はてなキーワード: 受け手とは
KDDIとかソフトバンクとか現時点で慎重な意見とか述べているのは訴訟リスクがあると言うかほぼ確実に裁判沙汰になるから。
本当にNTTアホすぎるだろ…。
前どっかの通信に詳しい法学者か弁護士かが発言していたのをニュースかツイッターかでみたが、
ISPを訴えたい奴なんかごまんといるとか言ってたからこのタイミングでやらかしたら是非訴えてくださいと言ってるようなもんだろ。
もしNTTが勝てたとしても率先してそういう事するISPと思われ、下手すればイメージダウンにも繋がる。
現に全婦連とかの消費者団体が訴える構えとかニュースにもう出てるぞ。
(今回のブロッキングはあくまで政府からのお願いなので政府に責任はなくISPに全責任が伸し掛かってくる。)
しかも自分らが始めるから早く法規制をお願いしますとか民主国家的にもどうなの?と言う状況になっているんだが。
しかしどさくさに紛れてDL禁止法の範囲拡大とか禄でもない事しかしないな、この国。
情報の受け手側犯罪化なんて一歩間違えたら恣意的運用し放題なのに。
本当こういう時良く代案だせーって言うバカも多いけども代案以前の代物なんだよなぁ、これ。
正直アニメ漫画とか見ていた方だけどこの騒動があって以来急速に冷め始めて関心を失っている。
海外厨では無い(むしろJのクラブのサポーターだ)し、戦術のことなんざさっぱりわからんがハリルホジッチ解任には反対だ。まあ解任は仕方がないにしても西野はあり得ないと思う。
その理由はただ一点で、西野が最近監督をしたのはいつだ?という話。2015年である。名古屋グランパスで低迷していた(挙句その次の年降格したのは記憶に新しい通り。あれには小倉監督の責任も多くあろうが、西野監督が無関係ということはない)。その前はヴィッセル神戸。途中就任途中解任である。この結果は重く受け止めるべき結果。なぜならこのシーズン途中から引き受けるという流れは今回と似ているから。そこで彼は結果を残していない。ちなみに他の監督キャリア(レイソル、ガンバ)にしても途中就任ということはないので、唯一の例がこれである。
その上2年間現場から離れているということになると、現在の監督としての能力に疑問を持たざるを得ない。
では誰か、となるとチーム事情を把握している手倉森コーチしかいないと思うが、彼はまあ断ったのだろう(声すらかけてないというのは考え難い)。
西野監督しか引き受け手がいなかった時点で解任というカードは切るべきではなかったと思うし、それにもかかわらず解任したというのは勝率云々ではなくハリルホジッチを解任することありきだったのではないかということになるのではないかと思うのである。
どうせこんな妄言でしかない日記が注目される事もまずないだろう。
リーチサイト規制や情報の受け手側が犯罪になってしまうDL規制に静止画も含め更に拡大する等についても危惧する点は非常に多くあるが、
これ等を取り上げると範囲が更に広がってしまうためここでは取り上げないこととする。
また私個人の考えとしてブロッキングについては今回一番悪いのはまともな法的処理すら通さず、議事録すら非公開にした政府であると言う考えである事も理解して頂ければありがたい。
恐らくこれに関しては反対している人なども共通した考えであろう。
そしてブロッキングの何が問題なのかもここでは詳しくは取り上げない。
この手の問題点はもう多くのニュースサイトや私よりも詳しい人が多く取り上げており、それらのサイトを見て貰った方が早いからだ。
ようはブロッキングと言うもの自体、簡単に言えば中国の金盾の親戚みたいなものだと言う認識で良い。
付け加えるとすれば、今回児童ポルノから著作権まで範囲が広げられてしまうと政府や業界に都合の悪い情報は全て遮断してしまって良いと言う前例が出来てしまい、
今後拡大解釈され続ける危険性が非常に高くなってしまう点、更に今回法律を通さず、あくまで政府がISPにお願いするだけと言う形をとるため、
何か問題が起こった時には政府は一切問題を取らず、責任は全てISP側に来るなどの問題点も今回の事例には新たに追加されてしまっている。
ブロッキングの問題点については以上の記述位としておく事にする。
それと敢えてここで一部の創作物コンテンツに関連している方々を指す単語として意図してオタクと言う言葉を使わない様に意識する事にする。
オタクと言う単語自体そのものが余りにも広域な範囲の対象を指す言葉であり、ここで使うのは余りにも不適切な単語であるからだ。
(※オタクと言うのはあくまでそう言う趣味嗜好を持つ人々を指すだけの言葉であり、オタクと一言で言っても色々なジャンルはあるし、
そう呼ばれる人達も創作物コンテンツに関連しない仕事の人々や例えばそれこそ医師や弁護士や公務員等の様々な方々もいる。
そういう意味においても今回はオタクと言う単語自体使用する事は今事象においては余りにも的外れであると考えたからだ。)
また何よりもオタクと言う言葉自体非難や罵倒としての逃げの口実、或いは免罪符として機能しているからだ。
実際、自身の責任から逃れたい一心で責任転嫁するためだけにオタクと言う言葉を使っている例も多く見受けられる。
それに今回感情的に反対している人たちを罵倒等をしているのはツイッター等を見る限り、その人間の本質がオタクと言う広域の言葉で指す人々よりも
もっと狭い範囲である、同人、プロ問わず、その関連、または業界の無理解な一部の創作物コンテンツに関連した方々が多い様に見受けられたからだ。
だからこそあえて一部の創作物コンテンツに関連している方々と言う言葉を使わせて頂くのだ。
(※あくまでも一部の創作物コンテンツに関連している方々である。
何度でも言うが一部の創作物コンテンツに関連している方々である。
この言葉には何もここで指すのはアニメ、漫画や出版業界だけではない、別の何かも含まれると言う意味合いもある。
別の何かについてはブロッキングの件を少し調べたら判ると思うので、色々察してほしい。
それに元々作家さんでも表現の自由や言論の自由に詳しく、危惧して動いていた方も少なからずおられる。
なので、同人、プロ問わず、表現の自由の観点から懸念を持つ作家さんや関係者の方々が、決して少なくない数がいる事も付け加えておく。
例えば今回もちばてつやさん等はブロッキングに対して懸念した発言をされておられ、元々個人的にも尊敬している点も多かったりする。)
そしてこれから書く事はあくまで愚痴や恨み節の類であり、俗に言う俺は詳しいんだ、知っているんだ的なノリの頭の悪い稚拙な文章でしかないので、
運悪くこんな記事を見てしまった人は軽く聞き流して頂いて構わない。
私がこれから書くこの様な内容の文章も過去多数出ており、実際私自身も何度か見かけているが、それでも敢えて匿名の卑怯者としてこのような文章を書かせて頂く事を許して欲しい。
この様な文章は書く事はないと思っていたがどうやら私の番が回ってきてしまったようだ(苦笑)
ついでに私自体、もはや規制に対し、反対する気力もなく、その反対する人々を罵倒する一部の創作物コンテンツに関連した方々に対し、
何の期待もしておらず、説得する気も皆無である点も読む際に考慮して頂けると助かる。
まず件の著作権のブロッキング拡大報道について、一部の創作物コンテンツに関連している方々が今回の報道でブロッキングに対し危惧し、
その問題点を指摘している一般人には勿論の事、実際弁護士や法学者、また長年創作物関係での規制に危惧し動いている
本来一部の創作物コンテンツに関連している方々にとっても味方であるであろう青少年健全育成条例や児童ポルノ禁止法で反対していた方々や
反対活動で精力的に動いていた団体にすら石を投げているのを見かけ、ああこいつら進歩ないな、この先創作物コンテンツが、
滅亡してもこいつらは懲りないし、学習もしないだろうなと言う感想を抱いた。
何故このような感想を抱いたかと言うと過去青少年育成健全条例や児童ポルノ禁止法等でも同じような構図を見かけたからである。
今回に関しては個人的にはもはや怒りではなく、彼ら一部の創作物コンテンツに関連している方々に対して、失望や絶望と言う様な感情しか湧いてこない。
君等一部の創作物コンテンツに関連している人間が安易に感情論から匿名掲示板のノリで揚げ足取りや罵倒するのは構わない。
どうせ実際この記事をもし君等一部の創作物コンテンツに関連している人間が見つけた場合には必死に罵倒や揚げ足取りを行う事もあるのだろう。
君等一部の創作物コンテンツに関連している人間の行動は容易に予測できる。
きっとブーメランとかも言い出す事だろう。
だが、その都度味方は減り、敵は増え続けるのだ。
その一部の創作物コンテンツに関連している人間は創作分野以外の事柄には興味がなく視野が狭い癖に妙にプライドだけは高く、
人の話を全く聞かないくせに自身に対する非難をスルーする事が出来ない人間も非常に多いのだ。
更に図星をつかれると非常に怒り出す。
だからこそこの手の一部の創作物コンテンツに関連している方々は、ブロッキングの件に関連して指摘された件でまだ反論が容易であろう、
ブロッキングに懐疑的な他者から出版はブロッキングでなく、まず検索サイトに対しての行動や法務の方を動かせよとか
出版業界のそのもの不備の指摘や逆に何故今まで逆に現在違法サイトが行っているようなサービスを公式でしなかったのか?
そもそも著作権の規制を進めた所で過去の事例から見て売り上げが回復していないだろうとか
出版は新古書店や図書館の件も反論されて言い返せなかった件についてはどうなの?
と等言うような指摘に対しても何故か真向な論理でなく、何故か作家が食えなくなってもいいの?等と言う感情論で怒り狂い出していたのだ。
なので、ブロッキングに対してもまともな返答等出来るわけがない。
反対や慎重的意見としてブロッキングは効果や薄い事や通信の秘密だけでなく、表現の自由や言論の自由でひいては自身の首を絞める事にもなりかねないと
私が見た限り、ブロッキングに懐疑的で反対意思を持つ方々は見た限り、非常に論理的に指摘されているにもかかわらず、
それに対し、一部の創作物コンテンツに関連している方々はブロッキングは必要悪だとか論理のすり替え等的外れな発言ばかり行っていたのを見かけた。
これだけならまだ良い。
やはり挙句の果てにその反対している人間に対して人格的な罵倒等の俗に言われる叩き等の行為を行っていたのだ。
これを未だ一般人に対してだけならまだしも学者等のお偉いさんや実際表現規制に反対され動いている人に対しても行っていたのだから唯々呆れる他なかった。
だが、ただまず一部の創作物関係に関連する人間はこれだけは判っておいた方が良い。
青少年健全育成条例や青少年健全育成基本法案の時でも児童ポルノ禁止法の時でもTPPの時でもそうだが、
別段漫画やアニメ、音楽や映画等の創作物に対する表現の自由や言論の自由が損なわれるから反対している人たちばかりではないと言う事だ。
規制関係では創作物方面ではなく、通信、インターネットの情報関連の視点から強く問題視して反対している方や
その改正によって逆に児童の権利が奪われる点を強く問題視している方や他の法律の兼ね合い等から問題視されている方や
改正により一般人が逆に不当に逮捕される等の不具合が生れるから反対している方等本当に様々な視点から反対している人々がいる事を実際にみてきた。
それに著作権ブロッキングの話題に関しては何も今始まった話ではなく、過去音楽業界や映画業界等が様々な圧力をかけて行おうとしてきた。
また私自身今回に関してもあくまで矢面に立っているのが出版と言うだけで、この件でも音楽業界や映画業界もかなり圧力をかけていたのではないのか?と言う懸念を持っている。
それに対して一般人だけではなく、通信方面や法学者等から懸念する声も当時から多く、反対され続けてきた事実も認識すべきだ。
実際児童ポルノ関連でのブロッキングに対しても様々な懸念する声があがっていたほどだ。
だからこそ漫画アニメの利益が損なわれたから、過去反対してきた人達が今回はブロッキングに賛成に回ると言うバカな話はあり得ない事位は理解すべきだ。
ブロッキングの何が悪いのか判ってないのに君ら一部の創作物コンテンツに関連している人間は短絡的に感情論でそれら反対している方々に対し、
こんな事だから当時匿名掲示板等で肉屋を支持する豚だとか罵倒されたのだ。
しかし一部の創作物コンテンツに関連している方々の行動をみていると何故オタク(と世間では一括りにされてみられてしまう)が嫌われるのか良く判る。
なお、それでも思い込みや感情論からその方々に対して嫌味を言い罵倒するのならばそれも結構だ。
だが、そう言う行動を行う度に他分野の側面から反対していた方々は一部創作物コンテンツに関連している人間に対して、
そんな連中しかいないと思われその人達は呆れ、そしてこの先何か問題があった場合でもあいつらだから別に良いかと扱いが軽んじられる可能性があるのも十分に考慮すべきだ。
またこの手の規制に対し危惧し反対する活動は実入りは全くなく、寧ろマイナスであり、時間的にも資金的にも負担が大きい。
更に言えば初めはどう活動すれば良いかすら皆判らず、手探りで行っていた位である。
また反対している人同士でも考えの相違で、精神的肉体的にもかなり摩耗するし、それで最後には潰れてしまい活動を停止せざる得ない位、追い詰められる人も実際に見かけている。
過去に聞いた話では実生活すらまともに送れなくなってしまう人間もいる程だ。
なので、実際今でも長年活動している人々の精神的負担はかなりのものだろう。
更にここに合わさりいつも通り俗に言う味方から石を投げられる構図が加わるのだ。
正直たまったものではないし、これが実は一番心的ダメージが大きい。
(※また青健法の件で話はずれてしまうし、この記事自体事実かどうか判らないが、
少し前に
「マンガの人たち」の信用は地に堕ちている──青少年健全育成基本法案の本当の問題点
出版業界自体が一部のオタクが騒いでいるだけ、その時が過ぎればフェードアウトする等と言う
まるで過去どこかの政治家がしたと言う発言と全く同じ様な考えをもっていると言う記事をみて個人的には呆れ返った。
記者があの記者だし、誇張も非常に多いだろうが、これが事実だとしたら、余りに一般人やそれこそ少しでも活動した事があった読者に対しても喧嘩を売っているとしか思えない。
もし読者が出版社がこんな独善的な考えを持っていると知る事になれば、失望し、場合によっては以降漫画を買わなくなる様な事も十分に起こりえるだろう。
また私の記憶では当時出版はほぼ目立った活動をしておらず、実際に活動していたのはその手探りで行動を行っていたオタクやとある団体であった事を記憶している。
そしてそれで精神的肉体的に限界をきたし、潰れてしまった人も多かったのだ。
個人的には出版にそこまで嫌悪感は今まで抱いていなかったのだが、流石にこの記事と昨今のブロッキングの件で一気に出版に対する嫌悪感を持つに至った。
多分一部の創作物コンテンツに関連している方々もこう言った類の考えなのだろうと個人的には思ったくらいだ。
またこの件が事実ならばこんな事を言われては実際長年継続して今も行動をし続けているとある団体の彼らに対しても非常に失礼であると私は考える。)
君等一部の創作物コンテンツに関連している人間はせいぜい好きな様にブロッキングに反対している法学者や弁護士、
規制問題で実際に危惧、反対をし、ロビー活動をしてくれている方々に石を投げ続ければ良いだろう。
だがその度に彼らは君ら(全ての)創作物コンテンツに関係した人間に対して、法学者や弁護士等の有識者は呆れ果ててしまう事になるだろう。
またロビー活動してくれている好意的な人間の精神は摩耗し続け疲弊し、モチベーションを保てなくなり、
そして最後にはこんな奴らのためにと言う思いを抱き、挙句の果てには活動を停止せざるえない位にまで精神的肉体的に追い詰められ、
君等創作物コンテンツに関係した人間を見捨てる格好になるのだ。
その結果もし君等一部の創作物コンテンツに関連している方々が本当の意味で困った事態に陥った所で、その時は誰も救いの手を差し伸べてくれる事はなくなるだろう。
でもその時が来ても一部の創作物コンテンツに関連した君達の事だ。
今回の著作権ブロッキングでの件でもそうだったが、当時も青健法や児童ポルノ禁止法等の時にも反対し味方してくれたであろう人々に対して石を投げ続けた君達はいつもみたくこう言うのだろう?
「あの時は彼らが勝手に反対していただけ、誰もその時に助けてくれなんて言っていない。」
「オタクはその時だけしか騒がない。その時が過ぎれば何もしない薄情な連中」
と。
最近とにかく小売が人手不足で求人広告をアホのように出してる。自営業ではなく会社組織の話なのでアホのように出してても私の片腹はまったく痛くない。
しかし発注するのは私。求人広告の発注。これが、なんと大変気分がいい。
他にも発注する業務はある。物件だとか部材だとか、あるにはあるがそれらってだいたい数年越しで需要が見込まれているものだ。なので発注側も受注側も、営業とかされないし(上のほうでいろいろあるんだろうけど)ただ業務的にこなすだけ。
なぜ求人が気分がいいか?それは数年前はとにかく求人が無意味だった。人手があったから…ではないんだよな~残念ながら。求人広告を出す経費さえ出すなと言われていた。
経費という経費は削れ!社員で回せ!お前は社員だろ!じゃあ仕事なくなるぞ?!
こんな。
なので求人広告って全然需要がなかった。紙媒体からネットに変わってそのへんの住み分けも難しかったのではないかなと思うのだけど。
でもさすがに最近になってようやく働き方をみなおそー。となったので、人員補充をどんどんやっていいよ!と言われるようになった。
そこで、ようやく冒頭のはなしだけど、求人広告業務はまだ需要がないという体制が抜けてない。ので、すごくへりくだって営業をしてくれる。「広告お願いします」に対して「あ、ありがとうございます!!」となかば感情的な対応をしてくれる。
これが気持ちがよい。
相手に追加の意見を述べる時「aaaですがbbbも」という言い回しがある。
例)「ここの追加機能ありがたいですが、こっちにも機能追加して欲しいです」
この「〜ですが」というフレーズ、
言ってる方はそんなつもりは微塵もなくって「あとこれもお願い〜」くらいの意識なんだろうけど
受け手によっては「しかしながら」という否定的なフレーズに聞こえることがあるらしい。
「ここの追加機能ありがたいです、でも、こっちにも機能追加して欲しいです」みたいな感じなのかな。
そんなことを聞いたことがあって、日常会話やSNSのコメントなどで、そういう言い回しをしないように心がけてみた。
さっきの例だと「ここの追加機能ありがとう。こっちにも機能追加してもらえると嬉しいです。」みたいに、
一旦肯定で受け止め、さらに肯定のフレーズを入れてみる。すると、相手は一旦肯定され(承認され)た感じになるので
次の話も前向きに捉えてくれるっぽい。「オレさんと会話しやすいので、いろいろ相談したくなります」ということも
言われるようになったので、少しは良くなったかなーと思ってる。
私は某漫画が好きだった。
男が多数、しかも同性愛じみたシーンがあるということで、BL界隈で爆発的な人気を得ていた。
私もそのひとりで、特に好きだったのがA×B。
Aが原爆でBを屈服させるのも愛ゆえと変換する創作が一部にはあった。
さすがに原爆という言葉は使われないが、大怪我を負ったBという構図で受け手は理解できるようになっている。
けど、「表現の自由だ」「フィクションだ」「Bの重症描写が原爆の暗喩でAの動機も愛からだとお前が勝手受け取っているだけ」と、
抗議者に言い返すことはなかった。
もし(絶対にないが)、この二次創作が実写化されて、被爆者やその子孫が消極的なのに目に触れるようになったら。
反対していただろう。
他にも、私には、法に触れないように児童ポルノやグロ画像を見る趣味がある。
これを、合法だから阻止するな、と批判者を、ポリコレ棒だと開き直って叩くことはできない。
そんな私でも、いつかは、表現の自由戦士のように
「あなたがそう読み取っているだけだ」「フィクションだ」「エビデンスは?」と、
言い返せるようになりたい。
ツイッターで多数RTされているツイートであっても、何度読んでも意味がわからない文章というものをよく目にする。
意味がわからない用語に出会ったら、一々検索して意味を調べるということをやっているが、大体が辞書に載っている意味で使われていない。ゆえに、文脈からどういう意味で使っているのかを判断する必要が有る。これは頭が疲れる。
主語と述語の不一致は、一文が長すぎるための問題。接続詞は排除してもいいから、もっと文章を区切れ。
不整合と思われる文章に出会ったら、まず、自分の頭が理解できていないだけではないのかと疑って読解し、それを経てから、文章が不整合だと一応判断できる。このプロセスは時間も掛かるし、頭も使って疲れる。あと、不整合だと完璧に信じることが困難であって、モヤモヤが残る。
ツイートする側は勢いで書いていて意味不明な文章を生み出すこともあるだろう。しかし、受け手側はツイートをしっかり読んでいるのか、流し読みしているだけの気がしてならない、いやむしろ、流し読みすべきなのか。
そうだね。気の毒だけど仕方ない。
webで誰もが発言でき、コンテンツが溢れている現状はゲームでの(一般的に言われる)アタリショックの様相が近いかもしれない。
加えて、何か一つに言及を続ける人間達は“オタク”と呼ばれて蔑まれる空気が追い打ちをかけている気がするけれど、出版側が気が付いていないのか意図的に無視しているからか、語ること自体が見下されているから手に負えない気もするよ。有名人が語るのは作品のステータスだけど、オタクが語ると気持ち悪いコンテンツになってしまう空気を作り続けているからね。
当方、女。とあるオタク趣味にかれこれ10年近くつかっている。根強い人気を誇り、それなりに経済規模がある界隈ではあるが、一般的趣味とは言い難い。人によっては気持ち悪がられることもある。奇異な世界だから。なので私も「○○が好きなんです~♡」とはカムアウトしていない。
その界隈は基本的に女で構成されている。クリエイターも女、受け手も女。女の女による女のための界隈。男性で興味がある人は1%もいるかどうか。
界隈は、知的な人が集まりやすいのか何なのか(単なる私のフォローの傾向かもしれない)、ポリコレ意識がやたら高い人が多い。はてなーを煮詰めたような人たち。フェミ系。
私の尊敬するオタ仲間のKさん。いつも感想文にはお世話になってます。私のちんけな視点・解釈では至らない、世界の深みに連れて行ってくれる方。
しかし、そのKさんのポリコレツイートに最近げんなりしてきた。男の性欲がなんちゃらかんちゃらの表現は~って…。
その理屈ってさぁ、私たちにも当てはまりませんか?私たちの表現だって女の性欲に直結したものじゃん…。性欲っていうと大げさな感じするけど、萌えとかトキメキってそういうことだよね。
女性を抑圧する?いやぁ、私らの表現でもバリバリやってますやん。それどころか男性に対しても抑圧やってますよね。
ポリコレを盾に、ある種のフェチズムを矯正しようとしたり、人目のつかない場所においやって経済合理性のもとに消滅させようとする姿勢は恐怖だ。
私は嫌だ。私の愛する愚かで狂った世界を、外部の正しさで変えられたくない。生きがいなんだ。世間から石を投げられたとしても無理だ。今更、足を洗うなんてできない。
今はいいかもしれない。女向けは活動家のターゲットにはなりにくいだろう。でも風向きなんていつでも変わる。次は私たちかもしれないんだよ。怖くないのかあなたは。
追記:何かおっさん疑惑をかけられたり、名誉男性扱いされてるのが不愉快なので、ぼかしたけどこの際、全部ぶちまけます。私の好きなものは宝塚です。トラバで当てた人、お見事。
クリエイターが女って書いちゃったからBL言及が多いけど(宝塚はパフォーマーと言った方が正しいがフェイク入れました)、私はBLは嗜んでいません。ただBLが槍玉にあがった次はうちだろうな、ぐらいにはシンパシーを感じている。宝塚とBLの相性はいいので。
こっからは、雑な自分語りになっちゃうんだけど、宝塚ファンを代表してとかではなく、一個人の葛藤だと思って読んで欲しい。
私は、一時期愛する宝塚から離れたことがある。というのも自分が宝塚の生徒を搾取してるのではないかと苦しくなったからだ。
10代、20代、30代の期間を、ファンのぶつける男役というファンタジーを生きてくれる。
「○○さんは宝塚を卒業したら、家庭に入って幸せになって欲しいわ」こういうことを言うファンがいる。こういうのを聞くたび、暗い気持ちになった。結婚=幸せという価値観にうんざりするのか、それとも、私たちのファンタジーのためにそういった人生の選択肢を諦めているのではないかという恐怖なのか。
子宮内膜症で定期検診行ったらすごく大きくなってるとかでMRIとCTとって1週間後に結果聞きにきてねと言われたのに翌日に何がなんでも明日来てと病院から電話がありどうしても外せない仕事あったから明後日じゃダメですかと相談したらダメと言われ翌日の朝イチに予約をした。
この電話を切ったあと。それから翌朝診察室に入るまでの時間が一番怖かった。
だって1週間後に予約入れてるのに明日何がなんでも来いってそんなの癌じゃんね。もしくはそれ相応の病気。どっちつかずで結果が分からない状況のことをサスペンスと言うってほんまでっかTVで言ってたけどまさにそれ。電話口でいいから結果教えてほしかった。
病院行ったらやっぱり癌で卵巣がんだからもし妊娠望んでるならもっと大きい病院に紹介状書く、うちでは全摘出手術しかやってないからと伝えられた。夫婦ですごく妊娠を望んでいた訳ではなくぼんやりといつか妊娠したらいいねと思ってたんだけどこうなると絶対産みたいと思ってしまう悲しい性。紹介状を書いてもらいその場で診察予約も入れた。
病院移ってから2週間通院しあらゆる検査をしまくった。PET-CTというものも初体験した。放射線を体内に注射するとCTで癌のある箇所が光って見えるというもの。放射線が体内にめぐるのに時間がかかるので謎にラグジュアリーな個室を与えられぼんやりとしていた。自己血という自分用の輸血を予め採血するやつもやった。血が生々しくて怖かった。なんだかどれも貴重な体験だなと思った。
私は癌であるけどもまだ癌が腫瘍の中にいて周りに散らばってない境界悪性というグレーゾーン癌みたいなものだった。それでもガン保険はおりるらしい。よくドラマでガン告知を受けて泣き出すシーンあるけど私は全く実感も現実感もなくふわふわしていた。とにかく実感せねば何も出来ぬと同年代の人の卵巣ガンの闘病ブログを読み漁った。どれもその時々の気持ちが丁寧に綴られていてだんだん自分も納得した。
入院し担当医から手術説明を受け手術で起こりうるリスクを10以上説明された。麻酔科医から麻酔説明を受け麻酔で起こりうるリスクを10以上説明された。もともと血や内臓のイラスト等が苦手なので辛かった。
手術という人の体を裂くという大変な尊いお仕事で、もうリスクや合併症はしょうがないと理解してるからそれでも助かりたくて治療をお願いしてるのだから詳細な説明やイラストを見せるのはやめてほしかった。(説明する義務があるのは重々承知)血の気がひいた。
この手術の説明聞いてからの数日と手術台に乗って麻酔で意識が遠退くまでの期間が2番目に怖かった。
手術が終わって起こされたら、ああ手術中に目が覚めてしまったのかと思うくらい腹が痛かった。過呼吸みたいになってるし体はギャグ漫画のようにガタガタ震えていた。軽くパニックだった。
ガン告知から自分が癌なんだと理解するまでとても時間を要した。だからブログをたくさん読んだ。同室の患者さんがもう治療できることがなくて最後の時を家で過ごすために退院してく様に思いを馳せた。全員が仲間だと思ってた。仲間というか同志。私も一緒にこれから頑張っていこうって思ってた。術後の抗がん剤の説明も受けてたから予習もしっかりしていた。イメトレまでしていた。
でも良性だった。両親も義両親も心から喜んでくれ夫は涙を流していた。
そんな中わたしは自分だけ助かってごめんなさいという気持ちでいっぱいになってしまった。周りは重篤な患者さんばかりでその中で自分だけ喜んでいいのか分からなかった。良性なのに、だから手術の傷なんて大したことないはずなのに痛くて痛くて3日目くらいまでは泣いたり悪夢をみたり吐いたりしていた。気持ちは宙ぶらりんのまま。
退院して数日たってこれを書いてる。宙ぶらりんな気持ちを納得させるために。お腹の傷は勲章に感じる。この先ツラいことがあってもお腹の傷を見れば乗り越えられそうな気がする。
内膜症といえど再発するらしいので傷が治ったらすぐ子作りしなさいと言われた。積極的に赤ちゃん欲しいと思ってなかったけど、乗るしかないこのビッグウェーブに!って感じだ。気持ちは追いついてないけど人生を大切に生きなければと思った。
先生や看護師さんや病棟でお世話になった人達には手紙でお礼を伝えたい。
両親や夫には日々のなかで感謝を伝えていきたい。
まだ現実が肚にストンと落ちてなくてふわついてる。本当はまだ癌告知も受け入れられてないのかもしれない。でも私は癌ではなかったし手術は無事に終了した。だから心が納得してなくても現実を生きなければ。
私のエア癌体験はこれにて終了。
5の方が遥かにそうだろ、って話だけど
あれで「盾欲しいけど嫁はいらん、結婚したくないのに結婚強要された」
(武器手に入らなくなるけどなくてもクリアに支障なくコレクターアイテムでしかない、つーか敵弱すぎ)
11については過去に戻る展開の方がそういう意味で賛否両論だね
「過去に戻りたくない・戻る必要性が感じられないのに戻らされた」って人はかなり見かける
根本的には「主人公=自分(プレイヤー)」と言う設定が5の時点で無理がある(11はさらに無理がある)んだろうと思う
勇者だから魔王倒してこい、村人困ってるから助けろ、程度ならそれをやりたくないというプレイヤーは殆どいないだろうけど
花粉症の季節がやってきたので、会社とかでやたらと花粉症の症状がひどいという話を聞く。
かくいう私もそれなりに重度の花粉症持ちで、この時期は必ず病院でアレグラを処方してもらっている。薬が切れたときに症状は出るが、朝晩飲むことで基本的に起きている時間帯はおさえることができている。
で、花粉症がひどい人に「病院行って薬出してもらえば楽になるよー」と何度も言っているのだが、毎回スルーされるのだ。
これが、相手が一人ではなく、一定数いる。こちらとしては薬でおさえられるであろう症状の話を毎日のようにされて不毛に感じるのだが、なぜこういう人たちは病院に行こうとしないのか?
普段は会話のキャッチボールができる人でも、病院に行って薬をもらうことをオススメすると、私が言ったことが右耳から左耳にそのまま抜けていっているようになったりする。「うーん……」みたいな返事があるかないか。結構なスルー具合である。
まるでこっちが言ったことが伝わってないのかとさえ思う。会話は結局受け手の理論だけど、短い会話だし意味が間違って受け取られることもないと思っている。
風邪を引いても病院に行かない人もいる。これも毎回早く病院行けって思うんだが、まぁ体調悪くてだるいから行きたくないんだろうな、と少しは理解できる。あ、花粉症の人は逆なのか?症状がそんな重くないから病院行くほどでもないって思っているのか?
なら毎日のように花粉症がひどいって言ってくるの、不毛だからやめてほしい。
もちろん、病院の待ち時間が嫌だとか、病院行く時間がもったいないとか、そういうのは分かる。もっと言うと、薬を飲みたくないって気持ちも分からんでもない。医者が嫌いって人もいるんだと思う。
でも、「病院行きなよ」と言って、そもそも会話のキャッチボールにならないことが多いのだ。「〜だから行きたくない」という返答があればまだ分かるのだが、スルーされてばっかりなので、わからん。なんなの?
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「これを見てください」
フォンさんはそう言って、ダンボール箱を机に勢いよく置いた。
その中には、シューゴ監督の降板に対する抗議文、メールで届いた写しなどが大量に入っていた。
「もちろんこれだけじゃありません。まだまだ持ってきていますからね」
父たちの打開策はこれだった。
重役たちは机の上に積まれた抗議文の山を、ただ黙って見つめていた。
それには理由があった。
「更に付け加えるなら、この抗議文はスタジオにきたものだけです。皆さんの会社にも同じくらいの……或いはそれ以上の抗議文が届いたのではありませんか?」
親会社やスポンサーにも、メールなどで抗議するよう世間に促していたのだ。
そもそもシューゴ監督降板の要因は、親会社が世間の風当たりを気にしていたからだ。
その世間が味方について、逆に親会社たちの敵になろうとしているならば、方針を変えざるを得ない。
「確かにシューゴさんの言動は反感を買いやすいです。色々とコンプライアンス違反もやらかしています。でも、それは彼なりに作り手としての矜持が常にあったが故です」
「もちろんアニメというのは監督一人で作っているわけではありません。それを踏まえてなお、今の『ヴァリオリ』があるのはシューゴさんの存在が大きいですし、そしてこれからもシューゴさんなしの『ヴァリオリ』なんて考えられません!」
当然、これは側面的な話でしかない。
抗議文を書いた人間の多くは『ヴァリオリ』のファンである人たちが多く、シューゴ監督を嫌う人たちは依然変わりない。
それでも、シューゴ監督が『ヴァリオリ』に必要であるという声も強いことを、否が応でも分からせるにはベターな手段だったのだ。
「皆さん、いま一度考えてみませんか。所詮アニメもビジネスです。コンプライアンスは大事でしょう。でも同じくらいクリエイター本位であることも大事なのです。それがアニメのクオリティにも繋がり、売り上げにも繋がりやすくなる。なぜなら彼らが見たいのは、こんな水面下のトラブルではなく、あくまでアニメなのですから」
こうしてシューゴさんは、今も『ヴァリオリ』の監督を続けているってわけだ。
ここで話を終えて、めでたしめでたし……でもいいかもしれないが、現実というものは綺麗に終わらないことが多い。
「視聴率は下がっちゃいましたね……それでも十分に、人気と呼べる程度ではありますが」
「まあ、作り手が同じだからってクオリティが安定するかはまた別の話だからな。同じ監督が作っても続編でコケるなんてのは、よくある話だ」
シューゴさんはそう言っていたが、実際の出来はこれまでと変わらなかった。
大きな要因は他にあったのだ。
そういった情報に敏感な人間はバイアスがかかってしまい、アニメを楽しく観れなくなっていたのだ。
「着ぐるみの中に人がいることを分かっていても、その中身を見せ付けられると興ざめする人間が出てくるみたいなものですね」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです。それにしても、作品の内容自体は問題ないのに、こんなに顕著に反応が変わるんですねえ」
「そうです。小便を完全にろ過しても、それが元は小便だと分かってたら嬉々として飲みたいとは思いません。変態でもない限り」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです」
「えー、つまり大半の受け手にとって、アニメってのは“現実”から離れていて欲しいってことです」
「そんなものと向き合いながらだと、アニメを楽しめない人間だってたくさんいる。そして俺たちはそんな人間を区別してコンテンツを提供することはできない。物理的に不可能なんです」
「不条理ですよ、そんなの。じゃあ今回の一件で誰が得したんですか」
「そんなのオレだって知りたい。まあ、ちょっとやそっとのことでゴタゴタしたりガタガタになるってことは、そのコンテンツ自体が実は大したもんじゃないってことの証明ではあるわな。今回、馬脚を露わしただけのことだ」
なんだか釈然としない話だが、とどのつまりアニメは観たいやつが観たいようにしか出来ていないってことなのだろう。
そして、そんな人間のために父やシューゴさんたちが日々翻弄されているのを思うと、アニメ関係の仕事は割に合わないなと俺は思った。
ドラクエ11の話なんですけどね。
いや、待てと。
確かに設定上のエマは隠れ里のたった2人の同い年として主人公と16年過ごした仲ですが
プレイヤーからしたら最初の操作法ガイダンスにちょっと出てきて途中でまたチョロチョロッと出てくるだけの脇役なんですよ。
エマとの間に思い出なんかないし愛着も思い入れも無い。まだ雪の魔女の方がやりとりが多くて魅力感じる。
結婚できるなら一緒に長い旅をしたマルティナ・ベロニカ・セーニャから選びたいだろ普通。
「勢作側が当初正ヒロインとして用意したキャラだから」とかそんなことどうでもいいんですよ。
ぬ~べ~や変態仮面が叩かれてるか?
叩かれてねーだろ。
ちゃんと読者の体感に従ったからだよ(作者自身も描きながら心変わりしてたはず)。
モンキーターンはどうだ?
そして作り手にとって最もコスパに優れていない大衆娯楽はアニメである。
その言葉にどれほどの大した理屈があるか俺には計り知れないが、20分ちょっとのアニメに多くの人手や時間、金がかかっているであろうことは想像に難くない。
とはいえオープニングやエンディングのスタッフロールを真面目に眺めてなお、そこに実感を覚える受け手はそこまでいない。
アニメというものは、多くの人で一つのものを作り上げた成果物こそが重要であり、個の力がモノをいう世界ではないからだ。
これも父の言葉だ。
だが、それでも一つの“個”が変わったり、なくなったりすることで甚大な影響を与えることもあるらしい。
…………
父の所属するスタジオ『ハテナアニメーション』、通称『ハテアニ』。
そのスタジオの看板アニメといえば『ヴァリアブルオリジナル』、通称『ヴァリオリ』だ。
当時、そのスタジオは大衆にウケようがウケまいが、ひたすらアニメの制作を続けることで成り立っていた。
しかしある時期、元請け会社から企画がこないという事態が起きてしまう。
つまり自転車操業であるにも関わらず、仕事がないという崖っぷちに立たされていたのである。
下請けや、原作ありきのアニメばかり作っていたスタジオにとって敗色濃厚な企画ではあったが、それでも何もやらないよりはマシだったのである。
中途半端な時期に立ち上げた企画だったため、スケジュールの都合で外注していられない。
しかも優秀なフリーランスのアニメーターはことごとく別の会社に持っていかれている。
セールスポイントがないに等しいのでスポンサーが少なく、予算も少ない。
このため、自社のスタッフだけで作画はもちろん、背景も音楽も制作するハメに。
そんな状態で作られたアニメが『ヴァリオリ』であり、スタッフの誰もが期待していなかった。
あまりにも予想外の事態に、関係者やオタクたちがこぞって、その理由について様々な考察をした。
しかし結果論の域を出ず、最終的には『ヴァリオリ現象』という言葉が残るのみとなったのだ。
こうして偶発的に広がった『ヴァリオリ』旋風の影響力はすさまじかった。
有名なのが『ヴァリオリ・アレ事件』だ。
きっかけは、劇中で主人公が発した「あのチェーン店の“アレ”美味かったよなあ、今じゃ販売してないけど」という何気ないセリフ。
それがチェーン店の社長の耳に届き、なんと実際に期間限定で再販されたのだ。
そして熱烈なファンがチェーン店に押しかけて、後には何も残らなかったというのは、今でも『ヴァリオリ伝説』として語り草だ。
そんな『ヴァリオリ』も現在は当時ほどの熱狂はないが、放送が深夜からゴールデンに移行して第三シーズンも始まるなど、成熟の段階になっていた。
色んなグッズが出たりなど、様々なメディアで引っ張りだこなのも変わらない。
順風満帆に見えた『ヴァリオリ』だったが、その裏では暗雲が立ち込めていたのだ。