はてなキーワード: 顔面とは
そいつは初めて会った時から、神様は人間の顔面をこれほどまでにブサイクに創造できるのかと
神の正気を疑うほどの顔立ちをしていた。
と同時に、こいつは今までこの顔面でどうやって生きてきたのかとただただ不思議に思った。
2週間ほどそいつと仕事をしてみて、私はどうしてもこのブス男と付き合ってみたくなった。
そいつのことが好きになったとかそういうことでは全くない。
とにかく不潔で、デブで、顔が脂ぎっていて、下卑た言動が最悪で、服のセンスも最悪な、どこを探してもここまで
ひどい男はいないだろうという男だからこそ付き合ってみたくなったのだ。
もしこの男に本気になる彼女ができたら、この男は変わるのか。変わるとしたらどう変わるのか。
私の全力をかけて実験してみたくなった。
私の家庭は父の恐怖政治が敷かれており、常に幼少期から父の機嫌を取り続けて生きてきたことが生かされているのだと思う。
私はすぐに思わせぶりな態度と言動で男を落としにかかった。
そいつはすぐに乗ってきて、私と付き合うことになった。
付き合い始めてから、私はより一層彼を観察するようになった。
付き合っている間に服のセンスと体形だけは変えてみたいと思った。
歴代の彼氏たちにも、私は一回も直してほしい部分ややめてほしいところを指摘できなかったので、
結局苦しくなって分かれることになった。
今回は、彼氏に物言える自分になろう。これはひそかに私の成長機会でもあると考えていた。
だが、結論として、それは失敗した。
私の「言えない病」が発動してしまったのももちろん原因なのだが、
おそらく一番の原因はブス男の自己肯定感が想像以上の高さだったからだ。
付き合ってみて思ったのだが、どんなにブスでデブで顔が脂ぎっていて仕事がブラックでも、彼氏は本当に自尊心が高く、自分に自信があった。
その自尊心の高さは、自分は自分のおもうままに生き、好きなことだけやるという彼のモットーは私に一種のすがすがしさと感動を与えるほどだった。
結局、隣を歩くビジュアル的な嫌悪感に耐えられなくなり適当な理由をつけて付き合いをやめたのだが、
人間はビジュアル的に最悪の状態でも自信と誇りを失わずに生きることができるのだという学びを得た。
高すぎる彼の自尊心の前に、女は無力だった。
権力ある犯罪者 vs 虐げられる一般市民として団結して対抗していこうぜ!
↓これ見たら分かるだろ、犯罪者は犯罪者であって性別で雑に分けるようなものじゃないんだ。
雑に 男 vs 女 の構図にするから、無駄に無罪の男を敵にまわして、男もそれに反論せざるを得ないから、男女同士の消耗戦にしかならない。
フェミニストの言葉に惑わされず、男 vs 女 の構図は捨てて、単に平等の観点でおかしいものはおかしいと言っていけばいいんだ。
当然その中には特定の男が特定の女を性搾取してることも取り上げて批判していくこともできる。
もはや雑な 男 vs 女 の構図は捨てる時だ。
けれどもその人の拳が被害者の顔面とぶつかり合っていたのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。
なぜこのようなことが起こってしまったのか。
生まれつきの心臓病で、ずっと投薬しながら生きながらえてるんだが、小学生くらいのときに、「この病気のひとはみんな早死する。18とかまでにだいたい死ぬ」と言われた。
そしていま、21歳。
余命使い切って3年経つ。
すぐ死ぬもんだと思って死ぬほど適当に生きてしまった。小学生の時から「あと6年かあ」とか思いながら生きているから。
実感もないので「俺18で死ぬんだぜ」とか言って友達泣かせたりしたのも、全部嘘になってしまった。
俺はこれからどうすればいいんだろう。
目標もないし、やりたいことも正直ない。
スポーツ一家に生まれて、なのに運動は心臓病でドクターストップがかけられているとなると、俺に残ったのは出来の悪い頭とヒョロヒョロのもやしボディだけ。
余命で死んでおきたかった。
3年間のオーバーランはずっとそればかり考えてる。
俺はいま、コインの表を出し続けているみたいな、薄氷の上みたいな、そんな命なのかもしれない。
余命は超えてからのほうが怖い。
この3年も、振り返ると無駄ばかりで、有意義に過ごせたのかもしれない。
喋っているときに急に落ちて、「〜してるんだ」の「る」で落ちた。
明確に覚えてる。死ぬ瞬間、最後まで残ってるのは聴覚とかいう説があるけど、多分合ってる。
俺が顔面を床に叩きつける寸前の、自分の声が「る」で止まったことだけを覚えてる。
死ぬ瞬間も多分こうなんだろう。
怖すぎる。
俺がしなきゃいけないのは終活じゃないのか。
嫌すぎる。
どっちも嫌すぎる。
寝るのが怖い。
死ぬ瞬間と似ている。
俺ってどうすればいいんだ。
こんなブクマが賑わっている。
はてな民のために球技の意味について政治的かつ実効的に語りたい - メロンダウト
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2022/05/23/222507
いくつものコメントが指摘している通り、これは徹頭徹尾〈できる側〉の理屈であり〈できる側〉の見ている景色であり〈できる側〉の自己弁護であり〈できる側〉の正当化でしかない。
体育の授業でさせられる球技に屈辱と惨めさの思い出しかない人間だって実際には山ほどいるのだが、まるでそんなやつは存在しないはずだと言わんばかりの口ぶりである。もはや呑気なのか傲慢なのかわからん。
そもそも球技の必要性が理解できたところで、〈できない側〉の屈辱や惨めさは何も変わらない。
筆者さんはこれを書いて何がしたかったの? 〈できない側〉の僕たちに何をわからせたかったの? 何を変えたかったの?
球技くらいしか選択肢がないという部分には百歩譲ってうなずけても、「だって楽しいじゃんほら球技って!だろ?」と言わんばかりの中盤以降は死んだ目で読んだ。俺には球技が楽しかったためしはない。
ポンコツぶりを見せて冗談関係を築くって? そのポンコツ理論が冗談だろ? しらんけど
女子が放ったスパイクを顔面レシーブしたあの日、俺の人生が1mmでもいい方向に転がったと思うか? 最悪だった人生がさらに最悪になっただけだ。壊れた俺のメガネは地面に転がったがな。
こういうのをね、屈辱って言うの。惨めって言うの。辛酸って言うの。
この鬱屈した感情を知らねーなら黙っててほしい。この件については一生口をつぐんでいてほしい。
運動神経はほぼ天賦の才能だ。生まれながらにそれを持ってるやつに、生まれながらにそれを持っていない俺たちの苦しみ悲しみがわかるもんか。
そういう奴らに俺たちの苦しみ悲しみに口を突っ込む資格はこれっぽっちもないの。君には私に救いを与えることはできない。
いいかよく聞けよ、運動音痴ってのはな、「ノンバーバルコミュニケーションの語彙すら乏しい者たち」なんだよ! なにしろ運動ができないんだからな!
君たちは君たちの言葉で意思を通じ合ってればいいさ。だが俺たちはヘブライ語が話せないのにユダヤ人の討論会に放り込まれた日本人なんだよ!
どんな体育の授業も業火の煉獄でしかなかった自分だが、まあまあ楽しかったなという経験も少しはある。
まず柔道や剣道。ほぼ全員がド素人からのスタートだったし一歩間違えば大怪我をするので、本当に基本中の基本からゆっくりと駒を進めていく授業だった。
基本的には個人種目で気楽だったし、団体戦でも先鋒あたりで出してもらえば自分が負けても気が楽だった。
全員がド素人からのスタートという意味ではラグビーもそうだった。もちろん能力差はあるものの、教師の指導がどちらかというと基本技術や戦術・戦略に振ったものだったおかげで、運動神経だけで明暗がくっきり決まってしまうようなつまらない授業内容にはならずに済んでいたように思う。少なくとも、ウォーミングアップしたらすぐにガチ勢天国の試合が始まってしまうサッカーやバスケとは気分がぜんぜん違った。
そういうこともある
Twitter上でたびたび話題となる『トレパク』の件について、日々さまざまな立場の意見を目にする。それを追っていく中で、「落とし所を見つけておかなければいけない」と思ったこと、それが本タイトルだ。
※『トレパク』については考えるキッカケに過ぎないため、本文では実例には触れない。
絵柄を真似されたくないという感情。
なぜ『感情』と書いたかというと、ひとの絵柄の真似をすることについて『善悪』で考えたところで、本当に辿り着きたいゴールには辿り着けない(平行線になる)からだ。
そして、一次創作物の著作権(知的財産権)に関わる話とは異なるステージの『悩み』として向き合うべきだとも思う。
「嫌だ」という感情に「合法だ」と言い返しても、もとより「真似されたくない」という感情をもつ人間は煮え切らない思いを抱えるだけだ。
私が思うに、本気で違法行為だと思って喚き立てている人はほとんどいないのではないだろうか。
ただ、嫌な気持ち自体が本物であるが故に、そうさせた相手を悪者だと言うほか、自分を守る方法を知らないのだろうと思う。
絵柄を真似されたくない人って、どうしたらいいんだろう。
真似していることを咎められた時、どうしたらいいんだろう。
絵柄。辞書で意味を調べると、『工芸品・布地などの絵の模様の構図』とあるが、アニメイラストに対してネットで通用されている定義の例としては
・主線の強弱
・人体のデフォルメ度
・影,ハイライトの入れ方
・全体の色彩
さらに細かく
・まつ毛の本数
・瞳の塗り方
・涙袋の有無
・歯列の描き込み etc
・まつ毛のハイライトの有無
・瞳孔のサイズ,形,有無
これ、全部『絵柄』だ。イラストを構成している全ての特徴を『絵柄』の一言で表すことができるわけだ。
それも、辞書に載っているような「絵そのものを指す言葉」ではなく、作者の「描き方の傾向・作風」という概念に対して『絵柄』と呼んでいるのが、恐らくネット(アニメイラストを嗜む者の間)では当たり前の意味合いとなっている。(風景画などの絵画を嗜む方達も同じように使うのだろうか?)
絵柄の類似に関する議論が平行線になりがちなのは、中心の言葉が広義であることが、一因として割と厄介な役割を持っていると思う。
絵柄。改めて考えると実にふわっとした言葉だ。
私は趣味で絵を描いていて、常日頃『絵柄』が安定していないと感じているのだが、時たま「あなたの絵柄が好きだ」と言って頂ける事がある。しかも、稀にかなりの熱弁を受けることもある。
それはそれは嬉しい。もったいない言葉だ。ありがたい。けれど、不思議だ。
自分では自分の絵の特徴が分かっていないのに、他人からはそれが見えているらしい。
もちろん、こだわりを持って描いている部位はあるから、そこを褒められると堪らない気持ちになるのだが、逆に全く意識していなかった部分をGOODと言われたりもするのだ。
私が意識していなくとも、見る人にとってはそこが私の『絵柄』なのだ。
キャラクターが主体のアニメイラストにおいて、見る側が最も注視し、特徴を感じやすいと言われているのは、キャラクターの『顔面』。さらに言うと『目』だとの意見がある。
「目さえ描き込んでおけば、顔の輪郭さえ整えておけば、髪などは多少線が雑でも『作品としてそれっぽく』なる」という話を聞いた事があるだろうか。それほど、目の印象はイラストの印象に大きく関与している事がわかる。
ということは、言ってしまえば『目の描き方の特徴』に他の人との類似性があるだけで、直感的に「『絵柄』が似ている」と判断されやすいのではなかろうか。
逆に言えば、それ以外の部分の類似はあまり気付かれにくいことになる。
そして、この「直感」は普段、ひとの描いたイラストを「どれくらい解剖して観察しているか」によって、それぞれ見えるものが異なってくることは断言して良いだろう。
作者がどんな『絵柄』を好み、どの部分に“意欲的に”取り入れているかは、絵を見た人に全てありありと伝わるものではない。
また、作者の描き方自体、100%が意図されたものとも言えない。
見る人によっては「目」という一つのパーツが、作者にとっては「まぶた」「まつげ」「眼球」「瞳」「瞳孔」「目頭」「目尻」の七つのパーツであったりする。(解剖とはこの事)
私はだんだんと、「絵柄が似ている」という言葉の不安定さが見えてきたようだった。
「絵柄を真似している」の一言だけでは、意見としてあまりに漠然としているのだ。
「同じ時間に、同じ歯磨き粉を使って歯磨きをしている」という意見を「モーニングルーティンを真似している」という大きな言葉で訴えるようなものではないか。
正直、そんな主張はまったく滑稽だと思わざるを得ないところだが、きっとそれでも「嫌だ」と思う人はいるのだろう。
『絵柄』に『流行り』がある以上、その第一人者はいたはずだ。流行りの絵柄というのは数年単位で面白いほど変わる。『流行り』は『真似』で広がる。
その第一人者が「真似されたくなかった」と思っていないとは言い切れない。自分で見つけた絵柄の組み合わせなのに、自分で見つけた表現の仕方なのに、簡単に真似しないで、という感情があったかもしれない。
真似されたくなかったけど、我慢したのかもしれない。
じゃあそれ、実際に言葉にしていたら、『絵柄の流行り』ってどうなっていたんだろう。
どうして第一人者は「真似してほしくないと言わなかった」のだろう。
自分の絵って、何に影響されて、何に感銘を受けて描いているんだろう。
今更だが、この日記は一つの答えを弾き出すものではなく、自分や読まれた方が、この感情を持ったり向けられたりした時にどう対処するのが「自分に合っていて」「ストレスが少ないか」を考える手がかりになればと思って書いた。
その事実を受け止めたとき、何を思うかは自由だが、『ストレスのない考え』を見つけることが、この問題のゴールになるのではないかと思う。
ちなみに、私は知らない世界だが、ネットでは一人の絵柄を1から10まで全てコピーしたかのような模倣をする人もいるらしい。そうなったらいよいよ法の出番かもしれない。
追記。私は好きなイラストの好きだと思った部分は積極的に真似している。仮に「真似しないでほしい」と言われたら、申し訳ないが私の好みが変わるまで待ってほしいと言うだろう。
イワクラと吉住の番組にて「大きいおっぱい」について語られていた
自分(女)も大きいおっぱいが大好きだ。岩倉と吉住は「癒やし」と言っていたが、自分は男性的な目線で見てしまう
入眠時によく見ているASMR動画の某外国人女性You Tuberは度し難い程おっぱい大きい。見ていると眠くなるどころか覚醒してしまうので声や音だけ聴くようにしている
大きいおっぱいは大好きなのだが、自分が巨乳になるのは絶対に嫌だ
サステナブルが叫ばれる昨今ではあるが、「おっぱいの美しさは有限」であり持続可能性と対極にある存在だ
大きくて張りがある美しいおっぱいは、時間の経過とともに見るも無残なことになるのだ
顔のタルミだってキツイものがあるが、おっぱいのタルミの悍ましさはその比ではない。顔と違って常日頃晒されているものではないから余計キツイのだろう
みんな必死で抗うのだろうが、なかなか難しい様だ(ちなみに太ったお婆さんの巨乳は比較的保たている模様。痩せている元巨乳のお婆さんのおっぱいが悲惨。完全にコント)
若い女性の、美しくハリがある大きいおっぱいだけが存在価値を持つ。あれは至宝だ
いやー、いい国ですね。ニッポン。
どこかのタレントが予言した通りコロナ禍からこっち女の子のレベルは上がる一方で本気で顔面アイドル級の子がやってくるので逆にこっちがビビります。
来てくれた子は、ぽっちゃりだけどデブではなくて雰囲気的には日○坂で一番おっぱい大きい子にそっくりです。
そして、JKコスプレのオマケ小道具として吊り革を持ってきてくれてたので衣装ハンガーをかけるやつにひっかけて置換ごっこスタートです。
どうしよっかな?と思ったんですがとりあえず後ろから抱きついてみました。
おっぱいを揉むんじゃなくて後ろから手を回してぐるっと抱きつく感じです。
そうすると、もうね匂いが最高なんですよ。
髪の毛はもちろんいい匂いさせてるんだけどね、同時にちょっと地肌の臭いニオイがね、ほんのすこしだけするんですよ。
この、ほんの少し(ほんの少しですよ)臭いっていうやつが最高にリアリティバランスを盛り上げてくれます。
抱きついたら、「キャっ」て言ってくれてそれがね、めちゃくちゃナチュラルうまくてそのあとの「ちょ、ちょっとやめて」って言い方がすんごく勃起をそそる言い方なんですよ。
わたしの文章力がなさすぎてどう表現したらいいかわからないんですがとにかく男のやる気を引き出す名演技です。
いやあ若いのにすごいな、って感心しました。男がどうやったら喜ぶかってことを知り尽くしているみたいです(これはそのあとのプレイでも思い知らされました)。
Gカップって表記でしたが実際にはHカップあるらしくてとにかくデカイ。そして顔がカワイイ。
なんか学費稼ぐために働いているらしいですが、そんなことはどうでもよくてちょっとジャンプしてもらったらプルップルに揺れるもんだから我慢できずに押し倒してチンチンを擦り付けてしまいました。
そしたら挟んでくれて、って、とまあこんなあんなで最高の100minでした。
裏オプ込み40Kでこれが楽しめるんだから円安も相まってお得感しかありません。
戻る前にもう一回呼んで楽しむことにします。
この前、図書館で会話もしてない状態であればマスクをする必要がないと有識者たちが言ってた。
ずっと前からそうだったけど言うと混乱するから言わなかっただけみたいなことも言ってた。
(それから数日後、政府からもマスク着用のルールを緩和する発表があったわけだが)
で、昨日図書館行ってたわけよ。
最初からノーマスクじゃないよ。同じ机に他の人がいるときは一応マスクしてた。
でも閉館間際で俺のいる閲覧席のまわりだーれもいなかったからマスク外してたら通りかかった女の職員に注意された。
「マスクつけてくださぁ〜〜い!!」
急にキレる老人の気持ちわかったわ。
助走つけてその女の顔面ぶん殴ってやろうかと思ったわ。
物の言い方知らんのか。