はてなキーワード: 咀嚼とは
私はAから話を聞き、内容や納期、意義や目的、条件など必要な情報を得ようとあれこれ尋ねる。
「それはどういうことですか?」
「なぜですか?」
「これはこういうことですか?」
しかし実際にこれらの問いに対して具体的かつ明確な答えが返ってきたことはない。
BからAに対してはそういった情報の提示があったのかどうかまでは知る由もないが、なかったとしても、Aは私のように尋ねたりはしなかったのだろうか。
AがBから言われたことを上から下に、右から左に受け流すだけの無責任な丸投げをして終わるようなレベルにとどまる人物なら、率直に言って失望を禁じ得ないが、これが無責任な丸投げでは決してないとすれば、私からの問いには何も答えられなくとも、Bには何も尋ねなくとも的確にその指示命令に答えることができるAには畏怖の念を禁じ得ない。
http://kijosoku.com/archives/52750078.html
いやーー、食事中には水やお茶を一切飲まないという人がこんなに多数派だとは思わなかった
食事中に水を沢山飲むのはちゃんと咀嚼してないから?マジで?自覚してないだけでそうだったんだろうか
じゃあなんで飲食店では事前に水が出てくるんだろうな…
それとも食事を食べる前に飲むのはいいが、食事を始めたらもう飲むなって事なんだろうか
難しいなーー
https://convergence.hatenadiary.org/entry/20060614/1150253507
血糖値が上がると満腹感が訪れるというメリットもあるが急速に上がった場合血糖値を下げようとインシュリンが出現する
一定値を超えた血糖をさっさと脂肪に変えようとする憎いアンチクショウ
同じカロリーを摂っても血糖値がゆっくり上昇すれば作られる脂肪は少ない
食事中に水分をとると塩分と結合するので水分を排出せず体内に蓄積する
胃液
水一杯だけでも殺菌作用が大きく減る
噛む力が育たない
食物が大きいまま体内に入るので消化がきちんと出来ず内臓も負担になるし便秘に
水分をとらないと飲み込めるまで咀嚼するので少量で満腹感も!
その他(どうしても飲みたいときなど)
緑茶はアルカリ性なので食事中は飲まないが吉。他のお茶が望ましい
食前30分、食後1時間程度は水分は摂らないほうがよい
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14232519374
「そういうのはクセじゃなくて、幼い頃からの食習慣が原因となる身体障碍です。
幼い頃から、食事中に水やお茶を多量に飲む習慣があると、唾液の分泌が悪くなります。
水で流し込む習慣が身に付いていると、咀嚼回数も少なくなり、噛む力が弱く、飲み込む能力も低い筈です。
高齢者によくある症状で、餅やこんにゃくゼリーを喉に詰めて、お亡くなりになったりしますよね。
嚥下力が弱い上に、唾液の分泌が悪いと、食べ物が喉に引っ掛かり易くなるので、質問者もそういうリスクが高いってことです。」
……とまで言われているので、食事中に水やお茶を飲むのは障碍らしい。
そこまで言われる程に悪い事だったのか
https://www.echigoseika.co.jp/company/info/aisatsu.php
若葉を切り取り、適度な土におろすと何時かは、大木になります。 大木になる総てのノウハウの絵巻が一枚の葉に一巻だけでなく何億と散りばめられている予感は古代からありました。 人も同じように卵子、精子にだけでなく、全細胞にDNAが散りばめられていて、人を形作る遺伝情報を持ちながら、それぞれが形を構成し手、指、足、心臓、血液、などの仮の姿として働いています。
産業革命が始まった頃、私たちは“宇宙とは何か、地球とは何か、生命とは何か”ということについて、観念的な組み立て以外、科学的にはほとんど何も理解していませんでした。 しかし200年を経た今、私たちはそれらの基本的なシナリオを書ききろうとしています。 人間が文明を持ち始めてから六千年間、到達できなかった人間の根源的な存在理由<レーゾンデートル>を、わずか二世紀半、特にここ2、30年の間にかなり把握できるまでになりました。
翻って“越後製菓株式会社”の新世紀での、存在理由<レーゾンデートル>は如何でしょうか。 私は、やはり“社会に役立つ企業となる”ことに尽きると思います。 それを具現化するには、“食品における安心、安全、そして健康への寄与”“自然の仕組みを探求し本質を尊び、謙虚に学ぶ”ことが必須です。 そして人の営みとして当然のように“互いを尊ぶこと”“活力を持ち、自分自身を磨き広く見聞を求める”ことが大切です。 これが会社とのコミュニケーションをはぐくみ、業務への活力に繋がると思います。 この想いは、当に“越後製菓五訓”であり、これを咀嚼し、反芻し、世紀の存在理由<レーゾンデートル>を辿る企業存続の責務を遂行しつつ、その答えを解く本当の喜びも期待しながら新たに社業に邁進する所存です。
というのは嘘で、喧嘩した
大体の流れは私がつぎゃったーやはてなを見て、フェミニスト側の理論に納得したり自分なりに咀嚼して夫に話すと
夫が表現の自由戦士や弱者男性論者(レッテルを貼りたくないが便宜上こう呼ぶ)と全く同じこと言い、こてんぱんに否定されてしまい毎回喧嘩になるという流れ
共感してもらえると思って話してるので、否定されて自尊心はめちゃめちゃ傷つくし寝不足だし
いい加減やめたい
本気で社会を変えられるとも思ってないし。
なのに、だ。
社会が認めなくてもいいから、夫にだけは私の考えを理解して欲しい、共感して欲しがってしまう
私は漫画の内容や広告の絵自体は問題がないと思う。ただ、「月曜日に新入社員に元気出して欲しい」というメッセージからは、
新入社員を善意でキャバクラに連れて行く上司のような男性社会的なものを感じてしまうし、
こういう意図がない社会の方が私にとって生きやすいし、夫にとっても当然そうだと共感されると思っていた
が、違った
今回も「この絵のどこがいけないの?性的じゃないし、問題ない。」からはじまり「性的だと言う方が性的なことを考えている」「編集部もおっぱい見て元気出してなんて言ってないじゃん、考えすぎ」「この広告は女性差別ではないし、社会が男性社会なのは仕方がない」「社会は変わらないのに正しくないと論じる方が無駄」などなど
「規制するほどじゃない」と夫がいう。「すぐになんでも規制して欲しいわけじゃない。問題があると認識してほしい」「問題があるのに規制はいらない、というのは筋が通らない。この絵に問題はない。だから規制する必要はない、しか結論はない」「だから絵が問題なんじゃなくって」「何が問題なのかわからない」「わからないじゃなくて、問題がないか自分でも考えてみて欲しい」「そっちが問題だと言ってきたのに?」
ただただお互い消耗した。どうして日本語が通じないの、と夫は思っている。私は私で、なんでネットの不毛な争いを家でやらないといけないの、わかってよ。と思ってる。大体口喧嘩じゃ私の方が分が悪い。酒も入ってるし。
男性は女子高生の「たわわ」が好きという決めつけは男性に対してのセクハラではないのか、というようなことや
男性もこの広告意図が肯定出されるような社会では生きづらいのではないか、とか
というか、寄り添われるのを頑なに拒否する
根気強く聞いたところ
自分の加害性に向き合いたくないし
深く論争すると、どちらの面も再確認することになる
だから「ネットのジェンダー論争の話をするだけで傷つく」らしいことがわかった
子供の頃から楽しんでいた漫画がある日突然「こういう表現はいけないことです」と言われても、じゃあそれを「子供の頃から楽しんでいた」自分は反社会的な人物なのか?となってしまう
夫、傷ついていたんだ。知らなかった。
サイゼ論争も傷ついていたらしい。サイゼが好きだから、心情的にはサイゼを馬鹿にする女を否定する側かと思うけれど、それをやってもなぜか傷つく。だから話自体をしたくない。と。
夫は、夫の生きづらさやしんどさを表現する言葉を持ってない。私は夫の生きづらさやしんどさに寄り添いたいけど、そもそも夫は生きづらさやしんどさを認めたくない。私にも私の生きづらさの話をされたくない。
正直、喧嘩の最中はこの先もこの人と夫婦でいられるのだろうかと考えた
どうしてもわかって欲しかった
「月曜日に新入社員元気出してほしくて」って言ってたわわな女子高生の絵を広告に使うことで私が男性社会を感じてしんどくなったことを。共感の言葉だけで私の生きづらさが軽減されるのに、と。
だけど、夫を傷つけたくないし、私も傷つきたくない
触れないことが良い、と夫は言う
ジェンダー論争はお互い傷つくだけだと
twitterやはてなを見ない、見てもフェミニストのいうことに感化されない、夫に同意や共感を求めない
夫の言う通り、触れないことがいいのかな
…今は苦しんでないかもしれないけど、
ネットを見て自分を被害者だと定義することで辛くなっているだけでネットを見なければ辛くなくなる?
夫とも喧嘩したくないし、はてなーとも喧嘩したくないし、twitterの人々とも喧嘩したくない
論争したいんじゃない、寄り添いあいたいんだ
でも相手はそれを望んでない
どうすればいいのか知りたい。
ジェンダー論以外は趣味も価値観も合う仲良し夫婦です。ふたりともサイゼも好きだしお高いレストランも好きだし。って書かなきゃ喧嘩ばっかりしてそうに思うか。ほんとジェンダー論だけどうしてもダメ。つら。
どちらにも良い・悪い部分があるというのは分かったうえでの個人の感想。
アニメで一番の損失だと思うのはコンテンツの消費速度を製作者側が設定するということ。
もちろんアニメだけではないが、映像作品というのはほぼ全てが「常識的な範囲」内ともいえるような速度感のもとに製作されている。
そして制作者側が何を物差しにそれを決定するかというと、バリアフリー等色々な基準もあって
全消費者の消費速度の中央値・平均値というよりもやや「速度が遅い人」に寄せたものになっていたりする。
若干聞き取れない程早口な人物は「若干聞き取れないほど早口な人物」として意味づけされた時だけ登場を許されるのであって、
若干聞き取れない程早口な人しかいないコミュニティの速度感に合わせて作品が製作されるようなことは無い。
だから、「会話パートは倍速再生のほうが頭の中のスピード感と合う」という人も多いのでは。
自分の場合、動体視力が一般より劣っているのだと思うけど、戦闘パートなんかは逆に速すぎる気がしてもう少しじっくり観たいと思ったりする。
小説や漫画の場合、コンテンツの消費速度は読者のスピード感に任されている、というかそもそも速度が設定されていないのでそのあたりを委ねてくれる自由さがある。
会話パートは普段の会話を聴くように、戦闘パートは手に汗握りながら一字一句を咀嚼するように消費するということがごくごく普通にできてしまう。
増田では珍しく色んな人が投稿している(私物化されていない)カテゴリーで、自分も時おり利用している。
他の人も使うカテゴリーだからなのか、なんとなく自分が書く場合はルールを設けていて、用語解説サイトや辞書サイトとは差別化して書くようにはしている。
例えば、「学んだ言葉」ではなく、あくまで「知った言葉」なので理解と説明はザックリしたものにしている。
言葉の意味だけ書くと辞書サイトのコピぺだし、詳細に書けば用語解説サイトのコピぺになりかねない。
だったらより専門的なサイトで説明されればいいって話になるから。
あと、知った言葉の意味を咀嚼して、これはこういう感じの言葉なんかなっていう独自解釈は挟むけども、そこから持論や自分語りは展開させないようにしている。
自分だけのカテゴリーじゃないし、あくまで主役は「今日知った言葉」だと思うので。
もちろん自分ルールに過ぎないので、他の人が同カテゴリでどう書こうが言及したことはないけども。
夕ご飯を食べてから寝る30分ぐらい前まで、こまごまと何かをつまんでしまう。
家族の健康を気にかけた、それなりにバランスのいい3食をしっかり食べた後に
・みかん2つ
・個包装のチョコ2粒
・フルーツグラノーラをぽりぽり(1/5人前ぐらい?
…いや抑えてる!抑えてるつもりなんだこれでも!!!!
昔は細かったのに、気付けば158cm 54kg。アラフォーだし、そりゃぽっちゃりしてくるわ。
やめられない…空腹なわけでもないのに…酒飲んだわけでもないのに…なぜだ…
癖になってる。どうにかしたい…
「過食っていうか咀嚼でストレス解消しているのかなと思った。」
若い頃、たまにバッキバキに野菜を喰いてえ〜〜!!!ってなってフォルクスに飛び込んで山ほど食べてたんだった。
早速昨日は家族には普通の夕飯を用意し、自分はそれを少しつまみつつ大盛りサラダを食べた。
レタス3枚、もやし1袋、きゅうり1,5本、キムチ100gをごま油少しで和えて一人で食べ切ってしまった。
夫からは「野菜を一度にそんなに食べて大丈夫なの?w」と言われる量。
しかしかなりストレス解消されたのか、夕飯後はなにも食べずにいられた。というかお腹パンパンすぎた。
元々野菜のおかずが大好きだったから、家族のために炭水化物やタンパク質を意識した今の食生活が結構ストレスなのかもしれない(肉も米も食感がバリバリしてないから…)
もしくは気付いてないだけでやっぱり何らかのストレスがあるのかもしれないけど。
そして、ご指摘の通りやっぱり買い置きはよくないね。
チョコやフルグラは子供がメインで食べてるんだけど、少なくともポテチは大人しか食べないからもう買わないことにする。
しかし世の中の中年以降もスリムをキープしてる人ってすごいなあ…体質なのかなあ…(なんかこんなふうに考えるのも含めて年取ったなあ…と思ってしまった。。)
なにはともあれみなさんありがとう!
もちろん複数のケースがあり、思惑がある。少し珍しいのを1つ紹介する。
「撤回」が間に合うか不安で、取り敢えず先に殴って状況をFIXしたいからだ。
まず、馬鹿にされて周りがみんな笑う。そこでやめろとかなんとかわめいても、誰も聞かないかもしれない。そうすると自分は惨めなままだ。
そして、その状況が周りにも認められると「ああ、こいつは酷く馬鹿にされて、滑稽なやつだな」となる。バカにして面白いのは滑稽なやつなので、次のあげつらいも甘んじて受けることになる。
内容が「言葉の暴力」というほど酷くないかもしれない。でも言い放たれた状況によっては、観衆が全員敵になるかもしれないという強い危機感が引き起こされる。
あるいは、相手の言った言葉が、観客たちに十分に咀嚼され、現実と見なされてしまうといった恐怖が。
どうやって打開する?色々あるが手っ取り早いのがビンタだ。別に手間をかけたくない訳じゃない。奴らの脳みそに自分へのイジメ指向性が芽生える前に、目を醒ましてやらなきゃいけないんだ。瞬きよりも早いほうがいい。
今年の1月にここで、『指定難病を発症した』というタイトルで日記を書きました。
病気に対する知識もない中で、それまで特に大きな病気も無く暮らしてきて急に難病を発症して気持ちが沈んでいて、
当時は片方の瞼が閉じる、上がった時に物がズレて見える。
その後腕が上がらない、首の筋肉が疲れて頭が支えきれない。
上記の状態で肩の凝り、嚥下も少し弱くなり、声も出しづらく、裏声みたいになっていきました。
色々検査をしていく中で胸腺の腫瘍があることが分かって少し大きめなので、開胸手術が必要となりました。
手術を受けるには重症筋無力症の症状がある状態では出来ないので、1ヶ月弱の入院をしていました。
献血ヴェノグロブリンという血液製剤の点滴を5日間で1セットを2回、免疫抑制剤やステロイドの投薬も始まりました。
副作用もあるので、心配はありますが、おかげで症状がほとんどない状態になりました。
目の症状もないので車にも乗れました。
いつまで効果が続くか分かりませんが、前みたいに見える、腕が上がる。食事中に顎が疲れる事も、嚥下の不安もない
人と話す事も気にしないで出来る事が嬉しいです。
献血ヴェノグロブリンという名前から分かる通り、この血液製剤は献血の血液から作られている事を知りました。
自分も献血をしてきましたが、自己満足みたいなものでした。 飲み物やお菓子も貰えるし。
ただ、1回目にこの点滴を終えた後に効果がはっきりと出たので本当に嬉しかった。
コロナ過もあって、全国の献血の状況はひっ迫していると知りました。
そんな中でも献血をしてくれる方がいるおかげで、点滴を受ける事が出来ました。
ゼレンスキー広報チームの役割は各国世論をウクライナ大正義モードにし、ウ国への全力支援を引き出すことである。
1、日本人は日本固有のものを褒めそやかしてくれる外国人が大好き。すぐ好きになっちゃう。
2、北方領土、シベリア抑留、ポツダム宣言受諾後にも続けられた満州侵攻、ヒロシマ・ナガサキ(反核)、日露戦争の話題が通じるのはtwitter右翼とtwitter左翼、つまりごく少数だけで本当のところ全年代が興味ない。
3、英国におけるチャーチル演説、米国における真珠湾攻撃や911のようなナラティブがもう日本にはないので戦意発揚プロパガンダのネタがない
4、とはいえこれまでの各国演説どおり歴史をひくしかできない。「令和」を元に平安古典とかを持ってくる案もあったが、そんな古典に馴染んでいる日本人もやっぱりゼロ説
5、平家物語とか方丈記とかは英国におけるシェイクスピアレベルでみんな知ってるぽいけど、逆にウクライナ人的にああいうオリエンタルな文学性はちゃんと咀嚼ができないんでこっち系をネタにするのリスク高い
7、ていうかさ、冷静に考えれば日本をどうこうしたところでたいして役に立たないし、ウロ戦争において欧米は全く日本の挙動に興味を持ってないし、日本演説にはチームのリソースは割かずに適当に日本の反戦反核意識を褒めて消化試合で済まして、やっぱ欧米向けプロパガンダがんばろ (いまここ)
ごく手軽に日本世論を完全にウクライナ一色に染めつつ(これはあんま重要じゃない)、ごく手軽に欧米世論操作にも超高い効果をもつ(これが重要)もので、しかし日本相手にしか使えない大ネタがある。
日本は欧米から注目されていない、つまり重要な相手じゃない(そもそも欧米は英米独仏以外に興味ないので日本で演説することは欧米では全く報道されてない)からこそ新機軸をぶっ込んでも許される。変化球投げても許される。
締めにこれを入れればいい。
「WE Ukraine need your ''GENKI''.
We ask you JAPANESE people all that,
NIPPON NO MINNA, ORA TACHI NI TCHOTTO DAKE GENKI WO WAKETE KURE.
Let's make "GENKI-DAMA" together.
これです。
でこの演説のあとに両腕を上げて見上げている元気玉ポーズのゼ大統領の写真をtwitter他の公式アカウントに投稿しましょう。
日本が全世代的にナラティブを持っていつつ海外に絶大な影響を持てているものは現実的には悲しいかな漫画とアニメだけで、
使いやすさ、浸透レベル、年齢層から鑑みるとドラゴンボールが最強です。
snsシェア最強ネタだし、中国人にもインド人にもイスラエル人にも効きます。
もちろん日本のニュースメディアとワイドショーはまる一週間リピートしまくります。
キャプテンウクライナのミームとかはゼ広報チームも最初はノって後押ししてたけど流石に英雄崇拝アプローチは自分の首を締めかねない危ういものって自己評価を更新してきたところ。
ここにきて"GENKI-DAMA"は一人の英雄ではなく連帯の象徴というミーム修正になるし、両手を挙げた写真をシェアするだけでウクライナ連帯表明になるっつってバエバエである。
侵略者フリーザとか、平和を脅かす独裁者セルとか、そのあたりまで寄せてこようとしたらディティールをミスると逆に世界中のOTAKU MONSTERに叩かれるので元気玉くらいでいいと思う。