はてなキーワード: 片端とは
いつどこでどうやって自殺したのか知りたくなるが、ブラウザの検索履歴に残るのも、かといってシークレットモードを使うのもなんだか癪に障る。
だからいつも「いいなあ、自分も早く死にたいなあ」って思うだけだ。
とはいえ、自分は「死ぬしか後がない」というほど追い込まれているわけではない。
自分は20代前半で、シス男性(身体的性・性自認がともに男性)で、異性愛者で、大学を卒業しており、家族との関係も円満で、住む場所もあり、友人もいる。
社会的に見れば、よほど恵まれている方であるという自覚はある。
新卒で入社した企業と相性が合わず、ここ2週間ほど仕事を休んでいること。
微熱などの体調不良が続き、心身共に疲弊した状態が続いていること。コロナでもインフルでもなかった。
クリエイティブな趣味に没頭しようとするも、集中できずスランプが続いていること。
そのような状況を改善しようともせず、「できない自分」に酔って自己憐憫に浸っていること。
そんな中でも一番の理由が、「生きることに希望がないから」だ。
二十数年生きてきて、今まで上手くいったためしの方が少ない。
もちろん完全なゼロではないが、それでも他の人より劣っていたり、社会に上手く溶け込めなかったことの方が多い。
今までそうだったのだから、これからもそれが続いていくのではないか。そんな不安に苛まれている。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。先日、自分は自殺未遂をした。
もともと希死念慮はあったが、ここまで強く、そして具体的に「どう死ぬか」まで考えたことはなかった。
その日は突然だった。
いつものように仕事を休み、Twitterで「死にたい」だの「いかに自分が無価値な人間か」を呟いているうちに、「本当に死ぬか」という気持ちが膨れ上がってきた。
失禁があると聞いていたので、足元にタオルや珪藻土マットなどを敷いた。
死ぬとしたら遺書や遺言を残すつもりだったけど、そんな気力はなかった。
その日はもう遅かったし、一人暮らしだったから邪魔は入らないと思った。
何もできなかった日だったので、自殺の準備をしている時間は生き生きとしていた気がする。
ネクタイの片端をドアノブに結んだ自分は、仰向けで横になり、首を吊った。
息苦しかったが、それだけだった。
意識が朦朧とするわけでも、視界がぼやけるわけでも、音楽が歪んで聞こえるわけでもなかった。
結果は同じだった。
大学時代に読んだ『完全自殺マニュアル』によれば、首吊りは最も楽で確実な自殺方法だという。
曰く、一瞬にして意識が飛び、苦しみを感じることもなく死ねるとかなんとか。
自分が首を絞める箇所が悪かったのだろうか。それとも、この本に書いてあることが間違っていたのだろうか。
今となっては分からないが、その時の自分は、死ぬことすらできないという絶望を抱きながらスーツを脱ぎ捨てた。
あれから数日経つが、今のところ自殺をしようとは思っていない。
満足したからなのか、死ねないことが分かったからなのかは分からない。
もっと良い首の吊り方を探すかもしれないし、別の死に方を見つけるかもしれない。
でも、それまでは頑張って生き延びてやろうとは思う。
より良い自殺のために。
美少女コンテンツが好きだけど、だからと言って中の人にそこまで興味や関心があるわけではないオタクは多いと思う。私もその1人だ。
同じゲームやアニメを好む方々から「ラジオいいよ」「声優のラジオ聴いてみてよ」と言われることがある。
時間というのは有限だ。オタクとして漫画を読んだりアニメを見ることができる可処分時間には限りがある。
その中で、彼らはラジオを聴き、人に勧めている。つまりそれだけの魅力を持っているわけだ。
ならば聞いてみよう、とオススメされた女性声優のラジオを聴いてみる……が。
その女性声優のラジオだけつまらないのかと思い他のラジオも、男性声優のラジオも聴いてみる。
中には面白いものもある(ひだまりラジオの近所の狂人紹介コーナーなど)が、やはり大多数がつまらなかった。
トークテーマも平凡、送られてくるリスナーからのメールに山もオチも意味もなく、淡々とした番組が進行していく。
「笑いどころはどこだ?」
そう思う内に番組は終了したりする。
マジか、と驚愕するばかり。どこが面白いのかわからない、何が受けているかわからないラジオが多かった。
声優のラジオって一部を除いてつまらないんだな、というのが私の見解である。
私はつまらないと断じたが、声優のラジオなんて多く存在する。無料パートと有料パートに分けられてたりして、金を稼いでいるものだってある。出演した声優がMCを務めるアニメ作品ごとのラジオだって存在している。
つまり、声優ラジオの需要は高くあると言うことだろう。人気もある。面白いパートがなくても受け入れられるというわけだ。
ではなぜ私は声優のラジオを「つまらない」と断じたのだろうか。
私の個人的な話になる。私が初めてラジオを聴きはじめたのは中学生の頃だ。祖父が死に、形見分けとしてもらったSONYのポケットラジオをいじりまわしていた時に聴くようになった。祖父の形見は古く、自動チューニング機能もないためにダイヤルを回して周波数を合わせるタイプだった。
その頃はまだ美少女コンテンツにそこまでハマってなかった。ラジオといえばジョジョ3部の冒頭のイメージが強く、大相撲中継や野球中継ばかりだろうと思っていた。
しかし夜10時ごろにラジオのダイヤルを回していると、ある電波を拾った。
スクールオブロックだった。私が初めてしっかりとラジオ番組として認識したのがそれだった。
そう思った。同年代の中学生や高校生が電話越しにオナニーの話をしてる。まだエロとギャグの区別がついてなくて『セックス』をウンコやチンコと同じくらいオモロワードとして捉えていた私はゲラゲラ笑った。
彼氏を押し入れに匿って3日ほど寿司を与え続けた話なんかもう夜中だったので声を抑えて笑った。
今になって思えば、初めて聴いた回がいわゆる『当たり回』だったのだろう。継続して聴くとそこまでブっ飛んで面白い回は少なかった。どちらかといえば悩める中高生を励ましたりする回が多かった。
「またこれかよ! 励ますなよ! セックスの話をしてくれよ!」
私は最悪のリスナーに成り果てていた。スクールオブロックもいい迷惑だろう。たまたまいつもと違う回から聴き始めたリスナーから「あれを毎回やれ!」と願われているのである。気の毒。
なんとなく面白い番組がないかまたダイヤルを回してみる。すると次にとある芸人のラジオとぶつかった。
『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』である。通称サンドリ。
スクールオブロックを超える下ネタ、芸能ネタ、暴力……中学生の私の心を捕らえて離さなかった。
・足の皮膚をヨーグルトに入れ発酵させ『皮膚エネルギー』を取り出そうとする
・ラグビー日本代表選手を呼び「クソヒゲゴリラ」「畠山クスコ」と名付ける
チンポ、勃起、アナル、ゲロ、包茎、ションベン、言葉狩り……とにかく最高だった。
ゲスナー(サンドリのリスナーのこと)から送られてくるメールも生放送ということもあり、番組の内容を踏まえた暴言妄言が多数届く。それにゲラゲラ笑ってしまった。
ここから『芸人のラジオってすげぇな!』という感情が芽生える。
すると私はオードリーのオールナイトニッポンを片端から聞くようになった。オードリーのオールナイトニッポンはサンドリほど下ネタが多いわけではないが、2人の軽快な掛け合いが聴いてて心地よかった。
特に若林さんのトークで捩れるほど笑い転げた。ドラクエの回とか何度も聴いた。
それからダイアン、三四郎、ハライチ、空気階段、最近だと真空ジェシカのラジオ父ちゃんなど、聴いてて笑えるラジオ番組にどっぷりとハマった。
話が逸れたが、つまりで言うと。私はラジオを聴く際に『笑えるかどうか』を強く求めているのだ。トークを組み立て、自分達の間を取り、盛り上がりを計算して話す芸人のラジオのようなものを求めているのだ。
だから私は声優のラジオを「つまらない」=「腹を抱えて笑うようなシーンがない」と断じたのだろう。
番組を企画する人たちだって馬鹿ではない。「ラジオつまんねーぞ!」とはてな匿名ダイアリーに書いてる私の方がよっぽど馬鹿だ。
あの声優さんを起用して、こういうテイストの番組にして、前半を無料に後半を有料にして、アニメに合わせて、ゲストを呼んで…と。慈善事業ではなく商業として声優さんのラジオを流しているわけだ。
それに「芸人のラジオみたいな笑いどころがなくてつまらない!」と宣う私は客ではない。ターゲット層から外れているのだ。そんな顧客ではない私が文句を言うのはお門違いだ。
声優のラジオが多くあり、webラジオもたくさんある。長年続いているものもある。それだけ多くの人から求められているし、商業的にも利が出ているわけだ。
声優さんのラジオをつまらないと断じる視野狭窄状態な私の人間性こそがつまらないのだ。
テレビでもニュースやバラエティ、アニメ、ドラマがあるように、需要や客層に応じてさまざまな番組があるのを理解してない私こそが愚者であるのだ。
そうだ俺はカスだ……。
オードリーのオールナイトニッポン、オススメですよ。
これは、平和な森づくりを夢見る赤ずきんが成し遂げた、オオカミ退治のお話。
ある日のこと、赤ずきんはお母さんにこんなことを言われました。
どんな風に気を付けようか、考えはじめました。
犯罪者に多い不審な動きや表情、行動パターンをしている動物がいないか調査。
赤ずきんは犯罪が起きやすい日、狙われやすい場所を解析。事前におばあさんの家に潜伏し、見事オオカミを捕らえることができました。
オオカミを捕らえた功績が評価され、赤ずきんは村長から、森の保安官に任命されました。
気をよくした赤ずきんは、森の治安をもっとよくしようと、さらに防犯システムを発展させました。
やがてそれは外敵の攻撃を予測する防衛システムに発展し、森を傷つける敵を事前に攻撃する予防戦争が多発しました。
赤ずきんは老いつつあった自身の肉体を不死身の鎧に置き換えて、不老不死の肉体と全ての生体を超越する頭脳、そしてすべての「悪兆」を見通す目を手に入れました。
赤ずきんの森は全世界の首都となり、聖域としてあがめられました。
その獣は、オオカミでもクマでもトラでもありません。小さな、1羽の黒い鳥でした。
最初、赤ずきんは黒い鳥を侮っていました。しかし、黒い鳥は向かってくるロボット動物を次々と破壊し、着実に赤ずきんに迫ってきます。
赤ずきんは、黒い鳥に恐怖しながらも、負けるとは思っていませんでした。
生命保存プログラムのAIの精度は、監視システムとは桁違いなのです。
しかし、黒い鳥は、赤ずきんの不死身の肉体と究極の頭脳と目を嘲笑うかのように、あっさりと赤ずきんを殺してみせました。
残された赤ずきんの子供たちは悲しみました。しかしそれでも、時代の流れは止まりません。
赤ずきんの残した巨大な監視システムは、子供たちが引き継ぐことになりました。
黒い鳥は英雄として動物たちに語られましたが、その話をした動物たちを赤ずきんの子供たちは片端から処刑しました。
こうして陽向には語られなくなった黒い鳥の伝説は、やがて信仰のような形で動物たちの中に残り続けました。
「黒い鳥を目で捉えることはできないよ」
子供たちには赤ずきんのお母さんの声が聞こえましたが、聞こえなかったふりをしました。
子供たちは黒い鳥の再来を恐れながらも、忘れたふりをして、世界の統治に励みました。
そしていつしか、最初の「オオカミ」が捕らえられてから、238年もの月日が流れていました――
ARMORED CORE BLOOD AND SOIL
20XX年 発売予定
そして楽園は、土に還る
3袋つながりのものを1袋ずつつかおうとすると、
つながったまま片端からつかっていけば、真ん中はハサミつかわないとキリづらくてしょうがない。だからバラバラにして切っとく。
2袋は1袋でつかうなら片方ずつのはしを引き裂いてあけてそっちを下にすれば全部でる。どの段階でも切る必要なし。
売り場でも2倍にひろがってみえて見栄えもいい。
でもあいた袋が片方にくっついたままなのがいやなひとは、この点線のはいったまんなかをめざしてはさみで切って下さいという意味で点線いれてある。
点線がないのをてきとうにハサミでわけると1袋つかうつもりが2袋切れてしまってあわててゴハンと卵を足すことになる(チャーハンの場合だぞ)あわてんぼうさんもいるからな。
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。
さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさらの下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件を主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公の郷田三郎が、素人探偵の明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。
二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種の研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。
同僚を殺害して、その死体を実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉に通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラムの殺人罪、所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。
明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語の主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。
併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。
そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。
彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草の遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋と活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類と通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。
彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物や時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当な場所で外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。
併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白い事件を惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
先週ウマ娘って昔のギャルゲーみたいってここに書いたらプチバズってしまったが実は未課金で心苦しいという切り株告白
ガチャ内容的に言うとリセマラ無しで開始したが、ミッション報酬と後から追加の石配布と確定チケで
キャラはスぺ、マック、テイオー、オペラオー、サポはセイウンスカイ、たづなさんのSSR合計6枚
プレイ内容は育成完了人数29、グッドエンド到達(URAファイナル勝利)3
1日に育成を1~2回やる以外はチーム戦はミッション報酬分しかやらないしTPもRPも余りまくっている。
育成でついついレース見ちゃうとかシナリオのいいとこで1着取るとライブ見ちゃうとかノンビリやってるから、
キャラもまだ半分しか手をつけてない。昨日ようやくチーム戦15人が解放されたところ。
この調子で行くと今月中は手持ちの育成に明け暮れるだけで終わる。
しょうがないだろだってレース見てガッツポーズしてたら育成30分なんて無理だし、
ウイニングライブはどう考えても賞獲得の流れで見るのが最高に上がるし。
表題に戻るが、現時点の内容である程度満足してしまっており課金するタイミングが見つからない。
むしろ未課金でURA突破できそうなので逆にこのまま課金なし縛りでプレイしてもいいかなという誘惑が生じている始末。
ある程度まで慣れたら飛ばしプレイに移行すると思うが、そうなる前に満足して飽きてしまい課金せず終わるかもしれない。
有償での星3確定ガチャも未使用のまま。自由に選べる星3チケットも未使用で、これでスズカ取ったらチームスピカ揃ってしまう。
ミホノブルボンやシンボリルドルフなど幼少期に刷り込まれた名前は欲しいしライスシャワーも可愛いと思うが、ガチャ欲にまでは未だ至ってない。
これがFGOだと全然話が違う。FGOのゲーム戦闘に楽しめるゲーム性はない。だからガチャる。
FGOはガチャ回してスキルLV上げてLv100にして並べたらそこで終わる。実質的にガチャ部分が最大のゲーム性(ギャンブルの快楽)になる。
今年に入って正月ガチャ5万、バレンタインカレン3万突っ込んだ(こっちは爆死)
ガチャ以外やることがないFGOは、ガチャ回すのが目的でやってるのでガチャを回すしかないから回す。
結果、ガチャ回す以外にやることがないFGOに今年だけで8万を突っ込んでる増田は、
ウマ娘はたのしいなどと書いてプチバズりつつ未課金のままである。
これは流石に心苦しいので発売済みのうまぴょい伝説CDを片端からポチったが在庫確認中から返事が戻ってこない。
シンデレラグレイも電子書籍しかない。オッサンはマンガはまだまだ紙で入手したい。
ヨドバシはネットのウマ娘ムーブメントにちゃんと反応して在庫積んでください。お願いします。
3/9追記
何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアのメディア業界で急速に成長しているM-townという企業で営業に携われることになりました。
こうして、マレーシアで飛び込み営業の毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主に中華系の割合が多いことに気が付き、中国語を勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華系レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。
この経験から、マレーシアで事業を作る為には中国語が必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学の短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシアで勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。
転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易な結論に至り、その通りに動くことにしました。
しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシアに自分の会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。
会社が立ち上がった頃は、マレーシアの賃貸問題を解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。
物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業はマレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華系マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業がスタート。しかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケールの展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。
会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。
当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェで横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないかと不安でたまりませんでした。
そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約を根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所が世界中にあれば外国人の住居探し問題は解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。
関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクトの共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています。
結果、幸いなことに178万円以上の支援をいただき、クアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。
ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアのノマドコミュニティーやゲストハウスのネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。
しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業をスケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。
これ見て書きたくなった。
タイトルのとおりなんだけど、
いわゆる保守リベラルの思想傾向って、脳みその作りによるんじゃないかなと私は考えている。
政治志向の本流から外れたどうでもいい些細なことまで、いわゆる「リベラル」と「保守」でどちらが共感を抱きどちらが反感を抱くのかの予想が、高精度で当たりすぎる。
私は世界中のマラソンやトライアスロンに参加するのを趣味にしていた(無論中断中)ので、人種問わず国外の友人は多い。南極を除く全大陸に連絡を取り合う友人がいる。
グローバル企業と言われる企業に務め、英会話もネイティブには程遠く特段得意とは言えないが、まぁ不自由はない。
倫理・哲学の名著等を呼んだ経験も特段専門に学んでいない人間の中では豊富な方であろうと思う。そういったものを学生~若年時代に読むのが当たり前だと思わせてくれる家庭に生まれたからだ。
本を読んでどれだけそのとおりだなと思ってもやはりリベラル派の言動にはイラつく事が多いし、右翼向けの情報に一瞬心躍るのである。
私が米国に住んでいてもQアノンの陰謀には乗らなかったろう。連邦議会に乱入もしなかったろう。
しかし、BLMデモが略奪を伴っていたことにそれ見たことかと言い、トランプに投票していた可能性が高い。
(トランプを支持していると言うより、民主党的欺瞞に対する抗議として、7000万分の1ならばまぁ良いか、と判断したと思われる)
だが、頭ではわかっている。
俺の直感が感じていることの逆が正しい。
学生時代には自分の感性と「正しさ」のズレを感じていたので、「自分なりの考えを持とう」と思い図書館で南京大虐殺や慰安婦に関する本を片端から借りてきて(無論、左右双方の視点からの)読んだりした。
基本的には「正しい」ことを言っている方に合点がいく。合点がいくのに、文章の端々がイラつくのである。
俺は正しくない脳を一生コントロールして生きるしか無い。結構、絶望に近い気分だった。
彼らは感情のままに書く文章がそのまま「新しい」「正しい」のだ。なんと羨ましいことか。
友人と話す時悟性のフィルタをいちいち切り替えなきゃならない右翼脳持ちの気持ちがわかるか。
私は悔しい。素直にリベラルな思考ができさえすれば、こんなアンビバレンツな感情を抱かずに済むのに、とずっと考えていた
そんな中、去年のコロナ禍の中で出会ったのがこのはてなブックマークだ。
NewsPicksみたいなのは肌に合わない。ツイッターはやかましすぎる。5chはもう卒業した。
はてブで、5chやツイッターの様に実在性が確認できない存在ではなく、ただの煽りや演技でないガチ話の通じないリベラルがそこにいると感じられて、かなり救われた。
私が普段感じている、知識と理性で編み出した思考の裏から沸き立ってくる、どうしようもないリベラルへの嫌悪を煮詰めてフィルタリングせずに開放するとこんな感じであろうというものが溢れている。
彼らは「新しい」「正しく」思考をごく自然に生み出せる脳を持っているのに、それを乗りこなせていない。
なるほど、感性が正しくても悟性でコントロールが必要な事例もあるのだなと合点がいった。
思考をそのまま言葉にした時、「新しく」「正しい」源流から生み出されていても、「素晴らしい」ものになるとは限らない。
こんなかんたんなことに今まで気づかなかったのか、と浮力を発見したアルキメデスの気分だった。
つまり、正しくいたいと考えた時、自分の脳をコントロールするすべを身につける必要があるのは、人類皆の必須科目なのだ。
はてサよ、自分の脳を過信するんじゃないぞ、と言いたい部分もある。
自分の心臓が取り替え不能であるように、脳も取り替え不能だ。私はこの右翼脳と一生生きていく。できる限り正しくあろうと思う。
みんな右翼脳で人格を作り直す努力をしなければ左翼脳になれないって、マジで?人類お先真っ暗では?
自分の知る左翼のみなさんが全員そんな努力をしてきたってのはちょっと考えづらいと言うか、
よほど私に左翼になる才能がないということになるのか。つら。
オタクを自認してたからポリコレvs表現の自由論争みるたびに表現の自由側に立って不快な気分になってたんだけど、ちょっと前に思い立ってツイッターにポリコレサイドのアカウントを開設した
俺はオタクつってもなんかのコンテンツに特にこだわりがあるわけじゃない アニメとか全然見ん
ただイケてなくてジメジメした青春を送ってたからオタクを自称するようになってただけで、別にオタクコンテンツがどうなってもノーダメージだ
反ポリコレサイドを正当化する理論はなかなか見出しづらい 「そんな正しいばっかりの世の中は息苦しい」と言われたら「これまで息苦しかった少数者の気分をあなたはいま味わっている」で封殺可能
ネット論戦を見る中でラーニングした社会学・フェミニズム用語を使って、旬の話題についてできるだけ厳しいことをいう
そうすると、どこの誰かは知らないがファボをつけてくれたり、時々はリツイートしてくれることもあるわけだ
いまだったらヘタリアが旬ですね
アレは韓国のキャラ造形あたりにかなり隙があるんで、その辺を引き合いに出して差別コンテンツとして糾弾できる
日本の(というかあらゆる国の)加害者性への言及もない 叩き放題っつってもいい
そういうのをボコスカ叩き、一般のオタクたちが叩かれているのに不快感を表明してるのをみてケラケラ笑う
本当に楽しいんだ
「このくらいの表現にキレるの?!」とか思いながらポリコレサイドを見て、息苦しさを感じていた俺はもういない
自分がポリコレサイドに立って叩けるものを片端から叩く、これより楽しいコンテンツはないので、そもそも何の表現も守る必要がない
会話をするのだって言葉を選んで、会話が終わればいつも、反省と自己嫌悪にさいなまれている。
好き勝手に言葉を投げかけるだけ投げかけて、受け止めた人間が気にして心を痛めていることは知らない。
私を生んだ親ですら私を普通のことが普通にできる人間だと思っているからすごく疲れる。
普通に車を運転できると思っている。普通に正社員として働けると思っている。普通に恋愛できると思っている。普通に結婚できるものだと思っている。なんでも普通にできると思っている。
経歴にブランクがあれば何か問題があると思われるから、今を手放すこともできない。
人よりもエネルギーを使うから、きっと人よりも休息が必要だけど、一度外れたら戻れなくなる。
誰でも自分の意見が正しいと思っているから、いろんなことが理解されなくてすごく疲れる。
理解してくれなくてもいいから、否定しないでほしい。そっとしておいてほしい。
理解があるふりをして近寄って、自分をよく見せるために利用している人がたくさんいる。
バレてないと思ってるのかな。全部バレてるのに。
盆帰りの夢を見た。
知らない親戚と畳に座して手を合わせた。新品の線香とは別に燃えさしが乗った皿があった。質が悪くて途中で燃え残った線香をそこに取り分けたとのことなので、そこから一本取って煙草から火をつけて灰に差した。
墓掃除に出かけて、近くの水場から桶に水を汲んだ。柄杓で墓石の上から水を掛けると片端から蒸発してシュウシュウ音を立てた。今年は暑いのだなとぼんやり思った。
仏花と煙の匂い、蝉の鳴き声、遠くで話す男女の声と読経が聞こえていたが、それだけだった。ふと足元を見ると、濡れた墓石から垂れた水の中に胎児のような小さい生き物が丸くなって横たわっていた。
桶に入れて水場まで持っていき体に纏った膜のような滑々したものをすべて取ってやった。人の形をしていた。家に持ち帰るまでにどんどんと大きくなって、いつの間にか普通の女の子みたいな形になっていた。
家に帰ると祖母と叔父が台所に立っていたので料理を手伝うことにした。素麺を茹でて、粗熱を取って、氷と一緒に皿に並べた。
胡瓜を薄く刻んで、胡麻を挽いて、赤味噌と和えたのに出汁と醤油を加えて溶いた。
気づくと墓石のところで拾ってきた女の子が、皿の用意、揚げ物の用意であるとかを、まるで自分の家のことのようにやっていた。
祖母も叔父も特段その子には構わず、各々の調理を進めていた。なにせ客が多い。
居間の横の縁側に面した応接間は2つの横長のテーブルに親戚が既に15名ほど集まっている。襖からは酒や煙草の匂いやガヤガヤと騒ぐ声が漏れていた。
一頻り作り終えて給仕を終えたらどっと疲れてしまって、洋室に引っ込んだ。
ライトアップのピアノがあったが、鍵盤が幾つかない。後ろの書架には医学関連の洋書がたくさん並んでいた。一つを手にとって読んでみたが、何にも分からなかった。
冷蔵庫にあったカナディアンクラブを飲んでいると、洋室にあの子が訪ねてきた。ピアノが弾けるとのことで、何か弾いてくれないかと頼むと、知らない曲を幾つか披露してくれた。
器用に軽やかに動く指を見ていると、段々と指の皮が萎びてきた。先程まで20もいかない女の子だったが、いつの間にやらすっかりお婆さんになっていた。
その後は一緒にウイスキーを飲んだ。その人は洋室の机の抽斗に煙管を見つけ、吸い始めた。色々と話したがよく覚えていない。気がつくと目の前で燃えていた。
まあ大学生のアルバイトの8割ぐらいは小売か飲食かのどちらかではないだろうか。それで自分も例によって小売店で働いていた。
接客業で働いたことがある人は頷いてくれると信じたいが、自分もまた老人に常日頃困らされていた。
クレーム、マナー違反、書いてある文字が読めない、他のお客様への迷惑行為、etc
加えてガタイのいい店長が飛んでくると一気にへらへらし出す。クソみたいだ。
筋肉ゴッリゴリで色黒でサングラスしてて腕に派手な刺青があるような、明らかにヤバそうなオニイチャンの方がよっぽど優しいものだ。そういうオニイチャンに限ってにこやかにお礼をいってくれたりするのだから。
このような状況に置かれ、自分はすっかり老人嫌いになってしまった。
「それはいけない」と言い聞かせつつ、老人差別的な思想がわいて止まらない。
既に祖父母4名全てが星になってしまった後だったので「おじいちゃんは好きじゃないの?」的なストッパーも上手く動作しなかった。
「老人が一掃される出来事があればいいのに」
「例えばそう、老人ばかりが死ぬウイルスが日本中に流行するとか。」
・
社会人になった自分は、十分な勉強が出来ない環境に悩んでいた。
プログラミングにオーディオ・ビジュアルの編集や作成が出来る。
調べれば大抵のもののやり方は触りとして見ることが出来る。詳しい人に教えてもらうことだって出来る。
加えて今はインターネット上にオンライン学習用の動画や問題集が山のようにある。
しかしブラック企業でもないのにちょっと残業して家に帰るともう夜遅い。出来るタスクは気力の面でも時間の面でもほんの僅かしかない。
だが今の会社は気に入っているし、そもそもそれを理由に職を失う勇気はなかった。休職制度も手薄だった。
・
10年前ぐらいに流行ったライトノベル、そこからアニメなども製作されていた事で著名である。
自分も頭の方しか話を知らないので、最新な設定がどうだかは分からないのだが、内容としてはこんな所だ。
活動的なヒロイン・涼宮ハルヒは神のような力を持つ。だが自分が神の力を持つことは自覚していない。
神であるハルヒは自分の願望を成就する力があり、無意識のうちに自分が思った通りに世界に影響を与えてしまう。
評価軸を「献血」側だけに置くことは、議論の客観性を放棄することになりませんか。政治的には(要するに相手を〈ぶん殴り〉たいだけならば)そのやり方は正解かもしれませんが、議論をする上では間違いだと思います。
批判者に同調する訳では無いけれど、彼らはそもそも「性的メッセージを社会にあふれ許容させる世論作り」の一貫である、としてアレを批判しているわけで、しかもそれを個人の店でおっさんがやってるのではなく(それでも一定の公益性があれば彼らは批判するでしょうが)ある程度公共性のある団体が加担していることに厳しい目を向けているわけでしょう。その評価軸、つまり(彼らの思う)「自由な公共」性がより担保されるか/毀損されるか、という点を無視した議論は、議論としての有効性を欠くと思います。
自身で「宗教」と断言(自虐?)しておられるのですから、いいんだよそこは政治性なんだよオレは議論なんてしてねーんだよ、ということなのかもしれませんが、それなりに分析的な文章で、対話を目指して書いておられると感じたので一応。
なお、個人的には、「批判者の言うことも分かるが、方法論としてこのような『片端から噛みつく』というやり方は、主張としても不親切だし啓蒙手法としても成功しておらず、むしろ社会の分断と対立を深めるという観点で『私の思う公共性』を毀損している」と思っています。彼らは、分断と対立を深めるなかから新しい社会が誕生するという運動論に基づいて、むしろ確信犯的にそれを行っているつもりかもしれませんが、それって単なる腕力勝負だと思うんですよね。つまり「殴り合って勝った方の言うこと聞けや」ってことです。そりゃ短期的にはそれで一定の陣を得られるかもしれませんが、それで長期的に問題が片付くのかというと疑問ですし(バックラッシュなど)、あらゆる考えや立場の人が自ら発信できる社会ではそういう、ダイナミックに物事が変わることはもはや期待できないと思っています。批判者のやっているこのようなやり方もまた、仲間内に向けたある種の〈政治〉的行為だと言っては言い過ぎでしょうか。
私はそれよりも、次代のスタンダードを作るのに必要なのは、上野さんやその世代の人々がやってきたセンセーションではなく、あるいは誤解をおそれずに言えば"MeToo"のような魔女狩りでもなく、もっと落ち着いた対話と理解を行う姿勢であり、抑制の効いたオープンな議論だと思います。その意味で、批判者の現在のやり方は不適切だと思いますし、可能であれば、〈殴りかかられた〉側にも、あえて冷静な対応や議論の姿勢を求めたいと思います。
「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter
上記まとめにもある通り、杉村喜光という人は、以下のような発言をしている。
山田優さんの「天皇皇后両陛下 お疲れ様でした」発言が炎上中らしい。
この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。本来は上下関係なし。
それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。 pic.twitter.com/axgcAGrS2c— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) 2019年5月5日
しかし、これまで「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」というマナーは、(そのよしあしはともあれ)聞いたことがあるものの、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」という言説は、少なくともマナー(マナー講師)関連において見聞きしたことがなかった。
※ただし、マナー講師ではなく芸能人(タモリ氏)や言語学者(園田博文氏)は、「お疲れ様」という言葉について以下のように述べているようである。
タモリが「お疲れ様です」は目上の者に使ってはいけないと指摘 波紋呼ぶ - ライブドアニュース
「子役が誰彼かまわず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい」(タモリ氏)
「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(園田氏)
ならば、本当にマナー本は、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と主張しているのだろうか?
このことを検証するため、八重洲ブックセンター八重洲本店2Fの「ビジネスマナー」コーナーにあったマナー本を片端から当たってみた
……かったのだが、1段・56冊あり、全部を立ち読みするのは時間的にも労力的にも足りず、かつ、売り物の書籍を使って調べ物をするのが申し訳なかったので、20冊だけ抽出した。
(八重洲ブックセンターを選んだのは、会社から近く、また今日の仕事の関係で立ち寄りやすかったというだけであり、他意はない。図書館を選ばなかった理由は3つある。近隣の図書館が思いつかなかったこと、冊数としては八重洲ブックセンターの方が豊富だと判断したこと、古い、昭和の本も交じっていそうで、そうすると有効な冊数はさらに少なくなると考えたことからだ。八重洲ブックセンターさんには申し訳なかったが、普段も毎月1万円程度は購入しており、今日も本を買ったので、許してもらえたらうれしい)
なお、書籍はスミからスミまで見たわけではなく、「あいさつ」「言葉づかい」といった項目のところだけざっと流し読みしているので、漏れがあるとは思う。この件についてはご容赦願いたい。
さて、その20冊の中で、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と書いてある書籍は何冊あったか?
答えは0冊だ。
調べた限りでは見つからなかった。
ただし、「ご苦労様を目上の人に使うのはNG。お疲れ様を使いましょう」と推奨する書籍は、5冊発見した。もっと多いと予想していたので、案外少なかったが、精査していないため見落としもあるのだろう。
(個人的には、杉村と同じく、ご苦労様だろうがお疲れ様だろうが、目上の人に使っても、まあいいんじゃないのかな、とは思っている)
念のため、その書籍名を記しておく。
○新人の「?」を解決する ビジネスマナー100 または 社会人としての常識とマナーQ&A(メモのミスで、どちらか分からなくなってしまった。申し訳ない)
以上のことから、
○「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」とするマナーは、確かに複数の著者が主張している
○「『お疲れ様』を目上の人に使うのはNG」というマナーを主張する著者(マナー講師)は、少なくとも「『ご苦労様』NG」以下だろう
ということが確認および推測できた。
杉村は、どのような根拠をもって「この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。」などと断じているのか、また、そのようなマナー本がどこにあるのかを示してほしい。
加えるならば、「新ルール」とまで言うからには、1人のマナー講師・1冊の著書の主張では足りない。最低でも3冊は「お疲れ様はNG」と述べているマナー本を、杉村に限らないので提示してほしいところだが、どうだろうか。
※言っちゃあ悪いが、マナー本なんて、よくも悪くも似たり寄ったりだ。二重敬語のNG例など、同じ表現を何度見たことか…。だが、それは当たり前で、マナー本ごとに言っていることが違ったら、プロトコルとしてのマナーが機能しないからである。逆説的に言うと、本当に「お疲れ様はNG」というマナーが新たにできたというならば、上記の通りタモリ氏・園田氏の事例もあるし、20冊も拾い読みすれば、2~3冊は目に引っかかっておかしくないのであるが…。
改めて、杉村のtweetを見てみる。スクリーンショットだが、元ネタをたどると、
山田優、「両陛下お疲れ様でした」という投稿に批判殺到「皇室をなんだと…」(1ページ目) - デイリーニュースオンラインが出てくる。
デイリーニュースオンラインという段階で、取り上げるのもあほらしくなるのだが、ひとまずそこは置いておこう。
「会社の上司にすらお疲れ様と言うのは失礼と言われるのに。。」
と引用されているだけであり、どのような根拠、つまり、マナー本を読んだりマナー講師に教わったりしたのか、上司にそう注意されたのか、はたまた、自分個人の思い込みなのかは一言も書いていない。
(個人的には、元の発言者は「ご苦労様」と勘違いしているのではないか、という第一印象を持ったのだが、もちろん、定かではない)
それをいきなり、マナー本が~と言い出しているのは杉村である(だからこそ、典拠となるマナー本を提示してほしいのだ)。
実は最初、杉村も「ご苦労様」と勘違いしたんじゃないか、と思ったのだけど、その後別のtweetで、
ついでに「ご苦労様は目下からはダメ」も80年代後半ぐらいに登場したルールのハズ。バブル期の就職ガイドとかで最初読んだような記憶。それがついに「お疲れ様」までという感じ。
90年代初頭は謎マナーが多く登場し「徳利の注ぎ口から注いじゃダメ」「結婚式の引き出物にお茶はダメ」とかもそう。— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) 2019年5月6日
と述べているので、「お疲れ様は目上にNG」と主張するマナー本を数冊は読んでいるのだろう。ぜひ教えてほしい。本当にそう思う。
これまで述べた通り、一個人としては、
○「ご苦労様は目上にNG」というマナーは聞いたことがあっても、「お疲れ様は目上にNG」は見聞きしたことがない
○書店に並んでいるマナー本を抽出調査したが、「お疲れ様は目上にNG」とするマナー本が見つからなかった
ことから、
○「お疲れ様は目上にNG」だと主張する平成のマナー本は、あったとしても本当にごく一部で、「ご苦労様NG」ほどには広まっていない
○「平成のマナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張には根拠が薄い
と考えているが、はてなブックマーク
[B! 日本語] 「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter
において、「『お疲れ様は目上にNG』という謎マナーをマナー本(マナー講師)が広めた」というベースのもとでマナー本やマナー講師をののしっているブックマーカーは、
○実際に「お疲れ様は目上にNG」というマナー本を読んだか、マナー講師の指導を受けたことがある
のか、
○「平成のマナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張を鵜呑みにした
のかは、せめて教えてほしい。
と、あたかも、言葉遣いのマナーを追及している者も言葉遣いがなっていない、という含みを持たせた書き方をしている。
が、これは釈迦に説法だが、「違和感を感じる」は、話し言葉(引用したコメントの言葉)ならば別におかしな表現ではないし、書き言葉としても、許容範囲内だと考える。
その破堤基準を一つ挙げると、「○○感を感じる」の前半の「感」を取ったときの表現に違和感があるかどうかである。
※一種のジョークとして「○○を感じる、と表現しても(すると)違和感がない(ある)」という書き方をしている。読みづらくしていることは謝りたい。
それなのに、