校に通っていながら、誰とも話さない日が続いた。一人でご飯を食べているのを見られたくなくて、昼食は抜くようになった。半年もせずに学校で私は意識を失って倒れた。気の遠くなるような精密検査の結果、鬱と診断された。母親実家に連れ戻され、大学を休学したものの結局中退した。

数年間の静養の間、親は私を責めなかった。でも学費無駄にさせたこと、60歳近くになって世話を焼かせてしまっていることの償いとしてせめて働こうと思った。十数件のアルバイトに応募し、ファミレスキッチン採用された。キッチン男性中心の職場だ。同僚は客の容姿に点数をつけたり、キャバクラの話で盛り上がっていた。大学時代と違って、面と向かって容姿の悪さを指摘された。何も言い返せずヘラヘラと笑っていると、彼らからしかけられることはなくなった。

「私のことも他の人と同じに扱ってください」とは言えなかった。

その代わりに、ブスな女芸人の出ている番組をすべて録画して、ブスいじりへの返しを学んだ。自虐ネタパターンも覚えた。

私は職場面白い奴と言われるようになった。もっと暗い女だと思っていたと。個人的飲み会には呼ばれなくても、職場全体の飲み会には呼んでもらえるようになった。

クリスマス年末年始仕事に入れる私は店長にもありがたがられた。

やっと人間になれた。そう安堵していた。そんなある年の暮れ、中学時代同級生が店を訪れた。私と同じように容姿に恵まれず、クラスの3軍だった勉強のできる男子だ。妻らしき女性と、赤ん坊と一緒だった。

母に聞くと、彼は上場企業就職して結婚子供が産まれたので一緒に帰省しているのだという。

私は恋愛経験のないアルバイトのまま20代を終えようとしている。

それでいいと思っていた。昔より全然人間扱いされてるし、人生で今が一番幸せだと思っていた。でも何でこんなに諦めなくてはいけないんだろう、って、気づいてしまった。

せめて男性に生まれていれば違ったのかな?

2018-01-13

小学校の頃に好きだった女の子

もう大学生か。

彼氏かいるのかな。

今年も年賀状くれたけど、いつ終わるのかな。

就職したときかな。

コミティアに来る編集者しんどい

はじめに謝るけど私は文章が上手くない。

自分の心の整理としてここに書いておきたいだけなので、誰かにマウントとるつもりも全くないし、自分特別人間だなんて思ったこともない。

小学校から大学に至るまでいじめられたことばかりだし、人の輪に入って気さくに話すこともできない、人間落ちこぼれだと思う。自分のことをずっと人間落ちこぼれだと思ってきたから、誰かを見下すなんてこと考えたことない。自分いちばん下で、いつも輪の外で、入る勇気もなく、馴染む努力もしない、できそこないだから、当然だ。

…こういうことを書くと、アスペっぽい、とかコメントがつくのかな。顔の見えない他人なら、なんでも言えるその強さも私にはないので、すごいなと思う。でもはてな匿名からコメント自由にやってもらっていい、私も匿名で書いてるんだからしょうがない。

コミティア出会ったのは数年前のことだ。

絵を描くのは昔からずっと好きだったから続けていたけど、それで漫画を描くのはちょっとやってみたことがなかった。

二次創作ですこしばかしのページ数の漫画もどきみたいなものを描いたことはあったけど、最初からオリジナルキャラクターを考えて、ストーリーを考えて、なんてことが自分でできるなんて考えたこともなかった。

あるとき地元創作漫画イベントがあると聞いて友人と行ってみた。

すごくいいイベントだと思った。みんなが好きな作品を描いて発表して、漫画好きな人しかいない空間、本当にすごいと思った。自分にもできるだろうかと思った。あの中で、漫画を描いて、売って、誰かと繋がることができるだろうかと。

一番最初漫画を描いたのはわりとすぐで、直近のコミティアに申し込んで、サークル参加をした。最初同人誌は25部刷って、完売だった。

冊数はどうでもよかった、完売たことすらもどうでもいいことだった。

ただ私の、私が部屋の隅で、人の輪の外で、そこに憧れながら、自分脳内だけで繰り広げてきた理想物語が、たぶんみじめな妄想が、かたちになって、かたちになったら誰かが買ってくれて、読んでくれて、それだけがしかった。

はじめて誰かとコミュニケーションを取れた気がした。

多分はじめて誰かに自分の思っていることを正確に伝えられた気がしたのだ。

それだけがひたすらに嬉しかった。

何回か参加しているうちに、同人誌を読んで、感想を呟いてくれたり、メールをよこしたりしてくれる人もできた。有り難くて涙が出た。

コミティアに参加して、同人誌を出して、誰かに手渡す瞬間だけ、人間コミュニケーションを取れている気がした。まっとうなコミュニケーションを、できている気がして、本当に息がしやすかった。多分私にはこれしか自分の考えを表せる手段がないのだと思った。それくらい、本当に楽しかったし、幸せだったし、コミティアという場所があることに死ぬほど感謝した。

そのうちに、編集者を名乗る人からメールが来るようになった。

スペースにも、編集者だと名乗る人や、委託の人が来るようになって、自己紹介だけして去る人もいれば、スペースに居座ってひたすら喋り続ける人もいた。

一度、「漫画の描き方を教えてあげる」と言われたこともある。どうして描いたことのない人がそんなことを自信満々に言えるのだろう、と思ったし、そもそも私の友達でも知り合いでも師でもない人に、なぜそんなことをされなきゃいけないんだろうと思った。

不思議に思ったけど、声をかけてくれたやさしそうな編集者の人に、ネームを送ってみることにした。

今思えば、ちょっと卑しい期待もあったんじゃないかなと思う。もしかしたら漫画家になれるかも、とか。それは本来目的ではなかったはずなのに、たぶんそこで道を見誤った。

これは今見返すとそりゃ通らないな、と思える未熟なものなのだけど、その時は一ヶ月くらいかけて100pちょっとネームを送った。その時は当然、通らなかった。

そこまでは別にいい、未熟なもの掲載する訳にはいかない。

そのあと、小さい賞をとったり、読み切りをいくつか載せてもらったりして、お金をもらうこともできたから、編集者の人と知り合ったのはよかったこともあった。

でも、編集者の人はプロになることが、単行本を出すことが、連載をすることが、正解だといつも話す。漫画を描いていると言うと、漫画家が将来の夢なんだねと言われる。

でもそうじゃない、そうじゃなくて、ちがうのだ。私はコミュニケーションがしたいのだ。誰かと繋がるために同人をやってるのだ。

雑誌に載って漫画家になることが目的なんじゃなくて、雑誌に載って、もうすこし知名度があがれば(これは雑誌の大きなメリットだと思う、というよりこれ以外にお金以外でメリットなんてない)同人誌を買ってくれる人も増えて、もっとたくさんの人と繋がる体験ができるんじゃないかと思ってやってるのだ。要するにずっと手渡しをしていたい人なんだな、私は。

でも、悲しいことに新人漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式SNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。

それなのに、連載を連載をとせっつく。うるさい。その間にもコミティアで会った編集者からメールが来る。連載か単行本に興味はありませんか、無いよ。無いんだよ。わかれよ。そのふたつがあれば、誰でもホイホイ描くと思うなよ。それは、それはとても失礼だ。

絵が多少描けて、それなりに話が構成できれば、そういう話はいくらでも来る。

きっと育てる必要がないからだと思う。怠慢だよね。

でも、ゆっくり育てなきゃ、みんな枯れちゃうよと思う。せっつかれて描いて、何度も没にされて、絵が下手だって言われて、画力あげましょうねって言われたりする、そして描いた漫画楽しいだろうか。編集者の人ってどの立場からものが言えるんだろう。なにか契約を交わしたわけじゃないのに、彼らは妙に…偉そうだ。うん、えらそうだ。不思議な人たちだ。関わりたくない。そう思うようになってしまった。

漫画否定されることは、自分の子どもをぶたれるような気持ちなんじゃないかと思う。

もちろん、私に子どもはいいから、これは比喩だし、実際に子どもがいたらたぶん子どもがぶたれたほうが腹が立つと思う。

でも、漫画子どもに例えた時、私の描く漫画は何才くらいだろうかと思う。きっと、4才とか、それくらいなんじゃないかな。まだ幼稚園児だ。編集者に何を言われても、きっと意味がわからなくてぽけっとしてるんだろう。まだ育ちきっていない子どもに、難しい言葉を投げつけて、ひたすら否定して、殴り続けたら、子どもは正しい行いをするようになるだろうか。

これは極論だし、比喩にしても行き過ぎているから、ちょっと微妙かな。でも似たような気持ちで、私は私の子どもが訳もわからずぶたれているのを見ている。かわいそう。私の技術が育っていないばかりに、そういう扱いを受ける。しかも身内でもなんでもない他人から。私の責任だろう。私が未熟だからだ。私のせいだ。

そう思って、漫画を描く足が止まった。私のせいで、私の漫画が愛されない。ゆっくり育つことも許されない。なら描くのをやめた方がいい。そう、思うようになった。

でも、まぁ、結局、描くのはやめられなかった。

から今も描いているし、読み切りも載る。相変わらず宣伝はされない。期待されてないってことだと言う人も居ると思うし、私もそう思う。でもお金はもらえるし、宣伝はされないけど読んだ人は同人誌を買ってくれたりするから描いている。

で、結局何を言いたいかって言うと、コミティアに参加している人全員が全員、漫画家になりたくて漫画を描いているわけじゃないってことを、編集者には理解してほしいということだ。

人の数だけ漫画があるように、人の数だけ、その人が漫画を描く理由がある。

漫画を描くとき衝動は悲しみだったり、怒りだったり、嬉しさだったり、さみしさだったり、お金がほしいってことだったり、有名になりたいってことだったりするのかもしれないけど、それぞれの理由があって、みんなこんなことをやっている。

どうしようもない衝動がなければ、こんなことはしないし(だってかなりめんどくさい作業だ、同人誌を作ると言うのは)、続けようとも思わない。

私に、他人と繋がりたいという理由があったように、他の人にもいろんな理由があるだろう、と思う。

編集者は、そこを理解するとことからはじめなくてはいけないのではないのだろうか、と思うのだ。

というか、これは私の願いだ。そこを理解してほしい。いろんな理由があってやっている。そこをわかってくれないと、私たちは繋がれない。ずっとディスコミュニケーションのままだ。プロになれる、ということだけを目的にしたままで、走り続けられる人間と、そうでない人間がいる。

そうでない人間の描く作品には、価値はないだろうか?そうじゃないと私は思う。

だって漫画小説や、作品を作る能力がある。衝動があれば、誰だってなんだって作れる。そしてきっと、違う誰かに届いて、その人を震わせることもできると思う。誰のどんな作品にも、その可能性は必ずある。

それを信じることから、信じて育てることから、始めてほしいと思う。

切に願う。最近は、没にされ続けて描くことをやめた人が多すぎる。

コミティアに参加する。コミティアはいろんな作品を受け止めるでっかい大皿だ。

間違いなく最高の場所だと言える。神格化しすぎて気持ちいかな、でもごめん、私は死ぬほど好きな場所なんだ。

そこに来て、編集者として、仕事をする。それはいい。

でも一度、趣味で描いている人たちばかりの空間で、仕事をするということについて考えてみてほしい。

雑誌にも、単行本にも、夢のない時代で、どうメリット提示するのか。そろそろ考えるべき時なんじゃないだろうか。もちろん、考えてる人もいるんだろうけど、私はまだ出会ってないので。潰しにきたんじゃないのなら、個人個人尊重して仕事をしてくれ。お願いだから

タイトル、「コミティアに来る編集者しんどい」にしてしまったけど。

いやでも、編集者悪口を言いたいわけじゃなくて(十分悪口になってしまった気もするんだけど)、自分思考整理というか、そういうあれなので…支離滅裂文章になってしまって申し訳ない。やたら長くなったし。やっぱり文章書ける人はすごいな。私には、やっぱり漫画の方が合うんだろう。



















●追記

なんだか、考えていたよりも反響があって、驚きました。

みなさんのコメントひとつひとつ、読ませていただいています

自分の考えを整理して、せめて落ち着いて生きていきたいと思って書いただけの文でしたが、これに対して、さまざまな立場の方が自分の考えを話してくれていて、いろんな考え方を知ることができてとても興味深く、嬉しく思いました。

私の考え方はきっと私なりに歪んでいますし、これが正解という考え方は無いのだと思います。だから、こういう場で、さまざまな考え方に触れられたことは本当に有り難かったですし、私の文は置いておいて、いろんな立場の人が自分経験を話してくれたことに価値があったと思うので、とても良い機会に巡り合ったなと感じています

ありがとうございました。











ここからは本当に蛇足な私なりの結論なので、読まない方がいいかもしれないです。

人によっては不快に感じる人もいると思うので、嫌な人は読まないことをおすすめします。



いろんな方の意見を読んで、よくよく考えてみたのですが、いや、ちょっとこれは正直情けないし自分でも厚顔無恥…!という感じなのですが、本腰を入れて、編集者と向き合ってみようと思いました。

同人は私の大好きなことなので、それはちゃんと続けたままで、でも商業でも、よく思い出してみたら、ツイッター読み切り感想を呟いてくれた人がいたり、コミティアでスペースに来てくれた時に感想を言ってくれたりしたことがありました。

それに、担当編集者も、いつも「今回の読み切りもいいですね」みたいに言ってくれていました。

私はもうすっかり人間不信になっていたので、「なんであんな大したものでもない作品にこんなこと言ってくれるんだろう、リップサービスかな、別にそんなのいいのに」と思って、話半分に聞いていましたが、これ、すごく読者の人に失礼だと思いました。一番最初の読者である担当にも失礼ですね。失礼…失礼すぎますね。もう最悪だと思います

同人は私のやりたいことのメインではありますが、商業でも確かに他人と繋がることはできていて、それはないがしろにしていいことではないのだと思い直しました。

私は漫画を描きます。それは同人でも商業でも変わらないことです。

私は誰かに向けて描くことをやめないし、たぶんやめられないし、それはどの場所でも変えなくていいことだと思えるようになりました。プロ意識?とかよくわからないので、そういうのはとりあえず一旦おいておきます

煩わしい色々なもの抜きで、シンプルに、とりあえず漫画を描きます。楽しく。自分のペースで。「なんだ、いろいろ書いておいてこんな結論かよ」と思う方もいると思いますが、こんな単純なことに気付くまで、時間がかかるやつもいるんです。

世界にいろんな人がいるように、コミティアにもいろんな人がいて、私みたいにごちゃごちゃ悩んで愚痴って立ち止まってるやつもいて、それがたぶん、この世界面白いところなので。

まずは私も編集者という他者への理解と、そして尊重を。お互いの目的を擦り合わせる努力を。これは私個人反省として。自分がしてもらう前に、自分がしてみようと、そう思いました。

それじゃあキーボードペンに持ち替えて、まずはネームから

…と思ったけど、担当編集者メールしてみようかな。これを読んでたりするんだろうか…。それはかなり、恥ずかしいな。

マクドナルドの平日半額

休日よりも平日の方が多いんだから、半額の方が普通価格で、休日が倍額って言う方が正確じゃん。

て言う主張をしたんだけどわかってもらえなかった小学校の時の思い出。

希死念慮

小さい頃から希死念慮ぼんやりとした死んで楽になりたいという気持ち)がある。

小学1年の時に、祖父母が買ってきた問題集をやらされたのが嫌だったらしい。勉強机だった古い木製の机に鉛筆で死んでやるとか死にたいとか書いていた。

人に見つからないように書いていたつもりだが、バレていたようだ。祖父母が亡くなった後に父から聞かされた。

小学校高学年で火の鳥を読んで、それから生と死についていっそう考えるようになった。

中学の頃は成績の事でよく怒られてて、2階のベランダの壁の上に座りながら、ここから落ちて死んでもいいのかなと思って月を眺めていた。

今思うと、道路から行人に見られていたら通報されていたかもしれない。

中学3年の時に車輪の下を読んだ。父は悲しい話だと言っていたが、自分主人公は楽に慣れて少しうらやましいなと思った。

高校文化祭体育祭修学旅行にはあまりいい思い出がなく、この頃から自分人とは少し違うことを感じていた。

いつだったか、両親にせっかく産んであげたのにと言われたことがあったけど、産んでくれないほうがよかったのにと思った。口には出さなかったけど。

高校3年で受験勉強がうまく行かない時があって、3階の教室の窓から下を覗いて、ここから落ちて死んだら楽になるのかなと思っていたら、クラスのあまり喋ったことのない人に飛び降りるとか考えるなよと言われた。

大学では体育会系部活に入ってしまったが、あまり馴染めずにいた。

退部する勇気がないでいたら、周りが次々に辞めて逆に辞めづらくなってしまい、結局最後までズルズルといた。

ストレスはあったけど、Winnyダウンロードした完全自殺マニュアル自殺のコストを読んで心を落ち着かせていた。

大学院では修士2年からまったく研究をするモチベーションがなくなってしまって、トラックにでも跳ねられて死んで、今まで学費を払ってくれた両親に賠償金が入ればいいのになと妄想していた。

実際に手首を切ったとこはないけど、刃物を手首にあてながら、切ったら傷跡が残るの嫌だなと思っていた。

社会人になってからは、残業はそれ程厳しくなかったが、家に帰ると体が動かなくなってベッドの上で固まっていた。

同期や職場の人とのコミュニケーションに気疲れしてしまい、特に飲み会の次の日には無性に死にたくなることが多かった。

今では会社人とはプライベートでは極力会わないように気をつけている。

数年前に父が躁うつ病になって、自殺未遂をした。

幸いにも後遺症はなく、病気も今では回復している。

自分はだったら失敗せずに上手くやったんだろうなと思っている。

ただ、死ぬことについてはまだ何となく恐怖もあって、精神科のお世話にもならずにぼんやりとした日々を過ごしている。

不倫して幸せになるなんて普通有り得ないでしょ?

 私には高校の頃からの知人がいる。

 彼女は厳しい親の教育の影響か、普段大人しい癖に、親しい間柄になるとかなり自由奔放でわがまま性格を惜しげも無く晒してくれた。周囲は幾度となく彼女に振り回されていたが、彼女言動はややエキセントリックでまあ見ている分には結構面白かった。ので、ツッコミ役というか諌める役というか、そういう手綱を握る役割を買って出て自分に火の粉のかからない位置から存分に観察していた。

 知人やその女ではいまいち分かり辛くなりそうだったので、とりあえずここではエーコする。

 そのエーコから不倫をしていると告白されたのが、丁度社会人になって一年が過ぎようかという頃。

 相手職場上司で、小学校四年の息子と三年の娘がいる四十代後半だという。話を聞いた時にはまだそういう関係になって一ヶ月も経っていないと話していた記憶がある。

 こいつ馬鹿か。それが告白を聞いて一番最初に感じた事だった。今まで色んなエーコ馬鹿を見てきたが、まさか人の道を踏み外す程とは思いもよらなかった。

増田にだけしか言えないんだけどさあ……」

 なんて、何百回と聞かされてきた告解の歌い出しから思いもよらぬ爆弾宣言をかまされて、正直私の頭の中は焼け野原だった。意味が分からない。訳が分からない。なぜ不倫をする? 今まで腐る程お前の馬鹿に付き合ったがいくら何でも今回のに関しては酷すぎる。

 この数秒で吐き気のする様な嫌悪感エーコに感じた。普通人間ならごく当たり前であろう感想を抱き、まずはそれなりの付き合いもある身としてごく当然の忠告をした。

 そんな関係はとっととやめろ。お前がやっていることは犯罪だ。その行為はお前と相手だけの問題ではなく、お前や相手に連なる全ての人を不幸にする、と。

「そんな事分かってるよ」

 と、不倫している世の中の人間が確実に口にする言い訳TOP10に入りそうな子供じみた言葉。いや分かってねえだろ。分かってねえから不倫してんだろお前は。ことの重大さも理解せずに、拗ねたような態度をとるエーコ。おそらく彼女は私がいつものように「はいはいエーコは全く仕方ないね」なんて諦め気味に話に付き合ってくれると、今の瞬間まで信じていたのだろう。生憎と、こちとらお前と違って普通感性を持った人間なのだ。そんな話を聞いて仕方ないとか言うわけないだろ。本当に救いようの無い馬鹿だ。

 だがエーコの方はといえば、そんな私の事など眼中に無い様子で聞いてもいない上司との不倫エピソード披露し始めた。

 毎日メールをして互いに体を気遣いあっているだの、週に一度は会って彼をマッサージしてあげるのが楽しみだの、たまに良い雰囲気になってそのまま情を交わしたりする事もあるだの。まるでこの話を聞けば私も二人の関係応援してくれるはずだと言わんばかりに。

 そんな話、恋人がいる身としてはとてもじゃないが正気を保って聞いていられるわけが無い。私の場合結婚している訳では無いので不倫ではなく浮気なのだろうが、どちらにしても自分が知らない所で恋人が別の女とそんな事をしているなんて、考えただけで全身に悪寒が走る。

 とにかく私は嫌悪感を堪えながら、少しでもエーコが目を覚ます助けになればと不倫が如何に周囲を巻き込み苦しめるのかを辛抱強く話して聞かせた。

 しかし話せば話す程、エーコは頑なになっているのがわかる。話の通じないイライラ気持ち悪さとで、私は遂にエーコとの絶縁を宣告した。目の前で連絡先を削除した。金輪際お前とは赤の他人だ、二度と関わらないで欲しいと言い捨てると、エーコは顔を真っ赤にして声もあげずに涙をボロボロこぼしながら怒りとも恨みともつかない表情でその場から立ち去った。

 そんな顔をしたいのは罪もないのに裏切られている相手方家族の方だろう。しかし、エーコ言動うんざりさせられる事も多かった私は、勢いとはい彼女と縁を切れた事にホッとしていた。

 それから半年程して、風の噂でエーコ上司不倫がバレたと聞いた。

 エーコ慰謝料請求され、更には二度と接触出来ないよう県外へと追い出された、と。

 ほれみたことか。因果応報だ。

 私はエーコの事を心底軽蔑した。

 その頃には私もプロポーズを受け、そしてその一年後には夫になる男性と共に充実した日々を送っていたので、それ以上胸糞悪い話題にわざわざ自分から飛び込んでいくこともあるまいと、それ以降エーコ話題を避けるようになった。

 彼女普通に生きていれば、今頃真っ当な関係で付き合える恋人もいただろうに、などと哀れむ気持ちさえ、その時はあった。

 しかそれから十五年ほど経った時、私は夫の不倫を原因に離婚した。一人息子はまだ中学に上がったばかりで途方に暮れた。主婦として夫の苗字に入ってからというものパート以外に職を持たなかった私は両親の元に子供と一緒に身を寄せ、細々と生活するしか無かった。

 そんなある日、息子が私宛に手紙が届いていると言って粗末な茶封筒を持ってきた。送り主を見て私は固まった。

 エーコだった。

 苗字は違うが間違いない。エーコだ。この妙に丸っこい癖のある文字は、彼女が懸命に字を綺麗に書こうとする時に出てくるものだと、すぐに分かってしまった。

 途端にあの日感じた嫌悪感と夫の不倫とがダブって感じられる。

 私はかなり長い期間、その手紙を開封するのをためらった。この手紙を読めば、絶対に私は後悔すると確信があった。何度もゴミ箱へ捨てたが、その度に何故か拾ってしまった。

 数ヶ月経って、漸く覚悟を決めて手紙を開封して呼んだ私を待っていたのは、「手紙を読んでくれてありがとう」という一文だった。それから一行あけて、手紙言葉を選ぶように慎重に進んだ。

 エーコ手紙の中で、十五年前の不倫相手と籍を入れたという報告と、事の顛末が記されていた。

 当時不倫相手だった上司の奥様から慰謝料請求され、恐怖と後悔を感じた事。しか慰謝料のほぼ全額を上司が肩代わりし、その代わりエーコ上司と離れる為に県外へと出なければならなくなった事。私の言う通りに関係をやめておけばと幾度となく考えた事。しか上司のことを忘れることが出来ず、密かに文通をした事。上司はバレた後少し経ってから家族とは別居を始めたという事。上司マッサージを喜んでくれたのが嬉しかった思い出を頼りにその勉強をして資格を取り、数年前に自分の小さなマッサージの店をもてた事。そしてこの手紙を書く一年ほど前、正式上司と奥様の離婚が成立し、最近籍を入れた事。上司は小さい工場に何とか雇ってもらい、二人で協力して慰謝料支払いと奥様への仕送りをしている事。上司の子供は奥様との間の子達だけだからエーコ上司との間に子供を作らないと決めた事。

 そして手紙最後には、「本気で叱ってくれた増田にはどうしても伝えたかった。増田にとっては不快かもしれないが、私は今、増田にとても感謝している。そしてこれからは、私が裏切り傷付けた全ての人達に償う為、誠意を持って生きていく」と添えられていた。

 それらの信じ難い文字列便箋の上を走るのを、私は呆然と眺めるしかなかった。

 ただただ、嫌悪感があった。

 普通に生きてきた私が何故夫から裏切られ、不倫などと人の道から外れた行いをしたエーコ好きな人と結ばれたのか。

 悔しい。苦しい。

 めちゃくちゃになれ。

 不倫から始まった夫婦などいずれ崩壊するに決まっているのだ。

 手紙は燃やして捨てた。

 今も思い出す度に怒りと悲しさとで震えが止まらない。

 夫もエーコ上司も、皆不幸になってありったけ苦しんでしんでしまえばいいのに。どうして私だけがこんなに苦しい思いをしなければいけないのか。

 不倫をして幸せになるなんて普通有り得ないでしょ?

2018-01-11

anond:20081008220244

今は脱会できているけど、創価二世です。

小学校のころ毎週座談会に行かされてて、

創価二世の子供とその親達で集まって子供版の創価新聞を読まされる。

そして皆で記事を読んでどう思ったか意見交換。将来の夢を語り合い、池田大作先生作詞作曲を手がけた子供向けのテーマソングを歌う。

あんま覚えてないけど、エンジン~全開とっびっだそーうー♪みたいなフレーズだけ頭に残ってる。最後は勤行(お教の読みあげ)で締める。

地域にある創価学会文化会館で行われる座談会?にも参加させられた。月一くらいで開催されてて、100人以上いたんじゃないかな。

池田大作先生の説法っていうのかな、ありがたいVTRが放映された後に全員で勤行をあげる。

100人以上の勤行は圧巻だよ。

勤行のクライマックスになると、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…って延々繰り返す所があるんだけど、

あの大合唱は圧巻だよ。

そんじょそこらコンサート映画なんかよりいろんな意味で大迫力だよ。

中1の頃の年越し前の座談会に連れていかれた時は青年部の人たちがいて、

大学生くらいの美人なおねーさんやかっこいいお兄さんたちが私たちの前に出てベートーヴェンの第九を歌ってくれたんだよ。

最初はにこやかに歌ってるんだけど、途中から感極まって泣いてんの。

泣き笑いながら青春ドラマみたいに皆で肩を叩き会いつつ第九を歌ってんの。

その後は恒例の勤行で締めて、紅白餅もらって帰ったよ。

どうでもいいけど勤行の最後南無妙法蓮華経の繰り返し読み上げって回数決まってなくて、その場の盛り上がりと、勤行のリーダー役みたいな人のさじ加減で決まるんだよな。

盛り上がってる時は10分くらい南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経繰り返すんだぜ。

逆に時間が無い時なんかは数回繰り返して終わり。なんか面白いよね。

私の父親が熱心な学会員だったんだけど母が創価を嫌っていて、両親が離婚した後に学会脱会した。

まぁ宗教個人自由で何も口出すことはないけど、勧誘して来る熱心な学会員とは距離を多めに置きたいな。

毒親年子承認欲求モンスター

私には1歳11ヶ月離れている姉がいる。

頭が良くて友達の多い姉だ。

およそ2歳離れているが、年度の都合で学年は1つ違いだった。

幼い頃からできた姉とよく比べられてきた。

お姉ちゃんは片付けができるのになんであんたはできないんだ。

お姉ちゃんは言うことを聞いてくれるのにお前はなぜ聞き分けが悪いんだ。

お姉ちゃん勉強して成績が良いのにお前は漫画ばかり読んでるんだ。

家では当たり前に比較された。

そして学校でも当たり前に比較される。

幼稚園小学校中学校入学すると、まず先生から姉ちゃんの妹と呼ばれた。

そして姉の友達にも姉ちゃんの妹と呼ばれる。

先生からも先輩からも、顔が似てるだとか、性格は違うとか、姉ちゃんはそんなことはしないとか毎日言われていた。

三者面談では私ではなく姉の話題で盛り上がっていた先生と親。

何をするにも姉を基準評価された。

年賀状の枚数が姉の方が多いとか、姉は友達といろいろなところに遊びに行っているだとか。

通知表の成績が姉の方がいいとか。

最初は私も追いつこうと頑張った。

勉強してみたし、速く走れるように練習したりしてみた。

だけど毎日毎日姉ができるのになんでお前はできないんだと言われて劣等感でいっぱいになった。

このことの最初の変化は、家族トランプをして私が1番にならないと、トランプをめちゃくちゃにして怒り泣き叫んだ。

家族で出かけるのを嫌がり、外で寿司を食べなきゃ行かないと言っていた。行ったら行ったで、帰りたいつまらないとずっと言ってた。

姉がいなくなればいいのにと毎日祈ったし、姉の宿題プリントをめちゃくちゃしたり隠して意地悪をするようになった。

友達とも遊びたくなく家で漫画を見ることが救いだった。

しかし親は1人で遊んでることが心配だったようで、姉に、あねと姉の友達と私とで遊んでやってくれと頼んだ。

当然よく知らない姉の友達と遊んで楽しくもなく、漫画が読めないかイライラが募り姉の友達と大ゲンカになった。姉はこの喧嘩を黙って見ていた。

このころから姉を無視し、親には◯ねと言うことがふえた。

そして太った同級生女の子いじめた。この頃の私の思考は、太っている=だらしない、で、私よりダメなくせに楽しそうに笑っているのが許せなかった。

それでもたまに親は私のことを褒めることがあった。

姉ばかり褒めてばかりだと平等ではないと感じたそうだ。

このころの私は褒められても嬉しくなかった。

それよりも、親が姉に対して、妹はできるのになんでお前は出来ないんだと言って欲しかった。

皆大嫌いだった。全員敵だった。

中学の頃は親と毎日怒鳴り合いか、殴り合いの喧嘩をした。

親には嫌なら家を出て行けと言われた。

自立して自分の力で生きて行こうと作戦を立てた。

資格の取れる大学に行って独立しようと決めた。

それからは親に話しかけられるまえに急いで部屋に駆け込むようになった。

こどもを比べると家庭が崩壊する。

意外にも1番傷つき被害を被ったのは姉だった。

元来穏やかで繊細な気質の姉は、唯一私の気持ちに気付いていたようだった。

しかし親や周りのすることを止めることもできず、私には無視され散々だったろう。

姉は良い子を止めることは出来ず、マイナス感情は見せずにいた。

そんな姉に異変が起きたのは大学に入った時だった。

誰もが知る名門校に入り順風満帆に見えたが中退引きこもり始めた。

親にも怒鳴り散らすようなり、親は困惑し、あんな良い子だったのにどうしてと嘆いた。

姉と違う学校入学してからは嘘みたいに楽しかった。

先生友達も、姉の妹ではなく私を見てくれた。

姉と比べられるのは苦しかった。

比べるなら過去の私と比べて欲しかった。

年子だと比べられる期間が長こと、体格が同じ感じだから比べやすいのだろう。

会社毎日後輩はできるのになんでお前は出来ないんだ、と言われたらほとんどの人は鬱になるか退職すると思う。

なぜ親は、人は、大人には言わないことを子どもには言うのだろうか?

クラスの全員から殴られる夢

昨日の夢で小学校の時のクラス全員から殴られた。

夢の中では俺も小学生だった。

この夢は何を意味するのだろうか?

2018-01-10

お腹の子女の子らしい

幼稚園小学校辺りで嫌がらせをしてくる女子がいたらそいつ自分より不細工&家が小さい奴ってことをちゃんと教えてあげようと思う。

中学校辺りで嫌がらせをしてくる女子は大体男子絡みの理由ってこともちゃんと教えてあげようと思う。

コンプレックスを持ってない女子は嫌われる理由自分にあると悩んでしまうので理由相手にあると教えていきたい。

これに気付かないと幼い頃美人だった女子が卑屈になり心身ブスになっていく恐れがある。

手を出された場合巨体女子以外は泣く反撃の仕方も教えていきたい。

anond:20180110184345

間内しか通じないあだ名言葉で結束を強める

呪文有用性を小学校で習わなかったのか

最近アニメを見ても面白いと思えないオジサンになっている。

アニマトリックス人狼沖浦監督作品)とかは、スゲー大人になってからも、感動したし。

白いガンダム、初代ガンダムアラサーの時に見て、スゲー面白いって思った。

心がささくれ立ったときには、人狼とか借りて見てみたい気はする。

  

40過ぎて。子供と一緒に観られるアナ雪とか、ミニオンも見るよ。

アナ雪なんて、すごく興奮しちゃった。。愛は、人から受け取る物では無くて与える物なんだーって。

自分小学校の高学年に、家族で風に谷のナウシカを観にいったんだけど、僕の親父は「あれはキリストの復活みたいなもんだな」ってエラそうな口を聞いていて、自分もそんな感じになったなーと思い出した。)

昨年のミニオンなんかも、BGMマイケルジャクソンの曲を使って、親世代にも受け容れられやすいような中でのキャラ作り、脚本が作り込まれているんだろーなーと想像した。。

  

だけど、もうさー。

けもフレとか1話見ただけで、充分なんだよね。。

他のアニメもそう。子供の頃に夢中だった高橋由美子高橋留美子作品うる星やつらとか)も、いまいちだ。

境界のRINNEとかも、何かの拍子でみても、話は、まぁまぁ昭和の頃から変わらないテイストだけどなんか、テンポが合わない。ゆっくりに感じてしまう。

海月姫漫画では夢中に慣れても、アニメテンポだとちょっと無理なんだよな。

  

ネットとか見ても、なんか、ムカつく絵柄のポプテピピックも分からないし。

未だに、ヱヴァンゲリヲン見てないし。。

子供の頃は、クリスマス夏休み冬休みアニメ特集やら人形劇やら楽しみだったけれど今じゃその感性は、ない。

  

このまま、日本に生まれながらして一大産業の娯楽の良さを分からずに一生が終わりそう。

  

追記...id:msdbkmさん。すいみません、高橋留美子高橋由美子勘違いしてました。

いや、こんなにブクマつくとは思って無かったです。恥ずかしい間違いをしてしまいました。

恋愛結婚なんとかオロギー

まれときから結婚たかったので子供のころはわずかなお小遣いを貯めてはゼクシィを買って積み木にして遊んでいたら親に見つかり精神科へと連れていかれ、そこの医者が言うには「彼には数学の才能がありますね、将来は数学のできる子になりますよ」 俺は数学がしたいんじゃなくて結婚がしたいんじゃと思ったが仕方がないので何も言わなかった。この時幼稚園のころから仲良くしている幼馴染の女の子がいたので将来はいい感じのタイミングでその子結婚するものだとなんとなく思っていたが小学校入学してだいぶたった頃どうやら俺はその子パシリに使われているだけなのではないかという疑念が生じてきた。結婚願望を持て余すと誰かに騙されやすいのはたぶん真実である。そうしてその女の子とも疎遠になり、なんやかんやで中学校入学した。幼稚園からの幼馴染には男もいたのだがこれがまた変わった子で幼稚園の頃には彼女ができて小学校に上がるころには林間学校行きのバスディープキスをしていた。彼に「お前は彼女を作らないのか」と言われたがよく考えたら結婚願望はあったもの彼女というものがよく分からないので「中学に上がったら作る」と返しておいて中学生になってしまたことに気づいたのでとりあえず彼女を作ることにしたが、仲良くなった女の子告白したらその後三年間会うたびに罵倒されたので完全に無になってしまった。のちにある女性から「その子あなたのことが好きだったけど素直になれなかったんじゃないの?」と言われたが当時はそういう非言語コミュニケーションが厳しかったのでどのみちそのまま女性と会話するのが苦手になったまま高3になってしまった。周囲からいい大学に行けば女なんて選び放題やで」と言われたのでそのまま東大を受けることにしたのだが、よく考えたら女性と会話するのが苦手だと出会いがあっても生かせないのではということにふと気がついて、ある同級生の男から紹介されたナンパテクみたいなのをネットで見始めた。しかしここで非常に重要なのはネットに転がっているナンパテク恋愛なんとか学を含む)というのは「野郎セックスをする」ことに最適化されているということだ。俺は結婚がしたいのであってセックスはそんなにしたいとは思わん。そういうあたりを無視した結果としては女性と会話できるようにはなったが数人の女性と気まずくなってさらに追い詰められたのと、後人間関係ばかりやって勉強をおろそかにして大学入試に失敗したので浪人した。まぁ東大には結局は入れたのだが東大というのはクラスだとかコースだとかで人間を40人前後に分けたがるらしく、かつ理系というのは本当にヤバくて当のクラスコースには野郎が40人近くいるところに女子が二人しかいない。女子二人と会話してこの二人とは結婚はしないなと思ったところでほかのクラスコースにいる女子がどこで何をしているのか全く分からない。ここにきて「いい大学に行けば女を選び放題」という前提自体マジで嘘というのが頭の固い東大生である私にも否応なく理解できた。東大では最初一年半を駒場キャンパスという渋谷近くの場所で過ごし、二年生9月からの残り二年半をいわゆる本郷キャンパスで過ごすのだが、よりによって入ったサークルでは趣味よりむしろ権力闘争を仕掛けられまくり東大生ってなんであんなにお山の大将になりたがるの?)、そしてセックスするためのナンパテク結婚するためのナンパテクにすることはとうとうできなかった。あとストレス抑うつ傾向とおそらくADHD精神科ではアスペルガーの診断は下りていたがADHDは出ていなかったので確証はない)で2度留年した。そうして9月からようやく本郷キャンパスに通い始めて、本郷キャンパスにいる女子はたいてい誰かと付き合っているということに気づいたのが一昨日(遅くないか?という批判は甘んじて受け入れよう。だが自分に都合の悪い事実をすぐに受け入れられるほど、人は強い生き物かね?)。

大学二年生23彼女いない歴is年齢というのは字面にすると相当ヤバい今日は朝から院は京大にしたら環境が変わっていいのかな、だとか狂った思考が身をもたげてきたので思考を整理するために書いている。しかし書くことでだいぶ正気に戻ってきた。もしこれを読んでいる婚活中の人間がいれば、「幸せ結婚必要なのはおそらくリズムと縁だ」と共有しておこう。対人関係自分相手リズムに合わせ、相手自分リズムに合わせるイメージ形成し、そうやって形成した対人関係を縁として新たな対人関係を広げていけば、素敵な出会いに恵まれる日が来るかもしれない。恵まれなかったらごめん。今後しばらくはそれを試す日々になると思われる。

追記:高学歴で部屋が汚くて友達ほとんどいない女性と知り合う方法があれば教えてください。昔からそういう女性シンパシーを感じるので。

2018-01-09

精神年齢小学生は凄い

あー自分なんて精神年齢小学生だなと思っていたんだけど、

ファミレスママ友軍団を見て考えを改めた。

正確に言うと彼女らが連れている小学校低学年くらいの男の子たちを見たのだ。

あの小学生たちは全く何もない場所から伝説の剣」を取り出し、大衆の目など気にせずアクションヒーローになりきり、まるで目に映るものすべてがファンタジーでできているようだった。

しばらくしてママたちがドリンクバーに行けばアクションそっちのけで真っ先に駆け寄りこれがいいこれがいいと駄々をこねる。別になくなるわけでもないのに我先にと群がる。

そうかと思えばママに渡されたスマホを手に取りさっきの伝説の剣などまるで忘れてしまったように真剣に覗き込んでいる。

気付いてしまった。

そうか、小学生というのは目に映るものすべてが新鮮で感動に溢れていて、それでいて刹那的生き方をしているんだ。

周囲の目など気にせず己の世界・己の楽しみを追求し日常のあらゆることを楽しみながら生きている。

自分にはもうそんな生き方はできないなと思った。

大人になった今、周囲の目ばかりを気にし将来のことは常に不安ルーチンで溢れてしまった日常にはなんの新鮮味も感動もなくなってしまった。

感動と楽しさにあふれる精神年齢小学生というのがすごく羨ましく感じた。


anond:20180109233504

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