はてなキーワード: 院生とは
憲法解釈を憲法制定者意思に求めるのか、有権者に求めるのかとか
これって院レベルで学ぶ事だし、ちゃんと書けたら学位もらえると思う
だけど、視点が大事ってだけで内容に関してはめちゃくちゃだしあんまり参考にならない
でも原文読んで理解できるなら憲法学者(政治哲学か、日本なら法哲学も入るか)は何やってんだよってことになる
やっぱり話し合うにも前どう考えられてきたかとか前提的な知識は必要だと思う
水遊びは泳ぐのに関連するだろうけど、それだけだと泳げない
憲法なんて国民全員が関与して議論されるべきことなんだから(主権論は別として)
ただ議論をよくするためにどう考えられて来たかを学ぶのがいいと思う
樋口、長谷部、木村とか色々わかりやすい初心者向けのいい本がいっぱいあるし
これで良くなったらいいね
@Kazuma_Kitamura
『英文解体新書』『英語の読み方』『ロゴフィリア』などの著者。
https://twitter.com/Kazuma_Kitamura/status/1764604375891317124
日本語ネイティブと会話していると、それなりの頻度で「だから」のことを「だぁ」と言ってしまっている場面に遭遇するが、
日本語ネイティブに「日本人やって「だから」のことを「だぁ」と言ったりするやろ?」と言っても「そんなやついないよ」と返されるんだよな😇
@IIMA_Hiroaki
国語辞典編纂者(出版社社員ではありません)。『三省堂国語辞典』編集委員。
著書『日本語はこわくない』PHP、『日本語をもっとつかまえろ!』毎日新聞出版、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』朝日新書、『ことばハンター』ポプラ社 他。『気持ちを表すことばの辞典』ナツメ社 も監修。
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1764955281539444910
「だから」を私たちが普通に「だー」と発音することは、1990年代の大学院生の頃、他の院生に教えられました。
以来「みんな『だー』と言ってるなー」と思いつつ、さすがに辞書の項目に「だー」は立てていません(読者がぴんと来ないと思われるので)。
https://twitter.com/cicada3301_kig/status/1765128227348238468
なんか否定的な意見が多いけど、フリートークして録音して自分の声を聞きなおしてほしい。絶対に気づいてない人がいっぱいいる。まあ音素と音声の関係みたいなもんですわ。
https://twitter.com/Kazuma_Kitamura/status/1765379070039372190
昨日のツイート、やっぱり「だから」のことを「だ」なんて言わない、聞いたことない、というお声もチラホラあったので、こちらを引用しておきます😇
https://twitter.com/sanomaru364/status/1419024529590919169
たし🦀
周りに院生や院卒がいなかったんだね
博士論文の公聴会を無事に終え、学位を実質的に取得しても、私の心に平穏は訪れなかった。
その日、かなりの時間を費して準備したプレゼンテーションを、会心の出来で決めることができた。
もちろんその成果は、(他の院生も同じだが)3年間の博士課程で膨大な時間を費し、壁にぶつかって紆余曲折とそれなりのドラマがあり、研究を他の何事よりも優先して手に入れたものである。
もっと言えば、大学入学から約10年、研究者を志した高校生の頃からだとそれ以上、思い憧れ続けてきた博士号の取得である。
プレゼンを準備している最中は、公聴会の後に万感の思いを感じるかもと想像したり、泣くかもしれないなんて思ったりした。
Zoomでの発表を一人終え、研究室からの帰路、キャンパスから渋谷駅まで歩くことにした。
もう日も落ち、夜のキャンパスから裏の山手通りに出たが、私の心は晴れなかった。
審査員から問われたあの問いになぜあのような回答をしたのだろう、こう答えれば良かったのに。
齢三十を前にして、学歴ばかり積み上がった人生の実態は浮草稼業の根無し草。
死にたくなった。
ここで私は気がついた、私の人生に心の平穏は訪れることはないのだと。
ちょっと聞きたいんだけど、明らかに普段と声色が違っていて、すごく機嫌悪そうなトーンなのに、別に怒ってないっていうの何?
詳細↓
私 社会人1年目
私の帰りが遅かった日、鍋を作ろうとしてくださったみたいなのだが、
・私の冷凍した肉が切れてるかどうか分からない(切った気がすると答えたが、どっちやねんとのこと)
・しめじを切らしていた
というようなことを、電話で、不機嫌そうに、イライラしながら、言葉数も少なく 言われた。(全て普段と比べての私の主観ではある)
私からしたらこの4点ってそんなに不機嫌になることかね?と思うのだが、私が適当すぎる?
てかそもそも機嫌悪くなかったのな?かなり詰められていると感じたが… 勘違い?
まあたまにこんな感じで、何言っても不機嫌な声色、返答、雰囲気の時がある。
コミュニケーションが苦手というのは関係ありそうだがどうなんだろうか。
みんなもある?
旧帝大に通ってる女です
最近周りの先輩方を見て思うのが、高学歴で見た目きちんとしててもなかなか彼女はできないということです
理系の学部の先輩(院生)は、いかにも軽音サークルっぽい見た目で身長は180cm強で服も普通、就職先も大手、しかも話も面白い
一見すると特に非の打ち所のない人で、彼女がいてもおかしくない、むしろいるほうが自然に思えるんですが何故かいません
別の先輩は、これまた雰囲気のある見た目で背が高くてとても腰が低く親切な人です
中高の知り合いで似たような人を知っていますが、やはりモテていました
しかし、この人はモテないようです やはりマッチングアプリを始めるとかなんとか言っています
似たような男が私の周りには何故か沢山います
なんで彼らに彼女ができないのか、私には分かりません
普通か平均以上の見た目をしていて、多分刺さる女の子もいるだろうな、という雰囲気の人たちなのに
しかも、性格に難があるわけでもない それに国立の大学生で頭も良い
先輩方より見た目も頭も悪くて気難しそうな人でも、女の子との交際経験はそれなりにあるはずです
なんでなんでしょう
彼らから女性関係の体験談を聞いているとなんだか哀れに思えます
マッチングアプリで彼女ができたかも!と言ってめちゃくちゃ浮かれまくった次の日に既読無視で振られたり
25歳とかで交際経験が一切ないと、いくら元がまともな男の人でもズレてしまうんでしょうね
彼女ができたとか言って3日ぐらいで別れたり(もう彼女じゃないじゃんそれ) そういうのはせいぜい高校生ぐらいの子がやることだと思うんですが、彼らは今現在やっています
とても悲しいです
今までの機会さえ恵まれていればモテモテだったのかもしれません
ただ、恵まれていなかったので今非モテになってしまっているんです
誰か、付き合ってあげてくれませんか
本当に勿体無いです
最初はあんまり仲良くなかった。おんなじコミュでやり取りしてたけど、ある日見たログに「ああいうやつは気を付けたほうがいい、悪いやつかも」って私のこと名指しで書いてあったから
「ログを見た。こんな風に言われる筋合いはない」と文句を言ったら話し合ってくれて、誤解も解けてそこから一気に仲良くなった。
4つ年上の院生で、物知りで頭良くて、たまに通話して音声でやり取りすることもあった。何時間もつなぎっぱなしってこともちょくちょく。
「小説書いてるんだ」っていうので、一度読ませてもらったこともある。私も小説書いてたからお互いに感想言いあったり。
好きな作品の話をしたり。数か月の間だったけど濃密な日々だった。
ネットで出会うとありがちだけど、住んでる場所がとても遠かったんだよね。
私は関西であちらは東北で、でも私は無理してでも会いに行きたいと思っていた。
相手も「いいの?来てもらっちゃうの申し訳ないんだけど」と言っていた。
私は全然問題なかった。私が学校を卒業した後の春休み、会えるのをとてもとても楽しみにしていたから。
でも結局会えなかった。
「やっぱりこういうのダメだと思う、君とは会えないよ」って直前で言い出すの。
あー。真面目だからな。なんだかそういう風に言い出すかもって、予感してたんだよね。
結局そういうところを飛び越えるほど私は好きになってもらえてなかったんだなって思ったけど。
そういう真面目なところ好きだったんだよね。
で、やっぱりそういう風になっちゃったらもう連絡は取れなくなっちゃった。今思えば別にそのまま連絡とって、友達のままで、また機会があったら普通に会ったらよかったのにね。
一度断ったらもう次はないみたいなの、なんだったんだろうなあ。
急に思い出したよ。元気にしてるかな。私はめっちゃ元気だよ。まだいろいろ書いてるよ。
高三や中三の女の子に勉強を教えていると、AVみたいな展開の妄想だって叩かれるかもしれないけど向こうから女を出して誘ってくる事が割とまぁある。
やれ先生のLINEを教えて欲しいと言われたり(規定で個人的なやり取りは禁止されてるから卒業後にしか交換しない)、来週は授業前に少しだけ息抜きに2人でカフェに遊びに行きたいだの、大学1年生の盛った男みたいにアプローチかけてくる(女子は早熟と言われる所以はここにもあるのかもしれない)。
合格したらデートに連れてってなんて言われることはザラだし、過去には体を触って欲しいと言い出す子もいた。
それでも、たとえめちゃくちゃ可愛い子でも、体の発達が良くても、たとえ法改正されて18歳が成人になったとしても、やっぱり彼女らの事は「子供」としか見れない。だから断固として断る。そして担当者を変えてもらって離れる。
子供のうちは大人の男に魅力を感じてしまう時期がある事も知ってるし、何より自分は大人としての責任があるから、彼女らの想いに応えることなんて絶対にできない。
男側からではなく女側からアプローチをかけたのだから純愛なんだと主張している人たちを見ると、それは違うんだと言いたくなって仕方がない。
最近、中東イスラム研究者の池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号は重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。
だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系の博士号はレジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから。90年代以前の人文系の研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。
その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間の最後の世代なのだと思う。
その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。
人文系の博士号の取得について認識の齟齬が生じる原因は大きく二つだ。
現在では人文系の博士号の運用は理系の運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。
90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語「単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。
調べるとどうやら人文系で博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学が学位のように通用していたということである。
ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本の博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。
[科学技術指標2021・html版 | 科学技術・学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)
実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipediaの記事に詳しい。
[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)
「1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」
少なくとも90年代以前では、人文系の研究者がキャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系の博士号はキャリアの晩年に差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。
この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。
[23.博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、
平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系で23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。
いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。
博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。
このことで企業側の受け入れ姿勢を批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本の博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学に責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。
現在、特に人文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。
ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。
私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別の研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後は博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。
まして、仄聞するに、池内氏は学会の因習、悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単に学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。
池内氏の中東、イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織の設立・運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。
現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説や発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。
当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。
ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。
目的はかつて大学生だったときみたいなモラトリアムを楽しむことだ。勉強する気はゼロ。
夜遅くまで雑誌や新聞や適当に目に付いた本を読みながら図書館居座ったり、学食でぼーっとしたり、生協に冷やかしに行って学割で本買ったり、雀荘で頭痛くなるまで麻雀打ったり、キャンパス周辺の飲食店制覇したりしたあの楽しい生活に戻りたい。
無職は世間体が悪いので嫌だし、もう学部は卒業しちゃったので、どうせなら大学院に潜り込んで意識低い学生生活をもう一回やろうと思ってるんだけど、
「単位なんて取る気ないし論文も書く気ないです」って姿勢でも周りから文句言われず快適な院生ライフを送ることは可能だろうか?
院がいいんだよなあ。
どうしたらいいのだろう。本当にわからない。
Google先生も知らないらしい。というより、モンスター社員を相手にする側の事しか教えてくれない。
大学生活後、新卒入社。最初こそガムシャラに働いて評価も上々だったはずだが、すぐに精神的に患って心療内科の通院生活。その時に発達障害の傾向があることは認知した。以降は最初ほどの熱意はないにしろ、求められている業務をこなし続けていたつもりであった。今思えば、いつまで経っても電話応対が下手くそなままだったが。
患ってすぐの頃に配属や業務内容は調整していただき、最初は簡単なタスクや期限が厳しくないタスクを割り振っていただいた。当時の会社や上司・先輩にはかなり配慮していただけたので、環境としてはとても恵まれたものと言える。心身の不調で休みがちな状態は続いたが、それでも小さな成功体験を積み上げて人並みの自信を取り戻すことはできた。おかげで個人的に楽な道ではなかったが、それでも新卒入社から現在のアラサーになるまで、自分なりに頑張り続けることはできた。
仕事に慣れてきて、普通のタスクも任せてもらえるようになった。それも問題はなかった。問題は、最初の計画になかった中期的なタスクが上乗せで積み上がった時だった。タスクの総量としてはそれでも、業務時間中の余裕が減っただけで、週40時間の範疇で捌けたかもしれない。ただ、後から追加されたタスクが計画に無かったものなので自分のペースが崩されたこと、そして、若干理不尽な経緯で増えたタスクだったこと。それ故なだけで、精神的に参ってしまったのである。先輩だと最初だけ愚痴って捌いたのかもしれないが、それが自分にはできなかったのである。
今思えば、この段階でタスクの拒否なり相談なりすればよかったのだが、それを自分1人で抱えてしまった。パフォーマンスが落ちている状態なので、タスクの処理は間に合わない。そしてそれを説明する能力もなく、「事前に報連相もないままタスクが遅れている」ものとして処理されていった。結果、余計に病んで休みがちになり、タスクがさらに遅れる悪循環に陥った。無理に時間外で取り戻そうとして、大して戻らない挙句に身体を壊すこともやってしまった。
社会人として仕事をしていれば、仕事仲間に悪意がない環境に恵まれてもなお多少のストレスは避けられないものだとは思う。そして繰り返すが、一応は週40時間でなんとか収まるようなタスク量だったのである。最悪40時間を溢れるとしたら、誰かに相談はできたはずである。だが何もできなかった。社会人1年目のエピソードとしてならばまだ良くある話なのかもしれないが、新卒採用から働き続けてアラサーとか中堅とか言われるようになってもなお、これなのである。成長していたつもりで大して変われてなかった自分に、久々に嫌気がさした。
通常の業務で起こり得るような、軽微なストレスにも耐えきれず精神的に参ってしまう。そして絶望的にコミュニケーションが苦手で報連相ができず、勝手に1人で抱えて手遅れになってしまう。これが、自分がモンスター社員かもしれないと思った要因である。世の中には色々な系統・程度の問題社員がいると思われるが、自分のこれも大概厄介なのではないかと思ってしまった。
ただこれを認知できたところで、自分にはどうしていいのか本当にわからない。人事や上司に「自分は問題社員ですか」と聞くのが正解なのだろうか。聞くにしても、上手く経緯を口で説明できる自信はない。転職するにしても原因がこれなので、同じことの繰り返しになってしまうだろうと思ってしまう。というより、最初に配慮してもらったように、会社自体はホワイトな方なので、下手に転職したら悪化する気がするのだ。
世の中は多様性がどうとか謳っているが、社会に適応しきれずに悩んでいる人がここに1人いるのだ。果たして、どうすればこの人は幸せに生きていけるのだろうか。本当にわからない。
自分も匿名じゃないブログを書く身で、その日も何気なくはてなブログランキングを見ていた。そこで気になった匿名ダイアリーが、事の発端である。詳しくは当該記事を見ていただきたいが、モンスター社員に振り回される人たちの話だ。SNSでも話題になってたのかもしれない。
今週のはてなブログランキング〔2023年9月第1週〕 - 週刊はてなブログ
自分としては記事本体や記事への反応、その後のGoogle検索で初めて「モンスター社員」という言葉を知ることになった。そして悲しいことに、自分のことで心当たりのあるような記述が何度も出てきてしまったのだ。幸か不幸か頭は回る方なので、単なるバーナム効果ではないとも、なんとなく理解してしまった。モンスター社員の特徴自体もこたえるものがあるが、それ以上に周りの社員や人事の苦労話を見るのが辛かった。泣いちゃった。
それでも、迷惑をかけてる現状を打破したかった。少なくとも、自分がそういう社員だと気づけたことは大きな一歩なのだろうと信じている。そう思い込みたいだけかもしれないが。
しかし残念ながら、こんな相談をできる相手が身の回りにはいなかった。人事としても、特段親しいわけでもない社員からこんな話をされても反応に困るだろうし、逆に退社の相談だと受け止められたらこちらが困る。人付き合いが苦手で親しい人は社内におらず、相談できる親しい人は別要因で退職してしまっていた。プライベートの友人もそこまで真剣に考えてくれるとは思い難い。心療内科等のカウンセリングなら気持ちが楽にはなるだろうが、今回ばかりは楽になるだけでは足りない。
1週間ほど悩んだ挙句、このままでは結局何も進まないので、ひとまず言語化した次第である。社会に適応した人たちからはどうしようもない人間に見えるかもしれないし、共感できる人がどれだけいるかはわからないが、こういう人間が自身でも悩んでいるというのを知っていただけるだけでも御の字である。