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はてなキーワード: 志望校とは

2020-07-03

つまんない平凡で怠惰人生を少し振り返ってみた

私は中学受験をして、結果中高6年間同じ学校で過ごしました。

とってもとっても楽しかったし、落ち着いた雰囲気と優しくて温かい学校で、何の不自由もなくそこそこ沢山の経験も出来ました。

みんなでワイワイ騒いだり、好きなことを好きなだけ体験出来るような場所で、そこそこのレベルのふつーーの学校だったけど私はめちゃくちゃ満足して卒業しました。


話は遡りますが、中学校受験校に対して親は特に何にも言わずに私の好きなように選ばせてくれたので、気に入った学校を4校受験しました。

1校だけ、めちゃくちゃ好きで好きでとても行きたい学校がありました。何より制服がめちゃくちゃカワイイ〜〜!!!

私の理想を全部詰め込んだ、お姫さまみたいな雰囲気の、お淑やかで麗しい学校でした。

普通に落ちました。

ぶっちゃけ、当時の私では背伸びしたようなチャレンジ校でした。

千葉埼玉1月受験で運良くそこそこの学校に引っかかった私が、調子こいて強気に出た賭けのような受験でした。

「志望している」というのも恥ずかしくて、「志望校」というのは隠しているようなレベルでした。

その代わりに第1志望公言していた学校がありました。そこも制服が特徴的で凄く素敵で可愛かったです。

レベル的には行けるか行けないか五分五分………ちょっと盛ったかも。

そこは5年生くらいか意識してた所でした。校舎は古くて汚いけどやっぱり素敵な学校でした。

落ちました。

2回受けたけどサクラが散りきって、何も残りませんでした。

私が通うことになったのはその学校の滑り止めとしてみんなが受けるような学校でした。

全然勉強してなかった私自身としては、それでもかなり満足の結果でした。

制服は超典型的でなんの特徴もなかったけど、小学校友達は「3つの中で一番ここが可愛い」と言ってくれたお陰で救われたのもあるかもしれません。

(制服の話ばっかですみません)

そこでめちゃくちゃ仲の良い友だちに出会えたし、最初に言ったような幸せ時間を過ごせました。

本当に、本当に、なんの未練も後悔もなかったはずなんです。

でも、浪人した今年、そして今日、ふと、本当になぜか突然、「あのセーラー服を着たかったなぁ」と予備校映像授業を受けながら思ってしまいました。

塾の先生にさえ言えなかったあの学校のを、です。

考えてみれば6年間、あのカフスを忙しなく動かして楽しそうにお喋りしてる子や、あのスカート電車で揺らしながら英単語一生懸命覚えてる子、あのタイを下げている子を何度も何度も何度も何度も見かけました。

重そうなスクールバッグを持って歩いている子の背中にあるセーラー襟の校章を眺めるしか出来ないのが悲しくて俯いたところで、自分ボタンの取れたブレザーが目に入るだけなので余計惨めになるだけでした。

チャレンジ校!!多分落ちるけど別に周りにも言ってないし!!!って当時軽〜〜く思ってたけど予想よりも根深かったのか、忘れられませんでした。

中学時代よりも高校生特にまた受験生になってからの方がその想いが強くなったように思います

いつも私は彼女たちを憧れや羨望で見ていたけど、彼女たちはもちろん私なんかが目に入ることはなくて、生涯で一度も交わることはないんだなぁ、とボンヤリ思っていました。

なんかここまで書いたら有識者の皆さんには学校がバレてしまうと思いますが、その学校には姉妹校的なのがあって、めちゃくちゃレベルは落ちるけど別の場所に同じ学校がありました。

制服はあのセーラーです。

当時はそこの受験なんて考えてなかったけど、今朝、なぜか今になってそこの学校でもいいから行きたい気持ちでいっぱいになりました。

やっぱり、あのセーラー服を着たかった。

今まであんまり考えないようにしてたけど、急にそんな欲望が出てきちゃって、7年前のことに未練タラタラ自分うんこすぎて今すぐ流してしまいたい。


ここまで読んでくれてありがとうごさいました。

2020-06-26

anond:20200626143843

それぞれの希望能力に合わせて志望校と志望学科を決めていくのに

「あそこの大学に入っても低学歴から」みたいなことを講師が言うのか?

随分低俗な塾があるもんだな

2020-06-21

偏差値の高いバカの作り方

増田の高3の弟は成績優秀だ。

正確には勉強量がすさまじい。つまり天才というよりは努力家であった結果だ。

弟は早生まれというのもあり、幼少期は割と「知恵遅れ」と評価されてきた人間だった。

そして中学生の頃、テスト悲惨な点数に両親がキレた結果、厳しい塾にぶち込まれることになる。

弟がすごかったのが、その地獄を上手く乗りこなしてしまった所にある。そこで勉強する習慣と楽しさが身についた結果、彼の成績は劇的に上がった。

今までどちらかというと頭が悪い方だったのに、トップレースに参加できるまでになったのだ。

志望校も、最初志望していたA高校から10偏差値の高いB高校に変わった。

最終的にB高校には落ちてしまったが、今は同レベル帯のC高校で成績優秀な優等生として生きている。

そして今、W大学やKO大学を目指して受験勉強中だ。もはやかつての「知恵遅れ」は見る影もない。

だが私は、そこからまれようとしている「お勉強けが出来る奴」の息吹を感じないではいられない。

弟はここまで勉強ができるようにはなったが、勉強以外のスキル特にない。

難しい数学の式を解けるし、英単語をとてもたくさん覚えている。しか日常会話レベル慣用句を知らない。

例えば「味を占める」とか「開いた口が塞がらない」とか「板につく」などを知らないらしい。

「知っといた方がいいよ」と言うと「国語受験科目ではないか大丈夫」と言う。そういう思考パターンで生きている。

これといった特技がない。パソコンが使えない。情報アンテナが弱い。教科書以外の教養を見つけようとしない。

友達が考えた遊びに付き合うだけなので自分から何かを企画することはない。つまり調べない。

もしかしてこいつは、「お勉強けが出来る奴」「偏差値けが高いバカ」……そちらに向かっているのではないだろうか……?

まあ、今は大学受験の事だけ考えるしかないと思うのだが、このままでは大学生になってもこんな調子なのかもしれない。

しか学歴があった方が世の中は有利だ。だが使えない高学歴の行き場はどこなのか?

高学歴就活は、受からなければ会社レベルを下げればいいというものではない。ある程度まで行くと、必要以上にビビられたり、冷やかしを疑われたりして落ちてしまう。

余計なお世話なのかもしれないが、どうしても先達として心配せざるを得ない。

弟はどこから来るのか。弟は何者か。弟はどこへ行くのか。

2020-06-20

玉手箱

僕は普通の家庭に生まれた。虐待やら育児放棄やらとは無縁で、お金持ちでも貧乏でもない、本当に普通の家庭で、何不自由なく育った。

小学校放課後毎日サッカーをし、中学校部活に勤しみ、高校ではサルみたいに騒いだ。何一つ変わったことのない普通の子供だった。

勉強結構頑張った。志望校には合格出来なかったけど、滑り止めのMARCH合格して、今年で3年生になる。

高校勉強に集中するからバイトはしてなかったけど、大学に入ってから毎日のように働いた。それこそ社員さんと同じくらい。

そうでもしないと必要お金が稼げなかったから。学費を稼ぐだけなら月4万円くらい稼げばよかった。奨学金もあるし、少しだけ親にもお金を払ってもらっているから。

でも僕だって遊びたい。サークルにもやたら金がかかる。通学定期代や飯代、生活費必要だ。多い時では、月に16万稼いだこともあった。

ところで、MARCHなんてのは、まあまあの名門大学だと思う。そりゃあ難関国立早慶に比べたら大したことないけど、バイト面接大学名言うと「すごいね」なんて言ってもらえる。そんな大学だろう。

そんなそこそこの名門大学で気付いたことがある。

周りの人間金持ちばっかだ。

ベンツを乗り回す人、常に有名ブランドアイテムを身につける人、老舗和菓子屋の息子、田舎土地持ってる家の人、錦糸町のタワマンに住んでる人、付属高校からエスカレーターで進学してきた人。みんな僕の大学仲間。

大学講義先生が言っていた。金持ちの子供は良い教育(というよりも進学に直結する教育)を受けられるので高学歴になり、いい仕事に就けるため、その結果金持ちになれる。それが繰り返される。逆もまた然り。

なるほどそれなら合点がいく。そこそこの名門大学に来るような学生の家庭はそこそこの金持ちってわけだ。

親の金大学に行き、親の金教科書を買い、親の金で通学定期を買い、親の金で飯を食い、親の金携帯代を払い、親の金サークル活動し、生活費も払わない。それがみんなの当たり前だった。

違う。全てが僕と違う。僕が必死こいてバイトして、バイトして、バイトして稼いだ金を、ねだるだけで手に入れられる人たちばっかだった。

多分、みんなは僕がどれくらい必死になって金を稼いでいるのか知らない。

7日間連続フルタイムシフトなんて出したことないに決まってる。

フルタイム連勤が続いた日の休憩時間で、店長の悪気ない些細な無駄話がきっかけで心が壊れた経験なんてあるはずがない。ましてやそのあと疲労ストレスで高熱出してぶっ倒れるなんて経験も。

昼飯代節約のために早起きして弁当作ったり、スマホ通信量の契約は一番安いやつにしたり、めちゃめちゃ楽しそうな飲み会を鋼の意思で断ったり、そんな経験はないんだろう。

僕は気がつけば、大好きなはずの大学仲間を嫉妬の目で見ていた。

大した苦労もしないでバラ学生生活を送っているみんなが憎らしくなっていた。

人生イージーモードのくせに、ノーマルモードの僕と同じステージにいるのが許せなくなっていた。もし僕がイージーモードだったら、第一志望のあの大学に行けたかもしれない、なんて妄想もした。

でも、みんなのことを嫌いにはなれなかった。みんな愉快で、優しくて、こんな俺でも仲間と認めてくれたから。

から、こんなことを喚き散らかしてはいけないと思った。表に出してしまえば、きっとみんな僕を軽蔑するに決まっている。黒い感情は箱にしまって、押し入れに隠したはずだった。

新型コロナウイルス。こいつのせいで状況が変わった。

バイト先が閉店。収入は月3万の奨学金のみ。新しいバイトを探し、面接を受けては人手足りてるからと落とされる日々。

これでは学費が払えない。こんなご時世だし、生活費は親に頼み込めば融通してくれるだろうけど、サークル活動再開できる状態になったとしてもその時僕は無一文だ。

そんな時に、みんなが色んなものを買っている。ニンテンドースイッチ歌手ライブDVD動画配信のサブスクに加入したりもしている。

僕が学費サークルの出費に怯えてここ数ヶ月1銭たりとも使ってないのに、みんなはそんな心配しないでドカドと金を使っている。

ステイホームでやることがない僕は、暇つぶし掃除をしていると、二度と取り出せないように奥の方にしまったはずの玉手箱を見つけてしまった。

このままでは多分、僕はそのうち箱を開けてしまうと思う。その時は、僕が大学での居場所を失う時だ。

この文章を書いたのは、箱の中身は何なのか、開けたらどうなるのかを確認して、気持ちを整理するため。要は、放っておくと到達してしまタイムリミットまでのただの時間稼ぎ。

根本的な解決は、コロナの終息か、新しい収入源を見つけるかのどちらか。

明日バイト面接結果が出る。

採用されることだけを祈って明日を迎えることにする。

2020-06-18

母の魔術のせいで弟は受験に落ちた

母はスピリチュアルとか超自然的なものが好きだった。

母は能力が低いにも関わらず、自分を大きく見せ、プライドが高い難儀な人種だった。

育ててもらった恩の分は感謝するが、とはいえから目を逸らすつもりもない。彼女短所は「計画性と実行力がなく、面倒がり」である

これは壊滅的だ。つまり何にもできない。

プログラミングに例えると、そもそも設計の段階でメチャクチャで、実装に入るのを数ヵ月渋り、ようやく作ったと思えばやはりバグだらけで、挙句テストを一切実施しないという感じになる。

これでは分野を問わずすべてのことが出来なくて当たり前で、母は何をやってもダメ評価される人間となった。

スピリチュアルというものの何が素晴らしいかと言うと、何の努力もせずして誰よりも知者になれる所である

皆の知らない真実を教えてくれるもの() なので、それを知っただけで、世界の全てを知った気になることが出来るのだ。

世の中本当に霊的な力を持つ人もいるかもしれないが、少なくともそれに便乗している人間殆どはそうではないだろう。

で、まあ母はコンプレックスを解消してくれるそれに、しっかりハマってしまったわけである

ある日私は、怪しげな魔法陣が描かれたカードの上に、弟の名前が書かれた紙が乗っているのを見かけた。

背筋がゾワッとした。この世の深淵と目が合ったような気分だった。

その名前の主である弟は受験期。「学力アップのおまじない」とか「受験に受かるおまじない」的なつもりなのだろう。しらんけど。

私の可愛い弟に何をしてくれてるんだ。おまじない女子小学生消しゴムに好きな子名前書いたりするレベルまでにしてくれ。という憤慨の気持ちが次に湧き上がってきた。

何が違うのか具体的に聞かれると少し困るのだが、50代のおばさんがバカ真面目にこの世の真理ですみたいな顔でやってるのがヤバいのだ。

弟はのちに、受験に落ちることになる。超安全圏、合格確実だと言われていた第一志望校に落ちてしまった。

弟曰く、合否の連絡をした塾の先生学校先生にはことごとく、ありえないことが起こったような顔で見られた、運が悪かったと口々に言われた、と言っていた。

過去問では出したことがないぐらい低い点数を、よりによって当日に出してしまったんだそうだ。

「運が悪かったね」

運という目に見えないものが話に絡んできた瞬間に、私はふとあの魔法陣を思い出していた。

「もしかしたら母のあの奇妙な魔術のせいで、弟は受験に落ちたのではないか……」

そんな馬鹿な考えが頭の中に一瞬よぎった。

その奇妙な魔術を信じている訳ではないはずなのに、冷静に考えればそんなことはないだろうに、うっかり見えない世界肯定しそうになるのは日本人ならではの宗教観なのか。

証明も、悪魔の証明もすることができず、私はただ、あの日のゾワゾワを反芻することしかできない。

2020-06-15

フラれた彼女の家にジーパンを取りに行った話

私が彼女と付き合い始めたのは高校3年の夏頃であった。

私達は受験を控えていたので、付き合ってはいたが頻繁に会うことはなく勉強に取り組んだ。

志望校にことごとく落ち落胆していた私だったが、滑り止めは流石に受かっているだろうと考えていた。

そして、滑り止めの合格発表日が訪れた。その日はバレンタインデーであった。

彼女から渡したいものがあると言われ、私は駅へと向かった。

その駅に向かう途中に私は合否確認を行った。結果は不合格であった。

私は浪人を決めた。

彼女と会うとチョコレートを渡された。「ありがとう」と私は言った後に、浪人する事を伝えた。

すると彼女からこう言われた。

「私はもう進路決まりました。残念ですが、別れましょう」

そうして彼女は帰りの電車に乗って行った。


人生で初めてフラれた私はひどく動揺した。

もらったチョコレートチャリを漕ぎながら道端にぶん投げた。

そして私と彼女との関係は終わった。


浪人生活が始まってしばらく経った5月頃、彼女から連絡があった。

「やっぱりよりを戻したい」

アホな私は承諾した。

高校時代彼女とはプラトニックな付き合いをしていたが、気がつけばそのような関係性も終わっていた。

行為というのは完全に脳をアホにするのかもしれないと当時の私は真剣に思うほどであった。

夏までは猿のように性行為に勤しみ、それに反比例するように私の成績は落ちていった。

流石にまずいと感じた私は、9月頃から彼女と会う回数を減らしていった。

受験が終わったらたくさん遊ぼう、今は勉強に全力を出すよ」

こんな事を彼女に伝えながら1ヶ月に1〜2回程会っていた。


そして年が明け、センター試験まであと1週間といった頃、彼女から連絡があった。

「新しい彼氏が出来たから、別れてほしい」

その時の私は怒りというよりも、もうどうでもいいという気持ちの方が強かった。

センター試験前に動揺させるような事をしやがってというぐらいの気持ちであった。

ただの学生浪人生の付き合いであったので、家の鍵を渡しているような事もなく、私はスムーズに承諾するはずであった。

しかし、私は急にその存在を思い出した。

ちょっと待って、ジーパンを取りに行っていいか?」

私は小柄な男性なので、彼女ジーパンを共有するほどである

彼女が私のそのジーパンを気に入り、自分ジーパンのように履いていたのだ。

「いや、もういいでしょ。ジーパンはもうしょうがないと思って。彼氏も今家にいるし。」

「いや、ダメだ。今からジーパンを取りに行く」

私は彼女の家に向かった。

すると途中で見知らぬ番号から電話がかかってきた。

「おい!お前気持ち悪いんだよ!家に来んなよ!」

恐らく彼女の今の彼氏だろう。

「俺はお前に用ない、ジーパンを取りに行くだけだ」

電話は切られた。

そして彼女の家に着いた。

見た事もない軽自動車が止まっていた。その車のフロントガラスの内側にキ○ィちゃんぬいぐるみが置いてあった。

私が今に至るまでキ○ィちゃん人形を見ると殺意が湧くのはこの為である

彼女から電話が入った。

「私の自転車のカゴにジーパン入れてます。取ったら早く帰ってください」

私はジーパンを手に取ると安堵した。

彼女と新しい彼氏は、窓から私を見ていたのかもしれない。

私が本当にただジーパンを取りに来ただけである事を確認して安堵しただろうか。

彼女文句を言うでもなく、新しい彼氏に殴りかかるわけでもなく、私はただジーパンを返してほしいという気持ちであった。


帰り道になんだかよくわからない政治家ポスターを見ていると、思いっきり蹴り破りたくなった。

しかし私は思いとどまった。そういった行為は罪に問われる事を思い出したのだ。

「俺はもうジーパンを取り返したんだ。今後の人生をより良いものにしてやる」

そんな事を思いながら帰路に就くのであった。

こんな事が起きてしまったのか自分学力足りなかったのか、センター試験の結果は散々であった。

しぶしぶ国立大学は諦め、私は私立大学赤本を開くのであった。


その彼女名前は果穂という名前であった。

anond:20200615212716

東アジア系ってだけで、志望校みて、あー無理だねーって言われるのとかほんとクソだと思うわ

でもこれと同じことが日本医大女性差別とかで起きてんだよな、しかもヒドゥンで。

2020-05-14

自分高卒なのに子どもは優秀になると思ってる母親の頭の中

俺の能力勘違いしちゃった母親中学受験させられて嫌だったな。大人に「勘違いすんなよ」とか言われたりするのも嫌だった。

俺は勘違いなんてしてないよ。井の中の蛙だってわかってたよ。でも母親は「今に見てなさい!」みたいな感じだったな。受験するの俺なのに。

からない問題を聞いても親も分からないので「もういいよ」っていうと「教えてもらってるのに態度が悪い」と言われて怒られた。

俺が「どうせわかんないでしょ」と思ってたのが原因だと思う。親は解説できないから高い金払って塾の補習塾である個別指導塾に入れられた。

そこの授業が終わるといつも「どうだった?わかった?」って聞かれるから「わかった」って言ったら「あの女全然やる気なかったじゃない、ダメ先生の時ははっきり言いなさいよね」って怒られた。

塾のテストの日程を全く把握してないのをめちゃくちゃ怒られた。やる気ないのに覚えてるわけない。

自分の部屋ないからみんながテレビ見てるところで勉強してた。自分たちはテレビ見てるのに何でおれだけ勉強やらなくちゃいかないのかなと思っていた。

6年生の夏くらいに突然給食が食べられなくなって一週間学校を休んだ。病院に行ったらストレスと言われた。

それから塾に行く前に吐き気を催すようになった。塾に行く時間がちょうど水戸黄門が始まる時間だったので水戸黄門が始まると気持ち悪くなった。

塾を休むと元気になったのでよかったと思っていたら「何よあんた親を騙してたのね」と言われた。

つの間にか志望校慶應になってた。全然知らない学校だったのに。親が行かせたかったんだと思う。結局塾から無理そうと言われて受けなかったけど。

それで東京進学校MARCH付属中学に受かったんだけど母親に「えーMARCH?」みたいなこと言われて行かなかった。

中学受験母親おかしくなったのは怖かったな。母は今だに過干渉だけど昔よりはましになったのでよかった。

あと親父に昔の話を聞いたら親父も親に塾行かされててみんなとサッカーできなくて嫌だったとか言ったのでじゃあ俺に同じ事させるなよと言った。そしたら「うーん」って言われた。

にゃーん

2020-05-05

弱気お姉ちゃん退部届

私には三つ下の妹がいる。私が幼かった頃、妹はそれより三つ幼かった。



私はお姉ちゃんだったけど大切なおもちゃを妹に譲れなかった。お母さんのだっこの順番を譲れなかった。いつだって私はピンクや赤を選んだ。妹がいつも後ろをついて歩いてくるのが嫌だった。スーパーに行った時、いきなり走り出して妹を撒いたこだってある。

でも妹はしばらく私を追って見つけられないと分かれば私がお母さんの元に戻った時にはもう既にお母さんの横にぴっとりとくっつくようにしてそこに立っていた。

それでも妹は私を「お姉ちゃん」と呼び続けてくれた。

そんな妹が受験を終えて今年の春、とうとう高校生になった。三つ小さかった妹は幼い頃と変わらない顔つきで背だけが伸びた。




受験生だった頃の妹はコップ1杯分ほど飲み残したペットボトルを床に置き、脱いだ服を脱いだ形のまま床に捨て、また新しい炭酸飲料を開け、またコップ1杯分残したペットボトルを床に転がした。

真夜中でも日も昇らないような早朝でも時間を構わず家の中で鳴り続けるアラームの音は睡魔に負ける寸前でも再び起きて勉強をしようと妹が設定しているものだった。しかし、そのアラームの音が止められることはなかった。なぜなら起きないのだから

可愛かったはずの妹を心の底から鬱陶しく感じた。

それでも妹は受験生だったかストレスもあるだろうと姉として妹の支える立場だと気を強く持ち、妹にとっても私にとっても残りわずかの辛抱と思い、耐えることにした。



そして待ちに待った3月。妹は志望校から一つランクを下げた高校合格した。

合格発表の日、照れくさそうな晴れ晴れとした表情で受験番号の横に並ぶ妹を写真に収めながらこれで何もかも大丈夫になると思った。

ところがストレスから解放された妹はどこかに出かけたいあれを食べたいこれが欲しいと常に駄々をこねた。

私はそれでも妹にとって優しくて何でもできるすごいお姉ちゃんであり続けたくてアルバイトで稼いだなけなしのお金で妹を色々なところに連れていき、色々なものを食べさせた。

少しは欲しいものも買ってあげた。

私が「どう?」と聞くと妹は「おいしい」と答えた。時には「楽しい」と答えた。そのくらいだった。

それでもたまに遊びに行くのを断ると妹は不貞腐れた。

喜んでもらいたくて良かれと思ってやっていたことが妹の中では当たり前になっていた。連れて行ってもらって当たり前。買ってもらって当たり前。



真夜中に友達とギャーギャーと盛り上がりながらテレビ電話をする妹の声を聞いて、四六時中入学祝いとして買ってもらったスマホにかじりついて声を掛けても返事すらしなくなりただ液晶の光に煌々と照らされ続ける妹の顔を見ていたら、もう私の「かわいい妹」じゃないんだなって思った。



長く続いた私のお姉ちゃんごっこに終わりを悟った。



キッチンから食卓に運んだ箸やご飯茶碗や食器を配膳しようとしない。食べた後の食器はつぎの朝まで食べたまま。何度言っても直らない飲みかけの炭酸飲料を床に置く。最近はそれを私のせいにしようとしたりする。目覚ましを一度止めた後スヌーズにして1時間近くも10分間隔で鳴らし続ける。到着時間に家を出るくせに「遅刻したら怒られる」と車を運転する母を急かす。壊れた笛のような鼻歌を同じフレーズを繰り返して歌い続ける。自分が悪いときでも絶対に謝らない。謝るようにしつこく言った時でもお笑いコンビの響のような謝り方しかしない。他にも嫌いなところはもっとある。



正直今まで何か一つやってあげた分、一つ見返りを求めていたけどもう何もしてあげないし何も期待しないことにする。

そう言ったら「ゴメンネ」「これから頑張るから」と言われたけどその後、洗うように頼んだ皿が朝まで手付かずのままシンクに横たわっているのを見て「何がこれから頑張るだ」と妹が洗わなかった皿を代わりに洗いながらこれを最後にしよう。これから妹の使った食器は洗わないことにしよう、と自然と思えた。妹の分の食事も用意しないし、妹が返事をしないなら私だって返事をしない。私が妹にしてあげられることなんて何も無いんだから



私が妹のお姉ちゃんじゃなくなったら私はただ妹より3年分多くご飯を食べているだけの人になるけどそれでもいいよ。



もう妹には何もしてあげない。

妹がいなかったらもっと楽だったのにな。



お姉ちゃん辞めたら私、何になろうかな。

2020-05-03

受験生が刀ミュに人生を救われた話

刀ミュに人生を救われている受験生です。

そもそも、今まで「ミュージカル刀剣乱舞」という作品に対して「刀剣乱舞キャラクターの服を着た人が歌って踊る」くらいの認識しかなく、むしろ世界を守るために戦っているのに歌って踊っている場合なのか?」と思っていた。

そんな私が刀剣乱舞ミュージカルを見て楽しめるのか? と訝しながらも、刀ミュガチ勢友達が薦めてくるのでせっかくだからと見てみることに。

結果、最高。

本来「モノ」であった刀剣が肉体とこころを持ってしまたことで生まれ葛藤、死んでしまった主に再会できたことに喜びながら、でもここに派遣されたということは主の最期を見なければならない、幸せ時間うたかたの夢であることに気付いている刀剣男士の苦しみ……。歴史の渦に翻弄されながらそれでも『生きた』人たち……(しんどい)。

それと対照的に、第二部や真剣乱舞祭の圧倒的なエンターテイメント性……。キラキラしてる……。あんなにキレキレで踊ってるのになんでめっちゃうまい?????? 私と同じ生き物ではない。

すっかりファンになってしまった……。「イケメンが歌って踊ってるだけでしょ」とか言っててすいませんでした。靴舐める

しかも、現在進行形でこのコロナ騒動翻弄されている受験生の私にとって、特に救われたことが二つあった。

まず一つ目。

現在私の学校集団授業再開のめどが立っていない。三月一日から授業ができなくなり、そこから一度も授業を受けてない。映像授業もようやく再来週から始まる状態で、できることといえば週に一度だけ配布される課題を黙々とこなすことだけ。私は予備校映像授業も受けていたのでまだラッキーだったけど、ほんっとに……ほんっとに虚無(でも私の学校はまだしっかり対応してくれてるほうだと思う)。

 一日中パソコン映像授業を受けているのでターゲッティング広告がすべて東進予備校になった。「模試受けませんか?」ってもう受けとるっちゅーねん!!!!!

しかも私、ちょっと変な大学に進学しようとしてるので、予備校の授業を日本史しかとってない。学費クソ高いからこのままじゃ進学できるかもわからんのに毎日毎日日本史勉強する日々……。

「お前は王族の血を引いてるから」ってわけわからん滅んだ国の文字勉強させられてる在りし日のムスカ大佐に異様に感情移入してしまう。

しかし、ミュージカル刀剣乱舞を見た瞬間……。

読める、読めるぞ!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)

阿津賀志山の戦い戊辰戦争姉川の戦い、長篠合戦……。

文字戦果の羅列でしかなかった歴史が、ミュージカルのおかげで色づいた。ムスカがあそこであんなに興奮してる気持ちが痛いほどに分かった。だってこれ進研ゼミでやったもん。

みほとせの部隊が竹千代保護して最初にするのが『城の修復と日々の記録』ってめっちゃエモいな(家康征夷大将軍になって最初に行ったのが江戸城造成と郷帳、国絵図の作成)」

とか、

「結びの響、はじまりの音によってもたらされた変化は、みほとせであれだけの祈りをもってもたらされた泰平の世を塗り替えるものなのかぁ」

とか習った歴史を思い出しながらしみじみできる。む、報われた……。日本史勉強しててよかった。

個人的に、榎本武揚五稜郭籠城中、榎本が秘蔵していた国際法研究書を「これから日本に役立つものだ、戦火の灰にしてはいけない。これから日本に役立ててほしい」となんと敵方である幕府軍黒田清隆に送ったエピソードがすごく好きなので、ミュージカルあんなに魅力的な人物にえがかれていて納得しました。そりゃ黒田も感動して助命嘆願するわ……。

黒田清隆死刑にするべしと言われていた榎本を救うために坊主頭にしたんですよね。敵であった人物にそれだけさせるだけの説得力があった。

しかも、戦火の灰にしてはならない、と言うってことは榎本には五稜郭戦場にする覚悟があったってことなんですよね。そんな覚悟をさせるだけの土方歳三……流れ星を見つけ流れ星のように生きた男……。

話が脱線した。

でも、それだけミュージカル刀剣乱舞は魅力的でした。最高。日本史勉強しててよかった、って思えてよかった。ありがとう大学受験はどうなるかわかんないし、志望校受験できるかわかんないし、高校さえいつ始まるかわかんないけど、それでも日本史勉強してたから私はこのミュージカルをたくさん楽しめた。

ならいいや!!

二つ目

私の学校、春に運動会夏休み明けに学園祭があるんですよね。

運動会はほぼ練習終わってるし、学園祭夏休み中に劇の練習があるので、夏休みが無いと言われている現状、開催が絶望的。もっと言ったら友達引退ライブもたぶんできない。

つれ~~~。ほんとならライブハウスを貸し切って、めちゃめちゃモッシュして最高に盛り上がるはずだったのに。

でも!! 

ミュージカルを観て、舞台の上にいる誰かの真剣な顔を見てはっとしたり、真剣乱舞祭でキラキラしてる誰かにキャーキャーしたり、なんかそういうので『『青春』』成分を補給できた気がする。

そりゃ、何か月も稽古をして、それが本業俳優さんと同級生を同列に語るのはとても失礼だけど、でも、二か月も友達としゃべっていない虚無虚無プリンな今の私に一番必要だったのは、友達と一緒にかっこいい誰かにキャーキャー騒げる、そういう他愛ない時間だったのだと痛感した。

もう、ぼろっぼろに泣いてる。アホほど感動している。

私、全然刀剣乱舞知らないんだよ……言っちゃえばミュージカルがほぼ初見なので、キャラクターとしての彼らをあんまり知らない。え、ゲーム内の彼らは歌って踊らないですよね……。刀だもんね……。

のに、刀剣男士が、主を、仲間の刀剣を、歴史を、どれだけ大事に思っているか

主とともに紡いだ歴史とともに、自身をどれだけ誇りに思っているか

そして主(審神者さん? とにかく観客席の方たち)がどれだけ刀剣乱舞というコンテンツを愛しているかがビッシビシに伝わってくる。ミュージカル観ただけなのに。素敵なジャンルだ……。

長くなっちゃったけど、最高でした、ミュージカル刀剣乱舞

受験終わったら円盤買いますね。年末にはコロナ渦が収束してたくさんの審神者さんたちがまた騒げることを願っています

最後に昨日「三百年の子守唄」の見どころを友達に聞いたところ、「ファンサのとき良い匂いがした村正」と言われた。

どう味わえと。

2020-05-02

[]anond:20200502065319

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

2020-04-27

知らない間に姉が虐待されてたっぽい

会社の先輩と話してて気付いたっていうか教えられたっていうか。

うちの家系は男主義というか田舎によくある男なんだからというタイプの家なんだけど昔から男の子でしょ」「お前は男なんだから」って言われるし、姉は女だからこんなの言われなくていいよなとか思ってた。

父方の親族も母方の親族もその傾向はあったけど、どっちかっていうと母方の方がまし。

途中で離婚して俺も姉も母方のほうに引き取られたから、そういう扱いもだいぶ減った。

姉はすげー気が強くて、あれこれ口うるさく言ってくるし、だいぶわがまま人間で俺はすげぇ苦手だった。家を出て行った時はすっきりした。

姉が家を出て行って連絡なんてほとんど取らないし、たまに用事があって家に来ることがあっても挨拶もしない。

お互いもう大人だしって過去のこと受け流すには面倒な記憶が多くて、すげぇ微妙距離感で過ごしてる。

姉が虐待されてたっぽいって知ったのは、ついこの間のことなんだけど。

先輩とリモート飲み会してる時にたまたま家族の話になって、それで知った。知ったって言ったところでこれを書きながら「本当に虐待なんてものがあったのか?大げさなんじゃないのか?」って気持ちの方がでかい

俺にとってその先輩は尊敬してる人で今の職場でめちゃくちゃお世話になってる。

プライベート遊んだりすることはなかったんだけど、リモートだしやってみるかってことでお互い飲みながら楽しく会話してた。

お互い家族の話とかして、こういうこと話したこと今までなかったし、と酒の勢いもあって愚痴半分で姉の話をしたのがきっかけだったと思う。

「俺の姉はろくでもない人間なんで、正直嫌いっすねww」みたいなノリで話してて、昔にあれこれ言われたこととか、そういうのを話してるうちに、最初は笑って聞いてた先輩が相槌打たなくなった。

ほろ酔いで先輩のそういうのに全然気付けなくて、「姉には相当八つ当たりとかされましたし、俺は姉に虐待されてたようなもんっすよww」て言った瞬間に「いや、虐待されてたのはお姉さんでしょ」って言われた。

俺の話を聞いてなかったのか?と一瞬思ったけど、冗談だと思って「いやいやww」て言ったら先輩は少し黙ってから「その話はこれ以上笑って聞けないから別の話にしよう」って言い出した。

まぁ聞いてても楽しい話じゃないだろうしってことでちょっと気まずい空気になったけどお互いに話題をかえてまた話してた。

だらだら話して空気も元に戻りはじめたころに、先輩の言ったことが気になってっていうか納得いかなくて「話戻していいですか」って聞いて許可を取ってから「姉が虐待されてたってどういうことですか?話の流れ的に俺が姉に虐待されてた側だと思うんですけど」って聞いた。

先輩はすごい悩んで「たぶん増田くんが聞いて楽しい話じゃないし」「断片的に聞いただけだから断言もできないし」とか色々しぶってた。

「先輩が感じたことを聞かせてくれればいいです」って俺が言ったらなんとか話してくれた。

俺が先輩に愚痴った話の中で先輩が感じたことだ。

■俺の愚痴母親は何も言わないしむしろ俺に甘いんだけど、姉がうるさかった。母親が甘いか反抗期とかなかったですもん」

→先輩の意見「それはお姉さんが母親の代わりをしてたんじゃないのか。世話になった記憶はないのか」

→俺(世話になったことあるな。いやでも家族だしそんなもんだろ)

■俺の愚痴「姉は塾に行ってやっと底辺高校の俺にむかついたんですよ。自分だって同じ底辺だったくせに塾行かずに行けたからって口うるさいんですよね」

姉は俺に口うるさかった。その中でも高校受験大学受験の時がやばかった。

俺は馬鹿で塾に行ってやっと底辺高校に行けるレベルだったんだけど、姉はその高校には塾に行かずに入ってた(滑り止めの私立にいけないっぽいか志望校落とした?みたいな話は聞いた)

→先輩の意見「お姉さんは塾に行かなかったんじゃなくて、母親に行かせて貰えなかったんじゃないのか?」

→俺(そんなことないだろ。進研ゼミみたいなのやってたし)

■俺の愚痴大学受験の時も母親に「男の子なんだから大学出て」って言われたか受験しましたけど、俺は大学行く気なんてなくてわざと落ちたんですよねwwそれ姉に言ったら自分だって大学行かずに専門選んだくせにむちゃくちゃ怒られてうるせぇって思いましたww」

→先輩の意見「お姉さんは本当に大学に行かないという選択をしたのか?親に言われたり、家計のことを考えたりして行けなかったのではないのか?」

→俺(そういや大学受験勉強してた気がする)

■俺の愚痴受験費用いくらかかってると思ってんのとかって怒られましたね」

→先輩の意見増田くんとお姉さんの年齢差でお姉さんは金額を知ってて増田くんは知らない。それはお姉さんが母親からお金相談をされていたのではないか?親が子供に「お金がない」とか「お前にいくらかかってる」とかいうのは金銭的な虐待の一つ」

→俺(へ~虐待なんだ~。姉はバイトしだしてから家にお金入れてたな。俺はいれなかったけど)

□先輩の質問「お姉さんに守られたり、面倒見てもらったりした記憶は本当にないか増田くんが「男なんだから」と言われて育ってるってことはお姉さんは君の知らないところで「女の子なんだからお姉ちゃんなんだから」って言われてる可能性が高い」

→俺(八つ当たりもされまくったが、やばいときに面倒みてもらったこといっぱいある。母親がいないとき朝は早起きして弁当作ってくれたこととかある。他にもなんか、言われてみれば確かに?みたいな。いやでも俺に八つ当たりしていい理由にはならなくね?)

■俺の愚痴「姉が家出て行ってから母親かもめっちゃ俺に姉の愚痴いいますもん。やっぱ姉はクズなんですよねww」

→先輩の意見「お姉さんがいる間は、母親はたぶん増田くんの愚痴をお姉さんに言ってた思う。だからお姉さんは君にあれしろこれしろって言ってたのではないか

→俺(それは知らないからわからない)

他にもいっぱい「もしかして?」と思うことはあったけど、印象に残ってるのはこんな感じ。

正直先輩の考えすぎだと思うんだけど、先輩の家もお姉さんがいて似た様な状態だったらしい。それで、お姉さんは結婚して先輩たちと離縁?したとかでもう連絡も取れないんだと。

最後にお姉さんと会ったときに今までなにも言わなかったのに、泣きながら色々暴露されて先輩も「何言ってるんだろう」ぐらいの感覚だったらしい。

時間が経って実の親にそれとなく確認したら全部本当で、(でもでもだって、とかで全部先輩を理由にされてぞっとしたらしい)俺も俺の母親の行動も自分たちと被ってどうしてもそう聞こえてしまうとのことだった。

全体的な先輩の意見は「増田くんも虐待されてる被害者の一人だけど、お姉さんも被害者だと思う」「お姉さんのことを加害者だって言うなら、置かれた状況に気付いてない増田くんも加害者だよ」って感じだった。

自分から聞かせてくださいって言ったから「わかりました」みたいな感じで話を終わらせたし、先輩とはその後も別に普通で変わりなくやってる。

でもやっぱ納得いかないんだよな。俺は悪くないし、姉が虐待されてたとか思えないし。テレビでみるようなやつとかはなかったし。

俺は悪くないだろ。姉が悪いだろ。

2020-04-15

せっかく義務教育の中で志望校偏差値という人間の選り分けを行ってるのに

地域企業趣味といった枠組みでまたごった煮に戻すのはもったいない

知能に差があるとコミュニケーションコストが跳ね上がるのだから、話が通じるもの同士で集まるべきだし、

そうすることで知能が低くても生き残れる可能性が上がるのだからかえって多様性担保される

2020-04-14

貧乏人の無駄努力

貧乏ってのは生きる事に対して怠惰な奴の成れの果てだ、と思う。休暇中なので、つらつらと思うところを書いてみたい。

貧乏自業自得だと言うと、「頑張ってるのに報われない」と言う反論が返ってくるけれど、貧乏人が努力して生きているとは思ってはいない。


必ず報われはしないが、報われる可能性がある努力ってのは、未来に向かって積み重ねる行為なのだけれど、

貧困特集した番組なんかでフードバンクに集う人々や生活保護の人々の努力は違う。

貧乏人が言う「頑張って来たのに」は、私から見たら単なる時間の切り売りでしかない。

いくつも仕事を掛け持ちしたのに報われない、だとか

毎日遅くまで働いてるのに報われない、だとか言うが、

仕事の中で積み重ねていないのであれば、時間あたりの労働力を切り売りしているだけでしかなく、付加価値存在しない。

若くなくなったり、健康問題が出たり、景気が悪化したり、切り売りする時間価値が下がれば

安く買いたたかれたり、そもそも時間を買ってはもらえなくなって貧しくなるのが道理だ。

時間を切り売りしたい人は世の中には幾らでもいる。



積み重ねる努力の例としては、受験勉強が分かりやすい。

志望校偏差値目標に定めて、今日より明日明日よりも明後日、と一つでも多くの知識を積み重ねていくのが勉強だ。

時間の使い方の上手い下手はあったとしても、どんな人間でも、積み重ねた分だけ目標に近づくことに変わりはないだろう。

しかし、極端な例えだけれど、毎日毎日、同じ英単語だけをノートに書き続けたらどうだろうか。

そこまで極端ではなくても、英単語を何千と覚える事に必死になって、それ以外の努力をしなければ英語の成績はあがらないし、

文法を覚えたり、長文を読んだり、文章を書いたり、英語を使うために必要努力をしなければ目標には届かないことは自明だろう。

無駄勉強と言える時間の使い方があることは、高校大学受験勉強経験した殆どの人に納得してもらえるはずだ。



人生においても全く同じことなのだけれど、まるで英単語をひたすら覚えようとするように、

無駄時間を費やして生きている人が沢山いるのも現実だ。そういった人々が貧困に陥ることを、私は当たり前としか思わない。

少し話は変わるが、私が大学生だったころに、頼まれ警備員アルバイトをひと月ほどしたことがある。

棒立ちで突っ立って車の誘導をしてる時間は、無駄の極みでしかなかったし、そこで得たことは「これが仕事になるまで落ちたら終わり」という危機感だけだった。

私にとっては、とても辛い時間の使い方でしかないのに、それを何十年と繰り返してる人も勿論いた。

そういう人生の大先輩の話題はと言えば、パチンコ風俗しかなく、人生で何千万円を無駄に使ってきたかというのが武勇伝だったりする。

私には、もし彼が病気怪我をして、時間を切り売りできなくなった時に、生きていけるだけの積み重ねたもの存在するとは思えなかった。



私は病気のために高い可能性で将来的には障碍者とみなされる可能性があるので、危機感が強いかもしれないのだけど

世の中の多くの人々は、未来を見据えたうえで必要なパーツを積み上げていく努力をしてると思う。

5年後の未来自分がどうなっていたいかって目標を設定したうえで、キャリアを積み重ねていくのは自然な事だと思うし

多くの人が未来を見据えて積み重ねてる中で、時間を切り売りするように働いている人々が行き詰ってしまうのも自然な事だと思う。

何億も稼いだり、世界的に著名な人間になることは本当に才能がなくては出来なくても、

私のようにせいぜい1千万~程度稼ぐくらいなら、特別な才能を持たずとも誰にだって出来るし、

実際、どんなに酷い環境で育っても、正しい努力をする人はいるが、他人のせいにして楽したがる人もいる。

時間を切り売りするだけではなく、ごく普通に成長して、世間並みに生きていくために必要となる程度の

最低限かつ正しい努力を怠ることは、とても生きる事にたいして怠惰なことだ。

まして生活保護給付されたその日のうちに大部分をパチンコに費やすなんてのは、ほんの数日先の未来すら想像せず、生きることを放棄してるとすら思う。

今回のコロナ騒動では、ちょっと先の未来、二つくらい先の結果を予測出来ず、誰かのせいにして恐怖や鬱憤を解消しようと

短絡的な不満を言う人々が目に付いてしまうのが残念だなと思う。

目先の10万を求めて、商売が困窮している人や自分を含む全体の利益未来想像しない。だから、君たちは貧しいのではないのかい

2020-01-31

中学受験子どもと取り組んできて本当によかった

明日から東京中学受験がはじまる。

うちは子どもが3人。今年一番下が受験で、それが終わると我が家中学受験が終わる。

の子の時から数えると10年くらい断続的に中学受験に関わってきたが、子どもと一緒に受験に取り組んで本当によかったと思ってる。

今日が一緒に勉強できるのも最後かと感慨深くなりながら、ここに駄文を書き殴ろうと思う。

私は男40代地方出身で、小中高は公立

大学国立大学に行けたのでありがたくも「私立」とはまったく無縁だった。受験はしたけれど。

社会人になり地方都市で働いていてそこで出会った今の奥さん結婚

子どもが生まれて一番上が3歳くらいの時に東京に転勤。それから転職などもしながらずっと東京に住んでいる。

子ども小学生になると、まわりから中学受験の話が聞こえるようになってきた。

自分も妻も地方出身公立あがりだったから、私立受験ってまったくピンとこず、しばらくは「公立で十分だろう」と考えて流していた。

でも3年生後半になってきて、妻が色々調べだすとどうも住んでいるエリアでは公立があまりガラがよくなく、いけるなら私立がいいのではというように夫婦間でも変わってきた。

ただ、この頃の自分は、仕事に謀殺されていたのと、週末も自分時間を優先させていて、あまり家族に関心を向けていなかった。

から当時受験のこととかは妻が色々考えて悩んでいて、相談されたときに「まぁ、それでいいんじゃない」みたいな感じだったと思う。

まあ平たく言えば、なんとなく家庭は維持していて、子どもに対してそこまで関心がなかったという感じか。そういう男親けっこういるんじゃないかな?

表面的には家族は維持していても、深く関わっていないというか・・・そもそも日中仕事でいないし週末もどこかに出かけてしまえば関係性は薄くなるわな。

そして上の子が5年生の夏の頃、一番下がまだ幼い我が家では、妻が上の子受験でピリピリ、幼い一番下の面倒をみながらも、私はあまり家族に関わっていなかったから、妻がついに切れた。

離婚をつきつけられ、家を追い出される。

まあ、今思ってもそりゃそうだ。仕方ない。本当自分勝手すぎたなと思う。

で、しばらく離れて暮らす中で私自身も反省し妻に謝罪

それでも一度切れた妻はなかなか落ち着いて話を聞いてもらえなかった。

で、成績がなかなかあがらないし、やる気も見せない上の子について、「俺が絶対からせる。俺がついて勉強見る」といって私の中学受験スタートした。

中学受験経験はなかったが、勉強をみている中で、

「なんでこんなのがわからないんだ?」「やるきあんのか?」など勉強を見ながらイライラすることばかりだった。

でも、受からせるって啖呵きった手前、泣かしながらも維持になって勉強を見ていた。

具体的には会社にいく前の時間と週末の夜。

これまでは自分時間として使っていた時間子どもとの勉強時間になった。

しばらくは自分時間不自由さにイライラばかりしていた。

周囲の友人は週末有意義に過ごしてる。でも自分・・・とかね。今となっては既婚子持ちが何言ってるんだと思うけれど、当時はそう思っていた。

それくらいそれ以前が無自覚父親無自覚旦那だったんだな。

そんな生活が1年たち、上の子受験を迎えた。

本命校は本人の偏差値からはとてもチャレンジングな学校だったけれど、なんとか少しずつ成績があがっていき、あとひと伸びで届くかもしれない・・

くらいまで成績があがってきたか最後の数ヶ月は自分必死だった。絶対からせるって啖呵きったのが残っていたし。

本命の発表・・・結果は不合格

自分が思っていた以上に自分自身が落ち込んだ。

もしかして自分受験していたんじゃないかって思うくらい悔しくて落ち込んだ。

その様子を見ていた妻から

受験してあなたがよかったんじゃない?あの子のためにそんなに落ち込むなんて、それだけ真剣に向き合ったってことなんじゃないの」

と言われてハッとした。

受験を通じて確かに子どもとずっと向き合ってきた。真剣に向き合ってきた。

ああ、そういうことか。それ以前の自分家族をみている大事にしていると言いながらも、こうして本気で向き合うってしてきてなかったなって気づいた。

一番上は第二希望学校に無事入れて最初受験が終わった。

それから数年経って、真ん中の子受験がはじまった。

真ん中はそれなりに真面目にコツコツ取り組むタイプだったし、他にスポーツとかもやっていなかったから、4年生から都内で有名な受験SAPIXに入れた。

SAPIXは知っているひとはしっている通り、宿題が多いし競争もはげしい。

ちなみに上の子最初SAPIXに入れたけれどついていけなくて途中でやめた。

真ん中はどうかと様子をみていたけれど、クラスは決して上のほうではなかったけれど、最後までくらいついていった。

SAPIXに通っていても上の子と同じように朝勉強をやった。

特に最後11月から1月はこれまた本気モードテキストの中からやる問題を選んで一緒にとき直しをして取り組んだ。

から絶対無理だから志望校を下げろと言われていた本命学校合格し、今元気に通っている。

このときも、本命に受かったときは本当に嬉しかったし、一緒に喜んだ。あの感覚もまた、真剣に向きあったからこそなんだろう。

そして今年下の子受験

の子は決して勉強には向いておらず、器用でもない。

SAPIXなんてとても入れずついていけるはずもないくらい。地元の補習塾に通わせながら受験をすることにした。

上2人に比べると、受ける学校偏差値は低めだし、勉強時間も少ないかもしれない。

でもその分違う才能が上二人よりあってその道を伸ばして欲しいと思ってる。

そういう子には受験ってあまり向かないんだよね。でも中高6年間にそれに没頭できることも考えると、受験もありだと今は思う。

勉強が苦手な下の子だけど、今では真剣に取り組み、明日本命校に向けて努力を積み重ねてきている。

ここでも朝の勉強は続けていて、叱ったり、泣かせたり、模試のたびに喜んだり、そうしたことをこの1年続けてきた。

そんな日々ももう終わる。

結果は明日以降の試験次第だけれど、3人の受験一緒にやってきて思うことはいくつかある。

まずは、子どもはみんなそれぞれだということ。

同じ親からまれ、同じ環境で、同じように育ててきたつもりでいても、みんなバラバラ

意不得意もバラバラだし、向き不向きもバラバラ

受験勉強を通じて三人三様人格に深く触れられたことはとてもよかった。

次に、学校偏差値なんてどうでもいいなということ。

子どもにあった学校ってなにも偏差値の高いところばかりじゃない。

そこしか目指せないのはもしかしたら子どもと向きあいきれていないのかもしれない。

偏差値が高くても環境いまいちなところ、偏差値が低くても、その子未来につながりそうなところ、

そうした色々な学校をたくさんみて、子どもたちと一緒に話をして、子ども人生を一緒に考えることができたことがよかった。

そして最後に、これは数年前に出会った佐藤尚之さんの大好きな言葉

受かったら、そっちのほうがいい人生

落ちたら、そっちのほうがいい人生

どっちに行っても絶妙ないい「縁」が待っている。

人生はそういう風にできている

これは本当にそう思う。毎回最後子ども達にこの言葉を送って送り出している。

子どもたちにとっての長い人生最初の試練である中学受験

そこに一緒に真剣に向き合うことを通じて、子どものことをより深く知り、愛する機会になった。

特に仕事やなりやらで奥さんに任せっきりにしているような男親には、真剣に向き合うことで新たな子どもたちとの関係性が生まれるよとぜひおすすめしたい。

っていうかやるべきだとすら思うよ。

ということで、今年で我が家中学受験が終わり、私もひとつの役目が終わるかな。

いい経験ありがとう!!

明日、頑張れよ!!

2020-01-24

博士号持ちの友人(20代)が女性蔑視をこじらせてる

タイトルの通りなんだけど、このままエスカレートして所謂インセル」にならないか心配

街コンとかアプリで頑張って出会いを探しているけどうまくいかないみたいで、SNSで失敗談(LINEブロックされたとかマッチするのが30代後半ばかりとか)を愚痴ってるんだけど、そのあとに「これまで散々イケメンと遊んできたくせに30過ぎてから安定求めてこちらに来るのむかつく」「そっちが学歴とか年収を求めてくるならこっちも年齢とか容姿を求めるよね」「上から目線アドバイスしてくる女性の知り合いいるけど、結局君らは僕を選ばなかったよねと思う」等々、女性への呪詛をまき散らしてる。

博士号取って就職もきちんとしてるという同年代の中ではこの上なく優秀な人でも「好みの女性が手に入らない」ということだけで女性蔑視をこじらせてるのを見ると、幸せって何なんだろうな、と思う。友人の目からすれば見た目も悪くはないと思うんだけど。

個人的に思うことをいくつか書き出してみる。

街コンアプリは「イケメンじゃないけど好物件」な人には向いてない

街コンは話せる時間が短いから外見がいい方が有利、かつサクラも多い。

アプリは見た目で足切りされるからそもそもチャンスが減ってしまう。

中身で勝負するなら、知り合いでいい人を探すか合コンの方がいいと思う。

変わり種だと、バスコンとかもある(1日拘束されるから必然的に話す時間が多くなる)

学歴年収勝負だったらお見合いが一番いいと思う。

理想が高すぎる

年齢とか容姿を求めてパートナー探しをしているようなんだけど、そういう人には需要が集中するわけで。

群がる男性の中で勝ち残る自信があるのか…?

博士号は確かにすごいけど、一般女性からすれば「高学歴」でひとくくりにされて、魅力的には早慶学士号とそんなに変わらないのが現実

少なくとも、博士号持ちだから女性からアプローチが絶えない、なんてことにはならない。

となると最低限の見だしなみを整えた後は内面勝負になるわけで、気が合う綺麗で若い女性に出会えて、さらに上手くいく可能性はなくはないけど、確率としては低いよね…

自分は報われるべき」という思想は害しかならない

彼の場合、身だしなみに気を付けたり出会いの場に足を運んだり、「努力」はしているようなんだけど、それが結果に結びつかないことでストレスをためている様子。

でも、そもそも出会いの場の選択が間違ってる可能性もあるし、身だしなみに気を付けるのは最低限のスタートラインしかないわけで、それが報われるとは限らない。

東大生はもともと勉強が得意な人が多いと思うけど、恋愛市場で好みのパートナーを手に入れやすいのはもともと恋愛が得意な人(容姿がよかったり、コミュニケーション能力に長けてる人)なんだよね。

地頭がよくない人が非効率勉強の仕方して「こんなに勉強してるのに東大からないのはおかしい」って言ってたら変だと思わない?

勉強の仕方変えたり、妥協して志望校下げたり、東大以外の学校の魅力を探してみたりした方が有意義だよね。

自分は報われるべきなのにおかしい」って思想ストレスためるのは害でしかないと思う。

結果的に報われてないってことは、自分は報われるべきとは限らないって考えるのが自然じゃないかな。

本人に届いて不快な思いさせたらごめんね

街コンアプリじゃないところで出会いを探して、容姿とか年齢へのこだわりをハードル1段下げて、相手内面を見るようにすれば上向くと思うんだよね。

読み直してないから誤字とかあるかも

2020-01-22

模試を受けたときに某高校志望校に入れてみようと思って高校一覧から探してたんだ

そこは男女共学のはずなのに、男子女子で別物扱いされてたんだ

○○高校女子)、○○高校男子)って感じ

別に行きたいわけじゃなかったからどうでもいいってスルーしてたんだが、今思うとそういうことよね

2020-01-20

センター

センター83.6%で志望校合格者平均超えた

12月末のもしだと7割ちょっとから無理っぽいとか思ったけど一ヶ月でかなり伸びた

2020-01-18

anond:20200117141801

元増田のような神様的な出来すぎた浪人ライフを送ってる人もいれば、一方で俺みたいなガチ屑も存在する。

光があれば陰もある。当然のことだ。

現役の時、私立全滅、国立前期も落ちた俺は親から浪人をしてはいけないと釘を刺されていたので最悪就職について思いを馳せつつ毎日腹を酷く下すほどストレスを抱えていた。そんな最中、某底辺公立大後期課程に一抹の希望を持って挑んだ。

私立全滅、国立前期落ちで一ミリたりとも自信を失っていたのでおよそ9割型落ちてるだろうと思いきや、なんと受かっていた(!)

この時はかつてないほど安堵してたが、両親から浪人してもいいよ(!?)と言われ、とても戸惑った。

ダメって言ってたじゃん。何のためにここまで酷いプレッシャーの中で受験したのか。

と思いつつも、当然合格した大学はずっと行きたかった大学ではなかったので、有り難く予備校に通わせてもらうことにした。あと一年あれば余裕だろ笑寧ろ東大受かったるわ笑と浪人を軽く捉えていた。

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4-5月

このうちはやる気が滾りまくってたし、1回目の模試第一志望校がB判定だったので、もしかしたら頑張ればマジで東大かいけるんじゃね笑笑とさえ思っており、1回目の模試が良かったことですっかり天狗になっていた。

そう考えてた俺は手の施しようのないアホだった。浪人生は一年アドバンテージがあるので、判定が良く出るのは当然だ。それなのにそれを盾にして自分が優れていると思おうとは言語道断のアホと言えるだろう。

だが天狗になってたとはいえこの頃はかなり頑張ってた。一日9-10時間程度。

6月- 7月前半

既にダレ始める。一ヶ月強ではじめの頃の炎は消え去っていた。この時点でもう辛かった。一日7-8時間程度。

7月後半-8月夏休み期)

空前絶後サボり期。特別講義を受けるために、他の校舎に行き講義を受けたあとは、食べログラーメンを調べて、食べ歩き回っていた。他の浪人生はせっせと勉強しており一秒たりとも時間無駄にできないのにも関わらず。平気で数キロ離れた美味しいラーメン屋(★3.5↑)さんに行っていた。当然ながら時間蛇口を全開で回しているが如くドバドバと浪費。無論このラーメンを食べるお金は昼飯のために両親が出してくれたお金だった。普通親思いの浪人生はここで一食800円や1000円も使ったりしない。浪人させてもらっているという負い目があるから、せめて昼くらいは安く済ませようと500円,600円の定食うどんを食べるだろう。

けれども俺は屑だった。申し訳ないという思いが頭の片隅にありつつも、何か正当性のある理由をつけて勉強をしたくないという考えが自分支配していたのと、単にラーメンに関してはグルメな一面があったので、”特別講義を頑張った自分へのご褒美”のため美味しいラーメン屋さんでお昼を食べるという理由があるから多少勉強の開始が遅れてもしょうがないという謎理論の下、ラーメンを啜っていた。

これで何時間も潰してしまったとき自己嫌悪で死にたかった。

たこんなこともよくあった。勉強が嫌すぎて、両親には図書館勉強すると言っておきながら、実際図書館では本を読み漁っていた。勉強するくらいなら今まで全く興味がなかった読書さえ何よりも楽しく輝かしいものに感じられた。

ソシャゲ徹夜なども何度かあり見本にすべきでない浪人生の象徴にほかならなかった。一日3-4時間程度の勉強だった。

9-12月

夏休みはかなりサボってしまったという自覚があったので、ちょっと頑張り直す。だが、夏で身についたさぼりぐせはなかなか抜けない。しばしば予備校後に家ではスマホに夢中になる。一日5時間程度の勉強

センター直前

センター直前にも関わらず、過去問すら碌に解かなかった。一日4-5時間程度しかやらなかった。それ以外はソシャゲをしているというカスっぷりだった。

センター

センターが酷すぎた俺は、両親とまじめにf欄大への進学について話し合った。両親から持ちかけられたことだったのでf欄も考えればという言葉は余計に胸に突き刺さっていた。(模試でニッコマがD判定だったので当然の対応だと思う)自業自得とはいえ現実を突きつけられるのはかなり辛かった。

話し合ってる間は、睫毛が濡れて翌日目がものもらいのように腫れあがるほどボロボロとずっと涙を零していた。

流石に危機感を感じたので、この頃から死ぬ気になって勉強した。(我ながら遅すぎるとは思ったが

サボっているのに自己評価だけは高かったので、f欄大なんて天地がひっくり返ろうが何が起きよう行きたくなかった。今思えば、アホの極みで恥ずべきことだが、俺はもっと上だ。そんなところ俺が行く大学じゃないと思ってた。めちゃくちゃ見下していた。勉強分相応のところしか行けないのだから、f欄大にしか行けないのもそれくらいの能力しかなかっただけのことのなのにプライドだけは一丁前だった。

その熱心な勉強のおかげか私大はニッコマクラスに、国公立は現役より若干上の国立大に受かった。

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浪人しても俺のようにダレる奴が一定数いる事も肝に銘じてほしいと思い書いた。

決して俺の浪人話はサクセスストーリーではないだろう。それだけならばまだしも

サボってる浪人生は途轍もなく死にたくなる。頭ではやらなければならないと分かっていても行動が伴わない。だから、そんな自分に対する嫌悪が膨れあがる。結果コンナゴミイキテイテテモシカタナイナという思いが常に内在するようになる。自己評価が低くなり卑屈になる。

予備校講師の人が言ってたが受験期に受験を苦にして自殺するなんて勿体なさすぎる。浪人時代なんて人生のごく極々一部に過ぎない。という言葉が嫌に印象に残っているが、今ではこれは本当にその通りだと思う(当時は何言ってんだ、その極々一部が死ぬほど辛いんだろうが。だから死ぬのも仕方ないだろ…。とか思ってたけど。)大学楽しいし、自分の好きなことがたくさんできているので充実感がある。大学卒業してもこれから楽しいことがたくさんあるだろう長い人生、あそこで死んでたら勿体なかったと思うし、今思えば浪人時代に悩んでいたことはなんて小さかったのだろうとも思う。でも、経験たからわかるがあの時はその悩みが何に替え難く切実だった。危うく人生に終止符を打ってしまうほどその悩みは大きかった。鎌を持った死神のように命を奪う機会を虎視眈々と狙っていた。実際俺は浪人時代軽く100回は死にたいと思ってた。未だによく実行しなかったなと思う。

以上の経験があるので、俺は全く浪人お勧めしない。

本当にやめとけ、罪悪感と自己嫌悪で死にたくなるから死にたくなかったらやめとけ。ここまでいってやろうとするのなら止めはしないが

センター試験の思い出

田舎なので兄の家に泊まり行った。志望校がその国立大学だったので二次試験の下見になったといえば下見になったけど

最寄りが駅が田舎のどっちを向いても上りの始発駅だったので「電車が混んでいる=座席に座れない」な感覚だったので都会の満員電車ビビり3回くらい見送ったのち、「ギチギチだけどこれに突っ込むのか・・・?」と意を決して乗った。

予備校もなく受験情報進研ゼミ国立大学コースみたいなやつだけどそこに「時計は見やす目覚まし時計ベター」とあり、「確かに腕時計などより一覧性が高く一理ある」と目覚まし時計をもっていったが試験会場の大学の大きな教室を見回しても目覚まし時計を持ち込んでるのは俺一人だった。

同じ所で試験を受けた兄に最寄り駅から大学の行き方を聞いたら「馬鹿でもぜったい分かる」と言われたが、たしかセンター試験受験生と思しき人のながれと駅のコンコースから門が見え横断歩道を渡ればすぐだった。しか大学敷地に入ってからがクソ長くて10分くらい歩いた。

田舎高校なので全体の偏差値より学内偏差値の方が高く、全体だと60後半なのに学内だと70オーバーだったりしたが、世界史Bは満点だったにも関わらず学内偏差は50だった。もちろん、その年度でセンター試験世界史Bを選択したのが100人近くいて俺一人だけだったから。

2019-11-12

31新卒

外人希望を持たせられる内容な気がするので残しておく。

18歳

志望校に落ちて浪人

19歳

ネトゲ。受かるところが無い+朝起きれると思えないのでセンター利用で有力な大学の夜間学部へ進学。

23

4留。理転だったため無理があった。ネトゲしかしていない通算5年だった。

ここから一念発起して、まずジョギング筋トレを開始。

毎日5キロを走り、ベンチプレス80キロクリアできる頃には、教室で90分座ることが可能状態に復帰。リハビリ完了

27歳

ちゃん勉強するようになってみると、数学面白さに気付いたため数学教師を目指すことに。

またしっかり研究をしたいと考えて大学院へ進学。

31

大した成果は残せなかったが、結構本気で研究に打ち込めたと思う。

科目履修しまくって数学教師免許も取得。

博論が通る見込みは無いので見切りをつけて、私立高校常勤講師としてデビュー



結局1年契約常勤講師なので戦いはこれからなのだが、とりあえず今普通に生活出来ている。

・小ぎれいなアパート家賃5万以下

中古車だが普通車をローンで購入!

マッチングアプリで女遊びができる!(教師は食いつきがいい、と同僚も言っていた)

困った点としては

奨学金を約10年分、月12万ずつ借りていたため返済額が凄まじい。

結婚が遠そう

といった感じ。まあ元ニート、元フリーター20代半ばからきちんとした生活を初めてするようになって、

30歳過ぎてやっと1年雇用正規職員になったことの無い人間からすると贅沢は言えない。というか望外だろって思ってる。

なんだかんだ社会復帰ってできるもんだよ。

2019-11-02

自分が何者なのか分からなくなってしまった

苦しい

就活を始めて今までの自分大学生活を振り返っているんだけど、志望校が無いまま取り敢えず入学したし、サークルは4ヶ月もしないうちに辞めてしまうし、バイトも4つくらい転々として今も辞めたいし。勉強も与えられたものギリギリなすしかできなくて。

今の自分が何をモチベーションにして、何を成すために何をしているのか、何をしたいのか分からない。

趣味も無くて、本も漫画ドラマ映画も見なくて、ゲームも打ち込むほどやっていないし、友人もいない、人との会話も全く続かない。何も心に気持ちが浮かんでこない

ぼーっとずっとTwitter眺めてYouTube眺めてをしてしまっている、本当に嫌になる。

2019-10-23

上田慎一郎監督作品を観ると初めて付き合った彼女を思い出す

昨日、上田慎一郎監督最新作の『スペシャルアクターズ』を観てきた。上田監督といえば去年の夏『カメラを止めるな!』で一世を風靡した時代の寵児であることは多くの方がご存知だろう。『スペシャルアクターズ』は『カメ止め』フィーバー後、初となる(単独監督作品としてそれなりに話題になっていた。

昨日観たのは、たまたま時間つぶしで私自身は「極力外れてなさそうなもの」を選んだだけで大きな期待はしていなかった。だが観終わってみるとまあまあベタな展開(最後どんでん返し含め)ではあるもののかなり楽しめ個人的には満足感の高い時間を過ごすことができた。前作の『カメ止め』も今回の『スペシャルアクターズ』もそうだが上田監督作品の大きな特徴のい一つは出演者殆どが「誰も知らない、だけど演技がうまい」ところだと思う。そして何より、演者全員がお芝居を楽しんでいる。それが見ている我々にも伝わってきてさらなる感動を生む。そんな役者たちを観ていて思い出したのがタイトルにもある僕の初めての彼女の話だ。

僕の初めてできた彼女はよく笑い底抜けに明るく、そして何より演劇が大好きだった。知り合ったのはTwitter。二人は同じ大学を目指す高校3年生だった。半年ぐらいリプライのやり取りが続いたあと、志望校学園祭に一緒に行く約束をして初めて会った。雨が降る少し肌寒い11月の道を駅からキャンパスまで一緒に歩いたのを覚えている。その一ヶ月後の12月から僕たちは付き合い始めた。まあ、ここからの展開はこの手の話のよくある習いで彼女は志望していた国立大学合格し僕は晴れて浪人生になった。もちろんここからもよくある話で大学演劇サークルに入った彼女に秋口、あっさりと振られた。

昨日の夜、どうしても我慢できなくなって彼女フルネーム検索窓に入れた。写真の中の彼女は明るい太陽のような笑顔だった。好きなことを全力でやっている人の笑顔だった。どうやら今も劇団所属しているらしい。大きな賞ももらっていた。

その後の僕は第一志望には受からず第三志望の地方大学に進学した。理系だったのもあり大学院に進学し今は社会人一年目、付き合っていたとき想像もつかない土地に住み特にやりたくもなかった業種の特に楽しくもない仕事をしながら暮らしている。そんな僕に彼女の心の底から笑顔は古傷に塩を擦り付けられるようだった。

僕はどう頑張っても彼女のようには生きられないのだ。

スペシャルアクターズ』の主題歌『誰でもアクター』の歌詞に次の一節がある。

      傷だらけの僕が 灯りをつけられるのは 今日明日なのか わからないような every day

こんな僕が誰かに灯りをつけられる日は来るのだろうか。上田監督映画アクターのように。

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