はてなキーワード: つぶやきとは
https://toyokeizai.net/articles/-/839082
こんな記事があったけど、あんまり皆さん実態を知らないようなのでひとつ
自分の土地に立てたようなところはオーナーが草刈りとかメンテしていることが多いです。
で、メンテしきれなくなると、ワイのような限界集落看取り人みたいな輩に依頼が来て、お小遣いぐらいの金をもらって草刈りをすることになる。
こういう所はだいたいちゃんとしてるが、最大のリスクはオーナーの健康状態だったりする。
前にあった例は、草刈りや電気系のメンテナンスを月2万円ぐらいで請け負っていた所で、オーナーがお亡くなりになった例があった。
息子さんももういい歳で、今更田舎に来る気が無いという事もあったが、まぁ散々お世話になったしと思いながら生前と同じようにメンテをしていたところ、息子さんから買い取ってくれと言う打診があった。
しかしそんな金も信用力もワイにはないので、地元で組織的に再エネの発電事業をやっている半公共団体に話をつないで、そこに買収してもらった。
固定価格買取制度に認定済みの太陽光発電所は、後は自動的に金を生み出してくれる施設なので、売り先にはそんなに困らないのである。
なので、くさぼーぼーになると言うのは、くさぼーぼーになる以前に素人が設置したとか、坂に設置したので全然発電効率が上がってなくてそもそも赤字とか、くらーい何かがある気がする。
もうその組織が自分たちでメンテ部隊を持っているので、そこがやる。と言う感じである。
今はもう違うが、ちょっと前までの固定価格買取制度は、ここら辺を外注する想定で経費設計がされていたので、自分たちでやればやるほど儲けが増えると言う構造があるので、それはもう地道にやる。
さらに草刈りなんてのは、ある一定の期間に一定の面積を借れば良いと言うスタイルなので、農家のおじさんたちや、建設会社のおっちゃんたちのちょうどいい副業なのである。
久々にブコメ見たな
ちなみにTCGという単語を使わないのは、遊戯王にもTCGが存在するからで混同を避ける目的があるよ
もっと具体的に頼むは
出身だからなんて理由じゃないし、デザイナーが元遊戯王プレイヤーだから遊戯王に似せているってのなら、あんなデザインやルールにならんでしょ
kazumi_wakatsu ルールがほぼないのに裁定は大量にあるって、他に模倣が現れないのは単に運営コストが高すぎるからでは…
いまでも一週間で数個の新規裁定が出ているし、過去の裁定がブラッシュアップされている
それに大会が行われるときは電話は大体埋まっているわけで、こんなの普通の新規ゲームでやろうなんて無謀だよ
コナミが運用コストをかけても総合ルール作らないのは、作りたくても作れないからだと思う
akihiko810 ブコメ。「Force of Will」というMTGライクTCGでは、土地デッキという第2デッキを使うことによって、MTGの「肝心なときに土地を引く可能性(何もできない」というデメリットを克服してて、よく考えてるなーと思った。
だいたいはデュエマ方式だったり、ヴァンガやエヴォルみたいになってるし
ただ、共通しているのは共有リソースが常に見える状態になっていることだよね
土地自体はマイナスのデザインだったけど、現在もきちんと運用されているMtGはすげーとも思う
構造の話をしているのに対してミニマムな話だが、エクストラデッキは遊戯王の大きな発明だと思う。mtgの相棒(失敗作)なんかはエクストラデッキからの逆流アイデアじゃないかな。
エクストラが発明かはあんまりわからないが、その後のカードゲームに大きな影響は与えたかもね。ちなみに相棒システムは失敗だったが大本はEDHだと思うよ。俺はヨーリオンが好き
複雑さだけならMtGがダントツだと思う。遊戯王は複雑かというとそんなことはないよ。見たままのテキストの動きをするだけだからね。なれれば問題ない。
テキストが冗長で、1ターンで動けるだけ動けるという異質な挙動が難しく感じるのと、結局のところルールの厳密性に欠けるので裁定しか頼りになるものがないという点が複雑に見えるのかな。
裁定たくさんみてきたけど、じゃあその裁定が本当にルールとして正しいのかは実はわからないんだ。
evamatisse 裁定を覚える記憶力すご……ってなるけど、実は大会で使われるデッキの種類は数種類なのでそんなに必要ない。 “常に最新のものしか遊ばれない” / フリーだと細かい裁定は気にせずやる。知ってたら知識自慢になる。
時と場合に寄るからね。ここに書いたことなんてだいぶ抽象的だから。
murlock "遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない" というからにはよそに参考にされていない独自の良い点を挙げてほしい。いや書いてあるかもしれないけど見出しでまとめてくれないと読んでられない
良い点
悪い点
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遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない
この界隈、ほぼ遊戯王を避けて通れないんだが、遊戯王は完全にカードゲームという遊び方から外れているんだよ
野球って他の球技と比べても独自ルールや様式ばかりだし、試合展開も全く違う
たいていがサッカーのようにボールをゴールさせるか、テニスのように互いに打ち合うスタイルの中で、野球って1回ごとに攻守入れ替えるし試合自体が滅茶苦茶長くて動きもルールもわかりにくい
仮に新しい球技やスポーツを考えるってなると、間違いなく野球をベースにする人はいないだろう
カードゲームにおける遊戯王の立ち位置もそんな感じで、プレイヤー層も遊び方も価値観もルールもカードゲームという枠ではないんだよ
他が真似しようにも真似ができない
まず試合運びが異常だ
1ターン目から動けるってのは常識として、1枚が2枚3枚になるという動きは普通のカードゲームなら絶対にしてはいけない禁忌だ
それを可能にしているのがいつでも触れられる手札ことエクストラデッキ
昨今はこいつを媒介になんでも1枚初動がかなえられる
マナコストが存在しないというだけでどう考えてもおかしいが、1ターンに1度という制約がほぼ無意味なくらいには何でもできるのが遊戯王
現代カードゲームでマナに相当するコストを設けていないだけでも少数派だが、さらに1枚で複数のアドを稼ぐとかやってはゲームとして成立しない
それをしているのは遊戯王だけなんだよ
このゲームは徹底して他のカードゲームでは禁忌とする過剰な展開をする
それ自体が遊戯王の魅力ともいえるので、それに魅了されたプレイヤーは絶対に遊戯王を肯定し続ける
普通は総合ルールを設けて、補えきれない細かい部分や独自ルールとする場合に裁定を作る
遊戯王はそもそも総合ルールが存在せず、簡易的ルールの寄せ集めでしかない
「いやパーフェクトルールブックがあるじゃん」という人は総合ルールを理解していない
総合ルールは単に箇条書きではなく定義や意味が記され、各々の項目の関係性が書かれている
抽象的で網羅的に書いてあるので読みづらいが、それは暗黙の了解による解釈をできるかぎり排除する必要があるからだ
遊戯王をみればわかるが、ちゃんとした定義や意味が不明瞭なまま「こうなると思う」という暗黙の了解を元に裁定が決まっている
明確なルールに基づきつくられるはずの裁定が、裁定があるからこういうルールだという逆転現象を引き起こす
例えば「特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない
また、特殊召喚とそれ以外の処理を実行する効果に虚無空間をチェーンする場合には、カードごとに処理の仕方が変わってくる
では「カクリヨノチザクラ」のよる除外は行うのに融合召喚における素材の墓地送りはできない、という違いは明文化されていない
融合は融合召喚として定義されているからいいものの、なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない
理由付けはいくらでもできるが、結局それはプレイヤーが「そう感じているから」としか説明ができないのだ
一つ一つは理解できても、では根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない
この原因は、他のカードゲームでは「処理できない部分以外は原則処理する」というルールの黄金律が根底にあるのに対し、遊戯王はそういう思想がないままやたら裁定だけが細かく作られているからだ
明確な理由を示すことがないなら、事例をたくさん作って既成事実にしちゃえってのが遊戯王のやり方
裁定の良いところはフレキシブルに各カードに対応できることだが、そもそも総合ルールで問題ないようなものにすら裁定を作らなければならず、結局裁定だけでは総合ルールに足りない
最近は関連するカードを箇条書きにしているので非常にわかりやすくなっているが、それでもそこまでのことをしなければ成立しない手間があるのはちょっと異常だ
遊戯王は長い年月の中で裁定がルールであるという文化が築かれてきたから、こんなことができる
なので裁定をどれほど知っているかで遊戯王のルールに詳しいかがわかる
だが、結局どんなに詳しくとも本質的なルールはどこに行っても不明瞭なままだ
昨今のカードゲームは1試合の時間をある程度抑えることを前提にしている
なので1ターンごとの動きはシンプルであることが多く、ターンを進めるうちにできることが増える
この利点はターン経過とともにプレイヤーの主導権が変わり、初心者でもある程度の動きをできる点にある
けれど、最初の方は数秒で終わることも多いため、ターン数があっても試合時間はそれほどかからない
特に1ターン目は徹底した展開やサーチなどをするため、デッキや手札の入れ替えが大量に発生するしモンスターは場を行ったり来たりする
よって1ターン目なのに5分近くかかるなんてのも一般的だ
そしてようやく後攻に回っても、さらにそこから展開、妨害と続いていく
遊戯王は1ターンで他のカードゲームの5ターン分以上のことを平気でするからこうなってくる
こうなってくると初心者がカードを触れる時間は本当に限られてくる
理解している人には楽しいのだが、結局楽しさが初心者に伝わるまでに試合は終わってしまうのだ
ターンプレイヤーは常に展開をぶつぶつとつぶやき、片方にとっては退屈な時間が初手から流れる
正直、遊戯王プレイヤーはコミュニケーション能力がほぼ欠けている
ゲームがうまい下手より、むしろこういうゲーム性を否定する人の方が遊戯王プレイヤーから攻撃を受けるケースが多い
対話をしないことが標準の遊戯王では、対話をするかどうかに関して本当にもめる
これは一定期間で区切り、その中で発売されたパック等だけを使う遊び方だ
そうではなく昔からあるカードを使えるのは、レガシーなどとも呼ばれる
もちろん多くのカードゲームがずっとカードを使えることはユーザーにとってメリットになるとはわかっている
しかし、最新カードを売りたいのと、インフレを抑制して初心者にも入りやすいようにスタンダードなどの名称でフォーマットを区切ることが多い
遊戯王にこう言ったフォーマットの概念がないことは明確なメリットである
例えば昨今は禁止制限が目まぐるしく変わるが、禁止から復帰したカードで活躍しているものはどれだけあるだろうか?
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ようするに現環境はドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境だ
恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される
そのくらいに遊戯王はインフレをインフレでカバーする運用がされている
本来、スタン落ちなどのフォーマットの細分化はこういった環境のインフレを抑止して誰でも楽しめる一定のレベルを確保する目的で作られる
そうすれば「最新パックを買えばとりあえずみんなと遊べる」安心感が得られるのだ
もしもフォーマットが1つなら、過去の強力なカードがなければデッキとして成立せず勝つ楽しさが味わえない
しかし遊戯王は強力なインフレによって最新カード=環境ともいえるくらいになっている
事実上、ここ数年に発売されたパックだけでも十分に環境入りしている
インフレをハイパーインフレが超えるから常に最新のものしか遊ばれない
とはいえ、古いカードすらカテゴリー化して新規を加えることでハイパーインフレの波に乗せてしまえるので、本当にフォーマットが1つだけでよい
こんなことをできるのは遊戯王くらいだ
それは25年以上かけたつくられたカードプールとインフレの流れがあってこそだ
普通のカードゲームはインフレが始まるとユーザー離れをおこし、それを調整しようとしてさらにユーザーが減ってしまう
だからこそ、一般的なカードゲームは禁止制限一つとってもユーザーへの配慮や説明を怠らない
ときに「○○はデザインを失敗しました」と言い切ることも必要だ
何の説明もなく制限リストだけ出して終わるなんて特級呪物級は遊戯王以外にはありえない
もし、遊戯王がフォーマットを分けていれば「〇〇フォーマットが死んだ」 などと「あのフォーマットはオワコン」と内部分裂しているだろう
適度なブレーキと毎年加速するハイパーインフレは1フォーマットだけで完結する遊戯王のスタイルでしか成立せず、それ以外のゲームが真似することは不可能だ
けれど他のカードゲームからすれば見えている地雷を踏みつけてジャンプしているようにしか見えないのだ
大抵のカードゲームがMtGのやり方を学んでいるのは、遊戯王を見ても何一つ真似できるものがないからだ
MtGも多くの失敗と成功を重ねているが、そのどれもが時系列で並び明確化している
最近だとナドゥやモダホラの失敗もあるが、これ自体も公式がきちんと見解を出している
こういったものが良くも悪くもカードゲーム全体に影響していることであろうことは明白だ
いったいどれだけのゲームが遊戯王のルールや裁定のみの運用をしていると思っている?
例えば「特殊召喚」という言葉を使ってるのはゲートルーラーくらいだし、あの大ヒットしたワンピカードにも Permalink | 記事への反応(14) | 02:13
それといっしょに、
この部分を読んだとき、男性にもそういうのあるんだなーと安心感を覚えた
大学生の頃の私は本当にこの通りの考え方をしていたし、そういうのを拗らせて男性嫌悪にもなっていた
元の増田に勇気をもらったので誰かの参考になったらいいなと思いながら大学に通っていた4年間の間にこじらせていた男性嫌悪とその時から今にかけての恋愛の価値観を書いていこうと思う
大学に通ってた4年の間、私は色々と痛い行動をし続けていた
X(当時はTwitterだったけど)で頻繁に男性批判を展開していいねとリツイートを稼いでいた
男の性犯罪の報道に引リツをして「#また男か」「クソオスは去勢しろ」等と投稿し怒りを募らせ、たまに絡んでくる弱者男性系のアカウントとレスバする毎日を送っていた
ネット上に溢れる『特定の』愚かな男性の振る舞いをあげつらって笑い、それを男性全体に当てはめて見下していた
私の脳内では男性のすべてが潜在的にモラハラセクハラクソ野郎であり、女性より劣った低知能のカスなんだと本当に信じていた
じゃあリアの日常はどうかというと基本的になるべく男性に関わらないようにして生きていた
大学のサークルには入らなかったし、ゼミや必修で一緒になる男子もなるべく話さないようにした
けど、リアで痛いことをしていなかったかといえばそんなことはない
最大の黒歴史を例にするなら、たとえば食堂で面識のない男子二人組にいきなり口論をふっかけたこともある
(恥ずかしすぎて記憶もおぼろげなんだけど、たしかその男子たちは萌え絵か何かのネット上の議論を話していて、ひとりが口走った萌え絵擁護の意見に腹が立って「それってどいうこと!?」って突っかかりに行ったはず…)
少し自分語りになるけど、男性嫌悪を拗らせたときの振る舞いの根源なので、私の過去のネット上での振る舞いについても触れておきたい
しかも拗らせている腐女子だったので、高校の頃からはいわゆる自治厨的な『愚痴垢』での活動を始めていた
知らない人のために補足しておくと、愚痴垢というのは自分の気に入らない人に粘着して陰湿に監視し陰口を言いまくって共有する誹謗中傷垢のことだ
例えば鍵垢にせずR18のBL絵をTwitterに投稿してる人を片端から引リツして仲間内で晒し上げた
(当時未成年なのにエロ絵を見て回っていた自分のことは棚上げだ)
カプ名や地雷展開をタグ付けせずに投稿してる人にも粘着してひたすら叩きまくった
いわゆる『腐女子の村の掟』を破る人をいちいち監視してぐちぐちぐちぐちぐちぐちXで文句を言いまくっていた
BLの掟にとどまらず、例えば露出の多いコスプレイヤーなんかも晒し上げまくっていた
鍵垢の引リツで「芋女が調子乗ってる」「キャラが汚れる」とめちゃくちゃに叩く
その人がBOOTHでエロ系のコンテンツを売っていればすかさずサンプルを晒し上げて「お腹に手を当ててデブなのを隠したいのかな〜????笑」とか「デブ専風俗のパネルみたいw」とか普通に訴えられたら全面敗北するような誹謗中傷を投稿しまくっていた
大学生の頃は通常の垢、愚痴垢用の垢、男性嫌悪投稿用の垢の3つを使い回していて、段々と男性嫌悪垢の運用時間が長くなっていっているような状況だった
「今にして思えば……」ってやつだけど、私の男性嫌悪と愚痴メンタルは根っこの部分で繋がっていたのだ
例の初デートサイゼリヤ論争のとき、私は論争そのものよりもその後に現れた、イラストをパロディーしたコスプレイヤーの女性に対して憎悪を募らせた
初デートサイゼのイラストと同じ構図で胸の谷間を強調しながらフォークを口に運ぶ女性の画像だ
お察しの通り「ブスが調子に乗ってる!!!!!」「弱者男性ごときにチヤホヤされたいとかブスの承認欲求終わってんな!!!!!」系の誹謗中傷をぐちぐちしまくった
私は男性嫌悪系の投稿もそうだけど弱者男性を擁護する女性への嫌悪を強めていった
お気づきの人もいるかもしれないけど、実は私は男性を嫌悪している以上に「男性にちやほやされている女性」に嫌悪を持っていたのだ
別にいじめというほどのいじめはなかったけどカースト上位の女から強いられる同調圧力に私は苦しめられていた
カースト下位の私は上位の女が我が物顔でクラスを支配してる中でタンスに隠れる虫か何かのように息を潜めていた(という自意識を拗らせている)
別に、カーストのトップオブトップ、陰キャにも優しい美人の完璧超人とかはいいんだけど、いわゆるギャル系の女は嫌いだったし、カースト上位でもないくせに妙に男子と仲の良いサブカル女なんかはもう本っっっっっっ当に嫌いだった
嫉妬と言ってしまうと私のプライドがズタズタになって耐えられないので否定したい
とにかく男子に媚びを売る中〜下くらいの女が嫌いだった
そういう自意識を拗らせていたから自分は男子と距離を置いていた
・可愛い服を身に着けていいのはカーストトップオブトップの女子だけ、中途半端な女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない
・化粧をしていいのは可愛い子だけ、ブス女の努力ほど見苦しいことはない
・彼氏を作っていいのは綺麗な子だけ、ブサイクと付き合ってるブサイクは何がしたいの?目が腐るんですけど????
当然私は『選ばれなかった方の女』だから、身分相応に地味な格好をして地味な化粧をしていた
そして、私と同じかそれ以下の女が彼氏を作ったり男子と仲良くしてると殺意を抱いた
世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手にカテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた
要は酸っぱい葡萄だと思う
・私の嫌いなあの女たちが好きになっている「男」なんてのは本来大したものじゃないのだ
・大したものじゃない「男」に必死に尻尾を振っておしゃれして金をかけて取り入ろうとするなんてあの女たちはバカだ
・私はああいう尻軽クソビッチ低脳女とは違う賢い女だから本質を見抜いている
書いてて本当に恥ずかしい
だから男は全般叩きまくっていたし、男に媚びている(ように見えた)女も叩きまくっていた
叩かれる方じゃなく叩く方にいるために腐女子界隈の同調圧力に身を浸し、小学校の頃にできなかった「〇〇さんが悪いことしてました!良くないと思います!」みたいな振る舞いをTwitterの仲間内に行って自尊心を慰めていた
そういうわけで大学生の間中はひたすら男(と腐女子の掟を破る者と男に媚びている女)を叩きまくっていた私だけど、社会人になってからこの嫌悪感は一気に解消された
それは新卒で入った会社でリアルの等身大の男性とコミュニケーションを取る機会が増えたからだ
流石に学生の頃とは違って会社では同僚男性と密に話さないといけない機会も増えた
入社前の私は男性嫌悪の拗らせが最高潮になっていたので「私に舐めた口を聞いてきた男は公衆の面前で論破して泣かせてやる!」「場合によっては金玉を蹴り上げて潰してやる!正当防衛だ!」ぐらいに高ぶっていた(全盛期の宇◯美里かな?)
セクハラやパワハラも行われなかったし恋愛的なアプローチも一切なかった
職場の会議ではこっちの意見を尊重してくれるし、昼休みや飲み会の席でもこっちの気持ちを察して適切な距離感を維持してくれた
当たり前といえば当たり前の話なんだけど、世の中には尊敬に値する男性もいるという現実を目の前にして男性嫌悪も段々と自然に薄まってきた
Twitterから拾ってきた情報だけを頼りに脳みその中でこねくり回して発酵させていた男性像は実在の男性とはかけ離れていた
大学生の間中ずっと動かしてきた男性嫌悪垢のフォロワーさんのつぶやきに対して「いやそれは言いすぎでしょ」とか「この人イメージだけで男を叩いてそう」といった感想を持つようになって、結局社会人になって一年経たないうちにアカウントを消した
さっき書いたことの繰り返しになるけど、尊敬に値する普通の男性だ
ただ、男性嫌悪を拗らせてあれこれ自分で自分に抑圧をしていたせいで、彼氏ができてからかえって失ってしまったことへの後悔がとんでもないことになってきている
彼氏の好きなポイントを発見するたびにそういう後悔で胸が苦しくなる
体育祭で上着の袖をまくってノースリーブみたいにしてハチマキをカチューシャみたいに縛って可愛い子ぶりたかった
何の恥じらいも無く放課後に制服でデパコスを物色してイブサンローランのコスメを買いたかった
今の私はかつてあれほど憎んでいたサブカル系の女子にすら憧れている始末だ
ギターのケースを背負ったまま帰り道にアイスを食べたりとかしたかった
男性嫌悪を拗らせていたせいで貴重な10代を棒に振ったという後悔で本当に胸が苦しい
私の顔面じゃキラキラした青春を送れたのかわからないけど、それに挑戦することはいくらでもできたはずだった
段々何を言いたいのかわからなくなってきた
幸い私は元の増田のように精神科にかかるほど重症化していたわけじゃなかった
もしあのとき新卒で入った会社でセクハラなり何なりされていたらもっと男性嫌悪を拗らせて酷いことになってたかもしれない
むかしむかし、ハロウィンとクリスマスのちょうど境目にいる「境界の魔物」という不思議な生き物がいました。その名も「サカイ」。サカイは、11月1日になると現れて、ハロウィンの名残とクリスマスの気配を見守りながら、街を静かに歩き回ります。
サカイの姿はとても奇妙で、片方の翼はコウモリのように暗く、もう片方の翼は雪のように白く輝いていました。
その姿は、ハロウィンとクリスマスの両方の要素を持っているため、人間からは「混ざり合った季節の使者」とも呼ばれました。サカイは街の飾りや空気の中に残る、かぼちゃの匂いやキャンディの甘さ、そしてクリスマスツリーのキラキラした装飾をひとつひとつ味わっていました。
サカイには使命がありました。それは、ハロウィンの霧を静かに晴らし、クリスマスの柔らかな光を導くことでした。サカイは街の子どもたちや動物たちに見えないように、夜中に動き回り、かぼちゃランタンをそっと片付け、代わりに小さな雪の結晶を残していくのです。ハロウィンの魔法が完全に消えてしまう前に、ほんの少しだけクリスマスの魔法を忍ばせておくのがサカイの仕事でした。
しかし、ある夜、サカイが小さな町を歩いていると、一人の女の子が泣いているのを見つけました。彼女はハロウィンが終わってしまったことに悲しみ、でもクリスマスが来るのはまだ早いと感じて、どこか寂しそうにしていました。サカイはそっと彼女に近づき、片方の暗い翼を広げて、かぼちゃの香りをふわりと漂わせました。そして、もう片方の翼を広げると、雪のように白い光が辺りに柔らかく広がりました。
女の子は驚きながらも、不思議な生き物に安心感を覚え、涙を拭いて微笑みました。「ありがとう、サカイ」と小さな声でつぶやきました。それを聞いたサカイもまた、静かに微笑み、再び夜の霧の中へと消えていきました。
サカイが去った後、女の子は心がほっこり温かくなり、ハロウィンとクリスマスがどちらも特別で素敵なものだと気づきました。そして、街にも新しい季節が静かに訪れる準備が整っていたのです。
それ以来、サカイはハロウィンの終わりとクリスマスの始まりの間の夜にだけ現れ、ハロウィンを惜しむ心とクリスマスを待ち望む心の橋渡しを続けていると言われています。
「仕事の役に立つ」「自分を成長させる」「人生観が変わる」タグがついた記事を必死にブックマークするが、一度も見返さない
「この世のすべての知識を手に入れよう!」と張り切ってブックマークを増やしすぎた結果、カテゴリ整理が手に負えず、結局全部「あとで読む」にまとめられる。
「あとで読む」記事を1000個ブックマークしたけど、やったことは0個。
「こんな有益な記事があったのか!」と自分で発見し感動するが、よく見たら数年前に自分が保存してたやつだった。
「はてブでコメント書けば、友達と会話した気分になるからもう孤独じゃない」って言ったら、友達に「もっと孤独になるやつ」と突っ込まれる。
「またブックマークが増えたけど、読まないといけないプレッシャーがすごい」とつぶやきながら、そのプレッシャーを乗り越えるために新しい記事をブックマークする。
ブックマーク数1000の有益そうな記事を見つけたのに、内容が「意識高い系の朝ごはんは何がいいか?」というどうでもいいものだった。
他人のはてなブックマークのコメントを見て、「この人と価値観合うな〜」と思いきや、全然違うジャンルばかりブックマークされているのを見つけてびっくりする。
いざ「整理するぞ!」と思った瞬間、急に気分が重くなり「来世の自分に任せるか…」とタブを閉じる。
「みんなが保存してるし、これは読むべきだ!」と思って保存したけど、一度も開かず「人気記事に流されてるだけじゃん」と冷静になる。
Twitterでは「裏金を暴いたのは赤旗なのに、共産党が議席を増やせないなんて……」のようなつぶやきが多く見られる。
自分は5年くらい前から共産党に投票するようになったけど、そんな自分でも「共産党が議席を増やせるわけねーだろ」と思っている。
ニュースに興味などなく、投票も行かなくていいと思っていた側なので、そもそも共産党という言葉のイメージが悪い。共産党と聞くと「なんか中国の、全員が同じ思想になることを目指してる宗教的なやつ」くらいのイメージでしかないと思う。真っ先に消去法で消す政党でしょう。
あと、赤旗が暴いたし、報道が素晴らしいのは事実なんだけど、そもそもニュースを誰が暴いたかなんて興味ないでしょ。朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、読売新聞のスタンスの違いすら知られてないと思う。
ニュースを仕入れるのはYahooのトップニュースの見出しかSNSで流れてくるやつくらい。たまに興味を持ったとしても「比例で復活」「宏池会」「連立政権」などの単語が当たり前に出てきて、知識が求められる。
野球好き以外はパ・リーグとセ・リーグの違いを答えられないし、興味もない。サッカー好きでもない限り、何人でやるスポーツかも知らない。ニュースってニュース好きっていう趣味人のためのもの。
だから、多分、共産党がやるべきなのは、Tiktokで「難しい単語全てに注釈をつけて、ニュースを60秒で解説する、優しいお兄さんお姉さん」的なことだと思う。
増田には実際に名前がついてる有名な投稿者もいますね。以下、代表的な「増田」を10人紹介します。
「ウニになる」という言葉を生み出した増田。過労やストレスで心身ともに疲れ果て、何も考えずに「ウニ」みたいになりたいという投稿が話題に。
「ちょろい女」と自称し、恋愛のエピソードを赤裸々に語る投稿が人気を博した増田。ちょっとしたことで心が揺れ動く様子がリアルで共感を呼びました。
赤ちゃん言葉で日常のつぶやきを綴る増田。ユーモアあふれる文体で、ネットのあちこちで話題になりました。
「疲れた」とだけ書き続ける増田。シンプルだけど、共感を呼ぶ強いメッセージで、多くの人が彼の気持ちに寄り添いました。
モヒカン的な生き方を主張し、自分の信念を持って仕事や日常を語る増田。考え方が独特で、ファンも多い。
やりがい搾取の問題についての投稿が話題になった増田。会社のブラックな実態を暴露し、多くの共感を集めました。
自分をアルパカにたとえて、のんびりとした日常のエピソードを綴る増田。ほんわかした雰囲気が人気です。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズのキャラクター、オルガ・イツカの名台詞をもじって、自分の人生の迷走ぶりを嘆く増田。
「マグロになる」というフレーズで話題になった増田。もう頑張りたくない、ただ流されて生きたいという気持ちを象徴しています。
自分の恋愛観や人間関係における振る舞いを赤裸々に語り、「メンヘラを生み出してしまう」と自己分析した増田。共感を呼ぶと同時に、議論を巻き起こしました。
はてな匿名ダイアリーを哲学的に考察すると、そこには現代の「実存の危機」が表れていると感じます。
匿名というシステムは、人間の存在における「個」のあり方を曖昧にし、普段は隠されている無意識の深層をさらけ出す舞台になっている。
これは、普段の社会生活での「仮面」と対照的な、真の自分、もしくは抑圧された自分が表出する場と言えるでしょう。
匿名性は、表現の自由を促進する一方で、責任を伴わない発言を可能にします。
この無責任な言論空間は、ニーチェが指摘した「価値の真空状態」に近いものがあり、秩序や道徳が薄れることで人々の真の欲望や不安が露わになる。
そして、その欲望や不安は、他者に対する攻撃性や嫉妬、無力感として現れることが多い。
つまり、匿名ダイアリーは単なる愚痴の吐き出し場所にとどまらず、現代社会が抱える構造的な問題、例えば孤独や疎外感、自己認識の葛藤といったものを映し出しているのです。
さらに言えば、匿名性によって自己を解放したはずのユーザーたちも、結局はその書き込みを通じて「他者に見られること」を求めています。
存在が認識されることで初めて実感できる「存在の意味」を、彼らはこのダイアリーで探し求めているのではないでしょうか。
これこそ、サルトルが言うところの「他者のまなざし」から逃れられない人間の性質そのものです。
結局、はてな匿名ダイアリーは、無数の「匿名の個」が集まって形作る現代の「群衆の孤独」を象徴しているのです。
そこで繰り広げられる言葉の交錯は、ただのつぶやき以上の意味を持ち、私たちが「何者であるか」という問いを再考させる場所でもあるのかもしれません。
ちゃんと朝に起きることは少なく、そういった日があれば警察からの取り調べの日との疑いがあり、実際警察関連のつぶやきが多くなる
一時期は「そろそろ逮捕されるぞ」「警察は月曜日に来る」「朝の5時や6時に来るぞ」というアンチの脅しの影響か、月曜日は朝の7時ぐらいまで起きていることが多かったが、最近は疲れたのかまたバラついた
何時に寝るかを確認し、起床予報するのが暇空界隈のブームになっている
758 名無しさん@お腹いっぱい。 (アウアウウー Sab7-Ki8+ [106.154.135.26]) sage 2024/10/07(月) 06:43:47.09 ID:NODKlloOa
暇さん就寝。
予想起床時間
今日の起床予報は大当たり
暇空茜
@himasoraakane
予報より1分早く暇空が起床のツイート
それはやっぱり読者なんだよね。
たとえば、宇多田ヒカルがこのウェブ小説おもしろいよなんて一言SNSでつぶやきでもすれば、あっという間にその小説の評価は上がる。
宇多田ヒカルが読んだんなら自分も読んでみたいなと単純に思う人間ばかりだから。
逆にそういう影響力の持たない読者がいないなら、一生評価されないわけ。
421 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6f85-wLKt) 2024/09/30(月) 13:40:52.17 ID:zj37zkoE0
459 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6f85-wLKt) 2024/09/30(月) 13:51:22.42 ID:zj37zkoE0
※実話です
・りんご飴を買うお金がなく、物欲しそうにじっと商品を見つめている母子
・ヨーヨー救いのお店の人に「なにが祭りだ!ヨーヨーなんて売るな!」とブチギレているおじさん
・変質者に声をかけられるのではないかと、肩を寄せ合って怯えている女子中学生たち
@tm2501
これと似たようなつぶやきを自分が依頼を受けた作品全部赤字のシナリオライターがしてた。
逆にサークルとして売れっ子のシナリオライターはファミレスで作業してて横のカップルへのジェラシーを書いてた。
だからこの手の書き込みは所属してることが自慢で実力がない人の戯れ言だよ
@tm2501
社会性を売りにしてる人の作品が関わったがほぼ全部赤字なのを知ってるから
というスタンスです。
実力がねぇから、コネでしか他人に存在を引き立ててもらえない人達が「社会性」なんてモノに逃げてるだけ。
一生駄サイクルしてたらいいよ
@tm2501
これをやってる人が「関わった作品全部赤字」になっているのを見て、
「本当にクオリティ上げるための努力と、表面的な人間関係は別物。」
「本当に命削って、無理しないといけない時でも体裁気にしてSNSで自慢話してるだけのやつは信用しない」
が私の得た教訓です。
人当たりと結果は違う
女物の洋服のポケットのショボさは何事であるかとまた話題になっていた。今回は女性もののズボンのポケットがワイドシルエットにもかかわらずやたら浅くてびっくりした、というつ男性のつぶやきに端を発したようだ。
浅さにびっくり、異論なしである。正直おりものシートくらいしか入らない。しかし、個人的に大事な視点だと思っているのは、女性はトイレで毎回ズボンを下ろすという事実である。
私はスカートを一枚も持っていない。また背が高いこともあり、男性もののボトムスを身に着けることも多い人生であった。そして男性もののズボンを穿き、「おっ、ポケットがあるな!」と思って携帯や財布などをねじ込み外出した暁には、トイレで用を足す際にポケットからものを落としてしまうことが多かったのである。さらに厳しいことに、昔は和式が多かったため被害は甚大であった。辛い経験を重ねていつしか私はことズボンにおいては男物女物問わず、カーゴパンツについてるようなフラップ付き、またはジッパーで閉められるようなポケット、もしくはあきらかに誰がどう見てもクッッッソ深いポケットしか信用しなくなったのである。
スカート界では大きなポケットがついている洋服も増え、福音となっているようである。ズボン界で同様の試みをされる方たちは、ぜひ上記の体験を頭の片隅に置いてほしいなー
おわり。