はてなキーワード: 咀嚼とは
自戒を込めて、ここに告げる。
諸君、全てを疑おう。
それも、つとめてしずかに疑うのだ。
もちろん全てというからには私のことも含まれるのだから、さきの主張を諸君おのおのが咀嚼して頂けるなら、これよりの弁は蛇足である。
私たちは知らずに決めつけている。
私たちは知らずに騙されている。
さらには、私たちはどれほど知ろうにもなお、知らぬことばかりである。
だからせめて、全てを、徹底して、まばたきに類する生理現象のように疑うべきである。
騙されている、決めつけている自分を疑え。
そこいらにある境界を疑え。
全ては疑うことから始まる。
ひとまずは、肉体的な死というものを迎えるまで疑い続けるのである。
私含め諸君、みながみな、当たり前に疑い続ければどうなるか?
世界がそういう前提のもとで成り立っていたら?
そうしてみながみな、ふとまばたきを意識するように、自らの疑うことすら疑えたら。
諸君、全てを疑おう。
つとめて、しずかに。
これは何のために反論する話をしてる?石丸をみんなに好きになってもらいとか、良く知ってもらいたいとかのモチベーションがあるなら行動するべきで話をしてんのかな。
だいたいそんな感じだけどちょっと違うかな。増田は石丸に対して
と書いてるんだよね?
俺だったらだけど、どの政治家にせよその人のこと知らないことが多すぎて、良いか悪いかなんてそんな簡単に判断できんのだけど、はてブコメントはみんな良いか悪いかをぱっと言えるなんて(というか誰に対してもだいたい悪いコメントしかみないが)、自分の考えまとまってんだなーと思う。
これも増田流の皮肉で、要するに増田は「批判的なコメントしてる人は(石丸を)良く知りもしないのに印象だけで悪く言ってる」と思ってるということでしょ?
俺が全部見てないだけで、増田の言うようなアンチコメント(一応言っておくと批判的なコメントとアンチコメントは違うんですよ)もあるのかもしれないし、そういうコメントは確かに無視したらいいと思うよ。
でも石丸の具体的な行動や過去の発言を引き合いに出して批判してるコメントもあるでしょ。増田はそれについて何も思わない?というか石丸に何も問題はないと思ってる?
そうでなくて、一応増田も「石丸にはいいところと悪いところがあるけど総合的に見て『良いな好きだな』 と判断してる」と仮定した上での話ですが、増田が思う『良いな好きだな』 と思うところを書いた方がよくない?( 「反論コメント」にはなってないかもね。その点はゴメンね)
そうしないと増田も「アンチコメントに対してアンチコメントしてるだけ」ということになりませんか?
石丸に対して批判的な意見をみてないなら「受け入れられないことを否定してシャットアウト」してることになりませんか?
政治家として良し悪しなんて人それぞれの考えや背景あってのことで、それぞれを認めるべきだよね。色々な人のロジックを知りたいからはてブのコメントは読んでるが偏ってる人が多いなーと感じたって話。自分の考え作るときって色んな人の意見を聞いて、色んな角度から物事みて、自分のなりに咀嚼して自分の意見として考え作るものだと思うけど、まじで何食べたんって思う。
それとも石丸に関しては「興味ある人を掘り下げ調べて良いな好きだなと話」してるの?
こっちで話してる。たまたまだけど以前からキャッチアップしてたのでそれなりに時間は使ってる。
これは何のために反論する話をしてる?石丸をみんなに好きになってもらいとか、良く知ってもらいたいとかのモチベーションがあるなら行動するべきで話をしてんのかな。
政治家として良し悪しなんて人それぞれの考えや背景あってのことで、それぞれを認めるべきだよね。色々な人のロジックを知りたいからはてブのコメントは読んでるが偏ってる人が多いなーと感じたって話。自分の考え作るときって色んな人の意見を聞いて、色んな角度から物事みて、自分のなりに咀嚼して自分の意見として考え作るものだと思うけど、まじで何食べたんって思う。
「ひと口30回噛んで、美味しく楽しく頂きましょう」と学校で聞いたことがある人が多いと思うのだが、結構過酷じゃないか?言ってることが。ひと口30回噛む、ということがどれだけ難易度が高いことか。
適量の白米を箸で取り、口の中に入れて、ひと噛み、ふた噛みと噛み進めていく。すると、ご噛みほどで「ちょっと嚥下させろ!!嚥下嚥下嚥下!!!」と本能が暴れ出してしまう。「ひと口30回」を実現するには、本能を何とかして抑え込まなければならない。しかし無理に抑え込むと食物が逆流し、「うぷっ」となってしまう可能性がある。これは避けたい。
そうとなれば、やはり高速咀嚼ではないだろうか。1秒間に何度も咀嚼をし、本能が暴れ出す前に30回のノルマを達成するのだ。やはりこれしかないだろう。これならば、確実にノルマも達成できるし、食物の逆流も防げるし一石二鳥である。
これで「ひと口30回噛んで美味しく頂きましょう」は達成できた。しかし、「楽しい」かと言われると、それはどうなんだろうか。高速咀嚼に意識が集中しすぎて、楽しくはないんじゃないか?食事において「楽しい」とは、「触覚、味覚、嗅覚、視覚(聴覚)を活用して、目の前の食べ物を味わうことに意識を使うこと」だとしたら、高速咀嚼は「目の前の食べ物を噛むことに意識を使うこと」だ。うーん、たぶん、楽しくない。それはただひたすら噛んでいるだけだもんな。味は分かるけど、ゆっくり食べるより味が薄く感じそうだ。
ラブライブやキズナアイみたいな半架空・半実在の芸能活動家がすでに成し遂げてきた道の延長にある感覚だな
そして同じようなリアルタイムでの成功物語の並走感覚はべつにVtuberでなくとも運営型の覇権ゲームとかでも体験できる
そうしたものと比べると個人を核として展開されるアイドル系芸能の「伏線」のたぐいは割とファン以外には響かない幼稚かつ私的な相互グルーミング主体のパフォーマンスにすぎない
そのことが気になりはじめたあたりでだんだんと疎遠になっていくものだ
もちろん熱中しているうちはその幼稚さを受け入れられるくらいの愛着があるものだし褒めそやしもお約束的なものとして咀嚼できるのだが
よりスケールのデカい立派なことをやっているオタクコンテンツを見つけると色褪せて見えてしまうという寸法
アイドル系というのはその規模ゆえにファン商売に終始せざるを得ない構造から抜け出せず(その閉じコン感を打破するために○○大使だの社会的権威側に進出しようとはするが)
そもそもの話として、ソシャゲって「物語として高いレベルのクオリティを目指す意味」なんてものあるの?
自分はゲーマーなんだけど、ソシャゲが「ゲーム」であると思ったことが過去に一度もない。優れた暇つぶしではあると思うけれど、その暇つぶしがゲームである必要、ある?ないっしょ。ラノベである意味もアニメである意味も小説である意味も、おそらくない。ソシャゲって劣化ラノベと劣化マンガと劣化ゲーム?の間の子で脳死で時間潰せれば良いもので、実際需要としてもそう言う需要に合致して消費されてるんじゃないのかな。ユーザーの多くはそこまで本気の何かを求めてないよ。
マンガでも小説でもゲームでもアニメでもなんでもそうだけど、本気で気合の入った、そのメディアの粋みたいな作品って需要にも咀嚼にもそれなりに負荷とかカロリーかかるものだよ。ソシャゲが本気でそう言うクオリティのナニカをめざしたら、仕事帰りの気力マイナスで電車の中でポチポチとか、できなくなっちゃう。
ソシャゲのシナリオの価値って、ユーザーの暇つぶしを妨げない、「クオリティの低さに苛つかない」くらいがちょうどいいと思う。んでもって昨今言うところの「シナリオが良い」ってのは、言葉通りの「良い」ではなくて、やっと「クオリティ低すぎて苛つく」「ユーザー舐めてるような取ってつけ素人仕事」じゃなくなった、足を引っ張らなくなった、ってだけの話だと思うよ。
美味しいものを食べた時、見た時に唾液が出るのは正常なことだ。
しかし最近の増田は、口から唾液がピュッ!と飛び出てしまうことがある。
初めて起こった時はなんだか分からなかった。
家の中だったし、ひとりだったし。
食べようとしたら、ピュッ!と液体が手にかかって、「何?!雨?」となった。
何回か経験して、「これは唾液だ」と気付いた。
食べ物を咀嚼している時、口を開けた隙間から、ピュッ!と漏れ出たこともある。
食べる前にも、口を開けたら、ピュッ!と出てびっくりすることもある。
昔から唾液が多いと歯医者さんにも言われていたし、自覚もある。
あとは老化のせいもあるだろう。口元がゆるくなったかもしれない。
他人に見られたら恥ずかしいので、気を付けたいが、生理現象というか反射のようなものなので困るピュッ
でも唾液が多いとちんすこうとか水分少ないもの食べる時も美味しく食べられるし、他にもいろいろ都合が良いので(ちんこすうときとか)、お口のケアはちゃんとしていきたいピュッ
「上司として接しなくて良いよ」と部下に言うだけ
所詮は中間管理職の中のぺーぺーなのでお前らと一緒だとちゃんと伝えればいい(実際にそうだし)
評価するのも自分じゃ無いし、ただの時間管理してるだけの雑用係
偉い人扱いしなくていいからね、と伝えて同僚と同じように接して貰う
あと、割といい加減に仕事しておいて、ミスしてたら「ごめん!間違えてたわ!」って言っとく
そうすると上司として接してくれなくなるし、変な忖度なくなるので便利
これだけでチームはちゃんとまとまるしミーティングでギスギスすることもかなり減る
ちなみにこういうミスにつけ込んでマウント取ろうとするような奴は仕事できないからさっさと別のチームに押し付けた方が良い
基本的には「自分でやれ」のスタンスで良いし、できないことは「やるな」で良い
そんで責任だけは取ってやれば良い
失敗したら上司に「すいません、自分の指示が良く無かったです」って言っとけばいい
「ガチャ失敗かー、次がんばろ」
ぐらいの精神じゃないとやっていけない
そのときも「この部下はダメ」って思うんじゃ無くて「この部下には向いてない」の精神が大切
同僚もしくは先輩・後輩として接してきたのと同じように接すればいいだけだし
過度に接する必要は無くてメンタルやられ始めたら「産業医に行け」で終わり
人間として同僚が体調崩してたら「大丈夫か!」って病院付き添いぐらいまではするかもしれんけど
「忙しくて無理でーす」
で不参加すると、本当に必要な会議はリスケしてでも呼ばれ続けるけれど
そうでもない会議は呼ばれなくなる
リモート会議の場合はとりあえず音声だけ流して無視すればよくて
たまーに呼ばれたら「すいません、ちょっと別件で電話してて、もう一度説明お願い出来ますか・・・?」で良い
そもそも大半の会議は必要ないので出なくても全く問題無い(JTCはマジでコレが多い)
上からの方針を下が理解できないのは上の人の説明が悪いか下の人の理解力が無いだけ
上部組織の方針を咀嚼して自チームの方針を決めなければいけないなら自分が頑張ればいいだけだし
その時に上の方針を理解できないのは自分が悪いし、下の人が理解できてないなら自分の説明が悪い
他責にするところと自責にするところを明確にすればそんなに悩まない
年に1回飲みに行く高校の同期は居るし
7年勤めた会社が斜陽気味で、昇給も昇格もなさそうだったので、30代になる前、コロナ禍を機に思い切って転職。結果、運も味方して晴れて昨年からいわゆる中間管理職的なポジションになった。
しばらくは少し上がった給与を無邪気に喜んでいたが、ここ最近はしんどさや孤独感が強い。
ざっくばらんに書くと
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・同じ職位だった人たちと、今までのように話せなくなった…上司として接されることに慣れない
・今までフォローされる側だったが、フォローする側になったので、部下の仕事やメンタルのケアを行うための仕事が増加
・メンタル以外も、健康問題、上の方針の文句などガス抜きや対応が必要なこと多数
・上位レイヤーが説明不足なので、その橋渡しをするために色々奔走
・方針決定や判断を求められる仕事が増えたので、具体的な成果が見えづらい
・上から降ってくる方針が抽象的すぎるので、それの咀嚼と具体化と認識合わせからのメンバーへの指示と、やることが多い
・ひとつ下の職位も頑張ってくれているものの、それらの取りまとめしつつ、足りてないところのフォローをやる必要がある
・けど人手不足なので、平だったころのタスクはそんなに減ってない
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という感じ。
中途採用なので同期なし。会社のマネジメント研修は制度説明ばかり。上司からのフィードバック薄め。愚痴の一つもこぼしたいがそれも難しい…。部下に愚痴るわけにもいかんし、上司は忙しいし、社外の友人はそう何度も会える訳ではないし…。
幸い、先日行われたリーダーシップサーベイでは、部下の人たちからの評価は高かったし、部下には恵まれていると思うが…この形、続けられるのだろうか。しんどさと共にボロがでそう。更に、手本がないので、もっといいやり方があるのでは、と日々悩んでいる。自分がして欲しいこととか、フィクションの見よう見まねとか色々やってはいるが…。
喉の奥の方にここしばらくモヤモヤとした、鬱屈とした淀みが溜まりつつあって、発散できずにいる。趣味はあるし、それはそれで楽しいが、むしろしんどさ故その楽しさから脱した時が辛い。感覚的には一時凌ぎ。
中間管理職は大変、と言われる昨今、他の人と比べると楽な可能性もあるが…わからん、全くわからん。「こんなん甘い甘い」ってことならごめんなさい…精進します…。
多分、元々大きめな承認欲急も悪さしてるかも?大なり小なり「頑張っている」とか「よくやっている」と言われたいのか?ダメならダメで、やはりフィードバックが欲しい…。
世の中の中間管理職は、果たしてどうやってこれを乗り切ったり、ガス抜きしたりしているのだろうか?(承認欲求に関しては自分の性質だとして…)
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[追記]
いつのまにかすごいことに…想像以上に反響があってビビり散らかしています。こんな雑多な愚痴にコメントありがとうございます。
共感やアドバイスなど、どれもこれも自分にとっては為になるコメントで、読んでて心があたたかくなりました。また、色々と足りていないこと含め、気づきも多くありました。
何にしても、もらったアドバイスは可能な範囲で実行してみます。気構えは心の内に。何より、久しぶりにきちんと褒めてもらえて、澱みがマシになりました。ありがとうございました。
(途中で切れてたので、続きはこっち https://anond.hatelabo.jp/20241017030144 )
(コメントへのかいつまんだ返信はこっち https://anond.hatelabo.jp/20241021145456 )
…と、見出しは引きの良さで付けてしまったが、我々が体験した体外受精(保険適用)、更に男性不妊という状況での妊娠・出産について、教訓の多い体験だったので、経緯をちゃんと残しておきたいと思った。
本音としては「こんな面白い体験、文字にして残しておくしかないだろ!」という面が強い。
特に、不妊治療において男性側と女性側両方を体験した事例はそんなに多くないと思う。
結果としては、精子はいたし妊娠もできたし、先日無事出産したので、めちゃくちゃ不幸な話を期待した人がいたらごめん。
この経験を書き残すことで、体外受精や高齢での不妊治療・男性不妊の現実的なところ、また費用面の不安を感じている人に、それらの不安を少しでも現実に昇華できればいいなと願う。
不安は「よく分からない」が原因の面が大きいと思っているし、そしてたぶん「思っているよりは」費用はかからない
むしろ、妻に関しては妊娠・出産に関して出ていくお金と入ってくるお金がトントンに近かったので、「最高の不妊治療を受けて実質無料で子供を作った」と言ってもいいくらい。
何より、実際やってみて我々は夫婦ともに「不妊治療やるなら体外受精(特に顕微授精)一択」と感じている。
インターネット上には不妊治療や高齢出産に対してネガティブ寄り(というか慎重論というか)の意見が多いように感じるので、たまにはポジティブ寄りな意見があってもいいんじゃないかな。
もちろん、若いうちに子供を作れたら理想ではあるけれど、40過ぎてチャレンジしたって罰が当たるようなものではないのだ。
本筋含め長いエントリだけど、興味のある人は付き合ってくれれば幸い。
※ワードとしての伝わりやすさからここまでは「体外受精」と書いたが、実際は顕微授精なので以下は「顕微授精」統一で書いていく
=====
詳細は後述するが、夫婦(私は40、妻は41)で不妊治療を始め、最初から体外受精、それも顕微受精(精子と卵子を別個に採取し、人工的に受精、培養させる方法)を選択した。
顕微受精となると、一度の採卵で母体から何個も卵子を取り出す(別途採取した精子と受精させ、ちゃんと分裂始まった卵子のみを冷凍ストックする)ので、排卵誘発剤の自宅注射を2日に1度くらいのペースですることになる。
「Falloutみたいだ!」「今日もヤク入れるよ!」と二人で笑いながら自宅で注射をしていた。
(Falloutのスティムパックのように、針を腹に刺して薬剤を注入する方式なのだ)
採卵日間近になると、今度は貯まった卵子が出てこないよう、点鼻薬による排卵抑制剤の投与が始まる。
妻は前日22時以降禁食、当日朝は水しか飲めない。
妻は座薬(痛み止め)を入れ、施術着に着替え、採卵の待機を…といったところで、私に医院から呼び出しがかかる。
一抹の不安を感じつつ、再度提出。
どうやら、精液の中に私の精子が一切出ていないらしい。
「少ない」とか「元気がない」なら年齢的に覚悟していたが、掛け値なしのゼロとなるとショック度が違う。
医院の先生が、ちょっと歯切れの悪い、バツが悪そうな言い方をしていたのが印象に残っている。
ということで、ここまで妻が色々頑張ってくれた経緯は全て無駄となり、その日の採卵は中止となる。
先生曰く、「ウチではこれが一時的なものか先天的なものか判断ができない」と。
通っていたところの系列医院なら男性不妊も対応できるというので、その日のうちに速攻で仮予約の連絡を入れた。
ただ、その日は土曜日。
この2日間はなんだかすごく長かった気がする。
恥ずかしながら、今まで「自分の精子が出ていない」ということを疑う機会・症状などなかったので、かなり頭が混乱した。
今までは、年齢とか仕事とかお互いのストレスとか、子供を作らない(作れない)原因は色々あると思っていたのが、不妊治療を始めて一気に100 : 0になってしまったのだ。
精子が出ないなら出ないでいい。
そもそもが高齢だし、もう子供ができる可能性がゼロならば、それはそれで諦めがつくのだ。
ただ、何もかもハッキリしないのがひたすら怖い。
月曜に医院からの返信が来たときは、まだ何も始まっていないのにすごく安心した。
学生時代(大学が女子9割の学部だった)を思い出し、懐かしいと思うなどする。
先生は後述する「この医院らしい」先生で、現実的なことを淡々と包み隠さず話してくれ、安心感があった。
1 : 主な一つは精子の通り道が何らかの原因(性病や各種炎症の後遺症など)で詰まる機能不妊
2 : 主なもう一つは先天的に睾丸の機能が弱く、精子の作成能力が低い遺伝的な不妊
3 : あとはストレスやホルモン異常による一時的な精子減少などなど
2~3週かけて何度か採精し、毎度精子ゼロだったため、3の可能性はほぼなくなった。
ということは、可能性は1か2。
併せて行ったエコー診断や採血、染色体検査を見て、先生的には「データと診断の限りはどこを見ても健康体で、健康な精子がいる可能性が高い」とのこと。
染色体に異常がないので、精子が採れた場合、障がい児が生まれる可能性も下がるらしい(結果を聞いて、思っていたより安心感強かったので、子を望む人は染色体検査やった方がいいと思う。
そして、この「おそらくいるであろう精子」を取り出すには、手術の必要がある。
つまり、「睾丸を開いてみないと実際いるかどうか分からない(開いてから取り出す方法を決める)」ということだ。
ちなみに、症状が1なら高確率で妊娠可能精子が採れ、2だったら30%とからしい。
まさか人生初の手術が「精子を取り出す」になるとは思わなかった。
前日は22時以降禁食、当日も朝から厳密な制限を経て、朝早くから通院。
次の瞬間に手術が終わっていた。
ビックリするくらいあっけない。
ソ連のSF映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」を思い出した。
(分かる人だけ感覚を分かってほしい
結果からすると、精子はいたし(前述の状態でいう1)、数値を見る限り年齢なりの衰えはあるっぽいが、先生曰く「健康な精子いっぱい採れました」とのことなので、顕微受精に支障が出るようなものではないようだった。
もし使い切ったら、もう一度同じ手術をすることになる。
(ちなみに、冷凍精子は原則として婚姻関係又は事実婚の相手にしか使えない)
ちなみに、切開したのは1~2cmほど。
いわゆる「金的を蹴られたような痛み」が、その後1週間は続いたことも記しておく。
結構痛くて寝るのに支障があった。
事前に「まあほぼほぼ大丈夫でしょう」と言われていたので、喜びや安堵はそこまで大きいものでもなかったが、「ハードルを1つ越えた」実感があった。
術後、なんとなく興味本位で「精子を取り出す」以外の選択肢(例えば元のように精子が精液に混ざって出てくるようになる術とか)があるのか聞いてみた。
先生曰く「かつては詰まった精子の管をバイパスする手術があった」らしい。
ただ、術式的に「精子だけ取り出す」より難易度が高く、ニーズも低いため今は殆ど行われていないとのこと。
まあ、精子が再度出るようになって得するケースは確かに少なそうだと思った。
改めて我々のスペックは以下の感じ。
不妊治療の保険適用は43歳(になる前日)までなのと、私の本厄を目の前にしての治療開始なのが、なかなかヘヴィなところ。
現代で似たような年齢・タイミングで高齢出産を考える人は結構多いんじゃないか。
前述のとおり精子は手術で取り出して凍結済。
そこからのざっくり経緯としては、
・生理周期に合わせての採卵2回(男性不妊発覚で中止した回は除外)
・着床試行回数1回
最終的に採れた卵子が2回合わせて10個くらい(中止した初回を入れれば15くらい?
若い人は1回に20~30個採れる人もいるらしいので、ここはやはり年齢が出るところなのかもしれない。
ちなみに1回目の採卵で採った卵子は全滅(受精させても細胞分裂が始まらなかった。
単純計算で妊娠に適した卵子が出る確率が40%、妊娠まで到達した卵子が20%。
これを自然妊娠(タイミング法含む)でやろうとしたら更に確率が下がるのは想像に難くないので、この時点で既に、我々の年齢で自然妊娠は相当に難易度が高いというのが分かる。
そもそも、「卵子に精子を注射針で直接ぶち込む」という超・直接的な手法をもってしても妊娠に至らないケースがあるんだと驚いた(成功率は我々で50%。
とはいえ、そんな状況でも通院開始から男性不妊の治療を経て、妊娠判定まで半年ちょっとなので、我々は総合的に比較的運がいい方だったんだとは自覚している。
妊娠判定時で妻42歳、私は41歳になる直前。
後から考えると、
・病院選び
あたりが妊娠成功率を上げるポイントなんだと思ったので、それぞれの感想とか以下に書いていく。
勿論だけど、顕微受精は採卵時の母体への負荷があるので、母体が許すなら、という条件は付くが、何度も書くけど我々は「それでも顕微授精が最も良い」と感じている。
また、後述するが「思っているよりは」お金はかからない(金額について知りたい人は飛ばしてほしい。
なんとなくぼんやり「子供欲しいよね」くらいの気持ちで、不妊治療が保険適用になったことだし、そろそろ…と思いつつ、不妊治療自体には少し二の足を踏む。
…と、これ自体は我々含めよくあるケースだと思うけれど、やってみて分かる二の足を踏むには事情がある。
みんな実際ちょっとGoogleマップとかで「不妊治療」で調べてみてほしい。
我々の場合(都内在住)、一番近所の不妊治療クリニックが「魂のこもった~」とかなんかラーメン屋みたいなこと書いてあり、この時点で結構キツい。
それ以外も「不妊治療専門の鍼灸院」というよく分からないトコがあったり、口コミで医師への愚痴が延々書いてあったり、「子供」というある種神聖なものを取り扱うからか、とにかく情報のノイズが多い!しかも口コミでみんな専門用語使うから、ふわっと興味で調べてみた勢は口コミ勢の知識マウントでだいぶ気持ちが挫かれる(それだけみんな真剣なんだとは理解するが。
そのうえ、病院ではよくあることだけど、どこも口コミ評価が1か5に完全に二分している。
特に不妊治療ともなれば、子供ができたら高評価になるだろうし、できなかったら低評価になるだろうことそれ自体は分かるが、手探りでこれら情報のノイズを潜り抜けて「ここにしよう」と思える場所を決められる人はそんなにいないんじゃないか。
私の場合は、調べ始めた一発目が明らかに相性悪めな「魂のこもった」ラーメン医院だったので、だいぶ「これは大変だ…」と思ったのをよく覚えている。
そんな折、知人女性とたまたまXで話してお茶することになり、話の流れで不妊治療の話題になった(相手は顕微受精で子供を産んでいる。
曰く、
実際に転院をしている人の意見は心強い。
この知人はハッキリとデータで話す人を好むタイプなので、そんな人が「自分に合っている」と感じた医院なら、前述のラーメン医院みたいな要素が薄そうでいいな、と思い、後日妻と相談の上、同じ医院を受診。
なんだかすごいエレガントな門構えの高級感ある医院だった。
少し遠いので、私が毎回車で送迎することにした。
結果から言うと、我々が選択した医院は目的への最短経路を選ぶ傾向があって良いと思った。
初診時の説明は、ふんわりとした要約ではあるが、
「あなたたち、その年齢で顕微授精以外の選択肢があると思ってるの?」
当初、顕微受精を大前提とした説明が始まったので、「我々は知識がない、他の方法はどんなのがあるのか?」と割り込んで質問したところで、↑の回答。
一応他の方法も形だけの説明はしてくれたが、提示されたデータからは、現実的に「顕微受精(保険適用)+随時先進医療」以外の選択肢がなさそうなのは明らかだった(結果として、それが一番二人のストレスが少なく、かつ費用的に安くなりそうだとも。
「成功率の高い妊娠を最速且つ確実にさせる」「その際、女性のキャリアを極力邪魔しない」ことを是としたような医院で、さすが都心、オフィス街ど真ん中にある医院だと思う。
加えて、医院の「ウチは高いですよ」オーラによるのか、客層がいい(こういう書き方をすると角が立つとは承知しているが。
客側に理解力があるので、ギスギスもしていないし、医師も相手が咀嚼できることを前提にハッキリ説明してくれる。
年齢による態度の変化もないし、100%の確約もしないし、変な励ましも空約束もしない(確率の低いことは隠さず低いと言ってくれる。
予約した時間に行ったら、30分以内には何がしかのアクション(診察・採血等)が起こる。
私見にはなるが、この医院は「魂」とか「寄り添う」とかやらなかった。
目の前の患者に対して「結果」への最短距離をデータ準拠で提示する。
人によっては冷淡に映るかもしれないが、我々にとっては初診の時点で「もうここしかないな」と思わせるには十分な明快さだった。
結果として、初診時に顕微受精以外の選択肢を閉じてくれたことで、男性不妊の発覚も早かったとも言える。
ざっくりと妊娠成立までにかかった費用(窓口で支払った費用のみ、交通費など諸経費は入れない)については、
男性不妊治療 : 合計10万円ちょっと(実は男性不妊手術も保険適用)
顕微受精(採卵3回、着床1回) : 50万円くらい
これだけ見ると高いと感じるかもしれないが、ちょっと待って欲しい。
これはあくまで国保・社保のみ適用した場合の金額(自己負担3割+自費治療 + 先進医療)で、実際は様々な要因でここからお金が返ってくる。
まず、上記の内、妻の先進医療分約10万円が、東京都の助成金で7割補填される(上限額あり。
また、我々のケースでは使えなかったが、東京都の助成の上限額を超えた場合は、市区町村の助成金が出るケースもある。
さらに、民間の医療保険で不妊治療(正確には先進医療+日帰り手術)をカバーしているものがあり、それを適用することで妻は30万円くらい保険金が入ったようだ。
私の最終的な負担額は5~6万円程度(民間医療保険+国保の上限制度で多少補填された。
こう考えると、まあまあお金持ちでなくても払えなくはない額に収まっていると思う。
ただ、重ねて書くが、これは我々が比較的運がいい方だったからの金額だ。
もし受精卵のストックが切れるまで着床を試してダメだったら、また採卵→受精→着床のサイクルが始まり、上記の女性側の金額が単純に倍になる。
予期せぬトラブル、流産が起きないとも限らないし、民間医療保険の審査が通らないことだってあるだろう。
治療中の気持ちとしては、最終的に自己負担分50~100万円くらいまでは使う覚悟をしていたし、実際そのくらいの覚悟で臨むのが適正だと思う。
(続き→ https://anond.hatelabo.jp/20241017030144 )
少なくとも東京都
18話の豊先生の扱いは少し気の毒だったな。決定的にギルティと断じれるほどのことはやってないし、むしろ見方によっては善良な言動しかしていないようにも思えるけれども、作中での評価は「だるい」、「うざい」、「キショい」などと散々だった。挙句に「近寄らんで~きしょ~」と生徒に面と向かって言われる始末である。
人情の機微を繊細に描く本作において、豊先生に対する生徒たちの態度は多少ゾンザイにみえる。過剰な言葉を投げかける生徒が諫められることもなく朗らかに去っていく構成は、爽やかな描写に反して後味の悪さを感じた。“豊先生はそんな扱われ方するのも仕方ない”という“含意”がなければ成立しないほど雑な扱われ方だ。その“含意”が何かを考察するなら、これは豊先生が“本作におけるevil”に抵触したからだと思う。
本作における“good”の象徴が伏見さんであることは明らかだろう。けれども作中での伏見さんの活躍は実質的には微妙なものが多い。各エピソードの主役たちは何らかの課題や悩みを抱えているけれども、伏見さんは何か直接的にそれらを解決してくれるわけではない。いや、間接的に貢献しているかすら微妙なときもある。
しかし、それでも伏見さんが“good”の象徴たりえるのは、本作の作品紹介を読めば輪郭が見えてくる。
伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。 今、“自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。
引用の「丁度いい距離感」という所がミソだろう。つまり本作における“good”とは「丁度いい距離感」のこと。逆に言えば「丁度いい距離感ではない」こと、それに類する言動をする者がevilというわけだ。
以上を踏まえると、本作の1話なんて典型的に思える。本エピソードの生徒は中盤、痴漢被害に遭う。これは犯罪という時点で勿論evilではあるのだけれども、「丁度いい距離感ではない」という点においても本作のevilに抵触している。そして被害にあった子に対して、両親たちはデリカシーに欠けた言葉を投げかける。身内関係であるからこその近さ、そこからくる両親なりの慰めの言葉ではあっても、それは当人が求める「丁度いい距離感」からくるものではなかった。
そして遠すぎる場合はevilとまでいわないがgoodともいえないよね、ということも提示する。被害に遭った生徒は自ら犯人を捕まえたため、その勇気を褒めたたえる人もいた。しかし、それは表面上の言動と態度から逆算したもので、行為そのものに対する上澄みの評価だ。痴漢被害者への丁寧な気遣いをする者もいたが、これも紋切型であり寄り添ったものとはいえない。
じゃあ、何て言えばいいの?と思うのだが、当人自身よく分かっていない。当人が本当に悩んでいる核たる部分は、是非善悪とは別のレイヤーにある。しかも極めてプライベートでミクロ的であるため、明確で普遍的な回答がない。だからこそ苦悩の袋小路に入る。
そんな苦悩に対して本作(伏見さん)は「何とも言えない」という選択をした。「何とも言えないこと」に対しての答えが「何とも言えない」というのは逃げというか、そもそも答えになっていない。けれども、その時の生徒にとっては“個”と向き合い「丁度いい距離感」で接してくれた結果、と受け取られた。
豊先生は常にニコニコとしながら、誰にでも分け隔てなく好意的な対応をする善良な教師のようにみえる。けれども、これは誰にでも“いい顔”をしつつ、“個”と向き合わない不誠実な人物……という解釈もできる。つまり「丁度いい距離感」に対して無頓着であるため、“本作におけるevil”に抵触しているわけだ。
作中でのやりとりを挙げるならば、豊先生に好意を持っている生徒が「(背が高い人が豊先生の好みだったら)牛乳を大量に飲まないとなあ」などといった軽口に対して、豊先生は「今のサイズ感が可愛いから、今のままでいいと思うよ」と返す。「(牛乳を飲みすぎて)お腹こわさないようにね」という気遣いも忘れない。その生徒が自身に好意を持っていることを踏まえたうえで軽口に軽口で返した形だ。こんな調子で、豊先生は八方美人の節がある。婚約者がいる立場でありながら、自身に好意を持っている女生徒への対応は軽薄にみえる。知り合いの異性にも当然のようにプレゼントを贈ったりする。
けれども客観的にみて、それらをギルティとするのは決定打にかける。他人の好意に対して毅然とした態度をとらないというのも実際には一長一短で、豊先生個人でどうにかできない範囲も含まれている。豊先生の振る舞いは節々に粘度を感じるよう描写こそされているものの、それでもって悪徳と断じるべきかは疑問が残る。けれども、何度もいうように“本作におけるevil”とは「丁度いい距離感ではない」こと。その点において豊先生が無頓着であることは否定できない。なので生徒に「近寄らんで~きしょ~」と言われ、続けて「大人なんやから ちゃんとしいや~」などといわれる。
面と向かって「きしょ~」とか言ってくる若輩に大人としての在り方を説かれる筋合いはないとは思う。ただ、一応これも先ほど引用した作品紹介文から読解できる。
伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。今、 “自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。
「“自分は大人だ”と思い込んでいる人」とは、つまり「理想的ではない大人」と言い換えられる。
本作における「理想的な大人」の象徴が伏見さんとするならば、その逆のような存在が「理想的ではない大人」といえるだろう。つまり「丁度いい距離感」で私たちと話をしてくれないのはevilだから豊先生はキショいし、「“自分は大人だ”と思い込んでいる人」 だから「ちゃんとしいや~」ってわけである。
最終的に「彼女がいるのに生徒や伏見さんに色目使ってた男」と評された豊先生は「エエ~……」と困惑するしかなかったが、仕方ない。豊先生の扱いは、本作の通底するテーマや価値観からみれば筋は一応通っている。それにしたってどうなんだと思わなくもないけれども、それは私の咀嚼と消化の問題でもあるから片隅に置いとく。
伏見さんが“good”の象徴、理想の大人、メンター的存在でいることができる理由ってなんだろうか。メタ的な推測になるが、まず「学校の用務員」という立場がある。
学生たちにとって、自身の抱える課題や悩みを打ち明けられる大人は少ない。主に両親や教師になってくるが、両親は身内であり近しい存在だからこそ、かえって言えないことや言いにくいこともある。教師はあくまで仕事の一環として生徒と接するというフィルターがあるし、それも一人や二人ではなく数多ある生徒に対応しなければならない。他にもやらなければいけない仕事だって多いから常に全力で応えてくれるかは難しい。
いや、そもそも本作において学生の抱える葛藤は、是非善悪だけでは語りきれないものが多い。そんなことで白黒ハッキリついて解決するのなら悩んでいない。そんな悩みに対して親身になってくれないのは嫌だが、がっぷり四つでも困るのだ。そんな悩みを抱える学生たちにとって丁度いい距離感で接してくれる大人がいたとすれば、それは酷く理想的にうつることだろう。そのために学校の用務員という設定にしたのが絶妙だ。学校にいながら、親や教師が取りこぼしがちな生徒の機微を個別に拾うことができる。心のケアをする必要のない立場だからこそ、それをわざわざやる伏見さんの善性が際立つ。
本作の描き方からくるデメリットとしては「一概にいえない事柄なのに、メンターの言動がベストになってしまいがち問題」はある。まあ、これは学園もの・教師もの共通のデメリットではあるけれども(典型的なのだと『GTO』の主人公とかは解決方法がほとんど破天荒だったり非合法だったりするが、少なくともその作品世界においてはベストとなってしまいがち)。あと伏見さんを理想の大人として描写しようとするあまり、それ以外の大人が犠牲になってるというか、簡便に描写されている感はある。豊先生もその一人だなって印象。
ノルウェイの森がキモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代に映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたことしか覚えていない)。
そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反のキモい小説が禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。
それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶が曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。
恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアルに留年するレベルで卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。
昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月に大学を早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。
挨拶やら近況報告やらを経て、話題はA先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生は退職理由について「学内の過剰な『コンプラ・ポリコレ』意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。
私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラ・ポリコレ重視派」というか、フェミニズムに共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから、尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。
私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生の言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。
A先生は、最近の学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。
そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHKの地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写、暴力、自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。
「大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキングな経験を咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」
といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学の講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。
また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代の私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。
「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」
と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。
「ポリコレ」つまり「ポリティカル・コレクトネス」とは本来「政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮の対象となるのはあくまで現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクションの評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品は非難の対象となっている。
だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味で危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生の言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為も差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラやポリコレを意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションだけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。
1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生の発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。
最後に、フィクションが受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。
私は昔から小説や漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物がクラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定のグループに所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み、自己肯定感が下がっていった気がする。
それでも、私の基本的なスタンスは「傷つくのは受け手の事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的なフィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクションと同義ではないのか。
以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。
たったそれだけ。
ある程度痩せてる人がさらに痩せたいとかじゃなくて、デブがとりあえず標準体型まで戻す過程で、
カロリー計算がどうとか運動がどうとかそんなもん続かない。続いてたら今頃そこまで太ってない。
「ゆっくり食べる」これだけで痩せていく。
よく噛んで食べましょうとかよく聞くと思うこれも同じような事だな結局ゆっくり食べることになる。
なんだよそんなの知ってるよ?
いやお前はまだ知らない。この話も食べてるものも全然咀嚼できていない。
お前が考えてる3倍ゆっくり食べろ。
口の中いっぱいにするな。
ご飯でまとめるな。
飲み物で流し込むな。
自分の体が「食べ物今から入ってきてまーす」という信号をしっかり受け取れる時間を与えるのだ。
そうすれば自ずと体は応えてくれる。これを必ず毎食実践できてる人は意外と少ないのだ。
「満腹中枢を刺激する」みたいな一言で済ますな。もっとその意味を自分の中に染み込ませるんだ。
体感としてゆっくり食べるという行為を繰り返して体に覚えさせる。
お前は堕落してるからだらしないからデブなのだ。(病気、薬の影響などによる症状の方は省きます)
そしてこの方法はデブにとって非常にローリスク・ハイリターンなのだ。
まず食べ物がより美味しく感じられるようになる。
ゆっくり食べることによってまず最初に気づくのが食べ物というのは複雑な味がするということだ。
普段のお前は「甘い、辛い、しょっぱい」とかそれくらいの判断しかできてない。
だから甘じょっぱいものは美味しいとか、甘辛いものは美味しいとか、大雑把でどんどん味覚が鈍っていった結果、普段から食べるものの味が濃くなっていく。
ソースびしゃがけ、マヨびしゃがけ、美味いよな、わかる。しかしそんな味のオーバーキルみたいなことしてたらいつまでも「ゆっくり食べる」なんてできない。
しかしゆっくり食べてみるだけで、「俺ソースの味しか食ってないな」と気づくはずだ。
そして食べるのが大好きなお前は味の複雑さに気づいていくことになる。
つまり食べることの欲求は満たされる上、さらに美味さを感じられるようになるのだ。
だからダイエットにつきものの苦しさみたいなのがまったくない、皆無。
ただただ食べたいものをいつもと違って「ゆっくり食べる」それだけ。
これを徹底することでお前が好きな人と食事する時なんかにも好印象になるのだ。
「人と食べる時は気をつけてるし、そもそも食べすぎないようにしてるよ」だと?
いや絶対にそんなことできてない。お前の普段のだらしなさはかならずにじみ出てるはずだ。
だけどゆっくり食べることを習慣にすることで、これからは自然と上品にものを食べる人になれるぞ。
ご飯でなくてもいい、例えばポテチをお前はいつも平気で一袋一気に食べきるだろ?
追記:伸びてたんで一応追記するけど「量を減らせ」と書いてないのはあえてだ。
デブはいきなり「食べる量を減らさなきゃ」と考えるとストレスで死ぬからだ。
名前を見るたびに思い出すので厄落としのために書き捨て返信はしない
その配信者はとあるニコニコ配信者(以下A)のリア友(?)(以下B)としてデビューしました
デビュー当時は「私のともだちのBくんです。今日は一緒にマインクラフトをやっていきたいと思います」と紹介され
それからレギュラーのようになりライブ放送でも「きょうはBさんはいないの?」みたいなコメントがつくようになりコンビのようになりました
私は嫌ってはいないもののどちらかといえばAのほうが好きだったのでB単体の放送を見に行くことはなく、コラボ配信を見ているくらいでした
Bは所謂「おバカキャラ」で配信しており、なにかミスしても「僕わからないから~」「そんなの覚えてない~」
といってトラブルを起こしAがそれを怒ったりして笑いを誘う、というのがテンプレでした
宇宙人狼はどこの配信でもそうなように各視点配信をAもBももっていました
わたしはAの配信だけ見ていたのですが、その放送が面白く盛り上がったので他の人の視点もみたいな~と
Aの配信内でBはクルーとして生きている間はいつものおバカキャラで敵も味方も翻弄していました
中でも他のメンバーをおどろかせたのは、会議中に誰かがBの声がもそもそしてるなというとBは
「ごめんwwwwwwパン食ってたwwwww」
(宇宙人狼をしらない方のために言うと会議は普通の人狼と同じく人狼をあぶり出すために大事な話し合いの時間で
クルー出会ったなら邪魔をするようなら黒認定されてもおかしくない時間)
配信メンバーはBのおバカキャラを知っていたので「何してんねんお前!」と突っ込みがありお笑いになってその場は終わりました
キルされて他の配信者と会話ができない時間、Bは会議が終わったあともパンを食べ続けクチャクチャと咀嚼音が乗っていました。
私個人としてBのことをそこまで嫌いではなかったのですが、人の咀嚼音がそこまで平気ではなく(アーカイブだったので)そこだけ飛ばそうとしました
そこで放送枠のコメントで「咀嚼音はちょっと」とコメントがあったらしく
以降配信者と話していない時間はずっとそのコメント主とのバトルでした
「なんで放送でパンためちゃだめなんですかぁ~?」「おまえがそんなこといううな」「俺の放送だぞ」
正直聞いててしんどかった……他のコメントも悪ノリしたりこんな世紀末みたいな配信者とコメントの放送が令和の時代にあるんだ……
それからBの配信が全部気持ち悪くなった。放送の最初に「〇〇(女優の名前)好きなんだよな~」といってたのも全部気持ち悪い
人前ではヘラヘラ道化みたいにしてるのに裏では暴言はいてチンピラみたいになってるの
しかもそれをまた軽く謝れば済まされると思ってるところ
とにかくこの場を流せば終わると思ってるところ
あくまで「おバカキャラ」だと思ってたのが本当に「思考が中学生で止まってるだけのおバカ」だとわかって幻滅?失望?応援してたわけじゃないけどがっかり?
そこまで言うなら見なきゃいい・いわなきゃいい・どの配信者だって裏ではそんなもん
と言うのはわかるしわたしもそれからBの配信は見てないし配信外でやらかした他の配信者も知ってるんですが…
表と裏が違いすぎるのを見てウワァとなったのが今でも思い出されます
立憲代表へ野田選出は戦後左派が反戦の為の経済論確立に失敗したからをはてブまで含んで読んだ
実は前々から考えていたことがあって、もちろんこの考えは自分個人の勝手な解釈だし、これが正解だなんて言うつもりは毛頭ないが、1つの意見として咀嚼してくれたらなと思っている
一部の人、特に反自民党みたいな属性の人からするとビックリするようなお題目だけれど、これにはちゃんと理由がある
そもそもとして、戦後の日本政府って(米国の意向もあって)平和憲法を採択したのは歴史に記されている通りなんだけども、これはつまり戦災復興で経済を再始動させますという段階の時点で反戦へ立脚した経済体制を築かなきゃいけなかったんじゃないか?と思うのよね
もちろん一部の人に言わせれば朝鮮戦争特需があって〜のような考えにも着目したくなるんだろうけれど、戦後の日本政府としては戦争という選択肢自体が無いわけで、元増田の言葉を借りれば反戦経済論を構築していかなきゃいけなかったわけだよね
そんな戦後日本政府の後継たる現代の自民党の経済観の根底ベースには戦災復興期の反戦経済論があって、そのベースを元に自民党は現在まで経済政策を採択してきているわけだよ
そして、ここで野党(戦後左派)の経済政策へ1つの問題が生じるわけだ
戦災復興期の反戦経済論をベースとする自民党の経済政策は反戦であって、様々な面で反戦を標榜してきた野党、例えば日本共産党や社会党(社民党)、民主党(民進党・立憲民主党・国民民主党)などが党内で経済政策を採択しようとすると思いっきり自民党と被ってしまっていたんじゃないだろうか?
国際経済だってブロック経済が世界大戦を誘発した反省から不正競争を抑えつつ国際取引を促進し〜みたいな流れがあるわけで、それに乗っかっていた自民党の経済はやっぱり反戦的だったわけだよね
でもさ、野党からすると自民党(の経済観)が反戦的だなんて自分たちの政党のスタンスから言っても認められないわけだから、自民党(とその支持者)には戦時経済への羨望が〜みたいな国際経済へ乗っかってる自民党の実態とはズレてしまっている評価をしはじめちゃうわけだよね
結局、野党自身も反戦経済やらないといけないとわかっているわけだから、反戦的な自民党の経済政策へ対して取り敢えず反対して一層の改善を促すことに注力し始めたんじゃないか?
しかし、反対するだけなので改善は自民党任せで来てしまったため実行力が無く、結局は自民党に与する企業や労働者などがどんどん豊かになっていったから、その豊かさを一層の再分配しろと言うようになった
例えば直近だと日本共産党が主張した内部留保の課税なんかもそうで、そもそも利益がなきゃ留保なんてできないわけで、日本共産党は企業に稼がせることはしてこなかったので今ある富を切り崩す方向でしか経済政策提案できないわけさ
同じような解釈で民主党がやった埋蔵金探しの事業仕分けも理解が可能で、企業や労働者がもっと稼げる環境を作るという方向じゃなくて、今ある財源の中に埋蔵金があるはずだ!という発想になっちゃったわけだよ
どう?この考え?
自分でもどこかに破綻や矛盾があるとは思ってるんだけど「ちがう!そうじゃない!」「お前バカだわ」「勝手に言ってろよ」「自民党が〜」「安倍が〜」とか反対ばかりで中身無いのは、対策や代替案、補償をほとんど打ち出してこなかった左派という元増田のエントリの裏付けになっちゃうからマジでやめような
というのも、高卒で止まった人の、割と多くに共通する傾向があって、
何というか、思考の柔軟性があまり鍛えられていない感じで、話をすると「この人はこの枠にはめておくしか無いか」という感覚になる事がままある。
高卒だから頭が悪い、という話では無い。人によっては、クイズ的に沢山のことを覚えるのが得意な事がある。物事を早く効率的に処理できたりする。大卒が叶わないレベルで高性能、という人も確かにいる。ただ、柔軟性の乏しさがちょいちょい顔を出す傾向がある、というだけ。
ビジネスで大成功した人、とかまで行くと、大学入ってなくても割と柔軟な人が多い。でも、自分が会った限りでは専門学校は出てたかな。実際は「この人勉強してなさそうだけど柔軟だなー」と思って話すと大体大学出てる。
面白いことに、大学行った人だと、Fランでも、何なら中退でも、割とある程度の柔軟性を持ってる(通信についてはサンプル少ないので保留)。どうやら大学に行くことが大事で、何なら遊んでいた時間が長くても、そういうトレーニングにはなっているっぽい。
ここからは仮説。高校まではお勉強と評価が強烈に連動していて、自分のために勉強する、という意識は持ちにくい。大学以降は、自分のために教養も含めてお勉強し、自分のために時間を過ごす形になるから、そこで意識と思考スタイルが変わっていく。
専門学校や短大、高専についてはデータ不足なのだけど、個人差が大きい印象。大学ほどの安定感ではない印象を持っている。期間や教育スタイル、専攻の影響もあり、個別に論じた方が良さそう。
今は、どこの世界も大学出身者が押し寄せてくる時代になった。お笑い実力主義の芸人の世界ですら、大卒(中退含む)芸人がどんどん上に登ってきている。霜降り明星にせよ令和ロマンにせよコンビの両方が有名大学に入ってる(そして、片方が中退している)。純粋な現場職はこれからさらに減り、大卒的な柔軟性が求められる場所は増えていくはず。
結論を述べさせて頂く。
激安店のW回転なんて「何が出てくるかわからんぞ」
だ。
諸君も肝に銘じて欲しい
+++++
金があった。
野暮用を済ませた夕方、このまま帰宅してもすることが無いので吸い込まれるようにパチンコ屋に入店。
つっても2万持っていないくらいだし、時間も時間だし、専業でもなんでもないので台に詳しくないし、
ちと時間が潰せて、ちとお金が増えたらラッキーてなもんでハッピージャグラーと勝負することに。
これがとんだ選択ミスで、最高で差枚+2000位の台がプラマイゼロまでモミモミしてしまった。
諦めて帰ろうか、でも隣のチラ見してくるにーちゃんにハイエナされんのは嫌だな。
なんて思いながらダラダラ打ってたら、そこから捲って+1万3千。
時間は22時前、
降って湧いた金、
夕食は済ませてある、
家帰っても攻殻機動隊をhuluで見るだけ。
誰かへの言い訳じゃなく、ごく自然に頭の中へ湧いてでたピュアな思い。
W回転とは、女の子が2回転すること。
きったねぇ階段を上って受け付けに鼻息荒くW回転を伝えると1時間待ちとの回答。
まじかー帰りますーって退店。
しっかし移動すんのも怠いなー思ってたら、
無意識の俺は辞めろって言ってた。
もう一つの店は激安店だぞ。
すげぇのくるぞ。
辞めとけよ。
たしかに言ってた。
頭でごちゃごちゃ考えながら、別階のピンサロで。W回転おなしゃす。
1人目。
知り合いのお母さんそっくりさんが出てきた。
思わず目をつぶるくらい似てた。
ある?こんなことある?
まあまあおばさんよ。
嬢?婆?はめちゃくちゃフレンドリー。
聞いてないのにセックスのすばらしさや、自分が介護職であること、
オッケー♪みたいな返事が返ってきて笑った。
2人目
こいつがすげぇブスだった。
対応がブス。
W回転?すごいですねー短時間で2回もできるなんて
などとのたまう。
こっちはなんも話しかけてないのになんてこった対応ブス。顔は馬。
もうなんも期待してない。
いいよ脱がなくて大丈夫触らない。
馬の撫で方わかんないもん。
初めて位のテクニック出された。
すげぇゆっくりしてくんの。混乱。馬なのに?うまくね?
W回転、お金に余裕があるとチャレンジしては2人目の嬢とはおしゃべりタイムになって
いったあと驚きのあまりめちゃくちゃ上手っすねっつて社交辞令ぶっぱなしたら、
私は私を必要として指名してくれる人の言葉しか信じないんです、だと。
は?何こいつ馬の癖に信念まであんのめんどくさってなった。
ここで冒頭の結論だ。
激安店で何が出てくるかわからないっつーのは、
対応ブス顔馬テクニシャンなどが出てくることもあるぞってことだ。
悪いことはいわねぇ。
たくさん金稼いで、
音楽は好きなんだけど、サブカル寄りの人間だから、いわゆるJ-Popや流行り曲は日頃全然聞かない。
でも去年色々あってめちゃくちゃ落ち込んだとき、流行の曲(米津玄師とかVaundyとかYoasobiとかマカロニえんぴつとか)(このラインナップがどのくらい的確に「メジャー感」を捉えてるかもいまいち自信がないくらいには疎いんだが。っていうかこのミュージシャンたちを好きな人はごめん。)の存在にめちゃくちゃ助けられた。
カルチャーのマニアにとっては意外で、アーティストにとっては皮肉かもしれないが、感情の繊細なひだに入り込んできて「自分のために作られたんだ」と感じられるような芸術的な作品体験は人の心を癒すどころか、かえって人の精神をさいなむことがあると私は思う。なぜか。それらは自分という「個人」のもつ考え、感じ方から自分自身を解放してはくれないからだ。むしろそれらを「意識し続けろ」と要請する。芸術作品が伝えている含蓄を咀嚼できる程度には余裕があり、繊細であることを強要する。むろんそれができるのが芸術作品の素晴らしさだとも言える。でもそれがつらいのだ。ごめん芸術。
一方、いわゆるヒット曲は私にとって、自分の生とは全く関係なしに鳴り響いている自然現象みたいなものに近い。それは自分の繊細な感情や言い表せない感情の機微などお構いなしに流れ続ける。変に気持ちに寄り添ったりせず、肯定したりせず、何も心を動かさない(少なくとも私は)。そして自分の生の細やかさに関係なく動き続ける巨大なシステムや、社会という幻想の共同体の中に、うやむやに自分を紛れ込ませてくれる。その徹底的な無関心さによって、むしろ包摂される。そのことに救われたのだった。
私は2年前まで渋谷ベンチャー企業でゴリゴリ働き、12時出社3時退勤、土日も稼働、コンビニ飯生活を続けていたらあれよあれよと鬱になり遺書を書いて自◯スポットをロケハンするくらいには追い込まれてしまったので、退職して実家に戻らせてもらった。
母とはそれなりに仲は良い方なのかもしれない。
けど実はめちゃくちゃ苦手な人物でもある。
面倒見は良いのだけど、基本的に人の話が聞けない。傾聴能力が0に等しい。
例
母「今日雨だったから自転車じゃなくてバスで買い物行ったら、ポイントカード忘れちゃってさ」
ってくらいには会話ができない。
子供の頃からずっとそうで、母は会話ができない人として認定しまっている。なので母に何かを相談したことがほぼない。確定事項を報告するのみ。
それに加えて全ての言動が否定的で、同意をしてもらったことが基本的にない。
なので結構線を引いて接していたところはある。
1年ほぼニートをして、鬱もだいぶマシになり、母との暮らしは精神的に良いものとは言い難い部分が結構あったので離れて暮らすことを決意。
今はひょんなことから私は北陸に引越し、友達も増えて仕事も楽しくて鬱の薬を絶ってもう9ヶ月になる。順調にきていると思う。
最近はちょこちょこ母が北陸に遊びにくるようになり、昨日と今日は一緒に過ごしてきた。
昨日は母と珍しく2人で飲みに行き、ひょんなことから父の話になった。
父は平成最後の夏にガンで亡くなっており、54歳でこの世を去った。闘病生活を支えるのはとても大変だった。正直時間も体力もお金も4年くらい削られ続けたと思う。
父のことは嫌いじゃなかったけど、父のこともまた苦手だった。
怒ると怒鳴るし殴られるので、子供の頃は父が怒らないように気をつけながら生活をしていた。
幸い私は末っ子なので兄と姉が怒られるタイミングを学び、極力地雷を踏まない瞬時に空気を読むスキルを身につけた。
優しかった時もあった。子供の頃車で遠出した帰りに寝てしまった私を寝室まで運んでくれたのが嬉しくてわざと寝たフリをしていたこともあった。
まあ、基本的に家にいなかったから思い出はあんまりないのだけど。
とにかく怖くて強くて敵わない存在だった父が、最後の方はカリカリに痩せこけて弱々しい存在になってしまったことが結構ショックだった感情はいまだに鮮明に思い出す。
会話ができない母、怒ると暴力的になる父の2人が円満な家庭を築けるハズもなく両親はめちゃくちゃ不仲だった。
お互いの悪口を聞かされて育ったのであった。
と、いう感じの両親だったのだけど昨日母から新事実を聞かされる
母「私実は2人堕ろしてるんだよね」
えええ??
聞くところによると
兄
堕ろした
堕ろした
姉
私
まじかよ…
父は全然避妊してくれず、堕ろさざるを得ない経済状況だったらしく、姉の時も平然と「堕ろさないの?」と聞いてくるような人だったらしい
もうその頃から夫婦仲は基本的に終わってたらしく、私が成人したあたりで母は離婚しようしていたらしい
そんな時に父のステージ4のガンが見つかって、介護生活が始まったのだとか。
父が亡くなりそうな時期に、勘当していた兄に連絡をした。
(兄は親戚中に借金を作りまくり、誰が何を言っても改善の余地はなく、もうどうしようもないやつだったので勘当していた)
これから心を入れ替えて力を合わせて頑張ろう!という話をしていたのだけど、まさかのその直後に窃盗で捕まり執行猶予になっている。クズです。
しかも父の死後借金400万が残っているということが発覚した。生命保険もガン保険も入っていなかった。
なんとか相続放棄できたけど、一家の危機ではあった。母は専業主婦→パートの暮らしだからいまだに経済の自立ができてない状態で娘からの仕送りが必要ではある。送れる金額は少額だけど。
なんでこんな感じなんだろうな…
多くは望まないけど、もう少し普通の家庭に生まれたかったと思う。むしろなんなら生まれてきたくはなかった。この世に。めんどくさい、色々
人生は楽しくはあるけど、根本的に生きることに積極的ではない。
デスノートが手元にあったら即自分の名前を書くし、進撃の巨人ではジークの思想にひどく共感してしまう。
まあ何が言いたかったかというと、愛のない家庭で避妊しなかっただけで産まれちゃった存在なんだな、私はこの世に。
ということが分かった。
あと、母の苦労も分かった。それは性格歪むよね。
家族の中で唯一姉はまともで、優しくイイ奴。ほんとになんでこんな環境で優しく真面目に育ったんだ…。
人をなかなか信用できない人間に育った私も、姉だけはこの世で唯一全力で信頼できる。
そんな姉が最近妊活を頑張り、無事妊娠。望まれた子供だ。母体健康でいてくれることを願う。
まとまりない長い文章だけど、読んでくれてありがとうございました、、!匿名のインターネットって本当にありがたい。ほんのちょっと、ちょっとだけスッキリしたかもしれない。
咀嚼にまだ一ヶ月はかかりそうだ。
おわり!