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はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは

2023-08-23

当たり前だろ、「正義棍棒で殴る」のはとても楽しいに決まってる

悪人がなに人権主張してんの?お前は悪人から殴られるのを受け入れないといけない

振るわれる棍棒正義制裁で、許された行為

反差別」「父性を許さない心」「ポリティカル・コレクトネス」、あらゆる正義棍棒としていい武器になる、それを片手に「悪」を打ち据える行為はたまらなく気持ちいいんだ

まあ抵抗するような骨があるやつは好きだけどな、骨があればその分叩きがいがある

2023-08-14

老齢や老化で衰えたり傷んだ身体を、そうでない年齢の役者表現するのはポリティカル・コレクトネス的に糾弾すべきことじゃないの?

anond:20230814163926

怒るなよ?

怒らないよ。

だって匿名でアホが書き込みしてるだけなら、誰も痛くも痒くもないじゃん。現に俺は元気ピンピンですよ。

他人が言ってる戯言をいちいち真に受けてたら、そりゃ精神不安定にもなるでしょう。だからスルー力をつけなさい。

 

無理なら自分書き込み印刷して精神病院に行って頭を治療しよう。自殺したり犯罪するよりましでしょ?

そうすれば君が幸福になる道が開けると思うよ。

ご苦労さん。お大事に。

 

理論が正しいとしてもその界隈に属するやつがムカつくから叩くよ

https://anond.hatelabo.jp/20230814163926

絵描きを見下してるAI使い共

ポリティカル・コレクトネスゴリ押す反差別(笑)

女性差別を解消したいと言いながら男性差別してるフェミニスト

それ以外にもあるが、それらひっくるめて全員嫌いだから叩く、正しいことを言っていても叩かせてもらう

だって話し合う姿勢を見せてちゃん対話しようとしたのに、テーブルにつかなかったもんな?

それどころかレッテル貼りして罵倒してきたもんな?

から同じことをするだけ、お前らが普段から言ってる「あなた達がしてきた事です、正当な報復です、権利です」ってのを同じようにするだけ

お前たちが気に食わない、ムカつく、気持ち悪いと否定して話を聞かなかったから、お前たちと同じことをしてやるだけだ

怒るなよ?お前たちがやってきた行為そっくりそのまま返してるだけだから

お前らの意見の中でもマトモな意見が出てきたとしても、無視して屁理屈並べ立ててさせてもらうよ

それで表現の自由戦士ガー、反AIガー、ミソジニストガーとか抜かすなよ?お前たちが唾吐いてきたから同じく唾吐いてるだけだから

まさかお前らだけよくてこっちは駄目なんて言わないよな?

クソがクソがクソが

理論が正しいとしてもその界隈に属するやつがムカつくから叩くよ

絵描きを見下してるAI使い共

ポリティカル・コレクトネスゴリ押す反差別(笑)

女性差別を解消したいと言いながら男性差別してるフェミニスト

それ以外にもあるが、それらひっくるめて全員嫌いだから叩く、正しいことを言っていても叩かせてもらう

だって話し合う姿勢を見せてちゃん対話しようとしたのに、テーブルにつかなかったもんな?

それどころかレッテル貼りして罵倒してきたもんな?

から同じことをするだけ、お前らが普段から言ってる「あなた達がしてきた事です、正当な報復です、権利です」ってのを同じようにするだけ

お前たちが気に食わない、ムカつく、気持ち悪いと否定して話を聞かなかったから、お前たちと同じことをしてやるだけだ

怒るなよ?お前たちがやってきた行為そっくりそのまま返してるだけだから

お前らの意見の中でもマトモな意見が出てきたとしても、無視して屁理屈並べ立ててさせてもらうよ

それで表現の自由戦士ガー、反AIガー、ミソジニストガーとか抜かすなよ?お前たちが唾吐いてきたから同じく唾吐いてるだけだから

まさかお前らだけよくてこっちは駄目なんて言わないよな?

クソがクソがクソが

2023-08-10

anond:20230810075911

あれだけポリコレ信用失墜してもなお、男女平等は信じようとする

そのエネルギーはどこから来るんだ

ポリティカル・コレクトネスってトップ企業欧米諸国に都合のいい商業トレンドであって

絶対正義でも価値観アップデートでも何でもないって結論が出たのにさ

2023-08-09

ポリコレはどこに向かうのか

最近流行りのポリティカル・コレクトネス

この考え自体自分は好きだ。不当な差別は無くなるべきであり、どんな人間であっても幸せに生きる権利がある。

私もそう思う。私は、個人的には、自分の周りの人間もそうでない他人も、皆幸せに生きてほしいと思う。

そして自分も善良で正しい人間としてありたいと思う。そこで問題が発生する。

まず、いわゆる「弱者」について考えてみる。

大学特定役職などで増やされる女性LGBT割合。それは良いことだ。彼らにもその役職に立つチャンスを用意するべきだ。

しかポストの数には限界がある。切り捨てられる男性が出てくる。

私は女性LGBTはもちろん、男性幸せに生きてほしいと願っている。

さて。ではもし、自分社会的成功して何らかのポストを得たら。

自分の中で疑問が出てくるだろう。「なぜそのポストを恵まれない他人提供して降りることをしない?それが正しいと思っているのに。」

現時点でポスト他人に譲らない人についてはとくに批判しない。自分の考えを他人にも強要するのは正しくない。

では強要できない正義とは何か。それもわからない。

とにかく。

私には両親がいる。ならば、孤児院の子供たちと変わってあげるべきだったのではないか

私には多少貯金できるほどの経済的余裕がある。ならば、貧困で苦しんでいる人達にその金を渡すべきではないのか。

私は食べるものに困らない程度の環境で暮らせている。ならば、食うに困って衰弱している人達にその食べ物を渡すべきではないのか。

私は比較安全で豊かな国で暮らしている。ならば、そうでない国の人と変わってあげるべきではないのか。

この社会搾取される人間がいることで成り立っている。ならば、少しでも彼らの負担が軽くなるように、自分はいなくなるべきではないのか。

ポストや金はもちろん、食料や資源は限られている。ならば、少しでも多くの人に行き渡るように、自分はいなくなるべきではないのか。

現時点でポスト他人に譲らない人についてはとくに批判しない。自分の考えを他人にも強要するのは正しくない。

では強要できない正義とは何か。

文化の違いや考え方の違い。知能の差。これらを無視して一方的定義するのが本当の正義か。

私の心の中にしかない正義とは、本当の正義なのか。

本当の正義なのであれば、上記の通り、私はいなくなるべきだ。

長くなってしまったのでここで終わらせよう。

他の生命を喰らうことでしか生きられず、他人の上に立つことでしか生きられず、搾取される他人がいることで成り立っている社会しか生きられない我々にとって、本当に正しい世界を作ることなんて、はたしてできるのか。

ただ、諦めてしまったらきっともっと悪化してしまうであろう。叶わない夢を願い続けて、偽善に目をつむり続けるしかないのか。

2023-08-05

タレント性加害問題についてのポリコレ

ポリティカル・コレクトネスポリコレ)の観点から芸能タレントに対する性加害問題考察すると、以下のような視点が考えられます

1. 被害者の声を重視:ポリコレでは被害者の声を尊重し、彼らが自身体験を話すスペースを保障することが重要視されます。これにより、被害者社会から孤立することを防ぐことができます

2. 性暴力容認しない:性加害は明確に否定され、加害者社会的、法的に厳しく対処されるべきです。また、被害者性別立場に関わらず、性加害を受けた人々全てが同様の保護を受けるべきという視点重要です。

3. 加害者への対応加害者芸能である場合、その行為大衆によって容認されることはなく、逆に彼らの行為によって他人を傷つける可能性があることを社会全体で認識することが求められます

4. 職場安全性芸能界やその他の業界では、職場でのセクシャルハラスメントや性暴力を防ぐための明確なガイドライン規定必要です。これは職場安全尊厳を保つための基本的要件であり、ポリティカル・コレクトネス観点から重要となります

5. 社会的責任:メディアは、性暴力問題について正確に報道し、公衆の誤解を解く役割を果たすべきです。これにより、社会全体の性暴力に対する認識理解を深めることができます

以上のように、ポリコレ観点からは、芸能タレントに対する性加害問題に対して厳格に対処し、被害者保護社会全体の理解を深めるための努力が求められます

2023-08-01

バービー=現代のパンとサーカス=3S政策=ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=自分より賢い人間を支配するのは難しいけど、自分より愚かな人間を支配するのは簡単

敗戦後の日本人原爆大量虐殺したアメリカ感謝して媚びを売る「ストックホルム症候群」の患者

強い者(在日米軍)には逆らえず、弱い者イジメと嘘と妥協蔓延

愛国ビジネスで儲ける売国奴宗主国アメリカ様のケツ穴をなめるのに忙しいですね

 

 

 

 

バービー現代パンとサーカス

https://w.wiki/4r8N

パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現

権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によってローマ市民が満足して政治的無関心になっていることを指摘した。

 

物質主義の例えとしてしばしば用いられる名言であり警句である

現在では愚民政策比喩として用いられることもある。

日本語では「パン見世物」とも表記される。

 

バービー3S政策

https://ja.wikipedia.org/wiki/3S%E6%94%BF%E7%AD%96

3S政策(さんエスせいさく)とは、主にGHQ日本占領下で行ったとされる、screenスクリーン映像鑑賞)、sportスポーツプロスポーツ観戦)、sexセックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている。

 

バービーウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

https://w.wiki/4KPm

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム英語War Guilt Information Program)は、

大東亜戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)が日本占領政策の一環として短期行ったといわれる日本国民に対する再教育計画

 

日本米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析

また、「もしこの架空対立の図式を、現実錯覚し、あるいは何らかの理由錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーションプログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。

まり、そのとき日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。

以後日本人大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることな、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している。

 

軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。

大都市無差別爆撃も、広島長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている。

 

国民バービーを与えることで、国民政治経済歴史問題から関心がそらされて、目先の喜びだけを求める愚民になる。

自分より賢い人間支配するのは難しいけど、自分より愚かな人間支配するのは簡単

 

からバービー程度で喜んでいる人間はアホと言わざるを得ない。

 

骨の髄まで奴隷根性が染みついた負け犬マゾ原爆で殺してくれてありがとうございます!」

奴隷が再び逆らったら、在日米軍核兵器日本人を皆殺しにしてくださいね!」

基地外日本人は、基地内に行って、現実直視して、目を覚ませよ?

 


 

  1. anond:20230730182234 花火大会現代パンとサーカス3S政策ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム自分より賢い人間支配するのは難しいけど、自分より愚かな人間支配するのは簡単
  2. anond:20230801022507 映画バービー公式アカウント炎上ポリティカル・コレクトネス
  3. anond:20230731121443 日本国外原爆への認識差異について
  4. anond:20230731165055 バービー公式原爆茶化し炎上ポリコレの底は見えたのでは
  5. anond:20230801002729 「日本人なら原爆茶化す表現に怒って当然」みたいなこと言ってる奴が一番腹立つわ
  6. anond:20230801010727 大阪原爆を落とすべきだと言われたら日本の人はどう思うか
  7. anond:20230731203354 戦勝国侵略被害国にとっては侵略国を成敗した原爆こそが「ポリコレ」なんだよ
  8. anond:20230801003053 原爆バービーの件で批判者を批判している人
  9. anond:20230103223622 被害者は意外と加害者を憎まない
  10. anond:20230801001740 お前ら被爆者が何か物申したら叩くくせに都合のいい時だけ被爆被害を叩き棒に使うなよ
  11. anond:20230801001927 原爆ミームに怒る癖に悔しいのう悔しいのうwwwwと煽る奴
  12. anond:20230801000954 ポリコレカードバトルにおける日本人地位アメリカ白人よりも下に設定されてるの、超好き
  13. anond:20230801000712 アメリカ人の原爆思想なんかまあそんなもんやろって感じやけど「ネット不謹慎ネタに乗っかる公式(企業の一個人)」って構図がキショすぎや〜日本アメリカ関係ない
  14. anond:20230731230451 不謹慎表現賽の河原のようだ
  15. anond:20230731230149 原爆もっかいやったろかみたいな挑発した外国人いたよね
  16. anond:20230731214331 バービーオッペンハイマー
  17. anond:20230731212004 まあ客観的には被爆者反核って拉致被害者北方領土と同じで
  18. anond:20230731210943 ポリコレって、奴隷として連れてこられれた黒人とか、住処を追いやられたネイティブアメリカンとか、虐げられた弱者権利回復しましょうってやつじゃん
  19. anond:20230731210232 「原子爆弾非戦闘地域に投下し、非戦闘員である民間人を大量に死傷させた」なんて敗戦国がやってたら数世紀先まで後ろ指さされる所業よな。
  20. anond:20230731203905 バービーに関する残酷真実について
  21. anond:20230801095348 今回の『バービー』叩きは史上最悪のキャンセルカルチャー
  22. anond:20230801093406 バービーの件は 日本公式アメリカ本国に対して「遺憾の意」を表明で何となく終わりそうだね。
  23. anond:20230801092820 オッペンハイマーカウンターパートとして 誰か長崎隠れキリシタン映画作ってくれよ。
  24. anond:20230801084340 普通の日本人「うわああああ原爆を茶化された!」 普通の日本人「よしポリコレを叩くぞ!」 これ意味不明だよな
  25. anond:20230801084602 普通の日本人「うわああああアメリカ原爆をおとされた!」 普通の日本人「よし日本政府と天皇戦争責任を追及するぞ!」 これ意味不明だよな
  26. anond:20230801092233 バービーの件で思う、リベラルのよしあしの基準決めるのはアメリカ
  27. anond:20230801092022 原爆茶化されてキレてる人って誰?
  28. anond:20230801090519 WW2の東京空襲建物破壊民間人虐殺されたおかげで東京って文化的もの殆ど残ってないのが悲しいね
  29. anond:20230801090335 町山智浩 国連核兵器禁止条約批准しない自民党政権批判しないくせに、作品のもの無関係バーベンハイマーの原爆ミームネタに『バービー』を叩いてる奴は、本当は『バービー』のテーマである反家父長制が気に入らないだけじゃないの?
  30. anond:20230801115632 町山、「史上最悪のキャンセルカルチャーツイート消したけど 今回の件で、あの人が日本人に対して帰属意識共感全然持ってないことが見えちゃったなあ。
  31. anond:20230801090724 鋭いツッコミじゃん アメリカ核の傘必要~っていうくせにアメリカ人の核兵器に対する認識を叩いてるとかイミフ
  32. anond:20230801085911 バービーハイマーへのノーランやマーゴットの関係と、大事な2つの
  33. anond:20230801082716 おれは「アイアム…アトミック」に爆笑していたので 沈黙する (→※ https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF アイ・アム・アトミックとはライトノベル「陰の実力者になりたくて!」に登場する技である。)
  34. anond:20230801070927 今までさんざん血を流して、人権という概念発明したけども、最終的には殺しあいたいのね やれやれだわ
  35. anond:20230801045449 不謹慎なことって面白いんだよな
  36. anond:20230801035953 原爆でキレ散らかす日本人を見るたびに、児ポ奴隷ナチスだなんだをエンタメ的に消費している人種が何言ってんだって冷めちゃう
  37. anond:20230801023539 バービー現代パンとサーカス3S政策ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム自分より賢い人間支配するのは難しいけど、自分より愚かな人間支配するのは簡単
  38. anond:20230801105024 はてサがBarbernheimerの扱いで表自の言動不一致さを揶揄しているが
  39. anond:20230801104743 バービー炎上で気づいた
  40. anond:20230801105950 ウヨバービーに噛み付いてる理由がわかった
  41. anond:20230801105303 「ポリコレに対するポリコレ」または「新しいポリコレ」について
  42. anond:20230801104002 お気持ち表明
  43. anond:20230801103616 バービー騒動をみた俺「お、これは右翼街宣車映画突撃犯罪予告で上映中止するんだけどネット表現自由云々叫んでる人たちは「批判する自由」とかいってむしろ右翼応援するパターンだな」
  44. anond:20230801101708 オッペンハイマーについて日本文句をつける奴が出るかもというのは想像してたけどまさか無関係の同時公開の映画燃えるとは思わなかった
  45. anond:20230801100709 表現自由戦士もゆっるーいポリコレは認めてるよね
  46. anond:20230801100419 すべての日本人へのお願い 「卑屈になるな!」
  47. anond:20230801110903 バービーの件とエンジニア界隈は似ている
  48. anond:20230801110717 バービーの件で白人がこういうこと言い出したら腹立つよな
  49. anond:20230801002325 正直、そろそろポリコレ勝利アンチポリコレの敗北)が確定ってことでいいよな
  50. anond:20230801112614 なんか元の問題とかどうでもよくて論争の口実として利用してるだけだろ
  51. anond:20230801113112 バービー人形燃やした写真でも上げればいいのかなあ
  52. anond:20230801120736 アメリカ人の彼女と付き合っていた経験から見る、原爆への無理解
  53. anond:20230801115835 ところでロシアによると日本人原爆を落としたのはアメリカだと知らされてないんじゃなかったのか
  54. anond:20230801121010 台湾有事日本有事なの?
  55. anond:20230801131611 アメリカアンラッキーデイズ
  56. anond:20230801140549 映画バービー原爆を茶化したネットミームの件、嫌いなもの地雷と言うのも駄目だろとか言って 他の表現を持ち出して相対化しようとしている動きが見られるのが気になる
  57. anond:20230801140703 バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事
  58. anond:20230801151413 日本アメリカ大統領)の言いなり なので、日本情報機関アメリカ大統領選に介入して、都合のよい大統領になるように努力するべきである
  59. anond:20230801155548 学歴なくて顔も良くない20代女性たちの婚活で 日本で働いてる白人黒人のみをターゲッティングしてまんまと結婚してる人が周りに急増中 マジで勝ち組だと思うと同時に敗戦国、衰退国だなあとも思わざるを得ない
  60. anond:20230801163726 むしろ憎しみを生むべきなんじゃないのか
  61. anond:20230801164226 韓国における #NoBarbenheimer に対する反応
  62. anond:20230801163005 あらら、またクレームによって表現自由が失われたねえ
  63. anond:20230801162156 アメリカ人の原爆に関する認識ってやっぱ気がくるってるな
  64. anond:20230801164751 ワイがアメリカに住んでいた時の決め台詞 「でもお前らはネイティブインディアン侵略して迫害してましたよね」 「でもお前らは人種差別して黒人奴隷にしてましたよね」 だいたいどちらかでキレてくれた 特に差別者と指摘されるのはかなりきついみたいで、差別野郎が!って言うとだいたいキレる
  65. anond:20230801180615 バービーを見たくて仕方ない日本人に見に行く言い訳を与える映画会社→日本人「どれ一つ見てみるとしますかね?」(チャリーン💴💴💴)
  66. anond:20230801180944 核兵器マジで本気でクソだし何一つ正当性のない絶対悪だと思ってるけど、「核保有国がただの一国として批准してない核兵器禁止条約に何の意味があるんだ。こんな茶番があるか」という日本政府の言い分も割とわかるよ。
  67. anond:20230801181716 日本中韓と同じレベルに墜ちた。リベラルのせいで。
  68. anond:20230801182206 そういえば核禁止条約?だかに日本署名しないのかみたいな話あったじゃん
  69. anond:20230801183246 原爆ネタでキレてる人たちって愛国心が強いのか?
  70. anond:20230801214222 原爆は「過去のこと」じゃないんだよ
  71. anond:20230802021841 原爆ネタにすることとヒトラーネタにすること
  72. anond:20230729223457 韓国宗教にベッタリの自民党日本政府では日本国民を助けることはできない。 彼らは日本人の方を向いて仕事をしているのではなく、アメリカ韓国の方を向いて仕事をしている売国奴で使えない。

映画バービー公式アカウント炎上ポリティカル・コレクトネス

私は今漫画業界の末席にいて、且つ今の日本漫画業界のあり方は好きなほうです。

から外圧に感じる外国から意見というのは煩わしく感じているし過ぎた意見文化衝突で

宗教戦争でもあるなとさえ思ってる、そういう立場です。

から私の意見は著しく公平性を欠いています

それにあまりちゃん知識もないのでいろいろ間違ってたら申し訳ないです。

今回はそんな自分のしごとである漫画ポリコレについての話というか、愚痴です。


上記の通りそういう立場ではありますが私はポリティカル・コレクトネスの考えは支持する立場でいます

からポリティカルコレクトネスを腐しすぎるオタクは私も大嫌いです

今は変革の過渡期であり厳しいのも当然でそれでも私達の次世代の子どもたちが差別偏見に苦しまないために

自分愛してたものをあえて手放す時期なのかもなとも考え直したりもしました。

だけど今その考えがかなり揺らいでいます

海外国内の、アメリカなどに精通している方から日本漫画海外に比べて

ポリティカル・コレクトネス意識エンパワメントエクイティも欠いてるというのは本当散々言われ続けたことです。

(これに関しては半分その通りでなぜなら日本漫画消費者第一主義からです。

読者の読みたいものを描くのが仕事です。千差万別有り人権無視したようなポルノから

フェミニズムエンパワメントなどを主題とした漫画もあり一括りで言えない部分があります

そしてどれだけ過激に思える漫画でも配慮というのは確実にされていますしチェックは入ります

その作品がどれだけポリコレ配慮するか、エンパワメントを含むかなどは作者個人思想によると

いったところが大きくほとんどの編集部作家思想尊重してくれます。)

それだけ海外から日本漫画は遅れていて海外常識思想アップデートしなければ

取り残されて業界は死んでいくし次世代の子どもたちに禍根も残していくのではとおもうところもありました。

でも結果がこれで、結局海外標榜する政治的配慮日本は入ってないんだなとわかりました。



本来ならこれを打ち壊すための考えがポリティカル・コレクトネスなんだけど

これのために愛してる物を手放そうとしてたのにこんなんじゃまるで

搾取されてるのに気づかずに権力者に阿ってるみたいで馬鹿みたいだなと思ったし

結局これはただのムーブメントしかなくてこれに乗って次世代の子達は本当に幸せになれるのかなって

疑問を抱くようになってしまった



ミームつくったり乗っかってはしゃいでるのはアメリカ人全体じゃなくて馬鹿ポリコレ無頓着人種差別人間かもしれないけど

多様性エンパワメントフェミニズム、それにトキシック・マスキュリニティから解放の点で

褒めそやれてた映画広報人間はそれに見合うきっとそれなりの大学をでた教養ある人間なんじゃないんですか?

そんなひとって国の代表的存在だと思うけどそんな人があの意識なら海外にとって

虐殺行為って多様性否定よりずっと罪が軽いんだなと思ったしそんな国から発祥した考えに私は説得力も感じられなくなりました。

爆弾の下には惨たらしく亡くなる方がいるって戦争たくさんしてる国だったら容易に

想像つくと思ってたからこんな軽いジョークとして扱われて、

向こうの言う正義って本質からっぽなんだなってガッカリしてもいいじゃんという気持ちです


バービーが無邪気にはしゃいだピンクキノコ雲の下には無差別殺害された

凄惨子供達の死体が何万体とあるはずなのに。

日本の子どもたちの命はバービーにとって羽より軽いんだなあと思いました。


それでもポリティカル・コレクトネスについてはこれから必要だと思っています

必要以上に腐す人間は嫌いです。

そしてオタク共は皆人権意識が低くてポリコレが嫌いって思ってる他人を見下す意識高い人間も嫌い

でもそれ以上に馬鹿馬鹿しい~~って気持ちになってしまってる

ポリコレにというより今まで日本漫画をくさしてきた人の浅さにも

その考えに結果的に阿ろうとした馬鹿で浅い自分に対してもです

2023-07-24

旧称で呼んではならないモノ

旧称名称・現名称理由
トルコ風呂ソープランドトルコ本国からの強い抗議(いわゆる遺憾の意
DQNネームキラキラネームDQNのもの侮蔑語として認められた関係キラキラネームという単語のもの侮蔑語になっている場所
ブラインドタッチタッチタイピングブラインド盲目(目の見えない人)に対する差別表現ではないかという指摘から回避するため(一説)
グルジアジョージア同国政府から要求
レイザーラモンハードゲイレイザーラモンホットガイいわゆるLGBT対策、ただし芸風は一切変わらない
レイザーラモンリアルゲイレイザーラモンリアルガイ上記と同じ
ジェシー・マクリーコール・キャスディオーバーウォッチセクハラ問題での影響
さくらんぼ小学校東根市立大小学校ロリゲーで知られる私立さくらんぼ小学校との衝突事故仮称ではあったもの話題
デブプラスデブピアラブプラスの開発元が本気になって訴えた関係
ベルノースオーシアパターン、「この土地をその名で呼ぶと、"いや、ここは南ベルなのだ" と土地の人に、内心腹を立てたような顔を返される」
志賀丸太氏子達磨中国韓国からの強い遺憾の意によるもの
日本ユニシスプロジー「Unisys」の商標日本国外使用できないため(尼崎USBの影響ではない)
キエフキー現在戦争中の政府から要求
エアーズロックウルル先住民であるアボリジニー聖地であるため(一説?)
プラグプラグ目の見えない人を指す差別語のため
メクラ栓プラグ上記と同じ理由
ビジネスガールオフィスレディ女性自身』が公募した単語そもそも職業婦人」という単語も昔から存在していた
アナルアヌス英語問題エイナスしろどのみち下ネタ
被験者実験参加者実験を行なう者と実験をされる者とが対等でない等の誤解を招くため
ビホルダー鈴木土下座ェ門BASTARD!!』に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のビボルダーとほぼ同じものが出てクレームが付いた時に鈴木という担当者土下座していたという話から
マリアージュペアリング未婚の人に配慮して
ウイダーinゼリーinゼリーウイダーブランド使用を取りやめた
アスペルガー症候群自閉スペクトラム症アスペの他に自閉症広汎性発達障害などを含む言葉として包含した言葉
槍魔栗三助生瀬勝久NHK放送にふさわしいとはいえない
海砂利水魚くりぃむしちゅー『新・ウンナン気分は上々。』における企画改名
バカルディさまぁ~ず『新・ウンナン気分は上々。』における企画改名
オス・メスピンインサート・ソケットインサートセックスチェンジャーと言われるほどなので
ニューコンビーフニューコンミートJAS基準改正された関係
虚弱フレイル英語にしておしゃれにする
身障者体の不自由な人しょうがいしゃと言わないため
ソビエト連邦ロシア崩壊したため
巻き戻し早戻しテープではなくデジタルデータになったため
痴呆症認知症差別語の回避のため
精神分裂病統合失調症差別語の回避のため
看護婦看護師男のナースも居るので
DMMFANZAブランドのため(DMM自体存在
エスキモーイヌイット差別用語に指定されたため
AV女優セクシー女優聞こえがよく無難表現になるため
ふぁぼいいねシステム改悪
援助交際パパ活名称回避による取り締まりからの逃れ(どっちみちやってることは……)
化学調味料うまみ調味料味の素から圧力
ミューグラブウェドルグラブ差別語の回避のため
能年玲奈のん友達から呼び名から
ロスタイムアディショナルタイムロスが良くない単語から
キーマンキーパーソンマン以外にもキーになるから
ブラッフォードブルーフォードメディアtypo
支那中国蔑称語(正確には中国ローマ字Chinaから蔑称ではあるが)
火薬庫明大前もうないため
優性遺伝・劣性遺伝顕性遺伝・潜性遺伝優劣が差別的なので
ChampagneAlexandrosシャンパーニュ地方ワイン生産同業委員会(C.I.V.C. ) 日本支局から要請
master/slaveprimary/secondary差別語(奴隷
インディアンネイティブアメリカン差別用語に指定されたため
大学入試センター試験大学入学共通テスト独立行政法人大学入試センター意向
自殺点オウンゴール差別回避のため
癩病ハンセン病差別表現回避のため
山止たつひこ秋本治山上たつひこからクレーム
赤いプルトニウム赤プルプルトニウム放射能汚染されているため
ジーパンデニムパンツが良くないということで
将棋倒し群衆雪崩ドミノ倒し含めて表現が分かりにくいため(余計に分かりにくいという意見もある)
肌色ペールオレンジエロ回避
加勢大周坂本一生加勢大周」の所有権を巡り裁判沙汰
ビルマミャンマービルマ語における公式国名であるため
シンクロナイズドスイミングアーティスティックスイミング単語芸術性を求める演技にふさわしくないため
宅地建物取引主任者宅地建物取引士法改正によるもの
ヒュンダイヒョンデ本来発音統一
スチュワーデス客室乗務員キャビンアテンダントなどと呼ばれるが、全てポリティカル・コレクトネス理由
2ちゃんねる5ちゃんねる買収と改悪
TwitterX買収と改悪

この他大量にあったものの、増田仕様にひっかかりそうなのでここまでとする

もう誰かWikiでも作っておけよ

2023-07-11

anond:20230711212640

???ポリティカル・コレクトネスが導入されたら女性暮らしやす社会になるよ

わざわざ口に出して賛成と言う必要がないだけでしょ

2023-07-08

anond:20230708203018

科学専門用語詐称することが、群衆ポストモダニズムの言説に引き込む主要な手段である一方で、真の科学ポストモダニストたちから軽蔑の目で扱われているという皮肉について考えるのは興味深い。物理学薬理学のような真の科学が猜疑の対象である一方で、多くのヒューマニスト知識人が、ラカンのような人物証拠のない不透明疑似科学の虜になるというのは、なんと倒錯的なことだろう。あるいは、科学が相対化される一方で、イリガライのような素人脳内科学をこじらせたものは、疑問の余地なく受け入れられるべき真理として扱われる。ここには、ポストモダンの理論家たちの事実に対する態度と類似点がある。事実など存在せず、あるのは言説的共同体とその解釈だけだと言われる。だからポストモダニストたちは、歴史の流れや社会本質、あるいは自己政治性についての巨大な経験的主張を支持するために動員する事実(たいていは間違っている)だけを支持するよう私たちに求めるのだ。

SとBが『知的迷信』を書いたのは、何よりもポストモダン理論が、その破壊レトリックや、多くの議論を呼んだ疎外された人々、疎外された人々、抑圧された人々への支援にもかかわらず、純粋進歩的思想を損なっていると感じたかであるソーカルは『ホアックス』を振り返って、自分の主な関心事は「リト・クリティックの野蛮な大群から科学を守ること」(p.249)ではなく、「現在流行しているポストモダニズムポスト構造主義社会構成主義の言説、より一般的には主観主義を好む言説と闘うこと」(p.249)であり、それは左翼価値観未来にとって不都合ものだと私は信じている、と強調している。社会正義を求める人々に必要なのは、イリガライ、ボードリヤールドゥルーズらのような作家の反科学的、反経験的、相対化的、蒙昧主義である人間の言説の外にある事実に基づく科学的真理という概念を捨て去り、「経験的真理」という概念嘲笑するならば、少なくとも特定事実否定することが極めて都合のよい権力者の手に乗ることになる:E=MC2性差別的な方程式である」と主張し、それは男性支配関係があり、自然のものとは関係がないと主張することから、「湾岸戦争は起こらなかった」(それはメディアによる表現総体に過ぎない)というボードリヤールの主張、東ティモールでの虐殺ホロコースト現実否定することまで、その道は短くまっすぐである

言うまでもないが、SとBはこのことを指摘することによって、広範な怒りを引き起こした。カリフォルニア大学サンタクルーズ校で最近開催された会議の告知(196-7頁を引用)では、「米国知的生活に取り憑いている亡霊、それは左翼保守主義の亡霊である」と語られた。SとBとその他の人々は、「反基礎主義的な理論作業」に反対し、「現実概念に基づく合意形成の試み」を批判した。SとBは、「フェミニストゲイ人種正義政治を疎外しようとする社会的に保守的マルクス主義者であり、アメリカ右翼コメンテーターラッシュ・リンボー価値観を共有するものである」とされた。

社会正義に関心を持ちながらも、ポストモダニズム理論の混乱と不正直さを嫌う人々の難しい立場は、ウェンデルハリスがジョン・エリスの『失われた文学』の最近書評で簡潔に表現している:

初歩的な社会良心を持つアメリカ人であれば、アメリカ経済文化社会システム、そして西洋文化全般複数の悪を見出すことは容易である人種的不平等性的差別継続貧富の差の拡大、適切な医療を受けられない何百万もの人々の存在弁護士を雇うことの巧拙よりも正義とは無縁の裁判制度などを認識できないのは、故意盲目だけである現在大学人文科学課程を支配している文化批評家たちから聞こえてくる非難の大合唱は、現実の悪を指摘することができるため、こうした批評家たちの同様に現実的な混乱や行き過ぎに異議を唱えることを難しくしている。平等を達成しようとするあらゆる試みに対して、「ポリティカル・コレクトネス政治的正しさ)によって踏みにじられる自由」と叫ぶ政治的・宗教的保守派大勢いるため、効果的な対応は二重に難しくなっている。(多文化主義文化戦争」『哲学文学1998年、22:497-515)。

それほど複雑ではない区別--たとえば、抑圧への反対と、不誠実で効果のない抑圧への反対を伝え、維持することの難しさは、それ自体ポストモダン理論学問議論堕落させ、粗雑にし、混乱させ、腐敗させた度合いを示すものである

このことが何よりも、『知的詐欺』の出版人文科学において最も重要出来事である理由である。それはまた、イーグルトンの言う「ポストモダニズム産業の重役たち」が、独自の条件、あるいは実際、いかなる条件においても、この本との関わりを避けようとしていることの理由でもある。当然のことながら、クリステヴァはこの本を「知的にも政治的にも取るに足らない行為」と断じた。まあ、彼女ならそう言うだろう?CMTPを基盤に30年間輝かしいキャリアを積んできた彼女が、勝利の方程式を破って知的透明性を育み始めることはないだろう。しかし、彼女は知らず知らずのうちに控えめすぎるほど控えめになっている。クリステヴァ著作が最も重要なのは、(もう明らかだろうが)本質的な利点があるからではなく(そんなものはない)、それが注目され、彼女のグノミック思考を読み、リサイクルし、崇拝し、引用し、引用し、解説することに費やされた男女の時間(実に何世紀にもわたる)のためである。そしてまた、彼女と他の一握りの人たちが、殺人罪から逃れられるだけでなく、根拠のある批判は単に無視することでやり過ごすことができるということを示した、絶大な影響力を持つ悪い見本でもある。

デリダは、(繰り返し指摘されているように)常に批判無視しているが、SとBに対しては、「Le pauvre Sokal」という特徴的な高慢嘲笑反論した。これに対してジョン・スターロックは、知的誠実さは過剰に興奮するようなものではなく、事実の真偽を気にするのは軽蔑すべき衒学であることを明らかにした、のんびりとした批評(「哀れなソーカル」、『ロンドンレビュー・オブ・ブックス』1998年7月16日号、8-9頁)を書いている。スターロックは、「偽者たち[クリステヴァラカンら]は、証拠と呼べるほど十分な知識もない概念を乱用している」ことは認めるが、驚くべきことに、(イリガライを擁護するために)こう主張している!しかし、驚くべきことに、(イリガライを擁護するために!)「関係する諸科学に対する彼女の主張は、いかがわしいというよりひどい」かもしれないが、それでも、「彼女機能している知的世界リバタリアン領域では、ソーカルブリクモンが不適切要求するような茫洋とした厳密さよりも、この種の荒唐無稽で論争的な論文の方がはるかにましなのだ」と論じている。言い換えれば、SとBが公言するような厳密な科学よりも、無知な人々を興奮させ、理解しかたかのように錯覚させるような、歯止めのきかない不透明なでたらめの方がいいということだ(ちなみに科学は、厳密なだけでなく、美しく、想像力に富み、刺激的で、おまけに多くの場合、真理にかなり近く、その結果、テキストの外の世界でも役に立つのである)。

スターロックのような影響力のある文芸ジャーナリストの態度は、『知的詐欺』の重要性を強調するだけであるしかし、その影響力をいかに鈍らせるかも示している。本書は「重役」を通り越し、学生たちに手を差し伸べるべきものである。従って、スキャンダルによって矮小化されてはならない。ポストモダニズムへの批判を、単にアカデミズム内の小さな戦争、つまり島国アングロサクソン」と「最新の外国人詐欺師」のあいまいなつばぜり合いの一部として片付けるべきではない。(だからこそ、SとBの本がなぜ重要なのか、もう少し詳しく説明する価値がある。

第一に、SとBは、クリステヴァらの科学専門用語の使い方を検証したことが、彼らの他の著作を「判断を保留する」ことを無効にしていると主張することを控えめに拒否しているが、SとBが明らかにした不誠実さが、ポストモダン理論におけるより広範な詐術文化の一部であることを示す、多くの独立した証拠がある。SとBが「はじめに」で列挙しているさまざまな習慣--(a)「せいぜいぼんやりしか考えていない理論について長々と語ること」、(b)「概念的・実証的な正当性を少しも示すことなく、自然科学概念人文科学社会科学に輸入すること」;(c)「全く関係のない文脈専門用語を恥ずかしげもなく乱発し、表面的な博識を誇示する」、(d)「実際には無意味言い回し文章を操る」--これらは、ペテン師の昔からの悪癖であるしかし、これほど蔓延し、これほど潤沢な資金があり、これほど報われたことはない。

これらの悪徳は、いわゆる「学際的」研究の台頭とともに栄え、人文科学における知的水準--厳格さと誠実さ--の破滅的な低下を助長してきた。もちろん、真に学際的なものではない。クリステヴァ集合論理解して文芸批評家の聴衆に感銘を与えたり、ラカン数学的・医学的に無知な聴衆に高度な位相幾何学精神医学について語ったりするとき、彼らが頼りにしているのは、その専門用語つまみ食いした学問分野の専門家--偽物の宝石と本物を見分けることのできる人々--の不在である。たとえ聴衆の中にそのような人がいたとしても、少数派であり、大ポストモダニストとその何千人もの弟子たちを取り巻く熱気と党派的な雰囲気の中では、この詐欺師の評判を落とすことはできないだろう。ジョン・ベイリーが「学際的研究」を、狡猾日和見主義的な学者に「二つの大便の間に立つチャンス」を与えるものだと評したのは、決して無意味なことではない。

私は最近、私が出席した2つしかない非医学学会のうちの1つで、このプロセスを実際に目にした。その講演者は、20世紀ミクロ物理学は、物質よりもむしろエネルギーに重点を置き、主に無からなる原子という概念を持ち、女性自分身体とより女性的な関係を築くことを可能にするはずだと、イリガライに倣って主張していた。私は質問時間を利用して、(a)この「女性的な」物理学は圧倒的に男性(マクシーン・プランクではなくマックスアルベルト・アインシュタインではなくアルベルト)によって創られたこと、(b)新しい物理学女性身体だけでなく男性身体にも適用されること、そして小石、サソリ嘔吐物、犬の糞にも適用されることを指摘した;(c)スーザン・ステビングは、ミクロ物理学発見概念を肉眼で見える巨視的な世界物体フィードバックすることの誤りを、ずっと以前に明らかにしていた--彼女ターゲットはアーサー・エディントン卿だった。(原子ビリヤードボール世界はもはや存在しないが、ビリヤードボール世界は確かに存在する)。発言者はこの質問をうまく処理しなかったが、私は議長に、(彼女検閲のように言ったが)他にも発言したい人がいるのだからと、それ以上発言者質問することを阻止された。この他の人たちは、「豊かな貢献」と刺激的なプレゼンテーション賞賛し、スピーカーに脇の下でボーリングをしていた。その後、講演者(超一流大学終身雇用学者)が私のところに来て、聴衆の中に専門家がいることを知っていたら、もっと慎重に議論しただろう、と言った!私は専門家ではない。Aレベル物理学と、ある種の惑わされない常識しか持ち合わせていない。この返答には、少なくとも正直さと羞恥心さえ感じられた。

真実に対する侮蔑相関関係は、聴衆に対する侮蔑である。その最も直接的な表現が、多くのメートル・ア・ペンサーによる悪名高い講義時間であるデリダが数時間も話し続けることは珍しくない。そしてラカンは、前述のように、週末を丸々使って話し続けた。(このような嫌がらせは、カストロ太陽の下で汗だくになりながら、臆病になった民衆を4時間にわたって説教したことや、ブレジネフや毛沢東がそれぞれの党大会演説したことに不気味なほど似ている。ポストモダニズムの大思想家とその代表者たちは、聴衆や読者に譲歩することはない。たとえSとBが引用したクリステヴァやイリガライなどの文章科学的にナンセンスだと判明しなかったとしても、それらがコミュニケーション行為として意図されたものでないことは明らかであろう。老年期のラカン痴呆的で失語症的なつぶやきが、苦悩する弟子たちから尊敬畏敬の念をもって聴かれていたのが本物のコミュニケーション行為ではなかったのと同じであるコミュニケーションには、自分が何を言いたいかを知っていることだけでなく、聴衆がどこにいて、どうすれば彼らに届くかを考えていることも必要であるクリステヴァ目的コミュニケーションではなく、見せびらかすこと、感動させること、恐怖を与えることであり、聴衆は自分押し付けている似非数学ゴミ理解できないことをよく知っていた。

よく言えば証明されていない、悪く言えば意味のない、莫大な範囲の主張に敬意を持って耳を傾けようとする学者たちの聴衆という概念は、ポストモダニズム理論現代人文科学を支える制度に与える影響について、深く憂慮すべき疑問を投げかけるものである私たちは長い間、ひとたび "maitre à penser "の地位に就いた者は難攻不落であり、その見解に異議を唱えることはできないということを知ってきた。しかし、この免罪符は今や、より多くの教師たち、つまりメイトルの言うことを鸚鵡返しに聞いたり、世界を包括するような主張をしたりする何千人もの教師たちすべてに適用されなければならない。このことは、学生卒業生ポスドク講師、読者、教授など、膨大な数の有権者が、冗長な散文で語られるドグマを黙認していることを意味する。ラカンのようなカリスマに魅了された少数の熱狂的なグルーピーのことを言っているのではない。私が言っているのは、人文主義的な知識人社会の公平な一部である。私が言っているのは群れ行動のことであり、巨大な群れのことである

科学用語やその他の専門用語を、理解されることを望まず意図もしない個人が欺くように使うことは、それが一握りの弟子たちに向けて行われる場合には十分に悪いことである。それが義務教育カリキュラムの一部として押しつけられ、記憶する時間はおろか、それについて批判的に考える時間ほとんどないティーンエイジャーの心に注がれるとき、信頼の乱用はより深刻なもの、すなわち教化へと陰を落とす。ほとんどの若者抽象的な考えに無関心であり、試験で失敗する以外に制裁がないため、通常は失敗に終わる。ポストモダンの理論家たちが常に反乱、反逆、破壊を口にするのと並行して、既成の権力構造転覆させるというレトリックが、メイトルの頭に浮かんだ不透明発言を無批判子供のように受け入れることと結びついていることを思うと、なおさらである

SとBの素晴らしく、深く情熱的で、真に博学な本書の深い意義は、ポストモダニズム代表的理論家たちの偽物の宝石に本物の光を当てることで、クリステヴァのような知的 Permalink | 記事への反応(1) | 20:31

anond:20230708201822

例えば、ジュリア・クリステヴァの名声を確立したプロジェクト--詩的言語構成するものは何かについての彼女調査--を考えてみよう:

私たちにとって詩的言語とは、他の言語包含するコードではなく、言語コード無限性を表す関数phi(x1...xn)と同じ力を持つクラスAであり(存在定理参照、p.189参照)、すべての「他の言語」(「通常の」言語、「メタ言語」など)は、より限定された範囲におけるAの商である(たとえば、形式論理学の基礎である主語-述語構文の規則によって限定される)。例えば、形式論理の基礎である主語-述語構文の規則によって制限される)、この制限のために、関数phi(x1...xn)の形態論を偽装している。(SとB41ページより引用)

そして、これはほんの始まりに過ぎない。彼女のページの多くには、次のような公理選択公理)が散りばめられている:

(EA) {Un(A) . (x) [~Em(x) . -> . (Ey) [y e x . < yx > e A]]}

集合論を学んだ数学者には馴染み深いが、(私を含む)彼女の読者の大部分には全く不透明ものである。この公式は、「私たち宇宙plのEに適用できる」と彼女は主張した(SとB p. 42)。(SとB p. 42)

ロラン・バルト彼女作品を「まったく新しく、正確なもの」と称賛した。そして最近の論者(John Lechte, Julia Kristeva, 1990)は次のように主張している。

クリステヴァ仕事で最も印象的なのは......それを提示する能力、それを追求する強烈な一途さ、そして最後に、その複雑な厳密さである既存論理理論が引き合いに出され、量子力学が登場することもある(p.109)。

それ以外の人たちは、若干の懸念を抱いているかもしれない。用語妥当性をチェックする知識もなく、議論に組み込む知識もなく、謙虚さと傲慢さの間のようなものから、CMTP(タウリン由来の大腸材料)に分類することをためらったのである私たち直感が正しかったと言えるのは今だけである

というのも、SとBは非常に驚くべき2人なのだ。彼らは理論物理学者であり、集合論行列代数位相幾何学、そしてそれらの量子力学非線形系への応用が日常的な労働の基盤となっているだけでなく、より広い文化的哲学的問題についても深い理解を持っている。今回初めて、クリステヴァの主張を判断するのに必要資格を持つ学者たち--言語文学自己などに関する世界的な主張を裏付けるために、高度な数学など(あるいはその外面)を動員する彼女のような人々--が、彼女の書いたものに注目した。-- 彼女が書いたものを見て、その中で科学数学がどのように使われているのか、あるいはどのように使われているのかを詳細に検証した。そして彼らが発見したのは、彼女概念投下(cf 名前投下)はまったく不適切であり、彼らにとっては初歩的な混乱と誤解を裏付けているということである

SとBは、クリステヴァの`pl'の説明は、彼らが長々と引用分析した他の多くの箇所と同様に、厳密に無意味であることを示した。例えば、「選択公理」の使用言語学とは何の関連性もなく、詩的言語の解明には役立たない。数学集合論にこの公理が導入されたのは、無限集合、あるいは集合の無限の集まり研究するためである

詩のどこにそのような集合があるだろうか?選択公理が「すべての配列が本のメッセージをどのように含んでいるかを正確にする」と言うのはおかしなことである。(p. 42)

SとBの多くの長所ひとつは、引用の長さと数であるさらに彼らの批判は、誤用されている用語--少なくとも超限集合論や数理論理学のより基本的概念--について、光り輝くほど明快な説明と結びついている。SとBの解説知的饗宴であり、本物の数学者と一緒にいることに飢えを覚える。

SとBがクリステヴァテキストで暴いている数多くの(そして彼らにとっては初歩的な)誤りの中には、(a)ゲーデルがその有名な定理で実際に主張したことと反対のことを主張していると彼女が思い込んでいること、(b)選択公理構成可能性の概念を含意しているという彼女の誤解、(c)関数C0(R3)の集合の定義誤訳がある。私やPNRの読者のように、高度な数学の訓練を受けていない聴衆のほとんどは、彼女の言ったことを一言理解できなかっただろうし、彼女議論と詩的言語との関連性(たとえば、「私の車に触れたら、頭をぶち割ってやる」と対照的な「夏の日になぞらえようか」の特徴的な性格)を信用するしかなかっただろう。とはいえ、このようなクズのような彼女パリ第7大学言語学の椅子を得たのは、「新しく正確な」仕事パリ(全権を握っていたロラン・バルトを含む)を驚かせた8年後のことだった。信頼を裏切るというのは、椅子に座るにはひどい仕打ちのように思えるが、あちらでは順序が違うのだ。彼女の任命委員会に誰がいて、彼らが集合論数学論理学をどれだけ理解していたかを知るのは興味深いことだ。これはすべて昔のことで、クリステヴァ教授は他のことに移ってしまった、という弁明はもちろん通用しない。もし私が、自分臨床医学の分野では不正行為とみなされるようなことを根拠にして現在椅子にたどり着いたと示されたら、その仕事が何年前に行われたものであれ、辞任せざるを得ないと思うだろう。その上、クリステヴァは、自分ブランドの準数学詩学から、あからさまな詐欺師であるジャック・ラカン仕事を受け入れるようになった。

象徴、イマジナリーリアルに関する根拠のない教義を、クリステヴァがこの20年間、無批判情熱をもって提唱してきたラカンは、クリステヴァと同様に、自分には本当の知識理解もない学問領域から概念用語を借りてきた。ラカンは亡くなるまでの10年以上、ある位相幾何学的な図形が精神疾患人間の心に光を投げかけるかもしれないという考えに取り憑かれていた。例えば、彼はトーラスが「まさに神経症構造であると信じていた。(「まさに」というおかし表現は、巨大な範囲ほとんどゼロに近い理解可能性を持つ直感に反する概念が、論証も事実説明もなしに主張されるときに、強化語が使われることを見事に例証している)。したがって、彼の弟子たちもトーラスを信じていた--信じることが理解をもたらすかもしれないという、おそらくは常に先延ばしにされる希望の中で。(Credo ut intelligam)。いずれにせよ、彼らはボロメの結び目などに関する彼の一日がかりのセミナー畏敬の念を抱いて耳を傾け、何度も脳卒中を起こした結果、失語症言葉不自由になり、認知機能がやや断続的になった哀れな晩年でさえ、そうし続けた。それまでは、失語症失行症に移行し、彼の心が空っぽになるにつれて、彼の沈黙でさえも注目され、惜しみなく敬意のこもった解釈がなされた。

ラカン数学の使い方のどこが問題だったのか。それは空虚な輝きであるだけでなく、内面的な欠陥でもある。ラカン著作は、悪い精神医学、あるいは狂気精神医学であるだけでなく、悪い数学でもある。SとBが示すように、ラカンは高度な誤りを犯している--トポロジーに由来する特定用語(「コンパクトさ」など)の非常に特殊技術意味混同している、など。しかし、彼は初歩的な間違いも犯す。例えば、無理数虚数普遍量化子と実存量化子を混同するような場合だ。

擬似数学の助けを借りて、ラカンは何時間もしゃべり続け、弟子たちは黙ってそれを聞いていた:

私はここで「コンパクトさ」という言葉提唱する。断層ほどコンパクトものはない。そこに閉じているすべてのものの交点が、無限の数の集合にわたって存在すると仮定すれば、交点はこの無限の数を意味することになる。それこそがコンパクトさの定義なのだ

SとBが指摘したように、コンパクト性という位相幾何学的な概念と、位相幾何学の内外にある他の概念との混同は、数学勉強をしていない聴衆にはまったく気づかれなかっただろう。このような話を何時間も聞きながら、彼らは何を思ったのだろうか。おそらく、ゴールドスミスの詩に出てくる村人たちのように、ただ畏敬の念を抱いたのだろう: それでも彼らは見つめ、それでもなお驚きを募らせた。彼のセミナーに参加した精神分析医や準医療関係者の中に、その頭が晩年は進行性の痴呆に悩まされていたという、あまりにも明白で悲劇的な事実を指摘する者がいれば、その驚きはさらに大きくなっていただろう。

SとBは、ミックスマスターの散文(あらゆる種類の華やかな用語が鍋に注がれ、500 r.p.m.で回転している)に気を取られることなく、個々の用語がどのような特定用途に使われているのかに気を配っている。だからラカンが次のように主張するとき

構造とは、言語アーティキュレーションに隠された非球面である

意味に関する限り、この副文--擬似様態語--の「それを持っている」ことは、動詞としてその文法的主語に包まれている対象のものから反響しているのであり、主語効果が非球面(中略)の渦巻きを作るか、この効果主体がそこからそれ自身を「反射」させるかによって、意味の偽の効果トポロジーによって誘発される想像共鳴があることは明らかである引用p.20)。

SとBは、ラカン構造とは何を意味するのかを明確にしていないことを指摘するだけである。この用語が厳密な数学用法限定されると仮定しても、位相幾何学構造解釈の一つにすぎない。秩序構造ベクトル空間構造多様体構造などであるラカンはどのような意味での「構造」を指しているのか明らかにしていないため、彼の議論空虚である

クリステヴァについての議論の中で、SとBは「彼女は、言語学、文学批評政治哲学精神分析といった、彼女研究しようとしている分野と数学概念の関連性を正当化する努力をまったくしていない」と指摘している。そして、誇示された博識の関連性の欠如は、『知的詐欺』において常に見られることであるメタファー文字通りの真理であるかのように扱うことで、関連性があるかのように見せることもある。これは特にルーチェ・イリガライの著作に顕著である

リガライは、クリステヴァラカンと同様、彼女著作で利用する科学について徹底的な誤解を抱いている。彼女流体力学特別な関心を示し、「積層面」、「ソレノイド運動」、「スプリングポイント」といった専門用語を好んで使う。しかし、SとBの主な関心事は、彼女流体力学を利用して、性的政治女性の抑圧され疎外された状況について、かなり大げさな主張をしていることである彼女結論は、控えめに言っても、彼女が引き合いに出した科学によって決定されたものではない。

リガライは有名なように、科学性差別であると主張している。例えば、E=Mc2は「性差別された方程式である彼女がそう考える理由は並大抵のものではない。方程式は:

我々にとって極めて必要な他の速度よりも光速優遇している。この方程式性癖を示すと思われるのは、核兵器による直接的な使用ではなく、むしろ最も速く進むもの特権化していることである......(p.100より引用)。

ここでの泥沼は非常に濃密であり、おそらくそれを解き明かす価値はないだろう。SとBが言うように、アインシュタイン方程式は高い精度で検証されている。イリガライが「我々にとって極めて必要な他の速度」よりも光速優遇することについてどう感じようと、光速(c)が他の速度--例えば、スーパーマーケットで逃げ惑う幼児を追いかけて走る女性の速度--に置き換えられたら、この方程式は成り立たないだろう。別の言い方をすれば、もしこの方程式性差別的であれば、自然も同じである。もし科学者がこの方程式に関して性差別であるとすれば、それは物質性差別的だからである。そして、物質性差別であるならば、物質でできている女性もまた性差別的なのである(このことについては、後述するようにもっと言うべきことがある)。

科学性差別は、流体力学が固体力学ほど発達していない理由説明するとイリガライは主張する。男性優位の)科学が乱流を扱えないのは、流動性女性性と結びつけているかである男性には突出して硬くなる性器があるのに対し、女性には月経血や膣液が漏れる開口部がある。したがって、男性科学流体力学対応できない。これは、男性女性と同じように90%が水分であること、女性と同じように5.5リットル血液が体内を循環していること、女性と同じように出血し、唾液を分泌し、そう、小便をすることを見落としているように思える。こうした初歩的な観察にもかかわらず、これはイリガライの説明であり、なぜ女性男性から排除され、体液が科学から排除されるのかについての説明である

もちろん、流体力学や乱流に関する膨大な文献がある。ここ数十年、カオス理論から派生した新しい解析ツールを使って研究されてきた重要な分野のひとつである。流れが乱流になる条件についての完全な定義は、科学者たちにはまだ見つかっていないが、固体力学物理学全体においても、未解決問題がある。

事実誤認、専門用語誤用(イリガライは流体力学よりも数理論理学が苦手だ)、狂気じみた比喩使用は、知識人が払うべき高い代償だと思うだろう。どのような目的がこのような絶望的な手段正当化するのか知りたくなる。驚くべきことに、イリガライの目的は、男性優位主義者の豚が寝言で叫ぶような結論を支持することなのだ:

しかし、(女性の性経済の)発展のどの段階にも、それなりの時間性があり、それはおそらく周期的で、宇宙リズムと結びついている。ケモビル事故によって女性たちがこれほどひどい脅威を感じたとすれば、それは女性たちの肉体が宇宙と不可分の関係にあるからである。(113-4ページより引用

これは田舎者特有エピソードではない。イリガライは、合理性客観性男性性と結びつけ、感情主観性女性性と結びつけている。女性セクシュアリティ月経周期やリズム宇宙的なものであろうとなかろうと)に還元する」ことは、SとBが指摘するように、「フェミニズム運動がこの30年間闘ってきたことすべてを攻撃すること」であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールは墓の中で眠っているに違いない」。美学的な目的のために、多くの神秘化と知的不誠実さを展開し、ただ田舎者との思いがけない共通点発見するというのは、苦い皮肉であるルーチェ・イリガライが普通の抑圧された女性たちの怒りを惹かなかった理由は、彼女国際的な名声をもたらした著作が、アカデミズムの間では曖昧に包まれいるかである

興味深いことに、ポストモダン思想における科学俗物的な誤用は、科学のものへの敵意と隣り合わせにある。SとBは、科学徹頭徹尾社会的ものだと主張するブルーノ・ラトゥールのような認識論的相対化論者を特に効果的に扱っている。科学が正確な予測をすること、科学機能する技術を生み出すこと、そして科学ブラックバーンでもソウェトでも同じように効果であること、つまりブラックバーンに住む重病の老人に対する抗生物質が、ソウェトに住む重病の若い女性に対する抗生物質と同じように効くということである

科学専門用語詐称

子供の頃、私は数軒隣に住む若者と仲良くしていた。一緒に自転車に乗ったり、荒れ地で銃撃戦をしたり、火をつけたり、スクラッチクリケットをしたりしたものだ。しかし、互いの興味が異なる方向に発展したため、別れることになった。恨みはなかったし、実際、多くの善意が残っていた。ロジャー(彼の家族のために伏せておくが、これは彼の本名ではない)は、私自身の発展途上の知的興味をまったく共有しなかったし、私は彼のヨットに対する愛情をまったく感じなかった。ある晩、母が『リバプールエコー』紙に掲載されたロジャーインタビュー記事で、彼が本当に情熱を注いでいるのは「サイバネティクス」だと語っているのを目にしたとき、私は驚いた。私は彼を誤解していたのだと思い、結局のところ、私たちは思っていた以上に共通点があるのだろうかと思った。次にロジャーに会ったとき、私は彼にサイバネティックスへの関心について尋ねた。私の無知思い込みではなく、本物だった。恥ずかしながら、ロジャーサイバネティクス本質について無知であることがわかった。彼にとっては、サイバネティクスは単なる言葉だった。サイバネティクス科学技術未来関係するもので、当時は華やかで話題になっていた。明らかに地方紙の読者を感心させるためのものだった。私はそのことを追及せず、その後、ほとんど会うことはなかった。最後に聞いたのは、彼が不動産業者としてうまくやっているということだった。かわいそうなロジャーは、自分の「サイバーティックス」についてのコメントが、『リバプールエコー』紙の読者に取り上げられる(「尋問される」、「問題視される」)とは思ってもみなかっただろう。これは不運だった。さらに不運なことに、彼はサイバネティクスへの言及理由人文科学テニュアトラックポストを与えられることもなく、パリ大学思想システムの講座も与えられなかった。

アラン・ソーカルとジャン・ブリクモン(以後SとB)の『知的詐欺』を読んで、私はロジャーを思い出した。ロジェと同じように、ジュリア・クリステヴァジャック・ラカンジャン・ボードリヤールジル・ドゥルーズは、感受性豊かな人々に感銘を与えるために、微塵も理解していない用語を使う癖がある。ロジャーとは違って、彼らはそこから抜け出せず、またロジャーとは違って、無名ではなく、国際的な名声と世界中一見知的学者たちからの憧れで報われた。

長い間、ラカンデリダクリステヴァらは、自分たちの思想学問の名声、実に全知全能の名声を支え るために彼らが収奪した知識領域について、読者がほんのわずしか知らないと確信して、殺人を犯して 逃れてきたのであるミシェル・フーコーの風変わりな時代考証に注目する真の歴史家は、いたとしてもほとん どいなかった。分析哲学者たちは、たった一人の例外を除いて、デリダをJ.L.オースティンと言 語行為論の現代的意義について議論を交わすべき人物だとは考えなかった。

やがてポストモダンの理論家たちは、彼らが迷い込んだ分野の専門家たちの注目を集めるようになった。言語学者たちは彼らの言語学を見て、初歩的な誤りが散見されることに気づいた。例えば、デリダ記号全体とシニフィエを繰り返し混同し、何十万人もの従順弟子たちもそうであった。この誤りは、デリダ研究の根幹のひとつである。他の言語学者たちは、デリディアンたちがソシュール以外の言語学について無知であることを面白がっていた。歴史学者たちは、フーコー思想史に関するひどいバージョン検証し、彼の広範な理論の土台となっている極小かつ風変わりな経験的基盤でさえ、文献的証拠と大きく食い違っていることを発見した。彼の時代区分--西洋史と「最近発明」としての人間についての彼のビジョンにとって極めて重要--は、ほんの一例を挙げれば、正しいエピステーメーに適合させるためには、デカルトが死んだ後のある時期に生きていたことを要求することになる。実際、フーコーエピステーメーとそれを隔てるいわゆるエピステーモロギーの断絶--彼に国際的な名声をもたらした本(『言葉と物』)の中心的な概念--が、いかなる歴史的現実にも対応していないことを示すのに、大した学者である必要はない。彼の時代の一つに当てはまるはずの名前が、他の時代ではぎこちなく活躍し、彼の時代を超越した学問領域は、彼が考えていた以上に数多く存在することが判明した。(彼が生きている間に、このことを指摘しようとした人は一人か二人いたが、コレージュ・ド・フランス思想教授に何を言っても無駄だろう)。おそらくフーコーは、言説を「われわれが物事に加える暴力」と表現したとき自伝的に語っていたのだろう。いずれにせよ、ポストモダニズムの理論家たちが、その理論偶発的に事実汚染されたときいかに頻繁に事実を取り違えているかが印象的である(このことは、「経験的なもの」に対する党派的な侮蔑では説明しきれないほど頻繁に起こっているのだが、事実理論に合わせて曲げようとする断固とした努力の結果であるに違いない)。(事実蔑視証拠捏造の傾向と密接に関係しているのは興味深い。おそらく、真実--そして真実という概念のもの--を憎むことと、誤りを愛することを結びつけることには、ある種の一貫性があるのだろう)。ポストモダンの理論家たちによる哲学思想哲学思想史の誤った表現については、最も詳細な批判検証が行われている。プラトンデカルトフッサールパイスといった主要な人物について、ポストモダニストたちが自説を支持するために述べていることを検証してみると、主要な人物孤立したコメントが「西洋思想」の巨大な塊を意味するように仕立て上げられていることが少なくない。

それなら、このゲームはとっくに終わっているはずだ。これは、テリーイーグルトンによって示唆されている。最近ポストモダニズム理論敵対心を抱いたこから判断するに、彼は、巧妙な資金が動いていること、そして今こそ、仲間との旅行や協力から抵抗に切り替える時かもしれないことを察知したのだろう。(とはいえ、無批判だが儲かる『文学論』から手を引いたわけではない)。ポストモダニズムの「思想」を支える哲学的前提のいくつかに対するM.J.デヴァニーの壊滅的な批評(Since at least Plato ... and other Postmodernist Myths)に対する好意的批評の中で、彼は批評家たちが何も知らない分野に「飛び込む」ことの危険性について皮肉交じりにコメントしている。批評家が「哲学に立ち入る」場合、次のようなことがある、と彼は指摘した。

パーティー死海写本についてのちょっとした知識披露して相手を感心させようとしても、後でその人が新約聖書学者であることが判明するようなものである。(タイムズリテラリーサプリメント1998年1月2日号2頁)

そして、M.J.デヴィーニーについて、「彼女ポストモダン思想の側面に、ポストモダニズムに対する哲学史の知識という著しく不公平な利点をもたらしている」と付け加えている。ポストモダン理論で(経済的にもそうでなくても)大成功を収めた人物に、労を惜しまない皮肉は似合わない。いずれにせよ、『リバプールエコー』紙の読者からサイバネティクスとは何か」と尋ねられたり、「サイバネティクスについて語る資格があるのか」と訝しがられたりするリスクが常にあるのは事実である

では、勝負はついたのだろうか?ポストモダンの理論家たちの無能ぶりが暴露されても、主要人物や業界のものにはほとんどダメージがない、というのが恐ろしい現実だ。イーグルトン自身が言っているように、ポストモダニズム産業には精神的・物質資本が投下されているため、その重役たちは耳を傾ける余裕がないのであるリベラルアーツ学生理論出会わない者はほとんどいないだろうし、文学を学ぶ学生などその多くは、理論カリキュラム全体を覆い隠している。どうしてこんなことが可能なのだろうか?

セオリーとその系列校の網の目のように張り巡らされた、セオリー批判から守るためのプロテクトは実に厚い。何十万人もの英語科の1年生が、教師からロゴセントリック」な西洋哲学の概説を聞かされても、ほとんどの場合プラトンデカルトハイデガーも1ページも読んだことはないだろう。また、彼らの教師や彼らを教えた教師が、プラトンデカルトハイデガーを読んだことがないことも少なくない。ポストモダニズムの哲学史を支持するために出される書誌は、プラトンデカルトハイデガー著作を除外していることが多い。デリダラカンフーコーなど、あるいは、デリダラカンフーコーなどの大衆化、そして彼らの知的子孫の著作リストアップされるのである。言い換えれば、教師テキストも、ポストモダニスト世界的な理解体系に取り込まれ思想家たちの思考を、生徒たちが信頼して受け入れなければならないような、その思想家たちとの関わりや知識考察から、数段離れたところにいることになる。プラトンを読んだ学生一人につき一万人が、デリダが「西洋哲学のすべてを支配するパターン」としての論理中心主義についての有名な理論を打ち立てた『パイドロス』についての、間違いにまみれた説明を受けていることになる。

ポストモダン理論事実誤認、経験的不備、論理的矛盾、説明の失敗を実証すれば、カード城を瓦解させるのに十分だろうと想像していた人々(私もその中に含まれる)は、理論家たちがこのように何重にも絶縁していることを考慮していなかった。われわれは、ソンムの戦いの前にハイ将軍が、1週間にわたる砲撃100万発の砲弾を浴びせ続けた後、ドイツ軍イギリス兵に戦線の上を歩くことだけを許すだろうと予想したときと同じ過ちを犯した。そして、ヘイグの歩兵と同じように、私たち無人の地で、60ポンド荷物事実議論など役に立たないものを満載し、10フィートの高さの有刺鉄線の絡まり合いの向こうで、無傷の機関銃に向かってライフルを振っていた。ドイツ軍ソンムの戦いの前に2年間しか塹壕を掘っていなかったが、ポストモダンの理論家たちは30年も前から塹壕トンネルや地下壕を造っていたのだ。また、沈黙というもうひとつ戦術も想定していなかった。反論必要宣伝拒否することで、有効な反対意見の影響を最小限に抑えることができる。あるいは、第三の戦術として、他の者が欄干の上から頭を出すのを躊躇させるような獰猛反論もある。セオリー批判する者は、診断され、分類され、ステレオタイプ化され、嘲笑され、傷のなめあいに追いやられた。デリダジョン・サール侮蔑的に扱ったのは、デリダ軽率な火術の核心がいかオースティンの単純な誤読にあったかを示すものであった。彼はサールの名前に注目し、「サール」と嘲笑することで、人格攻撃論法さらに一歩進めた。この闘争的なアプローチの利点は、議論スキャンダル煙幕に覆われて見えなくなってしまうことだった。続く暗闇の中では、良い議論も悪い議論もすべて同じように見え、革命派と保守派、あるいは老いぼれたトルコ人若いトルコ人の殴り合いとして全体を見せることができた。デリダソシュールを使うことに疑問を呈する本1冊につき、何百冊もの本がそれを当然視し、学年末テストで生き残るためには流暢なテオローア語を話せるようにならなければならない学生にとって重要であることを説いている。デリダ1000ものカリキュラムに載っているが、彼の作品に対する批判的な試問はほんの一握りにも及ばない。セオリーを教える者は、セオリーに対する批評に注意を向けるほど愚かではない。真に批判的な思考と真理の無関心な追求に熱心な学者(このカテゴリは超高齢カテゴリである)だけが、反対意見に注意を向けることで自らの足を撃つような愚かなことをするのである

これらの理由から、『Intellectual Impostures』の出版は、人文科学未来にとって第一重要出来事である。その本質的な利点が非常に大きいことは別として、『ソーカル・ハックス』という素晴らしい著作出版されたことで、学術界内外で大きな反響を呼んでいる。さらに、SとBはポストモダン理論批評に新たな基準を打ち立て、「不真実の城」がついに攻め落とされるかもしれないという新たな希望をもたらしている。知的失政の領主(と淑女)たちに対する批判が、これほど徹底的に、これほど堂々と行われたことはかつてなかった。SとBは冒頭で、ポストモダン理論全体を貶めるふりをしているわけではないこと、あるいはその創始者たちの全作品否定しているわけではないことを注意深く述べている。しかし、彼らの忍耐強く、静かな考察は、その具体的な使命をはるかに超えた意味を持ち、またその影響をもたらすだろう。学生たちが、理論に屈服した教師たちのドグマから外れた言説の世界をようやく認識し、反対意見にも公平な耳を傾けるようになり、本当の意味勝負がつくようになるかもしれないのだ。

SとBは、ポストモダニズムを「啓蒙主義合理主義伝統の多かれ少なかれ明白な拒絶、いかなる経験検証からも切り離された理論的言説、そして科学を「物語」「神話」「社会的構築物」以外の何ものでもないとみなす認知的・文化的相対主義によって特徴づけられる知的潮流」と定義している。SとBは、ラカン、イリガライ、クリステヴァ、ラトゥール、ボードリヤールドゥルーズガタリヴィリリオなどが数学物理科学テクノロジーについて語ったこと、とりわけ彼らが言語文学人間精神フェミニズム現代文化などについての著作の中で数学物理科学から借用した概念を用いたことについて、細心の注意を払って調査している。SとBは、これらの著名人が男女を問わずロジャーであることを発見した。彼らの著作には、彼らが微塵も理解していない用語概念散見され、彼らの主張の見かけ上の力強さは、それに大きく依存している。彼らの読者は『リバプールエコー』紙の読者よりも若干洗練されている(騙されやすさは変わらないが)ので、彼らが借りる用語は「サイバーティックス」よりももっとリッチものでなければならない。クリステヴァは数理論理学集合論からラカンは数理論理学位相幾何学から、イリガライは固体力学流体力学からドゥルーズガタリ微分積分学量子力学からボードリヤールユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学から、といった具合だ。しかし、博識に見えるのはまったくの欺瞞である

例えば、ジュリア・クリステヴァの名声を確立したプロジェクト--詩的言語構成するものは何かについての彼女調査--を考えてみよう:

私たちにとって詩的言語とは、他の言語包含するコードではなく、言語コード無限性を表す関数phi(x1...xn)と同じ力を持つクラスAであり(存在定理参照、p.189参照)、すべての「他の言語」(「通常の」言語、「メタ言語」など)は、より限定された範囲におけるAの商である(たとえば、形式論理学の基礎である主語-述語構文の規則によって限定される)。例えば、形式論理の基礎 Permalink | 記事への反応(2) | 20:18

2023-07-01

差別バカ朝日新聞黒人アリエルがなぜだめなのか理解できない

リトル・マーメイド」のアリエルハリーベイリーが演じた(C)2023 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

リトル・マーメイドアリエル役に批判 潜む「プリンセス=白人」像

というかまずこの図版が白い

今泉細見卓

2023/6/27 11:00

小熊英二さん藤田結子さん小原篤さん鵜飼啓さん

子熊なんて無能社会学者で有料で読む意味無し

 人魚姫アリエルを描いた1989年ディズニーアニメ映画実写化した映画リトル・マーメイド」が米国日本などでヒットしている。白い肌に赤髪という外見だったアニメ版アリエルと異なり、今回はアフリカ系の俳優を起用。この点が公開前から注目を集め、米国のみならず日本でも「黒人差別ではなく、アリエルアリエルらしい人にやってほしい」などの声があがった。ヒットと論争から見えてくるものとは。

 ストーリーの骨格はアニメ版と変わらない。美しい歌声を持ち、人間世界に憧れるアリエルが、エリック王子運命出会いを果たす。海の魔女アースラがアリエルに近づき、人間の姿になれるという取引に応じたアリエルは声を失ってしまう。

から黒人ベースストーリーじゃないし、深海の生き物は黒人じゃない。

デタラメ過ぎる

日本でもキャスティング批判

でこのカスゴミはありもしない批判を出す。

日本でもSNSを中心に「アニメで親しんだアリエルビジュアルが完全に無視されている」「黒人の輝かしい未来のためにファンがないがしろにされた」などの批判が相次いだ。

ないよこんなの。そもそも面白くないのは見ない。

アニメ版アリエルを重視したいだけで、人種差別ではない」。SNSを中心に、「アリエルらしさ」を差別と切り離す言説もありましたが、これをどう捉えればいいのでしょうか。日本で暮らすアフリカルーツを持つ子どもたちや、識者の見解を交え、考えました。

無理に差別に押し込むバカ

 一方、SNSでは「同じ肌の色だ」「私みたい」と喜ぶアフリカの子どもたちの姿が映る動画も広がった。彼女たちにとって、ディズニー過去作では同じ「リプリゼンテーション(表象、見た目)」の主役は限られていた。そうした意味もあり、好意的な声も多い。

こんなんサクラや。

 母の妙子さん(33)も、ベイリー版のアリエルを歓迎する。「友だちに『有環は肌の色が違うからプリンセスにはなれない』と言われたこともあった。いろんなルーツもつ子ども自己肯定感をもてる作品が増えることを期待したい」

絶対おらんやろ。

人種による分断も見え隠れ

 識者はどうみるのか。

 米国映画における人種の描かれ方に詳しい椙山女学園大学水島和則教授表象文化論)は「ハリウッドを中心にプリンセスといえば白人という認知が刻み込まれている。映画界でもかつては異人種間の恋愛を禁じる規制があったという歴史もある。新たな表象を描くことで、そのバックラッシュ反動)が起きている」とみている。

水島なんて適当なことしか言ってないばかでしょ。そもそも歴史黒人プリンセスはいない。嘘です。

日本人はプリンセスを目指さなくてもお姫様になれる。

 今回の配役については「アリエルベイリーを起用したことに加え、白人プリンスエリック王子)との異人種間の恋愛を描くまで踏み込んだ作品だ」と受け止めた。「消極的ポリティカル・コレクトネス政治的正しさ)に配慮したのではなく、製作者の強い意思を感じる」

日本語になってない。ポリコレという事実が認められないのは知能に問題あり。

ディズニーが刷り込んできた「プリンセス白人

 ディズニープリンセスなどを社会的に論じた著書「戦う姫、働く少女」がある専修大学河野太郎教授英文学)は「ディズニー自体白人プリンセス像を生み出し続け、観客に『プリンセス=白人』という像を刷り込んできた。白人権力の中心性を揺るがせなかった歴史関係している」とみる。

そんな歴史はない。

 「ディズニーが今まで採り入れてきた多様性は、『ちぎり取られたもの』と言ったほうが正確だ。『リトル・マーメイド』でベイリーを起用し、白人優位の権力性に本格的に手を突っ込んだことで、抵抗が起きたのだろう」と河野教授

頭湧いてて草。

差別意図しない言動からこそ」

 「アニメ版の設定を重視したいだけで、人種差別ではない」とする言説もある。これをどう考えればいいのだろうか。

こういう腐った肉みたいなバカしかいない。お前の考えが間違っている。

こういうデタラメエンターテイメント押し付けクソカス社会学マジで有害だという結論しかならない。それ自体差別だこのクソカス寄生虫どもが。

 革命でもなんでもない。革命というほど社会価値はない。どこにあるんや。数字出してみろ。

 こういうクルクルパーのくせに態度がでかいキチガイが多過ぎる。

2023-06-22

気に食わないものを滅ぼしたいのが本音だけど文句あるの?

それらしい理由つけて正当化してるだけだよ?そんなの誰よりも自覚してる

ただ叩く対象が気に食わないから、それっぽい理屈罵倒してるんだけど

何?文句あるの?ポリティカル・コレクトネスとしても、フェミニズムとしても、それが正しいこと

気に食わないから潰しに行く、それだけ、攻撃対象が何喚こうとも知らん

2023-06-08

しかしすごいな人類

グローバリズムの次はポリティカル・コレクトネス

…案外、バベルの塔をブッ壊したのって、民族主義者だったんじゃねーの(苦笑)

しっかしポリコレって個々人のテロリズムを生み出す原動力だよね(笑)

2023-06-07

anond:20230607151224

でも今は植民地時代蛮行反省するべきって時代なの?

その通りだよ。

そして日本にとっての植民地韓国中国をはじめとするアジアの国々。

いかい、巨大に育った中国だけどそれでも植民地時代歴史では弱者

日本搾取側の強者

日本人は一人一人がしっかり反省して、謝罪気持ちをもって、中国意向に沿わないといけない。

アイヌ民族だろうが琉球民族だろうが、知的障害者だろうが女性だろうが、LGBTだろうが小児だろうが、日本国籍者全員が中国に対して植民地の負の歴史に対する罪の意識を持ち、償いの姿勢を見せる必要がある。

ウォーターの人だって、少なくとも4分の1は中国への謝罪意識を持つ必要がある。

それがポリティカル・コレクトネスだよ。

2023-04-28

ポリコレの名を借りた解釈違い

マリオ映画ポリコレに屈しなかったからヒットした」という話と「映画の戦えて芯が強いピーチポリコレ象徴」みたいな話が流れてきており、ただの自分解釈違いをポリコレという言葉に仮託しているだけな気がしている。

思えば正式名称たるポリティカル・コレクトネスからポリコレと略されたあたりから人口膾炙(≒馬鹿に見つかった)して、当初の意味目的が剥落し濫用されるようになった印象を受ける。最早この略称ワードミュートしておいた方が精神衛生上いいのかもしれない。

2023-02-18

シネマンドレイクレビューする 前

最近よく見ている映画レビューサイトシネマンドレイク』がフィーチャーされているので、あらためてまとめてみようと思う。

人物

個人的な話になりますが、私は省庁の人と仕事したことがある

・小さい頃からゲームっ子”だったゆえにアニメ漫画はそこまで深く立ち入る機会も好奇心もなかったのです。

アニメーションに素人人間

子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認

・私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるか絶望的です。

個人的な話になってしまますが、私は「兄弟」よりも「姉妹」の方が身近な存在で、家族・親戚周辺もなぜか3姉妹が多いです。逆に3兄弟は3姉妹よりは少ないですけど一応はいるので、3姉妹と3兄弟比較…みたいなことが自然とできてしまったり

・私も科学に関わって政府の人ともやりとりしたことがあるのですが、あんな“暖簾に腕押し”みたいな反応の役所なんて日常茶飯

地球環境問題というのは嘲笑われやすトピックです。私もこの分野をかじっていた人間なので経験としてわかります。どうも世間地球環境問題に取り組むことや取り組む人のことを「オシャレ」だとか「意識高い系」みたいな見下しで扱ってくるんですよね。もしくは「慈愛」「慈善」みたいな感情的活動だとみなしてくる。全然その問題本質理解してくれないわけです。ときには「地球環境問題もいいけど貧困に取り組むべきだよ」とか言ってくる人もいるし、ジェンダーやLGBTQには関心があるわりには地球環境問題にはまるで当事者意識のない人もいます

・なお、Twitterを見る限りでは町山氏には批判的なようである

自己紹介

シネマンドレイク管理人

映画を愛する映画ライター雑草)。洋画邦画アニメドキュメンタリードラマシリーズ、なんでも観ます。年間で鑑賞する新作映画の数は約300程度(劇場未公開作品も含む)。アセクシュアル・アロマンティック・ノンバイナリーのLGBTQ当事者(they/them)なので、その視点映画を語ることも。得意なテーマは、映画全般ジェンダーセクシュアリティ自然環境、野生動物など。ライター取材仕事等の依頼は「お問い合わせ」まで。


環境問題について

・今の環境問題を振り返っても『ドント・ルック・アップ』みたいにフィクションの中でくらいは何回か人類絶滅させてやらないと…それくらいしないと加害者責任自覚できない

政治的映画は嫌だとほざいている…そんな人も日本はい

・少しでも多くの人がこの問題当事者意識を持つということ。私もあなた中立ではありません。人間である以上、もう問題加害者です




※Z世代について

・Z世代の子もの方が真面目にネット規制を支持していると思う

SNS社会の中、どうしても「いいね」欲しさに自分をより良く見せようと日々奮闘する、そんな強迫観念に駆られる10

フェミニズム的な“正しさ”がブレることな存在し昨今の定番であるZ世代通用するキャラクター性に更新されている

  • 【出典】 

・これがアメリカ血気盛んなZ世代10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグアクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めた

・「SDGs」はノリノリで掲げるくせにそのSDGs目標ひとつであるジェンダー平等」にはたいして興味がないばかりか、そもそもジェンダーが何なのかイマイチからないまま雰囲気だけで同調している日本社会の皆さん、ごきげんよう

・「カミングアウトを大仰にドラマチックに描くのはもうダサいだろう」というイマドキなZ世代感覚

表現規制について

残酷描写エロ描写をもっぱら規制しようとしてきたのは「保守派」や「宗教右派である

・世の中には“配慮”に気を使いすぎて映画としてつまらなくなっている作品も少なくない

・でも、映画芸術からこそ、とき政治的視点批評するのも大いに結構

  • 【出典】 

LGBTQについて

日本もじゅうぶんにLGBTQには辛い場所

おカネが山ほどあればこんな日本を飛び出して海外暮らしたいと正直思っている

・よりモルモット化はジェンダー最先端(断言)

洋ゲー最近の潮流なでクィアのようなカルチャーの取り入れ方が上手い

同性婚は実現してもトランスジェンダー差別は依然として残ったまま。トイレなどの一部の空間での露骨に強調されるトランスジェンダー排除

そもそもフェミニズムというのは実際のところ誰の心にも宿るもの

日本だといまだに「女の敵は女」と吹聴する輩が一定


「男らしさ(マスキュリニティ)」批判

・「男オタク」は今の社会では圧倒的なマジョリティであり、特権を持った支配層であり、自己批判がや差別意識から目を背けがち・日本というろくにジェンダー教育をしていない

いかなるジェンダーでも中立的な立場にいる人はひとりおらず、自分の中のマジョリティ加害者的側面を自覚しよう

男性であることは罪ではない

ホモソーシャル的な生存術であり、同時に科学に対する日本メディアの態度でもある

・多くの女性不本意ではあるけど男性評価を気にしながら生きている

・「歌舞伎」とアニメ漫画などの「オタク」という趣味はどちらも女性排除されがちでオタク世界男性中心的

・と高身長女性というのは、男社会にとってのステレオタイプな寵愛しやす女性像ではないので男性オタクから白眼視される---【出典】アニメ『かげきしょうじょ!!』感想ネタバレ)…歌劇に生きる現代少女を描く より

女性ファンダムに身を投じることは時に男性とは異なる困難をともなう。風当たりが男性以上に冷たかったり、安全ファンダムの居場所が用意されていなかったりする。

理想的男性の振る舞いは女性ファンダムを一切邪魔せず、変に首も突っ込まず、そっとサポートし弱音を見せたり、“男らしさ”で気取らず、しっかり自分の弱さを示すのも良い

日本先進国の中でははるか女性差別の激しさで言えば酷いものだということも繰り返したいところ

・。本作でも女性キャラの扱いか脱臭できないほどに男性目線主体匂いを感じる

日本でもAI無自覚ジェンダーロールによる女性差別問題視されている

・従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質

・本は実名を出さなくても政治ネタ映画で扱うとそれだけで「プロパガンダだ」と非難されてしま

日本2020年代になってもなお非常に封建的社会が残存しており、家長絶対主とする規律があり、従属調和を優先し、主流の社会に逆らうことは許さな

・男に主導権を与えるな、男が助けてくれると思うな、男の料理場合によってはヤバイ

・『シュレック』というアニメ映画があり、あれも当時は斬新で「怪物でもプリンセスのようなヒロインになれる」ことを示した作品でしたが、今の価値観で見ると「女性美人かブスかの二択」のようで違和感も感じます

ヒロイズムな着地になってしまます。まあ、もちろんやっていることは立派で正しいのですが、やはり男性であるというだけで作品トーンは偏向するもの

シリアで拘束されて解放されたフリージャーナリストをボロクソに批判することに快感を見いだし、はたまた中東情勢不安になるたびにガソリン灯油価格心配する。そんな国がこの日本

ジェンダー構造には無関心で自身男性特権自己批判でせず冷笑的なマッチョイズムで典型的ホモソーシャル

・マスキュリニティ賛美の色合いが濃いこ、異性愛規範も充満している

軍隊主義的な“男らしさ”だけが物事解決できるわけじゃないという教訓

・車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスである

上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーン

・「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜなら既得権益に酔いしれたいだけ

アニメにおけるホモセクシュアル

男性中心のオタク界隈にあるホモフォビア

・「ガンダム」は男同士の同性愛には直接的には踏み込まない。やはりホモフォビアがある

・そして日本インターネット界隈もSNSまとめサイトを中心にしてインセル巣窟になってしまっている動かぬ現実がある

・『機動戦士ガンダム』を継承する「男vs男」の対決に行き着き真の部分はものすごくホモセクシュアル

長くなったので後編【https://anond.hatelabo.jp/20230218181513】に続く。

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