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2020-06-02

anond:20200601113826

フン、礼には及ばん。

だが忘れるでないぞ。マックに限らず、「ハッシュド」などという英語存在せん。

学校で習ったであろう。無声音過去形はト。ドにはならん。

さらに、あのフードは英語では過去形にすらせん

簡略化されてhash brownsが最もポピュラー呼称

まりハッシュポテトというのは和製英語なのだ意味は通じるが。

それをマック日本語風にした時、brown→ポテトは譲ったが、hashの部分は譲らなかった。

そういうことだ。

ちなみに全部wikipedia受け売りだ。俺はそういう男。覚えておくがよい。

2020-05-20

なぜ早く入力しなければいけないの?

anond:20200519200517

親指シフトdisられていて悲しい。自分親指シフトを使っているのはたまたまワープロで覚えたからで、他人に無理に勧めたりしていない。親指シフトユーザーが全員「なぜVimを使わないのか!」みたいな勢いで布教しようとしているわけではないよ。

自分タイピング別に早くないし打ち間違いも多い。でも親指シフト自分に合っていると思うから使っている。JIS配列の「:」キー親指シフトではBackSpaceなので、打ち間違えてもすぐ戻れるのも気軽にミスタイプできる一因かもしれない。

親指シフトメリットで「入力が早い」ばかりが注目されてしまったぶん、「別に早くないじゃん」と言われてしまいがちなのかもしれない。

「今から人に勧めるべきでない」は自分も賛成で、親指シフトは将来がある入力方法ではない。キーボードの自作ポピュラーになったか親指シフトが使えなくなくなることはないだろうが、喫煙者のように新規参入者が減っていって、いつかユーザーが全員死んで終わるんだろう。自分死ぬまで使い続けるつもり。

2020-05-19

最近ずっとゲームしててTwitterすらみてないオタクオタクじゃなかった

鬼滅の刃話題を敏感にキャッチして追っていなきゃオタクじゃないっていわれた オタク失格らしい

重ねていうとVtuber追ってないことについても言われた

アニメかぐや様とかプリコネみてないかオタクじゃないってさ

 

別にオタク自称したこともないし周りからゲーオタ、キモオタ最近だとチー牛いわれまくって「まぁオタクなんやろな…」程度に思ってたけど

なんかちょっとショックだったね 居心地よかったんだろうね 周りに振り回されないオタクって属性

オタクってもう完全にロウ側なんだなって思った 属してない奴は排除世界 全体主義 ポピュラー信仰

 

カオス側の俺はもう駄目だ ただの陰キャとしていつまでもいつまでもオンラインゲームするだけの日々

案外楽しかったよ今のチーム ゲームの話合う人多かったし

まぁオタクじゃないってしれてよかったよ これからオタクって言われても「どうもオタクじゃないらしいっすよ」って言える根拠になるし

2020-05-16

今晩は刺身だ。しか刺身として食すのはとても珍しい魚だ。その魚自体はよく食べられるポピュラーものだが・・そろそろお風呂かな?ゆっくり入ろう。

2020-04-28

保健所疲弊をなんとかすることと平民の命を守ること

コロナかなと思ったらまずは保健所相談することになってるらしいです。その相談対応保健所疲弊してるんですって。たくさんくるから職員の心身が心配です。

多少の発熱なら自宅で様子みてね、医療機関は紹介できないよ、って保健所対応するらしいです。保健所の人はマジメで上の指示をよく聞くから

で、マジメな発熱者はちゃんと自宅で待機様子見。で、急変して死んでしまうことが起きてるんですって。

みんなマジメだから起こる悲劇だね。

ならは、もっとフリーコロナ検査受けられるようにしたらどうでしょうか。保健所相談せずとも専用の発熱外来病院を作る。ウォークスルーとかドライブスルー方式とか言って海外ではそういうのもポピュラーらしいです。

日本自由検査や診察が受けられれば、平民安心だし保健所負担も軽くなると思うんです。

無症状の大臣検査をうけても批判されなくなりますよ。

陣頭指揮をとる大臣がまずは検査をうけ安心して業務遂行できるのですから検査は意義があるのでしょう。

よく聞く「検査をしたからといって良くなるわけではないんだぞ」という検査受けるな派の意見大臣によって間接的に却下されました。

健康保険国民義務保険料私も払ってるよ。あなたも払ってるでしょ。保険料は高いけど高福祉のいい国だなって思ってました。日本人で良かったなて思ってたよ。アメリカ国民保険じゃないからね、なんて人ごとのようにニュースでやってたけど、皆保険日本医療を受けられない矛盾

時期です。

2020-03-24

anond:20200323084726

ドラマだってポピュラーではあるがのめり込んでしまえばクソナー

古畑任三郎とかTRICKとかハイローとか半沢直樹とか、コンフィデンスマンJP…は多分髭男が受けてるだけだろ多分

2020-03-19

anond:20200319212741

それは逆に底の浅い変な人感が出るな。

どこからそんなイメージが湧いてくるのかは謎だけど。

  

追記

分かった。

上等は上等にしても、よく知っててポピュラーな店だから

庶民が精一杯頑張って考えた貧相な贅沢ってイメージが出てくるんだ。

2020-02-27

anond:20200227082640

いや羅漢という単語は縁遠くても「羅」自体ポピュラー漢字やろ

逆に「罹」は羅よりも目にする頻度は少ない。

当たり前の話やろ。

2020-02-23

オタクラブライバーが言うべきは「性的なんかじゃない」ではない

俺は表現規制には元々反対で、ゾーニングすら好まない立場だ。

だが今回の西浦みかん大使イラストが叩かれた時のオタクラブライバーたちの反応は、決して俺が期待していた通りの反応ばかりでは無かった。

「これのどこが性的なんだ、そんな描写はどこにもない」という趣旨の反発の声が少なから存在しており、その一点張りなのだ

しかしこれは非常にぜい弱な論の立て方だ。

私見を述べさせてもらうと、あのイラスト高海千歌キャラ名前)の描写で用いられているスカート中央部の影はボディーラインを強調するための技法であり、「セクシーに見せるためのもの」でしか無いのだ。

あれはスカートが太ももやお尻・股間のあたりに密着してるかのような印象を与えるのでキャラセクシーに見せる技法としてはわりとポピュラーものだ。

写実的に誤っているかどうかはこのアート世界では重要ではない。事実アートとしてこの表現技法が優れている事は今回のフェミ方面の反応からしても明白である効果があるのだ。

これはここ1020年以内に生まれ技法のはずだと俺は見ている。発祥アニメ方面ではなくギャルゲ方面なのではないだろうか。

ただし、ラブライブに限らずプリキュアセーラームーンでもコナンでも何でも良いのだが、ああしたアニメで用いられている塗りはいわゆる「アニメ塗り」と呼ばれるものなので、極度にデフォルメすることを求められるアニメ塗りの世界でそれをやるのはちょっとした技術的挑戦だと俺は思うのだ。

人体のみならず影すらデフォルメされるアニメ絵において、グラデーションという概念殆ど無いのである。むしろ影の濃度に3~4パターンもあるのは丁寧な部類と言えるのだが、ギャルゲは元々そういう複雑な描写でやってきたジャンルなのでスカートにボディラインを強調させる技法比較的容易だと言えるのだ。

だけどラブライブ場合はそうはいかない。1パターンの影であれを表現しようとする場合必然的高海千歌のあのスカートのような影になるはずだ。もう少し影を分散させればまた話は違ったかもしれないが、それはアニメ塗りの文法としては美しく無いものになってしまうためあれで押し通したのかもしれないのだ。

(「透けている!!」という反応があったのは俺もぶったまげたが)

いずれにせよあれはアニメ塗りの世界ギャルゲ技法を取り入れようとした技術的挑戦の産物だと俺は思ってる。製作者はキャラセクシーに見せるためにあれを描いたのだ。オタクラブライバーイラスト界隈のそうしたトレンドを知った上で、今回はあれを性的だと認めよう。

俺が言いたいのは、オタクラブライバーが取るべきは「性的ではない」という論ではなく「性的かもしれないが深刻な実害が無い・予想されない以上は潰すな」という論で統一するべきだという事だ。

そこまでムキになって性的ではないと強弁すればするほど不安になる。それってそいつは「性的であれば潰されても仕方ない」って考えてるかもしれないってことよね?

それでは表現を潰したがっている連中には絶対に立ち向かえないのだ。

これは何もエロに限らないよ。BLでも暴力表現でも差別表現でも同じ事が言えるよ。「バイオレンスだが潰すな」「差別表現だが潰すな」が言えないとダメなんだ。そうでないと必ず「市民」や為政者の餌食になるよ。

ハンバーグって収益率が高く、老人や子供のような咀嚼力の低い客でも食べやすい、

かなり飲食店向きの料理なのに、日本以外だとイマイチポピュラーになれないのはなぜ?

合理的に考えて、世界中飲食店が主力商品位置付けてもおかしくないぐらいのポテンシャルあると思う。

2020-02-18

戦いを求める戦士達へ

今どき宇崎やラブライブよりも有害ものはいくらでもある。

その1つが国産ソシャゲアプリゲームだ。

このゲーム女性キャラほとんどは露出度が極めて高い。

胸か脚のどちらかは必ず露出する。場合によっては腹と尻も出す。つまりほぼ裸。

無意味な乳揺れも多い。

どいつもこいつも同じように「敵と戦う」という設定だが、そんな装備で大丈夫かというくらいの軽装である

寒冷地ステージなら寒くないのだろうかと心配になる。

しかもこれらはゾーニングされていない。

全年齢が触れられる、子供にも人気のゲームだ。

宇崎ラブライブよりもポピュラー簡単アクセスできる。

たまに家庭用ゲーム機用のソフトが出ると同じキャラ露出度が低くなるように修正されていることからも、アプリの段階でエロいのは明らかだ。

制作者が性的表現配慮どころか積極的エロくしている。その方が儲かるから

やりすぎるとアップルに弾かれるがまだまだ規準はゆるいようだ。

子供達がこれらのゲーム原体験とすることで女性蔑視の考えを強く抱くようになったらどうするんですかね。

そんなわけでアプリゲーはフェミオタク戦争の場に適していると思うのだが、あまりに強大だから手を出さないのか?

2020-02-03

anond:20200203154056

からそう思うのは貴方作品文脈オタク文化理解出来てないからですよ

文脈理解したオタクならあの絵はエロじゃなく”ウザ可愛い”と認識するのがポピュラーです。

2020-02-02

anond:20200202003037

SSRISNRIは服用開始後の嘔気や消化器系の症状がつらいんですよね。飲み始めの副作用は1ヶ月くらいでおさまるんですが、そこまで我慢できず脱落する人もわりといるみたいです。頭痛副作用もわりとポピュラーなんですかね? 最近めっきり精神医療関係情報収集を怠っていて色々忘れてしまってますわ…。

2020-01-31

anond:20200131131927

なんでメロディと、せいぜいコードしかない譜面からパート譜を「創造」する話になってるわけ?

パートきっちり書き込まれクラシックスコアから殴り書きのパート譜起こされたって、読むコストがかかりすぎてまともに演奏できないって話だろ。

ジャズとかポピュラー系の即興性の話にすり替えられても困る。

2020-01-07

ホクホクとジャガイモが美味しいこの増田季節咳出す魔の恋しい男鹿も井がゃ自得北俣(回文

おはようございます

お鍋にジャガイモ入れようとした見たけど、

どれがインカの目覚めなのかわからなくて、

ググったらメイクイーンがグランプリ優勝したので、

とりあえず、

メイクイーンを皮剥いて炊いてみたら

案外煮崩れしてなくて美味しく頂けましたって言われても訳分からないわよね。

要は私は煮崩れしにくいジャガイモを探していて、

髭男でお馴染みの男爵イモやないかーいって思わず言ってしまいそうだったわ。

今まで意外とジャガイモって考えて買ったことがなかったので、

色々とジャガイモに詳しくなったわ。

以前私がお庭で育ててたジャガイモって

そう言えば品種なんだったんだろう?ってすっかり忘れてしまっていて、

でも美味しく蒸かして頂いたってことは覚えているのよ。

そう記憶に残るというより記録に残るジャガイモだったんだなーって。

掘った朝採れジャガイモは、

そりゃ美味しかったわよ。

何かの料理にして食べてやろうかと思ったけど、

シンプルに蒸かしたのが一番美味しかったわ。

北の大地じゃないプランターでもない土の袋にそのままに種芋を植えた、

ちょっと乱暴に聞こえるけど、

ジャガイモ初心者には袋植えはわりとポピュラーな育て方なのよね。

ヒマがあったらそうね、

またジャガイモとか育てて作って煮てさ焼いてさ食ってさ、

そう言うちょっとしたスローフードファーストに手早く作ってみたいところで、

意外と何も考えない、

大雑把な料理でもきっと美味しいに違いないのかなって思うの。

よくさテレビ大自然暮らしている家族が、

我田引水の術を使い、

地消地産の術もあわせて使い、

あれなんだったけ?あの言葉

えーっとあれあれ自給自足

その自給自足自作自演している番組を見ていると、

家族必要な分どれぐらいの畑の広さがあればいいのかしら?って単純に思っちゃうのよね。

うちのベランダだけじゃ、

自分一人分でもまかなえないわ。

多分一食分で消費してしまいそうなジャガイモしか作れないし。

そう考えると農家さんってスゴいなと思うし、

ジャガイモの美味しさをしみじみと味わったら

思うところたくさんあるのよね。

これを機に追いジャガイモしようかしらと、

また鍋に投入しそうよ!

鍋だからって固定概念の塊みたいな具ばかりで構成するあーせいこーせいって鍋の奉行が言いそうな

難しい鍋は誰だって嫌よね。

そんなもの適当に何か旬の食材を何でもかんでも、

ぶち込んじゃって炊いていただく鍋が美味しいんだわって

最近気付いたのよね。

ああこれが本当の鍋の楽しさなんだ!って

でも味はいつもミツカンポン酢に頼っちゃうところがあるから

結局はミツカンポン酢味になってしまうのが

ネックだけど!

そこの味変の変化するナナイロレインボーポン酢があれば、

きっとマヨネーズケチャップを混ぜて作るオーロラソースより

美味しくて鍋やお酒も進んじゃいそうなほどなのかもしれないし、

よくよく考えてみると、

そのポン酢変えてみたらどう?案件濃厚で

いやいや鍋だからってそこに濃厚さは求めてないの、

あっさり目でいいのが好みなんだけど。

あとチャレンジしたいのは鍋からカレーなど

華麗なるジョブチェンジを、って思うの。

でさ細かい話になるけど、

これが一体本当は

ジョブチェンジなのかクラスチェンジなのか問題もなくない?

鍋は鍋なんだからジョブは鍋で

クラスチェンジが鶏鍋やらカレーやらってことになると、

鶏鍋からカレークラスチェンジできるけど、

逆はもう出来ないわよね!?

鍋のジョブは鍋ってことは一緒なんだから

きっとクラスチェンジだと思う。

なんか昔遊んだゲームも新しく訪れた街の武器屋でやっと強力な武器をゲットして、

「早速装備するかい?」なんて武器屋マスター言ってくれるじゃない!

「何かいいことあったんですか?」ってそれは飲み屋マスター

「お客さんもう飲みすぎですよ」ってそれも飲み屋マスター

「あちらのお客さまからです」ってそれも飲み屋マスター

切れ味を試そうと思ったけど、

一番強かったのは両手フライパン装備で敵を殴るのが一番強いというオチ

何のためにゴールドを貯めてその街で一番高い武器買ったのよ!って。

あるあるよね。

とりあえずメイクイーン美味しかたから、

またリピして鍋するわってお話でした。

違う違うポン酢を変えるって話しだったわね!

うふふ。


今日朝ご飯

雑穀米おにぎり勝手気ままに買ってきました。

そう言えば家の炊飯器ご飯久しく炊いてないのもう2年目ってところかしら?

今年の目標として家で飯を炊く!って言いたいところだけど、

玄関を空ける前の2分まえに出来ているあのレンチンご飯が便利過ぎて

ちょっとした小食には便利なのよね。

レンジがないからボイルってところが面倒くさいけど。

デトックスウォーター

寒いからかめものが多いホッツウォーラーベース

野菜からじゅわっと溶け出したスープストックのホッツウォーラーなんか考案してみたらクックパッドかもしれないわ。

白菜をとろ火でじっくり煮込んで抽出した白菜の旨味が優しい、

白菜ホッツウォーラーなんか冬の定番として定番になりそう。

時間があるときに試してみたいところね。

今日はとりあえずホッツジャスミンティーウォーラーだわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

美の国

美しさ至上主義

その国では美しさが最も高い価値を持つ。

世界で最も美しい女王が国を治め、貴族将軍や兵から民に至るまで、その国の住人のほとんどは美しい。

人だけでなく建物や街並み、動物植物など、国内にあるものは何から何まで美しい。

美しささえあれば国から手厚い生活保証が与えられる。外国人でも美しければ国に居住して厚遇を受けることができる。

しかし加齢や病気怪我によって美しさが損なわれると、権利制限されたり地位が下がったり国を追われたりする。

この掟によって国の美しさが常に維持される。

美の国の強みは芸術分野にある。

芸術と、美しさを追求することができる芸術以外の分野においては世界最高の質を誇る。

他国は美の国が生み出す芸術世界的な宝と認めているため美の国は不可侵とされている。

芸術作品制作と輸出は美の国の国家的な事業である

芸術家は外見と出身地に関わらず厚遇されるが、外見が美しくない者は仮面頭巾で顔を隠すことが求められる。

才能が枯渇して優れた作品を作れなくなった芸術家は国を追放される。

美の国は「存在美しい人」と「美を作る人」で成り立っている。

国の住人は身分を問わず常に外見か芸術的才能を評価され続ける。

この国に住むための価値証明する場は国によって用意される。

美しさは日常的に切磋琢磨することが推奨され、毎日何かしらのコンテストが開催されている。

野蛮は美しくないとして嫌われるためこの国は平和だ。ならず者は兵の優れた剣技によって美しく切り刻まれる。血の芸術である

だが、この国の善良な住人は美によって戦わなければならない。

美人コンテストは最もポピュラーコンテストである。その中でも数年に1度開催される美女コンテスト女王杯」は国を挙げた祭典だ。

女王杯」の優勝者特別に選ばれた上位入賞者は生涯に渡って王族並みの富・名誉地位保証される。

そのため世界から美女が集まり、実質世界一の美女を決めるコンテストとなっている。

女王杯」の上位入賞者の中は、顔や身体部分的な箇所では女王よりも美しいのではないか評価される者がときどき現れる。

しかし「女王杯」を境に女王の美しさにはますます磨きがかかり、やはり女王世界一だと人々は再認識するのである

同時に、「女王杯」の優勝者はその後一切姿を見せなくなる。

王宮の奥で悠々自適生活満喫しているとも、外国人であれば祖国に帰ったとも噂される。

その美しさに嫉妬した女王秘密裏に殺しているのでは、などと趣味の悪い冗談ささやかれている。

そういえば、女王の顔は「女王杯」優勝者の顔と少し似ているように見える。

世界一の美女を決める「女王杯」の優勝者の顔は自然世界一美しい女王に近づくためであろうか?

女王はずっと美しい。

この国のある絵画巨匠は、美の国に住み始めた40年前から女王は変わらぬ美しさを保っていると言う。

女王がいつから美しいのか、この国の住人は誰も知らない

2019-12-29

anond:20191229022246

カサンドラ症候群という病名があるくらい「発達障害の夫を持つ(病んでる)妻」ってのはポピュラー存在なわけで

2019-11-23

男性解放せよ

性別理由自分身体自由に出来ない社会的制約はほんとうに世の中を息苦しくしていると思う。

俺はLGBTではなくストレート男性だが、スカートの開放感はとても羨ましいし男性ボトムに履くもの選択肢ズボンに限られているのは不便だとも思う。

スカートは数ある問題のたったひとつの例に過ぎず、下着に関してはさら事態は深刻である

ふとももを覆わない形の下着女性には非常にポピュラーものであり、動きやすからしてもたいへん理にかなっているのだが、こと男性向けにおいては過剰なセクシーさ、もしくは白ブリーフへの連想から幼稚に見られたりと、社会的にはまず許されないものと見なされている。

だって快適さを追求しツルツル生地ビキニ下着を着用することを受け入れられる社会にならない限り、男性解放されたとは到底判断することは出来ない。

 

いや真面目なんですよ。Tバック履いてスカート履いて、それを男性として当たり前に受け入れられたい。

2019-11-18

anond:20191118123131

趣味盆栽ゲートボール登山程度で


  ← おいおいw 盆栽ゲートボール年寄ポピュラーなの趣味って、いつの時代の話だよw てゆうか、あんた、いくつ?ww

anond:20191118162600

いや本当にポピュリズムだったらまだいいと思うよ。

ポピュラーを狙ってないんだよ。

内輪で正義煮詰まらせるだけなんで、せっかくのネタを腐らせる

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-11

Chim↑Pom気合100連発」の件

正直あいちトリエンナーレ関係ニュース補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。

Chim↑Pom炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。

昨晩のTBSラジオ「session22」のOPリーダーの卯城さんが出演し、作品意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。

https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21

帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。

悪意のある誤読や切り取りか、ニュース見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。

…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。

あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ

ジョナサンハイト社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守システム1に、リベラルシステム2に主に訴えかける主張だ。

リベラル言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉要求される。

要するに、面倒臭いのだ。

フェイクニュース流行トランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。

ただ、アートを含めた文化全般価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品文脈や、各カルチャー歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。

文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダード破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術功罪を知ることが必須だ。

これはクラシック音楽スタンダードからの脱却を図った現代音楽聴く際にも求められる態度だ(クラシック素養なしにサティストラヴィンスキーシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。

またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロック誕生からプログレ商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。

それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。

ポピュラー文化人口膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。

ただ、文化社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業マネタイズできない時代においてこそ、その価値保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。

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