はてなキーワード: 布教とは
『日本で黒人奴隷が流行していた』からの『流行していたから連れてこられた』ってことにしたい一派が、
ちなみに、SNSでのきゃっきゃに参戦している人に、日本の要職についてたり、竹中平蔵氏と共著を書いたり、
著書の中で『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』だと語ったり、
近々の京都での炎上事件の件で、日本人アカウントに『恥を知れ』って言ってた人もいたりする
一例:
X民:トーマス・リーの本に『日本で黒人奴隷が流行った』って本当に書いてある。酷い嘘だ
↓
『恥を知れ』って言ってた人 :それが嘘だって言うエビデンスは?
↓
X民:どうやって黒人奴隷を連れてくるんだよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:無知な指摘。シルクロードも知らないのか?
↓
X民:【新説】オスマン帝国は存在せず、シルクロードは16世紀でも使われていた!大航海時代は無かった!
X民:シルクロードで日本に黒人奴隷を送った‥?いやいや過酷ですし、コストがヤバいですよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:
大丈夫ですか、みなさん?
ることに対して、私が、極東であって
も、シルクロードでもあった様に、大昔
した。
るから。
増田も豊臣秀吉(キリシタン大名と日本人人身売買)の件は学校で習ったでしょ?
あと、彼が登り詰める前も、日本の識字率は昔から低くないですし。侍の階級なら尚更ね
なんで流行してたなら資料に残ってないの?ってなるで?日本人が奴隷として連れてかれた記述は残ってるのに
そもそも欧米やアメリカ大陸に売るよりも日本の方がコスパいいってどういう理屈ですか?って話よ
大航海時代に続く三角貿易も無い世界線・・・・・・歴史改竄しすぎでは?感
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
昨今、職場の人や友人と政治の話をもっと活発にしようという風潮があるが、その裏にある真意に気づいているだろうか。
推しの政治的な手腕、将来性、他の候補より優れているところを語って盛り上がりたいというオタク気質の発露にすぎない。そして、投票してもらうために、いわゆる「布教」もしたい。「政治の話をしよう」というのは、政治オタクたちの推し活動にすぎないのだ。
これだけだと健全なものにも見えるが、推し活が実態なのにその建前が「活発に議論しよう」というものになってるのが、タチが悪い。
まず、こう口では言う人でも、相手の話を聞く気が一切ないと断言できる。なぜなら自分の推しを語りたいだけなので、相手の推しのことなんてどうでもいいし、あわよくば布教を狙っているので、話の方向性は、オタク的論破、すなわち、いかに相手の趣味趣向を変えるかが目的となってるからだ。当然、自分の趣味と異なる相手と対峙した時、社会や政局や政治思想の解釈違いから、嫌悪感を覚える人も多いし、論理的で理性的なコミュニケーションには決してならない。これを「話し合い」という体裁をとらせているのが、タチが悪い。
まあ、ほかにも、話し合いという建前なのに、意見の異なる「推し」だった場合、人格否定されることや、マイナスのレッテルを貼られることのリスクがかなり大きいことや、そもそも政治思想はプライベートな話なので、あまり話したくないという面もあるが、今回はそこは置いておこう。
以上より、「政治の話をしよう」という言葉は、議論という建前をとってるが、その実はただの推し活であることがわかってもらえたと思う。
みんなに呼びかけているわりに、「政治の話をしよう」という言葉の持つ、寛容で知的なイメージとは真逆で、そこには人格否定やレッテル貼り、人間的に見下されるリスクがあるのを隠すのはフェアじゃないと私としては思う。
現代人は、自己評価より幼稚だし、他人へのリスペクトがほとんどないので、理知的な議論など、ほとんどの人には不可能だろう。
それなら、地道に街頭でのビラ配りしたり、かつてネットで揶揄されていた、公明党支持者の「投票先決めた?投票行こう」と直接呼びかける手法の方が、まだストレートで好感が持てる。
最近電車で頻繁に発生しているバニラ茶髪芋に苦しめられている。
彼らの特徴として
・茶髪
・黒系トップス
・バニラ臭
が挙げられる。
色素が薄いわけでもないのに色を抜かずにただ染めただけなので大抵汚い茶髪になっている。
ヘアケアができていないので髪が痛み、整髪料でセットしたシルエットからアホ毛がチョンチョンはみ出ている。
チェーンブレスレットは悪くないが、あまりに多すぎて「これ誰か布教してるインフルエンサーでもいるのか?」と疑うようになった。
ネックレスより指や手首につけるシンプルなアクセサリーが好きだったが、最近ネックレス男子が滅んだ代わりにリングとチェーンブレスレットをつけたバニラ芋茶髪が増えすぎて嫌いになった。
パンダンティフアンプラントを一個だけつけてリングもバングルもしてない男の方が良く見える。
そして彼らはとんでもないバニラ臭を放っている。
ブルードゥシャネルを劣化させたような香りのバニラ系パルファムを、オードトワレでもつけないようなプッシュ数で全身にまとっているのだろう。
「香水はオードトワレをワンプッシュで良い」と教えてくれる健全なお兄さんお姉さんが彼らの周りにはいなかったのだろうか。
シャネルなんて買わなくてもその三分の一の値段でラッドスカイのPM買ってワンプッシュすれば十分だから今すぐロフト行ってこい。
大抵パルファムシャワー野郎どもは電車で5秒に1回鼻を「ズズッ」とやってやがる。
どんなに香りが良くても服がオシャレでも、人前で定期的に鼻をすすらないと鼻垂れ小僧になる、長年の慢性鼻炎で顔がモタっとしてる鼻炎メンズに好印象を抱く女性はいないしましてや付き合うなんてもってのほか。
小さい頃に定期的に耳鼻科に連れて行ってくれなかったパパママを恨んで外に出ず女に恋せずシコシコしてろ。
とにかく、何かに影響されたようにパルファムシャワーを浴びてチェーンブレスレットして5秒に1回鼻を啜りながらスマホのカメラで前髪直してるバニラ茶髪芋ガキ共は滅びろよ。
信徒であることにアイデンティティがあって、教会に一定の帰属意識があって、現在進行形で交流を持っていたら、普通にごく普通の信徒ということなのでは
中には「敬虔な」と言われる人や聖職者もいて、そういう人は布教したり神学論争したり罰当たりな言動を咎めたりするんでしょうけど、平信徒ってそういう人ばかりじゃないよね。宗教団体と地域・時代によって程度は大きく異なるんでしょうけど
だからといって脱退しないのがいけないとは思わないから、本人がどうしたいのかだよね
オウム系統とか統一教会系統とか親鸞会とかその手のやつなら、ごちゃごちゃ言わないですぐやめてって思うけど、それにしたって増田の自由で、何を取るかの主体的な選択の結果ということだと思う
鬱の件は恋人の方が不安で甘えてるってことなんでしょうけど酷いね
でも宗教と鬱は同列に語るものではない気がする。宗教も2世以降ともなれば生得のもので、価値観やコミュニティへの帰属意識は植え付けられるから選択ではないのだ、と言いたんでしょうし、それも一面では事実でしょうけど、成人してたら自由意志の方が重要視されるものだと思う。暴力的言動を伴うような束縛や制約が強い団体の場合はまた別なので、物理的・心理的に抜けたくても抜けられずに苦しんでいる人には最大限度同情するけど、増田は違うということだし……
※追記あり
吐き出せる場所がなかったので、ここに書き記させてほしい。何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴だと思って、暇つぶしにでも読んで頂けたら幸いである。
付き合っておおよそ2ヶ月程度だが、長々隠し続けるのもよろしくないと思い、酒の力を借りて(これに関しては良くなかったと思っている)震えも怯えも誤魔化し、宗教3世であることをカミングアウトした。恋人は、その場では多少驚いて見せたが、変わらない様子でその後も過ごしてくれた。そんな恋人を見て、受け入れてくれたのだなと脳天気に考えていた。
しかしその翌日、自分の宗教観、信仰心の程度、両親とも信仰をしているのか、何か金のかかることをしているのか、等を仔細に尋ねられた。
全てに素直に答えた。自分に信仰心はないし、両親に信仰心はあるが、より強かった母は既に逝去しており、父は母に言われて入信したにすぎず、母の死をきっかけに多少強まったとはいえやはりそこまでではない。金が出ていった形跡もない(母の医療費でそれどころではなかった)。これらのことを丁寧に伝えた。そして、自分は布教をする気はないし、宗教的な儀礼にも参加していないし、あなたに危害を加えるつもりは一切ないということを何度も何度も必死に伝えた。
それでも恋人の不安は止まらず、信頼(どころか崇拝の域だとは本人談である)している友達に相談したらしい。同じ宗教を信仰している知り合いがいたそうで、大金を叩いて大変なことになっていたらしいというエピソードや、信仰心がないと自称しているがそれは周りに信心深い人が多いからそう思っているにすぎないのでは?といった意見を聞いたそうだ。
そして自分で調べてみたら、拝金主義のヤバい宗教である、カルトそのものだ、2世や3世は人生を壊されている、などといった記事が次々と目に飛び込んできたらしい。
言わせてもらえば、インターネットなんてそんなものだろう。センセーショナルなものほど目立つ。たとえばある人について、懸命なボランティア活動を行っていたという報道よりも、その裏でセクハラをしていたという報道の方がよっぽど目を引くだろう。ましてやテーマは宗教だ。大きな事件もあったことだし(自分の属している宗教のものではないが)、大衆の関心は高い。面白おかしく取り上げるにはうってつけの題材だろう。
大金を叩いて大変なことになるかもしれないというのも、先述の通り我が家ではそんなことはなかったし、自分自身だって宗教的なものに金を使うつもりはない。使えと言われても断れる自信がある。信仰心がないからだ。
恋人は「安定した生活を共に送れるパートナー」を求めていたらしい。宗教3世なんて肩書きのある者はそれに値しないとのことだった。やはりお金を宗教に使うリスクや、世間からどう見られるかといったことが気に掛かって仕方がないらしい。早く辞めてほしいと涙ながらに懇願された。
そもそも同性カップルである時点で世間から一切後ろ指をさされないとはいえないのではないか(もちろんそうならない世界に一刻も早くなってほしいが)。残酷なようだが、100%安定したパートナーを求めるのはハナから厳しい話なのではないか。
仮に同性カップルであることの誹りならば耐えうるというのなら、パートナーが自分の意思とは関係なく宗教に入信させられた(自分は出生した時点で入信させられたらしい)特に信仰心のない3世だという誹りも耐えられないのだろうか。同性愛よりも宗教への風当たりが強いという現実は否めないが、そこに差異を感じる理由が自分にはあまり理解できない。そもそも隠し通すことだってできるはずだ。自分だって今までそうしてきた。
ましてや自分はそれなりに安定した身分だ(身バレを防ぎたいのでぼかさせてもらう)。恋人が何もできなくなったとしても支えることはできる。これはまごうことなき安定した生活の保証ではないのか。こんな生まれついたもので、打ち消されてしまう程度のものなのだろうか。
生まれついて選択権のなかったものという点では性指向も宗教3世も同じなのではないかと思う。恋人は「宗教に関しては自分の意思で辞められるだろう」と言い返していたが、それなら、これはあまりにも暴力的な理屈だが、同性愛者であっても異性と性交渉をすることは精神的にはともかく物理的には可能じゃないか。自分だって本当にこんなことを言いたくはないが。世間の目線を気にし、自分の意思で無理矢理異性と結婚した同性愛者だって少なくないはずだ。恋人はこのような人達の存在も当然の行いをしたまでだと判断するのだろうか。
実際さっさと脱会したらいいのでは?という意見はよく目にするが、これもなかなか難しい話なのである。信仰心がないからといって即座に脱会!というわけにはいかない。宗教の人達からどういう目で見られるのかと考えるとやはり恐ろしい。宗教のみを理由にして優しくしてくれていたのだとしたら、その事実を目の当たりにするのがどうしても怖い。それこそ信仰心がないからだ(信仰心があれば、宗教の人たちとの繋がりが切れることへのシンプルな寂しさしか抱かなかったであろう。信仰心のない自分が抱いているのはただただ恐怖のそれだ)。それまでの縁であったと割り切ることはきっとできると思う。しかしそれには大きな傷が伴うし、時間もかかるだろう。私は母が病死した際に、宗教に基づく儀礼等に従った方式でなくただただお線香を上げに来て下さった宗教のひとびとが、信仰心に基づいてそれを行ったとは思えなかったのだ。
ましてや父に勘当だってされるかもしれない。そこまでいかずとも、大きく傷つけてしまうかもしれない。今の父は、さきほど述べた通り、母の大事にしていたものを大事にしたいという心境から、信仰心が少しだけ強くなっている。そんな風に抱きしめているものを、突然唯一の子供から強く否定(に近い行動を)されたら、父はどう思うのであろうか。
そして、これはもしかしたら当事者にしかわからない感覚の話かもしれないが、信仰心とはパラレルに、やはりそこにアイデンティティが存在する。同じ括りにしていいのかはわからないが、出身地のようなものだ。地元愛があるかどうかは別として(自分はない側である)、その地の出身であることは人生の一部に他ならない。もしくはタグか何かだろうか。生まれついたものであり、見せびらかす人もいれば、隠したがる人もいて、いずれも外せはしない。
それでも恋人は、今後の自分の発言や行動を「宗教の人」のものとして認識してしまうと泣いていた。散々長々書いたが、結局この人のためにいつか脱会しないといけないなと思っている。この辺りの時期かな、となんとなく目処も立てている。まだ踏み切る覚悟はできていないが。
そしてここからは宗教3世とは話題が離れるが、この話の流れでついでに吐露されたことがある。
まず、自分は鬱病を患っている。原因は母の病死と父の精神状態の悪化だ。通院をしており、現在闘病中である。今でも「お前らがストレスを与えるせいで私の病気は悪化して死ぬんだ」との母の昔の発言を引きずり、自分はどれだけ母の寿命を削ってのうのうと生きているんだろうという罪悪感を抱きしめ、病床の母や咽び泣く父の姿がフラッシュバックし、毎晩母を想って「〇〇ちゃん(母の愛称)、どこ行っちゃったんだよ」と泣く父の声を聞き、それにしんどさを覚える自分にまた罪悪感を抱き、それら全てをないまぜにした希死念慮と喧嘩している。それでもやっぱり死にたくはない。どうにか寛解を前向きに目指している。
このことについて、恋人は「鬱病だっていつ治るかわかったもんじゃない、精神疾患を抱えてるパートナーがいるってことも世間からどんな目で見られると思ってるんだ、ずっとずっと不安で仕方がない」と涙ながらに吐き出した。
「絶対にいつか治るよ、少しずつ良くなってるから、安心して」としか返せなかった。自分だって自分の鬱がどうなるかなんてわからないが、絶対に治す意思はある。一生鬱をやっていくつもりはない。そして、これだってなりたくてなったわけではない。
自分の意思でない肩書きのせいで泣く恋人に、世間の目が怖いと震える同性の恋人に、これ以上何ができたのだろうか。自分が「こう」でなければよかったという自責の念が止まらない。やはり生きていることへの罪悪感が、止まらない。生まれてくるべきではなかったのかもしれない。大好きな恋人をこんなにも悩ませ、泣かせてしまった。末永く付き合って、幸せにさせてほしいと思っていたのに。それも生まれのせいで叶わないのかもしれない。自分だって可能なら無宗教として生まれたかった。消えてしまいたい。
拙文で申し訳がない。繰り返すようだが、この世の何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴に顔も名前も知らないあなたを付き合わせてしまい、申し訳がない。
追記:
ただのチラ裏愚痴のつもりだったため、想像以上の反響にただただ驚いております。どのような感想を抱いたにしろ、読んで頂いた方々にあらためて感謝させて頂きたいです。
気になる(負の感情ではありません)コメントがいくつかあったため、自身の見解を述べさせて頂きます。
信仰心があるようにしか見えないというご意見をいくつか拝読いたしました。あくまで自分視点での話にはなってしまいますが、本当にないつもりです。宗教3世であるというアイデンティティはあれど、何も信じていないし、教祖的な存在への批判もすんなりと受け入れます。母がいよいよという時にも、宗教には決して縋りませんでした。信じていないからです。
宗教コミュニティに依存していること自体が信仰と関係なく怖いのでは?というご意見も頂きました。脱会してその人達からの扱いが露骨に変わってしまったら傷つくなあという不安イコール依存ではないのではないかなと感じます。ありがたいことに、コミュニティ外の友人も沢山いるので(依存してるとしたらこっちの方かと思います)そこまで依存はしていないつもりです。一度経験しなければならないであろう傷つきが怖い、それだけのことです。縁が切れたらそれまでとも思っております。
脱会すればいいとのご意見も頂きましたが、本当になかなか厳しいのです。どうしても当事者にしかわからない事情で歯がゆいのですが、簡単にできることではないということだけ知って頂けたら幸いです。
なかなか知り得ない世界のことですし、そう思われて当然だと思っているため、どんな意見も(たとえ対面であれば言わないであろうものであれど)ありがたく受け止めさせて頂いております。3世当事者である以上、視野には限界があると思っているため、なるほどこういう考え方もあるのかと勉強させて頂いております。
自分への心配や慰めの言葉をかけて下さった方、親身になって怒って下さった方も、大変にありがとうございます。泣いてしまいました。どこの誰とも知れぬ自分にこんなにも優しくして頂けて、感謝の思いでいっぱいです。
自分は恋人のことが本当に大好きです。これからどうにか妥協点を見つけていけたらいいなと模索中です。いくらなかなか簡単にはいかないこととはいえ、先述の通り脱会も前向きに考えております。鬱もせめて心配をかけない程度には寛解を目指すつもりです。
聞いた瞬間「ガイジかな?」って口を衝いて出そうになった。
なんとかギリギリで抑えてフンフンなるほどですね~ってパン職の傾聴スキル総動員して取り繕ったけど危うかったわ。
よく考えると親しくもない同僚にそんな話振ってくる時点でザ・弱男だし逆恨みされて硫酸かけられたりナイフで滅多刺しにして殺されかねないわけだから下手な恨みは買わないに限る。
とりま同期の女子ライングループに注意喚起流したら「自分も勧誘された」的な声がチラホラ……いや何やってんだお前。
これ以上続くようなら証言集めて人事に報告かなぁ。
何よりヤバかったのはこっちが下手に出て調子乗ったのか期日前投票で投票用紙に名前かいた写真送れって言われたこと。
よくさ、
野山で小動物やら何やら獲って食べるでしょ?
そのとき、
鳥とかそこら辺のカエルとか捕まえて食べて
しかも生で食べるじゃない。
ガブって囓ったときに苦っ!ってなったりするじゃない。
狐が化けて人間になってもいいけど、
またキツネに戻ったときに野山の食べ物食べられるのかな?って心配になるわ。
逆に
やっぱり野山の新鮮な鳥とかカエルとかが美味いよね!ってキツネ本来の暮らしを楽しむキツネもいるかも知れないし。
いやー絶対肉とかは火を通した方が美味しいと思うんだけどって
生の鶏肉はちょちょっとって人間は鶏刺し以外そうなるじゃない。
だって美味しい鶏刺し料理を提供してくれるお店があってその女将さんが言うもん。
新鮮なうちの10分以内に食べ切って下さいね!それがこの鶏刺しの掟です!って
キツネのそれの生肉を食べる鮮度のどうのこうのより厳しい鮮度に目を光らせてない?
たぶんそのぐらい鮮度抜群な鶏刺しならきっとキツネも美味しい美味しい!って食べてくれるかも知れなくて、
狐が化けたときに人間と一緒にその美味しい鶏刺しを提供するお店に行ったとしたら、
って言うのか
へー人間もこんな美味しい生肉食べんじゃん!って見直されたりするのかしら?
どちらにせよ、
そんな好みの問題があると思うけれど
人間に化けた狐がたぶん美味しい炊き込みご飯とか食べちゃった日には、
あれやっぱり絶対美味しいと思うのよね。
さすがにキツネも美味しいと思ってくれるはずだと思うんだけど。
実際はどうなのかしらね?
分からないわ。
鳥に直に直接かぶりついていたら
それはそれでなんか泣きながらシャイニング観るわ。
ちょっと怖いわよね。
ハッと!目の前に美味しそうな捕まえられる鳥を捕って食べるときは
キツネがいま人間じゃないことを自覚しなくてはいけないわよね。
あと
よくある物語で
狐が人に化けるとき
なんか術を解かないと普通にずーっと人間で居続けられるじゃない。
相当な消耗をするはずなのよ。
化けるのに精神力をたくさん消費して
一度化けてしまえば以降精神力は消費しないタイプの術なのかしら?
そこのところもよく分からなくない?
あといきなり狐が化けた人がご飯を食べるとき箸を上手に使えるのか!とか。
まあ初めてなら難しいので犬食いになりがちかも知れないけれど、
慣れた狐が人に化けたときのご飯ならきっと箸も上手に使いこなせるのよね?
見失っちゃったりしないのかしら?
そう思わない?
あとふと思ったんだけど、
その美味しい鶏刺しを提供してくれる美味しいお店の女将って実は
キツネで美味しい自分たちの鶏の食べ方人間にも教えてやんよ!って意味合いで
美味しい鶏刺しのお店を出して
いろいろなお品書きがあるにもかかわらず
やっぱりキツネかも知れないわ。
今度訊いてみようかしら?
でも実際そうであってもそうです!って答えるわけないわよね。
うふふ。
なのでいつも買ってるサンドイッチ屋さんの他にもパンも売っているそんなお店の方がまだ1割ぐらい安いのよね。
だから
サンドイッチはこのお店!って決めているのよ。
すみやかに身体が失われた水分を求めるようにまるでポカリスエットか何かのキャッチコピーを思い浮かべてしまうように
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
う~~~ん、ジャニオタが担当を布教するのと、女子高生が同級生を「〇〇が推し」って言うのはニュアンスが違う気がするんだよね
単に「好き」って気持ちを流行りの単語で包んでるだけかと思ったけど、恋愛感情が無くても見た目が好きなら推すっていうらしいし
...いやそうなるとジャニオタと変わらないのか?わかんないよもーーー!
いや~そりゃネットにいっぱいいるだろうけど、自分が全然興味ないアイドルだかVtuberだかの話しかしない人眺めてても苦痛なだけで…
コロンブスがアメリカを「発見」した当時のスペインの植民地政策を「エンコミエンダ制」という。
「エンコミエンダ制」は、対イスラム戦争であるレコンキスタのなかで生まれた。
指揮官は占領した土地のムスリムを働かせ、そこから利益を得ることができるが、かわりにムスリムを守り、きちんと教育しなければならない、というものだった。
前線で戦う指揮官が、現地の異教徒を皆殺しにするとか、略奪だけして放置するとか、そういうことをすると困る。
責任を持って異教徒たちを統治して、秩序を保つようにしろよ、という話である。
「教育」というのは、スペイン語やキリスト教の教育のことで、キリスト教の布教活動であり、一種の同化政策でもあった。
この「エンコミエンダ制」下における異教徒は、過酷な労働を強いられたが、法的な扱いとしては「奴隷」ではなかった。
「奴隷」なら、生まれた土地から引き離されて、売り飛ばされ、個人の所有になったりするものである。
戦争の結果として捕虜になった異教徒が「奴隷」として売られるのと、戦争によって支配された土地の「先住民」を働かせるのは、異なることだったのである。
「イベリア半島をムスリムから取り返したのと同じやり方で世界中をキリスト教国にしていこうね」という流れである。
コロンブスもそういうノリで、西インド諸島に植民地を築き、先住民たちを働かせながら、キリスト教を広めていこうとしていた。
ちなみに、コロンブスの宗教的情熱は、建前ではなくかなりマジだったらしい。
つまり、少なくとも「原住民たちの信仰を尊重しつつ仲良く住み分けていきましょう」なんてことは最初から想定されていなかったわけだ。
このとき、スペインは「先住民はスペイン国民として扱う」「スペイン国民なので奴隷にしてはいけない」と言っていた。
一方で、コロンブスは「反乱を起こした先住民なら奴隷にしていいだろう」と思っていた。
コロンブスはもともと商人だったので奴隷貿易にも携わっていただろうし、「異教徒の捕虜を奴隷として売る」というのが当たり前の選択肢としてあったのだろう。
コロンブスが、先住民の捕虜を奴隷としてスペイン本国に送り、イザベル女王を怒らせた、というのはそういう話だった。
そうした出来事があり、またスペイン人植民者たちの不満の声が届いたことで、スペインはコロンブスのもとへ査察官を派遣した。
査察官のボバディージャは、スペイン人植民者たちの証言を集めた。
「トウモロコシを盗んだ男が耳鼻を削ぎ落とされて奴隷として売られた」「コロンブスの悪口を言った女が舌を切られて裸で引き回された」といった暴政が報告された。
コロンブスが残酷な統治をしていたかどうかは、この査察官ボバディージャの報告を信じるかどうかが大きい。
現在、コロンブス批判派は「ボバディージャの報告こそコロンブスの残虐さの動かぬ証拠だ」と主張し、コロンブス擁護派は「ボバディージャが捏造したのだ」と主張している。
申し添えておくと、ボバディージャはコロンブスの後釜として植民地の総督になっているので、コロンブスを追い落とす動機はあった。
スペイン人植民者たちがコロンブスに不利な証言をする動機もあっただろう。
当時、エンコミエンダ制のもとで先住民の労働を管理していたのはコロンブスだけだった。
スペイン人植民者たちは「私たちにも先住民労働者を渡せ」と要求して反乱を起こしていた。
ボバディージャはスペイン人植民者たちに味方したので、スペイン人植民者たちは彼の統治を歓迎した。
実際に、ボバディージャの統治以降、エンコミエンダ制は有力な植民者たちにも適用されるようになり、いっそう拡大していったのである。
スペイン植民地政策の批判者として有名なラス・カサスは、コロンブスの息子と親しかったので、コロンブスに対しても非常に同情的だった。
https://store.steampowered.com/app/1622910/Still_Wakes_the_Deep/
このゲーム
「下におっときにクルーリフトのヒューズばちゃちゃっと直してくるっね?」
「黙れっつっとるやろうが!わいらのごた 連中がおいの経営にいちいち文句ば言うとのせからしゅうてたまらんのじゃ」
「リグ全体ば見ろ ガラクタん山さ 掘り始めたばっかとに崩るっと カダルんクズにレニックんクズは手抜きばっかさ」
「おんシェフとはお友達でもなここば経営しとっとはアレじゃなくておいぞ」
「いったい何のあったとや?!」
「避難する段じゃなかやろ?北海の底におるままやったらあいつから持ち場に戻さるっだけぞ」
なんかすごい訛ってる
スコットランドが舞台でやや訛りのある英語なのでそこを日本語で再現しようという試みらしいが、英語は訛ってても言葉自体は同じ
文にすれば大体同じ
でもこの翻訳は標準語とは書き言葉からして違っていてプレイヤーを無駄に混乱させる
Reimond
@Reimond1997
「"Still Wakes The Deep"が何で九州弁・博多弁なんだ?」という投稿等が多数ありますが、簡単に言うと私が長崎県出身で、方言でローカライズする事にずっと憧れていたからです。その訛りに馴染みのない方々は、これから長崎含めた方言を知るきっかけになって頂ければと思います。
https://x.com/Reimond1997/status/1803272741606584545
人種や性別をはじめとした様々な多様性が認められてきているなら方言の多様性だって認められていいと思うの。
https://x.com/Reimond1997/status/1803273049099345995
現在世界全体でのレビューが「非常に好評」の作品であるが、日本語レビューではBADがつきまくっている
1484年:コロンブス「ポルトガル王! 西に進めばインドに行けるんや! ワイの計算では可能なはずなんや!」
→ポルトガル王「うちはアフリカ探索が順調に進んどるし、東から行ったほうが有望そうやから却下やね」
1486年:コロンブス「スペイン王! 西回りでインドに行って香辛料貿易でがっぽがっぽ! どないでっか!?」
→スペイン王「ちょっと待っててな、いまイスラム教徒と戦うので忙しいんや」
1492年 スペイン王「イベリア半島からイスラム勢力を駆逐したった! 異教徒から金も奪ったからコロンブスに出資したろ!」
→コロンブス「サンキュー! ワイもスペイン王みたいにインドから異教徒を駆逐してキリスト教を布教したるで! 出航や!」
→コロンブス「苦しい航海の末にインドの島々に到達したで! サン・サルバドル島やイスパニョーラ島と名付けたで!」
ちなみに、当時の「インド」はインダス川以東のすべて、つまり南アジアだけでなく東南アジアや東アジアも含む概念だった。
コロンブスを含め当時のヨーロッパ人は、コロンブスが「南アジア」に到達したと思ったわけではなく、「東アジアのどこかに到達した」と考えていたのである。
1493年:コロンブス「スペインに帰ってきたで! ワイは英雄や!」
→スペイン王「おまえが見つけた土地はおまえに統治を任せるで! エンコミエンダ(委託)やで!」
→コロンブス「ほならすぐに出航するで! 今度はイスパニョーラ島に植民地を建設するために農民や職人も連れて行くで!」
→コロンブス「イスパニョーラ島に帰ってきたで! 原住民も働かせて街を作るで! 金や真珠もどんどん見つけたるで!」
1494年:スペイン王「西回りでアジアに到達した私らと、東回りでインド到達を目指すポルトガルが衝突したら困るなあ……」
→スペイン王「西経46度から東側の新領土はポルトガルのもの、西側の新領土はスペインのものっちゅうことでどや?」
→トルデシリャス条約締結
1495年:コロンブス「反乱を起こした原住民を奴隷としてスペインに送るで! 思うように金を採掘できてへんけど、それでなんとか補填できんか?」
→スペイン王「いきなり奴隷を送りつけてくるし、イスパニョーラ島から戻ってきた連中も文句言っとるし、向こうはどないなっとるんや」
1496年:コロンブス「スペイン本国でワイの悪評が広まっとるらしいで……いったん帰るわ……」
1497年:ジョン・カボット「伝説の島ハイ・ブラジルを目指して、イギリスから大西洋横断したら、新しい島に着いたで!」
1497年:ポルトガル王「西のほうでどんどん成果が上がっとる……俺らも早くインド目指さんと……!」
→ヴァスコ・ダ・ガマ「ほい、アフリカ周回してインドに到達したで!」
1498年:コロンブス「今回で航海も三度目やし、ちょっと探検したろ! おっ、植民地の南のほうになんや大陸があったで!」
1499年:スペイン王「なんかコロンブスが新しい大陸を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」
→オヘダ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」
→オヘダ「ブランコ岬くらいまで南下したけどこれ以上は無理やわ……いったん帰るで!」
1500年:ボバディージャ「コロンブスさん、ちーっす! スペイン王の命令で査察に来たで! うーん、残虐な統治をしとるなあ……アウトーっ!」
→コロンブス失脚
1500年:カブラル「ヴァスコ・ダ・ガマに続いて、ワイもインドに行くよう命じられたで〜!」
→カブラル「大西洋を西に流されて変な土地に着いたで〜! 未知の島っぽいからポルトガルの領土宣言するで〜!」
1501年:ポルトガル王「なんかカブラルが新しい島を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」
→ゴンサロ・コエリョ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」
→ゴンサロ・コエリョ「パタゴニアくらいまで南下したけどまだ陸地が続いとるわ……いったん帰るで!」
1502年:コロンブス「最後の出航やで! きっとパナマに海峡があるはずやから、そこを通って(南アジアの)インドを目指すで!」
1503年:アメリゴ・ヴェスプッチ「南の大陸を何度か航海したワイが考えるに、あれはアジアやないで! 新大陸や!」
1507年:ヴァルトゼーミュラー「うおおアメリゴさんすっげえ! アメリゴさんが言ってる新大陸を『アメリカ』と名付けたるで!」
→ヴァルトゼーミュラー地図に「四方を海に囲まれた南北アメリカ大陸」が描かれ、そのうち南アメリカ大陸が「アメリカ」と命名される。
アメリゴの説は広く受け入れられたが、南アメリカがアジアとは別の大陸だったとしても、まだ「北アメリカはアジアの東端である」という主張が完全に否定されたわけではなかった。
たとえば、同じく1507年に、コロンブスが発見したイスパニョーラ島と、東方見聞録に書かれた日本とを同一視するルイシュ地図が作成され、こちらもベストセラーになっている。
1511年:アルブケルケ「インドのゴアとマレーシアのマラッカ占領したった! 香辛料貿易はポルトガルの独占や!」
1513年:バルボア「パナマのあたりまで進出して植民地を作ったで! パナマを横断したら海があったで! この大陸は海に挟まれてるんや!」
1519年:スペイン王「ポルトガルが着々とアジアに進出してるやんけ! 私らも早よ西回りでインドに行かな!」
→マゼラン「ワイはポルトガルのマラッカ遠征にも参加した歴戦の船長やで! スペイン王のために世界一周を目指すで!」
1522年:マゼラン「ワイはフィリピンで殺されてもうたけど、部下が代わりに世界一周を達成してくれたで……ほな……」
→世界一周の達成
これによりアジアとアメリカが遠く隔たった別の地域であることが実証され、あらためてアメリカ大陸は「新大陸」と認められた。
南アジアや東南アジアといった本来のインドは「東インド」、南北アメリカは「西インド」として呼び分けられた。
「東インド諸島 / 西インド諸島」や「東インド会社 / 西インド会社」などの呼称はそれに由来する。
さらに200年後、ベーリング海峡が発見され、ようやくユーラシアとアメリカが完全に別の大陸であることが証明されたのだった……。