はてなキーワード: 病院とは
身近な人にそういった体験があったからこそ変わったんでしょうが、良い会社ですね。
本来はどの会社もそうあるべきで、個人レベルでもそうあるべきでしょうね。
そのため自分でも4回打って、親戚にも猛烈に布教して4回打たせてました。
親戚は心臓に血栓ができて、それが脳に刺さって脳梗塞で一生入院の身となりました。
それ以来、親は大人しくなりましたが、ワクチンの機序を理解できてない人が、安直にワクチン接種を他人に薦めてしまうのは本当に危険なことですね。
ここ3年ほとんど何にも罹らなかったのに
最近は具合悪くなっても休みにくいからしばらく無理して出社したよ
そのくせ検査キットは準備されてない
風邪の症状あっても受け入れてくれて、なおかつインフルコロナの検査してくれる病院が職場の近くにない
ちなみにここは東京
しょうがないから検査はしてくれないけど診察してくれる病院をどうにかみつけて薬もらってきた
会社一日休んで週末もずっと寝てるけど悪くなる一方
いまだに喉が激痛でツバ飲み込むのも辛い
鼻詰まりもひどい
なぜか熱だけは出ない
誰がくれたんだろうな、この感染症
もう日本男さんは、自分でわざわざセックスや恋愛を諦めて二度と性愛に関わらないし女性との性行為を望みませんって行動で示してるんだなと思ってるけどさ。
死亡率の高い手術を受ける病人を医師がジョークにしてるようなもんだからね。不謹慎だしそんなん口にすべきじゃないしバケモンだろ。
しかし、この期に及んで非モテとか一生童貞は嫌だとか彼女いなくてつらいとかセックスしたいとか言ってる奴までいるからね。
意味わかんないよな。
自分でわざわざ行動でセックスを望まない人間ですって示してるんだわ。女からセックスを拒まれたくてやってんだろ?希望通りで満足だろ
ガタガタうるせえなって感じ
大前提として、侵襲性の高い危険行為だし、妊娠させて子作りをするための行為だから
スポーツや娯楽じゃなくて、手術とか危険を伴う医療行為くらいの認識であるべきなんだよね
避妊しててもセックスは結局スポーツや娯楽ではなく子作りでしかない
根本的に子作りであるという自覚を持たないなら一生セックスに関わろうとか女とセックスしようとか考える資格ないからね
最悪、子供に一生金を出す覚悟とか出産費用を全額支払って出産前後の女性の介助をして家事も育児も仕事も全部やって、出産で女が病気になったら全快するまでずっと養って治療費出して、女は出産で死ぬかもしれないし、責任と事実を一生背負うという覚悟は、セックスをするときにはうっすら脳裏になければいけない
侵襲される女側が言うならまだ自傷行為かなってわかる(わからない)けどさ
相手に侵襲させてもらっている立場である男側が、他人の体を使って自信つくとか自己受容感高まるとかって何?
幸せなコミュニケーションとか愛を感じるアクティビティとか2人の絆の確かめ合いとかも、そういう一面はあってもあくまで子作りという認識の上で言ってるんじゃなければ考えが甘すぎると思うわ
医師が死亡リスクもある病人の肉体の手術について、治療よりも自己肯定感や自己受容感高まるとか最高の娯楽とか考えてたらバケモンだろ
またわたしは、そもそも東大法学部卒で、昭和天皇と団藤重光の人格を尊敬しているが両方ともなくなっている一方、任介辰哉とか水上周とか1ミリも興味がないし、自己の人格に
摂取する上でお前とか入ってこないから、それと谷水文香とか長谷川とか森脇もこっちの人格には1ミリも入ってこないし、お前との間には何も成立しない。成立するとかしないとかいう以前に
私の場合は8000円の自転車に対する愛好と、8000円で購入し、代々木のはんだ専門店で修理を受け、使い込んでいるという事実の間には愛好関係が成立しているが
CWの高橋は転居費用を立て替えないし言動がいらつくので、高橋との間には何も成立していないし、須佐由子は悪人なので、何も成立していない。
次に立野玄一郎は医師としては犯罪者だが実はかわいいので、かわいいという部分につき、成立している。わるぬま病院の事務員の小人みたいな男は言動が悪質なので何も成立していない。
十分な金
近くに病院や避難所、役場、スーパー、ドラッグストア、警察署、公園
見通しがよく死角のない、よくパトロールをしてくれる、明るくて細くないがうるさくない道
避妊具
生理用品
クソシステムだとかいろいろ好き放題言われているが、少なくとも「オンライン資格確認」は素晴らしいというかないと困るシステムで、そもそも従来の保険証システムはとてもウンコであるという話をする
ほとんどの人は知らないことだが、国保の保険証発行システムはめちゃくちゃウンコである。負担割合のミス自己負担上限額のミスが地味に多く、8月が保健切り替わりの季節なわけだが10月ぐらいに「実は間違ってました。8月から遡って適応します」という話がほんとにイヤになるぐらいある。10月にわかればまだいい方で11月半ば過ぎてようやく発覚というのも珍しくない。
ほとんどの勤め人は無関係な話だが、体感では世の中の1割ぐらいは自分の保険証の管理がろくでもない。平気で古い使えなくなったはずの保険証を出す。今の社会保険のほとんどは有効期限が書いてないので失効した保険証かどうかは基本的に知りようがなかった。
このあたりの「病院は1ミリも悪くないのに誤請求ってことでレセプト突っ返される」というイベントがオンライン資格確認のおかげでゼロになる
今までは病院は1ミリも悪くないのに9〜7割おあずけくらうというのが当たり前だったのである
子供は産まなくてもよかった、というブログを見て、自分の気持ちも書いてみよーと思ってアカウント作って書いている。あの記事に原動力があったんだなーと思う。だいたいのことに共感した。あの記事を書いた人はけっこうすてきな保護者なんじゃないかとおもってる。とても疲れている人。ゆっくり休めるところで良いサービスを受けてほしいなとおもう。
自分には答えが出せない。産まない世界線、自分のすきなことに時間を使えて楽しかったろうな。一方で子供がいる状態の今、いなくなった状態のことを考えると、悲しくて苦しくなる。不可逆ってゾッとする。
妊娠する前は子供欲しいかどうか決められなかった。積極的に産みたい気持ちはないけど、絶対産まない、とは言い切れない、みたいな。中間地点にいて、年齢を重ねるとともに、女の役割って、みたいな呪いにかかって、苦しんでいるうちに妊娠した。社会的にけっこう非常識なタイミングだった。社会からはじき出される…とか思って冷や汗でた。でもそんな非常識さを受け止めてくれる環境であったことは救いだった。
(コンドームが避妊率低いことを知らなかった。コンビニに低用量ピルとか置いて避妊率○%!とかシールつけて刷り込んだほうがいい。自分で調べる知識もなかった。性について話す友達もいなくて雰囲気全然わかんなかった、妊娠が及ぼす自分への影響をまったく知らなかった。)
で、おろす勇気がなかった。豆みたいな影から心臓の音聞こえて、おろす=ころすだと思ってしまった。たぶんこれにはいろんな解釈があって、どんな解釈もその人なりの選択だとおもうけど。自分の場合はそう感じた。
それから先は、眼の前のことだけしか見えてなくて、産むしか選択肢が考えられなかった。とにかく子育てって何かわかんないまま産むって決めた。産むって決めたっていうより、ころせない、が近いかも。自己犠牲に憧れているところもあった。無痛にしたりとか、立会出産にしたりとか、何かを選ぶたびに親とか、おばあちゃんとか、道を歩く人達とかの言葉をネガティブに拾ってしまう。すっごいストレス。急にみんなマウント取ってくるし、見られ方が変わる。(男でよかったね、女なら次は男産まなきゃね、無痛なんてありがたみがわからないからやめなさい、私が産んだときはうんぬんかんぬん…妊婦ってエロいよねって、大学生くらいの男がコソコソ言ってる、妊婦って気使わなきゃいけないからダルい、って会社で思われてるかもなどなどなど)大好きな嗜好品を制限したり、ご飯食べれなかったり、常にお腹はち切れそうだったり、不安で上手く寝れなかったり。それでもころせないから我慢した。この精神状態が、ホルモンバランスのせいなのか性格や環境のせいなのかはわからないけど、とにかくあの気持ちで暮らす10ヶ月をもう一回やるのは結構度胸いる。産休、もっと早く始まっていいと思ったよ。安定期とかに限らず、早めに休めたら気持ち楽だったかも。無痛にしてよかったけど、麻酔するまで特大の生理痛ある。知らんかった。痛いって言うしかできない。産んだあと入院中どう過ごしたいですか?的なヒアリングがあったけど(どう過ごしたい・・?え?あ、、わからん)ってなって、気づいたら母子同室になってた。貧血でふらふらのなか泣き声にどうにか対処して、自分がしんどいときは看護師さんが赤ちゃんのケアをしてくれる病院のシステムをよく知らないで、入院1週間の母乳だのミルクだの、え?寝不足で頭まわらないんだが…
誰かスーパーサポートしてくれる人来て、全部聞いといて、、、って思った。全然わかんない、、って弱音吐いたら産休中なにしてたの?え、産休ってやっぱりたまひよとか読み込んでおく期間だったの?普通に社会から放り出された気分だったから将来が心配でFPの勉強とかしてた…(これはしてよかった)
電車やバスでしんどかったときに、当たり前のように席を譲ってくれた学生たちや、さりげなく体調を気遣ってカバーしてくれる大人たちのあったかさも知っているし、今はその時よりいろいろと理解が進んで、周りが見えてきている。しかしそれでも、またやれって、頼まれても、できないって言いたいと思うのは、やっぱ環境が不健全なんだろうな…
話は戻るけど、子供と関わるとき、めんどくさいな〜、つかれるな〜って感情が先立つ、っていうのにも共感した。
今幼児だけど、ルールが3つ以上ある遊びはできないから、大人にとってはすごく単純な遊びを2時間繰り返してる。それを床でやってる。こっちとしては10分遊んだら飽きるし、腰痛いし、床に座ってる状態から立ち上がると立ちくらみする。それをおくびにも出さずに子供に笑顔を向けたり、いちいちリアクションする。幼児が本当に飽きるまで付き合ったら過労死するんじゃないだろうか。イライラする原因で思い当たるのは、「単純な作業を同じルールで何度も繰り返す」「同じ言葉を繰り返し大きな声で言う、ずっと」「ぐずってみたものの、終わらせ方がわからなくて眠くなってきて更に機嫌が悪くなってギャン泣き」みたいなところ。意思の疎通ができると思って接すると、このあたりに「は?何言ってる?」となる。意思の疎通はできないものとおもってとにかく耐え忍ぶ。自分のための時間が削られていく。ああ〜
こうやって保護者っていうのは耐久値のレベルばっかり上がっていって、狂気的な育児を誰に助けを借りなくてもできるようになっていく…これ親からは、何甘えてんのよ〜って言われてます。甘えてはだめなのか。
これから先成人までの残り期間を疲れながら、麻痺しながら、なんとか続けていくんだと思う。カレンダーに、「母の気持ち優先する日」「父の気持ち優先する日」「子供の気持ち優先する日」とか割り当ててバランス保っていけばいいだろうか…決めたら逆に守れなかったとき更にストレスになるだろうか…やっぱアマゾンエコーのでっかいやつほしいかもな…試行錯誤なんだな考え続けるんだな、答えは出ない、正解はない
医療者です。
「病院行くまでじゃない、ちょっと相談に乗ってほしいだけなんだ」
「介護が毎日大変でね、でも辞めるわけにはいかないし、何とか続けていく気はあるけど
「会社行けなくなっちゃってね、心の病かなって思うんだけど精神科は行くの怖くてさ」
「あそこんちの子供さん時々すごい声で怒られてるよ大丈夫かな」
とにかく、ここにきて何でもないたわいない話をしてるうちにぽろっと
貯金してた。
そしたらひょんなことで同業者にその話したらいいね!と乗っかってきて
あっという間にその人がその仕事するってことになって
私は末席で
そうじゃないって、それじゃみんな来ないって。
これは町の人のためのカフェなんだよ
そもそも発案者が私だから皆、動揺した、理由を聞いてきた人もいた。
本人にそのことを言おうと思って話したいと言ったら忙しいと断られた。
今日を生きるその人たちで
そのことを直接言いたくてメールしてるんだけど
はぐらかされる。
夢は自分で実現しなくてはね。
まさかこんなことになるとはね。
まあ、頑張ろう。
あ、金は返せよ。資本金100万な。
医療者です。
「病院行くまでじゃない、ちょっと相談に乗ってほしいだけなんだ」
「介護が毎日大変でね、でも辞めるわけにはいかないし、何とか続けていく気はあるけど
「会社行けなくなっちゃってね、心の病かなって思うんだけど精神科は行くの怖くてさ」
「あそこんちの子供さん時々すごい声で怒られてるよ大丈夫かな」
とにかく、ここにきて何でもないたわいない話をしてるうちにぽろっと
貯金してた。
そしたらひょんなことで同業者にその話したらいいね!と乗っかってきて
あっという間にその人がその仕事するってことになって
私は末席で
そもそも発案者が私だから皆、動揺した、理由を聞いてきた人もいた。
本人にそのことを言おうと思って話したいと言ったら忙しいと断られた。
今日を生きるその人たちで
そのことを直接言いたくてメールしてるんだけど
はぐらかされる。
夢は自分で実現しなくてはね。
まさかこんなことになるとはね。
まあ、頑張ろう。金は返せよ。
アノニマスダイアリーを登録したのはひとえにこれを書きたいがためだったので、ユーザーネームのことは何も考えていなかった。
頭痛に悩まされる頭からは聖書のナオミ(彼女は苦難の中で自らを苦味を意味する「マラ」と呼ぶように言った)の姿が思い出された。
なんとなくそのまま苦い塩という名前にしようとしたが、なぜだか塩の簡単な綴りを間違えた。
英語は数十年やっているはずなのに、我ながら情けない。
思い返すまでもなく、今日は朝から台風に振り回されてばかりである。
頭に漬物石を括りつけ、それを引きずって歩いているのような気分だ。
体の調子が悪いと人間の思考は悪い方向へとどんどん傾いていく。
鬱々とベッドの中でスマホを弄っていると、円の切れた相手の最近のツイートを何となく見に行く、というあまり良いとは言えない行為にも走る。
友人は複雑な家庭で育ち、発達障害故の躁鬱に日々苦しんでいた。
時折夜中に電話がかかって来ては「自殺しないように見張っていてくれ」と言い、所謂寝落ち通話を求められたりもした。
せん妄状態なのか、訳の分からないことを言いながら私に泣き縋ったり、幻覚の状況を仔細にこちらに伝えてくることもしばしばあった。
友人にいま現在そういった普通でない状態の自分を任せられる相手がいるのかどうかは知らない。
が、ともかく私が友人の呟きに見たのは狂気であった。
この「狂気」といった表現は決して障がい者への差別的な意味を意図したものではないことを断っておこう。
ここ数日間の友人の呟きはほとんどが今敏のパプリカに出てくる台詞にそっくりであった。
以前、ツイッターにて「狂人の文章は稀に凄まじい美を帯びることがある」といった呟きを見かけたことがあるが、私は友人の言葉でそれを深く実感した。
内容を書くことはしないが、そこには(恐らく幻覚の)誰かに向けた必死の懇願めいた内容から、悟りの気配さえする穏やかな詩文の雰囲気を漂わせるもの、意味をなさないひとつの単語、一文一文は理解出来るが繋げて読むと全く支離滅裂な長文など、大量の呟きが残されていた。
友人の健康を祈るかたわら、綴られた言葉はとても美しく思えた。
「私は穏やかです。海のようです。波打つ畳が私の頭を、白い兎、飛び越えて、ああああ」
こういった混沌とした内容が数十ツイート分、ツリーで続いていることもあった。
自分の精神状態的にも敢えて深く読み込むことはせず、一度ざっと目を通しただけで閉じてしまったが、その海のくだりだけは鮮明に覚えている。
友人と縁が切れたのは数年前のことで、理由は私が編集者として働きたいがために引越しを決意した時のことだったと思う。
あまり覚えていない。
時が経ち過ぎたのか、今の私が友人に無関心なのか、それすら判然としない。
台風は、今どの辺りにいるのだろうか。
私の意識にはそればかりがある。
就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。
扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラで更迭されるタイプの上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。
そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。
とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署に転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。
そこでも管理職に就いたり、年単位のプロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。
けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。
なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。
命に別状のないものがほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。
そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。
退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。
専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社が自分たちを必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。
次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。
だから、会社や組織の心配はほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。
それから、通院や体調の関係で仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。
月1ほどで血圧や採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。
さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそものスケジュールにバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然、担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量の天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。
ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性のほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。
子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社が業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。
客観的に見て、自分は環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。
子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せな人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。
両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分に子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。
同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分が当事者になって初めて分かったことだった。
この記事は、かつての不理解な自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分の人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。
自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間が産休を取る場合もあるということを、かつての自分は無自覚に想像の外へ置いていたと思う。
だからこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。
人は自分から遠い立場の人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分が当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。
世間的に、産休や育休からの復帰をとりまく環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者がいるかもしれない。
彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せだから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。
そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e19ea85f28689a2e922bf8719485c4ed7b9ff5be/comments
長野の立てこもり犯の両親が、息子が幼い頃の発達障害疑いを「子供はそんなものだろう」で済ませて病院に連れていかなかった事が
コメント欄で滅茶苦茶責められてる…
最近の世論はとにかく親に甘く、親の責任を減免しようとする言説が盛んだけど
何故かこの親のように「子供の発達障害を認めようとしない親」だけは、無条件で叩いてもいい事にされてるんだよね
本当にどうしてなんだろう
今だって、子供を『療育』に行かせれば万事が上手くいくかというとけしてそうじゃないし
ましてや31歳の人間の子供の頃なら今以上にそうだったろうに。
なんでこんなに『療育』に対する信仰とも呼べるような過剰な信頼意識が強いのか
個人的にはこの両親の責任は子供を産んだ事にこそあれど、その後の育て方に関しては親がどうこう出来るものでもないだろうと思う
病院には行ってないけど私は多分、自律神経失調症なんだと思う。
1人の部屋でパソコンで作業してると、胸がざわつくことが増えた。
そもそも研究って、まだ分かってないことを明らかにするためのものだから、当たり前だけど未知なわけで。
ただ私の研究には、私の修了が懸かっているから、未知なことは不安材料でしかない。
就職も修了出来なかったら水の泡になる。
勿論、この研究は結果よりも過程が重要なことは分かってるし、結果が奮わなくても、過程が良ければ終了できるはず。
だけど、研究室に同じようなテーマの人はいないし、参考にした論文も新しくはない。
不安は募るばかり。
不安が大きくなると、悪い方にばかり考えてしまって、ますます何もしたくなくなって、消えたくなる。
朝も目は覚めても、布団から出にくくなった。
私が甘えてるのは勿論知ってる。
数年前のある日、突然動悸がしてウワッと思ったら治り、また時間が経つと動悸……ということがあり不整脈かな?と思って病院へ。結果は「うーん、ストレスですね!」
それから時々、蕁麻疹やら逆流性食道炎やらあるたび病院ではストレス認定。そりゃさ、生きていればストレスくらいたまるでしょ。発散する努力はするけど、どれくらい溜まってるか分かんないんだもん。自分は体に不調が出てから「うわ、ストレスたまってたんだ」と気がつくタイプ。