「教室」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教室とは

2024-07-25

スキル取得、子ども向けの本を買うのが一番な気がしてきた

社会生き方なら最近話題になったハピかわシリーズ

小説だと、色々講座本読んで「こういうのは作者の主観が強すぎてな〜」とか所見色々書いてる人が熱心にオススメしてたのが「黒魔女さんの小説教室」っていう児童本だった

絵も、割と同人活動慣れてそうな人が「小中学生向けの本が一番いい。大人向けのやつは当たり外れある」みたいなこと言ってて、ああい子ども向けのやつは変に作者の主観とかのノイズが入ってなくてクオリティめちゃくちゃ高くなったりするんだろうなと思った

anond:20240724180542

こういうのって複数から証言がある方が全体として説得力が増すと思うので便乗。

モーニング

若い人は個人経営喫茶店自体行かないのですたれつつある

そのとおり。若い人は普通にスタバとか(あとコメダとか)行くよね。

岡崎豊田にも良店はあるが本場というとどっちかというと稲沢一宮あたりじゃないか

そもそもモーニングガチ本場は実は岐阜なので、岐阜に近い方がガチ度が高い。

あんこ

パンに付ける以外特異な点はないと思っている

そのとおり。自分で塗るという手順がなんか特異なだけ。

だいたい「小倉トースト自体名古屋発祥とされているが、関東圏にもあんバターとして普通に進出してるやん。

きしめん

名古屋駅にかぎらず昔から名古屋近辺の駅そばは「うどんそばきしめんから選ぶスタイルで定着しており、絶滅危機に瀕したことなどない

そのへんのうどん屋でも多くの場合提供されており地元民に親しまれている

そのとおり。「きしめん屋」と名乗っている店が元々少ないだけ。

名古屋うどん屋ではほぼほぼきしめんも食える。

ころ

発祥岐阜らしいですね。うどん屋で温・冷を選べる場合、冷のかわりに「ころ」と書かれていることがあり予備知識がなければ全くわからないと思う

どうでも良い話ではあるが、店(店員)によって「ころ」がたまに通じないことがあるので、メニューどおりの呼び方で注文する方がいいぞ。

味噌煮込み

袋麺(乾麺)のスガキヤ味噌煮込みうどん5食入りは何気に名古屋圏民へのお手軽なお土産として、あげると喜ばれるぞ。

何となくだが2~3カ月に一回くらいの頻度で自宅で味噌煮込みうどんを食べてるご家庭が多いイメージ

個人的には外食でまで食おうと思う料理ではないが、年配の人が時々「味噌煮込みうどんを食いに行くぞ!」と言い出しがちなので、そういう時だけ外でも食う。

カレーうどん

多くの名古屋人はうどん屋にカレーうどんがあるのは当たり前だと考えている

せやな。ただし店舗によってカレー出汁で割った汁の場合カレーぶっかけてる場合とがあり、意外と店ごとの独自性があったりする。

あんかけスパゲティ

名古屋圏の料理教室では、実はあんかけスパゲティの作り方を教えられるのよ。

つっても家庭料理としてのあんかけスパゲティは要するにスープというかソース部分に片栗粉でとろみをつけてあるだけっちゃだけなので、そんなゲテモノ料理ではない。

みそか

あん外食で食うイメージはない。

ご家庭によっては、ナカモの「つけてみそかけてみそ」が常備してあり、家でとんかつを食う時に味噌カツにしたければぶっかけて食えという位置づけ。

なんか非名古屋圏民で一部誤解してる人がいるように見受けられるが、味噌カツ味噌っていうのは味噌ベースのタレであって味噌のものではない。

手羽先

山ちゃん風来坊会社飲み会会場になることは普通にあるため割と良く食べられているほうだと思う

風来坊の方がスパイシーなので酒飲みは風来坊の方を好むイメージ

山ちゃんの方が手羽先以外のメニューが充実してる。

エビフライ

一部「デカエビフライ」を売りにしてる店(まるは食堂とか)があるので、そこに行くとなんか食わなきゃいけないような気にはなるが、その程度。

スーパーの揚げ物総菜コーナーにほぼ必ずあるので、なんかそれなりに食ってるような気もする。特に有難がってるとかはない。

天むす

地味に廃れてきてる気がする。

でも名古屋から新幹線で遠出する時に地雷也の天むす買って車内で食う人がなんとなく多いイメージ

台湾ラーメン

町中華メニューに高確率存在し、醤油味噌豚骨などに準ずる基本の味として扱われている

そのとおり。

すがきや

フードコートで何を食べるか迷ったときに選ぶものという認識

迷うというか、値上がりしたとは言えまだ安いし、キッズメニューソフトクリームがあるので、小さな子供連れの家庭がなんかフードコートで食うとなるとスガキヤになりがち。

夕方とかだと女子高生集団でいたりする程度には地元民にごく普通に使われている。

すごい美味いとは思わないけどあの値段であのクオリティは実はけっこうすごいよ、スガキヤ

ベトコンラーメン好来系、ラーメン福などその他ご当地

認知率の差が大きい。昔から名古屋に住んでいる人でも一切知らなかったりする

そのとおり。存在だけは知ってるが行ったことないという人が何気に多い。

ういろう

お土産品としての格付けが高い扱いをされているのでビジネスシーンとか冠婚葬祭で意外と使われている。

普段というか普通に家庭で食うことはあんまない。

ひつまぶし

名古屋近辺のうなぎ屋では50%くらいの確率メニューにあるため食べたい人は食べるよねくらいのイメージ

メニューにあるというか、汁を提供してくれるのでうな丼ひつまぶしにして食うこともできるよ、という店が多くないか

蓬莱軒だけは格上扱いされているがひどく混むため来客をもてなすときしか行かない

これはそのとおり。観光客熱田神宮観光ついでに行ってくれ。

2024-07-24

あおやまちゃんです

私の家族中国語教室に通ってたってだけで私を中国人だとか韓国人だとか言ってきたり、低脳って本当に想像力に逞しいっすね〜

フェルミ研究所とか好きそう

小学生のころ、教室にお泊り体験みたいなやつがあった。

調理実習っぽくカレー作って、みんなで食べて、校内を肝試しして帰ってきて、寝るだけってイベントだった気がする。

その肝試し

男女がくじ引きで決めた二人一組で行くってルールになってて、俺は、クラスで一番人気のあるかわいい子に当たった。

普段から仲が悪いわけでもいいわけでもないぐらいの普通クラスメイトって関係の子

懐中電灯もって二人でスタートなんだけど、その子めちゃくちゃ怖がりで。

スタートから俺の服のすそつまんでひーひーいいながら怖がっててめちゃくちゃかわいい

仕掛け毎に距離が近くなってきて、手をつないでまわった。

一番メインの仕掛けではびっくりのあまり抱きついてきて本当にかわいかった。

本人はめちゃくちゃ怖くて嫌だっただろうけど、俺としては本当にうれしかったし楽しかった。

たまに思い出す。抱きついちゃったの内緒ね、って言ってたのが本当良い。

その後特別仲良くなるようなこともなく卒業しておしまい。今は何やってるんだろうな。

2024-07-23

リンダにおける確率論の誤解

https://blog.tinect.jp/?p=87082

から引用

まず、次の文章を読んでください。

リンダは三一歳の独身女性外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別社会正義問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。

では、次の質問に答えてほしい

リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思います

聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。

しかし、多くの人は後者選択します。

複数の主要大学学部生を対象実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率論理に反して二番目の選択肢を選んだのであるしかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。

あるとき自分クラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである

確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります



ブコメ解説がならんではいるんですけど、この問題ミスリードについて指摘しているブコメが見つからなかったのでとりあえず指摘しておきますね。

設問「リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか」

これは、はっきりいうとミスリードを誘う質問になっています

質問の内容を好意的に受け取るとするならば、この場合、当然確率が高いのは前者です。

なぜなら、後者はお互いに共通する条件にさらに新たな条件が加えられているからです。

では次の設問だとしたらどうでしょう

設問「リンダは普通銀行員ですか、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員ですか、どちらだと思いますか」

この場合、先程の問題とは異なりただの銀行員からフェミニスト運動に熱心な銀行員」を除外する必要が出てくるので、先ほどとは確率齟齬が生じてくるはずです。

しかし、ここに誤解であり齟齬が生じていることをし指摘できているブコメは残念ながら見受けられませんでした。

数で置き換えてみることにしましょう。

例えばリンダが持つ確率10します。

そのうち、銀行員である確率が8とします。

さらに、銀行員かつフェミニストである確率を6とします。

この場合リンダが銀行員である確率は8ですので、銀行員かつフェミニストである確率6が銀行員である8を超えることはありえません。

まりリンダが「銀行員である確率に対して、リンダが「銀行員かつフェミニストである確率が超えることはありません。

ここで設問を「リンダは普通銀行員ですか、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員ですか、どちらだと思いますか」に変えてみるとどうでしょうか。

ここで聞かれているのは、先程のニュアンスとは異なり、リンダが「普通銀行員であるかどうか」という問題に置き換わっています

まり比較すべきは銀行員の中のフェミニストであるかどうかという問題に置き換わっているわけです。

すると、銀行員である確率8のうち、フェミニストである確率が6だとしたら、フェミニストではないただの銀行員である確率は8-6の2でしかありません。

まりこちらの視点で言えば、リンダが「ただの」銀行員である確率は2でしかなく、「フェミニストの」銀行員である確率6のほうが高くなってしまうわけです。

その他の確率である2に対して言及しているブコメはありました。

しかしながら、その部分については設問に触れられてはいませんので、たとえその確率が99であったとして、今回は考える必要はありません。

まとめると、「設問が悪い」に尽きるわけですが、残念ながらその指摘を行えているブコメ発見することはできませんでした。

そういう意味では「1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。」が実証されているということにもなるわけで、とかく人間バイアスは難しいものだということの理解しからないのだなぁと感じた所存でございました。

どちらにしても、「自分が正しい!」と相手理解を示そうともしなかった人は、反省したほうがいいのではないかなと思いました。

[]

学生時代宇宙論教授が「物理対象性質によって研究対象が変わる。例えばブラックホールは...」と話していた

ちょっと気を失い、気がつくと別の教師が授業をやっていて、幸せ音楽についての講義だった

「この講義自分は受講してないな」などといって教室を出たら、学校迷路になっていて迷って、それっぽいドアを開けると少女に「そっちは違うよ」と言われた

保健の授業聞いてなかった奴 (漫画)

あんのじょう男女問題に敏感なはてなはオギャーオギャーブクマカが騒いでるけど、リアリティ無えなあ~と感じたのが印象。

まず、彼女ギャン泣きして萎えたとかなら判るけど、途中まで入れといて萎えたはリアリティない。男はそこまで行ったら最後までやります

あと家族が居るから騒ぐなってフラグ立てておいて叫ばないのが物語として成立してないなあと感じてしまった。

お題がデートレイプなのでノルマクリアしてるけど、発想は女が考えた空想世界から抜けてない(リアリティが無い)のでもっと頑張って現実にありそうと思える漫画を書いて欲しい。頑張れ

 

 

※あと幼馴染?の関係でああい使い捨てみたいな態度取るかな?という違和感と、レイプだろうとイジメだろうとパワハラだろうと騒いだところで同じ教室卒業まで過ごすという地獄

アクセスの良さとレッスン代の安さを理由に7年ぐらい通ってたギター教室辞めて別の教室に通うようにしたんだけどめっちゃ良いわ。

前の教室メタル教えてくれって言っても講師が弾けないから軟弱なJロックばっかり課題曲にされてたし。

それなりに得たものもあったけどもっと前に今の先生と知り合ってたらマジで音楽人生変わってた気がする。

2024-07-22

C++C#Javaで働きたいが

FizzBuzz書けないプログラマたち」「技術書を買ったことも読んだこともなくパソコン教室状態」で働く確率が高い。

ウェブ系に行くしかないのだろうか

2024-07-20

内科検診のため、上半身裸で廊下に立たされた小2の春、雨の日。

私は、20代半ばの女性

最近ニュースになっている「学校検診で上半身裸になりたくない」みたいな問題を見るたびに、自分経験を思い出す。

私は、小学2年生のとき内科検診のため、長時間上半身裸で廊下で待たされていたことがある。

クラス全員、教室を出るときに服を脱ぎ、上半身裸になってから名前の順で整列(男子女子の順)。

私は、女子かつ名前の順が一番最後だったので、クラスの一番最後だった。

上半身裸の30人の生徒が、一列になり、保健室へ向かっていった。

男子から順に診察していくなかで、女子上半身裸で、保健室前の廊下で待たされていた。

みんなお互いに顔を見合わせながら、身をよじる、腕を組むなどして、自分なりに胸を隠していた。

すれ違う先生や生徒たちが、ぎょっとした顔でこちらを見る。

なぜなら、私が所属するクラスの子供だけが上半身裸になっていたからだ。

他のクラスの子供たちは、肌着を脱いで、素肌の上に体育着を着て待機するよう言われていたのだ(といあうか、それが学校方針だったっぽい)。

私は、さすがに不快気持ちになり、担任先生に言った。

「私はまだまだ順番が回ってこないので、服を着させてもらえませんか。」と。

先生は、「だめです。あと少しなんだから我慢してください。」と言った。

私の前に並ぶ女子が「恥ずかしいから、服を着させてください」といったが、先生は、「まだ男女の体は、そんなに変わりません」と言った。

私は、がっかりしながらも、『でも、まだ女子だけでも十数人いるし、ひとりじゃないから…』と思い、我慢していた。

上半身裸の生徒の待機者は、私一人になった。

真後ろに続く隣のクラスの生徒は、皆、体育着を着ている。 

廊下にたった一人、上半身裸の女子わたし

胸元を腕で隠す、情けない姿。

恥ずかしくてたまらなかった。

隣のクラス先生心配して、「服、着てないの?寒くない?」と聞くので、「担任先生が着ちゃだめというので」と返した。苦笑いをしていた。

隣のクラス男子がまじまじとこちらをみていた。

ようやく診察に呼ばれ、診察を終えると、教室へ戻る。

誰にも見つからないように走って戻った。

教室へ戻ると、私以外の生徒は皆、服を着て授業を受けている。

上半身裸の私を皆がジロジロ見る。 

私を置いて先に教室に戻っていた担任先生が、私に早く服を着るように言う。

私だけが変態露出狂みたいな空間だった。

小2の、雨がたくさん降って、寒い日の春の話だった。

これは、2000年代小学生だった私の、関東圏のとある公立小学校での実話です。

担任先生は、50代半ばのおばあちゃんで、考え方が古いタイプのひとだった。

クラスメイトの男子が、水泳の授業後に下半身露出し、踊っていたところ、その先生は、その生徒を殴って怒ったことがあった。

男子のち◯こが駄目で、女子の胸はいいのかよ。

学校検診で、医師の前で裸になるのが嫌だっていう話を見るたびに、このやばい経験を思い出してしまう。

超絶に上手いから、ものすごくわかりにくいんだけど安彦良和さんって、だんだん絵が下手(加齢によるものだと思われる)になってるんだな。

そりゃそうだよなあ。

普通だったら絵筆を取るのすら億劫になられる年齢でまだまだ精力的に創作に励んでおられるんだから

多少、絵に変化があってもあたり前のことだ。

これも普通だったら気づかないことなんだけども、

安彦良和展で展示されている少年の頃の学習ノートからまり

アニメーターとしてアニメ監督としての全盛期、

また漫画家に転身してから作品の数々、

それらを巡っていって最後にたどり着く展示物たち。

安彦氏の創作家として歴史を順番に辿っていってようやく、

あれ?ちょっと最近の絵は雑な部分があるんかな?

と、かすかに気づくレベルの変化だ。

いやあ本当にすごいおじいちゃんだと思う。

これでいてとりたてて絵の勉強をしたわけでもなくアニメーター師匠がいるわけでもなくほぼ独学我流であるという事実

宮崎駿ですらデッサン教室に通っていたエピソードとかがあるというのに……。

そういう人が自分には創作で食っていく才能なんて無いと一度は見切りをつけているというのも恐ろしい。

一度就職した会社仕事全然あわなくて、たまたま求人で見た虫プロに応募してくれたからよかったようなもんの、就職した会社での仕事にそれなりに面白みを感じてたら、その後の安彦氏は存在しなかったんだぜ。

やっぱSNSとかなかった頃とかってヤバイよね。

自分が何者か?というのを知ることが出来ないんだから

今の時代なんやかんやいうて恵まれてると思う。

中学の時、朝にパン買って昼に食ってたけど

公立中学で、家から弁当持ってくるスタイル学校だったんだけど

弁当作らない家だったか

通学途中にコンビニパンおにぎり買って昼休みに食べてた

弁当ない子は皆そうしてたと思う、クラスの4割ぐらい?そんなんだった

今考えると衛生的にまずかったんじゃないかあれ

朝に買ったサンドイッチを保冷剤無しで教室に置きっぱ、昼に食べる

クーラーもまだ教室になかったし よく痛まなかったなと思う

でも今の子はどうしてるんだろ

俺の学生時代より気温はかなり上がってるしヤバいんじゃないの?

給食制の学校が増えたとはいえ多分弁当学校もまだあるよね?てか弁当の子ヤバいよね

おじさん心配なっちゃ

2024-07-19

anond:20240719105300

アニメ女子校みたいに「私今日パット盛っちゃったギャハハ」と教室で大声で会話してるのかな

いずれにしろ自分の実寸をひたすら隠す男の低身長の深刻さをかけ離れてるわな

モデルガン趣味教師の話。

教室モデルガンを飾っていた、モデルガン趣味教師

彼は、やがて定年退職し、程なく息を引き取った。

…あの先生はい先生だったよなぁ…。

だが実は、モデルガンはM249、湾岸戦争使用されたミニミ軽機関銃のものだったのだ!

教師が持ち帰った軽機関銃殺傷可能な弾が入ってたことを知る者は誰もいない。

装填されたマガジンは、全校生徒を静かにさせるのに余りある力を持っていた。

しかし結局、悪夢が実現されることはなく、銃は人知れず処分された。

以上が思考実験である

さて。

彼に罪はないのか?

2024-07-18

anond:20240718105619

これはメンズですよ

授業中に教室から顔を出して私に向かって怒鳴る先生がいました。

ヒールの音が廊下に響く」「生徒に色目を使うな」とクレームが...30歳教師が頭をかかえる女教師服装という難問」

敦子さん(仮名・30歳)は、教員歴6年の高校教師。着たいものを着られるようになったのはごく最近だそうだ。

20代の間は、何を着ても批判されるというか、賛否両論に耳を傾けないといけないみたいな感じでした。

新人なのでずっとスーツを着ていた期間ですら『スカート丈が短い』『ヒールの音がうるさい』『髪の色が明るすぎる』などの小言をいわゆるお局様的な50代の先生から指摘され続けました。

『私は別にいいと思うけど、他の先生が気になるっておっしゃってるのよ……』そんな切り口で言われると、気になるし、直さなくてはいけない! と思うので、私はその都度対処してきました」

新人だった敦子さんはお局的女性教員の指摘をすべて聞き入れて、パンツスーツに変え、足元をスニーカーにして、髪は黒く染めた。



「そしたら今度は、40代くらいの女性先生が『教育実習生と見間違ってしまうから、もう少し大人だとわかる感じにすればいいのに』とおっしゃって……」

そう言って笑う敦子さんは、ヒールのせいで怒鳴られたこともある。

「そんなに大きな音は出していなかったと思うのですが、私の足音がコツコツうるさいせいで生徒が授業に集中できないって、授業中に教室から顔を出して私に向かって怒鳴る先生がいました。

学校先生って、結構平気で大人に向かって生徒に言うように怒鳴ったりします。今はそういうことをわかっていますけど、その当時はわからなかったので驚いたしショックでした」

若かりし日の敦子さんの葛藤は続いた。

スーツ学生に見えるし、華美なものは叱られるし、女性らしいものを身につけていると

思春期高校生の前で女っぽくふるまうのはよろしくない』なんてことも言われました。

2024-07-17

今思えば友人は自閉症だったのかもしれない。

 私が中学校の時の友人の話をしよう。名をMという。ガリガリでいつでもワンパンで倒せそうな子供だった。

 Mは体育の授業の持久走では絶対に走らなかった。体育の先生40歳くらいの柔道専門のいかにも強面の人で、いわゆる不良も体育の授業だけは真面目に受けていた。そんな先生相手にMは堂々と絶対に走らないと宣言し、牛歩戦術ばりのダラダラとした歩きを披露した。その光景はその先生を煽っているようにすら感じられた。

「ふざけるなよ!授業をちゃんと受けれないなら正座してろ!」

 体育教師の怒声が飛ぶ。正座のために先生が指さしたのは日陰でもなく太陽が照りつけるコンクリートの上だ。気まずさが辺りを包み込む。みんなの視線を集めているMは無言で歩き出し、当たり前のように正座を始め、グデーと腕を伸ばし体を丸めヨガポーズみたいな格好をした。このポーズは彼がやる気がないことを全力でアピールするために愛用していたものである

 ある日の給食時間中、Mは心無いサッカー部男子に「お前野菜とか食わないでデザートとかの美味しいものしか食べないな」と悪口を言われた。その日以来、給食時間には誰が何と言おうと頑なにあの謎ヨガポーズを取り続け一切給食を食べなくなった。Mのデザートはいつもそのサッカー部男子がありがたく頂戴していたという、胸糞悪い話でもある。

 あの謎ヨガポーズは彼なりの筋の通し方で、精一杯の反抗手段だったのであろう。非暴力・非服従ガンジースタイルで彼はいつも自分の気に入らないこと全てと戦っていた。

 私が中学に入るとクラス剣道経験者がいた。入学したての時に、その子に誘われて軽い気持ち見学にいくと、椅子に座らされて簡単には帰れなくなり、そのままずるずると剣道部に入ることになる。中学1年生の私を思いっきビンタしたい。踏みとどまれよ。何せそれまでの私の人生剣道との接点なんて何もなかったのだ。今思うと中学からいきなり剣道を始める方がどうかしていた。

 そんなこんなで始めた剣道は、いかんせん面白くなかった。野球サッカーバスケなどと違い、剣道は遊びでやっても全く面白くないというとにかく救えないやつだった。暑い臭い、汚いの三拍子そろっていた。

 私は己がはまり込んでしまった剣道という沼に1人でも多く引きずり込みたかった。そして生贄としてMが選ばれた。多少強引とも取れる平和交渉の末に彼は剣道部に入った。小学生ときは家にこもりがちだったMを外の世界に引っ張っていったので、彼の母には大層感謝された。WINWINである

 ある日、Mは、アップの素振り中に、面・胴・小手のリズムで、めん、どう、くせ〜〜と叫びながら竹刀を思いっき空高く放り投げた。Mは竹刀も拾わずそのまま部室に駆け込むと、周りの静止も聞かず、着替えてそのまま帰ってしまった。我慢限界だったのだろう。そのまま自然な流れでMは剣道部をやめた。1年持たなかったが、今思い返すとよく耐えた方である顧問4段、副顧問3段というガチ剣道指導者に囲まれた当時の私たちには逃げ場などなかった。中学から部活に入りそれまでまともな運動習慣がなかったMにとって、あの環境での練習に耐え忍ぶことは、想像を絶するほどのストレスだったのだろう。

 生贄はいなくなったが私は結局3年間剣道に捕らわれたままで、高校になったら絶対に辞めてやるとのモチベーションだけで最後までやり遂げた。

 Mが剣道部をやめても変わらず私はMと友達であった。

 

 Mには逃亡癖があった。自転車で実際に校外に出たのは1回や2回ではなく、駐輪場教員友達に捕まった未遂まで含めると1年で10回を上回る。駐輪場で確保された後に、教室に連れていこうとすると、自転車のチェーン式の鍵を持ち出して、近くの柱にズボンベルトと絡み合わせて己の体を固定させて、「動けない〜〜」と手足をバタつかせてみんなを呆れさせた。自転車学校からの脱走に成功したとしても、親の許可も得てないので家には帰れないし、インドアを極め煙草などの非行にも縁もゆかりもないMにいく場所などなかった。

 Mは遊戯王にハマっていた。カードでも遊んでいたが、何より当時放送されていた遊戯王5DSというアニメにハマっていた。

遊戯王アニメって所詮カードを売るためのでっかいCMだろ」

 と私がMに話した時、Mは口をパクパクさせて抗議の意をしめしてきた。私の失言癖は今も変わらないが、己の無配慮に今更ながら申し訳なく思っている。

 Mは遊戯王5DSの敵キャラ・鬼柳京介(きりゅう きょうすけ)から大きな影響を受けており、中学2年生の一時期は事あるごとにこのキャラの口癖である「満足できないぜ」を連発していた。清々しいまでの中2病だ。当時の私はというと、Mが何か変な行動を起こすたびに、同じアニメクロノス教授の真似をして、「ドロップアウトボーイなの〜ね!」と煽っていた。性格の悪い中2病だ。

 

 Mは持ち前の地頭の良さを屁理屈しか使わないので、学校の成績は壊滅的だったが、そこをイジるといつも半笑いちょっと怒っていた。普通に学校生活が送れないという意味では、リアルガチドロップアウトボーイであったMの言動は私を退屈させなかった。だからこそMと友達だった。酷い友情の形もあったものである

 

 不器用で要領悪いが自分を貫くMの姿に好感を持てた。多くの人が眉をしかめるMの言動も私は常に面白がっていた。

 あの頃の私はM君係として周りに認識されていた。1年こそ違うクラスだがその実績が認められ、当然のように2. 3年生の時Mと私は同じクラスであった。奇行が目立ち何かと周りから浮きがちなMに対して、私は特別扱いして諦めずに、失礼なこともいう対等な友達として接した。

 なぜここまで詳細にMのことを覚えているかというと、それは彼と過ごした中学生活がかけがえのない色褪せないものであるからというのももちろんあるが、正直に話すと、今の私が中学校特別支援学級担任からである

 特別支援学級にはMのような子が大勢いる。Mの特徴は自閉症に当てはまるのだ。今ならMはおそらく自閉症の診断名がつき支援学級に在籍しているだろうが、15年ほど前にそんなクラス存在しなかった。ただ変わった子が教室にいつも普通にいて、私はその子の世話係的な役割だった。

 巡り巡って今の私は中学生の自分と同じことをしている。

 教員になって特別支援クラス担当してから、私は再び彼に出会う。

2024-07-15

anond:20240715111522

富裕層の多いエリアに住んでるけど、近所のキッズ向け英語教室が潰れたわ

やっぱ頭のいい人は子供に何を学習させるべきかわかってるわ

2024-07-14

子供を産まない女を叩く子持ち女ってさ

みんな教室の隅にいたような女ばっかりだな

"母親"になれて嬉しいんだろうね

やっと自分を虐げてきたカースト上位の女どもに反撃できる立場になれたか

anond:20240713214802

清潔感って「ブス」への復讐だと思ってる。

女の子は誰だって幼い頃から可愛い・ブスの評価軸をインプットされてきた。

スカート履いただけでクラス男子からクスクス笑われたり。

何となく外を歩いてるだけで、赤の他人からブス!のような罵声を浴びせられる。

そういう理不尽の反対側に、お姫様とかアイドルとか、キラキラ輝いた肯定感があって。

定規の上。

子どもから大人まで、クラスの中でも家庭でも教室の外でも。清潔感からは降りられない。

いつ何時でも、女は「ブス - キレイ」定規の上に並べられるのが当然の性別、って理不尽を負わされてきた。

でも現代

いままで人間扱いされてこなかったぶん、性別関係なく* 同じ目線を男にだって向けてやる。男女平等の世の中ですからね。男の人たちが清潔感を獲得しようと慣れないメイク毎日手こずって、生きづらさを感じて、いまさら後悔したって、もう遅い。・・・これが清潔感の正体だと思ってる。個人的には。

anond:20240714020527

文字で書かれると終わり具合がエグいね

ジェンダーレスマンガ時代は遠い

育児教室で「女の子の育て方」「男の子の育て方」に分けてたら炎上するでしょうに

男の子向けの漫画とか言う現在進行形オーパーツ

2024-07-13

anond:20240713094706

>『炎上しない方法』を授業で教えるべきだと思う。

慧眼だね…。

それはマジにやるべきだよ。

掲げてる政党があったら推しいくらいだ。

もっと前にやってれば日本ネットは、今みたいに、どんどん歪んでくることはなかった。

ネット全体が逃げ場のない教室のような、鬱屈した空気が広がってる現状にウンザリしてる。

誰かの失点に常に注意を払っていて、何かやらかしたら大の大人たちが数千数万人でイジメを開始するいまの状況は、人間のあり方として正しいとは思えない。

2024-07-11

ALI PROJECTについての備忘録(7月7日に寄せて)

初めに書いておくと、まあまあ長い。

要約すると、「アリカ様が変なことで炎上しませんように。殿とアリカ様が生涯を終える時に少しでも"アリプロを組んで良かった"と思えますように」というどこの誰の何目線なんだという七夕祈りだ。

去る7月7日、「ALI PROJECT TOUR 2024〜お見かけ通りの若輩者です。」東京公演に行ってきた。

セットリスト衣装演出など、ライブの"内容"に関することについては来る7月15日大阪公演が終わるまで箝口令が敷かれているためここでは言及しない。

あくまでも、ALI PROJECT(以下、アリプロ)についての話をする。アリプロについて、というよりはアリプロ作詞家ボーカルである宝野アリカ(以下、宝野女史)という人についての話なのかもしれない。

宝野女史は良くも悪くも「温室育ちのお嬢さんがそのまま大人になったようなひと」だと思う。自分気持ちに素直で無邪気で、だからこそ他人気持ちを慮らないように振る舞うところがある。…ように感じることがある。

時折、彼女品性人格を疑うことすらあるし、言動思想については賛同することも許容することもできない部分がどうしてもある。何についてのことかはきっと察する人は察せられるだろう。

けれど、私は彼女が書く詞と彼女歌声が好きで、彼女が「宝野アリカ」を演じ続けていることが好きだ。彼女が描くアリプロ世界観が好きだ。

宝野女史は「宝野アリカ」として生き続けて、「宝野アリカを慕うファン」に囲まれて、どんどん世界を閉じていってしまったのではないか最近思うようになってしまった。

多分私は「宝野アリカ個人ではなく、「アリプロ宝野アリカ」が好きなんだと思う。

私は普段は宝野女史のことを「アリカ様」と、下の名前に様付けで呼ぶ。彼女への敬意もあるが、いつからか最早このひとにこれ以上ふさわしい呼び方は無いと思うようになったので、こう呼んでいる。敬称というよりはからかい混じりの愛称として使っている。

6月リリースされたオリジナルアルバム『若輩者』と先日のライブ、そしてファンクラブ会報等等のインタビューを呼んで、「ああ、アリプロはこのまま終わるんだろうな」と思ってしまったところがあった。

長年ファンを続けていた者として、新曲の「新しさ」や、これからもやっていこうという本人たちの気概は感じる。

けれど、「令和」の価値観アップデートして「令和の最新になる」という姿勢には無いのではないか、と思った。アリプロは「アリプロの最新だけ」をきっと更新し続けて終わるんだろうなと思ってしまった。

「わかる人に伝われば良い」というのは、作り手のエゴだと思う。ニッチ市場だけを向いた商売の行先はきっと衰滅だ。

宝野女史はいつかのライブMCで、「アリプロの歌は教室の片隅で一人本を読んでいるような子に届けたい」というようなことを言っていた。

その言葉に、私は本当に救われた。人気のアイドルの話ばかりをする同級生の中で(おそらく)ただ一人アリプロを聴いていた十代の頃の私と、いつの間にか大学卒業して社会人という身分になっていた私を、一度に両方抱き締めてもらったように感じた。

救われたから、ずっと応援しようと思った。

ただ、今は、彼女のその姿勢があるいは「アリプロ終焉」の有り様を左右するのではないか不安になっている。

アリプロが好きだ。アリプロの音が、曲が、声が、詞が好きだ。

片倉三起也(以下、片倉氏)の作る曲に宝野女史が書いた詞を歌って描き出されるその世界がとても好きだ。

ロマンティックでドラスティック理想冷笑幻想混沌のような、夢のような世界が好きだ。

ずっと終わらないでいて欲しい。私が死ぬまでずっとアリプロアリプロとして世界存在して、活動を続けていて欲しい。

終わるなら、せめて、みっともない最期ではなくて、華々しく見栄を張り続けたフィナーレであって欲しい。

片倉氏と宝野女史がアリプロとしてメジャーデビューして、2024年7月7日で32周年となったという。

インディーズで「蟻プロジェクト」として活動を始めたのは1985年片倉氏と宝野女史が最初出会ったのは1984年のことらしい(Wikipediaによる)。

40年。ユニットとして活動するには随分と長い年月だと思う。アリプロアリプロとして今日まで活動を続けていて、新たな楽曲を発表し続けているのは本当に奇跡のようなことだと思う。

「作る」だけなら誰にでもできる。

「作って売る」は少し難易度が上がるが、一度目のチャンスを掴める者は大勢いる。

「作って売ることを何度もやり続ける」になると大層難しくなる。個人ではなくユニットであれば尚更だろう。

片倉氏は以前に、「"国宝"というテーマアルバム作ってみたいとも思ったんですが、それをやるのは最後かな」と言っていた。

そう聞いた時は、「そんな終わりを予感させるようなことを言わないでほしい」と思っていた。

今は、「どうか、殿(片倉氏の愛称)とアリカ様が自信をもって出した"国宝"がアリプロのフィナーレとなりますように」と祈っている。

追記

増田が思うような炎上はしないと思う もしもまた一頃のようにアニメタイアップが増えたら有り得なくは無いが」という言及があった。

しかしたら、これが私が抱えている不安の核にいるのかもしれないと思った。

以前よりもタイアップが減って、ファン以外はアリプロ名前を頻繁に出さなくなった現状に対しての悲しみがある。

ただ、再度脚光を浴びる機会があった時に起こるかもしれないことに対しての怯えがある。

ファン向けに内へ閉じて欲しくはない。けれど、令和の今に名が広まって何かが起きるのも恐ろしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん