はてなキーワード: 犠牲者とは
見たいとなんとなく思っていた。
ただ仕事に追われ、映画を見に行くほどの時間と気持ちの余裕がなかった。
見ようと思っていたこと自体忘れていたのを、さっき映画の予約サイトを見て思い出した。
MIU404を見ただけ、アンナチュラルは見ていない。CMで満島ひかりが「止めませんよーー絶対に。」と言っていたのを見た。
満島ひかりが犯人で宅配の流通に爆弾を混入させたんだろうなと安直に考えた。
その予想は当たらずとも遠からずだった。
最初、梨本コウにエレナと呼んでと言うので何を言っとるんだこの電波系はと思った。私もまだまだ英語名じゃないはずと思うあたり、偏見にまみれている。
デリファスフォンの出荷を止めるように進言したかと思えば、山崎タスクの従業員履歴を消す。NY市場株価を気にしたかと思えば荷物のチェックをするように羊運輸と警察に圧力をかける。
ずっとコウに対して謎かけのようなことを言い、見ている者を苛立たせる。
だがエレナには焦る理由があり、自分の立場を守る描写が増えてくる。「止めませんよ」と言った時点ではもう疑いようのなくシロだと思った。CMの印象と真逆である。働く人間のかっこよさを凝縮したシーンだった。
とは言いつつそう思いつつ、そしてまた裏切られるのは見事だった。
経歴は謎、嘘をついている、山崎タスクの情報を消した。そんな怪しさ満点の本音を語らない人間でも死ぬ間際になると語り出すものなんだろう。
陳腐なドラマだとコウとエレナはキスをするものだろうが、そんな雰囲気なく、なんなら終盤に爆弾を託すほどあっさりした関係だったのには痺れた。
恋愛感情なく、一瞬死をも恐れない情を繋ぐことがあってもいいじゃないか。
でもその人を大切に思うのではなく消耗品のように省みなくなってもいいじゃないか。
所詮レールの上に乗っている。そんな後味だった。
満島ひかりは主演ではあるが主役ではない。
白い手帳を自分に買うことにしたエレナは労働者を救い、誕生日プレゼントが爆発するのを防ごうとしたれっきとした善人である。
同時に、山崎タスクのロッカーの鍵をコウに渡し、デリファスジャパン代表こと五十嵐に追い討ちをかけるなど別の爆弾の仕掛けにも余念がない悪人である。
エレナが残した爆弾とはなにか、エレナは解雇に際し何を思ったのか、なぜコウに渡したのか、考えたいことはいっぱいある。
名もなき配達員(息子)だ。
役名が分からなかったのでエンドロールを見ても分からなかったし、俳優さんの名前も分からなかったので役名も分からなかった。
いま思えば伏線を敷いてたのだろうが、明らかに主役ではない人選とビジュアルで途中まで見ても資本主義の犠牲者としての役としか見ていなかった。
MIU404もアンナチュラルも(片方しか見ていないが)、有名な俳優さんが脇役に見せかけて主役級の役職で主役の活躍をするドラマのため、満島ひかりと岡田将生が華麗に問題を解決するのかと思った。
単価の安い労働者。160億円の損害という勝利を以てしても箱20円が追加に貰えるだけのような。
だけと言っても無いよりはマシの人もいるんだろう。
私は個人配送業をしたことがないから憶測でしかないが、お昼ごはんの時間が10分しかないのはいい労働環境とは言えないし、その時間を売りたいほどの状況なんだろう。
報われるといいなあ、でもこんな世界観の実写映画じゃあハッピーエンドは厳しいなあ。
でもその先は?
どれだけ便利になってもまだ玄関まで荷物を届ける仕事をロボットはやってくれない。
阿部サダヲこと八木さんが言っていた。最後の受け渡し、ラストマイルと。少々強引な説明だったが、そこまで言われないとピンとこない私にはそのくらい分かりやすいほうがありがたい。
なにせラストマイルというタイトルの映画の主人公が最後まで分からなかったぐらいだ。
名もなき人間がどこかで輝く瞬間があったっていい。富も名声もないけど、ヒーローが一瞬奇跡を起こして、それがかつての誇りによってもたらされるものだったら。
最後に、こんな作品を作れる人が人間として、同位体として存在していることにおののいている。
本当にありがとう。
仕事が山あり谷ありで気が滅入っていたけど、もう少しがんばってみようかな。
MPが枯渇して0になったから、いてもたってもいられなくて突き動かされるように映画上映タイトルを漁った。なんとなく直感でこれだと思ったけどその判断に間違いはなかった。
映画を見てから空になったと思ったMPの底に10くらいだけふつふつ湧き上がってきている。
https://x.com/Assari_Susumu/status/1844228493225361452
そもそも「その他」なんて性別は無い。だからトランスジェンダー活動家は性別欄に「その他」を作れ、と大騒ぎしていたんですよ。
埋没できないから「トランスジェンダー」という存在を認めさせようと、私たち性同一性障害を盾にしてトランスジェンダリズムを推進してきていました。
私たち性同一性障害当事者は、トランス活動家たちのいわば「犠牲者」なんですよ。
私たちは埋没を望んでいます。だから、トランスジェンダーには都合が悪かった。いいとこ取りされて、当事者たちは口を塞がれてきました。
たとえハマスを支持していようと非武装の民間人を虐殺するのは戦争犯罪
「先に手を出したのはハマスだから支持したパレスチナ人は殺されて当然」
ではなくて
「イスラエルは民間人に犠牲者が出ることを極力回避する努力をしているが、ハマスが人間の盾を利用しているので残念ながら犠牲者が出てしまうのは仕方がない」だ。そしてイスラエル批判は
「イスラエルはそう主張するけれども事実は民間人の犠牲者を防ぐための努力を怠っている」
これをクソと言わずに何と呼べるのか
「イスラエルが、ではなくユダヤ教そのものが人類の癌そのもので、かつてこれを滅ぼさねばならないと決心した人々の気持ちが多少理解できるようになってしまった 」
「ヒトラーの虐殺さえも正しかったと思わせるような昨今のイスラエルの蛮行。信じる正義が違うというのはお互い不干渉でいきましょうではなく、死ぬまで殺しあう事だとすると本当に鬱々とした気分になる。」
どちらかの蛮行に触れる時は、必ずもう片方の同種の事例にも触れる癖をつけたほうがいい
イスラエルは民間人被害者を出すなと言うなら、ハマスの民間人殺害や人質問題にも触れる
当たり前だし簡単なことだよ
【追記】
ブコメ読んでるよ
アイドルのナチスっぽい軍服に騒ぎたてる界隈が、自陣営の言説には甘い解釈するの面白いね
政治家なら一発アウトだけど、君らそんなリテラシーで政治家批判したりしてる?
純粋に疑問なんだけど、shinonomenみたいに犠牲者数で比較する人って、ハマス側が民間人の生活圏を利用して命の壁を作って戦ってることをどう思ってるの?
敵を人質にして民間人を自ら犠牲にする戦い方して、犠牲者多いので相手が悪いですって言うテロリストの論理を受け入れるのって完全にテロの肯定でしょ
両方駄目って言うのが当然だよ
風俗以外での単純な性欲解消法は、筋トレして痩せ清潔感を手に入れ、それで女性とセックスすることである。
この2つの価値基準に沿ったモノ(いわばマテリアル)は短期間では獲得できない。
ルッキズムとエイジズムは、全体から見ればそう多くはないが、絶対的な数で見れば多くの男たちが何年も何十年もしのぎを削っている分野だ。
彼らはいわば専門家だ。専門家に素人が簡単には勝てない。当たり前の話だ。
そして、一見すると彼らはなんというか、すごく「バカ」そうに見える。幼稚なように見える。
そうではなく、非言語コミュニケーションをとくに観察すべきである。
これは「ノンバ」と呼ばれており、ナンパ用語の中でも最も重要な考え方だ。これが欠けていると、徹底的にモテない。
だが彼ら "専門家" もまた、愛に飢えている。女とやりまくり気持ちよくなりまくり、のその先は何か。虚しいだけだ。
まあ虚しいにしても、まずはやりたいのであれば真似をしてもいいとは思う。
しかし覚えておいてほしいことは、非モテと「モテの専門家」は、究極的には同じだということ。その「モテ」の先には、動物的な喜びしか存在しない。
個人的な意見では、今日ではそもそもこの男の「モテ」という概念が転換しているような気はする。
ちなみに女のモテは「不特定多数の男性からアプローチを受けること」ではない。これは「穴モテ」と呼ばれて女性社会から侮蔑の対象になり、凄まじく屈辱的なのだ。
女はよく「セックスしたいだけなら風俗行けばいい」というが、これは男にとっては単なる侮りとして解釈されるだろう。
そういうわけではなく、商売女ではない女とやりたい男は「愛されたい」「認められたい」「尊重されたい」が本音だろう。
だったら努力しろという話だが、これは逆であり、「努力する価値」を求めているのだろう。
「努力するほどの価値がある女」が周りにいない、ということが問題かもしれない。
所有欲と支配欲、これは人間なら誰でも保有している。男だけではない。
「良い女を大量に保有したい」という考え方が「性加害欲求」として表現される。
これは「性的モノ化」としても言われている。フェミニズム文化では有名だ。
フェミニズムは誤解されがちだが、根本は真っ当で深い哲学に根ざしている。フェミニズムとは、プラトンへの挑戦でありニーチェへの挑戦であり、女性の体への挑戦である。
女はこの「性加害」「モノ化」にきわめて敏感である。これは男が考えている以上に遭遇頻度が多いのだ。
普通の男ではない、偏差値30クラスの男が世の中には多い。そういう男からトップ層まで全員が「モノ化」してくる。
小さい頃からあまりに大量に浴びせられすぎて、さながらテレパシーのようにそういうふうに見られていることがわかってしまうわけだ。その男本人よりも。
こうした「プチ性加害」は、保育園や幼稚園から始まる。下手をすれば赤ちゃんのころから。この「女」という言葉も加害の意味を帯びている。家畜のような扱いを彷彿とさせるわけだ。
「なんだぁ?そんなもの。たかが言葉じゃないか」ではない。ここに、男と女で共通する言葉の基盤が全く異なるという驚愕の事実がある。
もし、同じ言葉で話していると思っているのに、その言葉が示す対象が全然違ったとしたら、それは会話できているようで会話できていないのだ。
まるで日本語と英語で会話をしているかのように、まるでアンジャッシュのコントかのように、会話できていないのだ。
(いわばこれまでの文明全体が「喜劇」とでも言いきってもいいかもしれない。ずっとコントしてたとも言えるな)
言葉の基盤が違うという無理解が、無意識にモノ化を生む。いわば弱者男性も前時代社会の女性も、どちらも既存の社会通念の犠牲者である。
そして、その社会通念が根本からひっくり返っているという、ゲームチェンジしている状態が現代だ。
とくにコロナ以後、経済停滞などが発生し、希望が無くなったことによるのか恋愛に逃げ込む人間が増えた。それゆえ恋愛は熾烈な競争になり始めた。恋愛だけではないが。
弱者男性は「権利が奪われた」と思っている。これは既得権益の喪失だろう。怒りや苦しみはわかる。
だが、女性からすれば「その権利は本来女性が得るべきものだったのに、昔からずっと奪われていたものだった」と思っている。だから、相容れない。
前提知識をシェアできたところで、具体的な解決策についてもシェアする。
まず基本的な清潔感などを身につける。これは生活習慣も含める。なるべく金で解決したほうがよい。この外見の向上は元が微妙であれば微妙であるほど効果的だ。
筋トレもしておく。
それから女性のシステムを把握する。女性向け映画を見るとか女性向け漫画を見るとかするといいだろう。それによって女性の言語を獲得する。
「なんだそんなもの」と思ってはいけない。それこそが非モテの根源だ。
また愚痴は老けを促進する。おじさん、おぢ、老人、ジジイ、さまざまな形容があるが、愚痴の本質は他責である。他責の人間は成長しない。成長しない人間がおじさんなのだ。
男向けのポルノなどは見ない方がいい。あれは女性観を「所有」「性加害」側に倒すものだ。そのようにできているのだ。そうしなければ動物的な興奮が得られないからだ。
それからだが、同世代の女性をバカにするとうまくいかない。彼女らは「本当のこと」を言っていることが多い。
罵倒のようでいて、「それじゃモテねえの当たり前だろ」と厳しい事実を言っていることが多い。あまりにも厳しすぎるが……
謙虚な気持ちになって本気になれば、まあコペルニクス的転回を迎えるだろう。
自分のほんとうの問題は、恋愛なのだろうかと考えたときに、おそらく恋愛ではないはずだ。
恋愛弱者であるという状態は、異性にその責任を押し付け、本当の問題から逃げているだけなのではないかという考えもある。
もしそちらが問題ならそちらを解決すべきだろう。そうすると不思議なことに恋愛もうまくいくものだ。どちらが先にうまくいくかの違いであろう。
どうしても恋愛を最優先で解決しなければならないのであれば、そちらに全精力を注がなければならない。今はそれぐらい熾烈な争いなのだ。
ここまで伝えてわからないならもう知らんぞ。
ちなみにこれは男だけの話ではない。
私はクリスチャンの両親に育てられ、ある時期までは神を信じていた
だが遅まきながら成人後に、聖書に書いてあるような都合の良い神(守り助けてくれる神)はいないんだと気づいた たとえば虐待されて亡くなった小さな子供がいると知りながら神の存在を信じるなら、それは死者への冒涜になると思った 私は小さな犠牲者を冒涜するような人間ではありたくないし、朧げな神よりも目の前の人間の尊厳に天秤が傾くようになった
まあ普通の人は、そもそも神の存在しない地平線から人生をスタートするか、宗教を信じる家庭で育った子も大体は思春期に至る頃には、親を批判的に見れるようになるのに伴い神の存在を自分の中から削除する …んだよね?
生き物は死んで物質として土に還り、脳など、肉体の作用であった思考も共に消える、魂とは人が都合よく作り出した概念であり最初から存在すらしない
多分、大多数の日本人にとっての死生観てそういうものなんだと推察する 私も遅まきながらそういう場所に落ち着いて、長くそこに留まっていた
でも最近、狼狽えている 昔の信仰に戻ることは絶対にないけれど、それとは別として神とか仏の存在を信じる人の気持が切実にわかる ガザとかウクライナを見ていたら、やっぱり天国と地獄はあってほしい
無辜の犠牲者は天国に行って慰められてほしいし、加害者には地獄の業火で永遠に焼かれてほしい (死者を裁いて天国と地獄を管理する存在を便宜的に神と呼称するとして)神にはいてくれないとこまる
たび、死ねば悪行がゼロになるなんて許されるわけがないという考えが頭に過る 神の存在を前提として育てられた私の脳が、勝手に昔の思考の癖をなぞっているのだと分かっていても、それでもなお「神」の存在にすがろうとする 自分は愚かだなと思いながら
いつか悪人は裁かれ相応の報いを受けるのだと信じなければガザの人たちもウクライナの人たちも正気を保てないだろう 一説によればガザではこの1年で30万人近く死んでいるという 誰にも顧みられないまま土砂に埋もれ朽ちていく死体があまりに多すぎる
3.11では2万人が死に、日本中が大混乱と悲嘆に飲み込まれたというのに、何十万人て…
自分を幸せにする神ではなく自分を殺した相手に復讐する神が必要なんだと切実に感じる
もし神がいるとすれば不可知なのだろうと個人的には思う 神はこの世に干渉もしない でも善悪を計る絶対的な存在が別の世界にいて人を見ていてくれなければ困ると思ってしまう
神の存在しない地平線から人生をスタートし、神という考えすらよぎることのない生活をしている人は現代の虐殺を見てどんな事を考えてますか?
※人間も動植物を虐殺して食べてるではないかというツッコミは今は受け付けまられせん
※10.7で殺されたイスラエル人とその加害者ついても勿論同じ事を考えますが、数日で終わった殺戮と1年続く殺戮では自ずと考える時間が違ってきます
日本人を犠牲者として扱うこともなければ、アメリカ人を悪者扱いするわけでもないというところだ。」
ってあるんだけど、これって『火垂るの墓』に限ったことなのかな?
戦争を扱った日本の作品で「敵国の兵士による市民への暴力」について描いているものって少なくね?
強姦とか略奪とか…。子ども向けの作品だから描けない、ってのもあるかもしれないけど。
そんなに戦争モノ見てるわけじゃないけど、邦画って「戦争は悪」「核は悪」が主題だったり、
日本の軍国主義そのものを批判するような作品がほとんどのように感じる。
するつもりがない。
以前知人から婚活してみればいいんじゃないか、と色々熱弁されたことがあり、俺がしない理由に「異性に(別に同性に対してもだが)性的興奮をしないこと」とか「転勤族であり非常に相手に負担を強いること」とか、そもそも「他人との長期的コミュニケーションを取れず、家族との関係に失敗しているから」とか「以前付き合っていた相手にモラハラを加えそうになったから」とか、そういう話をしたんだけど
その時に知人から「なんでそんなことわざわざ相手に伝えるの? 伝えなくていいじゃん」と言われ、結構大きな衝撃を受けたんだよね。
確かにこれらのことを伝えなければ、滲み出るダメ要素を取り繕って、適当な言葉を重ね合わせて、後は数を熟しさえすれば確率的には不幸な犠牲者をとっ捕まえて、結婚という結果だけをもたらすことは多分、できなくはないんじゃないか、とは思う。
でも、結婚って契約の締結がゴールな訳じゃないじゃん。そこから先、生活していくことが契約の内容に含まれていて、その履行ができないのに。
契約を締結することだけに専念すれば、確かにまぁ、出来る可能性はあるとは思うよ。年収や職業で引っ掛けて、表層を取り繕って都合の良い真実を盛り合わせてけば。必ず結婚出来るとも全然思わないけど、哀れな被害者をひっかけること自体は数を打てばできなくはないんじゃないかとは思う。
でもそれって詐欺師じゃん。
幸せな家庭を築くという契約を履行できる可能性だってあるんじゃないかと問われれば、ゼロではないだろうが、締結できる可能性と比べればもう一分一厘もないと思う。
その差において生じうる、相手への詐欺罪じみた加害行為をする権利が俺にあるの?
俺もただでさえ弱い身なのに、好き好んで敵を作りたいわけないし。リスクに対してのリターンが投資する価値に見合わなさ過ぎる。
有効で安全なワクチンなら誰も否定はしませんが、間に合わせに急遽作った物をどうして信じられるだろうか
犠牲は付きものだと言う方もおられるが、犠牲者になっても言えるだろうか
3日前に離婚届が出されました。
夫によって。
話し合いから2週間であっという間に提出された。
国立法学部卒の彼は全てわかっていて急いだのかなと思ったりもする。
一体何だったんだろうな。
元夫は世間的に見たら誰からも信頼されて誠実で信念を持って何事にも取り組んで
仕事でも上に日和ることなく自分の考えを伝え周りから一目置かれるようなラストサムライみたいな人
お金の管理も完璧にしてくれていて老後の資金もしっかり貯めてくれていて
元夫といると自分が浅はかで頭の弱い
人から信頼を得ることもできない何の有用性もない人間に思えらようになっていったような気がする
そこはわたしの方が労働時間が短くて稼ぎも少なかったのでその埋め合わせと考えていて不満はなかった
家事分担とかケンカの元になるだけだと思ってたし合理的じゃないと思ってる
元夫の考えでは彼の家族における役割はお金を稼いで管理すること
家族が何かしたいと思った時それを叶えられるように管理運用すること
夢みがちで
お金に関しては宵越しの金はもたねー
みたいな感覚で
なくなれば稼げばいいと思ってたので
元夫と結婚してこんなにきっちりお金の管理をするのかと新鮮だったしとても正しく生きていると思った
わたしは26歳の当時はとにかく仕事を辞めたくて結婚しようと考えた
そして未だ言うところの婚活を始めた
わたしは夫を利用したのだ
一方でわたしは結婚生活が楽しいと思わなかったし子供が産まれても嬉しいと思わなかった
もともと結婚というシステムに全く向いてない人間だった気がする
自由に生きたい気持ちと家族という仕組みの中できちっと責任を全うしないとと言う気持ちとの間で
生じたジレンマが耐え難いほど大きくなって
病気だと思う
風俗で働き
売春をし
不倫をし
パパ活をし
詐欺で3,000万円取られて
通用しないよね
経済力をつけて
子供たちに会いたい時に会えるようになりたい
それで納得してる
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
前編はコチラ
https://anond.hatelabo.jp/20240901181941
スポニチがスッパ抜いて失笑を誘った。池袋の裏手で聴衆もほぼ無くビールケースに乗って面白カルト候補応援する姿が写真掲載され面白画像として出回った。
元記事は削除されてこれくらいしか残っていない。https://matomame.jp/user/20yama20/86adf5030479d91ccee5#9c0b66168507bff3b75a
日本解放第二期工作要綱とは1972年に日本の右翼活動家によって中国にて発見されたとされる、中共による日本赤化の工作の指針文書。要するに中国版の32年テーゼだ。因みに1972年は田中角栄による日中国交正常化があった年だ。それに伴って国府(台湾政府)とは断交した。
32年テーゼというのはコミンテルンが1932年に定めた日本共産党の革命指針の綱領で、日本は2段階革命のどこの段階かの判断に始まり、天皇制の打倒、小作の廃止、7時間労働などを定めていた。後半の2つは奇しくもGHQが実現している。
日本解放第二期工作要綱は、この32年テーゼと同じものを中共が作っていた!とするものだ。だから日中が国交を樹立すると共産主義になるぞ!と。
だがコミンテルンと中共の立場は全線違うからそんなもんはあり得ないし、そもそも効果が無い。日共は過去はコミンテルンの下部組織だったが中共とそういう関係であった事は無い。
しかも右翼活動家が偶然発見しただけで、他にはその文書を見たものは居ない。という事で、これは嘘だと考えられている。
もう一つの文脈が、西尾幹二が2007年頃?に発表したコミンテルン史観で、これが受容されるうちにドンドンとトンデモ化して行った。
例えば、満州事変はコミンテルンが画策した、日米開戦はコミンテルンの策略、GHQはコミンテルンだった!、などなど。杉田水脈は「コミンテルンは今も存在しその活動が活発になっている!」と言っている。大企業や学者や中央官庁で経歴をいくら積んでも比例代表制で党の票は回して貰えないが、コミンテルンが生きてると言うと比例上位に就けて貰えるのだな。あれもこれもコミンテルン!と仲間内で「議論」(陰謀論)を活発に言い合うと、コミンテルンの活動が活発になった事になるのだ。
田母神幕僚長がこのコミンテルン史観を論文で開陳して馘首された。
このコミンテルン大流行の後に小池はこれに引っかかっているのである。杉田水脈と小池が同じ程度と思う人は少なかろうが、少なくとも同じ程度だった事はあったという事だ。
最初は自民党に叛旗を翻して離党し反都議会自民議連を旗印にしたので初登庁には音喜多ら都議二人以外がお迎えをしないアウエイ状態であった。
しかし希望の塾を発足するとそんなコアの2人には発言権はロクに無くて議席の無い野田秘書が全部仕切るパシリ状態。
またこの頃の野田は歌舞伎町で豪遊している所を週刊誌に撮られている。
市ヶ谷商業高は牛込柳町近くの新宿区矢来町にあったが廃校になり、土地活用方を探していた。当地は人口減少が続く都心の坂と狭隘路の中にある土地で、高層ビルなどへの転用が難しい。また住宅街の奥にあってランドマーク的な使い方も無理がある。
そこで舛添は韓国を訪問した際に韓国人学校への転用の約束をしてきた。これに右派は大反対して反舛添の声を上げた。
舛添が金の問題で失脚して小池が都知事に就任するとこれを反故に。
これも極右ゴロとの付合いが影響していると思われる。
それでは転用方の代案は?と問われた小池は当時問題になっていた保育園に転用すると答えた。
だがこれは相当トンデモな解答で、保育園は電車で行くものではない。更に柳町は渋滞の名所で朝夕に送り迎えするのは困難だ。しかも付近は人口減少地帯で、保育園の立地としては完全に不適だ。また保育園としては施設が大きすぎる。
故に当地の保育園転用は考慮もされず放置状態となっていた。最近になって、付近の中学校の建て直しに伴い新宿区が特養ホームを建てる計画を立て、ようやく土地活用が進みつつある。
小池は元々リベラルだった。また、芦屋出身の兵庫民で選挙区も兵庫だったが、郵政選挙で小泉政権の刺客として東京10区に飛ばされた落下傘候補である。
つまり風や波に乗って立場を変えてきた人物であって、思想史とか戦後政治史とか全然頭に入っていない。戦後政治史というのは自民党史でもある。
一方、小池都知事と都民ファという潮流に乗ろうとした前原誠司は逆に90年代の保守のエリートみたいな経歴を持つ。松下政経塾にも行っていて、更に京大の高坂正堯ゼミ出身だ。高坂正堯門下生という事は、猪木正道や戸部良一らの防衛大校長らの系譜でもあり、それはオールドリベラリズムとリアリズムの系譜でもあるという事である。吉田茂の海洋国家論にも影響を受けているし憲法九条問題も、その護持は日米安保との合わせ技で安全保障と経済発展の安定土壌を手に入れる吉田らの施策と理解している。その結果、戦後日本は常軌を逸した経済発展を遂げ、戦争に負けたのに極東の中心となった。
国際的な立場が上がったので安全保障の美味しいトコ取りは出来ないというのが当時の課題であっし、9条改正問題はその為のものであった。
しかし小林よしのりブーム以後の保守論壇というのはバカが出来る人をパージする場となってしまい、9条は亡国の策略とかGHQはコミンテルンだとか言うのがまかり通ってしまう。
前原は焦っていたのだろう。自分が確りとした思想的地盤にのっているのにポピュリズムに駆逐されてその地盤が無くなり、保守政治との接点が無くなってしまった。一方、コミンテルンが未だに活動盛んと言えば政治的に重用される。
そこでポピュリストの権化である小池に接近して合流する事で党勢を伸ばせると考えた。
ところが調子に乗りすぎた小池は「排除します」発言をしてしまう。前原はこれを説得できると思ったようだが、何せ前提の知識や経験が違う。小池の「保守思想」の全てがネトウヨっぽい天ぷらだとは考えていなかったようだ。しかしそこに至るまでの経緯を見れば天ぷらというのは明らかだ。
その後希望の党は大敗して党勢ほぼゼロとなってしまう。ずっと時代の風と波に乗ってやってきた小池にとってここを起点にマスコミのバッシングが始まり7つのゼロも含めて問題にされ一つ一つの発言や施策の根拠をガチ詰めされる流れになるというのは恐怖だったのではないかと思う。
そこでそれまでのイデオロギー的振舞いは全部止めた、というところじゃないか?ずっとその後は本当に大人しくしていた。
2020年にコロナが流行し、当初安倍総理が甘く見て放置し、国民の怒りが上がってきた辺りで感染防御に切り替えた。この流れに乗って「3密」や移動抑制を呼びかけたところ、ポピュリストの才能がいい方向に作用して過去のヘマは忘れられて今に至る。