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2023-05-30

anond:20230530100436

営業時間変更の決定権があるオーナーならまだ話はわかるけど、雇われ社員勝手に早仕舞いやったらサボタージュからあかんやろってだけやで。

別にときがどうとかそんな事考えんで、自分会社員や。

他人が悪意を持った考え方しかしてないと決めつけてるお前の方がロクでもないやろ。

anond:20230530090956

途中まで感情移入できてたけど

個人店なら早仕舞いでも構わんけど、チェーン店で雇われが偉そうに勝手な事して客に不愉快な思いさせてるのもなんだかなと思った。

こころくでもなさすぎて笑った

「雇われごときお客様を愚弄するのか!」とか思いながらチェーン店利用してる客とか怖すぎるだろ 高級店にでも行けや

先日久しぶりに近所の餃子の王将行ったけど、ラストオーダー20分前に入ったのに「麺類は出来ないけどいいか」とか「もうすぐラストオーダーだけどいいか」とか凄い入れたくなさそうな言い方された

ラストオーダー5分前に来てた客は、営業中の札出してるのにもう終わりだって追い返されてたし。

そんなに嫌ならラストオーダー時間早めればいいのに。

個人店なら早仕舞いでも構わんけど、チェーン店で雇われが偉そうに勝手な事して客に不愉快な思いさせてるのもなんだかなと思った。

本部メールでもすればいいんだろうか。

2023-05-26

anond:20230525172029

その道のプロとの事なので、聞いてみたい。

最近冷蔵庫(300L以上?)は、ドアポケットの収納を多くできるようにしていて、

棚の奥行きが浅くなって使いづらいと個人的に思ってる。

以前の冷蔵庫はドアポケットはそれほど収納の容量(というのか?)が取られていなくて、

棚の奥行きがそこそこあった。一升瓶を寝かせて(奥行き方向に)真直ぐに仕舞う事が出来た。

今のはそれができない。

何故このようなスタイルにしてしまったのか?

しかすると奥行きを深くすると、奥の物が取りにくいとかそういう理由なんだろうか。

2023-05-23

オタク推し燃ゆを読んだ

なんか朝起きたらとんでもなくめんどくさい仕事の連絡がきていて、ああ、って思った。

からミーティングがあったのでそれだけこなして、今日はもう仕事はせず、PCの画面すら見たくないと思った。

出かけようかとも思ったけど雨だし、お金もないのでずっと積んでいた本を読むことにした。

買うだけ買って、ビニールすら剥がしていない本がいくつもある。

とりあえず、以前数ページだけ読んだまま放置していた「推し燃ゆ」という作品に手を伸ばした。

推し炎上から始まる、1人の女の子人生の話だった。

私は女性地下アイドルオタクだ。コロナ流行って現場が無くなった頃からVtuberも見ている。

から、というわけではないが、界隈の特色もあって私自推し炎上するいう経験は何回かある。

ここから先は本編のネタバレを含む内容。

感想を率直に述べるとすれば、「私はまだ大丈夫な方だ」だった。

主人公はおそらく、ADHDの診断を受けているのだと思う。

作中で明確な病名が明かされているわけではないが、病院で言われた、人と同じようにできない、という描写からそのように解釈した。

じゃあどうして私がそのような感想に至ったかというと、自身も似たような境遇にあるからだ。

数年前、躁鬱の診断を受けた。

ADHDも躁鬱も、レントゲンを撮ったり、血液検査をして明確なエビデンスの元下される診断ではない。言って仕舞えば、患者気持ち問題だ。

実際、病的なまでに人と違う点があるのだから病気”とされているが、気持ち問題が含まれるために世間から理解も乏しくなってしまうのだと思う。

重要になってくるのは、その病気に対してどう向き合うかだ。

この作品主人公は、どうも病気に甘えているような印象を受けた。

わたし病気から仕方ない。そういったニュアンスの心情描写が何度も見受けられる。

かに病気から仕方ないところはある。努力してもどうにもならないことはある。

けれど、そこで「私は病気から」何もしなくていいというわけではないのだ。理解を得たいのであれば努力をしなければならない。

最近、心の病気に対する世間認識は徐々に変わってきているように思う。少しずつではあるが、確実に、理解を得られるようになってきている。

しかし、日本社会は甘くない。

世間から認めて欲しいのであれば、病気だろうがなんだろうが努力するしかないのだ。

趣味を全うしたいのであれば、それ相応の働きをしなければならないのだ。

好きなことだけやって、やりたくないことはやらない、なんてことは現代日本社会ではまず許されることではない。たとえ病気だったとしても。

努力なんていうものは、尺度ベクトルも人それぞれだ。

自分がどんなに自分なりに努力していたって、世間から認められないのであればしていないのと同じになってしまう。

では、努力を人に認めてもらうにはどうすれば良いのか。

回答は明快だ。「世間尺度に合わせれば良い。」

作品の後半で、主人公高校中退してしまう。

この作品だけ読めば、まるで推し炎上きっかけに人生が壊れていくさまを描いているようにも思うが、登場人物人生だって地続きだ。推し炎上してもしなくても、同じ結果だったのではないかと思う。炎上は時期を早めただけだ。

中退した後、主人公家族から就職をするように言われる。

それを言われた主人公は、数ヶ月の間で数社の応募をしたのだという。

数ヶ月の間で数社、というのは世間尺度で見れば到底努力しているとは言えない数だ。もしその状況を正当化させたいのであれば、相応の理由がなければならない。

だって人間だし、親だって生きるのに金がかかる。無償の愛などこの世には存在しない。

この本の帯に、このようなコメントが添えられている。

未来考古学者に見つけてほしい。時代を見事に活写した傑作。」/朝井リョウ

この感想を得た朝井さんがどの部分に「時代」見出したのかは定かではないが、私はこのコメントを見て酷く納得した。

かに推し炎上」という題材はこの令和ならではだと思うが、この作品が打ち出す「時代」というのは、今回つらつらと書いた精神疾患の方にあるのではないかと思う。炎上は、そのテーマを引き立てるためのものしかない。

からあった病気ではあるのだろうが、その存在が明るみになり頻繁にメディアで取り上げられるようになったのはここ数年のことだと思う。

世間から理解を得難い病気を患ってしまった自分が、どのように世間と接していけばいいのか。そういった教訓が、この本に描かれているのだと私は解釈した。

私は今日仕事からの逃避をするためにこの本を手に取った。間違いではなかったと思う。

このあとまた、とんでもなくめんどくさい連絡と向き合わなければならない。

しかしそれは給料を得るためだけではなく、己の信用獲得にも繋がるのだと、この記事を書きながら痛感している。

躁鬱というハンデを伝えた上で採用された会社だ。恩がある。

ぜひ、所謂オタクよりも自身ハンディキャップに苦しむ人に読んでほしい。そんな本だった。

2023-05-17

劇薬の類は子供の手の届かない場所に置く(でも磁石セットは子供の手の届く所にあるから危険)って言うけど

サンポールをいちいち厳重に仕舞ってる家が多数派だとは思えないんだよな。下手したら掃除の手伝いで使わせてるだろ。

グリホサートも安くそこらのドラッグストアで売ってるし

つーか単身者子供もうける気がない人らにとっては子供玩具以外の磁石セットも規制で買えなくなるってただのとばっちりしかないのに

子供生み育てて当たり前っていう価値観の人たちには彼らが全く目に入ってないっぽくて断絶を感じた

2023-05-08

anond:20230508232640

だったら口だけじゃなく、さっさと刺し殺して仕舞いにしろ

2023-05-07

anond:20230507101816

ちんちん仕舞う前にきんたまの浦をグッと押し上げるといいぞ

2023-04-11

anond:20230410221017

実際にやってみた記録


結論:自分には向いてなかった。

経緯:外食晩酌はしたが飲み足りなかったので、最寄駅そばコンビニで酒(梅沢富美男サワー。500mlは流石に消費し切れなさそうだったので順当に350ml)とツマミ(元増田ブコメにあった明太子マヨ味したらば)を購入。

缶をプシュしてグビグビいきつつ家に向かって歩いたのだが、酒散歩以前に「何かを飲み食いしつつ歩く」というのが初体験に近く、それへの違和感が大きかった。一応これまでも肉まんとかを買い食いしたことはあるが飲み物は消費ペースが遅いのだという気付きがあった。

つまみビニールを破ってパックンチョしたものの缶グビと交代しつつ食べるのが難しく一口か二口で袋に仕舞ってしまった(家に着いてから美味しく頂きました)。

その後、半分近く缶を空けたけど車酔いのような移動に伴う酔いも手伝って気持ち悪くなり、そうこうしてる内に飲み切れないまま家に着いてしまった。

そしてPC前でKinKi Kids公式YouTubeチャンネル見つつ残り半分の酎ハイ飲んでしたらば食べて今に至るって感じ。

完走した感想ですが、案外「移動しながら飲酒」することの不向きが露呈したなぁって印象でした。

2023-04-07

老いていく親に終活をさせるには【追記あり

追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152

以下本編******************************************************

両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活サポートサポートするような仕事をしていた体験から

大前提として、親と仲良くできてるか?

そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ必須…!!」と思わなくてもよい。

そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃん円満人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。

親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から大事書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。

そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要

そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老い自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。

現代の老人の傾向、セグメント別

そもそも金持ち株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。

親が金持ち場合。傾向的には、ガチ資産持ちの人は弁護士税理士やら銀行担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題名刺交換しておけばおけー。

資産持ちの場合プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。

お金がなさそうな場合。自宅とちょっと貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券印鑑仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃん確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫

もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。


マメポジティブな親御さんには、エンディングノートを渡すだけで割とオッケー

文章文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。

エンディングノート市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。

基本的必要情報

これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販エンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近終活アプリなんてのもあるので、スマホコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK

市販エンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分から書いてもらってついでに大事資産周りの情報も書いてもらえる。

逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単ものを使って、親にヒアリングをして子供ノートに記入していくのがお勧めズボラな人や「そういう書類作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止ちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。

そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。

あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家年賀状を取っておいてもらう。正月帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。

結構、長い時間をかけて、ぽつぽつとやる

エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位ゆっくりやればいい。

比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラ小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。

今日は通帳を整理したか乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。

自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。

墓のこととか葬式のこととか、財産分与のこととか

親子関係改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。

我が家場合だが、一番面倒だったのは墓のことだった。

父親が三男、母親姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。

実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。

父は、仲が良くない義理関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしま心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。

ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るからよろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。

もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。

終活が思い出になるような逆転現象

母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類ファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。

父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。

そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積めっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。

何ていうか、「死ぬ」というのは人生時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つのである死に向かう状態が延々と続いていくのが人生特に老人の人生なんだよなと思う。

終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。

親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。

一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。

2023-04-06

欲しいと思ってる香水

香り自体量り売り確認し数日間使っているので、飽きる以外に合わない等の問題はないと思う

で、どこで買うか

公式からだと約2万、100ml

Amazon楽天だと1.6-1.8万で100ml

バイマ大手店舗で1.4万

メルカリだと100mlで8000から、50mlだと4000円から

買い方としては大きく2通り

公式・それ以下の小売・並行輸入正規の新品を買う

フリマサイト中古品を買う

はじめはメルカリで買おうと思っていた、ここ最近メルカリ状態の良い中古品を譲ってもらった事もあり、中古でも問題無いと思ったか

しかし当該商品メルカリ検索するも何か購入意欲が湧かない

購入元・購入時期・開封時期を明記している出品が無く、譲ってもらったとかそもそも記載しないか

写真判断するも、なにかこう…どこかしらから古さが伝わるものばかり 透明のキャップがくすんでいたり、明るく画質調整したはずの商品写真でさえ、液体がずいぶんと濃く黄色くなっていることがうかがえたりと

かなり有名なブランド・有名なシリーズのものなので、特定趣味の人が買うというよりは普通の人がネームバリュー等々で買い・贈り・フリマサイトに出し・フリマで購入し2次3次利用・あるいはすっかり仕舞い込んで10年モノとそんな雰囲気の品々だ

これらの品を見極め、状態の良いものタイミング良く購入するのは難しいと感じている

以前に状態の良い品を譲ってもらえた経験からフリマでと考えたけど、それはニッチ香水だったから・それなりに思い入れのある人が購入するタイプの品だからなのではと今思う

2023-04-04

anond:20230404200314

・樹脂複合サッシ

U値的には樹脂に遜色ないとこまできてるからあとはガラス性能の問題

樹脂は枠がぶっとくてあーいかにも高高住宅だなーという残念な感じになる

そういうの気にしない人ならいいかもしれんが、それより気密を取りにくい引違いを使わないことが重要

無垢フローリング

床暖とかにしないなら無垢絶対いい

樹種を選べばそんなに高くない

無塗装で材から出る油だけで育てるといい感じに風格が出る

・窯業系の外壁

きじゃないけど防火・耐火性能は高いか都市部で使うなら

あとちょっと当たったくらいじゃ凹まないかガルバより気を使わなくていい

仕舞が気になるならノンシールも出てるからそういうの使えばいい

・埋め込み式のポスト

純正仕様じゃ厳しいが内側の収まりを工夫すれば断熱気密も問題ない

なにより外に郵便物取りに行くのは寒い日とか雨の日とか辛すぎる

電球色メインの照明計画

慣れの問題

電球色に慣れると色温度高い照明計画が鬱陶しくなる

電球色だと2700Kの照明が多いけど3000Kが白熱球の色温度から3000Kがいいと思う

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-03-14

anond:20230313233142

死ぬのは仕方ないことだけど癌の最後の方の苦しそうさってもうちょっとなんとかならないか

見ていても辛いし自分がああいうふうになるならもっと早く仕舞いにしてほしいなと家族の癌の看取りしたあとすごく思った

祖父母のうち、みんな80後半〜90過ぎまで生きて長寿だったけど、癌の祖母の死に際だけがまさに増田の母の感じでダントツで苦しそうだった

2023-03-12

セフレ恋人関係になって1年経った

何かまだ信用してくれていない雰囲気がある。

セフレまりだけど本気で好きだと気付いたか告白して付き合ったのに、まだ俺に対して遠慮があるし俺の愛情表現を真っ直ぐ受け止めてくれない。これはほぼ俺の責任で、まだ彼女をそういう目でしか見ていなかった時に「お互い都合の良い関係で」とか「彼女は要らない」って繰り返し言ってしまった事が恐らくは原因だと思う。そのせいで「この人は初め私をセフレ妥当ジャッジしていた」という意識がずっとあるようで、どんなに好きだと言っても可愛いと褒めても自分を俺より低く見たり下げて考えるのを辞めない。プレゼントしても「こんなにしてもらえるなんて」って申し訳なさそうにして、ご飯どこに行く?って聞いたら迷わず一番安い店選んで、奢りたくて奢ってるのに頑なに財布を仕舞わなかったり「次は私がご馳走するから」って絶対返そうとする。「私には贅沢」なんて言葉もたまに聞く。ずっと自分が俺からそういう扱いをされるに相応しくないと思っているみたい。

俺に甘える時すら「迷惑じゃないですか」「我儘を言ってごめんなさい」って言われる。迷惑なわけないし我儘だと思った事もない、構って欲しいなら沢山甘えてくれ、つらい時はいつでも話を聞くから打ち明けてくれ・・・って何度も言っているのに、自分気持ちセーブしてまず俺の顔色を伺おうとされる事が悲しい。「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」でいいんだよ、って何回言えば良い?デートして「くれている」って言い方をやめなさい、好きだから会いたいしデートしたいんだ・・・って何回言えば信じてもらえる?「この人はどうして私に優しくしてくれるの?」みたいな顔をしないで、愛されて当然!って堂々と受け止めて欲しい。曇らせたくないし笑ってて欲しい。だけど、セフレまり事実がある時点で俺は一生信用して貰えないのかな。当時の俺の発言も、この先ずっと響いてくるのかな。どうしたら挽回できる?

2023-03-05

anond:20230304090110

ワイやったらその場合

「どうして兄だけに財産を渡したの?」

「私のこと愛してないんだ」

メンヘラ化して

生実から金を搾り取ることができる

親戚の集まりとかでブチギレする。

兄に結婚相手ができても、恨み節を言いまくって崩壊させまくる

実家に住んで仕舞えば追い出すこともできず

兄は嫁と新居を買うことになり実家から離れて暮らすので負担が増すやろ?

そういう嫌がらせしたるわ

2023-03-02

オタク再燃する

自分のことをオタクと言っていいか正直分からないが、今はもう解散してしまったとあるグループが大好きだった。

そのグループアーティストなので、そのグループが作る音楽はもちろんのこと、パフォーマンスも、人間性キャラクターも好きで解散してから元メンバー活動を追いかけている。

ただ、純粋にそのグループメンバー応援していたわけでもない。

そのグループは全員女性メンバー同士の絡みが大好物だった。

ストレートに言ってしまえば、その様は百合しか見えなかった。

そのグループを知る少し前から私は百合に目覚めてしまっていたので、最初はもちろん音楽から入ったのに、テレビラジオライブ雑誌インタビュー彼女らの公式サイト日記を見ていたら、もう百合しか見えなくなったのだ。

もちろん、実際はそうではない。

そこの分別はついてる。

元メンバーは今や全員既婚者だし、当時からファンタジーだとかもう一つの世界線として楽しんでいた。

正直に言えば、音楽でも百合でも楽しめて、どちらも最高なのだから、このグループって奇跡か何かじゃないのか?とか、私って凄くお得な性癖持ちだ!なんて結構な具合に舞い上がっていたところもある。

それに2ch(正しくはPINK板)にも専用スレがあって、百合SSが幾つも投稿されていたし、何なら自らSS投稿も数回した。

百合作品を通じて一時期は同い年の友人もできた(今は連絡取れないが)。

その友人らとは純粋音楽ライブパフォーマンス感想と、百合フィルターを通してメンバーを見ての萌えポイントなんかもよく話していた。

凄く楽しかった。

友人らもSSを書いていて、私より数段は構成ストーリーが上手くてSS職人の域だったりで、とにかくオタクとして楽しい日々があった。

でもグループもそれなりに活動期間が長くなると色々あって、グループ体制変更や諸事情あっての活動休止などが起きて、そのショックから2ch百合スレは廃れて落ちた。

その辺りで百合繋がりの友人とも交流が途絶えたっけ。

私も活動休止の影響があって百合観点でのオタク活動からは離れてしまい、ただの音楽ファンになった。

それでも彼女グループ音楽パフォーマンスは素晴らしかったので満足だった。

そして5年ほど前にグループ解散した。

ここまで来ると、なんとなく何てグループなのか分かる人には分かるかもしれないが、グループ名は伏せておいて欲しい。

時が流れて、最近になって私は「BLも好きだし、断トツBLの方が先に触れたのに、百合の方がとびきり好きだよなぁ」と自らの性癖を顧みていたんだが

そこで「あのグループ百合が何より好きだった。」と急に思い出した。たまにグループ音楽聴くのに何故か百合のことだけ忘れていた。

百合作品は好きなくせにあまり普段触れない(BLももちろん)けれど、友人らがオタク気質BLネタをたまにTwitterつぶやくのでそれを見て自らを顧みたら、奥底に仕舞い込んでいた百合萌え魂(何ソレ)に再び火が点いてしまった。

懐かしくなって、落ちた2ch百合スレを頑張って探した。それは過去ログにキチンと残っていた。

私が大好きで悶えた、職人によるSS作品自分で書いた拙いSS作品もそこにはあった。

懐かしさと嬉しさと湧き上がる百合萌え具合から、机に頭を打ちつけてしまいそうなのを幾度と堪えて(オタク仕草が過ぎる)、過去ログを読み耽った。

やっぱり彼女らは百合的にも最高なグループだ。

いや、だった。

そのうちにグループに色々が色々あって、突然終焉を迎えたこグループ百合に、百合としての"終わり"をちゃんと設けたいと思ってしまった。

百合ファンタジーだ。

からファンタジーとして、でも事実を含めながら終わらせようと思った。

動機からから私の勝手100%ではあるが、百合スレが半端な状態で終わっていたのが何故か居た堪れなくなった。

オタク思考って本当に厄介だ。


終わりを作るために何年かぶりSSを書く。

自分ブログに書いている、しょーもない出来事とは違う。

起承転結を作り、キャラクター性格をキチンと含ませて、現実ファンタジーと幾らかの私の願望を織り交ぜて……

っで、なんか一日で出来てしまった。

あの頃はいくら考えても萌えネタSSに落とし込めなかったのに…なんと呆気ないことか。

とは言え内容がストーリーとして辻褄が合うように出来ているかは、自分では分からない。

おかしいかもしれない。

でもとりあえずは納得いく形にはなったので、満足している。

そして出来上がると今度は欲が出てきて、公開する場が欲しくなる。

ただ、扱っているのは実在する人物なので、大っぴらにネットに載せるわけにもいかない。

なのでブログを開設することにした。

というか、開設した。

SS公開はパスワードを設定して、安易に人の目に晒されないようにする。

ただここにURL検索ワードパスワードも書かないし、そもそもまだ書き上げたSS投稿すらしていない。

まぁ近いうちに百合スレ投稿したSSから投稿しようと思う(過去作は3本しか無いが)。

もしこの記事を読んで、何のグループか分かった人の中に百合スレ住民がいたのなら、SS投稿されていたスレタイをヒントに頑張ってブログに辿り着いてくれたら嬉しい。

最近Google検索じゃ難しいと思うけど…


Twitterフォロワーには、元メンバー純粋応援する人や私が百合オタクだなんてこと知らない人、知らなくていい人がいて、この一連の個人的出来事を書けないので、ここに書いてしまった。

これはインターネットSNSに毒されると、何処かに投稿して報告したくなってしまオタクの性だ。

気持ちが悪いと笑ってくれ。

それじゃ、気が済んだオタクは巣に帰るよ。

2023-02-08

書捨て

10数年好きなマンガ作品がある

きっかけは覚えていないが私がそのマンガに初めて触れたのはアニメからだったと思う

思う、と言うのは学生の頃の甘かったり苦かったりする記憶と共に様々な思い出が深みに仕舞われて最早取り出せなくなっているからだ

でもその作品に出てくるとあるキャラクターが初登場してからのめり込むようにハマったのだけは覚えている

どんなキャラクターかの詳細は省くがそいつ一言で言えば破壊衝動の塊みたいなヤツで派手な見た目と物騒な言動厨二病真っ盛りの当時の私にはものすごく刺さった

さて、このマンガと同時期に私の周囲でにわか流行り始めたものがある

"BL"だ

古くからある概念であることは重々承知だが私の周囲では同時多発的にこのタイミングで「腐女子」なるものに変貌する人がとても多かった

当然色々なコンテンツ推しCPの話を否応なしに聞かされるようになり自然と私もそういう思考作品を見るようになっていった

目が合ったから、やたらと突っかかるから、反応が違う気がするからーー願望めいた妄想をいくつも抱いてはコンテンツへの熱と同時にかなぐり捨てて来た

今思えば話題を合わせていただけなのだと思う

否定的になった訳じゃない

熱量と自信を持ってキャラ同士の関係妄想する体力が無くなっただけだ

だがアレだけは違った

そう、10数年物の熱量を抱くことになるあのマンガ

同時期に流行ったのだから当然このマンガにも同じように有り得ざる関係性を見ていた訳であるがまぁ他のコンテンツと同じように熱が落ち着くと同時にそういう視点も持たなくなっていった

ーーとあるCP以外には

私は当時から軽い"公式史上主義"で二次創作の類がかなり苦手だった

勝手自分で作り上げた"公式供給された"と思い込んでいるキャラクターから少しでも逸脱しているとどうにも違和感として捉えてしま

"BL"の全部が全部そういう訳ではなかったと言い切っておくがまぁ自分には向いていなかった

ところがそのマンガを読んでる時だけ足を洗ったはずの腐女子が顔を出すのだ

お互いにお互いにだけは負けたくないと思ってそうな所とか本人だけは気付いてない事に真っ先に気付きそうな所とか、まぁ語れば長くなる妄想をそれこそ山ほどしてきたが何故だかマンガで出番があるたびそのCP解釈に自信が付いていった

その頃にはこのCPへの熱を語る相手はいなくなっていたがそれでもそのまま学生卒業し、社会人になってもその火は消えることなく燻り続けることになる

この火がもう一度高く燃え上がったのは社会人になってしばらく経ってから

このマンガは喜ばしいことに原作がすべてアニメ化していて、さら劇場版が何作か作られている

そんな劇場版の最新作が私の中の"腐女子"を呼び起こすことになる

内容としては原作最終章劇場版らしく素晴らしい演出ネタを盛り込んでアニメ化したもの

私は実はこの映画範囲、つまり最終章原作は未読だったためどうしても見たかったので仕事のクソ忙しい時期だったが無理を言って封切り当日の最終回に滑り込んだ

ーーあの映画館での衝撃を私は生涯忘れないと思う

結論から言えば私が長年暖めていたCPの答えが詰まっていた

ようやくこの記事を書いている理由に辿り着いた

そう、私が長年抱き続けていた願望は、すべて正しかったのだ

私はそう解釈した

有り得ない、馬鹿げていると何処かでわかっていても捨てられなかった妄想

こんな事あるはず無いだろうと鼻で笑われてそれでも諦めきれなかった関係性が

10数年経ってようやく報われた、いや昇華された

この感情はきっと誰にも伝わらないし伝えられない

だって私はこの解釈を今まで誰にも話してこなかったか

そしてこれからもきっと誰にも理解されない

それでもあの映画の15分を見ると思い出すのだ

10数年抱えてきた熱量

あの日の衝撃を

2023-02-07

僕は白猫を飼っていた

その猫は何処にでもいるような猫で、何処にでも存在するような猫だった。

白猫と出会った日、僕は酷く忙しくて帰宅したのは22時過ぎだった。

家に入ると猫がいた。

それが白猫。

何処からか僕のアパートに入り込んだようで、しかしその猫を追い出すには僕は疲れ過ぎていた。

猫をそのままに眠り、翌朝にも白猫がいた。

最初幻覚のようなものかと思っていたが、どうやら夢ではなかったらしい。

白猫は僕と目が合っても逃げる気配を見せず、悠々と前足をぺろぺろと舐めはじめた。

やれやれと僕は思いながらも追い出す時間はなかった。

朝食はいつも外で済ませるので冷蔵庫を見ても中にあるのは干乾びたたまねぎぐらいで、あとは消費期限の切れた牛乳と半分のバター

小皿バターを乗せて猫の前に置くと、白猫はくんくんとバターのにおいを嗅いだ。

そのあとすぐに家を出た。

帰宅するとバターはなくなっていた。代わりに黒猫がいた。黒猫は朝に白猫がいた場所に座っており、寝室で白猫を見つけた。

ベッドの上で寝ており、頭を触ろうとしたところで目を開けた。

白猫は僕と目を合わせながらも何もいわず、ただじっと僕を見つめてきた。

僕と白猫と黒猫との奇妙な共同生活は、このようにして始まった。

それからどうなったの?」

「どうと言うことはないよ。普通に暮らしただけさ」

ベッドから彼女が起き上がるのを背中で感じ取りながら、僕は答えた。

「でも今は見当たらないじゃない」

「ああ、それはそうなんだ。だって彼らは消えてしまったのだし、本当は元々いなかったのかもしれないのだからね」

「どういう意味?」

彼女は脱いだ下着を身に着けながら聞いてくる。

「二匹の猫はつがいだったみたいでね。一ヶ月もすると、白根の方が妊娠したんだ」

去勢はしなかったの?」

「ああ。というか、そんなことにまで気が回らなかったといったほうが正しい。そのころの僕はとにかく忙しすぎたんだ」

放置しておくのは感心できないけど」

「僕も白猫の妊娠が分かったときには、それでも動揺したんだ。里親を探すにしても、そんな知り合いに心当たりはなかったしね」

僕も起き上がってタバコを吸い、冷蔵庫からビールを取って戻ると一つを彼女に渡した。

「でも里親のこと以上に、ひとつ気になったことがあったんだ」

「気になったこと?」

彼女は既に着替えを済ませていて、ここに来たときの格好のまま僕のベッドに腰掛けていた。

「親猫は白猫と黒猫。じゃあ生まれる猫は何色になるんだろうってね」

「白か黒か、ぶち模様なんじゃないかしら」

彼女は僕から渡されたビールをおちょこのように軽く一口飲み、それから言った。

「僕もそう思ったんだ。けど違った」

僕は窓から未だ明け切らない外を、真っ暗な世界を見つめながら言葉を続ける。

白と黒って陰と陽でもあるんじゃないか僕は思うんだ」

「何が言いたいの?」

彼女は痺れを切らしたように組んだ足の方を少し揺らし、ぴんと綺麗に整えられた眉毛の隙間を僅かに狭めた。

「白猫と黒猫からまれ子猫はいなかったんだ。でも子猫存在していた」

僕の言葉彼女は一瞬、呆けた顔を見せた。それから組んだ足を解き、僅かに前のめりとなってタバコの煙を僕に当てる。

「で?」

「白猫は確かに授乳していた。それは確かなんだ。白猫はずっとゴロゴロと喉を鳴らしていたし、乳房のところは上下に揺れていた。けれど子猫の姿はない。どこにも見えなかったんだ」

「気のせいだったのよ」

「そうは思えないな。いや、僕の言い方が間違っていたのかもしれない。白猫が生んだのは子猫じゃない。別のものだったんだ」

「じゃあ何だっていうの?」

空間、じゃないかな」

僕の答えに彼女はふっと笑い、それから立ち上がると僕に手を差し出す。

ちょっと多くない?」

「話を聞いてもらった分だよ」

「そう」と彼女拒否することなく僕からお金を受け取ると財布に仕舞い、パチンと音の鳴るバッグにしまうと背を向けた。

「その白猫と黒猫は今どこに?」

玄関の方へ歩み出す前に彼女は一度だけ振りかって、僕にそう尋ねた。

「闇の中じゃないかな」

そういって僕はタバコで窓の外を指し、彼女曖昧に微笑むと玄関に向けて歩き出した。

ベッドに座ったまま彼女が出ていくのを聞き、僕は枕の傍にある虚空をなでようと右手を動かした。

「にゃあ」と一度だけ猫の声が聞こえた気がした。

2023-01-27

自界隈のデフォルメ逃げ下手クソ絵描きが嫌い

去年からウチの界隈で絵あげ出したポッと出

絵って言っても、紙にボールペン落書きした様な

手描きのミニキャラ漫画みたいな下手な絵

それが、界隈の大手や、フォロワー多い配信者に

かわいい」「味がある」って謎にウケて、

気付いたら、フォロワー数も抜かれてた

そりゃあ、私の絵が上手いかって言ったら、

決して神絵師には届かないレベルだけど、

デッサンとか塗り勉強して、努力してきたのに

幼稚園児でも描けそうな落書きが有り難がられて、

人気絵師に気に入られて、沢山いいねリツされて、

何の努力もせずに注目されて、フォロワー増えて

私の絵は、頑張ってもいつも埋もれて伸びなくて

人気絵師に見つけてもらう事もできないのに

お前の描いた普通の頭身のイラスト見たけど、

デッサンも狂ってて、何もかも下手クソで

明らかに、私の方が上手いって言い切れるからね?

まともな絵が描けない下手クソだから

デフォルメで、ネタ絵に逃げてるだけのくせに

卑怯者が

でも、そんな努力もしてない奴がチヤホヤされて、

有名絵師フォローされて、馴れ馴れしく喋って、

仕舞いには、あの下手クソな普通頭身の絵すら、

「実は絵上手いですよね」とか、周りに褒められる

「は?どこがだよ」って、声出して笑ってしまった

もう、何を描いてもチヤホヤ状態気持ち悪すぎる

あんな下手クソな落書きの、何が可愛いの?

内容だって、私あいつの漫画で笑った事ないけど

皆、何が面白いの?あれのどこに価値があるの?

理不尽すぎて、意味がわからない

ブロックしてるけど、ウチの界隈の有名な絵師

たまに名前出して褒めたりするから、見る度に病む

正直、消えて欲しい

2023-01-22

女だけど痴漢しそうになった

ダウト

「私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。」気づいていると思うけど、これ典型的思い込みだし、認知が歪んでいるよね。そのOLだって何か抱えてるかも知れない。

健常と障害のいう苦しみはちゃうよ。明確に違うもの。断言できる。常習的に首に縄かけて2時間迷ったりしてないやろ。

ま、「あなた認知は歪んでますね」と、ウエメセで偉そうなこと言えるのは、健康鬱屈とせずに生きてるからだよ。よかったね。嫌味半分だけど普通に羨ましいよ。

それと。

こーゆー人認知の歪みとか行動認知療法とかほんま好きよね。自分が正しいと思っててさ、葛藤も苦悩もない。ずるいからほんまきらいです。

薬飲んで寝るね。おやすみ。元気でね。

 

状況

会社に行くバスの中

仕事などストレスが溜まっていた

対象

・着飾ったOL

・同い年ぐらいだと思われる

・背筋が伸びていてキラキラした感じ

詳細

憂鬱な気分で座席に座っていたところ、満員の通路から押し出されたOLのお尻が接近してきた

・ちょうど視界に尻があったので眺めていた(尻を見るのが自然位置に尻があった。不可抗力である)

OLが着飾っていてムカついた

ストレスフルでまともに洋服を買えていない、化粧も適当であることに負い目があったことが原因だと思われる

・うまくいってそうなOLが嫌な目にあって欲しいと思った(妬み)

バスがあまりに満員なので、ここでテロが起きたらどうだろうと思いを巡らせていた

憂鬱通勤日常を打破する出来事が起きて欲しかった

OLが急に殴られたらどう反応するか考えた

テロはなくとも痴漢ぐらいならありうるだろうと思った

・ふとOLの尻を思いっきり揉んだら人生終わるやろなあという考えが浮かぶ

・急に尻を触りたい衝動に襲われた

痴漢衝動は初めての感情で若干の感動があった

痴漢衝動に感動し、しばらくは「初めての衝動」をテーマに思いを巡らせる

・昼食のことなどを考えていたところ、バスさらなる乗客が乗り込んできたことで、OLわたしの鞄に尻をぐいぐいと押し付けてきた

・鞄の中の書類がくしゃりと音を立てた

書類が曲がったことへの苛立ちを感じた

・鞄と尻を見ていると、鞄を押し付ける「バレない痴漢」が可能であることに気づく

・鞄で痴漢したい衝動を強く感じる

キラキラOLスポイルしたいと思った

バスが最寄りにつき痴漢せずに済んだ

考察

ストレスフルな日常への無力感があった。

マスクで表情の見えない乗客は、満員のバスの中で押し合いへし合いしながらも身を縮め、スマホの中に没入し、誰にも迷惑をかけない置物のように並んでいた。

こちらに干渉してこない、こちらも干渉できない、バスの一部のような乗客に囲まれていることに気持ち悪さを感じた。

私の力の及ばない、ときには眺め、ときには耐えるしかない「秩序ある社会」。

姿勢の良い着飾ったOLはその象徴のようだった。

私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。

OLが嫌な目に遭って欲しいという妬み。出社したくない・全てを放り出したい・日常など壊れて仕舞えばいい、という逃避願望。その2つが合致して痴漢衝動になったと思われる。

幸い痴漢には至らなかったが、今の3倍程度のストレスがあればやっていたかもしれないと思う。

気ままな独り身ではなく、養うべき子供や払わねばならないローンがあれば。役職について仕事の重圧に押しつぶされていれば。

ストレスから痴漢に至る」その身勝手さは、女の立場として重々承知だ。しかし、ストレスを溜め込み痴漢衝動におそわれた人間には、(痴漢欲求を持つ)自己否定も、衝動を抑え込むことも難しいのかもしれない。痴漢気持ちがわかり、哀れに思った。

 

最後に、今回性犯罪者にならずに済んだ勝因として

・性衝動比較的薄い「女」だったこ

ストレスで性欲があまりなかったこ

犯罪経験がなくハードルが高かったこ

ストレスに対し、通院と服薬という適切な対処をしていたこ

があると思われる。特に抗うつ剤と某衝動を抑える薬がなかったらやっちまってたかもしれない。

2023-01-18

女だけど、人さし指よりも薬指の方がだいぶ長い。

それは主に男性の手指の特徴なのだが、胎児時代に浴びた男性ホルモンの量が多いとそうなるのだという。

それが、自分性自認性的指向に、どう影響があるのかはわからないが。

思い返せば、2、3歳くらいの幼児期にはテレビに出てくる女性アイドルばかりに興味を示し、執着していた。

でも、幼稚園以降はわりと普通に恋愛対象としては男子を好んでいた。今のパートナー男性だ。だが、女性を好きになった事がないわけじゃない。

幼少期は、信じられないレベルの悪ガキで、弟を巻き込んでイタズラばかりしていた。

でも、幼稚園以降は、しょっちゅう同級生女子わがままに振り回されたり、ハブられたりして、泣くことも出来ずに一人で隅っこにうずくまり霜柱を踏み潰すとか、石をひっくり返してダンゴムシを見てたりとかした。

可愛いアイドルが好きだったけど、いつもズボンを履いていた……のは、親の意思だったような気がする。

珍しく買って貰えたのが、細かな千鳥格子の布地で出来た、裾に共布のフリル付きの遠目に見ると灰色っぽいスカートで、死ぬほど地味なのがかなり嫌だった覚えがある。灰色って。ピンクや赤だったらきっと喜べた。

ままごとのお母さん役は死んでも嫌だった。

だが、人形遊びは大好きで、やっていたのは完全におままごとで、なのに人形で遊んでいるところを見られるのは絶対に嫌だった。

小学校の頃に、母が友達からVANパーカーを貰ってきて、それは男ものだったんだが、私は喜んで着た。でも、私以上に母の方が喜んでいたと思う。

以後、母が誰かから貰ったまま押入に仕舞い込んでいたという、ボーイッシュを通り越してマニッシュな、いやおっさん臭い(一応女物ではある)服というのが、謎に沢山出てきた時期があって、当時は偶然見つかったお宝を貰い受けたと自分では思っていて、得したようにも思っていたが、今思えば、上手いこと母に誘導されただけのような気がする。

思春期は、自分身体が段々女体化してくる事をグロいとしかおもえなくて苦痛だった。

一方で、好きな男子と付き合ってセックスすることを夢見てもいた。

月経困難が酷くて、元気な日が1ヶ月のうちに3日あればいい方だった。

それで同級生女子にも可哀想だと心配され、面倒見のいい女子から何かと気遣われるのが、すごく嫌だった。

女友達と人目憚らずにスキンシップ過剰な付き合いをしていて、男子からレズ死ねとよく言われていた。

19歳の頃、それまではそこまで思い詰めていた訳でもないのに、急に自分はとても中性的容姿なんだと思い込み(実際には瓢箪型のデブだったので、どっからどう見ても女だったし、服装がモサかったので、女というよりは産後太りから順当に中年太りに移行したおばさんのような見た目だったと思う。そんななりで男らしくw がに股で肩で風を切って歩いていた様はちっさいおっさんしかなかったと思う)

友達に半ば無理強いさせる形で「男みたい」「中性的」だと言わせて、有頂天になっていた。

それがある時急に虚しくなり、お水風俗バイトをやりだし、客から可愛いとお世辞を言われて有頂天になり、以前の「中性的」という名のおっさんおばさんチャンポンムーブは何だったのかというくらい、ゴテゴテの派手メイクゴスロリと化した挙げ句、初めて付き合った男と唐突結婚するという離れ技をきめた。

結婚はしたけれど、夫の家族から「○○家の嫁として云々」と言われるのが鬱陶しく、パート先ではダントツに若かったせいで変に「女の子」扱いをされるのが苦痛で、ある日カッとなって頭を丸坊主にしてしまった。

パート仲間のおばさん達から「小猿みたいで可愛いね」と言われて有頂天になった。ついにヒト以下の存在になった事には気づかなかった。

ミニスカートを履いていても「○○家の恥」と言われたが、頭を坊主丸めたら「お前は俺にわざと恥をかかせようとしているのか」と夫に言われて激しい口論になり、一時的夫婦関係マイナス28度まで冷めて険悪になった。

子供が出来るまでに五年くらいかかったが、私の体質のせいで胎児が平均サイズをかなり下回った状態で、予定日を一週間も過ぎて生まれてきた。下の子は完全に低出生体重児だった。

それから常識範囲内で色々あったが、現在の私はただのおばさん以上でも以下でもない。夫婦仲も親子仲も良好で、取り立てて言う事はない。言動はもう完全におばさん。

で、今になって思うのは、若い頃の自分セクシャルマイノリティに何をそんなに期待していたのかということだ。

私の手の薬指は人さし指よりも明らかにずっと長くて、それは母親の胎内にいた時に女児であるにも関わらず沢山の男性ホルモンを浴びたことにより形成されたものと思われる。母体に過剰なストレスがかかるとそうなると言われている。母は昔からいつもイライラしていてヒステリック家族に当たり散らしてばかりいる人だったから、私が母のお腹にいた時も、やはりイライラカムカしてストレスフルな毎日を過ごしていたのだろう。

私の手の薬指は人さし指よりもずっとながい。ただそれだけのことで、しかし私の性別が女であることは揺るぎない事実だ。若い頃の私は、「中性的(笑)」ということに変な期待ばかり山ほど抱えた、恥の多い人生を送っていたけれど。

5年推してたグループSNSブロックした

どこにも吐き出せないのでここで話させてほしい。

題名の通り、5年推してたグループSNSアカウントブロックした。

名前を出した上でもっと詳しく言うとTwitterにあるハロプロの全ユニットアカウント事務所公式アカウントファンクラブアカウント、とにかくハロープロジェクトに関するTwitterアカウントを全てブロックした。

メインで推してたグループモーニング娘。、5年前にSexyZoneとコラボした時の歌番組をちょうどリアタイしていて今のモー娘。ってこんな歌上手いんだと感動し、そこから過去ライブ映像とかを漁るようになった。

とにかくモー娘。は曲が多くて、推し始めの内はどんどんどんどん好きな曲が増えていくのが楽しくて仕方なかった。

その内メンバーのことももっと知りたくなって加入時の映像過去ブログとかも漁りまくった。

Twitterももちろんメンバーのことを検索した。今思うとその行動がそもそもいけなかったのかもしれない。

その頃には「推し」という存在ができていたのだが、その推しが、めちゃくちゃTwitterで叩かれていたのだ。

理由単純明快、「可愛くない」からだ。

かに推しはお世辞にも乃木坂にいるような可愛いの子ではなく、どちらかというと中性的な見た目をしていた。きゃぴきゃぴした感じもなく、声も今時のアイドルにしては低かった。自分はそういう子の方がタイプだったか自然と好きになってたんだけど、Twitterに生息するオタクにはそれが気に食わなくて仕方なかったらしい。

堂々と名前を出してブスという人もいたし、歌番組で抜かれるたびに評判が下がるから映すな、しまいには今のモー娘。テレビに出れないのはあいつがいからだ、なんて言い出すオタクもいた。

もちろんそんなこと言ってるのは一部の声の大きいオタクだけだったし、大抵のオタクは今の時代アイドル簡単テレビに出れる訳ないし、そもそもその頃のモー娘。はとにかくライブに力を入れている印象で、テレビに出れないのはどちらかというと事務所のせいなのでは…という意見だったように思う。

それでも正直最初はめちゃくちゃ心が痛んだ。今まで2次元アイドルしか推してこなかった自分としては、ネット上で人の好きな子を、というか生身の人間をここまで傷付けることができる人たちがいることに純粋に驚いた。

でもメンバーのことは好きだったからとにかく手当たり次第に叩いていたオタクたちをブロックしてTLを綺麗にした。

ブロックしたのもあるとは思うが、年月が経つにつれて推しが実力をつけていくと、次第に堂々と名前を出して批判するようなオタクは減っていき、推しオタク全体から評価されるようになってきた。

これでやっと心置きなくオタ活ができる…と思っていたが、そう簡単には行かなかった。

叩く対象が変わったのだ。自分推しから、違うメンバーへ。

主に叩かれるようになったのはグループリーダーだった。理由は色々ありすぎて一言じゃ纏められないけど、最初火種は歌割りについてだったと思う。

モー娘。は歌割りの偏りがあり、主に先輩メンバー構成される曲が多かった。特にリーダーの子は歌割りがおおく、それが一部のオタクにとっては気に食わなかったらしい。

あいつが歌割りを独占してるせいで後輩が育っていかない、自分が目立ちたいからって後輩の出番を横取りしてる、というような意見が目立ち始めた。

ただ、歌割りを決めるのは事務所だ。そこに不満が出るのであればどう考えても事務所の采配ミスだが、その頃コロナもあってオタク達は純粋鬱憤が溜まっていたのか、そんな冷静な意見を出せるオタクは少なかった。自然と歌割り問題は「自分の歌割りを譲らないメンバー個人のせい」ということになってしまった。

その内後輩たちが卒業していくと今度はいつまでいるんだと言う声が多くなってきた。仕舞いにはメンバー自身が発信した卒業理由を信じずお前がいつまでもグループにいるせいで後輩が卒業したんだとかい妄想事実かのように語り出す輩も出てきた。内部事情など何も知らないオタクである

その頃にはもうそういうやっかいオタクが集まる界隈なんだなと半ば諦めてオタクブロックに勤しみながら現地に行ったりして楽しんでいた。

そしてとうとう自分推し卒業する時が来てしまった。

いつか卒業するものだと思ってはいたが、めちゃくちゃショックで一日何もできない日が続いた。

しばらくして気持ちが落ち着いてなんとなくTwitterを開いたら、何故かリーダーが今までの比ではないほどにめちゃくちゃ叩かれていたのだ。

どのくらいというと、インスタのコメント欄がほぼ批判で埋めつくされるレベルで荒れていた。

今までは伏せ字とかを使ってTwitterゴキブリのようにコソコソ呟いていたオタク、というかアンチたちがインスタのコメ欄に集結してしまっていた。

まさか本人に向かって堂々とありもしない妄想を並べにくる輩がいるなんてと驚いた。

そして一番驚いたのは事務所対応だった。これだけ本人に攻撃が集中しているにも関わらず、なんと事務所はインスタのコメント欄を封鎖しなかったのだ。

ここで何かプチッと糸が切れるような感覚がした。

実はリーダーの子は以前にも厄介なオタクに目をつけられ、オタクに内部事情を漏らしているというリーク(デマ)をされたことがあった。

その後事務所から公式デマだということ、そして今回の件について法的措置検討していると発表された。

その時自分はこの事務所はいざという時はちゃんメンバーを守ってくれるんだと思い安心したのだが、事務所を信じた結果これである

そこからはもうダイジェストのようだった。

推し卒業公演に当たり現場号泣し、リーダーブログを読み感動し泣き、そして次の日またそのブログが荒れていた。

理由は全体的な文章皮肉めいていること、推し活動期間を短いと表現したことのようだった気がする。

正直自分が読んだ時は皮肉なんて感じなくて、すごく愛のある文章だと思ったし、活動期間については皆推し卒業を発表した時に大抵のオタクは「(オタク体感として)短かすぎる、まだいて欲しかった」と言っていた、それと同じ気持ちなんだと解釈していた。

(というかここに関しては他のオタクが指摘していて、叩いていたオタクは「短いって言うのは比喩から!!」とキレていた。いや、わかってんじゃん比喩だって……)

この流れを見て、せめてリーダーの子卒業するまでは現場応援して様子を見よう、という気持ちから推し卒業と同時にオタ卒しよう、という気持ちに完全に切り替わっていた。

もう疲れてしまった。リーダーの子推しの次に好きな子なので余計だった。好きな子のことをエゴサするたび批判ツイートが嫌でも目に入りポチポチブロックするのはもう推しの時だけで充分だと思ったし、ちょうど推し卒業公演の2週間ほど前から精神的な理由休職していた。

グループ推し続けられる体力も精神力も今の自分にはないなと薄々感じていた。

1番の理由はやっぱり事務所対応の雑さだった。

オタクは内部事情を知らないし知る権利もないから、もしかしたら内側の部分ではちゃんメンバーそれぞれのメンタルケアはしてくれているかもしれないが、それをしてくれる事務所だと思えるような信用がもうなくなってしまった、だって本当に何も見せてくれないから、動いている姿勢を。

ここで事務所メンバーヘイト管理のために歌割りの再編成をしたり、インスタのコメ欄をすぐ封鎖したり、メンバーへの誹謗中傷について言及してくれたり、要はオタクに対して「メンバーを守る姿勢」を見せてくれれば、たぶんSNSブロックなんてせずのんびり在宅オタでもしていたと思う。

でも事務所はしてくれなかった、たいていの問題の火消しはメンバー自身がさせられていた、メンバーはいちゃもんを付けられただけなのに。

内側の部分ではちゃんとしてるかも知れなくても、外側から見てる自分からしたら何もしてないのと一緒だった。

本当に大好きなグループだった。というか今でもメンバーは大好きだ。YouTubeショート動画が流れてくるたびにブロックを解除しそうになる、でもその度推しアンチを半べそかきながらブロックしていた日々を思い出しては踏みとどまってしまう。

本当のオタクならこういう時こそ推し続けろよと思われるかもしれないし、自分もそう思ってる部分はある、でも自分はそういうオタクにはなれなかった。

流石にここで書いた内容をオタ友には打ち明ける勇気はなかった、周囲のオタ友は自分が勧めてハロプロを好きになってくれた人たちばかりだから

そういったこともあって周囲のオタ友には休職理由ちょっとオタクを休むだけ、とまるでまたハロオタに戻るような言い方をしているが、たぶん会社に復帰しても戻らないと思う。

2023-01-17

anond:20230117120911

だが、セブンナイツの考え方は違う。

誤りを認めて謝罪したら、負けなんだ。

裁判はいかにこちらが勝っているかを印象付けることが大事なんだ。

頭を下げたら、その時点でお仕舞いだよ。

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