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2017-10-19

商業高校に通ってたけど正直商業はやめといたほうがいい

数年前まで商業高校に通っていて、今は大学に通っている男だけど、商業高校は正直言って何をするにもイマイチ環境だったと思う。どんな感じだったか思い出しつつ書いていきたいと思う。

 

簿記教育微妙

うちの学校だけかもしれないけど、簿記教育ははっきり言って良くなかった。先生すらよく理解していないのかもしれない。例えば、決算で期首商品棚卸高を仕入れに振り替えて期末商品棚卸高を仕入れから除く仕訳を、仕入れ繰越繰越仕入れと覚えろ!理屈はいい!と教わった。その先生イマイチなだけなのかもしれないが、レベルが低い人でも資格が取れるように指導しているので、理解より暗記中心になってしまう。そうして長い時間かけて勉強して取る資格日商簿記ではなく全商簿記だと言うのだから終わっている。全商簿記なんて役に立たないぞ。

 

情報教育微妙

用語ばっか覚えさせるだけで内容がない。unicodeというのがあります、と教わるが、unicodeが何なのかわからないので憶えてもすぐに忘れる。先生理解していないのかもしれない。先生が悪いのもあるが教科書もそんな感じなのだプログラミングの授業もあってVBAをやったが、出来る人と出来ない人の差が激しいので、出来る人はどんどん進んで出来ない人はスマホパズドラをしていた。

 

商業科目が微妙

商業高校特有の科目として、簿記情報の他に社会科の延長みたいな科目がいくつかある。流通とか経済について学ぶものだが、やはり用語の暗記なので、社会科好きな俺からしても面白くなかった。モーダルシフトというのがあります、と教わるが、モーダルシフトがどう重要なのかわからないので憶えてもすぐに忘れる。先生理解していないだろうし、教科書もそんな感じだ。

 

資格ゴミ

学校主導で商業系の資格をいろいろ取らされるが、取るのは結局全国商業高等学校協会、略して全商という団体主催している資格なので知名度が皆無で役に立たない。なんやねん全商英検って。普通英検取ればええやろ。全商資格の1級をたくさん持っていると、その個数によってn冠と呼ばれ、地元中小企業商業高校生をよく相手にしている人事には多少受けがいいのかもしれないけど、その労力で日商の2級のひとつでも取っておいたほうが役に立つと思う。でも先生方は全商を取れとおっしゃる

  

就職はなんとも言えない

商業高校というと高卒就職したい人が来るところだというイメージがあるが、果たして普通科の人たちとくらべてそんなに就職がいいのだろうか。傍目で見ている分には疑問が残る。普通科の人も普通に就職できているし、商業科でもダメなやつはダメから他所と比べて特別いいとはとても思えない。ただし就職する人は多いから、就職希望者に対する支援結構充実していると思う。

 

・進学は微妙

資格取りまくってバリバリ頑張ってうまいことやると推薦で中堅くらいの私大にいけるが、普通科受験勉強だけをバリバリ頑張ればそのくらいは余裕で狙えるはずなので、大学進学するつもりなら商業高校は論外だと思う。ただし全商資格をたくさん持っていると推薦で受けが良いらしいし、商業高校に通っているとセンター試験数学2bの代わりに簿記を受けることが出来たりするので、うまいこと立ち回ればなんとかならないこともないのは事実。俺はセンター簿記選択して地元国立大に入ったが、その年の数学2bは鬼難しかったらしいのでそこは儲けたと思う。

 

普通科コンプレックスみたいなのはある

多分俺だけではなく商業高校生の多くはそうだと思うけど、一々「これが普通科だったらな」みたいに考えてしまう癖はある。意味不明で役にも立たない授業ばっかりなのもそれに拍車をかけている。アニメとかドラマを見てて、あー普通科高校ってこういう感じなんだ、いいな、と思ってしまうところはある。隣の芝は青いというだけかもしれないけど、やっぱりちょっと特殊環境に放り込まれるとそういうふうに考えてしまものだ。

 

女の子は多い

女の子は多い

 

・気楽ではある

うちは先生も生徒もやる気がないから気楽だった。ただし県内の別の商業高校はかなり意識が高く、すげー必死こいて資格とったりしていたので学校によりけりだと思う。

 

以上、これから受験しようと思っている人や、その関係者の参考になればいいと思う。なんとなくで考えてるやつはちゃんと考えて志望校を選ぼう。

2017-10-18

がっこーのせんせーです

都内私立高校に勤務している教員です。

かれこれ5、6年は勤務しており、仕事にも満足しています

給料は同じ大学の友人より安いですし、

部活などの休日出勤も多いので決して待遇は良くないですが、

好きな仕事を選んだので仕方ないと割り切っています

ただ、最近、これから先、この仕事のなり手がいるのか不安です。

私は朝5時に起きて7時には出勤しています

定時は8時から17時ですが、始業前の準備や時間外設定の会議を考えると

7時から18時くらいにはなってしまます

それでも遅くまで残業している職種の方に比べれば大したことはありません。

休日も2日はありますが、部活などで休日出勤が続くと30連勤くらいは普通です。

夏休みなどがあるからと思われるかも知れませんが 、

部活合宿の引率、夏期講習などを差し引くとお盆休みがあるだけなので

一般的職業と大差ないかと思います

総合すると給料水準は求められる資格学歴に比して安く、

その他の待遇普通の業種と同じかそれ以下といったところです。

一方、教員に求められる業務は増加しています

文科省方針コロコロ変わりますが、

その都度、カリキュラムの改変や専門外科目の勉強を迫られます

また、未だに手書き公文書が多いことも業務を圧迫します。

なにより一番は生徒対応保護者対応です。

私はどんな理由があっても体罰には反対です。

暴力解決するのは教員仕事ではありません。

昔は一発のゲンコツで済んでいたのかもしれませんが、

根気強く諭すしかありません。

それでも事と次第によっては、声を張り上げて叱ることもあります

しかし、最近ではそうした行為恫喝パワハラだと批判されることもあります

教員の肩を持つ気はさらさらありませんが、

先日も福井中学生自殺した事件で、

教員の叱責が原因であるという批判がなされています

授業妨害をする生徒や提出物を繰り返し出さない生徒に

他人邪魔をするなら学校辞めろ」

勉強したくないなら高校に来るな」

と、叱ったこともあり、これも不適切指導になるのかと悩みます

また、保護者要求肥大化しています

自己都合で休日の出校を求められたり、

電話暴言を吐かれることもあります

もちろん大多数の保護者は協力的で理解してくださっていますが、

問題児保護者ほどいわゆるモンスターペアレントの傾向は強く、

学校での問題保護者に報告しても、

逆に教員指導が悪いと管理職クレームが入ります

一番、ショックだったのは宿題を忘れたことを怒鳴るわけでもなく叱ったら、

人殺し」とクレーム電話が来たことでしょうか。

こういう状況でも大多数の生徒や保護者が支持してくれ、

生徒が志望校合格したり、卒業生が遊びに来てくれると嬉しく、

やはりやり甲斐を感じる仕事です。

ただ、今は経済状況もよく、あえて低賃金責任長時間労働

仕事に就く意味はなく、「奇特な人」がやる仕事になっていくように感じます

また、少し先の見える学生さんであれば少子化日本において、

教育市場は縮小していくので、定年まで雇用があるかも心配するでしょう。

このような状況では優秀な人材教員にならなくなっていき、

教育現場は荒廃していくと思います

文科省は「やり甲斐アピールする」と言っていますが、

業務量の整理や待遇改善モンスターペアレントから守ることなど、

目に見えた対策を取らないと現状の打開は難しいと思います

現役教員の目からたこから教育現場

これから日本への不安でした。

これを読んで少しでも教育について考えてくださったら嬉しいです。

2017-09-24

今まで生きてきた中で一番の悪夢を見た

きつかった…

悪夢といってもバケモノに追いかけられるとか、高い崖から落ちるとか、乗ってたエレベーターの底が抜けて落ち続ける夢とかではない。

私の身から出た錆と不安と心の闇を凝縮した夢だった。

私は勉強が出来ない。これは私一番の…悩みであり弱みであり、身から出た錆だ。

中学受験志望校へまぐれで受かり、落ちこぼれて今の高校に通い二年生になった今に至るまで、大小様々な悩みはあれどこれまで自分を苦しめているものはないだろう。

なぜ身から出た錆なのかは単純に、勉強が出来ない事に悩みつつもそれを解決しようと勉強してないかである勉強をしていないならまだしも、長期休み宿題課題を出さない。これがいけない。

かつ、私は親を裏切り続けている。何度今度こそは頑張って成績を上げて提出物を出すと言っただろうか、何度欠点電話に怯える母を、面談の度に恥ずかしい思いをさせてしまっただろうか。ちなみにこれらは現在進行形で続いている。それを何とかしようと真剣に思うぐらいには恐ろしい夢だった。まあこう思う事は初めてではなく、20回目ぐらいだったりするのだが。

そろそろ夢の内容へ移ろうと思う。

通っていた中学校高校が混ざった校舎の廊下に私は立っていた。対面にいる担任から今学期の成績表を渡される。読まずとも壊滅的な内容だと私は知っていた。特に英語の成績が。担任は母を呼んであると言う。もうこの成績は伝えてあるらしい。

私はふらふらと教室へ戻った。母がいた。実際に最後に見た服装と1年の面談に来て来た服が混ざっていた。まあどちらも似たような格好だったが。彼女は黒に白いレースの縁取りがついた日傘を持ち、赤い口紅差していて、シックな印象を与えた。この格好をした母と歩くのが好きだった事を思い出した。

母は私を責めた。彼女は怒っていて、呆れていて、悲しんでいた。私は辛くて、自席の机へ目をそらした。小学生の時使っていたうさぎの手提げ(これは母が祖母ふたり、母娘水入らずの旅行先でお土産で買ってくれたものだった)と、それに入った手紙が見えた。

手紙といっても置き書きのようなもので、A4サイズの裏紙に青いサインペンで書かれていた。母のそばを離れて手紙を取るわけにもいかず、手提げから半分程度はみ出した部分しか読めなかった。すぐ会えるとは思っておらず、手紙に気づいてもらえるようわざとそうしたのだろう。

手紙には「ママちゃんは悲しんでいますときれいな字で、というか思い返せば私の字で書かれてあった。母の字は丸っこく、独特なのだが、私は習字に通わせてもらっていたのである程度綺麗な字をしている。

ママちゃん、というのは彼女が私とふたりきりで楽しく話している時にふざけて使う愛称だった。普段怒った母はもっと威圧的で、口汚い言葉を使った手紙を書いていた。

私はここで

ああ、何ということをしてしまったのだろう、と思った。

気づけば母は成績表の入ったファイルを私に押しつけ、廊下を歩き出していた。階段を降りゆくところで私は慌てて追いつき、どこへ行くのかと訪ねた。彼女履歴書を書きに行く、と言った。私は冗談じゃないと思い、持っていたファイルを踊り場に叩きつけた。中に入っていたプリントが舞い散った。母はどこかへ行ってしまっていた。

私がプリントを集めていると、どこからともなく8歳ぐらいの男の子女の子が寄ってきて、プリントを拾うのを手伝ってくれた。男の子が私の成績表を見て、お姉ちゃんなのに成績わるーい、と言うので 私はうーん、お姉ちゃん認知症になってるからかも知らんなあ、若年アルツハイマーやわ、と笑って返した。そうすると女の子は じゃああそこにおらなあかんちゃうん、と指さした。

その先にはステージがあり、私と変わらない年格好の車椅子に乗った人や移動式のベッドに寝たきりの人と共に講演をする大人がいた。私はなんだかぞっとして、あははせやな〜とかなんとか言った。

プリントが集まり終わり、最後に成績表を入れるだけになった。そこで初めて成績表を見た。惨憺此処に極めり、といった内容だったが一番は英語だった。1だった。ここでそういえば私、留学したいんだったと思い出した。こんな成績じゃ無理だとも。担任からの欄には、ずいぶんとかっこいいですね、と書いてあった。彼がよく言う皮肉だった。

私はファイルを持って立ち上がり、母を追いかけるべく走り出した。半分泣いていた。私は就職希望なんだからもう成績で取り返しがつかないとか、留学たかったなとか、母に申し訳ないなとかなんとか思いながら。中学校高校廊下を走り抜け、職員室の中を突っ切った時に母の背中が見えた。もう少しで追いつく、という時に目が覚めた。

いつもの布団じゃないので混乱した。が、よく思い出せばここはホームステイ先の自室のベッドの上だった。

現実の私は、このままの成績では留学することは出来ないと言われ、学年順位をどうにかこうにか100番上げてニュージーランドへ来たのだった。

怖い夢だった。もう二度と見たくない。その為にも勉強し始めようかな。

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170903112119

自分と全く同じだ。

中途半端にできるから慢心する。だからたちが悪い。

結局努力できた者勝ちなんだよ。

努力できることも才能の一つだし、自分みたいな凡人が成功を成し遂げるために一番必要能力だと思っている。

でも、自分のことじゃなくて、自分努力しないことによって人様に迷惑をかける可能性があることなら精一杯努力できた。

塾講師をやってた頃、他人の子ものために自分研鑽したり勉強したりした。現役時代こんだけ勉強してれば志望校にも受かっただろうって位、授業するために沢山勉強したし、生徒の成績を上げるために、自分が良い授業をするためならできることはなんでもした。仕事なんだから確かにそれは義務だが、義務範疇を越えて努力できた。

でも未だに自分に対する精一杯の努力はできてない。

お互いどこかで改心できるといいな。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812121255

つーかなんで結婚出産だけすべての条件がクリアされて不安も払拭された万全の状態じゃないとやらないぞ、っていう風に思っちゃうんだろうな。

受験就職も一歩間違えれば大ダメージになるのに志望校がA判定になるまでは浪人するぞとか、絶対内定がもらえる書類と受け答えの準備ができないと受けないぞ、ってならないのに。

2017-08-01

無職のおれが、今なら勝てると思った話

昔のことを思い出した。

「おいふざけんなよ!」

「うるせぇ、なんだよ」

ふたりの男は目の前で口論を始めた。双方、かなりいかついルックスである

ひとりは一個上の番長的な存在、コウヘイさん。もうひとりは一個上の裏番長的な存在シンゴさん。

ちょうど運悪く、僕は彼らの中間地点にいた。

「お前どけよ!」

僕に向かってコウヘイさんが怒鳴った。すると、

「こいつにどけよって……お前、ふざけんなよ!」

と、目の前にいたシンゴさんは僕をかばってくれた。

続けてシンゴさんは言った。

「お前、こいつに手ぇ出したら許さねえからな」

先輩、僕のことが大好きみたいだ。

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ただひとつ間違いなく言えるのは、今の僕ならこの2人の先輩をボコボコにできるということ。間違いなく勝てる。100%勝てる。1,000%勝てる。

なぜなら、これは僕が小学校の時の話だからだ。

先輩は当時小学5年生で最強と言われていたふたりキュートルックスが魅力の僕は当時4年生。守ってくれたシンゴくんの横で震えていた。

でも今なら間違いなくこの2人に勝てる。

だって、今、36歳だし。

間違いなくワンパンで勝てる。

今でもときどき思い出す。

今の自分あの日、あの時、あの場所に戻れたら、確実に勝てるだろうなってこと。多々あるよね。そういうこと。

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ナカノ先輩は卒業してから髪を染めた。

夏祭りで見かけたナカノ先輩の髪はムラサキ色だった。

まだもんじゃ焼き屋さんもあまりない、ヤンキーだらけの月島の街で、ナカノ先輩の髪はムラサキに輝いて目立っていた。

当時は恐ろしくて近づけなかった。ただ一方的に僕がナカノ先輩を認識していただけで、先輩はきっと僕なんか眼中にないだろう。

でも今なら間違いなく言える。

「お前の髪、おばあちゃんみたいだぜ」って。

だって当時の先輩は13歳、中学1年生。僕は今、36歳だし。

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そんなことを考えながら、誰もいないワンルームYoutubeを見ながらビールを飲んでいる36歳の夏。

ふと外を見ると近所の小学生がセミを追いかけていた。

そんな圧倒的な優越感を揺らがせる出来事があった。

芦田愛菜難関志望校合格」のニュースである

無職はいえ、僕は一応大学卒業した。そんな自分小学生には学力で負けまいと思っていた。本もマンガもいっぱい読んだし、毎日ネット見てるし。でもそんな確固たる自信を揺らいだには芦田愛菜の難関志望校合格ニュースである。つまり芦田愛菜の持つ圧倒的なタスク管理能力課題解決力に敗北を喫した。

考えすぎかもしれないが、さっきまでこの手の中にあったコウヘイくん、シンゴくん、ナカノくんに対する圧倒的勝利が「芦田愛菜」を想うたびに揺らぐ。ひょっとすると学力だけでなく、今の僕はあの頃のコウヘイくんやシンゴくんに出会っても、ガチで戦って負けるかもしれない。

「いや、相手小学5年生だ、負けるわけがない。食べて寝てたおかげで体重も100キロ近くあるし」

小学5年生だからって侮るな。油断したら負けるぞ」

自問自答を繰り返す。

こうしている間にも、同級生はきっと金を稼いだり、子育てをしたりしているのだろう。でも、こんな僕にも彼らと同じく明日は来るし、死ね明日は来ない。

時の流れは残酷である

ってことで、今から外にいる小学生勝負してくるわ。

自分自身を取り戻すために。

その2

https://anond.hatelabo.jp/20170801153106

その3

https://anond.hatelabo.jp/2017080122515

その4

https://anond.hatelabo.jp/20170802121513

2017-07-28

鉄道おじの20代までの生活

彼は大学卒業後、しばらくは地元役人生活を送っていたという。その後、3年ほど前に退職し、無職の身になった。(現在転職済み)

「足を踏み外したし、復帰の見通しが立っていないって、知人は心配していました。無職時代には電子書籍出版だの動画作成のしていると聞きましたね。そう、私は直人君のことが心配心配でたまらなかったんじゃないかしら。高校時代、直人君がADHD知的障害かになりかけて窮地に陥ったことがあったけど、知人は血相を変えて飛んでいったもの。」

直人を知る中学時代の知人によれば、直人は高校の頃から学習障害を患い、1年生当時の成績はそれほど安定していなかったという。

ちなみに自宅の郵便受けに入った大量のレターが入れられていたことは、近所の住人のほとんどが覚えている。

知人は直人の現在の姿をありのまま伝えることを躊躇し、この男女には「左翼関連の専門家をして活躍してる」とだけ話した。

事実、直人はそう自称することが少なくない。

「あら、立派になったのね。それにしてもなぜ左翼なのかしら。見当がつかないわねえ」と男女は怪訝な表情を見せた。

実家のあった地域は、古くからあるJR線地下鉄開業近代化目まぐるしい住宅街に隣接している。

地元の人によると、この近くには市を代表する進学高校があり、受験シーズンには賑わっていたという。

その後、教育事情などの変化によって志望校分散も進んだが、現在でも偏差値が高い高校として知られている。

平日の殺人的混雑で悪名高い私鉄線へはJR線で2駅だ。

ちなみに直人が何かと攻撃対象にするgudachanも、大学卒業直後だった一時期、面識があった。

彼は生まれも育ちも神奈川県茅ヶ崎市だが、一時期オタクにハマっていたこからにわかに友人関係にあった。

2000年代後半のgudachanと直人の趣味は、同じ秋葉系というのである。この偶然には驚かされた。

2017-07-05

俺は全く焦らない

テスト前に勉強しなくても、俺は全く焦らない。

友達が「やべー…。ノー勉なんだけど!」って焦っていても、俺は全く焦らない。

テスト赤点だらけでも、俺は全く焦らない。

再試が不合格でも、俺は全く焦らない。

提出物が遅れても、俺は全く焦らない。

成績が返ってきても、俺は全く焦らない。

志望校に落ちても、俺は全く焦らない。

これほどまでに焦れないのかと思うと、今後の人生不安で落ち着くことが出来ない。こんな自分イライラする。

誰か、焦る方法を教えてくれ。

2017-07-04

https://anond.hatelabo.jp/20170704233705

俺は代ゼミのおかげで志望校全部受かったし、2chの評判を見てても代ゼミ講師レベルの高さは現在でも間違いないと思っている。

が、これまで受験について相談してきた人に「代ゼミは良いぞ」って勧めて素直に入る奴は1人も居なかった。なぜか河合塾に入り、落ちる、ってことを謎に繰り返してきている。

ここから何となく受験生の間で代ゼミ不信みたいなものがあるんじゃないかなぁと思っている。俺が現役の時も代ゼミ馬鹿にする風潮はあったし。

この何となく代ゼミ不信で、受験生大学に受からず、代ゼミ経営不振に陥ってるとしたら、かなり不幸。

気になるブコメがいくつかあったので

https://anond.hatelabo.jp/20170703203542

正直言わせてもらうと、労働契約守って手抜き教員やってもらったほうが世間の目が覚めると思う。教員情熱も、現状ではヘンな方向に走ってしまいがちになる。正しい基準適用必要だよ。2017/07/03 21:16

我々がそれをしない理由簡単で、生徒を人質に取られてるから

サビ残しません、休日も勤務命令なければ仕事しません、だと、確実に生徒が不利益を被る。


例えば手厚い受験指導の評判に惹かれて入学した生徒。休日の補習補講や平日の勤務時間外の補習補講があれば合格できた志望校に、合格できなくなるかもしれない。

例えば部活強豪校の評判に惹かれて入学した生徒。高校推薦、大学推薦、プロ入りなどといった(公立校でそこまでのレベルは稀だが)可能性を、つぶすことになるかもしれない。

その将来に、我々教員はなんら責任を持てない。

「生徒の将来のために」なんて青臭いことを言うつもりはない。単純に、責任取れないんだわ。

「俺は家が貧しくて予備校に通えないけど、この学校なら平日も土日も学校残って自習したり、受験向けの補講があるって聞いたか入学したのに。先生、どう責任取ってくれるんですか」

「俺は野球に命かけるつもりで、野球部強豪校のこの学校に入ったのに、土日は練習なし、平日も30分のみの練習甲子園に行くのが夢だったのに。先生、どう責任取ってくれるんですか」

って言われてもね。

から慣習として、去年一昨年と同じだけ練習する。同じだけ補講する。


本当はそういう、「教員ボランティアによって成り立ってる部分」を売りにしちゃまずいんだけどね。


「うちの会社営業時間外でも電話一本でお客様の元に駆けつけます。トラブル発生時には365日24時間対応します。(ただしそれらは全て社員サービス残業サービス出勤によって賄われています社員拒否したらそのサービスは成り立ちません)さぁウチと契約を」ってのと一緒だから

ウチは部活に力入れてまーす。○○部は去年全国大会行きました^^ なんて煽って生徒募集しておいて、その部の顧問はその年で異動して、入学してみたらもういませんでした、なんてのはザラ。あるいは在学中に顧問がいなくなるとかね。で、上手いこと後釜に入る教員がいればいいけど、潰すわけにもいかいから無理やり若手がやらされて、生徒が頑張ってるから仕方なく土日も部活やってますなんてのもザラ。

腐ってるね。


民間経験ある人の話は説得力がある。勤続年数だけじゃなくて、管理職査定昇給が決まるようになってきてるよねー。2017/07/04 00:02

え、それどこの私立高の話?

少なくとも東京都では管理職査定なんてあってないようなもんですよ。

せいぜい、学校にとって(というより、管理職にとって)有益な実績を挙げた教員に対し、勤続一年分くらいの昇給ステップアップがある程度。

あ、あと公立学校特有の異動(勤務校が変わる)の際に関係してくるかな。優秀な教員希望が通りやすい。


で、報道されちゃうくらいの事件事故になるくらいの問題を起こした教員は別として、それ以外は全部昇給ペース一緒。まるで仕事しないダメ教員だろうとね。

だって、そのダメ教員査定昇給に響くくらい悪くつけると、管理職管理能力が問われることになるし、いろいろ理由書とか報告あげなきゃいけないんですもの

保身を考えたら、どんなにダメ教員でも、事件事故を起こすまでは、他の人と同じように昇給させておくのが、管理職的にはベター


ベルマークについてはどう思う? なくせないの?2017/07/04 08:45

小学校教員じゃないんでなんとも。

ただ、効率悪い効率悪いって言われてるんだから、なくせばいいのになーとは思う。

でも、これも部活と同じで、一部「やりたい」って人がいるんだよね。それも、直接的な利益自分にはないのに。例えばPTAの重鎮だったり、ベルマークに命かけてたりね。で、それを他にも強要する人とか、マジでいる。


学校先生の、「勝手にやっている」ことでした怪我の扱いってどんななんでしょ?)2017/07/04 09:53

学校としては命令してなくて教員勝手にやってることだけど、一応教育活動の一環だし、給付金とか学校内での活動と同じですよーって扱い。

土日の練習試合とかもね。だから試合一つやるにしても、練習試合やるにしても、「学校が認めた活動です」という建前を作るために、無駄書類を作って事務仕事が増える。


長文だけど、民間平均と比較して高額な年収には触れないのな。重要なことでも都合の悪いことには触れないわけか。2017/07/04 12:11

まぁ唐突だけど、民営化はまずいと思うんだよね。
部活制度是正されたり、勤務時間適正化とかは大賛成。
教員給与が高いってんなら、法外な時間外労働をなくすのと引き換えに、基本給引き下げもやむなし。

長いんで読むの面倒だと思うけど、基本給引き下げもやむなしと書いてます

で、もうちょっと言うと、民間平均と比較して高額ってのは基本給だけの話で、労働時間残業休日出勤手当、その他歩合等含む)に対して比較すると、どうなのよ、と。

俺が前の会社ブラックIT土方)で、今と同じだけ働けば、各種手当やら歩合やらで、確実に今より給料貰えますがな。

あ、でも今、年収/年間労働時間で時給換算したら、一応時給1400円くらいだから、高いっちゃ高いのかな?


いろんな教員がいて、いろんな大人がいるのを間近に感じてもらうのは増田の言うとおりだと思う。だけど生徒や、生徒と同い年ぐらいの少年少女とHする大人だけは見せないでくれ(教員のごく少数なのはわかってるが)2017/07/04 12:22

マジでそういう奴が一人いるだけで、教員全体のイメージが一気に悪くなるから、本気で氏ねばいいのにと思います

中には、教え子と結婚したりしてる奴もいるけど、マジでやめてくれ、と。

ホントこういう奴採用するのだけはやめてくれないかなー。

ボンクラだったりオタクだったりリア充だったりギャルだったり、色んな教員がいていいと思うけど、条例違反法律違反がバレるのはダメ絶対

2017-06-27

初恋女の子が家の近くに越してきた

最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋女の子引っ越してきた。

彼女社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。

確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女大学高田馬場から東西線で一駅のところだったか車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心邪魔をしてしまう。職場青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女中井で降りる気配を感じる。夏目漱石こころiPhoneインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。

こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスドイツスイスフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。

それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間小説ビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山広告代理店パリッとクリエイティブ仕事をしているのなら、意外と二子玉川武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女住まいが閑静なローカル線住宅街で僕の家から走って2分だなんて。


初恋女の子が僕の通っている小学校引っ越してきたのは4年生の時だ。

学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。

控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。

そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性タイプ確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。

僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。


高校1年生のとき、僕たちの間で前略プロフィール流行った。

僕もその当時ノリノリでプリクラプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。

今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園同級生だったモデル女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。

「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りますだおかだ岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。

ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡ミルクキャラメルが欲しいと言った。

僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニバイトをしていたことを彼女は知っていた。

彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかい適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。

僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。

僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。

バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。

そこから僕たちは小学校卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。

当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。

たとえばニコ動面白いとか、彼女御三家クラス女子校に通っていたので、自然とヲタ趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間コピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。


次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。





正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死入力している時間勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的勉強をしているような子だった。

僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。

勉強なんて、くだらない」

「どうせやったって役にたたない」

学校先生馬鹿に見えて仕方がない」

僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。

僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。


「あの時いったこと、なかったことにしてください」

これが彼女から送られてきた最期言葉だった。







そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分大学進学ができることを知ってから、たまら勉強をしてみたくなった。

早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。

もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。

「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」

僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。

僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試志望校には早稲田法学部慶應法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。

僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックス勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。

幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田国際政治学科に入学したと聞いた。

ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。

彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。

そして今、外資系広告代理店に努めている。

彼女はきっと大学ケインズハイエク勉強するような感じではなかっただろう。

きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。

僕の方はどうだっただろう。

見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。

でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。

彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界ブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。


努力というのは貧しいもの必要とされるものであってほしい。

まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。

社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピー勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。

彼女のそれはエリートに他ならないではないか

彼女政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。

彼女広告代理店就職したように、僕も卒業したらネット広告生業とするだろう。

どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまこと勝手に息苦しさを感じている。



おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。

僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。

それは小学生ときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。

あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。

国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。

一度空いた穴が塞がることはないのだろう。

僕も彼女に穴を空けてしまったこと、もう一度ゆっくり話してみたい。

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

勉強」というのが大学受験用の学校のお勉強なら、それだけってのはないな。そんなに力入れるほどの内容じゃない。

好きなことにも熱中し、学校のお勉強志望校(人生選択肢を狭めない範囲の)に入れるぐらいにやっとくで良いんじゃないかな。

いろんな事に手出した方が人生は豊かになる気がする。何もないならとりあえず本読んどくのお勧めしとく、これほど投資効果優れているものもない。

2017-05-25

素人童貞になった日

今の彼女だって前の彼女だって初体験相手は?と聞かれたときには、何とかはぐらかしている。

浪人を挟んで志望校合格して、20歳になってからもしばらく経った大学1年生の冬、所謂魔法使い」だの何だのと言われてもおかしくないタイミングになって、「もういいや」と思って行ったのは50分で2万円もしないソープランドだった。

その事実を知っているのは、数年前に変な流れから一夜限りのセックスをすることになってしまった高校時代からの友人だけだ。

高校時代大学に入ってからもそれらしい話があるような話しぶりをしていた自分だったので、彼女ですら本当に意外だと本当に驚いていたのを覚えている。

先日、腰痛から来る脚のむくみがひどくなって、エロい意味じゃない、普通マッサージに行ったが、その時のベッドを目にして、なぜか急にあの日の高さのないベッドを思い出した。

あの日、きっと30歳も優に超えたであろう女性と、似たようなベッドを目の前にして、脳裏に「これがお前の墓場じゃ」という声が再生された。どういう意味墓場だったのか、今でも分からない。

あのおばさんの源氏名も忘れちゃったな。「葉」の字があったのはなんとなく覚えているんだけど。

特に照明も落としていない部屋で 69 の体勢になって目の当たりにさせられた女性器を指さされ「ここがクリトリスね、で、ここが…」と簡単講義を受けた。

乾いた喘ぎ超えを耳にしながら腰を振りつつ果てた。

その後は、時間も余って性欲はあったけど、もう一回、みたいな気持ちは起きなかった。

時間を終えて、姫に見送られて、階段を降りて、それまでと変わらない町並みに舞い戻って、自分世界が変わったのか変わってないのか、よくわからなかった。

「これが、よく言う、男なんて童貞を捨てても『こんなもんか』と思うという、あの感覚か」と一瞬思ったけれども、

よく考えたら、自分がそれに該当するのか、よくわからなかった。

当時にタイムスリップして自分アドバイスするとしたら、家庭教師をそこまで頑張って金を貯めるなら、徹底的に調べ上げて高級なお店のトップ女性の手ほどきを受けるべきだよ、と言いたい。

ほんと、悪いことは言わないから。

2017-05-24

テトリス

小6の時、親が離婚して母子家庭になった。父親とはその前からずっと別居していたから、家庭内に際立った変化は感じなかったけれど、苗字が変わったのがきつかった。同級生から好奇の目を向けられるのがとにかく嫌で、一時期、友達と遊ばなくなった。授業が終わると逃げるように家に帰った。

それで何をしていたかというと、部屋でずっとテトリスをしていた。布団に寝そべり、枕を高くして、毎日、何時間も。

そうこうするうちに、いつのまにか新しい苗字に馴れていた。同級生も僕の苗字ことなんて大して気にしてないことがわかった。僕はまたみんなと遊び始めた。

大学受験に失敗して浪人が決まった時も、ずっとテトリスをやってた。朝から晩まで一日中やってた。起き上がる気力もわかなかった。2週間ぐらいそうして過ごした。そのあとゆっくり受験勉強を再開して、徐々にペースを上げ、翌年にどうにか志望校合格することができた。

大学2年の時には手痛い失恋をした。サークルの仲間に彼女を取られたのだ。無理もなかった。そいつの方がかっこよくてスマートでやさしくて羽振りもよくて、ようするに僕の完敗だった。

その年の夏休みはずっと家でテトリスをしていた。サークルにも参加せず、海にも行かず、毎日部屋に篭っていた。その間にどうにか気持ちを立て直し、後期からまたサークルにも参加するようになった。冬には別の彼女ができた。

昨年、会社を辞めた。一族経営の小さな会社だった。社長引退し、息子が2代目に就任したのだが、僕はこの男と何から何まで合わなかった。営業方針労務管理、様々な面でぶつかった。それは意見の相違で済むものではなかった。結局は従えない僕が辞めるしかなかった。

僕はしばらくのあいだ放心状態になり、ずっと家でテトリスをしていた。昼夜逆転生活で、今が何時なのかもわからない。髭も伸び放題。そんな日々がしばらく続いた。僕はテトリスをやりながら思っていた。然るべき時が来たら、僕はまた自然と動き出すだろう。今までだってそうしてきたんだ。布団に寝そべり、テトリスをやりながら独りで年を越し、正月明けから転職活動を始めた。

から新しい会社で働いている。今は毎日が新鮮で楽しい

ピンチの時、僕はいつもテトリスに助けられてきた。家族でも友達でも恋人でもなく、テトリス

暗闇で何時間テトリスと会話する。一緒に傷の回復を待ち、力を蓄え、また外に出てゆく。

ありがとうテトリス

2017-05-05

[]ニート自己問答5

勉強をやめて仕事を探し始めるとする。勉強しなかったことを後悔すると思うか?』

仕事がつらければ後悔するかもしれない」

『すべてを放棄して何もしない日々に戻ったとする。何年かたった後どう思うだろう』

「後悔する。あの時に動いていればどんなに良かったかと思うだろう」

勉強が続けられなくなったとする。今まで勉強した時間を後悔するか?』

「後悔しない。身に着けた能力は今後に生かせる」

『すべての志望校に落ちたとする。あるいは中退することになったとする。今まで勉強した時間を後悔するか?』

「後悔しない。身につけた知識人生を豊かにしてくれる」

『ここ数日もうかなりの時間増田に費やしてきた。この時間を後悔するか?』

「後悔しない。人に見られる文章を書こうとするこの時間自分の心と向き合う良い機会だった。読者に感謝する」

2017-04-28

私にとっての「まだ東北で、あっちの方だったからよかった」の問題点

いろんな記事ブコメを読んだけど、どうも違和感がある。


「よかった」と「まだよかった」を混同していないか?

「よかった」にはいろいろな意味がある。
ツイッター流行った「#東北でよかった」の「よかった」は、純粋な「喜ばしい」の意味だろう。

他には、比較意味でも用いられる。

  • 交通事故にあったそうだが、骨折による入院だけで済んでまだよかったね」
  • 「留守中に空き巣に入られたそうだが、在宅中を襲われて怪我をしなかっただけ、まだよかったじゃないか

これらの文では、交通事故にあったこと、空き巣に入られたことを喜ばしいと言っているのではない。
さらに言えば、寝たきり状態や死亡に至らなかったこと、盗人と鉢合わせて怪我をしなかったことは、純粋な「喜ばしい」ではない。
不幸中の幸いだと言っているにすぎない。
そもそもそんな事は起こってほしくはなかった。しかし、最悪の事態よりは被害は少なかった。
そういう意味だということは、声をかけられた方も分かるはず。

で、今村復興相の発言。 (NHK動画から書き起こし)

社会資本等のですね、毀損もですね、ま、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、ですね、あっちの方だったからよかったんだけど、これがもっと首都圏に近かったりすると、もう莫大な、甚大な額な被害があったというふうに思っております

ここでの「よかった」は、純粋な「喜ばしい」ではない。
東北地震が起きたことを喜ばしい、とは言っていない。
自分たちには大した被害がなかったから喜ばしい、とも言っていない。
被害金額比較として用いている。日本全体として見れば不幸中の幸いだと言っている。
その日本全体という視点被災地に寄り添っていない視点問題なのだが、それは後で述べる。
ここで言いたいのは、ブコメでもメディア見出しでも「よかった」を「喜ばしい」という意味解釈していたり、そう受け取られる見出しにしている場合が多い、ということ。

単なる「東北でよかった」では「喜ばしい」の意味発言したと誤解されてしまう。
いくら字数制限があっても、「まだ東北でよかった」とするべきではないか
先に挙げた「#東北でよかった」のハッシュタグも、それ自体面白い取り組みだが、あの発言での「よかった」の意味を誤解させるという点で少し心配だ。

比較意味から問題ないのか?

東京直撃に比べれば被害は少なかったと言える。それは事実だ。
ではあの発言問題ないのか?そうは思わない。
先述のように、不幸中の幸いなのは日本全体として見た場合であって、被災者にとっては何の慰めにもならない。

たとえば、夫・妻・息子の3人家族ドライブ中に交通事故あい、息子だけが骨折入院したとする。
息子を心配する夫妻へかける慰めの言葉として、「一家大黒柱である夫が怪我をしなかっただけ、まだよかった」は不適当だ。
夫妻が意気消沈して日常生活もできないほどなら叱咤激励としてありだが、普通は「うちの息子のことはどうでもいいのか?」とカチンとくるのではないか
ましてや夫がそう発言したとしたら、夫婦喧嘩になって息子も心に傷を負うだろう。

先述の「交通事故にあったそうだが、骨折による入院だけで済んでまだよかったね」のように、個人の枠内で収まる不幸中の幸いを当人に対して言うならば「よかった」を使っても誤解は起こりにくいが、「被害者当人にとっては慰めようもない不幸だが、集団全体として見ると不幸中の幸いと言える」という状況の場合、「よかった」や「幸い」は被害者の疎外感を生む。
使っていいのは被害者本人だけだろう。
「僕は骨折しちゃったけど、お父さんが無事でまだよかったよ」と。
このたとえ話の夫の立場は、今回では首都圏の人々、もしくは中央政治家
その中央政治家の、よりにもよって復興相の発言なのだから重大だ。

「あっちの方」が致命的

それでも、まだ辞任するほどではないと思う。
「まだよかった」と言っているのは人的被害に対してではなく、金額に対してだ。
本来なら、「東北でもあれほどの被害額に上ったが、これが首都圏だったなら...」と言うべきだったが、ついつい、話し言葉として使い慣れている「まだよかった」が口をついて出た。
そういう釈明で収まると思う。
しかし、「あっちの方」という言葉が致命的だ。
復興相なのに被災地軸足を置いていない。完全に他人事対岸の火事だ。
これでは言い逃れはできないし、させてはならない。

実際の辞任の経緯は知らないが、私が「これは辞任すべきだ」と判断した決め手はこの言葉だ。
同じ指摘をしているブコメもいくつかあるが、少ないなあと感じる。

反撃の隙を与えてしまわないか

どう転んでも辞任は当然なのだから、「まだ東北でよかった」を「東北でよかった」と誤解させるほど文字を切り詰める必要はなかったと思う。
将来、親自民派が「これだからマスコミは信用できない」と吹聴する隙とならないか心配だ。
このはがゆさと違和感を整理しておきたくて文章にしたら長文になった。失礼しました。

2017-04-12

やろう、ポテンシャルはあるはず、足りないのはやりきる力

http://ascii.jp/elem/000/001/162/1162199/

英語学習に関しては自分成功体験があり、高3の時はセンター模試40点から半年で182点まであげたことがある。この記事内で紹介している体験ではなく脳科学的なアプローチであるSLAだが、高3で受験勉強を始めるにあたってボトルネックだった英語をあげるためにいろいろリサーチした中で出会った英語学習の本で同じメソッドが紹介されていた。御歳80歳くらいの同時通訳者が戦時中中学校英語教材を音読によって全部暗記したら米軍言葉が聞き取れるようになった経験から英語学習中学レベル教科書音読するのがいいというメソッドだ。これを僕は愚直にやり、英単語日本語に訳さなくても頭に意味イメージできる状態にする→文章音読して英語の文のままイメージできるようなになる(同時に英語リズムを覚える) これを繰り返し、普通市販の教材を暗記しまくったら解法テクニックは覚えなくてもセンター過去問10分あまって90%の得点率になった(本番はメンタルが弱いので75%ぐらいしか取れなかったがw)。また大学3年の時は就活に備えてTOEIC勉強をしたときは、脳のワーキングメモリの処理の概念理解していたので、TOEIC用の単語を覚える(無意識に呼吸レベルになるまで)→長文を音読するで英語学習感覚を取り戻しつつ語彙を増やし、TOEIC用の対策本で文法問題○×△法+エビングハウス忘却曲線にそった反復学習で1回目の暗記→9時間後(または翌日)→1週後の3回くりかえすことで長期記憶に定着。これの勉強法で、3週間で460→645点であがった。そこで自分で考えて短期的に結果を出す経験を得たことに満足してまいその後の学習はしなかったがw、この記事で書いてあることは自分経験則としてすごくよくわかる。

こうしてみるとグリットが足らない人生だね、筋はいいことはできてるし自分で考えて行動して結果を出すことも部分的にはできているけど一番のゴールは達成できていない。

中学校最初テストたまたま数学学年一位で部活の先輩とかいろんな先生にちやほやされて自分は本気だせば勉強できるとか勘違いして、授業以外ではほぼ勉強せずにトータル学年10位-20位くらいをうろうろ、3年最後テストで一位とってやろうと思って勉強するも4位どまりで一位は無理か〜と思ったが、もっと前のテストから1位を狙っていれば学習PDCA回せたと思うのにそんなことは気がつかず。

高校も県外に引越しタイミングなので志望校選びを家から一番近い高校にして入ったが、入試の開示されたあの点数なら県1-3の高校合格ラインだったのに思考停止してた。

高校勉強せずにテストで0点とかとってるのがクラスで目立ってたのがウケてたと思ってたので二年間勉強せず学年ビリとったり、英語数学国語で1とって進級できない人向けの試験受けることになってる時でも、本気出せばいけると思っていたw 今思うとこの時に勉強を通じて思考力や集中力自分なりの課題解決プロセス確率する訓練を積んでいないのがいまに悪い意味で繋がっていると感じる笑

受験勉強も他の人からするととても伸びて結局国立大受かったのに、もっと上いけるとか思って浪人して堕落し結局一朗ニッコマでしょ、予備校入りたての時は地理東大コース京大過去問といて他の生徒よりいい成績出したりしてたのに、夏になぜか世界史に変えてそこからめんどくさくなってセンター本番50点でまた地理にもどすという超迷走かましてた

そこで自分浪人を選んだのに結果がでなかったのでネガティブになり消極的になったんだ、思い出した笑

まり自信を失ってるのは自分で選んだ選択で結果がでなかったからで、自分への信頼がないわけで、そこを改めてとりもどさないと一生このままでしょ

やろう、ポテンシャルはあるはず、足りないのはやりきる力

2017-04-10

から浪人生になるあなたへ

浪人生してました。遊びすぎて中の下私立文系大学しかうかりませんでした。僕のような人間に春から浪人生になる方々にはなってほしくないのでこの日記を書きます。周りに浪人生がいるならぜひ共有してほしいです。よろしくお願いします。

まず、結論から申し上げると、浪人一年間は「現役のときどれだけ勉強たか」で決まります

現役のとき全く勉強していなくて浪人する人、残念ですが今年も無理です。早々に難易度が高い大学は諦めて、少し背伸びしたら受かりそうな大学志望校しましょう。「志望校は高く設定しておいた方がいい」とは言いますが、そんなことありません。浪人している以上身の程を弁えて少し背伸びしたら受かりそうな大学志望校にしておくべきです。

浪人するということで予備校に通う人もたくさんいると思います

予備校選びは慎重にするべきです。ネット口コミを調べまくってください。校舎の人数が多ければ多いほどオススメしません。層が厚いため、不真面目な連中もたくさんいる可能性が高くなるからです。個人的意見ですが、駿台河合塾で迷っている方、間違いなく駿台の方が良いです。理系駿台文系河合塾という風潮がありますが、理系文系わず駿台へ行くべきです。駿台へ行った知り合いはみんなそれなりの大学に受かっています。僕ですか?もちろん河合塾です。だからやめておけと言っているんです。

あと気になるのは友達の有無でしょうか。友達はいた方がいいです。でも、ちゃんと選んでください。こいつらといたら勉強しなくなると一瞬でも感じたら絶対に離れてください。ちゃんと授業に出て、自習もし、模試終わりにお疲れ様とたまの息抜きという意味を込めて昼ごはんなり晩ごはんなり食べに行く、そんな友達を作ってください。毎日のように集まり、騒ぎ、勉強せずゲームする、そんな浪人生になると終わりです。僕のことです。ちなみに僕のグループは全員志望校に受かりませんでした。全落ちして二浪もいますしかし、僕のグループから離れていった人は、march関関同立レベル私大に受かりました。友達絶対に選んでください。

あともうひとつ友達を作るなら、できればで大丈夫です。参考書マニア友達を作ってほしいです。僕には参考書マニア友達がいました。彼はネット参考書の評判を調べまくり、気になったものは買いまくり、そしてそれをひたすらやりまくるといったことを現役のときに繰り返していたそうです。彼のおかげで僕の中学レベル英語力が大学受験レベルにまで上がりました。

自分志望校レベルが似ていて、参考書マニアの人がいたら、本当にその人とは知り合っておいて損はないと思いますオススメ参考書を聞いて、その参考書をどう使っていたかなど聞きましょう。

最後です。

耳に入れるものの取捨選択しましょう。

周りの模試の結果や家族の厳しい言葉など気になることがたくさん出てくると思いますが、そんなものを頭に入れてもどうにもならないでしょう。聞く耳を持たなくてけっこうです。

この大学問題はどうだとか、倍率がどうだとか、そんなものだけ耳に入れたらいいのです。

個人的模試の結果ごときで自慢してくる人間志望校落ちます。というか、虚言が多いです。信じないで大丈夫です。

信じるのは自分だけです。

この1年を決して無駄にしないという気持ちで頑張ってください。

応援しています

2017-04-06

忘れえぬ人々

ラジオ番組に送った長文をそのまま載せますね(未採用)。思春期あるあるなのかなあ。当時もちろん誰にも言えなかったし今まで誰にも言えてない。たまたま女子同志だっただけで男女間でも男子同士でもあり得る話だとは思う。

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みなさんこんばんは。いつも本当に楽しく拝聴しています大好きです。35歳、女、既婚です。はじめてメールいたします。

私が中学2年生、14歳の頃の話です。

当時、私はゲーム大好きっ子で、今で言うところの「腐女子」であり、ゲームジャンルBL二次創作に手を染めておりました。夜な夜な推しキャラの絵を描き、さらに男×男のカップリング妄想し、その滾る思いの丈と自らの性の芽生えをミックスジュースにして同人誌というカタチにしたためていました。

定期的に地元同人誌即売会(以下イベントします)に出店して、そこそこに売れてファンレターのようなものをもらったり、同じ趣向の友人が沢山できてイベント以外でも会って一緒に遊んだりして、普段学生生活を凌ぐ楽しさでした。

彼女出会ったのはその同人活動きっかけでした。仮にSさんします。

Sさんは私の3つ上のオネーサン。同じゲームが好きで、知人に紹介してもらって意気投合。初めは文通メール文化はまだなかったので)からはじまり電話で話すようになり、そのうち個人的に二人で遊んだりするようになりました。私が年下ということも関わらず、対等に優しく楽しく接してくれて、一人っ子の私は趣味の合う素敵なおねえちゃんができたみたいでとっても嬉しかったことをおぼえています

Sさんとは、好きなゲームBL妄想で盛り上がる他にも、イベントで知り合った共通の友人であるコスプレイヤー男性に思いを寄せていることを打ち明けてくれて、ちょっと現実の恋バナなんかで盛り上がったりもして。

Sさんと二人で遊んでるうちに「M(私のこと)ちゃん、本当に可愛いねえ、すっごい好き」「私、本当にMちゃんのこと大好きなんだよー♡♡」など、ダイレクト愛情表現散見されるようになり、私ももちろんSさんのことは友人として好きだったので、その熱量違和感を感じながらも「うん、私もSさんのこと大好きだよ」と普通に返していました。

二人で遊ぶようになってから4ヶ月程経って迎えたバレンタイン当日。その年のバレンタインはど平日で、私は学校から帰ってきて家でせっせと同人活動にいそしんでいました。夕方7時くらいに家の電話が鳴り出てみるとSさんからでした。

「Mちゃんこからひま?そっちに遊びにいってもいい?」と。

Sさんの家から私の家までは徒歩とバスを組み合わせて40分ほどかかります

「うん、私は大丈夫だけどもう暗くなるし…これから来るの大変じゃないかな?家の人は心配しない?」

大丈夫だよ、どうしても今日会いたくって…」

何だろう?とは思いましたが深追いはせずに、私はSさんがやってくるのを待ちました。

私は母子家庭で二人暮らし、母は看護師夜勤もやっており、ちょうどその日母は夜勤シフトでした。帰ってくるのは深夜1時過ぎ。母が居ない夜に友達が遊びに来るという、ちょっとしたワクワク感と心強さのようなものもあり、遠いところ悪いなあと思いながらも深く考えずに来てもらうことにしてしまいました。

小1時間後、本当にSさんが家まで来てくれました。

「いらっしゃーい」と出迎えた私に「急にごめんね、ありがとう」と言ったSさんの表情はどこか固く、家にあがってからもどこか雰囲気がぎこちなく心配になる私。「平日にMちゃんち来るのはじめてだね」「ああ、そうだね、今日はお母さん夜勤でいないんだ」など他愛のない会話を交わしていましたが、やっぱり顔つきが冴えないSさん

「遠いところ来てくれてありがとう。でも、どうしても今日、って何かあったの?」

「あの…今日バレンタインから。これ、Mちゃんに。手作りしたんだ」

と、手渡されたのは可愛いラッピングが施されたバレンタイン手作りチョコレートでした。

「えっ、そうだったの!私なんにも用意してなかったよー!ありがとう、うれしい!」

素直に驚きと喜びを伝えたら、Sさんは泣きそうとも笑顔ともとれそうな複雑な表情で私を見つめたあと、強く抱きついてきて「Mちゃん、本当に大好き」と囁くように呟きました。

「う、うん?私も好きだよ…?」

「でもきっと、Mちゃんが言う“好き”と私の“好き”はちょっと違うと思うんだ」

「えっ?…」

そしてそっと私にキスしました。ほっぺにでも、おでこにでもなく、くちびるにです。これが私にとってのファーストキスでした。

とにかくびっくりしたけれど、不思議と嫌な感情特には湧きませんでした。その後何を話したのか、どうやってSさんが帰って行ったのかもよく覚えていませんが、すっかり元気な笑顔を取り戻したSさん玄関口で見送った画はしっかりと記憶しています

その次の週末、Sさんの家へ遊びに行くことになりました。

キスのこともあってドキドキはありましたが、あれは何かのきまぐれだろう、きっと普通に友達でいられるだろう、と思っていました。その日、Sさん宅では二人でゲームをしたり同人活動にいそしんだりとこれまで通りの楽しい一日を過ごしました。特にこの間のキス話題も出ませんでした。

私が「じゃあ、時間からそろそろ帰るね」と、帰り支度をしようとしたとき「やだ、帰っちゃやだ、大好き」と言ってまた抱きしめられて、キスされました。何度かキスをされるうちに、舌が入ってきましたが、私はまた拒否もせず、受け入れてしまっていました。

その日から一緒に遊んだ日の最後は、こんなふうに抱きしめられてキスされることが多くなってきました。私からしようとしたことは一度もありません。拒否をするほど嫌だったわけでもなく、実際キスという行為はやわらかくあたたか気持ちいいもので、拒絶することでSさんとの友情関係が崩れることを避けたかったこともあり、背徳感を抱えたままその関係を続けていました。

そんな関係が3ヶ月位経ったあるとき、私はとあるバンド出会い雷を打たれたように骨抜きになってしまいました。そのバンドのことで頭が一杯の毎日TV雑誌などを追いかけるのはもちろんのこと、同人活動土俵にもそのバンドを持ち込んで、また、同じバンド好きの新しい友達が沢山できました。私とSさんはともに受験生となっていましたが(私は高校受験Sさん大学受験)、電話は週に2、3回ほど、月に2回ほどは一緒に遊んでいました。ですが、Sさんは他の友人たちと一緒のときでも手をつないできたり抱きしめてきたりと過剰なスキンシップが多く、私はちょっとうざったいなあと思い始めていました。

だんだん私の興味がバンド一番になっていることに気付いて、Sさんはひどく寂しさを覚えてしまったのだと思いますバンド関係の友人と遊びに行くことにはじまり、そのうちSさんも交えて共通の友人と居るとき私が他の友人と話しているだけでも深い嫉妬をするようになりました。友人がいてもお構いなし、その場の雰囲気が悪くなるくらいあからさまに不機嫌になり、悲しそうな顔をするのです。周りの友人にも「SさんはMちゃんのこと好きすぎじゃない」「SさんってMちゃんにベタベタしすぎ」などとからかわれることも多くなってきて、私は正直もう面倒くさくなっていました。当時のモットーは友人関係は広く浅くみんなと公平に、束縛するのもされるのも本当に苦手でした。これ以上踏み込まれたくない、と私のSさんに対する態度はだんだん冷たくなり、そうなるとSさんがひたすら謝ってすがるようにさらに甘えてくることに辟易し、電話も合う頻度も自然と減っていきました。自分からきちんと嫌なことを嫌だとは伝えずに、冷たい態度をとることで私のことを嫌いになってもらってうやむやのまま自然消滅すればいい、と思っていました。私にとってSさんを傷つけ続けていることよりも、あの熱量の高い束縛から開放された安堵の方が大きかったのです。子どもですね。

その後、私はバンドに熱を上げつつも勉強を続け、無事志望校高校合格Sさんから東京大学への進学が決まったとの連絡が来ました。

Sさん東京へ行く前に駅前マクドナルドで待ち合わせて二人で会いました。10月頃、同人誌即売会ですれ違って話したのが最後だったので、ずいぶん久しぶりでした。お互いの合格を祝って、近況やこれから新生活についてぼんやりと話して、元気で頑張ってね、と言って普通に別れました。もちろん、好きだという言葉も抱擁もキスもありませんでした。

その後、一度だけSさんに会いました。私が19歳の夏でした。

私は高校卒業して東京専門学校へ進学しました。1年生の夏休みのことです。帰省して久しぶりに地元同人誌即売会へ参加しました。その後、居酒屋へ流れて友人たちと飲みに行ったのですが、そこに遅れて現れたのがSさんでした。3年以上振りの再会。私たちはぎこちない笑顔で「ひさしぶり」くらいの最低限の挨拶を交わして、私を避けるようにして遠い席に座ったSさん。それぞれ周りの友人たちと盛り上がり、Sさんとは全く話しませんでした。ただ、居酒屋の喧噪にまぎれてSさん自分彼氏の話で盛り上がっているのが、ぼんやりと聞こえてきたのでした。

現在、私は同人活動からも一切足を洗って、イベントなども10年以上参加していません。当時の友人たちとも疎遠になっていて、Sさんがどこで何をしているのかは一切わかりません。

毎年バレンタインの時期になると思い出す、私にとっての忘れ得ぬ人です。

長文乱文失礼しました。

2017-04-04

入学式を終えたばかりだが、学校辞めたい。

昨日入学式を終えたばかりなのに、早々に大学辞めたいと思ってしまった。

なんとなく「合わない」。

いろいろ入学前に聞いていたことと大違いだし、

教務課に聞いてもいろいろとよく分からないだらけだし……

受験に失敗した人間から、こういう辛酸を嘗めるのは仕方ないのだろうか。

それともやめて、浪人して志望校を目指すべきなのか。

高学歴はてなーからしたら、そもそも落ちて不本意なところに行くということが

ありえないのだろうから、そんな低能はもうろくに生きていけねーよとか言われそうだけど。

2017-03-21

国は若者に「田舎死ね!」というのか

息子が大学受験に失敗した。

私は今、日本かどうかも怪しいような地方都市に住んでいる。

長くなるから経緯は省くけれど、私はおそらくこの化外の地で一生を終えるだろう。無念だ。

からこそ息子には東京大学に行って欲しかったし実際受験したのも地元で一校、あとは全て東京大学だ。

結局、合格したのは練習がてらに受けた地元の中堅大学だけ。東京大学は全滅だった。

私の願望を優先させて無茶な大学受験させたつもりは無い、と思う。

志望校については高校担任とも予備校講師とも、もちろん息子とも相談したけれど、

それは概ね「ありふれた挑戦」程度のもので、特に忠告も警告もなかった。

先日、受験後初めて担任と会うことがあった。

さすがに居心地の悪そうな顔をしていたが、それは「夢破れた保護者」に会ったからというだけでは無いらしい。

私の息子だけではなく、高校全体で大学合格者が急減しているというのだ。特に首都圏大学に限っていえば前年比で合格者は半減だそうだ。

どうしてこんなことになってしまったのか?

担任は「大学収容定員厳格化という国の政策問題」と言っていた。

どうやら国は大学の定員を厳格化することによって地方創生を目論んでいるらしい。

首都圏大学には全国から受験生が集中するため、現状では定員はオーバーするし、なにより地方の過疎や高齢化は進むしで良いことが無い。

そこで、大学の定員を締め上げ合格者の数を少なくすれば、地方に残る若者が多くなり地方活性化につながる、というロジックだ。

定員を超過すると補助金が減らされるから大学も本気で取り組んでいて、結果、地方民にとってこんな厳しい状況になっている。

ほんと、オブラートに包んでも言っても国は馬鹿だと思う。

そもそも地方田舎に人が集まらないのはそこに娯楽も魅力も金もいからで、まずそっちを改善する方が先でしょうに。

なのに「格の劣る地方民は都会にでてくるな!若い力で一から何も無い地元を盛り上げろ!」って、若者屯田兵か何かと勘違いしているんじゃ無いか

さすがに残酷すぎる。

もちろん定員厳格化地方受験生だけではなく、首都圏受験生にとっても影響は大きい。でもいざ浪人となった時、経済的にも環境的にも地方民は

あらゆる意味首都圏民より振りであり、また政策目的から考えるに「地方民狙い撃ち」と言っても良いだろう。

塾の講師から

最近地元志向の生徒も増えていますし、地元大学に進学した方がお父さんにとっても安心じゃ無いですか?」なんてアドバイスを受けたけれど、

地元高校から地元国立に進み、地元個人予備校講師をやり、首都圏に一度も出たことも無いお前が何を言ってるんだ、と思う。

彼は東京の「近さ」を知らない。

娯楽でも勉強でも仕事でも、東京はあらゆるものが近い。

美術館の新しい展示だって、有名コラムライター講習会だってちょっといかがわしそうな特殊バイトだって簡単アクセスできる。

この「近さ」は並みの若者が成長する上で必要不可欠なものだと、私は思う。

それに、インターネット日本中面白そうな事を見るだけ見ておいて、実際には体験できないなんて牢屋から空を見るみたいで悲しすぎるだろ。

「親御さんも安心でしょう?」だって

確かに不安は無いわけでは無いけれど、自分安心のために息子を何も無い空間に縛り付けるほど傲慢ではない。それは虐待だ。

息子が望む限り私は彼をバックアップしようと思う。浪人か、仮面浪人か。

地方民らしくお金に余裕があるとは言えないが、息子に家族共々仲良く田舎で一生を終えるなんて惨めな思いはさせたく無い。

もうちょっとだけ、頑張ろう。

2017-03-17

子供が欲しくない

私は20代前半。

人生で一度も、子供が欲しいと思ったことがない。

理由を色々考え、出た結論は「面倒なことが増えるから」だった。

妊娠出産育児エッセイを何冊か読んだ程度の知識なのでザックリとしているが、

つわり地獄のような苦しみや、大きなお腹を抱えて生活することの大変さを知った。

食生活に気を使い、妊婦に優しいアイテムを買い、定期的に病院検査し、マタニティスクールに通い、

役所病院費用補助金申請し、生まれてくる子供のためのグッズも揃えないといけない。

この時点で「めんどくせぇ~」と心の底から思った。

出産もめちゃくちゃ痛い。無痛分娩もあるが、「産むときだけ痛くなくても、いてえのは陣痛だよ陣痛」と

母親によく言われるので、まったく痛みのない出産はまず無理なんだろう。怖い。

まあとにかく生まれました。おめでとうございます。あー終わった終わった、というわけにはいかない。

この世の右も左も分からない赤ん坊を、同じく育児の右も左も分からない母親が育てるって超難易度高い。

でも面倒だからお世話やめた、なんてことはできない。もう生まれてるんだから

もしも子供が生まれつきの持病を持っていたら。不便なアレルギーがあったら。アトピーがあったら。

とんでもなくブサイクだったら。発達障害だったら。学校いじめられたら。逆にいじめっ子になったら。

夫が育児に非協力的で理解がなかったら。偏食だったら。

同じクラスメイト母親が変な人だったら。担任先生が変な人だったら。

PTAが面倒臭かったら。受験に失敗したら。就活に失敗したら。悪い友達とつるんだら。

学生のうちに妊娠したりさせたりしたら。「産んでくれって頼んでない」と言われたら。

様々な不安が尽きない。そのくらい我慢しろよと言われるものも沢山ある。

でも嫌なのだ可能性として起こり得ることを考えると、子供はいらない。

子供に何かあったとき自分人生経験知識が乏しすぎてフォローできず、母親失格になってしまう。

子供もきっと苦しむ。

これまでの人生出会ってきた多くの選択出来事は、「ミスしたら自分に返ってくる」ものだった。

志望校に落ちようと希望の会社に不採用になろうと、嫌な思いをするのは自分だった。

勉強しなかったツケ、就活対策をちゃんとしなかったツケは自分に返ってくるだけ。

しか妊娠中の生活に気を使わなかったり育児を面倒臭がって放棄したら、苦しむのは自分ではなく子供である

親が徹底的に子供の見本となり、子供を守り、道に迷ったときに手を差し伸べなくてはいけない。

自分がそんな立派な人間になっていないのに子供を作っては子供がかわいそうだと本気で思っている。

デキ婚する人はどうしてすぐ産もうと決断できるのかわからない。その度胸はどこからくるんだ。

たまにネット出産が「3000万ガチャ」と揶揄されるが、本当にそのとおりだと思う。莫大な金がかかる。

そんなガチャをうちの親は私の前にも何度も回してきた。尊敬する。

今まで何人か彼氏がいたし、今もいる。

「この人と結婚したい」とは思っても、「この人との子供が欲しい」と思ったことは一度もない。

ずっと2人きりでいたい。夫との時間を独占したい…とよく思っていたけど、

まあずっと同じ屋根の下で2人でいたら、恋人時代気持ちなんてすぐ消えて

だんだん生活マンネリ化してきてうまくいかなくなったりもするんだろうな。

から子供がいたほうがいいのかもしれないけど、そんな緩和剤代わりに子供をポンとつくっていいのか。

妊婦子連れベビーカーバッシングネットでよく目にする。

保育園も落ちれば国に死ねと言いたくなる。

育児中にあった嫌なことや肩身の狭い思いをした体験談も沢山見る。

(家庭板のまとめを読むのはやめたほうがいいかもしれない)

自分がその当事者になることを恐れている。

私が万が一妊娠してしまったら、周りは「おめでたいこと」と捉えるから、きっと産むんだろう。

人間ひとりつくって育てるというとんでもない行為は「やっぱりやめた」ができないから、恐ろしい。

今付き合っている彼氏とうまくいって結婚の話が出たとして、「子供が欲しい」と言われたら本気で悩む。

「夫が子供を欲しがっている」とか「(義)両親が孫の顔を見たがっている」という理由

私が折れて妊娠出産していいものなんだろうか。母体は望んでいないのに。

周りが希望してるから命をつくるなんて無責任ではないだろうか。

「産んでくれって頼んでないのに!」って子供に言われてしまったら、

「私だって産みたくなかったわ!」って思っちゃうんだろうか。

私は自分に面倒事を沢山もたらした原因である子供を愛せないんじゃないか

どんな理由であれ、私のように子供が欲しくない人はきっといるんだろうけど(多分)、

子供は欲しいもの、望むもの、みたいな風潮が世間にある。

少子化という言葉があるということは、子供とは「産んで増やさないといけないもの」なんだろう。

私か相手子供をつくれない体なら仕方ない。それよりも「つくらない」ほうが周囲から疑問視されそう。

育児がしにくい世の中になってるのも問題だけど、そういう社会的な面よりも私の心理的な面が大きい。

こんな私が、子供が欲しいと素直に思える日はくるのだろうか。

それとも、たいしてよく考えないまま流れに身を任せていたら、案外大丈夫なものなんだろうか。

一応言っておくと、親に虐待されていたわけではない。むしろ末っ子なので甘やかされて育った。

子供はあまり好きではなかったけど、最近は仲の良さそうな親子を外で見かけると微笑ましいと感じる。

ただそれは楽しそうなほんの一部分を見たからで、

その場面を自分が得るまでにどれほど苦労しないといけないのかと考えると子供を欲しいとは思わない。

甥・姪をめちゃくちゃ可愛がってしまうのと同じだ。

あと、反出生主義という主義があるけど、そこまで過激な考えではない。出産尊いものだと思っている。

私は出産したくないというだけ。

今ふと思ったけど、学生時代全然楽しくなかったことと、この考えには関係はあるだろうか。

まらない地獄のような学生時代子供に味わわせたくないとか無意識に思ってるんだろうか。

そこはよくわからない。

とにかく、子供をつくることによってありとあらゆる責任が降り掛かってくるのが面倒で耐えられない。

面倒事は回避したい。だから子供はいらない。

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-08

休日学校にいる先生

先生はすごい

学校が開く朝7時には職員室にいる

放課後は完全下校の7時過ぎても職員室にいる

もちろん土曜日にも職員室にいる

日曜日も大抵いる

祝日もいる

夏休みもいる

冬休みもいる

春休みもいる

今年の正月三が日は教育委員会から学校を閉めろって言われたか

誰も職員室にいなかったらしい。

今年は。

会議12時まで何日も続いても、毎日授業してる

新婚でも、40過ぎてても、睡眠時間4時間程度で頑張ってる

運動してないのに疲労骨折してる

いつも手足がむくんでる

転任の挨拶あの日から、たいして経ってもいないのに随分と老け込んだ先生

月曜日には染めるのに、金曜日には白くなる髪の毛

どんどん減っていく毛量

今日は化粧のノリ悪いなあとか。

クマが隠しきれてないなあとか。

忙しい時期に合わせて、太ったり痩せたり

毎日学校に来て、先生はすごい

たくさん課題を出す分

たくさんチェックしなくてはならないのですね

土曜日は課外授業

日曜日も長期休暇も祝日も生徒を学校によんで、自主学習

自由参加という建前でしたね

みんな不平は言うけれど先生の方がずっと大変だったでしょう。

三年生の担当は両手で数えられるほどしか休めないと聞きました

三年生の受験指導に全力で、

浪人生の面倒までみる先生

いつか三年生になると土日と平日いう概念はなくなると先生はおっしゃいましたね

予備校にも塾にも行かなくていい

うちが面倒を見る、という先生

ほんとうにありがとうございます

でもいいんです

僕は予備校がいいんです

毎日学校にいるのは辛いのです

学校はいいところです

でもずっと同じ環境に身を置くのは気が滅入るのです

学校予備校二重生活になるとしても、それはそれで気分の転換に良いのです

田舎から有名予備校はありません

ですから先生はいつも予備校のぶんまで僕たちを指導してくださりましたね

結構です

遠慮させていただきます

先生方は休んでください

給料に見合ったぶんの仕事もだけでいいんです

労働基準法について授業しながら笑わないでください

予備校課題学校課題で手一杯になるから行くなと先生は言うけれど

学校課題は減らせなかったのでしょうか

予備校ありきの学校でも良いのではないのでしょうか

そんな学校のせいで有名予備校進出していないのではないでしょうか

志望校を高くしろと生徒を煽てて、

合格できそうにもない大学を進めて、

後期は合格率のために行きもしない国公立を受けさせ

浪人しようとしない生徒にそれでいいのかと説教をした先生

この大学レベルが低すぎるから

推薦を出してくださらなかった先生

東大志望だった子が出願したくないと言った時、今までの先生方の東大対策無駄にする気かと、不安定な時期に責めましたね

継がなくてはならぬ病院のある子に、執拗東大を進めましたね

東大にこだわるのは上から圧力だそうですね

関大志望者数はクラスごとにノルマがあるそうですね

センター対策をすると二次で取れないからと直前まで対策しませんでしたね

毎年センターが上手くいかず出願できない生徒が沢山いますよね

部活OBも年上の兄弟異口同音センター対策必要と言っていましたが

先生は決してしませんね

僕は高校が大好きでした

卒業した今でも大好きです

先生が僕らのことをすごく大切にしてくださったことも知っています

先生のことはすごく尊敬しています

ですが先生も生徒も、毎日学校にいることが当たり前という生活に疑問を感じていました

先生3年間ありがとうございました

無事合格することができて今はホッとしています

ずっと学校で見守ってくださった先生

今だから言います

東進のおかげです!!!

今までお世話になりました。

林先生!!!

2017-03-07

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170306215714

klaftwerk 文系学士卒だと博士課程前期課程修士課程意味するなんて知らないのが大半だと思う。

cloq 誰もが博士前期課程=修士課程博士後期課程=博士課程って知ってるわけじゃないから。理系でも学部生くらいまでなら知らなくても全然不思議じゃないと思う

まじか。

高2のとき志望校選定の段階で、赤本情報とか大学案内とか見てたからそこで

大学院進学率だとか見て、博士前期課程修了者の就職先とかあったからその関係普通に知ってたけどなあ。文系だけど。

まあ今と昔じゃ色々とその辺の事情も違うのかもしれん。

ぶっちゃけ就職先なんぞ気にして大学入試しないような時代が大半だったんだろうし。

http://anond.hatelabo.jp/20170306215714

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