はてなキーワード: 収束とは
増田「『なるかも』と思ったことは全部飲み込んだほうが良いですよ」
これでいいと思うじゃん?
そしたらどうなったと思う?
相手「じゃあXXXとか◯◯◯みたいのも辞めたほうが良いですかねニチャァ」
これだよ。
増田「どれが駄目かってよりも『駄目かも』と自分が思った時点で、誰かにとってはアウトライン越えてる可能性があるってことですよ」
そういう所がこういう甘ったれた奴らにサンドバッグワンチャンを感じさせるんだぞってことよね。
知らねーよ女子高生のくせに電車に乗るから痴漢されるんだみてーなロジックとか知ったこっちゃねーよ。
んでまあ相手の回答が。
相手「増田さんってもしかして僕のこと馬鹿だと思ってます?同じこと2回言いましたよね。傷ついちゃったな―ハラスメントだーニッチャニッチャ」
もうね。
無理。
アンガーマネジメントで6秒✕Nして耐えるしかないって奴ですね。
増田「それは直球のハラハラですね。ハラスメント・ハラスメント」
相手「そんな言葉も知らないと思ってるんだ。やっぱり馬鹿にしてる。不愉快ですね」←ここで突然目がマジギレになって本当に怖かった
結局、モンスターとの遭遇率って幼稚園だろうが会社だろうがそこまで変わらんのでしょうね。
躾けられる痛みを覚えたモンスターがたまにいても、痛みを忘れたらモンスターに戻っちゃうからある程度減らしても最終的にはそこそこの値に収束しちゃうんだろうな。
そういうのはカッコいい男を前提しているのであってチンコと目玉と口があるからといってブサイクはイケメンと同じ生物にはなりえないぞ
仮にブサイクがイケメンの真似事をしても男版ビューティー田村にしかならない
ただしイケメンがイケメンの真似をすればただのイケメンに収束する
萌え絵の消費者層がキモオタだから萌え絵が嫌われるは事実すぎるから笑ったけど(確認したけどこの人もオタクではある、その上でこういうツイートをしているのでリベラル系オタクって奴だ)
ただ、こういう論法の裏で、オタクだけが差別的で、普通の日本人はそうではありませんよっていうムーブしてる奴がいるのもキモくはある
前に「オタクが何故ネトウヨになってしまうのか?」って言ってた増田の時も思ったんだけど
現実的には非オタクというか、絵画好きにも、クラシック好きにもキモい奴というか、ノンポリという名の保守、差別的な野郎共ってわんさかいるはずというか、いるんだよな
絵画にトマトスープぶっかけて壁に手を貼り付けた活動家を罵った絵画好きっていっぱいいたし
消費者層が上品なインテリ集団だったら萌え絵はキモがられないってのも、その上品なインテリ集団って何を想定してるのかがちょっとわからなくはある
昨今では差別する奴は頭の良し悪しの問題にすることは反差別内で咎められる行為だし
上品だろうがインテリだろうが、差別してたら台無しだし(差別するのが下品、インテリではないとして結局頭の良し悪しの問題にする事の問題に収束する)
あとは自分は他のオタクとは違うんですよ~って感じでこの論法を利用しているであろうリベラル系オタクが、ばりばりトランス差別してるとかもあるある(引用ツイートの人は違うだろうけど)
https://anond.hatelabo.jp/20230519002016
動物福祉関係者の意見を見ていると、競馬は他の動物産業に比べると動物に対する扱いが手厚いので意外と比較的好意的だったりする。
ただ、あくまで「比較的」に過ぎないので、動物実験や畜産が「地獄に堕ちろ」レベルだとしたら競馬は「死ね」レベルという程度で、もちろん基本的なスタンスとしては「競馬は動物虐待。さっさとやめろ」である。
かれらにとって動物虐待とは程度問題ではない。動物から搾取し、動物を害するすべての行為が絶対的な悪だ。
ヴィーガニズム、というとベジタリアンと同一視する人も多いが、こうしたいかなる形においても動物の利用を許されないとする立場を指す。
そういうわけなので、当然動物園にも反対するし、ペットを飼うことにも反対する。
いやいや、人間の管理下へ入ることが直ちに動物の不幸にはなんないでしょ? という人もいるかもしれない。
たしかに、人間の飼育下にいる動物はまともに飼われればだいたい野生より寿命は伸びる。餌も野生環境では考えられないほど質的にも量的にも安定して供給されるし、病気や怪我のときも治療してもらえる。天敵もいない。
しかし、室内で飼われるペットは多大なストレスに苛まされている。アメリカの一軒家レベルでも犬が本来ストレスフリーに動き回れる環境としては全然足りない。いわんや日本では(サラブレッドだけは飼育下でも広い原っぱで走り回れる例外的な存在だったりする)。
そもそも犬はちょっとヤバいレベルで遺伝子的にいじられている。耳や骨格が奇形レベルに変形した結果、その特有の病気を抱えている犬種も多い。
特にパグやフレンチブルドッグといった短頭種はすごい。頭がでかすぎるせいで出産時に母犬の産道を通れない。なので、出産時にはほぼ帝王切開になる。
人の手を借りないと出産すらできないわけ。そのへんはインブリードを繰り返した結果、ガラスの脚と喩えられるほど折れやすくなったサラブレッドとかもいっしょなんだけど。
ちなみに仮に人類が今すぐいなくなったら、パグみたいな犬種は滅んで、犬たちの多様性はどんどん先細っていき、交雑のすえに野犬やディンゴみたいな見た目に収束していくだろうと考えられているらしい。
つまり、なんだね、動物虐待といいだせば動物にまつわること全部虐待なわけ。
だから、矛盾を抱えているのは競馬関係者や競馬ファンだけじゃない。おれたちみんなそう。
ペット買ってなくても肉は食うだろう。
肉は食わない人でも化粧品は使うだろうし、病気にかかれば薬の世話になるだろう。
ガチャが渋いってのはわかってないな、原神とか触れてないクチだろ? 世界的に受け入れられてるあのゲームとガチャアルゴリズムは同じだよ。
日本ソシャゲの「引けるかも」で射幸心煽ってギャンブル中毒に誘導するガチャゲーとは根本的に設計思想が違うんだよ。
最近の中華ゲーはな、基礎率をめちゃくちゃ低くして最低保証付近でしか排出しない(天井付近で確率上昇していく)仕組みにすることで、ランダム性が低い、運に左右されないガチャになってるわけ。
ガチャのふりをした定量配布システムとも言えるな。星4はたいてい9連目か10連目にしか出ないし、星5は75~85連あたりで出る。それ以外はほんと稀だからそもそも期待しなくなるわけ。
だから掛けたお金のぶんだけ確実に充実するし、多少運でバラついてもかなり収束しやすい。
天井カウントも引き継がれるから爆死した(=石が無駄に消えた)という感覚も生まない、ヤケクソ追い課金みたいなのも仕組みを理解してれば起こらない(予算が推定できる)。
無課金微課金でも計画的に天井タイミングを調節すれば狙ったのを取りにいける。
月1体くらい確保狙う程度なら子どものお小遣いレベルでいける。めちゃくちゃ良心的で健全なんだよ。
その代わり配布しない。国産の射幸性高いガチャだと石バラマキしてヤクの売人ムーブして中毒になるカモを増やすキャンペーンを(ハニバとか妙な時期を作り出してまで)頻繁に展開する必要があるが、
設計思想が健全だからこそ無駄にバラマキもせず、一見渋く見えるが課金した人が後悔しないいつでも気持ちよく課金できる仕組みになってるわけ。
戦争とは何んなのか?
戦闘機が編隊を組んで飛行し、
戦車や歩兵が都市中央でパレードを行うというイメージが大半である。
「機動戦士ガンダム」シリーズはロボットである以前に戦争である
初代リアタイ時に今までのアニメとは違う当時としては類にもないシリアスな空気が漂い「乗りたくないロボット」とも言われた
やがてそのガンダムは「乗りたいロボット」へとユーザーの考えが変わっていった…
2013年のヴァルヴレイヴ、2014年のクロスアンジュ、そして2015~2017年にのガンダム鉄血
サンライズは「乗りたくないロボット」として描くリアルロボットを標榜した。
連邦がジオン支配者であるザビ家を葬るために発案した、いわゆる破壊のための炎である。
『ガンダム』が冷蔵庫やスーパーマーケットとして発案されることはあってはならないと言ってた。
武器は強力だがあえて緊急用として搭載されている。
AGEやGレコ、鉄血で新たな道を探ることになった
「ヴェイガンを破壊する」「ヴェイガンの真意を確めようとする」「ヴェイガンとの戦争を終わらせる」とのコンセプトで生まれた
(本物の戦争にラスボスなどいないという事、そしてエネルギー問題)
そして鉄血
鉄血世界での前史では
モビルアーマーという危険兵器から市民を守るためにガンダムが誕生した
ロボット戦や白兵戦以外でのロボット乗りの最期は過去にも複数あった
バクシンガーでは仲間の一人が暗殺されたためバクシンガーへの合体不可能になり量産型バクシンガーで戦う事になり、
強力な機体に乗った強くて悪いボスを出すためだ
だが鉄血での40話以降は「弾丸と血へどが飛び交う新アニメーションに覚醒した!」との好意的な声がある一方
「ガエリオへの優遇により終盤はシリアス展開というよりも別のコンセプトになっている」との意見も見られた
制作主導者の最終回後のインタビューも経済団体やネットでの一部勢力を恐れて混沌とした内容が多いのが寂しい
はっきりミサイル問題や労働問題などについてみんなに考えて欲しかったと言うべきだったのだ
さらに私の確認していないロボット関連クラスタの中にはMS乗りの素質があったオルガやMS乗りのラフタが暗殺という形で最期を遂げた事に不満を持つものあるらしい…
ちなみに
数年前に薬のことでまとめサイトが炎上しました。そのサイト名を教えてください
↓
回答を生成しています…
薬のことでまとめサイトが炎上したというのは、2016年に起きた「薬剤師あるある」という記事が原因のものでしょうか。1 その場合、炎上したまとめサイトの名前はNAVERまとめです。2
この記事は、薬剤師が仕事中に遭遇する様々な出来事をネタにしたものでしたが、内容が薬剤師や患者に対して不適切だと批判されました。2 例えば、「薬を飲み忘れたり飲み方を間違えたりする患者」や「薬局に来るだけで治ると思っている患者」などが挙げられていました。2
この記事に対して、ツイッターやブログなどで多くの人が炎上の種を拡散し、一部のヘビーユーザーが何度も書き込みを繰り返しました。2 また、まとめサイトやネットメディアがこの問題を取り上げ、最終的にはマスメディアも報道することで、炎上は社会的な影響を及ぼしました。2
この炎上によって、NAVERまとめは謝罪文を掲載し、記事を削除しました。2 しかし、その後も同様の記事が他のまとめサイトに掲載されたり、薬剤師や患者への中傷が続いたりするなど、問題は収束しませんでした。2
このように、ネット炎上は非常に深刻な被害をもたらす現象です。被害を防ぐためには、ネット上での発言や行動に注意することや、冷静な対応を心がけることが必要です。
Naverまとめが同時期に炎上してたことは確かだがこんな内容ではない。提示された詳細情報ページには「Naverまとめ」という文字も「薬剤師」という文字もなく、デタラメに使われているだけ。
詳細情報:
1. www3.nhk.or.jp 追跡!“ネット炎上“ |NHK NEWS WEB https://www3.nhk.or.jp/news/special/enjyou/
2. business.nikkei.com ネット炎上、仕掛け人「0.5%」の正体:日経ビジネス電子版 https://business.nikkei.com/atcl/report/16/120900091/121200003/
3. comnico.jp 【SNS炎上最新情報】2022年に起きた炎上件数・言及数まとめ https://www.comnico.jp/we-love-social/snsriscranking_2022
ここひと月ぐらいのコロナ収束ムードでの企業の対応にいろいろ違和感がある。例えば星野リゾートの従業員がマスク外しておもてなししますとか、ANAの消毒液を撤去しますとかそう言うやつ。
ホテルの受付のひとに笑顔で接客されたいってのは分からなくもないけど、調理場のスタッフやのどの調子が悪い人はマスクできる方が健全だと思うし、空港の消毒液なんてアルコール補充だけのわずかなコストで衛生的になるわけで止める合理的な理由がないと思うのだ。
なんていうか、『コロナ禍でアップデートされた衛生観念を過去に戻す』的な違和感と言えばいいだろうか?
身近なところで例えると、過去には大目に見られていたシートベルトをせずに車を運転したり、ヘルメットをかぶらずにバイクに乗ったりとかそういう悪習を元に戻すような気持ち悪さとでもいうような。
同じように思っている人結構多いんじゃなかろかね?
言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である。
5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHOの緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。
自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。
台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級。世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント。
何気ない国際ニュースのひとつとして武漢の新型肺炎(当時は肺炎がフォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースがカットインされる、まさにスリラー映画やSF漫画の導入にありそうなシークエンス。
年を越して2020年、武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARSや新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮は限定的な影響で終息すると考えていたと思う。
「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬、中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりからと記憶している。
マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。
日常がじわじわと崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。
自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言。生活のすべてが自宅に集約されることになった。
幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。
とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルでPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。
仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonやヨドバシでアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。
通勤という概念の消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯。カメラオフのオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。
通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。
この三年間、世界はコロナを中心に回っていた。政治や経済は当然のこと、社会活動や家族の営み、個人の価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。
コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触が絶対悪となった。
他人との物理的な接触、特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。
飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。
全国民に微妙にサイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。
公衆衛生と経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラートで東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応は国民の共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。
毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。
他にも、欧米諸国での大混乱や中国のゼロコロナ政策を対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。
無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。
ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。
それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。
やだよやだよおおおwwwwコロナが収束するなんてやーだよーんwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
せっかく多くの人に苦しみを味わってもらえるチャンスなのに
無くなってほしくなんてないね
方針A とにかく薄く広げて人類全体のインフレ率がそのまま自分の貯蓄に掛かかるのを目指す
方針B 浮き沈みを見極めて市場から金を抜く(他人にババを押し付ける)ゲームに参加する
投資戦略って色々あるように言われてるけど、結局はこのAとBの割合をどうするかにすぎない。
A・Bは生々しい言い方をすれば「ギャンブルに参加せず確率を収束させるか」「ギャンブルに参加して買ったタイミングで手を引く」ということになる。
方針Aはよく言われる「素人は長期でダラダラ握って世界のインフレ率に乗っかりなさい」ある。
投資はヤバイ値崩れが起きない限りはプラスサムゲームの様相を呈するので、そのゲームの中で確率を収束させることが出来れば、還元率(インフレする限り100%以上となる)通りに資金が増えるわけである。
ミクロで浮き沈みがあっても細かく分散させまくれば最終的にはマクロの利益をそのまま貰えるはずであるという理論だ。
これは安全策を取れるだけでなく最低限の勉強さえすれば、あとは覚悟もやる気も手間も要らないというメリットがある。
利子の大きい銀行に預けるのと同じ感覚で投資が可能であり、タイパは極めて良い。
よっぽど世界的に現ナマの価値が高騰してるとかじゃないなら、やらないと基本的に損だ。
方針Bは極端な話が安く買って高く売るゲームで世界中のプレイヤーと対戦するギャンブルだ。
トレーダーといった人種はこのギャンブルした結果の取り分で食っているわけだ(リスクを軽減するために方針Aを混ぜてはいるが、トレーダーにとってのそれは車のブレーキのようなものでまずアクセルがあって加速するからブレーキが必要になるという関係である)。
このギャンブルには当然のようにカモがいる。
株式市場に参加した全員が強制的にこのテーブルにつかされ、その中にいるのは投資家だけでなく、経営者も含まれる。
たとえば株式を公開するということが、こうしたギャンブラー達が転がすための種にされるということを意味している。
会社が得た利益が株価に反映される横で、その価値の変化が賭けの対象にされている。
投資戦略において最初に考えるべきはこの割合だし、最終的に考えることもこのバランスをどうするかだ。
投資に神経を削られることをコスパが悪いと感じるなら方針Aを目指すべきだし、投資で大きな利益を得たり市場についての肌感覚を得たいなら方針Bの濃度を高めていけばいい。
基本的すぎると感じるのか、それともこんな話してもドヤ顔でろくろを回せないからか初心者に凍死の話をするときに皆この話をすっ飛ばしているように思う。
多くは「投資はギャンブルではない」の一言で誤魔化すが、それは違う。
「投資はプラスサムゲームだ。それを収束させることを目指すか、収束させないことを目指すかによって、それがギャンブルとしての側面を持つかどうかが変わる」が答だろう。
次にお前は「『方針C 配当目当てで株主になる』が抜けている。やり直し」と言う。
じゃあお前がやってくれ。