「嫌悪」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 嫌悪とは

2018-12-12

たぶんきっと、わたし明日ひとりになる。

今の心境を綴ろうと思う。

つかこの可哀相な文章すら、懐かしいと思える日が来ると願って。

たぶんきっと、わたし明日ひとりになる。

生きていて唯一、心から好きになった人から別れを告げられる。

本当は年末まで同居人という関係を続けるつもりだったけど、無理だった。

13日に教えて欲しい、と大幅な繰上げをお願いした。

この一ヶ月間、何度も泣きそうになった。まだ早いと涙を引っ込めると、次は吐きそうになっていた。確実に情緒不安定だ。

加えて、どう考えてももう彼はわたしをすきではない。

いくら時間をかけても無駄だと気づいた。

どんどんと友達になっていく関係

どんどんと扱いが雑になっていく日々、

このままだと彼への嫌悪感情が生まれしまいそうになっている。

さっきまで幸せそうに笑っていたかと思えば、突如おどろくほど冷たくもなれてしまう彼の気まぐれさに、ついていけない。

ついていく必要も、いちいち気にするものでもないのだろうけど、

わたしはそれを器用にこなせる類の人種ではないから、ことあるごとに心が揺さぶられてしまうのだ。

この苦しさをわかってくれよと何度も願った。

でもこの期間をお願いしたのはわたしなのだから、そんなことを言ったら「じゃあやめればいいじゃん」になってしまう。

離れ離れになることはどうしてもいやだった。

もちろん今も変わらず、大好きな彼と離れるなんていやだ。

彼の中のわたしという存在が、ほかの誰かによって更新される未来を考えただけで、汚い感情が次から次へとわいてくる。

でも、もしも万が一、今後もお付き合いを続けられる、となった場合、それを心からは喜べないであろう自分もいる。

だってこんなふたりで、どうすれば双方が幸せになるのかまったくわからない。

大好きなひとから愛されている感覚のないまま、一緒にいるのはなんとも無意味だ。

離れているよりも苦しさが増して、どんどんと悪い自分になってしまうだろう。

好きな人の前で可愛くいられない自分は嫌いだ。

自信のない自分も嫌いだ。

この 一ヶ月間で見つけた小さな希望はいくつかあったし、彼もそれは感じていただろうけど、

たぶん、一緒にいないことが正解であることもわかっている。

好きな人同士に「合わない」が存在するとは思っていなかった。

この年になっても知らなかった。

好きと好きが一緒なら最強なのだと思っていた。

苦しい。苦しい。その厳しい現実が悲しすぎる。

えこからどうしよう。

好きになったうえに「合う」人なんてどこにいるのだろう。

好きになってくれる人をまた探して、心のどこかで彼を想い続けるしかないのだろうか。

それともいつかは彼を思い出に出来る?

明日、どんな風に別れを告げられるのだろう。

一緒にいられないのだとしたら、頼むから優しくはしないでくれよ。と思う。

「●●については本当に感謝してる、”でも”…」

みたいな流れだったら確実にわたし絶望する。

最後に良い人風にはならないでくれ。

その気持ちが本当だったとしても、そう言われたところで『ありがとう』なんて返せないわたし気持ちを察してくれ。

きっと明日は泣かない。

次の日、酒を浴びながら泣いてやるのだ。

だいすきな友達に、彼の愚痴を言いまくるのだ。

これくらいは笑って許してくれ。

2018/12/12

ぼくは希望が持てない

本やテレビ世界では、今日希望戦士絶望と戦っている。

希望絶望を打ち倒し、世界平和が訪れる。

よくある話だ。

人々は希望に惹かれ、絶望嫌悪する。

それがこの世界セオリーだ。

数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、

ほんの少しだけ恐怖していた。

ぼくは希望が持てない

ぼくはごく一般的な、平和家族の元に生まれた。

優しい父と母に守られ、愛されてきた。

絵に描いたような幸せ家族だ。

ぼくは父と母が好きであるし、家族になんの不満もなかった。

友達にも恵まれていた。

幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。

というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかたからだ。

ぼくの世界は、平和だった。

平和すぎるほどに平和だった。

そんな幸せ世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクション世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。

3日に一度、末期ガン余命宣告を受けたらと考える。

一週間に一度、隕石地球が滅んだらと考える。

そんな時、いつもぼくの心に表れるのは

羨望の念だった。

もしぼくが末期ガンになって、残り半年の命だったら?

きっと延命治療なんてしない。

できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ

不謹慎だが、こんなに幸せなことはないと思う。

もし、明日隕石地球が滅ぶなら?

皆が家族の元で最期ときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷スクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後落書きをしよう。

描き終わったら、地面に描いたでっかい落書き中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。

きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。

「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいだって喜びだ。

きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。

明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。

だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らし節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。

人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。

「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。

隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。

話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。

人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分地球上に生まれ動物ひとつだということを忘れがちである

動物」と「人」を分け、動物無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。

しろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。

たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。

人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。

ぼくは、いずれ人間が滅ぶことを、心の底から望んでいる。

ぼくはきっと、希望戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。

きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。

でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。

希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。

でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。

後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。

でも、これはぼくなりの心の防衛なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。

もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。

希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。

諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。

「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。

終わりではなく完成なのだ

どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。

忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

(「忘れない」と言ったあなた言葉最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)

この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。

きっとこの人も、この幸福状態のまま自分人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。

希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。

ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。

しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子ものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。

フィクション世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。

でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。

ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。

希望戦士にも悪役にもなれず、少しだけ希望に恐怖しながら、一般人として生きていくのだろう。

○×嫌悪と書けばいいところをなんでもミソなんちゃらと横文字にされるとマジで何がなんだかわからなくなる。

anond:20181211122520

ミソフォニア(音嫌悪症)っていうのがある。クチャラーとかが気になりすぎるのはたぶんそれ。

2018-12-11

anond:20181211191738

役員にはなりたくないのではないでしょうか。

経営層になると常に業績を意識しなければいけませんし、面倒なことが多いですし。

ちなみに私の所属している会社では、役員だった頃はいつも機嫌悪そうだった方が役員定年後はとても穏やかになりました。

おとなしい人

から「おとなしい」と言われてきて、それがいやでたまらなかった。言われたら反射的に嫌悪するぐらいだった。

陽気な子やたくさん話す子に本気でなりたいと思っていた。キャラに合わないのに、明るく振る舞ったり、無理にしゃべったりしていた。おとなしいキャラでは絶対まわりから認めらないと信じていた。

30過ぎてようやく、陽気な子やたくさん話す子になれないと気づいた。意識改革をして、「自分はおとなしいと思われている」「変えることはできない」「でもいやなことではない」と考えるようにした。反応が薄いと言われることもあるし、話が盛り上がらないねと言われることもあった。けど、気にしないようにしてから、少しずつ楽になって以前より話す人も増えた。

意識を変えてから前より生きやすくなった。しかし、育休明けで戻ってきた同僚(私の入社前育休に入った)から「おとなしい」というようなことを言われ、また以前の気持ちが戻ってきた。ただ、なぜ「おとなしい」と言われるといやなのかを客観的に考えることができた。

私がもやもやしたのは、テニスをしている話をしたときと、ジャニーズライブに行った話をしたとき。反応は「おとなしいから意外ですね」というもの

特にライブの話をしたときは、どうだったんですか?と聞かれて感想を言ったものの、行く雰囲気に見えないですよね、と言われて、どう切り返せばいいかからず、別の課の人にも話したら意外って言われました~とヘラヘラしたら、そりゃそうでしょ、と。

会話が「おとなしくて意外」ってとこで終わってしまう。私の話が下手なんだとは思う。けど、毎回そう言われると、距離は縮まらない。私は「ライブに行くし、テニスもする人」なはずなのに、結局「おとなしい人」なだけ。あのときヘラヘラしてたけど、ああまたかって思っていた。

例えばお菓子に気になるよねとか店行ってみたいとか、反応すると「そんなことするんですか」って言われることが多かった。昔で気づかなかったけど、そう言われると、あんまり反応しないほうがいいのかなとかまたなにか言われるかなとか考えて、どんどんまわりの人に心を開かないように、よりおとなしくなって行ったのかもしれない。そういう自分が嫌だったのだろうと思う。

少し年をとって、そんな風に反応する人ばかりじゃないと少しずつ分かってきた。だからまり気にしないようにする。

2018-12-07

anond:20181207022807

とはいえ原則多数決なわけで。

より大多数に可愛いと思われる仕草と見た目を進化で勝ち得たもの特権、じゃだめかね。

種の保存に「人間という特定生物嫌悪を煽らないこと」が組み込まれるのを遺伝子が見越せたかどうかが分かれ目というやつで。

これならおっさんも納得でしょ。

捕鯨問題も結局そこ。

生きててほしいと思ってくれる人間がすごく少ないか迫害されるが

さすが人間だけあって法を作る側にも一定紛れることができている、なので、殺しては良くないを勝ち得てる。

ゴキブリ愛好家もいるっちゃいるし、そういう人たちはゴキブリ幸福を考えて飼育してくれてるよ。

いかに生きているあいだに己を愛してくれる人のところにたどり着けるかどうか。生存戦略ロマンだね。

anond:20181207022807

単純に今の立法制度でそういう感じにできたからでしょ

ゴキブリやドブネズミ虐待禁止法を掲げる人は出てきてないし、嫌悪を抱く人が多数派なんだろう

俺は同じ理屈人間ガンガン不良品排除、枝打ちするべきだと思ってるけどそういうこというとキチガイ扱いだからねえ

うちの猫より大事人間なんてそんなに多くないし死んだ方がいい人間、多すぎでしょ

anond:20181207022807

単純に今の立法制度でそういう感じにできたからでしょ

ゴキブリやドブネズミ虐待禁止法を掲げる人は出てきてないし、嫌悪を抱く人が多数派なんだろう

俺は同じ理屈人間ガンガン不良品排除、枝打ちするべきだと思ってるけどそういうこというとキチガイ扱いだからねえ

うちの猫より大事人間なんてそんなに多くないし死んだ方がいい人間、多すぎでしょ

一般的必要とされる睡眠時間寝ても全然だるいし、かと言って半日寝てから起きてもだるいし、起きてもだるいし、お腹空くからご飯食べたら眠くなるし、人間体重が100kg超えると存在するだけで結構大変。168cmだからなひとりで約ふたり分なわけで。

かといって自分堕落で肥えたのを少し嫌悪するぐらいで、別に本気で現状を変えようとか思わないし、また飯くって寝るから本当デブって気持ち悪い。

2018-12-06

中学生のころに入り浸ってたデコメプリ帳デコウェブデザイン交流サイトVIPPERが押し寄せてエログロ画像を大量投稿された

2011年ころの痛いニュースなどの2chまとめブログ全盛期は女叩きや女性声優への粘着が凄まじかった

2016年ラブライブ声優騒動では女性蔑視的なネタTwitterに大量に流れてきてうんざりした

インターネットの女叩きは本当に酷かったから男女混合のコミュニティでは性別不詳のハンドルネームにしていたし

女性ファンばかりのマンガアニメコミュニティにこもっているのが一番居心地よかった

蓄積した悪質男性への憎しみが溢れ出しているのが今なんだと思う

オタク男性インターネットでの書き込み一般女性腐女子女性声優への攻撃など)を見て本当に男性嫌悪になった

十何年も女叩きをやっていると飽きるのか、今はゲイビやSyamu_gameの袋叩きが流行している

対象が女でなくなっても袋叩きが大好きな気質に対して嫌悪しかない

渋谷ハロウィンで暴れるタイプDQNを憎むけどやっていることがDQNと一緒

匿名で自宅でできるDQN行為をやっているだけ

イライラたから、ナルシストについて語る

私は専門家ではないので、参考程度に

まずは結論から

いまのナルシスト像は間違っている

ナルシストとは、自己愛過剰のことである

自意識過剰だけではナルシストとはいえない

ナルシスト病気である

ナルシスト被害者である

ここからはダラダラと

そもそもナルシストって心理学用語のはず

それがどこからか、間違った印象になっている

ナルシストを芸にしている人には営業妨害かもしれないが、

自意識過剰ナルシスト

というのは、明らかに間違い

ナルシストは「病気」なので、男でも女でも付き合うとDV被害にあったり、モラルハラスメントをされたりする

1度、主張を整理したい

1、2次ナルシスト精神的な病気である

2、自意識過剰病気ではなく、かつ自信のなさから起こる心理現象である

3、1次ナルシストは誰もが通る道であり、特別なことではない

4、ナルシスト被害者である

1について

ナルシスト病気である

これは、人格障害といって、治すべき病気でもあり、かつ、とても見分けがつきづらい、難しい病気でもある。

認知を広めなければ、ナルシスト自身も、周りの人も、被害者が増えてゆく。

これは、他の人格障害にも当てはまることである

2について

自意識過剰人間への風当たりが強すぎる。

彼らはナルシストではないし、自信がないのに、さらに周りから悪口を言われたらたまったものではない

思春期に鏡を見たり、前髪をいじったり、自撮りをしたり、なにがおかしいのだろうか。

思春期自分他人が分かり始める時期だからこそ、自分が気になる。

逆に、自分他人境界線が分からない病気のほうが、健全ではないと思う。

例えるなら、エヴァンゲリオン人類液状化計画だ。

病気の人の頭の中では境界線がないので、みんな一緒。

それのほうが、嫌悪されるべきではないのだろうか。

ここで注意してほしいのは、病気人間嫌悪しろ、といっているわけではない。

そこで、3と4につながる

3は、みんな通ってるんだから病気人間けが特別じゃない、ということがいいたい。

4は、ナルシストも、いろいろなつらい経験があったからこそ、そうなっていることを理解してほしい、そういう意図だ。

話はそれるが、後天的精神病というのはすべてそうだ。

みんな、みんな、とってもつらい思いをしている。

そこは、差別しないで、どうか分かってもらいたい。

そろそろ落ち着いてきたし、主張はしたので、ここらで終わりにしたい。

あくまでも一般人が勢いで書いた文章なので、詳しいことは専門家に譲る。

以上。

2018-12-03

キュアアンフィニヤオ

みんなが凄いこと・革新的ことみたいに言ってるからチェックしてみたら完全なヤオだった。

これただの王子様やん。

衣装からも、どうしようもない野暮ったさ、振り切れない奴のダサさみたいなものしか感じられない。

単純にバランスも悪くてかっこわるいしさ。

こんなことしか出来ねえならやるなよスタッフ説教したいレベル


そもそももうさ、魔法少年なんて発想はとっくにあるわけじゃん。

シチュエーション衣装も開発進みまくってるよ。

このご時勢に、プリキュアでこんなヤオドヤ顔されましても。

馬鹿馬鹿しい。

本当に馬鹿馬鹿しいよ。


何がキュアアンフィニだよ。「アンフィニ」って語句にも大した覚悟が感じられないし。

萌えギャグアニメ変化球にすぎないゾンビランドサガのリリィちゃんでもお前よりはちゃんとしてるわ。

なんか「プリキュアが一石を投じる」みたいな感じでこれをやるならせめてデザイン福島鉄平かにやらせろよ。

金髪ハーフ王子様でみたいな言い訳・逃げ道を作りまくってんじゃないよ。

本当にヤオだわ。

ガチ性の欠片も無かったわ。


はてな民もこんなもんで言い争うのは時間無駄からやめろよ。

ていうかそうやって言い争う具にするのは過大評価だよ。

こんな振り切れてないヤオには「画期的」とか褒め称えられるのも「気持ち悪い」とか嫌悪されるのも勿体無いわ。

陣営とも、こういうしょっぱい踏み込みしか出来ないスタッフには「この半端もの雑魚が」という軽蔑目線だけをくれてやるのが作法だよ。


社会情勢に沿うって言うならまずガチガチ貧困家庭ルンペン少女プリキュアとか見せてくれよ。

多少問題抱えつつも根底ハッピーな家、みたいなのばっかなのに社会派ぶるのがすでに滑稽なんだよ。

しるかばうどん漫画に出てくるような女の子プリキュアの力を与えてみろよ。

魔法少年やるならちゃん黒髪言い訳属性のない”普通”の男の子をナマ足出した魔法少年にするんだよ。


わかってるよ、やりたくねえしやる意味もねえよな。

どうせヤオなんだよプリキュアなんて。

大人が真面目に取り合うようなものじゃないわ。



ヤオ」がどういう意味合いで使われてるのかよくわかんないや。一般的用語なのかしら。はてなキーワードに書いてある意味合いなのかしら。

プロレス由来なんだけど、近年の用語で言う「ヤオ」「ガチ」は「ノアだけはガチ」という定型句に端を発すると見てよく、

ノアだけはガチ」という句が生まれ時代には既にプロレスガチ競技でないことはプロレスファンですら認めていた訳で、

そこでの「ガチ」とは「レベルが高い」「本気でやってる」「殺すぐらいの踏み込みでやってる」「覚悟がある」っていうニュアンスになり

ヤオ」はその逆で「レベルが低い」「真剣味がない」「だらけてる」「おあそび」みたいなニュアンスになる。


ちなみにプロレスリングノア世代交代の失敗と次第にたがが外れていった乱脈経営とに圧迫される中でただひとつの売りとなった「ガチ」なプロレス象徴としての危険すぎる首での受身を連発していった結果社長でありエースレスラーである三沢光晴頚椎離断・ほぼ即死というリング禍を招いた。


ノアだけはガチ」というのはあれは総合プロレスが押されてたころに生まれ自虐的ジョークで、四天王プロレス由来のひたすら受ける芸風を本気で賛美した言葉じゃないよ

ノアオタは本気で言ってたよ

ギャグとして回収されたのはその後

もうノアの全盛期なんか思い出せないだろうけど


"男の子をナマ足出した" スネ毛カニ毛の事、お忘れ無く。無かった事にするならば、それこそ増田のいう"ヤオ"だ

毛なんか女にもあるがな

なんやこいつ剃刀無い家で育った童貞か?

2018-12-02

男子プリキュア誕生で😨恐ろしいこと

男性プリキュア誕生シーンに、プリキュアになりたかったオジサン自称キュアゴリラ)が居合わせ胸熱展開なんて言っている人がいるが、キュアゴリラ絶望したんだからな。

プリキュアになれなかったのは、女の子じゃないから」と自分に言い聞かせていたキュアゴリラは、美少年が変身できたことで、絶望したんだからな。

素直に祝福できない自分自身にも嫌悪し、辛いのだからな。

2018-11-29

ボヘミアン・ラプソディへの賛否腐女子の今昔

先日、こちらのブログ記事を読んだ。

http://www.ishiyuri.com/entry/2018/11/25/bohemian-rhapsody_

こちらのブログ結構好きなのだけど、この記事にはううーんと首をひねってしまった。

特に『この映画がよくないのは、それらの価値観現代視点から洗い直したり、疑義をさしはさんだりする部分がひとつもないということ。』部分だ。

この映画はフレディの伝記映画であって、少なくともスクリーンの中には存在する彼の『現実』に、疑義をさしはさむべきだろうか?

といっても私はクイーンについてはまったく知らないので、私がもやもやしたのは、私自身を投影たかである

私はもう20年以上腐女子だ。

腐女子になった理由は逃避だ。現実がしんどかった。家族がしんどかった。自分自身を愛せなかった。フィクションに救いを求めた。

かつて栗本薫中島梓の名義で『コミュニケーション不全症候群』という本を出した。1991年だ。その本の中で著者は『(自己愛の発露と解釈されることもあるが、現実には)彼女たちは自分を愛してなんかいないのだ。』といったことを書いている。その一文は私の胸を貫いた。また栗本薫が受け取ったファンレターには、彼女が描くBL小説主人公になることだけが自分の望みだ、と書かれていたという話もある。

まり誰もかれも自分自身を愛せなかった。そこには女性性の否定が強い人もいるだろうし、とにかく自身への嫌悪が強いという人もいるだろう。理由割合もそれぞれだ。ただ辿り着いた場所けが同じだ。自分自身を愛せない。別人になることで得られる愛に一時の救いを求めた。そうしなければ生きていくのは苦痛しかなかった。

……しかし、1991年には大勢腐女子賛同を集め救いとなったこの本も、例えば今ツイッターに載ったりしたら、ボコボコに叩かれるのだろうなあと思う。

今の腐女子の間では『腐女子はただの性癖だ』というのが大勢賛同を集める。ただの性癖から現実逃避だとか自己否定だとかそういう理由はないそうなのだ。実際に、そういう人が多数派なのだろうし、1991年だっていたのだろうとは思う。

思い出すのはねほりんはほりんで腐女子テーマだった時だ。BL現実逃避といった類の答えに、ツイッターでは反論が渦巻いていた。

いわく、あんなのは10年以上前偏見だそうだ。

そういわれてしまうと、いやあなた達にとっては偏見であり抑圧であっても、それが真実人間だっているんですよと言いたくなる。

話を映画に戻そう。

私はクイーンはまったく知らない。映画を見ただけだ。

からもし、クイーンメンバーがこの映画を『フレディはこんなに孤独ではなく、もっと幸せだった。この映画ゲイへの偏見に基づいた創作的悲劇だ』と批判したなら、受け取り方はまったく違っただろう。

しかメンバーはこの映画好意的だ。それはブライアン・メイツイートからも感じられる。

孤独に苦しむゲイステレオタイプ偏見だという。

現実逃避で腐女子になるのは一昔前の偏見だという。

でもそれが真実な人だっているだろう。

私がそうであるように。

私が私の人生を描いたらきっと一昔前の古臭い偏見に基づいた腐女子像といわれるのだろう。この偏見現代価値観 ─── 腐女子性癖であってそれ以上でも以下でもない ─── をさしはさんで改めて見つめるべきだといわれるのだろう。

お断りだ。

ステレオタイプ真実の人だっている。それを、そうではない幸福人間否定されたくない。

ちなみに。

私は映画を見て彼の孤独自分を重ねて泣いたけれど、エイズ可哀想だと思ったことは、そういえば、映画を見ている間、一度もなかった。

にゆく彼を可哀想だとか、そういう感情はまるでなかった。

私はただ、ライブの発する熱量に圧倒されていた。

あの映画のどこからも、泣かせるための病気だという意図を感じなかった。

私が一番見ていて辛かったのは、ソロ活動を始めた後、馬鹿騒ぎをする来客たちがいる中で、二階でフレディが一人で座っているシーンだ。

ゲイだろうがヘテロだろうが関係なく孤独になる。孤独は辛いが孤独を感じない人間は一人もいない。

それこそ、友達が全員結婚して子供もいる中で、シングルでいる腐女子だって孤独を感じるのだ。

フレディの孤独はあまりにも露わに描かれていて、私は始め、この映画批判されていると聞いたとき、てっきりスター孤独ステレオタイプに描きすぎだ、という批判なのかなと思ったくらいだ。

anond:20181129093109

それじゃあ極めて感覚的な嫌悪なのであって、

個人情報だの何だの理屈をくっつけて否定することじゃないわな。

勝手写真を公開されるのは気持ち悪い、マナー違反だ」くらいの話に留めるべき。

2018-11-28

一人称の話

ネットなんて匿名の吐き溜めなんだし、一人称なんてどーーーだって良くないですか?

俺女、僕女は嫌われる。

思うに、それらが嫌われるのは「一人称『俺』だけど女ですー!」みたいなアピールする存在いるからではなかろうか。知らんけど。ギャップ萌え狙ってるのか?

それってもう、女が使う「俺」「僕」に対する嫌悪じゃないよね。





ぼくが「私」と言えなくなってしまったのは、いつからだろう。

幼い頃から自分名前一人称に相応しくないと思い込んでいた。

最後ちゃん名前で呼ばれたのはいつだろう。

小学校の頃は、まだ呼ばれていたかも知れない。

親は、ぼくを名前で呼ばない。

それは別にネグレクトだとかモノ扱いだとかそういうことではなくて、具体的には言えないけれどとにかく名前では呼ばれなかった。

このことは友人からもたまにからかわれていて、ぼくとしても恥ずかしいのであまり言いたくはない。この友人は後にぼくが「私」と言えなくなった原因の発端に少し関わってくる。

中学に上がってから名前で呼ばれることは、多分なかった。

皆、苗字でぼくのことを呼んだ。

クラスに必ず何人か入る、「ああ、そう言えばそんな名前だったよね」って人種だった。親しくない訳じゃないんだ。

高校の頃には、自分名前が嫌いになった。

キラキラDQNと言われるような名前じゃない。

読みづらい訳でもなく、むしろこれ以外の読み方はできない、ってくらい分かりやす名前だ。

ひと目で女と分かる名前

高校二年、性自認が揺らいだ。

春頃に軽く精神を病んで、学校を休んだ。

この精神を病むことになった原因に、さっきの友人が絡んでくる。ぼくは今も、この人が苦手だ。

また学校へ通うようになっても、スクールカウンセラーと、ではあるが定期的にカウンセリングを続けた。

何かしらの病名がついた訳ではないが、後から思えばあの時のぼくの精神状態は最悪だったし、おかしかったとも思う。

きっかけが何だったのか、分からない。

気付いたら、自分が女であることに嫌悪感を抱いていた。

膨らんだ胸も、柔らかい身体ラインも、生理も、高い声も、女性らしくあることを強制されること(校風としてはむしろである前に一人の人間であることを尊重されることが多かったように思うが)も、嫌でたまらなかった。

ひと目で女と分かる名前も、「私」という一人称を使うことも、苦痛で仕方なかった。

奇しくもぼくが通うのは女子校であり、周りには女子しかいなかった。

これが共学であれば、自己自己たらしめるもの他者であるように、男子という存在によってさら自分が女であることを意識してしまっていたかも知れない。

だが、友人たちのはしゃいだ高い声にすら苛立ちが隠せなかったこともある。

とにかく、「私」と言えなくなったぼくは、自分苗字一人称とすることに逃げた。苗字に「さん」を付けて呼ぶこともあった。

自分名前は相変わらず嫌いだった。

友人から認識されず、親からも呼ばれない名前

漢字機械的に記された自分の氏名を見ると、それが自分のものではないようにすら思えた。

ほとんど時を同じくして、ネット世界で辿り着いたのが「ぼく」という一人称だ。

本当の自分とは全く関係のないHNを使っているので、その名前一人称とすることもあったが、「ぼく」と言うのがしっくりきた。

ネットですら「私」と言えない事実からは目を背けた。

本名への嫌悪からHNに「ちゃん」を付けて呼ばれることはどうしても受け付けず、誰かと仲良くなるたびに、それ以外の呼び方をして欲しいとお願いした。


であることへの嫌悪感は、今はもうほとんどない。

ジェンダーとしての女性ステレオタイプ押し付けられることには少し抵抗を覚えるけれど、身体への嫌悪はなくなった。

それでも自分名前を好きにはなれないし、公的な場以外で「私」とは言いたくない。

理解しろ!!! と大声で主張することはしないが、私的な場面でのそういった選択多様性に対して、もっと寛容な世界になれば良いのになあ、と思う。

正式な場では男も女も「私」と言うんだから、と指摘する人がいるが、嫌いなものは嫌いなのだ

ぼくはネット中の人物としてのパーソナリティを持ってはいるけれど、それは現実世界のぼくとは別人だ。

ネットの中でくらい、「ぼく」と言っても良いじゃないか

現実では、嫌でも「私」と言っているのだから






……という文章を発掘し、懐かしくなったのでここに葬ることにする。

今はもう、ネットでは「私」と言えるようになったが、「ぼく」には少々愛着があるのでたまに使っている。

しかし未だに会話の中で「私」ということには幾らか抵抗があるし、この時の気持ちを完全に忘れた訳ではないのだ。

2018-11-27

お前の場合説教自分のためというのがバレバレでクソキモいから誰も魅了できてないんだよ

 気づけよカス。みんなから嫌悪されているぞ。根拠や使命感がなく、

いうことやること、「これで勝つる」感がハンパない。激臭。

anond:20181127142308

増田の態度に依ると思うよ。

生理的嫌悪がなくて、態度がジェントル、痛いことしない、病気への意識が高ければとりあえず定期購読キープしやすいかもね。

あとは時間自由がきくとかで合わせやすいとかも割と大事かも。

毎回、どんな頭おかしいやつが来るかわからん3万ガチャを引くよりは、それなりにわかってる相手1.5定期便のほうが自分はいいなと思う。

--

ごめん追記

あと、初対面だとなんだかんだその都度価格交渉が入るんだけど、それもけっこうストレスだよね。自分が値踏みされるのもするのもあまりきじゃない。

自分に自信が持てない人生

私は自分に自信を持ったことがほとんどない。

小学校五年生から高校まで7年引きこもった。いつも引きこもっているダメなヤツだと思われているようで外も出歩けなかった。人目が恐ろしく引きこもり期間の7年病院以外は外出しなかった。

このまま人生が終わることが悔しくて無理矢理通信制高校に行き大学受験した。

大学では初めて努力すれば成果が出る経験をし、毎日キラキラ輝くような日々を送れた。自分にとって初めての成功体験だったと思う。春休み夏休み関係なく大学に行き学び本当に楽しかった。

その成功体験があれば就職してなんとか標準的人生を送れるのではないかと期待したが、就職後にあっという間に転落した。

ブラック企業と言われるような会社に入ってしまい、労働時間は長く叱られてばかり。正社員雇用のはずがいつまでたっても時給800円バイトだった。私なんて何をやってもダメだとまた自信を失い、そのまま仕事を辞め非正規雇用の職を転々とし始めた。

そんな時、自分を好きだと言ってくれる人に出会った。自分自身は好きだと思えなかったが必要としてくれる嬉しさから結婚した。その結婚一年経たず離婚になった。夫に多大な借金があったこと、DVが酷くこのままでは死ぬと思ったからだ。「バツイチ」のレッテルが貼られ、女としても自信がなくなった。

その後に縁があり再婚した。バツイチの私と結婚してもらった、という意識からいつも相手に合わせていた。全力で愛されようと良い妻でいようと頑張っていた。子供を産むこと育てることが怖かったが、夫が子供を強く望んでいたため流されるように妊娠出産した。しかし夫は育児には全く関心を示さなかった。

自分の子供なら可愛いというが、こんな幼い精神の私では子供を一人きりで見ていくには限界があった。毎日光の当たらない地下にある賃貸の1DKの狭い部屋で子供と二人きり。気が狂いそうだった。

夫へ相談しても流されるばかりで、愛情はどんどんなくなった。子供ちゃんと見れない自分への嫌悪自分自身が大嫌いになった。

今年中には離婚する。2歳半の子供は夫が引き取る。

たいした職歴もなく無職の私には子供を養っていける自信がない。

人として、母親として、女として、全てが失敗続きだ。かけらも自信が持てない。自分肯定する部分が完全になくなってしまった。

はやく消えたい。

2018-11-26

anond:20181126184543

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。焦躁しょうそうと言おうか、嫌悪と言おうか――

性的対象ではないことを伝えたら怒らせてしまった、かもしれない

ちょい前の飲み会で同じチームの先輩に僕が惚れているというネタからかわれた時、はてなユーザーな僕は「女性は意中の異性以外から性的にみられるのを嫌悪する」ということを学んでいたし、先輩は姉に似ていてそういう気にならないから正直に自分の好みも明かしつつ好きな人別にいて違いますよという主張をして収めた。残業で二人だけになることもあるから嘘をついて気のあるふりをしても気まずいことになるし、そもそも先輩は彼氏がいるのでそれがベストだと思った、安心して貰えると思った。

なのに関係悪化してしまった。元から同僚、後輩枠だった関係部外者のような扱いになった、格下げだ。仲のいい同期も同意見なので被害妄想ではないと思う。

他に心当たりもないので十中八九あの時のことが原因だと思うものの、そうなった理由がわからない。先輩は美人で人当たりも良く恋人もいる、一方僕は冴えなくて恋人いたこともない、仕事上の会話はあれど親しく雑談する間柄でもなかったので、先輩が僕を好いていたというフィクションのようなこともあり得ない。そうなると「女性は意中の異性以外から性的にみられるのを嫌悪する」というのを疑いたくなってしまう。

anond:20181125164223

無理なら電話を切るなりすればいいでしょ。

自分常識他人強制的に当てはめることが、老害と言われて嫌悪されることだよ?

「周りは変えられないが、自分は変えられる」というのが、これからの多様な社会ダイバーシティかいものを生きる上で基本で、若者に求められる「柔軟な思考」というやつです。

そういう考え方してるということは、相手立場にたつのが苦手なタイプ人間だろうから、これから社会生活で苦労するすることが多いだろうけど、揉まれてがんばってね!若者よ!

どうしようもない避けられない病でデブなのは仕方ないが、不摂生から生じるデブは罪。

デブのおかげで通路が狭くなったり、

デブが二人分の椅子を使うような状況になったり、

デブの酸っぱい臭いで気分が悪くなったり、

デブおかしいくらいに分泌される汗に嫌悪したり、

デブクチャラー吐き気をもよおしたり、

デブの甲高い声で気分を害したり、

デブのいやらしい目つきで、関係ない男までもが女に敵視されたり、

これ以外の問題に対しても、デブは罪。

とにかく痩せろ。

2018-11-24

吃音とのお付き合い

音が治らない。

あれこれ30年を付き合おうとしているが、ようやく改善兆しが見えた。

なので、自分史を振り返りながら、記したいと思う。

当時、5才。吃音を指摘されて、どうやって言葉に詰まってしまうのだろう、と考えたのがきっかけだっと思う。

5才の私は周りの人と異質なことを認識していたが、楽天家気質を持ち合わせていたので、特に気にしていなかった。

小学校高学年になったころだと思う。吃音いじめが深刻になった。

味方だと思っていた学校先生からは、クラス全員に聞こえる大きな声でゆっくり落ち着いて喋りなさい、とどもる度に繰り返しいわれた。

いじめの耐性を強くさせるきっかけになったため、ありがたい指摘ではあるもの

吃音理解していない自己主張の強い先生は、先に生きる人であっても教師ではないだろうと心でつぶやいた。

そんな周囲の威圧嫌悪を抱き、私は普通に暮らせる周囲に負い目を感じるようになり、死にたいと何度も思った。

当時、心の寄せどころがない私に一筋の光が差し込んだ。それはインターネットだった。

インターネット吃音意識せずにいられる世界だった。

でも束の間の世界、当時インターネットは従量性であったため、長時間遊ぶことは親から許されていなかった。

当然、吃音を調べても有効情報は得られなかった。

高校生活が始まった。

目標をもった人たちが集まる高校であっため、自由奔放で楽しい毎日が続いた。

ある程度学力がつくと、いじめメリットよりも自己を追求するメリットを感じるのだろうか。

でも、吃音は相変わらずよくならないが、吃音を指摘されない環境はとても居心地がよかった。

大学大学院生活が始まる。

プレゼンテーションで何度もこける。

こけた日には、頼りのインターネット吃音者の傷の舐めあいと思えるコメントに安らぎを覚えた。

大学大学院生活では、えー、あー、など言葉を伸ばして発音することで、詰まることを回避できるのを実感したのが収穫であった。

いざ、社会人

無限可能性を感じる私は始めてもらった名詞ウキウキした気持ちがあった。

自己主張の機会がとても多い。あきらめずに上司はチャンスを与えるが、そのたびに失敗する。

自分嫌悪した。上司ごめんね。

幸いにも吃音者は私だけではなかった、お隣部署に私よりつらいだろう吃音者がいたから。

心が救われた気がする。でも、辛いのは変わらない。

決心して、吃音改善病院にいった結果、吃音改善する方法を会得した。

落ち着いて体の力を抜いた後、さらに体の力をもう一段と抜く。

最後に肩をぬき、胸から発音する。ただ、それだけでかなり改善するのだ。

ただし、胸から発音すためにはゆっくり話す必要があるため、早口をした場合魔法は解けてしまう。

そして数年・・・幸いにも吃音を認めてくれたパートナー結婚をした。

奇跡だ。運命悪戯は怖い。パートナーメリットはあるのだろうか。

結婚して幾年経つが、パートナー負担を軽減したいと思い、吃音改善をもう一度調べることにした。

その結果、どうやら吃音は脳の障害であることを知り、吃音は治すものではないことを悟った。

認めたくないものの、人の性別や体格がかえられないように、生まれときから与えられたステータスで生きていく必要がある。

それにしても数%の確立吃音になるのだから神様はいやなステータスの振り方をするものだ。

人は歩くときに、手足の動きを意識することなく、無意識のうちに動かすはずだ。だから無意識に人は歩ける。

でも手足がなかったり、手足を動かす信号に誤送受信が生じていたら、たぶん普通のように歩けない。

たぶん吃音者も同じだ。何かが普通の人と違うはずだ。

人と違うのは人によってステータスが違うから

そのステータスの違いを障害と捉えるか、個性の違いと捉えるかは自分自身だ。

吃音改善方法聴覚遅延フィードバックというのがある。

吃音者は感覚が早いため、聴覚から信号に体が追いつかないために吃音が生じてしまう。

なので聴覚から信号を遅らせることで、体を追いつかせようというのが聴覚遅延フィードバックだ。

聴覚遅延フィードバックは機材がいるため、一般人は入手が厳しいが、

私は自分の発した声を認識してから次の言葉を話すことを心がけることで、聴覚遅延フィードバックを作り出し、

改善することを強く認識できた。吃音の症状である難発の頻度を低く抑えることができた。

しかし注意が必要だ。

声はが耳に伝わるときに、体の中を通る声と、外から通る声がある。

体の中を通る声にフォーカスしてしまうと、吃音症状が復活し、

体の外を通る声にフィーかすすると、吃音症状(特に何発)を改善することができる。

それに、以前から会得していたからだの力を抜く方法と、胸から発する言葉を合わせれば、さら改善する。

それを意識し続けることで、やがては無意識のように話せるようになるはずだ。

今はその過程で、無意識のうちに電話対応ができるようになっている。

十分に改善している。私よ!グッドラック

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん