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はてなキーワード: 大切なこととは

2021-05-05

コミュ障の俺が対人関係で気づいた事

ここ最近、人とのコミュニケーションもっと頑張ろう!と色々試しで得た結果をメモしておく。長いです。

少し交友関係が広がったので、俺と似たようなコミュニケーション苦手な人の役に立てれば嬉しい。

「そんなの当たり前だろ…」の連続だと思うが。

他にもあったら教えて欲しいです。

ー話すー

【褒めることは大切】

長期的に効果が出てくる。正直褒めるの苦手だし、きごちなくなるけど気持ちは伝わる。

無理矢理、大袈裟ダメ。本当にいいと思った時に伝える。

意外だったのは、お世辞なしでも全然問題ないということ。

【間を大切に】

隙間なく喋るのはやめる。

【思い切って声に出してみる】

まらいかも、とか思うかもしれないけど言ったら案外興味持ってもらえたりする。声に出さないと伝わらないことは沢山ある。

【年上には絶対敬語

相手フランクでも敬語の方が反応良かったです。単純に礼儀

笑顔

基本!意識してみると、気づくと表情が固まってた…ってことが割とある

.

ー聞くー

【「確かに」が相槌として便利】

否定肯定もしないけど承認してる感じがある

リアクションをとる】

相手の言ってることを繰り返す。「休みの日は釣りしてます」「釣りしてるんですね。この時期は何が釣れるんですか?」

やりすぎるとただのオウムになってしまうので自分感想質問も交える。

【でもオーバーはよくない】

突然大声で笑い出すとかは不信感。そりゃそうなんだけど。相手がウケ狙うタイプの人だったらありかな。

質問

自分が聞きたいことばかりだと、一問一答みたいになっちゃうので、相手が話したいだろうなってことを予測して投げる。

あと質問しすぎない!グイグイ行くと相手も引く。

【勧められたら感想を言う】

リアクション大切

.

マイナスを避けるー

相手が腕を組んだら注意】

まり好ましくない話題と思われるので、次から言い方や話す内容に注意する。

マイナスワードは控えめに】

自分なら」の話をする時、嫌とか無理とか言わない。苦手とか、ぼんやりした言葉を使う。

金貸してって言われたとかだったら別。それはハッキリ断っていい。

【断る】

正直断るのは余程の時でいいかなって思う。遊びに誘われた時、ついていったら案外楽しいこともあるし。楽しくなかったらそれはそれでコミュニケーションの場数を詰めるのでよし。

【嫌われちゃうかもと思わない】

オドオドしてると本当に嫌われてしま

【悪い時はちゃんと謝る】

謝るタイミングを逃してしまったとしても、ちゃんと「あの時はごめんなさい」と言う。どうでもいいことで謝ってばかりだと上と同じなので注意。

一方的はやめる】

一方的に続いているものは大概自己満足。押しつけるのもやめる。(あくまでこのメモメモなので許してくれ)

【目を合わせすぎない】

目を合わせるのは大切だけどガン見状態プレッシャー

【一つの話に執着しない】

どうでもいい話題は流されても構わない

相手を見下さない】

自然と態度に出てます。本気で見下すような相手なのか、自分性格が悪いだけじゃないか考える必要がある。ずっと疑うような気持ちが続くようなら無理に付き合う必要なし。

.

ーやっておくといいー

食べ物の好みを覚える】

好きなもの、嫌いなものを把握しておくの大切。お土産渡すときとか、ちょっとした贈り物の時重宝する。

名前を覚える・呼ぶ】

名前を間違えられるとショック大きいよね。「〇〇さんはどうですか」などさりげなく名前を呼ぶと良い。

あと、人間関係において「忘れない」ってとても大切なんですね。覚えてくれてたんだ!って大きい。

ありがとうちゃんと言う】

人として当たり前の話。親しくなくても礼儀あり。

挨拶を忘れない】

上に同じ。

【身だしなみ】

コミュニケーション以前の問題だけど、説得力が変わってくる。

【色んな場所に行く】

1人でも構わない。それだけで話題が増えるし普通に楽しい。今はコロナなのでちょっと難しいかな。

個人的に本を読むより活動した方が経験になりました。

47都道府県名物を覚える】

1つだけで構わない。1番いいのはお菓子。出かけてると知らないうちに覚えてる。

それだけで初対面の人との話しやすさが違う。

【逆の立場想像する】

もし相手だったら、を考える。する時はよくてもされるとあんまり…ってことが結構ある。

ライン本名

あだ名だと後から探す時大変だし、相手こちらの名前を忘れた時に思い出せるから

誕生日には連絡を】

おめでとうの連絡をしよう。もし、近くにいる人だったらちょっとしたお菓子とか渡す。仲が良ければプレゼント

.

コミュニティー

複数コミュニティを作る】

インターネット上でも、小規模でも全然構わない。一つに依存しないことが大切。

【上手い人を観察する】

色んなコミュニティ入って分かったのが、必ず1人は立ち回りが上手い人がいるということ。その人を見習ってみる。

【顔を出す】

幽霊部員にならない。

【無理しない】

合わなかったら抜けていい。

【小さな欠点は気にしない】

完璧人間なんてそうそういない。少しくらいの欠点はそんなもんかで許そう。

.

書けば書くほど当たり前のことだらけで、今まで自分がどれだけサボってきたのかと反省する。

最後に1番大切なこと

人間関係を切りすぎない】

ネットで散々こういう人を切ろう!こんな奴とは話すな!とあるが、本当にそういう相手かよーく考えてほしい。

自分が敏感になりすぎてるだけじゃないか?他に良いところはないか

何も頻繁に話す必要はない。ちょっと距離を置いても構わない。

時間が経ったらどうでもよくなることもある。

切る時はリストなんか見るな。自分気持ちで考えよう。

2021-05-03

もう便利な世の中にならないでほしい

                                                                     

SNSのせいでちょっとしたことで集まったり、対面で話をする機会がかなり減った。

動画配信サービスのせいで少しくらいの興味で映画館に足を運ぶことはなくなった。

youtubeストリーミングサービスのせいでいつでもどこでも曲やライブ映像が見たり聞けたりするのでライブに行きたい欲は割と減った。

本や漫画配信サービスのせいで、満喫図書館もその辺の本屋にも行かなくなった。

デリバリーサービスのせいで外食することもここ最近はなくなった。

ゾゾやアマゾンのせいで買い物するために外に出る機会は皆無。食品を買いに近くのスーパーコンビニくらいだ。

家具家電だって今じゃレンタルできる。

                                                                     

便利だし外出せずに満足を得る環境にある今は本当にありがたい。

けど、便利になるにつれてだんだん大切なことや意欲を失くしていると思う。

一人で外出のきっかけを作ろうにも上のサービス比較してしまって家を出ずに一日が終わる。

友だちを誘うにしてもなんらかのサービスで満足していて何かする気力が弱まっているっぽくて、昔から趣味友だちもここ2、3年は付き合いが悪い。

                                                                                            

今はコロナ渦やけんしょうがないんだけど、

なんだか、思い出作りのきっかけがここ数年でかなり減った気がして本当につらい。

これからリモートワークが根ずいていったり、VRが普及して家に出る必要基本的になくなったりとかしたらきっついな~

抵抗を続けていこう”

約 43,500 件 (1.08 秒)

遠い道のり | 独身男30代から始める美肌への挑戦! - アメブロ

https://ameblo.jp › fowisps › entry-12042972508

2015/06/24 — 汚肌にコンプレックスを持った男が、自己流で美肌になるために抵抗を続けていこうとする、そんな経過を載せたいと思います。 同じ悩みを持つ人たちの参考に、むしろこんなやり方じゃ失敗するんだなと反面教師にもなる ...

実践ダーマスタンプ | 独身男30代から始める美肌への挑戦!

https://ameblo.jp › fowisps › entry-12042076461

2015/06/22 — 汚肌にコンプレックスを持った男が、自己流で美肌になるために抵抗を続けていこうとする、そんな経過を載せたいと思います。 同じ悩みを持つ人たちの参考に、むしろこんなやり方じゃ失敗するんだなと反面教師にもなる ...

9条の輪/全国の「会」が交流/地域密着が力 - 日本共産党

https://www.jcp.or.jp › akahata › aik07

2007/11/25 — このたたかいは長丁場だ。日常的に地道に抵抗を続けていこう」と呼びかけました。 全体会の発言も、沖縄南風原町元町から東京小金井市の「九条おじさん」、学生の集い「ピースナイト9」の実行委員まで多彩。

現代の「バベルの塔」 - ノボ村長開拓日誌

https://kawasimanobuo.hatenablog.com › entry

2014/05/21 — 人の考えがどうであれ、世がどう変わるのであれ、自分だけは大切なことを忘れずにいよう、抵抗を続けていこうと。 とはいいつつ孤独気持ちを暗くします。 せめて身近な家族や友人たちだけとは気持ちを共にしたいもの ...

2021-04-29

どうして、みんな

あって話をしようとするんだろう

なるべく話をしなくて良いように

手紙を使ったり、しているのに

あなたが、電話のほうが良いなら

僕は電話を使うけど

僕は電子メールももちょっと使ってくれるると

電話大切なことだけにできるから、うれしい

2021-04-22

anond:20210422153719

大切なことを忘れています

オリンピック強行開催したとしても、国民コロナ感染しません。

なぜなら、会場に集まるのは選手大会関係者だけだからです。

まり国民はまったくの部外者なのです。

他の選手大会関係者が声高に開催反対を叫ぶなら、オリンピックをやめる選択肢もあるかとは思いますが、

国民の開催反対という第三者のヤジに迎合するのは、その方がプロ意識に欠ける行為と言えるのではないでしょうか。

2021-04-19

なんで養親組のあっせん民間団体がやってるんだろ…

養子縁組なんて子供の人権に直接関わる問題なのに、民間に任せたら危険じゃない?

こういうのは全て国がやるべきだと思うんだけど。

https://www.businessinsider.jp/post-232398

大切なことなのであえて申し上げますと、養子に出した産みの親には一銭も利益はありません。」

って何ふざけた事言ってるんだよって感じ。

てめーらが性欲に負けて勝手に生みだしたガキの面倒を生涯にわたってみてもらえるんだから

その事自体が何よりも利益になってるだろうがよ。

『産みの親』に対してあまりにも甘すぎる認識気持ち悪い

世の中には俺の知らないことがいっぱいある!

けど大抵は関係ないし、興味もないからどうでもいい

好きなことや大切なことに向き合うべき

おやすみ

2021-04-18

コロナ大切なことは出来る限り検査しないこと。

濃厚接触者の定義をまずディープキスにすべきだ。

エヴァンゲリオンを乗り越えて、あるいはその手前で

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。

 目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。

 望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。

 さっきまではTwitterホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女アニメ美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。

 灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。

 僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。

 それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。

 というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義けがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。

「こうしていても埒があかない」

 そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間必要から

 家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草お菓子を買ってくるだけだ。

 思った通り、雨ざらし階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルト崩壊してしまった。階段構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。

 ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまたからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。

 そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。

 公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジム砂場公衆トイレに隠れてしまう。

 今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。

 よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物不審から影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、

「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。

 その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。

 セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。

 煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。

 これはどういうことだったんだろう。

 こと?

 あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。

 コンビニでは煙草お菓子を買った。煙草はいものセブンスターお菓子適当チョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビール自分には必要のないものだ。煙草チョコイカのゲソは、自分必要ものだ。

 帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめ必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。

 立方体公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。

 とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったもの左手で持っている。右手煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」のものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。

 そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのもの矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものからだ。僕はそう思う。「声」独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下階段に足を付けると、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」

 明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。

「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」

 橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。

「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」

 橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。

 僕は思ったことを言った。

「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」

 なぜか敬語が出た。

「そうなの?」

「たぶん」

 影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。

「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくら大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」

「そうなんですか。ちょっと煙草吸ってもいいですか」

わたしにもくれ」

 それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?

ありがとう今日煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」

「そうだったかもしれませんね」

「だが、お前には足りないものがある」

「なんでしょうか?」

 そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。

「お前は実は求められて、存在している」

「え?」

「お前はそれを拒絶している」

「そうかもしれませんが……」

「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」

わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」

 そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。

「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」

 そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。

「お前に足りないものは」

 影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い少女煙草を咥えたままだった。

 夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。

「圧倒的な喪失だ」

 制服少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたか存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女自殺を願ったのだろうか。彼女 Permalink | 記事への反応(0) | 11:49

2021-04-16

伊是名夏子さんの件でもやもやしている

もやもやしている

私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的批判している人はほとんどいない。

でもこの記事最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。

そして案の定炎上した。

私のこと

片目の視覚障碍

私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。

いわゆる「強者男性」に分類されるのだろうと思う。

私は自分社会的弱者というつもりは全くない。

ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。

だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視はいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないか全然違う。

普段生活には全く支障はない。

もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。

視覚障碍があってよかったこ

不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。

逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。

私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。

視覚障碍の目で街を歩く

私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。

通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。

記憶と音や他の感覚で補いながら歩く

なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから会社入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、道路通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。

見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。

そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。

自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。

大変なのは情報を得ること

電車時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。

そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。

本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。

少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする

声をかけて

私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。

から情報が少ないのを、全身の他の感覚で補おうとする。

集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。

もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。

ホームの端が見えにくい

私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。

広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命問題に直結する。((ホーム線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))

その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。

一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。

https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html

ホームドアがあれば死なずにすんだ命も多い

CPラインよりももっと効果的な方策がある。ホームドアだ。

ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。

ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。

でも、生命にかかわることだから優先順位は一番高くていいのではないかと思う。

日本視覚障害団体連合ホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。

働きかけを行うべき先は、政治企業しかるべき権限もつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。

http://nichimou.org/notice/200923-jimu/

ホーム上の点字ブロック

歩道施設などの通路ホーム上にある点字ブロック日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。

また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。

https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html

でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。

ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロック問題と指摘された。

https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6

ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目から情報が少ないため、点字ブロック認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。

点字ブロックはとても有効設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html

次に、弱視から視点追記したい。

点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色ブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?

そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロック歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。

でも弱視者には、これがわかりづらい。

視覚障碍者全盲の人ばかりではないという認知もっと広まってほしい。

視覚障碍者は見えないのだから点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。

少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。

私には、色がガシャガシャしていても、黄色の方がありがたい。

白杖について

視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)

また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)

さきほども書いたが、視覚障碍者全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。

ところで、視覚障碍者白杖を持つ理由は次の3つとされている。

https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/

  1. 視覚障害を持つことを周囲に知らせる
  2. 触覚を通じて路面の情報収集する
  3. 路面上にある障害物を検知する

障害物もなく、路面が確かな場合ロービジョン視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。

それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。

白杖を持つ人が近づいてきたら

点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?

いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?

視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。

視覚障碍者安全に歩くためには、健常者の人の協力が必要だ。

もやもやしているのはなぜか

伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。

バリアフリーとは?

私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー問題だ。

伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。

かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。

でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。

それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー議論ほとんどなかった。

いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。

からもやもやした。

伊是名夏子さんの手法をもてはやすことは何を呼ぶか?

案の定、伊是名夏子さんの投稿炎上した。あの投稿批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブル作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。

現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブル作為性を巡って反感を買いやすい。

伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ち理解できる。

しかし、何かバリアフリー課題改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。

そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。

分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。

からもやもやが続いている。

個人攻撃している人にも協力を願う矛盾(心の中のバリアフリー

伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。

一方、こういったネット炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。

かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。

しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。

話は変わるが、視覚障碍者投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。

他の障碍者ハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。

そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア障壁)を持っていると思う。

心の中のバリア障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。

インフラは整っているが、人の心の中はバリア障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?

今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。

インフラけが整っても、バリアフリー社会にはならない。

たくさんの人の理解と協力が必要だ。

私はまだもやもやしている。

2021-04-07

anond:20210407222524

世間ではコロナネタオワコンだよ。フェミニストコロナなんかより大切なことがあるの。

もはやコロナネタは、一部のコロナ脳の世界だけだよ。

 

府民も、維新どうこうよりも、コロナオワコンって扱いだと思うよ。

2021-04-04

anond:20210404181503

現実問題として、男女の参加比率はどうだったんだろう。

女性陣はお汁粉作り隊。男性陣は力仕事がんばり隊。

全然問題無いと思うんだよね。

本当に大切なことは、力仕事頑張り隊をやりたいって希望した女性が居たときに、

それを受け入れる自由があることが大事なのであって、

呼びかけの時点で男女の区別があるのはダメー とかまるで本質関係ない

2021-03-25

史学大切なこと

呉座さんの一件で、呉座さんの研究性向との関係が問いただされている。トゥイターでは、エースの呉座さんがあんなのでは日本中世史は高が知れている、という話も出てきている。

ある人が書いたモノと、その人が持つ性格性向をどこまで切り離せるのか? はよく話題に上る。私なりに今回の事柄において作品研究)と作者の性向とがどう切り結ぶのか考えてみたいと思いつらつらと書き始める。

1

おおよそ史学では以下のプロセスで発表したり論考を著していく。


A史料を正しく引用し、

B史料を読んで解釈して、

C(いくつかの史料解釈を重ねて)論ずる。


このプロセスを繰り返していく。

もちろん、あらゆる段階(ゼミ研究会、学会発表書評反論論文)で他者批判さらされる。

学会では特にB、Cが論究されて時に論争になる。

2

さて呉座さんの評判は、一件が露見するまで悪くはなかったですよね。

これはAからBにかけての能力に長けていたからだろうと思います

もちろんA、Bに立脚した論の部分もしっかりしていたのだと思います

ただ、Cの論の部分のすぐ背後には、2ch的なノリが隠然とあった。

しかしたら、解釈部分のBにも批判された様なバイアスがあったかもしれない。

要するにBからCにかけてのプロセスには論者の主観が入り込む余地がある。

ただ、もしかしたら史料を読み込んで論を立てる場合においては、ミソジニー的、あるいは安い弄りを繰り返す的な性向は顔をのぞかせない可能性もある。

から声望を得られる。

3

呉座さんの研究に疑問を投げかける人がいる。あるいは、「どこまで信じたら」というようなコメントを書く人もいる。

引く史料と、そしてその読み方の精確さは信じてもいいのではないか、というのが私の考えだ。

今回はその基本的なところからまりに遊離した部分での性向が露見した。

史料に基づかない頭でっかちな部分が露わになった。そこは批判されるべきだし、職場からも然るべき譴責を受けるべきだろう。

だが、見てきた通り連続しているとはいえ史料を読み込んで解釈して室町時代民衆がどのようであったか組み立てていく作業は、そことは一線を引いても、間違いではないのではないか? そこは呉座さんを信じてもいいのではないか

私たちはもちろん今後『応仁の乱』を読む時は、今まで通りには読めない。けれども、史料とその解釈は変わらずにそこにある。その学術的正しさを論及することはまた行うべきだが、そこに論者の性向を過度に見るべきではない、というのが私の意見

こんなあたりに、研究と作者の性向とを隔てる線引きがあると思っている。要するに、史料をしっかり用意して読み込む、ってのが肝だ、ということだ。

4

また、やらかしが露見して大変なことになってしまった呉座さんだが今後も人生は続いていくわけで、大変だけれども頑張っていかなくてはならない。明日明後日も来るし、出勤停止と何ならない限り職場に行かなくてはならない。

きっとそんな時に大切になるのは、やっぱり史料とその読みなのではないだろうか。偉そうな意見学者にするのはなんだかアレだが、ひたすらこれを積んでいくしかねーんじゃねーかって思う。一発アウトになりやす中世と違って人生が長く続く現代だが、史料と向き合い、史料に沈潜してこれからも頑張って欲しい。

2021-03-18

anond:20210318082642

オリンピック中止にして自民党自民党支持者ががっかりする姿をみたいんだよ

それよりも大切なことがあるなら言ってみろ

2021-03-10

時間映画トイレ対策がされた映画

があったらいいのではないだろうか

逆転の発想である

頻尿とか貧乳とか老人かよwとバカにするのではなくビジネスチャンスにするのである

商売大切なこと

それは、転んでもただでは起きないことではないだろうか

ただでは起きない、起き上がる機能から有償ですというフリーミアムモデル

石ころでも売るのが営業

キミは砂糖水を売ってつまらない一生を終えるのかい

実現方法Gのレコンギスタというか、宇宙ステーションなどのバキューム式でいいのではないだろうか

便座があって、バキュームして、宇宙排出するのである

その💩はボイジャーのように宇宙を漂い、この我々の銀河系さえも越え、どこかの異星人が回収するかもしれない

そして、異星人はその成分を分析し、これを排出した生物健康診断があったんだな、とか、

イカスミ食っただろ、とか解析することで、我々人類理解することだろう

今はちょうどコロナである

映画館座席同士に遮蔽物があることに違和感はないだろう

いっそ、透明なアクリル板などではなく、不透明100%の板で区切るべきではないだろうか

バキューム音のうるささはなんとかしなければならないが、なんとかなるだろう

人類はこれまで何度も人類絶滅危機を自らの知恵と悪運の良さで乗り越えてきた

バキューム音もコロナも我々人類の英知を結集すれば解決できるであろう

席に個別トイレがあるようになれば、もう何を食べても平気である

ポップコーンのみならず、冷やし中華を食べて腹痛に見舞われても平気である

そういえば、フランク・ミラージェフ・ダロウハードボイルド?という漫画だったか

自分で立つことすらできなくなった肥満の男が風呂みたいな機械に入っていて、

男は食べ物を食べていて、排泄はなんかちんぽに蛇口というかコードみたいなのが接続されてたんだったかな、

水?の中には小さいロボット?がいて肥満の男をメンテしてる?みたいなコマがあったのだけど、

要は未来世界セレブというか上級国民の姿なんだろうけど、

あいディストピアは、あれはあれで寧ろ幸福なのではないだろうか、

怠惰と贅沢の果てまで尽くすのも人生ありだなと思ってしま今日この頃

まあ、なにが言いのたいかというと、

トイレに行きたいときに誰か代わりに行ってくれねーかな、と思ったり、

まり、そういうことです

2021-03-06

anond:20210306181117

細かく読める状態になったので再トラバ

 

腐女子フェミニストになるの難しくない?と思っている。

ざっと読んで書いた増田(anond:20210306183907)にも書いたけど関係がない

 

セクシャル言及がないキャラ同性愛者として二次創作を行う女性のこと"腐女子"とし

社会的政治的そして経済的性別平等と信じる人を"フェミニスト"とするけど、

 

性的搾取のない創作はできるので腐女子であってもフェミニストにはなれる

 

男性社員による扱いや、同じ仕事をしていても出世の道が遠いことに女性差別を感じたり

 

増田がそれなりの規模感の会社取締役や準ずる立場になろうとしているならば疑う余地なく女性差別はある

 

だけど、おそらくは係長せいぜい部門部長程度の話だよね?なら関係ない

まともな会社なら指導対象だし労働裁判な話

問題意識を持ち意見を常に上げていくことはとても大切だけど会社選び職業選びはもっと大切

  

痴漢にあったり、「女性地位向上を!」「性的搾取をやめろ!」と叫びたくなる場面がある。

わざわざ表立って活動をするほどの勇気はないものの、女性の権利を守る署名には積極的に参加してきた

 

大切なことだね。嘘松じゃないのなら偉いと思う

 

「お前が普段読んだり描いたりしている二次創作男性性的搾取だろ」と言われるんじゃないかと思えてきた。

 

そう言う創作が全てではないので

増田性的搾取がある作品を好んで読んでいる・創作しているのならそうなのだと思う 

 

裸で汗かいて絡み合っている表紙のもの普通書店平積みで置かれていることもある。

 

肌色が多い・ボディラインの強調がすごい萌え美少女物と変わらないね増田と同じく問題に感じる

けど萌え美少女物と同じく年々規制は厳しくはなってるしゾーニングは強化しているっぽい(途上)

 

それが宇崎ちゃんとどう違うのかと聞かれたら、答えられない。

 

宇崎ちゃん普通ラブコメエロ漫画ではありません。ウザ可愛いロリ巨乳女の子と焦ったいイチャイチャする漫画です

宇崎ちゃんエロ漫画じゃないけど公共の場にふさわしくない服装だった表情なのは疑う余地がない。TPOだね

 

オタク比較ゾーニングできていると反論できるかもしれないが、実際女オタクだってR-18二次創作Twitterオープンアカウントで載せている。

その検索やすさのおかげでエロ絵を簡単に探せている。私が実際に恩恵を受けている。

絶対に隠れようという雰囲気のある界隈もあるが、女オタクは自浄作用があると胸を張って言えるレベルではない。

正直割合で言えば男オタクエロ絵の方がなんの抵抗もなく載せられていると思うが、割合いからなんなんだという話で。目くそ鼻くそだ。

 

微塵も隠れてないし、流行りのプラットフォームを使って検索避けしてますとか正直バカなんだと思っている

けれど優先されるべきは日本国法律プラットフォームルール

それらに違反していない限り、"嫌なら見るな"

 

ATSUGIタイツ炎上の時は、気持ち悪いと思ったけど、もう意見は書かずに勝手に買わないだけにした。

 

???署名はしたりするのに???

もちろん、時間は有限なので好きなこと興味があることだけするべきだけど、

企業の社会的責任国際規格 (ISO 26000:社会的責任に関する手引)にもなっているお気持ち問題でも無いよ

 

自分たちは加害してないと思い込んでいるように見えるだろうなと急に客観視してしまい、呟けなくなってしまった。

 

上にも書いたけど、増田性的搾取がある作品を好んで読んでいる・創作しているのならそうなのだと思う 

 

 

原作で妻や恋人のいないキャラクターしか二次創作しないという個人的ラインを守っている。

描く分にはエロもない。

 

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iPadAirと保護フィルム

先日ヨドバシカメラiPad Airを買った。

ペンカバー保護フィルム等合計約10万円と高価だったが、ずっと欲しかったので決心した。

会計時に保護フィルムの貼り付けを依頼したら、別カウンターにて有料対応と言われた。

昔はタダでやってくれたような記憶もあるが。。

いずれにせよ、自分でやって失敗したくなかったので、カウンターに行ってみた。

まず驚いたのが価格iPad Airサイズだと一枚3000円とのこと。

くそ高いと思ったが、ここで断ると貧乏人・ダセエと思われるんじゃないか、と思ったのでお願いすることにした。

次に驚いたのが時間。30~45分かかるとのこと。ド平日だったこともあり、混雑している様子は一切無かった。

フィルム一枚張り付けるだけに3000円、45分はさすがに受け入れがたいと思い、定員さんには時間の方を理由に断りを入れた。

その時丁度お腹も空いてたので、本当に30分の待ち時間でも個人的には不都合だった。

さら自分でやれば3000円も浮く、その分良い飯食べよう、一石二鳥だと思った。

早速、フィルムの貼り付けをするためにガストに行った。

なんだかんだ、これまでは自分でやってきたし、購入したフィルムちょっと高級(4000円程度)だったので何とかなるだろと思い、やってみた。

結果から言うと、10数個の気泡が画面一様に表れた。

グイグイ指圧して2,3個の気泡は消滅したが、その他をよく見てみると気泡の真ん中にほこりのような小さなごみ発見され、摘出不可能であることを認識した。

後悔と共に保護フィルムパッケージを眺めていると、“きれいに張り付けるための3点セット”なるものが同封されていることに気付いた。

手順書には、画面上のごみをきれいにふき取ること、とも書かれていた。

自分のガサツさを改めて認識させられた出来事であった。

かいことをあまり気にしない性格ではあるが、iPad使用するたびにこの記憶がよみがえってくる。

大切なことには時間お金犠牲しなくてはならない、勉強になった、と今ではポジティブに考えるようにしている。

2021-03-02

anond:20210302093544

ご丁寧にありがとうございます

わたしが嫌いとする根拠差別的であったということは指摘されて理解しました。素直に反省しています

ただ、本来自分がそうしたいと思っている振る舞いを抑制するのは、マジョリティマイノリティ関係がないと思うんです。

そこをあえて「嫌い」と公言しあえることで、「嫌いな人」が多ければ抑制、少なければ自由にっていう使い分けもできると思います

今の世の中は、「嫌い」の公言が抑止されていることで、自分の振る舞いや出で立ちを「嫌いかもしれない」という考えにかえって抑圧されてしまっていると思うのですがいかがでしょうか。

「嫌い」であることを言えない世の中より、お互いの「嫌い」という意見を許容しあえる世の中のほうが自由だと思います

それよりも、コメントでもいくつか見られるように「嫌いと言われるのはかまわないけど、言われたら反撃する」という考えが許容されていることにどうしても疑問が残ります

あと、わたしは残念ながらマジョリティ側の人間ではありません。かといって、マイノリティなら「嫌い」だと表明する権利があるというのも少し疑問が残りました。

わたしは当然不自由の中で生きていますが、全ての自由規制するなとは考えていませんし、特権がほしいとも思っていません。

あくまで、「嫌い」と公言することが差別であるのか(わたしの中では差別的だとは思っていません。)、「嫌い」と公言した人間差別的である攻撃する正当性はあるのかと言う点に論点を絞っていたつもりでした。

嫌いとする根拠差別的であったことで論点がずれてしまたことは反省しています

もし差別というもの社会的多数派から社会的少数派にのみ行われるものだとするのであれば、わたし認識違いだったかも知れません。(問題として取り上げられるのはそうだと思います。)

社会的多数派に対してであれば「嫌い」と公言する自由は制約されないのでしょうか。

自分でも屁理屈見たくなってしまっていることは自覚していますすみません

ごめんなさい。あと一言

究極を言えば、差別的イメージによって「嫌い」と言われることも許されるべきだと思うんです。

もちろん、表明するだけで、それによって不利益が生じることは良しとしないとした上で。

差別的イメージであれ、自分は今の段階で嫌われているということを知り得ることってとても大切なことだと思うと、やはり「嫌い」と公言することが「差別的である」として抑止されるべきではないと思います

追記

この言及は、元の文章追記2より先に書きました。

なので、自分の中ではすでに決着がついているので、反論を試みたわけではないということをご理解下さい。

わたしの心が折れたのは、「彼らを内心で嫌う自由はある。マジョリティ100%保障されたその自由を、存分に享受してほしい。それって、すごい特権だと思わないか? だってマイノリティにはさまざまな社会的抑圧や差別によって、内心ですら自分自身を100%受容・肯定することがままならない人達もたくさんいるんだぜ。」という内容で締められているにも関わらず、その意見に沢山の賛同や称賛が得られているという現実に対してです。

この一文には、日本において差別問題を考える上で最も解決を困難にしている絶望的な溝が端的に言い表されています

なぜならば、「自分たちは差別されないマジョリティ側にいるのだからマイノリティ側を刺激するような表現はやめよう」という、差別を受けたことがない側による一方的事なかれ主義的な意見しかいからです。

これによって、「自分たちは差別をしていない。だから日本には差別がない。」と堂々と言い切る日本人を沢山見てきました。

それは違います

これはまさに、「自分たちが言わないのだからあなたがたも言うわけないよね。」という社会的多数派による少数派に対する迫害です。

少なくともわたしが見てきたマイノリティな人たちは、ただ単に「嫌い」と言われることに対してネガティブな反応をすることはありません。

「嫌い」であることを理由に、暴力迫害などによって存在が脅かされることにのみ恐怖と怒りを感じています

わたしがいいたかたことは、どちらの立場であっても、お互い心理的安全約束した上で、「嫌い」という言葉を堂々と言い合える世の中のほうがいいよねということです。

お互いにどこが「嫌い」なのかを素直に言い合うことによって、はじめて異なる存在自体が歩み寄れると考えているからです。

かに正しさを量的に判断する民主主義には向いてないかも知れません。だとしたら、民主主義における差別問題限界がそこにあるのではないでしょうか。

それを思ったときに心が折れました。もうこのことについては考えることをやめます

2021-02-25

anond:20210225200654

お前は最初大切なことを忘れている。

女性だった場合は、フェミニストかどうか見極めることだ。

フェミニストなら、周りの女性いるかを探して、いれば託して、いないから静かに立ち去るんだ。

anond:20210224154916

どんなことであれ見て見ぬふりするのは良くはないけど、興味ないもの時間と取られているほど人生は長くない。

から自分にとってどうでもいいことなら放っておけばいい。

それが自分にとって大切なことときに動けるのであれば、それでいいと思う。

と、私は考えている。

とすると、いじめが私にとってどうでもいいことだったら、私はそのいじめを放っておくだろう。

それはある意味加害者でもあると言えるだろう。でも、その事実は私がいじめを止める動機としては足らない。

結局、私がいじめを止めたいと思わないからだ。

逆に、どうでもよくないことだったら、私は動くだろう。実際いままでそうしたこともある。

文字列だけで、見て見ぬ振りは加害者と同じ、と言われても実感がわからない。

でも、実際目の前でなにかがあって、それが自分にとってどうでもいいことじゃなかったら、なにかしら動いてしまう、その程度の話だ。

2021-02-19

母親に言われた「結婚しないとね、女は」も

友達に言われた「あん結婚できなさそうだから心配してる」も

彼氏が言う「婚活女子バカだ」も

フェミの言う「結婚なんかせずとも幸せに」も

割とマジでぜーんぶ呪いなんだけど。

母親のことも友達のことも彼氏のこともフェミニストのことも好きだからさ、尚更に。

同棲してる彼氏はそこまで結婚願望はないみたい。(私とはしたくないだけかもしれないけど)

から私としても無理して結婚を迫ることはしたくないなと思う反面、母親友達言葉を思い出しては辛くなる。

じゃあ別れて婚活する?そうすると彼氏フェミニストの声が頭でこだまする。結婚しか幸せになれないような自立してない女なの?おまえ、って。

私としては、結婚したいとか結婚せずにいたいという確固たる意思がある人は幸せになれると思うんだ。

予定外の結婚、予定外の独身でも幸せな人もたくさんいると思う。

でもさ、自分がどうしたいかからない時ってどのように選択したらいいんだろう。

28歳の今、婚活するにしてもなかなか厳しくなってきてると思う。

時間がないと焦る一方、こんな大切なことでさえ自分意思がないことに絶望感も抱いてる。

今はただただ、他人呪いから解放されたい。

2021-02-15

anond:20210215092517

人として、多様性社会の一員として大切なことを学べる。

インクルシブ実践は健常者にとってもメリットが大きいって教育評論家や人権作文大賞に選ばれた作文が言ってる。

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