はてなキーワード: 京アニとは
・警備の人やカギがない状態でひとが入ってこられる
・このような自分で火を使わない場所から火災が起こることを想定していなかったのではないか
・設備は十分だったのか(法的には問題なかったといわれていますが、それはこの会社や構造的に考えて問題ないかをちゃんと建築時に考慮したか?ということです)
といった疑問があります。
とおもって検索すると、そのような疑問に答えてくれているサイトがありました。アゴラに牧功三氏というかたが書かれています。
小生はまったく同意で、今の日本でも街中で警備員やカギなしで入ってこられるような環境はちょっと危険すぎだし、この方が書かれている、ガソリンといっても、
燃えたのはガソリン以外の家具などででは?という指摘は当たっていると思います。
裁判での京都消防署のお話はなぜか検察がきちんと自分で調べたものではなく、消防署員の証言という形でこれは刑事事件なのになぜだろう?となぞなところです。
もちろん会社の方々も悼む気持ちは強いことは理解しますが、だからといって、こういった労働環境の課題が見過ごされることは、新たな事件を引き起こすことになり、亡くなられた方々への真の意味での追悼にもならないのではないでしょうか?
どっちにしろ、法的には十分であっても、火災被害というリスクに対応する策として必要な条件は満たしていなかった、ということなのでしょう。
ちょっと牧氏に対しては失礼かもしれませんが、米国流も、規制という色合いはあると思います。しかし、防ぐべきものについての理解を、コンサルタントなどが十分に説明して、法や制度はそれを後押しするようになっているように見えるのは、日本とは逆だなあと。書かれているように特に消防関係の利権はひどいと思われます。
火が付けられて火事になった時、急いで窓を開けようとしたが何故かどうしても開かず
殴っても割ることが出来ずかなり足止めを食って
その後窓枠が熱くなったかで偶然割れてなんとか脱出出来たらしいが
あと屋上へ逃げろと言われたけど
https://toyokeizai.net/articles/-/774575
1回性の事象に分析なんてしてもしょうがないけど 適宜WIKIPEDIA参照しながら
1.知名度
a.少年ジャンプ効果 2012年2月20日 - 2020年7月20日 全45巻 全402話
b.テレビアニメ効果 第1期: 2014年4月6日 - 9月21日
85話くらい地上波で放送された模様。 放送時刻に関してはよくわからなかったが深夜アニメだったようだ。
コナンが勝ったのは当然として、SPYFAMILYが勝てなかったのは仕方がない(かもしれない)。
2.特典商法
2024年2月16日公開より前に、すでに3カ月先の5月までの、週替わり(2週替わり?)の種々の特典を配布することが公知されていた(内容は順次公表)。
製作委員会のロングランへの自信がうかがえる。7月現在も上映している映画館があるが、特典がどうなっているかは不明。
最初週の特典はコレクターズアイテム感の高い、ジャンプコミックスの判型の情報誌。描きおろし番外編含む。
これはONEPIECE、呪術廻戦などでも行われていた。集英社IPの強み。
豪華めの特典と言えば新海誠だが、予算で負ける映画の特典はフィルムやミニ色紙など、低予算なもの(もらっても大してうれしくない)が多い。
描きおろし番外編特典は京アニ作品でもヴァイオレット・エヴァーガーデンやユーフォニアムでおこなわれていたが、短編小説。
アニメ見に来る層のうち、エヴァーやユーフォの原作小説を嗜んでいる人の割合が、ハイキューの原作まんがのそれと比べて小さいことは想像に難くない。
3.アニメの出来と題材
・先行するアニメ、Production I.G.でデキがよかった。男性キャラクターが多いジャンプまんが、男性声優の多いジャンプアニメであり、所謂ジャンプは男子の漫画雑誌なのか女子が支えているのか問題に抵触するわけだが、SLAM DUNKなどと同様、男子にも比較的抵抗なく受け入れられた模様。上澄みというか沈殿というか、7月になってまで見ている層は女性が多そうではある。
原作で言うと33 - 37巻の1試合まるごと再現で、全45巻中のクライマックスと言っても過言ではない。THE FIRST SLAMDUNKの山王戦みたいなものだ。それ以前の32巻分をテレビ1~4期でやったのは、尺の調節の意味があるのではとさえ思える。(42-45巻はガラっと登場キャラクターや話が変わる)。
相手キャラクターも初登場4巻からの因縁の決着編であり、文字通り満を持してこの題材を劇場版にぶつけたということになる。
(この長い射程の伏線は、連載当初ヤンキー漫画になっていった可能性を秘めていたSLAM DUNKとの大きな違いだろう。余談)
その点未完なのでアニオリエピソードを作らなくてはいけなかった(いけない) SPY FAMILYや ヒロアカとは土俵が違ったことになる。
物語全体のテーマやメッセージ性が崩れてるわけではないからなあ
贔屓目に「あのセリフのチョイスが尖っててロックだ藤本タツキすげえ」ってなるにしてもやはりズレてる
あのセリフが必然であるって考えるのは、先にも書いた通り京アニ事件ありきになってしまうし、ルックバックはそこだけを風刺したい漫画なわけじゃないだろ
前提、原作未読 改変内容それ自体を良い悪い評価判断することはできない。
けどそれにしたって13話中の12話にあの展開を持ってきておいて大団円!!よかった!!!と言えるかは…微妙じゃない?
少なくとも自分は主人公の久美子を通して、久美子の3年間の奮闘や成長を見ていたので、他でよく見る真由の救済のために主人公を放り出しているような構成と終わり方であまり納得できなかった。
再オデで負けた事それ自体は、その後の展開どちらでも組める要素だと思うからいい。
でも負けたなら負けたことを下敷きにして久美子の次への展開なり納得なり、決意なりや、奏者として勝つこと以外の部長としての報われなどをしっかり描いて、今まで久美子を見て応援してきた視聴者を十分に「よくやったな」と納得させて終わらせてほしかったよ。
それが入る後尺がなく、13話はシリーズ思い出ダイジェスト気味に終わってしまい、それが原作的には掴むはずだった勝利を改変した上でとなると…まあ~~~微妙な構成だったなと思う。
全国金は部の悲願であって、久美子のそれと完全にイコールではないはずだし、まして作中で久美子の思想が音楽から別の将来へ移っていったのならますます久美子の3年分の報われはどこへ…?と感じた。
(他所で原作だと全国金が久美子のイコールとなった描写があると見たが、アニメシリーズだけ見ているとそうでもない)
衝撃的な改変展開をもっと早く前に持ってきてフォロー尺や久美子の次への思いや展開を入れたり、シリーズ尺を24話にしたりと上記の急展開オチを回避する方法は他にあるだろうし、比較的取れる制作・会社のはずなのに上記を選択したのは、衝撃度なりバズり度など物語の本筋とは無関係な要素故に選択したと思えて、そこでも微妙だったなと思う。
微妙というか露悪的(?)にさえ見えた。
原作勢が「原作の最後の勝利がご都合気味だった」というのも見たが、それなら突然3年で転校してきて同じ楽器で超絶技巧で今まで合わせたことのないメンバーとも早々に合わせられる真由の超存在自体もご都合と言えてしまうのでは?(原作展開自体に切り込めるならという意味で)
要はご都合要素はその後の辻褄なり展開で納得できたかで希釈されるんだろうけど、アニメ最終話には原作を改変してまで納得できる、活きるものはなかった。
仮説としては原作を通っていると、その後の後日談含めて読み込んでいるからか、ちょっとご都合主義だったなという原作読後感を下敷きにしているから反転展開が響き納得や良かったになっているだけでは?
アニメの道中で久美子が負ける兆しは散りばめられていたともみたが、それなら1期から重ねて来た演出を回想や反芻するように擦ってきてた部分の先には、困難があったけど久美子が報われる事への期待と受け取れる部分なので、最後に梯子を外すも外さないもどちらも揺さぶり要素の1つでしかないと思う。
(単に制作の手抜きだったってならそれはもう何も言えないが…w)
続報で全国大会以降、卒業までの部長としての久美子報われ話をやるってならまた話は変わるが…(それにしてもシリーズとしてちゃんと〆てよとは思うけど)
京アニ事件が絡んでの思想が影響したのか、構成脚本の暴走か知らないけど追ってきた年月の割になんだかなーーーーーーというオチだった。薄味?
ルックバック原作既読、チェンソーマン全話追ってる程度のファンが映画観た
ルックバック、あざとすぎねえ?
ほい女の子が死んだよ?かわいそうでしょ?って思想(創作全般に当てはまるが)があまりにも前面に出すぎてキモイ
映画の壮大なBGMと最後の京本の笑顔であんまりにもあざとすぎて笑ってしまった
そもそも原作からして二人は藤本タツキの擬人化なわけで、お涙頂戴作品にせず真摯に京アニへの愛を作品にするのであれば主役2人は男にすべきだと思った
藤野は頑張って女らしく演出されてるが中身男だし、女である京本のキャラクターもまったく深堀されず舞台装置以上の役割がないのがあんまりだと思った
多分京本が男だったら親や出自や性癖が細かく描写されてたと思うわデンジみたいに
あと京アニ事件扱うんならもっと自我抑えろとも思った。これは藤本タツキ視点の話なので、この作品が大衆に咀嚼されていくの複雑だな。
最速上映で観てきた
上映中は結構な人が泣いてたし、上映後に一部の観客から拍手が沸き起こるぐらいにはよかったんだけど、正直自分はやや引っ掛かりがあって原作を初めて読んだときほど感情は動かされなかった
やっぱりルックバックって漫画の時点で完成されてるんだよね、それにあれってタツキ自身の話じゃん
ルックバックってのは京アニ事件を受けた後にタツキがクリエイターとしての意思表示をした漫画であって、それをわざわざみんなで映画にする必要あったのかなと思っちゃうんだよね
もちろん作画は凄いと思ったんだけど、良くも悪くも原作通り過ぎて漫画で良くね?ってなるし、うーん若干の引っ掛かりのせいで消化不良だ