はてなキーワード: 行使とは
ハチミツに精液を混入させた事例って、現在の刑法でも性犯罪にカウント出来ると思うけどね
次々新犯罪を増やしていたらキリがないじゃん
実際の適用は必ずしも杓子定規ではなく、条文の解釈を加えた上で柔軟に適用されている
「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。」
となっていて、「暴行」の定義は一般的には「人の身体に対する不法な有形力の行使」とされている。
だけど、
判例は狭い室内で日本刀を振り回した事例でも暴行の成立を認め、過失致死罪ではなく傷害致死罪を成立させている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/665/050665_hanrei.pdf
そして、刑法174条以下のわいせつに関する罪では「わいせつ」という言葉が用いられているけれどこの言葉の定義も条文上は明らかではない。
判例は、「徒らに性慾を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」と言っている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/650/054650_hanrei.pdf
この定義で言うならば、他人が飲食するハチミツに精液を混入させる行為は、普通人の感覚からすれば、「わいせつ」に当たるのが妥当だろう。
だって普通の人が見たらどう見ても、「正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為なんだから。
あと、強制わいせつ罪の成立について、判例は以前は行為者の性的意図を必要としていたけれど、
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/256/087256_hanrei.pdf
これ以上、ニュース・長文を見る層は増えないには異論はないけど、それは即ち、なんらかの能力を欠如を意味する物じゃないんだよね
他のことで忙しいから・不愉快だから意図的に避けている層はそれなりに存在する(というか半数はいる)
ちなみに増田は、『ニュースや長文見てたらその選択肢だけはないですよね?』をやってる人、
雑に結果を見てると『知的怠惰を発揮する権利を行使するぜ!』は、所得が高い地域で多い傾向にあるように見えます
なお、同じ所得が高くても、立地的に現役でお勉強する人が多そうな地区では比較的バランスの取れた結果になってます
ワイは素直に下記のように読みました
- 勉強が仕事の人以外は、キリキリ働くと、ろくにニュースも長文も見てない(まぁ忙しいし、不愉快になるだけだしね)
- 勉強が仕事の人、時間が有り余っている人(キリキリ働いていない可能性が高い)、政治関連の情報収集が趣味の人、自分が必要な情報の取得が得意な人は、ニュースも長文も見てる
- ろくにニュースも長文も見ないのに、知的風なものに強い憧れが有る人が、所得が高い地域にかなり存在する 。まさかの所得が低い地域よりも
(すべてが組織票・利権絡みの投票とは思えませんし)
とりあえず、選挙に行く気はあるが、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で"
ニュースや長文を絶対見ない層に投票して貰うために、常に礼儀正しく、言葉の非暴力を貫いた方がいい
けど、肝心のそれなりに票集めそうな党が、選挙活動中だけでなくて、”普段”から、
ニュースや長文見ない人でも刺さるようないい人アピールしてくれないと、どーにもならんのですけどね
プライベート切り売りで家族と一緒に過ごすてますよアピールなり、
ホームレスの支援活動なり、介護支援なり、子どもたちが夏休みにご飯食べれる支援なり
とりあえず、ネットで批判バトルや謎の擁護合戦、変な動画は、おかしな人たち・関わり合いになりたくない人たちという印象しか与えていない自覚は欲しい
いやこれ前も書いたけど、増田にも送っておくね
自民憎しの人は、世の中の人は、目の前のタスクに追われてニュースや政治に興味がない人が多いこと、自覚が欲しいよね
『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね
なので目の前のことで忙しい人は、投票行ったら感じが良さそうな印象がある人(偏向報道だろうが荒い雰囲気を持っていないように見える人)に投票するよね
あるいは、ネットサーフィンしてた時に、なんか怖いこと言ってた人たちじゃないのに入れるよね
これ以上、ニュース・長文を見る層は増えないには異論はないけど、それは即ち、なんらかの能力を欠如を意味する物じゃないんだよね
他のことで忙しいから・不愉快だから意図的に避けている層はそれなりに存在する(というか半数はいる)
ちなみに増田は、『ニュースや長文見てたらその選択肢だけはないですよね?』をやってる人、
雑に結果を見てると『知的怠惰を発揮する権利を行使するぜ!』は、所得が高い地域で多い傾向にあるように見えます
なお、同じ所得が高くても、立地的に現役でお勉強する人が多そうな地区では比較的バランスの取れた結果になってます
ワイは素直に下記のように読みました
- 勉強が仕事の人以外は、キリキリ働くと、ろくにニュースも長文も見てない(まぁ忙しいし、不愉快になるだけだしね)
- 勉強が仕事の人、時間が有り余っている人(キリキリ働いていない可能性が高い)、政治関連の情報収集が趣味の人、自分が必要な情報の取得が得意な人は、ニュースも長文も見てる
- ろくにニュースも長文も見ないのに、知的風なものに強い憧れが有る人が、所得が高い地域にかなり存在する 。まさかの所得が低い地域よりも
(すべてが組織票・利権絡みの投票とは思えませんし)
とりあえず、選挙に行く気はあるが、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で"
ニュースや長文を絶対見ない層に投票して貰うために、常に礼儀正しく、言葉の非暴力を貫いた方がいい
けど、肝心のそれなりに票集めそうな党が、選挙活動中だけでなくて、”普段”から、
ニュースや長文見ない人でも刺さるようないい人アピールしてくれないと、どーにもならんのですけどね
プライベート切り売りで家族と一緒に過ごすてますよアピールなり、
ホームレスの支援活動なり、介護支援なり、子どもたちが夏休みにご飯食べれる支援なり
とりあえず、ネットで批判バトルや謎の擁護合戦、変な動画は、おかしな人たち・関わり合いになりたくない人たちという印象しか与えていない自覚は欲しい
古今東西どこもかしこもやることは同じだからか次々と出てくるが、似たような事しか言わなくなったので終了
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現代社会において、生成AIはその革新的な技術で多くの注目を集めていますが、その影響力を懸念する人々も少なくありません。私たちが目にするSNS上の活動やキャンペーンの背後には、影響力を行使しようとするフリーランスのイラストレーターたちがいます。彼らは、生成AIの使用に対する反対意見を広めるために、さまざまな群衆心理を操作する手法を駆使しています。今回は、その中でも特に顕著な手法について詳しく見ていきましょう。
人が物事を変える手段に暴力を選んでしまうのは、暴力が持つ価値が唯一無二でどの時代どの場所でも変わらないからだ
どんな立派な建物でもやり方を間違えなければ壊れるし、どんなに偉い人間でも傷付けられれば死に至る
暴力を通貨として考えれば、それはいついかなる時にも同じ価値を持っているといえる
一方で平和的で地道なデモ活動などの社会運動は、ある場所では大きな物事を変える程の力を持っているが、別のある場所では何一つ変える事が出来ないぐらい無価値なものとなる
つまり暴力が蔓延る環境というのは、平和的な社会運動の価値が暴落している社会運動安かつ暴力高の状態にある
昨今様々な場所で暴力行為が何かを変える為の手段として採用されているが、これは暴力の価値が上がったのではなく
社会運動とそれを取り巻く環境の価値が下がっていると受け取るべき
だから暴力を減らす為に本当に取り組むべき事は、一部の関係者の溜飲を下げるためだけに行われる暴力やそれを行使した者への批判ではなく
不法会計の指摘にはだんまりで「タコ部屋」という部分だけ訴えて地裁ガチャ。
『支持しない』と答えてる人たちの大部分が選挙行かねーで『支持政党なし』とか馬鹿な事言ってるから。
3割以下で十分勝てるのよ。
選挙ってのは与党を信任するかどうかを意思表示する場所なのに、不支持とか言っておきながらその権利を行使しねーバカが多いから、与党は安泰なのよ。
投票率低いから、国民の大多数に気を使う必要がないの。金と票をくれる少数を優遇してりゃ十分勝てんのよ。バカは夢みたいな政党が出てくるまで選挙に行かねーから、野党のネガキャンして投票行く気削いでおけば不支持率なんていくら上がっても平気なのよ。
学校はナニ教えてんだかね。
『
民主主義の基本原則は、有権者が自由に意思表示を行い、その意見が政治に反映されることです。投票行動はその最も重要な手段であり、有権者が意思を示すことによって、候補者や政策が選ばれます。候補者がその意見を無視するなら、次の選挙で有権者はその候補者を落選させることができます。
投票は有権者の基本的な権利であると同時に、責任でもあります。候補者や政策に興味がないとしても、その無関心が結果として政治に悪影響を与える可能性があります。投票しないことは、他の人に自分の未来を決めさせることになるため、積極的な意思表示が重要です。
3. **影響力の行使**:
候補者がすべての有権者の意見を聞かないかもしれませんが、多くの有権者が意思表示をすることで、候補者に対する圧力となり、政策変更を促す力となります。一人一人の意見が集まることで、より大きな影響力を持つことができます。
社会の一員として、より良い社会を作るためには、積極的に意見を表明することが必要です。選挙はその一環であり、無関心でいることは、社会全体の進歩を妨げる可能性があります。
ヒューマニズム信奉者は、実のところ人間崇拝の相対主義者と置き換えても成立する。
まずヒューマニズム信奉者は教育の価値を重んじており、理性がモラルを改善すると言っている。
しかし核が武器にもエネルギーにもなるように、理性は武器にも善にもなり得る。
わかりやすい話が、理性を身に着けた人間が、他者を「説得」するためにそれを行使することが挙げられる。
言い換えれば「他人を、理性を使ってコントロールしようとする」ということであり、目的によってはナチや共産主義者の再生産となるだろう。
そもそも人間が生まれつき「善」であるという前提が、ヒューマニズムや共産主義者は間違っているのである。
彼らは「社会が間違っているから、それを改善する方法が必要であり、そのためには教育や経済構造改革が必要であり...」と言うだろう。
ちょっと待ってほしい。一人ひとりの人間の内面の問題を無視して、「構造」の問題にできるだろうか。
構造を変えて得られるのはあくまでも外的束縛からの開放であり、内的束縛からの開放ではない。
教育が一見すると内面を改善するようにも見えるが、理性を改善しても、武器を手に入れるようなものなので改善にはなっていない。
この点で見ると、聖書や口伝律法は実に多くの倫理システムを備えており、例えば「神は想像を絶する無限の存在であり、人間は神のもとで倫理的であるべきだ」と命じているのである。
人間崇拝者たちはこの点をわかっていない。つまり、倫理の頂点に「人間」を君臨させ、善悪を単なる好き嫌いの問題に置き換える。
人間集団Aの善悪とBの善悪が対立したときは、そこで争いが起きて自分たちの善が勝つ限り誰かが残虐な目にあっても良いとするのが、人間崇拝の相対主義である。
何千年もの歴史を耐えた律法と、儚い歴史しか存在しないヒューマニストの思いつきの、好き嫌いの善悪でどちらが優れているか、俺と賭けるか?俺はユダヤ人の律法に全額賭けるけどね。
なおキリスト教とユダヤ教は「信仰を重視する」か「行動を重視する」かで大きな違いがあるので、キリスト教の方には問題があると言っておく。もちろんユダヤ教は行動を重視する。
これ以上、ニュース・長文を見る層は増えないには異論はないけど、それは即ち、なんらかの能力を欠如を意味する物じゃないんだよね
他のことで忙しいから・不愉快だから意図的に避けている層はそれなりに存在する(というか半数はいる)
ちなみに増田は、『ニュースや長文見てたらその選択肢だけはないですよね?』をやってる人、
雑に結果を見てると『知的怠惰を発揮する権利を行使するぜ!』は、所得が高い地域で多い傾向にあるように見えます
なお、同じ所得が高くても、立地的に現役でお勉強する人が多そうな地区では比較的バランスの取れた結果になってます
ワイは素直に下記のように読みました
とりあえず、選挙に行く気はあるが、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で"
ニュースや長文を絶対見ない層に投票して貰うために、常に礼儀正しく、言葉の非暴力を貫いた方がいい
けど、肝心のそれなりに票集めそうな党が、選挙活動中だけでなくて、”普段”から、
ニュースや長文見ない人でも刺さるようないい人アピールしてくれないと、どーにもならんのですけどね
プライベート切り売りで家族と一緒に過ごすてますよアピールなり、
ホームレスの支援活動なり、介護支援なり、子どもたちが夏休みにご飯食べれる支援なり
とりあえず、ネットで批判バトルや謎の擁護合戦、変な動画は、おかしな人たち・関わり合いになりたくない人たちという印象しか与えていない自覚は欲しい
『もう人間の絵師にイラストの発注なんかしたくない!AIイラスト最高!』(anond:20240711135913)が思ったよりもバズった
イラストレーターの契約問題についてTogetterで見たのをきっかけに興味を持って、これをネタに釣り増田を書けばバズるだろうなと考えたが、まさかここまでうまくいくとは思いもしなかった
著作者人格権の不行使契約というアイデアを入れたのが、バズに大きく加担したのだろう
使い方すら知らない
使えたら便利だろうけど、仕事では著作権フリーの画像やいらすとやのイラストをパワポ資料に使っているだけだ
ビジネス上のコミュニケーションを普通に失礼なくやってくれというのはまさに私の本音である
私の職場でテンキーをすさまじい速さでタイピングしているスキンヘッドのアラフィフの中年男性がいる
しかし、テンキー以外のタイピングは遅くて他の仕事も遅く、言われたこと以外はやらないし挨拶もしないというダメな人だ
先輩社員によると電卓検定三段を保有していて昔はすごく仕事ができる人だったけど、パソコンやエクセルが普及してからはダメになったとのことだ
人より秀でた技能を持っていたとて、新しい技術が導入されればこのような羽目になってしまうものだ
イギリスから生まれた産業革命では、新しい機械技術によって多くの単純労働者が仕事を失う羽目になったことだろう
例えば千歯こきが発明されると後家殺しと呼ばれて、後家(未亡人)の脱穀仕事は奪われたという
労働者が自らの稼ぎを守るためには、労働の原点に立ち返らなければならない
すなわち賃金を払ってもらいたくなるような人であり続けることが、労働者にとっては肝心だ
だからこそ、雇用主が快く賃金を払ってくれるようにコミュニケーション力を高めなければならない
これは何も雇用主に媚びろということではない
雇用主だけでなく取引先だったり上司や同僚や部下だったりと、一緒になって働く人との円滑なコミュニケーションが必要ということだ
イラストレーターのように雇用されずに働く人だって取引先とのコミュニケーションが必要なのだから、そこに違いはないはずだ
法律では様々な権利が設定されているが、明記されている権利であっても無制限に認められるわけではない。
つまり、権利の行使によって他者の権利を損なうならそれは制限されうるということ。
権利というのは他の権利と戦うための (法的な) 武器であって、この場合で言えば表現の自由を武器にして他者の財産権・施設管理権などと戦うことになる。
こういうのは最終的な判断は「社会常識に照らして」だったりするので明確な境界線が明文化されてるわけじゃないんだけど、もし裁判で争って他者の財産を損なってまで表現しなければならないものだったかを問われるとまず間違いなく表現の自由のほうが負ける。
表現するならするで後始末 (シールの回収) は最低限度としてすべきだった。
表現したことが責められているわけではなく「不必要に」他者の権利を損なったことが問題で、シールを貼るなら自宅の表札横にでも貼ってアピールすればそれで足りたはずだ。
まあ私は田舎者なので東京の事情は知らんが、うちの地元では道端のゴミは自治会主催で回収してるから自分の家の周辺にゴミがあれば自分が回収することになる。
自分でやらなくても行政が些末な掃除までやってくれる (あるいはやってくれなくてもそれは行政が腑抜けだからという価値観) ような感覚は普通なわけではない。
ニュースやご本人の公式チャンネル見てればその発想は持たないはずなんですけどね😒
つまり、なんもみちゃいないんです、ニュースも長文も公式も見てないです
部族なんてご大層なものじゃなくて、知的怠惰を発揮する権利を行使する人口が増えただけですよ
言い方悪いけど、年収が低い人に関しては『そうなんだ』で特に思うところないんですけど、
知的怠惰を発揮する権利を行使は、年齢どうこうよりも、所得が高い地域で多い傾向にあるように見えます(立地的に現役でお勉強する人が多そうな地区を除く)
これが日本のどーしょもなさの根幹じゃねーかなって
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42