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はてなキーワード: 大切なこととは

2018-02-23

資格を持っているだけでは絶対人生好転しないということ

厳しいようですが、今の時代資格を持っているだけでは絶対人生好転しません。

かに資格を持っていれば、持っていない人に比べては有利になることもあります。けれども、資格だけではまだまだ足らないのも事実

どのような資格かにもよりますが、これから時代資格よりも個人の力をつけること。

そのためには一体どうすればいいのでしょうか。

資格を持っていることを自慢しない



あらゆる資格を取得しては自慢している人がたまにいます

自慢するのは自由ですが、人生好転させるためには自慢などしている場合ではありません。

たくさんの資格を持っているのであれば、それを活用して生きていきたいものです。それにたくさんの資格ブログ等で取得経緯を書けば需要もありますね。

その資格を取得するために頑張ってきたことや実行してきたことを自分言葉で書いていくのです。その資格に興味がある人は必ず読みます

アドセンス等を貼れば、それなりにブログ収入も得られます一石二鳥ですね。アドセンスよりも資格うんぬんの転職アフィリエイト広告もいいかもしれません。


資格取得は通過点であってゴールではない




資格取得をゴールにしている人がたまにいますが、ゴールではありません。

その資格活用して人生をよりよく生きることが目的

からこそ、資格取得に生き甲斐を感じてはいけません。趣味資格を取得するのは自由ですが、何のために資格を取得するのかを考えたいもの

時間は有限ですので、あまり意味のないことに時間は使いたくないですからね。

通過点を楽しむのもアリですが、やはりゴール後の人生を楽しみましょう。


人生好転させたいのであれば資格を取らない




極論をいえば、人生好転させたいのであれば資格のものを取らないこと。

変な感じですが、これが私なりの答えです。資格よりも大切なことは冒頭でも書きましたが、個人の力(スキル)をつけること。

そのためにはまず何ができるかを考えること。

ブログ収入を得ることも個人の力ですし、会社の力に頼らずにお金を正当な方法で得ることも個人の力。

とにかく今の仕事場が潰れても生きていける力を身につけるということ。

そのためにも今までの常識世間体を消すことが大切。いつまでも同じような時代や考え方は通用しませんからね。

資格を持っているだけでは絶対人生好転しないということのまとめ



別に無理してまで資格を取得する必要はありません。

どうしてもやりたい仕事でその資格必要であれば取得しましょう。

人生を楽しむために資格必要であれば、今すぐにでもそれに向けて頑張るべき。とにかく何のために資格必要なのかをまず考えること。

持っているだけで満足する人生は本当に虚しいだけ。

人生好転させるためにも今できることをドンドンと試していきたいものです。


意味のない資格自慢から卒業しましょう!

2018-02-22

anond:20180222161702

それは大切なことだと思うが、少しは自分の聖域を持ってもいいのでは?

疲れない?

就活を始めた君へ:「受かる方法しか」書いてない就活本は今すぐ捨てろ

「受かる方法しか」教えようとしないアドバイザーも同様に今すぐ捨てたほうがいい。

君たちの目的は「自分希望に少しでも沿う職場」に入ることだったはずだ。

その目的達成において面接を「内定を取るためだけにやる」のは全くもってナンセンスだ。

面接相手会社が「自分希望職場であるか」を確認するための作業でもある事を忘れてはならない。

たとえば君が「サービス残業をさせるような会社で働きたくない」と思っているなら絶対にソレを質問するべきだ。

サービス残業をさせない会社であればその質問気持ちよく答えてくれるだろうし、させるような会社ならその度合いに応じたはぐらかしかたをするだろう。

君が「根性論を振り回す会社には入りたくない」という思いを持っていて、それを面接でぶつけた結果としてお説教が始まるようなら、君はその会社にはたとえ受かっても絶対に入るべきではないのだ。

「受かるためだけ」の面接対策をするのは、それこそ「親の敵がその会社で働いているか暗殺するための下準備としてその会社に入るしかない」ぐらいの状況でなければやらない方がいい。

君が面接で嘘を付いたり、聞きたいことを聞かなかったり、無理に自分を偽ったりするのならば、それを「その組織に入ってから退職するまでの間ずっと続けていけるか」を考えるべきだ。

あくま腰掛けで5年程度いるつもりであるならその5年間その嘘を突き通せるか、定年までいるつもりなら40年間ずっとそれを我慢できるかを考えてから自分を偽るべきだ。

でもどこかしら受からなきゃ始まらないじゃんというのはそのとおりだ。

ではその時、どれをどれぐらい妥協したらどの程度受かりやすくなりそうなのかは何によって知ればいいのだろうか?

その答えは、今まで面接自分がしてきた数々の受け答えに対する相手の答えの中に隠れているはずだ。

正直に受け答えをしなければ、自分妥協すべき物の正しいコストパフォーマンス永遠に見えてこない。

なぜなら、業者仕事の傾向、そして君自身資質によってそれらは全く持って変化するからだ。

君が自分に正直に就活を続けていれば、適当就活本が全ての業界を十把一絡げにして雑に語った文章よりも、よっぽど信頼できる情報がこれでもかと蓄積されていくことだろう。

そして、君が何かしら自分を偽るたびに、そうして手に入るはずだった情報の入手機会は失われる。

それで面接に落ちれば手元に残るのはただのお祈りメールだけだ。

何の成果も得られない就活を続けるか、少しずつ情報を手に入れて軌道修正をしていける就活をするか、どちらがいいかは明白だろう。

最後に、これは本当に大切なことなので是非覚えて帰って欲しい。

面接をする側からしても、「嘘をついたり」「背伸びをしたり」「勢いで押し切ろうとしている人間」よりも、「ズケズケした物言いでも」「自分の主張をハッキリ述べてくれる人間」の方が「印象がいい」のだ。

なぜなら一緒に働く人間として「その場しのぎの嘘をつく癖がある」「とりあえず目先目先で誤魔化せればいい」「相手の顔色を伺ってはすぐ言葉を飲み込む」といった特徴のある人間は、「信用できない危険人物」となりやすいのだ。

その場しのぎをしないといけない状況や、とっさに言葉を飲み込むべき状況は仕事では多々ある。

しかし、それを身内に対してすら高頻度でやってくる人間は厄介なことこのうえない。

それならまだそういった事が一切できない人間の方がずっとずっと扱いやすいし、仲間として信用できる。

将来の仲間に対して平気でウソを付くような人間、虚勢を張ってばかりで自分の正体を隠してばかりいる人間、そういった人間と「一緒に働きたい」と思うだろうか?

それをもう一度よく考えて欲しい

2018-02-21

anond:20180220015905

まずは料理を作ろう。それも、いつもの義務感に迫られる料理ではなく、自分へのご褒美のための料理

作らされる料理と違って自分のために作る料理楽しいぞ。

まずは何が食べたいのかを決めるんだ。すでに料理はここから始まっている。

今の自分の気分はどう?夜になったらどんな気分に変わっている?

その気分の移り変わりを予測しながら料理を決めよう。

自分の胃袋には限界がある。この限られた胃袋の中に、何を詰め込んだら幸せになれるのかをじっくりと考えるのだ。

お腹が空きすぎていてはいけない。すぐ作れて食べごたえのあるものをばかりが食べたくなる。

まずはお腹を温めるために、インスタントでもかまわないかスープを飲もう。

それと少しの炭水化物パンでもおにぎりでもクッキーでもいい。そうしてお腹を温めて、脳にも糖分を送るのだ。

そしたら温かい飲み物を一杯入れよう。

ゆっくり深呼吸をして、リラックスした気分で自分の心の奥底と会話をする。

今日は何を食べたい?」

食器棚を思い浮かべて、食べたい料理にふさわしいお皿をイメージする。

次に一緒に飲む飲み物を考える。一杯目に何を飲んで、二杯目からは何を飲もう。

グラスはどれにしようか。一人で食べようか、誰と食べようか。

その食事自分にとって一番のご褒美になるように想像をふくらませるのだ。

それが決まったら次はレシピ検索

料理名レシピだけでは選びきれないほどの結果が表示されるので、そこに一言自分の好きな食材アレンジ、めんどくさがりさんは”簡単”とか”火を使わない”とかを加えてみるといい。

そうしたら次に買い出しだ。

いつものスーパーで人混みに揉まれるもよし、せっかくのご褒美なのだから普段は買わないようなお店に言ってみるもよし。

それだって外食に比べればたかが知れている。なにせ自分へのご褒美なのだ。ここでケチ必要はない。

お買い物が終わったら少し休憩。

ここでもう一回温かい飲み物を飲んでリラックスしよう。

もし疲れたとおもったらお昼寝も大切だ。先にお風呂を済ませてしまうのもいい。

美味しい料理を食べるためには、肉体にも最高のコンディションが求められる。

疲れて急いで作ったのでは料理も美味しくならないし、体も美味しさに鈍くなってしまう。

味気ないご飯なんてそんなもの料理の味そのものより、その時の空気やコンディションのほうが味には大きく影響するものから

さあ。準備はできた?

ここから調理開始。でもちょっとまって。

せっかくのご褒美をどんな演出で食べたらふさわしいか考えてみて。

テーブルセット、照明、BGM、一緒にみるテレビ番組映画、静寂だってかまわない。

大切なのは自分料理とちょうどよく向き合える雰囲気作り。

そして次に大切なことは、これから作る料理、できたてをすぐに食べること。

ゆっくり呼吸を整えて、何から手を付けて、何で終わればぴったりに食べることができるかをよく考えよう。

使わなくなった調理器具はすきを見てすぐに片付ける。

料理ができて最後に残る調理器具は、思い切ってあとで片付けるように諦めよう。

今日の料理自分へのご褒美なのだから明日自分に甘えてしまおう。

いよいよ実食!

出来た料理が美味しくても思った味と違くても、今日一日頑張った自分を褒めながら食べよう。

頑張った自分のために頑張ってくれた自分を褒めるのだ。

自分のために頑張った自分自分が褒めなくて誰が褒めてくれるというのか。

そしたら自然と出てくる言葉

自分に向けて「ありがとう」

いつもなかなかもらえないけど、何よりこれが一番のごちそうさま。

明日の朝の片付けが少し面倒くさいけど、明日自分にも先に「ありがとう」といって放っておこう。

自分のために一生懸命に作る料理はいいぞ。

過去未来がつながって、すべての自分自分のために一生懸命になるから

そうして心も体も栄養を蓄えたら、また未来自分のために頑張る。

料理は数ある自分エコシステムの中でも飛び抜けて優秀なものだよね。

疲れた料理。すべてを忘れて料理

おすすめは、ちょっとむずかしい煮物スパイスから作るカレー、失敗しない鍋、ホットプレートでなんでも焼肉

スイーツ楽しいけど、かなり難しいからいきなりはおすすめしない。

まずは自分レベルにあった料理に挑んでみよう。


最後簡単メンタルにも効果的なステーキの作り方を置いておくね。

簡単に作れて、香辛料と肉の焼ける匂い幸福度MAX。

用意するもの

ステーキ肉(厚さ1.5cm以上がおすすめ

・塩、胡椒

・お好みでカラシ醤油ポン酢など

キッチンペーパー、アルミホイル

・食べる1時間前くらいか冷蔵庫から出して常温に戻す

・肉の片面にまんべんなく胡椒を振る

フライパンを温めて、大さじ一杯程度の油を敷く

・油が温まって水のように柔らかくなったと思ったら、胡椒を振った面から肉を焼く

アルミホイルを肉の大きさより2回りほど大きく切って、肉の上に軽くかぶせる

・強火のまま3~5分待つ

アルミホイルをどけて肉をひっくり返し、塩を肉の重さの3%ほど振る(300gなら10g

・再びアルミホイルを乗せてそのまま強火で2分ほど焼く

・お皿を用意して、肉を一旦お皿に移す

フライパンの油をキッチンペーパーで拭き取り、再びフライパンを熱する

胡椒を振った面から再び肉をフライパンに乗せて、アルミホイルを被せて強火のまま3分焼く

アルミホイルをどけて肉をひっくり返して1分ほど焼く

・お皿に移して完成

フライパンはとりあえずそのまま。さっさとお皿をもってテーブル直行

カラシ醤油ポン酢をお好みでかけながら、一気に平らげる!

肉だけはコゲが美味しく感じる不思議食材

でも、油を敷かないと鉄板では温度が上がりすぎて炭化してしまう。

かと言って油が残るとあとで重たい。だから表面をカリッとさせるために油のあるなしで二度焼き。

そとはカリカリ、中はジューシーステーキが完成!

時間でここまで幸福度が振り切る料理も珍しいってくらい簡単にうまくできます

美味しさに占める味覚の割合って、実は2~3割しかないそうですよ。

他の7~8割は、それ以外の要因。

誰とどこで誰が作ったものをどういう出会い方をしてどんな雰囲気の中で食べるか。

先味(料理との出会い方)、中味(食事中)、後味(食後)、全てが揃った料理出会えると、人は幸せを感じるそうです。

いつも頑張ってる自分への最高のご褒美を見つけてください。

あなた幸せを心より願っています

2018-02-10

anond:20180209220457

シロ組さんですね?

彼女が木綿と言えば木綿、絹ごしと言えば絹ごしになる、そういう姿勢がいち豆腐として大切なことだと思うんです。

2018-02-09

さよならけが人生なのか

30代中盤に差し掛かり、運動不足な肉体は1020代貯金を使い果たし

普通食事をしていても代謝より摂取カロリーが上回り始めるようになる。

酒が強い自負があったけれど、20代と同量の酒を飲むと翌日きつくなった。

年始に今年の計画や見通しを立てたりしても「やりたいこと」より「やめといた方が人生にとって有益なこと」が先に出てくるようになってきた。

20代の頃より、はるかエコな考え方ができるようになったものだと驚く。

金も時間も全部周りの人や今後のことに全額ベットしてきた人間としては、急に守りに回った保守的な考えになったのかなと気づく。

その頃は立場経済力がついても、ずっと全額ベットして行くものだと思っていた。

1020代はいろんなことがあって、必死こいて頑張ってきた自負はあるし、

その積み重ねで今の地位や結果が出ているのだろうと思うのだけれど、

いろんな事を諦められなかったし、もがいてばかりいて無駄が多かったことも事実だと思う。

徹夜してと仕事を頑張ったり、いろんなストレスをいたずらに酒で埋め合わせたり

今考えればそんなコストかけなくてもできたんだろうなと思う。

それでも、その頃に得たもの尊いし、大切な宝物だと思いたいのは過去の美化になってしまうのだろうか。

孔子曰く不惑になるのは40だというが、不惑になるというのは実はロスを削って行った結果、

やれることが限られて行くから惑わなくなるのかなとも思ってしまう。

変化し、改善し続けることを是とし、ひたむきにやってきた1020代

その頃見えていた、大人たちに対して「変化しないのはおかしい」くらいのことを思って

ひたすらにハングリーにやってた。その人たちの年齢に近づきつつある今、見え方が変わってきた。

残りの時間カウントしてみても、20代の頃ほど体力も時間もない。

体力の維持への工夫のために、いたずらに筋肥大させるために、ジムで体作るというより、

軽負荷で毎日続けられるようなジョギング散歩を選ぶようになった。

ゆったり寝るために瞑想することも増えた。

無駄のない大切なこと時間を振り分けたくなった。


情熱ややる気の定義自体も変化してきたっていう事なんだろうか。

なんとなくモヤモヤする日々の原因はこの辺の1020代の頃の不器用感覚のままの自分と、

経験を積んだ自分とのズレからくるのだろうか。

売り上げを追求するより、販管費をさげて、利益率をあげるような考え方自体間違いじゃないと思うし、

合理的だとは思うけれど、いろんなものの先が見えてしまった事にどこか寂しく諦めににた感情が込み上げてくる。

それとも、こう考える原因は、今まで10年以上息をつく間も無く必死に頑張ってきて

ふと息切れして止まってるような状況だから仕方がないのだろうか。

懇意にした方々の葬儀に参加する機会も次第に増え始め、

自分が遮二無二頑張ってたことも効率化という名目で、一つずつ諦める決断をして行く。

自分の中でさよならが増えて行く。

今の状況がつまらないわけじゃない。

自分の中での価値観の変化が起きていることがなにかモヤモヤしてしまう。

2018-02-04

RTオフ機能あるなんて知らなかったよ

Twitterで「あ、この人フォローしなきゃよかったな」と思う瞬間。それは「RTする内容がネガティブ話題が多い」人だったパターンだ。個人的には好きなものRTなら知らないジャンルでも楽しくなる。楽しそうに墓に入ったりする別ジャンルフォロワーを観て「あ、また極楽浄土にいこうとしてる」と思うのは楽しい

しか政治の内容、スキャンダルなど……確かに大切なことだし向き合うべき問題だとは思う。

でも私は現実逃避のためにTwitterに来ているのだ。Twitter電子リゾート地なのだ。それなのに、なんで現実ネガティブな内容とわざわざ向き合わなきゃならんのだ。短気なのでネガティブツイートを見るたび怒りに震えストレスが溜まる。ぶっちゃけ胃に悪い!胃腸弱い人間には精神死活問題だ!

先日、ようやくRTオフにする機能を見つけたので少しキレる頻度が減ることを祈る。

(追記)ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼氏の話

https://anond.hatelabo.jp/20180203125454

おはようございますガンダム攻殻が同じに見える彼氏がいる元増田?です。

実は増田投稿するのは初めてでして、思っていた以上に反応をいただき、有難い限りです。同意批判考察、助言、お叱り、励まし、独り言、全部読みました。

こんなふうに追記をするという行為がこの場所に相応しいものか正直よくわかっていないのですが、拙い愚痴に足を止めて心情を吐露してくださった皆さんへの、ささやか独りよがり感謝の意として、軽く流してください。

私が増田に件の記事投稿したのは、これまで彼と一緒にいて、この類いの強いショックを感じたことがなく、そのこと自体に衝撃を受けてしまったといいますか、ともかく私が感じた自然な心を、なるべく嘘をつかないように残しておきたかたからです。この件について第三者がどう感じるのか、本音を聞いてみたいという打算も含んでいます

おかげさまで、私が考えもしなかったご意見いただき目から鱗です。何度もハッとさせられました。面白いネタもあってニヤけました。

「誰もが自分視野限界を、世界限界だと思い込んでいる」とは有名な哲学者言葉ですが、まさにその通りだなあとしみじみ感じています

あとはこれをどれだけ私の肥やしにできるか、でしょうか。できる限りがんばりたいです。

さて、まずは彼の擁護をさせていただきます

彼とは、今回書かせていただいた「物語」とは異なる部分で、たくさんのことを共有することができています。共に過ごした時間はもちろん、やっているスポーツだったり、必ず笑ってしまお笑い芸人ネタだったり、好きなかき氷の味だったり、下らないことから大切なことまでたくさん。

共有できない部分もあります。私は堺雅人さんの演技がとても好きですが、彼は大袈裟に思えて好きではないそうです。彼は大塚製薬商品パッケージ全般が洗練されていて美しく感じるとのことですが、私にとっては手元に無ければ詳細を思い描けない程度の些末事です。こちらも大小様々です。

私と彼にとって、感性の違いは、既に互いに認識していることです。当然のことです。

なのに、わかっていたはずなのに、この件に関して私はショックを受けた。それが意味するものが何なのか、明確な答えを私は持ち得ない。

からこれは、彼の問題というより、まず私の問題なのだと思います

件の記事ははごちゃごちゃした状態で書いてしまったので私の恣意的フィルターがかかっていますちょっと狙った狡いタイトルにしてしまいました。ここで私の罪悪感を軽くしておきたい。悪口書いちゃってごめんね。


ちなみに、答えはまだはっきりと出せていません。

わかっていたつもりなだけで、私が何もわかっていなかっただけなのか。彼と何かが違うということに、嫌な気持ちを抱いたのはなぜか。その気持ちの源泉はなにか。

この一件は、他のすべてを帳消しにするほど、私にとって大きなことなのか。私の中から生じた嫌な気持ちを、わたしはどう扱うべきなのか。どう扱うことができるのか。

また、もしかすると、彼にとっての大塚製薬パッケージは、私にとっての物語と同等の存在なのかもしれない。私が感じた気持ちと似たものを、彼も感じていたとしたら。

そして、この件を彼と共有すべきなのか。自分ですら折り合いがつけられていない気持ちを、正しく伝えることができるのか。そもそもなぜ伝えるのか、その必要はあるのか。私は私の問題について、彼に何かを求めているのか。だとしたら、何を求めているのか。

書くことで整理できると思っていたのですが、余計散らかってしまったような気もします。考えすぎと言われてしまえばそこまでですが。自分ことながら難儀なものです。

まあ、ガンダム攻殻及びパトレイバーの違いと彼の認識について、ちょーっとがっかりしたのは事実なので、いつか興味を持ってもらえた暁には、渾身のパワポプレゼンでもしようと思いますボトムズも添えて。

それではみなさん、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。またどこかで。

2018-02-02

anond:20180131222754

出会ったのは大学1年生のとき

これは、筆者がおやすみプンプンを読んで愛子ちゃんに出会ったのが大学1年生のとき、ということである

私は愛子ちゃんが好きだったのかもしれない。

好きという表現はどこか適切ではないと感じる。

それはきっと愛子ちゃんが別の世界の、別の次元の話だから

別の次元の話、というのがそれを説明している。

今日仕事サボり新宿ブラブラしていた。

ひょんなことから愛子ちゃんがお母さんを刺したことを知った。お母さんは亡くなった。

この事件のことを、私はリアルタイムで知っていた気がする。

知っていたが忘れていた。

いや、考えないようにしていたのかもしれない。

当時は余裕がなく、ほかの事を考えることができない状況であった。

あの愛子ちゃんが人を刺すなんて考えたくなかった。受け入れられなかった。

リアルタイムで読んでたので知っていたが受け入れられなかったので記憶から消していた、ということだろう。当時の筆者は愛子ちゃんが母親を刺した以降のおやすみプンプンを読むのをやめてしまったのだと思われる。ひょんなことからまた読み始めて、今度は最後まで読んだということだ。

Q. 愛子ちゃんは母親を刺したが、それはすでに死体母親であり、殺したのはプンプンだ。愛子ちゃんを考える上でこれは非常に大切なことだが、筆者はなぜそのことをはっきりと書かなかったのか、400字以内で説明せよ

2018-01-31

ヴィーガニズムは正しい。正しいがゆえにそれは人類社会の敵である

フェミニスト乳製品を摂ることは矛盾か、という議論が喧しい。

https://togetter.com/li/1194767

http://sutaro.hatenablog.jp/entry/2018/01/29/162209

http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/152800

はじめに言っておくと、わたしヴィーガニズムアニマルライツには明白に反対であるしかし、それらを一部のバカによる寝言だとは思わない。むしろヴィーガニズムは正しいと思っている。いや、より正確に言うならば、ヴィーガニズムは正しすぎるがゆえに問題なのだ

ヴィーガニズムへの反対に理屈をつけようとすると、かなり高い精度でブーメランとなって戻ってくる。人間動物は違う! 白人黒人男と女を代入して同じことが言えるだろうか? 人間は他の動物より賢い! 男が力強いことを男性優越していることにしたい性差別主義者は、古今東西どこにでもいる。人間動物と違うのは社会常識だ! アメリカ南部奴隷主たちも、同じことを思っていただろう。

10年ほど前、はてなで「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない」というフレーズ話題になった。まったくその通りだ。「同じ人間差別してはいけない」にも理由はない。理由はないが、道徳律とはそういうものだ。差別はいけない、なぜならそれは差別からだ、という主張は空虚だが、しかしその正しさを疑う人はいないだろう。差別は正しくない、これは自明です。

ところで、「同じ動物差別してはいけない」という主張は、「同じ人間差別してはいけない」と論理的に同型である空虚である空虚であるが、ではそれゆえに正しくないと主張することは可能だろうか?

人類平等への闘いは、「同じ○○」の範囲を広げてゆくことだった。「同じキリスト教徒差別してはいけない」という議論に対して異教徒が声を上げることは必要だった。「同じ成人男性差別してはいけない」という主張では、無産階級男性のことは救えても婦人参政権は実現できなかった。ようやく今、人種差別性差別が「同じ人間差別してはいけない」として斥けられる時代になったのだ。

しかし牛や豚からすれば、その「人間平等」は、「白人のなかでの平等」や「男性あいだでの平等」と寸毫変わらぬであろう。

それがヴィーガンアニマルライツの訴えの核心である。これを安易に「人間動物は違うんです。以上」で切り捨てることは、安易に「だって男と女は違うじゃん」と切り捨てることと、いったいどこが違うというのだろうか? このふたつの主張をまったく別物だと切り分けること、それ自体が彼らの批判する種差別なのだ

何でフェミニストにばかりそういう要求や追及がなされるのか? と疑問を呈する人もいる。断言するが、それは最悪の戦略である

第一に、ヴィーガン界隈を見ればわかるが、彼らは一般人に対しても肉を食ってさえいれば無差別にマサカリを投げつけている。それが今回たまたま件のフェミニスト氏に向けられただけであり、構図としてはセクシー萌えキャラの出てくるポスターフェミニストから批判されたオタクが「何でオタクばっかり叩くんだ?」と過去女性運動の蓄積も知らずに愚痴っているのと寸分違わない。やめておいたほうがいい。

第二に、差別に反対する運動の中で別の差別が行われていたとき、それを厳しく追及してきたのはフェミニストたちだったではないか人種差別に反対する運動の中で性差別が起きたとき人種差別だけでなく性差別にも反対すべきだ、そうでなければ真の反差別はいえない、という主張はそれなりの説得力をもって受容されてきたように記憶している。であるとすれば、性差別だけではなく種差別にも、という主張が向けられることは自然な話であろう。

まり既存反差別運動の側は、迂闊にヴィーガニズム揶揄しているとブーメランが帰ってくるわけだ。反差別、正確には、反人種差別および反性差別を支持する者として、味方がブーメランに撃ち抜かれて斃れていくのを見るのはやるせない。

ではどうするか? わたしはまず、敵対関係認識すべきだと主張したい。

フェミニスト男性優位社会の敵である奴隷解放論者は南部社会の敵であり公民権運動の闘士は白人中心主義社会の敵である。それと同様に、ヴィーガン人類社会の敵である

このことは、現在ヴィーガニズムの支持者が全員人類であることと何ら矛盾しない.家父長制と闘う人びとの中には男もいた。奴隷を逃がしたり黒人とともに座り込みに参加した白人もいた。そして彼らは、男でありながら男性中心主義の敵であり、白人でありながら白人至上主義の敵だった。ゆえにヴィーガンが、人類でありながら人類社会敵対するのは何ら矛盾ではない。

わたしたちにはふたつの選択肢がある。ひとつめの選択肢は、敵が提示する平等テーゼを受け入れることであり、つまりジャイナ教徒のように虫の一匹も殺さぬようマスクをし箒で道を掃きながら歩く生活を選び取ることだ。もうひとつが、平等敵対することである。種差別何が悪い人間動物とは違うんだ、人間の都合で動物搾取することは当然だ、と傲然と言い放つことである

最悪なのは、この敵対性に対して目を瞑ることだ。敵を「なんか頭のおかしい人たち」として片付けることだ。そうではない。彼らは正しいのだ。彼らは正当な抗議者として、つまりはわれわれの敵として扱われるべきなのだ

この敵対性を隠蔽してしまったら、他の敵対性が隠蔽されることに抗えなくなる。それは平等への闘いの自滅だ。敵対性がそこにあることを明るみに出すことは、常に闘いの出発点なのであるから

なのでわたし宣言する。うめぇこれはヴィーガニズム提示する平等への敵対だ。朕はたらふく食ってるぞ、汝畜生食われてろ。数百年後、あの世代は動物差別動物虐殺を何とも思っていなかった民度の低い連中だ、人類進歩を阻害してきた、と糾弾されるかもしれない。それでもわたしは、種差別を正しいと信じる。人間動物とは違っており、この差別は当然だと主張する。未来の子供は、わたしのこの言明を醜悪なスピーシストの声明として読むかもしれない。ユダヤ人は劣等だと言い放ったちょび髭の指導者や、女は男よりも劣った生き物なのだ公言してきた家父長たちが扱われるように、動物を殺して恥じなかった我々現代人も扱われるかもしれない。ひょっとすると数十年後に革命が起きて、人道に対する罪で訴追されるかもしれない。自己批判強要されるかもしれない。それでもわたしヴィーガニズム敵対する。この差別は正しい差別からだ。

さあ、みんなもそう叫ぼうじゃないか。種差別必要だ! 種差別は正しい! 今ここで種差別を! 明日も種差別を! 永遠に差別を!

2018-01-28

anond:20180128222929

あー。そうなのかな。そうかもしれない

なるべく失礼ないように って大切なことだよね。

自分がされて嫌なことはしないっていう基本。

2018-01-24

anond:20180123235105

大切なことは、共感してあげること。

当て逃げされて、大変だったね。よしよしヾ(・ω・`)

これが正解。

警察被害届を出して捜査してもらうなんて結論最初から分かってることなの。

2018-01-16

ももクロへの違和感というか

今日は久しぶりに感情を動かされました

ももクロ有安杏果卒業の件

私は彼女と同世代アイドルファンで、ミライボウルぐらい?の時に彼女らを知った覚えがある

当時はSKEスマイレージももクロか、みたいな時代だったので私も満遍なく追っていて、ももクロちゃんにも好感を持っていました

よくカラオケで歌ったりリリイベに行ったりという思い出

「Z」になった辺りからファンも増え、露出も増えだして、あれよあれよと言う間にトップアイドルに登り詰めたのに反して、私の中では違和感がどんどん大きくなっていきました

それであんまりいかけなくなっちゃったんです

最初自分でもあんまり理由はわかってなくて、まぁ楽曲の好みなのかなあとか思ってたのですが

歳を重ねるにつれてその違和感は徐々にはっきりしてきて、20代前半になった今、ようやく掴めてきたような気が

アイドルとしてのももクロちゃんたちは、大人になりません

スタッフの手によって、あたかも「昭和ギャグ漫画にでてくる、歳をとらない女の子」のように演出されてきたように見えます

いつでも明るくふざけたトークギャグアニメみたいな面白衣装元気一杯パフォーマンス

彼女たちはそれを笑顔でこなしていました

わかりやすキャラクター化された姿は、見る者に対しても、「彼女たちをそういうキャラとして扱っていいんだ」と思わせます

でも現実メンバーは生身の女性であって、歳を重ね、成熟していきます

いつかその齟齬には限界がきます そんなことは誰が見ても明白です

それは織り込み済みのプロレスなんだよとか、その限界突破しようと頑張ってるももクロちゃんはかっこいいんだよと言われるかもしれませんが

私にとって、それを見続けるのはしんどかった

なんというか、私も同年代の女として、彼女たちがアイドルとして過ごしている期間、「普通女の子」として生活してきました

彼女らと違って何も成し遂げてはいませんが、人生や夢や社会のクソさについて友人と語り合ったり、似合うファッション模索したり、何人かに恋をしたり・されたり、男性目線不条理言動に傷ついたり、反発したり、自分女性性に疑念を持ったり、憎んだり、肯定したり、

この期間は女としての自分に向き合う時間性的主体性を獲得する時間だったなと思います

そしてそんな中で、女としてどういう風に生きていくかとか、何を楽しんでどんな風に生きたいかとか、ちょっと見えてきたように思います

なんかこういう、10代後半〜20代前半の自分にとって一番大切だったステップというか、時間はきっとわりと普遍的ものなのかな

女友達とそういう話をするのも私は大好きです

でもアイドルとしてのももクロって、そういう「女っぽい」部分を徹底して排除しているように見えます

宮台真司か誰かが「AKBから生理匂いがするけどももクロからはしないのが良い」とか言ってた気がしますが(最悪発言すぎる)

そうは言っても彼氏くらいいるだろ的な、つまりそれが欺瞞だってことが言いたいわけじゃなくて、

私が違和感を感じるのはそれを演出するスタッフ側、受け入れるファン側の視点です

まず性的アイコンみたいなもの絶対に見せない、そうなんですよね

過激な言い方になるんですけど、ももクロってAKB乃木坂を筆頭とする、ストレートな疑似恋愛を売りにするようなアイドルカウンターカルチャーである割に、むしろその手のアイドルよりも強く"処女性"みたいなのを求められてることないですか

しかもこれはAKBメンバーに対する純潔の要請とは異なります

AKB場合、「自分だけの性的客体でいて欲しい」、そして「自分以外に性的主体性を発揮しないで欲しい」となるのはわかります

でもこの理屈は、疑似恋愛を主な売りにしていないももクロには当てはまりません

例えば彼女らは水着仕事しません

まあ無理やり脱がされるよりずっといいのは間違いないんですけど

なんだろうなー、

そんな彼女らを応援するファン一定層には「水着が見たくて応援しているわけじゃない」「彼女らを性的消費の対象にしていない」と自負するような傾向があるように見受けられます(観察した範囲では)

でも一方で、メンバースキャンダルが撮られたらものすごい拒否感を示すと思う(妹分であるエビ中スキャンダルの時に驚きました)

疑似恋愛対象にしてたわけじゃない、性的対象として処女性を求めるわけじゃないっていうのになんでだろうと

その中には「ももクロは性の匂いをさせないことがアイデンティティだったのに、それを崩された」という怒りもあるような気がして(さっきの宮台的発想です)

それは「自分が当該アイドル性的客体として扱わない」ことと、「アイドル自身性的主体性肯定しないこと」を混同してるのではないかと思うのです

まあこれはももクロファンに限らず、わりと世に根深蔓延る発想なのかもしれないですが

少女性的に消費しないということと、少女の(女性性を含む)主体としての人格成熟してゆくことを肯定しないことは別の話でしょと

当人は前者をおこなっているつもりで、後者のことをしてる事例が世間には間々有りませんかね?

ももクロ運営がやってることってその最たるものな気がするんですよね

それがウケることを知って、売るために故意にやってるのかもしれませんが

で、なにに違和感を感じたかという話に戻すとですね

世代として生きる自分にとって一番大切で興味がある部分を見せてくれない、それどころか否定されてるところが、魅力的に思えなかったのです

(あ、ちなみに女性としての成熟過程アイドルとして見せることと、表立った恋愛禁止の建前は両立すると思います

なんていうかなぁ、幼く性的主体性を持たない(ように見える)「少女」の姿と、成熟した「女性」の姿はスイッチで切り替わるものではなく

連続性のあるものだと思います

わたしはその過程を美しく尊いと思うし 自分にとっても大切だった

それを否定されるのを見るのは辛い

そして、これは余計なお世話かもですが

そんな大切なことを隠し、時に否定されながら、「少女」像をたくさんの人の前で演じ続けるってしんどくないかなって思うんですよ

私だったら絶対やりたくないなあって

個人的に、同性アイドル推し続ける理由は、その子たちにめちゃくちゃ憧れて、なりたいとすら思うからであって

ももクロはそういう意味で対極にいたんです

でも、ももクロはそういう姿だからこそみんなにパワーを与えてるのだろうし

その役目を真剣果たしてメンバーは本当に頑張っていて、めちゃめちゃすごいんですよ ほんとに

それはわかってるんだけど

まぁわたしがどんどん変わっていく中で

ずっと変わらないパフォーマンスをしているももクロを見ているのがしんどくなったんですよね

この点に目を瞑る限り、ももクロ永遠なんかあり得ないし

それを体感しながら応援するなんて残酷なことできないなあと

おもったんですよね

そしたら有安があんなこというから

勝手にあーと思っちゃった

こんなの全部わたし気持ち問題しかないし

彼女らはそんなこと歯牙にもかけてないのかもですが

とりとめなくなってしまった

ももかにはこれからもずっとずっと楽しい人生送ってほしいです

(疑似恋愛か否かのくだりはちょっと図式的な見方をしすぎてすみません、疑似恋愛してないけどAKBとかも好きです)

2018-01-15

anond:20180113160120

自分漫画を描くので共感するところがありました。

漫画に対する姿勢は人それぞれ違っていいし、商業誌で連載をすることが全てではないでしょう。

編集者の方々にもそれを理解してほしいものです。

この方には自分の思いを大事にしてほしいし編集者尊重し引き下がるべき。

 

ですが、読むと商業誌への掲載を完全拒否しているのではなく読み切り掲載している。

だとしたらその雑誌編集者が連載を催促してくることを非難するのは少しおかしいと思いました。

商業誌に載せるということは漫画家一人の問題ではなくなってきますから

出版社からすれば読み切り掲載するのは確実に赤字です。

それでも載せるのは経験を積んでもらったり読者に紹介し反応を見るといった連載に向けたいわば投資でしょう。

なので編集者読み切りを載せた漫画家に連載連載とグイグイくるのは至極当然です。

かに連載まで到達してもらいヒットを出してはじめて彼らは投資を回収できる、だから編集者は連載を立ち上げるのが一番大事仕事

その仕事編集者は食べていて、ひいては漫画業界が回っていて漫画家お金が入り漫画家生活している。

知名度上がるし読み切りを買い取って載せてほしい、でもそれ以上踏み込んでこないで」というのは

出版社からすれば「良いとこ取りがしたいからそちらだけ損してよ」と言われているのと等しいのではないでしょうか。

 

と、ここまで言っておいてなんですが

なにも連載する気がないなら商業誌読み切りを載せてはいけないなどと言いたいのではありません。

しろ自分漫画への姿勢、だから連載をする気はないんですがと、きちんと編集に伝えた上でそれでも読み切りを載せるという投資をしてくれるのであれば

それは向こうの勝手であり自分は知ったこっちゃねえと

のらりくらりと連載の催促をかわしながら読み切りを載せ続けるなんて道も全然アリだと思います

出版社漫画家ビジネスライク関係でいいと思うのでお互いがお互いを利用すりゃいいんですよ。

 

ただ、自分の思いを理解してほしいと言うわりには編集者立場は全く理解しようとしていないように見えた。

そこが気になってしまい、この文章を書きました。

 

漫画家編集者立ち位置が大きく違う。

どうしても相容れない部分があります

なので商業で一緒に仕事をすることを選んだのならお互いどうしても多少の妥協必要でしょう。

漫画への姿勢共感できる部分があればそれを基点に作品を一緒に作っていけばいい。

どうしても接点を見つけられない、一方的要求をつきつけられる、等であれば一切関わらないようにするべきです。

創作活動へのモチベーションを持ち続けることが一番大切なことだと思いますので。

 

要はまあ…商業に載っけるならかわりに奴らが連載しろとしつこいくらいは我慢しないといけませんな!

  

  

・追記 

あ…追記されててこの方きちんと自己解決している様子。

完全に余計なお世話って感じになってしまった。

書く前に読んでなかった、ごめんなさい…

自分漫画描きつづけていきたいです、がんばります、がんばりましょう。

2018-01-04

日本よ、この期に及んで「古文漢文」が必要だというのか

いかげん納得のいく理由を教えてくれ。

今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文漢文」という暗記ゲーム強制され、不当にも人生を左右されている。

おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも古文漢文」という"学問"が、根本的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会義務だと思う。多少なりとも共感能力良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。

ようするに言いたいのは、ここでの古文漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことな議論だってこと。

専門的な学問を「受験」で強制するのは違うだろ、って話。

大学受験には選択科目があるのだから、嫌ならやるな」っていう反論があるだろうか。話にならない。嫌でもやらなきゃいけない構造について問題にしているんだ。

たとえば、法律に興味があって、東大を出て弁護士になりたい高校生がいたとする。彼らは必死こいて下二段活用やらレ点を覚えて、受験に挑む。受かったら数週間で綺麗さっぱり忘れて生涯思い出すこともないだろう。まぁ、百歩譲ってそれはいいよ。でも、落ちたらどうする? 他の科目は合格点に達していたのに、ただ古文漢文ができなかったせいで、落ちたらどうする? 本当に法律が好きで、法律について学びたくて、東大に行こうとしたのに、全く関係ない「古文漢文」のせいで行けない。一流の弁護士になって、社会に貢献したかもしれない。彼の可能性を、人生ダメにしてまで、「古文漢文」は受験科目として”必要”だと言うのか。英語数学で落ちたんなら、まだ分かるよ。しょうがない、浪人して一年頑張ろう、って気持ちになれるだろうよ。でもさ、「古文漢文」なんて死んだ言語で18歳の人生を左右すんなよ。元カレが忘れられなくて新しい恋に進めない女子かよ。国家レベル失恋引きずるな。

こういうことを言うとすぐに保守的な人たちが湧いてきて「日本文化ガー」「伝統としての教養ガー」と言い出すが、まぁ、たしかに分からなくもない。「色んな学問に触れる機会を与える」のは大切なことだ。色んな文化に触れるのは、良いことさ。おれは別に面白いとは思わなかったが、漢文出会い興味を持った学生古典研究者の道に進むことだってあるだろう。そういう"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない。

そ れ を 受 験 科 目 に す る な 。

古文漢文」を教えるな、とは言わない。ただ、それなら道徳とか家庭科の授業と同じ括りにしろ。「古文漢文」に学生人生を左右させるな。



あるいは、受験の時点で就職活動が始まっているのかもしれない。どう考えても意味のないタスク、心からやりたくないようなタスクをそつなくこなせる人材を、大学側が要求しているのだ。はっきり言うが、愚直にも「古文漢文」をせっせと暗記してきた連中は、生涯奴隷だ。



それでも、それでも、それでも、

やっぱり「古文漢文」は必要ですか? 納得のいく理由があるなら、是非聞かせてほしい。







[追記]

古文漢文」という学問根本的に無意味だって言ってるわけじゃない。受験必須にする必要はないだろ、って話ですよ。

はっきりと書いたつもりなんだけど、伝わらないかな。もうちょっと現代文教育に力を入れたほうがいい。

法学部古文知識いるだろ」

→例えが悪かったかもしれないが、法律を学ぶのに必要なら大学入ってから教えればいい。大学受験という選抜の場で、有能無能仕分け基準にするなって話。

反論を聞く気がなさそう」

→聞きます

英語数学だっていらない」

→これに関してはある程度の偏見を認めるが、少なくともおれは使っている。それはともかく、ここでは「古文漢文」が受験科目として必要かどうかの話しかしていない。「いらないって言い出したらきりがない」だから古文漢文」は「いる」ってことか? 論点すり替えるな。

教養から、やっぱいる」

→身につけたほうがいい教養なんていくらでもあるっての。ただ、全国の中学生高校生全員にやらせて、受験で競わせるほどの”必然性"があるのか、って話。何度も繰り返すが、興味ある人にやらせるぐらいでいい。教養だとしても、大学で教えればいい。おまえら、「教養はいもの、いいものはいる!」程度としか思ってないだろ。そういう考え方が構造的、社会的押し付けられてて、内在化していることを自覚しろ

古文漢文なんて得点源なんだから、黙ってやれ」

→そういうのを奴隷根性だって言ってるの。黙ってやれる人間だけを必要としてるんなら、それこそこの国は終わりだよ。

うつ病とうまくやっていく、たったひとつの冴えたやり方。

ハサミの使い方を忘れました。

■ちゃんとハサミを使えたボクの話。

それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。

その会社社長とボクとボクの友達で作った小さな会社

2000年誕生し、2007年には株式上場最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。

かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に

逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。

気づいていただけましたか??すべて過去形です。

そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。

ここで一度考えてみてください。

あなたの「ちゃんと」って、本当にちゃんとしてますか?

あなたの「普通」って、本当に普通ですか?

■ハサミの使い方を忘れました。

意外と自分自身の事って自分ではわかりません。

「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。

自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。

ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。

幸いにも(?)ボクには兆候がありました。

ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。

ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・

「何かの道具」だって事は覚えてるんです・・・

でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。

他にも「会社資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。

でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。

部下にも会いたくなかった。

この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司取締役が変わったことくらい・・・

その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。

冗談を言いあったり、喫煙室で長い時間話をしたり・・・

ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます

喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長あなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。

さすがにきつかったので他部署のAさんBさんに相談しました。

なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。

今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったか・・・

その数日後。その人に会議室に呼び出されました。

あなた、AさんとBさんに何か相談したらしいじゃない?」

その一言で目の前が真っ暗になりました。

信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・

その真っ暗な目の前を真っ白にしてくれる一言がやってきます

「そんな事くらいで他人相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」

『ボクはこの会社必要とされてない役立たずなんだ。』

『もうこの会社に居たくない。』

そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。

家族にも相談し、近所の心療内科のドアを叩きました。

でもそれは、自分兆候(症状)を相談解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。

そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社から逃げ出したかったんです。

もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

■ハサミの使い方を思い出した今のボク。

最初に今のボクの生活をご報告します。

1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社復職いたしました。

精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けています・・・

でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。

今だから思うこと・・・

うつ病になる前の自分生活には、絶対戻りたくないと思っています

あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています

趣味カメラを持って出歩いたりしています

今でも人混みは苦手です。

でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。

そう。

今までのボクは会社100%依存していたんです。

特に趣味もなく、会社評価されること・会社仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在必要としてくれる居場所だったんです。

そりゃぁ、その会社からあんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだからうつ病にもなりますよ。

今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります

から会社で辛いことがあろうが平気です。

逆に今の会社で無くてもいいやってくらいに思ってます

不思議と楽なんです。会社以外に帰れる居場所があるから

ライフワークって言葉があります

今までのボクは仕事ライフワークにしていました。

今のボクは仕事会社を「ライスワーク」と考えています

御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。

それくらいに割り切ったお付き合いを会社人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラレンズを買うためなら・・・って。

では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。

休職できた。

休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。

よく勘違いする人が多いのですが「うつ病心の風邪」って言う人がいます

うちの会社の総務の人も「うつ病心の風邪からちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。

ボク自身がまずは「うつ病は脳の病気」だと意識を変えました。

しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。

だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?

「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。

だって自分じゃ治しようも無いわけですから

心療内科先生カウンセリング先生からうつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分おかしなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。

しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身おかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。

ボクは胸をはって休職することにしました。

当然の権利だと思いました。会社ストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。

最初診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。

3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。

そして、会社休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。

多分、6ヶ月で治りますうつ病になる前の仕事人間自分には。

ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社面談を行ないました。

その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。

毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます事実、今でもそうですが・・・

それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいか意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。

人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います

そして、そもそも根本的な疑問を持ったんです。

「あれ?ボクはなんでうつ病になったんだろう・・・。」って。

この時、自分の持っているすべての感情会社にぶつけました。

だって会社うつ病にさせられた」と思ったから。

もう、休職期間も終り自然退職自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。

休職期間に入るとき社長から伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。

それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。

そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。

レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。

から言いました。

スッキリしました。

本当に。

今までのストレスを全部吐き出したんです。

今思えば、抗うつ剤副作用だったのかもしれません。

抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。

今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。

でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。

自己嫌悪もしていません。

薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています

だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・

今までいっぱい我慢してきたんだから

今思えば、休職してすぐにストレート会社気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。

自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。

その半年間のことは正直よく覚えていません。

ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。

人間として何とか生きている感じ。

でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要半年間だったんだと思います

おかげで気持ち会社へ伝わり、会社の規程が「病気場合での休職は1年間とする」と変更されました。

ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。

今思えば、ここからが本当の「闘病生活」の始まりでした。

■本当に自分と向き合った半年間。

一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。

からアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・

やっぱり自分気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。

想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。

この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います

ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。

まずは何故自分うつ病になったのかをきちんと主治医カウンセラー相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。

余裕が出てきたところでやっと気付きます

「うちの会社うつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます

「もしかしたら、会社の総務人事の人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。

そこで1つの結論自分の中で出ます

「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。

簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。

仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。

全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。

「この世にはどうしようもないことがある。」

それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。

会社人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。

せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。

うつ病を楽しんでみる。

ボクは写真が好きでブログTwitterをやっていました。

まずはブログTwitterで「自分うつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。

本名会社名を明かした上で。

当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。

・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。

この4つを思いついたときメモするようになりました。

そうすると何だか自分自分のことが面白くなってきたんです。

例えば、ある日「冷蔵庫サランラップ仕舞っている」事がありました。

朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫サランラップが入っていたんです。

・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫サランラップ入れたんだろう?って思いました。

それをうつ病のせいにしてブログに書いてみたんです。

サランラップ冷蔵庫に入っていました・・・うつ病って凄い。」って。

そうしたらいろんな人からコメントを貰いました。

「あー!私もよくあるから大丈夫だよ!」

「疲れてるだけだよ!」

「冷たいサランラップって気持よさそう!」

などなど。

あれ?と思いました。

自分の変な行動をみんなが面白がってくれてる。

ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか

急に目の前が明るくなった感じがしました。

それから毎日その繰り返しです。

そこであることに気付きました。

自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。

だって病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身おかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか

これに気づいたときに本当に楽になりました。

今まで無かった「目標」ができたんです。

そして、このメモ主治医カウンセラー相談するときにも役立つんです。

この発見は本当に大きな出来事でした。

それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。

うつ病が恥ずかしいなんて気持ちはいっさいありませんでした。

「ありがとう」って言われたくなる。

そんな日々を繰り返していると、Twitterメッセージを貰いました。

ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」

別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。

ボクにだってかに勇気を与えることができるんだ。

こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。

本当に嬉しくて、夜中に涙を流しながら母親電話しました。

「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています

それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。

同時に、きちんと自分から「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニ店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。

しかすると、その事自体別に褒められることではないのかもしれません。

人間として当たり前のこと。

だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。

そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。

普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています

それに気づかなかった過去自分おかしいんじゃないか?って思ったんです。

それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。

そして「うつ病になる以前の仕事人間自分になんて戻りたくない。」と。

自分に自信が無くなったときは。

はいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります

そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています

例えば、街でタバコポイ捨てしている人を見かけたら、「自分ポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。

まりいい事ではありませんが、自信を持つことは出来ます

2017-12-22

はてブテレビも変わんねえな

はあちゅうのクソみたいな発言で騒いでるはてブ民「相撲よりもっと大切なことがあるだろ!そっちを報道しろ!」

2017-12-21

anond:20171221013439

大切なことを忘れているんじゃない? 何で男から女にアプローチすることが大前提になっているのだろう。

から男に告白プロポーズして、恋愛結婚に至るカップル存在無視している。

そのこと自体が、男社会の発想そのもの。女の主体性拒否している。

もちろん、女からアプローチされるのは美男子イケメンから普通以下のブ男には関係ないけどさ。

2017-12-20

褒められたい

から、褒められたくて褒められたくてどうしようもないたちだった。とにかく褒められたい。褒められないと、私の頑張りになにかしてもらえないと、自分のできることが、特技だと思っていることが、ひどく無価値ものに思えてしまう。さらには、時たま声をかけてくれる、褒めてくれる人々のことばはすべてお世辞で、自分のしていることは本当はだめだめで、そりゃ褒めるところがないのだからふだんは誰も声をかけてくれないのだな、などとまで考えてしまう。

こどものころ、私が褒められるためのハードルはえらく高かった。

私はなぜか、ある程度の勉強や、ある程度の頑張りができるこどもだったからだ。

たとえば、いつもテストで90点を取るこどもが100点を取ったところで、いつもよりすこし点数が高いだけなので、それだけ「すごい」と思ってもらえる幅が狭いのだ。「この子はいつも高い点をとる子だからね」で済んでしまう。

それに比べて、万年赤点をとっている子が100点を取ったとなれば、もうそれはお祭りである。誰もがすごい、よくやったねと褒めてくれる。ふだんからの子にとっての100点は「起こりえないもの」と認識されているから、突然起こったとんでもないサプライズに、ごほうびなんかも出てくるかもしれない。

こどものころの私は、それがひどくうらやましかった。点数が取れない、頭のよくないこどもになれれば、あの手この手でおとなが私を構い、そしてものすごく褒めてもらえると本気で思っていたくらいだ。こどものころ、しんどくなったときの私の口癖は「あたまがわるくなりたい」だった。この話をすると、思い上がっているんじゃないかとか、性格の悪い人間であるとか、そういう印象を持たれてしまうと思うのだが…それだけ、私にとって、たくさん褒めてもらえるということは大切なことだった。ふだんから赤点をとったことがないことや、志望校に推薦で受かったことや、卒業するとき主席をとれたことなんかは、私にとって大した価値を持たなかった。おもっていたより、褒めてもらえなかったからだ。きっとすごいことじゃないのだ。こんなことより、あたまのわるい子が頑張った方が、何倍も価値があるのだ。人から褒められることでしか自分自分のしたことに自信が持てない私は、本気でそう思っていた。正直、今でもときどき、疲れた時なんかに、そんなことを考えてしまうことがある。

人間は、慣れてしまう生き物だ。

から、できる子が「できる」ことを、あたりまえだとおもってしまいがちであるし、そういう子は、影に隠れてしまやすいのだと思う。褒めそやして持ち上げる必要がないからというのもあるかもしれない。

私はそれがとても悲しかった。

もしあなたが、こどもに接する親であるとか、親戚であるとか、先生であるとかなら、私のような、褒められることを忘れられてしまたこどもを、たくさん褒めてあげてほしい。

の子は、もしかすると、私のように、自分に自信を持つ過程で、人から褒めてもらうことが必要な子かもしれない。

褒められたくて、でもおもうように褒めてもらえなくて、まわりの普通の子の方が自分よりも何倍も価値をもっていると思っているかもしれない。

できない子をのばすために、たくさん褒めてあげるのももちろん大切だと思うが、私のようなこどものことも知ってほしいと、そう思う。

そして、ちょっとたことでも、褒めてあげてほしいと思う。たくさん、たくさん、褒めてほしいと思う。

褒めるの点滴が必要人間は、きっとそれで救われるのだから

私は今日も、誰かに褒められたい。

2017-12-11

留年させればいいのに

https://togetter.com/li/1179589

校則問題は色々な観点から言うべきことがあって一概に言えないのはわかってるけどめんどくさいか網羅的な話をするつもりもないんだけど、とりあえずこのフィンランド人の考える「学校勉強をするところ」ってのは、勉強できなければ卒業できない場所でもあるってことじゃん?

日本公立高校では、留年なんて欠課時数オーバーとか、赤点救済措置課題をしつこく迫られても無視するとか、「よっぽどのこと」がない限り起きない。

そしてこの「よっぽどのこと」は風紀指導における「よっぽどのこと」と同じで、「言われた通りやっていれば許される(進級できる)のに、それをやらないって…アホなの?」という目線によって判定される。

「アホで結構しかバカは進級できないよ」というのがフィンランド人だとしたら、日本人バカでも言うこと聞いてたら進級できるとでもいおうか。

まあ、留年しない制度の原因も入試就職等出口の問題から現場・周りの「かわいそう」とか事勿れ主義まで色々だろうけど、乱暴に一つにまとめれば、そもそも社会学校に何を求めてるかという問題なんだよね。

結局勉強じゃないんでしょ。勉強できなくてもいいと思ってんだよな。多くの人は。「勉強できるのと本当に頭がいいのとは違う」とか「テストでいい点数とるよりも大切なことがある」とかそんなヤフコメよくあるじゃん。「だから学校はそれを評価すべき」まで来たらもうそから風紀指導までの距離ゼロですよ。

言い方変えれば、いま留年してる奴らは言わば教科における風紀指導に逆らう奴らで、現状日本学校はそこを評価する場所なんだろうな。

勉強評価する場所てある以上は、一定数は勉強留年してもしょうがないという含みを持った制度じゃなきゃおかしいよね。でもさあ、本当にみんなはボコボコ留年させる可能性のあるシステムを支持するのかな。

疑問だなーと思うよね。支持してほしいんだけどさ。

2017-12-06

外資系転職して自分が正しかたことがわかった

外資系転職して自分が正しかたことがわかった

外資系転職した。結果として自分としては大正解だった。

前とも環境が劇的に改善し、ストレスなく良い状態で働けている。

今の会社評価されていない、働きにくいという人は転職というのも1つの選択肢として検討するのは良いと思う。

前の会社ではあまり評価はされていなかった。

それでも自分がきっとダメなのだと思い、何とか頑張ってみたが、周りの評価がずっと変わらなかった。

職場環境もかなり良くなかった。

どうでもいい一言で、キレる同僚。

意味が分からいくらい、ただただ敵対するパートナー。。。

自分ができると思い始めて、暴走し始める3年目。。。

このままこの環境にいても、まったく感じる必要のないストレスを受け続けて仕事するのか?

ということを考えると限界に達し、転職をしてみることにした。

結果的に、某外資系内定をいただくことができた。

転職してよかったことは・・・

 ・評価が上がった

  きちんと評価をしてくれるようになった。

  前の会社では最初の印象からずっと評価が変わらなかった。

  自分がどう頑張って、どんなに成果を出そうが、いつまでたっても、

  あいつはできないやつ。という感じだった。

  現会社アウトプットがしっかりしていればきちんと評価してくれる。

  結果主義で厳しい反面、目標への過程についても考慮はされるため、

  評価制度がそれなりにきちんと機能している感じ。

 ・話が通じる

  前の会社では当たり前にコミュニケーションしようとすると相手

  「何言ってんだこいつ?」という顔をされてしまい、全然意思疎通ができなかった。

  結局いろいろとかみ砕いて話をしたり視点を変えて話をしたりしてやっと何とか通じるという感じ。

  転職先では同じように話をしても「そうそう、そうですね」と話が

  通じてちゃんと話が進むのでコミュニケーションが圧倒的に楽になった。

 ・村社会じゃない

  やはり中企業くらいの1事業部だと、村社会的になる。

  事業部トップに気に入られるかどうかとか、そういうのが関わってくる。

  上と下の距離が近いのはメリットでもあり、デメリットでもあるわけだ。

  大きな会社では、よっぽど上に行かないと、社内政治に関わらないので、

  非常に個人としては過ごしやすい。

 ・年収上がった

  言わずもがな日系の中企業と、大手外資系では違うよね。

 ・普通にみんな自己研鑽する

  自分の中では本を日常的に読んでインプットを増やしていくことは当たり前だし、

  自分人生においても大切なことだと思っているが、前の会社ではそういう価値観の人は少なかった。

  本をおすすめしても読まない、無関心、すごいですね!いや、読めよ。ということがあったが、

  今の会社はみんな普通にインプットしているし、そういう話題普通にする。

  価値感が同じ人が多いのは環境的にいいことだ。

特に話が通じるという部分においては、自分は何も変わっていない。

実は自分コミュニケーション力がなくて、理解力が高い人じゃないと理解できない話し方なのかもしれない。。。

相手理解力そもそもに今と前で違うのかもしれない。

それでも、自分が言っていることがちゃんと普通に通じるというのはストレスがなくていい。

評価に関しては前会社部長面談転職すること、転職先を伝えたときに、如実にわかった。

面談前に上司にはおそらく別経由で転職先は大まかに伝わっていた状態だったようだ。

    部長退職ですよね。で?どこ行くの?〇○(転職先)ですよね?子会社ですか?」

    私「は?いえ、本体です。」

    部長へぇ!そうなの?面接頑張ったんだね。」

    私「は?はぁ、まぁそうですね」

このやり取りで、自分がどれだけ評価されていなかったのか?ということが分かった。

君程度では本体へは行けない。面接ウソついて頑張らないと入れない。(お前に入る実力はない)

と思われていたわけだよね。何様だろうね、ほんと。

自分評価が正しいと思いたいのはわかります・・・

そのうえで面談最後

「いつでも戻ってきてね」

と言われた。

上のやり取りした上で、戻ろうと思うやついるのか?

評価するのもされるのも人なのでそれなりに個人フィルターがかかるということで、

最初にどんなフィルターをかけるかで、その後が大きく変わるということをかなり実感した出来事だった。

ということで、評価されてないのは自分に原因があるとばかり思ってないで、

環境を変えてみるということも大事かなと思う。

自己責任だけどね。

2017-11-29

xevra先生は悪くない。と僕は思う

僕は先生に救われたことがある。

継続して何度も死ねって言われてる人に対して「お前も悪いじゃん」で話が終わるって、そんなのおかしいだろ。

先生は本当に大切なことはてな言語冗談を交えて伝える人なのだ

それは先生にとって「活動なのだ

わかる人にわかればいい。

これも先生だけに届けばいい。

僕は先生応援している。

「お体大切に」という言葉

anond:20170212204042

あれから春がやって来て、夏になり、秋が過ぎ去って、冬に入るというのに、私はまた無職

まああの後しばらく働いたのだが。

元に戻ってしまった。


ある人から葉書を頂く。

数年前に一度か二度お会いしただけなのに、あれから毎年欠かさずに送ってくださる。

いつも達筆な文字に感心するばかりだったが、今年届いた暑中見舞い言葉に、私は救われた。

「お体大切に」

それだけ。

だが、ちょうど一人で体調を崩していた自分には、この言葉が身に染みるほどありがたく感じられた。

振り返ってみると、この方の葉書には、必ず、相手の体を気遣う言葉が書かれてある。

月並みといえば月並みだけれども、自分の体を労わることが、どれだけ大切なことか。

恥ずかしながら、この歳になって初めて教えられたのであった。


私は今、健康である

ご飯が食べられる。

散歩ができる。

テレビが見られる。

妄想だってできる。

そんなふうに考えていると、自分無職であることを忘れてしまう。

海岸カモメを見ていた時とおんなじだ。


さて、今日は天気が良い。

久しぶりに海の方へ行ってみるか。

無精髭を映した鏡の前にも立ってみよう。

どんな顔の男がいるか

たぶん、あの頃よりは晴れやかな色も見えるだろう。

エイブラハム・リンカーンはいないだろうが。

2017-11-22

anond:20171122014304

お金を稼ぐ必要がなくなって放棄する理由はないでしょ。

身体を動かしてなにかを生産するって、生活において大切なことだと思うけど。

2017-11-13

anond:20171113093643

個人的には稲盛和夫の「生き方」という本をプレゼントしてあげたら良いと思います

 

ただあげるだけでは読まないかもしれないので、

  1. 毎日1ページ分をLINEメールで送る。(メールマガジン
  2. 週末に美女を呼んで一緒に輪読会を行う。(美女調達できない場合盛和塾に行って助っ人を依頼するかキャバクラ等で勉強会を開けばOK?)

などの治療有効でしょう。

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