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はてなキーワード: 志望校とは

2018-09-11

ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた

 小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻サボりを繰り返して何とか卒業した。

 大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。

 中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外大学院を修士だけ出て、いま旧帝大博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授医者弁護士官僚大企業役員の子弟で、就職先は公官庁大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語フランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語ラテン語辞書を使って読める程度だ。

 博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。

 大阪底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。

 大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢しかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。

 ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分想像力の無さを恥ずかしく思った。

 親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のとき引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライメーカー社長だった。また父親の友人に、趣味クルーザー釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュ真空管アンプが数台あった。祖父現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。

 ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。

2018-09-08

社会資本教育資本が何ちゃらチャラチャラ

 小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻サボりを繰り返して何とか卒業した。

 大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。

 中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外大学院を修士だけ出て、いま旧帝大博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授医者弁護士官僚大企業役員の子弟で、就職先は公官庁大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語フランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語ラテン語辞書を使って読める程度だ。

 博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。

 大阪底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。

 大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢しかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。

 ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分想像力の無さを恥ずかしく思った。

 親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のとき引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライメーカー社長だった。また父親の友人に、趣味クルーザー釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュ真空管アンプが数台あった。祖父現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。

 ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。

2018-09-01

援助交際してた(追記しました)

当たり前だけどリアルでは誰にも言えないので吐き出し。ただの自分語り

当時中学生田舎暮らしで塾まで晴れてる日は自転車、雨の日は徒歩で通ってた。

自転車15分、歩いて50分くらいのところ。

親共私になにもしようとはしてくれなかったけど祖父が私は勉強は出来るからもっと勉強しなさいってお金を出してくれてたので。自力で通ってたのは誰も送迎してくれなくて、授業が全部終わるとバスがなかったからだった。

田舎から街灯も少なくて暗いんだけど、まあそもそも人通りも少ないし毎回特に気にせず帰ってた。それで、自転車パンクして押して帰ってる日に性被害にあった。

(部活後に着替えずに行ったかジャージだったのによく性犯罪者欲情できるなと今だったら思う)

(強制性交ではなく強制わいせつ程度だった)

当時はパニック状態で、警察に連絡とか思いつかなかった。祖父携帯を与えられていたから、電話するか悩んだけど祖父はすでに寝てる時間だし電話するのは憚られた。結局、いつもより遅い時間に家に帰ったけど、家族きょうだい含めみんな寝てて、わざわざ起こしてまで報告するほどでもないかな?と思ってゆっくり風呂に入って寝た。

ここの思考転換をよく覚えてないんだけど、性被害にあったことを思考整理する中で色々と検索をして、援助交際存在を知った。時期を同じくして、当時仲の良かった友人からお小遣い稼ぎ」として誘いを受けた。今となっては不思議しかないけど、当時の私はそれに了承した。

前述の通り私は中学生だったので、出会い系サイトに生年を偽って登録したんだと思う。当時はgmailとかがなかったので(たぶん)、直メの誘いを受けてサブアド(xxneだったと思う)でやり取りをして、未成年であることを明かして会う意思を示してきた人に会っていた。初回に会う人は安全性担保として、例の友人についてきてもらった(もちろんその逆もあった)。

記憶曖昧だけど、よくネットで言われている隠語?のようなものを使った記憶はない。金額交渉特にしなかったと思う。

場所ネカフェが多かったのかな……。ファミレスときもあった。

何人かと会ったけど、ある特定の1人と長く続くようになった(私も友人も)。これも今考えると信じられないんだけど、場所相手の家だった。挿入はなかった。性器を触られたり、触ったり程度(ローターやバイブは使用された記憶がある)。相手40代くらいの太った男性だった。色白の丸々としたお腹を今でも覚えている。1度の訪問で、1万円もらっていたと思う。挿入行為は嫌だと伝えていたが、友人は「入れさせてくれたら3万円あげる」と言われて応じた、と言っていた。

両親は私の行動を気にすることはなかったので、私が出かけることにも興味を抱かなかった。半年で5〜6回会ったと思う。ここで私の携帯に、警察から電話がかかってきた。

初めは詐欺か何かだと思い、祖父相談したくらいだった(後から本当の警察と判明し、誤魔化すために落し物の連絡だった!と伝えた)。

私は出会い系サイトに、実住所と連絡先を登録していたので、連絡を受けると同時に、今近くまで来ていると伝えられた。幸い用事はなかったので、指定された駐車場に向かった。

パトカーではないんですね」「民家にパトカーで来ると目立っちゃうからね」という会話をしたことを覚えている。警官は男女1人ずつ、運転席と助手席に乗っていた。友人は近所に住んでいたので、一緒に向かった。

どうしてこんなことをしたのか、警察署に向かう際にきかれた。どうして、と正面切ってきかれるとどうしてか自分でもわからなかったが、友人が「まだバイトが出来ないので」と言ってくれたので、それに同調した。中2の末だったので、志望校を聞かれ、答えると、「そんなに頭がいいのにどうして」と言われたのが印象に残っている。

警察署に着くと、別々の部屋に入れられたと思う。事情聴取を受けたのは、私が出会い系サイト使用たからだと思っていたが(もちろんそれが理由なのだが)、この中に知っている顔はあるか、と4枚の写真を出された。その中には上記男性写真があった。おそらくだが、他の未成年との関係逮捕(?)され、登録サイト確認する過程私たちも呼ばれたのだと予想した。

供述調書を作る過程で、男性とどのような行為をしたかきかれた。ある程度は下敷きがあり、警官が声に出して読み、それに同意反論する形で進行していった(後にも先にも男性器のことを「おち○ちん」と呼称したのはこのときのみである)。

どれくらい時間を要したか覚えてないが、暗くなる前には帰れたと思う。記述された文書拇印を押した。

最後に、「もうこういうことはしちゃだめだよ、勉強がんばってね」と男性警官に言われた。

このことは友人との間では禁句になっていた。お互い誰にも言わないようにしようね、解散するときにそう約束した。

それで忘れようと思ったが、翌年、第一志望の高校合格し、当時のことを強く思い出すようになっていた。

私は住んでいる都道府県進学校に2時間程かけて通っていた。田舎にいるとき意識したことはなかったが、進学校に通う人たちは家庭環境や、親の職業からして住む世界が違うな、と痛感することが多かった。私は1回のお手伝いで10円のお小遣いをもらう生活体系だった(ほぼ全ての家事担当していた)が、クラスメイト必要ものがあれば、親に言えばすぐにお金が出て来る状況だった。お年玉没収されていたし、中学とき部活では費用を出してもらえず、祖父にお願いをしにいっていた(そしてそれは高校でも同じだった)。これは中学生ときの話だが、水泳水着を買ってもらえず、量販店で泣きながら親にお願いをするところをクラスメイトに見られたことは今も忘れられない。

家庭環境の恵まれた人たちに囲まれて、中学ときしたことを後悔するようになっていた。精神的な面もあるが、性病も気になっていた。でも検査に行く勇気はなかった。性病の症状をネット検索して、大丈夫、当てはまらない……と安心してはいものの、HIV罹患時の初期症状が風邪に似ている、の文言をずっと気にしていた(接触後1度、風邪をひいたことがあったので。潜伏期間が長いので自覚症状がまだ出ていないだけでは?と不安だった。大学生になり、性病血液検査をしたが無事に全て陰性であった)。

高校行事や、部活大会のたびに友達の親は見学応援に来ていたが、私の親は来たことはないし、もちろん部活費用バイト代で出したし、お弁当自分で作ったし、予備校費用祖父が、在学中に祖父がなくなったので大学受験費用バイト代で出した。ただ生活をしているだけで周りと差を感じることが多かった。お弁当自分で作ってるって言ったとき、周りからは偉い!女子力!と言われたのもしんどかったな。偉いとかそういうのじゃなくて、作りたくて作ってるわけではないし。材料は家にあったものを使ってよかったから、自分で作れば昼食代はただだったので。

大学生の頃、帰宅が遅れるとき、「親に駅まで迎えに来てもらいなよ、きっと心配してるよ」とよく言われたが、その親切心がつらいと感じていた。中学生に夜道を歩かせる親だぞ、そんなの思うわけないだろ、と思いながらも、スマホがあるから大丈夫ですよ!と返していた。

そして、完全に自分のせいでしかないが、色白の太った中年男性が非常に苦手で、そして性行為も好きではない。

中学生とき下ネタもよく言っていたが、高校からの友人にはよく「潔癖」と言われる。部活コーチ上記の特徴そのままで、本当に苦手だった。なにかあった?ときかれると、ちょっと苦手なタイプで……と答えていた。今まで付き合った人は、どう考えても太りそうにない人しかいない。

友達は好きだし、高校からの友人はもう10年近い付き合いになる(もう中学友達とは疎遠である)。でも、親の話も、もちろん援助交際も性被害の話も絶対にできない。受け入れてもらえないと思う。

よく、○○のご両親は?ときかれていた。その度に口を濁して来た。大学の友人も、親がOBOGだから志望した、合格をとても喜んでくれた、と言っていたり、ひたすらに眩しかった。

部活から帰ってきて寝ているところをお腹減ったと叩き起こされることも、何もしてくれないくせに試験が1位じゃないと怒られるようなこともなかったんだろうな。たぶん、よい家庭環境にはそれなりの苦労があるとは思うけど、私がその家に生まれてたらよかったなあと思ってしまうことがあって、つらい。

職場は通えなくはないが、今は実家を出ている。駅からは近いし、自分家事しかしなくていいし、快適すぎて実家に帰る気にはならない。

ただ、祖父に線香をあげに、祖母に顔を見せに節目には帰っている。その際に親に連絡をすると、駅まで車で迎えに来てくれるのだ。別にもう、タクシーで帰るお金はあるのに。タクるからいいよ、といっても、貯金しなさいと言うのだ。

お金がなくて、送迎して欲しかった中学生ときには車を出してくれなかったのに。それをただ、「親が優しくなった」と思うことは私には難しい。

ふと思い立ってこんな時間まで気持ちの整理のために書いたけど全然すっきりしなかったしなに言いたいかからない文章すぎる

終わり

追記

朝起きて(もう昼だけど)みたら優しい言葉も、厳しい言葉荒らし?みたいな言葉もいただいていてありがとうございます

すみませんはてな文化に慣れていないのですが、引用(?)でご自身境遇について語って下さった方もありがとうございます

吐き出しのつもりでしたが、やっぱり話を聞いてもらいたかったんだな、と思ってコメントをいただけて嬉しいです。吐き出しとか言いつつ書いた文章をわざわざ見に来てるの、矛盾してますよね。

リアルでは言えないと冒頭で書きましたが、実際に言ったらどういうリアクションをされるんだろう?とも考えていたので、厳しいお言葉も、暖かい言葉も嬉しいです。私のことを何も知らない方でも優しいお言葉をくださるのであれば、長い付き合いの友人ならもしかすると聞いてくれるかもしれないですよね。まあ話す予定はないですが。

被害意識

前提として、後悔している=被害ぶっているではないということはお伝えしておきます。私は思考の整理の最後に「援助交際」を選んだことを後悔をしているだけで、それは例えば友達喧嘩した後に、あのときああ言わなければよかったなとか思うことと変わらないと思います。「援助交際」に関しては被害者だとは思っていません。刑法上、援助交際を求める側にしか罰則がないので聴取で終わっただけだと思っています提供する側がいないと犯罪は成立しないので。まあ求める側がいるか提供する側がいるとも言えますが。

今1万円もらって同じことするか?ときかれたら即答でNOなので、同じ自分なのに考え方が理解不能だなと思っています

警官とのやりとり

車で来ることはない、とご指摘をいただきましたが、実際にあったことを書いてるだけなので……田舎なので知らない車が来ると話題になってしまうのですが、近くの駐車場で待たれていて、そこに向かった形です。ご指摘の方は警察の方か、よく警察が自宅に訪れられる方なのでしょうか?

車内では無言ではなく、土日のどちらかだったので、部活はやってないの?とか、試験はそろそろ?とか女子中学生が緊張しないように(だと思います)ご配慮いただいたと思っています。早い段階で止めていただき感謝しています。私が高校生のときですが、相手に殺されてしまった学生報道を見て、私がこうなる可能性もあったんだろうな、と思ったことを覚えています

(親に連絡がいかないのはありえない、との指摘をいただきました。盲点でした。もしかすると両親は知っているのかもしれませんね。確かに1度財布の中身を確認されたことがあります。新しい服や書籍部活の用具が増えているのが気になるといった理由でした。祖父に買ってもらったと伝えたら引き下がりましたので、あまり気にはしていなかったのですが、警察からの連絡だったのかもしれません……。

受験システムでの都道府県割れを避けたいので詳細は控えますが、私は内申を利用して高校に進学をしています。なので学校には連絡はいっていないとおもうのですが……)

男性の体型について

同じ特徴の方にご不快気持ちをさせてようで申し訳ございませんが、実際に仕事等でやり取りをする方とはちゃんお話しできていると自分では思っています。苦手意識があるだけで……。例えばみなさんも、派手な服装をした人が苦手、とかそういうのはあると思います。それに近いものです。今の恋人も痩せ型なのですが、たぶん小太りになったら恋人として一緒にいるのは苦痛かもしれないから別れるだろうな、くらいの苦手感です。伝わりますでしょうか。まあ伝わらなくても構わないのですが。

ネグレクト

私自身、そのような認識はなかったのですが、世間からみると当てはまるのだなと思って興味深く感じています。接種すべきワクチンは全て受けていましたし、弟と同室でしたが自室もありました。自分学習机もありました。ベッドは二段ベッドで、弟とジャンケンをして私が上を勝ち取りました。姉がいましたので、お下がりで服もありました。小学生ときまででしたが、家族旅行にも行っていました。3連のプリンも2セット買ってもらっていましたし、きょうだい4人でよくマリパしました。

その観点でいうと、明らかに年代の違うキャラものの服を与えられるのが嫌だった記憶があります(幼稚園の時、姉のお下がりキューティーハニーセーラームーンの服を着ていましたが、私はどちらも世代ではありません)。アニメは好きですが、キャラ印刷された衣類には今でも忌避感がありますとはいえ小学生ときはくまのエイミーちゃん(伝わりますかね……)とメゾピアノの服に憧れていたので、自分でも基準がよくわかりません。今は無地、花柄等の服を好んで着ています

私は姉たちよりも身長体重ともに一回り小さいのと、歳が近いので、中学生あたりからお下がりがなくなり、それが前述の水着等の話につながっています

・親との関係

私も、やっぱり老後は私に見てもらいたいのかなあと思って、複雑な心境でいます家族で過ごして楽しかった思い出もあるので。ただ、炊きたての白米投げつけられてできた痕(文章にするとコントみたいですね)とか、つねられて皮膚がえぐれて隆起してる痕(両腕の内側に多い)とかを見ると色々考えてしまったり、今パジャマにしてるクラスTシャツもみんなは親にお金出してもらってたなあ……とかふと思ったり。テレビ虐待報道を見ると、私は命に関わるようなことはされてないよなあと思ったりもしてしまい、答えがうまく出せません(上記のことが行き過ぎた躾なのでは?ということは高校生になってから周りの反応で気づき、口に出さなくなりました。家を締め出されることは高校の友人も経験があると言っていて、これは普通ことなのだと安心した記憶があります)。

姉姉私弟の4人きょうだいなのですが、姉2人にはあのときは助けてあげられなくてごめんね、と大学生になってから言われたこともあります。今更言うなよとしか思えなかったのですが、きょうだいはたまに泊めるくらいには仲がいいです。私以外は実家にいるので。姉2人は親に大学お金出してもらってるの、笑っちゃいますよね。一応姉たちは親に返金してるみたいですけど、私は利子付きなのにな(笑)って思ったりもします。弟は私とは少し歳が離れていて、まだ学生なのでどうなるのかわからないですが……。

幸い私は勉強ができて、近所には祖父という理解者がいてさら勉強させてもらえたし、奨学金バイトで大学には通えたし、実際したたか就活ではそのことをアピールしたし、無事に社会人として働いているので、どちらかといえば私自身も恵まれている方だとは思っているのですが、今でも過去のことを思い出すので、整理のために書いています面白くもない自分語りをご覧いただきありがとうございます

以上

2018-08-04

はてなのアホ共が男子女子より受験勉強できないみたいに考えているようだが

志望校、志望学部の選定方法が男女で異なる傾向にあることがわからないのか

浪人するリスクを取ってより難関大学を目指すのが男子で、若さ優先で浪人リスクが大きく見積もられてるのが女子なんで

東京医科大学の件は、男子はより大きなリターンを目指して合格出来るかわからない層が受験し、女子は安定して合格できそうな層が受験してる

東大医学部合格者の男女比において男子比率が大きいと聞けば、自然とこういう考え方ができると思うが

東大不正を疑う前におのれの頭の不良を疑えよ

2018-08-03

医者になれなかった(元)女子ぼやき

はじめに

大学(※1)の医学部入試問題について、どうしてもぼやきたくなった。

あくまでも個人意見ではあるが、随分と乱暴意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。

あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。

最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。

※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない

※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい

増田について

ごく普通田舎(※3)生まれ田舎育ち。

基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)

タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子コメント一言

※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎

※4:何故か世代ごとに一人医者がいる。所謂、偶然の産物

ニュース(※5)についての感想第一声)

「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」

※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)

増田医者になれなかった理由

入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子である

因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。

入試を受ける許可が降りなかった話

ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。

高校一年までは、まだどうなるか分から模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。

結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)

事の次第はこうだ。

その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。

滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。

先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。

「こないだの模試の事なんだけど」と、母親が口火を切った。

「この志望校は、どういうつもりで書いたの?」

その時まで、得点偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。

娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。

増田あなた医者になりたいの?」

母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元医学部の欄であった。

「いや、そういう訳では…」

それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。

我が家勤務医であったので『実家病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。

いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。

「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」

うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。

「定年まで勤める覚悟が無いならば、医学部受験は認めません」

それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。

※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった

※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい(二回目)

※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいであ

※9:人生舐め過ぎである

10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい

医者になるには、という話

両親の主張は、主に二点であった。

借金と返済の問題

医学部、それも国立医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である

これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分である

原資は何か?当然、国民血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。

医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。

10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。

最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。

資質問題

『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているか資質が無い。とばっさり切られた

何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時即戦力として対応出来るか否か、という事である

尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。

11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった

試みた細やかなる反論と、切り捨てられた回答

・私よりも成績の悪い医者が生まれるかもしれない(※12

→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通医者の方が国益に勝る

看護師女性が大半だけど回ってる

→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担看護師比率分だけ上がると自覚しろ

別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ

→甘 え ん な 阿 呆 (※14)

12自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗

※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である

※14:地雷を踏んだ

終始大半を黙っている父親と、それを取り巻く家族の話

さて、以上の話は全て母親が話をした。

父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。

口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である

一行で起こったこ矛盾であるが、彼は『生物学上における父親であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである

私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的エピソードである程、家に帰ってこなかった。

ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院転々としていた。

結局、父親我が家根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。

所謂、『仕事人間家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである

彼がそうなった原因の一つに『田舎医者が少ない』という点がある。

圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいだって住まい病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。

たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。

当然、盆暮れ正月関係無く、少なくとも我が家帰省冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。

そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的家族行事に、父親はいだって居ないのである入学式卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。

幸いにして母親専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田父親実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。

別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンス発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。

という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。

※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない

※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い

17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない

※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院生活してるんだから、)病気先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請電話が来た(実話)

※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった

20とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日ポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為違法です)

※21:いわんや海外旅行をや

※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る

23自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り

後日談

その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。

その時に言われたのは、

増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ

・ただし、その場合増田就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ

田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らし選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ

医者になる幸せと、(増田)の人生幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい

そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田志望校から医学部名前を書かなくなった。

24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である

※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません

第一声について

此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性医者になるな』と主張したい訳ではない。

ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルート選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)

そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。

産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。

女性妊娠出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである

が、現状、当然比較論ではあるが妊娠出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである

少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家フォローパートナーフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。

※26:我が家場合は『奥さんに丸投げ=パートナーフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている

当該の迫害されている女性医者(或いは医学部志願女性)では無くて、けれど『女性差別だ!』と怒れる方へ

まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師負担を減らす事で、医師仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?

具体的には

・無茶なアルコール飲酒をしない(急性アル中患者を減らす)

・無茶な運転をしない(交通事故患者を減らす)

・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病リスクを下げる)

・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤熱中症患者を出さない)

予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)

健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区フォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)

みたいな。

少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。

※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチン医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力他人うつしてしま可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないか

28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービス求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?

おわりに

この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。

オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。

属性医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである

※29:我が父は日本語も下手だし自力で読解出来ない文字を書く為、転々

2018-07-20

10年ほど、実家を燃やす計画を立てていた。

10から20代にかけて、およそ10年間、「実家放火して親を焼き殺す」計画を立てて過ごしていました。

本気でした。警察本部に売っている「捜査幹部必携」という専門書も入手して、焼死の際の事件性の有無の判定基準まで学びました。

刑務所には入りたくなかったのです。現代火災現場検証では油が出火もとであればすぐに反応が出る、例えば首を締めて殺した後に火をつけたとしても、肺の中に煙が入っていない(呼吸をしていないから)ことで事件性はすぐに明らかになる、といった内容が載っていました。難しいな。何回も計画を練り、材料を燃やして検証し、でも、実行には移せずにいました。

物心ついた頃から虐待を受けていました。貧困家庭でした。年収200万円の5人家族。その中には、血の繋がっていない人も何人かいました。

思い出したくもありません。口減らしにと、真夜中の山奥に車で連れて行かれそのまま放置されたこともありました。パチンコ狂いの義父が負けて帰ってきて、私のゲームボーイを取り上げて遊びながら私をサッカーの球に見立てドリブルしてきたこともありました。

食べ物はありませんでした。砂糖に一滴の水を垂らしてレンジでチンすると水飴になるのでそれを食べていたのですが、バレて砂糖を隠され、近所の猫のカリカリを食べました。あれは不味かったです。ハムスターの餌の方が美味しかったです。植物だとツツジの花がほんのり甘くて美味しいと思いますスミレの花も味が薄いので悪くないです。

ある時のドリブルで腰の骨が折れたことがあります。ベッドで動けない私を見た母親は、髪の毛を掴んで綱引きのように引っ張り、私はベッドから転落させられた末、殴られました。ちょうどお盆のことでした。他の家族は私を置いて旅行に行ってしまいました。私は這いずり回りながら、砂糖を探して食べました。帰ってきた母親に折れた腰のまま土下座をして、ようやく医療機関に連れて行ってもらいました。私の足は今も一部がしびれたままです。

紺色の服と白い服しか持っていませんでした。当時流行していた「ベティーズブルー」といった鮮やかな色の衣料とは無縁で、惨めでした。義父は自分が稼ぎが少ないのが気にくわないのか、常にコンビニ店員やガソリンスタンド店員タメ口命令していました。かわいそうな、あわれな大人だなと思いました。

長女でした。何度か「父親」が代わり、下の兄弟が増えていき、一番最初父親に顔がよく似ている私はことごとく除け者扱いされました。

抱っこされた記憶があまりありません。おかげで、25歳ごろになるまでは、交際した男性にも「触らないで!」と要望していました。なにしろハグの仕方が分からないのです。手を繋ぐのも怖かったのです。

自宅では、他のきょうだい名前で呼ばれる中、「ゴミ」と呼ばれていました。劣等感の塊でした。小学3年から自殺未遂しました。

数回やってもなぜか生きています。きっと、覚悟がなかったか死ねないのでしょうけれど。

そんな日々で、唯一自尊心を満たしてくれたのが、学校テストの点数でした。良い点を取れば、認められる。認められたい。なんでも良いから。なんでも良いから認めて欲しい。だから、狂ったように勉強しました。河合塾主催模試上位者ランキング名前が載りました。トイレでも、お風呂でも、ご飯最中勉強していました。

志望校に落ちました。「ちょっとだけ頭がいい方」くらいの、赤本を一度も解いたことがないような滑り止めに進学しました。

その時も本格的に自殺未遂しましたが、死ねず。その学校に通い始めました。

しかし、なんにせよ、実家から脱出できたのは本当に大きかったです。

都内家賃4万円のアパートを借りました。保証人欄には、今は行方の知れない実父の名前を書きました。奨学金は容易に掛け持ちできました。機関保証給付です。アルバイトは3箇所ほど常勤で入り、当時規制がなかった日雇い派遣案件をこなして生活費に当てていました。

ちなみに4万円のアパート、壁が薄くて、外で住人が階段を上がる音がするたびに、かつて母親がそうやって暴力をふるいにきたとき足音を思い出してしまいしばらくは安眠できませんでした。

もともと家に居場所がなかったため、学校ではずっと社交的で行動的なキャラクターを演じ続けていました。表面的な友達がとにかく多いタイプでした。親友はできませんでした。

それが功を奏してか、大手マスコミ内定を取ることができました。

初任給が、かつて私が育った家庭の2.5倍ほどありました。

5人家族で200万円だったのが、1人で500万円です。

お金の使い方が分からないので貯蓄してばかりですが、ずっと入れなかったファミレスの「ジョナサン」などに行くようになりました。

付き合いの宴席も多く、クレジットカードはあっという間にゴールドになりました。

そんなさなか、私はある病気発症しました。

PTSD

心的外傷後ストレス障害とも呼ばれるこの病気は、辛かった日々が急に頭の中でフラッシュバックし、同じような苦痛を感じる、というものです。私は毎晩、義父にドリブルされる夢や、母親から階段で突き落とされる夢、10代の私が苦労して貯めたアルバイト代を母親が奪い取って美容整形に行って顔が変わって帰ってきた時の夢、そんなものばかりを見ました。

次第に不眠になり、虐待関連のニュースでも吐き気がするようになりました。マスコミ勤務でそれは困ります現場では頓服を飲みながらかなり無理をしています。この無理ができなくなった時、私は職と社会的地位を失うと思います

10代の時は貧しくて憎かった。20代就職し、富を得ても病気で常に苦しめられた。だから元凶実家を燃やしたい。ずっと、ずっと思っていました。

実家を燃やしたい」から「どうでもいい」に変わったのは、最近のことです。

私は発病から5年以上が経過しました。一生病気と付き合って行くと思います。そんな中で、憎しみと怨念を抱きながら暮らして行くのは、もう疲れました。

そう、疲れたんです。

幸いにも今、「あなたから話せる情報なんだけど」と仕事に役立つ情報提供してくれる人も増えています結婚はしていませんが(結婚話は、元彼との間で一度でました。親の話などが出てくると、とたんに受け付けなくなってしまって、衝動的に別れを告げました)、結婚もありかな、と少しずつ考えることができるようにもなっています。今の生活を守りたい。それだけ、それだけなのです。

故郷役場に行って、あの家庭の戸籍から私の名前を抜いて分籍しました。頼る家族はいません。正真正銘、ひとりです。

精神疾患を患った我が身のみが頼りです。

これで、よかったんですよね?

2018-07-17

anond:20180717233156

言及ありがとう

TwitterIDじゃなくてURL記載し直しました。

他県にいく意思はあります

日常的に通えるかは体調次第です。

季節の変わり目である678月は毎年下痢悪化し、痔瘻が腫れて、排膿してもらうために通院してます。こうなると、バスにのってても心配されるレベルになるので、そんなときに他県にいくのは無理だと思います

学習意欲はかつてありました。中学受験のために塾通いを続け、志望校合格しました。

現在は持病のせいでイスにじっと座って黙々と勉強するのは難しいです。体調がいいときはできるはずです。

数学は2次方程式前までです。つまり、2次方程式は解けません。

性格はおっとりしてるといわれてきました。多汗症で暑くなると真っ赤になるので、初対面の人からは怒ってると思った。キレてると思ったといわれたことがあります

2018-07-16

毒親ではないと思っているけど、親子関係がつらい

母親しんどい

私は30歳、母親は70歳。そして一人っ子の私は今、母が一人で暮らす実家飛行機距離暮らしている。

前提として、私は実家に帰る気がある。母もそれは認識している。

実家には年に3,4回帰っているし、電話も度々する。

みんなは、合わない実親とのかかわりをどうやっているのか、どうやって気持ちに折り合いをつけているのか、とても気になるので投稿します。長いです。

しんどいこと① 過干渉自分の思い通りにならないと攻撃してくる

つい最近の例としては、婚約者との同棲を決めたことを事後報告したらとても不機嫌になられた。

「事前に何の話もなく自分たちで決めてきたことがとても悲しかった」そうだ。

悲しい、というだけならまだしも、それについてとてもネチネチ言われた。

しまいには「昔から全部自分で決めてしまって人(=母自身)の言うことを絶対に聞かなかった」と言われた。

「いや、そんなことはないでしょう」と反論しても「いいや、あんたは絶対に人の言うことを聞かなかったよ」と強く否定された。

一万歩譲ってそうだったとしても、私の人生一般的な水準からみて成功している部類なので、母がそれを今否定してくる意味が全く分からない。

自分の頑張りをすべて否定された気になり、非常につらいし涙が出てくる。

母の言う通りにしないで一番人生に大きな影響があったのは、大学編入を決めた時だった。

ストレートで入った大学は強く望んだ学校じゃなかったが、母の意見や家庭の金銭的な事情気持ちを押し殺して入学した。

結局精神的にダメになり、せっかくの授業もまともに受けられず、お金時間無駄、そして自分人生にとって良いことがないと判断したので

学費生活費は自費でも極力出すから実家を離れてしまうが別の大学編入させてくれと言った。

その時は非常に険悪な仲になったが、一年休学して勉強して志望校合格したとき母は半泣きで喜んでくれたのですごくうれしかった記憶がある。

周りの人に、「あの子は○○大学に受かった」とうれしそうに吹聴していた。

それなのに、こういう話をさっきのように「人の言うことを聞かない」と否定材料にしているのだとしたら、まともに話し合いをすることはできない人だなと感じて辛くなる。

しんどいこと② 自律心、自立心がない

とにかく、自分自身で何かを成し遂げたりすることが極端にできない。おまけにそれについて、「甘やかされて育ったから」「周りがみんなやってくれたから」と開き直る。

父が死んだとき、死亡手続きや諸々の手続きなど、すべて当時大学生だった私が行った。喪主は母だったが、「挨拶なんてできない」と言われたので私がやったし、火葬スイッチも私が押した。

参列してくれた人たちには少し驚かれたが、「母がこういうこと苦手ですし、私は平気なので」とフォローした。母の兄弟たちは母の性格を知っているので何も言ってこなかった。

父が残した遺産全然ないw)や、借金手続き相続等、必要書類の取り寄せ・行政書士とのやり取りもすべて私が遠方から行った。大学の授業やバイト掛け持ちと並行していて時間的に辛かったが、父の親族とそれで揉めて縁が切れたりしたことが一番精神的にきつかった。

こういう重い出来事以外でも、日常的に新しいことを始めたり改善する気概がまったくない。「習い事に行こうかな」「最近お客さんが減った(母は小さなお店をやっている)」などは十年以上言い続け、それを自分で実行・改善したことはない。

お店の客数については「チラシを配ったら?」「店を綺麗にすれば?」など優しく提案しているのだが、「そんなことやって今のお客さんが来なくなったら困る」「「お客さんが増えすぎても困る」などと言って何もしない。

母の妹などには「あんたのお母さんは本当に自分で何かをしようとしないね…」と言われた。昔からそうなんだろうと思う。

しんどいこと③ 平気で矛盾したことを言う、感情的

例えば「早く結婚しろ」「孫見せろ」というのに、私がこれまで恋人婚約者を紹介しても喜んでくれたことが一度もない。

おそらくいざとなると、「実家に帰ってこないかもしれない」という自分にとって辛い想像のほうが母の中で強くなるのだろう。

結婚して孫が見たい」のは私のためではなく全部自分のためなんだろうな、と思う。

これも機嫌が良いと相手のことを聞いてきたりするのに、そうじゃない時はあまり良くないことを言ったりする。

別れた人のことを「だからあの人はダメだって言ったでしょう」と得意げに言ったりもされた。

あと論理的な話し合いはまったくできないので、重要なことを決めるときに母の意見を仰がなくなる(大学のことや同棲ことなど)のは当然のことなのだが、その説明をしても最終的には何故か母が被害者になって終わるので説明はしなくなった。

同棲はまだ早い」と反対されたことがあるのだが、付き合ってどれくらいで早くなくなるのか聞いても答えてもらえなかったし、結婚しろって言われてる30歳の女であることを考えてもまったく早いとは思えない。

ちなみに今の彼氏ではない人と同棲を考えた時に母親の言う通り同棲をやめたことがあるので、①のような「人の話を絶対に聞かない」ことはない(結果的にこれはやめて良かったので感謝してる)。

そんな感じで、とにかく感情否定してくることが多い。

しんどいこと④ 被害者意識が強い

何が一番つらいかって、①②③に被害者意識の強さを乗っけてぶつけてくることだ。

一番顕著な例は、私が県外の大学に通い始めてから父が病気になったので、母は一人自宅で介護してくれていたときのこと。

これについて毎晩のように電話がかかってきて「お前は両親を捨てた」「介護が辛いか離婚したい」「結婚しなければよかった」と愚痴を話す。

介護が辛いものなのは理解しているつもりで、母にそれを任せる形になってしまたことは申し訳なかったが、将来のため進学しているのに「両親を捨てた」と言われたのは本当に驚いたし悲しかった。

いずれ実家に戻るから、とその時から言っていたのに、勉強を頑張っている最中でそんなことを言われるなんて思わなかった。頻繁に実家にも帰っていたのに…。

何で私が加害者になっているのだろう。そして、周囲に反対されても結婚を決めたのは他でもない自分じゃないか

から、「あんたとお父さんは頭が良いから私は何もできないかバカにされている気分になる」とグチグチ言われ、とても辛かった。物心いたこから勉強しろ死ぬほど言ってきたのはあなたじゃないですか。

「じゃあなんで努力しないの?」という疑問が湧くのだが、それができないから②の「自立心がない」人になったんだろう。

あとよくあるパターンは、体調が悪いときに「どうせ死んでもいいか病院には行かない」とアピールしてくることだ。

「こういう体調で一週間くらい寝ていない」「あんたのことを心配して寝ていない」など。とにかく自分がかわいそうらしい。本当に心配から病院に行け、と言っても「私なんてどうせ」としか言わない。

で、話を聞く限り結局病院に行ってることもあるのだが、大抵その報告はない。

総合すると「マジで母とウマが合わない」。

ハッキリ言ってしまうのも心が痛いのだが、母親じゃなければ絶対に付き合いたくないタイプ人間なのだ

他責志向被害者意識が強く、自分の都合のいいように記憶微妙改ざんし、同じテーマでもその時の気分で私に対する接し方や発言が異なる。

何よりも私が苦しんでいるのが、「愛情はとにかくたっぷり注いでもらったし、すごくかわいがられている自覚がある」ということだ。

母にはすごく感謝しているし、とても愛している。だからこそ実家に帰って面倒を見たいと思っているけど、うまくやっていける自信が年々なくなっていく。

母には長生きしてほしいし、孫の顔も見せてあげたいと思うけど、最近はふとした時に「長生きされたらつらいな…」と思ってしま自分がいて、それがめちゃくちゃ辛い。

これが毒親育ちの特徴だと言われたらぐうの音も出ないのだが、母はほんとうに優しくてお茶目で人に好かれるし、よく友人たちからもうらやましがられた。

それだけに、先述したような悩みを友人に打ち明けると「あんたのお母さん、意外なところがあるんだね…」と口をつぐまれることも良くあった。

70歳の人間に今さら人格を直してもらうことなんて不可能で酷なことだと思っているし、文字通り伝えても理解できず直せないことも分かっている。

たぶん、多くの人には「縁を切れ」とか「関りを薄くしろ」と言われるんだと思うけど、母を愛しているだけにそれができないのが苦しくてしょうがないのだ。

私のような葛藤を抱えている人ってたくさんいると思うんだけど、みんなはどうしているんだろう。

泣きながらこの増田を書いていて、私もしかしたら結構限界なのかな?と思っている。

2018-07-05

やりたいことが見つからない

大学生になってやりたいことがわからなくなった。

そんな矢先、以下の記事を読んで「ああ、自分はまさにこの状況だ」って思った。

https://withnews.jp/article/f0180704002qq000000000000000W00o10101qq000017573A

高校までは定期的にテストがあって、その集大成として受験があって、志望校合格するために勉強をするというのが当たり前だった。

自分が何をしたいか」ではなく「自分は何をやらなきゃ」なのかを常に考えてきた。

そんな人間が突然「はい、これからは好きなことしていいよ」って言われても困惑するのは当然だと思う。

いや、厳密には大学に入って1年ぐらいは目新しいことがいっぱいで「やらなきゃいけないこと」がたくさんあるし、受験期にできなかった「やりたいこと」もできる。

だけど、1年も経てば「やらなきゃいけない」ことには慣れて、「やりたかった」こともマンネリ化してくる。

そこで今「やりたいこと」を考えるんだけど、あまり思い浮かばない。

メタに考えると「やりたいことを考えなきゃ」って思考自体が「やらなきゃ」だとも思う。

どうしたら「やりたいことが」自然に思い浮かぶのだろうか?

2018-07-04

100円あったら何買うか

むかし、信じられないくら貧乏だった。

今日明日食べるものにも困る始末。家にあるのはわずかな米。

給料日前のもっともひもじい時、財布の中には112円しかなかった。

昼は具なしのにぎりめし1つ、朝夜はなし、予備校勉強し(浪人生時代の話。お金なさすぎて現役ではお金まら大学行けなかった。予備校授業料免除してもらった)、夕方からバイト、もちろんお腹はペコペコ、しかし駅から40分歩かねばならない(駅から家遠い、貧乏ゆえ自転車などない)という毎日だった。

さすがに限界を感じて、駅近くの100円ローソンへ駆け込んだ。所持金112円の私が調達できるアイテムは1つ。

ここで、最もコスパの良いものは何か?という問いが生まれる。

この場合コスパが良いとは、調理がいらず、数回に分けて食べられ、多くのカロリー摂取できるもの

私の導き出した答えは、コインクッキーだった。

直径1〜1.5cmくらいの丸いクッキーがたくさん入ったやつ。バニラココアの2種類が入っていた気がする。

一粒一粒、噛みしめるように味わって食べた。ものすごく、甘かった。

そのあと、無事に志望校合格資金繰りも何とかうまくいき、晴れて大学生となった。学生時代もまあまあ貧乏だったけど、所持金500円くらいはあったかな?

卒業して会社に入って、こんなにお金がもらえていいの?!とえらく驚いたよ。いまはなんと貯金ができるくらい、それなりの生活を送らせていただいてる。

会社員やってる今も相変わらず貧乏性なので、100円ローソンパトロールは怠らない。今日たまたまお菓子売り場を見ている時に、あのクッキーのことを思い出したんだけど、その店舗には売っていないようだった。ふと懐かしくなって増田に書いてみた。あの時は、本当に救われた。ローソンありがとうクッキーありがとう

みなさんは100円あったら何を買いますか?

2018-06-23

ぶっちゃけ院試はねぇ…

全国統一学力テスト志望校を選ぶところも含め)な大学入試とは意味合いが違うからねぇ…

試験の点数で全て決まるものではないというか。

試験にしたって、あの先生が作った問題だ、というのが分かっている時点で解答の仕方から勉強範囲の決定まで他大出身者とは平等でも何でもないわけだし。

https://anond.hatelabo.jp/20180622070124

2018-05-26

会社乗っ取りたい

わたしには弟がいる。彼はポンコツだ。

親に尻を叩かれ受験をしたおかげで中高は私立の一貫校に入ったが、すぐに落ちこぼれ学年最下位常連大学も2浪したが志望校には落ち、結局マーチレベル大学に進学した。もちろんこんな感じなので就活は悉く失敗。お情けで父の経営する会社入社した。

一方でわたし特筆するほど優秀ではないが、弟よりはマシだと思う。中高一貫女子校に入り、大学は現役で早慶レベル大学に進学。就活も人並みに上手くいき、外資系企業入社した。

弟のことは嫌いではないが、特段仲が良い訳でもない。ただ両親はわたしよりも弟のことを可愛がってたように思う。

そのような中先日、前述したように会社経営する父が弟に会社を継がせたいとわたしに話してきた。まさかと思った。

そんなに早く父が意思決定するとは思ってなかったし、そしてまさか弟に継がせるなんて正気なのかと思った。

かに大学卒業してすぐに父の会社に入っているので会社のことは私より知っているだろう。ただそれだけで会社経営することはできるのだろうか。

から明言されてきたわけではないが、わたし自分がいずれ会社を継ぐものだと思っていた。そのためにも実力主義外資系企業に入り経験を積み、いずれは父の会社に入って後を継げればと考えていた。

これまでは何がなんでも自分が継ぐ、とは思っていなかったが、どうやら父はわたしに継がせるとは微塵も思ってもなさそうなことを知った途端、急に何がなんでも自分がという気持ちになってきた。

今は父が健在なので会社もすぐには傾くことはないだろうと思っている。しかしいずれポンコツ弟が継いでしまえば会社はどうなるかわからない。

とにかく父が苦労してきた会社を潰したくはないという思いがある。弟がどこまで責任感を持って会社のことを考えているかからない。

これはただのエゴなのだろうか。

誰にも期待されていないのに謎の使命感に駆られているだけだろうか。

それでもわたし会社乗っ取りたい。

2018-05-07

麻布文化祭に行ってきた

息子がこの春から麻布中学に通っているのでGW中,文化祭に行ってきた。息子が小学5年生の時にも志望校検討のために一度行っているが,その時はあまりの人の多さに当てられて生物部の展示を見ただけで帰ってきてしまったので,ちゃん文化祭を見て回ったのは実は今回が初めて(ちなみに息子はその時の展示に惚れ込んで麻布第一志望にした)。

今回見て(食べて)回ったのは,用兵展,ピタゴラスイッチ展,フロンティア展,音屋(音楽部による演奏展示),油そば展,ステージダンス中心に一部のみ)で,感想は以下の通り。

・正門入ってから中庭ステージにかけて感じる盛り上がり・熱気は凄い。ここで雰囲気に乗れるかor引くかで印象が変わってきそう。盛り上がりの中心はカラフルに頭を染めた生徒達(文化祭実行委員)で,麻布文化祭というと髪染めの印象が強いのはこのインパクトが大きいんだろうなと。

ステージで見せるカラフル頭の生徒達のノリは大人から見ると見る人を楽しませるというよりは内輪感があり,痛々しいっちゃあ痛々しい。でもそういうのが出来るのは若さ特権だとも思うしちょっとうらやましい。

ステージパフォーマンスのうち,ダンスクオリティ高かった。エンターテイメントとして見せるレベルにあり,ダンスに無縁なオッサン自分)が見ても楽しめた。あれをJKが見たら惚れる。

染髪含め派手な生徒の姿が目に付くけど,ああいう(ネジの外れた)リア充は,文化祭に参加している麻布生全体から言えばほんの一部。ピタゴラスイッチ展や用兵展,音屋など,好きなものに打ち込みそれを一生懸命発表する生徒がマジョリティクオリティは展示によってまちまちだけど,レベルの高い展示は大人も唸る内容。(特に音屋での高校生演奏は凄かった。ちょっと覗くつもりが1時間以上聞き惚れてしまった。)

フロンティア展の緩い「はぐれちゃった」感が良い。こういう展示と染髪リア充共存しているのが「麻布アイデンティティの多様さというか懐の深さを感じた。

食べ物の展示が少ないので文化祭お腹を満たすのは難しい。油そば旨かった。文化祭で出す食べ物としてはかなりレベル高いと思う。量も丁度良い。これで450円(お茶付き)はお得。

 息子は3日間全て文化祭に入り浸り,ますます麻布が好きになったみたいだが,親としては,来年からはお客さんではなく運営側出展側としてお客さんを楽しませる側に回って欲しいと思っている。

2018-04-08

はてなって普通に女叩き多いよな

はてなリベラル女性に優しい。女性差別なんかしない。そんな風に思っていた時期がありました。

彼氏浪人彼女大学生…すれ違いの生活を乗り越えようやく彼氏志望校合格!→そんなカップルの末路が悲しすぎた - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1216033

>こういうのは男女問わない(キリッ とか言っているけど、圧倒的に女性の方が多いからね。

いやいや男女問わないだろう。なんでソースもなしに女が多いと決めつけるブコメスター集めてんだ。

あと旭旗エイプリルフールについてのブコメなんか、韓国人は劣等民族とか言ってるのがスター集めまくっていたし。

なんというか、所詮匿名インターネッツだなぁ。

2ちゃんまとめサイトよりは圧倒的にマシで逆も多いというだけで。

この記事へのトラバもそれを証明してくれるんだろうな。

2018-04-03

anond:20180403003449

自分の遠い昔の頃を思い出してみると(バブル前ぐらい)

女子はそこそこの短大に行く風潮な時期で(4大は少数、看護公立ですら短大だった)

短大に行ってなにを学んでどうなるんだろう、が全く想像つかなくて

それこそ国公立クラスに居たけど、担任イヤミもまったく気にせず手に職をつける系の学校にとっとと決めて

何十年もその仕事生業として生活できてるから、当時の自分チョイスが「幸福な進路選択」にはなってたと思う。

しろ、周りが女子短大を選べた理由を知りたかたかな。

そしてやっぱり相談する相手が居なかったんだな。

今も。

      

友達の姪っ子が、教育大出たけど普通に地元IT企業就職して戻ってくる、なんて話も聞いて

え、教育大って先生になりたい人が行くんじゃないんだ!って驚いたのが最近の話。

在学中に本人がやりたいことを見つけて、それが教師じゃなかったってだけのことかな。

(または、教師になりたくないことを見つけて、別な業種を選んだか)

教育大に入る前に気づけば別の学校チョイスもあったかもだけど、

入ってみないとわかんなかったのかな

(なんか、本当に教師になりたかった人が不合格だったとして、

 この姪っ子ちゃん合格したことで枠が一人分減ってたらちょっと恨むかも。

 いや、そこは受験時の実力の話だから別の問題か。そうか。)

    

高校の進路選択って、そこまで考えてないというか

2年生にあがるときに文/理ざっくり決めて

夏休み前の三者懇談でだいたいの志望校決めて、ぐらいで

「決め方」って誰も教えてくれないか

増田の言う

国立大学に限れば大学学部選びは全然決定的な要素ではないはずです。

要は入学後に当人が何するかにほぼ完全に依存します。

なんて情報があれば全然違うのになあ、って思うな。

そんなナマの情報の方が選定には大事なのに。

    

あなたが、もしかして一番「信用できる大卒のひと」かもしれないw

たとえ書いてくれた長文が自称ウソでもさ、目から鱗を落としてくれるぐらいの威力は充分ありました

入学式行って来るよ、ありがとう!!

彼女けが大学に行く

からクソ雑魚浪人生の身ですが、繰り言をどうかお許しください。


僕には高校2年の夏から付き合ってる彼女がいる。

同じ部活同級生で、付き合う前からよく一緒に居てニコイチなんて言われてた。

たまにケンカもしたけれど、付き合ってからもずっと仲良しで、だいたい毎日一緒に登下校してたし、LINE毎日欠かさなかったし、夜は電話もしたし、休みの日はしょっちゅう遊びに行ったりご飯食べたりしてたし、記念日写真を集めて手作りアルバムなんか作ったりした。

からもちろん受験期は勉強もずっと一緒にしてた。塾も同じ所、自習室図書館でもいつも隣や向かいの席に座って勉強するような、そんな大好きな彼女だ。

大学生になっても当たり前にずっと二人で付き合っていたかたから、もちろん同じ大学を志望して(学部は将来やりたいことが少し違って別だけど、理文は一緒だ)勉強に打ち込んでた。地元大学じゃなくてちょっと遠い都会の大学を選んで、そうすれば進学したら一人暮らし、お互いの家に泊まったりしていっぱい一緒に過ごすのもいいねサークルも一緒に同じの入ろっか、同棲続けて大学卒業したら結婚ちゃう!?なんて、夢物語で盛り上がったよ。

それなのに、フタを開けてみれば、彼女だけ大学に受かって、僕は落ちた。

合格発表だってつのパソコンに二人で顔近づけて、一緒に見たんだよ。緊張するね、でも受かってるよね、大丈夫だよね、なんて言って、せーの、でボタンクリックしたよ。番号探したら僕のだけ無いんだ。結果が出たとき彼女は素直に喜べなかっただろう。僕だって信じられなかった。模試の判定だってBくらいは安定してたし、本番の手応えも全然悪くなかったから楽観視してた。それなのにまさか落ちるなんて。何で落ちたかからなかったし、僕だけ落ちたという事実彼女と離れてしまうという事実に目の前が真っ暗になった。

僕は彼女と別の大学生活するなんて正直有り得なかったから、すべりどめは考えてなかった。わけがからなかった。泣いた。嘘だろと思った。寝て起きたら全部夢で、本当は二人とも受かってたんじゃないかとも思った。それくらいショックだった。彼女絶望に暮れる僕を励ましてくれた。1年くらい平気だよ、待ってるからLINEだってするし、大丈夫だよ、と言ってくれたけど、志望校を蹴って僕と一緒に浪人してくれはしなかった、当たり前だ。

彼女は3日前、春から大学生になるために引っ越していった。

僕は予備校入学する手続きをした。

僕たちは離ればなれになった。

僕は1年間勉強し直して、彼女と同じ学部を再び志望し、彼女の後を追う。

彼女はどのサークルに入るのだろうか。

髪を染めたり、化粧がちょっと派手になったりするかもしれない。

クラスにもサークルにも男子がたくさんいるだろう。

彼女可愛いから、誰か狙う奴が出てきてもおかしくない。

そいつらとは毎日顔を合わせるだろうに、彼氏である僕は会えない。

僕が彼女に会えるのは1日に1回から1ヶ月に1回に減ってしまった。

彼女は1年間、ちゃんと待っててくれるだろうか。

信じてないわけじゃないけど、彼女引っ越しから毎日LINEの量が減った。

入学の準備や初めての一人暮らしに慣れるのに忙しいらしい。

なんでこんなに心がざわざわするんだろう。

会いたい。会いたい。

早く次の春が来ますように。

受験勉強、頑張ります

2018-03-17

食への幸福感が無い

新高1で春休み中の学生だが、最近は深夜2時〜4時ごろに就寝して、午前11時〜午後3時ごろに起床する生活が続いている。親も受験後で疲労しているということや、県内トップ志望校合格したことから容認しているようだ。

当然ながら、そんな時間帯に起床するということは、私は午後8時ごろに夕食を食べるだけで夜食は基本行なわないので、その日に昼(朝)食を食べるまでは何も口にしていない。無論水もだ。

人間適応面白いものである最初のうちは目が覚めると空腹感とともに、食欲によってすぐに顔を洗い、トイレに行き、歯を磨き、1階に降りて何らかの食事サランラップに被せられた昼食など)を摂っていたものの、ニ三日もしない間にその食欲はほとんど無くなった。ただ、起床後にしばらくダラダラとネットを見ていると、食欲は湧いてくる。しかし、食べようという気にさせるほどのものではない。

タイトルから脱線しまくったが、ここでようやく本題である。なぜ空腹感に襲われ、食欲が湧いてくるというのに食べようとは思わないのか。考える間もなく、「食べることの喜び」が薄いかであるという結論が出た。以前からヒトの「食事」という活動のものに対する楽しみはもちろん本能的な幸福感をも感じることは殆ど無かった。しかしながら最近では、いつも同じ場所に座り、見ても驚くことのない見飽きたものを、殆ど決まった時間に食べる、といった理由から前述の「ヒトの活動」としての食事も含め、なんというのかよくわからないけども、人間の「幸福追求」の一種であるといえる食事本能的に食物を食べるということではなく、好きな物や食べたい物を選んで食べるということ)に対する幸福感をも薄れていったのである。ただし、理由が上述のようなものであるだけに、外食に行く際は多くの場合において大いに幸福感がもたらされていたと言ってもよいと思う。

このことから何が言いたいのかというと、

①今後このことは大きな問題になるとは言い難いが、特に若者の間では私のような人が増えていくだろう

②ヒトという生物必要な食物の量が減っていくのではないか

③また、食糧問題解決に利用できる可能性がある

といったこである

そもそも私が食への幸福感が薄れた原因は「終わりがない」という理由から依存性の高いインターネット生活支配されたかである。このことを考えると、①〜③のような可能性が頭の中で過ぎったのである

あーマジで何書いてんのか…。本来言いたかったのは全然こんなことじゃないし寝起きボケのせいで意味不明なことを書きまくってしまったし書き直すのも修正するのもだるいので、とりあえず私のような食への捉え方を持っている人が世の中にはいるのだとわかってもらえればそれでいい

2018-03-13

anond:20180313162215

(主語が抜けてるので曖昧なままレスを書くけど)「人生の充実」と「志望校に行けるか」等が相反するとは一言も主張してないのでは? 元増田に対して単に「また気が向けば数学に戻れば良い」と伝えたかっただけでは…。 レス主ではないので真意は図りかねるけれども。

コミュ力重視の世の中なら、なぜペーパーテストをやるのか?

子どものころからおしゃべりが苦手だった。休み時間に楽し気にぺちゃくちゃおしゃべりをしている人がどんな話をしているのか不思議しょうがなかった。それでも低学年のとき親友と呼べる人がいて、その子の家に遊びに行ったりしていたけど、彼女が転校してしまってから個人的にそんな付き合いをする相手はいなくなった。その傾向は高学年になっても続き、遠足かに行っても何となくぼっち感が漂い、バスの席を決めるにしてもなかなか隣に座ってくれる人がいないぐらいだった。

でもペーパーテストはわりとできた。特に記憶力がすぐれていて暗記物だけ成績がいいということでなく、中学時代までは数学とかもそれなりの成績を保っていた。でもおしゃべりが苦手なので暗いといわれていじめられた。3年生になってからようやく気の合うメンバーが見つかってそのグループの連中と遊んだりするようになった。

高校はわりと有名な公立進学校に行った。その中に入ると、私の成績なんて大したことはなかった。文系科目はそこそこできたが、理系科目は全然ダメだった。1年生のときから受験意識して塾に行っているようなクラスメートもいたけれど、私は特に大学に行って勉強したいことなんかなかったので、ガツガツと「東大に行きたい」とか「せめて私立なら早慶のどっちかじゃないと」みたいな連中についていけないものを感じた。

クラスメートとはそこそこ上手くやれている感じがしたけど、何となく疎外感もあった。卒業してから私は陰で「変な子」と言われていたことを知った。確かに表面的には優しかったけど、すごく親しくなれてる感じはなかった。皆大人というかうまく表面を取り繕うすべに長けていたようだ。

その後中堅の私立大学に進学。最初専門学校にしようかと思ったけど、親に大反対されたのと、自分のやりたいことをできるサークルのある大学が見つかったので進学することにした。普通私の高校だと私大文系なら早慶ぐらいは受けるものしかったが、入れるかどうか微妙な成績だったうえに、下手に受かると本命校じゃないところに行く羽目になりそうなので、他の人に比べて志望校レベルが全体的に低かった。この安全策のおかげで受験した大学には全部合格した。

大学サークルは楽しかった…と書きたいところだったけど微妙だった。結構うちの学年の人数が多かったので、私は要らない存在だったらしく、人数制限のあるイベントのみならず、普通なら全員出してもらえるはずのイベントでもメンバーから外されることがあった。基本的空気が読めないタイプで、「自分が要らない存在だ」と認めたくなかったので、それでもサークルは止めなかった。同じ学年の連中は優しいというべきか厳しいというべきか分からないけど、容赦なしに世間常識というものを教えてくれる存在だった。高校時代クラスメートと違い、私が変な行動をとれば笑ったし、露骨美人可愛い子に優しく、そうでない女に厳しかった。「どうせ私なんて…」と思ってしまうこともあったけど、「女の子は笑えば可愛いよ」と言ってくれる人もいた。社会人になってからは「こいつ常識ない」とか「こいつ使えない」という判定を下されると黙って私のそばを去っていく人が多かったことを思うと、変に取り繕わずにはっきり言ってくれた学生時代の友人はつくづくありがたかったと今でも思う。

そして半年サークルを休部して、ペーパーテスト重視の職場就職を決めた。私は文学部だったけど、普通法学部出身でないと入れないところにも合格したので、周りにびっくりされた。自分コミュ障で、空気読めないけどペーパーテストには強いんだなとその時も思った。当時は「コミュ障」とか「空気読めない」という言葉世間に流布していなかったので、何となく生きづらさを感じてもそれを表現するすべがなかったけど、変な行動をとって笑われたり、皆が暗黙の了解としていることがさっぱり分からなかったりしたのはまさに「コミュ障」「空気読めない」がゆえの症状だったと思う。

…本題にたどり着くまでに長くなった。人によってはこうやって時系列にだらだらと書かないで、先に結論を書けというかも知れない。就職してからコミュ障空気読めない病ゆえに私の評判は悪かった。先輩や上司が期待していることを察することができず、自分のやりたいように行動したので、宴会の席で当時の課長に「○○(私のこと)さんはいまいちですな。気が利かない」と言われて涙が止まらなくなったこともある。私の同期は優秀だと評判の人が多かったが、中には露骨に私のことをバカにした目で見るのもいた。基本的に口が達者で人脈作りが得意なタイプの人は、私のようなコミュ障かつ空気が読めない人間バカにした。

そんなにコミュ力が高い方が偉くて、空気を読める人が優秀だというのなら、なぜペーパーテストなんかやるんだろう?ある程度頭が良い人を採るためにペーパーテストをやるんじゃないのか?「ペーパーテストができる人」イコール仕事ができる人」でないのは分かるけど、だったら何かしらコミュ力空気を読む力を判定する採用方法を選んで、それで決めればいいじゃないかと思う。

就職からウン十年が過ぎ、当社比では多少世間常識が分かるようになってだいぶ仕事必要コミュニケーションはとれるようになったけど、相変わらず人付き合いや宴会での立ち回りは下手なままである。それでも給料を減らすこともなく、首を切る気配もない我が職場をありがたいと思う。でも、口が達者であちこちに人脈がある方が上手く渡って行けるこの仕事に対する違和感がずっと消えない。自分能力以上の給料をもらっていると思うので簡単に辞められないんだけど、ただ黙々と手を動かしていれば成果があがる仕事があればそういう職場に行きたい。そしてコミュ障でも空気読めなくてもバカにされない世界に行きたい。

2018-03-12

anond:20180307150402

(老婆心ながら少し..)

色々悩むことの多い季節かと思いますが、本当に大切な事は、「他人と比べて才能があるか」や「志望校に行けるか」等では無くて、「人生を楽しめるか」だと思います

数学が好きだったのなら、人生を楽しむ材料の中にまた数学を入れられると良いですね。

数学科に通わずとも数学趣味で出来るし、また気が向いたら数学書(?)とかを開いてみるのも良いかと。

(最近だとtwitterハッシュタグ「#新入生に勧める数学書2018」が流行ってたのでそれも参考になるかも)

2018-03-07

数学から逃げた

京大に行きたかった。

月並み理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。

毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、

難関大学はい不可能ではないだろうと思い上がっていた。

挫折を知ったのは中3の時だった。

数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。

何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。

結局、テストまでに応用問題を終わらせることができなかった。

テスト勉強於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。

高1になって数学は難しくなり、勉強時間の6割近くを数学が占めるようになった。

高1の数学先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。

その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。

そして、得意な英語国語勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。

塾では、学校の「そこそこの良い成績」は全く通用しなかった。

高校受験を勝ち抜いた公立の生徒や、

授業全て寝ているのにセンス問題を解いてしまえる天才

中学受験の時からずっと勉強を怠らなかった秀才

私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。

分かっていたはずなのに衝撃を受け、自分努力不足を悔いた。

私はまさに井の中の蛙だった。

結局、塾の数学テストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。

高1終わりの進路選択、私は私文を選択した。

塾に行ったことで、漸く数学を諦める決心がついたのだった。

偶然見つけた某私大学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語国語を深く学びたいからだというのもあったが、

京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。

からと言って不合格になったとき浪人する覚悟もなかった。

私たちの次年度から大学入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。

公立至上主義の我が校では国公立選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。

京大以外の学校を書くのは無理だと思った。

私にかける国公立大学はなかった。

先ほど、高1最後期末試験が終わった。

数学先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。

3教科受験からと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。

結びに、「数学しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。

それを見て涙が止まらなかった。

私は数学が好きだった。

大好きだったのだ。

何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。

だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、

かなり時間をかけて取り組んだ模試数学偏差値が、殆ど対策をしていない英語偏差値を超えることもなかった。

敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。

自分選択をしたのにもかかわらず、

「私文って楽でいいな」「俺も数学から逃げたい」

冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。

きっと後悔していないのかと聞かれると嘘になる。

でも自分選択が間違っているとは思わない。

なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。

ここからドラマティックに進路希望調査を奪い返すこともできないし、

独学で受験レベル数学をやることも私はしないだろう。

私は、大好きで大の苦手な数学から逃げることを選んだのだ。

2018-03-05

公立中学部活動強制された理由

 名古屋の市立小学校部活動廃止されると聞いたが、

公立中学校はどうだろうか。

 廃止はなかなか一筋縄いかないんじゃないか

 全国的強制部活が始まったのは70年代半ばからだ。

  • 校舎の裏~煙草ふかして~見つかれば~
  • 盗んだバイクで走りだ~す
  • 夜の校舎~窓ガラス壊してまわった

って荒れた中学生が多発した時代になる。

 彼ら彼女らの放課後と土日を「強制管理」する手段として部活が強化される。

中学校当局教師PTA協調しながらの施策だった。

 教育委員会など体制側が主導していたが、

との意味合いもあったから、日教組など左派教師賛同する。

 強制的部活動悲喜こもごもはいろいろと聞いたことがあるだろう。

 自分学校は、全員が部活動強制された。

 しかも、運動系部活に参加しない人間は、まともな扱いをされなかった。

(ちなみに吹奏楽部だけは運動部扱いだった)

 中学1年生の春、歴史研究部に入ろうとすると、

担任教師に「おまえの将来のためにならない」と説教された。

せめて卓球部……とまで言われたが、初志を貫徹した。

 歴史研究部では遺跡の発掘調査に参加して話題になったりとそれなりに頑張ったつもりだ。

 それでも、(運動部じゃないから)「部活動に熱心ではない」と本当に内申点を下げられた。

 志望校公立高へ合格するには、本番の試験リカバリーするしかなかったのを思い出す

 おっさんになると、管理する中学当局教師PTA立場理解できるが、

現場空気が相も変わらずと聞くと、なにか遠い目をしたい気分になる。

 部活動リスクが大きくなり、学校教師本音ではやりたがらない。

 逆に、部活動縮小に反対しているのは、PTAの一部の連中だ。

 そんな話を生で聞いていると、

公立中学教諭にならなくてよかった……」と改めて思う今日この頃です

2018-02-24

安倍首相に感じる不信感

今年現役で受験を終えた。

そんなに裕福ではないので予備校はいかなかったが、バイトもしながら志望校には受かった。

はてなに書いたらバカにされそうだが、安倍首相出身である成蹊よりは上位に位置する大学だ。いわゆるマーチ上位学部

安倍首相学歴

成蹊小学校成蹊中学校成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科卒業

1964年から2年間は平沢勝栄東大卒)が家庭教師

南カリフォルニア大学中退

単にエスカレーター方式から受験という選択肢がなかっただけなのかもしれないことと、当時のほうが受験は難しかったであろうことを差し引いても、あんな恵まれ環境下で成蹊って……って思ってしまうんだけど

これは俺が若くてバカから感じるだけの不信感?

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