はてなキーワード: 教室とは
その片隅の、さほど大きくない団地に育った。
団地とともにできた集会所の中に、小さな図書館の分室があった。
学校の教室一つぶんよりも小さいそこに、子供のころ足しげく通った。
児童書コーナーにあった本はおそらく全部読んだと思う。
漢字がわかるようになると、鉄道ファンの積みあがったバックナンバーをひたすらに読み漁った。
身長が伸びてくると、本棚の上の方にあったソノラマ文庫に手が届くようになった。
コバルト文庫やソノラマ文庫の並んだ中に、いつごろかロードス島戦記と風の大陸が入った。
いつしか小さな図書館の蔵書では物足りなくなり、自分で本を買いそろえるようになると、徐々に足は遠のいていった。
やがて団地そのものから引っ越すことになり、最後に行ったのはもう二十年も前になるだろうか。
その分室が、閉鎖されると知らされた。
団地から丘一つ越えた向こうの別の団地にある、大きな図書館がリニューアルされたというのが主な理由。
実際のところは、あの古い団地に人が少なくなっていたのだろう。
私が通った小学校も、もうすぐ統廃合されると人づてに聞いていた。
最終日の今日、いてもたってもいられなくて、車を飛ばして行ってきた。
商店街も半ば消滅していて、子供だけでなく人がいないのだとわかった。
かつて私たちが群がって、キン消しやビックリマン、カードダスを買った駄菓子屋はとっくに閉店していた。
入口を封鎖するように机が立てられて、司書さんが返す本を受け付けるカウンターになっていた。
そこに、子供たちがいた。
司書さんとも顔なじみなのだろう、本を返しに来た幼稚園くらいの子供たちの姿を見た。
見れば図書館の入り口のドアには、近くの保育園の子らから寄せられた寄せ書きが飾られていた。
私が来なくなって二十年以上経ってしまったこの図書館に、通ってくれていた子供たちに、心の中で礼を言った。
ただそこにいて、居続けることができる場所だった。
私にとっては、そういう場所だった。
入れないのは仕方がないが、司書さんにお願いして入口から中を覗かせてもらった。
あの手前にはトーマスが並んでいた。
何十年も前の記憶がひと時に蘇った。
たぶん、私は泣いていたのだと思う。
そこは、私の故郷だった。
いままさに、失われようとする、私の心の故郷だった。
あそこで教えてくれた数々を胸に、今の私がある。
ミシンなんて安いの3万円で買えるし(ただしぬいぐるみ用のファーが入手できるかは別)、
ただし大きいものは布代だけでそれなりにするぞ
よくユーチューバーがワンコインファッション(500円以下の古着)を利用してるけど
素人はかならず型紙おこせよ
おわり
悩むねー。分かるわ。
普通の人ならねー。大卒や一般向けだと、野矢茂樹さんの論理トレーニング。戸田山先生の論文の教室。新井紀子先生のRSTテスト。ってので、ブラッシュアップされるかもなんだろうけれど。。難しいね。
人間によって頭脳の作りが異なっているので、言語機能から攻めるよりは、図解にすると理解しやすいとかあるし。基本的な三段論法とか起承転結みたいなのも、要点を四角□で囲って、を三つか四つ並べて矢印で結んで文の繋がりを考えてみるってことだよなあ。これは、冒頭で例を出した『野矢茂樹さん「論理トレーニング」』って本にもあるので。
コンサルなんかの本での例(安宅和人さんのイシューからはじめよ)だと、雲、雨、傘っていう『雲が出てきた(状況)』ので『雨が降りそう(判断・予測)』だと思い『傘を持って出かける(実行)』って流れを理解するって言うけど。
もう、ホントこれをやれば伸びるってのは分からないので、教えて欲しいところではあるよね。。
偏差値50前後で、知識が足りないとかなら。地道にやるには、漢字検定3級の問題集、小学生向けのコグトレ本(国語・算数)からでもいいかもって思ってる。僕も、たまにやってる。僕も、中学の国語の問題やってもつづかたかったな。
就活で使うような公務員試験やSPIの問題でも、方角と距離を文章から読み取らせる文章題、あるでしょ。ああいう単純なのから始めるとイイかもね。
心理カウンセリングを受けるにも、なんか、話せないとダメ出しされるから凹むしねぇ。WAISやらは、専門の医師やカウンセラーがいるメンタルクリニックへ行けばってやってもらえるはず。
間違えた、雰囲気が違う
みんなお洒落なご飯屋さんに行っては写真を撮り、旅行に行っては写真を撮り、彼女たちのインスタはカラフルに色づいている
高校までずっと教室の端にいた喪女のわたしはどこか彼女たちのことを見下していた、というか、「チャラチャラしやがって」とどこか思っていた
でも練習が始まると彼女たちは私よりもずっと真面目で真剣で、「キラキラダンスサークルに入ればキラキラできるだろう」と思って入部した私のほうがダメなヤツだということが日々突きつけられていき辛かった
ああああ。
間違えた、雰囲気が違う
みんなお洒落なご飯屋さんに行っては写真を撮り、旅行に行っては写真を撮り、彼女たちのインスタはカラフルに色づいている
高校までずっと教室の端にいた喪女のわたしはどこか彼女たちのことを見下していた、というか、「チャラチャラしやがって」とどこか思っていた
でも練習が始まると彼女たちは私よりもずっと真面目で真剣で、「キラキラダンスサークルに入ればキラキラできるだろう」と思って入部した私のほうがダメなヤツだということが日々突きつけられていき辛かった
ああああ。
いや、どこに飾られたか次第
実際いじめっ子達+教室のその他大勢といじめられっ子の明確な力関係があれば
離人症状の出やすい未成年ぐらい物理的な抵抗させずに強○できそうだけど、その場合性的合意の有無によって犯罪として立件できないのは法律の不整備じゃないかと
今年度非常勤教員として1コマもった某大学から来年度も同じ授業を担当してほしいという依頼があったので引き受けた。
その授業は前期開講のもので今年度は当然のようにオンライン授業だったのだが、来年度は教室授業とオンライン授業を選べると言われた。ただし、教室で授業をした場合は授業に出席できない学生のためにオンラインコンテンツによるフォローアップを行なう義務が発生するのだという。そんな条件付きで本務校とはぜんぜん違うところにある大学に行って1コマだけ授業をする物好きはいないわけで、当然のようにオンライン授業を選択した。
では来年度のオンライン授業をどういうふうにやるのがいいだろうか。当然今年度の授業の動画ファイルはすべて残っている。動画ファイルは毎回3本あって、1本は学生からのコメント・質問について答えたり、説明したりしている30分程度のもの。残り2本は講義本編前半と後半で、それぞれ30分程度。ものすごく手抜きをするとしたら、2020年度の講義本編をそのまま21年度授業として提示し、課題としてコメント・質問の提出を求める。それでコメント・質問への応答動画だけ新しく準備して公開するというものである。こうすると、たぶん労力的には3分の1くらいで同じ給料(1ヶ月約3万円、最終的な手取りは約2万円)がもらえる。
はっきりいえば、楽ができるという話なのだが、それは許されるものだろうか。授業内容は1980年頃から始まったある研究分野について、約40年の研究の流れを話していくものである。古い話をするときでも今の学生にもわかるように説明するために時事ネタに頻繁に言及している。21年度の学生も知ってはいるだろうが1年前のネタなので、例示されてもすぐにピンとこないこともあるだろう。それ以上に、「授業の再放送」をメインコンテンツにして手を抜くというのは倫理的にどうなのだろうか。とはいえ、3分の2くらいのところまでは授業内容に本質的な変更もないのに新しく動画を作り直すのも非常にバカらしいような気がする。
もちろん、すでにある講義動画はそのまま使って、時間がなくて話せなかったことを説明する動画を30分ぶんくらい新しく作ってそれを公開するという手もある。でもそうすると授業コンテンツとしては1回あたり120分くらいになるので、「授業負担が大きい」と学生から不満が出るかもしれない。さてどうしたものかな。
ジョーパスからカートローゼンウィンケルとかまで一通り聴いていた
そのうち自分でもやりたくなり、実家に転がってたアコギで基礎から練習し始め、しばらくして景気づけに結構良いギターを買った
結果として全然弾けるようにならなかった
今振り返ると、たぶん「ギターを弾く練習」「曲を弾く練習」をせずに「アドリブの練習」ばっかりしてたから、理屈は頭に入ってもいざ弾こうとすると手が動かないという状態だったんだと思う
ここ三年くらいは完全にギターから離れていたが、部屋の隅のギターがいつも心に痛かった
ジャズなんて老後の趣味にもちょうどいいし、長く付き合っていくんだから、と思って買った30万以上するギター
それもあって全然弾かないのになかなか売却の踏ん切りがつかなかった
しかし昨日ようやく売り払ってやった
これまでいかに不要なストレスを保持し続けていたのかよくわかった
それだけ
文化的なのはたまに都会に行けばいいけど、盲点だったのは田舎は学校での水泳教育がとても弱かったこと
ガチの田舎は学校にプールが無いという話を聞いたことがあります
首都圏にいくつかあるマイナー鉄道駅の一つ、西武池袋線・元加治駅。今どき駅前にコンビニがない。
昔はあったらしいが、近所の高校生の万引き被害が多く、閉店していらい復活していないそうだ。
駅は入間市と飯能市にまたがり、駅舎所在地は入間市。無投票で当選した市長は「元加治駅南口の開設」と、
飯能市にある「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」の観光地化を公約の一つに挙げている。市長就任後に知った。
そう、この駅は北口しかなく、駅南側のあけぼの公園に向かうには北口から降りて線路をぐるりと回る必要がある。
検索したら、この駅周辺の開発に強力に反対する市民がいるそうだ。
以前の藤沢駅・辻堂駅問題であり、新駅設置が決まった村岡新駅への反対にも通じる。
駅が2市にまたがって開発が進まないというも、横浜市と鎌倉市で押し付けあった大船駅周辺の開発と同じ。
大船駅は横浜市側に新たに乗り降りする笠間口を作って、ようやく形になった。
転居したから昨日まで知らなかったけれど、大船駅前の商業施設が完成し、今年2月23日から順次オープンする。
藤沢市は、工場撤退後、辻堂駅前を開発したおかげで、毎年転入者が増えている。
その成功を見て横浜市、鎌倉市はようやく腰を上げ、開発を加速させつつある。
入間市も、隣接する所沢市内各地の再開発の進展を見て、未着手の市西側に目をつけた。
30年もかけず、できるだけ早期に改札口を設置し、保育所や学習教室を核テナントとした駅ビルを誘致するべきだと訴えたいので、ここに書いた。
そもそも新宿・藤沢(辻堂)間、新宿・入間市(元加治)間、日中の所要時間はほぼ同じ。直線距離ならむしろ埼玉のほうが近い。
電車速度が遅いためで、西武線は小田急線を見習い、特急(有料)・快速急行・急行・各駅停車に再編してもらいたい。スピードアップも図ってほしい。
大人気の藤沢、対して、落ち目の横須賀、入間ほか。市が既存住民に忖度し、新たな街づくりを放棄したからだ。
リモートワークでプチ田舎にほど近い郊外に住むなら(津波・地震リスクはノーカウント)、現状、藤沢〜大船間がベスト。湘南の海はすばらしい。
その湘南エリアに入間ICからETC2.0割引適用で片道2050円(新湘南バイパス 藤沢IC)、最短54分で着くらしい。
神奈川・東京市部・埼玉南部まで合併すれば、海なし県は「海あり県」になる。車移動1時間なんて、地方では通常行動の範囲では?
元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います。国語の先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います。
以下、常体で失礼。
・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると
①日本という国家が義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由(教育の制度論)
②上記の上で、古典が選択科目ではない(または高校の教育現場で「選択させられている」)理由
⑤古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)
……などなど。
・しかし、増田氏の質問「古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているものは本来どのようなものか?」という重要な命題を増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。
・質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質・長所・性質・個性・能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である。
子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。
この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育(普通教育)」というものだ。これは「全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人の資質や能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育(高校教育)も同じようなものである。
・そして、ここで注意すべきポイントは「教育に経済的効率という尺度はなじまない」ということである。
これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやすく説明しているので一部引用してみる。
教育のアウトカムを単位時間を区切って計ること(つまり「効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校のときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。
(中略)
これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているからである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのときの教師の言葉の意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分の経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的な連続」として再編集する。必ずそうする。過去の出来事の意味は現在の自分の状態に基づいて、そのつど改訂されるのである。
(中略)
自分が何を学んだかを決定するのは私自身である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由を形成している。
・そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通の教育を提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価でしかない。
・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的なものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である。
・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者や先生が議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資」であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)
・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生の様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。
言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失のリスクを与える」という側面もある。
だから、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。
・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に、古典が思考の根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田が議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由で上記の条件を多く満たしている。
・「自国の古の言葉だから、国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティの形成)
・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)
・人文学研究の基礎体力として(研究者は国家に必要で、大学等で研究を進める際に古典をゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民の知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいときに学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)
・学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩で学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)
・現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)
・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)
・古典籍という膨大な一次情報に各個人がアクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナーな古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)
・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題である。そもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)
・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人が評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典の位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律や情報処理の勉強も大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミングは教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択・優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。
あえてここでポジショントークをするならば、古典を学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的な事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典の分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)
・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分が担任をした生徒(物事の意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。
「今あなたが意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなたの自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなたは世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり、自分の可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」
(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉の意味について話していたらしい。)
これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾の語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾の故事は中一の教科書に載っている)
・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います。自分はなるべく古典の面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習・パターン学習が強くなってしまっている現実には自分もジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深いものがあるのもまた事実。最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。
(少し話題はそれますが、前回の共通テストのエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問のエッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校の進学校の勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問のエッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)
・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野で物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典は仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。
(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強の価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)
それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界を内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います。
・P.S.
これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。
自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分の可能性が消えるという別な問題を生みます。自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白いものを紹介しておきます。
今からでも、古典に関する自分の評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当の先生にもっと面白いものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています。
https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より
↑これを読んで
https://www.koten.net/uji/gen/003/
教室内の同学年の生徒同士にもパワーバランスはあって、スクールカーストとか言われたりしてるけど
力関係を利用して、断れない・抵抗できないいじめられっ子に性的関係を強要したら捕まるの?
ヤバい吹奏楽部とかいうの読んだけど自分がいたとこもなかなかだった
変なルールがとにかくたくさんあって
夏とか日差しを避けて日陰で練習してると楽をするなって怒られたり
休日に部活のために登校して開始時間よりかなり早く着いちゃったから教室で友達と雑談してから
開始時間前に音楽室に行ったらお前早く学校きてたのに何してたんだよって教師に延々説教されたりしたが
こういうルールが全員に適用されるわけではなく普通に部活自体サボってる人間とかもいた
あとOBとかコーチとかやたら部活関係者が多くてよく来るんだけどほとんどが技術的な指導とかするでもなく
一度も顔を合わせたことがなくて知らない関係者でも校内ですれ違った時に挨拶してないと
後コーチの中に名誉なんとかみたいな音楽業界のやたら偉そうな肩書持ってる人がいたけど
その人のことは数えるほどしか見たことなくて生徒の前で何か喋ったり教えたりしてる姿も一度も見たことない
最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代の童貞のノンフィクションだと思ってくれて問題ない。
タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。
当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。
どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。
はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。
まずは思い出話。
高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイトの女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元のオタクだったし、かといって自分の世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロの若者だったら自然だろう。
とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称)進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。
幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。
共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子(男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。
娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達の範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充が高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだが男子校勢には謝っておく)
そうやって、言葉にはしないまま意識だけが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方の自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越しの手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメな健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのときに彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。
親も応援してくれた難関大にカップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルやバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。
そんな距離のまま後期になって、学業もサークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。
試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳のときはプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね。
あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛の対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近の推しコンテンツを布教しあうような関係になったし、それが結構な打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものだから、シンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。
俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係にリソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶は尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。
という風な経験を踏まえると。
「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。
絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。
同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想そのものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。
環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。
「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。
期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。
ただ、何を感じたか――というより「自分の経験のどこに響いたか」は正反対だった。
あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。
やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。
そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」
つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。
俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。
それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。
新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。
また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在ではいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せな現在を過ごしていたから以上に、幸せな過去を大切にできているからだ。パンフレットの一枚目のフレーズに号泣したの、俺だけじゃないだろ。
薄桜鬼もヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOもゆるゆりも麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。
ラジオの映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。
あんな未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。
あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。
それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。
とはいえ。精神に多大なダメージを食らったとはいえ。モラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。
色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。
「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒したときには枯れていく。
別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬も応援もする。けど、俺は違った。
かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。
……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。
「秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?