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2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。

 恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

2018-02-05

元彼が精神病んで自殺未遂たか婚約破棄した話

高校とき付き合っていた彼氏とは、恋に恋して「オツキアイ」を楽しんでいただけだって、今なら思うけど、真剣だった。

10代なりに真面目に青春してた。

私が受験に失敗して、私だけ浪人したのが歯車の狂い始め。先に大学生活を始める彼と、支え合うとか微塵も思いつかなかった。一年間会わなかった。それでも机に写真置いて、待ち受けにして、我慢して我慢しての最低限のメール必死に恋してた。

一浪して予備校に行って、志望校が変わった。滑り止めに東京大学が入った。それが二つ目歯車。結局また第一志望に落ちて、上京することになった。そこで気持ちがぷつんと切れた。一年間彼を心の支えにしてたはずなのに、遠距離という現実を前に、一年間会わなくても大丈夫ならそんなに好きじゃなくなったんだと思い込んだ。お互いに、納得のいかない別れ方をした。まだ浪人生という中途半端な心のままの私と、もうすぐ大学二年生になる心の彼は、理解し合えていなかった。

東京に出ると、人が多くて、慌ただしくて、華やかで、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。それで彼との別れは押し流されていった。でもたまに地元に帰ると、彼から連絡があって、復縁の話も度々出たかど、そんな気になれなかった。いつからか、「帰省するよ」ってSNSで言わないようにして、友だちだけに個別LINEした。彼の大学一年目を私のために棒に振らせたとか、私が二回も受験失敗したせいで別れることになったとか、変な負い目で、会いたくないのに直接会ったときは良い顔してしまった。どんどん彼からの連絡が負担になった。

新宿サザンテラスにあるスペイン料理を、東京出会った男の人と食べに行こうと二人で歩いていたとき、彼から珍しく電話が入った。男の人とデートするなんてほとんどないことなのに、なんで今?!ってすごくびっくりした。新宿にいるのに地元の元彼から電話がかかってくることが、すごく不自然で、気持ち悪い、おかしなことのように思えた。全く別だと思っていた物語世界が、実はつながっていたような気持ち。歩きながら電話をとると、なんにも緊急の話題はないようだった。なんの話だったか全然覚えていない。私が何を言ったか全然覚えていない。変な罪悪感を感じてすぐに切ったことだけ覚えてる。それで、ご飯食べて、家に帰ったら、元彼は事故に遭っていた。今ならそれが最初自殺未遂だったと分かる。

自分電話した後だったことに変な気持ち悪さはあった。でも考えないようにしていた。ある日高時代の彼の友人で、ほとんど面識のない相手から「付き合ってる彼氏事故にあったんだから遠距離でも見舞いに来いよ」という旨の連絡が入った。心底ゾッとして、私は彼と彼の友人のLINEを両方ブロックした。

それからは彼と関わらず、大学生活を過ごして、二年生で人生二人目の彼氏ができて、卒業して、就職して、そして婚約した。

その間も、成人式同窓会高校の友人と会うたびに、ちょこちょこと彼の近況が耳に入った。「事故のあと大学に来ていない」「単位が足りなくて留年した」「大学を辞めた」「引きこもり」「バイトをしてる」「入院してる」……。

考えないように、考えないようにしていたけど、ずっと心の奥底に黒いものが積もっていた。

婚約してから仕事を辞めて、結婚までの間たびたび地元に帰ってくるようになった。ある日実家に帰ると、元彼から電話があって母親が話したと聞いた。実家に帰ってくる日を教えたと。その日の夜に彼は実家までやってきた。

彼は全然元気そうだった。気まずかったことにはまったく触れずに、高校ときに戻ったみたいに話した。不思議なくらい、あの頃のままで変わっていないと思った。もう10年近く経つのに。それで、「なんで今地元に帰ってんの?」という質問に、「専業主婦で暇だから」と答えた。「結婚したの?おめでとう」「まだ婚約だけどね、ありがとう」多分こういう会話だった。

その日のうちに彼は首を吊った。でも死ななかった。

そのあとは色んなことがあった。私の両親と元彼の両親が互いに土下座している姿を見た。高校ときに元彼の両親とは面識があった。制服を着たまま彼の家で彼の母が作った晩御飯を食べた。あのときのおじさんとおばさんが、すっかり老けて、痩せて、小さな身体丸めるように土下座して、私と会えないと息子が死んでしまうと、助けてくれと言った。おばさんは泣いていた。

私は眠れなくなって、婚約者の待つ家にも帰れなくなって、元彼のお見舞いに行くこともできなくて、何が何だかからないうちに婚約破棄をした。私が望んだことだけど、望んだことじゃない。

それから何年かたって、元彼のことを本当に死んでくれればよかったのにと恨んだこともあった。でももし本当に死んでいたら、私はもう重みに耐えかねて生きていけなかったかもしれない。私の人生歯車が決定的に狂ったのはいつだったのか、今でも分からない。どこからやり直せばこうならなかったのか、何が正解だったのか。誰が悪いのか。

やっとまた地元から引っ越すことになって、昨日荷物を整理していた。元彼から貰ったものは全て捨てていたけれど、唯一受験の時にもらった学業成就のお守りだけは捨てていなかった。というか元彼からもらったことも忘れていて、単に捨てちゃいけないものとして保管していた。何を思ったのか、ふと魔が差して、お守りの中を開けて、それで元彼からプレゼントだと思い出した。「頑張れ👍絶対受かる!」という汚い字のメッセージが入っていた。どこで誰が間違えたんだろう。

2018-02-02

高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。

しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかいかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビング数学課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。

その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。

そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。

そしてその人が通っていた難関大学志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死勉強した。


次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部院生で(院生から学部おかしいか)俺は文系比較偏差値が低い方だ。

それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったか約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメール告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションエントランスで話して、付き合うことになった。


それから彼女卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼント背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。

冬が過ぎ、また春がきて、彼女就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。

学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。

それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。

箱根に泊まり旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。

本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。

それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位結構取り落としていた。それからまた大学バイトゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。

就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女就職した会社ブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。

そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばいそもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手いるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。

電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。

突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。


そんな彼女明日結婚します。

2018-02-01

嫌いな小説の話

いや…これは…ほんと…

私は小学生ときお年玉で全六巻買ったんですよ……。

読み終わったときにはゴミ箱リアルダンクしてました。親に「何やってんだ!」と怒られましたが、私は作者に何やってんだよと言いたかったですよ。

もう最初らへんのベルトでSMみたいにしばかれる時点できっも!!!!!と引きましたがもっとやばいことがあった。

だってなんですかあの…なんであんなクソガキが主人公なの? アホなの?

長靴下のピッピとかもまあ、クソガキではあると思うんですけど、ピッピあくまでも「大人がむかつくから大人をやりこめてやろう」という方向性があるじゃないですか。

この小説主人公自分以外の全員を見下して「しょせん才能のない者たち(笑)」「オレの痛みはわからない(笑)」みたいな態度なんですよ。だれがこんなの応援したくなるんだよ。

しかさらにつらいことに、主人公を諫めていた友達キャラが居るんですけど、そいつ性格汚染されるんですよ。最初は気の良いおおらかで明るいやつだったのに、主人公と接触しているうちに「オレは主人公にふさわしくない…」とか悩み出す。そんな悩み方ある?中坊男子だよ?気持ち悪くない?悩むにしてもそれは気持ち悪くないか

それに、主人公をよく思わない大人キャラが居るんですけどコイツもまあなんかそのうち「主人公の才能…まぶしいぜ!」みたいにキャラが方向転換する。うっそだろお前…。大人なんだからクソガキを矯正するぐらいの役割果たしてくれよ…。

もうなんか前評判で買ったのでいつか面白くなるはず……と思いながら読んでたけどぜんぜん面白くならんし主人公きもいし…って思ってたら事態はより悪化しました。

途中でね、主人公より気持ち悪いキャラが出てきたんですよ。うっそだろお前…。

その途中で出てきたキモイやつっていうのがこれまた途中で出てきた主人公ライバル腰巾着なんですね。性格は「炎上している話題に全方位噛みついて全方位から叩かれるアルファツイッタラー」みたいな…あまりにも児童書にふさわしくない…。

ちなみにこのライバル自体主人公並みの天才ですが人当たりがよく気さくでいい人です。うっそだろお前…じゃあ天才うんぬんのせいで性格が歪んだとかい主人公はなんなわけ?生まれつき性格が悪いだけじゃねーーーーか!!!!! コイツ才能なかったらなかったで「お前らには才能の無い俺の気持ちはわからない」とか言い出すタイプだ……、あ! そうだ!腰巾着がまさにそのタイプだった!こいつら年齢ずらして生まれクローンなのでは?

そんなこんなで完結まで耐えて読みました。「こいつら(主人公腰巾着ダンプに撥ねられて全身複雑骨折しねえかな…」と思ってたけどピンピンしてたわ。ついでに言うと改心もなし!!!!!うっそだろお前…。改心どころか改善もなかった。うっそだろお前…。

なんかコレのあとに続編があって、ライバル好青年)が良い感じの高校に進学できそうだったけど腰巾着がウジウジ言ってるから仕方ねえなとかなんとかでライバル志望校変えた。うっそだろお前…人に迷惑しかかけてねえな腰巾着…。

あと、コレのアニメレビューで「アニメははしょりすぎ! 原作もっとキャラ気持ちがわかる! そして好きになる!」みたいなのあるけど完全に嘘だから騙されないように。

アニメではしょった部分て主人公がぐっだぐだぐだぐだぐだぐだ「周りはわかってくれない」とかいらんことで同じように悩んでたりそのわりに他人迷惑をかけて申し訳ないとかそういう自戒はまったくないというあまりにも自己中な内面描写とか、腰巾着ライバルに対する一方的なやっかみ、ライバルが才能ある上に性格も良いとかほんまこいつないわーみたいな、いやそんなこと妬むヒマあるなら練習しろよ…としか言いようがない…。そういう内面描写がこれでもか! というぐらいにしてあってアニメはそこをかなりぶっ飛ばしてるんですよね。むしろマシになってますよこれは。

自分より評価されている他人馬鹿にせずにはいられない物書きの話

 最初に前提として私の性格を言っておこう。

 まず、プライドが高い。文才も地の頭の良さも無いのに、どうしてか自分は頭が良いと思いがちである

 そして、他人との比較による評価判断の重きを置く。

 極め付けには、「プライドが高く才能も無いのに相対評価にいつもびくびくと怖気付いている私は馬鹿なのだ」と分かりきっているようなことを考えて、まるで自分のことを本当に理解しているからこそ卑下するのだという態度を取る。

 こんな人間の戯言でも良ければ見ていってほしい。

 私は二次創作小説を書いている。ペースは1〜2週間に8千〜1万字程度の短編を一本。生活を圧迫しない程度に小話を書いて満足している、趣味には飢えていない物書きごっこ大好き遅筆人間である

 小説を書くのは楽しい。また理解出来ないようなキャラクタの心情をどうにか知ることは出来ないか考察に走ってみることも楽しい。但しその考察目的が「キャラクタを知りたい」というものである以上、その楽しみが「考察をすること」に留まってはいけないと思うし、考察によって自分が得た「キャラクタの心情」が一次のキャラクタが持つそれと同一である盲目的に信じることもいけないと思う。

 話が逸れてしまったのですぐ上で述べたことを繰り返すと、私は文章を書くことに対して喜びを感じている。元々勉強でも現代文が一番得意で、本も同年代の平均的な読書量と比べれば読んでいる方だろう。文章に対して苦手という意識は無く、文を読むこともこねくり回すことも大好きな部類の人間だ。

 だから好きなキャラクタについて文章を書くことも楽しいし、それ自体目的であり手段であるのなら「○○について話書くのたのしいな!」で思考ストップしても別に構わない。それが当然の帰結であろう。

 けれど、そこで終われないのだ。

 書き終わった後作品コミュニティサイトにアップし、どれくらいの人から良い評価を得られるかが気になってしまう。数時間おきにページを開き、通知を確認してしまう。

 その上、他人が書いた作品に付けられた評価自分作品に与えられた評価とを見比べ、一概に言えるわけもないのに「自分の方が上手い文章であるのにどうしてこの人の方が褒められるのか」と苛立ってしまう。“一概に言えるわけもないのに”という表現からも、私のプライドの高さが伺えるとは思う。

 pixivを例に挙げると(実際私が今小説投稿しているサイトpixivではないが)、pixivには閲覧者があなた作品が好きですという感想マウスをワンクリックするだけで伝えることの出来る「すき!」という評価システムがある。

 勿論閲覧してもらうこと自体嬉しいのだが、好きだと言ってもらえることはもっと嬉しい。嬉しくてたまらない。しかしその嬉しいという純粋感情は、次第に「私はこれだけ評価されている」という目を背けたくなるような慢心へと姿を変える。

 そして評価されているのは私ではなく私が書いた小説であるということにも気が付かずに、「私はこれだけ評価されている」という偉ぶった思いが、いつのまにか「他人があれだけ評価されている」という妬ましい思いにすり替わっているのである

 実際pixivではランキングという一つの評価指標のようなものがあり、そのランキングがその時の利用者の間の流行に左右されて一つのジャンルで埋まることがあるとしても、競争心のようなものが煽られているような気はしなくはない(利用者が気軽に「評価の高い≒高確率でハズレではない」作品を閲覧出来るようにという意図によって作られたのだろうけれど)。

 しかし私の利用しているサイトではランキングシステムはなく(世間様の目に触れてはいけないようなジャンルを扱う人々が作品をアップするサイトであるからかもしれない)、皆恐らくのんびりと創作に勤しんでいるはずだ。競争心を煽るようなものはどこにも見つからない。

 にも拘らず、だ。私は人様に寄せられた好意と私の作品に寄せて下さった好意とを失礼なことに比較して、剰え自分の方が優秀であるだろうなんてことを考えている。好意を寄せる人々とその“人様”とを侮辱しているようなものではないか

 まあ多分、きっと、私の文章面白くないのだ。それに今熱中しているジャンルは、本編の放送が終了してしまっている。だから離れていってしまった人も多いのだ、というのは言い訳として言わせてほしい。実際閲覧数も落ち着いてきている。

 でも、本当に面白くないのだとは心の底では思ってなどいない。そんなの認められない。認めたくないのだ。だって、私にはプライドがある。私の文章面白くないわけないじゃないか、という捨てられない最後の砦がある。

 どうしてそんなクソみたいなプライドを持ち合わせてしまたかというと、それは中高時代経験が多分にある。

 私は中学受験をして、世間からお嬢様学校と呼ばれるような学校に入った。御三家第一志望とする受験生が第二・三志望で出願するような学校で(当時の話だ。今がどうかは知らない)、毎年数人が東大に行き、学年の半数以上が早慶上智、少なくとも皆GMARCHには行くくらいのレベルのそこそこ進学校である。めちゃくちゃバレバレだが。

 小学校では中学受験をする子が周りにおらず、親も褒めて伸ばすタイプだったのが逆に悪かったのか何なのかは知らないが、いつのまにか私の中には「自分は頭が良い」という意識が生まれていった。

 しか中学に入って、私はだんだん勉強に追いついていけなくなる。100点のテストで70点しか取れなくて悔しがっていたのが、いつしか苦手科目や5教科以外の試験なら平均点や満点の半分の点数を取れればまあ良いやというようになってくる。

 初めは真面目に通っていた鉄緑会も辞めてしまい、鉄壁はその厚さにギブアップしてターゲット1900に切り替えるなど楽な方を選択して勉強もまともにしなかった為、高3では地獄を見る羽目となった。

 それは元々の私の性格である怠惰さや勉強があまり好きではないという思いから来るものであり、また自分よりも学にも芸にも秀でている友人を見ていくうちに漸く得た「なんだ、自分って大したこと無いんじゃん」という諦念の感によることだったのかもしれない。

 けれど、私は「自分は出来る子だ」というプライドを捨て切れなかった。

 夏休み課題で提出する小説で賞を貰ったこと、授業で誰一人理解することの出来なかった『こころ』の友人Kの感情自分だけ読み解けたこと、センター志望校過去問絶対現代文だけは間違えなかったこと、そういう取るに足りない誰もがきっと忘れていくような些細な物事の欠片を、歩いてきた道を振り返ってしゃがみこんで目を凝らして拾い集めた。

 誰にも自慢出来ることがなく、性格が良いわけでもなく、美人でもなければ気が利くわけでもない。友人と呼びたくとも向こうがこちらを好いていなかったらどうしようと怖くなって友達もあまり作れなかったし、部活で一緒だった数人の友達と呼べる人たちが皆国立理系コースに進む中私だけ私立文系という道を選んだ(算数嫌いが祟って数学も駄目だった)し、夢もなく何かに向かって努力たかと言えば泣きながら日本史熟語を頭に詰め込んだ時くらいだ(暗記科目が苦手なくせに受験で使った)。

 要するに救いようのないくらい臆病な馬鹿だ。出来ないことが多すぎて、常に劣等感に苛まれている。しかし臆病であるからこそ本当に自分は駄目なんだと諦めたくなくて、「自分馬鹿じゃない」と思い続けている。

 結果として大学受験センター滑り止め他志望校で躓き続け、奇跡的に第一志望だけ合格したのだから始末に負えない。世間様に馬鹿にはされない学校に入ったことで、人生設計の全く捗らない行先に少しは安心出来る要素がプラスされたくらいのくせに、私の「自分は出来るんだプライド」は強化されてしまった。

 「どうしてどうせまともに勉強もしていないようなあなた文章が、W大文学部の私が書いた文章よりも評価されるの?」

「どうしてあなたがテキトーに書いた3千文字も無い文章が私の1万字よりも評価されるの?」

「どうしてまともに『てにをは』を使えないあなた文章が私の文章より評価されるの?」

 というような泣きたいくらいの進化が遂げられてしまった。いやもう泣いてる。見ず知らずの人を絶対自分よりも下流努力していない人間と決めつけて、自分付加価値で殴ろうとしている。文章は長ければ長いほど良いと思い込んでいる。三番目は許してほしいが、信じられない愚行だ。

 まず第一勉強が出来る(=成績が良い)ことと文章面白く書けることとは全くもって関係がない。ウィット文章を書けることと教養があることとは関係があるだろうが、そちらは関係がない。

 第二に学歴文章判断するのは間違っている。学歴が無くても面白い文章は書けるし、一般大衆にウケたり賞も獲れたりする。

 まったく評価基準が間違っているとしか言いようがない。視野が狭い人間なので他にも叩ける部分はあると思うのだが、溜息しか出ない。しかもわかっているのに直せない(と思い込んでいる?)のだからどうしようもない。どうしたら良いのだろう。どうすれば良いのかわからなくて、途方に暮れている。

 嫌な人間になってしまったものだと思う。でもこの世の中は競争社会で、相対評価が当たり前で、何かしら人と比べなければ気が済まない人々に囲まれ環境に置かれればそうなってしまうのも致し方ないのではないか、と自分を庇ってしまいたくもなる。

 誤解の無いように言っておくと、他人様の文章に感動しない人間ではない。寒い部屋で鼻水垂らして泣きながら読んだ大好きな小説もあるし、してやられたと最後最後でのどんでん返しにニヤついてしまうこともある。

 しかし「人に馬鹿にされたくない」という思いと「人に評価されたい」という思いが混ざると、こんな面倒なことになってしまう。でもどちらも当たり前の感情だとも思うから、返って対処の仕方が解らない。

 作品に関しては宣伝もっと上手く出来れば閲覧数が伸びるのではないか、という指摘もあるかもしれないが、表立って書いてますとは言えないジャンル創作なので、そこの辺りは難しいのではないかと思う(一応ツイッターにそのジャンル専用の鍵アカウントを作ってあるが、相互が40人程度の小規模なアカウントだ)。

 人に賞賛される喜びが捻じ曲がって醜い嫉妬に変わり果てるのは、今私や私の小説を好きだと言って下さっている方々の思いの否定にもなりかねず心苦しい。

 今回はそういう気持ちをどこかに吐き出したいと思いチラシの裏感覚文章を書いたのだけれど、割合すっきりしたのと同時に恐らくこれからもそのような自己矛盾と付き合っていかなくてはならないのだろうな、という実感が湧いてきている。

 何があっても筆は止まらないし、折るつもりもない。文章を書く喜び、キャラクタに向き合う喜び、そして人に賞賛されるという喜び。それらの何物にも代え難い快感を知ってしまったら、もう当分心大人になりきれるまでは、ずっと苦しみ続けなければならないのだ。

2018-01-30

絵が下手だった私が結局最後まで残った

絵を描くのを諦めきれずに戻ってきた人の記事をみたけど自分は逆だったなって思ってぼんやりこれを書いてる。

自分物心つく頃から絵を描くのが好きで、コミュニケーションの一部だった。

残念な事に下手な部類に入る画力をしていた。

ただ描くのだけはめちゃくちゃ好きで、暇さえあれば何かしら描いてた。

小学校中学校では私よりも何倍も絵が上手い子がたくさんいて

将来漫画家目指してる子や、同人活動バリバリやってる子や、学校ポスターしおりの表紙常にを描いてる子とかが居た。

周りのオタク友達も皆絵がうまかった。

そんな中私はルーズリーフシャーマンキング稚拙ファンアートV系歌詞を書き綴る日々を送っていた。

同人作家に憧れて、コンビニで身内用にペーパー作ってコピーしたり、サイトキリ番狙ってアイコン描いてもらったり、マウスお絵かきBBSに絵とか描いてたりした

その後私は高校に進んでもルーズリーフに絵を描き続け、ひょんなことから美大受験に挑戦し実力差に揉まれ志望校に引っかから地方芸大へ、そこではじめた同人活動ヘタレなりにコピー本を作ったりして、紆余曲折経て絵を見るのが好きだからソシャゲイラスト下請け会社事務をしている。

数年前に当時の友達に久々にあったら皆もう絵を描いてなかった。

最近当時好きだったサイトを見たけどもうあんまり絵を描いてなかった。

私だけ、ルーズリーフに絵を描くのが大好きな中学生で止まってた。

あの時一番下手だった私が最後まで絵を描いてる。

未だにデッサン狂ってるし、出張編集部もってったら判定ボロクソだったし、超絶画力が溢れる昨今の同人界で全然下手なんだけどさ。

心無い言葉も言われたり残念な扱いうけたり未だにあるし、結構面と向かって下手って言われるけどさ。

本当はうまいけど下手って言われすぎたか自分にかけた呪いなのかもってちょっと思ったりもするけどさ(いやでも下手だな…)

なんか描いてると楽しい

何描いてても楽しい

多分可能な限りずっと描いてる。

上手い絵みると嫉妬するけど私もなんか描きたくなる。

下手な私になんでそんなメンタルつけたんだろ神様

私にはすぎたものじゃありませんか、これ。

下手なりに、自慢なんだけど去年は今まで頑張った成果が形になった一年だったと思う。

フォロワーは1万人を超えた。はじめていいね1万いった。仕事では憧れの作品に関わることが出来た。大型ジャンルコミケ誕席2回目。

昔絵が下手でアンソロハブられたから今度は自分主催した。勿論公募制だ。愛があれば誰でもウェルカム

今年は背景とむきむきの男性キャラもっとましに描けるように頑張りたいな。

もうすぐ30近いしいつかは絵を描かなくなるのかなとか思うけど、当分はまだメンタル中学生のままな気がする。

2018-01-23

うっひょお!深夜テンション

ただの独り言です。   

私は花のLJKです♡

日々勉強して第一志望校に向けて勉強してます〜☆ 

受験生から塾にも通ってる。そこでいろんな人に会う。

チャラい浪人生だとかもう何年あん医学部目指してるのって奴いろいろいるんだけど、最近一番やばいタイプに気がついた。

幸せを目の前にすると不幸に向かって大暴走する奴

これ結構いる

最近いたのが、日本人なら誰でも知っている大学二次試験まで行けたのに二次選考マジで意味わかんないこと言って落ちた人。

一次選考がクソムズイのに楽勝な二次選考で落ちるってえ?って感じだったよ。

後々になって聞いたんだけど、その子家庭環境が複雑だったらしくて今まで多分そんな幸せになったこととか一生懸命になった経験がないんだと思う。

そいえば落ちた理由支離滅裂っていうのははあんま言うと身バレしそうだから例えて言うと

「今何時ですか?」

「このりんごはおいしいです。」

って感じ

話を戻すと幸せになったことがないから思わぬチャンスが舞い込んできて多分びっくりしたんだろう。

びっくりして幸せっていう未知のものが怖いから多分大暴走したのかね。

あとは一生懸命やって落ちたら辛いか暴走する。

私もよくやってしまう。変な風にしたらさ「今回変だったから次ここで頑張れば、受かるね、できるね」って言ってもらえるし、思えるけど

ガチで挑んでダメだったら次にすがるものがないじゃん。いつもみたいに次がんば れば が出てこないじゃん。

レバにすがって生きてる自分ですけれども、逃げたらあかんってことはわかってます。。。。

もしこれを読んでくださっている方がいたら釣りだと思ってもいいので覚えていただきたいことがあるのです。。。。

傷ついてでも進んでる人は気付いたら凄い人になってるけど、レバレバ言ってる人は傷を見ないふりしてるだけで気付いたら全身大火傷です。。。

から、少しでも逃げないで挑戦してみようって話ね。

以上深夜テンションでお送りしました〜〜〜

2018-01-18

今回、息子のセンター試験の結果が非常に悪かったのですが、

某有名国立大学を受けると言って聞きません。

判定等を客観的に見ても絶対に受かるわけがないのですが、

本人は実力もないのにプライドだけは高く、

志望校を下げることを決してしません。

浪人はさせたくありません。

本人に自発的に翻意させる巧い方法はないものでしょうか?

大学受験

最後模試E判定で、先生志望校ランク下げろよって言われて、多少凹んだけどそんなの本気にしてなくて、まあそんなこと言っても何とかなるでしょって思ってて、過去問で8割超えたこともあって、喜んだのも束の間、センター失敗して、そこでやっとほんとに私だめなんだあ、って思って、先生にもそろそろちゃんと考えろよって釘刺されて、そりゃ有名な私大から難しいのはわかってるけど、でも本気で行きたいのも事実で、周りから何度も何度も止められて、厳しいとか、危ないとか、挑戦するだけ無駄とか!わかってるよ、私なんかじゃ受からいかもしれないよ、届かないかもしれないよ、それでもやらせてよ、いくら笑われてもいいから、受ける自由を奪わないでよ、描く夢を土足で踏まないでよ、努力無駄だって言わないでよ、それぐらい行きたい、行きたい、大学に行きたい!憧れるのはもう嫌だ。夢だなんてもう言わせない。そのために涙も不安も忘れて勉強する。だから合格したい。


書き終わったら疲れた。受かっても落ちても、またここに報告する予定です。読んでくれた人ありがとう。それじゃあ勉強してきます

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-15

本気で何かに取り組んだことある

ない。なくてもそう困らないだろうが、困っているので書いている。

就活である

学生時代に力を入れたこと、すなわちガクチカを3つは用意しとく必要がある。たいていはバイトサークル学業

もうこの1年ずっと悩んで、延々と悩み、悩んでる間に何かに取り組めればよかったのだろうけど、まあそんなことはなく、そして今死にそうになっている。

適当に嘘でも書ければいいのだが、やったことがないのだから全く想像出来ないし、就活サイトに載ってるのはやれ部活大会だであまりに現状と離れておりどうしようもない。

ほんとやばくて、支離滅裂なのは分かってるけど、なんかもう、なんでもいいから、増田に助けてほしい。助けてください。



バイト

塾講やってる。嘘。やってた。都合が悪いので続けてる体で行く。

塾講ってさあ、どこに本気出すの?ないし努力するの?

教材は塾が用意してるし、誰がどのテキストを使うかは塾長の指示だった。

教材作ったことにしてもいいけど、もし「見せて」なんて言われたら詰むので、そこは諦める。

ぶっちゃけ本気を出すのは生徒の方だ。

いかに本気を出させるか?勉強モチベをキープさせるか?なんて問うことは出来るけど、んなもん、こっちの知らんこっちゃない。

それは親と学校仕事だ。

塾はあくま勉強の補助(うちはそういう塾だった)で、せいぜい週に一回会うぐらいのバイト子供にしてやれることなんて何もない。

そいつの成績が上がろうが志望校に受かろうが、結局そいつがちゃんとやったってだけで、こっちには何の影響もないんだよ……

困った。


サークル

ゆるい物作り系に入ってる。もうこの時点で詰んだ気がする。詰んでる。でも体育会系とかなんか人多いとことか無理して入ったら、きっと私のことだ、辞めてただろう。しゃあない。

大会とかない。これと言った仕事もない。

学祭で作ったもの売ったりとかはしてた。あ、これアピール行けるっぽくない?

でも何をどうアピールするんだ。そりゃ作ったからには売るだろ。

別に売上の目標とかないし、そもそも売るためじゃなくてなんとなくの集まりだし。

一応合宿もあったけど、日程決めて宿を取るくらいしか仕事はない。

ちょっと前ならその日程決めだって大変だっただろうけど、今はラインカレンダーに丸付けたらおしまいだ。

困った。


学業

言うまでもない。

いやまあ、GPAは4超えてるし、成績は悪くはないと思うが、特別良いとも思わない。周りのGPAもそんなもんだし。普通

レポートは言われた資料読んだり美術館行ったりでちょろちょろって書けばよかったし、試験は一晩か二晩徹夜すれば成績来るような授業ばっかり取ってた。

なので「じゃあこれ知ってる?」なんて突っ込まれたりしたら一巻の終わりである

あ、ゼミグループ論文があったけど、まあそれは苦労したけど……

苦労は苦労でも、フリーライダーが多かったとかリーダーと連絡がつかなくなったとか、アピールしたらまずい苦労である

困った。




とりあえず思いつくだけのガクチカを挙げてみたけど、なんというか、ダメである

いやほんとどうすればいいんだろう。

からボランティアでも行く?どの?何のために?手遅れである

なんで今さらこんな困ってるかって、週末に模擬面接があるからだ。

短期インターンエントリーだったら何となくそれっぽいこと書けばよかったけど、流石に模擬面接でそれはやや困る。いやかなり。

人事の方も「とりあえずガクチカ深堀りする」って言ってたし。

まあ最悪上手く答えられなくても、本面接ときにちゃんと出来てればいいのだろうけど、それでもやっぱりある程度ちゃんとしておきたい。

私は御行に入りたいが、御行は私でなくてもいいのだ。

企業が「こいつなら雇ってやろう」と考える何らかの基準があって、それを満たしてるかはかるためのガクチカなのだ

からこんなんじゃどこにも入れない。それは困る。

私には趣味があって、それにお金がかかるので、お金が欲しい!!!働いてでも!!!

御行の収益やすので雇ってください、と言っても雇われないだろう。

だってこんなガクチカじゃ、到底売上に貢献出来るような人材には見えないし。

しっちゃかめっちゃかだし、どうしろってんだとしか言えないだろうけど、とにかく助けてください。

2018-01-09

anond:20180108141730

ブックマークコメント見た。ありがとう

そういう、春分の日過ぎてからゆるっと動くのもアリなんだなあ。

なんでも親が先回りしてやるものでもないよなあと思う反面、

もし4年間住むとなるとコストも通い勝手も良い方がいいよなあと思ったりもするので葛藤

自宅外な志望校が、今住んでるところよりも明らかに規模の小さいマチなので尚更そういう心配するよ。

センター4日前、模試に行ったよ

2017-12-20

褒められたい

から、褒められたくて褒められたくてどうしようもないたちだった。とにかく褒められたい。褒められないと、私の頑張りになにかしてもらえないと、自分のできることが、特技だと思っていることが、ひどく無価値ものに思えてしまう。さらには、時たま声をかけてくれる、褒めてくれる人々のことばはすべてお世辞で、自分のしていることは本当はだめだめで、そりゃ褒めるところがないのだからふだんは誰も声をかけてくれないのだな、などとまで考えてしまう。

こどものころ、私が褒められるためのハードルはえらく高かった。

私はなぜか、ある程度の勉強や、ある程度の頑張りができるこどもだったからだ。

たとえば、いつもテストで90点を取るこどもが100点を取ったところで、いつもよりすこし点数が高いだけなので、それだけ「すごい」と思ってもらえる幅が狭いのだ。「この子はいつも高い点をとる子だからね」で済んでしまう。

それに比べて、万年赤点をとっている子が100点を取ったとなれば、もうそれはお祭りである。誰もがすごい、よくやったねと褒めてくれる。ふだんからの子にとっての100点は「起こりえないもの」と認識されているから、突然起こったとんでもないサプライズに、ごほうびなんかも出てくるかもしれない。

こどものころの私は、それがひどくうらやましかった。点数が取れない、頭のよくないこどもになれれば、あの手この手でおとなが私を構い、そしてものすごく褒めてもらえると本気で思っていたくらいだ。こどものころ、しんどくなったときの私の口癖は「あたまがわるくなりたい」だった。この話をすると、思い上がっているんじゃないかとか、性格の悪い人間であるとか、そういう印象を持たれてしまうと思うのだが…それだけ、私にとって、たくさん褒めてもらえるということは大切なことだった。ふだんから赤点をとったことがないことや、志望校に推薦で受かったことや、卒業するとき主席をとれたことなんかは、私にとって大した価値を持たなかった。おもっていたより、褒めてもらえなかったからだ。きっとすごいことじゃないのだ。こんなことより、あたまのわるい子が頑張った方が、何倍も価値があるのだ。人から褒められることでしか自分自分のしたことに自信が持てない私は、本気でそう思っていた。正直、今でもときどき、疲れた時なんかに、そんなことを考えてしまうことがある。

人間は、慣れてしまう生き物だ。

から、できる子が「できる」ことを、あたりまえだとおもってしまいがちであるし、そういう子は、影に隠れてしまやすいのだと思う。褒めそやして持ち上げる必要がないからというのもあるかもしれない。

私はそれがとても悲しかった。

もしあなたが、こどもに接する親であるとか、親戚であるとか、先生であるとかなら、私のような、褒められることを忘れられてしまたこどもを、たくさん褒めてあげてほしい。

の子は、もしかすると、私のように、自分に自信を持つ過程で、人から褒めてもらうことが必要な子かもしれない。

褒められたくて、でもおもうように褒めてもらえなくて、まわりの普通の子の方が自分よりも何倍も価値をもっていると思っているかもしれない。

できない子をのばすために、たくさん褒めてあげるのももちろん大切だと思うが、私のようなこどものことも知ってほしいと、そう思う。

そして、ちょっとたことでも、褒めてあげてほしいと思う。たくさん、たくさん、褒めてほしいと思う。

褒めるの点滴が必要人間は、きっとそれで救われるのだから

私は今日も、誰かに褒められたい。

2017-12-12

田舎から「外」に出るのは男であるべきなのか

最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。

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キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇

https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME

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最初何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。

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CMの流れとしては、以下の通りだ。

・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホーム自販機午後の紅茶ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。

・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。

東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース

・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。

女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット

・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。

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シーズン的には「大学入学きっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。

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CMの終盤、歌声けがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジー演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。

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その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。

※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。

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何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。

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私の出身とある田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。

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それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学地元国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。

最初不思議に思っていたが、周囲の友達志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内私大短大名前を返されることが多くなった。

そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大名前最後まで書かなかった。

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その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり地元へは長期休み年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。

私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。

久しぶりに会ったのだから普通質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生地元大学に通っていれば誰かしら中学高校同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさら高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。

それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元場合から「外」に出る人は少ない。田舎保守的からだ。

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「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女母親地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。

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感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直ジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。

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全然上手くまとまらなかった。時間時間からか頭が回ってないのかもしれない。

これだけ書いたけどCM彼女歌声は好きです。

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

2017-11-01

anond:20171031213801

似たような親を持っていたので。

増田は今は勉強に集中するべき。自分で書いているように、もし大学受験に失敗したら状況はさら悪化する。志望校レベルを落としてもいい(父親が納得する範囲で、になるだろうけど)。できたら遠くの大学へ。大学に入ったら全力で逃げよう。

今の段階では、父親には、「勉強に集中させて」とひたすら伝える。「1,2時間正座」してたら勉強にならないでしょ、と。怒鳴られてる暇があったら勉強したいから、と。父親が納得する理屈をつくって、なるべく冷静に説得する。

さらにできる限り父親と顔を合わせないようにする。学校図書館予備校自習室公立図書館カフェマック。なんでもいいから、そちらの方が集中できるといって、外で勉強してから家に帰ろう。家には寝に帰るだけにする。それでも絡んできたら、「寝不足になったら勉強できない」と伝えて、寝よう。

相手が殴ることをやめさせることはできない。でもだからといって相手の拳が届く範囲に居続けなければならないわけではない。殴られ続けなければならないわけではない。

増田父親は強い学歴コンプレックスがありそう。本人はいいことをしてると思っているので、ただ「やめて」と言っても状況は悪化する。おそらく安易第三者を介入させると、火に油を注ぐことになるだろう。そうすると、増田受験どころではなくなり、成果を上げられず浪人して、と悪いスパイラルに入ってしま可能性がある。今はひたすら自分を守りながら勉強を頑張って、逃げてほしい。

増田の状況は詳しくわからないので無責任アドヴァイスになるけど、なんか昔の自分のことを思い出したので書いた。

2017-10-18

がっこーのせんせーです

都内私立高校に勤務している教員です。

かれこれ5、6年は勤務しており、仕事にも満足しています

給料は同じ大学の友人より安いですし、

部活などの休日出勤も多いので決して待遇は良くないですが、

好きな仕事を選んだので仕方ないと割り切っています

ただ、最近、これから先、この仕事のなり手がいるのか不安です。

私は朝5時に起きて7時には出勤しています

定時は8時から17時ですが、始業前の準備や時間外設定の会議を考えると

7時から18時くらいにはなってしまます

それでも遅くまで残業している職種の方に比べれば大したことはありません。

休日も2日はありますが、部活などで休日出勤が続くと30連勤くらいは普通です。

夏休みなどがあるからと思われるかも知れませんが 、

部活合宿の引率、夏期講習などを差し引くとお盆休みがあるだけなので

一般的職業と大差ないかと思います

総合すると給料水準は求められる資格学歴に比して安く、

その他の待遇普通の業種と同じかそれ以下といったところです。

一方、教員に求められる業務は増加しています

文科省方針コロコロ変わりますが、

その都度、カリキュラムの改変や専門外科目の勉強を迫られます

また、未だに手書き公文書が多いことも業務を圧迫します。

なにより一番は生徒対応保護者対応です。

私はどんな理由があっても体罰には反対です。

暴力解決するのは教員仕事ではありません。

昔は一発のゲンコツで済んでいたのかもしれませんが、

根気強く諭すしかありません。

それでも事と次第によっては、声を張り上げて叱ることもあります

しかし、最近ではそうした行為恫喝パワハラだと批判されることもあります

教員の肩を持つ気はさらさらありませんが、

先日も福井中学生自殺した事件で、

教員の叱責が原因であるという批判がなされています

授業妨害をする生徒や提出物を繰り返し出さない生徒に

他人邪魔をするなら学校辞めろ」

勉強したくないなら高校に来るな」

と、叱ったこともあり、これも不適切指導になるのかと悩みます

また、保護者要求肥大化しています

自己都合で休日の出校を求められたり、

電話暴言を吐かれることもあります

もちろん大多数の保護者は協力的で理解してくださっていますが、

問題児保護者ほどいわゆるモンスターペアレントの傾向は強く、

学校での問題保護者に報告しても、

逆に教員指導が悪いと管理職クレームが入ります

一番、ショックだったのは宿題を忘れたことを怒鳴るわけでもなく叱ったら、

人殺し」とクレーム電話が来たことでしょうか。

こういう状況でも大多数の生徒や保護者が支持してくれ、

生徒が志望校合格したり、卒業生が遊びに来てくれると嬉しく、

やはりやり甲斐を感じる仕事です。

ただ、今は経済状況もよく、あえて低賃金責任長時間労働

仕事に就く意味はなく、「奇特な人」がやる仕事になっていくように感じます

また、少し先の見える学生さんであれば少子化日本において、

教育市場は縮小していくので、定年まで雇用があるかも心配するでしょう。

このような状況では優秀な人材教員にならなくなっていき、

教育現場は荒廃していくと思います

文科省は「やり甲斐アピールする」と言っていますが、

業務量の整理や待遇改善モンスターペアレントから守ることなど、

目に見えた対策を取らないと現状の打開は難しいと思います

現役教員の目からたこから教育現場

これから日本への不安でした。

これを読んで少しでも教育について考えてくださったら嬉しいです。

2017-09-24

今まで生きてきた中で一番の悪夢を見た

きつかった…

悪夢といってもバケモノに追いかけられるとか、高い崖から落ちるとか、乗ってたエレベーターの底が抜けて落ち続ける夢とかではない。

私の身から出た錆と不安と心の闇を凝縮した夢だった。

私は勉強が出来ない。これは私一番の…悩みであり弱みであり、身から出た錆だ。

中学受験志望校へまぐれで受かり、落ちこぼれて今の高校に通い二年生になった今に至るまで、大小様々な悩みはあれどこれまで自分を苦しめているものはないだろう。

なぜ身から出た錆なのかは単純に、勉強が出来ない事に悩みつつもそれを解決しようと勉強してないかである勉強をしていないならまだしも、長期休み宿題課題を出さない。これがいけない。

かつ、私は親を裏切り続けている。何度今度こそは頑張って成績を上げて提出物を出すと言っただろうか、何度欠点電話に怯える母を、面談の度に恥ずかしい思いをさせてしまっただろうか。ちなみにこれらは現在進行形で続いている。それを何とかしようと真剣に思うぐらいには恐ろしい夢だった。まあこう思う事は初めてではなく、20回目ぐらいだったりするのだが。

そろそろ夢の内容へ移ろうと思う。

通っていた中学校高校が混ざった校舎の廊下に私は立っていた。対面にいる担任から今学期の成績表を渡される。読まずとも壊滅的な内容だと私は知っていた。特に英語の成績が。担任は母を呼んであると言う。もうこの成績は伝えてあるらしい。

私はふらふらと教室へ戻った。母がいた。実際に最後に見た服装と1年の面談に来て来た服が混ざっていた。まあどちらも似たような格好だったが。彼女は黒に白いレースの縁取りがついた日傘を持ち、赤い口紅差していて、シックな印象を与えた。この格好をした母と歩くのが好きだった事を思い出した。

母は私を責めた。彼女は怒っていて、呆れていて、悲しんでいた。私は辛くて、自席の机へ目をそらした。小学生の時使っていたうさぎの手提げ(これは母が祖母ふたり、母娘水入らずの旅行先でお土産で買ってくれたものだった)と、それに入った手紙が見えた。

手紙といっても置き書きのようなもので、A4サイズの裏紙に青いサインペンで書かれていた。母のそばを離れて手紙を取るわけにもいかず、手提げから半分程度はみ出した部分しか読めなかった。すぐ会えるとは思っておらず、手紙に気づいてもらえるようわざとそうしたのだろう。

手紙には「ママちゃんは悲しんでいますときれいな字で、というか思い返せば私の字で書かれてあった。母の字は丸っこく、独特なのだが、私は習字に通わせてもらっていたのである程度綺麗な字をしている。

ママちゃん、というのは彼女が私とふたりきりで楽しく話している時にふざけて使う愛称だった。普段怒った母はもっと威圧的で、口汚い言葉を使った手紙を書いていた。

私はここで

ああ、何ということをしてしまったのだろう、と思った。

気づけば母は成績表の入ったファイルを私に押しつけ、廊下を歩き出していた。階段を降りゆくところで私は慌てて追いつき、どこへ行くのかと訪ねた。彼女履歴書を書きに行く、と言った。私は冗談じゃないと思い、持っていたファイルを踊り場に叩きつけた。中に入っていたプリントが舞い散った。母はどこかへ行ってしまっていた。

私がプリントを集めていると、どこからともなく8歳ぐらいの男の子女の子が寄ってきて、プリントを拾うのを手伝ってくれた。男の子が私の成績表を見て、お姉ちゃんなのに成績わるーい、と言うので 私はうーん、お姉ちゃん認知症になってるからかも知らんなあ、若年アルツハイマーやわ、と笑って返した。そうすると女の子は じゃああそこにおらなあかんちゃうん、と指さした。

その先にはステージがあり、私と変わらない年格好の車椅子に乗った人や移動式のベッドに寝たきりの人と共に講演をする大人がいた。私はなんだかぞっとして、あははせやな〜とかなんとか言った。

プリントが集まり終わり、最後に成績表を入れるだけになった。そこで初めて成績表を見た。惨憺此処に極めり、といった内容だったが一番は英語だった。1だった。ここでそういえば私、留学したいんだったと思い出した。こんな成績じゃ無理だとも。担任からの欄には、ずいぶんとかっこいいですね、と書いてあった。彼がよく言う皮肉だった。

私はファイルを持って立ち上がり、母を追いかけるべく走り出した。半分泣いていた。私は就職希望なんだからもう成績で取り返しがつかないとか、留学たかったなとか、母に申し訳ないなとかなんとか思いながら。中学校高校廊下を走り抜け、職員室の中を突っ切った時に母の背中が見えた。もう少しで追いつく、という時に目が覚めた。

いつもの布団じゃないので混乱した。が、よく思い出せばここはホームステイ先の自室のベッドの上だった。

現実の私は、このままの成績では留学することは出来ないと言われ、学年順位をどうにかこうにか100番上げてニュージーランドへ来たのだった。

怖い夢だった。もう二度と見たくない。その為にも勉強し始めようかな。

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170903112119

自分と全く同じだ。

中途半端にできるから慢心する。だからたちが悪い。

結局努力できた者勝ちなんだよ。

努力できることも才能の一つだし、自分みたいな凡人が成功を成し遂げるために一番必要能力だと思っている。

でも、自分のことじゃなくて、自分努力しないことによって人様に迷惑をかける可能性があることなら精一杯努力できた。

塾講師をやってた頃、他人の子ものために自分研鑽したり勉強したりした。現役時代こんだけ勉強してれば志望校にも受かっただろうって位、授業するために沢山勉強したし、生徒の成績を上げるために、自分が良い授業をするためならできることはなんでもした。仕事なんだから確かにそれは義務だが、義務範疇を越えて努力できた。

でも未だに自分に対する精一杯の努力はできてない。

お互いどこかで改心できるといいな。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812121255

つーかなんで結婚出産だけすべての条件がクリアされて不安も払拭された万全の状態じゃないとやらないぞ、っていう風に思っちゃうんだろうな。

受験就職も一歩間違えれば大ダメージになるのに志望校がA判定になるまでは浪人するぞとか、絶対内定がもらえる書類と受け答えの準備ができないと受けないぞ、ってならないのに。

2017-08-01

無職のおれが、今なら勝てると思った話

昔のことを思い出した。

「おいふざけんなよ!」

「うるせぇ、なんだよ」

ふたりの男は目の前で口論を始めた。双方、かなりいかついルックスである

ひとりは一個上の番長的な存在、コウヘイさん。もうひとりは一個上の裏番長的な存在シンゴさん。

ちょうど運悪く、僕は彼らの中間地点にいた。

「お前どけよ!」

僕に向かってコウヘイさんが怒鳴った。すると、

「こいつにどけよって……お前、ふざけんなよ!」

と、目の前にいたシンゴさんは僕をかばってくれた。

続けてシンゴさんは言った。

「お前、こいつに手ぇ出したら許さねえからな」

先輩、僕のことが大好きみたいだ。

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ただひとつ間違いなく言えるのは、今の僕ならこの2人の先輩をボコボコにできるということ。間違いなく勝てる。100%勝てる。1,000%勝てる。

なぜなら、これは僕が小学校の時の話だからだ。

先輩は当時小学5年生で最強と言われていたふたりキュートルックスが魅力の僕は当時4年生。守ってくれたシンゴくんの横で震えていた。

でも今なら間違いなくこの2人に勝てる。

だって、今、36歳だし。

間違いなくワンパンで勝てる。

今でもときどき思い出す。

今の自分あの日、あの時、あの場所に戻れたら、確実に勝てるだろうなってこと。多々あるよね。そういうこと。

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ナカノ先輩は卒業してから髪を染めた。

夏祭りで見かけたナカノ先輩の髪はムラサキ色だった。

まだもんじゃ焼き屋さんもあまりない、ヤンキーだらけの月島の街で、ナカノ先輩の髪はムラサキに輝いて目立っていた。

当時は恐ろしくて近づけなかった。ただ一方的に僕がナカノ先輩を認識していただけで、先輩はきっと僕なんか眼中にないだろう。

でも今なら間違いなく言える。

「お前の髪、おばあちゃんみたいだぜ」って。

だって当時の先輩は13歳、中学1年生。僕は今、36歳だし。

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そんなことを考えながら、誰もいないワンルームYoutubeを見ながらビールを飲んでいる36歳の夏。

ふと外を見ると近所の小学生がセミを追いかけていた。

そんな圧倒的な優越感を揺らがせる出来事があった。

芦田愛菜難関志望校合格」のニュースである

無職はいえ、僕は一応大学卒業した。そんな自分小学生には学力で負けまいと思っていた。本もマンガもいっぱい読んだし、毎日ネット見てるし。でもそんな確固たる自信を揺らいだには芦田愛菜の難関志望校合格ニュースである。つまり芦田愛菜の持つ圧倒的なタスク管理能力課題解決力に敗北を喫した。

考えすぎかもしれないが、さっきまでこの手の中にあったコウヘイくん、シンゴくん、ナカノくんに対する圧倒的勝利が「芦田愛菜」を想うたびに揺らぐ。ひょっとすると学力だけでなく、今の僕はあの頃のコウヘイくんやシンゴくんに出会っても、ガチで戦って負けるかもしれない。

「いや、相手小学5年生だ、負けるわけがない。食べて寝てたおかげで体重も100キロ近くあるし」

小学5年生だからって侮るな。油断したら負けるぞ」

自問自答を繰り返す。

こうしている間にも、同級生はきっと金を稼いだり、子育てをしたりしているのだろう。でも、こんな僕にも彼らと同じく明日は来るし、死ね明日は来ない。

時の流れは残酷である

ってことで、今から外にいる小学生勝負してくるわ。

自分自身を取り戻すために。

その2

https://anond.hatelabo.jp/20170801153106

その3

https://anond.hatelabo.jp/2017080122515

その4

https://anond.hatelabo.jp/20170802121513

2017-07-28

鉄道おじの20代までの生活

彼は大学卒業後、しばらくは地元役人生活を送っていたという。その後、3年ほど前に退職し、無職の身になった。(現在転職済み)

「足を踏み外したし、復帰の見通しが立っていないって、知人は心配していました。無職時代には電子書籍出版だの動画作成のしていると聞きましたね。そう、私は直人君のことが心配心配でたまらなかったんじゃないかしら。高校時代、直人君がADHD知的障害かになりかけて窮地に陥ったことがあったけど、知人は血相を変えて飛んでいったもの。」

直人を知る中学時代の知人によれば、直人は高校の頃から学習障害を患い、1年生当時の成績はそれほど安定していなかったという。

ちなみに自宅の郵便受けに入った大量のレターが入れられていたことは、近所の住人のほとんどが覚えている。

知人は直人の現在の姿をありのまま伝えることを躊躇し、この男女には「左翼関連の専門家をして活躍してる」とだけ話した。

事実、直人はそう自称することが少なくない。

「あら、立派になったのね。それにしてもなぜ左翼なのかしら。見当がつかないわねえ」と男女は怪訝な表情を見せた。

実家のあった地域は、古くからあるJR線地下鉄開業近代化目まぐるしい住宅街に隣接している。

地元の人によると、この近くには市を代表する進学高校があり、受験シーズンには賑わっていたという。

その後、教育事情などの変化によって志望校分散も進んだが、現在でも偏差値が高い高校として知られている。

平日の殺人的混雑で悪名高い私鉄線へはJR線で2駅だ。

ちなみに直人が何かと攻撃対象にするgudachanも、大学卒業直後だった一時期、面識があった。

彼は生まれも育ちも神奈川県茅ヶ崎市だが、一時期オタクにハマっていたこからにわかに友人関係にあった。

2000年代後半のgudachanと直人の趣味は、同じ秋葉系というのである。この偶然には驚かされた。

2017-07-05

俺は全く焦らない

テスト前に勉強しなくても、俺は全く焦らない。

友達が「やべー…。ノー勉なんだけど!」って焦っていても、俺は全く焦らない。

テスト赤点だらけでも、俺は全く焦らない。

再試が不合格でも、俺は全く焦らない。

提出物が遅れても、俺は全く焦らない。

成績が返ってきても、俺は全く焦らない。

志望校に落ちても、俺は全く焦らない。

これほどまでに焦れないのかと思うと、今後の人生不安で落ち着くことが出来ない。こんな自分イライラする。

誰か、焦る方法を教えてくれ。

2017-07-04

https://anond.hatelabo.jp/20170704233705

俺は代ゼミのおかげで志望校全部受かったし、2chの評判を見てても代ゼミ講師レベルの高さは現在でも間違いないと思っている。

が、これまで受験について相談してきた人に「代ゼミは良いぞ」って勧めて素直に入る奴は1人も居なかった。なぜか河合塾に入り、落ちる、ってことを謎に繰り返してきている。

ここから何となく受験生の間で代ゼミ不信みたいなものがあるんじゃないかなぁと思っている。俺が現役の時も代ゼミ馬鹿にする風潮はあったし。

この何となく代ゼミ不信で、受験生大学に受からず、代ゼミ経営不振に陥ってるとしたら、かなり不幸。

気になるブコメがいくつかあったので

https://anond.hatelabo.jp/20170703203542

正直言わせてもらうと、労働契約守って手抜き教員やってもらったほうが世間の目が覚めると思う。教員情熱も、現状ではヘンな方向に走ってしまいがちになる。正しい基準適用必要だよ。2017/07/03 21:16

我々がそれをしない理由簡単で、生徒を人質に取られてるから

サビ残しません、休日も勤務命令なければ仕事しません、だと、確実に生徒が不利益を被る。


例えば手厚い受験指導の評判に惹かれて入学した生徒。休日の補習補講や平日の勤務時間外の補習補講があれば合格できた志望校に、合格できなくなるかもしれない。

例えば部活強豪校の評判に惹かれて入学した生徒。高校推薦、大学推薦、プロ入りなどといった(公立校でそこまでのレベルは稀だが)可能性を、つぶすことになるかもしれない。

その将来に、我々教員はなんら責任を持てない。

「生徒の将来のために」なんて青臭いことを言うつもりはない。単純に、責任取れないんだわ。

「俺は家が貧しくて予備校に通えないけど、この学校なら平日も土日も学校残って自習したり、受験向けの補講があるって聞いたか入学したのに。先生、どう責任取ってくれるんですか」

「俺は野球に命かけるつもりで、野球部強豪校のこの学校に入ったのに、土日は練習なし、平日も30分のみの練習甲子園に行くのが夢だったのに。先生、どう責任取ってくれるんですか」

って言われてもね。

から慣習として、去年一昨年と同じだけ練習する。同じだけ補講する。


本当はそういう、「教員ボランティアによって成り立ってる部分」を売りにしちゃまずいんだけどね。


「うちの会社営業時間外でも電話一本でお客様の元に駆けつけます。トラブル発生時には365日24時間対応します。(ただしそれらは全て社員サービス残業サービス出勤によって賄われています社員拒否したらそのサービスは成り立ちません)さぁウチと契約を」ってのと一緒だから

ウチは部活に力入れてまーす。○○部は去年全国大会行きました^^ なんて煽って生徒募集しておいて、その部の顧問はその年で異動して、入学してみたらもういませんでした、なんてのはザラ。あるいは在学中に顧問がいなくなるとかね。で、上手いこと後釜に入る教員がいればいいけど、潰すわけにもいかいから無理やり若手がやらされて、生徒が頑張ってるから仕方なく土日も部活やってますなんてのもザラ。

腐ってるね。


民間経験ある人の話は説得力がある。勤続年数だけじゃなくて、管理職査定昇給が決まるようになってきてるよねー。2017/07/04 00:02

え、それどこの私立高の話?

少なくとも東京都では管理職査定なんてあってないようなもんですよ。

せいぜい、学校にとって(というより、管理職にとって)有益な実績を挙げた教員に対し、勤続一年分くらいの昇給ステップアップがある程度。

あ、あと公立学校特有の異動(勤務校が変わる)の際に関係してくるかな。優秀な教員希望が通りやすい。


で、報道されちゃうくらいの事件事故になるくらいの問題を起こした教員は別として、それ以外は全部昇給ペース一緒。まるで仕事しないダメ教員だろうとね。

だって、そのダメ教員査定昇給に響くくらい悪くつけると、管理職管理能力が問われることになるし、いろいろ理由書とか報告あげなきゃいけないんですもの

保身を考えたら、どんなにダメ教員でも、事件事故を起こすまでは、他の人と同じように昇給させておくのが、管理職的にはベター


ベルマークについてはどう思う? なくせないの?2017/07/04 08:45

小学校教員じゃないんでなんとも。

ただ、効率悪い効率悪いって言われてるんだから、なくせばいいのになーとは思う。

でも、これも部活と同じで、一部「やりたい」って人がいるんだよね。それも、直接的な利益自分にはないのに。例えばPTAの重鎮だったり、ベルマークに命かけてたりね。で、それを他にも強要する人とか、マジでいる。


学校先生の、「勝手にやっている」ことでした怪我の扱いってどんななんでしょ?)2017/07/04 09:53

学校としては命令してなくて教員勝手にやってることだけど、一応教育活動の一環だし、給付金とか学校内での活動と同じですよーって扱い。

土日の練習試合とかもね。だから試合一つやるにしても、練習試合やるにしても、「学校が認めた活動です」という建前を作るために、無駄書類を作って事務仕事が増える。


長文だけど、民間平均と比較して高額な年収には触れないのな。重要なことでも都合の悪いことには触れないわけか。2017/07/04 12:11

まぁ唐突だけど、民営化はまずいと思うんだよね。
部活制度是正されたり、勤務時間適正化とかは大賛成。
教員給与が高いってんなら、法外な時間外労働をなくすのと引き換えに、基本給引き下げもやむなし。

長いんで読むの面倒だと思うけど、基本給引き下げもやむなしと書いてます

で、もうちょっと言うと、民間平均と比較して高額ってのは基本給だけの話で、労働時間残業休日出勤手当、その他歩合等含む)に対して比較すると、どうなのよ、と。

俺が前の会社ブラックIT土方)で、今と同じだけ働けば、各種手当やら歩合やらで、確実に今より給料貰えますがな。

あ、でも今、年収/年間労働時間で時給換算したら、一応時給1400円くらいだから、高いっちゃ高いのかな?


いろんな教員がいて、いろんな大人がいるのを間近に感じてもらうのは増田の言うとおりだと思う。だけど生徒や、生徒と同い年ぐらいの少年少女とHする大人だけは見せないでくれ(教員のごく少数なのはわかってるが)2017/07/04 12:22

マジでそういう奴が一人いるだけで、教員全体のイメージが一気に悪くなるから、本気で氏ねばいいのにと思います

中には、教え子と結婚したりしてる奴もいるけど、マジでやめてくれ、と。

ホントこういう奴採用するのだけはやめてくれないかなー。

ボンクラだったりオタクだったりリア充だったりギャルだったり、色んな教員がいていいと思うけど、条例違反法律違反がバレるのはダメ絶対

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