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2018-02-22

ダンスサークルに入って一年で辞めたよ~て話

数年前のことなのですが

ずっとモヤモヤモヤモヤしてることを文章にしてスッキリたかっただけです

かなり情けない話しかしてないですが説教アドバイスもされたくないで~す!!!


友達に誘われて幼稚園から6年間ほど新体操を習っていた私は

ダンスがやりてぇなぁ…とずっと思ってて

一人で習い事も始められない性格なので、そのまま高校卒業した。


ダンスを始めるなら大学サークル活動最後のチャンスなのではないか…?

そう思って、今世紀最大レベル勇気を出して大学内のダンスサークルに入部した。

部員大学女子大でした)内の学生のみ、ジャズダンスを中心にジャンル色々。


サークル雰囲気はと言うと、全学年合わせて20人くらいで

こじんまりしたサークルなので全員仲良し!!!みたいな雰囲気を作らされる。

これがまたハズレだった。

同期1年「先輩大好き!!きゃっきゃっ!!公演絶対観に行きますぅ~~!!!

先輩(特に部長)「とりあえずみんなで居れば楽しいよねっ!!!

私「オェ…」(明るく振る舞いましたけど)


入部を決めた1年は確か13人居た。

が、数回の活動で7人にまで減った。(ヒュウ!)


活動は月水土の週3。週2なら頑張れる気がするなぁ…と思いながらダンスサークルは1つしかないので…

1年次は必修の授業が多く、全休など無いどころか1限から5限まである日も多かった。

月水のサークル20時までやっていたので、家に着くのは22時半くらいだった。

なかなかしんどくなってきた。

(私はオタクなのである!!!受験期に我慢して撮りためた録画が消化できないどころか

この年は自分アニメ豊作期なのに全く観る時間がなかった絵を描く暇もない!!!


夏休み前だったかな 事件が起きる。

同期の中で唯一サバサバした感じの子が退部した。

ダンスはそこそこ楽しい人間関係が無理すぎた私「ウワ~一緒に辞めたい!!!


そして決定打。

部長「後期から定期公演に備えて週4にします」聞いてねぇよ!!!!!!!!!!!!

部長「あとごめんなさい 大学祭ステージ申込み忘れちゃって出られなくなっちゃいました」

ふざけんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

自分時間が欲しいし人間関係はめんどくさいし何よりこの部長に従いたくない、

絶対辞めてやる!!!!!!


ということで辞めたいですって話を部長にした。本音など言えるはずもないので

「やる気がないです。やる気無い人が居ても迷惑だと思うので辞めます」的なことを言ったと思う。

もちろん引きとめられたんですがその返事がまた衝撃的で

要するに「やる気がないならやる気出して辞めないで」と言われ(???

自分時間が欲しいです」と言えば「天秤にかけないで」と言われ(?????)

退部チャンス失敗。


本当に気持ちが冷めてしまったので、心底嫌々サークルに行った。


ある日別室に呼び出されて同期に囲まれた。なんだ説教か?お?やんのか?

辞めないで、って話と嫌な事があるなら言って、という話だった。

いや!!!そういうところだから!!!!?!?!?キッショいよ~ママ~~~!!!


文系女子ってどうしてこんなにめんどくさいのか(偏見ですごめんなさい)

グループラインで「明日○○ちゃんの誕生日にこれあげたいんだけど

今日バイトで買いにいけないから誰か買いにいってくれない?」とか平気で来る、

嫌で~~~す!!!あ~私は心の無い人間なので…ハァ…


本音を言えるわけがなく、お金とか体力とか覚えが悪くてついていけないとか適当に誤魔化したが

この場が無理すぎて恥ずかしながら泣いた。いじめられてる気分だよ!!!


どうやらこのタイミングで辞めるのはマジで迷惑かけそうなので、

12月の定期公演まで残ることに決めた。私もちょっと我慢して頑張ろうと思った。えらい


しかし週4はマジのマジでキツい(ので、この日は休んでいいよって調整してもらったりした)

真冬帰宅即就寝4時起き朝風呂1限登校みたいな日は虚無だった。

一日のうちぼーっとする時間が全くない日もあってそこそこヤバめの精神状態だったと思う。


またまたしんどかったのが、公演のチケットを1枚500円×10売らなきゃいけないノルマ

あの退部した子に1枚買ってもらって、残りは当然自腹になった。色んな意味で悲しかった。


そして迎えた12月の定期公演

を終えると、みんなは呼んだ友達と集まって盛り上がっているわけだが

私は呼んだ友達が居なかったのですこぶるみじめな気持ちになった。


そして無事に、やっと、サークルを辞めることができた………!!!

自分時間を取り戻した今はアニメ観て絵描くなどして楽しいインタァネットをしています


余談ですけど、私は痩せ形で特に上半身がめちゃくちゃ貧相なせいで

もともと上手くないダンスが余計に下手に見えた。これはしゃーないんですが。


アイドルオタクなせいでダンスについては目が肥えているので

動画に撮った自分ダンス改善点は大体わかる。

続けてたらもっと上手く踊れてたんだろうな…とずっと思っている


経験して辞めたせいで自分ダンス大好きってことを改めて自覚してしまったので

大好きなアイドルが歌って踊っているのを見ては「私もあの場所に立ちたいなぁ」と思い続けるのである

これは多分一生共にする呪いなのでもうどうしようもできない…

アイドル応援しながら嫉妬してる私なかなか滑稽)

ドルオタのオッサンも「自分アイドルになりてぇ~!」って思ったりするんですかね)


辞めたタイミングで、友達がユニドル誘ってくれたりもして

かなり興味あったんですが、インタァネット自分顔面載るの無理すぎるのでやめておきました


もう本当に、オタク趣味時間いっぱいいっぱいなのに

今でも時々ダンスやりたい気持ちが爆発して、しんどいなぁ~

ダンスやりたいって感情ベストオブ自分必要ない感情だと思います


勢いで書いたクソ文章を読んでくださった方ありがとうございました

来世は最年少記録塗り替えて10才でモーニング娘。になって見せますのでその時は応援してください。

anond:20180222013606

内定出てて、単位足りなかった先輩いました。一般企業でしたが、足りない単位分、

たぶん夏休み???補講うけたとかで、なんとか遅れて半年後にだったかな?卒業証書もらって、仕事にはちゃんと4月から通われていた筈です。

先輩の処みたいに、公務員じゃ甘くないかもしれませんが、一度彼氏さんの大学の学窓に相談されては?

折角の就職先ですし。融通効かないかもしれないけれど、内定有りなんだからもったいないです。

2018-02-20

https://anond.hatelabo.jp/20180219100532

実際、習い事は回転率のせいか探せば安い。金を出せば質を追い求めて選ぶ事が出来る選択肢がある。動物園博物館などの公金を使ったインフラ自転車で行ければ年間パスでほぼタダの状態。毎週でも毎日でも行ける。また、夏休みなどのシーズンになれば、それらの施設無料または破格の学習イベントも開かれる。資格取得の講習なども。

家の広さと天秤かけて、どちらを優先するかは自由だけど。

anond:20180220082129

甲子園を夏にやるのは単に夏休み期間だから

それに対して穿った見方をしている連中が「夏に苦しんでやるのを楽しんでる連中がいるから」と決めつけてるだけでは

2018-02-15

狂犬、それはマッドドッグ

いつも出勤時に乗る電車にいつもいるおじさんがいる。

いつもよだれをたらしながら、「う"ーう"ー」と唸っているので、

みんなからは「マッドドッグ」と呼ばれていた。

マッドドッグは誰かと接触することを特に嫌うようで、

肩と肩がふれると「がるぅううう」と喉をうならせる。

夏の暑い時期に、夏休みっぽい学生さん御一行がぶつかった時は、

「(ぐぉおおお)」と声こそ口にでていなかったが、低唸り声が車内に響いていた。

そんなマッドドッグが今年に入ってから姿を見せなくなった。

なんでも、踏切で立ち往生していた老人を助けようとして、

マッドドッグも老人も轢死したそうだ。

2018-02-11

最後、別れるとき、涙が出てきた。

またすぐ来ようと思っているし、また会えると思っているのに。

もっと意識の深いところで、もう会うことはないだろう、最後かもしれないと感じているのだろうか。

小学生の頃のある夏を思い出した。その頃は家族四人で毎年夏休み飛行機に乗って祖父母のところを訪ねていた。ある年、夏の滞在が終わって飛行機が離陸するとき空港笑顔で手を振る祖父母の顔を思い出して涙が出てきたことがあった。おかしなことだと思った。毎年来ていて、来年もまたきっとくる。泣くほど悲しいことは何もない。でも、その次の年から祖父母のところを訪ねることはなくなった。

2018-02-10

レンタルTVアニメ新規入荷危機対策本部(個人運営)からのお言葉2月

1月以来のご無沙汰でした。

まず先にお詫びと注意書きを致します。

俺はただ、ひそやかにけものフレンズや工口マンガ先生メイドインアビス宝石の国DVDレンタルして楽しめていればそれでいいと感じていました。

でも、それをツタヤゲオのそれぞれの大元は踏みにじってきましたよ。だから、ここまでのすごい意見を書くことになったんですよ…。

※注意書き

このご意見文には鉄血40話以降のシリアスイベントクロスアンジュ全般よりもしんどい内容が含まれています

また、けものフレンズについて、2017/9.25ショック以降複雑な感情を抱く様になった側と925ショック後も終始けもフレに付いていく事を決めた側両方の

言い分を代弁しており、

劇中女性キャラ比率が51%以上の作品否定的女性アニメファンは閲覧しない方がいいレベル

辛い表現もあります

そしてエヴァブーム以降ダークでシリアス世界観で喜ぶ者たちにとっても厳しい表現もあります

2018年1月31日。また新たな悲劇が起きた。

俺が希望の花としてツタヤゲオにまんべんなく入荷されることを望んでいた「ポプテピピック」が入荷されていないことをアプリ確認した。

…ここまで狂った入荷政策するのかよ。けもフレ2017年有力組入れなかった挙げ句今年の有力組第一号までないがしろにするなんておかしいだろ。

ツタヤグループよ、ゲオグループよ。

けもフレや工口マンガ先生月がきれいメイドインアビス宝石の国ブレンド・Sに続きポプテピピック

需要見込めなさそう」とか言って突っぱねたくせに

その一方でハンドシェイカーアイドル事変

クロックワークプラネット異世界はスマートフォンとともにCode:Realizeなんかを「需要見込めそうだ」などと考えて

多数の店にまんべんなく入れやがって!!!!!

ふざけんじゃねえよ!!!!!!!!!

それだけでなく成果の可否問わず小林さんちのメイドラゴンガヴリールドロップアウトひなこのーとといったソフト百合系のほのぼの枠も入れようとしなかったじゃねえか!!!!!!

あと2017年秋の日常枠・ハートフル枠・冒険枠であった

ブレンド・Sこのはな綺譚少女終末旅行すら無視された!!!!!

一方で捏造トラップクリオネの祈り、妖怪アパート喧嘩番長乙女~とかギスギス系や腐女子系は多数の店にまんべんなく入ってやがる…さらに品揃えをしんどくて嫌になるものにしやがるわ

イケメン拝みたいなら、シリアス欲しいならFate関連や進撃、ガンダム関連でも間に合うのに何でだよ…おかしいだろ

はっきり言って2017のツタヤゲオアニメ新規品揃え政策はあるべき作品を僅かな店にしか置かなかった歴代最低最悪レベルじゃねえかよ!!!!!

先月末家から最寄りのツタヤ新規入荷複数あったが…

はっきり言って「リアタイ時に通常通り入れるべきだった作品」ばかりじゃねえかよ!!!!!

無彩限のファントムワールド(第1巻レンタル解禁から1年10ヶ月)

Charlotte(第1巻レンタル解禁から2年4ヶ月)

アカメが斬る!(第1巻レンタル解禁から3年以上。ゆゆゆチームの一部が関わってる)

甘城ブリリアントパーク(第1巻レンタル解禁から3年)

リトルバスターズ(第1巻レンタル解禁から5年)

一体何でリアタイ時に通常入荷出来なかったんだよ!!!!!

アニメ作品サイクル加速化に飲み込まれ視聴者から見たら「スーパーオワコン大戦X」と言われても過言じゃねえだろ!!!!!!

どうせならきららファンタジアサービス開始に肖ってきんいろモザイクシリーズ

桜Trick、NEWGAME一期(ごめんなさい二期は黒歴史です)、ステラのまほうを入れれば良かったのにまた失策なのかよふざけんな!!!!!(´。つД⊂゚。`)ぇんぇんwww

2003年当時、2ちゃんせろーんという所でテニスの王子様への批判に対する反論をした者に対して汚いAAでの攻撃など

2chでは腐女子バッシングが盛んだった。

でも俺はその腐女子バッシングに対して疑念を持ち、近年ではアニヲタWiki銀魂関連の記事での腐女子ヘイト発言を敵視きてたさ。

ガンダムSEED先駆者とする現行の腐媚びシリアスアニメ

パンドラハーツ07-ghost黒執事

これらの作品が出てた時は俺はまだ寛容な考えだったさ。

だが今の俺は新規の腐媚びシリアスものに対して激しい嫌悪を抱いてるんですよ。

みんなツタヤゲオの去年の新規アニメ入荷政策が悪いんだよ!!!!!

俺は怖いんだよ。封神演義(新)や博多豚骨ラーメンズが1巻につき4~5つ入ってくるのが。 あと他の腐女子関連も嫌悪対象!!!!!

学園ベビーシッターズサンリオ男子アイドリッシュセブン乙女ロードツタヤゲオだけで取り扱ってて下さい。 って感じだよ。

ツタヤゲオが去年にけもフレ入れていれば、工口マンガ先生を、メイドインアビスを入れていれば、

そして癒し枠としてひなこのーと入れていれば、ここまで心を閉ざす事なんでありませんでしたよ!!!!!

あと一番怖いのはデスマーチから始まる異世界狂想曲が全国のツタヤゲオにまんべんなく入荷される最悪のシナリオなんだよ!!!!!

どうせツタヤエイベックスKADOKAWAとの契約田舎の店でも1巻につき10本入れる様にするんだろ!!!!?

こんな奴のせいで入るべき作品がみんな蔑ろなっちまうんだろ!?嫌だ嫌だやめてやめてやめて(´;ω;`)

あの陰鬱まりない「クジラの子らは砂上に歌う」のゴリ押しも嫌だし

究極の絶望であるDYNAMIC CHORD」のゴリ押し

時間の支配者」のレンタル解禁&全店ゴリ押しされるのも嫌だよぉ…(´;Д;`)

事実上ギブミーガバメントシリアス&

ギブミーガバメント腐女子状態となったんですよ、俺は…

その通りシリアス・ダーク系への憎しみも増大しているんですよ。

はっきり言ってツタヤゲオ新規入荷選定はFGO塩川プロデューサーイオク様、岡田磨里&長井龍雪&小川正和の鉄血トリオコツメカワウソやらせた方が良識あるラインナップになってたのに…

これによって2018年クール結論が出ました。

レンタルTVアニメ新規入荷危機対策本部(個人運営)」2018年クール

ツタヤゲオ全店入荷奨励アニメリスト

三ツ星カラーズ

ゆるキャン△

スロウスタート

ラーメン大好き小泉さん

ツタヤゲオ全店入荷反対アニメ

デスマーチから始まる異世界狂想曲(つーかレンタル解禁永久にしないで下さいこ作品が表に現れてるかぎりスマホ太郎トラウマを思い起こさせるから)

学園ベビーシッターズアイドリッシュセブンサンリオ男子(事実上2017年悲劇を繰り返させないためのサクリファイス)

あと以下の作品の全ツタヤゲオへの入荷を要求する

第一優先組

けものフレンズ(1巻につき最低2つの特例)

・工口マンガ先生

月がきれい

メイドインアビス

宝石の国

ブレンド・S

ポプテピピック

第二優先組

ガヴリールドロップアウト

小林さんちのメイドラゴン

ひなこのーと

ひなろじ

このはな綺譚

少女終末旅行

最後

ツタヤゲオけものフレンズ入荷の件でここまで後手後手に回った責任をどう取ってくれるんですか?

けもフレ黄金期はテレ東での深夜本放送最終回から2017年9月25日夕方までだったと感じてる人だってますよ。

夏休みに既刊全て入れてその後5~6巻を順次に入れる事だって出来たのにしなかった…

このようなささやかなことをしてくれたら俺はこんなレベルの長文なんて書くことありませんでしたよ。なのに…おかしいよ

2018-02-09

学校に行かせたくない

アスペルガーの息子を学校に行かせたくない。

学校特性悪化している。

家では着実に進歩しているのに。

転校も考えたけれど周りにアスペルガー理解支援してくれる学校がない。

息子の問題行動で困っているお子さんが何人かいることに激しい罪悪感を覚えて、私の動悸、頭痛が止まらない。

しかも、息子の被害を直接受けていないマウンティング好きのお子さんが連日我が家の呼び鈴を押す。

何でこいつに頭下げなきゃいけないの?

学校に行かなければ私も息子も苦しくない。

夏休み冬休みは実に落ち着いた良い日々を過ごした。

今、息子は毎日学校での問題を私に怒鳴られて、家にも学校にも安らぎがない。

学校自由帳に死にたいと書いていた。

息子をいじめる(大半は息子の勘違いであるが、実際に軽くいじめられてもいる)クラスメイトが死んでほしい、自分死にたいと。

学校のコーディネーターは、息子くんお友達を作りましょう、の一点張り

そんな次元じゃないでしょう。

夫はやっとこの悪循環を知った。

でも今さら

私は夫からも息子からも逃げ出したい。

毎日が苦しくて仕方がない。

2018-02-05

うる星やつらの思い出

小学生の頃、夏休み特別番組で「うる星やつら」を食卓で見ていたとき、多分現役世代だったであろう両親の会話

親父「なに朝から変なもん見てんだ」

母「何言ってんのあんた、うる星やつらじゃないの」

を聞きながら、

(いやいや母よ、その文脈で言うとうる星やつらは十分「変なもん」だろう)

とか思ったのを何故か強烈に覚えてるってだけの書きなぐり。

大人って理不尽よね。

2018-02-03

anond:20180203213633

う~む、贅沢できることより、お金のためにあくせくしなくて良いのが羨ましい。年収900万とか書いてあったけど、それはそれなりの時間労働に割いていてその収入なの?私が同じ立場なら多少年収が減っても、週3~4日しか働かないとか、2ヶ月働いたら1ヶ月休んで海外旅行とか、時間自由になる生活がしたい。

私はそこまで年収資産もないけど、収入が平凡なことより、とにかく早起きして毎日仕事に行って、休みは週二日で、海外とか行きたかったら夏休みに一週間ぐらい行くのが限度という時間的拘束に疲れている。あまり贅沢をすることにメリットを感じておられないようだけど、時間お金で買えるというのが最大のメリットではないかと思う。やりたくない家事外注し、行きたい旅先が多少不便でツアーが高額とか専属ガイドを雇わないといけないような場所ときに躊躇せず行きたい所に行けるとかそういうのが良いなぁ…と思う。

2018-02-02

高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。

しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかいかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビング数学課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。

その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。

そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。

そしてその人が通っていた難関大学志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死勉強した。


次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部院生で(院生から学部おかしいか)俺は文系比較偏差値が低い方だ。

それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったか約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメール告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションエントランスで話して、付き合うことになった。


それから彼女卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼント背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。

冬が過ぎ、また春がきて、彼女就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。

学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。

それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。

箱根に泊まり旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。

本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。

それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位結構取り落としていた。それからまた大学バイトゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。

就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女就職した会社ブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。

そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばいそもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手いるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。

電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。

突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。


そんな彼女明日結婚します。

2018-02-01

自分より評価されている他人馬鹿にせずにはいられない物書きの話

 最初に前提として私の性格を言っておこう。

 まず、プライドが高い。文才も地の頭の良さも無いのに、どうしてか自分は頭が良いと思いがちである

 そして、他人との比較による評価判断の重きを置く。

 極め付けには、「プライドが高く才能も無いのに相対評価にいつもびくびくと怖気付いている私は馬鹿なのだ」と分かりきっているようなことを考えて、まるで自分のことを本当に理解しているからこそ卑下するのだという態度を取る。

 こんな人間の戯言でも良ければ見ていってほしい。

 私は二次創作小説を書いている。ペースは1〜2週間に8千〜1万字程度の短編を一本。生活を圧迫しない程度に小話を書いて満足している、趣味には飢えていない物書きごっこ大好き遅筆人間である

 小説を書くのは楽しい。また理解出来ないようなキャラクタの心情をどうにか知ることは出来ないか考察に走ってみることも楽しい。但しその考察目的が「キャラクタを知りたい」というものである以上、その楽しみが「考察をすること」に留まってはいけないと思うし、考察によって自分が得た「キャラクタの心情」が一次のキャラクタが持つそれと同一である盲目的に信じることもいけないと思う。

 話が逸れてしまったのですぐ上で述べたことを繰り返すと、私は文章を書くことに対して喜びを感じている。元々勉強でも現代文が一番得意で、本も同年代の平均的な読書量と比べれば読んでいる方だろう。文章に対して苦手という意識は無く、文を読むこともこねくり回すことも大好きな部類の人間だ。

 だから好きなキャラクタについて文章を書くことも楽しいし、それ自体目的であり手段であるのなら「○○について話書くのたのしいな!」で思考ストップしても別に構わない。それが当然の帰結であろう。

 けれど、そこで終われないのだ。

 書き終わった後作品コミュニティサイトにアップし、どれくらいの人から良い評価を得られるかが気になってしまう。数時間おきにページを開き、通知を確認してしまう。

 その上、他人が書いた作品に付けられた評価自分作品に与えられた評価とを見比べ、一概に言えるわけもないのに「自分の方が上手い文章であるのにどうしてこの人の方が褒められるのか」と苛立ってしまう。“一概に言えるわけもないのに”という表現からも、私のプライドの高さが伺えるとは思う。

 pixivを例に挙げると(実際私が今小説投稿しているサイトpixivではないが)、pixivには閲覧者があなた作品が好きですという感想マウスをワンクリックするだけで伝えることの出来る「すき!」という評価システムがある。

 勿論閲覧してもらうこと自体嬉しいのだが、好きだと言ってもらえることはもっと嬉しい。嬉しくてたまらない。しかしその嬉しいという純粋感情は、次第に「私はこれだけ評価されている」という目を背けたくなるような慢心へと姿を変える。

 そして評価されているのは私ではなく私が書いた小説であるということにも気が付かずに、「私はこれだけ評価されている」という偉ぶった思いが、いつのまにか「他人があれだけ評価されている」という妬ましい思いにすり替わっているのである

 実際pixivではランキングという一つの評価指標のようなものがあり、そのランキングがその時の利用者の間の流行に左右されて一つのジャンルで埋まることがあるとしても、競争心のようなものが煽られているような気はしなくはない(利用者が気軽に「評価の高い≒高確率でハズレではない」作品を閲覧出来るようにという意図によって作られたのだろうけれど)。

 しかし私の利用しているサイトではランキングシステムはなく(世間様の目に触れてはいけないようなジャンルを扱う人々が作品をアップするサイトであるからかもしれない)、皆恐らくのんびりと創作に勤しんでいるはずだ。競争心を煽るようなものはどこにも見つからない。

 にも拘らず、だ。私は人様に寄せられた好意と私の作品に寄せて下さった好意とを失礼なことに比較して、剰え自分の方が優秀であるだろうなんてことを考えている。好意を寄せる人々とその“人様”とを侮辱しているようなものではないか

 まあ多分、きっと、私の文章面白くないのだ。それに今熱中しているジャンルは、本編の放送が終了してしまっている。だから離れていってしまった人も多いのだ、というのは言い訳として言わせてほしい。実際閲覧数も落ち着いてきている。

 でも、本当に面白くないのだとは心の底では思ってなどいない。そんなの認められない。認めたくないのだ。だって、私にはプライドがある。私の文章面白くないわけないじゃないか、という捨てられない最後の砦がある。

 どうしてそんなクソみたいなプライドを持ち合わせてしまたかというと、それは中高時代経験が多分にある。

 私は中学受験をして、世間からお嬢様学校と呼ばれるような学校に入った。御三家第一志望とする受験生が第二・三志望で出願するような学校で(当時の話だ。今がどうかは知らない)、毎年数人が東大に行き、学年の半数以上が早慶上智、少なくとも皆GMARCHには行くくらいのレベルのそこそこ進学校である。めちゃくちゃバレバレだが。

 小学校では中学受験をする子が周りにおらず、親も褒めて伸ばすタイプだったのが逆に悪かったのか何なのかは知らないが、いつのまにか私の中には「自分は頭が良い」という意識が生まれていった。

 しか中学に入って、私はだんだん勉強に追いついていけなくなる。100点のテストで70点しか取れなくて悔しがっていたのが、いつしか苦手科目や5教科以外の試験なら平均点や満点の半分の点数を取れればまあ良いやというようになってくる。

 初めは真面目に通っていた鉄緑会も辞めてしまい、鉄壁はその厚さにギブアップしてターゲット1900に切り替えるなど楽な方を選択して勉強もまともにしなかった為、高3では地獄を見る羽目となった。

 それは元々の私の性格である怠惰さや勉強があまり好きではないという思いから来るものであり、また自分よりも学にも芸にも秀でている友人を見ていくうちに漸く得た「なんだ、自分って大したこと無いんじゃん」という諦念の感によることだったのかもしれない。

 けれど、私は「自分は出来る子だ」というプライドを捨て切れなかった。

 夏休み課題で提出する小説で賞を貰ったこと、授業で誰一人理解することの出来なかった『こころ』の友人Kの感情自分だけ読み解けたこと、センター志望校過去問絶対現代文だけは間違えなかったこと、そういう取るに足りない誰もがきっと忘れていくような些細な物事の欠片を、歩いてきた道を振り返ってしゃがみこんで目を凝らして拾い集めた。

 誰にも自慢出来ることがなく、性格が良いわけでもなく、美人でもなければ気が利くわけでもない。友人と呼びたくとも向こうがこちらを好いていなかったらどうしようと怖くなって友達もあまり作れなかったし、部活で一緒だった数人の友達と呼べる人たちが皆国立理系コースに進む中私だけ私立文系という道を選んだ(算数嫌いが祟って数学も駄目だった)し、夢もなく何かに向かって努力たかと言えば泣きながら日本史熟語を頭に詰め込んだ時くらいだ(暗記科目が苦手なくせに受験で使った)。

 要するに救いようのないくらい臆病な馬鹿だ。出来ないことが多すぎて、常に劣等感に苛まれている。しかし臆病であるからこそ本当に自分は駄目なんだと諦めたくなくて、「自分馬鹿じゃない」と思い続けている。

 結果として大学受験センター滑り止め他志望校で躓き続け、奇跡的に第一志望だけ合格したのだから始末に負えない。世間様に馬鹿にはされない学校に入ったことで、人生設計の全く捗らない行先に少しは安心出来る要素がプラスされたくらいのくせに、私の「自分は出来るんだプライド」は強化されてしまった。

 「どうしてどうせまともに勉強もしていないようなあなた文章が、W大文学部の私が書いた文章よりも評価されるの?」

「どうしてあなたがテキトーに書いた3千文字も無い文章が私の1万字よりも評価されるの?」

「どうしてまともに『てにをは』を使えないあなた文章が私の文章より評価されるの?」

 というような泣きたいくらいの進化が遂げられてしまった。いやもう泣いてる。見ず知らずの人を絶対自分よりも下流努力していない人間と決めつけて、自分付加価値で殴ろうとしている。文章は長ければ長いほど良いと思い込んでいる。三番目は許してほしいが、信じられない愚行だ。

 まず第一勉強が出来る(=成績が良い)ことと文章面白く書けることとは全くもって関係がない。ウィット文章を書けることと教養があることとは関係があるだろうが、そちらは関係がない。

 第二に学歴文章判断するのは間違っている。学歴が無くても面白い文章は書けるし、一般大衆にウケたり賞も獲れたりする。

 まったく評価基準が間違っているとしか言いようがない。視野が狭い人間なので他にも叩ける部分はあると思うのだが、溜息しか出ない。しかもわかっているのに直せない(と思い込んでいる?)のだからどうしようもない。どうしたら良いのだろう。どうすれば良いのかわからなくて、途方に暮れている。

 嫌な人間になってしまったものだと思う。でもこの世の中は競争社会で、相対評価が当たり前で、何かしら人と比べなければ気が済まない人々に囲まれ環境に置かれればそうなってしまうのも致し方ないのではないか、と自分を庇ってしまいたくもなる。

 誤解の無いように言っておくと、他人様の文章に感動しない人間ではない。寒い部屋で鼻水垂らして泣きながら読んだ大好きな小説もあるし、してやられたと最後最後でのどんでん返しにニヤついてしまうこともある。

 しかし「人に馬鹿にされたくない」という思いと「人に評価されたい」という思いが混ざると、こんな面倒なことになってしまう。でもどちらも当たり前の感情だとも思うから、返って対処の仕方が解らない。

 作品に関しては宣伝もっと上手く出来れば閲覧数が伸びるのではないか、という指摘もあるかもしれないが、表立って書いてますとは言えないジャンル創作なので、そこの辺りは難しいのではないかと思う(一応ツイッターにそのジャンル専用の鍵アカウントを作ってあるが、相互が40人程度の小規模なアカウントだ)。

 人に賞賛される喜びが捻じ曲がって醜い嫉妬に変わり果てるのは、今私や私の小説を好きだと言って下さっている方々の思いの否定にもなりかねず心苦しい。

 今回はそういう気持ちをどこかに吐き出したいと思いチラシの裏感覚文章を書いたのだけれど、割合すっきりしたのと同時に恐らくこれからもそのような自己矛盾と付き合っていかなくてはならないのだろうな、という実感が湧いてきている。

 何があっても筆は止まらないし、折るつもりもない。文章を書く喜び、キャラクタに向き合う喜び、そして人に賞賛されるという喜び。それらの何物にも代え難い快感を知ってしまったら、もう当分心大人になりきれるまでは、ずっと苦しみ続けなければならないのだ。

2018-01-30

私が大学生活で学んだこと

私が大学生活で学んだこと

明日自分ほど信用できない存在はいないこと

昨日の自分ほど無責任人間はいないこと

人はひとりひとり違っていること

そしてひとりひとり正誤などないこと、ひとりひとり認められること

かに嫌なところがあったとしても、その人そのものを嫌いにならなくてもいいこと

自分が心に負った傷は、思った以上に理解されないこと

本当に困った時に助けてくれる人が、思った以上にいないこと

しか自分のことを分かってくれたり、認めてくれたり、あるいは叱ってくれたり、救ってくれたりする人が、たとえ瞬間的だとしても、確かに存在すること

丁寧な人間関係

世の中で「正しいとされること」が必ずしも正しい訳ではないこと

他者理解することが、いかに難しいかということ


もうすぐ私は大学卒業する。

どこにでもいる、ばかで偏屈大学生だった。

4年前私は、どこにでもいる、ばかで偏屈高校生だった。

たくさんの夢と希望と野望を抱えて上京してきたあの春から、4年が経とうとしている。

いま、卒業を前にして、私はいつの夢を捨て、希望を失い、野望を諦めただろう。

考えると虚しくなるくらいには、だ。

大学に入って、お金が欲しくてバイト面接をいくつも受けた。

オシャレなレストランカフェで働きたかったけど軒並み落ちて、ようやく受かったバイト先はブラックだと友人に教えられた。

思えば変な雰囲気が漂っていたけど、初めてのバイトで何も分からない私は普通に頑張った。

別のところで働いている友人の話を聞いて初めて、半畳ほどの狭いロッカーで立ったまま賄いを食べることが当たり前ではないと知ったし、「誠意」を示すために30分前に出勤したり閉店後3時間も残る必要なんてないことを学んだ。

3年目まで頑張って、辞めた。

旅先から思い切って「辞めます」と店長メールをした後、連れていかれた深夜の喫茶店で、辞める理由を問い詰められて叱責されてる間、とにかく泣きながら黙って耐えた。

分厚いパンケーキを奢ってくれたけど、全然減らなくて困った。

計画では片手間にやろうとしていたサークルにしっかりハマって、部長もやった。

夏休みバイトサークルであっという間に埋まった。

いろんなことを後回しにして、蔑ろにした。

中学から趣味を続けようと思っていたけど、サークルのほうが楽しくなって時間お金も回らなくなったから、就活理由にして辞めた。

本当は就活なんてまだまだ始めていなかったのに。

そんなサークルも同期と揉めて、辞めた。

4年までやったけど、卒業旅行追いコンも無しだ。

4年になってからはそれこそ就活が始まったけど、一度ビックサイトに行って遠すぎるし交通費バカにならないので合説に行くのは基本的に止めた。

志望している企業説明会や講演にはそれなりに通って、だいたいどこの説明会でも同じ内容を繰り返してるんだってことを学んだ。

一度、第一志望の会社社長の講演を聞きに行ったことがある。

座席は先着順だったので、2時間前に行って一番前に座るぞと意気込んでいたけど、普通に遅刻した。

最前列ではなかったけれど、ずっと社長に向かって「採用してくれ」ビームを出した。

講演が終わった後、スカウトされてしまうのではないかと思ったけど、当たり前に私に目もくれず退室していった。

力みすぎて背中が痛かった。

社長ランニングで肌を焼いて採用されたと話していたので、それ以降もサークルに打ち込んで、思う存分肌を真っ黒にできた。

第一志望のESの話はドラマチックだと思うから聞いてほしい。

締め切り当日の夜9時、私はまだESを書き終わっていなくて、立川バーミヤン必死に空欄を埋めていた。

まさかペンインク切れ、かつ準備が悪いので予備のペンなど持っていなくて、慌ててバーミヤンを出てローソンボールペン調達した。

またバーミヤンに戻るのも面倒だったので、残りは郵便局で書こうと思ったのだが、立川郵便局まさか臨時休業。

慌てて新宿まで出て、新宿郵便局で仕上げた。

本来なら宛名などを書くためのカウンターで立ったまま必死に手を動かしながら、隣の男の人が同じ企業へのESを書いているのをチラ見した。

もしあの時インクが切れていなかったら、0:00ギリギリまで立川バーミヤンにいて郵便局が開いていないなんて気づかないで、間に合っていなかったと思うと、神さまはいるんだろうと思う。

ESも筆記も通ったけど、一次面接で落ちた。

びっくりするぐらい何も話せなかった。

神さまはいるけど、実力が足りなければどうしようもない。

今は、たくさん落としてきた単位を回収するべく、4年間で一番一生懸命大学に通っている。

4年生は私だけ、という授業がたくさんある。

ちゃんと聞くと面白い授業がたくさんある。

レポートテスト勉強と、やることもたくさんあるんだけど、ちょっと休憩したくて、初めてますだを書いている。

これまでの4年間を振り返っている。

気づけば何も残っていなくて、私の4年間は何だったんだと思うことがある。

Facebookバイト先の後輩や社員から花を贈られて笑っている友人の写真を見るときTwitterサークルの仲間たちと旅行先で笑っている友人の写真を見るときInstagramオーストラリアにて念願のスカイダイビングをしたという友人の写真を見るとき、昨日の綺麗な夕陽写真ぐらいしかアップするものがない私の日々は、何だったんだと思うことが。

すべてに意味がある、全部無駄ではなかった、ということにすることもできると思う。

そしてもちろん、すべてが無駄だった、ということにすることもできる。

でもどちらも嘘だし、捏造だし、思い込みだし、詐称だ。

本当は、意味があってもなくてもどっちでもいいし、無駄でも無駄じゃなくてもどっちでもいい。

ただ、私は4年間を過ごした。

最高の4年間でも、最悪の4年間でもどっちでもいい。

価値を決めることは楽しいかもしれないけど、というか、そうやって序列を決めることで安心できる人もいるかもしれないけど、そんなことをする必要全然ない。

大事なことも、矮小なことも、駄目なことも、幸福なことも、楽しかたことも、嬉しかたことも、悲しかたことも、悔しかたことも、辛かったことも、全部、ごまかさずに、何かの価値の中にまとめてしまわずに、なるべくそのまま持っておきたい。

分かりづらいと思うけど、それが、私が大学生活で学んだことだと思うし、得たことだと思う。

学ばなくてもいいし、何も得なくてもいいけど、4年も過ごしといて何だったんだって思っちゃう自分を励ますために、強いて言うなら、そうです。

2018-01-29

最後のお泊まり

今日祖母の家に、ほぼ10年ぶりに

そして最後のお泊まりに来ています

小学生から高校生あいだ、夏休み冬休み春休み祖母の家によく泊まりに行っていました。

社会人になる直前、高校卒業する頃にも祖母の家に泊まり

祖母祖母と仲良しのおじさんと3人でご飯を食べに行ったのを覚えています

社会人になってから仕事が忙しく泊まりに行けず

祖母と仲良しのおじさんも連絡が取れなくなり

数年後、そのおじさんの故郷のかたから連絡があって

おじさんが亡くなってしまたことを知らされました。

それから祖母は少しずつ認知症が進んでいきました。。。

6年前からデイサービスを週に数日間利用することになり落ち着いてきたと思っていましたが

ある日、少し離れたコンビニの方から連絡があり

夜遅くに一人で歩いていたので保護してくれたとのことでした。

いわゆる徘徊と呼ばれることだと思います

事態を重く見て、老人ホーム的なところで住み込みで面倒を見てもらうことになりました。

それが、3年近く前のお話です。

月に1~2回ほど顔を出して、少し会話をしたり

施設のなかの催し物に一緒に参加させてもらったりしました。

施設には他の入居者のかたもいて、仲良く話す祖母の姿を見て安心していました。

一昨年の夏のことです。

祖母体調不良を訴えて、入院することになったと連絡がありました。

検査の結果、ガンを患っていることがわかりました。

体調不良の原因はガンが悪さをして、ある器官の動きを妨げているというものです。

また、高齢であることもあり、ガンの治療はかなり難しいと先生から言われました。

そのためガンの治療ではなく、問題のある部分に対して暫定的処置をするという形をとりました。

それから現在まで何度も入退院を繰り返していました。

ガンの転移もあり、たくさん苦しい思いをしていたんだと思います

それでも祖母は見舞いに行けば必ず笑顔で接してくれて

私や家族名前を忘れてしまっても、自分の子供や孫が来たことを認識して、喜んでくれて

いつも窓から見える景色のことを嬉しそうに話してくれました。

また、昨年末退院して施設にいたのですが

施設で行われていたクリスマスパーティーにも参加して

皆と一緒に歌を歌ったり、ケーキを少し食べたり

信じられないくら回復していて

本当に嬉しかったです。

退院まえには先生から『ハッキリとは言えないが、年明けくらいまでの命となるかもしれません』と言われていましたが

そんなことを感じさせないくらい、祖母は元気でした。

病院としては、ガン治療はしない以上

それ以外で問題のある症状が落ち着いたら、施設に戻す流れをとっていました

やがて年が明けて、誕生日も迎えて…。

施設に行ったら、祖母は部屋でひとり、布団をかぶっていました。

あの日は寒かったので、布団を被っていたのかな?と思って聞いてみたら

『そんなことはないわよ~』と答えて

母が、じゃあ顔を見てもいい?と聞いたら

『どうぞ~』と言っていて

顔を見たらいつも通り元気そうでしたが、少し熱っぽかったのを覚えています

その翌週、施設から電話がありました。

祖母が体調を崩し、入院をしたとのことです。

症状としては前回と同じだけれど、もう体力がかなり衰退してしまっているとのこと。

お見舞いに何度か行ったけれど

いつも眠っているか、起きれても会話が交わせない状態でした。

ある日、お見舞いに来た直後に

一般の病室からICUに移動する旨を看護師さんから告げられて

その時点で私は涙が止まりませんでした。

その後、母や兄と交代して家に戻って、父の身の回りのことをしたり…。

夕方ごろ、病院にいる母から連絡があり、そろそろ危ないかもと 言われて父をつれて病院に行き…。

午前中は少し苦しそうだった祖母でしたが、夕方には眠っているかのごとく少しずつ呼吸をしていました。

そして、夜も遅くなり、皆で病院に泊まるわけにもいか

母のみ残り、家に戻って少ししてから祖母他界した旨の連絡をもらいました。

今思えば、最後に交わした会話がお布団にくるまってるときの会話なのですが

とても穏やかな語り口だったのが忘れられません。

祖母は、病院から祖母の家に戻りました。

ほぼ3年ぶりの帰宅です。

葬儀のために斎場に行ってしまうまでのあいだ、日替わりで家族が来て、お線香を絶やさないようにして過ごしています

今日は、私の番です。

祖母ゆっくり過ごせる最後時間です。

葬儀が終わったら、部屋の整理をして退去の手続きをしなければいせません。

そういう意味でも、祖母の家での最後のお泊まりです。

祖母の家のお手洗いにカレンダーがありましたが

施設に入ることになった3年前のままでした。

そして、家のいたるところに私やほかの人が贈った、旅行等々のお土産を大切に飾ってくれていることを知りました。

20年前、一緒に熱海に行った時におそろいで買った人形があったり。

また、私が祖母に送った手紙(運動会に来てね!というお知らせと、ポケモンたまごっちイラスト)も残っていました。

私も送っていたことをすっかり忘れてしまっていましたが

取っておいてくれた祖母の優しさが心にしみます

祖母からは、小さい頃からたくさん愛情を注いでもらいました。

私は何も恩返しできなくて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

祖母の棺のある部屋の隣の部屋で寝てもいいよーと言われましたが

同じ部屋で、隣で眠っていたいので、隣に布団を敷きました。

前に泊まったときだって祖母の隣に布団をしいて眠っていましたから。

この半年くらいは

ほぼ毎週祖母に会いに行ったり、郵便物代理で受取りに行ったりしていましたが

葬儀が終わったら、もうぱったり、そういうことも出来なくなる(する必要がなくなる)んだと考えると

虚無感というか、喪失感というか…。

とにかく寂しいです。

とは言え、祖母は今までたくさん苦しい思いをしながらも

精一杯頑張って毎日を過ごしていて

その苦しみから解放されたという解釈もできます

不慮の事故災害などによる突然のお別れではなかったことも

ある意味幸せひとつなのかもしれません。

天寿を全うできたのだと思います

これから祖母は、目の前には現れてくれませんが

天国からいつまでも見守ってくれて、心のなかで会話が出来るのだと考えることにします。

寂しい気持ちは、時間をかけて癒していきます

おばあちゃん、今まで本当にありがとう

今日は久しぶりに泊まりにきたから、二人でゆっくり過ごそうね。

おやすみなさい。

2018-01-27

anond:20180127112023

いやほんとこれ

ほんとこれ

中学生の頃、夏休み自転車ひとつ野宿旅行したいなとか思うじゃないですか

公園のベンチでゴロ寝してって中学二年生から憧れるじゃないですか

親と喧嘩して夜の公園で実行しようとしたらチカン(上から覆い被さってきた)にあって、こりゃ一生無理だわと自覚したわ

男だから被害に合わないって決まるわけではないけど、でも遭遇率は全然違うだろうなと思うと不自由

2018-01-25

Twitter2chはてブ増田

Twitter毎日貼りついてます。使ってるクライアントTweetDeckです。なんかツイッターが好きというよりはTweetDeckが好きなんじゃないかという気もしてきてる。TLが細くて140字がいい感じに詰まって見えるのがかっこいいと感じてるのかもしれない。あとNotificationsとActivityを見るのも好き。僕はファボ魔なんですが、ふぁぼ魔はふぁぼ魔を引きつけるらしくて、NotificationsとActivityがえらい活発です。誰かが書いたものを見るのも楽しいですが誰かのふぁぼを見るのも楽しいです。ところでぼくはいいねを頑なにふぁぼと言い続けている人です。5chとかも「今はなき2ch」みたいな言い方をします。あるいはしれっと2chとか言います

2chで今よく見てるのは小説家になろうスレ、VOICEROID関連のスレラーメンスレお気に入り漫画スレVIPなんJにもたまに行きますなんJはすぐに落ちますVIPは速度だけ見るといい塩梅まったり感がありますしか荒野とは言いませんがかつての勢いは欠片も残っていません。それでも書き込んでしまうのは習慣だからです。VIPゲーム制作とかしてる人たちをウォッチしています。僕と君の夏休み姉は一級建築士。楽しそうですね。

はてなもつい見てしまます。ほぼ無意識はてなトップページを開いてしまます。完全に無意識にしてやられています最近ツイッターアカウント名を改名なさったふろむだ先生無意識活動を洗練させるとつよいみたいなことを言われてましたが、はてなを開いてしま無意識というのはどう考えてもだめです。はてな無意識支配されてしまった哀れな人間です。人間というのもおこがましいかもしれません。

google検索よりもはてブ検索を使うようになってしまったくらいにははてな好きです。http://b.hatena.ne.jp/search/text?safe=off&sort=popular&q=、これを辞書登録しています。末尾に検索したいキーワードを付け加えたり、URLの冒頭にこれをはっつけて検索すると、楽しいです。ブクマダイバーより楽ちんです。個人的にはタグタイトル、本文全部のせのはてブ検索ができるようになるといいなーと思っていますふつうにできるのかもしれません。はてブストック的に活用するとまた違った地平が見えてきます。すごい偏ってそうな地平ですね。

増田ホッテントリ入りしたのしか見ません。素の増田しんどいからです。なんjや今のVIPを見るのよりもしんどい。なんでかはわかりません。

受験時代トラウマ

センター試験終わりましたね。もうすぐ二次試験

この時期が来るといつも思い出すトラウマがあるのでよければ聞いてください。


私が高2のころ、某A大学を目指すことを決めました。母からはそんなとこ絶対に受かるわけないと言われ喧嘩しましたが、母が希望するB大学の後期試験でA判定を維持することを条件にA大学受験を認められました。

私は田舎に住んでいたのですが、やはり田舎だと難関校受験情報が圧倒的に足りなかったため、長期休みには都会に住む祖父母の家に泊まって塾の講習会を受けていました。祖父母は私が勉強熱心なのを非常に喜び、私が勉強やす環境を作ることに尽力してくれました。

高3の夏休みのある日、私がいつものように祖母食事をしていたところ、祖母が昔話を始めました。

祖母の兄は病気がちだったこと。祖母の兄はA大学に行けるほど頭が良かったけれども病弱のため地元大学に通わざるを得なかったこと。そして祖母はその兄より賢かったのに、エリートだった曾祖父に”女は勉強しなくていい”と激怒され、殴られ、大学進学を諦めざるを得なかったこと。

だんだん話が進むにつれて祖母の顔が険しくなっていくのがわかりました。あんなに恨みのこもった顔を見るのは初めてでした。そして理解したのです。

私の目指した大学は、祖母が目指したくても目指せなかった大学でした。

一通り話し終えた後、祖母は少し笑って「いい時代になったわ、女が勉強しても誰も文句言わないもの」とだけ言いました。


高3の冬、私はA大学に落ちました。当たって砕けろ精神で受けたので悔しいものの引きずることは無く、その後B大学の後期を無事に合格しました。

そして3月末、B大学合格証明書を持って祖父母の家を訪れました。

B大学祖父母の住む地域では大層評判がよく(だからこそ母は私がB大学に行くことを望んでいたのですが)、祖父は非常に喜んでさっそく知り合いに自慢していました。


祖母はいもの笑顔で本当に嬉しいわと喜んでくれました。

そして聞かせるつもりだったのか、独り言だったのか、若干上の空で

「夢を見させてくれてありがとう」と言ったのを私は聞き逃しませんでした。

祖母は私が大学入学して半年あの世へ行きました。


受験してもう何年も経ちました。でもいまだに祖母言葉が胸に残っています。A大学受験して落ちたことは全く後悔しておりませんし学歴コンプにもなっていないのですが、ただ祖母失望させたままあの世に行ってしまたことが辛くて辛くて人生をやり直したくて仕方なくなることが何度もあります。なにが辛いって、あの後仮に私が仮面浪人しようが大学院でA大学に行こうが超優良企業就職しようがそのころには祖母は死んでいるのです。あの年A大学に落ちた後、どんなに挽回しようたって祖母は私に失望したまま死んでいるのです。

仮にも受験生の前であんなことを言った祖母が悪い、気にしなきゃいい、と言ってしまえれば楽なのですが、過去自分ができなかったことをやり遂げようとしている孫に期待しない祖父はいないでしょうし、責める気にもなれません。

未だにあの恨みのこもった顔が忘れられません。祖母から祖父の話を聞いたのはこれが最初最後だったので本当に恨んでいたのでしょう。男女平等世界で縛られることな勉強にいそしむ私を祖母はどんな気持ちで見ていたのでしょうか。


これが私のトラウマです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

受験の時期は本人も周囲も思うことあって気持ちをぶつけてしまうことがあるけれども、人生にかかわる一大事で繊細になってる故に、この時期に傷ついたことはなかなか忘れられないなって思います

できることなら身近に受験生がいる方にこの文章が届き、受験生にかける言葉に慎重になってくれればという願いを込めて。

2018-01-21

異世界ペルーの思い出と共に

過去に一緒に仕事した人の中に、地方ワンゲル出身だった人がいる。その人は海で釣った魚を自分で捌いて食うのが趣味だった。無人島に一人で何泊かしたり、一週間連続風呂に入らないで爪真っ黒で会社に来たり、居酒屋で刺し身喰ってみんな食中毒になったのにこの人だけ平気だったりとちょっと変わった人だった。無人島の話を聞いた時に、学生だった頃ゼミの先輩が探検部だった事を思い出した。この人が言うには「W大探検部は突き抜け過ぎて有名ですよ、憧れてました」というくらい凄い部らしい。確かに死者も出したしな(後述)。

 探検部の先輩の話はすごかった。中国少数民族自治区に行った時は、日本パスポートではまず入れてもらえないから偽造パスポートで入って、でも出る時は少数民族パスポートでは出る理由尋問されてバレるから日本パスポートで出ようとしたんだけど、入境した記録がないからしばらく拘束されて大変だったとか、当時まだ鎖国してたラオスに入った話とか、ゲリラと一緒にマシンガンを撃ってきたなんていう自慢もしていた。「英語で"Hello"なんて言った日にゃ撃ち殺されるところもあるからな」とも言ってたけど流石に盛ってるだろそれは。

 という話を同級生のTにしたところ、「俺もすげー探検部にお世話になってる」と言い出した。こいつはカヌークラブ(だったかな?)だったんだけど、こいつも異常だった。子供の頃からの夢が「アマゾン川カヌーで下ること」だったといい、カヌークラブに入ったのはカヌー技量を身につけるためで、探検部にしょっちゅう顔を出して過去の先輩がアマゾン川に行ったとき情報勉強させてもらって、この前の夏休みペルーに行ってきたところだという。

 この話の数年後、"ペルー早稲田大学探検部員殺害事件"が発生する。Tが殺されていたかもしれないし、逆にTが探検部に提供した情報が彼ら被害者の興味を惹きつけてこの事件が起きてしまったのかもしれない。もちろん事件で悪いのは加害者だし、Tがしたことに非があるとは思っていない。そのTの話がとても興味深いものだった。

 彼はペルーでの日々を日記に書いていた。俺はそのコピーを一部もらっていたのだが、残念ながらなくしてしまった。おそらく実家引っ越しの時に捨てられてしまったんだと思う。もしTかこのコピーを持っている人がこれを見たら是非連絡してほしい。次の話から当時の記憶を頼りに少しずつ書いていこうと思う。

2018-01-20

anond:20180120140453

その店の売上が一日いくらか知らないけど、週休二日制にしたり店員を増やして交代制にするほどの余裕がないんでない?私の行きつけの美容院普段は週休1日で、正月とか夏休みとかだけまとめて休む。時々私の担当女性が休んでいることがあるけど、交代制で休んでいるのか幼い子供がいるのでその都合で休んでいるのか分からない。たぶんオーナー夫妻は週一日しか休んでないと思うよ。

2018-01-19

習字教室

同じアパートに住んでた幼馴染、Aちゃんと妹のBちゃん

めちゃくちゃ可愛くて大好きだった。本当に好きだった。Aちゃんがだいすきだった。

Aちゃんのおばあちゃんが習字教室をやってて、そこに一緒に通わない?って誘われて、幼稚園の時から行くことにした。毎週土曜日、13時くらいから15時くらいまで。AちゃんとBちゃんが前の席、私は後ろ。

よく考えなくても当たり前だけど、私だけ他人。AちゃんBちゃんは大好きなおばあちゃんから教えてもらえて、楽しそうだった。私にとっては知らない人だから、すごく緊張した。けど行き始めたし、Aちゃんが大好きだったから通い続けた。

おばあちゃんからしたらそうなるのは当たり前だけど、私よりAちゃんBちゃんをよく見て、指導して、ひいきした。私は放置が多くて、おばあちゃん!増田ちゃんもみてね!とかAちゃんが言ってた。でもしょうがないよね、先生から見たらAちゃんBちゃんは可愛い孫、私は他人なんだよなって子どもながらにぼんやり思った。

習字教室は学区外にあった。通い方は、私は鍵っ子だったので自転車で来て帰る。雨の日は1時間とかかけて歩いて行く。AちゃんBちゃんはお母さんによる車での送り迎えがあった。

初めは気にしていなかったけど、小学校6年間それが続いたのはけっこうつらかったんだと思う。

AちゃんBちゃんは小学校入る前くらいに大きな一軒家に住み始めた。庭のある大きくて綺麗なおうち。おとうさんの趣味だという豪華なキャンピングカーなんかもあった。お金持ちだ。

対する我が家は当時はかなり珍しい共働き。ずっと鍵っ子だった(クラス鍵っ子は私だけだった)。しばらくアパート住まいだったけど、お金が無くなったり色々あって、恐ろしいほどぼろぼろな平屋に引っ越した。風が吹き込み、トイレのドアは薄くて変な木で出来てて勝手に開いた。毎日サバイバル生活ができる家だった。狭くて、二段ベッドの上しかパーソナルスペースがなかった。でもその家は好きだった。夏休み毎日庭でひまわりと一緒に過ごせたから。

普段遊ばない友達が家に来たいというのであげたら、その子は偵察部隊で、うちのボロ屋をたくさん観察して、帰ってお母さんに報告して、私のぼろぼろのおうちの話は一気に広まった。そんなことするひともいるんだなと思った。

AちゃんBちゃんはすごくかわいい。本当に可愛くて、いい子で、大好き。おばあちゃんにも愛されてて、習字の後の筆もお湯で洗ってもらえる。私は他人から洗ってもらえなくて、たまーにAちゃんが増田ちゃんの筆も洗おうよって言って、洗ってくれた。でもほんとうに申し訳なかったから、大丈夫だよ、家で自分でやるよって断ってた。家はお湯が出なくて、水で洗うからたかった。

雨の日、かさをさして歩いて帰るけど、小学生には習字道具が重かった。AちゃんBちゃんは車でばいばーいって私に手を振ってくれた。家の方向が真逆なので、私も手を振って別れた。早く帰らないと寒いし、重いし、冷たいし、風邪を引いてしまう。雨はしとしと降り注いだ。

おばあちゃんの家にはおじいちゃんもいて、そのおじいちゃんは明らかに私に気を遣ってくれた。帰り際、私にだけこっそりぽたぽた焼を渡してくれたり、ある時はナイショで自転車の後ろに乗せて家まで送ってくれた。すごく優しかった。

Aちゃんは私にもいつも声をかけてくれて、優しくて、可愛くて、お菓子もくれて、きをつかってくれてた。おばあちゃんも、きちんと習字を教えてくれた。そのおかげで今綺麗な字を書けている。おじいちゃんも、ほんとうにすごくやさしかった。

そのはずなのに、その頃のことを思い出すとぼろぼろ涙が出てしまう。大好きなAちゃんとの思い出がたくさん詰まってるのに。いろんなお話も出来て、楽しかったはずなのに。

帰路、なんであんなに泣きながら帰ったんだろう。

Aちゃんちはお母さんがむかえに来て、お休みの日は家にお父さんもいたけど、なんでうちはお母さんの休みの日はなくて、お父さんは週に一度、木曜日20から10分、宅配仕事の合間にしか会えなかったんだろう?

しかたないじゃん。お仕事なんだからさ。

がんばっておしごとしてたんだからしかたないじゃん。お父さんのせいじゃないでしょ。私ががんばって我慢すればよかったじゃん。全然会えなかったけど、どこにも出かけられなかったけど、みんな休み明けにお土産くれる中一度もおかえしできたことないけど、仕方ないじゃん。グアムお土産とか貰いっ放しだったけど、夏休みは家と近くの公園を行き来してたけど、しかたないじゃん!

誰も悪くないよ!だれもわるくない!習字のせいにするのやめろ!悪くないじゃん!悪くないのに

そうやって人のせいにする

そういうところ よくないよ

あなた自己肯定感は全くない、もしくは著しく低い。最近、そんなことを言われた。

みんな悪くないのに、この話が原因かもなんて思ってしまう。今思い出しても涙が止まらなくなる。悪いのはこういう解釈しかできなかった私。みんなごめんなさい。元気になローソン

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

呪詛をここで吐き出していいかな。

養育費ももらってないのに父親からと会わせたりしていた。

元旦那事業に失敗して借金作ったから、お金も貸したりしてたし、向こうの仕事も手伝ってた。

なのに私に彼氏ができたら手のひらを返された。

子供高校私立に行くことになって色々とお金もかかるから

今までもらってなかったけど養育費なんとかできないからと打診したら。

自分が困って都合がいい時だけ連絡してきやがって

子育てなんかお前してない、おばちゃん(※母)が育てたんだ

しつけもできない子供に育てやがって

お前の育て方が悪いか子供あんな風に育った

子供らはおまえに捨てられると思ってる、子供がかわいそうだ

子供が可愛くないんだろう、今からでも引き取ってやる

子供がこの年から独立したいといってるのは、お前に邪魔だと思われている証拠

彼氏と遊びたいから金が欲しいんやろう

養育費も払わんとは言わん、払うならおばちゃんに払う

と。

たまにしか連絡してこないのは元旦那の方で、一か月以上連絡がないこともあったし、

養育費も払ってはいないし、貸したお金もまだ残っている。

子供を引き取るというが、元旦那家事育児の一切ができない。

夏休み泊りに行かせたら、子供たちほぼ自炊させられて一週間泊りのはずが4日で帰ってきた。

中高生男子が将来家を出て独立したいというのは普通の考えかと。

払うなら母に連絡するといったが、母の方には連絡なし。

私の10年はなんだったんだろうか。

一人で二人の子を育てるのは大変だった。

職場理解があって育てるのに必要給料はいただいていたけど、

家事育児も母に全面的に協力してもらっていたけど、それでも楽ではなかった。

やっと子供が手から離れて、次の相手が見つかって、それの何が悪いのか。

半年前、彼氏ができたと聞いた、元旦那母親から電話がかかってきた。

残念です、これから元旦那を支えてくれると思ったのに、と。

それ以来、連絡はない。

この冬は、クリスマスの贈り物も、年賀状もなかった。

いつまで縛られていなければいけなかったのか。

あの一家にとって私はいったいなんだったのか。

離婚希望したのは元旦那なのに。

少しは私の立場も分かってくれると思っていた元旦那母親ですら、こんな。

元旦那の家には孫がおらず、子供たちだけが血筋の子からと、

離婚しても縁を切らずにやってきたのに。

周りの人は、そんな奴だったんだ、子供子供なら親も親、諦めろという。

何度もフラッシュバックして泣くと、まだ泣いてるの?いい加減にしたら?と。

でも悔しい。なぜ自分の子供なのに何もしないのか。

子供に連絡とらなくなったのも、きっと私のせいにしているのだろう。

子供になにもしないのも、きっと私が悪いってことになってるのだろう。

どうやったらこ気持ちを手放せるんだろうか。

元旦那を殴り倒したくなる気持ちを手放せる日はくるんだろうか。

子供たちは私に彼氏ができたことも受け入れてくれているし、

パパに会えないこともあんな人だし別に会いたいとも思わない、と。

しゃーないやん、と。

それよりも日々楽しく過ごせたらそれでいいって。

人生夏休みだと言われた

医師だが現在留学中だ。

医師にとっての留学人生夏休みだと言われた。

医師という職業は残念なもので、

今の日本では、常勤で週5日、ボロボロになりながら働くより

週数日、非常勤で楽に働いた方が高給が取れる。

子供を育てながら非常勤で週数日働く方が、子供の面倒も家の家事も出来てかつ

給料もよいので、

子供や親にしわ寄せや迷惑をかけながら働くのが本当に良いのか悩んでしまう。


増田医師といっても病棟で働いているわけではなく

かなり特殊スキルや貴重な経験を積んで研究をしているので、

まぁいなければいないで日本研究は進んでいくのだろうが、

いたらいたでなにかの役には立つだろうという思いもある。

日本から当該分野の論文を出せる人間の数は現状限られている。

研究費を取って研究を回していく人材は貴重で、

それなりに何かの役には立てるだろう。


留学中だと書いたが、

一時帰国中、専業主婦のような状況になった。

昼間からベビーカーを押してスーパーに買い物に行くような状況。

一日目こそ、違和感で悶絶したものだが

数日たつうちに慣れてしまった。

慣れとは恐ろしいものだ。


どの道を選んでも、自分人生だと思う。

家をぴかぴかに掃除し、何品も食事を作り、子供幼稚園の送り迎えをするだけなら、

または非常勤給料を得るだけなら、

これまでのスキル経験のチャンスは他のだれかに譲ればよかったのかもしれない。

2018-01-17

最近小学校が同じという人と出会って忘れていたことを思い出した。

小学校の頃の事はあまり記憶になく、その人もかなり若い子なので何か共通話題あるかしらと記憶を探っていたらそういえば私誘拐されそうになった事があったんだった。

夏休み学校プールに行く途中、後ろから羽交い締めにされて、可愛い顔してるね、と耳元で言われてなんか人生終わった!って思ったら一緒にいた友達が大声で叫んでくれて、

その途端、その途端誘拐犯?が手を離して逃げた。

本当に足が笑って動かなかったけど兎に角なんとか走った。

近くの公園に行ってやり過ごして、

それから学校に行った。

担任先生に色々聞かれて家に連れて帰って貰っておまわりさんにも何か聞かれたような気がする。


別に記憶封印していたわけじゃないし偶に思い出して友達誘拐されかけた事あるよ!とネタにして話してたと思う。

でも、今日、あれ、あんまり小学校の時は何してたか覚えてないのとか、引っ越ししたのとか、母が過干渉だったのとか、もしかしてこのせい?と、今日ふと合点がいった。

そう考えると大したことない事件だけれど確実に私の人生に影を落としていたんだなとわかった。

会社から帰って来る途中あのまま死んでたかもとか、誘拐犯じゃなくていたずら目的だったらとか昔のことなのに頭の中がぐるぐるしてる。

とりあえず、叫んでくれた友達ありがとう

友達いると気付かなかった間抜け犯人で良かった。

なんかどうしていいかからいかダイエット中なのにチクワ磯辺揚げポテトチップスという禁断の食物食べて自分を落ち着かせた。

書いてスッキリたかった。

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