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https://anond.hatelabo.jp/20240916223334
この文章は、ある人物(A)による執拗な嫌がらせと中傷被害に遭った身内の経験を語っています。
Aは同じ学校の学生で、理由もなく身内とその周囲に対して嫌がらせを始めました。
被害者たちは精神的に追い詰められ、就職活動にも影響が出ました。
法的対応を試みましたが、証拠不足や費用の問題で実効性がありませんでした。
結局、示談金を支払うことでAの嫌がらせは止まりましたが、被害者たちの心の傷は癒えませんでした。
しかし、あるインフルエンサーとの対立をきっかけに、Aの過去の行為や虚偽の経歴が暴かれていきます。
語り手は、このインフルエンサーの活動に賛同しているわけではありませんが
元の文章は総じて書き手の感情の描写が多くなにが起きたのかがつかみ取りにくかった。
記事を書いた後、一度その文章をAIに要約してもらいそれを冒頭においておくと良い。
そのうえで、自分が書きたいことが過不足なく要約の中に含まれていない場合、AIが読み飛ばした部分はわかりやすく書いた方が良い。
たとえば要約の部分では身内が受けた被害についての描写は非常に弱い。
であればその部分だけもう一度要約にかけてみて、情報を追加していくと良い。
Aという人物による執拓な嫌がらせが身内の生活に深刻な影響を与えた経緯を描いています。
身内はAの嫌がらせにより、バイト先から自主退職を促されました。会社に届いた根拠のない中傷や通報により、身内の説明は受け入れられず、職場を去ることになりました。さらに、Aから内容証明が届き、名誉毀損で訴訟を検討していると脅されました。身内のメンタルは限界に達し、示談を選択せざるを得なくなりました。弁護士に相談しましたが、Aとの全面対決は困難と判断されました。結局、示談金と弁護士費用を支払うことになり、両親が負担しました。示談後、嫌がらせは止みましたが、中傷ブログは残りました。他の被害者が裁判で削除を求めても、Aは即座にコピーブログを立ち上げるなど、悪質な行為を続けました。この一連の出来事は身内の就職活動にも影響し、希望の業界への就職は叶いませんでした。就職後も精神科に通う必要があり、家族にも心配をかけました。語り手は、何の関わりもなかったのに一方的に嫌がらせをし、被害者を追い詰めるAの行為を「悪意の塊」と表現し、深い憎しみを感じています。この経験は、法的対応の難しさや社会の理不尽さを痛感させる結果となりました。
予備校勤務の立場から、「英文学科で後悔しない視点」をまとめた。
関東圏限定で、多少厳しめに書いたが、これらをクリアすれば楽しい学生ライフが待ってると思う。
多くの英文学科が、TOEIC受験を必須にしたり、観光•メディアも学べるコースを配置して、受験生の親に「就活に対応しています」PRしている。
しかし、注意して欲しいのが、英文学科の学びの中核は、「イギリスやアメリカの文化を学ぶこと」であって、TOEICが対象としているビジネス英会話も、オーストラリアやシンガポール、カナダと言った国々の文化も中心ではないことだ。
• メディアや観光業界に惹かれるなら、それらの要素が強い学科も検討しよう。専門にする国を時間をかけて選びたいなら、国際系学部もあわせて検討しよう。
英文学を専攻するにあたり、演劇や映画の授業はついて回る。演劇や映画専攻ではない、文学部での演劇や映画の学びは独特であることを理解しよう。
演劇や映画専攻の場合、実際の創作や演技がカリキュラムに組み込まれており、他の大学生と協働して作品を作り上げる。それぞれの嗜好や制約の中でロジカルに考え、ベストを尽くす経験は、色々な業界に行っても役に立つ社会人基礎力が得れる。しかし、英文学科の場合、学ぶのは一人で行う批評であり、これが得意なタイプの人もいる。
•高校生のうちに、シェイクスピア演劇を複数回観て、観客か、提供者側のどちらが向いてるかを考えよう。関東の場合、さいたま芸術劇場(今度やる真夏の夜の夢は18歳以下無料!)神奈川芸術劇場(今度やるリア王は高校生以下1000円!)シェイクスピアカンパニーなどが公演をやっている。観劇前に無料のミニレクチャーがあったり、劇場の裏側見学ツアーもセットになってるのも楽しい。
•アニメやゲームに関心がある場合、作品づくりという点で演劇や映画専攻のほうが興味に近い場合もある。
これは持論で恐縮だが、文学部の学びは、キャンパスの立地が重要だと考えている。
理想は京都洛内のような、面積あたりの知識人や職人の割合が多く、学生に優しい街だ。
東京の場合、ふらっと行ける帰り道に、映画館や劇場があることや、寝床が近いことが重要なのではないかと思う。文学部の学びは、偶然の作品との出会いや、夜通し学友と語り明かしたりすることを通して洗練化されるので、通学時間が長かったり、郊外で生活が完結してしまうのは少し難しいと思う。
•これは少しズレるが、大学の四年間、「週五日、オンライン英会話教室を続け、年に6回、演劇を観にいく」と仮定してみよう。それを差し引いて学びたいことがありそうかを、志望学科の教員の専門から探してみよう。
•大学の教員と楽しく話せそうな目処があることが、中退や留年を防ぎ、大学生活を楽しむ上で特に重要だと思う。
数年前、身内がある男(A)の被害に遭った。
Aと身内は同じ学校とは言え面識は無かったが、身内が所属していたグループの活動に対し一方的にケチをつけて
学校側に根も葉も無い嘘を一方的に通報されたり、学校外にまでの同様の通報や公的機関にまでグループの悪事を告発する、という体の怪文書を送りつけられるという
嫌がらせとしか思えない事をされた。身内の所だけで無く、複数のグループやサークルに対し同様の嫌がらせをしていたらしい。
怪文書の方は、身内の所についてはさすがに相手にされてはいなかったみたいだが(他の所では相手先から問い合わせが入ったケースもあったという)
学校側については学生から通報()があった以上、何もしない訳にはいかず、身内らは対応に追われる羽目になった。
この時点では、通報者がAという同じ学校の人間らしい、という事は認識していたが、Aとは全く面識も無かった上にやった事も動機も意味不明過ぎて
本当に気味が悪いと身内はスルーして関わらない様にした。
その際身内からは「同じ学校に凄い気持ち悪い奴がいて怖い」「目をつけられても嫌だから無視するしかない」といった相談というか愚痴を聞いてはいた。
私もAの話を聞いて直接どうこうするよりは関わらない方が良い類の人間だと思った。
最初の嫌がらせ通報の時点では無視する事にした身内だが、その後、同様の事をやられた別のグループがAに対し直接文句を言った所
身内らの名前を出して「あの人達も自分のやる事には同意している」「彼ら(身内らのグループ)から依頼されて通報した」
「彼らから情報提供を受けて(通報を)やっただけ」などと言った嘘を吐き、そのグループから身内らがクレームを受けて事態が発覚。
話し合って何とか誤解は解いて貰ったが、直接面識も無い相手に勝手に名前を出された挙げ句に
訳の分からない嫌がらせとしか思えない行為に加担しているなどと嘘をつかれて人間関係を滅茶苦茶にされそうになり、さすがに身内らも頭にきたらしく
Aに対して直接文句を言ってしまった。こういう事は止めてくれ、あなたの行為はハッキリ言って迷惑だし嘘をついて名前を出すのも困ると。
Aは渋々といった感じで、その時は一応謝罪はしたらしい。
もし仮に、その時に相談を受けていたら、当時の自分はどう答えていただろうと思う時がある。
今の私ならば、そんなヤバい人間は無視した方が良い、悔しいと思うけど世の中には関わってはいけない人間がいるのだから、と答えたと思うが
当時にそんな事を言って冷静に身内を制止出来た自信は無い。その事が非常に悲しく悔しい。
程無くして、Aによる「被害の告発」と、恐らくAと思われる人物によって大量の迷惑メールが身内のアドレスに送りつけられる
身内の個人情報を特定出来る形で匿名掲示板に書き込まれるなどの被害が発生した。
身内らの(少なくともこちらからすれば)正当な抗議は、Aには「何も悪い事をしていない自分への攻撃」と受け取られた様だった。
身内も含めた複数名(最終的には数十名の被害者が発生した)の個人情報と共に事実無根の中傷を「被害の告発」という体でA自身に個人ブログで公開される様になった。
告発という名の誹謗中傷も相当酷い行為だったが、身内も含めた様々な人物に犯人不明の嫌がらせが発生したタイミングが余りにも一致していた為、当然周囲はAを疑った。
悪意を持って拡散された個人情報の内容は、Aによる学生の権限を悪用して収集したであろう個人情報が大量に含まれていた。状況的に犯人はAとしか思えなかった。
しかし悪質な事に、基本的にネットを使った手口なので、当然確固たる証拠は無かった。Aに問い正した人間もいたが、当然Aは否定した。証拠が無いからと。
俺が犯人だと思うなら証拠を出してみろよ、出来ないならそっちが犯罪者ですよ?などと半笑いで煽ったりもしたらしい。
個人情報を掲載された中傷ブログについてはともかく、証拠も無い嫌がらせについては、例えAが疑わしくともどうしようも出来ないと。
話を聞く限り、学校側もAの異常な行動に対し、どう対処して良いかよく分かっていない様だった。
身内が別の学生と良からぬ行為を繰り返している、等という卑猥な嘘の中傷もA自身による一方的な話しかけやブログのコメント欄等を介して拡散された。
その頃にはAが異常な行為を繰り返しているとんでもない人間という事が被害者である身内らやその周囲には知れ渡っており、悪質な噂を信用する者は殆どいなかったのが不幸中の幸いだった。
しかし、この様な気色の悪い嫌がらせや事実無根の中傷をされて、身内は相当精神的にダメージを受けた。
いくら客観的に見てもちょっとおかしなサイトで、まともに相手にする人間の方がおかしいと言える様な代物とは言え
個人情報と共に根も葉も無い中傷がブログに書かれているのも、就活を控えた身だった身内としては相当堪えていた様だった。
身内からもヘルプが入り、私や両親らも何とかしようとしたが、結果だけ言えばどうにも出来なかった。
なにせネットの書き込み一つにしても証拠は無い、当時はあまり情報が無く開示請求をしようとしても
弁護士に依頼すると多額の費用と時間がかかるというハードルがあるという思い込みもあった。
仮に開示に成功したとしても、ネットカフェ等で書き込みをしているとまず書き込み者は特定出来ませんよと、相談に行った弁護士の人にも言われて愕然とした。
「この程度の中傷」は無視した方が良いです、と言った弁護士もいた。世間はそんなものかと思ったが、身内も私もまだ若く、それがおかしいと否定出来る根拠は持ち合わせていなかった。
こんな事をしでかすAの動機がただの逆恨みとしか思えないのも、Aという人間から感じる理不尽な悪意を更に強くさせた。
自分や両親にも仕事や生活があり、出来る限りの事はしたつもりだったが、同居親族では無かった為身内へのサポートにも限界はあった。
身内も就活を控え何かと不安定な時期で、ストレスは傍から見ていても辛そうだった。
そんな折、身内は当時勤めていたバイト先から自主退職を促された。実質クビだった。
身内を名指ししたクレームのメールや身内の根も葉も無い「悪事」を通報する怪文書がバイト先の親会社の人事部に届き
説明を求められた身内はAの名前こそ上げなかったものの学校でトラブルに巻き込まれ以来不審な嫌がらせが続いていると弁解した。
身内にも怪文書の詳細な内容は伏せられたが、警察沙汰にもなる様な問題を起こしている、といった内容が通報されたと暗に示唆されたらしい。
会社とは関係無い所で面倒なトラブルに巻き込まれている人間など、面倒なだけだったのだろう。
こんなおかしな嫌がらせをされる様な人間とは関わり合いになりたく無かったのかもしれない。
弁解は受け入れられず、身内は結局職場を追われる羽目になった。
追い打ちをかける様に、身内宛にAから内容証明が届いた。Aに対し身内がやった抗議は「名誉毀損である」として、示談に応じない場合は訴訟を検討しているという。
書面には弁護士の名前もあった。遂に身内は心が折れてしまった。Aに対し頭を下げて何とかして貰うと言い出した。
自分は最初反対したが、両親とも話した結果、もう身内のメンタルが限界だしこれ以上Aの様な異常者と相対するのは無理だろうと。
悔しいが多少の金を払ってでもAに嫌がらせを止めて貰って、泣き寝入りをした方がマシだと。
弁護士にも相談したが、やはりAの様な相手と全面的に争うのは難しいと言われた。
多額の費用がかかり、仮に勝ったとしても弁護士費用を考えると完全にマイナス。
またAの様な「無敵な人」なタイプが(弁護士は言葉を濁してはいたけど)素直に賠償をするとも思えず、従わない場合更に手続きに費用が…と言われた。
今思えば相談した弁護士はどちらかと言えばハズレだったが、こちらは法的知識もあまりない一般家庭の一般人で
弁護士さんが言うのだから、世の中はそういうものなのだと愕然としてしまった。
どうしてこちらは何も悪く無いのに一方的に被害に遭って、明らかに悪であるAが得するばかりなのだろうと、社会の理不尽さを痛感させられた。
結局一応こちらも弁護士を立てて示談をする事になった。示談金としては少額だったが、弁護士費用も考えると自分の月給が飛ぶ程度の費用がかかった。
お金は両親が支払った。悔しいが身内を守る為の勉強代だと思うしかないと言っていた。
Aみたいな太い家の出身と違い(A自身が自慢していたという)決して安くは無い出費だった。
父や母が普段から真面目に働いているのは、Aみたいな人間に金を差し出す為では無いのにと、本当に悔しかった。
Aと示談した途端、嘘みたいに嫌がらせはパタリと止まった。中傷ブログの方は駄目だったが、どうしようも無かった。
この中傷ブログに関しては、後で知る事になるのだが、別の被害者がブログの記述を削除する為に裁判を起こし
100万程の費用をかけて削除させたらしいが、即座にAはコピーブログを立ち上げ内容を転載、裁判は完全に無駄に終わったという。
この胸糞悪い話を聞くと、あの頼りないハズレの弁護士の言う事もあながち間違ってはいなかったのかと思った。
Aは結局中傷ブログの件や他の問題(異性絡みで警察沙汰になる様なトラブルも起こしていたらしい)もあり、遂に学校側も対処して
結果的には限りなく退学処分に近い形で自主退学したというが、それでも私達の気は全く晴れなかった。
それでも身内は就職活動を頑張ったが、結局不本意な結果に終わった。
まともな企業や人間なら、怪文書に近い中傷ブログや、仮に匿名の真偽不明なメールが送られていたとしても相手にしないだろうと言ったが
身内自身のストレスや不安による不調もあったのだろう。元の志望した業界への就職は叶わず、異なる職種に就職する事となった。
就職してからもしばらくは精神科に通い、カウンセリング等の治療を受けていた様だった。
この事は自分達にも最初は隠しており、ある程度状態が落ち着いた時に初めて「実は…」と打ち明けられた。
Aとの一件で多大な迷惑をかけてしまい、更に心配までかけさせたく無かったから、と謝罪された。
こんなにも身内を追い詰めたAを、改めて憎んだ。
何も関わりが無かった筈なのに、勝手に関わってきた挙げ句に一方的に逆恨みして嫌がらせや虚偽の事実を振りまいて中傷した挙げ句に
いざとなったら被害者ぶってこちらを加害者呼ばわりして攻撃する卑劣さ。
ギリギリ違法にならない様な嫌がらせや、証拠を取る事が難しい違法なやり口で相手を追い詰めて苦しめる異常さ。
まさに悪意の塊の様な人間だと思った。
やっとAとの嫌な記憶も少しは薄らいできた頃、再びAの姿をネット上で見かける様になった。
彼は退学後も、(恐らく太い実家とやらの金を存分に使って)華麗な経歴を引っ提げ、有名なネットメディアや
テレビに出演したりある有名人らと絡むなど、所謂知識人的な立ち位置としてネット上で活動していた。
当時の嫌な記憶がフラッシュバックを起こしたのか全身が冷えて血の気が引いていくのを感じた。
当時同じ学校だった身内含めた多数の人にあれだけ迷惑をかけ傷つけておいて、よくこんな堂々としていられるなと思った。
よっぽど文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、その頃にはAにも既にある評論家など似た様な同類の取り巻きも多数いて、結局諦めた。
所詮自分は普通に働いている一般人で、相手は少なくともネット社会では多数のフォロワーを従えているネット有名人。
数に押されるのは目に見えていたし、身内を追い詰めた様に今度は自分が訴えられるかもしれない。
身内だってAにはもう今後一切関わり合いになりたく無いだろう。ブロックして忘れたフリをするしか無かった。本当に悔しかった。
それからまた時は経ち、今度は別の方向からAの名前を聞く様になった。
あるインフルエンサーの人間に喧嘩を売ったAは(割とそういう事を以前から各所で繰り返していたらしいが)
ある人間らに過去の言動や経歴の矛盾点等、恐らくAが知られたく無かったであろう事まで掘り返され暴かれて、笑い者になっているという。
Aや取り巻きは、ある人間や支持者によるネットリンチだ!などと被害者面をしていた。
何も事情を知らぬ第三者であれば、自分もそう思ったかもしれない。
けれど自分は、正直「ざまぁみろ」と思った。Aが身内らにやった事を思えば、これぐらいの被害など因果応報だろうと。
ある人間は所謂政治系のインフルエンサーで、Aはその対立する相手方の勢力に元々属していたんだか後で取り込まれたんだかで
Aとある人間らは本格的に対立する様になった。その過程を追って行く内に、様々な事を知った。
Aによる被害者は、身内や個人情報を晒された他の学生達だけでは無かった事。
身内も知らなかった様な、結構なトラブルを在学中に既に起こしていた事。(警察沙汰になる程の事をしでかしていた事は、この時に知った)
金で買ったであろう自称の経歴は大半が虚飾に塗れた代物だった事。
違法な中傷や嫌がらせ以外にも、多数の人々を挑発し愚弄する様な数々の酷い暴言を吐いていた事など。
近しい人にコロナで亡くなった人は幸いにもいなかったが、親類の一人はコロナが原因で持病が重症化してしばらく入院していた。
会社にも、コロナにかかった後、後遺症でしばらく苦しんでいた人がいた。
例えばAは、コロナ患者を「ざまぁみろ」などと愚弄していた。本当に鳥肌が立った。
彼の様な人間が、人の痛みとか画面の向こうにはコロナで苦しんだり、親しい人を失くした人間のいるのだと一切想像出来ないから
平気で人の心が無い様な暴言を吐けるのだろう、と思った。自分もAが苦しんでいるであろう光景を見て同じ事を思ったので、同じ穴の狢かも知れないが。
でも個人的には、さすがにAとは一緒にされたくは無い、とは思っている。勝手かも知れないが。
対立の過程で、Aの被害者の一人が声を上げた。自分はAの被害者だと。
被害を受けたので訴訟も起こしたが、Aは判決を無視して逃げ回っていると言った。
当時私が懸念した通り、被害者はAやAの取り巻きらに攻撃された。
取り巻きはAの言動をどこまで信用しているのだろうかと思った。
Aの言動や被害の現状を知っていれば、一緒になって被害者をセカンドレイプなど出来ないだろうと。
しかしながら、党派性の強い人達の異常な言動を見ていれば、答えは自ずと分かった。
Aの取り巻きをやる様な人間にとっては、Aの言動の真偽などどうでも良く、ただ対立相手を攻撃する、叩き棒の様な理由があれば何でも良いのだろうと。
度合いが違うだろうが、取り巻きらもAと同類なんだなと思った。
そんなAを公然と支持する(していた)、所謂知識人界隈の人間や法曹関係者がいる、というのも
所詮は一般人である自分達と、彼らが考える高尚な思想や倫理観は、我々が知るそれらとは全く異なるものなのだと、壮絶な隔絶を感じた。
被害者はAの取り巻きらに攻撃されネット上から姿を消したが、その後、どういったやり取りがあったかは定かでは無いが
Aが様々な方向から、合法的に詰められ、追い詰められていく過程に、涙した事もあった。
やっと被害者が報われる様になったと思った。
身内には、Aの言動を直接見るのは無理だったので、自分がある程度まとめてから時折連絡している。
ある事でAの嘘や実像が暴かれた事を知った時には、身内も本当に安心した様に泣いて喜んでいた。
正直な所、ある人間は賛否両論が激しいインフルエンサー系の活動家だ。
ここはてなではハッキリ言って否の方が多く、少なくとも観測範囲では否定派しか見かけた事が無い。
その否定派に対し異論するつもりも無い。党派性がどうこうにもその手の話題には関わりたくも無い。
ある人間のメインの活動には正直興味が無いし、人間的にはちょっと色々と生理的に無理…とすら思っている。リアルでは関わりたく無いからフォローもしていない。
けれど自分は、ある人間の活動により結果的にAが表舞台にはもう戻れない様なデジタルタトゥーがついていく事には
率直に言って良かったと思っている。あの様な悪意の塊の様な人間が、被害者を踏み躙ってまで表舞台に立つべきでは無いだろう。
ある人間の活動には興味無いが、感謝の意味も込めてたまに課金している。
累計すると自分的に結構な金額を課金しているかと思うが、ある人間は被害者の裁判支援に数百万出資しているというのだから
それについては素直に頭が下がる思いだし、泣き寝入りしてしまった自分達の悔しい無念を晴らす意味でも応援する思いで課金している。
支援の意味も込めて本も買った。内容には正直興味が無かったので、読んでみたいと言っていた知人にプレゼントしたけど。
客観的に見て、自分は賛否両論激しい、悪く言えばカルト的なインフルエンサーに感謝して課金している、信者にしか見えないだろう。
しかしそれでも、ある人間の活動によって結果的には救われた思いがあるのも事実なのだ。
その感謝の念を、声を上げられない被害者の無念を晴らしてくれた礼を、ささやかながらにしているだけ…だと自分では勝手に思っている。
宗教には大して興味が無かったけど、これが信仰とか信者とか言われるもの Permalink | 記事への反応(6) | 22:33
たとえばなんだけど、生物の同定・分類なんてジャンルは、「優秀な人」だけじゃとても人手が足りないので
ものすごく優秀ってわけじゃなくてもいいから専門性を持った知識人の人数が必要なんだよね
研究って一部の大天才が革新的な理論を発表してイノベーションみたいなものばかりじゃないし、
その一部の大天才が革新的な理論を発表するための下地としても、専門性を持った有象無象の数多の研究者による情報の蓄積が必要なんだよ
目撃情報とかを集めるにも、たとえば日本の固有種の情報を集めるなら日本人の方が色んな人の話をよく聞けるわけ
知識自慢、自称インテリ、そして教養の欠如には、確かに関連性があります。これらの概念について詳しく見ていきましょう。
知識自慢や自称インテリは、往々にして真の教養とは相反する態度を示します。
教養とは単なる知識の蓄積ではなく、以下のような要素を含みます:
1. 幅広い分野への理解と関心
知識自慢や自称インテリの態度は、往々にして真の教養の欠如を示しています。真の教養は、知識の量だけでなく、その活用方法や他者との関わり方にも表れます。謙虚さ、継続的な学習意欲、そして社会への貢献意識が、真の教養を持つ人の特徴といえるでしょう。
つまり、星野智幸という作家みたいな人は、アベノミクスで貧困層が大幅に拡大したことや子供食堂が全国で爆発的に増加したことも知らずに生きているということなのか。
https://x.com/i_aineias/status/1828659237398168029
星野智幸氏執筆の寄稿記事を読んでみたが、早い話がここへきて怖気づいたんだろうな。事実上の「転向」って訳だ。それに「今の立憲民主党が左派」ってどんな感覚しているんだよ?今後、知識人たちの「リベラル層叩き」は激化すると予想する。
https://x.com/damned398/status/1828564443183357953
タイミングよく(?)朝日新聞で男性作家さんが「リベラルは正義依存だ」とリベラル叩きポリコレ叩きに利用されるような文章寄稿してて、女性作家さんたちが「戦わずして優位にいる男性作家さんはいいよねえ」「女性の不平等はまだあるのに」みたいなこと呟いてて、いやはやって感じ
https://x.com/gyutangogo/status/1828628543611518993
星野智幸さんの朝日新聞の記事が話題だが、無料の範囲でもう最後まで読む気を失くしましたよ。立ち読みして買う気にならない作家さんて、いくらでもいらっしゃいますよね。
この問題、キチガイ左翼の本拠地である、はてなブクマークでも、増田でも完全にスルーされてるね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/82697541642d253043a7963f84748d858b759701
ネトウヨの発信基地であるヤフーニュースだけど、ニュース元はFNNプライムオンラインだよ。3日前のニュース。
「たかがゲーム」のアサクリ問題を追ってる人はみんな知ってる事でも、無知でバカでクズで日本人の敵である左翼は知らなかった????
これで、デマを信じた黒人男性が日本人女性を妊娠させても左翼は「おめでとう!素晴らしい事だ」っていうだろうし、
相変わらず「弱男www日本人男性は用済みwww」ってフェミニストは言うんだろうね。
2024年5月の話題が、なぜ3日前にニュースになってるんでしょーか?
もちろん、左翼はゴミみたいなプライドがポルシェのように高いから「たかがゲーム」問題と同じレベルで見てるんだろうね。
日本人なら信じるわけもないデマがね。アフリカで普通に信じられているんだよ。「伝説のサムライ弥助」が史実のアフリカでは。
「また日本が助けを求めているぞ!」と「日本人女性を妊娠させに行かないと!!」って日本には「勇敢な武士には少し黒人の血が必要」って諺があるからね。
そんな諺はない!って言っても、エビデンスは?って言われちゃうよ?
まぁバカな左翼は知識人であるデービットアトキンソンには完全敗北してるから何も言い返せないんだろうけど。
これが、ネトウヨの妄想じゃなかったから、3ヶ月も経って、やっとニュースになりましたね。
まぁ、日本人である左翼の東大准教授が「弥助はオワコン」って言いながらも、弥助はサムライだった!!って、
レスバで負けても、負けて逃亡しても、何度も何度も、負けてるのに、馬鹿みたいに主張してるからね。
昨日も「左翼は知識人なんだよ」ってキチガイが増田に居たけどさ。
弁護士とか、東大教授、マスコミ関係者に左翼が多いのは知ってるよ。
フェミニストも、実際の日本人女性はどうでもいいどころか、フェミニストが普通に性犯罪してたり、おちんぽ騎士団だったりするだけだから
とある「高学歴・フェミニスト」の欧米人女性ジャーナリストのSNSをウォッチしている。
知り合いがこの人物に悪評を振りまかれ、係争になり、知り合いが勝ったのだが、
相変わらず悪評を振りまいているので(名前を出さず、具体的な表現もせず、姑息なやり方で)発言を追っているのだ。
この界隈の人たちは、いかに自分たちの業界で女性が軽く見られ、安く買いたたかれ、常にセクハラされているかを主張し続けている。
統計的にその業界で収入に男女差があるのは事実であるようだし、セクハラを受けている事例もあるようだが、
その他の言葉があまりにも軽くて元々共感する事が出来ない人たちだった。
今日は朝から彼女の最近の投稿を見て思わず笑ってしまった。(以下、私怨に基づいた罵倒)
ここ数カ月、彼女はプライベートで色々あって眠れない、食べられない日々を送っていたのだそうだ。
彼女は元々テレビを見るような人間ではなく、カフカやランボウ等に耽溺して来たが(あーはいはい、知識人知識人。)
気を紛らわせるために見た各国のリアリティショーが、ここのところ現実からの逃避に役立ち、気を紛らわせてくれたのだそうだ。
女性たちを追い詰め、暴力を振るうような表現もなく安心して見ていられるのでハマっている、
一部のこういう輩が世間をギスギスさせているのにはほとほと嫌気がさす。
欧米人から見るとアジアの国の個別の事情などなんの興味もないのだろうが(それも腹立たしい)
「韓国人男性は女性をリスペクトしてくれて紳士的で、うちの国の男どもとは大違い。癒されるわー。」
という言説になるのは考えにくい。
韓国の出生率低下については様々な分析があり、教育費と居住費の高騰が主な理由として挙げられていると思うが、
ジェンダーロールの改革が社会の変化に追いついていないというのも要因のひとつとして言及されることが多い。
フェミニストを名乗って物を書いているなら、少しは自分以外の事にも関心を持ったらどうなのか。
それにしても韓国のコンテンツ産業は相変わらずうまい事やってるんだなと改めて感心した。
女性向けの恋愛ポルノ(それ自体は何も悪い事じゃない)を現代風にして、世界に発信する事に成功している。
現実と虚構の区別のつかない人達の中では韓国のイメージは爆上がりなんだろう。
日本の「ネット・フェミニスト」にも韓国のコンテンツは人気がある印象がある。
すきえんてぃあ@書け@cicada3301_kig
ひろゆきも暇空茜も「プライドを必死に守るため弱そうな他者を選んで罵倒することで自分を権威付ける」ムーブをやらないから悪印象がそんなないんだよな。過度な自信家だがナルシストではない。
https://x.com/cicada3301_kig/status/1825756508526883028
鉄のカニ🌈@crab_of_steel
西村博之は沖縄の辺野古基地建設反対座り込み、暇空茜は女性支援団体児童支援団体など、それぞれネット民から「胡散臭い」と叩かれやすい大した権力のない人たちを罵倒なり嘲笑なりしておりますが……?特に暇空にタゲられてる学生さんなんてどこが強いんだよ。
目玉付いてるか?機能してるか?
https://x.com/crab_of_steel/status/1825864016901660727
すきえんてぃあ@書け@cicada3301_kig
話の内容そっちのけで揚げ足取りや議論の作法を延々ダラダラと書き込む
中身がなく、見る人のことを全く考えていない文章しか書かないのでギャラリーに無視される
相手が納得していなくても無理やり言いくるめられるレスバ力がある
しかし主義主張が一貫しているある意味正義漢なので相手が正しいとアッサリ負けるし
苦しい時は言いくるめることしかできず相手を納得させ負けを認めさせるほどの技量はない
掲示板なら1日に1人見るかどうかくらいには結構数がいて、西村はこのレベル
レスバを目的とせず、自分が知っているソースのあるエビデンスに基づく訂正だけをする層
頭が良く、喧嘩屋にも言いくるめられず話を整理できる
戦略的な言動をしないのでレスバで負け扱いされ空気に押されることもある
ヒエラルキーの頂点
知識で劣っていようと、相手が完全に正しかろうと、ロジックのみで相手や周囲を納得させる論戦ができる
人間全般にそういう部分があるのは否定しないけど、オタクの場合「インテリ志向」と「逆振り、反権力志向」「面白さ至上主義」があるのがでかいと思う
根本としてインテリ、知識人を気取りたい志向があるから知識欲、インテリや知識人になりたい欲はあるけど、マスコミがーとかみたいに社会で認められてるものや王道、一般論に反逆して「ほかとは違う特別な人間を気取りたい、ドヤりたい」という逆振り思考もあるじゃん。
そうなると大手マスコミを筆頭とした大衆は知らない話、ニッチなジャンルや知識に偏るけど、アニメ・マンガSNSの申し子としてありとあらゆるものを娯楽として薄っぺらく消費する面白さ至上主義という病気も患ってる
そうなるとニッチなジャンルでも王道の学術路線よりも、妄想と事実の区別をつけない成金おじさんの認知プロファイリングに飛びつくことになる
なお根拠はない
【前提として、キモおじが岡先生の著作のミス(例えば廿六を十六と記載していたこと)を指摘し、岡先生が「修正する」などと応答していた。それに続く議論】
(キモおじ)
https://x.com/dokushoa/status/1816142999379927100
「信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。」
岡美穂子さんコレの根拠も教えていただけません?
↓
https://x.com/mei_gang30266/status/1816145763182981378
こういう発言をした記憶がないので、回答は保留とさせてください。ここで間違ったことを言うと、異常に揚げ足を取られますので。
↓
(キモおじ)
https://x.com/dokushoa/status/1817874519752843296
岡美穂子さんが私に「信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています」との根拠について「保留」にしたままブロックしてきたんだけど…
多分操作ミスだと思うので、岡美穂子さんに親しい方は教えてあげてください
↓
https://x.com/mei_gang30266/status/1817889713916957091
この世界だけで生きている人には分からないかも知れないな、リアル世界の真のカラクリが。キモいオジサンに絡まれるのはお断りなので、ブロックしました。回答はいずれ『サイゾー』が掲載してくれるでしょう。ただし、『サイゾー』はカラーグラビア満載の月刊誌ですので、ちと高いですぞ。
東大准教授の岡美穂子先生は、右翼を嫌う進歩派で、左翼が愛するゲンダイに紹介されるほどのお人なので誤操作の可能性が高いよね
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬と女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。
https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/
※岡美穂子准教授が何を根拠にキモいおじさんと評したのかは不明ですが、私よりもはるかに学識豊かな方の発言ですので相応に根拠があるものとして、ここではそれに倣って使用しています
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます(略)左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
これがおもろい。
追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。
○増補新版にしか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙なウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない
○弥助の事書かれて無い2017年版大航海時代の日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人が異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど
そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか
そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも
(肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)
○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年の再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。
○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社と協議の上、Amazonに修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。
(後掲岡先生のXより)
アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるから問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。
弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから、普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね。
また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね
なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。
「戦国大名は黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない
かもしれない。
アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授のロックリー先生が、「戦国大名は黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。
しかし、これはロックリー先生のデマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生の名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)
東京大学史料編纂所の准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授のルシオ・デ・ソウザ先生の共著である「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。
屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易に関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)
また、ロックリー先生の著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。
ロックリー先生の著作が2019年出版、岡・ソウザ先生の著作が2017年であることから、ロックリー先生は岡・ソウザ先生の著作を参考に書かれた可能性がある。
つまり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生が奴隷と言い換えてしまったようなのだ。母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。
ちなみに岡先生・ソウザ先生の著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生・ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。
ただ、ロックリー先生の著作は英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。
商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035)
せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。
注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg)
書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミスが発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。
書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。
書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。
ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。
岡美穂子先生によると次の通りだ。
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬と女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。
https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/
岡先生のブログによると、左翼系知識人は日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼は絶対嫌とのことだ。
ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。
弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。
○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。
○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまったからでしょうね。
○「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力をしたことは存じております。
○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外で出版した本のレビューを権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。
ここから、①右翼・右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生の著作は読み物だが、ロックリー先生の努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生は史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身の著作を修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。
著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護の論陣を張っていた。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみにオンラインハラスメントの日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?
https://anond.hatelabo.jp/20240721230541
ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]