はてなキーワード: 強要とは
最初はVtuberという流行に乗っかってるだけの企画で「ジャニーズ事務所もこの先生のこるために大変だな」と思ってたけど、Vtuberや(Vtuberから話が変わるが)二次元アイドルの声優に関する疑念が割と解消されるのでは?と思った。
もはや中の人など気にせずに動画を楽しんでいるけれど、それでもどこか隠し事が常に付きまとってる感じは正直否めなかった。
別に声優を知ったところで余計に入れ込むことも無いし、むしろ声優や同声優が演じたキャラでいじる風潮(テラ子安とか別キャラの名前で呼ぶあれ)も嫌いだし、それに巻き込まれるくらいだったら未発表で構わないのだが、隠し方に対して気持ち悪さを感じる部分があった。
あとは未発表かつ最初から所属してた事務所が見えないところであの手この手使ってそうな疑念もあるし、それだったら先に所属事務所を発表してそこからデビューしてるVtuberの方が潔いので。
だからこれがジャニーズ事務所というのを伏せての企画でのちに判明したら滅茶苦茶悪口書いてただろうし、折に触れては恨み節呟いてたと思う。
Vtuberと離れる話になるが、声優がキャラクターとして歌とダンスを披露するライブが実は得意ではない。
ライブの感想で「キャラが目の前にいた!」というのを見かけるし公式もそのように推してくるが、個人的にはキャラを演じた声優としか目に映らないのでその辺りと温度差がある。
またゲームやアニメ内にラジオや生放送ネタを逆輸入するのも元ネタをそこまで見ないし聞かないので白けてしまうところがあるし、声を演じるのがメインの職業の人にバラエティ的な面白さを強要しているオタクを見ると辛く思ってしまう。
もし今後このジャニーズVtuberが曲をリリースしたりゲームアプリを発表することになり、かつVtuberとしてではなく生身としてライブに出なければならない時に、普段通りに歌って踊ってバラエティに対応すれば良いのだからその辺りの齟齬が解決するのではないかと思っている。
Vtuberなら普段の動きも声優本人がやってるが、ダンスや何かしら特殊な動きを披露するモーションとなるとさすがにダンサーがモーションをつける事になる。
またアイドルゲームやアイドルアニメの場合は確実にモーション班がいるが、どうしても「皆でキャラを作り上げている」のではなく「キャラというガワに何人もの人間が入れ替わり立ち代りしている」ように思えてしまう。着ぐるみを着回してるような感覚があるのだ。
それが先程も述べたように可能な限り一人に収束していって、キャラ=その役者そのものになるのは違和感がないのは良いと思う。
と、ここまで好意的に書いたが、見た限りあの素人っぽさは脱却しないと厳しいだろうし、事務所も流行りに乗っかるだけのスタンスなら一企画だけで終わってしまいそう。長期化を視野に入れ腰を据えてやるならVtuber界の刺激になるのでは。
あとやるなら新キャラを作り出すのではなく、本人自体を二次元にした方がよりキャラ=演者に対するズレが減るのでは?とは思った。
それなら本人がYouTuberになった方が早いかもしれんが、やはり二次元が好きな層、三次元アイドルが好きな層、声優が好きな層は相容れないと思うのでそこのうまい潤滑油になれたと思う。
スーパーマリオシリーズに登場する敵でお馴染みのパックンフラワー。
簡単に言えば、人食い花である。赤い色に白い斑点、大きな口が特徴である。
私は、あれが怖い。
何かのトラウマなのかもしれないが、原因はよく分からない。ただ、視界に入ってしまうと全身に鳥肌が立ち、震えながら目を逸らしてしまう。
なんで今更、こんな事を書くかというと、事の発端は大乱闘スマッシュブラザーズの新作である。私は生放送をYouTubeで見ていたが、あのシーンになった瞬間、何か嫌な予感がしてすぐに画面を閉じた。
ほとぼりが冷めたころ、Twitterを覗くと「パックンフラワー」がトレンドに入っていた。私はすぐさまタイムラインのミュートキーワードにあらゆる文言を登録し、シャットアウトした。誰かのリツイート、またはいいねでツイートが表示されてしまうかもしれないからだ。
android版Twitterをインストールしている人なら分かると思うが、トレンドのタブに今話題になっていることがトップで表示される。画像付きで。
子供のころ、マリオカートをプレイしているときはパックンフラワーが登場するコースを選ばなかった。
WiiU版のマリオカート8でパックンフラワーがアイテムとして登場した際、私は絶望した。
スーパーマリオブラザーズシリーズはロクにプレイしたことがない。私は、自分の謎のトラウマのせいでマリオを遊べないのである。そしてあろうことか、任天堂のゲームでさえも封印されてしまったのだ。
最近、スイッチ版のマリオブラザーズが出るということでテレビCMが放映されているが、私は目を合わせない。そうするしかない。
「パックンフラワーが怖い」なんて、恥ずかしくて誰にも言えない。そしてそれを強要する気はもちろんない。「私がパックンフラワー怖いから、任天堂のゲームからパックンフラワーを排除しろ」なんて言える立場ではない。だからこうして、極力視界に入らないよう自衛するしかない。
私は、この気持ちを誰かに分かってほしい。もしかしたら、地球上にもう一人くらい、同じ悩みを抱えている人がいるのではないか?と。
ここで、私がなぜパックンフラワーを怖がっているのか考察してみる。多分、
・植物
・牙付きの大きな口
この2つが関係していると思う。
私は植物があまり好きではない。世の中に気持ち悪い花があるみたいな、そんな感じ。あと、自分の背丈を超える植物(ひまわりとか)もちょっと恐怖を覚える。何故かは分からないが、怖いのだ。
もしこの植物が意思を持ちはじめたら・・・などと考えると、怖くて眠れなくなる。
大きな口は、食べられそうで怖いのだろうか?先端恐怖症の人が「刺されるかもしれない」と思うのと同じなのだろうか?それに牙がついているのだから尚更だ。
「自分が嫌いだから」を強要する人間は人として最低だと思う。これは自分がオタクであり同人誌を好むからよく分かる。
私もその一人になってしまうのが怖い。「パックンフラワーが怖いから、排除しろ」とは言いたくない。嫌いなものを少しでも自分から遠ざける、そのためのミュート機能である。
誰だって、自分の好きなものを咎められたり、「俺それ嫌いなんだよね」と言われたら傷つくし、腹が立つ。世の中にはパックンフラワーが好きな人だっている、その人のために、私は声を上げない。
こうしてここに投稿しているのだから矛盾しているのは分かる。何か良い解決策はないだろうかと考えるが、まずはこの気持ちを、考えを、誰かに分かってもらいたいのは事実だ。最後になるが、この症状がもし何かの病気の疑いがあるのなら、教えてほしい。精神的なもの、心理的なもの問わず、治せるなら治したい。自分は異常な人間だと分かっている。でもそんな異常な人を分かってくれる人が1人でもいたら嬉しい。
上司がとても競争を煽るタイプの人で、彼自身が中堅大学から東大・京大卒をごぼう抜きしてトップに立った人だった。
その結果として、社員同士が仲良く昼ご飯を食べたり、雑談をしていたら、
「お前らはすぐ群れる。そういうところが精神的に弱いんだ。独立した人間は群れる必要がない。本当にトップの人間は孤独なんだ。孤独に耐える精神を身に着けろ」
と言い放ち、みんな昼食は各自デスクでボソボソと食べていたり、雑談はプライベートなLINEでやり取りをするようになった。
そのひとつ前の部署は、上司が典型的なほがらかおじさんで、優秀なんだけど、出世をあまり気にしておらず、
土日はばっちり休むし、「お前らも休みの日は仕事するなよ。有給はすきなタイミングで勝手にとれよ」と言ってくれたし、
昼飯は一緒に食べに行こうと部下を誘うし(もちろん無理矢理ではなく、行きたい人だけ)
その上司が単身赴任だったので、一人で夕飯を食べるのが嫌だったのか、よく飲みにも誘われた。
その部署から、花形の部署に異動となり、上記の孤独を強要する上司の下についたんだけど、
同じ会社で部署が異なるとこんなに雰囲気が異なるのかと唖然となった。
その上司はカリスマ的なところがあり、その厳しい雰囲気でも、付いていく部下はそこそこいて、
付いていけなくなった自分たちは彼らのことを信者と呼んでいたけれど、
そんな嫌味を言う程度では耐えられなくなり、多くの人が転職した。自分もだ。
いま冷静に考えれば、「トップの人間は孤独なんだ」は事実ではあるけど、
それはトップの人間は周りに相談することができても、最終的に一人で決断しなくてはいけない、であるとか
トップの人間は部下をマネジメントしたり、悩みの相談に乗ることはできても、
自分は自分自身でマネジメントし、悩みも自分で飲み込む必要がある、という意味であって、
間違っても、みんなで昼食をとらないとか、雑談をしないとかそういうことじゃないはずだよな。
当時は自分も少し洗脳されていたのか、そんなことすら気付かなかった。
周りが仲良くしているのを見るのが嫌だっただけなんだろうなと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=YQQg6qwjllA
・見た目で男と決めつける(服装へのジェンダーの強要、ルッキズム)
・誰でも乗れる車両なのに追い出そうとしている(セクシズム)
どう見ても差別してるのは文句を言ってくる女性側で、しかもそれを当人たちの中では「注意」として正当化しているわけで
反差別を標榜するなら、このナチュラルボーンレイシストな「注意してくる女性」に対して厳重に注意して二度と差別をしないように求めなくてはならないよね?
反差別を標榜している人たちがこの問題に真摯に向き合っているところを見たことが無い
まさにLGBT(というかT)が女装をせずに専用車に乗ればこうやって排除されるんですけど、Tのことはやっぱりどうでもいいわけ?
バレンタインの義理チョコが話題になると、「もうこんなものは会社や上司が禁止した方がよい」という物言いをよく見かける
それは確かにごもっともなんだけど、しかし自分に都合がいいからといって、そうやって簡単に権力を頼り、自由を捨ててしまって本当にいいのだろうか?
社内はそれでどうにかなっても、よそで強要されるようなことがあっては意味がないから、もういっそ条例や法律で規制でもした方がいいのではないか?
……というとこまで行ってしまうと、たぶんみんな「誰がそこまでしろと言った」と手の平返してしまうのだろう
もう10年前のこと。
「これだけはやめてくれ」という約束をした。
何度も念を押したが結局その約束を妻は破った。
俺はキレた。怒った。
たぶん付き合ってた頃からも考えて一番怒った。
で、その後数年経って「あの怒り方はひどかった」と妻がふと思い出して自分を責める。自分は悪かったところは素直に認める方なので、確かに言いすぎたところはあったと謝った。まず第一にお前が約束を破ったからだよな?なんては言わない。
そこらへんから、なんかおかしなことになり「怒るとひどいこと言う人」と言うことだけが残り、ことあることに「あれはひどかった」と持ち出すようになった。
さすがにそれはと反論したが「そもそも守れないような約束を強要したのが悪い」とかになり、あーもう話通じないなと黙ることにした。
妻は自分が勝ったつもりで今も俺を攻め立てる。
そもそもどこに「強要」なんて書いてあるの?被害妄想激しすぎでしょ。
「相手が望むもの」をあたえずに「自分が望むもの」を得続けたり、「自分が与えたいもの」だけ与え続けたり。
そんな関係は男女の間に限らず成立しないよ。
めちゃくちゃ仲良くなったらSEXしなければならない!としたら
もちろん同性だってSEXしないといけないわけでお前の話はズレてる。
そもそも、お前は親友に何か物事を強要すんのか?その時点で友達じゃねーよ。
相手が嫌なら引く。当たり前のこともできねーのか。
お前の希望ばっかり通そうとして、そもそもSEX目的でお前は女友達欲してるから異性の友達できねーんだぞ。
いい加減分かれ。
許斐先生がTwitter始めてから盲信して崇めてる人ばっかりになってつまらないよね。
「昔はみんなたしけ(笑)って言ってたのに最近はそういうの言えない。昔のTwitterは楽しかった」
「たしけ()」呼びとか空耳テニミュとか、楽しみたい人は楽しめば良いよ。
馬鹿にするような呼び方や違法アップロードして笑いものにするのは正直不快だったけど、それも先生が拒んでないなら良いよ。
好きにすればいい。
でもその「おふざけ」を私たちにまで強要しないでくれ。私たちにまでたしけ()呼びを強要しないでくれ。
去年のサマバレやディナーや、最近だとカップヌードル関連のこととか、先生の言動を不審に思うこともあるだろう。
先生のファンである私でも「そこはちょっと別の言い方した方が良かったんじゃないかな」と思うことは時々ある。
私たちは今までテニスの王子様にたくさんのものを貰った。色んなハッピーを貰ってる。
99のハッピーを貰っておいて、1過失があったら「こんなことをするコンテンツは信頼ならない。もう嫌い。でも今まで関わった時間がもったいなくて腹立たしいから黙って離れたりなんかしないで叩いてアンチ活動する」っておかしいよ。
そこは「今までありがとう。ばいばい」か「そこは訂正した方がいいよ!」となって欲しい。
たしけ()呼びも空耳も好きにすればいいし、先生批判も作品批判も好きにすればいい。
でもずっと黙って我慢してた私たちが「実はたしけ呼びも空耳も嫌いなんだ」って呟くことくらい許して欲しい。
「昔はみんな楽しくたしけ()って呼んでたのに」じゃなくて「ふざけた愛称でもそこに何がしかの愛があるのは分かっていたから黙って我慢していた人が我慢せずに済むようになった」だけなんだよ。あなたの楽しさは誰かの我慢の上に成り立っていたものなんだってことわかって欲しい。
極端な例えになってしまうけど、18歳まで優しく厳しく健康的に育ててくれた親が18歳の誕生日に「選挙権持てたね!じゃあ次の選挙山田さんに投票して!お父さんが世話になってるから!」と言った時に『選挙法違反だ。こんな親に育てられて恥ずかしい。こんな親嫌いだ。こんな親とは二度と連絡を取らないし、選管に通報してSNSで晒して他の知り合いにも教えて社会的にバッシングして孤立させよう』って発想にならないと思う。
悪いところは注意しようor考え方が合わないからちょっと距離をおこうorそこは賛同できないけどこれまで受けた恩は返す。というあたりが妥当でしょ。
2~3年の通り過ぎて消えていくコンテンツじゃないんだよ。約20年お世話になり、またこれからも続いて欲しいコンテンツの生みの親なんだよ。
貶し愛みたいな愛があるの分かるよ。私はそれをしたいとは思わないけど、そういう身内ノリ的なものが楽しいことは理解出来る。
ただ、貶し愛がストレートなファン心理より上だとは思わないで欲しい。もちろんストレートなファン心理が貶し愛より上ってこともない。ただ愛の表現方法が違うだけだ。
「たしけ()って呼ぶ人がいなくなって窮屈」「駄目なことをしても擁護意見ばっかりで反吐が出る」
そう思うのは自由だけど、どうして呼ばないのか、どうして擁護意見が多いように見えるのか考えて欲しい。
もちろん盲目的に許斐先生を盲信して先生がおっしゃることは100%正しい!とか言う人もいる。そういう人はどうかと私も思ってるよ。
でも、ただ「貶し愛が得意ではない」「悪いことは悪い。毎日美味しいご飯を作ってもらってるのに味噌汁の味が1回濃かったくらいでちゃぶ台ひっくり返すみたいな恩知らずなことをしたくない」という人の方がずっと多いと思う(私の周囲の体感でしかないけど)
今日の味噌汁は味が濃いね。次から気を付けてね(指摘)とか、お湯少し足していい?(サポート)とか、味噌汁作るの苦手ならインスタントも美味しいよ(作品外のことは編集その他に任せる提案)とか、そういう当たり前の意見が突飛な熱烈信者やアンチに押されて見えなくなってしまっている。
要は
(1):たしけ()呼びが許されなくなったわけじゃない。我慢していた人たちが嫌だと言える世界になっただけ。呼びたければ呼べばいい。これ以上こちらに我慢を強いないでくれれば良い。
(2):20年も世話になってるコンテンツには多大な恩がある。一緒になって叩かない人を全て一律に『盲信的な擁護』と思わないで欲しい。間違いに対する対処は指摘や叱咤、解決策提案、今後の動向見守り等が妥当だと考えているだけ。
ということが言いたかった。
「ミスしたら批判だけでなく叩きも甘んじて受けなければならない」
そういう考え方ももちろんあるだろう。
そうじゃない考え方もあること、知って貰えたらいいな(と思って書いたけどこれをその人たちが見ることはなさそうだなぁ。まあ、テニプリに限らずどのコンテンツでも言えることだと思うので目に止まった誰かの思考材料になれば幸い)