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2023-06-04

この長い長い下り坂をNullを自転車の後ろに乗せてブレーキいっぱい握りしめゆっくりゆっくり下ってく

2023-06-03

俺の人生絶頂

小学生の頃、喧嘩している女の子二人にに「〇〇くんは私の方が正しいと思うよね?」と両手を引っ張られていた

幸せだった☺️

でもそれ以降は下り坂😇

大嫌いな八月に恋をする


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

2023-05-30

回線速度なんて下り10Mbpsもあれば充分です速くも遅くもない

いや遅いわ

いや値段によるな

2023-05-29

警察官の自宅にあるもの

  (1) ペンはあるけど、オカン光殺法により、頻繁に消える。    オカン ・・・  野村朋美クソフェミ本部長のこと。 娘も警察官で、北海道県警に勤務。

      ペンほとんど使えない。使おうと思ったときには必ず消えている。

  (2) プリンター及びスキャナー   ほとんど使い物にならない。置いているだけで存在していない。

  (3) パーソナルコンピュータ    設置することはできるが使用できない。

   (4)浴室   物自体として、バストイレ存在しているが、構成全体はプラスチックの安物で、石や鉄ではない。

   (5)玄関ドア   鉄製で高級であり鍵もついているが、オカン合鍵を持っているため簡単侵入され意味をなしていない。

   (6)くつ     3000円のものを買った場合にはボロボロになるまで買い替えることは出来ない。

   (7)水道料金    生活保護により減免

   (8)電気料金    経済産業省法令により値上げ。

   (9)階段      高級な石でできているが、ただの上り下り必要ない。

   (10)エレベータ   契約書にはあるとかいているが設置されていない。

   (11)鍵などの状況   犯罪者はしごバールを持っていてどんな手を使ってでも開けてくるので、あっても意味がない。

   結論   要するにぶち壊れている。

   何か魅力があるか?    外観が小さくてかわいいだけ。中身はクソ。

anond:20230527151513

「握り玉式のドアノブ右手で使うと開けられない」

入るときはそうでも出るときは逆側になるんだが?

頭悪い釣りだな…… 

上り坂ばっかりで歩きにくい」みたいな話しとるで

帰りは下り坂やそれ

2023-05-28

自分普通だと思っていた学費の話

自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。

かいつまんでその切り抜きの内容書くと、

とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応

○実況者Aの実家金持ちって話に移って、大学時代勘違い奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応

○実況者Aの妹さんはさら過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。 

○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応

多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイト下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。

高校生大学生なりたてのころの奨学金イメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。

妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活ときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしから一人暮らし仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上から申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。

思えば高校時代にもセンター試験自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分公立マストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。

話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくま地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。

自分普通だと思っていた学費の話

自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。

かいつまんでその切り抜きの内容書くと、

とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応

○実況者Aの実家金持ちって話に移って、大学時代勘違い奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応

○実況者Aの妹さんはさら過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。 

○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応

多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイト下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。

高校生大学生なりたてのころの奨学金イメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。

妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活ときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしから一人暮らし仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上から申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。

思えば高校時代にもセンター試験自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分公立マストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。

話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくま地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。

2023-05-25

人生下り坂を突き付けられている

昔できたことができなくなった。

30代の時に頑張ってダイエットしたのが無駄になりリバウンドした。

部屋の掃除も以前ほどやりきれなくなっている。なにより、汚部屋でも気にならなくなっている自分にショックだ。

仕事に追われて気付いたらコロナ禍も終わっていた。

それなのに、以前の自分に戻れる気がしない。ここから這い上がれる気がしない。

ダメになっていく想像しかない。

ごめんな。

2023-05-24

AEDを使ったことを後悔してるかもしれない


タイトルどおりだ。あの事件から5年以上が経った。心の傷も癒えてきた。そろそろ増田で語ってもいいだろう。予防線で悪いが、あまり長文を投稿することはない。読みにくい箇所はテキトーに読み流してほしい。

悪いけど、思い出したくないことだから、わりと書き殴らせてもらう。推敲はほぼしない。



花見シーズン日曜日だった。当時は地元市役所に勤めてて、労働組合主催新人歓迎会だったんだが、皆でレジャーを楽しんでいた。組合お金で遊びに行けることもあって、幹事連中は食料品お酒ガッツリ買い込んでた。

標高でいえば1kmはあるだろうか、そんな高い山にテニスコートとかサッカー場がある公共施設があって、そこのテニスコートクレイコートだった)でみんなでテニスをしたり、森林公園散歩して遊んでたよ。羽高湖だったかな。懐かしい。

メンバーは、比較的若手の職員20人ほどだった。そこまで詳しく覚えてない。昔のことだしな。で、昼が近づいてきて、さあ湖に行ってバーベキューだ、という時になった。当方テニス満喫して気分が高まっていた。といってもスポーツやるようなタイプじゃないし、なんなら今風の言葉でいうとチー牛とか言われるタイプ人間になる。

すでに誰かが管理からバーベキューセットを借りてきてるのが遠目に見えて、テニスコートの前面道路を横断しつつあった。それで、さぁメシの準備だというところで、テニスボール自分のすぐ目の前に飛んできて、右を向くと同期の女がラケットを振ったと思ったら、その子がしゃがみ込んで、胸を押さえて、そのままクレイコートに倒れ込んだ。

自分は捉え切れてなかったんだが、テニスボールが胸のあたりに命中したのだ。当たり所が悪くて、こんなことになってしまった。

当時二十代だった自分は、大慌てで声を出して、その同期の子に駆け寄った。ほかの集まり参加者は遠目から見てる感じで、何人かがこっちに小走りできていた。

自分はすぐに、見様見真似で心臓マッサージを始めた。焦っていたので呼吸の確認はしてない。マッサージは、その子Tシャツと厚手のトレーナーの上からだったが、何とかなるだろうと思っていた。近づいてきた人の中にひとりだけ40代ほどの女性がいたから、「代わってくれ」と言ったけど、首を横に振ってるような、なんとも言えない様子だった。

その後も心臓マッサージを続けたけどダメだった。意識を失ってる人って、間近で見るとマジで人形みたいだった。呼吸がなくても生きてるのはわかるけど、でも異常に脱力していて、本当に人形みたいだった。

厚手のトレーナー邪魔なのか?? と思ったから、脱がしてシャツだけにして、消防の講習で習ったのを思い出しながらマッサージを続けた。でも、ぜんぜん意識が戻らない。テニスコート入り口を見ると人がまばらだった。まずいと思った(※焦っていたからわからなかったが、みんな対応に走っていたのだと信じたい)。

人工呼吸をやるしかないと思って、さっきの40代ほどの女性を見た。傍に人だかりが増えていた。その女性は、めっちゃビビった様子だった。諦めて視線を同期の子に戻して、人工呼吸を始めた。気道は確保したが、医療関係者じゃないからできていたか不明だ。

何回か人工呼吸をした後に、また心臓マッサージに戻って、「戻れ、戻れ」と口ずさんで、三回目の人工呼吸をしようとしたところで、「おい」という別の男の声が聞こえて、AEDを持って来ていた。

「やってくれん?」

自分が言うと、「やり方がわからんけえ。お前がやるんど」と言い返された。自分もやり方はわからなかったが、AEDの箱を開けると、何やら説明の音声が始まって、同期の子シャツを脱がせて、下着の横に電極パッドを嵌めて……。AEDの指示どおりにはやれたと思う。いや、わからんけど。やれたとは思う。で、真横や真後ろを見たら、もう参加者全員がこっちを見ていて、どうしようかと思っていたら、救急車じゃなくって、管理棟の人が乗った軽バンテニスコート内に入ってきた。

施設職員に同期の子を渡すと、軽バンの後部座席を倒して、横に眠らせるみたいにしてバンの後ろ扉が閉まって、そのまま全力ダッシュで車は走って行った……。(追記 救急車じゃないのか?と自分も感じたが、固定式の車止めの幅の関係で、救急車施設内に入れなかったのが理由になる。書いてなくて申し訳ない)

この時、周りからはどう思われていたんだろうか。それはわからない。わからないということにしたい。みんな、今日はもうこれで終わりだな、みたいなどんよりとしたムードだった。自分に声をかける人はいなかった。いや、元々親しい人が参加してなかったのもあるが。



次の週からは、針のむしろみたいな感じになった。視線でわかるんだ、同じ階の男性職員自分を見てクスっと笑ってるし、女性はあからさまに自分のことを避けてる。それが仕事上のコミュニケーションにまで影響していた。

イベント用品を取りに行く小間使いすら任せてもらえないし、何人かで集まって会議のセッティングをする際もハブられるようになった。連絡や報告も、口頭でのやつはあまり回してもらえない。

しかったのは、ある時だったかエレベーター書庫にあるファイルを運んでいて、職場近くまで下りた時だった。エレベーターの扉が開いた時に聞こえてきた。

あいキスしてたよ」「変態みたいだった!!」「ハアハア言ってたって……まじキモイ」「ブラまで取ろうとしてたって」みたいな自分に関する噂が直接、聞こえた。30代ほどのやや上の世代職員が噂をしていた。あの時ほど救命活動を後悔したことはない。

あの時、無理をしてでもあの女性に代わってもらえばよかった、と当時は思っていた。そうすれば、こんな思いをせずに済んだのに。

結局、同期の子は命は助かったけど、しばらく入院必要になったと聞いた。その子が復帰するまでの間に、自分会社に行けない状態になっていた。事故から三週間くらいだったか

当時、憂鬱を通り越してうつ病寸前になっていた。メンタルクリニックにこそかからずに済んだが、有給を半分ほど使ったところで、市役所を辞めると職場長に伝えて、それから二度だけ人事課に出勤すると、離職の手続きが終わった。AEDのことは上の人には言わなかった。なんかもう、どうでもよくなっていた。人間が信じられないという気持ちだ。わかるだろうか。

今は、市役所があったのと同じ広島県の東の、さらに端っこにある中規模工場で働いている。相当地味な仕事だけど、自分には合ってる。自分は優れた人間じゃないけど、父親祖父が優れていたためか家にお金はある。つまんない人生になったけど、老人になった後はそれを頼りにしたい。



今日自分が伝えたいことがひとつだけある。確かに法律とか倫理かい観点からすると、自分の行いは正しいし、あの市役所の連中は間違ってる。今でも惨めな気分だ。でも、それは理念のうえでの話であって、現実は違う。

現実世界だと、自分みたいに見た目がいまいちなヤツは、イジメを受けたり(あいつキッショとか職場で言われたり)するわけだろう。それが現実だ。だから、状況を見て判断する必要がある。

自分は、あの同期の子を助けたいと思った。だったらあの時、自分じゃない誰かにさないといけなかった。助けようとしてはいけなかった。それだけだ。

嫌な話を聞かせてしまって申し訳ない。でも、死ぬまでにはどこかで話したいと思っていた。当方はてなは好きだけどブログは開設していない。ここしかないと思った。

以上になる。読んでくれてありがとう。できればコメントも読んでみたい。わがままでごめん。

2023-05-22

anond:20230522191017

元増田じゃないから確実ではないけど

あくま元増田の主張は「趣味の話ができない男のコミュ障っぷりに不満を持ってる女増田信頼できない語り手じゃないか」、ってことであって、

その根拠として「女増田趣味の話したいならうまいこと振ればいいだけ(=自称非コミュ障なら当然できるよなぁ?)」、

まり「それができてないなら女増田コミュ障なので、男だけにコミュ障認定下りがちなのは実情と違うんじゃね」

みたいなことを言いたいんだろ。ちょっと突飛な論ではあるけど理解できないことはない。

それを直に「女はコミュ障男の介護しろってことか????」みたいにキレるのはすげーズレてて会話になってない感あるわ。

趣味の話を振った上で無視してずっと仕事の話する男ばっかだから言ってるに決まってんだろボケ」とかならわかるけど。

2023-05-18

20代振り返り

と言っても3年過ぎちゃったけど

・出先のコンビニお茶とか消耗品を買えるようになった。まぁお茶とかは無駄出費ではあるが、必要な時に必要ものを買うということが出来るようになった。

銀行現金を預けられるようになった。今までは引き落とし分以外の全財産を細かく仕分けて財布に入れ、毎晩残金を確認しながらの生活だった。今は最低限の現金プリペイドを持ち、残りは銀行に全て預け入れをしても平気だ。

電子マネーお金チャージしておく余裕ができた。現金が手元にないととにかく不安で、ポイント付与等で総合的に得をするとわかってはいても、それでも現金電子マネーに変える事はできなかった。今はいくつかの電子マネー活用して溜まったポイント嗜好品を買ったりポイント投資で月に数千円儲けたりしている。

・日用消耗品の買い置きができるようになった。ストックはもちろんだけど、3個まとめ買いで少し安くなるような商品や大容量の詰め替えパックが購入できるようになった。損なのはわかっていたが、セットの合計額に怯んで手を出せず単品を都度買う生活だった。

シャンプーinリンスシャンプーリンスに、柔軟剤入り洗剤を柔軟剤と洗剤にそれぞれ買って使うようになった。スキンケアオールインワンジェルから化粧水乳液クリームも使えるようになった。

食品のグレードも上がった。低脂肪乳をやめて牛乳を買うようになった。おいしい。おやつデザートも食べるようになった。肉はまだ豚ひき肉・鶏むね・鶏ももくらいしか買えない。

抵抗なく買える物の金額底上げされた

食べ物は198円、日用消耗品は298円、服は1,500円を超えると買いづらかったが、今は食べ物250円、日用消耗品398円、服1,990円(そもそも自体まり買わないが)くらいまでなら普通に買えるようになった。

・長く使えるものを買えるようになった。さすがに数万のブランド椅子とかベッドとかはむりだが、ツインバードアイリスオーヤマばっかだった家電国産メーカーかにしたり、ワイヤーネットとか衣装ケースで済ませてた収納チェストかに変えたりした。


・月収は18歳から数えて4、5回バイトを変えながら14万→20万になった。社員登用とか普通就活もちょこちょこチャレンジしたがついに叶う事はなかった。

・先月貯金100万達成した

たぶん今が自分人生絶頂期で最大の稼ぎであとは下り坂だと思うので記念パピコ

2023-05-16

家族がいなければ金持っててもしょうがないし投げやりになってもおかしくない気がする

後半戦下り坂の死ぬまでの暇つぶしみたいな人生になった時に親も嫁も子供もいない生活が数十年続いたら

そりゃあパチンコやって競馬場行ってあぶく銭ができたら風俗行くような生き方になるよなと思う。

から晩まで真面目にお行儀よく色々なことを我慢しながら生きていくのが馬鹿らしくなるんじゃないだろうか。

2023-05-15

anond:20230515212726

偽装結婚やすくなると便利そうやね

養子取りたいってなった場合でも原則既婚世帯でないと許可下りないし

2023-05-10

シュナムル氏 娘の年齢設定について

だいぶ周回遅れではあるが、気になったので備忘録に。

すでに別の方が同じ疑問を呈しているので参考にそのスレ

https://twitter.com/Natsu_Rayfield/status/1533010620055842816?t=ysiCpl6Sp1MuPwhnmogxtA&s=19


このスレをみると2016年にシュナムル氏の姪と一緒に七五三をしたとある

シュナムル氏が某氏のおかげ(?)でかなりツイ消ししているようで、七五三下りのツイの原本は見つけられなかった。

一応、数え年七五三をしたとすれば矛盾しない。

※それはそれで姪は満年齢でやったことになるが、例えば弟一家は弟の妻、シュナムルからみて義妹一族方針にあわせて

七五三の祝いをしたと考えれば大きな矛盾とはならない。そもそも本来、五歳は男児のみ。


七五三以上に気になったのは、シュナムル氏の娘の年齢の表現である

参考までに、以下シュナムル氏のツイートリンクを貼る。

見れなかった時用に概要文を記載する。


https://twitter.com/chounamoul/status/1298114794218590208

2020年8月25日で9歳

https://twitter.com/chounamoul/status/1038299328060612608

娘の誕生日夏休み

https://twitter.com/chounamoul/status/1655798965508648961

https://twitter.com/chounamoul/status/1644289144619941888

2023年現在、娘は中学生になっている

2020年8月25日時点で9歳とあるが、誕生日夏休み中なら遅くとも8月31日までに誕生日を迎えることになる。

また、2023年時点で中学生なので、2020年にシュナムル氏の娘は10歳となる。

そう考えると、シュナムル氏の言い回し違和感がある。

普通、こういうときは「もうすぐ10歳になる」と表現するのではないか

なにせ遅く見積もっても誕生日まで1週間を切っている。

そのまま誕生日前の年齢を言うより、誕生日を迎えた時の年齢で表現するのが自然な気がする。

無論人によると言われたらそれまでではあるが……。

https://twitter.com/chounamoul/status/1639992252008402945

参考:娘の入学式を目前としたシュナムル氏のつぶやき

anond:20230510095303

失礼だけど率直に言って、この話おかしいと思う。

女性パートナーを得やすいなら、そのパートナー男性もまたパートナーを得やすいってことになるじゃん。

だって一対一の関係なんだから上り坂と同じ数の下り坂があるのと同じ。

2023-05-08

anond:20230506150528

やっぱり家の下り800Mbpsのwifi動画まくりには一番ね

いじめについてのNHKスペシャルを見た

吹田市小学校いじめ理解するための特別授業していた。

NHKスペシャルいじめから、逃げない 3年2組 4か月の挑戦

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023050615769?playlist_id=f9dde2fc-cadd-411d-8b15-da560a75cbd8

仲間はずれにしてもいいと思ってしま加害者心理シンキングエラーと呼んで、それに気がついたら直すようにと学校の授業で教えていた。

最近はいじめの加害者の考え方に問題があるとはっきり教えるようになってきているようだった。

私は以前にいじめ被害者になったことがあった。

内側に欠陥を探して、原因を考えた結果、自身家族性格問題があるのではないか結論を出した。

その欠陥とみなしたものを外に出さないように努めていた。

でも番組内の特別授業を聴いて、どうやらそういうことではない、と思ってもよい気がした。

いじめ加害者の考え方がよくないということを理論立ってはっきり聞いて、「ああ、自分が悪いわけではなかったのだ」と長年の重荷が下りたような安堵の感覚があった。

私が間違っていたわけではなかった。

20年前の自分に教えてあげたい。

2023-05-07

[]MF鈴木潤子供達に勝利を」7日、ホーム横浜FC戦。

 オレオレFCは6日、オレフィールドで次節・横浜FC戦(7日、ロイスタ)に向け調整した。ゴールデンウィーク終戦横浜FC戦へMF鈴木潤は「順位関係ない。しっかり勝って、締めくくりたい」と意気込みを口にした。

 チームは前節3日の札幌戦で3試合ぶりの白星鈴木潤はその試合決勝点を奪った。終始相手ペースだった試合で貴重なゴールは3月2日鳥栖戦以来だった。それでも「試合のもの課題ばかりだった」と満足はない。

 5日にはこどもの日とあって、大勢のちびっ子ファン練習場に集結。選手の発案で急きょサイン会が開催され盛り上がった。鈴木潤は「子ども達の存在は毎試合、力になる。僕達のプレーを見て夢や目標を与えたいと思っていますし、そういうきっかけになれば」と柔和なまなざしでうなずいた。

 相手は前節・新潟戦で勝利鈴木潤は「肩の荷が下りて、本来の力を持ってやってくる」と警戒する。それでも「子供達に勝利を届けたいです」と宣言横浜FC戦で2試合連続ゴールを奪い、ヒーローの座を射止める。

2023-05-06

くだらね~(東京進出できない~)

東京行き下り列車にのれねえ~

公文書管理システムの大量ファイル消失事故について予想してみる

10年くらい前まで地方市役所情シスに居た

辞めたので最近公文書管理システム事情は知らないけど、適当に予想してみる

公文書管理システムって名前御大層だけど、うちの市では書庫の棚管理台帳+例規集でしかなく、運用も雑だった。

年度切り替えが終わる6月頃、前年度文書段ボールに詰める。

そこに貼るラベル公文書管理システムから打ち出す。

出勤簿とか、起案書とか、自課で予め倉庫に入れる文書カテゴリリスト化して保存年限も指定しておく。

カテゴリ分けはかなり大雑把。

公文書管理システムからは空き棚の位置、通し番号が発行されるので指定された書庫の棚に段ボールを置いてくる。

公文書管理システムから今年破棄する段ボールを出力して、書庫から出して、幌つき軽トラ公用車に積んで、ゴミ処理場へ持って行き焼却炉にダイレクトシュート

公文書管理システム上で該当段ボールに破棄実行処理をする。

それだけ。

例規の方は市長決済や地方議会決議通さなきゃ更新されないものだし、どこにでもローカルバックアップあって復元も容易だろうから割愛する。

UI10年前なのにWindows95で作ったような化石だった。

管轄は総務課文書管理係で、はっきり言って定型業務しか」できない人の島流し部署だった。

情シスIT契約の一括窓口として毎年保守契約担当するけど

毎年「いつもの」で済ませて、仕様書なんて10年以上誰も確認してなかったんじゃないかな?

Excelや、下手すりゃLotus設計されたものを、WindowsExcelバージョンアップごとに

「同様に動作して業務を滞りなく継続できるように」って付記だけした契約を秘伝のタレのように使い続けていてもおかしくない。

どこの役所も似たようなものだと思うんだよね。

箱詰めなんてどこの部署新人嘱託職員でやって、上司確認決済もめくら判。

実務上必要な過年度文書は課内共有フォルダ管理していて

当然そちらはバックアップ完璧

過去文書原本なんてものは重大クレーム訴訟沙汰レベルじゃないと引っ張り出さない。

厳密にアーカイブする労力より、何かあったら該当年度の段ボールを箱詰めミスまで疑って全部洗った方が労力的にはマシだから

捨てる年度の混載さえなければ、どれがどの箱に入っていようがはっきり言ってどうでもいい。

ここからは予想だけど

行政DXの一環で庁内の働き方改革を進めるものとして、2022年4月から公文書管理システム運用を開始しており

https://piyolog.hatenadiary.jp/entry/2023/05/06/014208#f-5a93bcab

ってことなので、猫も杓子もDXって中で旧公文書管理システムにも白羽の矢が立ったんじゃないかな?

予算欲しいし。国から補助金とか下りるかもね。

「紙原本を引っ張り出す想定なんてけしからん、ディーエックスディーエックス……」って調子で。

とは言え、行政継続から言って押印した原本スキャンした所で完全破棄なんてできないし

実務で必要な過年度文書は共有フォルダ管理してるし、役に立つ局面はそうそうないから雑に仕様変更したんじゃない?

Lotusの頃から変わってないような仕様書にチョチョイと「ファイル添付できるようにして」とだけ。

今まで管理していたファイルは棚管理台帳とレガシーフォーマット例規だけのシステムに。

それなら拡張子大文字文字弄ったり、ホワイトリストバックアップ対象を3日だけ管理しているのも納得できる。

下手すりゃ10年に1度しか引っ張り出さなもののために、決裁文書の最終版全部システムアップロードするフローが増えるの嫌だなぁとか考えながら。

まぁコツコツ蓄積すりゃ、大量文書開示請求強気対応できるようになるだろうけど。

職員の徒労を脅しに譲歩を引き出そうとする、痛くもない腹探るようなやつね。

マジで対応しなきゃならないガチ文書開示請求だったら結局は最後は紙に印刷したもの目視確認しするし。

一括検索で引っかからなかった関連文書心配だし、紙原本引っ張り出した方が手間ないと思うんだよね。

DX推進してる中で

システム添付ファイル紛失したけど、実は紙台帳から業務改善できてなかったので支障ありません」

とか言えないじゃん。

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