「小学校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 小学校とは

2021-02-25

小学生の頃からの友人が私を虐めてた奴だった

小学校の頃から知り合った奴で未だに連絡取れてる人が一人だけいて

今でも時々一緒に飲んだりゲームしたりして楽しんでいる…んだが

よくよく考えたらそいつが一番私を虐めてた奴だったんだよな…

何度も殴られてこっちは泣かされたし、こっちに悪口言う集団リーダーとかもよくやってたりした。

まぁそんな奴と何で今は仲良いのかって言うと劇的なイベントがあった訳でもなく

中学生くらいになるとお互い格闘技の技かけあったりしてる内に何だかよく遊ぶようになって

お互いに唯一の昔から知り合ってる関係になったりもして今でも友人関係が続いてると。

別に小学校の頃の事を恨んでる訳でもないし今更追求したい訳でもないし今が楽しいから掛け替えのない友人扱いもしている。

外人関係はこうやっていい方向に転じる事もよくあるのかもしれない。逆に良くない人達結構いるんだろう…

人間関係が良くなるかなんて努力でどうにかならない事もあってきっと自分は運が良かったのかもな

2021-02-24

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

==== =====

福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


これら副免は、福岡教育大学の初等では取ることが難しいです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育をしています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、他大学に入り直すか、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学)に通って免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/H28menkyo.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/data_ex/pdf1421305397_0.pdf)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業の運営に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をする必要がある」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いことはありえないはずです。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも勉強ができるようにならないならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いと、ライバルが多いということで、それだけC判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由があります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

初等の学生が来たとしても「参加させてもうらう」という扱いになり、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪うことになるため、とても困ります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率の教科が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます北九州市では既に一部教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

また、採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いようですので、よほど英語の力に自信がないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等の学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につけてください。

そのために、よく勉強をしてください。しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

anond:20210223230157

小学校にやたら奇声発してくる奴いたな。鼻につくからやめてくれって言ったら逆ギレしてきたり、意味不明な回答してきたりして怖かったな。今思うと、障害持ちだったんだな。そういう奴が大人になって腐女子になるんだと思う

anond:20210223235037

多分増田20代前半で就職したと思うがその頃さ「65歳で定年かー」なんて思ってたと思う、つまり40年と少し働いてサラリーマン人生あがりだと思ってたはずだ

だが現実としてお前とか俺の定年は65歳にならない、これはもう既定路線で75歳まで延ばされる予定だ

まり33歳のお前は後42年働く予定なので、実質就職したての時とゴールは変わってないよ

お前は「もう33歳」とか思ってそうだけど75歳になった自分想像してみてほしい

そこから22歳の自分33歳の自分を見て時なにを思うか

多分ね「大差ねえガキ」だと思うよ

思い出してみてほしい、自分たちが小学校生の頃は幼稚園児を「クソガキ」だと思ってたろ

だけど今の俺らからみたらどっちもクソガキだろ

中学生の頃は小学生をクソガキだと思ってたし、高校生の頃は中学生をクソガキだと思ってたろ

所詮33歳でしかないので、あと40年も仕事するんだから新卒のつもりでよくよく考えてもうちょい頑張った方がいいぞ

anond:20210224104817

薬は水かぬるいお湯で飲め

小学校で教えてるし、薬の説明書にも書いてあるぞ

anond:20210224095054

知的障害者だろうが義務教育は受けるし、小学校入学時点で普通学級で授業受けられるかどうかの診断はされるし、

その時点でもう男女差あるわけだが

(実際は幼稚園保育園に入る時点で選別されてるが)

女の障害者学校にも行けず座敷牢に閉じ込められてるとでも思ってんのかね

2021-02-23

取り返しのつかない我がエンジニア人生

ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。

 

自分33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市暮らしている。

会社子会社系のSIer新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的時代遅れ会社だった。

正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分市場価値を考えれば高いと思っている。

一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年前に入った頃から使っている技術会社としてのマインドは何ひとつ変わらず現状維持モットー。口では「子会社としての安全神話は終わった」「DXだ」と言っているが、行動が伴っていない。

 

こんな環境危機感を覚えないわけがなく、数年前に転職活動をしてみた。その頃はこっちに有力な求人は無く、とにかく東京求人に応募していた。その結果、有給ぶっ込んでの日帰りで東京に行く過酷面接に力尽きて断念した。というのは建前で、チャレンジすることにビビってたのかもしれない。本業であまりにも技術的な取り組みがないのでプライベートプログラミングしたりWebサービス作ってみたりしてたけど、それも趣味程度の取り組みで「今からじゃ遅いんじゃない?」と自分ブレーキを踏んでいたんだ。

 

そんなこんなで「まだ今の会社でできることがかあるはずだ!」と自分に言い聞かせて続けてきた。結果、市場価値が上がるような仕事は何もしていない。自分なりに新しい仕組みを取り入れてみたりはしたけど、それだって会社インパクトを与えるもんでもないし、Qiitaのやってみたレベルかつ今ではレガシー技術たちだ。

SIerPMになるしかない」なんてよく言われるが現職のPMは協力会社見積作業ぶん投げて、死ぬ程使いづらい社内ツールに決められた進捗項目を入れていくだけの仕事。あれで「PMできます」なんて言えない。

 

それで昨年立ち上がった超大型プロジェクトが外部NWから遮断されたオンプレサーバーで、自社製フレームワークを使い、IE11"を"ターゲットに開発されることになってふと思ったんだ。

「このままGitHubクラウドDockerBacklogも使わず、(自称エンジニア人生が終わるんだろうな」と。この会社での人生があと30年も続くのかと。

 

個別技術思い入れがあるわけではないんだけど、やっぱり技術課題解決したいと思って入ってきた世界からさ、会社前例ルールじゃなくて、合理的で先のある技術を使いたいんだ。

結局、転職を思い立った数年前から業務外での勉強をやめることはできなかった。でもこれは何のためにやってるんだろうな。本業ではクラウドWebプログラミングも、アジャイル開発手法も求められていないのにね。虚しさが募ってくる。いっそのこと本業が完全に別の業界だったら良かったのに。(実際別業界と言っていいレベルだけど……)

 

じゃあ転職するの?20代で「今さら」と言って止めたのに?それこそ今さらだろう。コロナ流行によって東京本社のフルリモート勤務求人が劇的に増えた。もう少し若ければ追い風だったかもしれないが、社会人10年を超えたおっさんが、新しい会社どころからフルリモートなんて環境で働けるのだろうか。あ、もちろん現職はバリバリ出社。シンテレワーク頼みのVPN環境はあるけど社内ルールかいろいろあって無理なんだって

年代的には技術リーダー経験がそれなりに求められるんだろうけど、これまでの経験ではとても満たせそうにない。本業ではレガシーシステム保守でそのほとんどが業務よりの仕事なんちゃってPMやってただけ。独学の開発経験なんて昨今問題になっているプログラミングスクールと大して変わりないだろう。

転職サイトではベンチャーとかから声かけてもらえるけど、まともなエンジニアと話するのがもう怖い。

 

思考ネガティブな方向にしか向かない。こうなったらいよいよ腹を括って現職にしがみつくしかないんだろうか。しかし、ここまで会社への不満を溜め込んでしまったら、今後若手の取り組みに苦言を呈する老害になる未来が見える。

 

現職を続けてよかったことと言えば今の家族を持てて、(今のところ)無理のないローンで家を買えたこと。子供は一人で確定だし、子供小学校に上がるくらいには妻も時短解除で普通に生活はしていけるだろう。

安定を求めた結果が今なんだけど、仕事への不満抱えながらあと30年耐えること考えるとめまいがしてくる。(あと10年もしたらそんな不満も忘れて老害化してる可能性もあるけど。)一方で無能おじさんがこれから新しい会社活躍する未来は思い描けない。

 

よく歌詞に「思い描いた大人にはなれなかったけど」とかあるじゃん。あれ、子どものころは芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人になれないって意味だと思ってたけど、実際は自分仕事に誇りを持てず。ただただ惰性で生きる人のことだったんだね。立派にエンジニアの責務を果たしている人たちが雲の上の存在に感じるよ。

 

今後の人生で一番若いのは今この瞬間で、悩んでる暇なんか無くて行動するしかないんだろう。というか実際のところ現職が自分には合っているんだろうが、理想とのあまりギャップがとてつもなくしんどい。悩むのをやめたい。もう労働を捨てたい。

 

追記

便所の落書きのつもりで書いたら自分のTLにまで流れてきてビビった。

共感してくれる人も多くいて、なんだかんだ優しい人が多いよね。

みなさんのコメントはどれも正論だと思って読ませてもらってるけど、思ったことを追記してみる。

 

33歳はまだ若いだろ

今後定年が伸びることとかも踏まえれば、それはそうなんだと思う。というかこの記事で「年齢がネックになっている」を全面に出してしまったのが悪いんだけど、自分自身問題はそこじゃないことには気付いてるんだ。

コメントの中でもいくつか指摘があったけど、要はマインドなんだ。これに尽きる。

やってみる勇気、前向きな思考フットワークの軽さ。このどれもが自分には欠けていている。だから理想(に見える)会社エンジニアが眩しく、現職に不満が募る。

思考アップデートしようと『嫌われる勇気』とか『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職思考法』とか読んだんだよ。内容は理解できるし、そのとおりと思うんだよ。でも動いてないんだ。

この記事含めて動けない(動きたくない)理由を並べて溜飲を下げてるだけなんだ。

から何となく気付いてはいたんだけど、ここまでネガティブ人間だと思わなかったよ。妻にも子供にも申し訳ないよ。

 

・まずは副業とかOSS参加とかしてみたら?

それはそうなんだろう。それをやってないのは実際のところそこまで技術に振り切るほど技術を愛していないし、あと自分能力が無いと卑下しているからなんだろう。

と、またやらない理由を並べて終わりなんだ。

 

・今の仕事が30年続くという見積は危ないぞ

これは理解している。だから得も言われぬ焦燥感に駆られている。

永遠に現職の環境が変わらない、なんてこと無いのはわかってるけど仮に数年後DockerやらGitやらが入ってきたところで、またその時点で世の中から遅れになっていると思う。それが新しいプロダクトなのかアーキテクチャなのか開発手法なのかは分からないけど。

具体的なプロダクト名を挙げたのがまずかったのかもだけど、レガシーから悪いとか、最新の技術を使いたいとかよりも、これまでの10年で見てきた現職は柔軟に新しいものを取り入れられず一方で口だけはご立派、という会社文化のもの問題だと思っていて不安を感じている。競争原理が働く市場にいたら、自然淘汰される存在のはずなんだと。

にも関わらず、そこから動けない自分絶望している。

 

年収について

高いのかな?いや、平均年収とか中央値とか見たことはあるけど実生活上で高い実感はまるでない。

東京基準で考えたらは恵まれているのはなんとなくわかるけど、地方と言ってもそこそこ人口いるので都会の人が思う”地方”ほどの基準ではないと思うよ。

我が家は妻が時短中というのもあるけど、買った家は小さい建売だし子供一人が妥当かなと思う。有名メーカー注文住宅建てたり市街地高層マンション買う人たちはどんな層なのかが気になるよ。

 

とりあえず勢いで書いたけど、また思いついたら書きます。あるいは恥ずかしくなったら消します。

親以外の大人は、子供接触すべきじゃない世の中

『「おんぶ」をせがむ小・中学生たち 生育環境で得られなかった「愛」を求めて』

https://news.yahoo.co.jp/articles/dea52ebc67a24556657f9ef4bf1c175d7c8ee8b1

こんな記事があったけど、これって正直かなり危ういと思うんだよね。

親とのスキンシップの機会がなかった子供が塾の講師男子大生にスキンシップを求めてるんではないかって記事

男子大生の方に変なつもりが無いとしても、大人子供に触れる事は常に性的虐待疑惑を呼ぶ。

女の子だけ禁止して男の子限定にすればマシなのかもしれないけれど、それだってかなり危うい。

とかく、親以外の大人子供に触れるべきじゃないと思う。

ある男性公園で34歳男性10歳の女の子挨拶をするという話を例に出してて

知らない大人子供に声をかけるなんて有り得ない、許せない、と物凄く叩かれていたけれど、個人的にはそこまで問題か?って思った。

自分としては子供の頃に親戚のおじさん、近所のおじさんに普通に声をかけられたり接触したりしてたけど、特に嫌な思いをした記憶はない。

公園で遊んでいて知らないおじさんから声をかけられる程度の事だって普通にあったし、楽しく遊んだ事もあっておかしいとは思わなかった。

まあそれだって単に自分の運がよかっただけであって、ロリコン変質者の犠牲になった子供だって多くいたんだろう。

リスクを避けるためには子供に多少寂しい思いをさせてもしょうがないし、親以外の大人子供と関わるのは一切禁止した方が合理的なんだとは思う。

仕事として子供に関わるとしても、スキンシッププライベートな話は禁止した方がいい。

塾講師しろ保育士しろ小学校教師しろただの仕事だ、仕事あくまビジネスとして行うべきであり、一線を越えるべきではない。

そして現代日本においては親子関係であっても血縁至上主義養子度外視するような風潮が高まってきているか

親子関係とは血縁関係に他ならない。

実の親とのスキンシップに恵まれなかった子供は一生寂しい思いを抱えて生きろ、大人になったら有料のサービスでも受けて我慢しろ、そういうものから仕方ないって事なんだろう。

anond:20210223141833

1シャン

とか、小学校1年生。

じかんもたったし、

0.25シャンプーとか

0.33シャンプーとか

小数点を覚えましょう。

anond:20210222000738

なんか勘違いしているみたいだけど、障害児の大半は支援学校に入ろうと思えば入れるのに普通学級に入りたいんじゃなくて

支援学校に入れないから仕方なく普通学校に行こうとするだけだよ。

支援学校って全然定員足りてないの。小学校からずっとそうなの。

からよほど重度障害でないと支援学校に入れないし、普通学校支援級も一杯だから障害あっても普通学級に行くしかない子が沢山いるの。

親の方も障害知識増えてるから支援学校支援級に入れたがる親が増えてるのに、国が金かけたくなくて定員増やさないってだけ。

義務教育ですらそうなんだから義務教育ではない高校なんて尚更金かけるわけないじゃん。

からと言って障害者は中卒で我慢しろってのもね。

大体、保育園落ちた死ねとか障害施設も足りない介護施設も足りないとか散々言われてるのに

何で支援学校だけは足りてると考えるんだよ。常識的に考えりゃ分かるだろ、日本がそんなに金かける訳がないって。

anond:20210219201256

田舎から23区内まで色んな小学校通った人間より。

文化的なのはたまに都会に行けばいいけど、盲点だったのは田舎学校での水泳教育がとても弱かったこ

義務教育任せだとカナヅチが完成しま

ガチ田舎学校プールが無いという話を聞いたことがあります

100万都市ですらカナヅチが少なからずいました

東京公立小学校ですら結構スパルタでした(今はどうなのか不明

水泳教室は25mなんとなく泳げるレベルまででいいので通わせた方がいいかなと思います

自分がどのような音に囲まれていたのかを抜き書きしてみる。その10

https://anond.hatelabo.jp/20210124182909

https://anond.hatelabo.jp/20210125165404

https://anond.hatelabo.jp/20210127120151

https://anond.hatelabo.jp/20210128145233

https://anond.hatelabo.jp/20210201193917

https://anond.hatelabo.jp/20210205170510

https://anond.hatelabo.jp/20210208231113

https://anond.hatelabo.jp/20210210000401

https://anond.hatelabo.jp/20210215162711

今のインターネット田舎は不利の大連呼だ。

2020年代では子供の数が少ないので何をやっても盛り上がらないし、その主張には一理ある。

しかし、1980年代田舎ではこんなこともできた。

1980年代小学校中学校プールは必ず開放しなければならないことになっていた。

何を言いたいのかというと、泳ぎに来る生徒が1人でも、必ず水泳先生が1人、保護者が3人いなければならないのである

まり、全く生徒がおらず、水泳先生が1人、保護者が3人だけ、炎天下で見張りをしなければならない。

おそらく今の母校でこんなことはしていないだろう。

中学校プールは、新築であった。

市の経済状態子供の数の増加で上向いており、中学校のぼろぼろのプール新築になったのである

その新築プールを、ほぼ貸し切り状態で使っていた。

もちろん私が予約したのではなく、単に、誰も来ない。

中二病というのは、みょうなプライドが発生することだが、私の住んでいた市では「学校プールになんか絶対行かない」ことが中二病であった。

この中二病に誰もが罹患し、誰もプールに来ない。

罹患しなかった私は、1人でやってくる。

そうしたら

「おい!バタフライの泳ぎ方教えてやるよ!」

水泳先生からバタフライの泳ぎ方を指導され、バタフライで25メートルを泳ぐ教習が始まっていた。

来る生徒は私1人。

私のほかには生徒なんて誰もいない。

その先生と仲が良かったわけではないのだが、何度もプールに行った。

ばっしゃばっしゃと水の音がこだまする。

小学校プールは必ず誰かがいて、気温が上がればもう何十人の児童がいたのに、正反対だったことをいまだに思い出す。

高校に上がるまでに多くの音の風景がどこにでも転がっていたので、他の作曲家よりもこれらの経験は有利に働いている。

anond:20210223003326

あーなんかわかる。

言われてみれば、小学校中学校高校も今の勤め先も、ぜんぶ雰囲気が似てる。メンバー性格とかそこからまれ空気感とか、問題が起こった時の意見の出方とか解決の流れとか、みんな似たような感じなんだよな。ずっと不思議に思っていた。

自分の周りは小学校の時から常に雰囲気が悪かったから、今も当然に雰囲気が悪くて過ごしにくい。つらい。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

anond:20210222103230

自分と同じ立場の「小学校時代からずっと同級生暴力を受け続けてきてつらい人生でした」の女性版が

都合よく理解ある彼くんに拾ってもらって大逆転する話を勝手妄想して嫉妬してるんだろうね

自分の女版、イージーモードになるか想像してみてほしいんだけど

ならなくねえか?

anond:20210222101813

えー地獄かね。事実じゃん。

顔でも年齢でも体型でも、なんなら学歴とか生育環境とか健康状態でも男女を問わず足切りされるのは当然のことでしょ。自分相手もやってるから文句言えないけど、やっぱり選ばれないのはつらい。それだけの話がどうして地獄

リアルでは小学校の時分からネットではず〜〜〜〜〜っとぶっ叩かれ続けてきた喪女から麻痺してるだけなのかしら。「選ばれない程度のことは日常理不尽被害を受けないだけで天国」ってのは。

でも男だって女と同じように、顔が良くて陽キャで秀でたところのある人は友達多いけど逆は少ないじゃん? 同性からも異性からいじめ受けたりシカトされたりするじゃん? いじめもつらいじゃん?

その時「〇〇(陽キャ)は友達が多い。俺の方が可哀想なのに。俺を友達にしない連中は俺を差別してる」って普通思わないやん?

シカトされるより、毎日暴力罵倒カツアゲを受けて注目される方がマシ。友達と関われてるだけありがたいと思え」みたいなことも思わないやん?

これが男と女って話になるとそうなっちゃうのなんで?


あと書いてから思ったけど「小学校時代からずっと同級生暴力を受け続けてきてつらい人生でした」ってだけ言えば皆が可哀想って同情してくれるのに「たかだか悪口を言われたとか、シカトされた程度のことで登校拒否になってる人いるけど暴力被害の方がずっとつらいです」なんて書いたら同情されないどころか暴力以外のいじめ受けてた人からすごい反発受けるの目に見えてるのに、これもモテるモテないの話になると男が(一部のツイフェミも)やっちゃいがちなのもほんとなんで? ダメだよ?

anond:20210222091352

さすがに小学校高学年になってからでしょ

すぐ中学生になってるし

うわーロリコン気持ち

2021-02-21

人生つまんねー

小学校とき自分未来予想図みたいなのを書かされる授業があって、空気を読んで普通に就職して普通に結婚して普通に子供いるみたいな人生を(おもんねー人生だな)って思いながらも書いたけどあれから15年、そのおもんねー普通人生すら送れてなくてワロタ

anond:20210221205600

理由自分で考えろ」理論が通じない相手もけっこういる(子供、犬など)のでオプション

でも犬には最初に待てやハウスを教えるように

日本人も中止、解散などの言葉小学校で教わってるのでわりと効く

とにかく結論のまえに理由を考えすぎるのをやめろ

俺はこう思った!っていうだけのことに理由をつけようとすると

頭が悪いやつはフェミが悪いからとか男が悪いからとかへんな理由付けにたどりついてしま

それが新たな弱者を作り出す行為になってしまうから

半径1mに使うのならおまえの目の前にいる相手にはお前の様子がみえいるからおまえが理由を口ごもろうとも忖度して勝手判断してくれるさ

 

逆に増田では理由必要

匿名からいくらあたまのいいやつでも忖度しようがない

しろ正しい理由を教わりに来るやつがい場所なっちゃってるけど

エコーチャンバーよりはマシだからおとなしく叩きなおされてもらうしかないな

anond:20210218225233

フェミニズム氷河期世代絶滅するまでは確実に続く。

けれども、絶滅はいなくなる可能性が高い。

今は英語小学校5年で勉強するらしいが、その連中が子供を持つとフェミニズムはなくなる可能性が高い。

それだけ馬鹿が消えているということである

少子化も悪いことばかりではない。こうして馬鹿が消えるのはいいことではないか

日本人論破されると沈黙しかしないから、海外の人々にとって実に都合がよい。

この辺、中国は再論破して顔を真っ赤にするので、まだ遅れている。

鬼滅の刃遊郭編の懸念を茶化したり便乗炎上記事見てイキってるオタクくんさぁ……



1.元々深夜アニメだし子どもが見るものではない。親が規制すべき。

→だいたいここに帰結する。でも現在Amazon primeなどの動画配信サイト作品を視聴するのがメジャーになりつつあるので深夜アニメという時間帯に放送するというゾーニング機能しなくなってると思う。

もう少し明確なゾーニング、レーディングを設けていく必要がある。親だって子どもの全てを管理できる訳では無い。

そもそも現在鬼滅の刃子ども向け商品が数多く出ているので「子どもに人気だから子ども向け商品出せば売れるぞ!!経済回るぞ!!」と後先考えずに売り出した故の弊害だと思っている。

2.聞かれたらちゃんと教えるべき。教えられないのは親の落ち度。

遊郭の実際の歴史を低学年や未就学児に教えるのはかなり骨が折れる。性教育を年齢に合わせて段階的に教えたいと考えてる親には特に難問。1桁の足し算くらいしか出来ない子に今の子もの学習内容のみで理解できるように微分積分教えなさいと言われてる状況ぐらい難しい。

言わば遊郭歴史を教えるには様々な人権意識と性についての知識が頭に入ってるという前提がないとどうしても正しい説明ができない。

重ねてアニメ文化に疎い人だったら遊郭というもの知識自体持ってない可能だってあるので「説明できない」「どう教えればいいのか分からない」という人が出てくるのは必然と思われる。これは鬼滅の刃オタク層だけでなく一般層にも広く知られたからこそ出てくる問題オタクが当たり前に持ってると信じてる知識アニメなどに普段まり触れない人が持ってるとは限らない。

3.俺らが子どもの時はおっぱいとか出てる番組とかあったし時代劇で当たり前に遊郭出てたし、賢い子は自分で調べる。気にしすぎ。

過去時代劇劇見てた所謂「賢い子」が自分で調べた結果、遊郭現代キャバクラセーフティーネットとか言ってるから問題なのですが。普段インターネット情報鵜呑みにするなとかガキはネット使うなとか言う癖にネットリテラシーがまだしっかりしてない子どもには自分で調べろって言うのおかしくない?懸念の声を上げている人は「間違った価値観、考え方を子どもに知って欲しくない。再生産したくない」んですよ。

あとゴールデンタイムおっぱい出したりする番組やってたのが正しいとは思わないしことある事に前時代的の考えを「あの頃はよかった」とか言うのやめてほしい。今は令和なので。

4.銀魂でも遊郭やったじゃん。なんで鬼滅だけそんな過敏に反応してるの。

吉原編やってたあたりの銀魂リアルタイムで追ってたの多分オタクのみが大半だったでしょ。なんだ、お前たちのところでは小学校の8割方の生徒が銀魂知ってて「オイィイイイッ!!」ってツッコミ入れてたりネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲作るの流行ってたんか。怖。

鬼滅はもう既に子どもの大半が何かしら見てる、読んでるという一大コンテンツとなってしまったのでコアなファンが多い銀魂と比べるのはおかしい。本当に鬼滅流行ってるか懐疑的な人いたら休日ショッピングモールなどに行けばいいと思う。小さい子や小学生くらいの子の大半は鬼滅の和柄マスクつけてるか何かしらのグッズ身につけてるよ。

5. 嫌なら見なきゃいい。見せなきゃいい。

子どもが気になる、見たいと思うのを親が無理矢理禁止すると後の反動がでかいオタクが1番分かってるのでは?何度も言うけど子どもの大半が現在何かしら触れている。家で「見てはいけない」と言われても周りの子が見てたらそれは気になるし、隠れて見る子どもも出てくる。隠れて見たら親だって万能ではないので気づけない。オタクならアニメ嫌悪してた親に隠れてアニメ見てたという経験持ちの人いるでしょ。また今は共働き核家族のケースも多いので大人鬼滅の刃子どもより先に履修して見せていいかどうか判断するなんて不可能に近いのでは。無闇矢鱈に見せない、規制するのではなくアニメを一緒に見て、分からない所を教えてあげる親の方が子どもことちゃんと考えてる。

anond:20210219201256

お子さんへの思いが伝わってきて、純粋にいいなと思いました。

個人的には、都会の文化資本って、大人になってから触れるのでも遅くないと思います自分小学校がひとクラス10人以下みたいな田舎出身だけど、子供の頃の田舎の思い出を胸に、大人になってから都会を経験して…両方味わえてよかったなって思います。だから、お子さんが都会に出たいって思ったときに、気持ちよく送り出してあげられるような環境さえ整えてあげられれば、田舎育ちでも全然何も不利じゃないと思うのです。

あとは、周りの大人地元が好きかどうかに左右されると思います。周りの人達田舎の楽しみを知らなければ当然子供も楽しめないし、都会にばっかり憧れをもって田舎はクソだと卑屈になってしまったり、子供の頃の思い出は嫌なことばっかりっていうのはかわいそうだなって思うので。

ただ、お受験勉強に関しては絶対都会の方が有利です、子供たちのお勉強に対するモチベーション全然違います自分地元では受験カリカリしている人は全然いませんでした。のほほんです。だから、もしかしたら、みんながのほほんとしている中で、お子さんだけお勉強強要するのは大変かもしれません。もし、お子さんがお勉強嫌がるようでも、周りののほほんとした雰囲気の中で一人お勉強モチベーションを維持し続けるのは相当苦しいかも…っていうことだけ、心のどこかにとめておいてほしいと思います

2021-02-20

anond:20210220141329

将来、中国やら韓国やらが新しく発見された古文書持って「日本のこの島、俺んちの物だから証拠はこの古文書ね」って言ってきて、それが解析できる専門家こちらサイドにいなかったら終了。

小学校に通わせて貰ってないのか…

悲惨子供時代を送った点には同情するよ

こんにちは、余人です!みなさん覚えていますか?あの余人ですよ!

小学校の体育の時間に、

「男女で二人組(ペア)になってください」

先生が指示するときいつも余って、指示した中年女性先生ペアになってたあの余人ですよ!

思い出してくれましたか

そんな情けない私ですが、最近森元総理を引き継ぐオリンピック組織委員会会長候補として名前があがってたんですよ!

スゴくないですか?

自分でもスゴイ、俺はスゴイぞ!と自画自賛していたんですが、

なんかみんなが僕に代理は無理、おまえには代え難い、とか言うんですよ。

それで、残念ながら落選してしまいました。

今は日本社会の余り物として生活しています

余り物には福があると昔から言うのに、変な世の中ですよね。

女性のみなさん、余り物には福があるように、僕と結婚すると福ありますよ!

プロポーズするなら今のうちですよ!!

田舎に住んでいれば気軽に好きなだけキャンプを楽しめるという幻想

今人気エントリにいる増田子育てにやる気あるみたいだからそんなことにはならないかもしれないけど親が仲悪かったり貧乏だったり陰キャで出不精だったりすると小学校行事以外で山に泊まりに行くなんて人生で一回もないよ

たとえ山まで徒歩1分のド田舎に住んでいてもそう

家の近くの山はただの樹木集合体、緑の壁

テントを張って遊んで楽しめるようなスペースはない

そもそも私有地だろうからそんなことやったら通報されかねないし

キャンプに行くには観光客用にアウトドアができるように整備され開かれているずっと遠くの山に行かなければならない

「パパ!今からキャンプしたい!山に行きたーい!」「よっしゃ行くか!」で行けるような場所ではないの

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん